高札「領内沿岸の漁民においてサケを漁することまかりならぬ」「密漁は厳しく詮議し、禁を犯したる者には入牢6月を申しつくるものなり」
昨日(1月14日)の「浜の一揆訴訟」の第1回口頭弁論には、三陸沿岸に散らばっている原告100人のうち約40人が参加した。法廷の前と後に集会が行われたが、その要求の切実さ、真剣さにはたじろがざるを得ない。岩手県の水産行政は、この人々の真剣さをどれだけ受け止めているだろうか。
法廷では、原告を代表して瀧澤英喜さんが、以下のとおりの堂々の陳述をした。
「大船渡市三陸町越喜来の瀧澤英喜です。
私たち、岩手県沿岸全域の小型漁船漁業者は、東日本大震災の津波で船・漁具・住まいなど大きな被害を受けました。生活の再建と漁業の再開、地域の復興のために、日々努力しています。
私の自宅は海抜50mのところにあるので、震災で家屋敷は無事でした。しかし、船3艘と倉庫・養殖施設・資材が全部被害を受けました。
このような中でも船をつくり、漁具を入手して、漁を再開しています。今はホタテ養殖を通年、そして季節ごとのカゴ漁をやっています。私たちの仲間は、同じようにカゴ漁や刺し網などをやっています。春先はイサダ、5月はシラス、夏場はタコ、1月はタラ刺網など、季節ごとにとれるものが違います。
毎年苦労するのは9月から11月です。獲れる魚が激減する時期です。唯一たよりになるのがサケです。サケのように、値段がしっかりしていて、量もとれるものをやれれば、漁業者の意欲につながります。
ところが、岩手県では「定置網漁」「延縄漁」以外でサケをとることが許可されていません。
禁止される前は、県内でも多くの小型漁船漁業者がサケを刺網でとっていました。今でも、青森県・宮城県ではとっています。私も、すぐ近くが宮城県のため、宮城の漁師たちがサケを獲っているのをいつも目にしてきています。
刺網でのサケ漁が禁止になって4?5年は、延縄でサケをとる漁師がたくさんいました。当初はある程度の漁があったのですが、だんだん、とれる量が少なくなってしまいました。燃料代や労力を考えると、延縄でサケをとるのでは、経営的にあいません。現在は、県内では延縄でのサケ漁はほとんどありません。「刺し網でサケを獲れれば」という声は小型漁船漁業者にとって長年の悲願でした。
うっかり刺網でサケを捕獲すると「密漁」となり、県条例で「6ヶ月以下の懲役、若しくは10万円以下の罰金」に処せられます。漁業許可の取り消しから漁船・漁具の没収まで及ぶ制裁も用意されています。ですから、網にサケがかかれば、もったいなくても海に捨てなければなりません。捨てれば不法投棄となります。実質的に、ほかの魚種をねらった刺網漁もできません。宮城ではサケがとれれば大漁旗をたてて喜ぶのですが、岩手では、サケがとれれば泣く。こんな状況です。
特に東日本大震災以降、小型漁船漁業者にとって「船はできたが魚をとれない」という切実な問題となっています。
震災のあと、海の状況が変わってしまい、以前ほど魚がとれなくなっています。現状では、「赤字」か、「ギリギリ赤字にならない程度」の経営内容がほとんどです。それ以上の新しいことをやる資金がまったくありません。もしサケ刺網漁をやれれば、一定の収入が期待できます。その収入をもとに、別の魚種・漁法に手をつけることができます。
サケをとれれば、後継者が続けて行く展望も持てます。数少ない若手ががんばってやっていますが、このままでは、とても家族を養っていけません。後継者がいる家でも、家に置いて良かったのか、悩みながらやっているのが実際です。
沿岸の地域・経済を支えてきたのは漁業です。とりわけ小型漁船漁業者がいるからこそ、浜の環境・資源が守られます。被災地の復興は、小型漁船漁業の再生にかかっています。浜のことですから、大漁・不漁があるのは漁師も覚悟のうえです。しかし、漁をできないというのはあまりにもひどい。こんなのは岩手県だけです。県は「希望郷いわて」を掲げていますが、いまの岩手の浜には希望がありません。
豊かな漁業の再生と、希望ある未来のために、サケ刺網漁の許可を心から求めます。」
報告集会ではいくつもの印象的な発言があった。
「サケがとれるかどうかは死活問題だし、今のままでは後継者が育たない。どうして、行政はわれわれの声に耳を傾けてくれないのだろうか。」「昔はわれわれもサケを獲っていた。突然とれなくなったのは平成2年からだ。」「いまでも県境を越えた宮城の漁民が目の前で、固定式刺し網でサケを獲っているではないか。どうして岩手だけが定置網に独占させ、漁民が目の前のサケを捕れないのか」「大規模に定置網をやっているのは浜の有力者と漁協だ。有力者の定置網漁は論外として、漁協ならよいとはならない。」「定置網漁自営を始めたことも、稚魚の放流事業も、漁民全体の利益のためとして始められたはず。それが、漁協存続のための自営定置となり、放流事業となってしまっている。漁民の生活や後継者問題よりも漁協の存続が大事という発想が間違っていると思う」
私も、ときどきはものを考える。帰りの車内で、これはかなり根の深い問題なのではないかと思い至った。普遍性の高いイデオロギー論争のテーマと言ってよいのではなかろうか。
岩手県水産行政の一般漁民に対するサケ漁禁止の措置。岩手県側の言い分にまったく理のないはずはない。幕末の南部藩にも、天皇制政府にも、その政策には当然にそれなりの「理」があった。その「理」と、岩手県水産行政の「理」とどう違うのだろうか。
私は現在の県政の方針を、南部藩政の御触にたとえてきた。定めし、高札にこう書いてあるのだ。「今般領内沿岸のサケ漁の儀は、藩が格別に特許を与えた者以外には一律に禁止する」「これまで漁民でサケを獲って生計を立てる者があったと聞くが、今後漁民がサケを獲ることまかりならぬ」「密漁は厳しく詮議し、禁を犯したる者の漁船漁具を取り上げ、入牢6月を申しつくるものなり」
これに対する漁民の抵抗だから、「浜の一揆」なのだ。
しかし、当時の藩政も「理」のないお触れを出すはずはない。すべてのお触れにも高札にも、それなりの「理」はあったのだ。まずは「藩の利益=領民全体の利益」という「公益」論の「理」が考えられる。
漁民にサケを獲らせては、貴重なサケ資源が私益にむさぼられることになるのみ。サケは公が管理してこそ、領民全体が潤うことになる。サケ漁獲の利益が直接には漁民に配分されることにはならないが、藩が潤うことはやがて下々にトリクルダウンするのだ。年貢や賦役の軽減にもつながる。これこそ、ご政道の公平というものだ、という「理」である。
天皇制政府も、個人の私益を捨てて公益のために奉仕するよう説いた。その究極が、「命を捨てよ国のため、等しく神と祀られて、御代をぞ安く守るべき」という靖國の精神である。滅私奉公が美徳とされ、「君のため国のため」「お国のため」に個人の私益追求は悪徳とされた。個人にサケを獲らせるのではなく、公がサケ漁を独占することに違和感のない時代であった。
また、現況こそがあるべき秩序だという「理」があろう。「存在するものは合理的である」とは、常に聞かされてきたフレーズだ。現状がこうなっているのは、それなりの合理的な理由と必然性があってのこと。軽々に現状を変えるべきではない。これは、現状の政策の矛盾を見たくない、見ようともしない者の常套句だ。もちろん、現状で利益に与っている者にとっては、その「利」を「理」の形にカムフラージュしているだけのことではあるが。
藩政や明治憲法の時代とは違うという反論は、当然にありうる。一つは、漁協は民主的な漁民の自治組織なのだから漁協の漁獲独占には合理性がある、というもの。この論法、原告たちには鼻先であしらわれて、まったく通じない。よく考えると、この理屈、個人よりも家が大切。社員よりも会社が大事。住民よりも自治体が。国民よりも国家に価値あり。という論法と軌を一にするものではないか。個人の漁を漁協が取り上げ、漁協存続のためのサケ漁独占となっているのが現状なのだ。漁協栄えて漁民亡ぶの本末転倒の図なのである。
また、現状こそが民主的に構成された秩序なのだという「理」もあろう。まずは行政は地方自治制度のもと民意に支えられている。その民主的に選出された知事による行政、しかも民主的な議会によるチェックもなされている。その行政が決めたことである。なんの間違いがあろうか。そういう気分が、地元メデイアの中にもあるように見受けられる。そのような社会だから、漁民が苦労を強いられているに違いない。
(2016年1月15日)