つぶやきームンフバト・ダバジャルガル青年の深刻な悩み
私、ムンフバト・ダバジャルガル。通称はダヴァ。32歳。職業は日本のプロ相撲選手。こちらでは、大相撲の力士と言うんだ。力士としての登録名は、「白鵬」。「鵬」は中国の古典に出て来るとてつもなく大きな伝説の鳥だ。一昔前に「大鵬」という強い力士がいて、それにあやかったネーミング。15歳でモンゴルのウランバートルから東京に来て、心細い思いをしながらも、我ながらよく頑張った。グランドチャンピオン(横綱)に上り詰めただけでなく、とうとう昨日(7月21日)通算1048勝という大相撲史上の新記録を樹立した。名力士「大鵬」さんもできなかったことだ。これまでの苦労を思えば、感慨一入。涙も出る。
記録達成後のインタビューの様子を、メディアは、「目を閉じて数秒間の沈黙の後に、『言葉にならないね』と喜びをかみ締めた。胸に去来するのは、努力を重ねて地位を築いた土俵人生。そして、将来の夢だ。」などと報じている。「喜びをかみ締めた」は嘘ではない。しかし、思いはもう少し複雑で微妙なんだ。
私は社会人としては若いが、現役の力士としては盛りを過ぎている。引退は先のことではない。その後は、大相撲協会の役員となり、自分の経験を生かして後輩を育成したい。そう、次の舞台の人生を描いている。日本人力士にとっては、なんの問題もないことだが、私の場合には国籍という壁が立ちはだかっている。日本相撲協会の役員として残るには、日本に帰化して日本国籍を取らねばならないとされている。しかし、日本国籍を取るということは、モンゴルの国籍を捨てるということだ。これが悩みなんだ。
私の父、ムンフバト・ジジト(76才)はモンゴル相撲の大横綱で、モンゴル人初の五輪メダリスト(1968年メキシコ五輪レスリング銀メダル)という母国の国民的英雄なんだ。その子の私にも、モンゴル民族の期待は大きい。これまで熱狂的な声援を受けてきた。私も母国の声援に応えようと、努力を重ねてきた。モンゴル国籍の離脱は、母国を裏切るものととらえられかねない。だから、かねてから父は私の帰化には反対してきた。作今、その父の体調がすぐれない。日本国籍を取得して引退に備える、という気持にはなかなかなれない。
国籍問題さえクリヤーできれば実績に文句のつけようはない。「白鵬」の名のまま相撲協会に残って、後進を指導する「年寄」になれる。そう、みんなに言っていただいている。
しかし、公益財団法人日本相撲協会の規則には、「年寄名跡の襲名は日本国籍を有する者に限る」と明示されている。現在の八角理事長(元横綱・北勝海)は「白鵬だから例外ということはない」と言っているそうだ。
私は、自分に流れるモンゴル民族の血にも、栄誉ある父の子であることにも、誇りをもっている。モンゴルの人々のこれまでの恩義も大切にしたい。モンゴルの国籍を捨てるようなことはしたくない。
また、私を育ててくれた日本という国も、大相撲も大好きだ。妻も日本人で、引退後の人生は大相撲の「年寄」として、「白鵬部屋」から立派な力士を輩出する夢を描いている。
できれば帰化などせずに、モンゴルの国籍をもったまま、「白鵬部屋」の年寄りになりたい。そう願って、この問題を考え続けてきた。
問題はふたつあると思う。一つは、大相撲協会の規則。どうして、「年寄」(親方)の資格を国籍で縛ろうというのだろうか。聞くところでは、「日本の伝統文化である以上、(規定を)変えることはありません」ということのようだが、正直のところよく分からない。伝統文化を支えているのはむしろ力士ではないだろうか。力士については日本国籍であることを要求されていない。力士として日本の伝統文化を支えた人が、年寄りになろうとすると、どうして日本の国籍が必要となるのだろうか。私の、これまでの日本の伝統や文化との関わり方を見ないで、帰化するかどうかだけが「日本の伝統文化」を大切にすることの証しなのだろうか。
大相撲は、いち早く尺貫法を捨ててメートル法に切り替えたり、伝統の四本柱をなくして釣り天井にしたり。外国人力士を受け入れたり。伝統文化を大切にしながらも、合理性は取り入れてきたと聞いている。私が帰化しさえすれば、「日本の伝統文化」が保たれたことになるというのだろうか。
私は心の底から思うのだが、私にモンゴル籍のまま力士として活躍の場を与えてくれた相撲協会のあり方こそが「日本の伝統文化」というものではないだろうか。年寄籍問題についても、もっと大らかで解放的に考えていただくことこそが「日本の伝統文化」の立場ではないだろうか。
もう一つは、法律の問題だ。私は、モンゴルの国民でありたい。しかし、場合によっては日本の国籍を取得しなければならない。そのとき、どうしてモンゴルの国籍を捨てなければならないのだろうか。どうして、両方の国籍を取得してはならないのだろうか。必ず、どちらか一つだけを選ばなければならないというのは、私の場合とても難しくつらいことだ。日本とモンゴル、どちらか一方を捨てろという選択を強いられることは、私の心を裂くに等しい。本当に何とかならないものだろうか。
(2017年7月22日)