本日、安倍晋三首相は、2014年4月から予定通り消費税率を8%に引き上げると表明した。予定の通りとは言え、たいへんなことだ。
私も、学生の頃に財政学や社会政策を学んだ。そこでは、財政が冨や所得の再配分機能をもっていると教えられた。福祉国家理念や、富と所得の平準化、中間層の拡大などは当然の国家目的とされた。ここには、資本主義経済が不合理で修正ないし是正を要するという了解があった。ところがどうだ。今、安倍自民がやろうとしていることは、その正反対。低所得階層から、間接税をもぎ取って、企業減税の財源にしようということだ。国家権力による「富と所得の逆再配分」だ。
アベノミクスは、3本の矢を放つという。3本とも、低所得者の心臓を狙っている。晋三の放つ、心臓への痛みの矢だ。私は既に年金生活者だ。私も強い痛みを感じる。年金は下がる。物価は上がる。そして消費増税だ。いい加減にしてくれ。
「日本経済は回復の兆しを見せている」だろうか。経済の回復とは、大企業の儲けが指標ではない。働く者が潤うこと、失業率が低下し、賃金が上昇し、そして生活必需品の物価が下がることではないか。そのような意味での経済の回復は兆しもない。そのうえ、消費増税は確実に「庶民の経済」に打撃を与えることになる。
消費増税と企業減税のセットサービスを最も喜んでいるのが経団連だ。安倍の経済政策が、「強きを助け、弱きにしわ寄せ」だから。いや、「貧者からむしりとって、富者に贈る」ものだからだ。企業経営者の満面の笑みは、本来、選挙での反撃の矢を受けるはずのもの。これまで、消費税を作り上げた内閣は、国民から相応の選挙による懲罰を受けた。どうして、安倍内閣の支持率が下がらないのか。不思議でならない。
安倍の消費増税を「決められる政治の実現として評価する」向きがあるという。恐るべきことだ。戦争やファシズムは、果断の結果であろう。庶民を苦しめる決断なら、何もしない優柔不断がずっとマシではないか。
また、安倍は、消費増税に備えて、成長戦略としての5兆円規模の歳出増を伴う経済対策と1兆円規模の企業減税をパッケージで実施するという。要するに、消費増税として庶民から吸い上げた分のすべてを企業のために使い切るということだ。何たることか。
憲法25条(生存権の保障)が泣いている。27条・28条(労働権・労働基本権)もだ。そして、憲法29条(財産権の保障)と22条(企業活動の自由) が笑っている。どこかが狂っているとしか思えない。本来なら、15条(参政権の保障)や、43条・44条(両議院の議員選挙権)の参政権や民主々義手続が、適切に働いて、こんな政権の跳梁を阻止しているはずなのだ。
民主々義が正常に機能していない。人権の保障もないがしろにされている。平和主義はもっと危うい。安倍政権に評価すべきところは皆無。憲法が危ういとは、具体的にあれもこれも危険水域にあるということなのだ。何とかしなければ‥。
(2013年10月1日)
9月26日、自民党の特定秘密保護法案に関するプロジェクトチーム(PT)の会合で、政府は自民党に同法の政府原案を示した。
http://www.asahi.com/politics/update/0927/TKY201309270036.html
7章25か条の法律案の形になっている。格別の支障がない限り、この原案が閣法として政府提案される公算が高い。
9月3日に発表された「概要」と内容は変わらないが、法律案となっているので分かりやすく、また生々しい。第5章「適性評価」など、条文を読むだに気分が悪くなる代物。
「第七章 罰則」(21条?25条)の一部についてだけ、紹介しておきたい。
21条 1項 特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。
2項 第9条又は第10条の規定により提供された特定秘密について、当該提供の目的である業務により当該特定秘密を知得した者がこれを漏らしたときは、5年以下の懲役に処し、又は情状により5年以下の懲役及び500万円以下の罰金に処する。
3項 前2項の罪の未遂は、罰する。
4項 過失により第1項の罪を犯した者は、2年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
5項 過失により第2項の罪を犯した者は、1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。
21条1項の犯罪主体は、「特定秘密の取扱いの業務に従事する者」である。公務員に限らない。この「業務に従事する者」が、その業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、最高刑で懲役10年に処せられる。同条2項は、特別の必要あって秘密の提供を受けた者(たとえば、国会議員・裁判官など)が、これを漏らせば最高懲役5年となる。両者とも未遂も過失も処罰される。
第22条 1項 人を欺き、人に暴行を加え、若しくは人を脅迫する行為により、又は財物の窃取若しくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得した者は、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。
2項 前項の罪の未遂は、罰する。
3項 前2項の規定は、刑法その他の罰則の適用を妨げない。
22条は、一定の手段で特定秘密を取得することが、最高刑懲役10年とされている。一定の手段とは、強取、喝取、窃取、詐取など、違法性の強い者に限定されていない。「特定秘密を保有する者の管理を害する行為により」というのだから、ほとんど無限定に等しい。その未遂罪も罰せられる。これは極めて危険だ。記者の活動は著しい制約を受ける。言論界が、こぞって反対しないとたいへんなことになる。
第23条 1項 第21条第1項又は前条第1項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は扇動した者は、5年以下の懲役に処する。
2項 第21条第2項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は扇動した者は、3年以下の懲役に処する。
「特定秘密の取扱いの業務に従事する者」の秘密漏示行為を教唆・煽動したものは最高刑5年の懲役である。教唆・煽動の行為の定型性は緩い。何が教唆・煽動にあたるか、思いがけないことになりかねない。「特別の必要あって秘密の提供を受けた者」への秘密漏示の教唆・煽動も3年の刑となる。
何が秘密かはヒミツである。逮捕されるまで国民には分からない。まさしく、「特定秘密」は埋め込まれ隠された地雷である。地雷を踏んだ記者が直接の生け贄とされるが、地雷敷設による真の被害者は、知る権利を侵害される国民である。
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『パブコメはどう生かされるのか』
なお、内閣官房は同日、同法案の概要に対するパブリックコメントの実施結果を明らかにした。今月3日から17日までの15日間に94000件のコメントが寄せられ、そのうち反対が77%を占め、賛成は13%に過ぎなかったという。
反対意見は「原発問題やTPP(環太平洋連携協定)交渉など重要な情報を知ることができなくなる」「特定秘密の範囲が広範かつ不明確」「取材行為を萎縮させる」など、国民の知る権利や報道の自由を懸念する内容がほとんど。賛成意見は、「スパイを取り締まれる状況にしてほしい」「安全保障のため秘密を守ることは必要」などというもの。
この件数について、東京新聞は、「意見公募は、政府が法案を閣議決定する前などに、国民の意見を聞く制度。意見が数件しか寄せられないケースも多く、九万件は異例だ。今回の募集期間が、一般的である30日の半分しかない15日だったことを考えれば、国民が強く懸念している実態を示したといえる」と論評している。
ところが、自民党の側はそのような評価ではない。町村信孝PT座長は、反対意見が圧倒的に多かったことについて、「多くの人が心配しているのは分かった。ただ、賛成多数だった各種メディアの世論調査と違う結果で、一定の組織的コメントする人々がいたと推測できる」と記者団に述べた(毎日)という。
いったい何のためのパブコメなのだ。件数が少なければ、あるいは賛成意見が多ければ、「これが世論だ」と飛びつき、思うとおりのパブコメではないとなると、「世論調査と違う」「組織的なコメントだ」と開き直る。これではパブコメ募集の意味がない。パブコメはどう生かされるのか、問い質さなくてはならない。
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「アシダカグモ」のこと
日本には1000種、世界には30000種のクモがいるという。ジョロウグモのように、網を張って獲物を捕る「造網性」のクモと、「徘徊性」のクモの2種類に分類される。
「徘徊性」のクモでひとめお目にかかりたいクモがいる。「アシダカグモ」だ。クモは節足動物だから、(写真で)よく見ると「カニ」とよく似ている。「アシダカグモ」は見方によっては長い8本の足を持った「タカアシガニ」に似ているかもしれない。いや、足を縮めると、毛が生えた8本の足にいっぱい身のつまった「ケガニ」にそっくりだ。
足を伸ばしたサイズはちょうど大人の掌くらい。ちょっとグロテスクだけど、漫画やイラストでとても人気がある。
このクモ、ただグロなだけじゃなくて、大変な働き者。夜間に徘徊し、ゴキブリを捕殺する益虫だ。ゴキブリを見ると、目にもとまらぬ早業で、8本の足で抱え込み、消化液を注入して、ゴキブリの体内を液体化して食し、身体の外側の固い部分を粉々にして、小さなラグビーボールのようにまるめて、ポイと捨てるそうだ。一晩に25匹のワモンゴキブリを捕殺したという記録がある。昆虫だけではなくて、トノサマガエルやカヤネズミを餌食にしている写真さえある。どうです、すごいでしょう。
アシダカグモは夜間にしか出てこない。消化液には殺菌効果があり、身ぎれいに毛繕いをして清潔である。室内を歩き回ったり、食物の上を這い回ったりしない。人を噛んだりはしない。長生きで清潔でおとなしくて、世話いらず。飼っていれば、ゴキブリやハエは一匹もいなくなる。メスは13回、オスは9回の脱皮をしておおきくなる。そして、長生きだ。オスは5年、メスは平均7年も長生きをする。
日本の生息域は温暖な関東以南の太平洋側だ。たいして珍しいクモでもなく、ゴキブリのいるところなら住み着くようだ。こんなにゴキブリに強いなら、「ごきぶりホイホイの代わりに、2,3匹飼いましょう」とならないのはなぜか。
分かりきったことだ。やはり、ゴキブリ以上にクモ、とくに大きなクモには虫酸が走るという人が多いということが理由。いくら益虫だと説明しても、「イヤなものはイヤ」ということ。へたをすれば、ゴキブリの代わりにたたき殺されてしまう。
夜な夜なこんなでかいクモがキッチンを這い回って、寝ぼけ眼で起きてきたら、青い目で睨まれた。たしかに、こうした遭遇に耐えられる人は少ない。実をいって、わたしも、もう今となっては「アシダカグモ」にお目にかからなくてもいい気分になっている。
(2013年9月30日)
注目の堺市長戦は、投票締切と同時に「竹山候補当確」となった。票差がどのくらいのものかはよく分からないが、「竹山圧勝」「維新惨敗」で間違いなさそう。明日の朝刊には、「橋下不敗神話崩れる」などの見出しが躍ることになる。
最大の争点と影響が「大阪都構想問題」なのではない。実は、「維新の会」という危険な存在の勢いが、増長するのか失速するのか、それこそが最大の争点であった。その選挙で、維新の凋落が決定的になった。
この結果をもたらしたのは、反維新の各党各勢力の共闘である。共産党は、自民と組んでまでして反維新を貫き成功させた。国共合作を彷彿とさせる。中国共産党は、蒋介石の国民党と組んでまでして、日本軍の侵略と戦った。これに比肩すべき、「自共共闘」。但し、この「自」は「安倍自民」ではなく、「自民府連」であることの意味は小さくない。
堺の各政党の勢力は、7月の参院選比例代表の得票数で自民8万1103票、民主2万4793票、共産4万1720票。3党を合計すれば、維新の10万856票を遙かに凌駕する。そして、党派別市議数は、公明12、維新10、ソレイユ堺(民主)10、共産8、自民7である。
共産党単独では首長選に勝ち目はない。さりとて、常に独自の候補を立てて存在感をアピールし、選挙ごとに影響力を拡大していくのが、政党本来の在り方。数合わせで共闘を考えてはならない。問題は、維新を、侵略外国軍と同等の敵と規定できるかどうかにある。これまでの、維新橋下の大阪府政、大阪市政を見ていれば、その凶暴ぶり、危険さは侵略外国軍並みと言ってよい。共闘は理念においても、現実的な政治選択としても正しかったとえるだろう。
珍しく、共産党がネットで選挙総括の市田書記長談話を発表している。
その中で「今回の勝利は、‥『構造改革』の推進、憲法改悪など自民党よりさらに『右翼』的立場にたつ『維新』への都議選、参院選につづく審判でもあり、今回の結果はきわめて大きな意義をもつものです」と言っている。
維新側は、竹山陣営に共産が加わっていることについての批判を前面に打ち出した。
橋下は、「竹山さんはある意味、共産党の市長なんです」。「共産党軍団が『堺はなくなる』と言う。堺なくなる詐欺だ」と与野党相乗り支援を批判し、共産をことさらに標的にした。維新の体質をよく表している。しかし、反共攻撃が成功しなかったことの意味は大きい。いまや、反共攻撃の効果は期待しがたい。むしろ、非理性的な反共体質の露呈は、逆効果でさえある。
維新関係者の不祥事続出が維新凋落の必然を象徴している。振り返れば、昨年暮れの総選挙が維新のピークだった。今年6月の都議選が終わりの始まり。7月参院選は終わりの始まりの確認。そして、今回が凋落への本格的第一歩なのだろう。
安倍は自らを「右翼」と呼べと言った。維新は、「極右」といってよい。また、極端な新自由主義、反人権主義、そしてその政治手法の凶暴性において際立っている。自民と共闘しても抑え込まねばならない政治勢力であって、本日の選挙結果はまことに喜ばしい。
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『キイロスズメバチの巣』
ジョロウグモの巣がキラキラ光る朝露で飾られると、秋がきたと思う。どうやって張るのか驚くほど大きなネットがあちこちに張り巡らされる。意外に強いその糸が行く手をさえぎって、おちおち歩けない。巣の真ん中には赤と黄色の派手な衣装をまとった、歌舞伎役者のような雌グモがにらみをきかせている。冬の寒さがくる前に、獲物をたくさん捕らえて力をつけて、旅する雄グモと交接し、卵を産まなければならない。卵嚢には1000個もの卵が包まれ、それを守る母グモは衰え死んでも、来年の春には子グモがふ化する。暖かくなる頃には、子どもたちは文字通り、クモの子を散らしたように広い世界に散らばってゆく。
生命の営みを活発化するクモにひきかえ、この時期スズメバチの活動は静かになる。
我が家の2階の軒下がよほど気に入ったとみえて、キイロスズメバチが3年連続で巣をかけた。はじめの2年は、早めに役所の環境課の職員に巣を撤去してもらったが、毎年お願いするのは気が引けた。今年はどのくらい大きくなるのか見届けてやろうという興味もあって、放置したのが間違いのもと。5月の初め頃、女王バチがひとりで巣作りしていたうちは遅々として進まなかった。しかし、夏の盛りに働きバチが殖えると、唸り声がきこえるほど密集して、見るも恐ろしい状態になり、ただ唖然として見守るしかなかった。みるみるうちに巣は両手で抱えきれないほどの大きさになってしまった。後悔先に立たずである。
しかし、気温が低くなるにつれて、飛び回るハチの数は目に見えて減ってきた。それを見透かしたかのように、まわりにクモの巣が張られた。今朝はその細い糸に一匹のスズメバチがかかってしまった。目先を飛び回る仲間のハチはまったく無関心で、助けようとするそぶりも見せない。ジョロウグモの方も恐ろしいのか近づかない。当然、蹴破って逃げるに違いないと思っていたけれど、午後にはスズメバチは静かになってしまった。凋落を象徴する事件だ。
また気温が上がれば、スズメバチもしばらく勢力挽回するだろうが、いずれ新女王バチが選ばれて、古い巣は見捨てられてしまう。新女王は枯れ葉の下で受精卵を腹に抱えて、またくる春の栄華を夢見て、寒さの冬を眠って過ごす。
地方によってはスズメバチが家に巣作りすることを、縁起がいいこととして喜ぶところもあるそうだ。冬になったら、巣を取り外して窓辺にでも飾って、「分限者バチ」にあやかろうか。今年は何とかおっかなびっくりスズメバチと共生できた。 さて来年はどうしよう。放っておけば、来年の巣はどこまで大きくなるのだろうか。興味津々だが、思案のしどころである。
(2013年9月29日)
公職選挙法11条1項2号は、「禁錮以上の刑に処せられその執行を終るまでの者」について「選挙権及び被選挙権を有しない」と定めている。この規定によって、服役中の受刑者には選挙権が与えられていない。選挙犯罪に限らない。政治犯であろうと過失犯であろうともだ。なお、1項1号には「成年被後見人」と書き込まれていたが、本年5月31日の法改正で削除されている。
受刑者の一律選挙権剥奪を違憲として争った訴訟の控訴審判決の言い渡しが昨日(9月27日)大阪高裁であった。受刑者であったために選挙権を行使できなかった原告(控訴人)の主張に対して、「『受刑者の選挙権を一律に制限するやむを得ない理由があるとは言えない』と指摘。受刑者をめぐる公選法の規定が、選挙権を保障した憲法15条や44条などに違反するとの初判断を示した」などと報道されている。
判決文そのものが閲覧できないのでもどかしいが、原告の請求は、(1) 次回における選挙において投票できる地位の確認と、(2) 過去の選挙において選挙権の行使ができなかったことによる慰謝料の国家賠償、の2点であったようだ。
これに対して、一審大阪地裁の判断は、(1)については服役が終了しているので訴えの利益を欠くから不適法な訴えとして却下、(2)については受刑者の選挙権を一律に制限するやむを得ない理由がないとはいえないとして違憲の主張を退けて請求を棄却したようだ。
ところが、昨日の大阪高裁の判断は違った。まず、選挙権について「議会制民主主義の根幹をなし、民主国家では一定の年齢に達した国民のすべてに平等に与えられる」と原則を述べ、選挙権の制限はやむを得ない理由がなければ違憲になるとする最高裁大法廷判例の基準に沿って判断すると枠組みを設定した。そのうえで、受刑者について、「過失犯など、選挙権の行使とは無関係な犯罪が大多数だ」と認定。国側の「受刑者は著しく順法精神に欠け、公正な選挙権の行使を期待できない」とする主張を退け、単に受刑者であることを理由に選挙権を制限するのは違憲だと結論づけた(以上、判決内容は主として朝日の報道による)。
但し、控訴審判決の主文は「控訴棄却」だった。原告の敗訴である。(1)の請求については一審と同じ理由で却下し、(2)の請求については、違憲論とは別に、公務員の違法行為が必要な要件となるところ、国会議員の立法不作為の違法までは認められない、としたからだ。
この点の報道は、「判決は、『受刑者の投票権の制限に関する問題が独立して国会で議論され、世論が活発になっていたとは認められない』と指摘。『国会が正当な理由なく長期にわたり規定の廃止を怠ったとは評価できない』とした」というもの。
つまり、原告の「違憲な法律が放置されてはならないのだから、国会議員がこれを改正せずに放置した不作為が公務員としての違法行為にあたる」という主張が排斥されたのだ。立法不作為の責任の壁は、高くて厚い。判例では、「立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきである」とされる。
最高裁は、2005年9月「在外邦人選挙権制限違憲訴訟」では、この例外的場合にあたることを認めて、一人5000円の慰藉料請求を認めた。また、「次回選挙における投票をすることができる地位の確認」も認めた。今回との違いは、違憲や制度改正の論議の成熟度ということであろう。
とすれば、この判決をきっかけにした法改正の動きが進行しない場合には、立法不作為による違法の責任が認められることになる、と言ってよい。
在外邦人、成年被後見人、そして受刑者へ。選挙権拡大の流れは着実に進んでいると見るべきであろう。一票の格差についても、最高裁の積極姿勢が見える。婚外子差別違憲判決も出た。これらをもって最高裁の司法消極主義からの転換と見てよいのだろうか。
「裁判所は変わった」という意見がある。最近の最高裁は、かつてよりも違憲判断に躊躇しない姿勢を見せているという積極的評価である。これに対して、「それは、天下の形勢に影響しない範囲でのことでしかない」という反論がある。体制の根幹にかかわるような問題についての司法消極主義はまったく変わらない、との否定的な評価である。おそらく「変化」自体は認めざるをえない。問題は、「どの範囲の、どのような変化となりうるか」である。もう少し、事態を注視しなければならないだろう。
(2013年9月28日)
安倍晋三の「ハドソン研究所」(米の保守系シンクタンク)主催会合での演説要旨についての報道は、時事通信が詳しい。その中の一節が、以下のとおり。
「本年、わが政府は11年ぶりに防衛費を増額した。すぐそばの隣国に、軍事支出が少なくとも日本の2倍で、米国に次いで世界2位という国がある。毎年10%以上の伸びを20年以上続けている。私の政府が防衛予算をいくら増額したかというと、たったの0.8%にすぎない。従って、もし私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞ呼んでいただきたい」
「軍国主義」の定義については、広辞苑の記載がよく引用される。「国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争のために準備し、軍備力による対外発展を重視し、戦争で国威を高めようとする立場。ミリタリズム」
言葉について、私的な定義をすることに意味はない。広辞苑の穏当な定義に拠って、大きな間違いはないだろう。とすれば、「軍国主義者」とは、「国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争のために準備し、軍備力による対外発展を重視し、戦争で国威を高めようとする立場に立つ人。ミリタリスト」ということになる。まさしく、安倍晋三にぴったりではないか。
彼は、憲法9条の平和主義を目の仇としている。「自衛のための最小限の実力」の保持では満足せず、地球の裏側にいってまで武力行使のできる国防軍を渇望している。集団的自衛権の行使容認をたくらみ、先制的自衛権や殴り込み部隊である海兵隊機能を提案している。軍国神社靖国に公式参拝して祖父の盟友であった戦犯の霊に額ずくことを公約している。軍法会議の創設を提案している。戒厳令の復活を狙っている。さらに、武器輸出三原則を清算し、教育基本法を変え、歴史教科書を塗り替え、従軍慰安婦の存在を否定し、軍服をまとって戦車や軍用機に乗ってはしゃいで見せている。軍国主義者としての資格に欠けるところはない。
また彼は、国粋主義者であり、近隣への差別主義者であり、天皇崇拝者であって、要するに典型的な、ありふれた「右翼」でもある。
彼の頭の中では、「軍国主義者」の定義は、「防衛予算を増額した国の代表」をいうものであるごとくだが、そのような「独自の私的な定義」は無視して差し支えない。おそらく、彼一人に、予算の編成を任せれば、防衛予算は倍増し福祉予算は半減するだろう。安倍が軍国主義者であることと、防衛予算の増減は必ずしも連結しない。
とはいうものの、「軍国主義者」とは、口にするのに憚らざるをえない最大級の悪罵である。いかに、安倍が定義にピタリの軍国主義者であっても、名指しして「あなたは軍国主義者だ」ということには躊躇せざるをえない。
ところが、本人から「もし私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞ呼んでいただきたい」と、わざわざの申し出である。これに応えて、これからは、遠慮や躊躇を捨てて、安倍晋三を「右翼の軍国主義者」と呼ぶことにしよう。
ただ、悪口として投げつけるだけでは芸がない。彼のたくらみの一つ一つを吟味して、それが「右翼の軍国主義者」故の発想から出たものである所以を明らかにすることが大切だと思う。
論語にもある。「文質(ぶんしつ)彬彬(ひんひん)として然る後に君子なり」と。
これを翻訳すれば、「安倍を軍国主義者だと言葉だけで攻撃してもダメ。安倍の政策の一つ一つの軍国主義的性格を明確にして実質で批判しなさい。それが理性ある主権者国民の正しい安倍批判の在り方ですよ」。孔子もうまいことを言う。
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「我が家の庭はレストラン」
ラジオで、「柿もぎをはじめました」というたよりが紹介されていた。ああもうそんな季節かと聞いていると、「ちょっと色づいた青柿です」といっている。柿渋をとるのかと思っていると、「サル対策で、他の作物を荒らしに出てこないように、柿が熟す前に落としてしまうんです」とのこと。たわわに実る柿の木の風景は山村ではもう見られない。
山村だけではない。静岡市の真ん中の静岡県庁にニホンザルが現れて、警察や職員を尻目にかけて、ベランダや庇を縦横に駆け巡って未だ捕まっていない。利口そうにこちらを伺うサルの写真を見れば、「ペンギンだって82日間逃げたんだからガンバレ」と無責任な声援を送りたくなる。山に食べるものが少ないのだろうか。
折り紙作家の布施知子さんの「ひまなし山暮らし」(筑摩書房 1996年)を紹介しよう。布施さんは長野県で「山暮らし」をしている。「オニヤンマが悠然と茶の間に入ってきて、ギロリとあたりを睨み、また悠然と出て行く。おおっ!オオスズメバチが軍艦のように入ってきた。ちょっと逃げていよう。壁に軽い頭突きを数度、ようやく出ていった。あっ、オシッコした。オシッコするとオオスズメバチは速度を急に早めて、ブーンと松林に消えた。」こんな羨ましい暮らしだ。
その中の「秋 柿の木」から。「凍みと凍みっ解けを何度もくりかえして白っぽくなった皮がたるんできた1月の中頃から、柿の木は賑わいをみせはじめる。主はひいさまー1羽のヒヨドリである。ひいさまの柿の実に対する執着は、けなげといっていいほどだ。じぶんがいるとき、なんぴとといえども相伴は許さない。翼をふるわせ、嘴を開き、あっちへ行け! さがれ!のポーズをする。小間鳥(カラ類、エナガ、コゲラ、メジロはよく一緒に団体で来るので、小間物屋にかけて小間鳥と呼んでいる)はなにしろ団体なので、ひいさまはご威光を知らしめ、警告を発するに大忙しとなる。小間鳥たちは警告に席を譲るものの、心底恐れ入ったようには見えない。うるさいのが来たからちょっとどいた、という感じである。そして2,3分、実や枝をつついていたかと思うと、来たときと同じように、団体でまたどこかへ行ってしまう。あっさりしたものだ。ひいさまはヤレヤレと食べはじめるが、落ち着かない様子でキョロキョロしている。いつもキョロキョロしている。因果なものだ」
うちの庭にもスモモの木があるが、実がなっていた頃は(昨年あたりから不思議なことにピタリと実がつかなくなってしまった)、同じ情景がくり広げられた。まず、さすがサルは来ないが、ハクビシンが夜ごと現れた。ピカリピカリと目を光らせて、器用に細い枝先まで登っていって、いちばん熟れたおいしいやつを選んで食べる。それもうまいところだけ一口。かわいくない。
朝になると、ヒヨドリのお出ましとなる。うちに来るのは「姫」じゃなくて、「野郎」。ピーピーと鳴きわめいて、メジロやシジュウカラを追い払う。そして、上品につついてひとつだけ、遠慮深くいただくということは、絶対しない。ヒヨドリのつつき回した後を、可愛らしく食べるメジロやシジュウカラがいとおしくなるのは人情。スモモとミカンの実がなくなる頃には、椿の花が咲き始める。鳥たちは椿の花粉の中に全身をうずめて、動くうぐいす餅のように粉まみれとなって遊ぶ。私もどんなにおいしいものかと舐めてみたが、花粉はただ苦いだけ。
こうして、我が家の小さな庭は、秋から冬の間、お客さんの絶えない賑やかなレストランとなる。ハクビシンはただの恩知らずだが、小鳥たちはお礼を残していく。春になるといろいろな実生が芽をだして、お楽しみクイズを提供してくれる。
(2013年9月27日)
本日「授業してたのに処分」事件が結審した。同事件は、元福生高校教諭の福嶋常光さんが、再発防止研修の日程変更を認められず、やむなく予定のとおりの授業を平穏に行っていたところ、減給6月という重い処分を受けたというもの。
理科の先生だった福嶋さんは、真面目を画に描いたようなお人柄。教師像の一典型と言えそう。その福嶋さんが、「君が代・不起立」で懲戒処分を受けた。ここまでは石原教育行政下での450件のエピソードの一つ。福嶋さんは、これに追い打ちをかけた信じがたい懲戒処分を受けて、憤懣やるかたなく、たったひとりの原告となった裁判を起こした。
懲戒処分を受けると、服務事故再発防止研修の受講を強制される。研修したところで、思想が改造できるわけはないのだから、石原教育行政の嫌がらせ以外の何ものでもない。それでも、受講拒否はさらなる懲戒事由とされるのだから、福嶋さんも受講せざるを得ないと覚悟はしていた。福嶋さんが再発防止研修を命じられたのは今回が初めてではなく、これまでは、受講命令に従っていた。
ところが、この嫌がらせ研修として指定された日には、福嶋さんは5時間の授業をしなければならない日程となった。しかも、他の教師に授業を代わってもらうことも、授業計画を建て直すことも不可能。当然に、研修の日程を変更してもらわねばならない。研修予定日の2か月前には校長に、1か月前には直接教育委員会にその旨を申し出た。研修日の変更は明らかに可能だった。
しかし、都教委の返答は「ノー」というもの。「教員に服務事故再発防止研修の日程変更を申し出る権利はない」ということなのだ。
福嶋さんは考えた。自分は、公務員として都教委の指示に従って研修を受けるべきだろうか、それとも教師として生徒のために授業を行うべきだろうか。答えは自ずから明らかだった。「自分は教師である。教師の本分は生徒に授業を行うこと。生徒に寄り添う立場を貫くならば、授業を放棄するわけにはいかない。授業を行うことこそが正しい選択だ」。そう考えての実行が、「減給10分の1・6か月」というとんでもない処分となった。信じられるだろうか。都教委が福嶋さんの都合を聞いて、次の研修の日を設定しさえすれば済むことなのに、減給6か月。
以下は、本日の弁論終結に際しての、私の意見陳述の内容。
弁論終結に際して、原告代理人の澤藤から一言申し上げます。
裁判官の皆様には、是非とも教育という営みの重さについて、十分なご理解をいただきたい。そのうえでの本件にふさわしい判決をいただきたいのです。
教育とは、尊厳ある個人の人格を形成する営みです。明日の主権者を育て、社会の未来をつくる営みでもあります。憲法の理念の実現はひとえに、教育にかかっている、と言って過言でありません。その教育の在り方が、本件では極めて具体的に問われています。
原告は、形の上では原告自身の権利侵害についての救済を求めています。しかし本件訴訟の実質においては、侵害されている教育本来の姿の回復が求められています。教育という営みがないがしろにされ歪められていることを黙過し得ず、たった一人で提訴を決意した原告の心情を酌んでいただくとともに、憲法や教育基本法が想定している本来の教育とはいかなるものであるか、教育行政はこれにどうかかわるべきか、そのことに思いを致しての判決起案でなくてはなりません。
本件事案は、教育をこよなく大切に思う現場教員と、教育を重要なものとは思わない教育委員会の争いであることが一見明白です。いや、正確には、「争い」とはいえません。不真面目な教育委員会が、真面目な教員を、一方的に貶めているという図式と言うべきでありましょう。貶められ、侵害されているのは、原告の権利だけではなく、教育そのものでもあります。
原告は、生徒の教育を受ける権利を全うしようという姿勢を崩すことなく、一貫して真摯に授業に専念しました。
これに対して、被告都教委の姿勢はどうだったでしょうか。教育にも、授業の進行にも、生徒の履修の障害にも、まったく関心を寄せるところはありませんでした。都教委が関心をもったのは、ひとえに、教員に対する強権的統制の貫徹。もっと具体的に言えば、学校現場に「日の丸・君が代」強制が徹底される体制の整備、それが生徒の授業を受ける権利よりも重要なこととして強行されたのです。
都教委は、偏頗で強固なイデオロギーをもっています。職務命令や懲戒処分を濫発してまで、全教職員が一律に「日の丸・君が代」強制に服することが教育現場に望ましいとする、秩序偏重の国家主義的イデオロギーです。
このイデオロギーは、私たちが「転向強要システム」と呼んだ、累積加重の懲戒基準に顕著に顕れています。「日の丸・君が代」、あるいは「国旗・国歌」強制に服することができないとする教員は、どのような理由からであれ、やむなくこれを受容するに至るまで処分は限りなく繰り返され、しかも加重されます。屈辱的な再発防止研修の受講強制も繰り返されるのです。
既に、最高裁はこの懲戒量定の基準を違法と断じました。その意味では、本件の判決主文の帰趨は明らかなのですが、本件はこれまでの判例にあらわれた「日の丸・君が代」強制事案と同じものではありません。本件では、もっと具体的に、教育行政がどのように教育と接すべきかという問題を提起してます。そして、転向強要システムは、教育現場であればこその際立った違法といわなければなりません。
裁判官の皆様には、安易に最高裁判決をなぞるだけの判決に終始されることなく、教育の重みと教育条理とを踏まえ、教育行政の教育への関与の限界を十分に認識された、本件にふさわしい判決を言い渡されるよう期待いたします。
判決期日は本年12月19日13時10分と指定された。
(2013年9月26日)
今月3日に「概要」が公表された「秘密保護法」案(旧名は「秘密保全法」。フルネームは「特定秘密の保護に関する法律」)に対して、反対意見や声明が続々と発表されている。それぞれの立場からのもので、各団体や個人の個性がよく顕れており、民主々義はいまだ健在の感を強くしている。
私が目にした範囲だが、下記の4件を読むことで、問題点を網羅的に把握することができると思う。これで、秘密保護法の秘密に迫り、解き明かそう。そして、法案成立の阻止に力を貸していただきたい。
(1) 新聞労連機関紙・号外(2013/06/01)
http://nagoya.ombudsman.jp/himitsu/130601.pdf
(2) 日弁連・パブコメ意見(2013/09/12)
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2013/opinion_130912.pdf
(3) 自由法曹団・パブコメ意見(2013/09/17)
http://www.jlaf.jp/iken/2013/130917_01.pdf
(4) 日本ペンクラブ声明(2013/09/17)
http://www.japanpen.or.jp/statement/2013/post_442.html
(5) ついでに、私の訴え(2013/09/21)も挙げておこう。
「特定秘密保護法 その危険性」についての街頭の訴え
上記(1)は、架空のニュース記事の形で、仮にこの法案がが成立したらこんなことになるという、記者の立ち場から警鐘を鳴らすもの。労働問題を追いかけていた記者が、取材の過程で「あたかも地雷を踏むがごとくに」秘密に触れて逮捕されるというリアリティに溢れた想定。逮捕にとどまらず、徹底した秘密の保持は、刑事弁護の活動にも支障を与えることになる。さすがにプロの技。読ませるし、考えさせられる。記者の立ち場からの問題提起だが、国民の知る権利を根こそぎ奪うということだ。新聞労連のホームページにアクセスしても、部外者にはこの記事に到達できないのがもったいない。
上記(2)は、A4・26頁のボリューム。最も体系的で詳細、法案がまとめられた経過もよく分かる。但し、日弁連意見という制約があって、政治的な背景事情や推進勢力の狙いなどについての叙述は薄い。反対理由の項目だけを確認しておきたい。
※ そもそも立法事実がない
(1) ボガチョンコフ事件によっても立法事実があるとはいえない
(2) 内閣情報調査室職員による情報漏洩事件から立法事実があるとはいえない
(3) 尖閣沖漁船衝突事件にかかる情報漏えい事案から立法事実があるとはいえない
(4) 国際テロ対策に係るデータのインターネット上の掲出事案からも立法事実があるとはいえない
※ 「特定秘密」の範囲が広範で定義が不明確である
(1) 「特定秘密」の範囲が広範にすぎる
(2) 「防衛」秘密の範囲が広範不明確である
(3) 「外交」情報が広範不明確である
(4) 「外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止」に関する情報が広範不明確である
(5) 「テロ防止活動」に関する情報が広範不明確である
(6) 特定秘密の「表示」は限定と無関係であること
※ 人的管理について
(1) 適性評価制度についての立法事実の欠如と内容が不明である
(2) プライバシー権等が侵害される
(3) 差別的取扱いの危険がある
(4) 適正手続の保障が危ぶまれる
※ 罰則について
(1) 過失による漏えい行為処罰の不当性
(2) 未遂犯処罰の不当性
(3) 共謀行為・教唆及び煽動の不当性
(4) 特定秘密の取得行為の処罰が取材行為等を委縮させる
(5) 法定刑が重すぎる
(6) 曖昧で広範囲な処罰規定の目指すところ
※ 国会及び国会議員との関係
※ 裁判を受ける権利と秘密保全法制
※ 特定秘密保護に関する法律が憲法の保障する人権を侵害する
(1) 秘密保全法制が国民主権と矛盾する
(2) 違法秘密と擬似秘密まで保護されてしまう
※ いま必要なことは情報公開の推進である
上記(3)は、日弁連のような制約をもたない「戦う弁護士」集団の忌憚のない見解。この法案を単独でとらえることはせず、改憲・国家安全保障基本法・国家安全保障会議設置関連法の制定などと一体のものとして把握し、「日本の軍事・警察・治安国家化を目指すものである」という視点からの徹底した批判。
*国政に関するあらゆる重要情報を国民の目から隠蔽する目的
*秘密の範囲が広汎かつ不明確であること
*処罰の範囲が不当に広汎でありかつ法定刑が重すぎること
*立法権・司法権を侵害し、三権分立に反すること
*国民の憲法上の諸権利を侵害し、国のあり方を変質させる
上記(4)は、コンパクトによくまとまっている。キーワードは、権力から表現者に対する「威嚇効果」と、表現者の「萎縮効果」である。
項目を拾ってみると、
1.「特定秘密」に指定できる情報の範囲が過度に広範である
2. 市民の知る権利、取材・報道の自由が侵害される
3. 行政情報の情報公開の流れに逆行する
4.「適正評価制度」はプライバシー侵害である
5. このような法律を新たに作る理由(立法事実)がない
以上のとおり、秘密保護法は、国民主権原理・基本的人権・恒久平和主義に鋭く対立する。以上に挙げた各項目でほぼ問題点は尽きていると思われる。敢えて1点つけ加えるならば、この秘密保全法は戦争準備法として、軍拡と同じ効果をもつ。近隣諸国に、平和や緊張緩和のシグナルではなく、威嚇と警戒のシグナルを送ることになる。
この法律の制定が、「我々は、防衛秘密を厳重に取り締まることにする。近隣諸国のスパイ活動の危険に厳正に対処する」という宣言にほかならない。近隣諸国に対する挑発となり緊張関係をつくり出す。
そのような観点からも、反対をしたい。
(2013年9月25日)
人には信頼が大切だ。同じ発言が、信頼の有無で受けとられ方に雲泥の差となる。信頼ある人の発言なら、「舌足らずな表現だが、真意はこうだろう」と善意をもって理解してもらえる。信頼なければ、隠れた悪意を穿鑿されて、痛くもない腹を探られることになる。
安倍晋三という人物。以前から極右の警戒すべき人物だとは思っていたが、嘘つきだとは思っていなかった。IOC総会での、「(福島原発事故の)状況はコントロールされている」「汚染水は完全にブロックされている」発言で、彼には、「平気で嘘をつく人」という烙印が押された。彼は「国民からの信頼」だけでなく、「世界からの信頼」を失ったのだ。誰もが、彼の言には眉に唾を付けて聞かねばならない。これは、6年前のみっともない政権投げ出しに続く、「二つ目の政治家としての致命傷」だ。
東京電力の山下和彦フェローが9月13日の民主党会合で、福島第1原発の汚染水漏れ問題について「今の状態はコントロールできているとは思わない」と、安倍批判となる認識を示したのは当然のこと。猪瀬都知事も同じ発言をしたが、さすがに「コントロールすることを世界に約束したのだ」と弁護した。
さらに、9月19日現地を視察した安倍首相が、状況を説明する東電幹部に、「0・3(平方キロ)は(どこか)」と尋ねていたことが話題となった。
彼は、東京五輪招致を決めた国際オリンピック委員会(IOC)総会で「汚染水の影響は港湾内0・3平方キロの範囲内で完全にブロックされている」と大見得を切った。しかし、実は、自分の言う「0・3平方キロの範囲」が、現地のどこを指しているのかよく分かってはいなかったのだ。東電も、おそらく安倍に誤解があるだろうと思っていた。
この間のやり取りは、共同通信の配信記事が詳細である。
「安倍首相は第1原発1、2号機東側の護岸を視察し、東電の小野明所長から放射性物質の海への流出や海中での拡散を防ぐ対策の説明を受けた。首相はこの際に『0・3は?』と質問。小野所長は港湾出口に灯台があることを示しながら広さを説明した。
1?4号機東側の護岸では、地下を通じて海に流れ込む放射性物質が拡散しないように『シルトフェンス』という水中カーテンを設置している。水の流れを完全に遮断できるわけではなく、政府、東電とも放射性物質が港湾外に出ている可能性を否定していない。
東電はこれまで、首相が『ブロックの範囲』をシルトフェンス内と誤解している可能性もあるとみて、首相発言への言及を極力避けてきた。今回の現地視察でようやく理解を得られた格好だ」
なお、東電の説明に対する安倍のコメントが、次のようなものであったという報道は‥一切ない。
「ああ、そうだったのか。ようやく少しわかったよ。教えられたとおり口にした0・3平方キロの範囲も知らなかったし、シルトフェンスで汚染水の拡散は完全にブロックされると思い込んでいたんだ。だけど、IOC総会では突っ込まれなくてよかった。よく知らないことも自信ありげに言ってみるもんだね。本当のことを知っていたらとてもあんな発言できなかったけどね」
その安倍晋三が、9月27日国連総会で演説するという。
「尖閣諸島や慰安婦問題、さらには集団的自衛権行使などをめぐって、国際社会に『右傾化政権』などとの偏見が生じていることを踏まえ、女性や人権問題を重視する『安倍外交』をアピールし、偏見を解くのに努める考えだ」と報じられている。
彼は出発に先立ち、羽田空港で記者団に、こう意気込みを語ったそうだ。
「国連総会の演説を通じて、国際社会における日本の存在感をしっかりアピールしていきたい。特に、シリア問題への貢献、21世紀の女性の役割の重要性に焦点を当て、日本政府の女性重視の姿勢を世界に向けて発信したい」
首相に信頼感あれば、「なるほど、さすがにもっともなことを言う」との感想になるのかも知れない。しかし、彼にそのような信頼感は望むべくもない。
私の感想は以下のとおりである。
「やはり、国際社会において日本の存在感がないことをよく自覚しているんだ」「シリア問題では、世界の世論に影響を与えるような何の発言もしてこなかったからな」「20世紀の女性の問題については語れないから、21世紀の女性の役割について語るんだな」「河野談話の再確認・再評価などしてみせる気はなさそうだ」「なによりも、また世界に嘘を喋るなよ」「少なくとも、現実と願望とを混同した発言はおよしなさい」「夢想や願望を、あたかも事実であるごとくに語ってはいけないね」
そして、ニューヨークで福島第1原発の汚染水問題を聞かれたら、嘘の上塗りをしてはならない。恥の上塗りになるからだ。正直こそ信頼回復の第一歩。「ほんとはボク、なんにも知らないんだ。説明はしてもらうんだけど、よく呑みこめない」とお言いなさい。そうすれば、信頼感の回復に繋がる望みが、少しは開かれるかもしれない。
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急に「秋」
新聞に「木の葉食べつくすアメリカヒロシトリ」という記事が載っていた。猛暑で大発生しているらしい。それで思い当たった。窓の外で朝から晩まで「ポリポリカリカリ」という音がして、雨も降らないのにおかしいなと思っていた。やっぱり、椿の梢が丸坊主。下から見ると青空がよく見える。
こちらはアメリカヒロシトリではなくて、チャドクガ。毛虫のトゲが有毒で、刺さると痛がゆくて、ひどければ病院に行かなければならない。ありがたいことに、今までそんな目にあわずにすんできた。年に2回ほどはやける。6月にはやけた時は早く気がついて、幼虫が小さいうちに、高枝バサミで切り取って始末をした。しかし、とても全部捕り切れるものではない。悪運強く生き残った奴が、秋になって、2代目の生を謳歌している。こんなに急に気温が下がれば、放っておいてもすぐに蛹になってしまうのだと、毛虫退治はさぼることにする。本当は高枝バサミが重くて、肩はこるわ、首は回らなくなるわ、腰は痛くなるわで、年2回の戦いは出来ないというのが本音だ。
気力の衰えを見透かしているのはチャドクガだけではなさそう。ホトトギスが茎だけの丸坊主になっている。例年は秋から冬にかけて長い間楽しませてくれる、渋い花が今年は見られない。ホトトギスはルリタテハの食草だけれど、この辺りでは見たことがないので、犯人は嫌われ者の夜盗虫(ヨトウムシ)に違いない。名前どおり夜現れて食害し、昼間は地下に潜り込んでしまうので、これを退治するにはそうとうな根気と元気が必要だ。にっくき奴だが、夜盗虫も許してやるしかない。
そう思って窓の外を見ていたら、暑い間どこかへ避暑に行っていたシジュウカラが帰って来ていた。ムクゲの細い枝に器用につかまって、海苔巻きのように丸まった葉っぱをつついて、ハマキムシをくわえだして食べている。ありがたい害虫退治の援軍来たるである。
昼間からコオロギやカネタタキが賑やかに鳴いている。そのうちどこからともなく、キンモクセイの香りがしてきたら本物の秋である。
(2013年9月24日)
堺市長選挙についての「赤旗」報道の力の入れようは相当なもの。あたかも、この一地方選挙が天下分け目の決戦でもあるかのごとき扱いぶり。本日は、一面トップだけではない。2面に「市田書記局長竹山事務所を訪問」の記事、4面の半分のスペースで「堺市長・市議補選市田書記局長の訴え」、さらに社会面にも「堺市長選 無党派宣伝 ザビエルも『都構想ハンタイ』」の報道。東京版でこれなのだから、地元ではさらにさぞかしと思わせる。
昨年末の東京都知事選などとは格段の差だ。あの選挙の出口調査(朝日)では、宇都宮候補に投票したのは共産党支持者の64%に過ぎなかった。信じがたいことだが、共産党支持者の3分の1以上が、石原後継の猪瀬や極端な新自由主義者松沢に投票したのだ。選挙運動に全力を尽くさずには、既得勢力の確保もできないという現実がある。
市田さんの訴えは、さすがに市長選の争点に具体的に切り込む切れ味鋭い内容となっている。たとえば次のように。
「竹山市長のモットーは「市民目線」「現場主義」です。市民とひざ詰めで対話を重ね、出された声を市政運営に生かすという政治姿勢を貫いています。18号台風による大雨で、大和川周辺に「避難勧告」がだされました(16日)。竹山市長はただちに選挙活動を中止し、現場に出向き、陣頭指揮をとりました。
対岸の大阪市はどうか。市政初の避難勧告が朝8時30分に発令されましたが、そのとき橋下徹大阪市長は自宅でツイッターをやっていました。9時32分に「久しぶりのツイッターだな?」とつぶやいたかと思うと、10時までの28分間に14回つぶやき、それが夕方まで延々と続きました。中身は、台風被害ではなく、竹山市長や共産党への悪口ばかりです。
どちらの候補者が市民のくらしや安全を守れるのかはっきりしたのではないでしょうか。」
争点に具体的に切り込む切れ味が鋭い反面、この選挙の全国的な、あるいは歴史的な意義について語るところが乏しい。堺の有権者に向けての選挙演説だからと言えばそれまでのことだが、共産党がこの選挙をかくも重要視しているかの理由を語る点に物足りなさが残る。なにゆえ、独自の候補を擁立せず、革新・リベラル連合でもなく、自民党とまで手を組んでの主敵が「維新」であり、再重要課題が「反維新」なのかを、もっと積極的に語ってもらいたいところ。
もっとも、維新の側にとっては、文字通り党の命運を懸けた背水の陣の選挙。橋下徹は堺に張り付き、平沼赳夫代表、松野頼久幹事長ら執行部が相次いで堺入りしている。それでも、あらゆる調査が維新の劣勢を報告している。自主投票公明支持層の6?7割が竹山支持となってもいる。とすれば、維新逆転の頼みの綱は、「反共攻撃」の一本槍である。しかし、反共攻撃は諸刃の剣、却って墓穴を掘ることになるかも知れない。維新が、政策論争のできる理性的な政党ではなく、感情に訴えるしか能のない反共政党としての本質を露わにすることになるからだ。
堺市長選での維新の敗北は、大阪都構想の破綻を意味する。おそらく、橋下は党の代表を降りることになるのだろう。そうなれば日本維新の会は存続しえない。野党右派の再編や糾合、新党構想にも打撃が生じる。安倍自民は、改憲策動のパートナーを失うことになる。このようなプラスのスパイラルが動き出す…かも知れない。
ところで、堺のような政党間共闘もあり得ることに注目したい。各政党が連携しつつ、独自に無所属候補の選挙運動をするというものだ。現実に、自・民・共・社の4党が連携している。謂わば「政党版勝手連方式」である。これに無党派市民も独自に応援する。
昨年の東京都知事選挙のように、市民団体が主導して、政党に「この指とまれ」と呼び掛ける、その方式だけが現実的な共闘の在り方ではない。堺市長選の共闘の在り方とその運営の実態について、選挙結果が出てからじっくりと学びたい。
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「想像を絶する地下水?その2」 (9月19日付けブログの続き)
9月19日のブログに詳しく書いたとおり、福島第1原発は3・11の事故前、地下水の浮力を防ぐため、毎日850トンの地下水を汲み上げていたとのこと(元電力中央研究所主任研究員本島勲さんによる)。もともと福島原発の敷地は地下水のわきやすい場所で、造成自体が難工事であった。事故後の地下水と混ざり合った汚染水のコントロールはさらに想像を絶する難問で、安倍首相が言うように「ブロックされている」とか「コントロールされている」となどは到底いえない危機的状態にある。
本日(9月23日)のしんぶん赤旗には、元日本地下水学会会長藤縄克之さん(信州大学教授)の話が載っている。汚染水ブロックの困難さについて本島勲さんの意見を補強するものだが、専門家の説得力ある内容だけに、読後途方に暮れるような気分にならざるを得ない。それでも現実から目を背けることはできない。以下に藤縄克之さんの記事を要約する。
「地下水は陸側から海側に流れるという単純なものではない。海岸部の地下では、真水地下水と海水地下水とが交流している。重い海水が軽い真水の下を海側から陸側に向かってもぐりこむのが基本。海岸付近での真水地下水と塩水地下水の交流は半世紀以上前から研究され、大学では地下水学の初歩として教えられている。
このような場所(まさに原発事故現場)で真水地下水を抜くと必ず海水地下水が流入してくるので、水のコントロールは非常に難しい。もし、原発敷地の山側で真水地下水を汲み上げると、海側から海水地下水が原発敷地に逆流することになる。原発の事故現場では、海側に遮水壁が作られているというが、その壁の基部が透水性の低い泥岩層まできちんと入っていないと、その下の隙間や脇から海水が逆流して入り込んでくることになる。
だから、大きなプロジェクトでは必ず地下水についての予備調査が必須である。適切な場所に井戸を掘り、事前に、流路、流速、水位をきちんと調査しなければならない(原発建設時に、地下水学の水準を踏まえた適切な調査は行われたのであろうか。そうした資料は残っているのだろうか。今の泥縄の事故対策を見ていると甚だ疑問ではないか)。
原発の事故対策としては、加えて、放射性物質の水質成分調査、海水と真水の塩分濃度調査、メルトダウンした燃料の影響を知るために地下水の温度分布調査が必要となる。海水と真水の交流状態・放射性物質の移動・熱の移動、これら三位一体の調査をし、実効性のある対策を考える作業は、学会で人材を集めてやっても5年はかかる挑戦となる」
藤縄さんは凍土壁でブロックする計画については、確実性が低いとみている。その理由は凍土壁には、海側から平均18℃の海水が迫り、山側から平均13?14℃の地下水が流れ、内側ではメルトダウンした燃料と使用済み燃料の崩壊熱がかかる。それらの熱を除去して、マイナス40℃を保ち続けるのに、どのくらいの電力が必要で、それをどこから調達するのか。どのくらいの年月続けなければならないのか。ランニングコストはどのくらいかかるのか。確実なことは何も分かっていないからだ。
以上が藤縄さんの見通しである。真面目に考えれば考えるほど、絶望的な気分になる。安全神話に乗っかって、安易に原発の建設をしたツケがこの始末である。再稼働や原発輸出など絶対してはいけない。誰にも責任などとれることではない。この事態は、責任をとるつもりもない人間が寄ってたかって招いた、「我がなき後の洪水」なのだ。
(2013年9月23日)
本日は3連休の中日。天気は晴朗。家に籠もっているのは芸がない。ところが、どこに出掛けるかの算段が容易ではない。人混みは苦手だ。金のかかるところも敬遠。わざわざ外に出て、不愉快な思いをしたくない。で、思いついたのが、葛西臨海公園。オリンピックがらみで、もしかしたら何かあるのではないか…。
京葉線「葛西臨海公園駅」に初めて降りて園内を散策した。人混みに辟易しながら水族館を見学したあと、鳥類園に足を運んだ。こちらはまことに閑静。復元された自然ではあるが、そのたたずまいが好ましい。広い園内をうろうろしているうちにウォッチングセンターにたどりついて、まったく偶然に、しかもまことにタイミング良く、野鳥の会の人々の会合に出くわした。
毎月第4日曜日が定例の探鳥会だそうで、100人規模の探鳥会参加者が共同して本日このエリアで目視した野鳥の種類と個体数を確認しているところだった。相当の時間をかけて、本日の参加者が目にした野鳥は51種類と確認された。その作業が終わったあと、「葛西問題」(オリンピック会場「見直し」問題)についての特別報告がなされた。大要は以下のとおり。
「ご存じのとおり、『野鳥の会・東京』では、葛西臨海公園がカヌー・スラローム競技会場予定地となっていることに、異議を申し立ててきました。『会』としてはオリンピックそのものに反対はしていません。しかし、今や貴重な野鳥の棲息地となった葛西臨海公園を競技会場とすることには納得できません。東京都知事と招致委員会には、『環境保全と両立する東京オリンピックを』と要請し続けてきました。この3月、IOC委員が東京を視察に来たときにも、『会』は委員にアピールをして手応えがあったと考えています。一番の問題は、環境影響評価(アセスメント)にあります。招致委員会のアセスメントは、いまだに明確にされていませんし、IOCの納得を得るものになってはおらず、葛西のカヌー会場のアセスメントは再提出を求められています。
猪瀬知事は、先日『環境に影響あるプランではない。予定のとおりやる』と発言しています。会員の中にも、『もう、何を言ってもダメだね』と残念に思っている方もあるかも知れません。しかし、そんなに簡単に『予定のとおりにやれる』はずはありません。なによりも、IOCは既提出のアセスメントを了承していないのですから、このままでよいはずはありません。招致委員会とは、9月29日にこの問題で話し合うことになっています。全国5万人の『野鳥の会』の会員だけでなく、団体署名は120を超えています。必要になれば、個人署名をいただこうとも思っています。そして、IOCに直接の訴えもしています。『戦いはこれから』です。皆さん、よろしくお願いします。」
帰宅後に、ネットで調べて次のことを知った。
野鳥の会・東京によれば、オリンピック招致委員会がIOCに立候補ファイルと共に提出された環境影響評価書(葛西臨海公園に関する部分)について「委員会都事務局」は「野鳥の会・東京」の公表要求を拒み続けており、「会」は2013年9月8日付の要望書で次のとおり述べている。
「開催地が東京に決まった今こそ都事務局は提出済みの環境影響評価書を公表すべきであり、計画の中身を知らない地元住民や多くの都民に知らせる義務があると考えます。また、IOCが2013年6月に示した各立候補都市に関する評価書においてadditional commentsとして指摘したように、葛西臨海公園及びその周辺に関するより精密な環境影響評価を実施する必要があると考えます」「代替候補地の選定とそれに関する環境影響評価の実施を強く求めます。葛西臨海公園の見過ごすことのできない環境破壊を避ける抜本的な方法として、代替候補地数カ所の選定及び代替候補地に関する環境影響評価を速やかに実施し、新たな計画地の検討に着手することが何よりも重要であると私たちは考えます」
こんなところでも、「情報隠し」だ。隠すのは、多くの人の目を恐れているからにほかならない。規模の大小にかかわらず、権力にとって情報操作は不可欠の保身手段なのだ。
いま、「オリンピック・レガシー」という言葉が大はやりである。だが、負の遺産についての言及が少ない。環境を破壊し生態系を壊して、オリンピックを開催する意義はありえない。葛西臨海公園の鳥類園に足を踏み入れれば、関係者がいかにデリケートに、環境と生態系の保護に気を配っているかを実感することができる。ここには、オリンピックの喧噪は似合わない。野鳥を驚かす建築工事は無用に願いたい。まだ、7年も先のことではないか。十分なアセスメントを実行して、比較的環境への影響が小さくなる場所に変更したらよいだろう。そう、誰もが考えることを都知事や招致委員会はなぜ、見直そうとしないのだろう。
野鳥の会はオリンピック開催には反対しないという。私は反対だ。反対だが、IOCは2020年東京開催を決定した。決定したからには開催されることにはなろうが、できるだけ、デメリットの少ないものにしていただきたい。この点で野鳥の会に同調する。デメリット最小化の一つとして、カヌー競技を葛西臨海公園地域で行うことはやめていただきたい。本日、初めて現地を訪問して、そう確信した。
ではカヌー会場は、どこがよいだろうか。野鳥の会東京には、都内何か所かの腹案があるようだが、私は、東京を離れて福島を提案したい。福島市内ではない、福島第1原発の汚染水が洩れているとされるあの海域での開催。「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」のだから、その「0・3平方キロメートルの範囲」を外した、すぐ側の海域を競技場とすること。汚染水が完全にブロックされコントロールされており、それゆえ福島がいかに安全であるかを世界にアピールする絶好のチャンスではないか。政府の事故処理の自信と、「首相は嘘つきではない」ことのアピールとして、このくらい効果的な名案はなかろうと思う。
多数の観客には、原発事故処理の現場を案内するオプショナルツアーにも参加してもらう。現場作業の実体験イベントや、安倍首相の無責任発言糾弾決議を上げた浪江町町民との交流イベントも組み入れるなど工夫をしたい。せっかく、世界が日本の事故後の処理状況の真実を知ってもらえる最上のチャンスになると思うのだが。
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「ペンギンは人に慣れる」らしい
ペンギンはおかしな生き物だ。鳥か魚か、哲学的な課題を提供する。
「鳥は飛ぶもの」とすれば、飛ぶことができないから鳥ではない。「魚は水の中に棲むもの」とすれば、陸に上がってよちよち歩けるから魚でもない。
水中では確かに飛んでいる。「だから魚である」ともいえるし、だから「鳥であるともいえる。そもそも、定義とは何か、鳥と魚との分類にいかなる意味があるのか。考え込まざるを得ない。
鱗はなくて、羽毛をもつ。鰓呼吸ではなく肺呼吸をする。固い殻の卵を産む。これらのことからは、鳥らしいとしぶしぶ納得するけど、また、お目にかかった時には、きっと考え込むことになる。
葛西臨海水族園に135羽ののフンボルトペンギンがいる。その中の1羽は、昨年、脱走して、82日間東京湾一周旅行で世間を騒がせたペンギンだ。認識番号3373なので、「さざなみ」と名付けられた。カラーリングの識別標がついてはいるが、到底見分けはつかない。
ペンギンたちの遊ぶ様子は上からも見ることができるが、ガラス越しに横からも見える。たくさんの子どもたちがガラスに取り付いている。差し出した手にペンギンが寄ってきて、じゃれるからだ。頭をこすりつけたり、身体をくねらせたり、流し目をくれたり、大サービスだ。大人もびっくりして目を離せない。ペンギンがこんなに人なつっこいなんて知らなかった。まるで猫のようだ。ずいぶん利口そうだし、これなら狭い世界には住み飽きるだろうし、脱走もするだろうと納得。
葛西臨海水族園は家族連れでいっぱいだ。入園料は700円(小学生以下無料、65歳以上350円)で、民間の水族館に較べればとても安い。そのうえ年間パスポート2800円で1年間入場自由だ。駐輪場には子どもイスがついた自転車がいっぱい駐めてある。まわりは広い公園で、江戸川と東京湾散策もできる。家族で楽しんでいるうちに、子どもは「お魚博士」になれる。そのうえ「鳥博士」にもなれる。
広々としたフィールドと屋内外の観察施設を備えた鳥類園では鳥ウオッチングが楽しめる。水辺には、今の季節でも50種類以上の鳥がいる。白く大きくて目立つサギ類、カモ類、シギ類、小さなカイツブリなど、鳥を知らない人でも充分楽しめる。これから冬鳥もふえて、鳥観察の絶好の季節になる。
この鳥類ウオッチングゾーンの環境は、関係者が大切に守り育てて、手塩に掛けて作りあげてきたことがよく解る。一度でもこの場に来て鳥たちを見た人は、この静かで美しい環境を壊してはならないと肌で感じるはず。「野鳥の会」ならずとも、絶対に守っていきたい「東京の宝」だ。
今の季節、花壇には白と黄色と真っ赤なヒガンバナの群落。石垣の間には、ひっそりと咲くいかにも自然感覚のヒガンバナ。まだまだ蕾もあって楽しめる。
以上、いいとこだらけの葛西臨海公園の宣伝でした。
(2013年9月22日)