(2022年10月10日)
天候は忖度しない。爽やかな秋空がひろがる今日ではなく、雨模様のどんよりした、「体育の日」改め「スポーツの日」。この祝日の起源は、1964年の東京オリンピック。当時私は大学2年生でアルバイトに明け暮れていた。オリンピック当日に雨が降ろうと雪が降ろうと、何の関心もなかった。
私は典型的な苦学生だった。高校卒業以後、親から仕送りを受けたことはない。奨学金と学費免除制度と学寮があったから進学を決意し、生活費は全てアルバイトで稼いだ。贅沢とは無縁の生活。私の貧乏性は、当時の暮らしで身についたもの。
若さとは大したもの。その当時に、辛いとも苦しいとも惨めとも思ったことはない。が、啄木の、「わが抱く思想はすべて金なきに因するごとし 秋の風吹く」という思いはまさしく、私のものでもある。
本日、たまたま久しぶりの同窓会幹事会で当時の大学に足を運んだ。駒場寮のなくなったことはさびしい限りだが、キャンパス全体の風景はさして昔と変わらない。往時を思い出させるに十分である。
あの東京オリンピック前には、土木工事のアルバイトに恵まれた。技術のない学生の日当も結構高かった。駒場構内の作業もあったことを記憶している。級友と一緒に、酒癖の悪い土方の親方の指示で働いたことなどを懐かしく思い出す。家庭教師と土方仕事。そして不定期な雑誌原稿のリライト。私にとっての割のよいアルバイトだった。
今の学生の生活はどのようなものだろうか。親の経済力にかかわりなく、教育を受けることができるよう制度は進展しているのだろうか。機能しているのだろうか。
ところで、長く10月10日は、「体育の日」だった。「国民の祝日に関する法律」では、その意義を「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」としていた。「東京オリンピック2020」以来、「体育の日」は「スポーツの日」となった。その意義も、若干変わった。「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う。」というのだ。なんとなく、そらぞらしい。
「体育」には、軍国教育の臭いがつきまとう。「スポーツ」には商業主義と勝利至上主義が。社会に、スホーツ文化の成熟は未だしなのだ。だれもが、学びつつ、働きつつ、また老後にも、余裕をもって自分なりにスポーツを楽しむことができる文化の定着を願う。
もう、私の人生には間に合いそうもないのだが。
(2022年10月8日)
毎日新聞「記者の目」が、いつも読み応え十分である。地方支局の記者が、それぞれの目による取材で、渾身の執筆をしている。ローカルな出来事が普遍的な問題を指摘していることがよく分かる。
一昨日(10月6日)朝刊に、「聖カタリナ学園高野球部集団暴行 根本解決へ調査・説明尽くせ」という、松山支局斉藤朋恵記者の記事。伝えられた事実に驚きもし、さもありなんとも思う。そして、考えさせられる。
記者はこう伝えている。
「2021年春の選抜高校野球大会に出場した聖カタリナ学園高(松山市)の野球部の寮で、部員間の集団暴行が繰り返されていたことが今年7月、判明した。「指導」という名で行われた暴力の解決には、学校側が問題を直視して説明を尽くすことが不可欠だが、今の対応では改善に向かう兆しは見えない。
発覚したのは、21年11月18日夜、1年の部員が部のルールで禁じられているスマートフォンの学校への持ち込みを理由に、寮の自室で複数の1、2年部員から馬乗りになって殴られるなどした事案(学年は当時)▽22年5月18日夕、1年の部員が寮内で1、2年部員計9人から呼び出され、バットやスパイクで殴られた事案――の2件。被害者はいずれも転校した。
『痛すぎて抵抗もできなかった』。自宅で取材に応じた5月事案の被害者はこう絞り出した。殴る回数はスマートフォンのルーレットアプリで決められたという。延々と続く暴力は『サーキット』と称され、命の危険を感じた。すねには傷痕が残り、今も夜に突然目が覚めることがある。」
「他の元部員らにも取材を重ねる度、暴行が常態化していた実態を突きつけられ、言葉を失った。ある元部員は、寮内で殴られた痕が残る部員を日常的に目にしたと話した。5月事案では「やらないとお前もやる」と先輩から言われた1年生や、暴行を指導者に報告しようとしたことがばれて殴られた元部員もいた。」
記者は、こう驚いている。
「私は『高校生がすることか』と驚いた。わずか1年半前、私は甲子園初出場が決まった同部に取材で通い、当時の部員たちのはつらつとした姿が印象に残っていただけに、信じがたい思いだった。」
記者の驚きは、高校生の暴力行為の酷さだけにについてのものではない。表舞台での礼儀正しくはつらつとした球児たちの印象と、人目につかないところでの陰湿な傷害事件との落差への驚きである。だがこれは、甲子園出場水準の高校球児についての稀有な事例ではない。おそらくは野球に限らず、高校スホーツに蔓延する病弊である。
彼らは、表舞台での「高校生らしさ」「爽やかなスポーツマンのあり方」の作法を教えられる。それは、メディアに向かっての演技であって、ホンモノではない。部活の中では新入生としていじめられ、上級生になれば新入生をいじめる文化のなかにどっぷり浸かっている。若くして、ダブルスタンダードの振る舞いを身につけるのだ。
昔軍隊、今体育部である。旧軍に、新兵イジメの伝統があり、陸海軍共に独特のイジメの文化も発達した。これは、上意下達の規律の維持のためとして半ば公然と行われた。兵の人権が顧みられることはなく、兵には「上官の命令は天皇の命令」と思い込むことが強要され、命令一つで死地にも飛び込むことが求められた。その上官の命令の絶対性は暴力による恐怖をもって叩き込まれたのだ。
軍事的合目的性からは、兵の自発性は不要、上官の意のままに手足となって動く兵が求められ、そのための訓練が積み重ねられ、見えないところでは暴力も重要な役割を担わされた。軍隊ほど、表と裏の落差激しい社会はない。
日本の学校教育における体育は、兵士の育成を意識して導入され、軍隊のあり方を模したものとなった。その伝統は今なお脈々と生き続けている。教育の場に人権教育がなく、とりわけ体育関係に人権意識が希薄なのだ。
記者は問題の背景を識者の指摘を引用して、こう考えている。
「スポーツ倫理に詳しい友添秀則・日本学校体育研究連合会会長は『少子化で生徒募集に苦労する中、高校野球の宣伝効果は大きく、甲子園出場による学校の増収は億単位とも言われる。短期間で成果を求められる指導者側のプレッシャーも大きい。スポーツを学校の経営に生かす手段とすることを常態化させると、今回のような問題が起きかねない』と指摘する。」
かつて強い軍隊を作るためには、上官の意のままに動く兵が必要と考えられた。いま、強いスポーツチームを作るには、監督の意のままに動く選手が必要と考えられているの。そのためには、体罰も必要、チーム内秩序の維持のためのイジメも黙認とされているのではないか。実は、企業もこの原理で動いている。
そして記者は、こう怒っている。
「学校の過度な期待を背負う野球部員たちは被害、加害の立場に関わらず被害者と言えるだろう。夢を抱いて親元を離れた高校生が身の危険にさらされ、問題発覚後も大人の都合で根本的な解決が図られていない現実に、強い憤りを感じる。学校は第三者委の委員を明らかにせず、調査結果の公表方針も明言していない。適切に調査し、批判を覚悟で結果を公表できなければ、野球部の再建はない。」
この人権侵害の不正義に記者の批判は鋭い。ペンは剣よりも強い。がんばれ、毎日新聞松山支局・斉藤記者。
(2022年9月23日)
実は、と前置きするほどのことでもないが、私は「宗教二世」である。ものごころついて初めて字を覚え、分からぬながらも初めて文章を読んだのは、その宗教団体の「教典」だった。
私の父は、ある宗教の熱心な信者で、私が5歳のころにその教団の布教師となった。以来私は、高校を卒業するまで教団の中で育った。
私にとって好運だったのは、その教団がけっして排他的でも閉鎖的でもなく、私の父母も、私の進路を拘束しようとはしなかったこと。そして、小中学校は、教団施設から公立校に通ったこと。
それでも私はその宗教の色に深く染まった。何しろそれが世界の価値観の全てで、それ以外に拠るべき何物もないのだから。教団は穏やかで居心地のよい場所ではあったが、私が選び取った世界ではなかった。いつのころからか私は、自分にまとわりついた宗教色を拭い去って、教団からの脱出を夢みるようになった。
高校生のころには、教団の経営する学校の寮舎で、同じ境遇の友人と石炭ストーブにあたりながら、「俺たちに『信仰しない自由』ってないんだろうか」「親が子どもの信仰を決められるんだろうか」「将来の自分にとって信仰がどんな意味をもつのだろうか」などと話し合ったことを覚えている。おそらく、この問が宗教二世問題の原点なのだろう。
いま、統一教会問題をめぐって、宗教二世問題がクローズアップされている。
9月16日、全国霊感商法対策弁護士連絡が集会を開き、「旧統一教会の解散請求等を求める声明」を採択した。文科大臣への統一教会についての解散請求を求める内容を中心としながら、6項目の要求をまとめている。そのうちの第4項が、「二世問題」である。
https://www.stopreikan.com/seimei_iken/2022.09.16_seimei01.htm
厚生労働大臣、こども政策担当大臣及び各都道府県知事に対して、
(1)いわゆる「二世」と呼ばれるこどもが抱える問題について児童虐待と位置づけて、適切なこども施策を策定・実施されたい。
(2)その前提として、担当職員(特に児童相談所職員)に対し、専門家を招致して研修などを実施し、カルト団体の問題点及び「二世」が抱える問題点等についての知見を周知されたい。
と要求するものだが、その理由が具体的で詳細である。その中に、次の一節がある。
「二世は、両親を通して当該宗教団体から以下のような人権侵害を受けており、児童虐待防止法上の児童虐待に該当するものも含まれる。
? 生まれたときから両親の信仰を強制される(信教の自由の侵害)
? 婚姻前の恋愛の禁止(幸福追求権の侵害)、信者以外との結婚禁止(婚姻の自由の侵害)
? 学費負担拒否(教育を受ける権利の侵害)
? 服装、下着、体毛処理、外出等の生活の全てを管理(幸福追求権の侵害)
? 親の指示に従わない場合の鞭などによる体罰(身体的虐待)
? 親の指示に従わない場合の監禁、軟禁(身体的虐待)
? 布教を優先した育児放棄(ネグレクト)
? 「悪魔、死ね」等の暴言(著しい心理的外傷を与える言動)
? 体調不良時に病院への付添拒否(著しい心理的外傷を与える言動)
? 二世であることを理由にした差別、いじめ(第三者による人権侵害)」
私はこのうちの???までとは無縁だったが、「? 生まれたときから両親の信仰を強制される(信教の自由の侵害)」だけは、免れようのない宿命的課題として、対峙せざるを得なかった。
「声明」は、こう述べている。
「二世問題への対応の難しさは、?二世自身が自らの抱える問題を明確に自覚できていない、あるいは、自覚をしていても自らそれを外部に申告することができないこと、?両親に注意喚起、指導をしても、自らの行為は信仰に基づくものであり、間違っていないと信じ込んでいるため受け入れられず、むしろ、外部の介入が両親によるこどもに対する攻撃を増幅させる危険があることである」という。
上記?については、自分の体験として頷ける。?についての実体験はないが、その危険と恐怖の深刻さはよく分かる。
そのような難しさの中で、『二世の宗教選択の自由と、両親の信教の自由(あるいは、(親権者の子どもに対する教育の権能)との関係』をどう捉えるべきか。「声明」はこう語っている。
「我が国が批准している子どもの権利条約第14条は以下のように定めている。
1 締約国は、思想、良心及び宗教の自由についての児童の権利を尊重する。
2 締約国は、児童が1の権利を行使するに当たり、父母及び場合により法定保護者が児童に対しその発達しつつある能力に適合する方法で指示を与える権利及び義務を尊重する。
両親がこどもに宗教教育を行う自由は認められているが(憲法第20条1項、自由人権規約第18条4項)、それは「児童に対しその発達しつつある能力に適合する方法」によらなければならない。」
信仰をもつ親が、我が子にも同じ信仰をもってもらいたいとしての「宗教二世」の生産・再生産は、けっして親の信教の自由として無制限のものではない。なによりも、子どもの人格、人権の尊重を最優先とする制約に服さざるを得ない。
子どもは、親次第でどのようにも育つ。子どもの心情は白紙というにとどまらない。親の愛情の中で育つ子どもは、親の信仰を積極的に受容しようとする。マインドコントロールの環境としてはこれに過ぎるものはない。これが、私の体験的「二世問題」の基本視点である。
キーワードである「子どもの発達能力に適合する方法」の尊重は極めて大切な原則である。これを貫徹することの現実的な困難は明らかではあるが、困難であるからと放擲してはならない。全ての人に、あらゆる局面で、再確認し具体化する努力の持続が求められる。
おそらくは二世ではない一般信者の獲得においても、子どもについての信仰教化の環境設定が理想として追求されることになるだろう。つまりは、被勧誘者に対して不都合な関連情報をシャットアウトすることと、勧誘者に対して好意を喚起する工夫を施すことである。こうして、「適合性を欠如した」信仰の伝道・教化の成功に結実する。
なお、私がかつて教団で学んで今につながることもある。教団経営の高校授業には、週一回の「宗教の時間」があった。そこで教団の幹部から、戦前の教団弾圧の際の体験を生々しく聞かされた。このとき培われた権力を憎む心情は今も変わらない。
(2022年9月12日)
本日、東京「君が代」裁判・第5次訴訟の第6回ロ頭弁論期日。
まだ準備書面交換による応酬が続いているが、次回(11月24日午後4時)には主張の段階が終わって、立証の段階にはいる目途が付きそうな状況。
形式的な手続の後に、原告15人のなかのお一人が、口頭で約10分間の意見陳述をした。満席の法廷に切実な訴えの声がよく響いた。その全文を掲載しておきたい。
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原告意見陳述要旨
原告 (K高校定時制)
私は、2017年春の卒業式に卒業生の担任として出席し、「国歌斉唱」時に起立しなかったことで戒告処分とされました。「10・23通達」が出されてから3度目の処分でした。
最初の処分を受けた2004年4月の入学式の当日は、腸から出血し、自分はどうなってしまうのだろうと思いました。その後も、卒業式や入学式が近づくと気分が落ち込み、体調に異変が生じました。2度目の処分を受けた卒業式のときは、「君が代」が始まったときに激しい背中の痛みを覚え、自分はどうしても立てないのだと観念して着席しました。
2016年4月にK高校定時制に異動し、3学年の担任になりました。定時制は通常4年間で卒業しますが、3年間で卒業できる制度があり、私はその年度の卒業式に担任として出席しました。卒業式が近づくと何度も校長室に呼ばれました。職務命令にも処分にも苦しみますが、なぜ「君が代」のときに立てないのかを説明することは、それよりもさらに苦痛です。
私は、かつて勤めていた私学での経験から「君が代」を歌えなくなりました。
その学校は神道を理念とした女子高で、入学式の前日には、近所の神社でお祓いを受けることになっていました。
しかし、毎年、数人の新入生が神社の参拝を拒みました。この儀式は入学の前提とされていたため、神社参拝をできない生徒は入学を取り消されるのです。生徒が4月に入ってから入学する高校を失うという深刻な事態を目にしながら、私にはなす術もありませんでした。
入学した生徒にも難関が待っています。体育館の壇上の神棚の上には常時「日の丸」が掲げられ、入学式・卒業式はもとより、元旦の拝賀式をはじめとして、天長節、紀元節などの儀式の都度、「君が代」を歌わせられます。それだけでなく、毎朝の朝礼では祝詞をあげて、明治天皇御製の歌を歌わせられます。そこでの神様は天皇、“現人神”でした。別の神様や宗教を信仰する生徒たちは、何かと抵抗しました。それを抑えて、素直に祝詞をあげ、歌を歌うよう“指導”するのが私たち教員の仕事でした。加えて、「良妻賢母教育」の名のもとに髪型や制服の着方などの生活指導も「取り締まり」と言った方がいいような仕方で行われました。こんな関わり方をしていて、生徒と心を通わせることなどできません。教師になった喜びとは無縁でした。
強制されている生徒たちは、毎日嫌な思いをしていたでしょう。でも、自身の内面に根拠も必要性も感じないことを、生徒たちに強いている私も苦痛でした。「お給料をもらっているから仕方がない」と、自分に言い聞かせる日々を過ごすうち、“頭痛と出血で立っているのもやっと”という状態になりました。医師からは、転職するしか治す方法はないと言われ、都立高校の採用試験を受けました。
こうして、ようやくストレスから解放されて18年余り。私学での悪夢を忘れていた私を、再び過去に引き戻したのが「10・23通達」でした。入学式・卒業式の式場で「君が代」の伴奏が響き渡ると、いやおうなくあの私学の体育館の光景が脳裏に浮かび、身動きができなくなりました。それが初めての不起立でした。
約10年をかけた、処分取り消しを求める東京「君が代」裁判一次訴訟の結果、最高裁判決で戒告処分が容認された一方、減給処分は「重きに過ぎる」ことを理由に裁量権の逸脱・濫用として取り消されました。
また、この問題の解決に向けてすべての関係者が真摯かつ速やかに努力するよう求める補足意見が付されました。
これを見て、話し合いができるのではないかと期待し、私たち原告団は、毎年、都教委に話し合いの場を待ってくれるよう、要請を続けてきました。しかし、都教委は今日まで一向に応じてくれません。
2019年には、ILO/ユネスコから、この問題の解決に向けて、式典の在り方や懲戒処分の決め方について、教員団体との対話を求める勧告が出されました。それでも、未だに都教委は話し合いを拒否し続けています。今年、ILO/ユネスコは、先の勧告の実施が遅々として進まないとの認識の下、「地方当局向けの適切な注釈や指導も併せて行うことを勧告する」という、より踏み込んだ再勧告を公表しました。かつて最高裁判事として、“起立斉唱の職務命令は違憲・違法”という反対意見を書いた宮川光治弁護士は、この報に触れて「日本はいまだに国際基準から外れることをしていて、恥ずかしい」と述べています。
現在、私は再任用教員として勤務していますが、2017年に戒告処分を受けたことを理由に“年金支給開始年齢に達したら任用しない”と予告されています。しかし、再任用は単年度ごとに「従前の勤務実績等に基づく能力実証を経た上で採用する」という制度です。何年も先の合否を告げること自体が制度の趣旨に反しています。再任用打切りの事前告知を受けた定年時、私の業績評価は最高位の「A」でしたが、選考課の職員は「業績評価は再任用選考とは関係ない」「あなたが裁判で勝てば、それなりに対応します」と言い放っています。裁判所の判決という強制力が働かない限り、彼処分者は排除するということです。
1歳上の原告の川村さんは、私と同様「再任用打切りの事前告知」を受けていましたが、この春、ついに再任用不合格とされました。しかも、彼女は「再任用職員採用選考」の通知に明記されている面接すら受けておらず、適正な手続きを経て合否が判定されたとは到底考えられません。さらに、秋に申し込んだ産休代替などの臨時的任用職員の要項が2月になって突如変更され、処分歴を書く欄が設けられた新たな申込書を提出させられました。これは、処分された教員を狙い撃ちにしたものという他はありません。
ご理解いただきたいのは、「戒告という最も軽い処分」の重さです。処分を受けて6年も7年も経っても不利益が続き、最終的には戒告を理由に誠を切られるのです。こうした処遇は、他の教職員に対する見せしめの効果を発揮しています。私たちが裁判をしなければならないのは、他に手段がないからなのです。
「10・23通達」は、都教委の意に沿わない教員を排除する装置として、導入されました。それまで、都立高校の運営は合議でなされてきましたが、命令と処分という運営手法に変えられたのです。都教委にしても、校長にしても、あるいは一般の教員にしても、上に立つには楽でしょう。しかしそれはもはや、子どもを育てる教育の場ではなく、管理と選別の機関でしかありません。今では、学校教育に関わるあらゆることの決定のしかたに、上意下達の体制が浸透しています。「10・23通達」に続いて、職員会議での挙手採決を禁止する通達が出されました。校長の一存で方針が決定され、私たちはただそれを実行するだけの存在になりました。この体制しか知らない世代の教員がすでに過半数を超えた今では、議論すらありません。公論が封じられた学校で、疑問も不満も封じ込められています。
本来学校は、日本国憲法がめざす平和で民主的なこの国の、主権者となるにふさわしい人間を育てる役割を担っています。そのために、目の前の生徒に何か必要か、どうすればいいのかを考え、行動することが教員の責務ではないでしょうか。それとも、唯々諾々と、不当な職務命令にも従わなければならないのでしょうか。
都立高校の教育が「10・23通達」の呪縛から解放され、本来の教育を取り戻せるよう、裁判官の皆様の、勇気ある判断を、心から期待いたします。
(2022年8月7日)
昨日(8月6日)の東京新聞朝刊トップ記事が、「都教委も半旗掲揚依頼 安倍元首相葬儀 都立255校に文書送信」の大見出し。のみならず、22面と23面の「こちら特報部」に詳細な関連記事。その見出しを連ねてみる。
《安倍氏葬儀に都教委が半旗依頼 「政治的中立に反する行為」背景は?》
《弔意の「強制」 日の丸・君が代問題と同根》
《「教員、生徒たちへの刷り込み心配」》
《「特定の政党を支持してはならない」 教育基本法に明記しているのに》
《教育行政への侵食 安倍政権下で進行》
ネット記事では、もう少し見出しが増える。
《複数校が掲げる》
《都の担当者「強制したつもりはない」》
《政治的中立求める教育基本法に反する恐れ》
《東京以外にも相次ぎ判明》
《国の関与を疑う声も》
《「不当な支配」国が都合よく解釈し、介入》
https://www.tokyo-np.co.jp/article/194182
https://www.tokyo-np.co.jp/article/194189
一面トップの記事のリードは以下のとおり
「東京都教育委員会が先月12日の安倍晋三元首相の葬儀に合わせ、半旗を掲揚するよう求める文書を都立学校全255校に送り、現実に複数校がこれに応じて半旗を掲揚して学校として安倍氏に対する弔意を表明していた掲揚していたことが分かった。専門家は「政治的中立を求める教育基本法に反する恐れがある」と指摘。同様の依頼は川崎、福岡市などでも判明している。」
「特報部」のリードは以下のとおり。
「首都・東京の教育委員会が、安倍晋三元首相の葬儀の日に半旗掲揚を求めていたことが判明した。教育基本法の「政治的中立」に反する恐れを専門家は指摘するが、少なくとも全国7自治体の教委も同様の要請を行っていた。「弔意は強制していない」と口をそろえる様子から浮かぶのは、子どもや教師の権利に無頓着な教育行政の姿だ。こんな状態で、世論を二分する「国葬」を行って大丈夫なのか。」
以上の見出しとリードで、この記事の言わんとするところは十分に通じる。教育の本質に切り込んだ報道として高く評価しなければならない。東京新聞に敬意を表したい。蛇足ながら、東京新聞の見出しをつなげてみるとこんなところだ。
安倍晋三の葬儀というまったくの私的な行事に合わせて、東京都教育委員会が全都立学校に半旗を掲揚するよう依頼の通知を発し、現実にこれに従って複数の学校が半旗を掲げて安倍に対する弔意を表明したことが分かった。
安倍晋三と言えば、特定政党の特定政治主張に旗幟鮮明な復古主義政治家である。このような毀誉褒貶激しい政治家の私的な葬儀に学校が公的に弔意を表するのは、本来的に教育に要請されている政治的中立性に明らかに反する違法な行為である。教育基本法14条2項が「学校は特定の政党を支持してはならない」と明記しているのにどうしてこんなことになってしまっているのだろうか。
この都教委による学校現場に対する要請は、当局は否定しているが、事実上の「弔意の強制」にほかならない。生徒・教員の思想・良心の自由をないがしろにしている点で、同じ都教委が生徒・教員に、国家への敬意表明を強制し続けている「日の丸・君が代」問題と、同根と言わねばならない。
このような「教育行政が教育を侵食する本来あってはならない現象」は、安倍政権下で進行してきたもので、現場の教員は、あたかも安倍氏やその政治路線が正しいものであるような、学校という教育装置を違法に使っての生徒たちへの刷り込みの効果を心配している。
もとより教育は特定政治勢力によって支配されてはならず政治一般から独立しなければならない。また、教育が特定の政党や政治家を支持したり支援するようなことは絶対にしてはならない。そのことは、教育基本法に明記されているのに、教育は本来のあり方から、大きくねじ曲げらた現状にある。これは、政治が教育行政に大きく侵食してきた結果であって、このことは安倍政権下で進行してきた憂うべき現象である。同様のことが、都教委にとどまらず全国で生じているということから、国の関与を疑う声もある。教育基本法によって禁じられている「不当な支配」を、国が都合よく解釈して、「政治が行政に介入し、行政が教育に介入する」ということが常態化してしまっているのではないか。
何が最大の問題か。
通夜があった7月11日に都総務局が作った「事務連絡」は、半旗掲揚について「特段の配慮をお願いしたい」とし、11、12日の掲揚を依頼したものだという。これが、教育庁を含む各部署にメールで送られ、教育庁(都教委事務局)が都立高校や特別支援学校に転送した。
このことについて、都教委の担当者は「事務連絡を転送しただけで、掲揚するかは各校の校長に任せた。弔意を強制したつもりはない」と言う。この都教委の弁解に最大の問題点が表れている。いったい何が問題なのか、都教委はまったく分かっていないようなのだ。
教育委員会は自らが教育に介入することは厳に慎まなければならないというだけではない。その重要な任務として、教育を支配し介入しようという外部勢力からの防波堤となって教育を擁護しなければならない。
都の総務局が安倍の葬儀に半旗をという発想も批判されなければならないが、教育庁の特殊性を考慮せずに他と同様のメールを送信したことは不見識甚だしい。そして、これを各学校に転送した都教委は、明らかに任務違反である。これに従った校長の責任も厳しく問われなければならない。なんとまあ、この世には、忖度がはびこったものか。その元兇は、安倍晋三なのだが。
(2022年7月17日)
「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議主催
再勧告実現! 7.24 集会案内
日本政府、君が代の強制で、国連機関に『また』叱られる!
?それでもまだ歌わせますか??
日時 2022 年 7 月 24 日(日曜日)
13 時 40 分?16 時 40 分(開場 13 時 20 分)
会場 日比谷図書文化館 (B1F)
日比谷コンベンションホール 東京都千代田区日比谷公園 1-4
03-3502-3340
資料代 500 円
主催 「日の丸・君が代」LO/ユネスコ勧告実施市民会議
いま学校は、上位下達の徹底、教科書への政治介入など、国家による教育支配が進み、格差、いじめ自死、教職員の過重労働など疲弊しきっています。
東京では、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ、ピアノ伴奏をせよ」との職務命令に従わなかったとして、484名の教職員が処分され、その強制は子どもにまで及んでいます。
2019年春、ILOとユネスコは日本政府に、「日の丸・君が代」の強制を是正するよう勧告しました。画期的な初の国際勧告です。
しかし、文科省も都教委も、勧告を無視し続けており、私たちはセアート(ILO・ユネスコ合同委員会)へ訴え続けてきました。
その結果、昨秋、日本政府への再勧告が盛り込まれた第 14 回セアート最終報告書が採択されました。今後ILO総会で議題にされます。
子どもの未来、明日の教育のために、勧告実現に向けて、ぜひご一緒に取り組みましょう。
プログラム
■基調講演
勝野 正章(東京大学)
「現代社会における教師の自由と権利?教員の地位勧告から見る世界と日本」
阿部 浩己(明治学院大学)
「再勧告の意義と教育の中の市民的自由」
■特別講演
岡田 正則(早稲田大学)「学問と教育と政治」
■座談
「勧告を得るってどんな価値があるの?実現の困難は克服できるの?」
阿部 浩己、寺中誠(東京経済大学)、前田 朗(東京造形大学名誉教授)
■教育現場の声
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あなたも運動サポーターに? 運動への協力金を
個人 1 口 500 円 / 団体 1 口 1,000 円 (何口でも結構です)
郵便振替口座 番号 00170?0?768037
「安達洋子」又は「アダチヨウコ」(市民会議メンバーの口座です)
(2022年7月15日)
昨日の東京地裁709号法廷。午後3時から、東京「君が代」裁判・第5次訴訟の第5回口頭弁論。担当裁判所は民事第36部。原告側から、準備書面(8)と(9)と書証を提出して、原告2人と代理人1人の口頭意見陳述があった。
709号法廷の傍聴席数は42。その全席を埋めた傍聴の支援者を背に、意見陳述は迫力に満ちていた。原稿を目で追って読むのと、本人を目の前にしてその肉声を聴くのとでは、訴える力に格段の差が生じる。肉声なればこそ、本人の気迫が伝わる。それだけではなく、その必死さ、真摯さ、悩みや葛藤の深刻さが伝わる。聞く者の胸に響く。裁判官3名は、よく耳を傾けてくれた印象だった。
次回も次々回も、原告2人と代理人1人の意見陳述の予定。真面目な教員であればこそ、「日の丸・君が代」強制に応じがたく、悩みながらも勇気をもって不起立に及んだ原告の心情に、担当裁判官の人間としての共感が欲しいのだ。
昨日の法廷での、原告のお一人の陳述の内容をご紹介する。家庭科の教員をしておられる方。「起立して国旗に正対し、国歌を斉唱せよ」という職務命令に従えなくなったのは、担任した在日の生徒との関わり方に悩んでの末のことだという。
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原告の一人として意見を申し上げます。
1993年に都立高校の教員になり、足立高校定時制に勤めました。定時制の生徒の多くは、中学校時代まで不登校だったり問題行動を起こしたりと、教師や社会に対してよい印象を持っていません。真剣に向き合わないと欺瞞や嘘はすぐ見抜かれてしまいます。一日一日が真剣勝負です。私は生徒と同じ目線で対話を繰り返すことで信頼関係ができること、信頼関係ができれば生徒も変化していくことを学びました。
外国籍の生徒も多く、私のクラスにも在日韓国人の生徒がいました。彼女は周囲に対してすぐとんがって喧嘩してしまい、問題を起こす生徒でした。彼女とは民族のアイデンティティを大切にして対話することを試みました。「もうひとつ名前があるでしょ」と、2人きりで話す時は本名で呼び、それに慣れた頃、地元の在日コリアンの高校生の集まりに誘いました。その時、彼女の表情がやわらいで、別人のようにおとなしくなりました。これが本当の彼女でした。とんがっていたのは、バカにされないように精一杯虚勢をはっていたからでした。自身の民族性にふれるうち少しずつ変化がみられ、クラスの女子とうまくやろうと努力し始めました。
また家庭訪問をくりかえすうちに、彼女の母親も自分のことを話してくれるようになりました。戸籍がなくて大人になってから自分で取り寄せたこと、民族学校が閉鎖されてなかなか教育を受けられなかったことなど戦中戦後の苦労話です。生徒たちが抱えている問題の背景には戦争があることを実感しました。侵略戦争のシンボルだった日の丸君が代は、特にアジアの人々には強制すべきでないと確信を持ちました。
4年生の担任を受け持ったクラスには、60代のOさんがいました。当時の卒業式では、式場に君が代・日の丸はなく、校長との話し合いで屋上に日の丸を三脚で立てていました。卒業前のHRでどんな卒業式にしたいか、日の丸・君が代についてどう思うか、話した時です。普段寡黙なOさんが怒りをあらわにしました。「私は小学校の頃、ガキ大将だった。戦争中は休みの日にも天皇関係の行事で学校があって、サボると教師に殴られた。戦争が終わると墨塗りの教科書になり、教師達の言うことが180度変わった。教師なんて信用できない。教育なんてくそ喰らえ、と思って中学卒業と同時に働きに出たが、社会に出ると学歴の壁は厳しかった。人生のしめくくりとして高校に来ました。その卒業式に日の丸・君が代はやめて下さい。」Oさんが教育に対してそんな思いでいたとは驚きでした。時代によってコロコロ言うことが変わるなんて信用できない。Oさんの言う通りです。Oさんに信用される教師になりたいと思いました。自分が正しいと思ったことはどんな時代がきても、信念を持ってちゃんと伝えられる教師になりたいと思いました。
2003年10.23通達が出された時、私は豊島高校定時制の4年生の担任でした。職場は大混乱。生徒にどう話そうか悩んでいたら、当時大々的にニュースに流れていたので、生徒の方から自分達の卒業式はどうなるんだと質問や不安の声が飛びかいました。そこで学年合同HRを行うことにしました。1回目のHRは、不登校や引きこもりだったおとなしく真面目な生徒だけが参加していました。「色々変わって、教員の私には不起立の自由はないけど、生徒のみんなには内心の自由があるよ。」と説明しました。しかしいくら説明しても、「たまき(教師である私を生徒は名前で呼びます)も一緒に座ってよ」と、声があがるだけでした。
式場で立つように言われて立たないのは勇気の要ることです。私が起立せず座ればそれが彼女たちの防波堤になると思いました。翌週2回目のHRの時は、前の週欠席していたヤンキーやギャルの一団が加わりました。彼らは日の丸・君が代があると「式っぽい」とか「かっこいい」と大賛成。そのとたん、前回のHRであれほど「たまきも一緒に座って」と声をあげていた生徒達が一斉に口をつぐみました。彼らが怖くて自分の意見が言えないのです。気まずい抑圧された雰囲気のままHRは終了しました。口をつぐんでいた生徒の一人が寄ってきて「歌いたくない人は座ってもいいでしょ」と念押ししにきました。意見を言えなくても行動できる生徒がいると救われた気持ちでした。
さて卒業式はどうしようか。HRで自分の意見も言えない弱い彼らを守るには私が座るしかないと思いました。生徒の内心の自由は守りたい。しかし初めて出された職務命令に従わなければどうなるのか想像もつきません。まだ私は若かったし、定年までの人生を考えるとどうなるかわからない恐ろしさは半端ではありません。
卒業式当日、悩み抜いた結果、苦渋の末に起立しました。すると「たまきも座って」と言っていた生徒たちがうらめしそうにこっちを見ています。そして「座ってもいいでしょ」と念押ししにきた生徒だけが座りました。でも、彼は落ち着きなさそうに周囲をきょろきょろ見渡し、居たたまれなくなって曲の途中からゆっくりと腰をあげ、曲の最後には立ちました。この光景は忘れられません。わたしは、立ったことを激しく後悔しました。私を頼ってきた生徒の信頼を完全に裏切ってしまいました。私が立つということは、生徒の内心の自由を守れなかっただけではなく、生徒を立たせてしまい、大きな強制力を持って生徒の内心の自由を奪うことだったのです。「教師なんて信用できない。教育なんてくそ喰らえ」と言ったOさんを思い出しました。
しかし私は生きていくために働かなくてはいけない。馘にならないで働き続けるには命令に従ってやり過ごすしかない。そう自分に言い聞かせて、その後は、君が代が流れる40秒間は心とからだを分裂させ、この辛いことをやり過ごす努力をしてきました。「私はここに立っているけど私の魂はここにはない」と、40秒の間、体育館の上空に魂を飛ばしていました。しかしいくら自分をごまかしても、息苦しさは増すばかりでした。
2013年に担任を持つことになりました。10.23通達の出た年以来10年ぶりの担任です。入学者名簿を見ると、外国籍の生徒や障害を持つ生徒がいるなど様々です。今度は後悔したくない。また生徒と真摯に向き合いたい。今度こそ生徒に信用される教師になりたい。そう思うと、もう入学式でも卒業式でも立つことはできませんでした。
生徒それぞれにいろいろな背景やルーツがあります。君が代を強制することは生徒の人権を侵害することです。起立斉唱の強制は、教師だけではなく、生徒たちも苦しめ、生徒の人権を抑圧しています。10.23通達と職務命令を続けることは、生徒の人権抑圧を許すことになります。どうか裁判所にはそのことに目を向けていただき、10.23通達を違法とする判断をお願いいたします。
(2022年6月12日)
今朝、浪本勝年さんからメールをいただいた。
「本日(6.12)は歴史学者・家永三郎さん(当時・東京教育大学教授)が1965年6月12日、教科書訴訟を提起した記念すべき日です(もっとも、人それぞれに感慨は異なるでしょうが…)。
小生は当時、大学4年生。宗像誠也先生から、事実上の「予告」を受けていましたので、この日の記憶は鮮明で強いものがあります。
当日入手した夕刊2紙(朝日・毎日)及び家永さんの「声明」の3点をお届けします(添付ファイル参照)。」
念のため、吉川弘文館の「日本史総合年表」を検索してみたら、1965年6月12日欄に、次の記載がある。
「家永三郎、自著の高等学校教科書『新日本史』の検定不合格をめぐり教科書検定制度を違憲とし、国に対する損害賠償請求を東京地裁に提訴。(9月18日「歴史学関係者の会」、10月10日「教科書検定訴訟を支援する全国連絡会」それぞれ結成)」
そして、家永さんの「声明」は、以下のとおり。
声 明
私はここ十年余りの間、社会科日本史教科書の著者として、教科書検定がいかに不法なものであるか、いくたびも身をもって味わってまいりましたが、昭和三十八、九両年度の検定にいたっては、もはやがまんできないほどの極端な段階に達したと考えざるをえなくなりましたので、法律に訴えて正義の回復をはかるために、あえてこの訴訟を起こすことを決意いたしました。
憲法・教育基本法をふみにじり、国民の意識から平和主義・民主主義の精神を摘みとろうとする現在の検定の実態に対し、あの悲惨な体験を経てきた日本人の一人としても、だまってこれをみのがすわけにはいきません。裁判所の公正なる判断によって、現行検定が教育行政の正当なわくを超えた違法の権力行使であることの明らかにされること、この訴訟において原告としての私の求めるところは、ただこの一点に尽きます。
昭和四十年六月十二日
家永三郎
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当時私は、浪本さんより一学年下の文学部社会学科3年生。もっぱらアルバイトに忙しく、授業への出席率は極めて低かった。残念ながら家永教科書訴訟提訴の日の記憶はない。この声明文も初めて見た。へ?、家永さん、当時は西暦でなく、元号使っていたんだ。
この声明の中の、「法律に訴えて正義の回復をはかるために、あえてこの訴訟を起こすことを決意いたしました」という、家永さんの決意がまぶしい。当時の司法は、比較的真っ当だった。田中耕太郎・反共長官(2代目)と石田和外・反動長官(5代目)の最悪時代の谷間にあって、裁判所が「正義の回復をはかる場」としての信頼を勝ち得ていた時代なのだ。
周知のとおり、家永教科書訴訟は大裁判となった。表現の自由・教育の自由・学問の自由をテーマに、憲法原則を支持する勢力と保守政権とがわたりあった。訴訟は、1次から3次にまで至り、最終確定まで32年を要した。
《教育裁判》と《教育の自由を求める市民運動》とが理想的に結びついた典型例が作られ、多くの市民が教育本来のあり方に関心を寄せ、教科書の内容を監視するようになった。教科書訴訟支援運動が、多くのリベラルな活動家を育てた。
第二次訴訟(1967年6月提訴)は、検定不合格を不当として、その取消しを求めた行政訴訟(処分取消訴訟)である。その第一審判決が《杉本判決》として知られるものとなっている。
1970年7月17日東京地方裁判所は、国家の教育権を否定して、家永教科書に対する検定を憲法・教育基本法に違反する、との画期的な判決を言い渡した。この判決は、杉本良吉裁判長の名をとって《杉本判決》と呼ばれている。《杉本判決》を象徴として、家永教科書裁判は、国民各層に教育政策への関心を喚起するとともに、教育権理論を深化させる役割を果たしたと評価されている。また、いくつもの制度の改正も実現している。その、教育権論争を中心とする理論的成果と、教育民主化の運動は、「日の丸・君が代」訴訟とその支援運動に引き継がれている。
(2021年11月20日)
中日新聞(11月17日)の社会面に、「高校演劇作品 公開せず 県高文連『せりふに差別用語』」「脚本関係者『表現の自由への制約』」という記事。これは看過できない。地元紙・福井新聞では、「作中に差別用語…高校演劇巡り広がる波紋」「主催者が映像化を中止、創作者は表現抑圧と反発」という見出し。投げかけている問題は大きい。
中日新聞を引用する。
「県高校文化連盟(県高文連)演劇部が今年9月に福井市で開催した県高校演劇祭の関係者向けインターネットサイトで、福井農林高校(同市)が上演した演劇作品だけ公開されていないことが分かった。県高文連は劇中のせりふに「差別用語」が含まれていたことを理由としているが、脚本に関わった関係者は「差別的な文脈で使用したものではなく、表現の自由に対する制約だ」と主張している。
作品のタイトルは「明日のハナコ」。二人の少女が1948(昭和23)年の福井地震から現在までの県内の歴史を振り返りつつ、未来について考え成長していく物語。
県高文連の関係者によると、元敦賀市長の発言として原発誘致の利点を語るせりふの中に「カタワ」という言葉が含まれていた点を問題視した。この作品をサイトで公開しないことは、高校演劇部の顧問らで作る顧問会が事前に弁護士に相談した上で、10月8日に協議して決めた。差別表現はどのような場合でも許されないことや、公開した場合に生徒や教員が誹謗中傷にさらされたり、名誉毀損などの罪に問われる可能性があることなどを弁護士に指摘されたことから判断したという。
せりふは過去の文献を参考にした形で書かれていたが、脚本家に対し、せりふを書いた意図について確認はしなかったという。
さらに、この作品のDVDは作らず、脚本は顧問が管理し、生徒の手に渡らないようにすることなども決めた。演劇祭の様子は12月に地元の福井ケーブルテレビで放映される予定だったが、県高文連側がこれらの懸念を伝え、放映しないことになった。
県高文連演劇部会長を務める丸岡高校の島田芳秀校長は、取材に対し「子どもたちを守るための判断で、問題はない」と述べた。脚本に関わった関係者は「表現に対する過度の制約につながり、懸念している」と話している。
演劇「明日のハナコ」で使われたせりふの抜粋
小夜子 (略)「まあ原子力発電所が来る。電源三法の金はもらうけど、そのほかに地域振興に対して裏金よこせ、協力金よこせ、というのがそれぞれの地域にある。(中略)そんなわけで短大は建つわ、高校はできるわ、50億円で運動公園はできるわ。そりゃもう棚ぼた式の街作りができる。そのかわり100年たってカタワが生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部カタワになるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階で原発をおやりになった方がよい」
ハナコ それ誰。
小夜子 敦賀市長。石川県の志賀町で原発建設の話が持ち上がったときに地元商工会に招かれてしゃべったらしいのね。
(後略)
生きた議論を
志田陽子・武蔵野美術大教授(憲法・芸術関連法)の話 差別的な表現について法律家が文脈を見ずに「許されない」と助言することは通常考えにくく、学校側の誤解があったのではないか。学校の管理権は広く認められる傾向にあるが、(生徒の危険を理由に非公開とした決定は)善意ながら上から目線で事なかれ主義を押しつけた可能性がある。特に脚本を生徒の目に触れないようにするなど、後からの検証を不可能とする形で言論を封殺することは最もやってはいけない。せりふの意図を説明した上で公開するなど、表現を成立させる方向へ進んでほしい。学校側がこれを機に表現の自由を考える場をつくるのであれば、生きた議論ができるはずだ。
さすが志田教授、憲法論にとどまらず、あるべき教育論にまで踏み込んだ立派なコメント。
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そして、佐藤正雄・福井県議会議員(共産)が、こう語っていることにも大賛成だ。
https://blog.goo.ne.jp/mmasaosato/e/f5a9ce2a88573c40d7bcc4c9fd61afa4
私のコメント
「福井農林高校演劇部の劇も、必要な措置をおこない福井ケーブルテレビで放映すべきと考えます。」
この経緯には、福井農林演劇部の生徒さん、顧問の先生、外部指導員の玉村さん、校長先生、そして、校長先生で構成される演劇部会、演劇部顧問で構成される顧問会議、教育委員会、福井ケーブルテレビ、スクールロイヤーなどの多様な当事者が存在します。
大事なことは演劇含めて表現の自由は最大限尊重されなければなりませんし、舞台上演可能な高校演劇がテレビ放送には適さない、というダブルスタンダードでは当事者である生徒たちや、県民にもわかりにくいと思います。
原発誘致をめぐる当時の敦賀市長の、差別用語の問題発言は当時も大きく報道されていますし、書籍にも掲載され、現在でも簡単にネット上で検索もできます。
歴史的な政治家の発言をそのまま使うことには小説であれ、演劇であれ、ありうることです。それが現在では不適切であれば、その際に、「ことわり」を入れることは当然です。
弁護士であるスクールロイヤーが「差別用語の放送は危険であり、放送は大きな問題だ」と指摘したことが今回の展開に大きな影響を与えたようです。
しかし、私も障がい者運動の当事者の方々の意見もお聞きしましたが、「歴史的な発言を語る演劇が放映されないことの方が問題ではないか。だから原発に忖度したのではといわれる。落語でも小説でも歴史的な差別用語を残して今日に伝えている例はたくさんある」などと話されています。
放映の際にその部分に、「不適切な表現がありますが当時の敦賀市長の発言のまま放映しました」などのことわりが流れるようにすれば、障害をお持ちの方含め県民理解も得られるのではないでしょうか。
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なお、市民運動団体「福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための『明日のハナコ』上演実行委員会」によると以下の事情があるという。
9月20日、その福井ケーブルテレビより、福井県高等学校演劇連盟に対して連絡がありました。「福井農林高校の劇の放映について、社内で審議にかかるかもしれないので連盟としての意見を求めたい」「個人を特定する点、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念している」とのこと。
そこでその日に行われた顧問会議の結論は、「ケーブルテレビ局内の意向を尊重する」。つまりケーブルテレビ側が放送しないと決定したならばそれに従う、というものです。
その理由としては、
1 この劇には、反原発・個人名・差別用語が含まれている。放送後、それらを取り上げられて、生徒や福井農林高校に非難が寄せられることを憂慮する。学校は教育的に生徒を守らなければならないから。
2 福井農林高校の劇は、表現方法はともかく、上演に問題はないと思う。ただ、不特定多数の人目に触れる放送はいかがなものかと思う。
3 高文連は原電からの支援を受けている。また、ケーブルテレビも原電と関係のある企業がスポンサーになっているかもしれない。これからもケーブルテレビと良好な関係を保ちたい。放映すると影響がでる。
「1」について、まず差別用語は、劇を見てもらえばわかりますが、差別意識を持った取り上げ方はしていません。
「2」個人名についても、図書館にある書籍をそのまま引用したものです。
「3」反原発については、たとえば「原発からの支援を受けている」という意見には、こう反論したいのです。補助金は、活動の思想的方向や表現内容についてなんら干渉するものではないし、これまでも干渉した例はないはずです。そういう性質の支援であるからこそ、公的な組織が(高文連は県の組織です)は公明正大に受け取ることができるのです。
もしも干渉があって、内容を規制しなければならないようなものであれば、それも意見の一方を否定するようなものであれば、そのような助成を受け取っている県が裁かれる事態になってしまうし、即刻県はその助成を返上すべきだというのが、行政上の通念だと思われます。
したがって、「3」の理由がまかりとおれば、これ以降、福井では原子力発電の危険性を訴えるような劇を作れないことになります。表現してはいけない分野を生んでしまうことになります。
また、原発に関係する内容次第では社内で審議にかかるなどと、排除する可能性も示すのがケーブルテレビなら、むしろ結果的に表現の自由を制約することになるそうしたケーブルテレビの姿勢こそ、問われるべきです。そう主張して生徒を守るのが教員の仕事じゃないでしょうか。
その後、福井農林高校演劇部生徒たちの反応を聞き取ったのちに、10月8日に再度、顧問会議が開かれ、あらためて次の三項目が、決定されました。採決もなく、でした。
・福井農林高校の劇だけはケーブルテレビでは放映しない。
・DVDはつくらず、記録映像を閲覧させない。
・脚本はすべて回収する。
会議ではスクールロイヤー(顧問弁護士)の意見として次のような見解が述べられました。
・劇中における反原発の主張は、表現の自由が保障されるので問題ではない。
・人権尊重の立場から、表現の自由は制限されることがある。
・劇中使用された「かたわ」という差別用語は、使用するだけで駄目である。
顧問会議で具体的にどのような討論があったのか、議事録が公開されないのでわかりませんが、最後の「差別用語は使用するだけで駄目」という理由が会議の流れを強く決定したとのことでした。
なるほど、主役は原発なのだ。そういう目で事態の推移を見直せば、よく分かる。ということは、この件をこのまま放置していれば、「原発批判は避けて通るに越したことはない」という社会の雰囲気を醸成することにもなるのだ。
それにしても、志田陽子教授、左藤正雄議員とも、見事なコメントである。付言すべきことはない。
(2021年10月23日)
「3・11」「1・17」「3・10」「6・23」「8・6」「9・1」…。人は、それぞれに、月と日を記憶する。私にとっては「10・23」が忘れてはならぬ日となっている。2003年以来、今日まで。
18年前のこの日、東京都教育委員会が悪名高い「10・23通達」を発出した。東京都教育委員会とは、石原慎太郎教育委員会と言って間違いではない。この通達は、極右の政治家による国家主義的教育介入なのだ。学校儀式における国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明、つまり「国旗(「日の丸」)に向かって起立し国歌(「君が代」)を斉唱せよ」という職務命令を全教職員に徹底せよと強制する内容。
形式は、東京都内の公立校の全ての校長に対する命令だが、各校長に所管の教職員に対して、入学式・卒業式等の儀式的行事において、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」よう職務命令を発令せよ、職務命令違反には処分がともなうことを周知徹底せよというもののだ。実質的に知事が、校長を介して、都内の全公立校の教職員に、起立斉唱命令を発したに等しい。教育法体系が想定するところではない。
あの当時、元気だった次弟の言葉を思い出す。「都民がアホや。石原慎太郎なんかを知事にするセンスが信じられん」。そりゃそのとおりだ。私もそう思った。こんなバカげたことは石原慎太郎が知事なればこその事態、石原が知事の座から去れば、「10・23通達」は撤回されるだろう、としか考えられなかった。
しかし、今や石原慎太郎は知事の座になく、悪名高い横山洋吉教育長もその任にない。石原の盟友として当時の教育委員を務めた米長邦雄や鳥海巌は他界した。当時の教育委員は内舘牧子を最後にすべて入れ替わっている。教育庁(教育委員会事務局)の幹部職員も一人として、当時の在籍者はない。しかし、「10・23通達」は亡霊の如く、いまだにその存在を誇示し続け、教育現場を支配している。
この間、いくつもの訴訟が提起され、「10・23通達」ないしはこれに基づく職務命令の効力、職務命令違反を理由とする懲戒処分の違法性が争われてきた。
最高裁が、
秩序ではなく人権の側に立っていれば、
国家ではなく個人の尊厳を尊重すれば、
教育に対する行政権力の介入を許さないとする立場を貫けば、
思想・良心・信教の自由こそが近代憲法の根源的価値だと理解してくれさえすれば、
真面目な教員の教員としての良心を鞭打ってはならないと考えさえすれば、
そして、憲法学の教科書が教える厳格な人権制約の理論を実践さえすれば、
「10・23通達」違憲の判決を出していたはずなのだ。そうすれば、東京の教育現場は、今のように沈滞したものとなってはいなかった。まったく様相を異にし、活気あるのになっていたはずでなのだ。
10月31日、総選挙の投票日には、公立校に国家主義を持ち込もうという現政権を批判して、立憲野党4党(立民・共産・社民・れいわ)の候補に投票しよう。そして、最高裁裁判官の国民審査においては、最高裁を総体として批判する意味において、遠慮なく審査対象11人の全員に「×」をつけていただきたい。
全裁判官に「×」はやや無責任に思える、比較的マシな裁判官には、「×」をつけたくない、とおっしゃる方は、宇賀克也裁判官にだけは「×」を付けずに投票されたい。
その理由については、下記のURLを参照願いたい。
国民審査リーフレット
https://www.jdla.jp/shinsa/images/kokuminshinsa21_6.pdf
第25回最高裁国民審査に当たっての声明
https://www.jdla.jp/shiryou/seimei/211020.html