澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

君が代裁判原告陳述「悩んだ末に生徒に恥じない着席」

本日は東京「君が代」裁判・4次訴訟の第10回口頭弁論。原告は、第8準備書面(個別事情)、第9準備書面(裁量権濫用の具体論)、第10準備書面(国家賠償における損害論)を提出して、争点となっている主張を一応終えた。

法廷では弁護団事務局長の平松真二郎弁護士が第9準備書面を要約陳述した。
今のところ最高裁は、卒業式等において起立斉唱の職務命令を受けた教員の不起立を職務命令違反として懲戒処分とすることを、教員の思想・良心に抵触することと認めながらも、かろうじて違憲ではないとの判断にとどまっている。しかし、その最高裁も、法的に実害をともなう減給以上の処分は過酷に失するとし、違憲とまでは言えないとしても懲戒権者の裁量権逸脱濫用と認めて違法とし、処分を取り消している。

従前、形式的機械的に不起立回数のみによって累積加重の処分を続けてきた石原教育行政の思惑は頓挫した。しかし、いま都教委は、複数回の不起立を理由とする減給処分を強行し、その違法が鋭く争われている。

平松弁護士の陳述は、最高裁判例の立場を前提に、「不起立による処分回数の累積のみによっては、減給以上の処分の正当性を基礎づける事情とはなし得ない」ことについての根拠について、実務的な指摘をするものだった。裁判官3名は、よく耳を傾けていたと思う。

そして、毎回の法廷で続けられている原告の陳述。なぜ、「日の丸・君が代」への敬意表明強制に従うことができないのか。どのように思想・良心を貫くことが困難なのか。それぞれの事情が語られる。今回は、身体の不自由な原告のお一人が、悩んだ末に君が代斉唱時に着席した経過を述べた。処分を覚悟して、生徒に恥じない教師としての姿勢を貫くための不起立。陳述の内容は後記ののとおりである。

なお、法廷後の報告集会で、求められて若手弁護士が印象的な発言をした。
「私の長男が、この春幼稚園を終えて小学校に入学しました。幼稚園の卒業式は、それこそ園児を主人公としたたいへんに暖かい雰囲気のもの。それが、小学校の入学式となると一変して儀式化してしまう。何度も、『起立』・『礼』の違和感。私には、起立・斉唱の職務命令はないがそれでも、不快な思いが拭えません。現場の先生方の気持がよく分かりました」
「同級生の親の一人にオーストラリア人がいて、感想を話し合う機会がありました。その人にとっても学校がまるで軍隊のように見えて、とても違和感が強かったようです。オーストラリアではあのような儀式は一切ないと言っていました。卒業式での国旗国歌は、都教委がいうように、国際儀礼や国際常識を学ぶ場ではありません」

もう10年以上も以前のことだが、ある弁護士が子供の入学式に保護者として出席したときの感想を次のように書いていたのを記憶している。
「君が代斉唱は不愉快だが、自分は保護者席で起立した。自分一人のことを考えれば、不起立はたやすいが、妻や子の立場もある。自分一人の不起立は自己満足に終わるだけ。とりわけ、妻はPTAでの活動を心していたので、その活動に支障が及んではならないと思ってのこと」という主旨。

私は思う。たやすいことでも、たやすいことではなくても、君が代斉唱を不愉快と思うなら、せめて保護者席で起立せずに着席してその意思を表せ。自分の身分を懸けて厳しい闘いを強いられている教員がいるのだ。「日の丸」「君が代」への敬意表明強制を暗黙のうちに肯定してはならない。そのような場面では、社会から自由を与えられた立場の弁護士は、その職業倫理において、斉唱のために起立してはならない。

今日の集会では、清々しいその若手弁護士の発言に拍手が湧いた。
(2016年5月6日)
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        原告意見陳述
 私は、教職最後の卒業式で国歌斉唱時に起立しなかったために、職務命令違反を理由に都教委から戒告処分を受けました。私が不起立するに至った事情について、陳述致します。
 私は、都立高校に国語科教員として37年間勤務し、後半の17年間は夜間定時制高校に勤務しました。夜間定時制の初めの勤務校・A高校で4年目を迎えようとする時、高血圧性脳内出血を発症し、一年間治療とリハビリのために休職しましたが、左の上肢・下肢機能障害により、身体障害2級の認定を得て復職しました。復職した4年後に10・23通達が発出されました。
 私は、翌2004年4月、K高校定時制に転勤しました。入学式・卒業式の役割分担が式場内の時には、国旗・国歌の強制に従いたくないという思いは強くありました。同時に、間近になった定年退職後の生活の心配がありました。国歌斉唱時に起立しなければ、戒告処分があります。それは退職金及び年金の減額につながります。それが不安の種でした。身体障害者の私にとって、定年後に仕事を続けることに困難を感じていましたので、退職後の生計は退職金と年金に拠る外はないと考えました。入学式・卒業式に臨み、信条に反して起立することを考えるのは苦痛でした。悩んだ結果、私が行ったのは、開式と同時に起立し、新入生・卒業生の呼名が終了するまで起立していることでした。起立したのは国歌斉唱のためにではなく、新入生・卒業生を見守るためだと言う私自身への言い訳のためでした。客観的に見れば、国歌斉唱時に起立していたのですから、強制に屈した情けない姿、強制なのだから仕方がないとのあきらめや無力感を生徒たちに見せたことに違いありません。信条に反する恥ずべき行為をしたと思い、悩みました。

 2011年3月のK高校定時制卒業式が、私にとっては、在職中最後の卒業式でした。その卒業式が近付く中、私は、卒業生と共に行った沖縄修学旅行のこと、共に学んだ沖縄戦の実相を度々思い返しました。この修学旅行で生徒だちと心を通わせる交流がありました。
 私が修学旅行の前の年の3年生から担任した学級にKという多動性の落ち着きのない生徒がいました。彼の行動が原因となり、学級が授業中や考査中に騒然となることがありました。この件で、校長は企画調整会議で学年主任に対し、教科担当者を含めて一斉に取り組めるような具体策を提案するように指示しました。学年主任の報告を受けて担任団としては、教科担当者から授業時の状況や対応を聞き取ることにしました。問題になったK君には、持ち前の底力と気立てのよさがあり、私は、それらのよい点に着目し、それを引き出しながら、問題行動を改善するように仕向けようと考え、対話を繰り返しました。この過程で親との信頼関係も生まれ、親から相談を持ちかけられることもありました。K君は徐々に私たちの説得を受けとめるようになり、問題行動の改善を約束するまでになりました。

 生徒たちが4年生に進級した翌年度に実施された沖縄修学旅行の時には、このK君と、もう一人、校長の指導に反抗したことがあるM君の二人が、足場の悪い戦争遺跡のガマの中で、足の不自由な私を気遣って交代で背負ってくれるということがありました。校長は、卒業式の式辞で、この事に触れ、「今年の卒業生には気持ちの優しい生徒が多かった」と述べました。K君とM君は「問題児」どころか、実に気持ちの優しい生徒たちなのです。このような生徒たちの姿を見て、私は、彼らの成長と私たち学年担任団の思いが受けとめられていたことを確信しました。私は身体に障害があるために、生徒指導に動き回ることには、辛いこともありましたが、生徒が成長する姿を見ることに喜びを覚えました。
 沖縄修学旅行の時のK君との交流で記憶に残ることがもう一つあります。摩文仁の平和祈念公園を一緒に歩いていた時でした。K君が「ここはどういう場所なの?」と尋ねるので、私は、「今は平和の礎が並んで平和を祈る場所になっているけれど、沖縄戦最大の激戦地だった」と答えました。すると、K君が「え、ここが!」と驚きの声を発したのです。今、平和な光景が広がる同じ場所で、多くの人の血が流されたとは信じられなかったからでしょう。

 このような記憶を蘇らせながら、今の平和がいつまでも続き、日本が再び戦争への道を突き進むようなことがあってはならないと思いました。国旗・国歌が、この国が犯した侵略戦争に、国民を駆り立てるために使われたのは、紛れもない歴史的事実です。そのような国旗・国歌の強制には従うべきでないという思いを強くしました。

 卒業式が近付き、私がそのような思いを強くしている時、校長が、職員会議で卒業式の包括的職務命令を伝えました。私は職務命令に反対して、「予防訴訟で最高裁に公正判決を要請する署名には、元管理職も応じてくれた。校長の本音はどうなのか。私は不自由な身体なので、起立姿勢を続けるのは辛い。ましてや、信条に反するのだから、なお辛い」という主旨の発言をしました。私がそのような発言をしたからだと思います。卒業式の前日に、私は校長室に呼ばれました。校長は、「あなたが起立しなければ注意する。その時式は中断するし、生徒がざわつくかもしれない。皆が迷惑する。」と言い、起立するよう求めました。
 卒業式当日、開式の合図と共に、私は起立し、国歌の伴奏が始まるのを確認してから、着席しました。式は何の混乱もなく続けられました。

 私に対して科された戒告は決して程度の軽い処分ではありません。私のような身体障害者を含めた教職員の生活を経済的に脅かし、そのことによって起立することを迫り、精神的苦痛をもたらすものとなっています。
 かつて私が心ならずも起立し、恥ずべき行為をしたと悩んだのも、その戒告の不利益を恐れたためだったことを、もう一度申し上げて、私の陳述を終わります。

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