澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

優秀な官僚の憂愁

「日本の官僚は優秀」。皆さん、そうおっしゃいますし、私もそう思います。その優秀な官僚群の中で、最も優秀なのが私なのです。

えっ? 「何をもって優秀というのか」ですって。そりゃ愚問というもの。官僚たるもの、一に出世、二に出世。三、四がなくて、五も出世。出世を願わぬ官僚はなく、その出世競争を勝ち抜くことこそ優秀の証しなんですよ。
なにしろ私は、優秀な官僚のトップと目される内閣法制局長官に、外務官僚から初めて抜擢されたんですよ。その上の出世といえば、官僚枠をねらっての最高裁判事。そのポストにも手が届くところまで来ているのです。どうです、たいしたものでしょう。

「その人事は極めて異例」ですって? それはそのとおり。異例こそ、私の優秀さの表れなんですよ。優秀な官僚は、時代を読まなければなりません。どっちに向かって、誰にシッポを振ったら、一番出世に有効か。その読みの的確さこそが優秀さの神髄。小泉さんは、アメリカのポチと言われていましたが、私は小泉さんを風向きを読む能力のある優秀な政治家だと思いましたね。そして今は、なんといっても安倍晋三さん。この人のポチとして、尽くすことが、出世の早道なのですよ。私の読みは、あたりましたね。自分の優秀さが恐いくらい。

複数のメディアが私を、集団的自衛権行使容認派だと評していますが、そりゃそうでしょう。政権は私を見込んで異例の抜擢をしたのですから、優秀な私としては、以心伝心、万事飲み込んで、政権の期待に応えなければなりません。日銀総裁の人事と同じですよ。

ただ、見え見えの人事の意図については、とぼけてみせるところに私の優秀さがあります。「どういう根拠で私を容認派だとそういうのかよく分からない」とか、「個人的意見は誰にでもあるが、内閣法制局長官に任命されたからには、その職責を果たします」なんて言ってみせています。

集団的自衛権に関する憲法解釈を変えてしまうには、知恵が要りますよ。誰でもできることじゃない。だから、ほかならぬ私が抜擢されたわけですね。
突然の解釈変更には、恣意的、不自然、姑息、裏口改憲等々、うるさく言われるに決まっています。そこで、持ち出す「手口」が二つ。いや、私としたことが、「手口」などとはしたない言葉を使ってはいけませんね。「手法」とでも言っておきましょうか。あるいは「秘策」とか。これで、あたかも憲法解釈の一貫性を保っているような外観を取り繕うことができる。一種のトリックですね。いや「秘策」です。

その一つは、「事情変更の原則」という常套手段。これまでの憲法解釈を支えていた事情が、予測できないような変化を遂げた今、これまでの解釈は妥当性を失ってしまったという、あれ。まずは、あれを上手に使ってお見せしなければ。

もう一つは、集団的自衛権行使のイメージをなんとなく抵抗感の少ない、きれいなものに変えてしまうこと。いま、集団的自衛権行使といえば、とてつもなくキナ臭くて、国民のアレルギー反応が過剰です。そこをマイルドにイメチェンして、「大したことではありませんよ作戦」を展開すること。

さっそく、「毎日」のインタビューで実践してみました。
「私が忖度しますに、安倍晋三首相の問題意識は二つあります。一つは、日本を巡る安全保障環境が、これまでにない格段の厳しさを増す中で、国民の生命、財産、領土を守ることにいささかの遺漏もあってはならない、というものです。国民の負託を受けた内閣の長として当然の問題意識ではないでしょうか。」

「もう一つは、世界には冷戦終結後、宗教的対立や民族、部族対立、極端な貧困がもたらす国家の破綻などが原因で、明日の食べ物にも事欠く人々がたくさんいます。1992年の国連平和維持活動(PKO)協力法を発端に最近では海賊対処法まで、日本は国際社会と連携して支援の手を差し伸べる努力を積み重ねてきましたが、これで本当に十分なのか、という問題意識です。この両方をカバーするため、安全保障の法的基盤のあり方を内閣で真剣に議論し、結論を出す必要があるというのが首相の考えだと理解しています」

どうです。なかなかのものでしょう。あまり無理をせず、「日本を巡る安全保障環境が、これまでにない格段の厳しさを増す」という言い回しで事情変更の原則をつかい、さりげなく集団的自衛権とはPKOや海賊対処、あるいは世界の貧困対策でもあるんですよ、と押し出すイメチェン作戦。やっぱり、優秀な私ならではの説得力ですね。

加えてもう一つ、カムフラージュ作戦もやっておきましょう。
「内閣法制局の任務は、法令が憲法を頂点とする法体系と整合性があるかどうかを審査することと、法律問題について内閣、首相、各閣僚に意見を述べることです。首相が安全保障の法的基盤のあり方を内閣として議論するというのだから、法制局は法的問題について適切な意見を申し上げる。そういう議論に積極的に関与していくべきではないかと思っています」

どうです。文句の付けようがないでしょう。もちろん、私が求められている役割は国会で堂々と「集団的自衛権の行使は、現行憲法が禁じているところではない」と答弁すること、そして、国家安全保障基本法の国会審議において、「この法律が定める集団的自衛権の行使は現行憲法の解釈において容認されるところ」とフォローすることですよ。そのために、私は異例の出世をしたのですから。でも、そうあからさまには言わない。「法的問題について適切な意見を申し上げる。そういう議論に積極的に関与していくべきではないか」なんちゃって。

それから、歴代の内閣法制局長官の顔も立てておかねばなりませんね。こうも言っておきましょう。
「諸先輩は、憲法解釈は法的安定性や整合性が極めて大事なので、極めて慎重に対処すべきだと言っています。その通りです。諸要素を総合的に判断し、適切な意見を述べます。内閣が出す結論がどうなるか今の時点で予断できないので、歴代長官と私で違いがあるかどうかは言えません。ただ、内閣の意思と離れて、内閣法制局が勝手に解釈を決めてきたという認識はまったくの誤解です」

自分の手を縛ることなく、これまで内閣法制局が独断専行せずに内閣の方針に従っていたと言っておけば、内閣の方針変更に追随する法制局の解釈変更を合理化できる。これで、満点でしょうね。

とはいうものの、すべてが、見え透いていますからね。優秀な私も、本当は憂愁な気持なんですよ。やっぱり、世論が恐い。解散総選挙が一番恐い。こんなことやっていて、安倍政権は本当にもつんでしょうかね。政権と心中なんて、私のシナリオにはありませんから、場合によったら、買い主の手を噛むことも考えておかないと。それが官僚としての本当の優秀さかも知れませんね。

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  アメリカは横須賀から出て行け!
  「子どもに銃持たす米兵」
米海軍横須賀基地は、毎年「基地開放イベント」を行う。今年は8月3日に開催され、公開された基地を市民が見学した。その際、米兵が訪れた子どもたちに銃を持たせ、射撃の構えをさせていたことが問題になっている。それだけでなく、海兵隊員たちは、見学者の前で「Kill! Kill! Kill!(殺せ! 殺せ! 殺せ!)」と叫んだり、相手の首を絞める武闘訓練を行ってみせた。これをみかねた、「平和委員会」や「新婦人の会」などの市民団体が「日本の銃刀法違反に当たり、市民交流の趣旨にはずれている」として、米軍側と横須賀市に抗議文と質問状を出した。

米軍側の対応は素早く、29日同基地司令官のディビッド・グレニスタ大佐が横須賀市を訪れ釈明した。「部隊装備品のデモンストレーションを行っていた。子どもたちの持っていた銃はモデルガンだった」と釈明し、「文化的な背景の違いから一部の方々に対し、意図せず大変不快な思いをさせてしまった」と述べた。今後同様のことが起こらないよう最大限配慮すると謝罪もした。

おそらくは、銃規制のない野蛮な国から来た兵士たちは、日本の銃刀法のことも、憲法9条のこともまったく知らないに違いない。「武器は世界中の子どもが欲しいもの」「同盟国の戦意の昂揚を見せれば、日本国民は喜ぶだろう」と、思い込んでいるのではないか。

こんな時こそ、県なり市なりの教育委員会はすぐさま、米軍に強く抗議しなければならない。
「残虐で暴力的である。子どもの教育上由々しき問題だ。二度とこんなことがあってはならない」と。
そして、学校長を集めて「子どもたちがこのような好戦的行事に参加することは好ましくない。指導の徹底を」と指示すべきであろう。そうしてこそ、教育委員会の存在意義がある。日の丸・君が代問題強制を記述した歴史教科書を排除しているばかりが、仕事ではなかろう。

  「もっと怖い原子力潜水艦の原子炉」
横須賀には、「基地開放イベント」より格段に恐ろしい「時限爆弾」が潜んでいる。
横須賀軍港には海上自衛隊とともに在日米軍海軍司令部があり、第7艦隊司令部がある。横須賀軍港は歴史的には大日本帝国海軍の横須賀海軍工廠であったが、戦後、アメリカ海軍に接収され、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争の前線基地としての大きな役割を担ってきた。現在はアメリカ海軍第7艦隊に属する航空母艦ジョージ・ワシントンの母港となっている。

原子力空母ジョージ・ワシントンは、熱出力60万KWの原子炉を2基積んでいる。横須賀市の直近の海の上に福島原発が2基あると同じことである。これだけでなく、原子力潜水艦も、頻繁に軍港に出入りする。そのときは、潜水艦と合わせて3基の原子炉が東京湾内の横須賀基地に集合することになる。

原子力空母の原子炉は、20年に1回燃料を取り替えるだけでいいということを売り物にしているが、どうしても艦内の「放射性廃棄物」と「死の灰」はどんどん貯まっていく。ジョージワシントンが、横須賀を母港としているということは、例年1?5月の4カ月間、横須賀に留まって、定期整備を行うということなのだが、その際に「放射性廃棄物」の艦外排出(クレーンで別の貨物船に積み替え米本土へ輸送する)を行っている。

実は、母港にするときの日米の合意で、放射能に曝された物質は艦外に出さないとされていたが、約束に違えて、2008年の横須賀配備以来5回も排出が行われている。「放射性廃棄物」の艦外排出の有無にかかわりなく、横須賀市のすぐそばに「死の灰」満杯の福島原発が2基あるということになる。これには慄然とせざるを得ない。

近い将来、首都圏地域に地震が必ず起こるといわれている。大きな船だ、すぐ動くことなどできはしない。津波でジョージ・ワシントンが陸に乗り上げるなり、冷却水の汲み上げができなくなったりすれば、原子炉のメルトダウンが起こる。東京湾は「死の海」になってしまう。無論、ジョージ・ワシントンの原子炉に日本の原子力規制委員会の審査の及ぶところではない。規制はできないのだ。何が起こっているのか、何をやっているのかすら闇の中だ。

とすれば、沖縄からは無論のこと、横須賀からも早急に米軍は出て行ってもらわなければならない。首都の近くに、こんな危険なものを持ち込まれてはたまらん。詳細は、「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」の下記サイトをご覧いただきたい。とりわけ、福島の原発事故を他人事と思っている首都圏在住者の皆様には、ぜひとも。
  http://cvn.jpn.org/
(2013年8月31日)

実教出版『高校日本史』とはどのような教科書か

高等学校の歴史教科書問題が再燃している。不当な教科書「検定」の問題ではなく、検定済み教科書「採択」が不公正という問題である。各地の「偏った」教育委員会によって現場での採用が排除されているのだ。教育委員会による「教科書再検定」あるいは、「二重検定」ではないか。

すっかり有名になった、実教出版の「高校日本史」。現場教員の評判はすこぶる良いようだ。「子どもと教科書全国ネット21ニュース」の8月号に、「実教出版『高校日本史』とはどのような教科書か」というタイトルで、この教科書の代表執筆者が寄稿している。37年間千葉の公立高校で日本史の教師をし、現在東京学芸大学特任教授という立ち場の加藤公明さん。その、生徒目線での教科書作りの姿勢が、何とも好ましい。しかも、それだけでなく、次のように芯の通った内容をもつものなのだ。

「民衆の視点で歴史を通観できる記述に心がけました。生徒が歴史を主体的に学べる教科書であるためには、その教科書がどんな観点から歴史を通観させようとしているかが重要です。教科書も歴史書である以上、一定の観点がなければ各章(時代)の記述に統一性がなく、どんなに記述が詳細でも、全体として一つの時代像や歴史観を結実させられません。そのような教科書では生徒は結局のところ歴史を学べないと思います。『高校日本史』は歴史学の最新最良の成果を活かし、民衆史的な観点を重視して、各時代の民衆の労働や生活、運動を、史料を紹介しながら記述しています。その他にも、地域の歴史や女性史を重視したり、世界特に東アジアの中で日本を捉え、時代を構造的に理解し、歴史に果たした一人ひとりの人間像がわかる記述を充実させました」

周知のとおり、この教科書の受難が続いている。国旗・国歌法をめぐる解説の脚注に、教育委員会にとって都合の悪い、その意に沿わない記述があるから採択しないというのだ。その「不都合な真実」とは以下のとおり。

「国旗・国歌法をめぐっては、日の丸・君が代がアジアに対する侵略戦争ではたした役割とともに、思想・良心の自由、とりわけ内心の自由をどう保障するかが議論となった。政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし一部の自治体で公務員への強制の動きがある。」

この教科書の既述は、すこぶる正確である。正確であることは、実は各教委も知り抜いている。正確な記述であればこそ、骨身に沁みて痛い。痛いからこそ、教科書として使われることを拒絶したのだ。加えて、民衆史的な観点、女性重視、東アジアの中で日本をとらえる視点‥、頭の固い人々にはいかにも嫌われそう。

東京都教委は、予てからこの教科書の採択を避けるよう校長に圧力をかけていたが、本年6月27日に「使用は適切でない」と校長宛に文書通知を発出。大阪府教委がこれに続いて、7月16日に「記述は一面的」とする見解を示している。さらに、神奈川県教育委員会が教科書選定に介入し、実教出版の日本史教科書を希望した県立高校に再考を促し、8月22日該当の全28校について他社の教科書に変更させた。こうして、東京と神奈川の公立高校では、実教日本史の採択は1校もなくなった。これは由々しき大問題である。

一方、強い反対運動の成果も現れている。本日の共同通信配信記事によれば、「大阪府教育委員会は30日、府公館で会議を開き、府立学校で2014年度に使用する教科書をめぐり、国旗国歌法に関する記述を「一面的」と指摘していた実教出版(東京)の高校日本史教科書の採択を決めた。8校が使用を希望しており、府教委が疑義があるとする部分について指導や助言をするとの条件を付けた。陰山英男委員長は会議で『学校現場の判断を尊重したい。不採択はあまりにもハードルが高い』との認識を示した。」という。

朝日によると、「府教委事務局は、実教出版の教科書について、(1)採択しない(各校に再選定を指示)(2)『起立斉唱を求めた職務命令は最高裁で合憲と認められた』と説明するなど、教科書の記述を補完する具体策を各校に実行させることを条件に採択する、という二つの対応案を提示。陰山英男委員長が条件付きの採択で異議がないかを確認し、了承された。」という。

「起立斉唱を求めた職務命令は最高裁で合憲と認められた」という記載の一面性については、私の6月28日ブログ「東京都教育委員諸氏よ、恥を知りたまえ」に詳細なのでぜひお読みいただきたい。

東京都教育委員諸氏よ、恥を知りたまえ


ともかく、大阪府教育委員会は、東京や神奈川よりは、少しはマシだった。

なお、埼玉でも同様の問題があり、県議会の超党派右派議員でつくる「教科書を考える議員連盟」(小谷野五雄会長)は8月12日、県教育委員会に対し、実教出版の高校日本史教科書を採択しないよう要望した。しかし、今月22日、埼玉県教育委員会は県立高8校での使用希望を認めた。奇妙な条件を付さなかったのだから大阪よりずっと立派である。

ところで、各教育委員会とも、「公立学校で使用される教科書についての採択の権限はその学校を設置する市町村や都道府県の教育委員会にある」ことを当然の前提としている。しかし、正確には、採択権限の所在を明確に定めた条文はない。

この点文科省は、教育委員会に権限あることを前提に、採択の方法について、「高等学校の教科書の採択方法については法令上、具体的な定めはありませんが、各学校の実態に即して、公立の高等学校については、採択の権限を有する所管の教育委員会が採択を行っています。」と言っている。

根拠条文がなければ、条理(原理原則)に基づいて判断するしかないが、教科書採択が、教育内容そのものであり典型的な「内的事項」である以上、教育条件の整備に徹すべき教育行政の権限外といわざるを得ない。各教育委員会の教科書採択「介入」の強引な手法は今後、違憲違法として問題を残すものとなろう。

再び、加藤さんの「実教出版『高校日本史』とはどのような教科書か」。
「実教出版『高校日本史』は、私をふくめ、実際に教科書を活用して授業をしてきた現場の救師たちの経験と提言をもとに、少しでも生徒にとって学びやすく、彼らが主体的に歴史を考えられる教科書をつくろうとして生み出された教科書です。どうか、一人でも多くの方に手にとっていただき、そのことを確かめていただきたいと思います。そして、そのような教科書を、国旗・国歌法をめぐる脚注の一部に自分たちにとって都合の悪い事実(「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」)が書かれているというだけで排除してしまおうとする東京都教育委員会などの決定がいかに非教育的で、よりよい歴史教育の実現、生徒を歴史認識の主体に成長させて平和と民主主義の担い手として育てようとする社会科・地歴科教育の進展に逆行するものであるかを理解していただきたいと思います」

まったく、そのとおりだ。できるだけの支援をしたい。
(2013年8月30日)

元法制局長官4人目の解釈改憲批判発言

最近、時の政権に耳の痛い、元高級官僚の発言が目立つようになった。高級官僚上がりといえば当然に現政権におもねった連中、そのようなこれまでの通り相場からは様変わりの様相。原因は、安倍内閣のトンデモ度にある。この政権の危うさをどうしても黙ってはおられないという、「五分の魂」の表れなのだ。孫崎享、?澤協二、谷野作太郎…。そして、もっとも切実なのが、元法制局長官の諸氏。安倍内閣の姑息な解釈改憲の手口に我慢がならないが故の発言。

8月9日付「朝日」・「毎日」両紙での阪田雅裕氏コメントが口火を切った。20日には最高裁判事就任の記者会見で山本庸幸氏がこれに続いて大きな話題となった。次いで、8月25日付赤旗日曜版一面に、「9条から見て、とても無理」という「元法制局長官語る」の記事が掲載された。「匿名の元長官」が雄弁に語っている。そして、本日の各紙に、時事通信の配信記事として、第一次安倍内閣で法制局長官だった、宮崎礼壱氏のインタビュー記事が掲載されている。

時事の記事の大要は以下のとおり。
「宮崎氏は、集団的自衛権の行使を可能にするための憲法解釈の変更について、『(法律上)ものすごく、根本的な不安定さ、脆弱性という問題点が残る。やめた方がいいというか、できない』と述べ、反対する考えを示した。」「宮崎氏は憲法解釈の変更について…集団的自衛権に関して『憲法を改正しないと行使できないはずだという意見は(現在も)全く変わっていない』と強調した。」「憲法解釈変更による集団的自衛権の行使に関し、『自衛隊法改正をはじめとする、もろもろの法改正をやって法的根拠を与えないと、実際には自衛隊に命令できない』と説明。その上で『(それらの法整備が)客観的に見て、もし違憲ならば、無効な法律ということに理論的にはなる。その法律自体が裁判所で、あるいは別の内閣ができた時に『違憲だ』とひっくり返るかもしれない』と語り、法的安定性を欠くことに懸念を示した」

最高裁で違憲とされる可能性まで言及したのは、よほどの覚悟での発言。さらに注目すべきは、「インタビュー(要旨)」の中での次の発言。

問:国際情勢の変化は解釈変更の理由になるか。
答:ものによる。あまり議論されたこともない憲法の条文がクローズアップされ、新しい解釈を打ち出すこともあるだろう。集団的自衛権の問題はそういうものと違い、歴代内閣が今まで繰り返し「できない」と言ってきた。自国が攻撃されていない時、他国を防衛するために、組織的に人を殺し、飛行場や橋や港を攻撃、破壊することはできないと言ってきたのを変えるような情勢の変化は想定しにくい。

名問名答である。
「自国が攻撃されていない時、他国を防衛するために、組織的に人を殺し、飛行場や橋や港を攻撃、破壊すること」、これが集団的自衛権の内実。「このことはできないと言ってきた」。つまりは、集団的自衛権の行使は憲法上不可能とくり返し言ってきた。そのことは、これまでの国際状況を踏まえて議論が積み重ねられてきたはず。それを今ごろになって、国際情勢の変化を口実に、これまでの議論を一変させ無にするごときことがあってはならない、そのような理屈の通らない解釈の変更による実質的な憲法改正を認めてはならない、ということなのだ。

氏の発言は、得になることは何もあるまいに、人ととしての心意気のなす業。これで、元長官の発言者は、匿名の一人を含んで4人となった。

ところで、内閣法制局長官は、多少の名称変更はあるが、内閣制度が発足して第1次伊藤博文内閣に初代の長官が選任されて以来、今回の小松一郎で65代目となる。
その最近30年間では11名の長官が在位した。その名は以下のとおり。

茂串俊(54代)、味村治(55代)、工藤敦夫(56代)、大出峻郎(57代)、 大森政輔(58代)、津野修(59代)、秋山收(60代)、阪田雅裕(61代)、 宮?礼壱(62代)、梶田信一郎(63代)、山本庸幸(64代)

このうちの4名が解釈の変更による集団的自衛権の行使を認めるべきでないことの見解を表明したのだ。憲法政治の安定性のために、さらに心意気のある人物の名乗り出を期待したい。

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   「潘基文国連総長発言」の真意

歴史認識と改憲策動とは、緊密に結びついている。今次の大戦を不義の侵略戦争と認めて反省するところが、日本国憲法の構造の出発点である。再び侵略戦争を繰り返さない。被害者にも加害者にもならない。その不戦の誓いが憲法9条となり、前文の平和的生存権に結実した。歴史を修正し歴史から学ばない者は、日本国憲法を「国家の体裁をなさない丸腰憲法」「普通の国の憲法に改正すべきだ」と攻撃する。その声は、安倍政権下で、異様に大きくなっている。

前の戦争は自存自衛のやむを得ない戦争だった。残虐行為は多少あったとしても、そのぐらいは普通、他の国だって同じだよ。このままでは、国境の島をとられてしまうんじゃないの。もっと武装しなきゃ舐められる。平和主義の憲法第9条なんかなくして、武器も強くして、アメリカと一緒に戦争できる国にならなきゃ。戦争が残虐だなんていったら、子どもたちが怖がって、兵隊になり手がいなくなる。へんぽんと「日の丸」掲げて、「君が代」唄って、一致団結だ。戦争で死ねばお国に御霊を捧げた英霊だ。靖国神社に祀って、総理大臣がお参りして、軍人恩給だってつくよ。

安倍政権下では、そんなことが繰り返し繰り返し言われるものだから、アジアの人々は、日本軍国主義の復活の悪夢再びと懸念し、また日本が攻めてくるんじゃないかと心配になってくる。日本国内にも、反対意見や批判が巻き起こっている。

そのような状況の反映が、8月26日の潘基文国連事務総長発言となった。
日本と中国・韓国の関係の悪化を心配して「歴史認識問題や政治的な理由で緊張関係が続いていることを極めて遺憾に思う」「北東アジアの指導者は自国の発展だけでなく、北東アジアの発展、アジアの発展、世界の共存、共栄のためにどのようなことができるか考えることが必要だ」と述べ、さらに、日本の憲法改定の動きを周辺国が心配していることに関連して、「歴史をどう認識したら、未来志向的な善隣国家関係を維持できるのか。日本政府や政治指導者が非常に深く省察し、未来を見通すビジョンが必要だ」と指摘した。

これが、アジアの常識であり、世界の良識であろう。まさしく、わが国の現政権を担う者、心して耳を傾けなければならない。ところが、政権はこれに即座に反発した。次の菅官房長官の記者会見発言である。

「わが国の立ち場を認識した上で、(発言が)行われているのかどうか、非常に疑問を感じている」「事務総長(発言)の真意を確認し、引き続き日本の立場を国連などで説明していきたい」

菅発言の内容は、「事務総長発言に誤解あり」というもの。「わが国の立ち場を正確に認識していただけば誤解は解けるはず」と言っていることになる。果たしてそうだろうか。

安倍政権の歴史認識はどうなっているのだ。アジア・太平洋戦争が侵略戦争であったことを認めるのか。植民地支配の不当性を認めるのか。従軍慰安婦の存在と強制性を認めるのか。東京裁判の正当性を認めるのか。侵略や植民地支配や、戦争犯罪による近隣諸国の民衆の被害に謝罪する気持があるのか。村山談話や河野談話を、きちんと継承するのか。

国連事務総長に、「わが国の立ち場を正確に認識した上での発言か」というまえに、誤解をされていると思われる具体的な事項について、明確に所見を述べるべきであろう。

この両者の角逐は、日本の独善とアジアの憂慮との矛盾をさらけだすものとして、注目されたが、問題の本質を明確化するに至らなかった。外交辞令で、ことが納められたからである。

28日、ハーグの会合の立ち話で、事務総長は松山政司副外相に「日本のみについて指摘したのではない。日中韓3カ国の指導者は過去をしっかり理解して克服していくべきだ」「日本で発言が誤解されたことは残念。歴史認識に関する安倍政権の立場や平和国家としての日本の努力はよく承知している」と釈明した。29日菅官房長官は「真意は明らかになった。これ以上問題視しない」と矛を収めた。

潘基文事務総長発言の真意は「日本、ドイツ、イタリアのファシズムが引き起こした侵略戦争について思い起こしてほしい。安倍政権は平和憲法を変えようなんて考えないで、良好な善隣関係を未来に向かって築くにはどうしたらいいか深く考えてほしい」と希望したのだ。安倍政権の歴史認識問題と改憲策動に深い憂慮を示したものでもある。

にもかかわらず、菅官房長官は何も理解しなかったようだ。「(事務総長発言の)真意は明らかになった」という「真意」とは何なのか、余人にはサッパリ解らない。官房長官はいったい何を理解したというのだろうか。

安倍政権の歴史認識と改憲姿勢が続く限り、世界の至るところで、今回の事務総長と同様の発言が繰り返されるだろう。アジアにおいては、とりわけ切実な内容となるだろう。今回は外交辞令の応酬だけでことが収まったが、いつまでもこうはならない。安倍政権は、世界の良識が日本の歴史認識と改憲の動きを危うんでいることを、真摯に自覚すべきである。(2013年8月29日)

「敗戦」か、「終戦」か

流石の猛暑にも陰りが見えて秋の気配。セミの声がコオロギに変わった。8月もそろそろ終わり。

ところで、68年前の8月に、日本は「敗戦」したのか、「終戦」を迎えたのか。8月15日は「敗戦の日」か、それとも「終戦の日」か。「終戦記念日」か、「敗戦を記憶にとどめる日」なのか。以前からその選択に迷っていた。迷うことにたいした意味があるとも思わず、決めかねてもいた。決めかねながらも、次第に「終戦派」に与するようになってきた。

戦争に疲弊した国民の実感からは、ようやく戦争の辛苦から逃れ得た「終戦」であったろうと思う。自分の母の語り口からその感は強い。太平洋戦争だけでも4年近く、「満州事変」からだと足かけ15年である。ようやくにして「戦争は終わった」と庶民は思ったことだろう。もうこれで、空襲もない、灯火管制もない。戦地の家族も帰還できる、というホッとした感じ。だから「終戦」。

これに対して、「終戦」は戦争責任を糊塗するための意図的なネーミングだという論難が昔からある。「退却」を「転進」と言い換えたと同様に、「終戦」とはこっぴどい負け方を隠蔽するための造語なのだから、事実を正確に見据えて「敗戦」というべきだというもの。危うく戦死を免れ、親しい人を戦争に失って、怒りの気持押さえがたく、戦争責任の追及に意識的だった人の実感であったろう。

「敗戦」は、無謀にも負けることが必然であった戦争を始めた者の責任を明らかにせよ、という論理に親和的である。「終戦」よりも、負け戦故の辛酸への怒りが感じられる。「こんな戦争を始めた奴は誰だ」という怒りの声を出すときは、「敗戦」がふさわしい。

しかし、戦争の悲惨は「敗者」の側にだけあるのではない。堀田善衛が上海で見たという「惨勝」という落書きは、勝者の側の惨禍を物語っている。「負けた戦争」の悲惨ではなく、勝敗を問わない戦争それ自体がもたらす悲惨さを語らねばならない。そして、問うべきは「敗戦」の責任ではなく、戦争そのものについて、始めたこと、長引かせたこと、敵味方を問わず無益に人の命を奪ったことの責任ではないか。ならば、戦争の終結は、敢えて「敗戦」とする必要はなく、「終戦」でよいのではないか。

「敗戦の日」「敗戦を記憶する日」には、勝敗へのこだわりが感じられる。「今回は負けたが、次は必ず勝つぞ」というニュアンスがないだろうか。一方、「終戦」は、すべての戦争をこれでお終いにする、という積極的な含意を持ちうる。

ところで、例の村山内閣総理大臣談話の正確な標題は、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」である。公式英語版では、”On the occasion of the 50th anniversary of the war’s end”である。「終戦」(war’s end)であって、「敗戦」(defeat in the war)ではない。

ところが、本文には、「敗戦後」「敗戦の日から」という用語が各1箇所あって、「終戦後」「終戦の日から」という用語法はない。標題とのチグハグが、あるといえばある。

本日の「毎日」夕刊「特集ワイド」谷野作太郎・元駐中国大使に聞く(下)にその経緯が解説されている。同氏は、村山談話の作成に深く関わった人。以下の引用のとおり。

「村山談話」という言い方が定着してしまったので、あれは、一部では社会党委員長である村山富市さんが個人的所感を述べたものに過ぎないという受け止め方があります。しかし、あの談話は閣議を通した談話ですから「戦後50年に際しての日本国総理大臣談話」というべきものです。もっとも村山首相の下にあった内閣だからこそ、あのような「談話」ができたというのも事実でしょう。

 当時の内閣は、自民、社会、さきがけの3党連立内閣。自民党内には「歴史」について一家言のある閣僚方がいらっしゃいました。この方々には野坂浩賢官房長官自ら事前に話をされたようです。日本遺族会会長だった橋本龍太郎元首相(当時は通産相)には村山首相自ら話をされました。その結果、談話原案では2カ所で「敗戦」「終戦」と書き分けてあったのを「敗戦」にそろえてはどうかというご意見を橋本元首相からいただき、その通りにしました。

 後で橋本元首相は「遺族会の大多数の人たちは、自分たちの夫、兄弟、父親は無謀な戦争に駆り立てられて亡くなった犠牲者だと思っている。だから『敗戦』でいいんだ。ただ、今日の日本の平和と繁栄はこの人たちの犠牲の上にあるということを忘れてはいけない」とお話しになっていました。(引用終わり)

これだけの解説では、橋本の真意はよく伝わってこない。しかし、当時、遺族は「敗戦」という言葉を嫌っていたのではなかったかと思う。橋本は、敢えて「敗戦」という言葉を使うことによって、「無謀な戦争の犠牲者となった」という戦死の意味を整理して見せたのだ。

橋本のその言は評価するにやぶさかではない。しかし、私は、宗旨を変えずに、これからも「終戦」派で行こう。

 
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  「教科書訴訟」と「はだしのゲン」
戦後しばらくは、文部省の姿勢は至極真っ当であった。侵略戦争の不正義をみとめ、反省と不戦の決意を教育の方針としていた。

1946年の文部省『新教育指針』は、「満州事変以来の日本は、内に民主主義に反する政治や経済を行ったと同時に、外に国際民主主義の原則に反する行動をとった。・・かうした態度がやがて太平洋戦争の原因ともなったのであって、われわれは今後再びこのやうなあやまちをおかさないやうにしなければならない」と分かりやすく述べている。

同年の国定日本史教科書『くにのあゆみ』には「国民は長い間の戦争で大へんな苦しみをしました。軍部が国民をおさえて、無理な戦争をしたことが、このふしあわせをおこしたのであります」と明快である。

47年の文部省著作『あたらしい憲法のはなし』には、「戦争は人間をほろぼすことです、世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません」と、戦争への批判が横溢している。

さらに、49年の文部省著作『民主主義』には、「世界人類に大きな悩みと、苦痛と、衝撃とを与えた第二次大戦については、ドイツとならんで日本が最も大きな責任を負わなければならない」として、日本の「責任」を当然のものとしている。

ところが、1953年池田ロバートソン会談以降、戦争に関する文部省の公式見解は180度の転換をとげることになる。家永三郎著の高等学校教科書「新日本史」が検定で不合格となったのは1963年である。そのとき、不合格理由の口頭告知をした文部省の教科書調査官は、家永に「(戦争の叙述が)全体として暗すぎる」と述べている。「暗い」と具体的に指摘されたのは、「本土空襲」「原子爆弾とそのために焼け野原となった広島」「戦争の惨禍」などの一連の図版であった。まさしく、「はだしのゲン」の世界である。

また、この不合格処分の取り消しを求める第一次家永訴訟において、被告国側はこう主張している。「家永教科書には『戦争は聖戦として美化され』『日本軍の残虐行為』『無謀な戦争』等の字句が見えるが、これらは第二次大戦におけるわが国の立場や行為を一方的に批判するものであって、戦争の渦中にあったわが国の立場や行為を生徒に適切に理解させるものとは認められない」

文部省だけでなく、一般国民の戦争観にも変化があった。家永は、「のどもと過ぎれば熱さを忘れる、という退化の傾向が顕著になっている。とくに若者の間には、どこと戦ったのか、どっちが勝ったのか、というあきれた質問まで出る事態となっている。太平洋戦争の再認識のためにこの著書を著した」と述べている。

戦争のできる国の再現を望む勢力は、意識的に、過去の戦争の美化をもくろむ。戦争の悲惨さを糊塗しよう、戦争の責任の所在を語ることを止めよう、あの戦争はやむを得なかった、戦争を担った人を顕彰しよう、皇軍に戦争犯罪はなかった…、と主張する。国も、時の政権も、保守政党も、右翼勢力も、軍需産業も、そしてポピュリストたちも。

それにしても、何度繰り返さなければならないのか。「戦争は、自存自衛のためやむを得なかったのだ」「日本軍の行った残虐行為はなかった」「慰安婦問題はなかった」。「多少あったとしても、どこの国もやっていたこと」。「我が軍を貶めるのは自虐」「一方的な押しつけ」だ。

さらに、これに加わるのが、戦争の残虐さを名目に、子どもたちから戦争の事実を遠ざけること。本心は、我が国将兵の行った戦争犯罪を隠蔽したいのだし、戦争そのものの残虐性を隠したいのだが、描写が「残虐」で「暴力的」で、「子どもの健やかな成長に適切ではない」とカムフラージュする。

松江市教育委員会の「はだしのゲン」かくしは、悲惨な戦争の現実隠しだし、日本軍の責任隠しなのだ。当時の国策による「非国民」弾圧隠しでもある。

幸いに、早急かつ広範な抗議の声の効果によって、書籍隠しの指示は撤回されたが、各地にはまだまだ問題が残っている。実教出版の日本史教科書が、「日の丸掲揚・君が代斉唱」の強制に触れたことから、「教育委員会の指導と相容れない」として、「不採用」となっている。ここにも、教科書をめぐって真実を恐れる公権力の不当な行使がある。

「はだしのゲン」の作者である中沢啓治さんは、生前「戦争はきれいなものではない。いかに平和が大切かゲンを読んでかみしめてもらえればうれしい」と言っている。家永さんも「戦争についての理解は、学校教育での歴史の取り扱い方や、テレビ・映画・劇画その他のマスメディアを通じての戦争の表現に規定される・・何といっても一番重大なのは、学校教育で戦争をどのように教えるかという点であろう」と言っている。教科書を含むあらゆるメディアにおいて、戦争を語ることを萎縮させてはならない。

故中沢啓治さんと家永三郎さんが天国で、「がんばれ、公正な教科書」「がんばれ、はだしのゲン」とエールの交歓をしているに違いない。
(2013年8月28日)

「解釈改憲による集団的自衛権行使容認」の世論は絶対少数だ

安倍政権がたくらむ解釈改憲によっての集団的自衛権行使容認の可否が、憲法問題の当面の焦点である。ようやく、各メディアとも、この問題に大きな関心を寄せてきている。

たまたま、「朝日」「毎日」「日経」「共同通信」4社の世論調査結果が、26日付の各紙で発表になった。消費増税の世論調査とセットになって、そちらに見出を取られたために必ずしも注目度が高くない。が、「(集団的自衛権行使容認に)『反対』の声が広がっていることが報道各社の世論調査で明らかになりました」と、本日の赤旗が報道しているとおりである。

各紙の調査結果は以下のとおり。
「日経」 集団的自衛権の行使容認に「賛成」 32%
     集団的自衛権の行使容認に「反対」 54%
     
「毎日」 集団的自衛権を行使できるようにした方がいいと思う 37%
     行使できるようにした方がいいと思わない 53%

「朝日」 憲法解釈を変えて集団的自衛権を使えるようにする賛成 27%
      憲法解釈を変えて集団的自衛権を使えるようにする反対 59%

「共同」 憲法解釈の変更で集団的自衛権行使を容認すべき   20・0%
      憲法を改正して行使を容認すべき              24・1%
      集団的自衛権については「行使できないままでよい」   47・4%

選択肢を3個にした点については共同の調査が行き届いている。「毎日」の「集団的自衛権を行使できるようにした方がいいと思う 37%」は、「解釈改憲による集団的自衛権行使容認」の意見だけでなく、「堂々と改憲の手続を踏んでの集団的自衛権には賛成だが、解釈改憲という姑息な手段によることには反対」という意見をも含むものとなっている。今、その両者の区分けが重要な論争点になっているにもかかわらず、である。

いずれの調査結果も、「憲法解釈の変更によっての集団的自衛権行使を容認する」世論は、絶対少数である。安倍政権の薄汚い解釈改憲手法に拒絶反応があることは、共同の「3選択肢設問」に対する回答が示唆するところである。

安倍政権は、けっして強固な国民の支持を得てはいない。とりわけ、憲法問題においては。ここで世論を読み間違えて強引な手法に走ると、あっという間に政権は崩壊しかねない。各調査結果はそう語っている。なお、今後の推移を注視したい。

以上の世論調査結果について、本日の「朝鮮日報」(日本語版)が、共同の調査を中心に詳しく報じ、関連して次の記事を掲出している。(「朝鮮日報」は韓国最大発行部数のクォリティペーパー)

「共同通信が26日報じたところによると、日本政府と自民党は、集団的自衛権の行使に向けた手続きを盛り込んだ『集団的自衛事態法(仮称)』の制定を検討しているという。自民党が現在検討している『集団的自衛事態法』は、米国などの同盟国が第三国から攻撃を受け、日本に支援を要請した場合、首相が自衛隊の出動計画を立て、国会の承認を得られるようにするという内容だ。また、国会の議決によって、集団的自衛権の行使を中断するという内容も盛り込まれる見通しだ。共同通信は『集団的自衛権の行使について、国会の承認を義務付ける内容が盛り込まれているのは、(自民党と連立政権を組む)公明党や野党の反対を抑えるためだ』と報じた。だが、緊急事態が発生した場合、事後承認を認めるか否かについては論議を呼ぶとみられる」

日本の集団的自衛権問題についての、韓国メディアの関心の高さを窺うことができる。当然に、中国やシンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン等々も同様であろう。安倍政権の憲法政策は、国の内外から、鋭敏な眼で見つめられている。いやそれだけではなく、人類史が積み重ねてきた叡智と良心から見つめられていると知るべきだろう。
(2013年8月27日)

戦時国策標語に見る権力の本質と怖さ

何とも凄い題名の書が出たものと驚いた。
  「黙って働き 笑って納税」(里中哲彦著・現代書館)というのだ。
一瞬、消費税の本質暴露本かと思ったのは大間違いで、戦時中の国策標語を集めた著作だという。税務署がつくったというこの凄い標語を書名にしたセンスが光る。

国策の二大領域は、徴税と徴兵。その徴税における国家の本音を実によく表現している。この本音、実は戦時に限らず、平時の今にも通じるもの。平時には言えず、戦時だからこそあからさまにしえたこの標語は、今読み返すに十分な値打ちがある。今は表面慇懃でにこやかな税務署であるが、その本音は国民に対して「文句など言わずに黙々と働け。そして、喜んで稼いだ中から国家に納税したまえ」と言いたいのだ。戦時国策標語は、今に通じる「権力の本音」と読むことによって、今なおその強い生命力を失わない。

本日の東京新聞(朝刊)に、大きくスペースを割いて同書が紹介されている。同書は「傑作百選」を掲載しているそうだが、同紙は11の標語を転載している。どれも、権力のホンネを語るものとしてすこぶる興味深い。

徴兵に関するものは次の三つ。
  「りつぱな戦死とゑ(え)がほの老母」(名古屋市銃後奉公会)
  「産んで殖(ふ)やして育てて皇楯(みたて)」(中央標語研究会)
  「初湯(うぶゆ)から 御楯と願う 国の母」(仙台市)

言うまでもなく、皇楯(御楯)は、「醜の御楯」を意味する。皇軍の兵士のことだ。軍国主義の国家では、国民の命に価値はない。国民が、天皇に役立つ存在になることではじめて価値あるものとされる。天皇のために死ねば、立派なこと、名誉なこと。靖国にも祀ってやろう。遺族を褒賞してやろう。だから、「九段の母たちよ、子の死を笑顔で喜べ」というのだ。

自民党の改憲草案が「日本は、天皇を戴く国家である」ということの実質的な意味がここにある。安倍晋三が「取り戻そう」という日本がここにある。人が国のためにあるのか、国が人のためにあるのか。これらの標語は、本質的な問題と倒錯とを表現している。

勤倹スローガンが、次の5本。
  「欲しがりません 勝つまでは」(大政翼賛会、42年)
  「嬉(うれ)しいな 僕の貯金が弾になる」(大日本婦人会朝鮮慶北支部)
  「酒呑(の)みは 瑞穂(みずほ)の国の寄生虫」(日本国民禁酒同盟)
  「飾る心が すでに敵」(中央標語研究会)
  「働いて 耐えて笑つて 御奉公」(標語報国社)

これは息苦しい。お節介極まる社会。趣味も嗜好も倫理も道徳も、個人的なものは一切許されない。社会的同調圧力が極限まで個人を支配した。これこそ草の根ファシズムであろう。

好戦標語もあふれた。転載されているのは次の2本。
  「米英を消して明るい世界地図」(大政翼賛会神戸市支部)
  「アメリカ人をぶち殺せ!」(主婦之友)

いくつもの教訓を読み取ることができる。このようなスローガンの大半は、権力に繋がる立ち場の者ではなく庶民が考えたもの。シニカルにではなく、大真面目にである。今にして思えば、精神の内奥まで権力に取り込まれていたのかと、慨嘆せざるを得ない。

著者の里中さんは、東京新聞にこう語っている。
「日本を取り戻すと訴えた自民党。良いことのようだが、取り戻されるべき肝心の日本の中身は何か」「保守化が進むことが良いことなのか。国策標語に踊らされた戦中の先達を他山の石とし、政治家が振りまく標語の分かりやすさにとらわれず、政策の是非を議論していかなければならない」

恐るべきは教育のなせる業であり、批判を失った国民精神頽廃の哀れな末路である。戦争のもたらす国民の一体感や高揚感を拒絶しよう。他国や他国民・他民族へのヘイトスピーチは、開戦への国策に乗せられた結果と知るべきである。
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  8月の園芸家(「園芸家12カ月」カレル・チャペックより)
「さて、自然に生えている植物なら、園芸マニアはどこからでも掘ってきて、自分の庭にとりいれることができる。しゃくなのは、それ以外の天然物だ。(ちくしょう!)園芸家はそう思って、マッターホルンやゲルラッハシュピッツェを見上げる。この山がおれの庭にあったらなあ。そしてあの物凄く大きな木のはえた原生林の一部分と開墾地、それからこの谷川、いや、それよりもむしろこの湖のほうがいいな。あそこのみずみずしい草原もうちの庭にわるくないな。それから、ほんのちょっぴり海岸があってもいいかもしれない。荒れ果てたゴシック式の尼寺も一つぐらいほしい。それから、千年ぐらいたったこのボダイジュもほしいな。この古めかしい噴水もうちの庭にわるくないな。それから、どうだろう、鹿が一群れに、アルプスカモシカが一つがいいたら。でなきゃ、せめてこの古いポプラの並木があったら。さもなきゃ、あそこのあの岩か、さもなきゃ、あそこのあの河か、さもなきゃ、このカシワの林か、さもなきゃ、あそこに青白く見えている滝か、でなきゃ、せめてこの静かな緑色の谷があったらなあ」

私はカレル・チャペックのような高望みはしない。小さな山が二つとその間を結ぶ小川が一本、その両脇に小さな草原があれば満足だ。
一つの山には早春に白い花をつけるタムシバを5,6本。煙るようなクリーム色の花で木が覆われるクヌギを4,5本。ヤマザクラは欲張りません、大きな奴を3本。その下に、アカヤシオとシロヤシオ、ヤマツツジをちりばめる。その下草には一面のヤマブキソウ、ヤマシャクヤクとレンゲショーマ。

小川のほとりにはリュウキンカ、ショウジョウバカマ、黄色と紫色のツリフネソウがあればいい。

片方の草原は春の花。カタクリ、エンゴサク、アズマイチゲ、イカリソウ、オキナグサ。
もう一方は秋草の原。ヤマユリ、ササユリ、アヤメ、キキョウ、オミナエシ、ナデシコ、ニッコウキスゲ、ワレモコウ、リンドウ。傍若無人なススキはいらない。
そしてもひとつの山はモミジ山。春のえんじ色の花がひときわ美しいハウチワカエデとヤマモミジ5,6本。黄葉するブナ、これは大木になるので2本。端っこに赤いヤブツバキを3本ほど。この林の下にはクマガイソウとエビネの大群落を。

ほんのささやかな望みです。
(2013年8月26日)

「民意が動いた」「しかし、民意は議会に反映されていない」

本日の「朝日」に、興味深い世論調査の結果が掲載されている。関心の第1点は、昨年暮れの総選挙時と参院選後の今とを比較して、主要施策をめぐる民意はどう動いたか。そして第2点は、民意と議席とはどの程度の一致があるのか。その他の調査は、どうでも良いこと。

まず第1点。主要施策をめぐる民意は、この半年余でどう動いたか。
*改憲問題
「改憲に「賛成」「どちらかと言えば賛成」と答えた賛成派は44%。「反対」「どちらかと言えば反対」と答えた反対派(24%)を上回ったが、衆院選時(51%)から7ポイント下がった」

やや分かりにくいが、図式化すれば以下のとおり。
  改憲賛成  昨年51% ⇒ 今年44% (7%の減)
  改憲反対  昨年18% ⇒ 今年24% (6%の増)
と、半年の間に、有権者1億人のうちの、600万?700万人が宗旨を変えて、改憲賛成派から改憲反対派に乗り換えた勘定になる。なんと心強いことか。

*集団的自衛権問題
「集団的自衛権の行使容認の賛成派は39%で、衆院選時の45%から6ポイント下がった。安倍晋三首相は参院選の大勝後、議論を加速させる方針を示し、行使容認に前向きな小松一郎駐仏大使を内閣法制局長官に起用。しかし、有権者にはこうした政権の姿勢と温度差があることがうかがえる」

  集団的自衛権容認  昨年45% ⇒ 今年39% (6%の減)
  集団的自衛権反対  昨年18% ⇒ 今年20% (2%の増)
こちらも半年の間に、有権者1億人のうちの、600万人が集団的自衛権行使容認の意見を変えて、反対か中立にまわっている。

また、「改憲の発議要件を衆参の3分の2から過半数に緩和する96条改正では賛成派はより少なくなり、31%にとどまった。」 と報じられている。紙面には詳報がなく、昨年からの変化を正確には追えないが、本年5月を中心に劇的な変化を遂げた結果であろうと推察される。『現状において、96条改正賛成意見は、国民全体の3分の1に満たない』というのだから、まことに心強い。

自信をもとう。世論は変わるということに。しかも、こんなに急速に、である。
憲法、とりわけ9条をめぐる議論においては、護憲派の意見はまことに威勢が悪い。平和主義やパシフィズムという言葉には、意気地なし・優柔不断・腰抜けという否定的な語感がつきまとう。改憲派の「寸土たりとも敵に祖国の領土を踏ませない」などという威勢よく勇ましいナショナリズムや、戸締まり論・安保防衛論は俗耳にはいりやすい。しかし、紛争が現実化するおそれがあるときほど、9条の出番であり、平和主義の有効性が試される。いま、そのようなときに、世論が憲法擁護論に傾きつつあることに、意を強くする。

ついで、第2点。民意と議席とはどの程度の一致があるのか。
改憲については、「参院選比例区で自民に投票した人に限っても、賛成派は58%で、参院議員全体の賛成派(75%)とはいずれも大きな開きがある。」という。

改憲についての世論調査の国民意識は、前述のとおり44%が賛成というものでしかない。ところが、今回の参院選当選者全体の改憲賛成派は75%に上る。「30%を上回る民意と議席の乖離」ができているという調査結果なのだ。自民党支持者でさえ改憲賛成は58%。この議会構成は異常といわざるを得ない。

この世論調査によれば、国民全体の改憲賛成派は44%。44%の改憲意見を含む有権者を母体にした選挙が行われた。その結果形づくられた議会の改憲賛成派が75%になっているのだ。本来、鏡のように民意を正確に反映すべきが選挙の役割ではないか。この極端な齟齬は到底容認し得ない。

また、「原発の再稼働については反対派が6ポイント増の43%にのぼり、28%の当選議員とは15ポイントの開きがあった」とされている。

つまり、「民意は原発再稼働反対43%」なのだ。ところが、「参院の当選者は原発再稼働反対28%」に過ぎない。ここでも、民意と議会が大きく齟齬を来している。

議会の議席が民意を正確に反映することなく、第1党に極端に有利にゆがめられているのは、小選挙区効果にほかならない。衆議院だけが小選挙区を採用しているわけではない。参議院選挙の地方区31選挙区が1人区、つまりは事実上の小選挙区である。ここでの29議席獲得が、自民党大勝と民意との齟齬の原因となった。なお、2人区も3人区も、それなりの小選挙区効果を持つ。

「衆参のネジレ」の解消が話題とされたが、「民意と議会のネジレ」こそがより深刻な未解決の問題である。小選挙区制をなくし、鏡のように民意を正確に反映する選挙制度を確立しなければならない。「朝日」の調査は、「民意が動いたこと」「しかし、せっかく動いた民意が正確に議会に反映していない」ことを物語っている。政権も、議会の多数が、民意を離れた「虚構の多数」であることを知るべきである。数を頼んでの横暴は、やがて民意の鉄槌を覚悟せねばならない。

地道に平和や人権をめぐる主張を発信し続けることが大切なのだと、改めて思う。あらゆる機会を捉えて、憲法と憲法の理念を語り続けよう。そして、なんとしても、最悪の選挙制度である小選挙区制を変えよう。そうすれば、ずっと風通しの良い議会政治が実現するはずなのだ。

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 『兵士たちの戦後史』(吉田裕著)読後感〔6〕・「餓死した英霊たち」
93年、自民党政権に変わって、細川護煕を首班とする非自民8会派連立内閣が成立した。細川首相は、就任初の所信表明で「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに、改めて深い反省とお詫びの気持ちを申し」述べた。また、8月15日の「全国戦没者追悼式」で、我が国の戦没者のみならず、「アジア近隣諸国をはじめ、全世界すべての戦争犠牲者」を追悼した。

戦後50年となる95年8月15日には、社会党の村山富市首相が、「植民地支配と侵略によってアジア諸国に損害と苦痛を与えたことに対して反省とお詫び」をする、「村山談話」を発出した。衆議院においては、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」もあげられた。

一方、これらの政権の新しい動きへの反発も素早く大きかった。日本遺族会が中心となって、全国的な草の根「不戦決議反対運動」が取り組まれた。反対運動の裾野を広げるため、「戦争の性格は棚上げして、我が国が一方的に悪いと断罪することに反対」として、地方議会に「戦没者への追悼感謝決議」を採択させる運動が展開された。97年になると「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、「自虐史観」「東京裁判史観」を否定する教科書採択運動がはじめられた。2001年から2006年まで首相であった小泉純一郎は執拗に靖国神社に参拝し続けた。こうした動きは、当然のこととして中国、韓国との関係悪化を招いた。

このようなせめぎあいを背景にしながら、元兵士たちの動向にも大きな変化が現れた。老齢や死を意識し始めた元兵士たちが「遺言」としての、正直で虚飾のない「証言」をはじめたのである。自由な発言を抑止してきた戦友会活動が下火になってきたことも理由のひとつである。どんな悲惨な戦争であっても真実を知りたいという遺族意識の変化も後押しをした。

戦争指導者への遠慮のない批判。戦争責任をめぐる議論がなされていないことの指摘。被侵略国への贖罪の意識と自分の犯した罪の告白と謝罪。戦争の大義が虚構であったことへ自覚と慚愧の念。曖昧なままの被侵略国への戦後処理の問題…。その証言や議論の行き着いた先に、「戦死は犬死にか」という、遺族や兵士にとって辛く認めがたい論争があった。この問題について、家永三郎は「『犬死』というのは、その語感からすれば、遺族にとって最も『残酷』にきこえる言葉であろう。しかし、私もまたあえて十五年戦争による死はすべて『犬死』であったことを確認したい。・・もちろん、私は『犬死』という残酷な響きをもつ言葉で、戦争による犠牲を規定するだけで終わらせるつもりは毛頭ない。むしろ、『犬死』を『犬死』に終わらせないためにどうするべきであるかを考えるのが、生き残った者あるいは生き残った者から生まれてきた者の義務と思うのである」(「歴史と責任」中央大学出版部)と述べている。

作間忠雄は「日本はあの戦争の敗北により初めて明治以来の独善的・侵略的な天皇制絶対主義から決別できたのであるから、彼らの死は決して単なる『犠牲』ではなく、『無駄死』でもなかった。戦後の日本を民主・平和国家へ先導したのは彼らであり、『日本国憲法』はその輝かしい記念塔である」(週刊金曜日の論文)という。

中国戦線を転戦した中隊長としての経歴をもつ藤原彰は、兵士の死について「侵略戦争、不正不義の戦争のために死んだことは、無用な、役に立たない死であることはいうまでもない。」と断じた上で、「日本軍の死者の大半は、戦局の帰趨に全く関係のない、役に立たない死に方をしていたのだということを明らかにしたいのである」という。その立場から、藤原は、日本軍の戦死者の多くが、戦病死という名の餓死者であったということを論証する。戦局や戦闘の帰趨に全く影響を及ぼすことのない、おびただしい数の無残な死を生み出したことが、アジア・太平洋戦争の大きな軍事的特質であり、その死の有り様を明らかにすることこそが歴史の課題だという。(「餓死(うえじに)した英霊たち」藤原彰著 青木書店)

吉田裕は次のように結論する。「元兵士の歴史認識は、保守的なものではなかつた。むしろ、彼らは戦争の歴史をひきずり、それに向かい合いながら、戦争の加害性、侵略性に対する認識を深めていった世代だった。同時に彼らは、彼らの戦友を「難死」に追い込んでいった日本の軍人を中心とした国家指導者に対する強い憤りを終生忘れることのなかった世代でもあった。」

吉田は、それとともに「1985年当時は、高齢者が靖国参拝を支持し、若者が反対するという構図があったのに対し、2001年以降はその構図が完全に崩壊する」ことに危惧の念を述べている。(「台頭・噴出する若者の反中国感情」吉田裕 「論座」2005年3月号)

維新橋下の「侵略戦争」「従軍慰安婦」否定発言、安倍政権の「憲法改正」、「靖国参拝」、「河野談話・村山談話見直し」へのあくなき熱意、教育委員会の「教科書検定問題」、「はだしのゲン」への攻撃などが続いている。昨年の選挙での自民党の圧勝後、歴史を逆転させて、「戦前の戦争ができる国」を取り戻そうという動きは大きく強くなっている。吉田の指摘通りの若者の保守化の動きも目立ってきている。

元兵士の皆さん。靖国の英霊にはならなかった皆さんにお願いしたい。願わくは、長く生き抜かれて、生きたまま「平和な民主国家の護国の鬼」とならんことを。この国を担うすべての者に、とりわけ若者の世代に、鬼気迫る戦争の真実と悲惨とを語り続けていただきたい。私たちは、その痛苦の声に、全身全霊をもって耳を傾けることをお約束する。
(2013年8月25日)

「はだしのゲン」が叫んでいる?『ずるいぞ! 教育委員会』『えらいぞ! 図書館協会』

日本の、いや 、世界の「はだしのゲン」を、松江市教育委員会が市内の学校図書館から追い払おうとした。昨年12月、書庫に収めて目に触れないようにする閉架措置を校長会で求めた。理由は、内容に過激なところがあるから、というもの。全10巻を保有する39校すべてがこれに応じて、いま、松江市の子どもは容易には「はだしのゲン」に会えない。

市教委がこのような措置をしたきっかけは、松江市議会に昨年8月、1人の「市民」から「誤った歴史認識を子供に植え付ける」と学校の図書館から「撤去」を求める陳情があったことだ。市議会はこの陳情を不採択にしたにかかわらず、「教育委員会(事務局)」と「校長会」は、その陳情に従ったということらしい。

陳情した「たった1人の市民」がいう「誤った歴史認識」とは、明らかに「はだしのゲン」の核心をなしている反戦・反核の思想のことだ。当然に描かざるを得ない、日本のアジア侵略の実態や、平和を求める人たちへの弾圧の描写を、「誤った歴史認識」として、隠したいのだ。問題は深く、大きい。

伝えられるところでは、陳情の内容は、以下のとおりである。
「『はだしのゲン』には、天皇陛下に対する侮辱、国歌に対しての間違った解釈、ありもしない日本軍の蛮行が掲載されています。このように、間違った歴史認識により書かれた本が学校図書室にあることは、松江市の子どもたちに間違った歴史認識を植え付け、子どもたちの『国と郷土を愛する態度の涵養』に悪影響を及ぼす可能性が高いので、即座に撤去されることを求めます。」

安倍政権が喜んで飛びつきそうな陳情内容ではないか。市議会はこの陳情を不採択にしたが、校長会はどれだけの議論をしたのか。問題の大きさ、深刻さをどれだけ認識していたのだ。「教育委員会」事務局のひと言で「校長会」はご無理ごもっともだったのか。

その措置が17日に世間に明らかになると、市教委には全国から抗議や苦情が寄せられた。そのうち全世界から抗議が押し寄せるだろう。1人の陳情に即応する機敏な教育委員会のことだから、22日に開かれた市教育委員の定例会で何らかの結論を出したと思いきや、26日の次回会議で継続審議するのだそうだ。5人の教育委員は事務局の言いなりの「おかざり」か。事務局は問題発覚後、全49小中学校校長にアンケートをした。結果は、「閉架の必要は無い」が16校。「再検討すべきだ」が8校。「必要性はあり」が5校、「その他・記載なし」が20校だった。

菅官房長官は21日に「設置者である地方公共団体の教育委員会の判断によって学校に対して閲覧制限等の具体的な指示を行うことは、通常の権限の範囲内だろう」と述べた。これはおかしい。地教行法には教育委員会の権限が書いてあるが、子どもたちの知る権利を奪う措置に、事務局限りでの判断の権限はない。
下村文科相も、同日、「学校図書館は子どもの発達段階に応じた教育的配慮の必要がある」として、市教委の権限に基づく行為で問題がないと述べた。これも、歴史修正主義派なればこその「はだしのゲン」憎さの表れに過ぎない。
お先走りのはしごを外されなかったと、松江市教育委員会はさだめしホッとしていることだろう。

学校図書館だけではない。この騒動の中で、鳥取市立中央図書館も2年前から、見えないところに「別置き」していたことがわかった。22日、日本図書館協会はこれらの措置に抗議する要望書を、松江市の教育委員会と清水伸夫教育長充てに送った。子どもたちの自主的な読書活動を尊重し、閲覧制限を再考、撤廃するよう求めている。

「日本図書館協会」は資料収集の自由、資料提供の自由、利用者の秘密を守る、すべての検閲に反対する、という「図書館の自由に関する宣言」を1979年の総会で決議している。この宣言は全国の図書館に掲げられ、「司書」の誇りとなっている。「図書館の自由が侵される時、われわれは団結して、あくまで自由を守る」とする宣言を実践した「日本図書館協会」に惜しみない共感と拍手を送りたい。

また、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)も、23日松江市教育委員会あてに、「はだしのゲン」閲覧制限をすみやかに撤回するよう求める要請書を送っている。
同要請書は、日本被団協が原爆の残酷さ、あの日の地獄、今日までつづく苦悩を語り続けてきたことを述べ、「私たちと同じ体験を誰にも味わわせないためです」と強調。「『はだしのゲン』は原爆の実相を伝える作品です。国の内外で、原爆を知る本、必読の本として高く評価されています」とのべ、「閲覧制限しなければならない理由はありません」と指摘しているという(24日付赤旗)。

こういうとき、何が出来るだろうか。閲覧制限を企てたことに抗議して、多くの人に、「はだしのゲン」を勧めよう。「はだしのゲン」を図書館から借りて読もう。せっかくの機会だから、全巻揃えるのも良かろう。中澤啓治さんがいないのが寂しいが、再びの「はだしのゲン」フィーバーを起こしたいもの。

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  『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや』

ご存じ、寺山修司の歌。「身捨つるほどの祖国はありや」のフレーズは、作者よりも遙かに有名になってしまった。

歌作の背景の事情は一切知らない。素直に読めば、「霧深し」は作者内面の心象であろう、晴れやらぬ思いの中で「祖国はありや」との作者の煩悶が詠われている。これが、戦前の兵士の歌であれば、とりわけ出陣学徒の歌であれば、その心情がよく分かる。「身を捨てよ」と迫る祖国の実在を問うことの煩悶はあり得たはず。天皇制の教説は嘘っぱちとしても、自分と自分を取り巻く小さな社会と自然とは確実に存在した。ことここに至っては、そのために身を捨てることを選ぶべきではないか…、という煩悶。「きけ、わだつみのこえ」所収歌としてふさわしく、せいぜいが、生き残り兵の終戦直後の煩悶として共感が可能であろう。

しかし、この歌が終戦時10歳に達していなかった人物の作となると、すっかりしらけてしまう。まことに不自然で、心情を吐露した歌とは到底思えない。私は、寺山よりは少し若い世代だが、「祖国」なんぞへの思い入れはまったくなく、「祖国はありや」などという煩悶は思いもよらない。この歌への共感は無理というものだ。物心ついたころから、「愛国心」などというものの嘘くささは自明のものだったではないか。もっとも、寺山の父は外地で戦没しているそうだ。父の思いをこの歌に仮託したのかも知れない。

集団が成立するとその集団の維持のために、集団存立の正当性が語られなければならない。集団が成員にもたらす利益だけでなく、感性に訴える大義が求められる。いわば、ウソが必要になるのだ。

集団が争いを抱えると、集団内での団結強化のために、集団の美化や紛争における主張の正当性が強調されることになる。ウソの上塗りが必要となる。ヤクザの出入りも、祭りのケンカも、国家間の戦争も基本は変わらない。集団内部だけで通じる、自国の優越や祖国愛などのフィクションが語られることになる。神の恩寵や、建国神話までが総動員される。

おそらくは、常に「愛国心はゴロツキの隠れ家」である。愛国心や祖国愛は、一種の信仰だが、有害な信仰であって、愛国者を尊重するに値しない。

いかなる国も、国民がそのために身を捨てるほどのものではありえない。自分たちが作った国が、国民のために、どれだけ有用かだけを考えればよいこと。国のために身を捨てよなどとは、本末転倒、倒錯も甚だしい。

  『霧は晴れて山影はさやか 捨つには惜しき国ならざるや』
(2013年8月24日)

秘密保全法?改憲と連動した危険な役割

憲法改正とは、国の形を変えてしまうということ。「安倍改憲」によって形を変えられたこの国においては、国家の秘密が跋扈し、秘密の保全が人権に優先する。

現行日本国憲法は、人権の尊重と国民主権、そして恒久平和主義の3本の柱で成り立っている。そのとおりの形で国ができているわけではないが、その方向に国を形づくる約束なのだ。日本国憲法が気に入らない安倍政権とその取り巻きは、今憲法を変えようとしている。それは、とりもなおさず、人権の尊重と国民主権そして恒久平和主義とは異なる方向に国の形を作り変えようということだ。彼らが目指す国の形は、新自由主義が横溢する国、そして軍事大国である。富者に十分なビジネスチャンスが保障され貧者の救済は可能な限り切り捨てる国。当面はアメリカの補完軍事力として世界のどこででもアメリカに追随して戦争のできる国。そしてやがては、挙国一致で富国強兵の軍事大国日本を「取り戻そう」ということなのだ。

憲法を変えることが国の形を変えることである以上は、経済、外交、防衛、教育、財政、税務、福祉、防災、メディア規制、公務員制度…、その他諸々の法律の新設や改正が必要となる。憲法改正後になすべきが本筋の諸法制の整備を改憲策動と並行して一緒にやってしまおう。それが安倍政権の思惑であり、「手口」である。

96条改正を先行させてこれを突破口とし、憲法の明文改正が安倍政権の「悲願」ではあるが、これは容易ではないし時間もかかる。選挙に勝って議席数では優勢な今、できるだけのことをしておかねばならない。その発想からの解釈改憲や立法改憲の策動が目白押しである。これは、実質的な「プチ改憲」にほかならない。

そのスケジュールの全体象が明確になっているわけではないが、今秋の臨時国会での論争点として考えられるものは、次のとおりである。
*内閣法制局長官人事を通じての集団的自衛権行使容認の解釈変更
*秘密保全法の制定
*国家安全保障基本法の制定
*日本版NSC設置法(安全保障会議設置法改正・法案提出済み)
*防衛計画の大綱の改定
*日米ガイドラインの改定

いまは、安保法制懇という「政府言いなりの有識者・御用学者グループ」に意見を諮問している段階。その回答を待って、この秋一連の策動が本格化する。とりわけ、公表されている自民党の国家安全保障基本法案によれば、集団的自衛権を認め、軍事法制を次々と整備し、国民や自治体を軍事に動員し、軍備を増強、軍事費を増大し、交戦権の行使を認め、多国籍軍への参加を容認し、武器輸出三原則を撤廃することになる。明文憲法改正なくして、戦争が可能になる。

そして、本日の各紙は、「秘密保全法」案の内容が本決まりになったと報道している。やはり、この秋は常の秋ではない。憲法にとって、また国の将来にとって、尋常ならざる事態なのだ。

秘密保全法の制定は、国家安全保障基本法が要求する軍事法制整備の一環でもあり、「軍事機密を共有することになる」アメリカからの強い要請にもとづくものでもある。かつての軍機保護法や国防保安法を彷彿とさせる。

1985年に国会に「国家秘密法」が上程された当時のことを思い出す。これも、1978年の旧日米ガイドラインにおいてアメリカから求められた、防衛秘密保護法制強化の具体策としてであった。いわば、アメリカからの「押し付け軍事立法」である。澎湃として、反対の世論が湧き起こり、結局は廃案となった。

このとき、推進派との議論を通じて、行政の透明性確保の必要と、国民の知る権利の大切さについて学んだ。政府を信頼して国家秘密を手厚く保護する愚かさを、国民が共有したときに廃案が決まったと思う。

今回の秘密保全法は、かつての国家秘密法に比較して、次の諸点において遙かに危険なものとなっている。
*その漏洩等を処罰の対象とする秘密の範囲は、かつては「防衛と外交」の情報に限られていた。今回は、「公共の安全及び秩序の維持」に関する情報まで含む。いったい何が具体的に「公共の安全及び秩序の維持」に関する秘密となるか、ことの性質上、「それは秘密」となりかねない。
*処罰対象の行為は、漏洩、不正な取得を最高懲役10年の重刑(現行国家公務員法の守秘義務違反は懲役1年)で処罰するほか、過失犯や未遂犯も罰する。共犯、煽動行為も独立して処罰対象となる。報道や評論の自由に、恐るべき萎縮効果をもたらすことになる。
*情報を取り扱う者についての「適性評価制度」が導入される。公務員本人のみならず、家族のプラバシーにまで踏み込んだ調査・監督が行われ、思想や経歴による差別を公然と認めることになる。

秘密保全法のすべての条項が、改憲策動と繋がる。9条改憲によって戦争のできる国に形を変えるからには、厳格に軍事機密を保全する法制が必要だとの発想からの立法だからである。さらに、人権ではなく国権が重要という発想からの立法だからでもある。個人の自由だの権利だのとうるさいことを言わせておいたのでは国の秩序が保てない。「公益及び公の秩序」の確立のためには、基本的人権が制約されて当然。とする安倍改憲思想の表れなのだ。

現行憲法を改正して、国の形を変えてはならない。そのようなたくらみをする政権を容認してはならない。秘密保全法は、軍国主義と全体主義が大好きな一部の人を除いて、大方の国民の賛意を得ることができないだろう。国民の反対運動が許すはずがない。安倍政権のそのゴリ押しは、自らの墓穴を掘ることになるに違いない。

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 『兵士たちの戦後史』(吉田裕著) 〔5〕 「大正生まれの歌」
70年代に入り、アメリカの対中国政策が見直され米中国交正常化がすすめられる。その動きにおされて日本も動いた。72年田中角栄首相が訪中し日中共同声明に調印して、国交が正常化された。声明には「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」という文言が盛られた。

平和への舵が大きく切られたが、これを警戒するかのごとく、このころから戦友会、遺族会、軍恩連などの旧軍人団体の運動が一段と活発化していった。これらの団体は日中友好の動きに警戒感を持ち、「侵略戦争」「戦争責任」などの言葉が使われないよう、ブレーキの役目を担った。靖国国家護持運動を支えて、「靖国神社法案」を1969年から75年まで5回提出させる原動力となった。その試みは達成されず、すべて廃案に終わって、法制化は断念された。しかし、その後も自民党の強力な支持母体となり圧力団体となって、靖国神社を支えた。それに応えるように、78年には靖国神社は秘密裏にA級戦犯14名の合祀を行った。82年には文部省は教科書検定で、「侵略戦争」を「進出」と書き換えさせ、85年8月15日には中曽根康弘首相が靖国神社に「公式」参拝した。これら一連の動きは、アジア諸国、中国、韓国から強い批判を浴びた。それから30年たった今でも、根治できない悪性腫瘍の種となっている。

遺族会の動きは、73年のオイルショックに続く経済低成長にもかかわらず、軍人恩給を大幅に増加させていく実利を獲得した。
「曹長で敗戦を迎えた山本武は1978年に年額30万円の軍人恩給を受給し、年金も加えて、夫婦の旅行、孫たちへのプレゼント、孫のオーストラリア留学の援助などを賄って、恩給のありがたさを痛感している。『なぜあのような悲惨な、日本が滅亡するような無駄な戦争を長く続けたのかと憤りを覚え、自分たちが裏切られた』という思いを抱くようになっていたが、軍恩連の運動に参加するなかで、軍人恩給受給者の待遇改善のためには、『与党である自民党に頼るしかない』と判断し、自民党への集団入党運動を推進していくことになる。」(山本武「我が人生回顧録」安田書店1984年)

80年代になると、少しづつではあるが、侵略戦争の実態に迫る、元兵士自身の証言が出てくる。「ああ戦友、支那事変、台湾歩兵第一連隊第一中隊戦史」(小野茂正編1982年)には、三光作戦、慰安婦、上官への批判が語られている。「南京虐殺と戦争」(曽根一夫著 泰流社 1988年)には、自身の中国人女性強姦の告白がある。「悔恨のルソン」(長井清著 築地書館 1989年)には、米軍捕虜の斬首、飢餓状態での人肉食を告白、懺悔している。

このように一般の将兵が、自身または仲間の行った残虐行為を語りはじめているが、これらはまだまだ希な例であった。大半の兵士の気持ちは、下記の「大正生まれ」の歌に歌われたとおりだったと思われる。
(1)大正生まれの俺達は
  明治と昭和にはさまれて
  いくさに征って 損をして
  敗けて帰れば 職もなく
  軍国主義者と指さされ
  日本男児の男泣き
  腹が立ったぜ なあお前
(2) 略
(3)大正生まれの俺達は
  祖国の復興なしとげて
  やっと平和な鐘の音
  今じゃ世界の日本と
  胸を張ったら 後輩が
  大正生まれは 用済みと
  バカにしてるぜ なあお前

元兵士の相当部分が、自分たちが従軍した戦争に疑問を持ちつつも、社会の否定的評価への反発と、軍人恩給拡充の実利を求めることで、保守陣営に組み入れられた。しかし、その戦争に対する個別の思い入れは、真実を語って懺悔をする人から、「大正生まれの歌」に表れた世を拗ねた感情まで、振幅は大きい。巨大な戦争に従軍した兵士たちの戦後精神史は、それぞれの事情を抱えて複雑である。
(2013年8月23日)

官房長官の山本庸幸氏発言批判は的外れだ

前内閣法制局長官山本庸幸氏の最高裁判事就任記者会見での発言。「集団的自衛権の行使は解釈の変更では困難」と言ってのけたのだから、安倍政権の思惑を真っ向否定した内容。当然のこととしてインパクトがすこぶる大きい。その影響を無視し得ないとして、政権がこれに噛みついた。最高裁判事の憲法解釈に踏み込んだ記者会見発言も異例だが、菅官房長の最高裁判事発言への批判は、さらに輪を掛けた異例中の異例。内閣の司法権独立への配慮がたりないと攻撃を招きかねない。それほどの、政権の焦りと、思惑外れの悔しさが滲み出ている。

朝日の報道が、「最高裁判事が集団的自衛権の行使容認には憲法改正が必要だとの認識を示したことについて、菅義偉官房長官は21日の記者会見で『最高裁判事は合憲性の最終判断を行う人だ。公の場で憲法改正の必要性まで言及することは極めて違和感を感じる』と批判した」というもの。
毎日によれば、菅発言は『合憲性の最終判断を行う最高裁判事が公の場で憲法改正の必要性にまで言及したことに非常に違和感を感じる』というもの。
各紙とも、この発言を「政府高官が最高裁判事の発言を批判するのは極めて異例」と評している。

安倍内閣としては、波風立てぬようにうまい手口を考えたつもりであったろう。
例の麻生流「ナチスに学べ」の手口。ある日だれも気づかないうちに、さりげなく長官が代わって解釈が変わり、実質的に憲法を変えてしまおうという学ぶべき手口の実践。山本氏を最高裁に「栄転」させて、その後釜に自分の言うことを聞く小松氏をもってくる。しかも、山本氏の前任最高裁判事が外務省出身の竹内氏なのだから、収まりがよい。最高裁も外務省も文句なく、よもや山本氏に不満のあろうはずはない。そう読んだのが、とんでもない読み間違い。

一寸の虫にも五分の魂、「栄転」の官僚にも五尺の魂があったのだ。いや、山本氏個人の魂を読み間違えたのにとどまらない。これまで営々と憲法解釈を積み上げてきた内閣法制局全体の矜持を読み間違えたのだ。阪田雅裕元内閣法制局長官が、朝日のインタビューで「法制局は首相の意向に沿って新たな解釈を考えざるを得ないのでは?」と問われて、「そうですね。僕らも歴代内閣も全否定される」と答えている。「全否定されてはたまらん」という悲鳴が聞こえる。法制局だけではない、歴代内閣も同様ではないか。

ところで、官房長官の『公の場で憲法改正の必要性まで言及することは極めて違和感を感じる』との発言。大きく的を外した批判と指摘せざるを得ない。

山本発言は、集団的自衛権の容認は、「解釈改憲では非常に難しい」ことが主たるメッセージ。そのうえで、集団的自衛権容認を実現する手法としては「憲法改正が適切」と言ったのだ。発言の趣旨が「解釈改憲では非常に難しい」にあって、「憲法改正が適切」にはないことは、文脈から明らかである。

官房長官の本音が、「解釈改憲では非常に難しい」の側への批判にあったことは明白だが、そうは言えなかった。いうべき理屈が立たないからだ。だから、「憲法改正が適切」の方に噛みついた。「最高裁判事は合憲性の最終判断を行う人。その立場の人が憲法改正の必要性まで言及することは不適切」という理屈をこじつけてのこと。

しかし、「極めて違和感を感じる」のは、菅官房長官のこんな発言を聞かされる国民の側だ。山本氏は、「憲法改正が必要」とは語っていないではないか。解釈改憲ではできないことだから、やるんなら解釈の変更ではなく、正々堂々と真正面から憲法改正手続を踏むしかない、と言っているに過ぎない。官房長官発言は、要するに、政権としての不快感を示しておくということで、理屈の通った批判ではない。

注目すべきは、連立政権のパートナー公明党の代表が、敢えてこの件に言及したことである。目をつぶってもいられる官房長官発言に敢えて異をとなえて、山本氏の擁護にまわったことの意味は大きい。いま、山本氏擁護の風が吹いているという読みがあるということなのだから。

日経報道では、「公明代表、山本判事を擁護 『ギリギリ許される発言』」との見出しで、「公明党の山口那津男代表は22日午前の記者会見で、前内閣法制局長官の山本庸幸最高裁判事が集団的自衛権の行使容認には憲法解釈変更でなく憲法改正が適切との認識を示したことについて『立場上ギリギリ許される発言だ』と擁護した。集団的自衛権の行使容認に向けた議論に関しては『抽象的に個別的自衛権、集団的自衛権と言われてもなかなか理解しにくい』と指摘した」とのこと。

明らかに、法制局長官のクビのすげ替えによる集団的自衛権行使容認の姑息な手口は、その手口の汚さで、政権の孤立化を招きつつある。少なくとも、この件については、既に潮目は変わっている。

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  『兵士たちの戦後史』(吉田裕)より〔4〕 伊藤桂一の「戦記もの」
「兵士たちの戦後史」は「兵士たちが語る戦争」にたくさんのページを割いている。その中で、「戦記もの」ブームの代表的な作家・伊藤桂一が取り上げられている。

週刊新潮に連載された「悲しき戦記」は伊藤と同じように兵士としての従軍体験をもつたくさんの読者を獲得した。吉田は、伊藤の「戦記小説」が大きな共感を呼んだ理由を次のように整理して、よく読まれた理由を明快に述べている。

第一に、歴史の中に埋もれ忘れ去られようとしている兵士の戦争体験を記録し代弁しようとした誠実な姿勢。第二に死んでいった戦友の「顕彰」ではなく「鎮魂」の姿勢。伊藤の場合、軍隊上層部に対する痛烈な批判が、むなしく死んでいった同胞を弔い、追悼することになっている。第三に、苛烈な戦闘ではなく、戦場の日常、兵隊の暮らしを書いたこと。第四に、軍隊組織の非合理性、戦場の過酷で凄惨な現実はテーマにしなかったこと。伊藤の「小説」には戦争犯罪に関わる事柄はことさらに省かれている。「書き手」の伊藤と、「読み手」である元兵士との間の「暗黙の了解」において、共犯関係が成り立っている。

伊藤自身の軍隊に対する姿勢は「兵隊たちの陸軍史」(番町書房刊)のはじめに、「昭和二十年八月十五日の印象ー序に代えて」に次のように述べられている。
「軍隊からの開放感に歓喜しつつ酔った・・軍隊という、不合理な組織全体への反感である。もっともこれは、軍隊からいえば逆に私は歓迎されざる兵隊であり、従って甚だ進級が遅れていた。軍隊に嫌われたのは初年兵時代における私の抵抗のせいであり、その祟りが、終戦時まで尾を引いたのである。・・六年六カ月にわたる下積みの意識があり、それを不当な待遇とする怒りがあり、敗戦によって軍隊の瓦解したことは、軍隊に怨みを果たしたような思いもあったのである。」「下積みだが、やるだけのことはやってきた。という自身への誇りは、私にも、他の古参兵なみにあったのである。そして同時に、むやみに威張り散らすだけの将校に対する反感も、多くの古参兵なみにあった。だから軍が崩壊し、当然この階級差も崩壊してしまったのを見ると、内心快哉を叫ばずにはいられなかったのである。実をいえば六年六カ月の間、兵隊としての私は、敵ーである中国軍と戦った、という意識より、味方ーである日本軍の階級差と戦ってきたのだ、という意識の方がはるかに強かった。陰湿にして不当な権力主義に、古参兵がいかに悩まされたかは、五年か六年隊務についた者は身にしみてわかっているはずである。・・終戦の直前、私たちの部隊は、歴然と二つの生き方に分けられていた。一つは寸暇も惜しんで陣地構築をしている兵隊たち、他の一つは、寸暇を惜しんで宴会の楽しみに耽っている部隊長と上層部将校たちーである。・・わたしにしても、そのことに抗議しようと考えたわけではなく、またそれの出来る筋合いのものでもなかった。しかし一つだけ考えたのは、この土地でこの部隊長の命令によっては絶対に死なないぞ、ということであった。」

その伊藤のインタビュー記事が今年8月11日付け東京新聞「あの人に迫る」に出た。68年前のキリギリス鳴きしきる真夏の草原で、敗戦をきいて呆然と立ち尽くす、自分の姿を見ているような目つきの、95歳の老人の写真が載っていた。その昔、心ならずも戦争に行かなければならなかった元兵士の老人は、なにかちょっと恥ずかしそうに、しかし、言うべきことは言っておきたいとインタビューに答えた。

「戦記作家になったきっかけは」という問いに「終戦直後に海外から復員した兵士への世間の目は冷たかった。出兵するときは『お国のために頑張って』と多くの人に温かく見送られた兵士たちも、敗戦後は『負けた上に、生きて帰ってきて』と陰口を言われるようなことも多く、元兵士たちの肩身は狭かった。戦争を美化するつもりはないが、兵士たちが国や家族を思い、一生懸命に戦った記録を残そうと思った。」と答えている。
次の問答が続く。
「憲法改正の動きがあります」「現行の憲法は平和国家を提唱する最良の規範だ。・・国民が無関心なのに空気や流れだけで改憲の動きが加速している気がする。とても危険だと思う。」
「今の日本をどう見ますか」「兵隊たちの犠牲と、無謀な作戦でそれを強いた指導者たちの無責任、この関係は、いたるところで今の日本にも見られる。・・日本が変わらないのは、戦後あの戦争について真面目に考えなかったからだ。・・経済発展が優先されすぎた。南京事件や従軍慰安婦の問題が今も解決できないまま国際問題になっているのも、日本政府が戦後すぐに戦争の実態の検証を怠った結果だと思う。・・福島第一原発の事故でも、広島や長崎の原爆被害を経験している中で、なぜ原発を建設したのか。・・復興への歩を進めながら、時には立ち止まり、じっくり過去を反省する時間が必要だ」「残り少ない戦中世代の人たちに『いつ死んでも心残りの無いように自身の戦場での経験を若い人に語り伝えてほしい』と言いたい。それが私たちの責任でもあり、使命でもある。」

「戦記もの」には語られなかった、「暗く凄惨な戦闘の現実」に向き合う本格的な戦争記録、戦争作品は1980年代になると現れた。森村誠一と下里正樹は「悪魔の飽食」で、関東軍細菌戦部隊・731部隊の存在を広く世間に知らしめた。本多勝一は「南京への道」(1987年) 、「天皇の軍隊」(1991年)で日中戦争時の日本軍の残虐行為を語って、侵略戦争の実態を暴いた。

森村も本多も兵役の経験がない世代。読者との「暗黙の共犯関係」を意識することがなかったのだ。それだけに、彼らへの攻撃は激しく、森村誠一は外出時には防弾チョッキを着用し、本多勝一はサングラスとカツラを着けなければならない事態となった。真実の暴露を嫌う大きな力が牙をむきだしたのである。はからずものことだが、これらの戦争の本質を語った著作は、その著作の内容においてだけではなく、その著作が社会に及ぼした影響においても、戦争の本質を暴いたのだ。
(2013年8月22日)

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