またまた極右教育機関に、「ただ同然の国有地払い下げ」
一昨日(1月8日)の毎日新聞朝刊一面トップが、「山梨の国有地 日本航空学園に格安売却 評価の8分の1 財務省」という大見出しの記事。森友事件とよく似てはいるが、安倍政権との関係や、特定の政治家の介入は記事になっていない。格別に重要な記事とは思わなかった。印象は、「毎日のスクープだから扱いが大きいのだろう」「政権側からすれば、森友への国有地売却が特異な事例ではない、と言い訳に使うのだろうな」という程度。
毎日の視点も、政治との関わりではなかった。財務省(理財局)による国有地管理の杜撰さを問題にする内容だった。
「山梨県内の国有地を地元の学校法人が約50年無断で使い続け、管理する財務省関東財務局が把握しながら放置した末、2016年5月に評価額の8分の1で売却していたことが明らかになった。国は学校法人「森友学園」への国有地売却問題を機に国有財産の処分の適正化に着手したが、ずさんな管理と不透明な取引の実態が改めて浮かんだ」「日本航空学園に売られた土地は評価額の8分の1にまで割り引かれ、値引き幅は森友学園にも匹敵する。同省の幅広い裁量権を背景に、国民共有の財産が第三者のチェックを受けることなく、価格の妥当性を担保されないまま売り払われている実態が明らかになった」
ところが、その日(1月8日)の内に、リテラが追っかけ記事をアップした。これで、問題の風景がガラリと変わった。いつもながらのリテラの嗅覚の鋭さと筆の速さには脱帽するしかない。
http://lite-ra.com/2018/01/post-3725_2.html
リテラの記事のタイトルは、「何から何まで森友そっくり! 国有地疑惑の『日本航空学園』極右教育と安倍政権との関係」というもの。
小見出しに、「愛国心と国家防衛教育を謳う日本航空学園の極右ぶり」「日本航空学園と政治家の関係、安倍首相の盟友が理事、文科政務官が校長」など。これはただごとではない。
リテラの記事の一部を引用させていただく。
「じつはこの日本航空学園と森友学園にはもうひとつ共通点がある。それは、日本航空学園の理事長・梅沢重雄氏がゴリゴリの極右であるという点だ。たとえば、梅沢理事長は「日本文化チャンネル桜」の設立発起人に名を連ね、『日本航空学園アワー』なる番組が放送されていた。
さらに、『南京虐殺はなかった』などと主張する歴史修正本が国際的に問題となった元谷外志雄・アパグループ代表が塾長・最高顧問を務める『勝兵塾』にも、元文科大臣の馳浩議員や元航空幕僚長の田母神俊雄氏らとともに参加。…梅沢理事長はそこで『憲法についてのくだらない議論よりも教育勅語を教えることが必要』『我が国の伝統文化を教えれば10年後にはスムーズに憲法改正ができる』『国体をしっかり守りさえすれば憲法なんてどうでもいい』と話したという。」
「また、日本航空学園では、毎日の朝礼時には『君が代』とともに日の丸を掲揚、17時になると国旗降下をおこなうといい、梅沢理事長は〈この国旗掲揚と国旗降下のときは、学校中、教師も生徒も直立不動の姿勢で国旗に敬礼します。教師が会議中であっても、生徒がクラブ活動中であっても、そのときはいったん中断し、国旗に敬意を表するのです〉と胸を張っている。」「問題の国有地は、日本航空高等学校のキャンパス内だ。」「初代の義三氏による『航空教育を通して愛国の精神を培う』という建学の精神を、3代目の重雄理事長も継承しているというわけだ。」
もっとも、リテラも、米田建三・元内閣府副大臣や赤池誠章議員ら政治家の名前を挙げてはいるが、その廉価払い下げの具体的手口や、安倍政権との関わりを具体的に示し得てはいない。その記事の締め方は、「日本最大の極右団体のイベントにメッセージを寄せ、改憲をぶち上げるという前代未聞の総理大臣。その影響によって、安倍首相と同じ極右思想を掲げる団体は手厚い待遇が受けられる──。これはこの国が全体主義に近づいている証拠なのだろう。昭恵夫人の関与が決定的となっている森友問題と同じように、この日本航空学園への不当な取引にかんしても、背後関係の究明が待たれる。」となっているに過ぎない。
まさしく、背後関係に切り込むジャーナリズムの成果を今後に期待したいが、それにしても、この「学校」の異様さはただごとでない。
ゴリゴリの極右だという理事長・梅沢重雄が、日本航空学園のホームページにやたらに右翼思想を露わにしている。これが、たいへんな代物。安倍晋三の「云々(でんでん)」並みのレベルで、文章の修飾の技術に欠けるから、分かり易い点ではこの上ない。
「教育の淵源」という記事が、最もまとまっているもののようだが、かなり字数が多いので敬遠し、ブログとして31回にわたって連載された「教育勅語」解説を紹介したい。
ゴリゴリ極右・梅沢重雄が教育勅語を論じる基本姿勢は、以下の文章によくあらわれている。100年前の官製道徳を、今の世に語ることが恥だという感覚を欠如しているのだ。
「『教育勅語』は、今では時代遅れの教えであるなどという人がありますが、決してそうではなく、『教育勅語』で明治天皇がさとされた国民の本分は、昔も、今も、そして将来も変らず、永久に受けついて行かなければならない美しい道徳であり、国民の義務である、と仰せられているのであります。」
「天皇の臣民などというと、時代遅れのように考える人があるかも知れませんが、日本の国体(くにがら)は万世一系の天皇をいただいていますから、天皇と国家とは一体でありますので、国民が天皇に忠実であることは、国家に対しても忠実な国民であるということです。だから立派な国民となるためには、皇室にも忠実でなければなりません。『教育勅語』は、忠孝の道からはじまって、国民の踏み行わねばならない本分を、いろいろとおさとしになったものでありますから、その教えを実行することが、立派な国民になることであります」
「前にも述べましたが、西洋や中国の歴史は、国民の皇帝に対する「反逆」の連続でありますが、日本の歴史は、このように天皇と、国民とが常に手をつなぎ合ってきた『君民一体』の伝統にかがやいています。戦前の『大日本帝国憲法』では、我が国は『万世一系の天皇が統治する』と定められていましたし、戦後の『日本国憲法』においても、『天皇は国民統合の象徴である』とされているのですから、わたくしたちは永久に天皇を中心とした、立派な国体を護持しなければなりません。」
「『我カ臣民』というのは、『わが国民』と同じことで、天皇を中心とした日本の国体においては、君(天皇)と、臣(国民)とが一体であります。『克ク忠ニ』という『克ク』は『能ク』と同じ意味です。また『忠』というのは、天皇と国民が一体である美しい国がらにおいて、国民が天皇につくす道を『忠』というのですが、天皇は国民をわが子としてかわいがられ、また国民は天皇をわが親として尊敬するのですから『我カ臣民克ク忠ニ』というのは、『わが国民は立派に忠義をつくしてくれた』という、明治天皇の慈愛に満ちたお言葉であります。」
「外国の歴史を見ますと、皇帝は国民を苦しめ、国民は皇帝に反逆するという争いの連続でありますが、日本においては、天皇は日本民族の本家本元であり、国民はその分家という、切っても切れない深い血のつながりの中に、うるわしい天皇中心の日本の歴史と伝統があるのであります。」
「昔から日本国民は、ひとたび天皇の御命令が発せられると、みんなが一つ心になって仲良くとけ合ったり、力を合わせて団結したりして、日本の国を守ってきました。例えば、蒙古が中国を攻め取り、朝鮮半島の高麗国の軍隊をしたがえ、十数万の大軍をもって九州の博多湾に二度まで押し寄せましたが、その時の亀山上皇は、伊勢神宮にお参りになって、『身をもって困難に替えさせ給え』と天照大神の霊前にお祈りになり、また、国民もあらゆる困難に耐えて、敵軍を完全に追い払ってしまったことなどは、そのよい一例といえましょう。」
「国民が常に、天皇のもとに一つ心になり、忠孝の道を、わが国の美風として守り、育ててきたのは、他の国々では見られない、日本の美点であることを、お述べになったのであります。
そして、わたくしたち国民は、『万世一系』の天皇を、国の中心と仰いできたのでありまして、外国の歴史で見るように、国民が血を流して、力ずくで、皇帝の座を奪い取るようなみにくい争いは、二千六百年の長い日本の歴史において、今日までいちどもありません。これはほんとうに、世界に誇ることのできる、日本の美風であります。」
「国民は国に対しては、忠実に義務を守り、また親に対しては、孝行をつくし、国民全体が心を合わせて、美しい日本の伝統を、いつまでも受け継いで行くように心がけねばならないということを、国民に教え守らせるようにすることが、教育の根本でなければならない、と明治天皇はおさとしになっているのです。
ちかごろは、日本国民としての本文を守らず、国に対する責任もわきまえず、子としての親への孝養をつくさず、また、国民同士が互いに争いあっているのは、戦後の教育の根本方針が、間違っているからです。」
「『国憲』というのは『国の根本の定め』の意味ですから『憲法』のことであるともいえます。また「国法」というのは、いろいろな「法律や規則」などのことです。
憲法は、国のあり方の根本の原則だけを定めたものでありまして、くわしい規則は、それぞれの法律や規則によって定められております。だからこの一句の意味は『国民は平時においてはもとより国のおきてを尊重し、法律の定めにしたがわなければならない』と、お示しになっているのです。
現在の憲法では、国民の個人の権利が非常に尊重されておりますが、しかし自分の権利を通すために、社会公共の福祉に反してはいけない、とも定められています。つまり他人に迷惑をかけても、自分の権利だけを押し通すのはいけないことなのでありまして、そういう無法者は、日本国民の恥さらしといわなければなりません。
「一旦緩急アレハ? 義勇公ニ奉シ
「一旦」は「ある日」とか「ひとたび」とかいう意味。「緩急」は「重大事変」のことです。だから「一旦緩急アレハ」というのは、前文の「常ニ」という言葉、すなわち「平時」における心得に対し、「もしもひとたび戦争などの非常時になったならば」という意味です。「義勇」というのは「正義と勇気」のこと。「公ニ奉シ」とは「お国のため、社会のために、国民としての義務をつくす」ということです。国民がお国を守ることは当然のことですから、決して「軍国主義」ではありません。
大東亜戦争までは、国民には兵役の義務が憲法で定められていましたから、戦争の時には軍人は勇敢に戦いましたし、また軍人でなくても、国民はみな一致団結して、国のために国民の義務を果たしてまいりました。」
「 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
「天壌無窮」という言葉は、天照大神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を「日向の国」におくだしになった時の神勅において、「宝祚の栄えまさんこと天壌と共に窮りなかるべし」と、おおせられたことをいうのであります。
日本は大東亜戦争に失敗して、みじめな目にあいましたが、「万世のために太平を開け」という天皇のお言葉にしたがって、一億国民が努力したために、今日では世界の人々がおどろくほどに立派な経済大国となったのであります。
これからも、われわれ国民は、力を合わせて日本を立派な国にしようではありませんか。」
「『教育勅語』は、戦前・戦後の教育のあり方の変遷のなかで誤解を受けてきました。でも、あらためて現在の私たちの生き方に照らし合わせてみると、人間の生き方の根本に関わる答えが、そこに見えてきます」
で、この「学校」の校訓5か条の最後は次のとおりである。
『敬神崇祖以て伝統を承継し祖国を興隆すべし』
これはもはや教育でも学校でもない。正確には「カルト集団」と呼ぶべきだろう。あるいは、「天皇崇拝精神鍛錬場」だ。いかにも、安倍晋三の気に入りそうな場ではないか。森友同様、このような極右集団に国有地が極めて廉価に払い下げられているというのは、単なる偶然にしては奇っ怪千万。リテラ同様、背後関係の究明を待ちたい。
(2018年1月10日)