舛添さん、「日の丸・君が代」強制問題にもっと関心を。もっと事実の認識を。
舛添要一さん、あなたの都知事としての言動には、注目もし期待もしている。注目しているのは、都政が人権や民主主義あるいは教育・環境・消費生活等々に、とても大きな影響をもっているからだ。とりわけ、私の当面の関心は都立校での国旗国歌強制政策の転換だ。
期待しているのは、あなたの姿勢のリベラルさ故にだ。保守であってもリベラルではありうる。リベラルでさえあれば話し合いも歩み寄りも折れあうこともできる。その点、石原慎太郎とは大違いだ。東京都のホームページ「知事の部屋」で、あなたの記者会見の模様を動画で見ることができる。毎週金曜日午後3時からの定例記者会見の要旨は、各紙が報道もしている。就任以来のあなたの発言の態度も内容も、概ね好感のもてるものだ。もっとも、石原慎太郎との比較をベースにしてのことだから、あなたにはご不満だろうが。
石原記者会見は、やたらに威張りたがるキャラクター丸出しの不愉快な雰囲気だった。威圧的な姿勢に若い記者が気圧されていた。あなたの前任の石原後継知事も「威張りたがりキャラクター」のDNAを受け継いでいた。しかし、あなたは違う。目線を同じくして飾らずフランクに記者諸君と話し合う姿勢の好感度は大だ。やたらと威張らないというそのことだけで、石原時代よりもずっと期待がふくらむのだ。
あなたの言っていることは、常識的でリベラルだ。知性の自信に裏打ちされた余裕を感じる。憲法理念への理解も相当なものだ。都政がいつまでも暗黒の中世から抜け出せないでは困るのだ。あなたに、開明のルネッサンスへの転換の期待がかかっている。
ところが、「日の丸・君が代」問題については、どうもあなたの言うことがおかしい。リベラルでもなければ、知性の片鱗も見えない。ルネッサンスの明るさはなく、キリシタン弾圧や特高警察時代の暗さのままだ。どうなっているのだろう、と首を傾げざるを得ない。
舛添さん、あなたはあまりにも事実の経過を知らない。いや、知らされていない。また、あなたも知ろうとしていない。おそらくは関心が振り向けられていないのだ。教育委員会が独立行政委員会であることを口実に、面倒な問題を避けているとしか見えない。しかし、この問題の発端は石原都知事の国家主義イデオロギーを教育に持ち込んだところにある。あなたには、都知事としてこの右ブレを是正する責任がある。ことは、教育の問題であり、民主主義に大きく関わる問題なのだから、良心と勇気をもっていただきたい。
あなたに関心ないとして放置されては困る。ぜひとも、現状の教育の歪みを是正し、誰が見ても異常な東京都の教育を真っ当なものとする努力をしてもらわねば困るのだ。困るのは、訴訟当事者や教員だけではない。何よりも教育現場の子どもたちが困る。明日の主権者を育てる教育そのものが困り果てている。都民が困る。国民が困る。舛添さん、あなただって、このままでは教育には見識のない不適切知事と指摘されることになって困るはずなのだ。
まずは、もう少し、首都の公立校の教育現場の実情とこれまでの経過について、正確に把握されるようお願いしたい。教育庁幹部の、保身の報告だけを信用していたのでは、無能なお飾り教育委員同様、裸の王様のままとなってしまう。
少なくともこれだけは押さえていただきたい。1989年学習指導要領の国旗国歌条項改定前の「都立の自由」がどのようなものであったか。1999年国旗国歌法の内容はどのようなものであったか。同法案の審議の経過では「国旗国歌を強制するものでない」ことがあれだけ繰りかえし強調されながら、「石原教育行政」はどのようにして強制に踏み切ったのか。2003年10月の「10・23通達」が、どのような経過で出され、どのように教育現場に混乱を持ち込んだか。そして、いくつもの訴訟で、どのような判決が出ているのか。そして、現在なお、多くの訴訟が継続中で、最近の判決は都教委の連戦連敗であること、などである。そして、最高裁判決に付せられた、異例の補足意見の数々をよくお読みいただきたい。最高裁の裁判官諸氏は、けっして「日の丸・君が代」強制を問題ないとはしていない。むしろ、ぎりぎり「違憲とまでは言えない」とはしつつも、都教委の強引なやり方に苦り切った心情を露わにして、なんとか事態を改善しろよ、と言っていることを知ってもらいたい。
これまでの都の教育行政による、反憲法的反教育的な教育への介入に、直接あなたの責任があるわけではない。責任があるのは、石原都知事であり、その提灯持ち教育委員であり、それにつるんだ右翼都議の何人かであり、使い走りをさせられた教育庁の幹部職員である。
その多くは既にその任にはない。幹部職員に若干の残党がいる程度。あなたはいま、英断を下すことができる立場だ。しかし、時期を失すると、あなた自身の責任が出て来る。後戻りが難しくなってくる。早期に、手を打っていただくことが肝要だ。
私は確信している。あなたの感覚なら、経緯さえ正確に把握すれば「日の丸・君が代」不起立の教員の心情を理解できないはずがない。思想・良心の自由(憲法19条)、信教の自由(20条)、個人の尊厳(13条)への洞察の素養があるはずだ。にもかかわらず、あなたは、教育庁の担当職員にブロックされて、これまで都教委がいったい何をやって来たのか、いまどんな問題を抱えているのか、何も知らないことをさらけ出した。それが、6月12日金曜日の定例会見の席上でのことだ。
「週刊金曜日」の記者が、東京都敗訴の最近2判決についてあなたに質問をした。そのやや長い質問自体から、記者が問題に精通していることは明らかだった。ところが、質問を受けたあなたの方はほとんど何も知らないことを明らかにした。何も知らないが、自ら知ろうとはしない。この問題を都教委任せにしていればよいとの姿勢であることが明確になった。
記者の質問は、都(都教委)が1週間に2度の敗訴判決を受けるという異常な事態を踏まえて2点あった。
第1点 東京高裁の都教委敗訴判決がその理由中で、「都教委の国旗国歌問題に関する懲戒処分の量定決定は機械的な累積加重の手法となっている」「これは教員の思想・良心の自由を侵害する」と判示している。ここまで裁判所が明示した以上は機械的累積加重処分はやめるべきだと思うが、この点についての知事の見解を伺いたい。
第2点 これまで10・23通達以後の君が代処分を受けた教師は474人にのぼっている。この教師たちは、都と話し合いで問題を解決したいと望んでいる。教育の正常化のためにこれに応じる意思はないか、知事の見解を伺いたい。
これに対するあなたの回答は、おかしいものとなった。しかし、そのおかしさ自体が貴重な情報だ、削除せずに全部の映像を公開していることを評価したい。あなたは判決を読んでいないだけでなく、判決の内容や要旨の報告さえ受けていない。質問した記者の説明にもかかわらず、機械的累積加重処分の意味も理解できていない。そもそも裁判で、何が争点となり、なぜ東京都が惨めに敗訴したか、担当職員からの説明はなかったと判断せざるを得ない。
質問した記者も指摘をしているが、あなたには基礎事実について、大きな誤解がある。
どうも、あなたは、474人の懲戒処分の根拠が「国旗国歌法違反」にあるとお考えの節がある。
最後は、意味不明となる発言まで拾って、つなげてみると以下のようになる。
「国権の最高機関が法律を作っているわけですね。国旗日の丸、国歌君が代ということで。だから、公務員でありますから、当然それを守らないといけないという義務がある」「だから、これは思想の自由の侵犯だみたいな形では簡単にいかない」「国旗国歌法自体が、それでは憲法違反なのかと、こういう議論にもなるので」「私は国権の最高機関が決めたことなので、今言った問題点があるとしか申し上げません」「国歌って歌うから国歌ではないですか。そうでしょう。だから、そこまで言うと、それは屁理屈の世界になってしまうので、私はやはり国権の最高機関で決められたものは守るべきだと思っています。」
舛添さん、あなたは、「国旗国歌法を守らなければならないのか否か」を争点として訴訟が行われているとのご理解のようだ。知事就任以来、1年半に近い。その間、職員の誰一人として、あなたに訴訟の概要についての説明をする者がなかったということになる。
舛添さん、教育行政に関心をもっていただきたい。石原知事は極右の立場から、過剰に教育と教員行政に干渉した。それを放置していてはならない。都教委が、都知事から独立した立場にあることへの配慮は当然として、6月12日記者会見での質問には、まともに答えられるようにお願いをしたい。
何よりも、事実を知っていただきたい。私に報告を求められれば、喜んで出向きたい。あなたのリベラルな素養が、正確な事実経過についての認識さえあれば、これまでの都の教育行政がいかに無茶苦茶であるかについて共感してもらえるものと思う。そこから、異常な教育現場の現状を変革し、教員の意欲にあふれた教育現場を取り戻すために一歩を踏み出すことが可能となるはずである。くれぐれも申しあげる。今のままでは東京の教育はダメなのだ。
(2015年6月20日)