澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「法曹養成制度はこのままでよいのか」ー第46回司法制度研究集会報告

本日(10月31日)は日本民主法律家協会恒例の第46回司法制度研究集会。本日のテーマは、「日本の司法と大学を考える」。これに、「法曹養成と法学教育・研究の現状と課題」という副題がついている。

集会案内の問題意識は、以下のとおりである。
「わが国の法曹養成と法学教育・研究は、危機的状況にあります。
『文系学部廃止』を打ち出した6月8日付文部科学大臣通知は、国家による学術統制、大学の自治破壊ではないかと、社会に衝撃を与えました。法学部はどうなるのでしょうか。
 6月30日付法曹養成制度改革推進会議決定は、弁護士激増の弊害を顧みず司法試験合格者1500人以上とし、司法試験合格率の低い法科大学院は切り捨てて『合格率7〜8割』を実現し、上位の法科大学院だけを守ろうとしています。法曹志願者や法学部進学者は年々激減していますが、このような政策で法曹や法学部の魅力は取り戻せるでしょうか。
 いま大学・大学院・法曹界で何が起こっているのかを、研究者と弁護士が共有し、危機的状況をどのように克服していくべきかを共に考える場にしたいと思います。」

私の世代は、法曹養成は法曹界の役割と思ってきた。法曹各界の共同を前提としつつも、最高裁が責任を持つ体制が当然なのか、弁護士会がイニシャチブをとるべきなのか。大学が、従って文部行政が法曹養成に関与することは考えなかった。

大学の法学教育は、学生にリーガルマインドを身につけさせることを目的としてきた。法の支配が貫徹する建前のこの社会で、合理的な法的思考と行動ができる人材を育成することだ。人類の普遍的な知が積み重ねてきた法的教養の教授が大学の法学教育の目的と言ってよい。だから、法学部出身者は「つぶしがきく」人材として、社会の至るところで活躍の場を与えられてきた。その中の少数が研究者となり法曹を目指すとしても、大学教育が実務法律家を育成する法教育を意識することはない。法学教育を修了していることと司法試験受験資格のリンクはなく、大学の教養課程を終えている者には広く司法試験の門戸が開かれていた。

法曹養成は、法務省が実施する司法試験に合格した者に対して、最高裁が運営する司法研修所で行われてきた。ここでは、裁判所・検察庁・弁護士会の協力の下に、民事刑事の裁判実務、民事刑事の弁護実務、そして検察実務について、法曹としての基本技術を学ぶ。この修習期間の2年間は、将来の志望に関わりなく統一修習の理念が大切にされた。修習生は公務員に準じる地位にある者として修習専念義務が課せられ、給与が支給された。

この制度が、10年前にがらりと変えられた。法曹養成の根幹をなす機関として各大学に法科大学院(ロースクール)が創設され、法科大学院卒業が新司法試験の受験資格となった。司法試験合格後の司法修習は1年に短縮され、給費制ではなくなった。本日聞いた話では、かつての司法修習生への給費の財源の規模は、法科大学院への補助金財源とちょうど見合いになっている、という。

かつては、「法曹養成は司法の仕事」「法学教育・研究は大学の仕事」であった。制度変更後は、「日本の司法と大学」が法科大学院という新たな共通項をもつようになった。司法には司法官僚と法務官僚とが関与し、大学の運営には文科官僚が大きな影響力を持つ。そして、文科官僚には「永田町の先生方」が君臨している。

制度改変以来10年。その功罪が、司法界と大学の双方に何をもたらしているのかを検証しようというのが本日の司研集会のテーマである。意識されている最大の問題点は、法曹養成に文科省が強く関与するようになったことの弊害。ロースクール側から、文科省の見識に欠けた強権ぶりに振り回されている実態が報告された。

本日の集会の報告は3本。いずれも充実したものだった。
「大学政策と人文・社会科学─6.8文科相通知をめぐって」小森田秋夫(学術会議第1部会長)
「法曹養成制度改革の現状と問題点─弁護士激増の顛末と法科大学院の未来」森山文昭(弁護士、愛知大学法科大学院教授)
「孤独なひとり芝居から希望の持てる協働の場へ─ 自治の観点から考える」戒能通厚(名古屋大学・早稲田大学名誉教授)

なお、戒能氏の論題中の「孤独なひとり芝居の場」とは、法科大学院の現状を揶揄した表現。これを「希望の持てる協働の場」へ変革するにはどうすればよいかという問いかけである。司法の理念に従った法曹養成としても、また、大学の法学教育の質の点においても、現行制度は失敗だったという悲観論がメインのトーンとなった。フロアーの発言では、「法科大学院は、大学の自治・学問の自由破壊のために送り込まれたトロイの木馬ではないか」という意見さえ飛び出している。その詳細は、「法と民主主義」の12月号に掲載される。読み応え十分なものとなるはず。

冒頭の森英樹日民協理事長の開会の挨拶、そのあとの3本の報告と質疑応答意見交換、そして新屋達之(日民協司法制度委員会副委員長)の「まとめと閉会の挨拶」まで、一貫して底通するものは、反知性主義批判であったように印象を受けた。

本来、司法も大学も専門知に裏付けられ高い倫理に支えられた分野である。日本においては、両者ともにルーツは支配の道具であったにせよ、理念においては政権や財界の思惑による介入を許してはならない。いま、政権の反知性主義が乱暴に両分野に介入を試みている。

学問の基底にある知は、法や法学の核をなす知と同質のものであるはず。ところが、司法試験や法科大学院の授業が、学問から離れた法的スキルの錬磨だけを目的とし、その習得に終始しているのではないか。学問や知性・論理から遊離した場で、養成された法曹が憲法の想定する人権の擁護者たりうるだろうか。

また、政権の学問の府への攻撃が激しい。人類の叡智が積み上げてきた知性や論理や理念は、政権には邪魔な存在としか映らない。経済優先の社会に、文系の学問は不要との6.8通知は政権のホンネをよく語るものなのだ。

明るい展望を示す集会とはならずに、厳しい現状の問題点を確認する集会となった。おそらくは、司法や大学だけでなく現在のあらゆる分野が同質の問題を抱えているのだろう。厳しくとも、よりよい司法制度を作っていく課題に邁進しなければならない。
(2015年10月31日・連続944回)

「沖縄県民の同意なくして、どうして国が新たな米軍基地を建設できるのか」ー沖縄弁護士会決議の重い問

10月27日、石井啓一国交大臣は辺野古新基地建設問題で、沖縄県の翁長知事が出した辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しについて、国(沖縄防衛局)の申し立のとおりに執行停止を決定した。併せて代執行の手続をとる方針まで発表した。懸念したとおり、「右手(沖縄防衛局)の悪さを、左手(国交相)が止められるはずはなかった」のだ。右手も左手も、所詮は同じ穴の貉に過ぎないのだから。いや、左手の右手に対する熱烈支援のボルテージの高さは、予想を超えたものとなっている。その熱の入れ方が、本来私人のための手続である審査請求の制度を国が使用する不自然さと不合理を際立たせることになっている。

その同じ10月27日、沖縄弁護士会が臨時総会を開いて、翁長雄志知事の辺野古埋め立て承認取り消しを尊重するよう国に求める総会決議を採択した。
 http://www.okiben.org/modules/contribution/index.php?page=article&storyid=136

「決議は、米軍基地の過重負担や環境保全の重要性から新基地建設に懸念を示した。基地建設には住民の同意が必要とし、県民が基地被害に悩まされた歴史を踏まえ『今度こそは住民の意思を率直に受け止めなければならない』と指摘した。政府が行政不服審査法を用いたことには『地方公共団体の判断を無視するものであり、地方自治が危機にひんしていると言わざるを得ない』とした」(琉球新報)。この新報の記事は、「住民の意思」をキーワードに「地方自治が危機にひんしている」とまとめている。

会長声明ではなく、わざわざ臨時総会を開催しての弁護士会の総意を表明する決議である。表題は、「辺野古新基地建設にかかる沖縄県知事の公有水面埋立承認取消処分の尊重を求める決議」というもの。相当の長文だが、とても読み易い。多くの人に読んでもらおうという気持で執筆されているからだろう。法的に緻密な議論を展開しようとの趣旨ではなく、骨太に理念を説いている。

冒頭で、「本件取消処分には単に公用水面埋立法上の問題にとどまらず、『住民の同意なくして国が新たな米軍基地を建設できるかどうか』という根本的な問題がある。これは沖縄の将来と日本の民主主義・地方自治等の観点から重要な憲法問題である」と問題提起されている。

「沖縄住民の同意なくして、どうして国が新たな米軍基地の建設を強行できるのか」
これが、沖縄弁護士会が発した重い問である。このことこそが、憲法の根幹に関わる問題との認識なのだ。

この長い決議のサワリは、以下の個所である。
「3 沖縄県内への新たな基地の建設には、沖縄県民の同意が求められるべきこと
 日本国憲法は、地方自治を保障し、地方自治体が「地方自治の本旨」に基づいて組織、運営されねばならないと定めている(92条)。この「地方自治の本旨」とは、国から独立した団体において自らの意思にもとづいて運営されるという団体自治と、住民自らの意思に基づいて地域の事項を決定するという住民自治を内容とする。基本的人権の尊重と国民主権の原理のもとにおいて、団体自治は地方分権を通じた自由を、住民自治は地方での民主主義を制度的に保障するものとして、統治機構の根幹を構成している。したがって、住民の生命や身体、財産に大きな影響を及ぼす新しい米軍基地の建設という極めて重大な問題が住民の意思に基づいてなされなければならないということ、そしてそれが地方の判断として尊重されるべきことは、まさに憲法上の要請であるというべきである。
 とりわけ沖縄県における米軍基地は、戦時下において接収された土地と1951年のサンフランシスコ講和条約後に「銃剣とブルドーザー」によって強制的に奪われた土地に建設されたもので土地の所有者あるいは沖縄県民の意思に基づいて建設されたものでは決してない。
 しかし今、国は、沖縄県内の世論調査では反対が多数を占め、県と地元市の首長が反対の意思表示をしているにもかかわらず、建設工事を進めようとしている。
 過去と同じように住民の意思に基づかずに基地建設を進めるということはあってはならない。今度こそは住民の意思を率直に受け止めなければならない。」

いま、明らかに沖縄の圧倒的民意が、「辺野古新基地建設反対」「辺野古沿岸・大浦湾の環境を守れ」「翁長知事支持」にある。これを無視しての新基地建設がどうして出来るのか。

おそらく、「価値観を異にする国」「民主主義や人権が軽んじられる政権」ではこのような発問はありえない。国家や党の決定に住民が逆らうことができるとは、考えがたいからだ。安倍政権とは、明らかに「日本国憲法の民主主義とは価値観を異にする国」を作っており、自民・公明の与党は「民主主義や人権を軽んじて平然たる政権」を支えているのだ。

安倍政権と与党とは、沖縄の民意を、暴力と金の力で徹底して押さえ込もうとしている。到底近代以降の普通の民主主義国のありかたではない。

本日(10月30日)の東京と朝日の社説が、期せずして同じ論点に触れている。
「なぜ沖縄だけが過重な負担を強いられるのか、日米安全保障条約体制が日本の平和に必要なら、日本国民が等しく基地負担を負うべきではないか。それが沖縄県民の訴えであり、私たちも共感する。しかし、安倍政権は選挙で示された県民の民意をも顧みず、『抑止力』を掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める。法令の乱用であり、民主主義への逆行にほかならない。」(東京)

「辺野古に最新鋭の基地が造られれば、撤去は難しい。恒久的な基地になりかねない。それに「NO」を告げる沖縄の民意は、昨年の名護市長選、県知事選、総選挙の四つの小選挙区で反対派が相次いで勝利したことで明らかである。政府にとって沖縄の民意は、耳を傾ける対象ではないのか。」「ひとつの県の民意が無視され続けている。民主主義国として、この現実を見過ごすことはできない。日本は人権を重んじる国なのか。地域の将来に、自分たちの意思を反映させられる国なのか―。私たちの日本が、普遍的な価値観を大事にする国であるのかどうか。そこが問われている。」(朝日)

この国の政権は、いまや民主主義にも人権にも理解なく、立憲主義をも蹂躙して恥じない、ひどく真っ当ならざる存在に堕してしまっている。国民が、抵抗をあきらめたら、文字どおりこの国に未来はない。戦争案阻止の闘いに続いて、全国民こぞっての辺野古新基地建設反対の運動を通じて、ぜひともこの国の政権をまともなものに取り替えようではないか。
(2015年10月30日・連続第943回)

ここにもある一揆の史跡ー一揆指導者への民衆の追慕

昨日から今日(10月29日)は久しぶりの金沢。学生時代の友人の案内で、金沢の歴史を堪能した。加賀はかつて100年にわたって、「百姓の持ちたる国」であった。その一向一揆の門徒が建てた金沢御堂の寺内町が、加賀100万石の藩都金沢のルーツである。城下町文化とはまったく異質の、歴史の基層をもっているのだ。

その友人が、ぜひここを見せたいと、観光スポットからやや離れた場所に案内してくれた。そこが、「七稲地蔵」(なないねじぞう)という、幕末の一揆にまつわる史跡。

地蔵は6体並んでの「六地蔵」が普通だが、一揆の先導者7人が刑死したことの供養での建立で「七地蔵」となった。この刑死者を象徴する7体の各地蔵が、稲束を抱えている。稲の奉納もある。この稲が「稲地蔵」命名の由来である。

刑死者7名の名を刻印する石碑と、下記を書き込んだ金沢市教育委員会名の立て札が立てられている。
「七稲地蔵 安政5年、米価高騰の際、7月11、12日の夜、宇辰山に登り生活難を絶叫した罪により刑死した7名の冥福を祈り建立された地蔵石像…」

どの藩でも農民に対する過酷な収奪は常のことであったが、幕末の時期には藩財政の逼迫から苛斂誅求は甚だしいものとなった。100万石の加賀藩も、例外ではなかった。ペリーが浦賀に来航して天下大騒動となった5年後の1858(安政5)年に、加賀藩に未曾有の大一揆が起こる。これが「安政の泣き一揆」と言われるもの。「泣き一揆」とは、一揆参加者一同が泣いて窮状を訴えたからだという。何とも悲惨な印象。

その前年、冷夏や長雨などの自然災害によって、藩内の米は凶作となった。しかし、天災だけでは農民がこぞって泣かねばならぬほどの窮状には至らない。当時既に資本主義流通経済が一定の発展段階にあった。藩政と結託して米の流通を支配した政商は、資本主義的合理性を遺憾なく発揮した。凶作に付け込んで米の買占めや売り惜しみに徹したのだ。そのため米の価格が高騰し町方の庶民生活は困窮した。農民は米を収奪された挙げ句に自らの食にも困窮する事態となった。

この年の7月11日夜2000人の一揆参加者が金沢城に近い卯辰山に登り、城に向かって米の開放を求めて声を上げた。最も効果的なシュプレヒコールと彼らが考案したフレーズが、「泣き一揆」の異名をとるものとなった。卯辰山から金沢城まで直線距離でおよそ1.7Km。泣くが如く叫ぶがごとき彼らのコールは、風に乗って城内にも重臣たちの屋敷にも届いたとされている。

藩主らの耳にも直接届いたというそのコールは、「ひだるいわいや~っ」「ひもじいわいやぁ~」「米くれまいやぁ~」などと伝えられている。

この泣き一揆の効果はてきめんだった。直ちに藩の御蔵米500俵が放出され、投機でつり上げられていた米の値段を下げる命令も出された。藩当局は一揆の要求を一部なりとも容認せざるを得ないと判断するとともに、一揆の拡大を恐れての迅速な対抗策を打ち出したのだ。こうして、一揆は一定の成功を収めて終息する。

その後、藩権力は藩の法制に従って、7月26日一揆首謀者7名を捕縛。その内2名が獄死し、残る5名を打ち首とした。多くの人の窮状を救うために、まず自ら立ち上がり、人を励まし、策を練り、先頭に立って実行した7人が、定法に従って覚悟の死を遂げたのだ。

この7人の霊を祀るため、明治期に卯辰山の山道に七稲地蔵が建立され、1908(明治41)年に浄土宗寿経寺に寄進されて山門前に安置され、今に至るも民衆の尊崇を受けている。

今隆盛を極める金沢観光の目玉ではない。しかし、華やかなりし加賀百万石が遺したものは、工芸・芸能・食文化だけではない。民衆の苦難もあり、民衆の抵抗もあり、そして権力の弾圧もあった。その抵抗の事蹟を忘れまいとする民衆の心根を表す、「七稲地蔵」。まことに、今学ぶべきものではないか。

日の当たらない裏面史にも、相応の関心を向けたいものである。各土地の至るところに、民衆の血と涙と抵抗の足跡は残されている。
(2015年10月29日・連続942回)

本日速記記念日に「速記録改竄」への抗議

この度初めて知ったことだが、今日(10月28日)は「速記記念日」とのこと。そんな記念日があることすら知らなかった。

公益社団法人日本速記協会のホームページには、「1882年(明治15)9月19日、田鎖綱紀(たくさり こうき)が、ピットマン系のグラハム式に基づいて「時事新報」紙上に「日本傍聴記録法」を発表しました。また、同年10月28日、東京で第1回講習会を開きました。これを記念して、日本速記協会は10月28日を速記の日と定めました。」とある。

田鎖綱紀の名は聞いたことがある。私の郷土・盛岡出身の名士としてである。速記の父と呼ばれ、「伊藤博文からは『電筆将軍』の称号を贈られ終生この称号を愛用した」という。

速記は円朝の人情話を活写して言文一致体の成立に寄与したなど説かれるが、何よりの功績は正確な議事記録を可能としたことである。
「田鎖式速記術は弟子達により改良された後、元老院大書記官であった金子堅太郎により帝国議会における議員の発言や政府の説明・答弁を記録するために導入されるなど、日本憲政史において多大な功績を遺した。」(ウィキペディア)という。

正確な記録の作成には、速記の技術だけではなく、速記者の矜持が必要である。ありのまま、聞こえるままの正確な速記は、その改竄や捏造を許さない速記者のプライドによって保たれる。

古代中国の王室には、記録を司る「史官」という職があった。その司が「太史」である。太史の正確な記録者としての矜持について、春秋左氏伝に下記のよく知られたエピソードがある。

斉の大夫崔杼が、君主の荘公を殺し、その弟の景公を立てて大臣となった。すると斉の太史が『崔杼、其の君を弑す』と事実を史書に書いたので、崔杼はこれを殺した。後をついだ太史の弟も同じことを書いたので、二人目に殺された。しかし、もうひとりの弟が三度同じことを記すに及んで、さすがの崔杼も記録の抹殺を断念した。太史兄弟が次々に殺されたことを聞いた別の史官は『崔杼其の君を弑す』と書いた竹簡を持って駆けつけたが、すでに事実が記録されたと聞いて帰った。

春秋の昔から、記録の正確さは大切なものとされ、記録者の矜持も尊重され称賛されたのだ。記録の改竄、歴史の捏造は、時代を問わず忌むべきものとされてきた。

それがどうだ。戦争法案審議の最終盤、「参議院の安保平和安全法制に関する特別委員会」の議事録が惨めに改竄された。田鎖綱紀も怒るであろうし、太史の面々も、太史公を称した司馬遷も怒らずにはおられまい。

その「速記の日」を選んで本日、参議院議長や鴻池祥肇(当時委員長)等に、「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」を行う。3000筆を上回る署名を添えてのことである。

その申し入れに、次の一文がある。改めて思い起こそう。改めて、忘れてはならないと再確認しよう。
「そもそも存在しない安保関連法案の『採決』『可決』を後付けの議事録で存在したかのように取り繕う姑息なやり方に強く抗議します。
9月17日の委員会室は速記録で『議場騒然』『聴取不能』と記載されたような状況であり、テレビで実況中継を視聴した国⺠の圧倒的多数は『あれで採決、可決などあり得ない』と受け止めています。今回の議事録に追加された『議事経過』には、次のような重大な偽り、あるいは採決の存在を議事録への追記で証明しようとする試みの道理のなさが露呈しています。」

指摘のとおり、やり口が姑息きわまる。記録の改竄に心痛むところがないのだ。鴻池議員らには、田鎖綱紀や太史たちの爪の垢を煎じて飲ませねばならない。
(2015年10月28日・連続第941回)

今日を「前夜」にしてはならない。ーそのための精一杯の抵抗を

私と梓澤和幸君とIWJの岩上安身さんとの、自民党改憲草案批判をめぐる12回の鼎談を一冊にした「前夜」(現代書館)が初版本を完売したという。今なら、古本市場で相当の高値がついているとか。情勢が動いているから、増刷するよりは版を改めようということになった。今日(10月27日)は、そのために久しぶりで3人顔合わせをして、戦争法を中心に延々4時間にも及ぶ「前夜・増補改訂版」作成のための再鼎談となった。

過去12回の鼎談は、司会の岩上さんの問に私と梓澤君が答えるという形式だった。今日は憲法問題を語るというよりは、情勢を語り運動を語る場となった。さすがに、ジャーナリストとしての岩上さんの発言が冴え、出番も多かった。知らないことを教えてもらって有益だったがいささかくたびれた。

意見が一致したことは、来夏に行われる参院選の重要性である。岩上情報では、安倍政権はこの選挙で本格的に改憲発議を訴える予定だという。この選挙の結果如何では、改憲の具体的なスケジュールが動き出すことになりかねない。2014年は解釈改憲閣議決定の年、15年は解釈改憲による違憲の戦争法が成立した年として記憶されることになろうが、ビリケン安倍は、さらに16年を明文改憲元年としようとしているのだ。

「前夜」とは、開戦の前夜、ファシズム成立の前夜、あるいは憲法が蹂躙される恐るべき時代到来の前夜を意味している。今こそ「前夜」の危険に満ちた時代と自覚せよ、という編集者の警世の思いが書名に表れている。戦争法が「成立した」とされる今、時代が「前夜」のタイトルに追いついてしまった感がある。

茶色の朝が明けてはじめて、昨夜こそが「前夜」であったと気付くことになるが、そのときは既に遅い。その以前に、鋭敏に「前夜」に至る多くの徴候を、嗅ぎわけ、見逃さず、放置せず、ひとつひとつを克服していきたい。

この鼎談の中で、私は「戦争法案成立阻止のたたかいについての私的総括」を語った。そのレジメを抜粋して掲載しておこう。だいたいのところは、察していただけるだろう。

※「戦争法」という呼称について
 「平和安全法」か「戦争法」か。
 運動を統一する呼称の成立が喜ばしいこと。
 あるいは、メディアのいう「安保法制」「安保関連法」「安保法」か。
※戦争法案攻防は、どのような理念をめぐるたたかいであったか
 ☆立憲主義をめぐるたたかい
   民主主義の限界を意識 政権の権限の制約
   選挙での勝利は万能ではない
 ☆民主主義をめぐるたたかい
   「民主主義って何だ?」との問自体の重さ 市民の政治参加の権利と責務
 ☆平和主義をめぐるたたかい
   非武装平和主義→専守防衛路線(安保自衛隊法)→集団的自衛権行使容認へ
   いま、あらためて「平和憲法」(前文を含む全条文が平和主義)の確認
※味方の政治的立場はどうだったか
 A 形式的立憲主義派 集団的自衛権行使は改憲してから
 B 戦後の保守本流 安保も自衛隊も合憲 専守防衛路線
 C 伝統的護憲派 安保も自衛隊も違憲
※たたかいの特徴
 ☆上記Cだけの陣営の狭さを、A・Bが補った。
   幅広い連帯 → これが大きな運動の言動力になった
(共闘はBの見解を押し出した。しかし、運動の核はC陣営だったのでは)
 ☆かつての組織動員型運動から、非組織の市民中心型に(ネット社会化)
   しかし、現実には、政党・市民団体の役割は大きい。
 ☆運動の拡大→新しい参加者の獲得→拡大 の好循環
 ☆戦争法と、原発・TPP・靖国・「日の丸・君が代」・教育問題等との結びつき
※敵は誰だったか
  政権 自公与党 右翼 右派メデイア 財界 ナショナリスト
※敵のイデオロギーは
  我が国を取り巻く防衛環境の変化(=中国脅威論)
  米軍との軍事同盟関係強化による抑止力期待論
※たたかいに負けた原因    
  数の暴力+安倍政権の求心力⇔小選挙区制
  中国脅威論・北朝鮮脅威論・嫌韓論の一定の影響力
※戦争法が成立したことを軽視してはならない
  特定秘密保護法+戦争法 競合症の脅威
  「9条ブランド」の喪失は復元不可能
  戦地への自衛隊員派遣⇒戦死者の靖国合祀問題
  ナショナリズム高揚の危険性
※これからの課題
 ☆本流 選挙協力⇒安倍政権打倒⇒立憲派政権の樹立⇒戦争法廃止
 ☆傍流 ビリケン与党の戦争法賛成議員に対する落選運動
     適切なシチュエーションを選んでの違憲訴訟の提起
※闘い続けるために
  社会的同調圧力に負けずに、ナショナリズムに声を上げることの重要性。
  表現の自由とその行使の重要性。萎縮、自主規制の風潮への警鐘。
  教育・教科書・大学の自治への攻撃を軽視してはならない。「日の丸君が代」も。
  弁護士自治の重要性。その喧伝を。
  政党・労組・民主団体の役割についての正当な評価を。
  真っ当な政権対抗勢力を作る必要。政党嫌いや野党への揶揄の姿勢の克服を。

本日の鼎談を終えて、思う。今なら、まだ間に合う。本当の「前夜」にしないために、表現の自由とその行使の重要性を再確認しよう。政権や大勢に順応することをやめよう。萎縮や自己規制の風潮は危険だ。覚悟を決めて抵抗しよう。このことを大いに発言し続けよう。
(2015年10月27日・連続940回)

宮城県民は、県議選共産党議席倍増で安倍ビリケン内閣を批判した。さあ、次は参院選だ。

昨日(10月25日)の宮城県議選で、「共産党 議席倍増」が大きな話題となっている。産経の見出しが、「共産が8議席に倍増し第2会派に 自民27議席 民主はわずか5議席」というもの。

共産党は、今回9人立候補して8人当選、前回議席の4を倍増させた。仙台市内の全5区で当選。最中心部の青葉区では、12600票を獲得して堂々のトップ当選だった。前回が同じ候補者で、9319票3位だったのだから、躍進と言ってよいだろう。

地元紙河北新報は次のように伝えている。
「自民は34人を公認。東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の処分場問題で揺れた加美選挙区は、5選を目指した現職が敗れた。9人を擁立した民主は青葉、宮城野、太白で現職が議席を確保。党分裂問題を抱える維新は気仙沼の現職1人にとどまり、仙台市内の2人は落選。公明は強固な組織戦で仙台市内の4議席を維持した。共産は仙台市内5選挙区全てで議席を獲得。石巻・牡鹿と塩釜の現職、大崎の新人も当選し、前回の4議席から8に躍進した。」

この選挙結果の原因は何か。毎日の報道が「共産、反安保票で躍進 反TPP、農協職員も歓迎」という見出し。これが常識的なところだろう。
「共産党が改選前の4議席から8議席と倍増させた25日の宮城県議選。自民党は前回選から1議席減の27議席と、単独過半数を割った。安全保障関連法成立や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)大筋合意後の初の都道府県議選で、共産党が幅広い批判票の受け皿となった。」「共産は…県内有数の稲作地を抱える大崎選挙区(定数4、大崎市)では、これまで自民候補を支援した旧鹿島台町長や元市議会議長らが新人の支持に回り、初議席を得た。」「大崎市の農協役員は『TPPは米どころの大崎から反対の声を上げなければいけないと思った』と歓迎。仙台市青葉区の無職男性(66)は『(共産党は)安保法反対で主張が一貫している』と話し、同党が提唱する野党連合にも期待する。」「自民候補に1票を投じた太白区の2児の母(32)は『投票率が低く、共産党が当選しやすくなっていると感じる。安保法が結果に影響したのでは』と話した。」

今、選挙で問われるべきテーマは数ある。まずは、何よりも戦争法に対する国民的な批判である。立憲主義・民主主義・平和主義の総体が問われている。これに次ぐ大きなテーマが原発。補償問題というだけでも再稼働問題というだけでもない。われわれの文明の危うさを象徴する大事件への対応が問題なのだ。さらに、産業や経済のあり方をめぐってのTPP交渉問題がある。安倍内閣の経済政策の行き詰まりと閣僚人事の身体検査問題もある。本来は、これらの諸問題が臨時国会で議論の対象となっていなければならない。ところが臨時国会は開かれない。国民には、やり場のない憤りが鬱積せざるを得ない。宮城県議選には、これが噴出したとみて間違いがない。マグマ溜まりの小爆発といったところ。

ところで、「民主、維新、共産、社民、生活の野党5党は21日、憲法規定に基づいて臨時国会召集を要求する手続きを衆参両院で行った。…『逃げていると言わざるを得ない。1カ月以内に召集しないなら、憲法無視の違憲内閣だ」。民主党の枝野幸男幹事長は21日、仙台市内で記者団にこう語り、政府・与党の姿勢を非難した。」
「憲法53条は、衆参いずれかの4分の1以上の議員から要求があれば、内閣は召集を決定しなければならないと規定しており、野党の要求はこの要件を満たしている。ただ、53条は召集の期限を定めておらず、事実上拘束力がない。昨年秋の臨時国会では、内閣改造で就任したばかりの小渕優子経済産業相、松島みどり法相(いずれも当時)が辞任に追い込まれており、同じ轍(てつ)は踏みたくないのが政権の本音だ。」(
時事通信)と報道されている。 

メデイアの言う、「53条は召集の期限を定めておらず、事実上拘束力がない。」との言い方には、誰しも納得しがたいだろう。憲法は、政権は憲法を遵守するとの当然の大前提でできている。期限の定めがあろうとなかろうと、誠実に憲法の定めには従わねばならない。もっとも、今回の安倍内閣のごとく、日本国憲法大嫌い(大日本帝国憲法大好き)で憲法無視のビリケン(非立憲)内閣が、憲法に従わないという態度を露わにした場合、憲法に従うよう強制が可能かはなかなかに難しい問題となる。

法は、その規範内容を実現する強制力を持つことによって、道徳や倫理あるいは政治的宣言等と区別される。しばしば、そのように説かれる。法の強制力として分かり易いのは、刑事法における刑罰権の執行や、民事法における強制執行など、公権力の実力作用による直接・間接の強制措置である。しかし、すべての法的規範に強制措置が伴っているわけではない。憲法に関しても、その規範を実現するためにいくつかの方策が予定されているが、そのすべてに実効性を担保する強制措置が用意されているわけではない。

憲法とは公権力を名宛て人として主権者が発した文書、その内容は公権力を規律する規範である。公権力の行使の規制に関し、その実効性確保に関する中心的な制度が、裁判所による違憲審査制である。憲法81条が、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定めるとおりである。

しかし、三権分立のバランスのとりかたの理解には微妙なものがあり、公権力のすべての違憲行為に訴訟が可能というわけではない。違憲を根拠に提訴可能なのは、公権力の違憲な行使によって国民の人権が侵害された場合に限るという制度運用が定着している。歯がゆいかも知れないが、裁判所にすべてをお任せというわけにはいかない。主権者たる国民が公権力を監視し、批判し、安倍政権のごとき憲法違反の政権には、国民自身が退場命令を出さねばならないのだ。

野党の要請に対して安倍内閣が臨時国会を召集しないことは、明白な憲法53条違反である。しかし、この違憲行為が国民の権利侵害をもたらすとはなかなかに難しく、従って訴訟でこの政府の違憲行為を是正することはきわめて困難というほかはない。

むしろ、このような憲法を守ろうとしない安倍政権への国民こぞっての批判の方が重要なのだ。私は、宮城県議選の結果は、安倍内閣の憲法軽視の姿勢に対する国民の側からの批判の意思表示とみるべきだと思う。なにせ、安倍政権への批判のバロメータは、何よりも共産党票と共産党議席の伸び如何にあるのだから。

宮城県民に続いて、安倍ビリケン(非立憲)内閣を、徹底して批判しよう。次は来年7月の参院選だ。安倍のビリケン度を、参院選の票と議席に反映させようではないか。

なお、戦争法案審議の最終盤、参院安保特別委員会での採決不存在の議事録改ざん問題に抗議し、経緯の検証と撤回を求める申し入れへの賛同署名は明日が締め切りです。改めて、下記のメール署名をお願いいたします。
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「公表された特別委員会議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い

そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。

ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
     http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2

賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
     https://bit.ly/1X82GIB

第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
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       http://article9.jp/wordpress/?p=5768

(2015年10月26日・連続939回)

保険業界に抗う「開業医共済協同組合」の発展を願う。

本日(10月25日)は「開業医共済協同組合」の第6回総代会に出席。縁あって、私はこの組合の顧問となっている。顧問就任の依頼を受けた際に、その理念に共鳴して積極的に承諾をした。

その名が体を表しているとおり、この組合は、開業医を組合員として組合員間の共済事業を目的とした中小企業協同組合法に基づく事業協同組合である。会員数は1750名ほどの規模。

組合のホームページ(http://www.kaigyouikumiai.or.jp/)の冒頭に、「開業医の万が一の休業時に備える開業医共済協同組合」と、保険会社とはひと味違った、やや無骨なキャッチフレーズが掲げられている。

弁護士である私も、開業医と同様、小規模(というよりは零細な)事業者である。数年前に肺がんの手術を受けて休業を余儀なくされた。休業の補償はありがたい、というよりは安定した職業生活には不可欠である。通常の発想では、万一の場合に備えて保険会社が提供する保険商品を選択して保険契約を締結することになる。ところが、この組合に結集した医師たちは、共済事業にこだわって保険契約を拒否しているのだ。

ホームページの「理事長挨拶」の中に次の一文がある。
「開業医には、ひとたび病気やケガで自院の休業を余儀なくされたときに医業再開のための公的休業保障は何もありません。民間保険会社の休業保険商品は保険料が高く医業経営を圧迫し、医院継続が破綻しかねません。そのため、適切な保障制度を開業医の相互扶助で行う必要があることから、開業医共済協同組合を立ち上げ、復業を支援するための『開業医共済休業保障制度』の認可を得ました。」

営利事業としての「民間保険会社の休業保険商品は保険料が高額になる」のは理の当然である。資本出資者への配当も、会社役員・職員の人件費も、広告宣伝費のコストも避けられない。一方、当組合の役員は、これまでのところすべて無報酬だ。配当は無用。宣伝コストも微々たるもの。

本日の総代会の雰囲気が明るい。「開業医のニーズにフィットした運営がなされている」「契約者数・契約口数の伸びはまことに順調」「財務状況はきわめて安定」「会員のために、さらなる利益還元の共済制度充実を」という具合。

本日の議案のひとつが、「入院療養にかかる給付金に関する共済規定(約款)変更の件」。これまでは入院についての傷病給付金の支払いの要件とされていた、「5日以上連続して休業した場合」を撤廃しようというもの。現約款では、入院4日以内の休業は給付の対象とならなかったものが、改正案では1日でも支給されることになる。もちろん、反対意見などあるはずもなく採択された。組織の発展の好循環が見て取れる。

「保険会社の保険金等の支払能力の充実の状況を示す指数」として、ソルベンシーマージン比率なるものが使われる。高いほどのぞましく、200%以下は行政から改善指導を受けることになる。当組合の昨年の総代会報告では、「541%から866%に改善」と誇らしげなものだったが、今年はさらにアップして1026%との報告だった。「制度の運営にあたっては、投資のための株式・債券等のリスク資産での運用は行っておりません。また、役員報酬を無くし会議等も効率的に開催し経費を切り詰め、長期的に安定・安全運営できるよう努力しています。」との成果なのだ。加入者が着実に増加している原因でもあり、結果でもある。

私が顧問就任をお引き受けしたとき、組合の経営内容については、よく把握していなかった。積極的にお引き受けしたのは、むしろ、この組合の理念に共鳴したからである。共鳴した理念のひとつは、この組合が新自由主義的な企業万能主義に反対の立場を明確にしていることである。かつて、共済は保険業とは無関係に種々の相互扶助制度として社会のそこここにあった。ところが、2005年の保険業法の「改正」が、これら共済制度のすべてを保険業法の網の目に入れて規制対象とした。名目は、「共済」を隠れ蓑にしたインチキ保険商品の横行から消費者を守るためである。しかし、当組合の組合員の多くはそうは見ていない。グローバリゼーションとして押し寄せたアメリカの保険企業の日本展開が、日本の相互扶助制度としての共済システムを企業展開の邪魔者と見ての圧力の結果だとの理解である。TPPやFTAに対する警戒心には重いものがある。

新自由主義とは、実は「自由」を本質とするものではない。巨大企業の行動の自由に規制には撤廃・緩和を要求するが、巨大企業に邪魔者となる「自由」は目障りとして新たな規制を創設するものなのだ。

本日の総代会議案書の中にも、「開業医の経営と生活を金融資本の市場に開放しようとする動きと対峙した、自主的、民主的な経営・生活保障である当組合の休業補償制度の存在価値は大きい」とされている。自主的な相互扶助事業を、企業利益に呑み込ませてなるものかというこの気概。その意気やよし、ではないか。

もう一つの私が共鳴した理念とは、意識的に徹底した組織の民主的運営を心掛けるという点である。組合員の思想・良心を制約することはけっしてしない。組合員の組織運営に関する発言の自由、批判の自由を保障するという。それこそが、柔軟で強靱な組織を形成する要諦であるとの発想からである。

民主的組織運営の確保、あるいは徹底。誰もが言うことではあるが、なかなかに実現は困難なことと言わざるを得ない。この組合が、事業内容によっての発展だけでなく、透明性が確保された民主的な運営が評価されて会員の居心地よさとなり、この面からも組合発展の要因となることを願っている。
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「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い

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(2015年10月25日・連続938回)

「安倍晋三靖国参拝違憲訴訟・大阪」結審ー注目の判決は1月28日

2013年12月26日、安倍晋三は内閣総理大臣の公的資格をもっての靖国神社参拝を強行した。国内外からの強い反対論、違憲の指摘を押し切ってのことである。安倍は、公用車で靖国神社に向かい「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書記帳したうえ正式に祓いを受けて昇殿参拝した。政教分離を規定した憲法第20条3項に違反することは、自明というべきである。

最高裁大法廷判決(1997年4月2日)は、愛媛県知事の靖国神社への玉串料奉納を違憲と断じている。多数意見13人対反対意見2人の大差であった。
知事の玉串料奉納ですら違憲。ましてや内閣総理大臣の靖國神社公式参拝が違憲であることに疑問の余地はない。なお、最高裁判決で首相の靖国参拝の合違憲に触れた判決はまだないが、仙台高裁(仙台高判1991年1月10日)が岩手靖国違憲訴訟で明確に違憲判断をして以来、高裁の違憲判断はいくつかある。もちろん、合憲判断は皆無である。

この安倍晋三の違憲行為に司法の場で制裁を加えようとの果敢な試みが、安倍靖国参拝違憲訴訟として東京と大阪の両地裁で行われている。大阪訴訟の審理が先行して、昨日(10月23日)結審となった。注目の判決は、来年1月28日(木)午前10時とのこと。

判決は、政教分離問題としてだけでなく、今戦争法の違憲国賠訴訟提起の試みが話題となっているときに、平和的生存権侵害の構成による訴訟の有効性について、関心が集まっている。

大阪訴訟原告団準備会が作成したチラシの中に、次の一文がある。
「安倍内閣の危険な体質を危惧されているすべてのみなさまへ
 国、安倍晋三、靖国神社を被告に、安倍首相の靖国参拝を問う訴訟を提起します。参拝が違憲であることは、小泉首相の参拝に対する7件の訴訟のいくつかの判決においても明らかです。この訴訟は、違憲違法の参拝による被害に対し、国家賠償を請求する訴訟となります。被侵害利益の中に、平和的生存権などを含めて、『秘密保護法』『集団的自衛権』『武器輸出』などに象徴される安倍内閣の危険な体質を総合的に問う訴訟にしたいと考えています。長期政権という悪夢が懸念される中、私たちは、この訴訟提起が、今のところ市民が直接に安倍内閣に異議を申し立てることができる数少ない道ではないかと考えています。」

この訴訟の提起が、2014年4月11日。その後、集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、戦争法案が国会上程されて、「成立」にまで至った。市民が直接に安倍内閣に異議を申し立てる必要性は数段高くなっている。

この事件の「請求の趣旨」は以下のとおりの簡明なものである。
1 被告安倍晋三は内閣総理大臣として靖國神社に参拝してはならない。
2 被告靖國神社は、被告安倍晋三の内閣総理大臣としての参拝を受け入れてはならない。
3 被告らは、各自連帯して、原告それぞれに対し、金1万円及びごれに対する2013年12月26日から支払済みまで年5バーセントの割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決及び第3項につき仮執行の宣言を求める。

請求原因は、宗教的人格権および平和的生存権に基づく差し止め請求であり、国家賠償請求となっている。

安倍晋三の靖国参拝が違憲であることは明々白々であるが、問題は、安倍の参拝が法的な意味で各原告らの権利を侵害していると言えるかどうか。それなければ訴訟として成立し得ないことになる。このハードルをクリアーするためのキーワードが、宗教的人格権であり、平和的生存権である。各原告がそれぞれに持っているこの権利が侵害されたとの認定がなければ、憲法判断に到達せずに敗訴となる公算が高くなる。

昨日の大阪訴訟結審の法廷では、170ページの原告最終準備書面が提出され、その要旨16ページが朗読されたという。

関心は、損害論に集中する。
(1) 宗教的人格権侵害 
原告らは、被告安倍の本件参拝及び被告靖國神社の参拝受入れによって、内心の自由形成の権利、信教の自由確保の権利、身近な死者を回顧し祭祀することについての自己決定権を侵害された。
(2) 平和的生存権侵害 本件参拝等によって、原告らの平和に生きる権利が侵害された。現代社会においては、平和なしにはいかなる個人の権利も実現することができない。表現の自由、信教の自由、経済的自由もまた、平和な社会でなければ個人がこれを享受することができない。平和的生存権に対ずる侵害によって生ずる損害は、人格的生存の根幹に関わるものである。

具体的な損害論は、原告のそれぞれの特性に応じて語られた。
沖縄原告、台湾原告、若者原告、女性原告、在日外国人原告、教育者原告、宗教者原告…らについてである。

こうして、安倍の本件参拝と、靖國神社の参拝受入れとは、各原告らにはかり知れない精神的苦痛をもたらした。国家権力が、国民に対し国のために死ぬことを強要するだけでなく、死亡後も国が兵士確保のため「英霊」=道具として利用し続ける関係を継続しているのである。憲法の核心たる個人の尊重、立憲主義(国民が国家を支配するという憲法の根本原理)を根底から覆す、権利侵害態様の重大性に照らして、その精神的損害は甚大というべきである。

法廷陳述要旨の末尾は次のとおりに結ばれている。
「首相の公式参拝は、首相が靖国神社或いはその教義を是認し賛美することにほかならない。殊に、歴代首相の中で最も軍事法制の整備に熱心な安倍首相によって行われた本件参拝は、憲法9条と20条が、ともに先人の知恵によって憲法にビルトインされた「平和」のための装置であり、車の両輪をなすものであることを改めて強く浮き彫りにした。
 公式参拝の違憲判断は司法によって明確なものとなっているにもかかわらず、時の政権は違憲判決を嘲笑するかのような違憲行為を繰り返している。それは、原告らが被った精神的被害を過小に評価して、法的利益に価しないとしてきた司法の誤った価値判断が招いた結果と指摘せざるをえない。
 このような判断を繰り返していては、最高法規たる憲法が目指す価値・秩序を実現すべき司法の役割を果たしたことにはならない。また、政治の場での民主的解決に委ねればすむという問題でもない。違憲行為による重大な権利侵害があった場合、たとえそれが国民の一人に対してのものであっても、司法的救済がなされるべきは当然である。加えて、現時点ではそれにとどまらず、本件参拝の如き違憲行為を二度と繰り返させないよう、憲法保障を実効化あらしめるための判断が司法には期待されている。本件においては、司法の面目にも関わることとして、その期待に応えうるだけの判決が今こそ求められている。」

矢の3本は要らない、この訴訟の判決で、安倍にはせめて一矢報いたいもの。

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(2015年10月24日・連続937回)

「新九条論」は連帯への配慮を欠いた提言として有害である

10月14日付東京新聞「こちら特報部」が「平和のための新九条論」を大きく取り上げた。今井一、小林節、伊勢崎賢治らの名を上げて、専守防衛に徹する自衛隊の存在を明記した新九条案を紹介している。個別的自衛権も交戦権も軍事同盟も容認を明記した新憲法を制定しようというのだ。

「憲法の条文に照らして自衛隊合憲論は欺瞞であるとし、歴代政府も護憲派もその欺瞞性を逆手にとられた」とするところから、条文と現実との乖離を最小化して「解釈の余地を政権に与えない」憲法を制定しようとの発想だという。

「自衛隊も安保も容認」したとされている共産党の国民連合政府構想が、「新九条論」者を勢いづかせている一因になってはいないだろうか。気がかりで警戒すべき事態と言わざるを得ない。

東京新聞は、リードで「安倍政権の暴走に憤る人たちの間からは、新九条の制定を求める声が上がり始めた。戦後日本が平和国家のあるべき姿として受け入れてきた『専守防衛の自衛隊』を明確に位置づける。解釈でも明文でも、安倍流の改憲を許さないための新九条である。」と言っている。肯定評価という域を超えて、この方向に意見と運動を誘導しようという意図が見える。

しかし、東京新聞のこのリードはおかしい。「新九条の制定」とは、明文改憲にほかならない。当然に明文改憲を拒否し解釈改憲も許さないとしたのが、今回の戦争法反対の世論であり運動であった。今、この時点で、唐突な明文改憲の主張は明らかに政権側に塩を送る動きである。安倍流でなければ「明文改憲けっこう」とはあまりに、短絡的な発想。「戦後日本が平和国家のあるべき姿として受け入れてきた『専守防衛の自衛隊』」との速断も安易に過ぎる。

この種の論争も見解も昔からあった。憲法は現実を批判する規範として理想を語る。現実との乖離は永遠の課題である。この乖離を理由に、現実を理想に近づける努力を放棄し、理想を現実に合わせて引きずり下ろそうということには賛成しかねる。

少しも新しくない「新九条論」だが、いま「新」を冠し、「平和のための」との装いでの登壇は、議論も運動も攪乱しかねない。理想を一歩現実の方向に動かせば、現実は二歩も三歩も逃げていく。現実に近づけられた「専守防衛」は、先制的防衛にも予防的防衛にも限りなく拡散していくことになるだろう。

ところで、戦争法成立の今、なぜ「戦争法廃止」に集中するのではなく、「新九条論」の提起なのだろうか。
今回の安倍流解釈改憲への反対運動は、「自衛隊は違憲、安保も違憲。自衛権の発動としても一切の武力行使はできない」という伝統派護憲陣営(A)と、「自衛隊は合憲、安保も合憲。集団的自衛権の行使は違憲だが、個別的自衛権の行使としてなら武力行使は可能」という旧来の保守本流の専守防衛陣営(B)との連合だった。A陣営は、B陣営との連携のために、Bの主張を前面に押し出した。安倍政権と自公両党が、現状を大きく変えようと強権の発動をしている以上、現状を維持しこれ以上悪化させないためにはB論で一致することとなる必然性があったからだ。その逆の連携のあり方は非現実的で、あり得ることではなかった。一見すると(A+B)の全体が、あたかもBの見解で統一されたかのごとき観を呈したが、実際にはA陣護憲派は、その見解を留保していたのだ。

共闘とは、小異を捨てて大同に就くこと。自説を曲げることでも捨てることでもない。A陣営の多くが、安倍流の解釈改憲に対抗するための有効な運動体形成のために、一致点を前面に立てていたということを深く認識すべきである。これまでのこととしてだけでなく、これからの「戦争法廃止」「明文改憲反対」を中心とする運動にも重要なこととして。

新九条論は、B陣営の一部の心ない動きである。A論に配慮するところなく、A論を真っ向否定したB論での明文改憲提案なのだから。運動の統一や連帯に配慮を欠いた独走というほかはない。

私見では、今井案も伊勢崎案も「普通の国の普通の憲法」に過ぎない。保守派が大喜びで、こぞって賛成するに違いない。こうして、具体的な修正案に照らすと九条の価値が浮かび出る。九条の価値は飽くまで理想としてのその存在自体にある。この理想を貶めるあらゆる明文改正案が光を失う。これ以上の新九条論の跋扈なからんことを願う。九条については、理想を堅持しつつ、営々と現実を理想に近づける努力を重ねるべきことが大切なのだ。性急な明文改憲など愚策でしかない。
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Blog「みずき」様
先日(10月20日)の私のブログ「放送大学の『表現の自由の抑圧』に抗議するー再び戦争をするための体制作りに加担してはならない」をご紹介いただきありがとうございます。

http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1593.html#more
2015.10.21 今日の言葉 ――政権の思惑を忖度して、大学までが追随し萎縮して振り回される時代に危機意識を感じざるを得ない。時代と切り結ぶ生きた学問の実践とはなにか。

「弁護士・金原徹雄のブログ」様
私のブログの末尾に「放送大学の中から、教員や学生の間から、澎湃たる抗議の声が起こることを期待したい」とあるのに応えて、書いていただいたとのこと。感謝申し上げます。

10月22日「放送大学「日本美術史(’14)」単位認定試験にかかわる見過ごせない大学の措置について」
http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/45780419.html

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(2015年10月23日・連続936回)

野球賭博はよくない。しかし、カジノ・IRは比較にならない規模の害悪をもたらす。

本日(10月22日)、プロ野球ドラフト会議。私の関心外のイベントだが、たまたま本日各紙の朝刊が、大きく「巨人選手の野球賭博問題」を報じている。賭博に関与していたと報告された3選手も、何年か前にはドラフトの対象だった。その一人松本竜也は、2011年の巨人1位指名選手。その長身と剛速球から「甲子園のランディ・ジョンソン」と異名をとった有望選手だったという。賭博問題の根を残しておいたのでは、今日のドラフト対象選手も、数年後には賭博に引き込まれかねない。あるいは、もっと積極的に人を犯罪に巻き込みかねない。

組織的に賭博を運営している暴力団の存在が疑われ、これとプロ野球選手との交際の疑惑がある。原辰徳巨人軍監督の1億円恐喝被害問題が記憶に生々しい。巨人だけとは言わない。いや、プロ野球だけでもなく、興行一般と暴力団とのしがらみの根は深く根絶し難い。この社会の健全さの保持のために徹底して膿を出し切ってもらいたい。

この問題で私が意を強くしているのは、案に相違して世間の目は賭博に厳しいということ。大相撲でもプロ野球でも、これを賭博の種にすることに世の批判は厳しいのだ。社会は、なかなかに健全である。

「案に相違して」と言ったのは、世に賭博が溢れているからだ。競馬・競輪・競艇・パチンコ・スロット…。もちろん、宝くじも、先物取引もFXも、立派な賭博である。この賭博が堂々とコマーシャルを打つ時代である。世人の賭博を見る目が甘くなっていると思わざるを得ないのだ。

賭博とは何か。私の定義では、「複数の者が財貨を拠出しあい、お互いに何らかのルールでこの拠出された財貨を取り合うこと」である。賭場に金を積んで、積まれた金を、サイコロの目でも巨人阪神戦の勝敗でも日経平均の上下でも、何かを基準に勝ち負けを決めて取り合うのだ。何のために賭博に参加するのか。当然のことながら、人の金を我が物としたいから。他人の懐に手を突っ込んで取ってくれば、窃盗か強盗になる。お互いの了解で、ルールを決めて、他人の懐の金の取り合いをするのが賭博である。賭博は、財貨の所在を変えるが、何の経済価値も産みださない。

賭博は窃盗や強盗にはならないが、やはり犯罪である。国家が刑罰権を発動して制裁を科する必要があるとされている違法性の高い行為なのだ。その本質において、互いに相手の財産を奪い合う醜い行為であり、社会の健全さを失わしめ、やがては賭博参加者自らをも滅ぼす看過し得ない違法な行為でもある。単純賭博罪(刑法185条)、常習賭博罪(同186条1貢)、賭博場開張図利罪(同186条2項)。博徒結合図利罪(同)と類型化され、富くじの発売も、発売の取次も、授受も犯罪(同187条)とされている。

ダンテの「神曲」では、賭博を行う者が堕ちて行くべき地獄はことのほか深い。「他人の不幸を自己の幸福とする」その心根の卑しさの罪が深いのだ。最高裁判例は、「国民の射幸心を煽り、勤労の美風を損い、国民経済に悪影響を及ぼす」ことを処罰の根拠と説明している。

ところが、「賭博はお互い負ければ取られることを了解での大人のゲームだ。許された娯楽と考えるべきで、刑罰をもって禁圧するほどのことはあるまい」という意見は昔からあった。最近この声は大きい。安倍政権になってからはことさらのこと。経済政策の目玉のひとつになろうとしているからだ。賭博を開帳してテラ銭を稼ごうという、有力企業は政治と結託してこの論調を高めている。プロ野球と暴力団の醜い関係などとは比較にならない、政治家と胴元企業の大規模の醜悪な関係があるのだ。

この醜悪な連中は、博打とか、賭博という言葉を敢えて避ける。推進議員の集まりは「カジノ議連」で、賭博場は「IR」(インテグレイテド・リゾート)という。しかし、なんと言葉を言い換えても本質が醜悪な賭博であることに変わりはない。

以下は、本年1月3日の産経新聞記事「カジノ解禁はいつか…巨大プロジェクト『IR』始動、経済効果は計り知れず」の抜粋である。小見出しとして、『これは成長戦略の目玉になる』とタイトルが付されている。醜悪な政治と醜悪な企業の醜悪な連携についての、醜悪なメディアの報道である。

「平成26年5月、シンガポールを訪れた安倍晋三首相は、カジノを中心とした統合型リゾート(IR)『マリーナ・ベイ・サンズ』などを視察して、こう期待感をにじませた。
 カジノのフロアには1500台のスロットマシンや600台のゲームテーブルが並び、地上200メートルの屋上プールや会議場、水族館、遊園地も併設されている。実際にIRがシンガポールにもたらした経済効果はすさまじく、2013年の観光客数は09年から6割増の1560万人に達した。IR設置に伴う雇用も約2万3000人に上るという。

 シンガポールに追随しようとしているのが日本だ。政府は観光立国を掲げ、訪日外国人旅行者を20年までに2000万人、30年に3000万人超に増やす計画だが、この起爆剤としてIRを位置づけている。

 IR誘致の最大のメリットは、その経済効果。みずほ総合研究所がまとめたリポートでは、東京地区にカジノを含むIRを開設した場合、約3兆7000億円の経済効果が期待できるとしている。同様に香港の投資銀行CLSAは経済効果を年間400億ドル(約4兆7000億円)、大阪商業大の佐和良作教授は最大約7兆7000億円と見積もる。」

産経は、「巨大な経済効果を取り込もうと、自治体の誘致合戦も激しくなっている。すでに全国で20カ所以上の自治体がIR誘致に名乗りを上げている。」「とりわけ熱心なのが大阪…」「IR整備推進法案の通過が、日本におけるIRの第一歩となる。」と報じている。幸い、まだIR整備推進法案の成立には至っていない。

賭博の繁栄がもたらす経済効果を当てにしてのアベノミクス。「おかしいだろ、これ。」としか言いようがないではないか。

ところで、野球賭博。本日の読売が、社説を書いている。「巨人野球賭博 ファンを裏切った罪は重い」というのだ。

「伝統ある球団で、あってはならない不祥事が起きたことは、極めて残念である。」なんだかよく分からない。巨人が特別なんてことはあるまい。「プロ野球界は、選手が賭博に関わらないよう厳しく指導してきた。暴力団排除の取り組みも強化した。3選手の愚行は、球界の努力を無にしかねない。」これもおかしい。3選手だけが悪者か。「プロ野球選手は、子供たちにとって、あこがれの的だ。発言や行動は常に注目される。ユニホームを着ていない時も、身を律することが求められる。」。なんだ、結局は選手個人の自覚の問題にされているのか。

野球賭博も罪深い。しかし、カジノ議連や「IR整備推進法」の罪は、格段に大きく深いのだ。一国の首相が、他国のカジノを見学して目を輝かせているこの時代状況がおかしいのではないか。安倍晋三自身は共産党の追求でカジノ議連最高顧問の座を退いたが、その側近たちが虎視眈々とIR整備推進法案の成立を狙っている。「社会の健全化よりも経済振興の方が大切だ」「アベノミクスの3本目の矢の中に賭博もはいっているのだ」「カジノなんてしゃれた大人のムード」「客寄せには賭博が一番」「これこそ経済復興の目玉」…。

何のための経済振興か。経済とは何なのか。哲学が問われている。野球賭博追放の心意気で、カジノ・IRをも追放しなければならない。アベノミクスもカジノ議連も一掃してはじめて健全な社会を取り戻すことができるのだ。
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「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い

そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。

ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
     http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2

賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
     https://bit.ly/1X82GIB

第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
       http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fb1b.html
       http://article9.jp/wordpress/?p=5768

(2015年10月22日・連続935回)

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