(2020年9月1日)
コロナに加えての熱暑の8月がようやく終わった。暦が替わると、照りつける8月から涼やかな9月に、鮮やかな様変わり。なるほど、明けぬ夜はなく、遷ろわぬ季節もない。横暴な政権も、いつまでもはもたないのだ。
戦禍と平和を考えるべき8月が去って、常であれば、今日からの9月は侵略の歴史を噛みしめるべき日。今年はこれに、アベ後継政権の構成が絡まる。また、日本国憲法の命運に重要な時季となった。
ところで、本日(9月1日)は私が名付けた「国恥の日」である。「国」は、国家だけではなく国民をも指している。「恥」の第1は、無抵抗の者を大量に虐殺したこと。これに過ぐる恥はない。「恥」の第2は、その虐殺が民族差別・排外主義と結びついていたこと。そして、いま強調されねばならない決定的な「恥」の第3は、いまだにその事実を認めず謝罪をしようともしないことである。
1923年9月1日午前11時58分、関東地方をマグニチュード7.9の巨大地震が襲った。地震はたちまち大火災となり、死者10万5千余といわれる甚大な被害を生じた。関東大震災である。その被害はいたましい限りだが、自然災害としての震災は恥とも罪とも無縁である。
「国民的恥辱」「日本人として恥を知るべき」というのは、震災後の混乱のなかで日本の軍警と民衆の手によって行われた、在日朝鮮人・中国人に対する無数の虐殺事件である。これは、まぎれもなく犯罪であり刑罰に値する行為。人倫に反すること甚だしい。その事実から目を背け、まともに調査と責任追求を怠り、反省も謝罪もしないままに97年を徒過したこの態度を「国恥」といわざるを得ない。そして、今なお、この事実に正面から向き合おうとしない日本社会の排外主義容認の姿勢を「国恥」というのだ。
もちろん、日本の歴史に真摯に向き合おうという日本人も少なくない。日本の民衆が、民族差別と排外主義とによって在日の朝鮮人・中国人を集団で大規模に虐殺した事実を直視し、自らの民族がした蛮行を恥辱としてこれを記憶し、再びの過ちを繰り返してはならないと願う人々。
そのような思いの人々が、毎年9月1日に、東京都墨田区の都立横網町公園内の追悼碑前で、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」を開催している。今年も行われたが、コロナ禍のなか、On-line式典として挙行された。私も、YouTubeで「参加」した。いつもなら、ここで友人に遭って挨拶を交わすことになるのだが、勝手が違った。
恒例の行事ではあるが、我が国の世論が政権とメディアによって、いびつな「反韓・嫌韓」の方向に煽動されているこの数年、日韓関係の根底をなす歴史を想起するために格別の意味づけをもった式典となっている。
「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、1973年に都議会全会派の賛同で設置されたものである。以来、追悼式典は毎年行われ、歴代知事が追悼文を送付してきた。あの右翼・石原慎太郎でさえも。しかし小池百合子現知事は、就任翌年の2017年追悼文送付を意識的に中止した。そのきっかけは、「朝鮮人虐殺はデマ」派の極右・古賀俊昭都議(故人・日野)による、都議会での追悼文送付やめろという質疑だった。悪質極まりない、工藤美代子のデマ・ヘイト本をネタにしてのものである。こうして、いまや小池百合子が、「国恥」を代表する人物となっている。
その小池百合子は今年(2020年)7月5日の都知事選に圧勝して再選された。なぜ、圧勝できたか。対抗勢力が余りに脆弱であり、全体として本気度が足りなかったから。野党共闘のスジができず、フライング立候補者に振り回されて、形作りの選挙しかできなかったという体たらくだったから…。ではあるが、実は、小池百合子の何たるかが選挙民に知られなかったことが最大の理由ではなかったか。選挙のあとに話題の「女帝 小池百合子」(石井妙子著・文藝春秋社)を読んで、選挙前に読んでおくべきだったと後悔した。
この書物の刊行は2020年5月29日。選挙までの期間はわずか1か月余に過ぎない。もう1年前、あるいは半年前にでも出版されていれば、選挙は違った様相になったのではないか。野党も真剣に選挙に取り組み、勝てる候補者の出馬も可能となったのではないだろうか。
出版後、選挙期間中にも話題にはなり、私も内容は一通り把握した気になっていたが、選挙後にようやく書物を手にし目を通してみて、その内容に衝撃を受けた。ひとつは、外面の虚像とは甚だしいギャップの小池百合子という実像の凄まじさに。そしてもう一つは、民主主義社会における政治家として最もふさわしからぬこの人物が、「嘘の物語」と「遊泳術」を駆使して有力政治家となり都知事にまでなることを許している日本社会の現実に、である。
著者石井妙子は、こう述べている。
「私は、小池氏の実像を追いかけることに徹しました。ノンフィクション作家として、極めてオーソドックスな手法を取っています。本書で利用した資料のほとんどは公刊されているもので、誰でも見る事ができます。それらを精読すれば、小池氏の発言の矛盾や『おかしさ』には気づけるはずなんです。でも、今まで誰も、彼女を取材対象として正面から扱ってこなかった。まともな批判にさらされることなく今に至ってしまったのです。」「小池さんは『女性であること』『女性のイメージ』を巧みに利用した。『女性』も本書のテーマの一つです。“有能な女性政治家小池百合子”というキャラクターを、小池氏は今も演じ続けています。メディアにはそれを持て囃してきた罪がある。彼女の共犯者です。『小池百合子』を生み出した、日本社会の歪みにも目を向けて欲しいです」
なるほど、そのとおりの内容となっている。また、「読者メーター」というサイトに、こんな読書感想が寄せられている。
…彼女の内面を抉る。 地位や権力自体が目的で、それらを得て実現したいことがあるわけではない、全ての言動はそれらの維持・拡大のためで、人を助けるとか世の中を良くするというマインドは皆無‥と完全にこき下ろし。著者の個人的感情が強過ぎとの書評を事前に幾つか目にしていたが、十分な取材や証言に基づいた客観的な結論との印象。カイロ大主席卒業についても(実質的には)事実ではなさそうだ。
エジプト人が言ったという、「辿々しい日本語のエジプト人が東大を4年でしかも首席で卒業したと聞いたら信じますか?」これが一番しっくりきた。
読み終わった今、表紙の小池さんを直視できない。不安や恐怖を感じる。人間性は遺伝子や幼少期からの環境に左右されると聞く。彼女の生い立ちを知ると同情心も覚えるけれど、長年にわたり形成された小池百合子という人格は、もう誰にも変えられないのだろうと思う。犬猫150匹近くを殺処分したあとで、“ペット殺処分ゼロ”の公約達成を笑顔で報告する彼女に心はあるのかな。?
自らが生きていくために、地位と名声を求め虚飾にまみれた小池百合子の人生を丹念にあぶり出すオーソドックスかつ丹念な取材のもとにかかれた名ノンフィクション。生い立ち、時代、様々な要素があるなかで、こんなにかわいそうな生き方(蔑んだ意味で)しかできない人もいるのかと、絶句する。都民には是非読んでほしい。
小池百合子という人間は、働く女性の象徴だと何となく思っていたし、同じ女として応援するのが普通になっていた。 今回、女性をテーマに本を書くことが多い石井さんが、こんなにも批判的に割と心配になる強い書き方で、小池百合子の物語を書いたのはすごく意味があると思うし、あって欲しいと思った。 こんなにも売れていて政治系の本かなあと思って読んだ一冊が、読んだ今では、読まなかったかもしれない自分がいたかもしれないと思うと怖い。今後、この本を読んだ都民はどう判断してどう投票したら良いのか。
環境相時代のアスベスト被害者との懇談や都知事として築地女将さん会とやり取りしたエピソードが印象的。知事に窮状を訴え、気持ちが伝わり信頼関係を築いたと思った人々の失望が語られる。知事の資質だけでなく、政党や権力者、マスコミの問題が描かれている。私(有権者)もしっかりせねばと思う
著者の記述を信用するかは一つの判断だが、(法的措置のリスクを考えると)現為政者に対してここまで踏み込んだ内容を記述していること自体、かなりのエビデンスを保有していると考えられること、また、多くの核心的な部分で取材源が明かされトレーサビリティが確保されていることを考えると、私は信用出来ると考える。 イカロスの翼の例えは秀逸だ。今日も氏をテレビで見た。翼が燃え尽きるまで、昇っていくのだろうか。
「小池都知事を見る目が180度変わる」というのが、共通の読後感ではないか。私も同感だ。そして改めて、こんな人物に都政を任せてはならない、こんな人物を選任してしまう民主主義の質を変えなければならない、と強く思う。
この書のなかでは、小池百合子から欺され裏切られた多くの人の怨みが語られている。この小池に対する怨みのグループの結集が力になってくるのではないか。そうして、傲慢な「女帝」を掣肘し、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」の事実を認識して追悼の意を表するくらいのことはさせねばならない。そのことが、「国恥」を雪ぐ第一歩になるだろう。
(2020年8月31日)
ナショナリズムとは、「内」と「外」とを分けるドグマ(教条)である。このドグマが教えるところは、単に「内」は味方で「外」は敵というにとどまらない。内は優れて外は劣る。内は正しく外は不正義という。ある種の人々にとっては、優越意識と排外主義のセットが心地よいのだ。しかし、さて問題は「内」と「外」とをどう分けるかである。国籍で? 人種で? 言語で? 信条で? 帰属意識で? 出自で? 体型で? 肌の色で? 目の色で? いずれもまことにバカげている。
この観点からは「内」の周縁に位置する人々に関心をもたざるを得ない。外国人力士、外国人労働者、在日コリアン、アイヌ、沖縄の人々。急速にふえつつある混血の人々。私だって、誇り高くまつろわぬ蝦夷の末裔だ。この人たちは、内なのか外なのか。タマネギの皮を剥き続けて、いったいどんな芯が残るというのだ。一見芯に見える天皇だって、百済からの帰化人の血を引いている。
大坂なおみというテニス選手、その風貌も言語習慣も「日本人離れ」の個性の持ち主。ハイチ系アメリカ人の父と日本人の母を持ち、日本で生まれてアメリカで育った。日米の二重国籍だったが、22歳になる際に日本国籍を選択したという。これまで、そのときどきで「内」にいれられたり「外」に弾かれたりという印象が否めない。
この人の意見や発言が、また「日本人離れ」して、すこぶる明快なのだ。力強い拳をあしらった図柄のMLB黒シャツ姿と、下記のツィッターが、いまさわやかな話題を振りまいている。
https://twitter.com/naomiosaka/status/1298785716487548928
こんにちは。多くの皆さんもご存じのように、私は明日(8月27日)の準決勝に出場する予定でした。しかし、私はアスリートである前に、一人の黒人女性です。黒人女性として、私のテニスを見てもらうよりも、今は注目しなければいけない大切な問題があると感じています。
私がプレーしないことで劇的に何かが起きるとは考えていませんが、白人が多い競技で議論を始めることができれば、正しい道へのステップになると思います。相次いで起きている警官による黒人の虐殺を見ていて、正直、腹の底から怒りが湧いています。数日おきに(被害を受けた人の名前の)新しいハッシュタグをつけ(SNSに投稿し)続ける状況に苦しみ、疲れています。
そして、同じ会話を何度も何度も繰り返すことにとても疲れてもいます。いったい、いつになったら終わるのでしょうか?
なお、ツィッターの原文には、英文と並んで日本語訳がある。日本語訳があることの意味は重要だと思うが、残念ながらこの日本語訳は日本語としてこなれたものではない。上記は朝日の訳を転載させていただいた。
この人は、自分を「アスリートである前に一人の黒人女性(a black woman)である」と躊躇なく言い切っている。そこがまことにさわやかなのだが、日本ナショナリズムは、自らを「一人の黒人女性(a black woman)」と自己認識する彼女を「内」の人と受け入れるだろうか。
私は、テニスという競技にはほとんど何の興味も知識もなく、「ウエスタン・アンド・サザン・オープン」の準決勝棄権というものの重みを実感できない。が、プロの選手が国際試合をボイコットしようというのだ。ウィスコンシン州で起きた黒人銃撃問題に抗議の意を示し問題提起のためとする、彼女の準決勝棄権の決意のほどは伝わってくる。立派なものだ。
その後、大会主催者は大坂の問題提起を受けとめた。8月27日に予定されていた全試合を28日に順延すると発表した。また、全米テニス協会も日程の順延について「テニスは、アメリカで再び起きた人種差別と社会の不公平に対し、結束して反対する」という声明を出したという。これも立派なものだ。おそらくは、大坂の問題提起を受けとめねばならないという空気が全米に満ちているのだろう。
さらには、Twitterでは「#大坂なおみさんを支持します」というハッシュタグが作られ日本のトレンドに入ったという。紹介されているものでは、「アスリートの鏡だと思う」「自身の影響力を社会のために使っている素晴らしい例」など大坂選手への応援の言葉が大半を占めたという。もちろん、右翼諸君の批判や疑問も多数にのぼるものだったともいう。
この大坂なおみ、『スポーツと政治を混同してはいけない』『アスリートの政治的発言はいかがなものか』という定番の批判にたじろぐところがない。今年(2020年)6月5日には、「スポーツと政治を混同させるな」の声に反論して、次のように発信している。
「アスリートは政治的に関わるな、ただ楽しませればよいという意見が大嫌い。第一にこれは人間の権利に関わる問題だから。そしてなぜあなたの意見の方が私より良いの? もしIKEAで働いていたら、IKEAのソファーの話しかしちゃいけないの?」
そのとおりだ。誰もがいかなる政治的テーマにも関わってよい。アスリートはその技倆で観衆を楽しませていればよく、その分を越えるべきではないというのは、アスリート蔑視であり不当な差別である。ましてや、重大な人権問題については、すべての人が関心をもち、発言しなければならない。それは、民主主義社会に生きるすべての人々の責務と言ってよい。
「政治に関わるな」「政治的発言は控えろ」「分を弁えておとなしくしておけ」という、社会の圧力に唯々諾々としたがっていたのでは、いつまでも社会から不合理がなくならない。民主主義とは、すべての人の発言を保障する社会のありかたである。多くの人々の意見の交換によってのみ、社会はより良い方向に進歩するという信念が基底にあるのだ。
ところで、日本のナショナリストたちには、日本女性の典型についてのイメージがあろう。おそらくは、男に寄り添う「たおやめ」であり、ひっそりと健気な「大和撫子」でないか。大坂なおみは、およそ正反対。これを「内」と「外」のどちらに分類するか、聞いてみたいもの。
人は、それぞれ多様な個性を持っている。大坂なおみは、飽くまで大坂なおみなのだ。「内」と「外」との分類におさまりようがない。そのことは、実はナショナリズムというドグマの不条理を物語っている。
68年前の今日1952年4月28日は、敗戦によって占領下にあった日本が「独立」したとされる日。右翼勢力の策動に乗る形で、第2次安倍政権は閣議決定でこの日を「主権回復の日」とした。右翼ナショナリズムにとって、対外的国家主権は至上の価値である。
2013年4月28日、安倍内閣は、右翼政権の本領を発揮して政府主催の「主権回復の日」祝賀式典を挙行した。当然のこととして、当時の天皇(明仁)と皇后が出席した。天皇に発言の機会はなかったが、その退席時に「テンノーヘイカ・バンザイ」の声が上がって多くの参加者がこれに呼応した。政権が、見事に天皇を利用した、あるいは活用したという図である。もっとも、その後は国家行事としての式典はない。
多くの国民国家が、国民こぞって祝うべき「建国」の日を定めている。その多くが「独立記念日」である。イギリス支配から独立したアメリカ合衆国(7月4日)がその典型。大韓民国は、日本からの独立記念の日を「光復節」(8月15日)とし、独立運動の記念日まで「三一節」としていずれも政府が国家の祝日としている。
ならば、4月28日を「主権回復の日」あるいは「独立記念日」として、祝うことがあっても良さそうだが、これには強い反発がある。とりわけ沖縄には、反発するだけの理由も資格もある。
言うまでもなく、1952年4月28日はサンフランシスコ講和条約発効の日である。しかし、その日は、サ条約と抱き合わせの日米安全保障条約が発効した日でもあった。日本は、全面講和の道を捨てて、アメリカとの単独講和を選択した。こうして、その日は「ホツダム条約による占領」から脱して、「日米安保にもとづく対米従属」を開始した日となった。これは、国民こぞって祝うべき日ではありえない。
もう一つ理由がある。1952年4月28日の「独立」には、沖縄・奄美・小笠原は除外された。本土から切り離され、アメリカ高等弁務官の施政下におかれた。それ故この日は、沖縄の人々には「屈辱の日」と記憶されることとなった。
本日の琉球新報 <社説>は「4・28『屈辱の日』 自己決定権の確立急務だ」と論陣をはっている。怒りがほとばしっている。
「1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約第3条が(沖縄)分離の根拠となった。これにより米国は日本の同意の下で、他国に介入されることなく軍事基地を自由に使うようになった。米軍は『銃剣とブルドーザー』で農地を奪うなど、沖縄住民の基本的人権を無視した統治を敷いた。沖縄の地位は植民地よりひどかった。」
「72年の日本復帰後も沖縄の人々は基地の自由使用に抵抗し、抜本的な整理縮小や日米地位協定の改定を求めてきた。その意思を尊重せず「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする日米政府の手法は植民地主義だ。県内の主要選挙や県民投票で反対の意思を示しても建設工事が強行される辺野古新基地は、沖縄の人々の自己決定権を侵害する植民地主義の象徴である。」
「基地があるため有事の際には標的になり命が脅かされ、平時は事件事故などで人権が侵害されている沖縄の今を方向付けた4・28を忘れてはならない。この状態を脱するには自己決定権の確立が急務だ。」
この社説のとおり、4・28は沖縄の「屈辱の日」であり、今に続く「受難の日」の始まりでもある。この日をもたらした重要人物として昭和天皇(裕仁)がいる。彼は、新憲法施行後の1947年9月、内閣の助言と承認のないまま、側近を通じてGHQ外交局長に、「アメリカ軍による沖縄の軍事占領継続を希望する」と伝えている。いわゆる「天皇の沖縄メッセージ」である。沖縄「屈辱」と「受難」は、天皇(裕仁)にも大きな責任がある。
この屈辱の日に祝賀式典を強行し、さらには「テンノーヘイカ・バンザイ」とまで声を上げるのは、右翼諸君か好んで口にする文字どおりの「売国奴」の行為と言うしかない。
(2020年4月28日)
日朝協会の機関誌「日本と朝鮮」の2月1日号が届いた。全国版と東京版の両者。どちらもなかなかの充実した内容である。政府間の関係が不正常である今日、市民団体の親韓国・親朝鮮の運動の役割が重要なのだ。機関誌はこれに応える内容となっている。
その東京版に私の寄稿がある。これを転載させていただく。内容は「東京都ヘイト規制条例」にちなむものだが、「2020東京オリパラ」にも関係するもの。なお、オリンピック開会は、猛暑のさなかの7月24日である。その直前7月5日が東京都知事選挙の投票日となった。ぜひとも、都知事を交代させて、少しはマシなイベントにしたい。
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東京都ヘイト規制条例の誕生と現状
2020年東京の新年は、オリンピック・パラリンピックで浮き足立っている。オリパラをカネ儲けのタネにしたい、あるいは政治的に利用したいという不愉快な思惑があふれかえった新春。あの愚物の総理大臣が「2020年東京オリンピックの年に憲法改正の施行を」と表明したその年の始めなのだ。
オリンピックには、国威発揚と商業主義跋扈の負のイメージが強い。国民統合とナショナリズム喚起の最大限活用のイベントだが、言うまでもなく、国民統合は排他性と一対をなし、ナショナリズムは排外主義を伴う。内には「日の丸」を打ち振り、外には差別の舞台なのだ。
もっとも、オリンピックの理念そのものは薄汚いものではない。オリンピック憲章に「オリンピズムの根本原則」という節があり、その1項目に、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」とある。
これを承けて、東京都はオリンピック開催都市として、「オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」を制定した。これが、「東京都ヘイト規制条例」と呼ばれるもので、昨年(19年)4月に施行されている。
その柱は2本ある。「多様な性の理解の推進」(第2章)と、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進」(第3章)。性的マイノリティーに対する差別解消も、ヘイトスピーチ解消への取り組みも、都道府県レベルでは、初めての条例であるという。しかし、極めて実効性に乏しい規制内容と言わざるを得ない。
オリンピックとは、これ以上はない壮大なホンネ(商業主義・国威発揚)とタテマエ(人類愛・国際協調)乖離の催しである。都条例は、タテマエに合わせて最低限の「差別解消」の目標を条例化したのだ。しかしこの条例には、具体的な「在日差別禁止」条項はない。「ヘイトスピーチ違法」を規定する条文すらない。また、「在日」以外の外国人に対する差別については、「様々な人権に関する不当な差別を許さないことを改めてここに明らかにする」と述べられた一般理念の中に埋もれてしまっている。もちろん、罰則規定などはない。
オリンピック開催都市として、東京都の人権問題への取り組みをアピールするだけの条例制定となっている感があるが、それでも自民党はこれに賛成しなかった。「集会や表現の自由を制限することになりかねない」という,なんともご立派な理由からである。
条例のヘイトスピーチ対策は、「不当な差別的言動を解消するための啓発の推進」「不当な差別的言動が行われることを防止するための公の施設の利用制限」「不当な差別的言動の拡散防止するための措置」「当該表現活動の概要等を公表」にとどまる。
それでも、東京都は同条例に基づいて、10月16日に2件、12月9日に1件の下記「公表」を行った。
(1)5月20日、練馬区内での拡声器を使用した街頭宣伝における「朝鮮人を東京湾に叩き込め」「朝鮮人を日本から叩き出せ、叩き殺せ」の言動
(2)6月16日、東京都台東区内でのデモ行進における「朝鮮人を叩き出せ」の言動
(3)9月15日、墨田区内でのデモ行進における「百害あって一利なし。反日在日朝鮮人はいますぐ韓国に帰りなさい」「犯罪朝鮮人は日本から出ていけ」「日本に嫌がらせの限りを続ける朝鮮人を日本から叩き出せ」の言動
公表内容はこれだけである。この言動を「本邦外出身者に対する不当な差別的言動に該当する表現活動」であると判断はしたものの、街宣活動の主催者名の公表もしていない。
問題はこれからである。タテマエから生まれたにせよ、東京都ヘイトスピーチ条例が動き出した。これを真に有効なものとしての活用の努力が必要となろう。東京都や同条例に基づいて設置された有識者による「審査会」の監視や激励が課題となっている。また、ヘイトスピーチ解消の効果が上がらなければ、条例の改正も考えなければならない。
オリパラの成功よりも、差別を解消した首都の実現こそが、遙かに重要な課題なのだから。
(2020年2月3日・連続更新2499日)
嫌いな言葉は山ほどある。なかでも、「愛国」「愛国者」「愛国心」はその最たるもの。憂国・国士・祖国・殉国・忠義・忠勇など、類語のすべてに虫酸が走る。「真の愛国者」は、なおいけない。生理的に受け付けない。
パトリオティズムやナショナリズムと横文字に置き換えても同じことだ。パトリオティズムは理性の香りあるものとして肯定的に、ナショナリズムは泥臭く否定的に語られることが多いが、大した変わりはない。どちらも胡散臭さに変わりはない。どちらも、個人よりも国家や民族などを優越した存在として美化するもの。まっぴらご免だ。
辟易するのは、「愛国」とは倫理的に立派な心根であると思い込んでいる多くの人びとの押し付けがましい態度である。この愛国信仰者の愛国心の押し売りほど嫌みなものはない。夫婦同姓の強制、LBGTへの非寛容などとよく似ている。要するに、過剰なお節介なのだ。
国家や社会にゆとりがあるときには、「愛国」を叫ぶ者は少なく、邪悪な思惑による愛国心の鼓吹は国民の精神に響かない。愛国心の強制や強調が蔓延する時代には、国家や社会にゆとりがなくなって、個人の尊厳が危うくなっているのだ。とりわけ、政治権力が意図してする愛国心の鼓吹は、国家や社会が軋んでいることの証左であり警告なのだ。まさしく今、そのような事態ではないか。
為政者にとって最も望ましい国民とは、その精神において為政者と同一体となった国民,それも一つの束となった国民である。為政者は国家を僭称して、国民を愛国心の紐で、ひとつの束にくくろうと試みる。それさえできれば、為政者の望む方向に国民を誘導できる。そう。戦争の準備にも。場合によっては開戦にも。
国民の「愛国心」は、易々と為政者の「国家主義」に取り込まれる。あるいは、国家主義が愛国心を作り出す。愛国心に支えられた国家主義は、容易に排外主義ともなり、軍国主義ともなる。結局は、大日本帝国のごとき対外膨張主義となるのだ。愛国心とはきわめて危険なものと考えざるを得ない。
もうすぐ東京五輪である。ナショナリズムとナショナリズムが交錯して昂揚する一大イベント。どの国の為政者も、この場を利用しようとする。国旗国歌が輻輳 する空間が生まれる。旗や歌がもつ国民統合の作用を最大限利用しない手はない。どの為政者もそう考えて実行する。
日の丸が打ち振られる。あの戦争のときのように。今度は旭日旗までがスタジアムに登場するという。形を変えた、擬似戦争であり、ミニ戦争である。
今のままでは、安倍政権下、小池百合子都政が、東京五輪の主催者となる。世が、あげて東京都五輪礼賛であることが、まことに不愉快極まりない。
山ほどある嫌いな言葉に、もう少し付け加えよう。「東京五輪」「日本選手を応援しよう」「日本チームの奮闘が素晴らしい」「日本の活躍が楽しみですね」…。
(2019年9月16日)
複数の友人から、教えられた。《子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会》が、ネットで次の訴えをしている。
憲法を無視した大阪市立泉尾北小学校での『「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼』に対する抗議文に賛同をお願いします!
https://blog.goo.ne.jp/text2018
確かにこれはひどい。こんな事態を看過して極右ナショナリズム勢力をのさばらせてはならない。しかも、こういうバカげたことの中心にいるのが、維新政治の申し子というべき「民間人校長」(小田村直昌)である。広く、抗議の声を集約して、インターネット署名を集めたい。ぜひご協力を。以下は、拡散・転載大歓迎というネット記事の転載である。
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抗議文への団体・個人賛同をお願いします!
憲法を無視した大阪市立泉尾北小学校での
『「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼』に対する抗議文
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5月8日(水)、大阪市立泉尾北小学校において全校の子どもたちが参加する『「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼』(以下、「児童朝礼」)が行われました。「児童朝礼」では、まず小田村直昌校長が代替わりと新元号の説明をしました。なんと新天皇を「126代目」とまで紹介しています。
その後、「愛国の歌姫」と呼ばれている山口采希(あやき)氏(「教育勅語」を歌にし、塚本幼稚園でも歌ったことがある)がゲストとして登場しました。そこでは、明治時代の唱歌「神武天皇」「仁徳天皇」を歌いました。どちらも神話上の天皇を賛美し、「万世一系」を印象づける国民主権に反する歌です。さらに「仁徳天皇」を歌う前には、教育勅語児童読本(1940年)や修身教科書に登場する「民のかまど」の話をしました。
さらには、自身のオリジナル曲「行くぞ!日の丸」「令和の時代」も歌いました。「行くぞ!日の丸!」は、「日の丸」を先頭にしてアジア諸国に侵略した戦前の日本軍の姿を彷彿とさせます。外国籍の子どもたち、中でもかって日本が侵略・植民地支配した国々にルーツを持つ子どもたちは、この歌によって深く傷つくのではないかと私たちは憂慮します。
小田村校長は同校のHPで山口氏の歌や話を「とてもいいお話」「とても素晴らしいゲストでした」と絶賛しました。このような「児童朝礼」は、戦前の教育勅語教育を小学校に露骨に持ち込もうとした森友学園の「瑞穂の國小學院」に通じるものがあり、明らかに憲法違反です。公立学校でこのような集会が行われていること自体、全国的に例を見ません。
私たちは、憲法に反する内容を子どもたちに押しつけた「児童朝礼」を行った小田村校長と、同校長を任命した大阪市教育委員会に対して厳しく抗議したいと思っています。そして同校の保護者・子どもに対してはもちろんのこと、大阪市民に対する説明と謝罪を求めたいと思います。
大阪市教委に対して抗議の申し入れを行いたいと思っています。
それまでに出来るだけ多くの団体・個人賛同を集めたいと思っています。
ぜひ、ご協力をお願いします。
■下記の要望書への団体・個人賛同を呼びかけます。
◇団体賛同の場合
団体名をお知らせください。
◇個人賛同の場合
お名前
お立場(教職員、保護者、生徒、学生、研究者、弁護士、市民など)
できればで結構です。
お名前の公表(インターネットを含む)の有無
◇締め切りは7月7日(日)
◇送り先
メール iga@mue.biglobe.ne.jp
◇PC・スマホ用署名ページ
http://form01.star7.jp/new_form/?prm=6a6b423%2F2–21-0583fb*********************************
■憲法を無視した大阪市立泉尾北小学校での『「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼』に対する抗議文
5月8日(水)、大阪市立泉尾北小学校において全校の子どもたちが参加する「5天皇陛下ご即位記念」児童朝礼(以下、「児童朝礼」)が行われました。「児童朝礼」では、小田村直昌校長が「天皇陛下がお代りになった話と126代目であること、元号も日本古来から続いているお話」(泉尾北小HP)をしています。新天皇を「126代」とすることは、神話上の神武天皇なども含む数え方をしており、歴史的事実に反し皇室が「万世一系」であるかのように教えることに他なりません。
その後、「児童朝礼」では「愛国の歌姫」と呼ばれている山口采希(あやき)氏(「教育勅語」を歌にし、塚本幼稚園でも歌ったことがある)がゲストとして登場しました。そこで山口氏は、明治時代の唱歌「神武天皇」「仁徳天皇」を歌いました。どちらも神話上の天皇を賛美し、「万世一系」を印象づける国民主権に反する歌です。さらに「仁徳天皇」を歌う前には、教育勅語児童読本(1940年)や修身教科書に登場する「民のかまど」の話をしました。これは、戦前の皇国臣民化教育の定番教材で、子どもたちを「臣民」に仕立て上げていったものです。2015年2月、愛知県一宮市教育委員会は、「建国記念の日」を前にした全校朝会で「民のかまど」の話をした市立中学校校長を注意をしたこともありました。
しかし、大阪市立泉尾北小学校のHPには、この「児童朝礼」の様子が紹介されており、小田村校長は山口氏の歌・話を「とてもいいお話」「とても素晴らしいゲストでした」と絶賛しました。HP記事の最後には、小田村校長が山口氏の書いた色紙をもった写真も掲載されています。その色紙には、「皇紀2679」と書かれています。「皇紀」は神話上の天皇である神武天皇に由来するもので、戦後は公教育でも行政文書でも一切使用されていません。「皇紀」を使った色紙の画像を公立小学校のHPに載せることは不適切です。
山口氏は、自身のオリジナル曲「行くぞ!日の丸」「令和の時代」も歌いました。「行くぞ!日の丸!」は、「日の丸」を先頭にしてアジア諸国に侵略した戦前の日本軍の姿を彷彿とさせます。外国籍の子どもたち、中でもかって日本が侵略・植民地支配した国々にルーツを持つ子どもたちは、この歌によって深く傷つくのではないかと私たちは憂慮します。大阪市がめざす「多文化・多民族共生教育」に反するものです。
公立学校の児童朝会での山口氏の歌や話は、戦前の教育勅語教育を小学校に露骨に持ち込もうとした森友学園の「瑞穂の國小學院」に通じるものがあり、明らかに憲法違反です。公立学校でこのような集会が行われていること自体、全国的に例を見ません。
泉尾北小に山口氏を呼び、「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼を行ったのは小田村校長です。小田村校長は大阪市の民間人校長として5年目(泉尾北小では2年目)で、任命したのは市長と教育委員会です。小田村校長は、大阪市立小学校校長になってから、右派団体である「学ぼう会北摂」で講演をしたり、龍馬プロジェクト会長の神谷宗幣氏のインターネット番組に登場し、大阪市の人権教育や歴史教育を「偏向教育」と批判している人物です。今回の「児童朝礼」は、小田村校長が意図的に実施したことは明らかです。
私たちは、憲法に反する内容を子どもたちに押しつけた「児童朝礼」を行った小田村校長に対して抗議します。小田村校長を任命し、「児童朝礼」を実施させた大阪市教委の責任を追及します。小田村校長と大阪市教委は、同校の保護者・子どもに対してはもちろんのこと、大阪市民に対する説明と謝罪を行ってください。
(資料)
■山口采希氏が歌った曲
□「行くぞ!日の丸!」
喜びと悲しみに
情熱が肩を組む
うつむいた日は過ぎた
時が来た まっしぐら
行くぞ!行くぞ!日の丸が行くぞ!
ああ勇ましく 日の丸が行くぞ
ひたぶるに駆け抜けた
根こそぎのなにくそで
どん底も手を伸ばし
風一つ 掴んだる!
行くぞ!行くぞ!日の丸が行くぞ!
揺るがぬ魂 日の丸が行くぞ
行くぞ!行くぞ!日の丸が行くぞ!
ああ勇ましく 日の丸が行くぞ
行くぞ!行くぞ!日の丸が行くぞ!
白地に赤く 日の丸が行くぞ
□「令和の御代」
春の訪れ 風も和やかに
薫り高く 梅の花のように
うるわしき日々を
ありのままに
咲き誇る
令和の御代に
和らぎの日々を
それぞれの心
満ち足りて
咲き誇る
令和の御代に
心寄せ合う
令和の御代に
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いやはやなんとも、というほかはない。
大阪市教委は、事態を把握していないのだろうか。見て見ぬふりなのだろうか。府教委はどうなのだろう。
内閣が天皇賛美一色であり、それを可視化した儀式を行うから、こんな校長が出て来るのだ。衆参両院が、全会一致で天皇就任の賀詞決議などするから、こんなことが許されると思う輩が出てくる。
この公立小学校の天皇礼賛行事。ごく例外的な跳ね上がりの孤立した行動と軽視できないのではなかろうか。これを許す時代の空気の反映とすれば、怖ろしいことなのかも知れない。
(2019年6月23日)
昨日(5月25日)、ちきゅう座総会に参加した際に、社会評論社の松田健二さんから「評伝 孫基禎」(寺島善一著)をいただいて、興味深く読んだ。著者の立場は公平である。オリンピックやスポーツだけを切りとるのではなく、日本の朝鮮に対する植民地支配の歴史に目を配っている。それだけに読後感はやはり重い。日本人の朝鮮に対する差別意識の底流が露わになっている今だけに、なおさらである。
著者は、近代オリンピズムの崇高さを強調し、孫と同時代アスリートとの交流を「スポーツで築き上げた友情は、国境を越えていつまでも不変」と讃えている。大島謙吉、オーエンス、ハーパー(英・孫に続いてマラソン2位)らとの交流は確かに感動的なのだが、現実の厳しさの方に圧倒される。
国威発揚のナショナリズム、人種差別、そして商業主義の跋扈というオリンピック事情は、1936年当時も現在も、さして大きな変化はないのではないか。
来年(2020年)の五輪は、歴史修正主義者が首相を務める国の、民族差別主義者が知事の座にある首都で、開催される。本当に、東京五輪開催の積極的意味はあるのだろうか。
プロ・アマを問わずスポーツ隆盛の今、若者たちに訴えたい。かつて理不尽な仕打ちを受けていた朝鮮人アスリートがいたことを。日本が朝鮮を植民地としていたが故の悲劇である。その代表的な人物が、孫基禎なのだ。
孫基禎(ソン・キジョ)、1919年8月の生まれ。当時、既に朝鮮は日本の植民地とされていた。貧苦の中で走り続けて、ランナーとして頭角を表し、世界記録保持者として、1936年8月9日ベルリンオリンピックのマラソンに挑んで、金メダルに輝く。当時のオリンピック新記録。なお、このとき朝鮮人南昇竜も銅メダルを獲得している。
その表彰式では、「日の丸」が掲揚され「君が代」が演奏された。これは、孫には耐えがたい屈辱だった。後年、彼自身がこう語っている。
「優勝の表彰台で、ポールにはためく日章旗を眺めながら、『君が代』を耳にすることはたえられない侮辱であった。…果たして私が日本の国民なのか? だとすれば、日本人の朝鮮同胞に対する虐待はいったい何を意味するのだ? 私はつまるところ、日本人ではあり得ないのだ。日本人にはなれないのだ。私自身の為、そして圧政に呻吟する同胞のために走ったというのが本心だ…。これからは、2度と日章旗の下では走るまい。この苦衷をより多くの同胞に知ってもらわなければならない」
孫も南も、表彰式では陰鬱な表情をしてうつむいている。孫は、ユニフォームの胸に付けていた日の丸を勝者に与えられた月桂樹で隠している。表彰式での真正面からの写真では、胸の日の丸が見えない。しかし、斜めからの撮影では日の丸が映ってしまう。この日の丸を消した写真を掲載したのが、8月25日付東亜日報だった。よく知られている「消えた日の丸」事件である。
現地の日本軍20師団司令部が激怒し、直ちに総督府と警察に関係者の緊急逮捕を命じた。こうして、5人の関係者が逮捕され、40日余の残酷な拷問が行われた。その上で、東亜日報は無期限発行停止処分、5人は言論界から永久追放となった。
ところで、孫と南の表彰式の後、日本選手団本部は選手村で祝賀パーティを開いたが、両名とも出席しなかった。「差別と蔑視故の抗議であったろう」という。その時刻両名はどこにいたか。ベルリン在住の安鳳根(アン・ボングン)という人物を訪問していたという。あの安重根(アン・ジュングン)の従兄弟である。
孫は、このとき安鳳根の書斎で、生まれて初めて「太極旗」と対面したのだという。
「これが太極旗なのだ。わが祖国の国旗なのだ。そう思うと感電でもしたように、熱いものが身体を流れていった。太極旗がこうして息づいているように、わが民族も生きているのだという確信が沸き起こってきた」
これが、彼の自伝「ああ月桂冠に涙ー孫基禎自伝」(講談社・1985年)の一節。
その後、孫は徹底して警察からマークされる。到底、金メダリストの扱いではない。彼が日の丸を背負って走ることは2度となかった。指導者たらんと東京高等師範と早稲田の入学を志すが、受験を拒否されている。明治大学だけが、暖かく迎え入れたが、当局はこれを許可するに際して条件を付けた。「再び陸上をやらないこと。人の集まりに顔を出さないこと。できる限り静かにしていること」だという。
明治大学は、箱根駅伝で彼を走らせようとしたが、かなわなかった。息子・孫正寅の語るところでは、2002年臨終の際に残した言葉が、「箱根駅伝を走りたかった」だった。
言うまでもなくマラソンは、オリンピックの華である。必ず最終日に行われる最終種目。この特別の競技の勝者には、特別の敬意が捧げられる。1936年ベルリンオリンピックで、10万の観衆が待ち受けるスタジアムに先頭で姿を現し、最後の100メートルを12秒台で走り抜けたスーパーヒーロー。それが、日本人として登録された朝鮮人・孫基禎だった。
孫は朝鮮民族の英雄となった。民族の団結や連帯の要となり得る立場に立った。日本の当局は、その言動を制約せざるを得ないと考えたのだ。孫に、朝鮮人の民族的な自覚や矜持を鼓舞する言動があるのではないかと危惧したのだ。
明治大学名誉教授である著者は、孫基禎と明治大学の親密な結び付きを誇りとして書いている。慶應も早稲田も東京高師も、この明治の姿勢に敬意を表さねばなるまい。
なお、ご注文は下記まで。
http://www.shahyo.com/mokuroku/sports/essay/ISBN978-4-7845-1569-1.php
(2019年5月26日)
当ブログでは、元号・改元問題をたびたび取りあげてきた。既に20回を超えているだろう。いずれも、元号の存在自体を批判し、その使用強制をあってはならないとする内容のもの。元号を、天皇制による民衆の精神生活支配の小道具ととらえ、「元号は不要」「元号は有害」「改元というイベントに踊らされるな」「時代の区切りを天皇の在位と結びつけて考えてはならない」「こんな不便なものは廃絶せよ」「元号使用強制などとんでもない」と主張するものである。
最近の主なものは、下記のとおり。
この際、新元号の制定はやめよう。
https://article9.jp/wordpress/?p=8393
(2017年4月7日)
永年の読者の一人として「赤旗」に要望します。元号併記はおやめいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=8367
(2017年4月2日)
真正保守・村上正邦が教える「元号存続の意味」。
https://article9.jp/wordpress/?p=9691
(2017年12月30日)
元号に関する朝日社説を駁する。
https://article9.jp/wordpress/?p=8992
(2017年8月8日)
領土・人民だけでなく、天皇が時まで支配する元号制
https://article9.jp/wordpress/?p=8028
(2017年1月25日)
元号 ― ああ、この不便・不合理にして有害なるもの
https://article9.jp/wordpress/?p=10295
(2018年5月1日)
私の元号に関する言説は、突飛なものでも奇矯なものでも、もちろん過激なものでもない。人権原理と民主制を根本原理とするオーソドックスな憲法体系の理解からは、憲法体系の天皇の存在を可及的に小さなものとして取り扱うことが当然であり、天皇制を支える元号否定は、ごく自然な帰結である。
天皇を不可侵の神聖な存在とする一部の右翼や、いまだに國體の存在にこだわるアナクロ派、そしてこれらの連中を使嗾することで権力を維持している現政権には不愉快なのだろうが、それは、人権原理や民主主義への理解の浅薄なことを表白するに過ぎない。かつては、学術会議も元号廃止を提唱していた。
学術会議の「元号廃止 西暦採用について(申入)」決議の紹介
https://article9.jp/wordpress/?p=9609
(2017年12月16日)
ところが、いまメディアがはっきりものを言わない。菊タブーは健在で、天皇制批判はご法度のごとくである。だから、私のブログ程度の穏健な天皇制批判が、目立つようになってしまっている。
メディアの皇室報道は、舌を噛みそうな敬語を並べたてて、まったく見苦しくもあり聞き苦しくもある。「陛下」も「今上」も死語だと思っていたが、いつからか息を吹き返して至るところに跋扈している。そして、「平成最後の」という枕詞のオンパレード。社説も同じ。「国民生活の利便のために新元号の公表を早く」というのが精一杯で、天皇制と結びついた元号そのものの批判をしない。
下記は、地方紙には珍しく右翼的な論調で知られる北國新聞の本年1月1日号社説である。
社説 「改元の年に 新しい時代に大きな夢を」
新しい年が明け、平成最後の正月を迎えた。いつもの年の初めと違う特別な空気感があるのは、4カ月後に新天皇の即位と改元という、歴史の大きな節目が待ち受けているからだろう。
一つの時代が終わる寂しさと惜別の思い。平成30年間のさまざまな出来事が脳裏を駆け巡る。そこに私たち自身の人生が重なり、懐かしい日々と新しい時代への期待が交錯する。
「平成30年間のさまざまな出来事が脳裏を駆け巡る。そこに私たち自身の人生が重な(る)」というのが、まさしく、天皇制と結びついた元号制の狙いそのものである。国民一人ひとりの人生の推移を、天皇の在位で区切ろうというのが、元号制の本質。これを肯定する右派言論に、リベラル派メディアが切り込んでいないことをもどかしく思っていた。
ようやくにして、昨日(3月21日)の朝日社説が、この点に触れたものとなった。 社説のタイトルは、「『改元』を考える 時はだれのものなのか」というもの。「時はだれのものなのか」とは、「天皇のものではない、自分自身のものだ」という含意。天皇の都合で、勝手に「時」を区切らせてはならない、ということなのだが、さすがに朝日。物言いの品が良い。そのようにはっきりとは言わない。
その全文は下記でご覧いただくとして、要約は下記のとおりである。 https://www.asahi.com/articles/DA3S13942702.html?
もうすぐ新たな元号が発表される。
朝日新聞を含む多くのメディアは「平成最後」や「平成30年間」といった表現をよく使っている。一つの時代が終わり、新しい時代が始まる、と感じる人も少なくないだろう。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみたい。「平成」といった元号による時の区切りに、どんな意味があるのだろうか。そもそも時とはいったい何なのか。誰かが時代を決める、あるいは、ある歳月に呼び名が付けられることを、どう受け止めればいいのだろうか。
歴史を振り返れば、多くの権力は、時を「統治の道具」として利用してきた。
日本の元号も、「皇帝が時を支配する」とした中国の思想に倣ったものである。
元号には独特なところがある。「改元」という区切りがあるからだ。日本では明治以降、一代の天皇に一つの元号という「一世一元」の仕組みも出来た。天皇が即位することで、起点はその都度、変わる。
1979年に現在の元号法が成立した際、元海軍兵士の作家、渡辺清は日記に書いた。
?「天皇の死によって時間が区切られる。時間の流れ、つまり日常生活のこまごましたところまで、われわれは天皇の支配下におかれたということになる」(『私の天皇観』)
時の流れをどう名付け、区切るかは、個々人の自由の営みであり、あるいは世相が生み出す歴史の共有意識でもあろう。
人生の節目から国や世界の歩みまで、どんな時の刻みを思い描くかは、その時その時の自らの思考や視野の範囲を調整する営みなのかもしれない。
もちろん元号という日本独自の時の呼び方があってもいい。ただ同時に、多種多様な時の流れを心得る、しなやかで複眼的な思考を大切にしたい。
時を過ごし、刻む自由はいつも、自分だけのものだから。
もちろん(というべきだろう)、元号否定ではなく、元号に対する意識の相対化を論じるレベルのものだ。しかし、明らかに半歩の前進である。この論調を評価し歓迎する。
(2019年3月22日)
7月19日最高裁「再雇用拒否」判決の当否を論じた社説として、
20日朝日「君が代判決 強制の追認でいいのか」
22日毎日「君が代『再雇用拒否』判決 行政の裁量広げすぎでは」
23日産経「『不起立教員』敗訴 国旗国歌の尊重は当然だ」
の3点を、既に当欄で紹介した。特に、産経社説については詳細に。
言うまでもなく、朝日・毎日が最高裁判決の立場を非とし、産経が最高裁判決の結論を是として褒めている。最高裁判決のレベルとは、その程度のものなのだ。
さらに、以下の2点を追加したい。
23日北海道新聞「君が代訴訟 疑問拭えぬ最高裁判決 教育現場が萎縮しないか気がかりだ。」
25日東京新聞「君が代判決 強制の発想の冷たさ」
いずれも、それぞれの切り口で、最高裁の非寛容の姿勢を批判するものである。その批判の道筋において、それぞれの人権論、教育観、民主主義論を語るものとなっている。
多様な語り口の究極にあるキーワードは「多様性」である。もとより、思想・信条・良心・信仰のありかたは個人の自由である。その必然的な結果として、民主主義社会には、多様な思想・信条・良心・信仰が共存することになる。この多様性こそが社会の強靱さを支えている。権力によって思想を統制された社会は脆弱なのだ。この多様性をどれだけの本気度で尊重しようとしているか、その民主主義的感性の成熟度が国旗・国歌(日の丸・君が代)問題に表れている。
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まずは、道新の7月23日社説。
学校の式典で君が代を斉唱する際に起立せず、それを理由に再雇用されなかった東京都立高校の元教諭22人が都に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁が元教諭側敗訴の判決を言い渡した。
? 再雇用を拒否したのは都教委の裁量権の逸脱・乱用に当たるとして賠償を命じた一、二審判決に比べ、強い疑問が拭えない。
戦争の記憶などと相まって、君が代や日の丸についてはさまざまな考え方があろう。大切なのは異なる意見を認め合うことであり、斉唱や起立を強制したり、処分の対象にすることではないはずだ。
教育行政も判決を司法のお墨付きと受け止めず、現場の多様性を尊重してもらいたい。
元教諭は卒業式や入学式で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう求めた学校長の職務命令に従わず、2004?08年に戒告や減給の懲戒処分を受けた。その後、定年退職に伴って再雇用を申請したが、処分を理由に認められなかった。
最高裁は「職務命令違反は式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう。再雇用すれば、元教諭らが同様の違反行為に及ぶ恐れがある」と、都の対応を容認した。
しかし、「内心の自由」は憲法が保障する権利である。思想や信条に基づく行為に不利益を課す場合、相当の理由や慎重さが求められるのは当然だ。一、二審判決がそうした原則を考慮し、「式の進行を妨害したわけではなく、職務命令違反を不当に重く扱うべきではない」と判断したことこそ妥当だろう。
今回の判決は事の本質から目を背けているのではないか。
忘れてならないのは、最高裁が過去の同種裁判で積み上げてきた慎重な判断である。職務命令は思想、良心の自由を保障する憲法に反するとは言えないとしながらも、間接的な制約と認め、処分は抑制的であるべきだとの考えも示している。行政の行き過ぎにクギを刺す狙いがうかがえる。
今回の判決は従来の枠組みから大きく後退している。君が代や日の丸を巡る問題で、教育現場が息苦しくなるようなことがあってはならない。
子どもたちに多様な価値観が共存する意義を教える。そうした教育を推進するためにも、行政には柔軟な対応が求められよう。
この社説が指摘する「今回の判決が目を背けている『事の本質』」とは、「多様な内心のありかたの自由」の価値であろう。「戦争の記憶などと相まって、君が代や日の丸についてはさまざまな考え方があろう。大切なのは異なる意見を認め合うことであり、斉唱や起立を強制したり、処分の対象にすることではない」のだ。最高裁は、民主主義の基本である「異なる意見を認め合うこと」に背を向けたのだ。批判されて当然であろう。
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ついで、7月25日東京新聞社説。
卒業式で君が代を歌わなかったから定年後に再雇用されない。その不当を訴えた元教諭の裁判は一、二審は勝訴でも、最高裁で負けた。良心か職かを迫る。そんな強制の発想に冷たさを覚える。
もともと1999年の国旗国歌法の成立時には、当時の小渕恵三首相が「新たに義務を課すものではない」と述べた。野中広務官房長官も「むしろ静かに理解されていく環境が大切だ」と。さまざまな思いへの理解と寛容があったのではないだろうか。
だが、実際には異なった。東京では教育長が2003年に「校長の職務命令に従わない場合は服務上の責任を問われる」と通達を出した。強制の始まりである。
入学式や卒業式は儀式であり、式典としての秩序や雰囲気が求められるのは十分に理解する。一方で国旗国歌に対し、「戦時中の軍国主義のシンボルだ」と考える人々がいることも事実である。教室には在日朝鮮人や中国人もいて、教師として歌えない人もいる。数多くの教員が処分された。
憲法が保障する思想・良心の自由との対立である。強制の職務命令は違憲でないのか。しかし、この問題は11年に最高裁で「合憲」だと決着している。間接的に思想・良心の自由を制約するが、法令上の国歌の位置付けと公務員の職務を比較衡量すれば正当である。そんな理由だった。
仮にその判断を前提にしても、重すぎる処分には断固として反対する。最高裁も12年に「減給以上の処分には慎重な考慮が必要だ」と指摘した。思想信条での不利益だから当然である。
今回の原告22人は07?09年に定年で再雇用を求めたが拒否された。現在の希望者全員が再雇用される制度の前だった。その点から最高裁は「希望者を原則として採用する定めがない。任命権者の裁量に委ねられる」とあっさり訴えを退けた。
失望する。一、二審判決では「勤務成績など多種多様な要素を全く考慮せず、都教委は裁量権の逸脱、乱用をした」とした。その方が納得がいく。
再雇用は生活に重くかかわる。君が代がすべてなのか。良心と職とをてんびんにかける冷酷な選別である。日の丸・君が代は自発的に敬愛の対象となるのが望ましいと思う。自然さが不可欠なのだ。高圧的な姿勢で押しつければ、君が代はややもすると「裏声」で歌われてしまう。
この社説は明らかに保守的な心情を基調とするものである。「入学式や卒業式は儀式であり、式典としての秩序や雰囲気が求められるのは十分に理解する」姿勢がまずある。「日の丸・君が代は自発的に敬愛の対象となるのが望ましい」は、園遊会での天皇の発言を思い出させる。「君が代はややもすると『裏声』で歌われてしまう。」は、本来君が代は裏声ではなく堂々と唱われべきものとの思い込みが言わせているのだろう。しかし、その保守的心情から見ても、都教委の「日の丸・君が代」強制の姿勢は異常であり、これを是認した最高裁は批判せざるを得ない。
「良心か職かを迫る。そんな強制の発想に冷たさを覚える。」は、踏み絵を意識しているのだろう。都立校に国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制なく自由の気が横溢していた時代、起立斉唱していたのは、一握りの管理職と風変わりな教員だけだった。いま、強制が、面従腹背の教員を大量に作りあげている。職のために、良心を捨てざるをえないのだ。わが国の権力者が400年前のキリスト教徒に強制した踏み絵が現代に甦っているのだ。
何度か紹介したが、アメリカの例を引きたい。国家への抗議の意味を込めて公然と国旗を焼却する行為を、象徴的表現として表現の自由に含まれるとするのが連邦最高裁の判例である。
ベトナム戦争への反戦運動において国旗焼却が続発し、2州を除く各州において国旗焼却を禁止しこれを犯罪とする州法が制定された。その憲法適合性について、いくつかの連邦最高裁判決が国論を二分する論争を引きおこした。
著名な事件としてあげられるものは、ストリート事件(1969年)、ジョンソン事件(1989年)、そしてアイクマン事件(同年)である。いずれも被告人の名をとった刑事事件であって、どれもが無罪になっている。
68年成立の連邦の「国旗冒涜処罰」法は、89年に改正されて「国旗保護」法となって処罰範囲が拡げられた。アメリカ国旗を「毀損し、汚損し、冒涜し、焼却し、床や地面におき、踏みつける」行為までが構成要件に取り入れられた。しかし、アイクマンはこの立法を知りつつ、敢えて、国会議事堂前の階段で星条旗に火を付けて逮捕され、起訴されて無罪の判決を得た。
以下が、アイクマン事件・連邦最高裁判決の一節である。裁判官の心情が吐露されているのが興味を惹く。
「国旗冒涜が多くの者をひどく不愉快にさせるものであることを、われわれは知っている。しかし、政府は、社会が不愉快だとかまたは賛同できないとか思うだけで、ある考えの表現を禁止することはできない」「国旗冒涜を処罰することは、国旗を尊重させている、および尊重に値するようにさせているまさにその自由それ自体を弱めることになる」(土屋英雄筑波大大学院教授(当時)作成の東京君が代訴訟における「意見書」から)
なんと含蓄に富む言葉だろうか。愛国者として国旗・国歌(日の丸・君が代)を大切に思う立場に立っていればこそ、その愛する国を成り立たせている根源的価値である自由を尊重せざるを得ず、その結果、不起立・不斉唱の態度は不愉快ではあっても、これに寛容でなくてはならない、ということになる。
都教委や最高裁の態度こそが、国旗・国歌(日の丸・君が代)を尊重するに値するようにさせている、まさにそのわが国の自由を冒涜し、わが国の価値を貶めているのだ。
(2018年7月26日)
人の生命はこの上なく重い。犯罪者の生命も例外ではありえない。
だから、死刑の判決には気が滅入る。被害者や肉親の被害感情を考慮しても、国家による殺人を正当化することは文明の許すところではない。死刑執行の報道にはさらに辛い思いがする。少なくとも、死刑を言い渡した裁判官も、求刑した検察官も、執行を命じた法務大臣も、死刑執行にはその全員が立ち会うべきだと思う。それが、人の死の厳粛さに向き合う国家の誠実さであろう。
昨日(7月6日)、麻原彰晃以下7名のオウム真理教幹部の死刑が執行された。
偶然の暗合だろうか。1948年12月23日、東条英機以下のA級戦犯処刑も7名であった。この日は、当時の皇太子(明仁・現天皇)の誕生日を特に選んでのこととされている。
A級戦犯7人の遺体は、横浜の斎場で火葬され遺骨は米軍により東京湾に捨てられている。遺骨を軍国主義者の崇拝の対象としないための配慮からである。死刑の執行や遺体・遺骨の処理をめぐっても、政治的な思惑はつきまとうのだ。今回のオウムの場合の政治的な意図の有無や内容はまだよく分からない。しかし、現代においては、他の刑死者と異なる取り扱いが許されるはずはなく、遺体ないし遺骨は、しかるべき親族に引き渡されることにならざるをえない。
私的な感情においては、この事件を坂本堤弁護士一家被害の立場から見ざるを得ないのだが、全体としてのオウム事件は社会史的・文明史的な事件として多様な角度から検証が必要である。
最大の問題として、信者の教祖に対する権威主義的な盲目的信仰のありかたが問われなければならない。あまりにも旧天皇制の臣民に対する精神支配構造に似ているのだ。この点についての精緻な分析の必要を痛感する。
オウムの信者とは、はたして「凡庸な教祖」と「浅薄な教義」に惑わされた、特別に愚かな被洗脳者集団であったろうか。あるいは、特殊な洗脳技術の犠牲者というべきだろうか。そうではあるまい。70余年前まで、この国の全体が「教祖とされた凡庸な一人の人物」と「浅薄な国家神道教義」に惑わされた被洗脳臣民集団が形づくる宗教国家であったのだから。
当時、支配者が意識的に煽ったナショナリズムが信仰の域に達して、天皇を神とする天皇教が国民の精神を支配した。天皇はその教義に則って現人神を演じ、国民は支配者が作り出した浅薄きわまりない天皇を神と崇める教義を刷り込まれ、信じ込まされた。あるいは、信じたふりを強要された。
当時の平均的日本人は、「万世一系の天皇を戴く神の国日本に生まれ、天皇の慈しみを受ける臣民であることの幸せ」を受け入れていた。この国全体が、オウムと同様に「凡庸な教祖」と「浅薄な教義」に惑わされた狂信的信者に満ち満ちていたのだ。
天皇や、天皇の宗教的・道徳的権威に対する、国民の批判精神の極端なまでの脆弱さ。その権威主義的精神構造が、「天皇と臣民」の関係をかたちづくった。換言すれば、臣民根性の肥大こそが、神なる天皇と、神聖な天皇に拝跪する臣民の両者を作ったのだ。
敗戦によって、日本国民は天皇制の呪縛や迷妄から解き放されて、自立した主権者になった…はずだった。が、本当に国民は自立した精神を獲得したのだろうか。為政者や権威に対する批判的精神は育っているだろうか。時代は社会的同調圧力に屈しない人格に寛容だろうか。自他の尊厳を尊重する人権意識が共有されているだろうか。自分の精神の核にあるものにしたがって、理不尽な外的強制を拒否する精神の強靱を、一人ひとりがもっているだろうか。
明治150年論争が盛んである。その前半の旧天皇制の支配を許した精神構造を、後半の時代が克服し得ているか。これが最大のテーマのはず。残念ながら、オウムの事件は、これに否定的な答を出しているようではないか。天皇制を許した権威主義的国民精神の構造が、そのまま尊師の権威を尊崇する精神になっているように見えるからだ。
「たとえ人を殺しても、尊師の命令に従うことが正しいことだ」という精神構造は、「天皇のために勇敢に闘え。天皇の命じるところなのだから、中国人や鬼畜米英を殺せ。」という、あの時代の精神が伏流水のごとくに吹き出してきたものに見える。地下水脈は枯れてはいなかった。一億総洗脳の時代のカケラが、部分的洗脳となったに過ぎないのではないか。
オウムの事件は、国民の権力や権威に対する批判精神が、いまだ不十分であることを示している。天皇制を支えた国民の権威主義が払拭されずそのままであるとすれば、象徴天皇制が、いまなお国民を支配するための道具としてすこぶる有用ということでもある。オウムの事件を通じて教訓とすべき最大のものは、権威主義の克服ということであろうかと思う。
(2018年7月7日)