岩手県知事達増拓也殿
県水産行政担当者各位
本日(11月4日)、個人操業の固定式刺し網によるサケ漁の許可を求める三陸沿岸の漁民63名が、県知事に対して許可申請書を提出しました。
申請者たちは、このサケ漁の許可獲得運動を「浜の一揆」と名付けています。第1次申請者38名と併せて、「浜の一揆」参加者は101名となりました。
江戸時代の南部藩は、一揆の規模も回数も群を抜いていることで知られています。藩政が苛酷で無能だったこともありますが、農民・漁民の心意気の高さもあるのではないでしょうか。形は違いますが、幕末の弘化・嘉永の大一揆と同様に、今沿岸漁民が立ち上がっているのです。
沿岸海域の水産資源は、本来沿岸漁民の共有財産です。漁民が、目の前の海で魚を捕るのは当然の権利。ところが、岩手県の漁民は目の前の漁場の豊富なサケをとることを禁止されています。誰も捕れないということではない。大規模な定置網事業者はごっそり捕って、大きな儲けを上げている。現行の水産行政は、定置網事業者の利益独占に奉仕して、この独占の利益を擁護するために一般漁民の権利を剥奪して、小規模な刺し網漁を罰則をもって禁止する実態となっています。101名の申請は、漁民の権利を回復し、生業と生計を維持するための「浜の一揆」なのです。
いうまでもないことですが、「許可の申請」とは、行政に対する陳情や要請ではありません。頭を下げ腰を折ってのお願いではないのです。三陸の漁民が沿岸海域の魚を捕るのは当然の権利。漁民はその権利の行使に着手したのです。県の水産行政が許可を認めなければ、農水大臣への審査請求手続きとなり、それでも許可がなければ、県知事を被告とする不許可処分取消の行政訴訟を提起することになります。そのときには、文字どおり、県の水産行政のあり方が裁かれることになります。
本来沿岸海域での漁業は漁民の権利なのです。もっとも、全漁民に、無秩序な権利行使を認めていたのでは、強い者勝ちとなって、経済的強者の独占を許してしまうことになります。また、乱獲によって資源が枯渇することにもなりかねません。そこで、「調整」が必要になります。弱い立場の漁民の権利を守るため、水産資源の保護のための「調整」です。これが、水産行政の本来の役割ではありませんか。
ですから、漁民の許可申請には、行政は許可を与えるのが原則で、不許可の処分は「そのような許可は強者の独占を許してしまうことになる」「明らかに資源の枯渇を来してしまう」などという、合理的な理由がある場合に限られるのです。
しかも、津波・震災からの復興が遅々として進まない今、ほかならぬこの時期にこそ、零細漁民のサケ漁はどうしても必要といわなければなりません。さけ漁の解禁は地域の復興にもつながります。漁民こそが漁業の主体です。有力者の大規模な定置網漁ばかりを保護するのは本末転倒も甚だしい。
キーワードは「漁業の民主化」です。漁業法がその目的の中に「民主化」という3文字を書き込んでいる意義を改めて確認しなければならないと思います。零細漁民の意見や権利を排斥しての「民主化」はあり得ません。いつまでも、浜の有力者のための漁業行政であってはなりません。
そして、IQ制(漁民単位での漁獲高割当制度)の導入は、資源保護と民主化の課題をともに解決する鍵になることでしょう。IQは、今漁民の側から行政に提案している具体的な「調整」手法です。これも含めて、本日の申請をきっかけに、ぜひとも県の水産行政を漁民の願いや声に真摯に耳を傾けるものとしていただきたい。
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101人を代理して、知事宛にかなり大部な申請書を提出した。県水産振興課の総括課長・調整課長以下のお歴々に漁民の集会の場まで足を運んでいただいたうえでの受領し。結果はまた、ご報告することとしたい。
ところで私は、この「浜の一揆」は三陸復興における大事件だと思っている。地域経済上の問題でもあり、民主主義の問題でもある。地元メディアが、もっと関心を寄せてしかるべきではないか。
今回も、地元の活動家が、漁民の集会の席に水産行政の責任者が足を運んで書類を受けとるのは「絵になる」構図と、県政記者クラブに事前に知らせていた。しかし、やって来たメディアは、赤旗の一名だけ。感性鈍いんじゃないの、記者諸君。県政記者クラブとは、県の担当者からのリリース情報を県民に伝える「広報官」ではあるまいに。
盛岡に出向いたときには、必ず帰りの汽車では岩手日報をひろげる。隅から隅まで読むのを常としてきた。が、今日は止めた。小さな経済制裁だ。
岩手日報の代わりに、車窓の岩手山を見つめた。昔とまったく変わらない悠然たる山容を。
(2014年11月4日)
10月27日付東京新聞トップの記事が、調査報道のお手本のような内容。ヨコの見出しが、「第1次大戦 日英同盟で合祀1333人」。これは、「第1次大戦時、日英同盟に基づく英国からの要請に応じた日本の参戦の結果、その戦闘で死亡し靖国に合祀された軍人総数は少なくも1333人にのぼる」ということ。それだけなら歴史の一コマの発掘に過ぎないが、この記事は優れてジャーナリステックな意味合いをもっている。タテの大見出しが「『戦域限定』参戦なし崩し」となっている。いうまでもなく、記者の関心は、集団的自衛権行使の具体的なイメージ提供にある。100年前の実例から集団的自衛権行使の恐さを伝えようとしている。
リードに、「開戦当初、日本軍は『戦域限定』で出兵を求められたが、日英両国は戦況の変化を優先することで戦域を拡大させ、その結果、戦没者が増大していく状況が浮き彫りとなった」とある。これが結論だ。
本文に「日英同盟を名目に日本がドイツに宣戦布告する際、英国は中国や太平洋への日本の権益拡大を懸念する中国や米国の意向に配慮し、日本の参戦地域を青島近郊の膠州湾以外に拡大しないように求めた。しかし、英海軍の極東での戦力不足や戦況の変化などに伴い、英国側から太平洋や地中海などへの派兵を求められた。地中海への派兵は日英同盟の適用範囲外だったため、日本政府は派兵に慎重だったが、米国や日本の商船がドイツの潜水艦部隊に沈没させられる被害も続出し、日本も海軍派兵を決定。参戦当初の『戦域限定』は有名無実化した」という。
3面「核心」欄の解説記事に、「第1次大戦『戦域拡大』」「集団的自衛権に教訓」「邦人保護名目も骨抜き」「2次大戦遠因にも」と見出しが並ぶ。
その問題意識は次のとおり明らかにされている。「日英同盟を名目に第一次世界大戦に参戦して、戦没し靖国神社に合祀された日本の陸海軍軍人らが、少なくとも千三百人余に上ることが明らかになったが、当初『戦域限定』が条件だった戦争が拡大したのはなぜか。安倍晋三首相は集団的自衛権行使の範囲を『限定的』と強調するが、専門家は『いったん軍を派遣すれば歯止めがかからず、被害拡大を招く恐れがある』と現代にも通じる歴史の教訓を指摘する」「戦域や戦力を限定した海外派兵がいかにもろく、簡単に骨抜きにされるものか」
まだ、集団的自衛権などという概念のなかった時代。日本は、大国である同盟国イギリスからの参戦要請を断ることもできずに地中海にまで参戦した。当初の限定参戦は、結局なし崩しに戦線拡大に至って日本軍の将兵に多数の戦死者を出したという調査報道となっている。
<平間洋一・元防衛大教授(軍事史)の話>として、「日本は日英同盟を理由に参戦したが人やモノ、情報を動員する総力戦で、戦域を限定することは不可能に近い。」とのコメントが印象的。
その100年後、東京新聞記事の出た10月27日に、英国が13年にわたったアフガニスタン駐留からの撤退を完了したという報道がなされている。こちらは英国の立場はかつての大英帝国ではなく、大国アメリカからの要請による集団的自衛権を行使しての参戦の重荷である。
2001年の9・11事件後、アメリカは個別的自衛権を行使するとしてアフガンへの攻撃を始めた。北大西洋条約機構 (NATO)諸国はテロ攻撃に対して「集団的自衛権」を発動した。英国は、その一員として、2001年以降、アフガニスタンの治安維持を目的に、米軍が率いる国際治安支援部隊(ISAF)の下で13年間にわたって駐留を続けてきた。その英軍がようやく10月27日、拠点にしてきた南部ヘルマンド州の基地をアフガン側に引き渡し、戦闘部隊が撤退が完了した。
この間にイギリスはどれだけの犠牲を払い、何を得ただろうか。朝日の報道が手際よくまとめている。「13年間の英軍の駐留部隊はのべ14万人、死者は453人に上り、かかった総費用は190億ポンド(約3兆3千億円)ともいわれる。英BBCの世論調査では、国民の42%が介入前と比べて英国が『より安全でなくなった』、68%が英国のアフガン介入は『価値がなかった』と答えるなど、多数の犠牲を出した長期の軍事作戦の成果に懐疑的な英世論を示す結果となった。」
集団的自衛権の行使とは、ここまでの覚悟が必要なことなのだ。100年前も今も、である。多数の犠牲と大きな負担を強いられる。それでいて、軍事作戦の効果に懐疑的な世論をつくり出すだけで終わるものともなる。いや、さらに次の大戦争の遠因にさえなるのだ。
集団的自衛権行使については、このような実例報道の積みかさねを期待したい。
(2014年10月30日)
お招きいただき、ジャーナリストの皆様にお話をする機会を与えていただいたことに感謝申し上げます。
私は現役の弁護士なのですが、二つの「副業」をしています。一つはブロガーで、もう一つは「被告」という仕事です。この二つの副業が密接に関連していることは当然として、実は本業とも一体のものだというのが、私の認識です。
私は、「澤藤統一郎の憲法日記」というブログを毎日書き続けています。盆も正月も日曜祝日もなく、文字どおり毎日書き続けています。安倍政権が成立して改憲の危機を感じ、自分なりにできることをしなければという思いからの発信です。改憲阻止は、私なりの弁護士の使命に照らしての思いでもあります。
憲法は紙に書いてあるだけでは何の値打ちもありません。憲法の理念をもって社会の現実と切り結ぶとき、初めて憲法は生きたものとなります。そのような視点から、ブログでは多くの問題を取り上げてきました。そのテーマの一つに、政治とカネの問題があります。「政治に注ぎこむカネは見返りの大きな投資」「少なくとも、商売の環境を整えるための保険料の支払い」「結局は政治は金目」というのが、有産階級とその利益を代弁する保守政治家の本音なのです。健全な民主主義過程の攪乱要素の最大のものは、政治に注ぎこまれるカネ。私はそう信じて疑いません。
「カネで政治は買える」「カネなくして、人は動かず票も動かない」という認識のもと、大企業や大金持ちは政治にカネを注ぎこみたくてならない。一方、政治家はカネにたかりたくてならない。この癒着の構造を断ち切って、富裕者による富裕者のための政治から脱却しなければならない。
カネで政治を動かすことが悪だというのが、私の信念。カネを出す方、配る方が「主犯」で罪が深く、カネにたかる汚い政治家は「従犯」だと考えています。だから、カジノで儲けようとして石原宏高に便宜を図ったUE社、医療行政の手心を狙って猪瀬にカネを出した徳洲会を批判しました。同様に、みんなの党・渡辺喜美に巨額の金を注ぎこんだDHCも批判しました。
メディアの多くが「渡辺喜美の問題」ととらえていましたが、私は「DHC・渡辺」問題ではないか、と考えていました。どうして、メデイアは渡辺を叩いて、DHCの側を叩かないのか、不思議でしょうがない。で、私は、3度このことをブログに書きました。そうしたところ、DHCと吉田嘉明から、私を被告とする2000万円の損害賠償請求の訴状が届きました。以来、二つ目の副業が始まりました。
2000万円の提訴には不愉快でもあり驚きもしましたが、要するに「俺を批判すればやっかいなことになるぞ」「だから、黙っておれ」という意思表示だと理解しました。人を黙らせるためには、相手によっては脅かして「黙れ」ということが効果的なこともあります。私の場合は、「黙れ」と言われたら黙ってはおられない。「DHCと吉田は、こんな不当な提訴をしている」「これが、批判を封じることを目的とした典型的なスラップ訴訟」と、提訴後繰りかえしブログに記事を書きました。これまで25回に及んでいます。
黙らない私に対して、DHCと吉田は2000万円の損害賠償請求額を、増額してきました。今のところ、6000万円の請求になっています。もちろん、私は、口をつぐんで批判の言論を止めるつもりはない。もしかしたら、請求金額はもっともっと増えるかも知れません。
私は、DHCと吉田の提訴は、日本のジャーナリズムにとって看過し得ない大きな問題だと考えています。メデイアも、ジャーナリストも、傍観していてよいはずはありません。本日はそのことを訴えたいのです。
DHCと吉田の提訴は、明らかに言論の封殺を意図した提訴です。高額の損害賠償請求訴訟の濫発という手段で、自分に対する批判の言論を封じようというのです。弁護士の私でさえ、提訴されたことへの煩わしさには辟易の思いです。フリーのジャーナリストなどで同様の目に遭えばさぞかしたいへんだろうと、身に沁みて理解できます。金に飽かしての濫訴を許していては、強者を批判するジャーナリズム本来の機能が失われかねません。
しかも、DHC・吉田が封じようとしたものは、政治とカネの問題をめぐる優れて政治的な言論です。やや具体的には、典型的な「金持ちと政治家とのカネを介在しての癒着」を批判する言論なのです。明らかに、DHC・吉田は、自分を批判する政治的言論の萎縮をねらっています。問題はすでに私一人のものではありません。政治的言論の自由が萎縮してしまうのか否かの問題となっているのです。メディアが、あるいはジャーナリストが、私を被告にするDHC側の提訴を批判しないことが、また私には不思議でならない。
いま、吉田清治証言紹介記事の取消をきっかけに、朝日バッシングの異様な事態が展開されています。首相の座にいる安倍晋三が河野談話見直し派の尖兵であったことは、誰もが知っているとおりです。歴史修正主義者が大手を振う時代の空気に悪乗りした右翼が、「従軍慰安婦」報道に携わった元朝日の記者に脅迫状を送ったり、脅迫電話を掛けたりしています。
靖国派と言われる閣僚や政治家たち、そして匿名のネット記事で悪罵を投げ続けている右翼たち。こういう連中に、悪罵や脅迫は効果がないのだということを分からせなければなりません。大学に対して、「朝日の元記者を、教員として採用することをやめろ」という脅迫があれば、大学も市民も元記者を守り抜いて脅迫をしても効果がないもの、徒労に終わると分からせなければなりません。万が一にも、「脅かせば脅かしただけの効果がある」「退職強要が成功する」などいう「実績」を作らせてはならないと思うのです。
DHC・吉田の提訴にも、ジャーナリズムが挙って批判の声を上げることが大切だと思います。DHCは私の件を含め10件の訴訟を起こしました。異常というしかありません。これを機に、わが国でもスラップ訴訟防止のための法制度や制裁措置を定めるべきことを検討しなければならないと思います。
それと並んで、本件のようなスラップ訴訟提起を、それ自体がみっともなく恥ずかしい行為だという社会の合意を作らねばなりません。健全な民主的良識を備えた者、多少なりとも憲法感覚や常識的な法意識を持った者には、決してスラップ訴訟などというみっともないことはせぬものだ。仮に、黙っておられない言論があれば、言論には言論をもって対抗すべきという文化を育てなければならないと思うのです。それには、あらゆるメデイアが、ジャーナリストが、本件スラップ訴訟を傍観することなく、批判を重ねていただくことに尽きると思います。そうしなければ、日本のメディアは危ういのではないか、本気で心配せざるを得ません。
はからずも、私はその事件当事者の立場にあります。ぜひ、皆様のご支援をよろしくお願いします。
(2014年10月24日)
私は産経新聞が嫌いだ。ときに率直に産経の記者に「ジャーナリズムとして認めない」などと真情を吐露して物議を醸す。その上司から「ウチの記者をいじめるのか」と抗議を受けたりもする。日の丸でコメントを求められて、即座に断ったこともある。その際には、理由を聞かれて「産経を信頼していない。正確に私のコメントを掲載してくれるとは思えない」と答えたが、産経紙上に自分の名が載ることを恥ずべきこととする感情を拭えない。
私は韓国が好きだ。ソウルに行ってみて、その空気を好もしいと思った。もともと、軍事政権から民主化を成し遂げた韓国の民衆の運動には敬意をもっているし、現政権の姿勢も安倍内閣よりはずっとマシだと思っている。
昨日(10月8日)、私の好きな韓国の検察が、私の嫌いな産経の記事をとがめた。「弾圧した」と言ってもよい。その記事の内容が不都合として、産経の前ソウル支局長を起訴したのである。起訴の罪名は、耳になじみのない「情報通信網法違反」だという。これだけでは良く分からないが、「根拠もなく女性大統領に不適切な男女関係があるかのように報じて名誉を傷つけた」ことが処罰に値するというのだ。日本に当てはめれば、天皇か首相の名誉を毀損する記事の掲載を犯罪として訴追したことに相当する。
本日の産経社説が、「前支局長起訴 一言でいえば異様である 言論自由の原点を忘れるな」と表題して、大意次のように述べている。
「言論の自由を憲法で保障している民主主義国家としては極めて異例、異様な措置であり、到底、これを受け入れることはできない。
日本と韓国の間には歴史問題などの難題が山積し、決して良好な関係にあるとは言い難い。それでも、自由と民主主義、法の支配といった普遍的価値観を共有する東アジアの盟友であることに変わりはない。報道、言論の自由は、民主主義の根幹をなすものだ。政権に不都合な報道に対して公権力の行使で対処するのは、まるで独裁国家のやり口のようではないか。
問題とされた記事は8月3日、産経新聞のニュースサイトに掲載されたコラムで、大型旅客船「セウォル号」の沈没事故当日に朴大統領の所在が明確でなかったことの顛末について、地元紙の記事や議事録に残る国会でのやりとりなどを紹介し、これに論評を加えたものである。
韓国『情報通信網法』では、『人を誹謗する目的で、情報通信網を通じ、公然と虚偽の事実を開示し、他人の名誉を毀損した者』に対して7年以下の懲役などの罰を規定している。だが、名誉毀損については同国の刑法でも『公共の利益に関するときは罰せられない』と定めている。大統領は、有権者の選挙による公人中の公人であるはずだ。重大事故があった際の国のトップの行動について、国内の有力紙はどう報じたか。どのようなことが国内で語られていたか。これを紹介して論じることが、どうして公益とは無縁といえるのだろう。
記事中にある風評の真実性も問題視されているが、あくまでこれは『真偽不明のウワサ』と断った上で伝えたものであり、真実と断じて報じたものではない。そうした風評が流れる背景について論じたものである。
前支局長の起訴処分は、撤回すべきだ。」
私が産経を嫌いという理由の主たるものは、紙面に体制や権力への批判や抵抗の姿勢がないことである。権力に迎合し体制とつるんで恥としないその体質への嫌悪感からだ。本件では、産経は日本の権力を批判したのではなく、韓国の権力を批判して、韓国の権力から叩かれた。こうして、私の好きな韓国が、私の嫌いな産経を叩く図式が現出した。
私は好悪の感情に流されず、理性が命じるところに従う。言論の自由に関して、けっしてダブルスタンダードを使い分けるようなことがあってはならない。大切な原則をおろそかにすれば、失うものがあまりに大きなものとなる。
結論論として、こう言わねばならない。
「私はあなたの普段の姿勢には嫌悪を感じている。今回のあなたの記事も立派なものとは思わない。しかし、あなたがこのことを記事にする権利は断固として支持する。いかなる国のいかなる形のものであれ、あなたの言論を封じる権力の弾圧には徹底して反対する。あらゆる国のあらゆるジャーナリズムが、萎縮することなく多様な言論を表現する権利を保障されなければならず、それを通じて各国国民の知る権利が全うされなければならないのだから」
(2014年10月9日)
本日の岩手日報に、昨日県政記者クラブで会見して情報を提供した「浜の一揆」の記事が掲載になった。驚くべし。ベタ記事の扱い。しかも、内容不正確。提供した記者会見用資料さえ読んで書いたとは思えない。日経や読売の報道の方がずっとマシといわざるを得ない。かつてはそんなことはなかった。しっかりせよ、岩手日報・記者諸君。
盛岡在住の時代には日報の朝刊で夜が明け、日報の夕刊で日が暮れた。当時県内唯一の夕刊発行紙(残念ながら、今夕刊発行はなくなっている)。圧倒的なシェアを誇り、県内世論への影響力は抜群だった。その岩手日報の紙面にも日報の記者諸君にも、私には愛着がある。愛着があるだけに、その紙面の姿勢や水準には無関心ではいられない。
1985年国家秘密防止法案が国会上程されたとき、全国に反対運動が起こってこれを廃案にした。そのとき、岩手は先進的な運動の典型を作った。どのように、「先進的な運動の典型」かといえば、県内の弁護士とジャーナリストの共闘関係を築き上げたことにある。もっと具体的には、岩手弁護士会と岩手日報労働組合の強固な連携ができたこと。これを中心に、岩手大学などの教育関係者、著名な作家などの文化人が加わって、「国家秘密法に反対する岩手県民の会」がつくられ、多くの労組・民主団体が加わり、いくつもの企画を成功させた。日報紙上には、何度も県民のカンパによる国家秘密法反対の意見広告が掲載された。
この運動の以前から岩手弁護士会と岩手の記者諸君との交流は活発だった。その席では常に、「弁護士もジャーナリストも、ともに在野で反権力」とエールの交換がおこなわれた。メディア側の中心は常に日報だったが、朝日の本田雅和、毎日の広瀬金四郎など後に有名になった記者もいた。
当時、私は日報の記者にも紙面の姿勢にも敬意を払っていた。だから、今回は甘えた仲間意識があって、「浜の一揆」といえば、ピンと分かってくれるだろうとの思い込みがあった。目録を除いてA4・5頁の申請書と、6頁のマスコミへの記者会見説明書に目を通してくれれば十分だとも思っていた。しかも、記者会見には当事者の漁民が10人以上も立ち会って記者たちに震災後の生活苦を切々と訴えてもいる。不合理な県政を批判するよい記事を書いてもらえるにちがいない、そう思った私が浅はかだった。
岩手日報の記事の見出しは、「刺し網サケ漁 県に許可要望 県漁民組合」となっている。これが大間違い。これまでの水産行政にも、漁民の運動にも何の知識もなく、漁民の生活苦に何の関心もない記者が書くとこうなるのだろう。
この見出しは3年前なら正確なものだった。震災・津波の被害に、水産行政の面で向き合おうとしない県政に怒りを燃やした漁民が、岩手県漁民組合を立ち上げ、以来県に陳情・請願を繰り返した。そのメインの一つが、「固定式刺し網によるサケ漁の許可を県に要望」だった。しかし、3年を経て要望は遅遅として実現せず、漁民の困窮は「もう待てない」という域に至って、漁民個人が裁判を視野に入れた法的手続きに入ったのである。だから、「要望」ではなく「法的手続き」であり、「権利行使」なのだ。日報の記者には、全くこの重みが理解されていない。漫然と「陳情の繰り返しがあったのだろう」という程度の思い込みが、このような見出しになっているのだ。
記事本文を区切って、全文を紹介する。
「県内各漁協の組合員有志でつくる県漁民組合(藏徳平組合長)は30日、県に固定式刺し網によるサケ漁の許可を求める申請書を提出した。」
これも間違い。申請書を提出したのは、漁民組合という団体ではない。漁民38名が個人として法的な手続きを行ったのだ。記者会見では、この点について口を酸っぱくして説明したつもりだが、全く理解されていない。申請書のコピーも見ているはずなのだが、どうしてこんな記事になるのか了解不可能である。
「藏組合長ら約60人が県庁を訪問し、達増知事宛ての申請書を県水産振興課に届けた。」
これも不正確。「藏組合長ら約60人が県庁を訪問し」まではその通りだが、達増知事宛ての申請書を提出したのは漁民38名であって、「藏組合長」でも「組合長ら約60人」でもない。なお、「申請書を届けた。」という語感の軽さに胸が痛む。この記事を書いた記者には、漁民の声の切実さに耳を傾けようという心が感じられない。
「藏組合長は本県サケ漁が定置網とはえ縄のみで行われていることに触れた上で『定置網漁の経営主体は一部漁協の幹部に偏っている』と指摘。『青森、宮城で認められている固定式刺し網漁が本県で認められないのもおかしい』と主張した。」
この記事が漁民側主張の根拠を紹介する全文なのである。いったい何が問題なのか、記者自身に問題意識がないから、焦点が定まらない。この記事を読んだ一般読者はどう思うだろうか。「漁民組合は、一部漁協の幹部に偏っている定置網漁の権利を自分たちにも寄こせ」と主張しているのだろう、と誤解することになるのではないだろうか。また、「サケの漁法が問題となっており、定置網とはえ縄だけで行われている漁法に、固定式刺し網を追加して許可した方が合理的」だという漁法の選択が論争点なのかと思わせられるのではないか。
漁民の困窮した状態、要求の切迫性、法的な要求の正当性についての言及が全くないから、こんなのっぺらぼうな記事になるのだ。
「県は申請書の内容を審議し、同組合に返答する。」
これはヘンな記事。県が「漁民組合に返答する」ことはあるかも知れないが、本筋の話ではない。あくまで、漁民38名は法に則った許可処分を申請している。不許可処分に至れば、漁民らは不服審査申し立ての上、不許可処分を取り消す行政訴訟を提起することになる。
「同課の山口浩史漁業調整課長は『主張は理解するが、資源には限りがある。漁業者間での資源配分の合意形成が必要だ』との見解を示す。」
ここが最大の問題である。この記事では、県側の言い分を垂れ流す県政広報紙と変わらない。ジャーナリズムとしての在野性の片鱗もみえない。震災・津波後の漁民への思いやりの姿勢もない。
なお、漁業調整課長の『資源には限りがある。漁業者間での資源配分の合意形成が必要だ』が正確な取材に基づくコメントと前提して、一言しておきたい。
本件許可申請に障害事由となり得るものは、許可によって(1)サケ資源の枯渇を招くことになるか、(2)漁業の利益調整に不公正を来すか、の2点のみである。
県の立場は、(1)については何も言うことなく、(2)について、自らの判断を回避して「漁業者間での資源配分の合意形成が必要だ」と逃げていることになる。
「逃げている」という表現は不適切かも知れない。「漁業者間での資源配分の合意形成が必要」とは、言葉はきれいだが、「浜の有力者が譲歩しない限りは、現行の制度を変えるわけにはいかない」という態度表明というほかはない。つまりは、「新たな合意形成ができない限りは」、一般漁民に一方的な犠牲を強いて、一部の有力者の利益に奉仕している現行制度を変更しません、という宣言とも理解できるのだ。
漁民組合は、これまで「新たな資源配分の合意形成」に向けての努力を重ねてきた。その努力は3年に及んだ。それでも、どうしてもラチがあかないので、法的手続きに踏み切ったのだ。県の言い分はもう聞き飽きたことである。県政が、これまでと同じことしか言えないのなら、さっさと行政訴訟で決着をつけるだけのことである。
それまで、漁民は「浜の一揆」の旗を掲げ続けることになろう。
(2014年10月1日)
たまたま、本日(9月28日)の神奈川新聞に目を通した。
全国ニュースからローカルニュース、そして論説・特報、投書欄までの充実ぶりを立派なものと感心した。なるほど、確かに中央紙より地方紙にこそジャーナリスト魂が宿っている。
とりわけ、社会面の「事件『繰り返させない』 横浜・米軍機墜落37年 横須賀で平和集会」の記事に、地元神奈川県民の立ち場からの取り上げ方が典型的に表れている。要約しようと思ったが、もったいなくて、全文を引用させていただく。
「住民3人が死亡、6人が負傷した横浜・米軍機墜落事件から37年となる27日、横須賀市長沢の『平和の母子像』前で集会が開かれた。事件で妻が重傷を負った椎葉寅生さん(76)も参加。『このような事件を再び繰り返させない日本をつくろう』と訴えた。
1977年の墜落事件から8年後の85年、犠牲者の死を無駄にせず、事件を語り継ごうと像が建てられた。以来毎年、集会が開かれている。
被害者の冥福を祈るため、毎年参加している椎葉さんは『これは事故でなく、墜落事件。二度と繰り返してはいけない』と強調。事件を風化させまいという思いに加え、日本を取り巻く安全保障の変容についても触れ、安倍政権の集団的自衛権行使容認の閣議決定について『憲法9条で戦争は禁止されている。それを解釈で中身を変えようとした。こんなことを許したら国会も議員も必要なくなる。どうか皆さん、憲法9条を守ろうじゃないですか』と呼び掛けた。
米軍機に関わる事故は後を絶たず、昨年12月には三浦市で米軍ヘリが不時着に失敗した。『米軍基地がある限り、事故はなくならない』と椎葉さん。一方、米軍の新型輸送機オスプレイが県内にも飛来している現状について『あれは論外。米国が日本政府に売りつけようとしている。医療や福祉の予算は削られているのに、私たちの税金が使われている』と怒りをあらわにした。
事件は77年9月27日、在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)を離れたジェット偵察機が、エンジントラブルで横浜市緑区(現・青葉区)の住宅地に墜落。全身やけどなどで親子3人が死亡し、6人が負傷した。」
もしやと思って、神奈川新聞のホームページを検索してみた。案の定である。
「ニュース」が6項目に分類されている。「社会」「政治・行政」「経済」「子育て・教育」「医療・介護」、そして「在日米軍・防衛」なのだ。
http://www.kanaloco.jp/topic/sub-category?categoryid=13&limit=100
これをクリックすると、「沖縄からのメッセージ 辺野古・普天間 届かぬ『ノー』涙も出ず」「横須賀基地にGW配備6年 撤回求め市民ら行進」「【照明灯】日米密約問題」「深谷通信所跡地 横浜市が市民暫定利用に前向き」「【社説】辺野古移設 計画の混迷は不可避だ」などの記事が並んでいる。地域に根ざした確かなジャーナリズムが存在するという感慨を禁じ得ない。(なお、「GW配備」とは、原子力空母「ジョージ・ワシントン」のこと。念のため)
もう一つ、紹介に値するのが、「紙面拝見」という識者による神奈川新聞検証記事。本日の論者は、横浜在住のフェリス女学院大学矢野久美子教授。
「差別意識と向き合う」というタイトルで、外国人労働者、ヘイトスピーチや朝鮮学校の処遇問題などの民族差別について、同紙の報道に依拠して語っている。以下はその一部。
「9月8日付論説・特報面での師岡康子さんの言葉を書き留めておきたい。『人種差別撤廃条約は植民地主義や奴隷制度への反省の上に結ばれたものだ。例えば、ヘイトスピーチについての勧告で「根本的原因に取り組むべき」としているのも、植民地主義に根ざした朝鮮人への差別であると認識しているからだ』
記事によれば、国連人種差別撤廃委員会の審査では関東大震災における朝鮮人虐殺についても『いつ調査を行うのか』と問われたが、日本政府は『1995年に人種差別撤廃条約を締結しており、その以前に生じた問題は条約には適用されない』と答弁したという。『反省の上に結ばれた条約』なのだから、歴史の事実がどう伝えられているかということも重要な論点だろう。9月9日、10日付論説・特報面では、横浜市の社会科副読本で朝鮮人虐殺の記述が改訂されるプロセスが書かれている。これらの記事から歴史認識が現在の差別や政治動向と連動していることがよく分かる。『植民地支配を正当化するために熟成された差別意識』(9月1日付照明灯)と向き合うことこそが、今問われているのだろう。」
神奈川新聞の記事だけに拠って、今日的な人権問題や憲法問題ついて、これだけのことが語れるのだ。
中央各紙にも、このような姿勢がほしい。
(2014年9月28日)
滅多にないことだが、時に寸鉄人を刺すごときコラムにぶつかって膝を打つことがある。9月21日付東京新聞25面の「本音のコラム・日本版マッカーシズム」(山口二郎)ははまさにそれ。そして、その下欄に続く「週刊誌を読む・池上さん『朝日たたき』にクギ」篠田博之)も、池上彰コメントを紹介して、実に的確に朝日バッシングの風潮を批判している。その姿勢に学びたい。
山口コラムの冒頭は、以下の通り。
「このところの朝日新聞攻撃は異様である。為政者とそれを翼賛するメディアのうそは垂れ流され、権力に批判的なメディアのミスは徹底的に叩かれる。」
まったくその通りだ。記事が不正確だからたたかれたのではない。朝日だから、従軍慰安婦批判だから、反原発の論調だったから、「徹底的に叩かれた」のだ。だから、まさしく異様、まさしく常軌を逸した、たたき方になっているのだ。
「為政者とそれを翼賛するメディアのうそは垂れ流され」の例示として、山口は、「安倍首相は『福島第一原発の汚染水はアンダーコントロール』と世界に向かって大うそをついたことについて、撤回、謝罪したのか。読売や産経も、自分の誤りは棚に上げている」という。指摘の通り、為政者のうそは、汚染水同様に垂れ流され、右派のメディアはこれを批判しようとはしない。
篠田が紹介する池上彰コメントは、週刊文春に掲載された「罪なき者、石を投げよ」というもの。今、朝日に石を投げているお調子者にたいして、「汝らにも罪あり」と、その卑劣さをたしなめる内容だという。
そのなかに、「為政者を翼賛するメディアのうそ」の具体例として、次のくだりがある。
「私(池上)は、かつて、ある新聞社の社内報(記事審査報)に連載コラムを持っていました。このコラムの中で、その新聞社の報道姿勢に注文(批判に近いもの)をつけた途端、担当者が私に会いに来て、『外部筆者に連載をお願いするシステムを止めることにしました』と通告されました。‥後で新聞社内から、『経営トップが池上の原稿を読んで激怒した』という情報が漏れてきました。‥新聞社が、どういう理由であれ、外部筆者の連載を突然止める手法に驚いた私は、新聞業界全体の恥になると考え、この話を私の中に封印してきました。しかし、この歴史を知らない若い記者たちが、朝日新聞を批判する記事を書いているのを見て、ここで敢えて書くことにしました。その新聞社の記者たちは、『石を投げる』ことはできないと思うのですが。」
「ある新聞社」とは朝日のライバル紙。いま、朝日たたきをしながら「自社の新聞を購読するよう勧誘するチラシを大量に配布している」と、苦言が呈されている社。固有名詞こそ出てこないが、誰にでも推測が可能である。
山口は、現在の朝日たたきの現象を「日本版マッカーシズム」と警告する。
「この状況は1950年代の米国で猛威を振るったマッカーシズムを思わせる。マッカーシーという政治家が反対者に「非米」「共産党シンパ」というレッテルを貼って社会的生命を奪ったのがマッカーシズムである。今、日本のマッカーシーたちが政府や報道機関を占拠し、権力に対する批判を封殺しようとしている。
ここで黙るわけにはいかない。権力者や体制側メディアのうそについても、追求しなければならない。マッカーシズムを止めたのは、エド・マーローという冷静なジャーナリストだった。彼は自分の番組で、マッカーシーのうそを暴いた」「いまの日本の自由と民主政治を守るために、学者もジャーナリストも、言論に関わるものがみな、エド・マーローの仕事をしなければならない。権力者のうそを黙って見過ごすことは、大きな罪である」
全くそのとおり。深く同感する。
篠田コラムは次のように終わっている。
「池上さんは、『売国』という表現が、戦時中に言論封殺に使われた言葉であること指摘し、こう書いている。『言論機関の一員として、こんな用語は使わないようにすることが、せめてもの矜持ではないでしょうか』。池上さんに拍手だ」
マッカーシーは、「非米」「共産党シンパ」という言葉を攻撃に用いて「赤狩り」をやった。いま、日本の右派メディアは口をそろえて、「売国」「反日」「国益を損なう」という言葉を用いてリベラル・バッシングに狂奔している。
マッカーシズムが全米を席巻していた頃、多くのメディアは、マッカーシーやその手先を批判しなかった。「共産党シンパ」を擁護したとして、自らが「非米活動委員会」に呼び出され、アカの烙印を押されることを恐れたからである。威嚇され、萎縮した結果が、マッカーシズムの脅威を助長した。ジャーナリストは、肝心なときに黙ってはならない。いや、ジャーナリストだけではない。民主主義を標榜する社会の市民は、主権者として声を上げ続けなくてはならないのだ。
私も、山口や篠田の姿勢に倣って肝に銘じよう。
「ここで黙るわけにはいかない。権力者や体制側メディア、あるいは社会的強者の嘘やごまかしを、徹底して追求しよう」「いまの日本の自由と民主政治を守るために、言論に関わる者の一人として、私もエド・マーローになろう。権力者の嘘を黙って見過ごすことは、大きな罪なのだから」
(2014年9月23日)
朝日新聞が、原発政府事故調が作成した、「吉田調書」に関する本年5月20日付報道記事を取り消し謝罪した。スクープが一転して、不祥事になった。この間の空気が不穏だ。朝日バッシングが、リベラル派バッシングにならないか。報道の自由への萎縮効果をもたらさないか。原発再稼動の策動に利用されないか。不気味な印象を払拭し得ない。
朝日の報道は、事故調の調査資料の公開をもたらしたものとして功績は大きい。そのことをまず確認しておきたい。その上で不十分さの指摘はいくつも可能だ。「引用の一部欠落」も、「所員側への取材ができていない」「訂正や補充記事が遅滞した」こともそのとおりではあろう。もっと慎重で、信頼性の高い報道姿勢であって欲しいとは思う。ほかならぬ朝日だからこそ要求の水準は高い。大きく不満は残る。
この朝日の報道を東京新聞すらも誤報という。しかし、朝日は本当に「誤報」をしたのだろうか。問題は、5月20日一面の「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しでの記事。本日(9月12日)朝刊一面の「木村社長謝罪の弁」では、「その内容は『東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した』というものでした。…『命令違反で撤退』という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。『命令違反で撤退』の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。」となっている。
この部分、吉田調書では、「撤退」を強く否定し、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」と言ったとされている。どのように待避が行われたかについては、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」
これは、明らかに所長の指示がよくない。650名もの所員に、「何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ」という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい。「福島第一の近辺で待機しろ」と言ったつもりの命令に、「2F(福島第2原発)に行ってしまいました」という結果となったことを捉えて、朝日が「命令違反」と言っても少しもおかしくはない。この場合の命令違反に、故意も過失も問題とはならない。「撤退」と「待避」は厳密には違う意味ではあろうが、この場合さほどの重要なニュアンスの差があるとも思えない。しかも、枝野官房長官は、「間違いなく全面撤退の趣旨だった」と明言しているのだ。
朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。
各紙が報じている限りでだが吉田調書を一読しての印象は三つ。一つは、原発の苛酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。「遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ」という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、「死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない」という。
二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。
もう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。たとえばこうだ。
「(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている。」
一日も早く辞めたいと。そんな状態で、申し訳ないけれども、津波だとか、その辺に考えが至る状態ではごさいませんでした」
「吉田神話」のようなものを拵えあげて、東電の免責や原発再稼動促進に利用させてはならない。
朝日の誤報という材料にすり替えあるいは矮小化するのではなく、吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。
(2014年9月12日)
昭和天皇(裕仁)の公式伝記となる「昭和天皇実録」が宮内庁から公表された。
よく知られているとおり、中国では王朝の交替があると後継王朝が前王朝の正史を編纂した。その多くは司馬遷の史記に倣って皇帝や王の事蹟を「本紀」として中心に置く紀伝体での叙述だった。正史とは別に、各皇帝の死後にその皇帝の伝記として「実録」がつくられた。古代の日本もこれを模倣し、「帝紀」や「実録」が編まれた。いまだに、こんなことが踏襲されていることに驚く。
明治天皇(睦仁)の没後には、「明治天皇紀」がつくられ、「大正天皇実録」が続いた。「明治天皇紀」は、1933年に完成しているが、もともと公開の予定はなかった。政府の明治百年記念事業の一環として刊行されることになり、1968年から1977年にかけて刊行されたという。この間実に35年余を経過している。大正天皇実録の刊行はいまだになく、情報公開請求によって世に出たが、不都合な部分が墨塗りされたまま。この社会は、いまだに菊タブーに覆われ、情報主権の確立がないのだ。
さて、「昭和天皇実録」。61巻・12000頁に及ぶものとのこと。オリジナルは僅かに10セット。いずれも、天皇や皇族に届けられ(「奉呈」され)ているという。来春から5年かかっての公刊完成まで一般人はその内容に接し得ない。われわれは、事前に公開を受けたメディアが報道した範囲でしか、実録の内容や姿勢を判断し得ない。
今朝の主要各紙(朝日・毎日・東京・日経・読売・産経)が、「実録」に目を通したうえでの社説を書いている。
最初に各社説のタイトルを挙げておこう。
朝日「昭和天皇実録―歴史と向き合う素材に」
毎日「昭和天皇実録 国民に開く近現代史に」
東京「昭和天皇実録 未来を考える歴史書に」
日経「「実録」公開を機に昭和史研究の進展を」
読売「昭和天皇実録 史実解明へ一層の情報公開を」
産経「昭和天皇実録 「激動の時代」に学びたい」
このタイトルに目を通しただけで、当たり障りのない及び腰が推察できる。
昭和天皇の伝記となれば、どんな姿勢で読まねばならないか。自ずから、その視点は日本国憲法の理念に視座を据えねばならないことになる。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」した立場から省みて、なにゆえに戦争が起きたのか、なにゆえ防止できなかったのか、なにゆえもっと早く戦争を終わらせることができなかったのか。
開戦と終戦遅延と、そして戦争と戦争準備に伴う諸々の悲惨や人権侵害に関して、誰が、どのように責任を負うべきか。その深刻な課題に真摯に向きあって、戦争の惨禍を繰り返さぬために、どのような教訓を引き出すべきか。その視点がなければならない。でなければ、30名もの職員を24年間もはり付けての作業と国費投入の意味はない。
当然のことながら、戦争責任は天皇一人にあるわけではない。システムとしての天皇と、天皇個人とを分けて考えるべきとの見解もあり得よう。しかし、すべての情報の結節点に位置していた天皇に、政治的・道義的・法的な戦争責任がないはずはない。「君側の奸」としての軍部を悪玉にして、天皇を免罪しようというストーリーが最も警戒すべき駄論。これに与するものでないかを慎重に見極めねばならない。
以上の視点が、各紙の社説にまったく見えないわけではない。
朝日は、「昭和の時代が教えるのは、選挙で選ばれていない世襲の元首を神格化し、統治に組み込んだ戦前のしくみの誤りだ。その反省から形成された現代の社会を生きる私たちは、絶えずその歴史に向き合い、議論を深めていく必要がある。」と述べている。「さすが朝日」と言ってよい。日本のジャーナリズムにとっての救いの一言だ。
毎日はやや微妙。「立憲君主制の自制的ルールに立ちつつ、軍部の専横を警戒し、平和を求めて確執もあったという、これまでの昭和天皇像を改めて示したといえるだろう。」という一節がある。これが、実録の立場についての言及なのか、毎日も賛意を表しているのか分かりにくい。意識的にぼかしているということかも知れない。
分量的にはもっとも長い毎日社説の中には、「なぜ私たちが昭和史を絶えず振り返り、そこから学び取ろうとするのだろうか。今の時代が抱える大きな課題の根っこが、昭和にあるからだ。政治、外交、経済のみならず、生活様式や価値観まで多岐にわたる。そして、続けなければならないのは『なぜ、あの破滅的な戦争は回避できなかったのか』という問いかけである。この実録の中でも、開戦前後の事態の推移がとりわけ注目されたポイントの一つだった。しかし解明にはまだ遠い。」「あの戦争で、坂道を転じるように、雪だるま式に危機を膨らませ破綻したプロセスは、決して単線的ではなく、その解明は容易ではない。しかし、それは今極めて重要な教訓になるものである。」と述べている箇所もある。
天皇の責任まで踏み込んでいないことに不満は残るが、問題意識は了解できる。
以上の2紙以外に、頷ける問題意識を見せているものはない。
日経が、「昭和は日本史上まれな激動の時代であり、昭和天皇は第一の証言者である。昭和の研究は皇室をタブー視する意識を超えて進んでいるが、実録には一層の進展を促すヒントが数多くあるだろう。と同時に、実録は完全な言行録ではないことを知り宮内庁の編さんの意図を読み取る必要もある。」と、思わせぶりな記述をしている程度。
読売は、「実録は、国の歴史を後世に伝える上で、極めて重要な資料である。昭和から平成となって、既に四半世紀が過ぎた。軍国主義の時代から終戦、戦後の復興、高度経済成長へ――。実録は、激動の昭和を振り返る縁(よすが)ともなろう。」というのみ。「軍国主義の時代」に言及しながら、大元帥として陸海軍を統帥し軍国主義の頂点に位置していたいた天皇との関連に関心を寄せているところはない。
産経が言いそうなことは読まなくても分かる。
「実録の全体を通して改めて浮き彫りになったのは、平和を希求し国民と苦楽を共にした昭和天皇の姿である。」「注目された終戦の「ご聖断」までの経緯では、ソ連軍が満州侵攻を開始したとの報告を受けた直後に木戸幸一内大臣を呼び、鈴木貫太郎首相と話すよう指示を出したことも書かれている。」「昭和21年から29年にかけ、戦禍で傷ついた国民を励ます全国巡幸は約3万3千キロに及んだ。天皇は一人一人に生活状況を聞くなど実情に気を配った様子も分かる。」と、徹底した天皇善玉論。
意外なのは、東京新聞。
「大きな戦争の時代を生きた昭和天皇であったために、さまざまな場面での発言が重みを持って伝わる。1937年の日中戦争直前、宇垣一成陸軍大将に『厳に憲法を遵守し、侵略的行動との誤解を生じないようにして東洋平和に努力するように』と語った?。」「41年に対米戦争に踏み切ったときは『今回の開戦は全く忍び得ず』と詔書に盛り込むように希望した?。45年8月の御前会議では『戦争を継続すれば国家の将来もなくなる』と終戦の聖断を下した?。戦争に苦悶する昭和天皇の姿が浮かび上がる。」
原発問題で見せている徹底した批判精神はどこに行ったのか。現政権への批判の健筆の冴えはなにゆえここには見えないのか。不可解というしかない。
ジャーナリズムは、体制・政権・強者への批判を真骨頂とする。自主規制によってタブーの形成に加担してはならない。
各メディアのジャーナリスト魂は、菊タブーへの挑戦の姿勢によってはかられる。今回の「実録」の取り上げ方は、その面から各社の姿勢をよく表していると思う。
(2014年9月9日)