昨4月28日は、サンフランシスコ講和条約発効の日。1952年に日本が独立を回復した日でもあるが、片面講和によって日本が東西対立の一方に組み込まれた日でもある。また、沖縄にとっては、本土から切り離されて、アメリカの施政下に置かれることになった「屈辱の日」にほかならない。
この日、那覇では「4・28県民屈辱の日」に超党派の県民大集会が開催された。本日の琉球新報が報じる見出しは、「辺野古新基地拒否 2500人結集 『屈辱に終止符を』 4・28県民大集会 」というもの。
「県議会与党5会派と市民団体らの実行委員会による『止めよう辺野古新基地建設! 民意無視の日米首脳会談糾弾! 4・28県民屈辱の日 県民大集会』が28日、那覇市の県民広場で開かれた。約2500人(主催者発表)が集まった。日米首脳会談で名護市辺野古の新基地建設推進が再確認される見通しであることについて登壇者が『新基地建設は絶対許さない』と強調すると歓声や拍手が鳴り響き、日米両政府による新たな『屈辱』の阻止に向け思いを一つにした。」
ときあたかも、オバマー安倍の日米両首脳が満面の笑みをもって「新たな屈辱」をつくりつつある。
よく知られているとおり、63年前の「沖縄の屈辱」には、昭和天皇(裕仁)が深く関わっている。「天皇の沖縄メッセージ」あるいは「昭和天皇の琉球処分」といわれるものだ。
この天皇の愚行は、1947年9月22日のGHQ政治顧問シーボルトから本国のマーシャル国務長官宛書簡に公式記録として残されている。標題は、「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」というもの。寺崎英成がGHQを訪問して伝えた天皇の意向が明記されている。寺崎は当時宮内省御用掛、英語に堪能でマッカーサーと天皇との会談全部の通訳を務めたことで知られている。
シーボルトの国務長官宛て書簡のなかに次の一文がある。
「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。」
ややわかりにくいが、「疑いもなく私利に大きくもとづいている希望」の原文は、次のとおり。
a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest.
「self-interest」を「保身」と訳すれば理解しやすい。
これにシーボルト自身の「マッカーサー元帥のための覚書」(同月20日付)が添付されている。こちらの文書が文意明瞭で分かりやすい。以下、全文の訳文。
「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来にかんする天皇の考えを私(シーボルト)に伝える目的で、時日を約束して訪問した。
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役だち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼および左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような『事件』をひきおこすことをもおそれている日本国民のあいだで広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借?25年ないし50年あるいはそれ以上?の擬制(fiction)にもとづくべきであると考えている。天皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島に対して永続的野心をもたないことを日本国民に納得させ、またこれにより他の諸国、とくにソ連と中国が同様な権利を要求するのを阻止するだろう。
手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれば、前者の方法は、押しつけられた講話という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解をあやうくする可能性がある。
W・J・シーボルト」
この天皇(裕仁)の書簡を目にして怒らぬ沖縄県民がいるはずはない。いや、まっとうな日本国民すべてが怒らねばならない。当時既に天皇の政治権能は剥奪されていた。にもかかわらず、天皇は言わずもがなの沖縄の売り渡しを自らの意思として積極的に申し出ていたのだ。「疑いもなく私利(保身)にもとづいた希望」として、である。沖縄が、4月28日を「屈辱の日」と記憶するのは当然のことなのだ。
沖縄の心を知ってか知らずか、無神経に「主権回復の日」に舞い上がる輩もいる。稲田朋美自民党政調会長などがその典型。昨日(4月28日)、天皇の神社であり軍国神社でもある靖国に参拝している。特に、この日を選んでのことだという。米国に滞在中の安倍にエールを送っているつもりなのか、それとも風当たりが強くなることを無視しているのだろうか。
安倍政権では、高市早苗総務相、山谷えり子拉致問題担当相、それに有村治子女性活躍相が、春の例大祭に合わせて靖国参拝をしている。これに稲田が加わって「靖国シスターズ」のそろい踏みだ。
靖国とは、「侵略戦争を美化する宣伝センター」(赤旗)である。これはみごとに真実を衝いた言い回しだ。「そこへの参拝や真榊奉納は同神社と同じ立場に身を置くことを示すもの」(同)という指摘は、政治家がおこなえばまさしくそのとおり。
私の手許に「沖縄戦記 鉄の暴風」(沖縄タイムス社編)がある。初版が1950年8月15日で、私の蔵書は1980年の第9版。「唯一の地上戦」の沖縄県民の辛酸の記録だが、450頁のこの書の相当部分の紙幅を割いて、県民が日本軍から受けた惨たる仕打ちが克明に報告されている。靖国神社とは、沖縄県民の命とプライドを蹂躙した皇軍兵士を神として祀るところでもある。「沖縄屈辱の日」を敢えて選んでの稲田の参拝は、さらに沖縄県民を侮辱するものと言わねばならない。
独立を回復した記念の日に、広島でも長崎でも、東京大空襲被害地でも、摩文仁でもなく、なぜことさらに軍国神社靖国参拝となるのだろうか。主権回復のうえは、何よりも軍事施設への関心を示すことが大切だというアピールと解するほかはない。これは戦争を反省していない証しではないか。
しかも、である。朝日によれば、「参拝後、稲田氏は『国のために命を捧げた方々に感謝と敬意、追悼の気持ちを持って参拝することは、主権国家の責務、権利だ』と語った。」という。これは看過できない。
稲田の言う『靖国参拝は、主権国家の責務、権利だ』は、問題発言だ。憲法は、国家の宗教への関わりを厳しく禁じている。公党の要職にある人物の政教分離への無理解に呆れる。これが、弁護士の発言だというのだから、同業者としてお恥ずかしい限り。
菅官房長官よ、安倍晋三の靖国への真榊奉納については、「私人としての行動であり、政府として見解を申し上げることはない」と言ったあなただ。「靖国参拝は主権国家としての権利」と言ってのけた稲田発言をどう聞くのか。
明けて今日(4月29日)が、最高位の戦争責任を負うべき立場にあり、戦後においても自らの保身のために(based upon self-interest)沖縄に屈辱をもたらした、その人の誕生日である。
この日を「昭和の日」として奉祝するなどは、沖縄の屈辱をさらに深めることにほかならない。せめて、歴史を省みて、辺野古基地新設反対の県民世論に寄り添う思いを固める日としようではないか。
(2015年4月29日)
交渉とは、まずはお互いの主張を述べあう場だ。しかる後に、相手の主張にも耳を傾けつつ妥協点を探るのが通常の交渉の在り方。双方に妥協の意がなれば交渉の場の設定自体がなりたたない。
しかし、初めから「絶対に妥協しないぞ」と決めてかかる「交渉」もないではない。相手の言い分に耳を傾けるのはポーズだけというもの。あるいは、自分の主張の正当性を断固として述べる機会との位置づけのものだ。
政府と沖縄県との「交渉」は、双方とも話し合って妥協の着地点を見つけようなどとは考えていない。政府は、「普天間返還のためには辺野古に移転するしかない。断固工事を進める」と言い、沖縄は「あらゆる手段を講じて辺野古の新基地は作らせない。絶対に建設できないという確信を持っている」と言うのだ。これでは交渉の余地はない。
政府の側は、一応は沖縄の言に耳を傾けたという体裁を取り繕わねばならない立場に追い込まれての、ポーズだけの交渉。これに対して、沖縄県側は、断固たる県民の辺野古基地新設反対の民意を政府と国民世論やアメリカにも知らしめることが目的の「交渉」。これが、安倍・翁長会談となった。
政府の本心は沖縄との交渉などしたくはない。しかし、世論に押されて交渉の席に着かざるを得なくなったというだけのこと。「一応は沖縄の言い分を聞きました」「辺野古沖埋立工事の進行はまったく別のこと。着々と進めます」という不誠実極まる姿勢で会談に応じたというだけのこと。
会談を終えてみて、あらためて沖縄側の言い分に分があること、政府の対応が姑息でひどいものであることが国民全体に理解されつつある。その意味で「交渉」の席が設けられたことには大いに意味があったというべきであろう。
昨日(4月17日)官邸でおこなわれた、安倍晋三首相対翁長雄志沖縄県知事との会談は、冒頭首相が2分50秒発言し、これに対して知事が3分13秒発言したところで、翁長発言の途中であるにかかわらず記者団は会談の場から退出を命じられた。会談終了後、知事は記者会見に応じているが、首相の会見はない。沖縄タイムスなどは、知事の「非公開発言」まで詳報しており、会談内容はほぼ全容を掴める。
政府が会談に応じたのは、文字どおり「形作り」のためだけのもの。首相の発言内容があまりに空疎なのだ。「知恵がない」という表現はあたっていない。「舐めている」「本気さがない」というべきだろう。
首相側の発言内容は「辺野古への移設が唯一の解決策だ。」と言っているだけ。新基地建設問題に関して他に述べているところはない。代わりに時間を割いたのは、沖縄振興策についてのものだ。首相は、もうこんな態度は沖縄県民に通じないことを知らねばならない。
これに対して、知事側は、発言内容を周到に練って会談に臨んだ。気迫だけでなく、発言内容においても、明らかに首相側を圧倒していた。
知事側の発言内容は次のように要約できよう。
☆「辺野古への移設が唯一の解決策」は、かたくなな固定観念に縛られているに過ぎない。まずは辺野古への移設作業を中止することを決断し、沖縄の基地固定化の解決・促進を図るべきだ。
☆沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない。戦後、強制接収で土地を奪っておきながら、老朽化したから、世界一危険だから、沖縄が負担しろ、それが嫌なら代替案を出せと言われる。こんな理不尽なことはない。
☆政府は今、前知事が埋め立てを承認したことを錦の御旗として辺野古移設を進めている。しかし、この前知事の承認は、普天間飛行場の県外移設という公約をかなぐり捨ててのこと。昨年の名護市長選挙、沖縄県知事選挙、衆議院選挙は前知事の埋め立て承認が争点となって、すべての選挙で反対派が当選している。辺野古反対という圧倒的民意が示された。
☆菅官房長官らが「16年前に当時の知事、名護市長が移設を受け入れた」と主張しているが、これは十五年の使用期限などの条件を附して認めたものだが、政府が条件を守っていない。だから、「受け入れた」というのは間違いだ。
知事側の言がいちいちもっともではないか。沖縄の世論は、一貫して辺野古新基地建設に反対だった。ところが、一時期、知事が県民を裏切って埋立工事を承諾した。その裏切り知事は次の選挙では手痛い県民の審判を受けて退陣した。しかし、政府は、「裏切り知事の埋立承認」を錦の御旗としている。沖縄の民意を敢えて無視してまで、辺野古基地建設工事続行にこだわる政権の姿勢は納得しがたい。
沖縄の民意に寄り添って、日本全国の世論を喚起し、オバマに向かって「事情が変わりました。沖縄の民意が、辺野古新基地建設を許しません。もう無理です。ご了解を」というべきが、日本の首相としての安倍晋三のとるべき筋道ではないか。
(2015年4月18日)
沖縄は、近代以後唯一地上戦の舞台となった日本の国土である。70年前の今ころ、沖縄は「鉄の嵐」が吹きすさぶ戦場であった。
近代日本の一連の対外戦争はすべて侵略戦争であったから、戦場は常に「外地」にあった。日本人にとって、戦地とは遠い「外地」のことであり、男は海を越えて戦地に出征し、女と子どもは内地で銃後を守った。
ところが、太平洋戦争の末期、本土の都市や軍事施設が空襲や艦砲射撃を受けるようになり、ついに沖縄が凄惨な戦地となった。まったく勝ち目のない戦争。時間を稼いで本土への米軍の進攻を遅らせることだけが目的の絶望的な戦場。沖縄は本土の捨て石とされたのだ。
1945年3月26日、米軍は慶良間諸島の座間味島に上陸する。日本軍の指示による住民の集団自決の悲劇があったとされるのはこのときだ。本年3月2日の当ブログで紹介した松村包一さんの詩が次のように呟いている。
集団自決せよとは
誰も命令しなかった??という
が 生きて虜囚の辱めを受けるなと
手榴弾を配った奴はいる
そして、4月1日早朝、米軍は沖縄本島読谷村の楚辺海岸に上陸する。この日、日本軍沖縄守備隊の反撃はなく、その日の内に米軍は読谷、嘉手納の両飛行場を制圧する。以来、米軍は南北両方向に進攻を開始し沖縄全土が戦場と化した。6月23日に日本軍の組織的抵抗が終息するまで、沖縄の地形が変わるほどの苛烈な戦いが続いて、3か月間での死者数は20万人余におよんだ。知られている、ひめゆり部隊や健児隊の悲劇は、そのほんの一部に過ぎない。
沖縄県平和祈念資料館のホームページに、「平和の礎」に刻銘された戦死者の総数と国(県)別の内訳について次の記載がある。
「平成25年6月23日現在の241,227名(の内訳)は次のようになっています。沖縄県149,291名、県外77,364名、米国 14,009名、英国 82名、台湾 34名、大韓民国 365名、朝鮮民主主義人民共和国82名です。」
生身の人間の命を統計上の数字と化してはならない。戦死者数24万余。これだけの数の痛み・恐れ・悲しみ、そして絶望の末の死という悲劇があったのだ。
翁長・菅会談がおこなわれた4月5日は70年前小磯国昭内閣が政権を投げ出した日に当たる。4月7日に急遽鈴木貫太郎内閣が成立し、この内閣が降伏を決意することになる。小磯は陸軍大将、鈴木は海軍大将、ともに最高級の軍人であった。
鈴木は、後継首班指名の重臣会議では主戦論を力説している。戦後、彼はこれを陸軍を欺くためのカムフラージュだというが真偽のほどは分からない。沖縄で、20万の命が失われているそのとき、最高責任者である天皇とその重臣たちの関心は、沖縄県民の命ではなく、天皇制護持のみにあった。主戦論も和平論も、国体護持にどちらが有益かという観点から述べられたものである。
1944年7月、3万の死者を出したサイパン玉砕を契機に東条英機内閣が辞職した。以来、誰の目にも日本の敗戦は必至であった。しかし、天皇とその部下たちが戦争終結を決断できなかったのは、何よりも国体の護持にこだわったからである。
近衛奏上文が下記のごとく述べているとおり、支配層は敗戦よりも戦後の民主化に恐怖を感じていた。近衛の早期和平論は、その方が国体護持に有利だからというものである。
「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。敗戦は我が国体の瑕瑾たるべきも、…敗戦だけならば国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体の護持の建前より最も憂うるべきは敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に御座候」
国体護持に保証を得る時間を稼ぐために、沖縄は捨て石とされ無辜の住民が殺害された。終戦が半年早ければ、あるいは1945年の年頭から本気で降伏交渉を開始していれば、東京大空襲の無残な被害も、沖縄地上戦の惨劇も、広島と長崎の悲劇も防げたのである。
その責任を負うべきは、まずは天皇であり、その側近である。このことを曖昧にしてはならないが、沖縄を犠牲にして焦土化をまぬがれた本土の国民も応分の責任と負い目を感じなければならない。
太平洋戦争を遡って、沖縄の受難の歴史は島津侵攻から始まる。さらに武力を背景とした明治政府の琉球処分があって、戦前の差別と抑圧がある。沖縄地上戦の悲劇のあとには占領の悲劇が続く。このときも、昭和天皇(裕仁)のGHQ宛て「天皇メッセージ」によって沖縄占領が継続され、米軍の土地取り上げと基地被害が深刻化する。そして、1972年の本土復帰は基地付き核付きのものとなって現在に至っている。
沖縄の本土に対する怒りは察するにあまりある。「上からの目線で『粛々』ということばを使えば使うほど、沖縄県民の心は離れ、怒りは増幅していく」という、昨日(4月5日)の翁長知事の発言は、よほど腹に据えかねてのこと。これは、長い沖縄県民の受難の歴史が、知事の口を借り語らせたものと知るべきだ。心して聞かねばならない。
沖縄の痛みは日本国民の痛み。沖縄の平和は日本の平和だ。新基地建設を拒否する毅然たる沖縄の態度に心からの拍手で、連帯の気持を表したい。
(2015年4月6日)
本日(4月5日)午前、翁長沖縄県知事と菅官房長官は、辺野古新基地建設問題に関して、およそ1時間にわたって会談した。菅さんは沖縄基地負担軽減担当相として会談に臨んだつもりだったかも知れない。
双方とも、ほぼ予想されたとおりの発言内容。政府側が粛々と新基地建設工事を進める方針を説明する一方、県側は新基地建設に反対の考えを改めて訴え断念を求めた。もっとも、翁長知事の新基地建設反対の断固たる態度は、予想を上回るものという印象だ。これに気圧されたか、官房長官は、辺野古新基地建設反対が沖縄の民意だという翁長発言に反論はしなかった。メディアを通じての国民へのアピール効果という点では、翁長側が圧倒したといってよいだろう。
翁長発言として報道されているところは次のようなもの。
「今日まで沖縄県がみずから基地を提供したことはない」「『粛々』という言葉が、かつての沖縄の自治は神話だと言った(米軍統治下の)キャラウェイ高等弁務官の言葉と重なり、問答無用と感じる」「上からの目線で『粛々』ということばを使えば使うほど、沖縄県民の心は離れ、怒りは増幅していく」「辺野古の新基地は絶対に建設することができないと確信している」「建設は絶対不可能だ。頓挫で起こる事態は全て政府の責任だ」「(自分が当選した昨年11月の知事選の)争点は、辺野古の埋め立てに関する承認への審判だった。圧倒的な(沖縄県民のノーという)考えが示された」
また翁長知事は、「安倍総理との面談の手配をお願いしたい。辺野古の建設を中止し、しっかりと話し合って基地問題を解決していただきたい」と首相との面談も求めたという。辺野古の新基地建設断念だけでなく、普天間を含む沖縄の基地問題の「解決」を求めての要請である。
さらに会談後、翁長知事は記者団に対し、「きょうは平行線だったが、言いたいことは申し上げた。きょうの会談を取っかかりとして大切にしなければならない。これから沖縄の主張はしやすくなったと思う」「基地問題で後退することは全くない。私は『辺野古に基地が絶対できないように、県の行政手続きのなかであらゆる手段を使う』と言っている」と述べている。まさしく、肚をくくった言ではないか。
私は、知事の「辺野古の新基地建設は絶対に不可能」という言を新鮮な思いで聞いた。知事が県民世論を代表して、新基地建設不可能というのだ。そのとおりに違いない。住民の圧倒的な反感の中で孤立する軍事基地がその機能を発揮することができるだろうか。アメリカ政府は、これほどの県民世論を圧殺してまで新基地建設を必要としているのだろうか。
仮に、辺野古新基地を敢えて強行すれば、米軍と自衛隊とは県民世論から大きな指弾を受けるだけのことではないか。実は、昨年(2014年)1月の名護市長選挙、11月の知事選挙と、12月の総選挙とは、沖縄県民にとっては辺野古新基地建設可否の住民投票であった。県民の意思は投票結果として既に明確になっている。
辺野古を抱える名護市民の意思だけではない。沖縄県民の意思も、普天間を抱える宜野湾市の市民の意思も、圧倒的に辺野古新基地建設ノーの投票結果に表れている。
法技術的な問題は実は些細なことに過ぎない。圧倒的な沖縄の民意が示された今、これに従うべきが民主主義国家の政府のあるべき姿勢であろう。タイミングよく、安倍訪米が間近である。安倍首相は、オバマ大統領に向かってこう言わねばならない。
「実は、日本は民意で動くことを国是としています。選挙の結果、沖縄の民意が『辺野古新基地建設ノー』と明瞭に示されました。民主主義国家としてこれを尊重せざるを得ないのです。ですから、辺野古新基地建設は断念いたしました。ご了承ください」
翁長知事に続いて、安倍首相も、そのように肚をくくらなければならない。
(2015年4月5日)
嗚呼 沖縄よ
うるまの島よ
幾世代ものいくさゆを経し
悲劇の島よ
いまだに新たな傷癒ゆることなき
怒りの島よ
しかして、美ら海に浮かぶ
ニライカナイのこの島
終わりなき闘いのその末に、
美しの世を我が手にすることを疑わぬ
逞しき人々の
嗚呼 沖縄よ
**************************************************************************
明日(4月5日)の午前中に「翁長・菅会談」がおこなわれる。その席で、翁長知事はこう言いたいと語っている。
「知事選で県内移設反対を公約した翁長氏は、『沖縄県は自ら基地を差し出したことは一度もない。戦争のどさくさに銃剣とブルドーザーで接収されたのが全てだ。基地返還を多くの国民に理解してほしい』と語った。また、知事選や名護市長選、衆院選の沖縄4小選挙区でいずれも県内移設反対派が勝利したことを挙げ、移設反対が沖縄の『民意』だと訴えた」(毎日)
これを意識して、菅長官は沖縄の選挙を「基地の賛否の結果ではない」と反論している。
「菅義偉官房長官は3日の記者会見で、翁長雄志沖縄県知事が米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設阻止が『民意』だと訴えていることに反論した。菅氏は『(知事選などの)選挙結果は基地賛成、反対の結果ではないと思う。振興策、世代など色々なことが総合されて結果が出る』と語った」(朝日)
事実を曲げること甚だしく、無茶苦茶というほかはない。こんな発言が飛び出すようでは、政権も末期の症状ではないか。
この菅発言は、沖縄の民意をいたく刺激した。琉球新報・沖縄タイムスの両紙とも、本日の社説でこの問題を取り上げた。しかも、このうえない痛烈な批判の論調となっている。やるかたなき憤懣の噴出をようやく理性で抑えたという激しさである。「新基地建設が最大の争点となった名護市長選や知事選、衆院選で建設反対の候補が全て勝利した。これで建設反対の『民意』が示された」というのが、地元沖縄の常識、むしろ真実・真理と言っても過言でない。なんとしてもこれを否定したいのが安倍政権。地元は、「どうして政府は分からないのか、分かろうとしないのか」その無念さのボルテージが極めて高いのだ。私の解説など抜きにして、両紙の社説抜粋をお読みいただきたい。
琉球新報社説はこう言っている。
「耳を疑うとはこのことだ。
菅義偉官房長官が、米軍普天間飛行場の辺野古移設について『反対する人もいれば、逆に一日も早く解決してほしいという多くの民意もある』と述べた。翁長雄志知事が『民意を理解していただく』と述べたことへの反論である。
菅氏から『民意』を尊重するかのような発言を聞くとは思いもよらなかった。選挙で選ばれた人との面会を避け続け、反対の声を無視して新基地建設を強行してきた人物が民意を持ち出すとは、どういう了見か。
よろしい。それではどちらの民意が多いか比べてみよう。
県民は昨年、明瞭に意思を示した。辺野古の地元の名護市長選と市議選、知事選でいずれも辺野古反対派が勝利した。衆院選では名護市を含む3区だけでなく、普天間の地元である宜野湾市を含む2区も反対派が大勝した。当の宜野湾市でも6千票の大差だ。選挙という選挙でことごとく示した結果を民意と言わずして何と言うか。
政府が辺野古の海底掘削を始めた昨年8月の世論調査では『移設を中止すべきだ』が8割を超えた。『そのまま進めるべきだ』は2割にとどまる。そもそも、かつて県民世論調査で辺野古反対が5割を切ったことなど一度もない。
選挙結果も世論調査も無視する内閣がことさらに賛成の民意を言い立てている。自らに反対の声は無視し、賛成の声を過大評価するさまは、『針小棒大』『牽強付会』と呼ぶしかあるまい。
菅氏は知事選後も衆院選後も『粛々と移設作業を進める』と述べた。県が掘削作業停止を指示した際には『この期に及んで』とも述べた。沖縄がどんな民意を示しても、どんな異議申し立てをしても、『問答無用』と言うに等しい。
…およそ非論理的な発言の数々は滑稽ですらある。これ以上、詭弁を続けるのはやめてもらいたい」
これが、沖縄の怒りだ。心して耳を傾けたい。
沖縄タイムス社説の一部も抜粋しておこう。「菅氏きょう来県・作業中止し対話進めよ」というタイトル。
「菅氏の一連の発言にちらつくのは、政権のおごりと、都合のいい解釈である。
辺野古移設に賛成の声が一定数あるのは否定しないが、忘れてはならないのは、昨年の名護市長選、県知事選、衆院選で示された『新基地ノー』の圧倒的民意である。
特に知事選では現職候補に10万票近い大差をつけるなど、これまでにない住民意識の変化を明確にした。その民意のうねりが、衆院選県内4選挙区の全てで移設反対派を勝利させたのである。
移設反対だけではなく『総合的な政策で選ばれる』とする菅氏の主張は、あきれて検討にも値しない。政治的な誠実さや謙虚さも感じられない。
もう一つのフレーズ『辺野古が唯一の選択肢』という言い方も、海兵隊の沖縄駐留の必要性が専門家によって否定される今となっては、本土が嫌がるから沖縄に置くことの言い換えと受け取れる。
安倍晋三首相が好んで使う『この道しかない』という言葉…を政権は恐らく辺野古推進の哲学にしている。なぜ辺野古なのか、県外はどうなったのか。詳しい説明がないまま、県の頭越しに現行案を決め『唯一の選択肢』や『危険性の除去』を脅し文句のように繰り返している。
選択肢のない政策はない。国と県が今後も協議を継続するのであれば、辺野古での海上作業を一時中断し、対話の環境を整えるべきである。」
ここで指摘されているのは、「圧倒的民意」を無視した「政権のおごり」であり、「都合のいい解釈」「あきれて検討にも値しない」「誠実さや謙虚さも感じられない」「脅し文句のように繰り返す」お粗末な政権の姿勢である。「転換すべき選択肢のない政策はありえない」という指摘にも謙虚に耳を傾けなければならない。
今、全沖縄が固唾を飲んで明日の会談に注目している。安倍政権が、辺野古新基地建設を強行するのか、それとも沖縄の民意を汲んで真摯な協議のうえ、政策転換に応じるのか。沖縄問題は、安保法制問題の要をなす。だからこの問題は、全国の統一地方選の勝敗に大きく影響を与える。沖縄だけでなく全国も注目しているのだ。
(2015年4月4日)
辺野古新基地建設工事をめぐって、翁長沖縄県知事と菅官房長官とが会談の予定となった。4月5日午前中になるものと報じられている。仲良く話し合いで問題を解決しましょうなどというものではない。それぞれの思惑を秘めての「会談パフォーマンス」である。会談の席を舞台のアピール合戦でもあろう。
誰が見ても、安倍政権の沖縄イジメのイメージが定着している。しかも、統一地方選挙の真っ最中。政権の側は、現状を打開しなければならないとの思いから、何らかのアクションを起こさざるをえない。だから、会談の申し入れは官房長官側からとなった。これは当然のこと。
「官邸は岩礁破砕許可の取り消しをめぐり県と政府が対立したことで、政府への世論の批判が強まってきたことを警戒する」「翁長氏との面会をめぐり与党内からも政府の対応を疑問視する声が出始め、首相官邸は『6月の慰霊の日まで引っ張れば、国会論戦がもたない』(政府高官)と早期の会談が必要との判断に傾いた」(沖縄タイムス)という状況判断は肯けるところ。にもかかわらず、官房長官側は高姿勢を崩していない。何らかの具体的な妥協案をもって会談に臨むとは到底思えない。
メディアは、「菅官房長官は、普天間基地の危険性の除去などに向けた唯一の解決策だとして理解を求める方針」「普天間基地の危険性を除去するとともに、沖縄の基地負担を軽減するためには、名護市辺野古への移設計画が唯一の解決策だとして、理解を求める方針」と伝えている。この会談を舞台に、「国は沖縄をいじめてなどいない。沖縄の負担を軽減する唯一の策を講じているのだ」というアピールをしようというわけだ。
一方、当然のことだが、翁長知事側も一歩も引く様子はない。「(政府には)沖縄県の民意にしっかりと耳を傾けてもらいたいという気持ちで臨む」「多くの県民の負託を受けた知事として、辺野古に新基地は作らせないという公約の実現に向けて全力で取り組む私の考えを、政府にしっかり説明したい」という高い調子だ。
双方とも相手方を説得できるとは思っていない。いや、相手方が納得するはずはないと分かっている。それでも、天下注視の舞台において、メデイアを通じて国民に語りかけようというのだ。知事側は「新基地建設反対がオール沖縄の総意である」と訴え、官房長官側は「普天間基地の返還のためには辺野古への移設しか方法がない」「沖縄全体とすれば基地の負担は減ることになる」と語ることになる。それぞれが、国民の理解と支持を得ようということなのだ。
双方とも、沖縄県民だけでなく日本全土の国民を聴衆と想定して語ることになるが、知事側が県民世論を、政府側が本土の世論を、より強く意識するだろうことは否めない。従って官房長官のセリフには、「日本全体にとって抑止力はどうしても必要だ。地理的条件から、沖縄に基地の負担をお願いせざるをえない」というホンネがにじみ出てくるだろう。本土のために沖縄の犠牲を求めるおなじみのパターン。強者に好都合の「大所高所論」なのだ。
かくして、「軍事によらない平和を希求する」沖縄県民世論と、「軍事的抑止力に支えられて初めて我が国の平和が維持される」という本土政府との「温度差」が露わにならざるを得ない。
実は、ここが分水嶺だ。菅官房長官は「普天間飛行場の危険除去について知事はどう考えているのか、そういうことを含めて議論をしたいと思います」という姿勢。基地の「移転」だけが頭にあって、「撤去」「削減」という選択肢は、まったく考えられていないのだ。菅官房長官は「沖縄基地負担軽減担当大臣」を兼ねているが、「負担軽減担当相が負担を押しつけにくるだけだ」との至言を沖縄タイムスが伝えている。
私は提案したい。政府が世論に配慮して、口先だけでなく真摯に話し合いの席に着こうというのであれば、その旨を行動で表すことが必要だ。そのためには、辺野古沖のボーリング工事を一時中止して、県側の岩礁破砕許可条件遵守の有無についての調査を見守らなくてはならない。右手で工事を進捗させながらの左手で握手をしようなどとは、本来あり得ない不真面目な姿勢というほかはない。粛々と、実は疾っ疾と、あるいは着々と工事を進捗させながらの交渉は、既成事実作りを目論んでの時間稼ぎでしかない。沖縄県側の調査の進展を粛々と見守りつつの会談であって初めて、本気になって妥協点を探る交渉当事者の姿勢というべきであろう。
それ以外に、政権側が「沖縄イジメはやめよ」という世論に応えるすべはない。工事をいったん中止することによって初めて、政権の側がこの問題で世論の支持を獲得できるものと知るべきである。
(2015年4月3日)
法とは蜘蛛の巣のようなものだ。チョウはつかまり、カブトムシは突き破る。
うろ覚えだが、チェコの諺だと聞いた憶えがある。うまいことをいうものだ。どこの国でも、これが庶民の実感であったろう。もちろん真実を衝いている。
庶民の感覚ではこういうことだ。法は権力者がつくる。民衆を取り締まることによって支配の秩序を形づくるために。法は支配の道具なのだ。だから弱い立場の庶民は、法につかまり、法に裁かれて、法に恨みを遺すことになる。法は権力者がつくった蜘蛛の巣で、庶民をチョウとして絡め取るのだ。結局のところ、法は庶民の敵対物にほかならない。遵法精神とは、権力者に都合のよいだけのイデオロギーに過ぎないではないか。
これとは対照的に、法をつくる強者の側はカブトムシだ。法に絡め取られることはない。法を無視し、法をないがしろにして、法に縛られることがない。
近代立憲主義とは、この伝統的な庶民の法に対するイメージを逆転させるものとして成立した。法体系の元締めに位置する憲法とは、最強者である権力を縛るためにある。日本国憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」に、この憲法を尊重し擁護する義務を負わせている。天皇と、国務大臣(行政)、国会議員(立法)、裁判官(司法)の三権の担い手を列挙して、これに対する命令をしているのだ。
この憲法の理念を単なるタテマエにしてしまっては近代立憲主義国家は崩壊しかねない。抜きがたい法に対する庶民のイメージを克服することなくして民主主義国家の健全な発展はありえない。カブトムシもチョウも等しく法に服さねばならない。いや、むしろカブトムシの側に法は厳格に適用されねばならないことが、実例として示されなければならない。
ところで、法律の多くも、憲法に基づいて国の権力行使の横暴から国民の権利を守るためにある。その典型の一つが、行政不服審査法である。
行政不服審査法第1条1項は、「この法律の趣旨」を定める。その骨格は、「国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開くことによつて、簡易迅速な手続による国民の権利利益の救済を図る…ことを目的とする」というもの。
国民の権利利益をまっとうするためには、行政の横暴を許してはならない。そのための行政不服審査手続が法定されている。ここで想定されているのは、国民対行政の対峙の図式である。
国民はチョウではない。行政に絡めとられた場合には不服申立の権利が保障されている。沖縄県の水産行政に関する行為によって住民の権利ないし利益が侵害された場合には、住民が審査請求という形式で農水大臣宛に不服申立をおこなうことを法は想定している。たとえば、沖縄県知事が漁民に対して付与していた漁業の許可を取り消したとする。漁民がこれを違法として争う場合には、農林水産大臣宛に審査請求手続をすることになる。岩礁の破砕許可についても同様で、審査請求は国民が起こすものと想定されている。
ところが、この度の防衛局から農水大臣宛の審査請求は法が想定するものとは著しくことなっている。まず、沖縄県から防衛局に対する辺野古沖埋立工事の停止指示が出されて、これに対して、国(防衛局)が沖縄県の行為に不服ありとして、国(農水相)に審査請求をした。国民が行使することを想定される権利を国が主張しているから非常に問題がわかりにくいものとなっている。国民の権利を擁護するとは、行政の横暴を抑制することと表裏の関係にある。行政とは内閣が司るところであり究極的には、主体は国である。沖縄県よりも強い立場にある国が、国民と同じ立場で権利主張をし、農水大臣への審査請求を申し立てる構図。沖縄県の指示に不服として、審査請求の申請人が防衛局長であり、審査請求の申立先が農林水産大臣ということになっている。
防衛省から農水省に対してする審査請求なのだ。この2者のトップはいずれも閣議の一員という関係。同じ穴のムジナと言われてもやむを得ない。こうなれば、沖縄県はチョウに過ぎず、防衛局(=農水相)がカブトムシであることが見えてくる。国民の権利擁護の構造が消え失せて、「それ見ろ。やはり法はチョウだけをとらえて、カブトムシはつかまえない」「これが、法運用の実態なのさ」と言われかねない。
政権は、手続的な正義を大切にしなければならない。李下において冠を正してはならないのだ。沖縄県に敬意を表して、まずは工事を停止し、協議のテーブルに着くべきであろう。
沖縄県への敬意とは、沖縄県民の辺野古新基地建設ノーという選挙に表れた圧倒的民意への敬意でもある。民意の尊重は、民主々義の基本のキではないか。国は、沖縄の民意が前知事の時代とは大きく変わったことを受容しなければならない。みっともなく形式主義を貫ぬこうとすれば、国民から「やはり法とは蜘蛛の巣のようなものだ。チョウは縛っても、カブトムシには突き破られる」と見すかされるだけではないか。
(2015年4月2日)
1月が行き、2月は逃げ、3月が去った。明けて本日は既に卯月4月。東京はソメイヨシノが散り始め。そぞろ気が急く。
当ブログは3年目に突入した。その第1日目。少し方針を転向したい。「書きたいことを遠慮なく書く」姿勢で2年を過ごしたが、「読んでもらえるように書く」ことを心掛けたいと思う。長すぎず、くどすぎないように注意し、読んで面白いと思っていただけるブログにする努力をしてみたい。できるだけ…、ということにしかならないかもしれないが。
そのような試みの手はじめに、沖縄の問題を取り上げたい。
昨年(2014年)10月19日の「沖縄タイムス」に掲載された石川亮太記者のたとえ話「『沖縄さん』の未来はいかに」が、あちこちに引用されて話題となっている。ざっと、こんな話だ。
「小学校のクラスで山登り遠足があり、担任の先生を先頭にクラスメートたちが身軽に山を登る。最後尾から歩くのは体の小さい『沖縄さん』だ。沖縄さんはクラスメートの荷物を山ほどかかえ、見るからに苦しそう。全身でずっしりと重さを感じ、周りの自然や景色、おしゃべりを楽しむ余裕はない。
沖縄さんが『みんなで分けあって持ちませんか』と先生やクラスメートにお願いするのは反抗だろうか。『お金をあげるから我慢して』『栄養剤を与えるから頑張って』『利き腕の右腕が重いなら、場所を左腕に変えて持って』と諭すのが先生の役目だろうか。持ちたくないから見て見ぬふりをするのが友情だろうか。
…沖縄さんは自ら望んでいないけんかに巻き込まれ、満身創痍で山登りを始めた。「念のために」と、雨具や虫よけ剤、襲われる可能性があるのか、効果があるの かも分からない熊やイノシシ、ハブ対策などの道具もたくさん持たされている。
重い荷物を持たされたまま、ここまでなんとか登ってきた沖縄さん。この先の道のりも同じ苦しさを一人で背負わなければならないか。先生任せにしている管理職に直接、窮状を訴える手はない か。」
この記事は、2014年沖縄県知事選前のもの。
「沖縄さんの未来を占う11月16日投開票の知事選まで1カ月を切った。埋め立て工事に向けた作業が現地で進められる中、県民の意思を示すことになる大事な選挙。有権者に『投票せねば』と思わせる紙面作りに努めたい。」と結ばれている。
11月知事選でも、12月総選挙でも、沖縄さんの意思は明確に示された。「このままではつぶれてしまう。なんとかして欲しい」と悲鳴を上げたのだ。しかし、クラスメートの態度は相変わらずだ。先生に至っては、「生意気なことをいうんじゃない」と新たな脅しを始めるありさま。いったいこの先どうなるのやら。まことにおぼつかない。
このクラスは47人の編成だが、満身創痍で山登りを始めた点は、広島君も長崎さんもよく似た事情。最近は福島さんもたいへんな大怪我をしている。沖縄さんが他と異なるのは、クラス編成以来たった一人の転校生だということ。1972年の転校以来、沖縄さんだけが他のクラスメートとは違う扱いを受けてきた。一人で背負わされたクラスメートの荷物は明らかに重すぎる。沖縄さんがその重さに喘いでいるのに、他のクラスメートは知らんふり。けっして、沖縄さんの荷物を肩代わりしようなどとは言わない。「そんな荷物、本当は要らないんだ。捨てちゃえよ」とアドバイスする者もない。
これは、集団によるイジメだ。沖縄ハラスメントだ。タチの悪いことには、先生が率先してイジメの先頭に立っていることだ。先生にお願いしても解決にはならない。『しょうがないのよ。大切な荷物なんだから』『我慢しなさい。我慢するのがよい子なのに、反抗的で可愛くないわね』『荷物が重いったって、まだ左腕が空いているじゃないの。そこで持てばいいじゃない』なんて言われるだけ。
しかも、沖縄さんが持たされている荷物の中には、たいへんな危険物が紛れているらしい。とても安心してはおられない。
沖縄さんは、最近腹をくくった。はっきりものを言わねばならない。「もう、いじめられるのはごめんだ」「これ以上の重い荷物を持たされるのはイヤだ」「先生、もう、これ以上私の抱える荷物を増やすのはやめてください」。きっぱりと口にすることにした。これは、けっこう反響が大きい。さすがに先生は、このまま放ってはおけない、なんとかしなければならないと思い始めてはきたようだ。それでも、クラスメートの姿勢は相変わらず冷ややかだ。このまま事態が改善しない場合、どうなることだろう。
イジメを解決するもっとも現実的な方法は転校である。沖縄さんも、転校を考えてみてはどうだろうか。冷たい先生と、イジメ加担の46人のクラスメートの集団から抜け出すのだ。その上で、一人で勉強すればよい。いや、勉強などは、もう続けても打ち切ってもよい。そして、元のイジメ仲間やそのボスとなっている先生と、対等な立場でお付き合いを始めればよい。
イジメの学級から籍を抜いてしまえば、荷物を背負うか背負わぬか、「熊やイノシシ、ハブ対策などの道具」が必要か否か、全部沖縄さんが自分で判断できるようになる。今のままでは、何もかも中途半端。こんな先生とクラスメートと付き合ったところで何一つとしてよいことがない。転校した途端に、イジメ集団の「我が軍」が襲いかかってる心配は…、まあ、ありえないだろう。
そもそも、一緒に山登りなどは不必要だ。登らねばならない場合には、それぞれがテンデンコに登ればよい。今のままなら、クラスにとどまっているメリットは小さく、デメリットは限りなく大きい。沖縄さんは、本気になって、転校の覚悟をしその準備をはじめることだ。そうすれば、先生は大いに慌てることだろう。そこから、解決の道が開けてくる…かも知れない。
(2015年4月1日)
いったいいつころから、権力者は「粛々と」という言葉を使うようになったのだろう。粛の原意は、厳粛、粛然などの熟語に表れている「おごそか」「つつしむ」「ひきしまる」などの意味のようだ。これに加えて静粛の「しずか」も意味している。「鞭声粛々夜河を過る」の粛々も、「静かに」、「ひっそり」ということ。これに「やや緊張して」のニュアンスが感じられる。
権力を持つ者、力の強い者、法的な権利性に自信をもつ者は、騒ぐ必要がない。誰にも遠慮したり配慮したりすることなく、「粛々と」ことを運ぶことができる。その意味で、「粛々と」は権力者の余裕を誇示する用語となっている。「下々がどう騒ごうと、なんの痛痒もない。やりたいようにやらせていただくまでのこと」という語感が込められている。
これに対して、力なき者、弱い立場にある者は、粛々とはしておれない。大いに騒ぎたてなければならない。力弱き者が力を獲得するためには、まずは多くの人に訴えなければならない。こちらは「轟轟と」ことを進めなければならない、あるいは「喧々囂々と」だ。
今回の辺野古沖海面埋め立て工事の停止指示をめぐる議論においても、国は「粛々と」という言葉を使っている。菅官房長官は、「翁長氏の指示は違法性が重大かつ明白で無効だと判断」「法律に基づいて工事を粛々と進めることに全く変わりはない」と言うのだ。たしかに、「違法性が重大かつ明白」ならば、知事の工事停止指示は「無効」となる。無効とは、なんの法的効果ももたらさないということ。ならば、指示を無視して、「粛々と工事を進める」ことができる。国は工事を継続するために何の手続も必要ないのだ。
ところが、国は大いに慌てて農林水産大臣に対する審査請求の申立をした。併せて、執行停止も申し立てた。知事の岩礁破砕許可申請という歴とした行政処分を待ってからではなく、許可条件にもとづく工事停止指示に対する不服申立であり、執行停止である。国の、衝撃の大きさ、慌てふためいている心情がよく表れている。
県の工事停止指示は、あくまで知事による岩礁破砕許可に付された条件を根拠とするものである。これに行政不服審査の要件としての処分性が認められるとする国の主張は自明ではない。また、岩礁破砕許可の条件が遵守されているか否かを調査する必要があるとの県の言い分を、理由ないとして一蹴することは農水相としてもなかなか困難ではないか。
とは言え、農水相は内閣を構成する一員である。審査請求に対して国の望むような裁決を出さざるを得ないということになる公算も大きい。その場合、「工事停止指示に関する執行停止申立」も認容されることもあり得る。なにせ、プレーヤーとアンパイアが一心同体なのだから。
しかし、そうなったところで、県が本気になって岩礁破砕許可を取り消してしまえば、結局は無駄な手続だったことになる。あらためての取消処分に対する行政不服審査の申立が必要になる。そして、引き続いての行政訴訟係属となり、あらためての執行停止申立手続きが進行することにもなる。
このような法的手続における国の強硬姿勢は、沖縄の民意をますます反基地、反米、反政権に追いやり、新辺野古基地建設などは事実上不可能になっていくだろう。時あたかも、統一地方選挙目前である。政権には痛手となるだろう。
さて、行政不服審査手続に及んだ国の態度は、もはや「粛々と」などというものではない。まったく余裕なく、髪振り乱しての手続申立である。粛々と工事を進捗させるなどと言っておれないことを表白している。既に騒がざるを得なくなっているのだ。
一方の沖縄県側。こちらは国にも増して大いに騒ぐ必要がある。沖縄の民意が蹂躙されているのだ。怒らずにはおられない。知事を支えて、国の不当を訴えねばならない。私も本土での応援団の一人として声を上げよう。「粛々と」ではなく、「喧々囂々と」である。
(2015年3月25日)
旅人の外套を脱がせるには、北風ではなく太陽の暖かさが必要だ。しかし、民衆を支配しようという輩は、この理を常に正しいとは考えない。恣意的にアメとムチとを使い分けようとする。民衆の利益とは無関係に、ただただ支配の効率だけを考えてのことである。
安倍政権は、仲井真県政をアメで抱き込んだ。ところが、アメには欺されないとする沖縄の民意が翁長県政をつくると、徹底したムチの政策に転換し冷たい北風を送り続けている。釣った魚に餌を与える必要はないと言わんばかりの傲慢さ。この仕打ちに知事が怒って当然。いや、オール沖縄に怒りの火がついて当然ではないか。一寸の虫にも五分の魂。ましてや、沖縄の魂である。鄭重に扱われてしかるべきだ。
昨日(3月23日)午後の記者会見で、翁長雄志沖縄県知事は沖縄防衛局に対して「名護市辺野古沖埋め立て工事に向けたボーリング調査など、海底面の現状を変更する行為を1週間以内に全面的に停止するよう文書で指示した」と発表した。同時に、国がこの指示に従わなければ、昨年8月に仲井真弘多・前知事が出した「岩礁破砕許可」を取り消す意向であることも明らかにした。
この記者会見では、同知事の「腹を決めている」との発言もなされている。沖縄県民の圧倒的な民意を背景とした、知事の辺野古新基地建設阻止への断固たる決意を感じさせる。この知事の姿勢を熱く支持したい。
工事停止指示の目的は、これまで防衛局が沈めたコンクリートブロックにより、サンゴ礁が損傷されていないかを調べる海底調査をするため、とした。また、工事停止指示や許可取消の根拠は次のごとくである。
沖縄県は国(防衛局)に対して岩礁破砕許可を与えているが、その許可には9項目の条件が付けられており、その一つが、「公益上の事由により県が指示する場合は従わなければならず、条件に違反した場合には許可を取り消すことがある」というもの。いま、防衛局がおこなっているボーリング調査工事はこの条件に反している恐れがあるから、まず工事停止を指示する。防衛局の工事を停止して、沖縄県の調査の結果条件違反があれば当然に許可を取り消す。仮に、工事停止の指示に従わない場合にも、許可の条件に違反するものとして取り消すことができる。
具体的な問題点は、ボーリング調査に伴う立ち入り禁止区域を示すブイ(浮き具)を固定するアンカー(重り)となるコンクリートブロック投下が、「許可を得ずにした岩礁破砕行為」となるか否かである。県側は、そのた蓋然性が高いから工事を停止させてよく調査する必要がある、という立場だ。
このコンクリートブロックは並みの大きさではない。コンクリート製の重量10トン、15トン、20トン、45トンのもの。鋼製の480キロ、750キロ、870キロのものなど、合計75個。市民団体が撮影した水中写真を見る限りでは、遠慮なく珊瑚を破砕しているものがある。これが、破砕許可の範疇のものなのか、あるいは許可されていない範疇の条件違反にあたるのか、まずは県において調べさせてもらおう、ということなのだ。
許可には、「公益上の事由により県が指示する場合は従わなければなら」ないとの条件が付されているのだから、国は調査のための工事停止指示には従わざるを得ない。これを拒否すれば、指示に従わなかったことが条件違反となり、許可取消の理由となるだろう。この県の指示が、明白かつ重大な瑕疵があって無効と言えない以上はそのような結論になる。国は、県の指示に「明白かつ重大な瑕疵」ありとしたいところだが無理な話。
ところで、「岩礁破砕許可」。耳慣れない。各県の漁業調整規則に目を通す機会の多い私だが、今年この問題が浮上するまで知らなかった。あらためて、いくつかの県の規則を見直したら、どこの県の規則にも同じように記載されている。
沖縄県漁業調整規則第39条は、「漁場内の岩礁破砕等の許可」に関して、次のように定める。
「第1項 漁業権の設定されている漁場内において岩礁を破砕し、又は土砂若しくは岩石を採取しようとする者は、知事の許可を受けなければならない。
第2項 略
第3項 知事は、第1項の規定により許可するに当たり、制限又は条件をつけることがある。」
辺野古の新基地建設のための海面の埋め立てには、公有水面埋立法にもとづく知事の承認がありさえすればできることにはならない。なるほど、基地建設のための諸過程で種々の法的問題が生じてくる。今はボーリング調査の態様が、水産資源保護を目的とする「漁業調整規則」上の岩礁破砕と知事許可との問題が生じている。
漁業調整規則は、漁業法や水産資源保護法に基づく県条例。漁業と漁民の保護のために種々の規制が定められており、岩礁破砕の許可もその一つだ。
仲井真県政は、国にこの許可を与えた。通常、いったん与えた許可は、知事が代わったからといって、あるいは選挙で民意が明らかになったからと言って、軽々に撤回はできない。行政の継続性、一貫性は大切な原則だ。
しかし、許可に「制限又は条件」が付され、許可を受けたものが「制限又は条件」に違反すれば話は別だ。その場合は、許可の取消決定が可能となる。
菅義偉官房長官の発言の余裕のなさが、政権側の動揺を物語っている。官房長官は、「この期に及んで(許可取り消しが)検討されているとすれば、はなはだ遺憾」としているが、東京新聞は、「この期に及んで」を5回繰り返したと報道している。その気持ちよくわかる。
あ?あ、仲井真県政ではOKしたではないか。仲井真県政にはアメをなめさせてやったではないか。それを今ごろ掌を返して…、という悔しさが言葉に表れたのだろう。ここ沖縄だけは、知事選も衆院戦も完敗だった悔しさの表れなのかも知れない。
(2015年3月24日)