本日は、8月17日。防衛省沖縄防衛局が沖縄県に通知した、大浦湾埋立の土砂投入開始予定日とされていた日。
午前中、カヌー50艇や小型船数隻が周辺海域に繰り出し、「美ら海を守れ」「違法工事はやめろ」「サンゴを殺すな」と訴えた。埋め立て土砂の投入や護岸工事、工事用ゲートからの資材搬入はなかったという。
土砂投入の通知がなされたのは6月12日。通知は、沖縄県赤土等流出防止条例上の義務なのだそうだ。県は通知後、45日の調査期間に、県が設定した基準に適合しているか否かを審査して、不適合の場合には計画変更命令を出すことができる。
その6月12日の記者会見で、翁長知事は「辺野古に新基地は造らせないとの決意はみじんも揺るがない。看過できない事態となれば、躊躇することなく(埋立承認)撤回を必ず行う」と明言している。
以来、8月17日が、辺野古新基地建設を推進する政府と、これに反対する県民・国民との抜き差しならぬ対決の日と想定され、沖縄県はこの日までに仲井真前知事の埋立承認を撤回すべく準備をしてきた。
翁長知事が、埋立承認撤回の具体的手続に着手し、その旨を公表したのが、7月27日。条例上の45日の調査期間満了の日に当たる。この日の記者会見で、知事は、承認撤回の理由について、国が「全体の実施設計や環境対策を示さずに工事に着工した」こと、サンゴ類を移植せずに着工したこと、埋め立て予定海域の地盤が軟弱であること、新たな活断層が発見されたことなど「承認時には明らかにされていなかった事実が判明した」ことを説明した。このときも、知事は「今後もあらゆる手法を駆使して辺野古に新基地を造らせないという公約の実現に向け全力で取り組む」と述べている。
同日県は、埋立の事業者である国から事前の反論を聴く「聴聞」の手続きを8月9日と指定して通告した。8月17日以前に承認撤回実行を意識しての日程である。
こうして、承認撤回を経て8月17日を迎えることが予想されていたが、聴聞手続きの前日8月8日に翁長知事急逝という予期せぬ事態の出来で事情が変わった。
沖縄県(知事職務代行者)は、本日(8月17日)までに「承認撤回」の通告をしていない。また、沖縄防衛局も土砂投入の工事の強行を差し控えている。現地での衝突もなく、法的手続の応酬もないままに、8月17日を迎えた。
政府は一昨日(8月15日)土砂投入を先送りする方針を固めたと伝えられている。17日の工事予定は台風の影響で準備が間に合わないというのが表向きの理由だが、翁長知事急逝を受けた知事選前倒しを踏まえ、「選挙戦への影響を見定める狙い」があると報道されている。
台風の影響で準備が間に合わないというのなら、数日の順延ということにしかならないが、本日の琉球新報は、「県関係者によると、翁長氏急逝を受け、政府が県に対し埋め立て承認撤回や土砂投入の延期を申し入れており、投入時期が9月30日投開票の知事選後にずれ込む見立てもある」との記事を掲載している。
当初は知事選が11月に予定されていたため、8月からの土砂投入で既成事実を積み上げておくほうが得策という政府の判断だった。しかし、9月に前倒しの選挙となると、もろに辺野古基地建設強行の可否が選挙戦の争点として問われることになる。その事態を避けたい、という本音なのだろう。
朝三暮四という故事成語が思い出される。餌の量は、朝三暮四でも朝四暮三でも変わらない。それでも、餌付けをされる猿は、朝三暮四では怒り、朝四暮三なら喜んだという。被治者を猿に喩えた、不愉快な寓話。
安倍や菅は、国民を猿並みに見下している。いずれ本格的な基地建設工事の強行は避けがたいが、選挙前は手荒なことをせずにやり過ごし、選挙後にやれば抵抗は少なかろうという、選挙民を愚弄する手口。県民の意思を真摯に聞こうという姿勢が欠落しているのだ。
政府は、沖縄知事選を県民操作の手段と見てはならない。新基地建設反対の県民の声に謙虚耳を傾けよ。そして、嵐の前の静けさのあとに、状況は激しく動くことになる。それを乗り越えた、オール沖縄の新知事誕生を期待したい。
(2018年8月17日)
本日(8月15日)は73回目の「敗戦の日」。私には、「終戦の日」でもさしたる違和感はない。韓国では「光復節」という祝日。北朝鮮では「祖国解放記念日」だそうだ。
政府の呼称に従えば、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。恒例の政府主催全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれた。全国から参集した遺族約5500人が、国内の戦争犠牲者310万人を悼んだ。軍人・軍属だけの戦死者だけでなく、民間人の犠牲者も対象にする追悼式だが、残念ながら加害責任についての問題意識はない。
「1993年の細川護熙氏以降、歴代首相は式辞でアジア諸国への加害責任に触れ、『深い反省』や『哀悼の意』などを表明してきたが、安倍首相は第2次政権発足後、6年連続で加害責任に言及しなかった(朝日)」と報じられている。
日本国憲法は、まぎれもなく敗戦を契機に、再び戦争の惨禍を繰り返さぬ決意を以て制定された。あの戦争をどうかえりみるか、悲惨な戦争をもたらした戦前の体制の欠陥をどうみるか。戦争の惨禍の記憶から何をどう反省したのか。本日は、それを再確認すべき日である。戦没者追悼式は、それにふさわしいものであっただろうか。
安倍首相の式辞全文は以下のとおり。
天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表、多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。
苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃れた御霊、戦禍に遭い、あるいは戦後、遠い異郷の地で亡くなった御霊、いまその御前にあって、御霊安かれと心よりお祈り申し上げます。
今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを私たちは片時たりとも忘れません。改めて衷心より敬意と感謝の念を捧げます。
未だ帰還を果たしていない多くのご遺骨のことも脳裡から離れることはありません。一日も早くふるさとに戻られるよう全力を尽くしてまいります。
戦後、我が国は平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。世界をより良い場とするため、力を尽くしてまいりました。
戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。
終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を心よりお祈りし、式辞といたします。
幾つかの感想を述べておきたい。
天皇皇后には「ご臨席を仰ぎ」と最大限敬語を使い、主役であるはずの国民(遺族)については「ご列席を得て」。国民主権の今の世にこれでよいのか。言葉遣いに、もっと工夫があってしかるべきだろう。
首相式辞には、御霊(みたま)が4度出てくる。
「…亡くなった御霊(みたま)、いまその御前(みまえ)にあって、御霊(みたま)安かれと心よりお祈り申し上げます」。まるで、靖国神社の祝詞ではないか。耳障りであるし、宗教色を払拭するよう、意識的な批判が必要だと思う。
「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。」は、具体性はともかく、まことにそのとおりだと思う。
この文章の内容にまったくふさわしからぬ人物が朗読していることが悲しい。この人には、「歴史と謙虚に向き合え」「あらゆる差別をなくせ」「格差と貧困をなくす政治を志せ」「近隣諸国との緊張を煽るな」「老にも幼きにも十分な福祉政策を」、そして「9条改憲の策謀をやめよ」と言わねばならない。
「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを私たちは片時たりとも忘れません。」は、常套句だが違和感を抑えることができない。戦死は、あるいは戦没は、はたして「尊い犠牲」だったのだろうか。圧倒的多数の戦死は、「強いられた、悲惨な死」であったはずではないか。遺族への慰めとなる美辞麗句を探して「強いられた、悲惨な死」を美化することで、この死をもたらした者の責任を糊塗する意図が透けて見えるように思える。
式典での天皇の追悼文は、以下のとおり。
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
昨年に続いての、天皇の「深い反省」に注目せざるを得ない。「誰が」、「何を」「どのように」反省しているのか、である。
「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願(う)」という文脈なのだから、「深い反省」は「過去を顧み」てのものである。しかも、その過去とは、「戦後の長きにわたる平和な歳月」に対比されるもので、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬ」切なる願いを伴うものでもある。
平和ならざる、戦争の惨禍が繰り返された、軍国主義・侵略主義が横行した野蛮な時代。天皇の命令で臣民が徴兵され、上官の命令は天皇の命令として「強いられた、悲惨な死」を余儀なくされた、その「過去を顧み」て、現天皇が「深い反省」と言っているのだ。
さて、当然のことながら、「深い反省」には「深い責任」がともなうことになる。この点が、「どのように」反省しているのかという問題である。この短い式辞では窺い知ることができない。現天皇にとっては最後の戦没者追悼式。これを知る機会は、もうなかろう。
(2018年8月15日)
ご近所の皆様、ここ本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま。こちらは平和憲法を守ろうという一点で連帯した行動を続けています「本郷・湯島九条の会」です。私は近所に住む者で、憲法の理念を大切にし、人権を擁護する立場で、弁護士として仕事をしています。
真夏の真昼時、暑いさなかですが、平和を守ろう、憲法9条を大切にしようという熱い訴えに、少しの時間耳をお貸しください。
73年前の今日、1945年8月14日午前10時に千代田区内某所で「特別御前会議」なる戦争指導者全員が参集した会議が開かれ、その席でポツダム宣言受諾を決定しました。そしてこの日、天皇(裕仁)の名で連合国(米・英・中・ソ)にその旨を通告し、法的には日中戦争・太平洋戦争が日本の無条件降伏で終了しました。調印式が9月2日横浜沖のミズーリ号上で行われたのは、ご存じのとおりです。既に、ムソリーニは虐殺され、ヒトラーは自殺して、イタリア・ドイツは敗北していましたから、最後の枢軸国日本の敗戦は、第2次大戦の終了でもありました。
そして、翌8月15日正午、天皇が読み上げた「大東亜戦争終結に関する詔書」の録音がNHKのラジオで放送されて、国民に敗戦を知らせました。国力を傾け尽くし、310万人の自国民死者と、2000万人にも及ぶ近隣諸国の犠牲者を出した末に、ようやくにして悲惨な侵略戦争は終わりました。
8月15日正午の天皇の放送は、1億国民からさまざまな思いで受けとられ、さまざまな記録が残されています。名古屋の武田徳三郎さんと志津さん夫妻の場合はこうでした。
夫妻の息子二人は、学徒動員で軍需工場に働いていましたが、名古屋の大空襲で、二人とも亡くなりました。夫妻は、必死になって、夜昼となく遺体を探しますが、ついに肉のカケラも服の端切れさえ見つからなかった。80キロあった徳三郎さんの体重は50キロまで減ったということです。「死のう」「いや、ワシらが死ねば、弔いをする者がなくなる」と思う日々が続いて、8月15日を迎えます―。
天皇陛下の玉音放送があった。「一億玉砕」とばかり信じていた。…だが、四球のラジオから流れる玉音は、ザァザァという雑音の中で無条件降伏を伝えた。…「そんなバカな! 手をあげてやめられる戦争なら、なぜもっと早くやめてくれなんだ。陛下さま、ワシの息子らは、これで犬死になってしもうたがや―」徳三郎さんは泣き崩れた。(毎日新聞社編『名古屋大空襲』)
これを引用した近代史研究者の色川大吉は、1975年にこう書いています。
私はこの部分を天皇(註・裕仁)に読んでもらいたいと思う。「手をあげてやめられる戦争なら、なぜもっと早くやめてくれなんだ!」 この悲痛な叫びは、ポツダム宣言の受諾をめぐって天皇制の存続を条件にグズグズ日を延ばしていたあいだにも、50万人以上の民衆を殺し、徳三郎さん夫妻のような、もはや永久に救われない運命を負った庶民を無数に生み出してしまったのである。
無数の悲劇を重ねて、長い長い戦争が終わりました。再び、この戦争の惨禍を繰り返してはならない。多くの人々の切実な思いが、平和憲法に結実しました。とりわけその9条が、再びの戦争を起こさないという国民の決意であり、近隣諸国への誓約でもあります。
大日本帝国憲法は戦争を当然の政策と考え、軍隊の組織編成や、国民を戦争に動員する手続を定めています。戦争を抑制しようという憲法ではなく、主権者である天皇の名による戦争を煽った憲法と言ってもよいと思います。きっぱりとこの好戦憲法は捨て去られ、平和憲法が採択されました。
日本国憲法は、戦争を放棄し戦力を保持しないことを憲法に明確に書き込みました。それだけではなく、この憲法には一切戦争や軍隊に関わる規定がありません。9条だけでなく、全条文が徹頭徹尾平和憲法なのです。戦争という政策の選択肢を持たない憲法。権力者が、武力の行使や戦争に訴えることのないよう歯止めを掛けている憲法。それこそが平和憲法なのです。
ところが、歴代の保守政権は、この憲法が嫌いなのです。とりわけ、安倍政権は憲法に従わなければならない立場にありながら、日本国憲法が大嫌い。中でも9条を変えたくて仕方がないのです。
彼が言う「戦後レジームからの脱却」「日本を、取り戻す」とは、日本国憲法の総体を敵視するという宣言にほかなりません。「戦後」とは、1945年敗戦以前の「戦前」を否定して確認された普遍的な理念です。人権尊重であり、国民主権であり、議会制民主主義であり、なによりも平和を意味します。戦後民主主義、戦後平和、戦後教育、戦後憲法等々。戦前を否定しての価値判断にほかなりません。安倍首相は、これを再否定して「戦前にあったはずの美しい日本」を取り戻そうというのです。
戦後73年、日本国憲法施行以来71年、国民は日本国憲法を護り抜いてきました。それは平和を守り抜くことでもありました。そうすることで、この憲法を自らの血肉としてきました。平和は、憲法の条文を護るだけでは実現できません。国民の意識や運動と一体になってはじめて、憲法の理念が現実のものとして生きてきます。平和憲法をその改悪のたくらみから護り抜き、これを活用することによって恒久の平和を大切にしたいと思います。
そのため、安倍9条改憲を阻止して、「戦後レジームからの脱却」などというふざけたスローガンを克服して行こうではありませんか。夏、8月、暑いさなかですが、そのような思いを新たにすべきとき。憲法9条と平和を大切にしようという訴えに、耳をお貸しいただき、ありがとうございました。
(2018年8月14日)
翁長雄志・沖縄県知事の急逝が8月8日夕刻。その後の事態は急展開している。
翌9日が、大浦湾埋立承認撤回のための聴聞手続。非公開ではあるが、沖縄防衛局の期日延期要請は斥けられ2時間余で終了した。そして、2回目の聴聞はないとも報道されている。これで、8月17日土砂投入開始前の撤回が可能となった。
10日には、ゴルバチョフが遺族(妻・樹子さん)宛に追悼文を寄せたことが話題となった。「彼の活動の基本方針は、平和のための戦いであり、軍事基地拡大への反対と生活環境向上が両輪だった」とした上で「翁長雄志は私たちの中で永久に生き続けます」と結んでいる(琉球新報)。
そして、11日が辺野古新基地建設断念を求める県民集会である。那覇市奥武山陸上競技場での集会は、翁長雄志の追悼大集会ともなり、台風接近で雨が降るなか、主催者発表で7万人の参加者を得て大きな盛り上がりを見せた。
この集会参加者が手にしたプラカードにある「県民はあきらめない!」というスローガンが印象的である。今年1月28日投票の名護市長選の結果の分析で語られたのが、「沖縄のあきらめ」「地元のあきらめ」であったからだ。
辺野古に基地を作られるのは、地元民ならだれだっていやだ。できれば作らせたくはないに決まっている。しかし、地元が反対しても、県が反対しても、本土の政権は強大だし強行だ。裁判所も結局は政権の味方でしかないことが明確になった。どのように抵抗したところで、いずれは耐用年数200年という水・陸にまたがる巨大な辺野古基地が作られてしまうだろう。大浦湾の美ら海は死んでしまうことになる。望むところではないが、どうしようもない。あきらめざるを得ない。
名護市長選後に語られた「沖縄のあきらめ」はこれで終わらない。
辺野古での基地建設がやむを得ないなら、せめてその代償を手にしておかなければ踏んだり蹴ったりの結果となる。本土の政府に抵抗して押し切られた形で、基地建設が実現すれば、取れるものもとれない最悪の結果となる。今のうちに、政権に恩を売る形で、取引をしておけば何とか基地建設の代償を手にすることができる。地元振興策という代償が獲得目標とならざるを得ないではないか。
これが、沖縄の「自・公」が先導した、「沖縄のあきらめ」と「あきらめの先の政治選択」だった。11日の雨中7万人大集会は、この「あきらめ」のムードを転換させたのではないだろうか。「やはり、沖縄県民の矜持を大切に、基地建設反対を貫くべきではないか」との思いが新たになったように見受けられる。
12日、沖縄県は翁長雄志知事が死去したことを受け、県選挙管理委員会に知事の死亡を通知した。公選法の規定では、通知後50日以内に知事選が実施されることになる。この日、県選管によると、「10月1日までのいずれかの日となるが、9月23日か同30日の投開票が有力」とした。
そして、本日(13日)、故翁長雄志知事の告別式が那覇市松山の大典寺で行われた。氏の位牌を乗せた車が自宅から出発して、那覇市役所や県庁を回り、多くの県民が別れを告げるなかで、告別式会場に向かった。告別式終了後に、迫る県知事選の候補者選定の協議が行われるという。そして、選挙日程は9月30日に決まった。
ところで、11日の県民集会では、故知事の次男であるの翁長雄治(那覇市議)が登壇して、生前の知事の言葉を次のように紹介している。「沖縄は試練の連続だが、ウチナーンチュが心を一つにして闘うとき想像よりはるかに大きな力になる、と何度も何度も言われてきた」。
さて、この抜き差しならない事態である。ぜひとも、ウチナーンチュが心を一つにして、「沖縄のあきらめ」を払拭し大きな力を発揮することを期待したい。もちろん、心ある本土の人々の応援にもも期待を寄せたい。
(2018年8月13日)
自民党総裁選とは、政権与党のトップ人事というだけでなく、事実上の次期首相予備選挙である。コップの中の争いとして無関心でいることはできない。そこで何が争われているのか、とりわけ憲法問題がどのように論じられているのかに、耳を傾けざるを得ない。
三選を目指すアベに対抗して、石破茂が立候補を表明し、両候補の一騎打ちとなるだろうとの報道である。願わくは、両候補に、自民党支持者だけにではなく、国民にとって傾聴に対する論戦を期待したいところだが、無いものねだりだろうか。
論戦の内容は、【政治姿勢】(ないしは政治手法)と【政策】の両面において行われることになる。この事態である。国民から「嘘つき」「人柄が信頼できない」「国政私物化」「行政を歪めた」「隠蔽・改ざん体質」「忖度政治横行」…デンデンと、ミゾユウの政治不信を肥大化させてきたアベ政治の政治姿勢が問われざるを得ない。
だから、石破第一声のキャッチフレーズが、「正直、公正、石破茂」である。「国民と正面から向き合い、公正で正直、そして丁寧な、信頼される政治が必要なのだと信じます」ともいう。もちろん、「嘘つき、隠蔽、アベ政治」を意識しての批判である。「アベ政治は、国民と正面から向き合おうとはせず、オトモダチ優遇の国政私物化に堕しており、不公正で欺瞞と隠蔽に満ち、ごまかしと取り繕いによって、いまや国民からの信頼を失っている」との含意にほかならない。まことにそのとおりではないか。
政策での対決よりは、アベ一強の驕慢、国政私物化の政治姿勢批判が前面に出ている。自民党という不可思議な柔軟体は、これまで国民の信頼を失いそうになると、その批判勢力がトップの座を襲って国民からの信頼を繋いできた。
自民党が再生して永らえるためには、おそらくは石破の当選が望ましいのだろう。それが自民党の自浄能力を示すことになろうが、大方の予想はそれは非現実的だという。つまりは、自民党に自浄能力などないことを証明する総裁選となるということなのだ。
ところで、石破茂とは何者か。憲法にしても、国防問題にしても、タカ派のイメージが強すぎるが、さらに遡って彼の政治家としての感性の基盤はどこにあるのだろうか。「石破茂オフィシャルサイト」にアクセスして驚いた。「天皇陛下の ご生前ご譲位について」と題する石破の天皇観・皇室観がよく表れている文章。戦前の保守政治家と変わるところはない。この点は、アベと石破、右の位置を競い合って、兄たりがたく弟たりがたし。丙・丁つけがたい。かなり長い文章だが、彼の感性を表す冒頭だけを抜粋引用しておきたい。
平成29年1月31日 衆議院議員 石破 茂
亡父・石破二朗は生前、先帝陛下のことを「石破二朗個人として誇り得るこれだけの方はいない」と語っていた。昭和11年10月17日、北海道において実施された大演習に山形県地方警視として消防団を引率して参加した際、霙降る中、長時間微動だにされず演習をご覧になっておられた先帝陛下のお姿に深い感銘を受けてからのことという。
私自身亡父から「天皇陛下を敬え」と言われたことは一度もなかったが、幼少の頃から「旗日(国民の祝日)に朝一番に玄関に国旗を掲げるのは子供の仕事」と躾けられ、自然に天皇陛下ならびに皇室に崇敬の念を抱くようになっていたように思う。
昭和61年7月に衆議院に議席を頂いてからその気持ちはさらに強くなった。昭和天皇崩御を告げる竹下総理の勤話を、地元での新年会出席のため夜行列車を降り立った倉吉駅のホームに流れる構内放送で聞き、東京へ取って返す列車の中で号外を読みながら涙が止まらなかった。
平成21年6月、全国植樹祭にご臨席のため福井県を訪問された陛下は、前夜のレセプションにもお出ましになった。植樹に功労のあった福井県の林業関係者やボーイスカウトなど諸団体の人々が陛下にご挨拶すべく、御前に長い列を作ったのだが、陛下はそのー人一人に、丁寧にお言葉をおかけになっておられた。農林水産大臣として陪席していた私は侍従を通じて、どうかお椅子をお使いくださるよう申し上げたのだが、陛下は微笑されたまま、最後の一人まで、予定の刻限を超えてもお心を込めてご対応になられた。私は自分の浅はかさを心から恥じたことであった。
「日本国の象徴」であるだけなら富士山や桜の花のように存在そのものに意義もあろう。しかし今上陛下は「日本国民統合の象徴」たりうるために、積極的・能動的に、地域、年齢、思想信条などあらゆる相違を問われることなく、すべての日本国民に等しく対応され、そしてすべての国に等しく対応されるという、普通の者には決して為しえない、想像を絶する責務を自らに課され、おことば(正式名は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」)の中でそれを「幸せなことでした」とまで仰せになられた。ひたすら恐懼し、自らの思いが足りなかったことをただ悔いる他はない。
この(生前退位)問題は、先人たちが生命に代えても護ろうどしてきた日本国の国体そのものに関わることである。いつの間にか国民は、天皇陛下のご存在を当たり前のものとして考えるようになってしまったのではあるまいか。平和がそうであるように、大切なもの、貴重なものは不断の努力なくして維持できるものではない。その大切さを忘れ、護る努力を怠った時、消えてなくなってしまうものであることと、残された時間は長くはないことに我々は深い怖れと強い危機感を持たねばならない。
これには驚ろかざるを得ない。人類が普遍的なものと確認したグローバルな到達点とあまりにもかけ離れた認識。「日本国の国体そのもの」が平和と同格の大切なもの貴重なものというのだ。およそ、理性や知性ある人間の言葉ではない。主権者としての自覚をもつ国民の声でもない。天皇制が、いかなる意図で作られ、いかなる役割を果たし、いまその残滓がどのような政治的機能を有しているかについての歴史的な考察を抜きにした、ひたすらの天皇礼賛。偏頗とか平衡感覚を欠いたなどというレベルではない。憲法のコアの理念に理解なく、大日本帝国憲法時代と変わらない天皇教の信仰にどっぷり浸かった精神構造を吐露している。オウム信徒並みの、教祖への信仰告白と評するほかはない。
欺瞞に満ちたアベ政治の対抗馬が、天皇教の信者なのだ。推して知るべし、自民党に未来はなかろう。
(2018年8月12日)
73年前の8月9日午前11時2分、長崎の上空で核兵器が炸裂し広島に続く阿鼻叫喚のこの世の地獄が出現した。この1発の原子爆弾によって、7万人以上の命が奪われたという。そして、生き残った多くの人々が放射能による不安と苦しみを味わい続けている。
昨日(8月9日)が、長崎の「原爆の日」。長崎の平和への祈りの日でもある。長崎市が主催する原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が執り行われた。
今年の注目点は二つ。
まずは、今年の平和式典に、初めて国連のグテレス事務総長が出席したこと。もう一点が、国連での核兵器禁止条約が採択されて1年。いまだに署名・批准を拒む日本政府に、どう怒りの声をぶつけるか。
グテレス事務総長は、式典での挨拶で、核廃絶を平和と軍縮の課題と一体のものとして、国連の最優先課題と明確に述べた。そして、こうも述べている。
「核兵器保有国は多額の資金を費やして核兵器の最新鋭化を図っています。2017年には1兆7000億ドル以上を軍事費に使い、冷戦終結以来最大となっています。それは世界の人道支援に必要な金額の80倍です。」「一方で、軍縮の過程は遅れ、停止するに至っています。多くの国は昨年、核兵器禁止条約を採択して、その不満を示しました。」「あらゆる兵器の削減が急ぎ求められていますが、ことに核軍縮が必要です。そのことを背景に、私は5月、全世界の軍縮提案を行いました。」「軍縮は国際の平和と安全の維持の推進力です。国家安全保障を確保する手段です。」「私が軍縮で掲げる課題の根拠となっているのは、核による絶滅の危険を弱め、あらゆる紛争を防止し、兵器の拡散や使用が市民にもたらす惨害を減らすような具体的措置です。」「核兵器は世界の、国家の、人間の安全保障を損なうということです。核兵器の完全廃絶は、国連が最も重視する軍縮の優先課題です。」
そして、核兵器禁止条約批准の問題である。
田上富久市長の「長崎平和宣言」は、市民の声を背に政府に対して厳しい。昨年(2017年の平和宣言では、こう言っている。
「核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した『核兵器禁止条約』が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした」「ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています」「核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています」「日本政府に訴えます。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています」
さて、同じ田上市長による今年(2018年)の長崎平和宣言である。
「核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした『核軍縮に誠実に取り組む』という世界との約束を果たしてください。
そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。
日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。」
被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた田中熙巳さんも手厳しかった。
「2017年7月、『核兵器禁止条約』が国連で採択されました。被爆者が目の黒いうちに見届けたいと願った核兵器廃絶への道筋が見えてきました。これほどうれしいことはありません。
ところが、被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って『核兵器禁止条約』に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません。」
「紛争解決のための戦力は持たないと定めた日本国憲法第9条の精神は、核時代の世界に呼びかける誇るべき規範です。」
アベは、これらの声を何と聞いただろうか。いたたまれない思いをしなかっただろうか。それとも、何とも思わぬ鉄面皮?
本日の赤旗の報じるところでは、「米西海岸カリフォルニア州の最大都市ロサンゼルス(約398万人)の市議会は8日、昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約を支持する決議を全会一致で採択しました。」とのこと。「全会一致」というのがすごい。
なお、アベが頼りの朝鮮半島緊張は、大局的に見て雪解けの展望を開きつつあるではないか。この事態での、核のカサ必要論固執に説得力があるだろうか。田口市長はこの点にも触れている。
「今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による『板門店宣言』や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する『北東アジア非核兵器地帯』の実現に向けた努力を求めます。」
アベよ、広島の声を聞け。長崎の声を聞け。被爆者の声を聞け。原爆で亡くなった20万の人の声を聞け。そして、侵略戦争の犠牲となった隣国の人々の声に耳を傾けよ。悔い改めて、核兵器禁止条約に署名と批准を決意せよ。まだ間に合う。遅過ぎることはない。
(2018年8月10日)
驚愕し、そして落胆せざるを得ない。翁長雄志沖縄県知事が、劇的にその生涯を閉じた。2018年8月8日午後6時43分、浦添市浦添総合病院でのことだという。死因は膵癌。享年67。謹んで哀悼の意を表したい。
本日(8月9日)アベ晋三が、「翁長知事のこれまでの沖縄の発展のために尽くされたご貢献に対して、敬意を表したい」「常に沖縄の発展のために文字通り、命がけで取り組んでこられた政治家だ」との談話を発表したそうだ。
翁長に対する「常に沖縄の発展のために文字通り、命がけで取り組んでこられた政治家だ」という評価にはだれも異存はなかろうが、アベの「ご貢献に対して、敬意を表したい」は白々しい限りだ。「沖縄の発展」の内容は、翁長の目指したものと、アベがいうものとは、まったく異なっているからだ。
翁長の目指したものは、基地負担のない平和で豊かな沖縄。アベが押しつけようとしている沖縄とは、米軍基地負担を甘受し、さらには自衛隊基地の拡充をもやむなしとした、危険で不穏な沖縄である。県民の誇りを蹂躙した屈従の沖縄でもある。
その象徴が、名護市辺野古への新基地建設の翁長の反対と、オール沖縄を背にした翁長の反対を押し切ってのアベ政権の押しつけとの角逐である。
アベは、今年6月23日沖縄慰霊の日平和祈念式典に同席した際の翁長の刺すような眼差しを忘れることはなかろう。今にして思えば、翁長は「命を懸けて」あるいは、「命を削って」辺野古新基地建設反対を貫いていたのだ。翁長の命の何分かは、アベによって削られたと言って過言でない。
翁長が知事として、辺野古埋立の承認撤回の手続開始を表明したのが7月27日。その12日後の逝去である。かつて、辺野古の座り込みに参加した妻・樹子が、こう述べたと報じられている。
「(夫は)何が何でも辺野古に基地は造らせない。万策尽きたら夫婦で一緒に座り込むことを約束しています」
これが、翁長の遺言といってよい。沖縄防衛局からの8月9日聴聞を経ての埋立承認撤回は、知事代行者の遺言執行である。8月17日の土砂搬入開始以前の「撤回」と、その後の法的対応は、翁長の遺志の実現としてやり遂げられねばならない。
それにしても、翁長雄志は沖縄では、保守のエースといわれた人物である。安保条約廃棄論者ではなく、もとより自衛隊違憲論者でもない。その自民党沖縄県連の幹事長・翁長をして、辺野古新基地建設反対の先頭に立たしめたのは、沖縄県民の総意であった。自公の政権の乱暴なやり方が、オール沖縄勢力を育て、沖縄県民の反政権意識や運動を作りあげたのだ。
辺野古の基地建設の是非をめぐっては、なお、激しく「政権対沖縄」の図式で争い続けられるだろう。50日以内に、新知事を選出する選挙が行われる。翁長の遺志を受け継ぐ新知事の選出を希望する。それこそが、「これ以上の基地負担はゴメンだ」という、県民の悲鳴ともいうべき総意実現への道なのだから。
(2018年8月9日)
昨日に引き続いて、下記は正木ひろしの一文。孫引きだが、正木の死後に編まれた『正木ひろし著作集』(1983年・三省堂)第4巻に所収のもの。書かれたのは1945年11月3日、明治節の日だという。天皇制批判の一文ではあるが、天皇そのものの批判ではなく、天皇制を支えてきた民衆の意識に対する痛烈な批判である。そして、後半に、官吏・職業軍人・御用学者等の天皇制の走狗への批判が付け加えられている。
正木は、天皇制日本を家畜主義帝国と揶揄し、天皇を家畜主、民衆を牛馬羊豚に喩えている。そして、その中間にある番犬層の存在とその役割の大きさを語っている。
私はこの十数年間日本人を観察した結果、日本人の大部分は既に家畜化していることを発見した。人間の家畜化ーそれを諷刺的に書いた前記の東京新聞の文章を再録すれば
家畜の精神(1945年10月8日)
家畜と野生の動物との相違点は、外形ではなく、その思想、その精神であると云ったら、人は変に思ふかも知れないが、家畜は立派な思想家であり、精神家なのである
1.野生の動物は、之を捕へて柵の中に入れて置いても、絶えず自由を求めて埒外へ出ようとするが、家畜は、与へられた自由の範囲に満足し、決して之より出ようとしない。出ようとする試みが、如何に恐ろしい鞭に値するかを知っている。即ち家畜は、反自由主義の思想家である
2.野生の動物は、なにびとにも所有されない自主的の動物であるが、家畜は恒に自己の所有者の厳存することを、半ば遺伝的に知っている。即ち家畜は祖先伝来の反民主主義者だ
3.野生の動物は、餌を与へんとする人間にすら刃向って来るが、家畜は残忍無比な所有者に、如何に虐待されても決して抵抗しない。そしてまた、如何に重い荷を背負はされても、之を振り落さうともしないし、怨みも抱かない。即ち家畜は、無限の忍耐心を持つ無抵抗主義者であり、大義名分をわきまへたる精神家である
4.野生の動物は、決して無意味な争闘は開始しないが、家畜は錬成によって、何の怨みも無い同類と死闘する。闘犬、闘牛、闘鶏はその例だ.「武士道とは死ぬことと見つけたり」といふ葉隠精神を、最もよく不言実行するのは日本犬である
この文章は、600字を以て書き上げねばならなかったので、大事なことが抜けている。それは家畜主義帝国に於ける番犬の位置についてである。死んで食用に供されるか、死ぬまで働いて奉仕するか、何れにせよ家畜主に生命を捧げることによって使命を果たし、それによって家族主義的の生活を保証されている牛馬羊豚的の民衆に対し、官吏・職業軍人・御用学者等は番犬的の存在である。番犬は牛馬を守護するがそれは牛馬の為に守護するのでなく、家畜主の為に牛馬を守護し、之を錬成し、大御宝として保存するのである。官吏は天皇陛下の官吏であり、軍は天皇の股肱であるが、民衆は民草である。民主主義国に於ては、官吏も軍人も民衆の為の番犬であり、公僕であって決して上下の階級ではない。然るに家畜主義国に於ては、政府はお上であり、上意下達、下情上通の段階に置かれる
従って、徹底せる家畜主義帝国における番犬の位地は、非常に魅力的である。何となれば、如何に下僚と雖も、民衆に対し、家畜に対する如き優越感情を持ち、且つ下賤なる労役や日々の生活の為の不安を免かれるのが原則だからである。人間が家畜を使用するに至ったことは人間としての進化であり、未開国に於ては、その所有する家畜の数によって社会的の尊卑が定められるほどだ。況んや最も有能なる人間を家畜として監督する位置に立つことが、如何に人生享楽として上乗なものであるかを考へよ
欧米文明諸国に於ては、人間を大御宝とする代りに、自然力を生活享楽化の資源とする段階にまで進化した。日本が人間の肉体的エネルギーを極度に発揮させるために、青少年に禁欲主義を説き、死の讚美を鼓吹し古人の歌を訓へ、天皇の名による機械的服従を強迫観念にまで培養せんと努力していた時、米国では科学者をして原子爆弾を研究せしめていたことは、進化論的に見て真に極端な対比である
日本の番犬階級が如何に無知無能であり、天皇は単に看板にしたる利己的な存在であったかは、戦前から終戦に至る経緯が最も之を雄弁に物語っている
この戦争が、その目的の不分明にして矛盾し、その方法が拙劣にして不真面目なりしに拘はらず一億国民を玉砕の瀬戸際までひっぱって行った所以のものは、日本の国体がこの番犬の繁殖に最も適したからである。而して明治維新以来、牛馬階級がたやすく番犬階級に躍進できる様になったため、番犬道が堕落し、今日の如き刹那的、不道徳的にして且つ無謀なる戦争が始まったのである。国体明徴論者の一派は、この番犬的存在を除去したる肇国の精神に基く大家族的国体を夢想しているが、それは歴史を逆行することが出来ぬ故に無理なる注文である
今や職を奪はれんとする番犬が狂犬となり、職を奪はれた番犬が野犬となって、国体護持に狂奔するであらう
終戦直後のこの立論に表れた憂いが、今もなお克服されていない。民衆は、相変わらず、「反自由主義の思想家」で、「祖先伝来の反民主主義者」「無限の忍耐心を持つ無抵抗主義者」でもあり、場合によっては「怨みも無い同類と死闘させられる」存在でもあるように見える。番犬階級の無知無能・無軌道はここに極まれりで、民衆は狂犬・アベをだに追い払うことを得ない。
そして、最大の疑問である。この家畜主義帝国の真の主はいったい誰なのだろうか。
(2018年8月8日)
1945年8月6日午前8時15分、広島上空で原子爆弾が爆発したそのとき以来、核廃絶こそが人類が取り組むべき最大の課題となった。愚かなことだが、人類は自らを滅ぼす能力を身につけたのだ。以来73年間、その能力を封じ込めることが、人類最大の課題としてあり続け、事態は今も変わらない。
冷戦のさなかに、核廃絶どころか核軍拡競争が続けられて、原爆は水爆となり、また多様な戦術核が開発された。核爆弾の運搬手段は飛躍的に性能を向上させ、人類は核戦争による絶滅の恐怖とともに生存してきた。73年間、人類は、首をすくめ息を潜めた「萎縮した小さな平和」の空間で生き延びてきた。そして今なお、核兵器による相互威嚇の均衡の上にかろうじて、生存を続けている。
すべての武力が有害で無意味であるが、核兵器こそは絶対悪である。今日、8月6日はそのことを確認すべき日にほかならない。
本日(8月6日)、広島市で開かれた平和記念式典で、子ども代表が「平和への誓い」読み上げた。その中に次の言葉があった。
人間は、美しいものをつくることができます。
人々を助け、笑顔にすることができます。
しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。
ほんとうにそのとおりだと思う。美しいものをつくり、人々を助け、人々の笑顔があふれる社会を作りたい。それなのに、どうして人間は、人を傷つけ、人々を嘆き悲しませる武器を作り、軍隊を作り、戦争をするのだろうか。この上なく恐ろしい、核兵器まで作って、これをなくすることができないのだろうか。
苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に生きてきた広島の人々。
その平和への思いをつないでいく私たち。
平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。
平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。
73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。
若いあなた方が救いだ。あなた方が希望の灯だ。被爆のむごさと被爆者の切実な思いの伝承者。核のない世を願う人類の願いを実現する運動の先頭に広島の人々がいることが心強い。今日の式典で「平和への誓い」を読み上げたお二人のうちの一人は、広島市立牛田小の6年生だという。牛田小学校は私の母校だ。私が一年生として入学したのが爆心地に近い牛田小学校で、担任の女性の先生はお顔にケロイドのある方だった。「平和への誓い」が、ことのほか心に沁みた。
松井市長の「平和宣言」は、事前に伝えられたとおりのもの。
世界は「自国第一主義」が台頭し東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況と懸念を示した上で、「核抑止や核の傘という考え方は世界の安全を保障するには極めて不安定で危険極まりないもの」と指摘。昨年(2017年)7月に国連で採択された核兵器禁止条約の発効に向け、日本政府に対し、憲法が掲げる平和主義を体現するため、国際社会で対話と協調を進める役割を果たすよう求めたが、一方で日本が条約に参加していないことについては昨年に続き直接批判はしなかった。今年(2018年)6月に史上初めて実現した米朝首脳会談を念頭に「朝鮮半島の緊張緩和が対話によって平和裏に進む」ことに期待を寄せたほか、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が昨年ノーベル平和賞を受賞したことを受け、被爆者の思いが世界に広まりつつあるとの認識を示した。
以下の言葉は、説得力があり、心に迫るものがあった。
世界にいまだ1万4千発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器が炸裂したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。
被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。20歳だった被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全てが死滅し、美しい地球は廃墟と化すでしょう。世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい」と訴え、命を大切にし、地球の破局を避けるため、為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。
日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するためにも、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たしていただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
9条改憲をたくらむアベ晋三の耳に、松井市長の平和宣言はどう聞こえたのだろうか。とりわけ、「日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するために」というくだり。
例年のとおり、式場外から「アベやめろ」「アベ返れ」コールが聞こえる中での、総理大臣挨拶であったようだ。感動のない、歓迎されざる「棒読みの式辞」。だが、首相も衆院議長も、この式典には出席せざるを得ないのだ。
その首相の挨拶は、朝鮮半島での新たな情勢の展開についても、国連で採択された核兵器禁止条約についても、一切触れるところがなかった。式典後行われた広島被爆者7団体との面談の席でも、被爆者側の「核兵器禁止条約批准要望」を「条約とは考え方、アプローチを異にしている。参加しない考えに変わりない」と不参加を明言した。
この席で広島県被団協の坪井直理事長は「原爆は人間の悪知恵が作ったもの。われわれが核兵器をなくすような力を発揮しなきゃいけない」と訴え、首相は「(核兵器廃絶という)ゴールは共有しているが、核保有国の参加が必要だ。橋渡し役を通じ、国際社会をリードしたい」と述べたている。
首相の言葉は白々しい。核廃絶というゴールに向けての姿勢が見えないではないか。「橋渡し役」という言葉が空しい。非核保有国でありながら、核保有国の走狗になっているとしか感じられない。言い募れば、詭弁にしか聞こえない。戦争法案審議以来からモリ・カケ問題での国会答弁を通じて、この人の言うことには真実味が欠けるという確信が形成されている。端的に言えばこの人は「嘘つき」と思われてしかるべきなのだ。不徳の致すところというほかはない。
(2018年8月6日)
思想・良心・信仰の自由に関するわが党の政策について
2018年8月4日 自由民主党
わが党の「思想・良心・信仰の自由」に関する政策については、党内特命委員会において議論されて、「思想・良心・信仰の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」が取りまとめられ、2016年7月の参議院選挙及び17年の衆議院総選挙の公約に明記されたところです。わが党は、公約に掲げたように思想・良心・信仰の多様性を受容する社会の実現を目指し、思想・良心・信仰の自由に関する正しい理解の増進を目的とした議員立法の制定に取り組んでいます。
先月(7月)19日の、都立校教員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明の強制を当然とするがごとき最高裁(第1小法廷)判決は、最高裁裁判官らの判断とは言え、この重大な問題への理解不足と教育現場における関係者への配慮を欠いた望ましからぬ判決であることは否めず、最高裁には、わが党の基本方針と相容れぬものであることを指摘するとともに、「自由」と「民主主義」擁護の立場から、厳重な抗議を申しあげたところです。
わが党は、今後とも思想・良心・信仰の自由という課題について、わが国が批准済みの「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(国際人権B規約・第18条)、「子どもの権利条約」(第14条)や各国の法制度等を調査研究しつつ、真摯かつ慎重に議論を進め、議員立法の制定を目指していく所存です。
皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
目を白黒してはいけない。当然にパロディである。自民党がこんなことを言うはずはない。しかし、下記の元ネタはパロディではない。自民党ホームページからの、コピペである。
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LGBTに関するわが党の政策について
2018年8月1日 自由民主党
わが党のLGBTに関する政策については、「性的指向・性自認に関する特命委員会」において議論され、平成28年5月、「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」が取りまとめられ、同年7月の参議院選挙及び昨年の衆議院総選挙の公約に明記されたところです。わが党は、公約に掲げたように性的な多様性を受容する社会の実現を目指し、性的指向・性自認に関する正しい理解の増進を目的とした議員立法の制定に取り組んでいます。
今回の杉田水脈議員の寄稿文に関しては、個人的な意見とは言え、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するよう指導したところです。
わが党は、今後ともこの課題について、各国の法制度等を調査研究しつつ、真摯かつ慎重に議論を進め、議員立法の制定を目指していく所存です。
?皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
このLGBTに関する自民党の政策は、これまで話題にならなかった。必ずしも、他党との対決政策となっていなかったからである。野党の政策を追いかけて、遅ればせながら自民党もこの水準にまでは到達したということなのだ。しかし、自民党は同性婚を認めないなど、保守的要素を残している。
なお、この自民党公式コメントの日付が西暦表示となっているのは、私が手直ししたものではない。今どき、自民党と言えども元号表示は不自然なのだ。しかも、煩わしい。来年以後、この煩わしさは倍化する。できるだけすみやかに、西暦表示一本に統一すべきが、ビジネスに限らず、すべての事務作業の合理性追求の方向である。
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それにしても、何の躊躇もなく、「子どもをつくらない性的少数者(LGBT)は『生産性』がない」とする文章をものした杉田水脈。LGBTに関する自民党の政策を知っていただろうか。知らずに、自民党の議員として、あるいはアベ子飼いの議員として確信に基づいての作文であったろう。仮に知っていたとしても、自民党の政策とは表向きと本音とがあり、LGBT差別こそが自民党の本音と思い込んでいたのだろう。
何しろ、あれ程頑固に、選択的夫婦別姓に反対を貫いているのが、自民党である。その保守的論理がLGBTに寛容であるとは考えにくい。
たとえば、2010年総選挙時の自民党選挙公約は、こう言っている。「民主党の夫婦別姓法案に反対 夫婦別姓を選択すれば、必ず子どもは両親のどちらかと違う『親子別姓』となります。わが党は、民主党の夫婦別姓制度導入法案に反対し、日本の家族の絆を守ります。」
「日本の家族の絆を守ります。」は、まさしく、杉田水脈の発言にふさわしく、LGBTへの寛容とは相容れないではないか。
それでも、LGBT差別に関して、当事者や広範な市民による党本部への抗議の行動が盛り上がると、自民党も、「今回の杉田水脈議員の寄稿文に関しては、個人的な意見とは言え、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するよう指導したところです。」と言わざるを得なくなる。
報道では、「自民党は当初、『寄稿文は議員個人としてのもの』と静観する構えだった。しかし、7月27日に党本部前で大規模な抗議集会が開かれ、今週末にも各地で抗議活動が予定されるなか、党の責任を問う声が高まり、釈明に追い込まれた。」とされている。アベの責任追及にまで抗議の声が大きくなりそうなので、言い訳したと言うことなのだ。「これから丁寧に説明します」というあの手口。
この抗議の声を上げたのは、LGBT差別に苦しむ当事者だけではない。当事者を中心に、あらゆる差別を解消しようとする人々、多様性受容する社会を望む人々が、立ち上がっている。人種・民族・出自・宗教・障害の有無・家族構成・経済格差…等々による差別。その差別の一態様として、長い間一貫して行われている、思想・良心・信仰による差別を忘れてはならない。
中でも、国旗国歌に対する敬意表明の強制は、現代の踏み絵である。どうしても、従えない人がいるのだ。思想・良心・信仰ゆえに、この強制を受け容れがたい人を容赦なく攻撃しているのが、自民党である。
近い日に、自民党が今の姿勢を悔い改めて冒頭に掲げた声明を発表し、真に「自由」で「民主」的な政党に衣替えする日の来たらんことを切望する。
(2018年8月4日)