澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

歳のはじめに「友愛政治塾」(西川伸一塾長)ご案内

関東の三が日は穏やかに晴れ渡り、この上ない好天に恵まれた。富士は、いつになく白く大きかった。スーパームーンという耳慣れない美称を誇示する満月が冴えわたった。接する人々の表情も穏やかな、まずは平穏な日本のお正月。これで、アベ政権やら9条改憲策動さえなければ、心穏やかに日本の自然や風物を楽しむことができようものを。

そのアベ政権への対抗企画の一つに、私も参加している友愛政治塾というものがある。そのご案内をしたい。

誤解なきように一言。この政治塾、なにか下心あってのものではない。ご参加いただいても、それによって政治家への道が開かれるなどという妖しげなものではない。誰か特定の政治家個人、あるいは特定の政党を支援しようという、真の目的を隠した羊頭狗肉の悪徳商法とも無縁である。権力を恐れず、多数派におもねることもなく、自分の頭でものを考える、そのような自立した主権者としての知性と感性を講師と塾生とで磨きたい。そんな気概の企画であり集いであるものとご理解いただきたい。

以下、そのご紹介と勧誘。
**************************************************************************
 2017年、友愛政治塾(西川伸一塾長)は、〈友愛を心に活憲を!〉をモットーに、季刊『フラタニティ』の執筆者を講師に招き、それぞれの専門領域での最新の知識を学ぶ場として開設されました。講師団と塾生によるシンクタンク=知的拠点としても活動し、時には講師団全員の賛同を得たうえで政策的提言を発することもあります。

 2018年・第2期の開講が間近です。今年は、奇数月の第3日曜日午後に講義と受講者全員での質疑討論を行います。昏迷の時代に、揺るぎない自分自身の考え方、ものの見方の基礎を作るために…。多くのみなさまのご参加をお待ちしています。

第2期(2018年)開講日程と担当講師・講義内容
① 1月21日(日)
 西川伸一 明治大学教授   
 最近の裁判官人事の傾向
寺田逸郎最高裁長官は2018年1月8日に定年退官し、大谷直人新長官の下、2018年の最高裁はスタートする。最高裁長官は内閣が指名し天皇が任命する。最高裁判事は内閣が任命する。ただ、内閣が専権的に最高裁裁判官を決めてきたわけではない。最高裁の意向をきいてそれを尊重することで司法の独立が担保されてきた。しかし、安倍政権の長期化に伴いこの慣例が崩されつつある。「アベノ人事」は司法にまで及んでいる。報告ではそれを明らかにしたい。

② 3月18日(日)
 杉浦ひとみ 弁護士
 弁護士の社会的使命とは
弁護士の社会的使命は、個人の救済と正義を実現する社会の仕組みの監視だと思う。子どものいじめ事件や社内でのパワハラ、障害者の差別、家庭内のDVなどいずれも当該個人にとっては人生が変わるような問題である。ひとりの痛み、苦しみを理解しようと努力し、そのために法的手段やそれ以外の持ちうるあらゆる手段を使って、少しでもよかったと思ってもらえるようにすること。もう一つはその個人の集合である社会において、個人を尊重し平等をはかる政治が行われるように、法律の運用の仕方を変えさせ、場合によっては法制度の改正などに取り組むことだと思う。

③ 5月20日(日)
 丹羽宇一郎 元駐中国大使
 日本の国是と将来像
混沌、激変する世界情勢は濃霧の中。一寸先さえも見通せない。二人の不良青年の一挙一動に耳目が集まる。『挑発』を続ける狙いは何か。『力と力』の出口はあるのか。第二次大戦以来、戦争の姿、形は軍人対軍人から国民対国民、国対国へと激変した。核兵器とミサイルの出現、電磁波サイバー攻撃は無辜の民と国家の生命そのものに直接かかわる戦いとなろうとしている。
国や国会でさえ、戦争のボタンを押す権限が無くなっていることを自覚しなくてはなるまい。こうした世界の中での日本の立ち位置を考え、日本はどういう国を目指すのか、総合的に考えたい。

④ 7月15日(日)
 糸数慶子 参議院議員 沖縄の風
 沖縄に心を寄せる
本土に住む人にとって、琉球処分以後の沖縄の歴史や米軍基地の現状を知ることは、よほど関心がない限り難しいことです。しかし、ここであらためて琉球王国時代から現在に続く歴史の流れのなかで、沖縄県民が辿った琉球処分から米軍占領時代への苦難の道と、日本復帰後も続く米軍基地の過重負担、そこから派生する様々な問題を自分のこととして考えてみてほしいと思います。沖縄の基地負担は、本来であれば、日本国民全体で負担すべきものです。沖縄に心をよせて、日本のあるべき姿を考える機会としていただければ、と思います。

⑤ 9月16日(日)
 澤藤統一郎 弁護士
 学校での「日の丸・君が代」強制の意味
かつての神権天皇制は、全国の教場を国家神道の布教所としました。君が代斉唱から始まる学校儀式において、御真影への最敬礼と教育勅語の奉読がおこなわれました。この宗教儀式で、臣民は天皇を現人神とする信仰を刷り込まれました。
戦後、神道指令と新憲法によって、神権天皇制は崩壊したことになっています。しかし、天皇制は権威主義の象徴として生き残り、御真影と教育勅語は、「日の丸」と「君が代」に形を変えて、学校儀式で強制されています。天皇の代替わりが近い今、教育の場におけるナショナリズムと天皇制の問題を考えたいと思います。

⑥ 11月18日(日)
 孫崎 享 東アジア共同体研究所所長
 日米安全保障関係と平和の確保
日米安全保障関係は、冷戦中は米軍基地を米国が如何に自由に使用するかであったが、冷戦以降、自衛隊を米国戦略に利用することを強く求めるようになっていた。そして、この目的のため、日本の協力者と共に、朝鮮半島、中国との間の緊張を高めることに従事してきた。
歴史的な検証を踏まえつつ、講演時、最も関心を呼んでいる点についての解説を試みたい。なお、日本の安全保障の根本に横たわる問題としては、軍事で平和は確保できない、安全確保は平和的手段においてのみ確保が可能であることの解説を行いたい。

**************************************************************************
開講場所:東京都内
☆時間配分 午後1時20分から 講義:90分  質疑討論:70分
☆講師は確定。テーマと開講日は変更の可能性あり。
受講料:通し7000円
単回は無し(途中からは別途割引)
登録受講者が欠席の場合にはその友人が1人出席可能。

受講手続き:事前申込必要→入金
主催:友愛政治塾  Fraternity School of Politics
塾長:西川伸一 (明治大学教授)
事務局:村岡到
住所:〒113-0033  東京都文京区本郷2-6-11-301
ロゴスの会   TEL:03-5840-8525
Mail : logos.sya@gmail.com
郵便口座:00180-3-767282

(参考)2017年の講師団 (講義順)
西川伸一  明治大学教授
進藤榮一  筑波大学名誉教授
下斗米伸夫 法政大学教授
松竹伸幸  かもがわ出版編集長
丹羽宇一郎 元駐中国大使
伊波洋一  参議院議員
澤藤統一郎 弁護士
浅野純次  石橋湛山記念財団理事
岡田 充  共同通信客員論説委員
孫崎 享  東アジア共同体研究所所長
村岡 到  『フラタニティ』編集長
以上
(2018年1月3日)

こいつぁは春から縁起がいいわぇ ― 南北に対話の萌し。

韓国・平昌での第23回冬季オリンピック・パラリンピック(平昌五輪)が問題を抱えたまま目前となっている。来月(2月)9日開幕で、25日までの17日間の日程だという。ドーピング問題でのロシア選手団の問題だけでなく、隣国北朝鮮が参加の可否を態度表明しないまま推移して暗い影を落としている。韓国の文在寅大統領は、かねてから「オリンピックの成功が朝鮮半島の平和と安定につながる」と表明してきたが、北朝鮮は態度を保留したままだった。

突然に事態が変わった。北が平昌五輪への参加の意図を表明し、南がこれを歓迎する声明を発表した。これをきっかけに、南北対話の進行までが期待される。

昨日(1月1日)北朝鮮の国営放送「朝鮮中央テレビ」が放映した金正恩朝鮮労働党委員長の「新年の辞」の中で、金正恩は平昌五輪についてこう語ったという。

「新年はわが人民が共和国創建70周年を祝い、南朝鮮(韓国)では冬季オリンピック競技大会が開かれることで、北と南にこのように意義のある年だ」「平昌冬季オリンピックは、民族の地位を誇示する良いきっかけとなり、私たちは大会が成功裡に開催されることを心から願っている」「北朝鮮も代表団の派遣を含めて必要な措置を執る用意がある」

「私たちは民族の尊厳と気概を内外に知らしめるためにも、凍結状態にある北南関係を改善し意味深い今年を民族の歴史に書き加える年に輝かさなければならない
「何より南北間の先鋭的な軍事的緊張状態を緩和し、朝鮮半島の平和的な環境から用意しなければならない」「北と南の情勢を激化させることをこれ以上してはならず、軍事的緊張を緩和し、平和的環境を用意するために共同で努力しなければならない」

明らかに、平昌五輪をきっかけとする南北対話の意図の表明として影響は大きい。ぜひ、実現してもらいたいものと思う。

当然に、「北朝鮮の戦術」という見方は出てくるだろう。「国連安保理決議による制裁の影響が大きく出てくる前に、友好ムードに切り替え、これ以上の制裁を避けるための方策」という読みだ。だからといって、せっかくの対話のチャンスを逃してはならない。オリンピックも役に立つこともある。うまくことが運べば、オリンピックの大手柄だ。

この金正恩のテレビでの呼びかけに応じて、韓国大統領府は、直ちにこれを歓迎する声明を発表した。声明は「韓国大統領府は南北関係の改善と朝鮮半島の平和に関連する事案であれば、時期、場所、形式にこだわらず、北朝鮮と対話に応じる用意があると明らかにしてきた」とし、北朝鮮が提案した選手団派遣に向けた南北間協議に応じる方針を明らかにした、という。

また、韓国大統領府の朴洙賢報道官が、「平昌五輪が『平和五輪』として成功すれば、朝鮮半島と北東アジア、世界の平和に寄与する」と期待感を示したことが報じられている。

文政権からしてみれば、「遅かりし由良之助」「待ちかねた」と言いたいところだろう。幸いなことに間に合いそうなタイミングではないか。「米・韓」対「北」のチキンゲームに終止符を打って、平和の協議への第一歩とならんことを、切に願う。

まだ、十分に成算の見えた話ではないが、明らかに風向きが変わった。
トランプやアベには、思惑外れ。とりわけ、北朝鮮の危険を最大限利用して、9条改憲を目論むアベには面白くない展開。

ようやく訪れたこの風向きの変化に、言いたくもなる。
「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」
(2018年1月2日)

明けましておめでとうございます。

万事多難を思わせる新たなこの年だが、正月は正月。穏やかに歳があらたまった。本日、東京は晴れて風がない。

年明けには、幾つかの歌を思い出す。
まずは、啄木である。「悲しき玩具」からの数首。

 年明けてゆるめる心!
 うっとりと
 来し方をすべて忘れしごとし。

 昨日まで朝から晩まで張りつめし
 あのこころもち
 忘れじと思へど。

 戸の面には羽子突く音す。
 笑う声す。
 去年の正月にかへれるごとし。

 何となく、
 今年はよい事あるごとし。
 元日の朝、晴れて風無し。
 
 腹の底より欠伸もよほし
 ながながと欠伸してみぬ、
 今年の元日。

 いつの年も、
 似たよな歌を二つ三つ
 年賀の文に書いてよこす友。

啄木とて秀歌ばかりをものしていたわけではない。つぶやきがそのまま歌になったこの数首、われわれ凡夫と変わりない心情がよく分かるではないか。

 

次いで、大伴家持。万葉集選者の特権で、4500首の最後に置いた著名な自選歌。

 新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事
 (あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと)
 「新しい 年の初めの 初春の 今日降る雪の様に 積もれよ良い事」(日本古典文学全集)

こんな現代語訳は蛇足。けれんみのない堂々たる祝祭歌と思っていたが、万葉仮名の読み方としては不自然なところがあり、文化先進国の朝鮮語で読み解くと意味が変わるのだという。大伴は、武家の筋目である。この歌、「表向きは祝言、裏向き新羅征討に備える準備の檄」。いくさの準備の歌と読むべきなのだそうだ。

以下は、「韓国の作家、李寧煕氏の提案した、『もう一つの万葉集』について考えるブログ」による解読の紹介。
http://manyousyu.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-431f.html

新年乃始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰

新(サラ)   新羅(しらぎ)
年(ドゥジ)  咎(とが)め
乃始乃(ネシネ) お出しになられる
波都(バト)  防禦(ぼうぎょ)
波流能(バルヌン) 正す
家布敷流(ヤ、ポブル) 矢、降り浴びせる
由伎能(ユキヌン) 靫(ゆき)は・武具は
伊夜之家(イヤジケ) 続けて作れ
餘其騰(ヨグドゥ) 夜鍋(よなべ)して

【大意】
新羅征討の旨
お出しなられる。
防備を固め
矢、降り浴びせよう。
靫(ゆき)など武具は
日に夜を継いで作れよ。(以上)

「新年」が、実は「新羅の咎め」とは…、絶句するばかり。
めでたい正月の歌とは無縁となるが、「アベ9条改憲」もよく似ている。表向きは、「自衛隊を認めるだけ。何も現状を変えませんよ」と言いつつ、実は裏向きで「9条2項を事実上抹殺しよう」との魂胆。実に含蓄と教訓に富んでいるではないか。

なお、戦時中『第二の国歌』とまでいわれた軍歌「海行かば」はやはり家持の歌に、信時潔が曲を付けたもの。いま日本政府は、慰安婦問題で韓国政府に「咎め」せんと居丈高である。新年早々の「新羅への咎め」はいただけない。

最後が、小学唱歌「一月一日」。この題名は、(いちげつ いちじつ)と読むのだそうだ。千家尊福(せんげ・たかとみ)作詞、上真行作曲。1893(明治26)年に「小学校祝日大祭歌詞並楽譜」として発表されたもの。私の子どもの頃、戦後だったが学校で教えられた。教えられたようには唱わず、「豆腐のはじめは豆である。尾張名古屋の終点で、まつたけでんぐりがえしておおさわぎ」などと、大声で唱った。誰もが知ってる歌だった。

1番
 年の始めの 例(ためし)とて
 終りなき世の めでたさを
 松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
 祝(いお)う今日(きょう)こそ 楽しけれ

2番 
 初日の光 さし出でて 
 四方(よも)に輝く 今朝の空
 君がみかげに 比(たぐ)えつつ
 仰ぎ見るこそ 尊とけれ

実は、2番については、当初は別の歌詞だったという。
 「初日の光 明(あきら)けく
  治まる御代の 今朝の空
  君がみかげに 比(たぐ)えつつ
  仰ぎ見るこそ 尊とけれ」

元号の「明治」を詠みこんだ歌詞だったが、大正に改元の後、現在の歌詞となったとか。

言うまでもないことだが、「終りなき世」とは、人類や世界がいつまでも続くということではない。「天皇がしろしめすこのありがたい世がいつまでも続くこと」なのだ。だからこの唱歌は、「天皇が統治よ永遠なれ」という、天皇制讃歌なのだ。

2番の歌詞はもっと露骨だ。「君がみかげに 比(たぐ)えつつ」とは、初日の光を、天皇の姿に喩えて、初日も天皇も「仰ぎ見るこそ 尊とけれ」と押しつけているわけだ。大袈裟な神がかりを小学唱歌として上手にまとめている。

この歌を出雲の国造「千家」の当主が作っているのが興味を惹く。出雲は、伊勢と争って敗れ、傍流となった神主の家柄。

天皇制は、民間行事「正月」も天皇制賛美に利用した。その残滓は、いまだに社会の隅々に残っている。元号がその最たるもの。

年のはじめ。正月くらいは穏やかにと願いつつも、やはり今年も天皇賛美や元号使用を批判し続けなければならない。あらためて思う。
(2018年1月1日)

年の瀬に アベの悪政 あ・い・う・え・お

いよいよ今日が大晦日。今年を振り返らねばならないのだが、そんな余裕を持ち合わせていない。ともかく、この1年の365日、途切れなく当ブログを書き続けた。非力な自分のできることはやった感はあるものの、世の泰平は感じられない。憲法は危うく、真っ当ならざる言論が幅を利かせる、少しも目出度くはない越年である。

何しろ、衆・参両院とも、改憲派が議席の4分の3を超している。改憲発議は既に可能なのだ。安倍晋三政権が長期の命脈を保っていることそれ自体が、諸悪の象徴であり、また諸悪の根源でもある。

安倍が掲げる反憲法的な諸課題に対峙するとともに、安倍を徹底して批判し安倍にNOを突きつけることで、安倍が主導する改憲策動を阻止しなければならない。

そのような心構えで年を越すしかない。2017年の暮れに、「アベの悪政 あ・い・う・え・お」である。
**************************************************************************
あ 安倍晋三よ、あんたが国難。

右手に明文改憲、左手に解釈壊憲を携えて、平和・人権・民主主義を破壊しようというのが、アベシンゾーとその仲間たち。特定秘密保護法・戦争法、そして共謀罪までのゴリ押し。さらには、原発再稼働、カジノ法案、働き方改悪…。安倍晋三という存在自体が、日本国民にとっての災厄である。すこしの間なら辛抱して嵐が過ぎ去るのを待てばよい。ところが、こうも長すぎると後戻りできないまでの後遺障害を心配せざるを得ない。明文改憲の現実もあり得ないでない。いまここにある安倍晋三という国難を除去することこそが、覚醒した真っ当な国民にとっての喫緊の課題である。

**************************************************************************
い 一強が招いた政治腐敗

2017年は、森友問題と加計学園疑惑に揺れた一年だった。すべてはアベ一強政治が招いた腐敗。忖度という言葉が、流行語大賞を取ってさらに話題ともなった。もり・かけとも、アベシンゾー夫妻との親しい間柄で甘い汁を吸おうとしたオトモダチ。朋友相信じた仲。にもかかわらず、その一人籠池泰典は、妻ともども、拘置所での年越しを余儀なくされている。旗色悪しと見たアベに、トカゲの尻尾よろしく切り捨てられたからだ。私は、籠池の思想には唾棄を催すが、その人柄には親近感を覚える。いまやすべてを失った彼に、一抹の同情を禁じえない。
一方、加計孝太郎は、すべてを保持したままこの年の瀬を逃げ切ろうとしている。安倍と気の合う仲間にふさわしい陰湿さに、忌まわしさを感じるばかり。何を考え、どこで、何をしながらの年越しだろうか。
水の流れが澱めば、必ず腐敗する。アベ一強忖度政治の教訓を噛みしめたい。
**************************************************************************
う うっかりせずに、しっかり反対「安倍9条改憲」

アベ改憲は4項目。「緊急事態」・「教育の拡充」・「参院選挙の合区」と、自衛隊を明文化しようという「アベ9条改憲」。アベの関心は、もっぱら9条で、その他は改憲擦り寄り、下駄の雪諸政党にバラ播かれた餌だ。いずれも、明文改憲なくとも困ることは生じない。
問題は、「9条改憲」のみなのだ。「現にある自衛隊を憲法上の存在として確認するだけ」「だからなんにも変わらない」というウソを見抜かなければならない。本当に「何にも変わらない」のなら、改憲の必要などない。本当は様変わりするのだ。
「自衛隊違憲論」者(当然、私もそのなかにいる。)にとって、自衛隊を明文化しようという「アベ9条改憲」が、驚天動地のトンデモ改憲案であることは論を待たない。しかし、「自衛隊は自衛のための最低限度の実力を超えるものではなく『戦力』にあたらない。それゆえ『戦力』の保持を禁じた9条2項に違反しない」という専守防衛派にとっても、憲法の景色は様変わりすることになる。
武力組織としての自衛隊を憲法が認めることは、9条2項を死文化することになる。そのことが、自衛隊の質や量、可能な行動範囲への歯止めを失うということになるのだ。それだけではなく、いまや自衛隊は戦争法(安保関連法)によって、一定の限度ではあるが集団的自衛権行使が可能な実力部隊となっている。これを憲法で認めるとなれば、憲法が集団的自衛権行使を容認することにもなる。
うかうかと、アベの甘言に欺されてはならない。
**************************************************************************
え 越年しても忘れない

アベ改憲のたくらみも、壊憲政治も、そして政治と行政の私物化も、すべてはアベシンゾウとその取り巻きのしでかしたこと。アベ一強政治が続いたからこその政治危機であり、腐敗である。
これに対する国民の側の反撃の運動も、大きく育ちつつある。覚醒した市民と立憲主義を大切に思う野党の共闘こそが希望だ。来年こそ、この共闘の力を発揮して、アベ退陣と、改憲阻止を実現したい。このことを、けっして越年しても忘れてはならない。
先日の「安倍靖国参拝違憲訴訟の会・関西訴訟団」の闘いを締めくくる声明の末尾に、「戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する。」とあった。闘いに負けない秘訣は、「永遠に闘い続け、闘いをやめないこと」だ。そう。決意しよう。
**************************************************************************
お 沖縄の悲劇と沖縄の希望

そして、特筆すべきは沖縄の闘い。オスプレイやCH53が墜落する。米兵の犯罪が横行する。辺野古の新基地建設のための大浦湾の埋立が進んでいる。反対運動が弾圧を受けている。DHCテレビがフェイクニュースを垂れ流す。米軍が保育園や小学校にヘリの部品を落とすと心ない本土のウヨクが政権の意向を忖度して、保育園や小学校に「ヤラセだろう」と電話をかける…。
沖縄全土が、反アベ・反トランプとならざるを得ない深刻な事態。いまや、アベ政権対オール沖縄の、安全保障政策をめぐる政治対決の様相。新年2月4日には名護市長選挙、これを前哨戦として11月には沖縄県知事選が闘われることになる。
沖縄は、いまだに虐げられた非劇の島である。しかし、粘り強くスクラムを組んだ闘いを続けることにおいて、希望の島となりつつある。アベ政権にNOを突きつける意味でも、オール沖縄支援したい。

**************************************************************************
か からだ気をつけ 風邪引かぬよう

ところで、先日同期の児玉勇二さん(元裁判官・現弁護士)から、「健康に生きたいー真の健康への自立と連帯」という旧著(1981年刊)を送っていただいた。280ページにもおよぶ、児玉さんの健康回復実践と思索の記録である。

キーワードは、「自然治癒力」。人間が自然の一部であることを自覚して、生活に自然を取り込むよう心がけること。人工的な環境・人工的な食品・人工的な薬品を避けて、自然の中での運動にいそしみ、偏食なく伝統的な自然食品を摂取すべきだという。「食品公害」という語彙が頻繁に出てくる。この書は、まだサプリメントが横行していない時代のものだが、定めしサプリメントは健康の敵。

私は健康に自信がない。児玉さんに学び、「自然治癒力」を体内に取り込んで、すこしでも平和な世、誰もの自由や権利が尊重され商業主義に毒されない真っ当な世になるまでを見極めたい。それが、年の瀬の私の願い。
(2017年12月31日)

真正保守・村上正邦が教える「元号存続の意味」。

昨日(12月29日)の毎日新聞朝刊「オピニオン」面の「論点」欄が、「現代日本と元号」の大型インタビュー記事を掲載している。インタビューに応じているのは、島薗進、鈴木洋仁、そして村上正邦の3名。

企画の趣旨を述べるリードの冒頭に、「天皇陛下が2019(平成31)年4月30日に退位され、1989年1月8日に始まった『平成』が1万1070日で幕を閉じる。19年5月1日に皇太子さまが新天皇に即位され、新しい元号がスタートする。」との前置きがある。

おそらくは、年を越えた来年(2018年)には、この手の話題が多く取り上げられるのだろう。もうすぐ天皇が生前退位する。それにともなって元号が変わる。あらためて、問題が突きつけられている。元号とはなんだ。天皇制とはなんだ。天皇代替わりとはなんだ。天皇代替わりに際して保守陣営は、なにを目論んでいるのか。政権は。皇室は。そして、人権や民主主義を大切と思う人々はどう対応すべきなのか。ときあたかも、明治150年でもある。

もっとも、この毎日の企画の意図はよく分からない。焦点が定まらないのだ。だから、3人の論者の議論が噛み合っていない。

インタビューの設問は、「平成はどのような時代として私たちの記憶と歴史に刻まれることになるのか。また、21世紀の現代日本に元号という制度が持つ意味は何か」というもの。まったく別の問が並列しておかれている。明らかに、前者が主で後者が従で、「現代日本と元号」とのタイトルとは齟齬がある。しかも、各設問自体が相当のバイアスを持ったものになっている。だから、「現代日本と元号」のタイトルを頭に置いて読み始めると戸惑うことになる。読後感が散漫なものにならざるを得ない。「現代日本と元号」という「論点」に焦点をしぼれば、スリリングな「討論」になったのではないか。

しかし、企画の意図を離れて、それぞれの論者の意見の内容は、それぞれに興味深い。

島薗進教授は、含蓄を傾けて文明論の時代相を語っている。
「いまの時代相は冷戦終結後世界が方向を見失ったところから始まっている。多くの国が内向きのアイデンティティーを強め、他者との対立関係を作りながら自己主張する「自国ファースト」の状態にある。しかし、今の世界で人類の穏当な進歩や共存共栄という理念は完全に死んだわけではない。宗教界や学問の世界は人類が養ってきた良識の発展、多様な価値観の尊重、文明の共存を目指している。それはかすかな希望であり、良識派の「抵抗の時代」とも言える。日本も後ろ向きにならず、共生のためのビジョンを発信してほしい。日本の豊かな文化資源と、戦争の失敗を含む多くの経験を、東アジアの多様性を重んじた真の共存共栄に生かすことが求められる…」という趣旨。元号については、「元号による『縛り』が減っていれば、なお良いだろう」という形で触れられているのみ。

「元号による『縛り』」とは、元号使用が事実上強制され、元号の存在が国民意識に権力的に介入する状態を指しているのだろう。「教育現場の『日の丸・君が代』問題は、国家が求める行為を個人に受け入れさせるという方向で、国民を『縛る』ことになった。」と同旨の文脈で語られているのだから。

次が、鈴木洋仁なる若い研究者の論述。
その結論は、「このまま元号は消えてしまうのか。そうは思わない。いくら意味が薄れてきたとはいえ、1300年以上も続いた制度をあえてやめる必要があるのか。今は元号について思い入れの少ない若者たちも、やがて「平成生まれ」という時代感を意識するようになるだろう。西暦年号との併用という面倒さはあるが、国民が長い歴史の中で一定の時代感覚を共有する目印として使ってきた元号の役目は薄らぐことはあっても、なくなることはないと思う。」という薄味のもの。

研究者の論述として、どうにも曖昧で違和感を禁じえない。

明確に「元号論」を語っているのが、かつて「参議院のドン」と言われた「村上正邦・元労相」(毎日が、そのように肩書を付している)である。久しぶりに見る名前だが、しゃべる内容は相変わらずだ。右の端に位置を固定して、少しもぶれるところがない。オブラートに包まない保守派の天皇論や元号論のホンネを語って、貴重な内容となっている。

その全文は、ぜひとも下記のURLでお読みいただきたい。
https://mainichi.jp/articles/20171229/ddm/004/070/007000c

まずは、村上正邦とは何者であるか。毎日は次のように紹介している。
「1932年生まれ。拓殖大卒。80年参院議員初当選。参院自民党議員会長を務め『参院のドン』と呼ばれた。汚職事件で2001年議員辞職。その後、実刑が確定。現在、『日本の司法を正す会』代表幹事」
この紹介で足りないところを、インタビューでの彼の発言自体が補っている。「安倍さんは『保守』を自任しているようだが違う」と言ってのける『真正保守』の立場。

そのインタビュー記事のタイトルは、「『国柄』守る流れ定着を」というおとなしいものだが、内容からみれば「天皇制復活の重要なステップとして」「明治憲法の復元を目指して」などというべきだろう。

彼はまず、元号法制定以前には、その存続が危機にあったことから話を始める。
「私が元号法制化を求める運動を始めたころは社会党や共産党だけではなく、労働運動も激しく、法制化の動きへの反対論も強かった。昭和49(1974)年、私は参院選に初出馬(落選)したが、日本の国柄を守るためには元号を明確に位置づけなくてはならないと考えていた。旧皇室典範の元号に関する条項は敗戦で占領軍によって削除され、法的根拠を失っていた。元号存続の危機だった。」

元号の存続は「日本の国柄を守る」ことと同義だというわけだ。言うまでもなく、「日本の国柄」とは、天皇制のこと。天皇を中心に据えた日本こそが本来の日本で、天皇を欠いた日本はもはや日本でない、という如くなのだ。その大切な元号が、存続の危機にあったという。元号は、その使用を強制しなければ、消えてゆく脆弱な存在なのだ。

「その年、宗教界を中心に『日本を守る会』(右派団体『日本会議』の源流)が結成され、事務方を引き受けた。ところが自民党の議員の中からも『西暦でいいじゃないか』という声が上がるほど、関心が集まらない。元号について『ガンゴウって何だ?』と真顔で問い返されたこともある。」

自民党の議員でさえも、「西暦でいいじゃないか」だったのだ。元号が消えようと、なくなろうとも、誰も困らない。既に、皇紀が途絶え干支の表記もなくなっているが、なんの不便もない。現実に困る者はいないにもかかわらず、保守派には放置しがたい事態だった。

「そこで、同志と一緒に考えたのは、徹底して左翼の運動手法を踏襲することだった。地方から火を付けて中央を動かす。つまり地方議会で法制化を求める決議を上げさせた。草の根運動が昭和54年の元号法で実った。政界では田中角栄元首相の力添えが大きかった。ロッキード事件の裁判で大変だったのに『日本の国は天皇中心だ』と言って取り組んでくれた。」

結局元号をなくしてはならないというのは、天皇制護持論者だけなのだ。そのことを彼はあけすけに語る。

「元号法の延長線上にあるのが天皇陛下ご即位10年の年、平成11(99)年に成立した国旗・国歌法だ。自民党参院議員会長になるころだったが、政治家として力を尽くした。公明党の協力が得られるかどうかが岐路だった。…同党の冬柴鉄三さんら幹部と赤坂の料理店で腹を割って話すと、日の丸にも君が代にも反対ではない。それで一気に政治日程に上げた。最大の功労者は公明党だ。」
いつものとおりのこと。公明党は、このようにして自民党に恩を売ってきたのだ。

「元号法と国旗・国歌法は、建国記念の日の制定(66年)から始まった明治憲法復元に向けての大きな流れだ。敗戦という国家非常事態での占領憲法を認めるのではなく、明治憲法に立ち返る。その上で憲法を論ずることが日本人の手に憲法を取り戻すことにつながる。」「安倍(晋三首相)さんが言っているような小手先の改正ではだめなんだ。私たちが心血を注いで運動に取り組んだのも、天皇を中心に据えた憲法のためだ。元号法を作った時に「譲位」は想定していない。一世一元制が原則だ。」「靖国神社への参拝も実現させてくださると信じている。英霊は『東条英機万歳』でなく、『天皇陛下万歳』と言って亡くなった。何のための靖国か。」

「建国記念の日」(66年)⇒「元号法」(79年)⇒「国旗・国歌法」(99年)。そして次は、「天皇の靖国参拝実現」が目標だという。そのすべてが、天皇を中心に据えた明治憲法復活のためであり、天皇中心の国柄を顕現するためのものだという。

ひるがえって、日本国憲法を護り活かすとは、何よりもこのような戦前回帰を許さないことだ。自立した主権者国民が天皇の権威にひれ伏してはならない。「建国記念の日」「元号」「国旗・国歌」の強制に反対し、「天皇の靖国参拝」を許さぬことだとよく分かる。

真正保守であり、かつての「参議院のドン」だった村上は、私たちの具体的な運動課題を、正確に教えてくれているのだ。
(2017年12月30日)

子どもたちに天皇制を語る。

私にも小学生のころがあった。小学校2年生から親元を離れて寮生活という境遇だったが、その寮で「毎日小学生新聞」を読んだ。当時、小学生に向けた新聞は、この一紙だけだったはず。私は熱心な読者だった。

いまはもう記事の内容に記憶はないが、頃は戦後民主主義の熱気が横溢していた時代。おそらくは、当時の「毎小」の記事がいまの私の人格形成に影響なかったはずはない。

ところで、いま、毎日だけでなく、朝日も読売も小学生向けの新聞を発行しているという。朝日と毎日は日刊、「読売KODOMO新聞」は週刊(毎週木曜日発行)だとか。紙面の内容は知らないが、小学生への影響は当然に大きいと思う。

その「読売KODOMO新聞」。一昨日(12月27日(木))の紙面に、以下の解説記事を掲載した。タイトルは、「天皇陛下の退位日決定」。なんだ、これは。さながら、現代版「修身」ではないか。天皇制を子どもたちに刷り込もうという読売の魂胆。

 天皇陛下(てんのうへいか)の退位(たいい)日が2019年4月30日に決まりました。天皇の退位は1817年の光格(こうかく)天皇以来(いらい)、約(やく)200年ぶりで、現在(げんざい)の法律(ほうりつ)では今回だけの特例(とくれい)です。元号の「平成(へいせい)」も変(か)わる予定で、私(わたし)たちの生活にも影響(えいきょう)がありそうです。

 安倍首相(あべしゅしょう)は今月1日、皇室会議(こうしつかいぎ)へ天皇退位に関係(かんけい)する日程(にってい)を提案(ていあん)しました。皇室会議は安倍首相が議長(ぎちょう)となり、皇族(こうぞく)や衆院(しゅういん)・参院(さんいん)の両議長らが参加(さんか)しました。政府(せいふ)は、この会議で参加者からでた意見を参考にした上で、今月8日、各省庁(かくしょうちょう)の大臣(だいじん)らの集まる閣議(かくぎ)で日程を正式に決めました。

 政府が退位日として4月30日を提案した理由は、政治的(せいじてき)な日程のない静(しず)かな環境(かんきょう)だからです。同じ月には統一地方選(とういつちほうせん)が終わり、大型連休(おおがたれんきゅう)で国会も開かれていません。

 退位翌日(よくじつ)の5月1日には皇太子(こうたいし)さまが新しい天皇に即位(そくい)され、同時に平成という元号も30年3か月で終わります。248番目となる新しい元号は、今後政府が本格的(ほんかくてき)に考えます。

 元号が変わると、国や自治体(じちたい)、企業(きぎょう)のシステムを対応(たいおう)させたり、手帳やカレンダーを変えたりと国民(こくみん)生活への影響は大きいとみられます。このため、元号は来年のうちに明らかにされます。

 政府では、19年5月1日を臨時の祝日(しゅくじつ)か休日とする方向です。新元号への移行(いこう)をスムーズにし、皇太子さまの即位を国民をあげて祝福(しゅくふく)できるからです。祝日にした場合は、法律で前後の平日も休日にできるため、4月27日から5月6日までの10連休(れんきゅう)となる可能性(かのうせい)もあります。

 政府は年明けから、退位の儀式(ぎしき)のあり方などについて議論(ぎろん)を本格化させます。

 昭和天皇は1989年1月に87歳さいでお亡(な)くなりになりました。昭和に代わる元号の平成は、当時の小渕恵三官房長官(おぶちけいぞうかんぼうちょうかん)が書を掲(かかげ)て発表していて、新元号の発表の仕方も注目されます。

「上皇」「上皇后」

 退位の後、陛下は「上皇(じょうこう)陛下」、皇后(こうごう)さまは「上皇后陛下」となられます。陛下は2016年8月、高齢(こうれい)により公務(こうむ)を続(つづ)けるのが難(むずか)しくなると案じた「お言葉」を発表されました。今回の退位は特別(とくべつ)に認(みと)められましたが、今後の皇室のあり方にも影響があるかもしれません。

 長年にわたり、皇后さまとともに公務を務(つと)められた陛下には退位後、ゆっくり過(すご)されてほしいですね。

**************************************************************************
この「修身」は、次のように書き換えなければならない。

昔は、世界中どこにも王というものがおりました。力のある人が、そのほかの人々を押さえつけて王になり、王の支配のための王国を作ったのです。王国には王の軍隊がおかれ、その武力を背景に、王は国民から税金を取りたて、国民を戦争に駆り立てました。また、どこの王国でも、王に逆らってはならないという法律が作られました。

しかし、どの王も暴力で国民を支配するだけでなく、何とか国民を自発的に王に従う気持にさせたいものだと考えました。そこで、「王位は神様から授けられた」などという神話をこしらえたり、「王様は、国民を我が子のように慈しんでおられる立派な方」「王様は尊敬すべき人格者」などという作り話を流したり、王に従うことこそが国民として守るべき道であると王国の学校で子どもたちに教えたりしました。さらには、大きな宮殿をつくり、王をほめたたえる音楽や美術を奨励したり、ときには王様の恵み深さを演じてみたり、王が主催するスポーツや見世物のイベントを開いたり、王の支配を守り固める懸命の努力を重ねました。その一つとして、王が死んだり退位して新王が誕生するとき、できる限り重々しく華やかな儀式が行われました。

こんな演出にすっかり欺される愚かな人々もたくさんいました。「うちの国の王様はこんなにも立派」だと、支配されている国民同士が、自分を支配している王を自慢し合うようなこともあったということです。

王が国を支配する制度を王政といいます。時代が進むに連れて、王制は次第に姿を消していきました。「人間は皆平等」なのですから、生まれで特権を持った王が決まることは不合理だとする考え方が世界の常識になりました。王が国民から税を取り上げて贅沢ができることはおかしい。多くの国では、国民がそう考えてきっぱりと王政を捨てました。しかし、遅れた国ではなかなか王政を捨てきれず、いまでも飾りものになった王が生き残っています。

日本はこの点でとても遅れた国のひとつです。日本では、王のことを天皇と言ってきました。天皇の祖先は武力に優れ、他の人々を押さえつけて王となり、7世紀頃に天皇と名乗るようになりました。天皇の支配のために天皇の軍隊がおかれ、支配される側の国民は「臣民」と呼ばれて、天皇に税金を支払い、天皇が命じる戦争に動員されました。

天皇も、暴力で臣民を支配するだけでなく、何とか臣民を自発的に天皇に従う気持にさせたいと考え工夫しました。そこで、「天皇はアマテラスという神様の子孫であって、代々の天皇自身も神様である」というお話しをこしらえました。びっくりするのは、そんな作り話が20世紀前半まで、日本中の学校で、真面目に教えられていたことです。

19世紀後半に、天皇に逆らってはならない、天皇の悪口を言ってもいけない、という法律が作られました。大逆罪や不敬罪と言います。それでも足りないとして、天皇の政府は20世紀前半には治安維持法を作って、天皇制に反対する人々を徹底して弾圧したのです。その反面、「天皇は、臣民を我が子のように慈しんでおられる立派な方」「天皇は尊敬すべき人格者です」などと宣伝し、天皇に従うことこそが臣民として守るべき道であると、全国の学校で教えました。また、学校や神社などでは、天皇を崇拝する儀式が繰り返されました。

なかでも、これまでの天皇が死んで新天皇が誕生するときには、もっとも重大な儀式が行われました。大嘗祭と言います。

いま、天皇の代替わりが迫っています。代替わりによって国民生活に大きな影響はないはずなのですが、代替わりにともなう元号の変更がやっかいです。事実上、国や自治体や銀行などでは、元号の使用が強制されています。そのため、国民生活への影響はけっして小さいものではありません。元号の不便・不合理が明らかというだけではなく、いつも天皇制を忘れないようにさせるものなのです。西暦に一本化することが最も望ましいのに、天皇制を思い出しなさいと元号が維持されているのです。

天皇制も元号使用もいずれはなくなる運命でしょうが、読売新聞のように天皇や元号の交代で大騒ぎすることなく、天皇制の歴史やその影響を冷静に見つめ、よく研究する機会にしたいものですね。
(2017年12月29日)

日韓両政府は、「慰安婦」問題について全面解決合意の権限をもたない。

本日(12月28日)文在寅韓国大統領が、2015年12月の慰安婦問題を巡る日韓合意に関して、「手続き上も内容上も重大な欠陥があった」として、「この合意では慰安婦問題は解決されない」と表明した。現政権の検証によって、旧政権時代の日韓両当事国間の合意内容が履行不能であることが明らかとなり、結局は当該合意によっては紛争解決に至らないことがあらためて確認されたということだ。

この場合の解決すべき紛争とは、けっして加害当事国と被害当事国の2国間の紛争ではない。だから、2国間の合意が紛争解決への第一歩にはなり得ても、全面的な解決になり得ようはずもない。

この紛争には、生身の被害者がいて、その親族や遺族がおり、被害者の支援運動に携わる多くの人々がいる。紛争解決の当事者能力を持つ者は、まずは被害者個人であり、その遺族らであり、さらには運動体なのだ。運動体は、韓国内に留まらず国際的な拡がりをもっている。加害当事者も、直接の加害者にとどまらない。皇軍という加害のシステムを間接的に支えた公私の機関も多くの人々も責任を免れない。しかも、紛争は法的な側面だけでなく、社会的紛争としての側面のあることを十分に意識しなければならない。

そのような紛争を、両国間の合意のみで「最終かつ不可逆的に解決」できるわけがない。はじめから、分かりきったことではないか。

法的な紛争解決に関して和解合意が成立するためには、それぞれの紛争当事者が本人として直接合意するか、委任関係によって権限をもつことが明確な代理人の合意表明が必要である。国家は違法行為によって傷つけられた人々の代理をして紛争解決の合意をする権限を当然にもつものではない。たとえ、国家が戦時の違法行為で傷つけられた人々の損害賠償請求権を放棄しても、被害者本人が同意しない限り、その請求権になんの影響も持ち得ない。

また、紛争の社会的側面の解決には、真摯な当事国の和解合意成立は大きな一歩だが、けっして「最終かつ不可逆的な」解決ではない。長い長い時間をかけた誠実な謝罪の繰りかえし以外に、真っ当な解決に至る手段はあり得ない。

周知のとおり、日本の最高裁は中国人「慰安婦」の賠償請求訴訟において、日本国の不法行為責任を認めながら、「日華平和条約」あるいは「日中共同声明(第5項)」で個人請求権は消滅したとして請求を棄却した。しかし、この古い解釈はけっして国際的に通用するものではない。また、最高裁と言えども、まさかこの「日韓合意」で、元慰安婦の個人としての請求権が消滅したと判断はしないだろう。また、必ずや韓国の裁判所は個人の請求権の存続を肯定する。ましてや、運動体までを含んでの「最終かつ不可逆的に解決」などあり得ることではない。

結局のところ、権限のない政権が当事者からの委任を受けることなく、無理に無理を重ねて合意の形を作っただけのことなのだ。合意が破綻したというよりは、権限のない者が作った形だけの合意が馬脚を現したというだけのこと。
 
「聯合ニュース」(日本語ネット版)が伝えるところによれば、韓国の外交部長官直属のタスクフォース(作業部会)が昨日(12月27日)発表した、「旧日本軍の慰安婦問題を巡る韓国と日本の合意の検証結果」の報告書は、説得力をもった内容となっている。

その報告書によると、事実上の「裏合意」があったことが明らかになったという。
 「韓国政府が慰安婦関連団体を説得する努力をし、海外で被害者を象徴する少女像の設置を支援しないなどの内容が盛り込まれた」「日本側が挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)など被害者関連団体を特定し、韓国政府に(合意に不満を示す場合の)説得を要請し、韓国側は関連団体の説得努力をするとし、日本側の希望を事実上受け入れた」。また、「日本側は韓国側に対し、「性奴隷」との表現を使わないよう求め、韓国側は政府が使用する公式名称は「日本軍慰安婦被害者問題」だけであることを非公開部分で確認したという。日本側の要求を受け入れたことになる。」と指摘した。

報告書の結論は以下のとおりだ。
「戦時の女性人権について国際社会の規範として位置付けられた被害者中心のアプローチが慰安婦交渉過程で十分に反映されず、一般的な外交懸案のような駆け引き交渉で合意が行われた」として、「韓国政府は被害者が1人でも多く生存している間に問題を解決しなければならないとして協議に臨んだが、協議過程で被害者の意見を十分に聴かず、政府の立場を中心に合意を決着させた」と指摘。「被害者が受け入れない限り、政府間で慰安婦問題の最終的・不可逆的解決を宣言しても、問題は再燃するしかない」とした。

もともとが解決権限のない両国政府の実行不能な内容の無理な合意だった。もとより、これで紛争が解決するはずもなかった。いま、日本側から、居丈高に「合意」の実行を迫ることは、問題をこじらせ紛争を拡大するだけの愚策だと弁えなければならない。
(2017年12月28日)

「安倍靖国参拝違憲訴訟・関西」最高裁判決について

まずは、以下の「抗議声明」をお読みいただきたい。

「2017年12月20日、最高裁判所第二小法廷は安倍首相靖国参拝違憲訴訟において、不当な上告棄却(および上告不受理)決定を下した。

 そもそも本件参拝は、憲法第20条に明確に禁止されている国家機関(内閣総理大臣)による宗教活動であることは明らかである。また、違法な参拝を受け入れた靖国神社は戦没者を英霊と意味づけることによって国民に対して英霊につづいて国と天皇のために命をささげることを促す戦争準備施設であり、そのことは、被告靖国神社自身が『靖国神社社憲』などで明確に認めていることである。したがって、本件参拝は原告(控訴人)らの内心の自由形成の権利・回顧祭祀に関する自己決定権などを侵害するのみならず、平和的生存権を侵していることも明らかである。本件参拝は、けっして「人が神社に参拝する行為」一般に解消できるものではない。

1981年4月22日に行われた靖国神社の例大祭に対して愛媛県は5000円の玉ぐし料を支出した。支出だけで、知事が東京に出向き例大祭に参拝したわけではない。この件に対して最高裁大法廷は1997年4月2日疑問の余地のない違憲判決を下した。わずか5000円の支出が憲法第89条が禁止する宗教団体への援助になるとしたのではない。県が靖国神社を特別扱いしたことが知れ渡ることが援助になると判断したのである。首相の参拝となれば、この「援助」は絶大である。このことは、本件を審理した地裁・高裁の裁判官も当然熟知している。すなわち、本件参拝はどう考えても違憲というほかはないことを彼らは熟知している。この、愛媛玉ぐし料訴訟最高裁判決に際して尾崎行信裁判官が「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」という警句を以て違憲行為の早目の阻止を示したことや、小泉靖国参拝違憲訴訟福岡地裁判決において亀川清長裁判官が、違憲性の判断回避は行政の違憲行為を放置することになるからとして「当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え」るとしたような憲法擁護の責務を果たす気概は現在の司法には存在しないのだろうか。

本件に対する地裁及び高裁の判決は、それでも屁理屈の理由を付している。最高裁第二小法廷はそれさえしないのである。大阪地裁及び高裁で安倍首相に対する忖度の理屈をこねる役割を担わされた裁判官たちは、最高裁第二小法廷の山本庸幸裁判長らをうらやましく思っていることだろう。そして、どんな明白な証拠が出てきても、忖度を重ね、しらを切り通せば、国税庁長官や最高裁判事に「出世」できると学んだことであろう。

われわれは、こうした日本の行政と司法の現状に怒りを超えて深い悲しみを覚える。
われわれは、この決定を到底容認することはできない。これに対して、強く抗議するとともに、戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する。

 2017年12月22日
安倍靖国参拝違憲訴訟の会・関西訴訟団
**************************************************************************

 安倍晋三が首相として靖国神社を参拝したのは、2013年12月26日、第2次安倍内閣発足後1年を経てのことである。彼は、礼装し公用車を使って靖国に向かい、「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書記帳して、正式に昇殿参拝している。靖国側も私人安倍晋三として接遇したわけではない。これを私的参拝だから政教分離則に反しないというのは、黒いカラスを白い鷺と言いはるほどの無理があろう。

 要するに、首相としての安倍晋三が靖国という軍国主義を象徴する宗教施設に参拝したことが憲法の政教分離原則に反することは明らかなことなのだ。最高裁は、厳格な政教分離論を排斥して、目的効果基準を編み出したが、この緩やかな基準をもってしても、愛媛玉串料訴訟大法廷判決は、県費からの玉串料支出という形での愛媛県と靖国神社との関わりを、違憲と断じた。しかも、裁判官の意見分布は13対2の圧倒的大差だった。

だから、原告らは勝訴を確信していたか。実はそうではない。問題は、違憲判断にたどり着けるかどうかにあった。その点だけが実質的な争点だったといってよい。喩えて言えば、土俵に上がっての勝負は目に見えていた。問題は、土俵での取り組みができるかどうかだけ。結局は、原告らは土俵に上げてもらえなかったということなのだ。

裁判所とは、違憲・違法な行為があったときに、誰でも駆け込んでその是正を求めることができるところではない。権利の侵害を受け者が、その回復を求めることができるに止まるのだ。その意味では、裁判所は人権の砦ではあっても、必ずしも憲法の砦ではない。たとえ政府に明白な違憲行為があろうとも、そのことによって権利の侵害を受ける者がいなければ、裁判手続を通じての是正はできない。他人の権利侵害での裁判も受け付けてはもらえない。健全なメディアによる健全な世論形成によって、次の選挙で政府をあるいは政策を変えさせることが期待されているのみなのだ。

ことは三権分立の理解にある。「司法の優越」は、司法がオールマイテイであることを意味しない。立法や行政が、国民の権利を侵害するときに限り、その権利侵害を回復する限度で、司法は機能する。とはいえ、具体的事案で、司法が機能する場面であるか否かの判断は、けっして容易ではない。

個人の権利利益の保護を目的とする通常の訴訟(主観訴訟)に対して、例外的に権利侵害を要件としない客観訴訟というものがある。特に、法秩序の適正な維持を目的として訴権が認められたもの。その典型が、地方公共団体の財務会計行為の適正を目的とした住民訴訟である。これは、はじめから立派な土俵が設定されているのだから、違憲判断に踏み込む要件の成否を問題にする必要がない。津地鎮祭訴訟、岩手靖国違憲訴訟、愛媛玉串料違憲訴訟などは、この土俵に上がっての成果だった。

しかし、首相の参拝や、官邸の公用車の管理に関して、住民訴訟の適用があるはずはない。原告として名乗り出る人は、首相安倍晋三の靖国参拝によって、何らかの権利や利益が侵害されたことを主張しなければならない。そのために、原告らが有する「宗教的人格権」や「平和的生存権」が侵害されたという構図を描かなければならない。あるいは、この訴訟では「内心の自由形成の権利」「回顧祭祀に関する自己決定権」の侵害などが主張された。

しかし、大阪地裁も大阪高裁も、これを「原告(控訴人)らの不快感の域を出るものではなく、法的保護に値する利益の侵害とはいえない」と切り捨てられている。

従って、判決は違憲判断を避けただけで、安倍参拝を合憲と判断したわけではない。原告らは、安倍と裁判所を追い詰めたが、体を交わされたのだ。

先に引用した、訴訟団声明中の「本件参拝は、けっして『人が神社に参拝する行為』一般に解消できるものではない。」に触れておきたい。

小泉靖国参拝国家賠償請求訴訟において、最高裁は2006(平成18)年6月、「人が神社に参拝する行為は他人の信仰生活に圧迫、干渉を加えるものではない。このことは内閣総理大臣の参拝でも異ならない」として、損害賠償の対象にはならないと判示した。訴訟団はこれを納得しがたいとしているのだ。外ならぬ内閣総理大臣が、外ならぬ軍国神社靖国に公式に参拝という形での政教分離の破壊行為は、平和や立憲主義に対する極めて具体的で直接的な攻撃というべきものとして、戦没者遺族や宗教者の精神生活・信仰生活の平穏を侵害するものなのだ。

「安倍靖国参拝違憲訴訟・関西」と名付けられたこの訴訟。戦没者の遺族ら765人が原告となって、首相と国、靖国神社を被告として、将来の参拝差し止めと1人1万円の慰謝料の請求をしたもの。最終的に敗れたとはいえ、けっして勝ち目のない訴訟ではなかった。また、この訴訟提起自身が、市民が直接に安倍内閣の憲法破壊行為に異議申し立てをする場の設定として意義あるものと言うべきだろう。

訴訟団声明の末尾には、「戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する」とある。その軒昂たる意気や良し。
(2017年12月27日)

「10・23通達」は、国際自由権規約18条に違反する。

本日(12月26日)が東京「君が代裁判」第4次訴訟弁護団の今年最後の会議。
12月18日に控訴理由書は提出済みで、控訴審の第1回口頭弁論期日に向けて、都教委側の控訴理由書への反論と、控訴審進行の構成についての意見交換。

その中で、国際人権論からの新たなアプローチが話題となった。
国連の自由権規約(正確には、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」。社会権規約(A規約)に対して「自由権B規約」とも略称される)の第18条は、外務省訳で以下のとおりである。

第18条
1 すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。
2 何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。
(3項・4項は略)

ここに掲げられているのは、「思想、良心及び宗教の自由」である。日本国憲法の19条(思想・良心の自由)と、20条(信教の自由)の両条を包括する規定となっている。国旗国歌への起立斉唱を強制する「10・23通達」は、日本国憲法19条・20条に違反するだけでなく、日本が批准した条約として裁判規範性をもつ「自由権規約」第18条違反でもある。かねてから、私たちはそう主張してきた。

とりわけ、同条第2項が、「何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。」としていることは、都教委の国旗国歌強制を違法とすることに、分かり易い根拠を与えている。

明らかに、「都教委による教員や生徒への国旗国歌(日の丸君が代)への敬意表明の強制は、教員や生徒自らが選択した信仰あるいは思想的信念を受け入れる自由を侵害するおそれがある」からである。

最高裁は、「神戸高専剣道実技受講拒否事件」(1996年3月8日)判決において、「エホバの証人」を信仰する神戸高専生徒に対する剣道の授業受講強制を違法と認めた。剣道の授業が宗教的な意味合いをもつかどうかを問題にせず、「剣道の受講を強制することは、この生徒が真摯に自ら選択した信仰に抵触し、生徒の信仰を選択する自由を侵害した」と認定したのだ。

憲法20条2項は「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」としているが、この最高裁判決以降この条項は「何人も、自己の信ずる宗教的信念において受容しがたい祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」と読み替えねばならない。

さらに、自由権規約18条は、禁止される強制の範囲を、「宗教(信仰)」と抵触するものだけでなく、宗教(信仰)とは区別された思想・良心の分野における「信念」の領域にまで拡げた。

「『10・23通達』は自由権規約18条に違反する」とは、「10・23通達」に苦しめられた教員たちの年来の主張で、弁護団は法廷ではそのような主張を繰り返してきた。しかし、頑迷固陋な最高裁の壁はこの主張を受け付けず、はね返され続けてきた。

いっこうに進展しない法廷のありさまに業を煮やした原告団の人々が、法廷を離れた場での行動に立ち上がった。一つは、国連への直接の訴えである。そして、もう一つが、国に対する申し出である。たいへんな行動力だ。そして今、成果をあげつつある。

本日の弁護団会議で話題となったのは、「LOI」である。はて?
「ILO」(国際労働機関)ならなじみが深いが、「LOI」とは? 「リスト・オブ・イシュー」の頭文字だという。問題項目一覧表という意味だ。もっぱら「質問項目」と訳されている。そのリストのなかに、「10・23通達」がはいったという報告なのだ。

「2003年に東京都教育委員会によって発出された「10・23通達」を教員や生徒に対して実施するためにとられた措置の自由権規約との適合性に関して、儀式において生徒を起立させるために物理的な力が用いられており、また教員に対しては経済的制裁が加えられているという申し立てを含めて、ご説明願いたい。」という質問の形式。日本の政府は、国連の規約委員会に責任をもった回答をしなければならない。

よく知られているとおり、国連の活動は「平和と安全の維持」を目的とするものだけでなく、人権の擁護にも重きをおいている。国連憲章第1条3項の中に、「人種、性、言語または宗教による差別なく、すべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」と書き込まれている。

この国連憲章の目的条項に基づいて制定された、自由権規約の締約国は、規約の実施状況や国内における人権状況について定期的に国連に報告し、国連が設置する自由権規約委員会の審査を受けなければならない。

同委員会の審査手順は、事前審査と本審査からなる。
事前審査の段階で、委員会は各国NGOからのレポートに目を通して、リストオブイシュー(質問項目)を作成し、これを各国政府に提示する。この全項目について、各国政府は国家レポートを作成して委員会に提出する。また、各国NGOは、これに対抗したカウンターレポートを提出する。委員会は、本審査において両レポートを精査して総括所見を採択する。そして、これを各国政府に勧告するのだ。

事前審査の段階で作成されるのが「LOI」。数多ある人権諸問題と肩を並べて、「10・23通達」問題が、そのリストに掲載された。日本政府は、これに対する国家レポートを提出することになる。私たちは、これを徹底して批判するカウンターレポートを国連人権委員会に提出して、国際良識の判断を仰ぐことになる。もしかすると、ステキなことになるかも知れない。私たちにとってのステキなこととは、安倍晋三や小池百合子には、イヤ~なことに決まっている。

たとえば、国連人権委員会から日本国政府に対して、次のような勧告がなされるかも知れないのだ。
☆日本国政府は、公権力の行使によって、国民の思想・良心・信仰を侵害することのないよう、以下のことを遵守するよう勧告します。
*東京都教育委員会の「10・23通達」に基づいて、東京都内で行われてきた公立学校の教員や生徒に対する国旗国歌(日の丸君が代)への起立斉唱の強制について、今後一切くりかえすことがないよう禁止するとともに、これまでに国旗国歌(日の丸君が代)への起立斉唱の強制への不服従によって制裁を受けたすべての人に対する完全な損害回復の措置をとるよう指導すること。
*東京都に限らず、日本におけるすべての公立学校において、入学式や卒業式等の学校儀式における国旗国歌(日の丸君が代)への起立斉唱の強制を禁止することによって、学校内におけるすべての成員の思想・良心・信仰の自由を保障すること。
*すべての地方公共団体の知事、議会議員、教育委員会委員、ならびに教育委員会職員に対して、以下の各事項について周知を徹底するよう、十分な研修の機会を設けること。

1 日本国の国旗である「日の丸」は、その歴史的経緯から、これに接する人によっては、ナチスドイツの「ハーケンクロイツ」が戦後民主化されたドイツの国旗としてふさわしくないのと同様に、平和や民主主義・人権を基本理念とする日本国憲法下の現代日本にふさわしいものではなく、それゆえ国旗(日の丸)に対する敬意表明の強制には服しがたいとする主張があるところ、その主張には十分な理由があるものとして尊重しなければならないこと。

2 日本国の国歌である「君が代」は、その歴史的経緯から、これに接する人によっては、天皇を神とする国家神道のシンボルとして、宗教上の色彩が濃厚で、それゆえ自らが選択した宗教の信仰にもとづいて国歌(君が代)を斉唱せよとする強制には服しがたいとする主張があるところ、その主張には十分な理由があるものとして尊重しなければならないこと。

3 文明国においては、教育の内容に公権力の介入は抑制的であるべきが市民革命以来の確立された理念であって、それゆえ国家主義の鼓吹に基づく国旗国歌(日の丸君が代)への敬意表明の強制には服しがたいとする主張があるところ、その主張には十分な理由があるものとして尊重しなければならないこと。

**************************************************************************
以下は、被処分者の会からの報告の抜粋である。なお、「日の丸・君が代の強制に反対し、渡辺厚子さんの戒告・減給・停職処分撤回を求めるー『ホットトーク』(144号)」にも、詳細な解説が掲載されている。

東京・教育の自由裁判をすすめる会国際人権プロジェクトチームは、2008年の第5回審査以来、日本における人権侵害として東京都の「日の丸・君が代」強制問題に関し日本政府報告に対するカウンターレポートを提出してきました。

第6回審査(2014年)では、「国旗・国歌」強制問題がはじめて委員会から日本政府への質問事項(リスト・オブ・イシュー)で取り上げられ、審査後の最終見解では、「思想・良心および表現の自由の制約は、規約に規定された厳しい条件を満たさない限り課してはならない」という主旨の勧告を得ました。しかし、都や各省庁はこれを一般的な勧告であるとして、私たちの要請に真摯に向きおうとはしません。

国連自由権規約委員会が「10・23通達」と明記して日本政府に回答を求める!~今回の画期的成果

あれから3年。第7回審査に向けての動きが始まっています。私たちは更に具体的な文言を含む勧告の獲得を目指して、7月にレポートを提出しました。そして、11月24日に発表されたリスト・オブ・イシューでは、第6回よりもはっきりした形で再びこの問題が取り上げられたのです。

第6回では一つのパラグラフで「公共の福祉」概念による人権制約と私たちの問題が一緒に取り上げられたました。しかし、今回はそれぞれ独立したパラグラフで取り上げられており、パラ26は「10・23通達」という言葉を明記しての質問となっています。これは画期的なことです。

政府は1年以内にこれに回答しなければなりません。私たちはその回答に対してまたカウンターレポートを提出し、具体的な勧告を獲得するまで取り組みを続けます。

<東京・教育の自由裁判をすすめる会、国際人権プロジェクトチームによる仮訳>

List of Issues Prior to submission of the seventh periodic report of Japan
(第7回日本定期報告に対する事前優先課題リスト)  未編集版・2017年11月24日

思想、良心および宗教的信念の自由、および表現の自由(規約第2、18、19、および25条)

《パラ23》 前回の総括所見(パラ22)に関連して、「公共の福祉」というあいまいで無制限な概念を明確化し、自由権規約18条および19条それぞれの第3項が許容する限定的な制約を超えて、思想、良心、および宗教の自由、または表現の自由への権利を制約することがない事を確保するために講じられた対策について、ご報告願いたい。

《パラ26》 2003年に東京都教育委員会によって発出された「10・23通達」を教員や生徒に対して実施するためにとられた措置の自由権規約との適合性に関して、儀式において生徒を起立させるために物理的な力が用いられており、また教員に対しては経済的制裁が加えられているという申し立てを含めて、ご説明願いたい。

原文
Freedom of thought, conscience and religious belief and freedom of expression (a
rts. 2, 18,19 and 25 )

23.  In reference to the previous concluding observations (para. 22), please rep
ort on steps taken to clarify the vague and open-ended concept of “public welfa
re” and to ensure that it does not lead to restrictions on the rights to freed
om of thought, conscience and religion or freedom of expression beyond the narr
ow restrictions permitted in paragraph 3 of articles 18 and 19 of the Covenant.

26.  Please explain the compatibility with the Covenant of measures taken to enf
orce against teachers and students Directive 10.23 issued by the Tokyo Board of
Education in 2003, including alleged application of force to compel students to
stand in ceremonies and financial sanctions against teachers.

文書は以下のサイト ↓
http://tbinternet.ohchr.org/Treaties/CCPR/Shared%20Documents/JPN/INT_CCPR_LIP_JP
N_29588_E.pdf

ここまで事態を動かしてきた原告の皆さんの行動力に惜しみない敬意を払いつつ、ぜひともの成果を期待したい。最高裁のハードルよりも、国連人権委員会の方が低いかも知れないのだから。
(2017年12月26日)

無知と偏見にもとづく「沖縄差別NO!」の声を。そして「安倍政権NO!」の声も。

この社会に理不尽な差別が絶えない。新たな差別が生み出されてもいる。部落や在日に対する差別に加えて、どうやら「沖縄差別」「沖縄ヘイト」というものが存在するらしい。このような差別を許していることを恥ずかしいとも、腹ただしいとも思う。

差別は、社会のマジョリティがつくり出す。権力の煽動と結び付くことで、差別は深刻化し、痛みを伴うものとなる。マジョリティの周辺部に位置する弱者が、「無知と偏見」によって煽動に乗じられることとなる。軽挙妄動して差別の行動に走るのは、より弱い立場にある被差別者に、安全な位置から差別感情を吐露する者。こうしてカタルシスを得ようとする「無知と偏見」に彩られた者たちなのだ。

権力やマジョリティの中枢に位置するエスタブリッシュメントは「無知と偏見」を助長することによって、自ら手を汚すことなくヘイトに走る者を利用するのだ。

いま、「無知と偏見」の輩が、沖縄ヘイトに走っている。本日(12月25日)付毎日の朝刊一面トップ記事が、「米軍ヘリ窓落下被害小学校に続く中傷」の大見出し。「のぞく沖縄差別」と続く。

12月13日米軍ヘリが普天間第二小学校の校庭に窓を落下させて以来、米軍への抗議ではなく、小学校や普天間市教委に抗議の電話が続いているという。「文句言うな…」「やらせだ」「自作自演だ」など…。

毎日新聞はよくぞトップ記事としてこのことを書いた。全国紙がこれだけの扱いをしたことそれ自体のインパクトが大きい。

リードは、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する市立普天間第二小学校への米軍ヘリの窓落下事故で、同校などに『学校を後から建てたくせに文句を言うな』といった抗議電話が続いている。第二小の歴史を踏まえ、差別意識ものぞく抗議の背景を考えた。」というもの。事実関係は、今さら繰り返すまでもない。

この件については、朝日の報道が先行している。恐るべき中傷の内容だ。
「市教委によると、中傷電話は事故翌日の14日が13件と最も多く、その後も1日2~3件ある。米軍が窓を落としたことを認めているにもかかわらず、『事故はやらせではないか』などと中傷する内容もあった。東京在住と説明した男性は『沖縄は基地で生活している。ヘリから物が落ちて、子供に何かあっても仕方ないじゃないか』と言ったという。

18日には、謝罪に訪れた米軍大佐が『最大限、学校上空は飛ばない』と告げたことに、喜屋武悦子校長が『最大限ではなく、とにかく飛ばないでほしい』と反発し、文書での回答を求めたが、これに対しても『校長のコメントは何だ。沖縄人は戦闘機とともに生きる道を選んだのだろう』と批判する電話があった。」

この報道を踏まえて、12月22日朝日は、「沖縄への中傷 苦難の歴史に理解欠く」という社説を掲載した。
冒頭に、「沖縄の長い苦難の歩みと、いまなお直面する厳しい現実への理解を欠いた、あるまじき言動だ。強い憤りを覚える。」と珍しく感情を露わにした。

「後から学校を造ったくせに文句を言うな」「沖縄は基地で生活している」。事実を正しく把握しないまま、学校側をののしるものもあるという。

「中傷電話が『無知と偏見』によるものであるのは明らかだ。日々の騒音や墜落への恐怖に加え、心ない日本国民から『二次被害』まで受ける。あまりに理不尽な仕打ちではないか。」

「今回だけではない。オスプレイの配備撤回を求めて沖縄の全市町村長らが東京・銀座をデモ行進したとき、『売国奴』との罵声が飛んだ。ヘリパッド建設工事に抗議する住民を、大阪府警の機動隊員は『土人』とさげすんだ。沖縄差別というべき振る舞いが後を絶たない。」

「嘆かわしいのは、本土の政治家らの認識と対応である。防衛政務官が沖縄の基地負担は重くない旨のうその数字を流す(13年)。自民党若手議員の会合で、普天間飛行場の成立過程について間違った発言がまかり通る(15年)。沖縄担当相が土人発言を批判せず、あいまいな態度をとる(16年)――。
誹謗中傷を許さず、正しい情報を発信して偏見の除去に努めるのは、政治を担う者、とりわけ政府・与党の重い責任である。肝に銘じてもらいたい。」

まったく同感。「無知と偏見」に凝り固まった「政府・与党の走狗」たちの迷妄を啓くことは、容易ならざる難事なのだ。

ところで、本日の毎日の記事は社会的背景を考えさせる4名のコメントを付している。

まず、翁長知事。
「翁長雄志知事は21日、『目の前で落ちたものまで「自作自演」だと来る。それ自体が今までにない社会現象だ』と語った。」

次いで、沖縄現地の政治学者。
「中傷の背景に何があるのか。沖縄国際大の佐藤学教授(政治学)は『基地集中を中国の脅威で正当化する誤った正義感がある。一度デマが広がると、事実を提示しても届かない』と話す。」

そして江川昭子さん。
「ジャーナリストの江川紹子氏も『政権に一体感を覚える人には、飛行反対は現政権にたてつく行為と映るのだろう』と指摘する。」

最後が、安田浩一さん。
「2013年、東京・銀座でのオスプレイ反対デモは『非国民』との罵声を浴び、昨年には沖縄県東村でヘリパッド移設に反対する住民に大阪府警の機動隊員が『土人』と言い放った。差別問題に詳しいジャーナリストの安田浩一氏は「沖縄が悪質なデマ、『沖縄ヘイト』の標的になっている。それを日本社会全体の問題として議論すべきだ」と語った。」

全員が、社会現象として「沖縄差別」を論じている。「無知と偏見」の輩が、現政権に煽られ、現政権にたてつく者に対する攻撃を行っているのだ。「無知と偏見」の輩には確信がある。安倍政権と米軍に味方する自分こそが、この社会の多数派で、政権と米軍に楯突く不届き者を懲らしめてもよいのだ、という確信。強者にへつらうイジメの心理である。そのイジメの心理の蔓延が、社会現象としての「沖縄差別」を形成している。

この沖縄差別に象徴される今の社会が安倍晋三を政権に押し出し、また政権に就いた安倍が差別を助長し利用している。DHCテレビが制作し、DHCが提供のテレビ番組「ニュース女子」も在日差別と沖縄差別に充ち満ちたフェイク番組だった。これも、在日や沖縄を攻撃しても安全という、イジメの構造が生み出したものだ。

沖縄差別は、安倍政権と同じく、日本社会の病理が生み出したものだ。あらゆる差別とともに、安倍政権も一掃しなければならない。イジメは加害者と被害者だけで成立するのではない。これを見て見ぬふりをする多くの傍観者の存在が不可欠なのだ。本土の私たちが、そのような消極的加害者であってはならない。「沖縄差別NO!」の大きな声をあげよう。そして、「安倍政権NO!」の声も。
(2017年12月25日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2017. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.