澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「すくっと 立ち上がる」言葉を

かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの池で
晋と朋が滑った
後ろの政治家だあれ?

「右派言論ウォッチャー」を自ら称する佐藤恵美さんの作。「靖国・天皇問題 情報センター通信」の最新号(通算517号)の「新編右翼事情」欄の末尾に載っていたもの。

「かごめかごめ」の元歌がなにやら不可解で、不可解ながら不気味で陰鬱な色合いをにじませている。「籠の中の鳥は いついつ出やる」とは、囚われ人の溜息が言葉になったものだろう。こんな、絶望の雰囲気に満ちた童謡がまたとあろうか。

佐藤恵美版「かごめ」は趣を異にする。「籠の中の鳥」とは、アベ政治のおぞましさ、まがまがしさの根源にある行政を私的にコントロールする仕組みの秘密。「晋」は極右の「朋」には、ねぎらい、振る舞うのだ。行政機構は、忖度を重ねて「晋の朋」のために、大判振る舞いをする。おぼえめでたきを良しとして、見返りを期待するというわけだ。

籠の中に閉じ込められて、なかなか外からはうかがい知れない。この「鳥」が、もう一息でうまく出そうなのだが、出そうでいて実はなかなか出てこない。そのもどかしさが、「いついつ出やる」と愚痴になる。

それにしても、「晋」と「昭」と、その「朋」らが、みっともなくも滑ったことは間違いない。籠からは真実を開け放ち、代わって「晋」と「昭」らを逃さず閉じ込めなければならない。

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何の解決も見ることなく、事態生煮えのままやや下火になった「アベ友学園」問題。このままでよいはずはない。ようやく、このところ再燃の兆し。新たな資料も出てきた。「『森友』音声記録 土地交渉中 昭恵氏に言及〈籠池氏、財務省と面会時〉」(東京)、「森友の国有地取得、財務局が手助け 書類の案文も添付」(朝日)などと、新資料に基づいて、問題解明に積極的に切り込む報道が増えている。

本日(4月27日)の東京新聞「こちら特報部」は、出色。「共謀罪」と「森友問題」をならべて、「ふたつの共通項とは?」と記事にしている。「政府・与党 禁じ手連発」「揺らぐ法の支配」「機能不全の国会」「説明できぬ大臣 反対意見抑圧」「野党の資料要求も拒む」と、大きな活字の見出しが並ぶ。

特報部記事の中に、「デスクメモ」という囲み記事がある。ここに「息苦しい新たな『戦中』がかたちになり始めている。押し返さねば、塗り固められる。いたるところで抵抗を」と書かれている。切実な思いの込められた重い言葉。

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4月21日の当ブログ「森友への国有地低額売買をうやむやにしてはならない」ーそのための具体的提案」で話題にした、近畿財務局への第三者委員会の設置等を求める要請行動。この短期間に、弁護士と学者の要請賛同者は280名を超えた。

本日、代表者が、近畿財務局に要請書を提出し、連休明け5月10日までの回答が約束されたという報告。

MBS(毎日放送)が下記のように取り上げている。
http://www.mbs.jp/news/kansai/20170427/00000023.shtml

「学校法人「森友学園」が大阪府豊中市に小学校を建設するために国有地を取得したいきさつについて、弁護士らのグループが近畿財務局に対し、第三者委員会の設置を求める要望書を提出しました。
去年6月、森友学園は小学校を建設するために豊中市の国有地を買い受けましたが、約8億円が値引きされた算定根拠などは今も不透明なままです。このため、弁護士や法学者など約280人のグループは 土地を売却した近畿財務局に対して交渉経緯などを調査する第三者委員会の設置を求めています。

『国民の大多数は疑問に思っている。法的な手段で可能なものを全てやる』(阪口徳雄弁護士)
グループは、国が交渉記録を廃棄したことについて行政訴訟を起こすことも検討しているということです。」
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この報道のタイトルが、「『法的な手段全てやる』弁護士ら森友問題で要望書」というもの。阪口徳雄君の、「国民の大多数は疑問に思っている。法的な手段で可能なものを全てやる」発言は、短くて歯切れがよい。

ところで、本日の東京新聞「筆洗」からの引用である。

捨てる。捨てない。
忘れる。忘れない。
戻る。戻れない。
帰りたい。帰れない。
遠い。近い。
どうする。どうしようもない。
陽炎の 向こうに。
ゆれて見える。

これは、福島県相馬市に住む根本昌幸さん(70)の詩集『荒野に立ちて』に収められた詩「わが故郷」だという。微妙で複雑な気持ちが、そのまま言葉になっている。
また、根本さんは、こういう詩も書いているという。

人が人を 虫けらや獣のような 扱いをしたとき。
言葉はすくっと 立ち上がるだろう。
そして人に向かって行くだろう…。

復興相の「東北でよかった」発言にちなんでの、「筆洗」の引用であって、まことに適切である。だが、この詩はそのような状況を越えて、普遍性の高い、立派な作品であり、言葉だと思う。

『荒野に立ちて』も、東京新聞「デスクメモ」も、阪口君の「法的な手段で可能なものは全てやる」発言も、言葉がすくっと立っている印象がある。

そういえば、最近「すくっと 立ち上がった」、見事な言葉を聞いた。

多喜二多喜二 総理の夢に現れよかし  山路家子(81)東京都

東京新聞4月20日の「平和の俳句」である。いとうせいこうが、「特高警察に殺された小林多喜二の命日、2月20日にさまざまな句が寄せられた。共謀罪の閣議決定に私たちは過去を見る。そして歌う」と解説している。この句の凜々しさ、厳しさに、解説が追いつかない。

私も、「すくっと 立ち上がる」言葉を発したい。切実にそう思う。
(2017年4月27日)

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