口利き依頼者「覚悟の甘利告発」の意義
「週刊新潮」2014年4月3日号が、「8億円裏金疑惑」を暴露するDHC吉田嘉明の手記を載せた。そして今回「週刊文春」16年1月28日号が、「甘利大臣1200万円賄賂疑惑」の記事である。
私は、「8億円裏金疑惑」事件の、吉田嘉明と渡辺喜美の関係を「大旦那と幇間 その蜜月と破綻」と喩えた。いまにして、まことに適切な比喩だったと思う。政治資金としての8億円は巨額である。そのカネを、小なりとはいえ政党の党首に渡して政治を動かそうとしたスポンサーの側と、頭を下げてこのカネを所望した政治家の関係は、「大旦那と太鼓持ち」でピタリだろう。幇間は所詮幇間、旦那の機嫌を損じてしくじったのだ。蜜月は破綻し、旦那が裏金を暴露して一騒動となった。
さて、この度の政治家甘利と千葉のS社との関係はどうだろう。立場の強さは、甘利の方がはるかに上だ。Sの側が頭を下げ菓子折をもって、甘利に口利きをお願いしている。とうてい、大旦那と太鼓持ちの関係ではない。
定めし、甘利は悪代官の役どころ。そして、とらやの羊羹に添えて50万円を持参したSは、エチゴヤの役回りだろうか。強勢な政商としての越後屋ではなく、政治家に小金を渡して、その上手な利用をたくらむ、小ずるい小悪党としてのエチゴヤ。大悪党対小悪党の、持ちつ持たれつの図である。
週刊文春の記事を読んで、保守の政治家とは、このような小ずるい小悪党との付き合いを常態としているのであろうとの印象をもたざるを得ない。そして、政治家のポケットに収まる現金の額は、50万円が相場なのだろう。もらい慣れているカネの収受であればこそ、「印象にない」「記憶を整理してみる必要がある」と言うことではないか。こぞって、甘利をかばおうとしている面々の対応を見て、ますますそうした印象を強くしている。
「DHC・渡辺事件」も、「甘利・S社」事件も、問題は光の届かない陰の世界でカネが動くということである。政治や行政が、見えない裏のカネで動かされてはならない。裏のカネで動かされているという疑惑で、政治や行政の公正の信頼を傷つけてはならない。
DHC吉田嘉明から渡辺喜美に渡った8億円の授受の趣旨は、明らかに政治資金としてのものであったにかかわらず、政治資金収支報告書への記載がない。にもかかわらず、その不記載が処罰されないのは「政治献金」ではなく「政治貸金」だったからということ。献金ではなく貸借なら、巨額のカネが動いても、これを裏のカネとしておいてお咎めなしなのだ。これこそ、政治資金規正法をザル法とする不備の最たるものではないか。
しかし、「甘利・S社」事件では、授受あったカネはすべて報告書に記載しなければならない。文春記事には、政治資金規正法違反を意識した次の一文がある。
「政治資金収支報告書によれば、S社名義で自民党神奈川県第十三選挙区支部には八月二十日付で百万円、神奈川県大和市第二支部には、九月六日付で百万円の政治献金がなされている。一色氏が(8月20日に)渡した五百万円のうち、少なくとも三百万円は闇に消えたのだ。」
また、本日の赤旗一面トップの「深まる甘利大臣疑惑 裏付け事実が次々・本人説明せず 首相の任命責任は重大」の記事には、「週刊文春」記事を丹念に読み込んで作られた一覧表が掲載され、記事にあらわれた具体的な金銭の授受と収支報告書の照合をしている。
文春記事のタイトルが「賄賂1200万円を渡した」となっており、S者側の発言として「口利きの見返りとして甘利大臣や秘書に渡した金や接待で、確実な証拠が残っているものだけでも1200万円に上ります」とされている。しかし、公表されている政治資金収支報告書と照合の対象となる、記事中の現金の授受として特定されている主なものは、次の4回である。
13年8月20日 公設秘書に 500万円
11月14日 甘利本人に 50万円
14年 2月1日 甘利本人に 50万円
11月20日 公設秘書に 100万円
以上の合計700万のうち収支報告書に記載されたのは、37回で合計394万円に過ぎない。トータルとしてみても300万円余が不記載なのだ。
自民党議員の中には、「こんなことは日常茶飯事。騒ぐほどのこともなかろう」という思いが強いのだろう。おそらくは、この程度の収入の不記載はありふれたこと。政治家の口利きと口利き料の収受もありふれた雑事でしかないと思われる。しかし、口利き料を支払った側が、これだけ肚をくくって証拠を集め、政治家に対する「覚悟の告発」におよぶという事例はきわめて珍しい。その意、その覚悟は壮とするに値する。一寸の虫にも五分の魂ではないか。せっかくの覚悟を実られたいものと思う。そのことが、政治とカネの浄化につながるでもあろうから。
(2016年1月23日)