(2024年4月30日)
新聞とネットで拝見する限りだが、NHKの朝ドラ「虎に翼」の好評が続いているようだ。結構なことである。だが、喜べないこともある。このドラマがとんでもない反動裁判官の実像隠蔽や美化になりかねないことだ。ドラマと史実を混同してはならないという当然の警告が必要であって、今後何度もこの点を繰り返さねばならないことになろうかと思う。
このドラマに、桂場等一郎なる人物が出てくる。このドラマのある紹介記事では統一郎という私の同名となっており、なんとなくその人物像に親しみを感じてしまいそう。これがくせもの。くわせもの。
桂場等一郎は、このドラマの第1話から登場するのだという。戦後、新憲法制定の直後に、主人公猪爪寅子が「憲法14条に基づき、女性にも裁判官任官の道が拓けた」と考えて、当時の司法省に採用願いを提出する。その際の面談の相手となった人事課長が桂場等一郎。つまり、人事行政を行う官僚としての裁判官という立場。これが、ドラマではモノの分かった好人物に描かれている模様なのだ。
この桂場等一郎のモデルが、石田和外と聞いて驚いた。石田和外とは、本来がパージとなるべき戦前の亡霊のごとき思想判事だったが、戦後典型的な司法官僚として出世し5代目の最高裁長官となった男。疑う余地とてなき反動として知られた人物である。
任期中に名を馳せたのは、民主的な若手裁判官の自主的集団であった青年法律家協会裁判官部会を弾圧したこと。当時は、ブルーパージと呼ばれた。その高圧的な姿勢に接して、私は反権力に生きることを決めた。私にとっての、忘れることのできない憎むべき「反面教師」である。
定年退官後は「英霊にこたえる会」の初代会長となった。さらに「元号法制化実現国民会議」の議長ともなる。これが、「日本を守る国民会議」に改称し、現在の「日本会議」となっている。右翼の親玉となった元最高裁長官なのだ。
寅子のモデルである三淵嘉子(当時は和田姓)が新憲法制定後に、任官資格が「大日本帝国男子に限る」とされていた裁判官の採用願いを提出したこと、当時の司法省人事課長が石田和外だったことはおそらく史実なのだろう。しかし、石田の姿勢がどうだったかは分からない。桂場等一郎の人物像は、飽くまでドラマでの設定に過ぎない。
現在ドラマでは、寅子の父が大規模な疑獄に巻き込まれて逮捕され起訴されるという大事件に遭遇している。この疑獄のモデルが帝人(帝国人造絹絲)事件で、政争に絡んだでっち上げとして知られた事件。16名の被告人全員が一審無罪で、検事控訴なく確定している。その無罪の判決書を左陪席として起案したのが石田和外。
ハテ? 三淵嘉子の父の経歴には逮捕も起訴もないというから、ドラマはことさらに桂場等一郎の出番を作ったことになる。おそらくは、これから等一郎裁判官の善玉としての活躍を描くことになるのだろうが、この等一郎の美化には、警戒を要する。ドラマの等一郎の美化が、右翼反動の石田和外美化につながりかねないのだから。「寅に翼」全面礼賛というわけにはまいらぬ。
(2024年4月26日)
宮沢博行という衆議院議員が議員バッジを外して辞職願を申し出、昨日(4月25日)の衆議院本会議で許可となった。この辞職は、週刊文春に「妻子がありながら別の女性と金銭的援助を伴う同居をしていた」と報じられてのこと。これをメディアは、「パパ活辞任」と言っている。自民党全体が裏金まみれの疑惑を抱えているこの時期の「パパ活」スキャンダルとして目を惹かざるを得ない。
この人、コロナ禍の緊急事態宣言下での「パパ活」同棲の事実があったことを認め、さらにコロナ禍が明けると出会い系サイトに「ひろゆき 49歳 東京都 自営業」のプロフィールで登録して露骨な書き込みで女性を物色していことも認めた。デリヘル嬢が連夜宮澤の自宅を訪ねている写真も掲載されたという。
ハテ? 既視感のある報道ではないか。2023年8月の「週刊文春」に踊ったタイトルが「オレはエッチをガマンできない」「木原誠二官房副長官は違法風俗の常連だった!」というもの。木原は「ナカキタ」という偽名を名乗って違法デリヘル(事実上の売春)に浸っていた。文春記者が木原氏の写真を見せたところ、複数のデリヘル嬢が「接客したことがある」と認めたという。
その一人の証言が、木原の「世の中、コロナ下なんだけど、俺はエッチを我慢できないからさぁ」(同誌2023年8月10日号)
さすが、同窓の先輩。宮沢博行に比較して、みっともなさでは、木原誠二に一日の長がある。先輩と比較すれば、宮沢の醜行ぶりも、その規模イマイチというところ。しかも、宮沢には木原のように権力を振りかざして捜査に介入などという悪質さにも欠ける。
にもかかわらず、宮沢は辞職を余儀なくされ、木原は議員として生き延び今なお党の要職に就いてさえいる。この差はどうしてなのだろうか。
私が宮沢博行という政治家の存在を知ったのは、一連の裏金問題が話題となって以来のこと。2023年に防衛副大臣に就任するも、安倍派による組織的な裏金作りが発覚して副大臣を辞任。2023年12月、政治資金パーティーのキックバックに関して以下のように公然と派閥幹部を批判して注目を集めた。
「派閥の方から、かつて収支報告書に記載しなくて良いと指示がございました。3年間で140万円(その後の党の調査で132万円と判明)です。はっきり申し上げます。しゃべるな! しゃべるな! これですよ」
さらに、2024年1月には、「清和政策研究会(安倍派)は、解散すべきである。わたしは派閥に残り、派閥を介錯(かいしゃく)する。安倍派を介錯する」と安倍派の解散を求める声を上げていた。
党や派閥の幹部の不興を買うことを覚悟しての発言だが、悲しいかな、彼には有力な庇護者がいなかった。確証はないが、スキャンダル報道の情報源にもその辺の事情が絡んでいて実は潰されたのかも知れない。一方、自民党の木原誠二・幹事長代理は、よろけつつも命脈を保っている岸田首相の側近として知られる。この差は大きい。
ところで、宮沢も木原も、同じ自民党議員で東大法学部の卒業。宮沢が97年卒で、木原は4年先輩の93年だという。だから、何と言えるだろうか。
「東大法卒の品性とは、こんなみっともないもの」「東大出ってホントにみっともないやつばかり」「政治家の一皮剥いた本性をあらわしている」「自民党議員のレベルはこの程度」「男なんてみんなこんなもの」
少ないサンプル数で全体を決めつけることは間違いだが、このような印象は拭えない。少なくとも、「東大法卒だから品性立派とは限らない」「みっともない東大出も珍しくはない」「一皮剥いたらこんな本性の政治家もいる」「自民党にはこんな低レベルの議員も複数いる」「こんな男性も少なくない」とは言えるのだ。選挙では、人物をよく見極めよう。もうすぐ衆院議員の補選だし、都知事選も近い。
(2024年4月21日)
既に初夏、ツツジが美しく、今日初めて鯉のぼりを見た。上野公園では何台かの神輿が練っていた。6月20日の都知事選告示まであと2か月、投開票は7月7日。この時期に至ってなお、有力候補の出馬表明はまだない。
いまだに革新側の候補者の名が上がらない。いったいどうしたことだろうか。候補者選定のまずさと準備の不足から、目も当てられない都知事選が繰り返されてきた。今回もこの時期に候補者すら決まらないのでは絶望せざるを得ない。そう思っていたら、突然状況が変わった。今回こそはチャンスなのだ。何とかこのチャンスを活かせないか、希望をつなぎたい。
衆院補選(東京15区)への出馬の噂があった小池百合子だが、同補選には乙武洋匡を立候補させたとき以来、小池百合子の都知事三選出馬は確実で当選も間違いなかろうと言われてきた。今、その事態が大きく揺れている。小池百合子は、はたして都知事選に立候補できるだろうか。仮に立候補したとして、当選できるだろうか。状況を大きく変えたのは、小池百合子の学歴詐称問題の再燃である。もちろん、小池自身の身から出たサビ。
人間、ウソはよろしくない。見栄のための小さなウソが、引っ込みつかずに大きなウソを重ねなくてはならない羽目となる。小池百合子の学歴詐称がその最悪のお手本。普通人の感覚からは本人もさぞ苦しかろうと思うのだが、あの顔を見ていると案外そうでもないのかも知れない。かつては、「ウソつきは安倍のはじまり」と言われ続けてきたが、今や、「ウソつきは小池のはじまり」「ウソにウソが重なる小池のウソ」「終わりの見えない小池のウソ」と言わねばならない。安倍も小池もウソをついて平然としておられるのは、天性の資質なのだろう。
これまで、黒木亮、石井妙子、北原百代等々の関係者や取材者、あるいはアラビヤ語の達者からの解説で、小池百合子主張のカイロ大学卒業は真っ赤なウソと納得してきた。それに加えての、この度の小島敏郎告発である。同氏は小池百合子の側近であったとされる。事実、東京都の特別顧問であり、都民ファーストの会東京都議団政務調査会事務総長の肩書も持っていた。その人物が、小池の経歴詐称と隠蔽工作を天下に公言している。
小島敏郎の説明は立証として完璧なものではないにせよ、具体的で関係者の実名も出している。もし虚偽なら直ちに反論可能な内容だが、これを虚偽と反論する関係者はいない。樋口高顕千代田区長がその典型。小池と一緒に反論するのではなく、逃げ回っているのだという。以下は、文春オンライン 4/17(水) 16:12配信の記事である。
月刊「文藝春秋」5月号に掲載された「『私は学歴詐称工作に加担してしまった』小池百合子都知事元側近の爆弾告発」。この手記の中で学歴詐称工作に加担した一人と名指しされる現千代田区長の樋口高顕氏(41)が、月刊「文藝春秋」の発売日である4月10日から12日まで区役所に登庁せず、13日の公務をドタキャンするなど、行方不明となっていたことが「週刊文春」の取材で分かった。
今や小池百合子の学歴詐称は、万人の常識となっている。誰もが、内心では小池百合子をウソつきと認めている。しかし、実は彼女のカイロ大学卒業という経歴の真否はさほどの重要事ではない。問題は、このウソを突き通すために、際限なくウソにウソを重ねていく彼女のやりくちである。これでは、政治家としての彼女の言動のすべてを疑わざるを得ない。ウソつきは政治家失格だが、とりわけ民主主義社会においては、ウソつきと烙印を押された政治家の政治生命は終わったも同然である。
さて、夏の深まりとともに、小池百合子の正念場が近づきつつある。もし、小池が政治家人生を継続するつもりなら、都知事選の告示日である6月20日には立候補を届けなければならない。その際に、「カイロ大学卒業」の経歴にこだわり続けるのか、それともきれいさっぱり清算するのか。ここがロードスだ、さあ跳べ。だが、どう跳ぶべきだろうか。
無難なのは、学歴として「関西学院大学社会学部中退」、あるいは「カイロ大学中退」と記載すること。こうすれば、選挙犯罪として立件されることはなくなる。しかしそれでは、これまでウソをついてきたことを自ら認めることになる。刑事訴追は避けられても、政治家としては致命傷だ。自ら墓穴を掘ることになる。
さりとて、立候補届に「カイロ大学卒業」と書き込めば、確実に公職選挙法上の経歴詐称として刑事告発されることになる。そうなれば、あの怪しい「卒業証書」(アラビヤ語の表題は「証明書」に過ぎず、「卒業の証明」にはなっていないそうだが)も押収され徹底的に実況検分されることにもなり、口先だけでごまかし通すことはできなくなる。小池百合子よ、さあ、どうする。さあ、さあ、さあ、さあ。
公職選挙法235条1項は、(虚偽事項の公表罪)として、「当選を得…る目的をもつて公職の候補者…の身分、職業若しくは経歴、その者の政党その他の団体への所属、…に関し虚偽の事項を公にした者は、2年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する」と定める。
小池自身が、「当選を得る目的をもって、経歴に関し虚偽の事項を公にした」場合は、「2年以下の禁錮または30万円以下の罰金」に処せられる。のみならず、有罪が確定すれば、公民権停止ともなる。仮に当選しても、議席を失うことにならざるを得ない。政治家人生の終焉というべきであろう。
なお、黒木亮、石井妙子、北原百代、そして小島敏郎の各言論は、明らかに小池百合子の社会的評価を根底から損なう名誉毀損表現となっている。カイロ大学卒業の学歴が真実であれば、小池百合子は直ちに名誉毀損での刑事告訴をするか、民事的な損害賠償請求の提訴をすべきである。これだけのことを言われっぱなしで、何の法的措置もとらないのは、不自然極まりない。もちろん、「カイロ大学卒業が真実であるとすれぱ」という仮定の話ではあるが。
ちなみに、名誉毀損の提訴は、実に簡単だ。訴状を書き上げるのに半日はかからない。他方、被告とされた側の応訴は実務的に面倒限りない。真実性あるいは真実相当性を主張立証しなければならないのだから。そのゆえに、かつては武富士が名誉毀損訴訟を濫発した。10年ほどを経てDHC・吉田嘉明がこれを真似た。いずれも、スラップ専門弁護士の積極的助力あってのことである。今、猪瀬直樹や松本人志が同様の提訴している。弁護士としてこういう訴訟を引き受けるのは楽な仕事なのだ。小池が提訴を躊躇する理由はない。提訴依頼を引き受ける弁護士探しに困難もなかろう。それでも、提訴を躊躇しているのは、訴訟での審理の結果、却って学歴詐称が立証されかねないと恐れているからと憶測するしかない。
(2024年4月20日)
昨日のこと、「大阪・関西万博のミャクミャク像損壊容疑で書類送検」というニュースが話題となった。その話題性は、大阪・関西万博の悪評ゆえのもの。
税金の無駄遣いとして悪評高く、不人気極まる「大阪・関西万博」の公式キャラクターが、あの不気味な「ミャクミャク」。その巨大なモニュメントが、大阪市役所入り口に置かれている。寝そべった姿ながら、台座を含めて幅4メートル、高さ2.5メートル、奥行きは2メートル、重さ約1トンの強化プラスチック製の代物で昨年12月に設置したものだという。
3月13日の未明、この像の顔部が何者かにぶん殴られて幾つかの傷が付けられた。被害額(修理費用)は33万円ほどだとという。府市合同で作られている万博推進局が被害届を出し、器物損壊として大阪府警(天満署)が捜査に乗りだした。誰もが、万博の開催を快しとしない人物の犯行と考えた。
このモニュメントは、盛り上がらない万博開催に、何とか機運を盛り上げようと、市庁舎の正面玄関前に設置されたもの。それが損壊された。傷付けられたのは、単なる強化プラスチック製のモニュメントではなく、万博に向けた機運でもあった。
損壊発見当時、大阪府の吉村洋文知事は自身のXに《ミャクミャクのモニュメント(市役所前)が何者かによって破損されました。どんな理由があったとしても、これは暴力行為であり、犯罪行為です。許されるものではありません。残念です》と書き込んでいる。「どんな理由があったとしても」という一文は、万博推進に反対の意思表示としての損壊行為と考えてのこと。おそらくは、思い当たることが多々あるのだろう。横山英幸市長も報道陣に《非常に残念。警察と連携して厳正に対処していきたい》と述べている。両者のコメントに共通するのは、《残念》の思いである。
この事件、3月25日に被疑者が出頭し、昨日(4月19日)の書類送検となった。報道では、被疑者は「大阪府寝屋川市の病院職員の男性(45)」とされている。
天満署の発表では、この男性は近くにあった鉄製看板(高さ約115センチ、幅約28センチ)を何回もたたきつけて、ミャクミャク像の「顔」の部分を損壊したとされている。立て看板も御難だが、ミャクミャクへの怨恨も相当なものと印象をもたざるを得ない。顔を殴りつけているのだ。
関心は犯行の動機に集まる。どの報道も、「酒を飲んで酔い、終電を逃してイライラしていた。ミャクミャクを傷つけて発散しようと思った」と被疑者本人が述べているとしている。天満署が発表した以上の報道は見当たらない。被疑者の出頭は弁護士にともなわれてのことで供述は当たり障りのない内容になっているが、ハテ? なぜ八つ当たりの対象がミャクミャクであったのか、なにゆえかくも盛大にほかならぬミャクミャクの顔をぶん殴る気分となったのか、興味を禁じえない。
「飲酒を過ごして終電を逃し、そのためイライラした」だけならよく分かる。が、それゆえになぜ、ミャクミャクをぶん殴りたくなったのだろうか。日頃からミャクミャクを快く思っていなかったのではなかろうか、あるいは寝そべって人を小馬鹿にしたミャクミャクの「表情」にカッとしたのだろうか。もしかしたら、維新や大阪府市の万博推進に確信的な反対意見があって、酔余の行動に表れたのかも知れない。
器物損壊は微罪である。自ら出頭しており、示談もできているだろう。送検した天満署は、区検に対して起訴を求める「厳重処分」の意見を付けたそうだが、起訴猶予になることはほぼ間違いなく、これ以上の報道もなかろう。それでも、ミャクミャクに対する思いは本人に聞いてみたいところ。
ところで、世にマスコットキャラクターは数多あるが、ミャクミャクほど評判の悪いものはあるまい。まず、一見して不気味である。異形の妖怪にも愛敬のあるキャラクターは多い。しかしなにゆえにか、ミャクミャクは徹頭徹尾薄気味が悪いばかり。なるほど、維新の不気味さ、薄気味の悪さを体現するものと考えれば納得はできよう。
ミャクミャクの不気味さの根源は、まずあの眼の数である。哺乳類も鳥類も爬虫類も、そして恐竜だって眼は二つ。どこを見ているのか見当がつく。それ以上の数の眼には馴染みようがない。いったいどこを見ているのやら、何を考えているのやら、つかみどころなく、さっぱり分からない。ここが気味の悪さの原因であろう。維新もどこを向いて、何を見、何を考えているのか分かりようがない。ミャクミャクの不気味と維新の気味悪さは重なっているのだ。
ミャクミャクを不気味とする感性は、私だけでのものではない。以下は、ネットで拾った声の数々。
「大阪・関西万博」の公式キャラクターデザインの最終候補作品が「怖い」「気持ち悪い」「パクリ?」「グロい」と話題になっています。
「万博のミャクミャクは気持ち悪い。妖怪大戦争のどこかに潜んでいそうな感じしかない。良さが全く分からない。」
「犯罪レベルの気持ち悪さ」大阪万博「ミャクミャクのしずく」キャンペーン開催も「不気味ポスター」に非難轟々
不気味すぎて無理…「ミャクミャクのしずく」キャンペーンのポスター《「ミャクミャクのしずく」完全に動脈と静脈から吹き出る血が気持ち悪い》
《…す、すごいセンスのポスターだなぁ…。箱の中に体液と眼球を入れといたら腐敗し、腐敗ガスで蓋が開いて飛び散ったみたいな図になってる。しかもグッズが「ミャクミャクのしずく」って、その腐敗体液のしずくだろうか。大阪万博って何から何まで何がしたいんだ》
《万博ロゴやミャクミャクに嫌悪感を抱く人は少なくない。特に『ミャクミャクのしずく』は犯罪レベルの気持ち悪さ。一瞥しただけでPTSDを患いそうだ。開幕が近づくにつれ、万博ハラスメントが増長しないか不安だ》
東京五輪・パラリンピックの図柄入りナンバープレートに比べ、万博特別仕様は圧倒的に不人気。ミャクミャクをイメージした白地に赤い水玉のデザインに、SNSで《血しぶき飛んだみたい》と批判的な声が多く上がっていた。
「2025年大阪・関西万博」開催まで1年を切り、「機運盛り上げ」が目立つようになってきたが、国民からは「ミャクミャクまみれ」に食傷気味の声があがっているようだ。
「万博さんも、盛り上げようというのはようわかりますけど、大阪は地下鉄も在来線も新幹線もバスも、ミャクミャクだらけ。言ってはなんですけど、『もうええわ』です」
《集合体苦手(蓮とか)な人には、この万博ミャクミャクの周りにある、ブツブツした発疹みたいなデザイン、きつい》《飛行機もミャクミャクしてんのかよ》《大阪まで行けない新幹線に大阪万博のラッピングとは》
海外の方の声をご紹介させていただきます。《人形にすると子供たちは泣く》《これは核放射線によって作られたものなのか》と言う人もいます。
ミャクミャクに罪はなけれどもこの評価。なんともはや。
(2024年4月13日)
4月1日から始まったNHK朝ドラ「虎に翼」が大きな話題になっている。法曹関係者やジェンダーに関心のある向きにだけではなく、多くの視聴者の好意的な評価を得て、視聴率も好調だという。私は一切テレビを観ないのだが、何人もの友人から「面白い」「お勧め」と声をかけられた。女性として日本で最初の弁護士となり裁判官ともなったのが三淵嘉子。その人をモデルにした主人公の学生時代を描いた筋立ては、ほぼネットでつかんだ。
本日の毎日新聞夕刊5面(芸能)が、大きく紙面を割いて「『虎に翼』に飛躍の予感 『はて?』が導く分かりやすさ」と見出しを付けた担当記者座談会。絶賛に近い評価と言ってよい。20代、30代、40代の各芸能記者が、声をそろえて、分かり易く楽しく面白いと強調して共感している。時宜を得た、幸運なドラマである。主人公寅子が、理不尽な場面で発する「ハテ?」は、早くも今年の流行語大賞候補とも何度も聞かされた。
もう30年も前のこと。教科書問題に取り組んでいる弁護士から、「今、教科書作りでの保守と革新のせめぎ合いの主たる舞台は、歴史でも公民でもない。実は家庭科なのだ」と聞かされたことがある。
父と母がそろった家庭、夫婦の性別役割分担が安定的に固定している家庭像が、保守陣営と文科省のお望みの家庭なのだという。家庭科教科書には、そのような押しつけが厳しく、挿絵や写真はそんな家庭像ばかり。未婚の母や、離婚した夫婦を前提の家族が肯定的に描かれることはあり得ないのだとか。
現在なお、「2025年度から中学校で使われる教科書の検定」において、「家庭科の教科書を申請した全3社が、家族のあり方や多様性について考えさせる記述を盛り込んだ。一方、文科省は「学習指導要領が示す内容に照らして、扱いが不適切である」として、いずれも修正を求める「検定意見」をつけた。「同性カップルなど多様化する家族の形を紹介した記述が「不適切」と指摘され、教科書が同時代を描く難しさも浮き彫りとなった」(「毎日」)と報じられている。
かつては、家父長制が社会構造における最も基底的な秩序維持の単位であった。個人の尊厳よりは社会秩序の安定を優先する体制派の思考からは、家父長制の秩序崩壊は即ち社会秩序の崩壊を意味する。社会総体の秩序とは、いうまでもなく天皇を頂点とする国体を意味する。家父長制が下から国体を支え、国体が上から家父長制を擁護してきたのだ。
そして今なお、保守派の家父長制への親和性が高い。国体的な社会構造へのノスタルジーが確実に強く存在している。差別に慣れ、秩序を受け容れる民衆こそが、権力に好都合な望ましい被支配層であるからだ。そんな中での、家父長制への抵抗ドラマ「虎に翼」の企画はグッドジョブであり、その視聴率好調はグッドニュースである。
本日の「毎日」夕刊5面には、記者座談会と併せて、ペリー荻野(コラムニスト)の「NHK朝ドラ『虎に翼』 長い『語り』にはワケがある」という一文が掲載されている。「女性が意見を言えない環境で、主人公の心情を伝える語りの多さは必然なのだ」という趣旨。そうなのかどうかはさて措き、この人も寅子に感情移入している。
そのコラムの最後が、「これから寅子は、数々の困難に立ち向かうはずだ。その姿を見守り、応援したいと思う。そして、さまざまな妨害に遭う女子部の仲間や、当時、無数にいたであろう『寅子になれなかった女性たち』のことも思う。令和の今、『寅子になれなかった女性』は皆無になったのか? 答えられないもどかしさも忘れないようにしながら。」と結ばれている。この指摘、大切な視点だと思う。
「寅子と志を同じくしながら寅子になれなかった女性たち」は、戦前だけのことではなく、今なお、数多くいる。東京大学の今年度の新入生計3126人のうち、男性は2480人であるのに対し、女性は2割の646人だという。これが、今なお残るジェンダーギャップの現実である。これを踏まえて、同大の入学式における学長式辞は、こう述べている。
「東京大学の入学者の性別には、大きな偏りがあります。そして、その偏りは文科よりも理科でさらに大きくなっています。その基礎には、そもそも受験する女性が少ないという状況もあります。東京大学が、女性のみなさんをはじめ多様な学生が魅力を感じる大学であるか、多様な学生を迎え入れる環境となっているかについても、問わなければなりません。」
なお、「寅子」の命名は、「五黄の寅」の年(1914年)の生まれからだとされている。実は、私の亡父も同年の1月1日生まれである。当時の旧制中学を卒業後に進学を希望しながら、経済的事情で叶わずに株屋に就職せざるを得なかった。その目からは寅子の境遇と進学は羨ましい限り。父の就業先は不景気で倒産。ようやく盛岡市の吏員として職を得たが、2度の陸軍への徴兵と海軍への徴用。終戦時は30代で、就学の機会を得なかった。「何ものかになろうとしてなれなかった多くの男性たち」もいたのだ。人の志を潰す構造的差別は性別だけでなく、貧富の格差でもあった。
また、一言しておきたい。「令和の今」という、筆者の何げない一言。私には大きく引っかかって違和感を禁じえない。時代を表す言葉として、どうして天皇と関連の「令和」なのだろうか。女性差別も家父長制も、天皇制を支え天皇制に支えられてきた。無数の小さな家父長の権力と権威の上に、大きな天皇の権力と権威が築かれていた。その天皇制を国民生活に刷り込もうという明治政府新発明の小道具が、一世一元の元号だった。女性差別の非を論じるコラムに「令和の今」は、あまりに不用意と言わざるを得ない。日本社会の構造的差別の根源にあるのものが天皇制である。無意識にもせよ令和を使うことは、守旧派の術中に陥っていることではないか。
ついでにもう一言。ドラマの中で、寅子が、同級生から「法律とは何かもわかっていないくせに」と言われて、「法律とは、私たちが守らなければいけない規則」と答える場面がある。ハテ? この回答にはシラける。法が差別を強制しているときに、「法律とは、私たちが守らなければいけない規則」と言ってしまえば、差別を容認することではないか。それでは法は役に立たないし、法を学ぶ意味はない。法を克服する対象として学ぶ姿勢がなければ、寅子が法律家を目指すはずはない。
きっとこれから、寅子は抵抗者として法を見、法を武器に差別と闘う姿勢を学びとっていくことになるのだろう。
(2024年3月31日)
明日、靖国神社の宮司が交代する。新任の宮司は、自衛隊元海将の大塚海夫。元自衛隊幹部が靖国のトップに就任することの意味は小さくない。なお、10人いる崇敬者総代のうち、2人が自衛隊幕僚長級の元幹部だという。このところ、自衛隊の集団参拝も報じられている。靖国と自衛隊。相寄る魂のごとくであるが、元来が禁じられた仲なのだ。
今年2月発行の靖国神社「社報」に大塚新宮司の寄稿が掲載されているという。この人は現職の自衛官時代に靖国神社奉賛会に入会しており、「国防という点で英霊の御心を最も理解できるはずの我々こそが」「その思いを受け継ぎ、日本の平和のために尽力すべき」と述べているそうだ。この新宮司の発言、これは危ない。
靖国は、天皇のために命を捨てた皇軍の将兵を、天皇への忠誠故に顕彰する目的で、天皇の発意によって創建された宗教的軍事施設である。当初は内戦における天皇軍の戦死者を祀り、内戦が終わってからは対外的侵略戦争の戦死者を護国の神として祀る神社と性格を変えた。皇軍の戦死者は天皇の勅によって祭神となって合祀される。合祀の儀式である臨時大祭には、大元帥としての軍服をまとった天皇が必ず親拝した。靖国の宮司は陸海軍の最高幹部が務め、その境内は陸海軍が警固した。
ことほどさように、靖国とは徹頭徹尾天皇の神社であり、軍国神社である。神社であるからには宗教施設であるが、その宗教を何と呼称するかは微妙な問題。「国家神道」という表現は分かりにい。天皇を神とも祭司ともする、「天皇教」というネーミングが分かりやすい。天皇教は、明治政府が拵えあげた新興宗教にほかならない。もちろん、鍛え抜かれたマインドコントロール手法を誇ったカルトである。
理性をもっている人間を戦争に引き込むのは難事である。その理性を捨てさせる手段の一つとしてこのカルトがつくられ、国民を洗脳して戦争に総動員した。天皇教の教団は、全国の学校に訓導(教師)という布教師を配して、こう教えた。
「おまえの命など取るに足りない。天皇に絶対随順して命を捨てることこそ臣民の道であり、永遠の大義に生きることなのだ」「つまらないおまえでも、戦地で死ねば、天皇陛下によって靖国に祀っていただく名誉に浴することができる」「靖国に祀っていただけるのだから、笑って死ね」
信者に対して、財産だけでなく命をも捨てよと求める、これこそ究極のカルトである。恐るべきは、20世紀の中葉まで、このマインドコントロールが成功したことである。こうして、240万もの将兵が戦死して靖国の英霊となった。
新宮司による前記の「靖国」への寄稿は、「国防という点で英霊の御心を最も理解できるわれわれ自衛隊員こそが、天皇のために命を捧げて英霊となった旧軍人の尊い思いを受け継ぎ、日本の平和を守るための強力な軍隊を作り国防精神を昂揚すべく力を尽くさねばならない」との誓いと読める。
軍隊でも戦力でもないはずの自衛隊が、天皇の軍隊である旧軍にかくも親近感をもち、かくも精神的な一体感をもっていたのかと、驚愕せざるを得ない。
79年前の夏、敗戦によって大日本帝国は消滅した。神権天皇も、陸海軍を統帥する大元帥としての天皇もなくなり、陸海軍も解散した。しかし、天皇制は清算されることなく残った。陸海軍の付属施設だった靖国神社も宗教法人として生き延びた。そして、さほどの時を経ることなく自衛隊が創設された。戦前の残滓の跳梁に警戒を要する事態となって、現在に至っている。
戦争の惨禍を経て、その反省の内に日本国憲法の原理に貫かれた、平和な民主主義国家が誕生した。しかし、面倒なことに、象徴天皇という異物が生き残り、宗教法人靖国神社制も残り、旧軍に似た自衛隊が誕生して、靖国と天皇、靖国と自衛隊の癒着に警戒しなければならない事態が生じているのだ。
戦前のままの精神構造をもった守旧派連中は、靖国の国家護持を求める運動を起こしたが挫折し、次に靖国神社への天皇・内閣総理大臣・国賓等の公式参拝要請運動を展開した。憲法改正運動と並ぶ、右翼・保守派の悲願となって今日に至っている。
靖国をめぐっては、永く保守とリベラルが反目を続けてきた。そして、ずいぶんの昔から、リベラルの運動体内部では、「靖国問題の本質は反戦にある。将来、戦争が近づけば靖国問題が喫緊の重要課題となる。戦死者をどう葬るべきかが浮上するからだ」と言ってきた。つまりは、ながらく「将来」の問題だった。
それが今、リアリティをもって語らなければならない事態となったということではないのか。自衛隊が戦争参加を覚悟すれば、戦死者をどのように葬り、追悼し、顕彰すべきか、その問題に直面せざるを得ないのだ。このところ急ピッチで報じられる、自衛隊と靖国との接触は、その新たな危険な事態の兆しと見なければなるまい。
(2024年3月30日)
最近まで、日本に安倍晋三という疫病神が徘徊していた。ずるくてウソつきで、極端な身贔屓で、官僚人事を壟断して「忖度政治」を横行させ、モリ・カケ・サクラ等々の諸事件を引き起こして世論の指弾を受けた…。だけではなく、日本国憲法が大嫌いで、歴史修正主義者で、統一教会との関係が深く、メディアを操縦し、日本の教育・平和・外交・防衛・人権・経済を重篤な疫病症状とし、日本の国力を徹底して殺いだ。いま、自民党内では安倍派に属していたことだけでこの上なく肩身が狭い。党内だけではない、その負のレガシーは全国のあらゆる分野におよんでいる。
たとえば、小林製薬製のサプリメント「紅麹コレステヘルプ」による深刻な被害の問題である。以前から予想された「機能性表示食品」制度の危険が現実のものとなった。これも、安倍晋三という疫病神のなせる業。
誰の目にも破綻が明らかとなったアベノミクスは、3本の矢からできていた。「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」そして、「民間投資を喚起する成長戦略」である。この第3の矢の「成長戦略」とは、なんということはない「規制緩和」の別名である。企業に課している社会的規制を取っ払って、自由に任せれば経済は成長することになるだろうという、安直きわまる発想。
「機能性表示食品」という制度も、このような発想から生み出された。国民の健康を犠牲にして、企業に利潤追求の自由を与えたものなのだ。まことに疫病神にふさわしいやりくち。
安倍晋三(当時首相)は、2013年6月の「成長戦略第3弾スピーチ」で、概要こんなことを述べている。
「私の経済政策の本丸は、三本目の矢である成長戦略です。我が国には、時代に合わない規制がまだまだ存在します。世界と比較すれば、歴然となります。企業活動の障害を、徹底的に取り除きます。
本日、規制改革会議から答申をいただきました。その主な成果を紹介しましょう。
健康食品の機能性表示を、解禁いたします。現在は、国から「トクホ」の認定を受けなければ、「強い骨をつくる」といった効果を商品に記載できません。お金も、時間も、かかります。とりわけ中小企業・小規模事業者には、チャンスが事実上閉ざされていると言ってもよいでしょう。アメリカでは、国の認定を受けていないことをしっかりと明記すれば、商品に機能性表示を行うことができます。国へは事後に届出をするだけでよいのです。」
機能性表示食品問題は、私(澤藤)にとって他人事ではない。ちょうど10年前、私は、このことをブログ「澤藤統一郎の憲法日記」に記事にして、DHCの吉田嘉明から当初2000万円の、さらには訴訟進行中に増額されて6000万円請求のスラップを仕掛けられた。その記念のブログの一部を再録しておきたい。
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 その蜜月と破綻
https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
《『ヨッシー日記』と標題した渡辺喜美のブログがある。そこに、3月31日付で「DHC会長からの借入金について」とする、興味の尽きない記事が掲載されている。興味を惹く第1点は、事件についての法的な弁明の構成。これは渡辺の人間性や政治姿勢をよく表している。(略)
興味を惹くもう1点は、政治家と大口スポンサーとの関係の醜さの露呈である。金をもらうときのスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、大旦那然としたDHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。その結論は、「吉田会長は再三にわたり『言うことを聞かないのであれば、渡辺代表の追い落としをする』、と言っておられたので今回実行に移したものと思われます。」というもの。
それにしても、渡辺や江田にとって、大口スポンサーは吉田一人だったのだろうか。たまたま吉田とは蜜月の関係が破綻して、闇に隠れていた旦那が世に名乗りをあげた。しかし、闇に隠れたままのスポンサーが数多くいるのではないか。そのような輩が、政治を動かしているのではないだろうか。
たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。
同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。
サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。
大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。
これが、おそらくは氷山の一角なのだ。》
機能性表示食品の制度は2015年に発足している。私のブログと吉田嘉明のスラップ提訴はその前年のこと。疫病神に操られ煽られた吉田嘉明や渡辺喜美の醜態と言うべきであろう。多くの人を操り煽った政権トップの罪は深い。既に死者5名と報じられている「紅麹」サプリ問題は、疫病神・安倍晋三の巨大な負のレガシーの一端に過ぎない。
(2024年3月25日)
大相撲春場所は昨日が千秋楽。荒れる春場所の幕内優勝は、青森五所川原出身の尊富士となった。新入幕力士の優勝は、両國勇治郎(その後に梶之助)以来110年ぶりのことだという。当時は江戸時代以来の年二場所制、一場所10日間だった。「一年を二十日で暮らすよい男」という川柳が生きていた時代。そして、東西対抗制でもあった。そんな「昔」以来のこと。良くは分からないが、快挙というべきなのだろう。
110年前は1914年。その年の1月1日が、私の亡父の誕生日である。存命していれば、父は110歳なのだ。相撲とも、尊富士とも、何の関係もない父ではあるが。
さて、1914年とはどんな年であったろうか。第一次大戦勃発の年としては知られているが、そのほかにはどんな出来事があっただろうかと、ウィキペディアを検索してみて驚いた。グレゴリオ暦の1914年が、その他の紀年法でどう表記されるかが、下記のとおり記されている。ウィキ恐るべしである。
干支 : 甲寅
日本(月日は一致)大正3年 皇紀2574年
中国(月日は一致)中華民国3年
朝鮮(月日は一致)檀紀4247年 主体3年
ベトナム 阮朝 : 維新7年12月6日 – 維新8年11月15日
モンゴル国 共戴3年12月6日 – 共戴4年11月15日
仏滅紀元:2456年10月5日 – 2457年10月15日
ヒジュラ暦(イスラム暦) : 1332年2月3日 – 1333年2月13日
ユダヤ暦 : 5674年4月3日 – 5675年4月14日
修正ユリウス日(MJD) : 20133 – 20497
リリウス日(LD) : 120974 – 121338
※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。
このうち、ベトナムの「維新」と、モンゴルの「共戴」は既にないようだ。もちろん、日本の「大正」もなくなっているが、後継の元号として、昭和・平成・令和がしぶとく生き残っている。「君主」死亡の度にリセットされて変わる欠陥紀年法が、110年後の今に至るまで生き残っている不可思議を嘆かざるを得ない。「大正3年」時点で、10年後も大正が続いている保証はない。いや、いつ元号が変わることになるのか、確実に明日も同じ元号が存続しているのかは、実は誰にも分からない。不便この上ない元号の使用はもう、いい加減に止めることにしようではないか。
(2024年3月24日)
資本の論理は、この世のあらゆるものを呑み込む魔力をもっている。この魔物にスポーツが呑み込まれて久しい。そして、本来は人権に仕えるべき弁護士の業務も、同様の危険に曝されている。資本主義先進国アメリカがその典型である。
大谷翔平という野球に達者で著名となった若者がいる。かつては、水沢・花巻の出身者として個人的な親近感をもって眺めていたが、資本のゲームの中での成功者となって以来は興醒めである。彼の収入と、彼を支えるファンの収入との天文学的格差は異常というしかない。彼を褒めそやす社会心理のアブノーマルの分析が必要であろう。
その大谷に、巨額ギャンブル関与の疑惑が浮上している。今、確実な情報として伝えられているのは、大谷の個人名義銀行口座からブックメーカー(賭博の胴元)への複数回の巨額の送金があって、昨秋から税務当局が捜査を行っているということ。日本と同様、カリフォルニア州ではスホーツ賭博が違法とされている。当然のことだが、大谷の関与は「疑惑」に過ぎない。その黒白は、今後の捜査の進展を待つしかない。
私が気にかかるのは、大谷にも違法博打の胴元であるボイヤーという人物にも、代理人として弁護士が付いているが、水原には適切な法的助言を求める弁護士がいないことである。
この問題に関する水原の当初の発言は、「大谷に巨額の賭博での借金があることを明かして返済の肩代わりを依頼し、承諾した大谷は自分の目の前でパソコンを操作してブックメーカーに送金した」という内容と伝えられている。特に不自然さのない内容と言ってよい。
これが一日にして覆った。前言を翻して、「大谷は何も知らない。何もしていない」という趣旨の発言となる。この発言の内容は明らかに不自然。いったい大谷本人以外の誰が、何度も、大谷の口座からの送金をしたのか、問い質さなければならないが、今のところ、その内容の報道は何もない。
むしろ、大谷の代理人になっている弁護士の「大谷は知らぬうちに大金(450万ドル・約6億8000万円)の窃盗に遭った」という声明に符節を合わせて、水原が発言を変えたのではないのかという疑問が湧く。
なお、違法賭博の胴元であるマシュー・ボウヤーも、メディアの取材にノーコメントを繰り返した後に、その代理人弁護士が「ボウヤーは大谷と会ったことはなく、水原とだけ取引していた」とメディアに発言している。また、「賭博をしていたのは大谷ではなく、水原だったことを強調しながらも、ボウヤーが巨額な借金を許した背景に『彼は大谷のベストフレンドだったから』と説明した」(ワシントン・ポスト)とも報じられている。
カネを持つ者だけが、弁護士を付けて法の知識を活用しているのだ。水原は、大谷・ドジャースやボウヤーとの関係で、明らかに劣位にある。このままだと、場合によっては、真実が押し潰され、過剰な責任の引き受けを余儀なくされる虞もないとは言えない。
最も弱い立場にある者にこそ、法の保護が必要であり、弁護士が必要なのだ。資本の論理に絡めとられた弁護士ではなく、人権の擁護を使命とする本来の弁護士が。
(2024年3月17日)
3月12日、統一教会は、有田芳生と日本テレビの両者を被告として仕掛けた東京地裁のスラップ訴訟において、全面敗訴の判決を言い渡された。単なる敗訴というだけではなく、これ以上はない徹底した負けっぷりと言ってよい。
この訴訟は、当初から本来提訴すべきではない違法なスラップであることが明らかではあったが、そのことが統一教会にも分かるような東京地裁判決となっている。原告(統一教会)には、本来提訴すべきではない提訴をしてしまったことについての反省や、被告両名に対する誠実な謝罪があってしかるべきである。なお、控訴期限は3月26日(火)だが、控訴などは論外である。
にもかかわらず、一昨日(3月15日)統一教会は、この判決を不当と非難するプレスリリースを公表し、その旨を教団のホームページにも掲載した。この一文を見る限り、この教団に敗訴判決を真摯に受けとめて反省する姿勢は見受けられない。有田や日テレに多大な迷惑をかけたこと、さらには報道の自由や国民の知る権利を侵害したことなどについての自覚も皆無のようである。むしろ、本件提訴の違法性を重々自覚しながら、敗訴確定まで時間を稼いで、被告両名や言論界全体を威嚇し続けようとしているかの如くである。
このプレスリリースにおいて、統一教会は「当法人は控訴して判決の不当性を争う予定です」と述べている。しかし、この訴訟の提起自体が既に違法である。一審判決でこのことが明白となっている。にもかかわらず、敢えて控訴することは、違法に違法を重ねることであり、スラップの故意を確認させることにもなる。控訴は両被告にとって迷惑極まりないが、統一教会にとっても決して賢明な選択ではない。当然のことだが、後々の制裁がさらに厳しくなることを避けられない。
あらためて確認しておきたい。この訴訟で角逐しているのは、被告両名の「言論の自由」と、原告統一教会の「法人の名誉」である。この具体的な局面で、どちらが優越するのかという価値判断が求められている。
言論の自由を、誰の権利も侵害せず誰にも迷惑をかけない言論について論じることは無意味である。必ず、その言論によって権利を侵害され、その言論を不都合とする誰かが存在する場合にのみ、その言論の自由や権利性を問題とする意味が生じる。端的にいえば、有田と日テレの当該言論は、「言論の自由」の名の下に「統一教会の名誉」を侵害しても良いのか、という形で問われている。
名誉毀損訴訟においては、まず原告が被告の名誉毀損文言を特定する。普通、特定された名誉毀損文言は、原告の社会的な評価を貶めるものとして違法が推定される。しかし、社会に有用な言論を違法としてはならない。それでは言論の自由を保障した憲法の規定が無意味になってしまう。そこで、法と訴訟実務は、被告・言論者側に、当該言論の公共性・公益性・真実性(あるいは真実相当性)の立証を求め、その立証が成功した場合には、原告の名誉を侵害する当該の言論を、「言論の自由の保障」の名において保護することとしている。
だから、名誉毀損訴訟では、主張・立証は大きく下記の二段階に整理される。
(1) 原告が特定した被告による名誉毀損文言が、原告の社会的な評価を貶めるものであるか。
(2) 当該文言が原告の社会的な評価を貶めるものであることを前提に、当該言論の公共性・公益性・真実性(あるいは当該言論における論評の根拠たる事実の真実性)が認められるか。
通例、(1)は当然に肯定されて問題になることは稀である。(2)だけが論争となるのが普通の名誉毀損訴訟で、公共性・公益性のハードルは低く、主として真実性(あるいは真実相当性)が争われることになる。
本件有田訴訟でも、原告(統一教会)は有田発言の一部を名誉毀損文言として特定した。しかし、有田弁護団はこれを、統一教会の社会的評価を貶める文言にはあたらないと、本気で否定した。俗な言葉で表現すれば、統一教会のこの点の言い分を「アラ探し」による「言いがかり」に過ぎない、と反論したのだ。
それでも、仮に裁判所が「有田発言を名誉毀損文言と認めた場合」に備えて、真実性の立証を積み上げた。有田発言は、(統一教会が)「霊感商法をやってきた」「反社会的集団」であり、「(このことは)警察庁ももう認めている」というものだったから、この各点についての真実性の立証は、統一教会に対する解散命令請求事件と主要な部分で主張挙証が重なるものとなった。したがって、有田事件判決は、「解散命令先取り判決」となることを期待していたが、幸か不幸か、そうはならなかった。
異例のことだが、前述(1)の段階で勝負がついて、次の(2)の判断に進む必要はないという裁判所の判断となった。これを「単なる(統一教会の)敗訴というだけではなく、これ以上はない徹底した負けっぷり」と言ったのだ。裁判所の目からも、そもそも提訴自体が非常識で無理な代物に見えたということなのだ。
統一教会のなすべきことは、控訴ではなく、真摯な反省と被告両名に対する誠意ある謝罪である。
なお、統一教会のプレスリリース全文は以下のとおりである。
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日本テレビ・有田芳生氏「反社会的集団」発言に関する 名誉棄損裁判の判決について 2024.03.15世界平和統一家庭連合 広報局
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?2022年8月19日,日本テレビが制作放送する「スッキリ」にジャーナリストの有田芳生氏がテレビ出演し,当法人に関して「霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは警察庁ももう認めている」などと発言しました。このことを巡って、名誉毀損を理由に当法人が同社及び有田氏を提訴した裁判の判決が2024年3月12日に下され、当法人の請求が全面棄却されました。当法人の見解をお伝えします。
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?まず、本件発言に関して、当法人が「反社会的集団」であると警察庁が認めたという事実はなく、当該判決でも認めていません。
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?また、判決は、以下の5つの理由から、有田氏の発言は当法人の社会的評価を低下させるものではない(名誉毀損にもあたらない)と判断しました。
?国会議員が家庭連合と関係を持たないと断言すべきだという発言の一部分であった
?わずか8秒間の発言であった
?有田氏は本件発言を強調していない
?本件発言に関する字幕は表示されていない
?その後、本件発言がこの放送で取り上げられていない
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?しかし実際には、字幕なしの8秒間程度の発言であっても、名誉毀損は十分に可能であり、様々な口実を列挙して名誉毀損に当たらないと判断されたことは不当であると言わざるを得ません。したがって、当法人は控訴して判決の不当性を争う予定です。
なお、有田氏の弁護団は判決後に発表した声明で、「本判決が、このような判断に至ったのは、有田発言に真実相当性があると判断したから故と、弁護団は考えている」と主張していますが、思い込みに過ぎません。裁判所は有田氏の発言の真実性あるいは真実相当性について何らの判断も行っていません。