一昨日の土曜日(11月28日)に、明治大学の集会で西川伸一さん(政治学・明大政経学部教授)のレポートを聞いた。レポートというよりはレクチャーを受けた印象。「『安保法制=戦争法』の採決は正当に行われたのか? メディア報道の在り方を問う」というタイトル。これが滅法面白かった。これに続いて、私も「採決の不存在」について法的視点からのレポートをしたのだが、こちらは面白い報告とはならなくて残念。
西川さんのレポートは、事実にまつわる「記憶」と「記録」の関係についてのもの。民主主義社会における討議の前提となる事実は、「記録」によって確認するしかない。正確な「記録」こそが民主主義成立の前提として重要であることを公文書管理法などを引用して強調し、最後は「記憶に頼るな、記録に残せ」という野村克也(生涯一捕手)の言葉で締めくくられた。
その重要な「記録」が、今回の戦争法案審議ではいかに杜撰な扱いをされたか。参議院規則に照らしていかに大きな違反をし、ねじ曲げられたか。具体的で興味深いレクチャーとなった。
最も印象的だったのは、記録の改ざんをジョージ・オーウェル「1984年」の次の一文を引いて批判したこと。
「すべての記録が同じ作り話を記すことになればーーその嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。党のスローガンはいう。『過去をコントロールするものは、未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする』と」
西川さんのレクチャーの導入は、「1984年」の「真理省」のスローガンの紹介から。記憶を正確に記録しようとしない安倍政権とその膝下の議会とを「真理省的状況」と憂いてのことである。
「真理省」のスローガンを想い起こそう(高橋和久訳)。
戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり
この3つのスローガンの解釈はいく通りにも可能だろう。
全体主義が完成した社会における支配者にとっては、矛盾した命題を何の疑問を提示することなく、素直に受容する国民の精神構造こそが不可欠なのだ。このスローガンは、そのような国民意識の操作道具として読むことができるだろう。その点では、旧天皇制政府やナチスのスローガンと酷似している。
もう少し、意味のあるものとしても理解できそうだ。
「戦争は平和なり」とは、あまりにも長く継続する戦争を国民に納得させるためのスローガンと読むことができる。「戦争に慣れよ。慣れ切ってしまえば、これが正常な事態で、平和と変わらない平穏な状態なのだ。戦争継続のこの状態こそを日常であり平和であると受容せよ」という思考回路の押しつけ。
「自由は隷従なり」も同様。国民が権力に抵抗するから弾圧を受けて自由でないと感じることになるのだ。国民が自由でありたいと願うなら、権力に自発的に隷従する精神を形成すればよい。そうすれば、隷従することこそ自由であって、自由は隷従となる。
「無知は力なり」は分かり易い。なまじ国民個人が知をもてば、主体を確立した個人が形成される。そうすれば、権力を批判することにもなる。それは国家の力を弱めることにほかならない。国家が欲するものは無条件に絶対服従する国民であって、それこそがつよい国家形成の礎なのだ。
一般論を離れて、この3本のスローガン。まさしく、非立憲・反知性アベ政権のスローガンそのものではないか。
「戦争は平和なり」とは、アベ政権の積極的平和主義のことである。
消極的に平和を望むことでは平和は実現できない。平和の実現のためには武力による抑止力が必要であり、その武力は想定される敵国を制圧するに足りる強力なものでなくては役立たない。しかも、抑止力としての武力は保持しているだけでは不十分。武力による威嚇も武力の行使も辞さない姿勢あって初めて平和のための抑止力となる。いや、戦争を辞さない覚悟があって、初めて平和が実現する。だから、我が国は平和の実現のための戦争をいとわない。戦争こそ平和のためのために必要なのだ。これが、積極的平和主義の真骨頂。
「自由は隷従なり」における自由の一は、権力からの自由。自由の要諦は徹底して権力に隷従することである。「日の丸・君が代」を内心において受容せよ。さすれば、その内心に従って起立し斉唱する自由が認められているではないか。なまじ権力に抵抗する精神をもつものだから、沖縄県や名護市やその支援者の如く、自由ではいられないのだ。仮にの話しだが、「久辺三区」が隷従すれば、ムチではなくアメにありつく自由を獲得することになるのだ。
もう一つの自由は、資本からの自由。企業には世界一の経営環境を確保するのが、政権の方針。実質的に企業の側には、解雇の自由も、雇い止めの自由も、サービス残業を命じる自由も保障する。ひるがえって、労働者の権利は可及的に切り捨てる。労働者の人間性の確保や労働条件の改善などを求める自由は、企業に隷従する者についてだけ、隷従の範囲において認められる。
そして、何よりも「無知は力なり」である。現政権・与党の開き直った反知性主義を象徴するスローガン。無知蒙昧で自主性自立性を欠いた操縦しやすい国民の育成こそが政権の大方針。「国民の無知」が政権の支えであり「国家の力」の源泉なのだ。このアベ政権の大方針は、教育政策とメディア政策に反映している。
小学校から大学まで、自分の頭で批判的にものを考えようとしない国民をどう作り上げるか。これが教育政策の根幹である。政府批判の世論を押さえ込む報道の姿勢をどう作り上げるか、これがメデイア政策の根幹である。教育基本法の改悪から、教育委員会制度改悪、大学の自治への介入、教科書採択介入や道徳教育の強行まで、教育政策全般が「無知は力なり」の大原則に則って進められている。そして、メディア対策の基本は、特定秘密保護法の制定とNHKの政権支配とによく表れている。
そのアベ政権の支持率が今、持ち直しているという。「無知は力なり」「自由は隷従なり」を支える国民が一定程度存在する現実があるのだ。無念の気持で、ジョージ・オーエルの慧眼と警鐘にあらためて敬意を表しなければならない。嗚呼。
(2015年11月30日・連続第974回)
「札付き」という言葉がある。「折り紙付き」の「折り紙」とはちがう、よからぬ「札」が付いている連中のこと。その札付き連中が、TBSの看板番組『NEWS 23』でアンカーを務めている岸井成格を攻撃している。これは看過できない。この攻撃を成功させてはならない。
私は本日の赤旗「潮流」で初めて知った。11月14日産経と翌15日読売に、「私達は、違法な報道を見逃しません」と題した異様な全面意見広告が掲載されている。岸井成格を攻撃して、その報道姿勢を変えようというのだ。その攻撃の理由が、「番組で岸井氏が『メディアは安保法案の廃案に向けて声を上げ続けるべきだ』と発言したのは、放送法4条『政治的公平』に違反すると言うのです」。この真っ当な発言が攻撃対象とされているとは穏やかでない。戦戦争法廃止運動をつぶそうという動きの一環だ。舞台は国会の場から、平和と戦争をテーマとしたメディアの自由をめぐる論争に移された。
この異様な広告の「広告主は“視聴者の会”なる団体。呼びかけ人として7人が名を連ねています。いずれも安倍首相の応援団を自負する面々です。あの手この手でメディア支配をねらう政権。今回の広告は視聴者を装い個別番組と一放送人を標的にしています。異常です」
この7人とは、以下のとおり。
すぎやまこういち/代表(作曲家)
渡部昇一(上智大学名誉教授)
渡辺利夫(拓殖大学総長)
鍵山秀三郎(株式会社イエローハット創業者)
ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士・タレント)
上念司(経済評論家)
小川榮太郎(文芸評論家)
この7人に付いているのは、「極右」という札だけではなく、「安倍応援団」という札だ。代表となっている、すぎやまこういち(作曲家)とは、安倍晋三の政治団体である晋和会に毎年150万円の法が許容する最高額を寄附し続けている人物。安倍晋三に、「我々日本人が直面している難局を乗り切るリーダーは安倍晋三氏しか考えられません。私達の子孫にこの素晴らしい日本国をしっかりと残して行く責任は重大です。音楽家のひとりとしても、氏の“美しい国を目指す”という宣言にも感動しております」とエールを送ってもいる。
この「安倍応援団」の札付きが、あからさまに「メデイアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という岸井の発言を攻撃のターゲットに定めている。ここが問題の核心だ。
政権と与党には目の上のコブの反戦争法(案)運動の盛り上がり。できることなら、これを弾圧し制圧したいところだが、民衆の反作用も恐ろしい。官邸や自民党が前面には出にくいところ。そこで、官邸主導で使いっ走りを集めたか、パシリの方からその役目を買って出たか、あるいはアウンの呼吸でのことであったか、その辺は定かでない。定かではないものの、官邸の言いたいこと、やりたいことを、この札付き連中が代わってやっているのだ。権力に奉仕の重宝なパシリたち。
いま、TBSという有力な電波メディアの表現の自由が攻撃を受けている。攻撃の尖兵になっているのは社会的勢力としての右翼だが、その背後には明らかにアベ政権の存在がある。さらに重大なことは、攻撃の対象とされているものが、けっしてTBS一社ではなく、我が国の表現の自由そのものであることだ。平和・戦争・安全保障・立憲主義等々のシビアなテーマにおいて、時の政権に批判の立場の言論は許さない、というシグナルが送られているのだ。事態は深刻である。
表現の自由とは、何よりも権力に対峙するものとしてその存在が保障されなければならない。権力を賛美し同調し、あるいは迎合する表現や言論に権力による制約はあり得ない。だからその自由や権利性を論じる意味はない。意味があるのは権力を批判し、権力を攻撃することによって、権力から憎まれる表現についての自由や権利だけである。
すぎやまこういち以下「権力の手先7人衆」が求めているものは、偏向のレッテルを貼り付けることでの、政権批判の自重・自制・自粛にほかならない。この攻撃に屈して、TBSに萎縮があってはならない。そのようなことがないように、全メディアが、いま、こぞって岸井成格とTBSを擁護し支援しなければならない。むしろ、局・各メディアが、より政権批判を強めることで、「権力の手先7人衆」とその背後の政権の意図を挫かなければならない。
読売と産経も同様だ。広告料収入に頬を緩めて傍観していたのでは、明日は我が身のこととなりかねないのだから。
(2015年11月29日・連続第973回)
昨日(11月15日)が、自由民主党の誕生日。1955年11月15日、自由党と民主党が保守合同して、自民党が誕生した。以来60年、自民党は還暦を迎えた。自民党とて、議会制民主主義を是とする政党である。悪役ではあるが、民主主義社会の主要なアクターの一つ。小選挙区制実施以後、とりわけ安倍総裁時代の最近は、すこぶる姿勢がよくないが、必ずしも以前からこうだったわけではない。還暦とは、干支が一巡りして元に戻るということ。安倍自民党を脱皮して。60年前の初心に戻ってもらいたいと思う。
昨日(11月15日)の中央各紙のうち、毎日、読売、東京の3紙が社説で自民党を論じていた。毎日と、東京の社説は読み応え十分。読売は、歯ごたえがないスカスカの社説。東京社説の一節を引用しておきたい。
「昨年の衆院選で全有権者数に占める自民党の得票数、いわゆる絶対得票率は小選挙区で24%、比例代表では17%にすぎない。投票率低下があるにせよ、全有権者の2割程度の支持では、幅広く支持を集める国民政党とは言い難い。
自民党が安倍政権下での重圧感から脱するには、立党の原点に返る必要がある。党内の多様性を尊重し、よりよい政策決定に向けて衆知を集める。国民の間に存する多様な意見に謙虚に耳を傾ける。それこそが自民党が国民政党として再生するための王道である。」
ところで、60年前の結党時に採択されたいくつかの文書の中に、初心を示す「党の性格」がある。その6項目の自己規定が興味を惹く。結党時のありようと、60年後の現実とを対比してみよう。(一?六が結党時の「党の性格」、1?6が澤藤の見た現状)
一、わが党は、国民政党である
わが党は、特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではなく、信義と同胞愛に立って、国民全般の利益と幸福のために奉仕し、国民大衆とともに民族の繁栄をもたらそうとする政党である。
1. わが党は大企業本位政党である。
わが党は、国際的グローバル資本と、金融・製造・流通の国内大企業との利益を代表し、その他の階級・階層にはトリクルダウン効果を期待せしめる政党である。すべての部門で市場原理を貫徹し、農林水産業は積極的に切り捨てる。このことこそが、国民全般の利益と幸福のために奉仕する所以であり、民族の繁栄をもたらすものと確信する。なお、我が党の政策には、「三本の矢」「新三本の矢」「一億総活躍」など、検証不可能な曖昧模糊たるスローガンを並べ、国民の目を眩ます努力を惜しまない。
二、わが党は、平和主義政党である
わが党は、国際連合憲章の精神に則り、国民の熱願である世界の平和と正義の確保及び人類の進歩発展に最善の努力を傾けようとする政党である。
2. わが党は、抑止力至上主義政党である
わが党は、近隣諸国との信頼関係の構築という生温い手段ではなく、戦争辞せずの覚悟をもって抑止力の整備に全力を尽くすことで国民の安全をはかる。アメリカの核の傘のもと軍備を整え、集団的自衛権行使を容認して、積極的平和主義の名による武力の行使を躊躇しない方針を堅持する。
三、わが党は、真の民主主義政党である
わが党は、個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する。
3. わが党は、非立憲主義政党である
わが党は、立憲主義を排撃する。内閣の意によって何時にても憲法解釈を自由に変更することを認める。何となれば、政権こそが直近の民意を反映するものだからであり、その民意の反映を活かすことこそが民主主義だからである。
経済活動の自由こそが国民の豊さの根源であることから、人類進歩の原動力たる経済活動の自由を神聖なものとして、これを掣肘する労働運動や共産主義、社会主義勢力を強く排撃する。
四、わが党は、議会主義政党である
わが党は、主権者たる国民の自由な意思の表明による議会政治を身をもって堅持し発展せしめ、反対党の存在を否定して一国一党の永久政治体制を目ざす極左、極右の全体主義と対決する。
4. わが党は、小選挙区制依存主義政党である
わが党は、民意を正確に議席に反映しない小選挙区制のマジックに依存して政権を維持していることを深く自覚し、小選挙区制を奉戴してその改正を許さない。また、小選挙区制こそが党内を統制して政権の求心力を高める唯一の制度的源泉である。これを最有効に活用して党内反対勢力を一掃し、現執行部の永久支配体制を目ざすものである。そのような多様性排除のプロセスを経て、わが党は、既に極右の全体主義政党になりつつある。
五、わが党は、進歩的政党である。
わが党は、闘争や破壊を事とする政治理念を排し、協同と建設の精神に基づき、正しい伝統と秩序はこれを保持しつつ常に時代の要求に即応して前進し、現状を改革して悪を除去するに積極的な進歩的政党である。
5. わが党は、小児的精神年齢政党である。
わが党は、「ニッキョウソどうすんだ!ニッキョウソ」「早く質問しろよ」などと、答弁席から野次を飛ばす総理を総裁と仰ぐ、小児的精神年齢政党である。ナチスの手口を学びつつ、右翼的ファシズムの伝統と政治資金タカリの構造はこれを保持し、常にアメリカと財界の要求に即応して前進する。農家・漁民・小規模商店・中小零細企業、福祉・教育・文化などの、非効率不採算部門を除去するに積極的な進歩的政党である。
六、わが党は、福祉国家の実現をはかる政党である
わが党は、土地及び生産手段の国有国営と官僚統制を主体とする社会主義経済を否定するとともに、独占資本主義をも排し、自由企業の基本として、個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用と福祉国家の実現をはかる。
6. わが党は、福祉国家理念を放擲した新自由主義政党である
わが党は、新自由企業と新保守主義の担い手であることを宣言して、企業活動の完全な自由を擁護することを宣言する。福祉国家理念とは、怠け者再生産主義でしかないことが、この60年で明瞭になった。徹底した競争こそが進歩と豊かさの原動力である。競争には敗者がつきもので、勝者と敗者のコントラストの強調こそがよりよい社会を作る。そのゆえ、社会保障政策や完全雇用、さらには福祉国家などの時代遅れの理念や政策は敢然とこれを放棄し、労働者は非正規をもって旨とする。
(2015年11月16日・連続第961回)
恐るべし。日本中を「偏向攻撃」という名の怪獣が徘徊している。虎視眈々とあらゆる言論を視野に狙いを定め、猛然と襲いかかっては噛みついて餌食とする。この怪獣は常に、右から左へ一方向だけに突進するのだ。
真に恐るべきは、この怪獣の毒液がもたらす萎縮効果である。噛みつかれるかもしれないと怯える惰弱な精神が、攻撃されてもいないのに過剰に反応して政権批判を自粛する。このような言論の自己規制が怪獣をのさばらせ太らせることになる。
この怪獣を直接に操っているのは知性なき付和雷同の輩であるが、これを生み、育て、陰の司令塔となっているのは、明らかに現政権とその一味である。この怪獣は、政権の後ろ盾でぬくぬくと育って、政権の意向を忖度しつつ成長し、政権の望むように攻撃目標を設定している。
かつてこの怪獣は漫画「はだしのゲン」を攻撃し、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句にまで噛みついた。また、放送大学も立教大学も、噛みつかれる以前に萎縮し自主規制して、闘わずしてこの怪獣の餌食となった。
そして本日(11月14日)の毎日新聞に、「ジュンク堂:民主主義フェア、選書を入れ替え再開」の記事。同書店が9月下旬からはじめた「自由と民主主義のための必読書50」というブックフェアが「偏向」の攻撃で10月下旬に中断され、企画の書棚撤去が話題となっていた。このフェアが、形を変えて再開されたというニュース、なのだが…。
「大手書店『MARUZEN&ジュンク堂書店』渋谷店は13日、先月から中断していたフェア『自由と民主主義のための必読書50』を『今、民主主義について考える49冊』に改めて再開した。店員の書き込みをきっかけに、インターネット上で『偏向している』と批判されたのを受けた措置。中断前から約3分の2の本を入れ替え、『誤解される余地のないようにした』と説明している。
フェアは安全保障関連法成立後の9月下旬に始まり、10月末まで実施する予定だった。しかし、10月中旬に店員がツイッターで『ジュンク堂渋谷店非公式』と題して『年明けからは選挙キャンペーンをやります!夏の参院選まではうちも闘うと決めましたので!』『一緒に闘ってください』と書き込んだところ、ネット上に『書店が特定の思想・信条を支持するのはどうなのか』といった投稿を含め、反対、賛成両論があふれた。渋谷店は10月21日に棚を撤去し、書店のホームページで『本来のフェアタイトルの趣旨にそぐわない選書内容だった』とコメントしていた。
再開したフェアは、安保法反対の活動をした学生団体SEALDsと高橋源一郎さんの共著や、五野井郁夫・高千穂大准教授の本を引き続き選んだが、小熊英二・慶応大教授、中野晃一・上智大教授、映画監督の想田和弘さんらの本を外した。
一方、長谷川三千子・埼玉大名誉教授、佐伯啓思・京都大名誉教授ら保守派の論客や、ジャーナリストの池上彰さんの本を加えた。SEALDsの本は最下段に陳列した。
入れ替えについて広報担当者は『個別の本が良いとか悪いとかではなく、フェアタイトルに合っているかを考えた』と話した。フェアは来月12日まで。今回フェアから外した本も多くは店内で陳列している。」
恐るべき「偏向攻撃」の毒牙は、私企業に過ぎない書店のブックフェアにまで及んでいるのだ。「自由と民主主義のための必読書50」を「今、民主主義について考える49冊」に変えた。「3分の2の本を入れ替え」、「誤解される余地のないようにした」というのだ。小熊英二・中野晃一・想田和弘を消した。そして、「民主主義を考える」コーナーに、なんとも不似合いな長谷川三千子・佐伯啓思を並べたのだ。ついでに、安全パイとして池上彰を右翼の長谷川・佐伯と同列の光栄に浴せしめた。さらに、「SEALDsの本は最下段に」なのだ。
結局のところは、現体制や現政権に不都合な言論は除かれ、政権のお友だち言論に差し替えられただけなのだ。「自由と民主主義のため」が、偏向していると攻撃を受ける時代であることを深刻に受け止めざるを得ない。この「偏向攻撃」という名の怪獣をのさばらせておいては、あたり一面死屍累々たる政権批判言論の墓場となりかねない。そして、この恐るべき怪獣が、政権批判の言論を食い散らかしたそのあとには、茶色の朝がまっているのだ。
(2015年11月14日・連続第959回)
霊長類ヒト科ヒトの舌は1枚であって、2枚はない。ところが、永田町類保守科自民党には、二枚の舌がある。いや、もしかしたら3枚も4枚もあるのかも知れない。
舌の枚数問題は、臨時国会の開催をめぐる論争において生じている。去る10月21日、民主、維新、共産、社民、生活の野党5党が、憲法53条にもとづいて、臨時国会召集を要求する手続きを衆参両院で行った。あれから、既に20日を経過した。しかし、政府・与党に、臨時国会を開催しようという意欲はまったく見られない。憲法に規定されている内閣の義務だから「ノー」と明確には言えない。「時期の定めがないから」と、のらりくらり「日程調整中」を決めこんでの20日間。自民党と政権の思惑は、「国会開催しても、なんの得にもならない。『3本の矢』どころではなく、無数の槍衾の餌食になりかねない。それなら、36計逃ぐるに如かず」というところ。
朝日新聞が痺れを切らして、本日(11月12日)の社説に「国会召集要求 逃げ切りは許されない」と書いた。「逃げ切り許さず」は言い得て妙。明らかに自民党は逃げまくっている。今のままなら、逃げたことによる世論の風当たりを甘受しても、逃げ切った方が得だ。国会を開いて野党の追及を受けてつく傷よりも、浅い傷で済む。そう、読んでいるわけだ。
昨日の毎日新聞社説は、「閉会中の予算委 たった2日の論戦では」と標題し、「2日間で「野党のガスを抜いた」とばかりに済ませるわけにはいかない。TPP、沖縄基地問題など議論を急ぐべき課題は多い。国会召集に政府が応じざるを得なくなるような活発な提言を野党にも求めたい。」と述べている。
私が20日間にこだわるのは、自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日)の53条改正案に「20日以内の招集」と期限が明記されているからだ。
改めて、現行53条と、自民党草案を比較してみよう。
《日本国憲法》
第53条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。
《自民党改憲草案》
第53条 内閣は、臨時国会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があったときは、要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない。
この改憲案の公式解説である「Q&A」は、次のとおりに述べている。
「53条は、臨時国会についての規定です。現行憲法では、いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣はその召集を決定しなければならないことになっていますが、臨時国会の召集期限については規定がなかったので、今回の草案では、『要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない』と、規定しました。
党内議論の中では、『少数会派の乱用が心配ではないか』との意見もありましたが、『臨時国会の召集要求権を少数者の権利として定めた以上、きちんと召集されるのは当然である』という意見が、大勢でした。」
とある。
「臨時国会の召集要求権を少数者の権利として定めた以上、きちんと召集されるのは当然」「だから、野党の請求があれば、20日以内に臨時国会を召集する」。全体としては、メチャメチャに評判の悪い改憲愚案だが、ここだけは立派な見識ではないか。ところが、これは自民党の「1枚目の舌」に過ぎないのだ。
2枚目の舌が、安倍晋三のいう、「外交日程、予算の策定、税制についての議論を勘案しつつ、様々な検討を行っている」としゃべる舌。様々な検討を行っているうちに、既に20日は過ぎた。なんとか逃げ切れそうだというもの。
残念だったね自民党。やせ我慢で、自ら提案の20日ルールを遵守していれば、世の中から見直されたのに。やっぱり、自民党は自民党、安倍は安倍。自民党感じ悪いよねー。
立派な舌を看板に、看板に偽りありの二枚目の舌。こんな使い分けをしているうちは、自民党さん、あなたの言うこと、到底信用できません。
(2015年11月12日・連続第957回)
11月3日、憲法公布記念日である。「憲法大嫌い政権」と、「憲法守れと声を上げる民衆」とのせめぎ合いが続く中での憲法公布69周年。民主主義の世に、どうしてこんなぶざまな政権が存在しうるのか。つくづく思う。民主主義って何だ? 答えは出て来ない。
せめては「アベ政治を許さない」のポスターを掲げよう。下記のURLからダウンロードしたA4のポスターをクリアケースに入れて、午後1時本郷三丁目の駅頭に立った。
https://sites.google.com/site/hisaesawachi/test/sho_f.pdf?attredirects=0
妻と二人だけ、両手に各一枚。横断幕もビラの配布もマイクもない。ひたすら、人間掲示板として30分。休日のこととて人通りは少なかった。
さて11月3日、文化の日。これを「明治の日」にという右翼の動きがある。戦前は明治節。明治期には天長節だった。昔も今も、天皇制に絡めとられた日本を考えさせられる日である。
この日に、秋の叙勲なるものが発表される。毎年、春と秋とに各4000人にも授章がある。昔は、勲一等などの等級がつけられていた。特級酒・一級酒・二級酒、あるいは寿司を注文する際の松・竹・梅のあの感覚。下級の勲章は、「くんぱち」とか「くんろく」と呼ばれたようだ。今は、大・中・小だ。小綬章以下は都道府県で、中綬章は東京プリンスホテル「鳳凰の間」で伝達式が行われる。大綬章等勲章親授式は皇居で行われるという。
公的に、天皇の名によって人間を差別し格付ける愚かな制度。こんなものを欲しがる者がおり、もらって嬉しがる者がいて、制度がなり立っている。
驚いたことに、あのアーミテージが受賞者の一人となっている。よく見るとラムズフェルド(元国防長官)もだ。戦後の保守政権と天皇が、東京大空襲で10万人の住民を焼き殺した張本人、カーチス・ル・メイに勲一等旭日大綬章を授与したことを思い出す。彼らも、勲章もらうと嬉しいのだろうか。
ご存じ、芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中の「小児」と題する一節。
「軍人は小児に近いものである。…軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなったものではない。勲章もーわたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」
まったく同感。芥川の時代から90年、敗戦をはさんで日本人はさして変わっていない。なぜ、毎年8000人もの人が、酒にも酔わずに、恥ずかしげもなく、勲章を押し戴いているのだろうか?
国家が国民を束ねる基本手段は、ムチとアメと、そしてダマシの3種である。私には、勲章がアメにもダマシにもなることが不思議でならない。
30代半ばの頃、私は岩手弁護士会の若手だった。全会員30人余の小会だったが、何度か長老弁護士に叙勲の機会があった。弁護士会長経験者は勲四等、東北弁連会長だと三等、日弁連会長やれば二等と相場は決まっていた。小単位会では、誰もが回り持ちで会長を務める。誰もが最低勲四等受賞資格者にはなるわけだ。もちろん、「在野を誇りとする弁護士に勲章はふさわしくない」という尊敬すべき辞退者は少なくなかった。が、尊敬すべからざる受勲者もあった。
受勲者があると弁護士会が祝賀会を催した。私は、たった一度だけだが、その祝賀会に出席したことがある。若気の至り。何度か経験した大きな禍根のひとつ。その時の受勲者は、榊原孝さんという長老だった。親しくはしていたが、戦前道場を開いて若者に臣民の道を説いていたという伝説のある方。岩手靖国訴訟では、被告代理人席に着座していた。当時の岩手弁護士会長は、後に社会党から代議士になった山中邦紀さんだった。弁護士には珍しい教養人。その山中さんが、私を説得した。「澤藤さん、ここは弁護士会の和を大切にしましょうよ」「勲章を天皇からもらうと思えば角も立つでしょうが、天皇は国民の象徴なのだから、国民からの表彰と思えばよろしいのでは」。
山中さんへの義理立てで心ならずも出席したその席に、勲何等かの叙勲の位記が恭しく飾られていた。御名御璽なるものを、このときはじめてつくづくと眺めた。主賓の榊原さんが、声涙下るスピーチをされた。
「私ごとき者に、陛下から過分の思し召しをいただき感激に耐えません」という趣旨で、私はこんな席に出たことを激しく後悔し、恥ずかしいと思った。以後二度と、「叙勲おめでとう」などと間違ったことを口にしたことはない。
先日、大学(1・2年生時)の同期会で金沢に遊んだ。誰も何者でもなく、何の肩書もない時代に知り合って付き合った仲間たち。今また、ほとんどが肩書なく、何ものでもなくなって気が置けない付き合いを復活している。「このグループは貴重な存在だ。昔のままで恰好つけなくても付き合える」という一人の述懐のとおり、みんなチョボチョボ、今さら恰好をつけてもどうにもならない。
私も含めその仲間のほとんどが叙位叙勲なんぞとは無縁、無関係。ところがたった一人、参加者の中に、国立大学名誉教授という「立派な肩書」をもつ者がいる。何のきっかけか、勲章の話しになった。誰かが、「おまえ、まだ勲章もらわないのか」と興味深そうに問いかけたら、名誉教授君はさらりと答えた。
「アンケートみたいな問合せがくるんだよ。勲章もらいますか、もらいませんかっていうような。ボクは、そんなのに興味ないから、もらいませんって回答したんだ。それだけのこと」
私は常々天皇制を罵倒し天皇制に無批判な世相を嘆いている。が、名誉教授君はそうではない。「どうしてそんなにムキになれるんだよ」と冷ややかなのだ。それでも、「勲章に興味なんてない」とサラリと言ってのけるさわやかさに感動を覚えた。やっぱり、昔の仲間はよい。いや、よい仲間に恵まれたというべきなのだろう。
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「NHK包囲行動」第2弾が11月7日(土)実施されます!
NHK包囲行動『アベチャンネル』はゴメンだ! にご参加ください
日時: 2015年11月7日(土)
PM 1:30?2:45 集会:NHK(渋谷)西門前でリレートーク
PM 2:45?3:15 宮下公園北側へ移動
PM 3:15?3:30 デモコースの説明・諸注意、コールの練習
PM 3:30?4:00 宮下公園北側からデモスタート、神宮通公園ゴール
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告知チラシPDFダウンロード
表→http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/20151107/a117omotehoi.pdf
裏→http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/20151107/a117urahoi.pdf
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カンパのお願い :『アベチャンネル』はゴメンだ!NHK包囲行動第2弾
前回の8.25行動ではみなさまの多大なご支援をいただきました。今回の11.7行動はその時のカンパの残金で進めてまいりましたが、前回に比べ
(1) 今回は”西門前”だけでのリレートーク、コールなのでかなり細長い集団になります。そのため端の人にまでトークが聞こえるように音響効果をうまく考えなければならず、機材、調整技術等に費用がかかる。
(2) デモに必要な車、機材、プラカード等の費用など
のため、大幅な赤字になってしまいました。
そのため大変恐れ入りますがまたまたカンパのお願いをしなければならない状況です。よろしくお願い申し上げます。
2015.10.20 NHK包囲行動委員会
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下記口座へ振り込みをおねがいします。
(1)ゆうちょ総合口座番号 10420-21759161 名義「NHK包囲行動実行委員会」
これはゆうちょ口座から振り込むときの番号です。
(2)ゆうちょ以外の金融機関の口座からの振込む場合は口座番号が変わって
〇四八-048-2175916 名義「NHK包囲行動実行委員会」になります。
(〔店名〕〇四八 (ゼロヨンハチ)〔店番〕048 〔普通預金〕 〔口座番号〕2175916)
よろしくお願い致します。
(2015年11月3日・連続第947回)
昨日(10月25日)の宮城県議選で、「共産党 議席倍増」が大きな話題となっている。産経の見出しが、「共産が8議席に倍増し第2会派に 自民27議席 民主はわずか5議席」というもの。
共産党は、今回9人立候補して8人当選、前回議席の4を倍増させた。仙台市内の全5区で当選。最中心部の青葉区では、12600票を獲得して堂々のトップ当選だった。前回が同じ候補者で、9319票3位だったのだから、躍進と言ってよいだろう。
地元紙河北新報は次のように伝えている。
「自民は34人を公認。東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の処分場問題で揺れた加美選挙区は、5選を目指した現職が敗れた。9人を擁立した民主は青葉、宮城野、太白で現職が議席を確保。党分裂問題を抱える維新は気仙沼の現職1人にとどまり、仙台市内の2人は落選。公明は強固な組織戦で仙台市内の4議席を維持した。共産は仙台市内5選挙区全てで議席を獲得。石巻・牡鹿と塩釜の現職、大崎の新人も当選し、前回の4議席から8に躍進した。」
この選挙結果の原因は何か。毎日の報道が「共産、反安保票で躍進 反TPP、農協職員も歓迎」という見出し。これが常識的なところだろう。
「共産党が改選前の4議席から8議席と倍増させた25日の宮城県議選。自民党は前回選から1議席減の27議席と、単独過半数を割った。安全保障関連法成立や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)大筋合意後の初の都道府県議選で、共産党が幅広い批判票の受け皿となった。」「共産は…県内有数の稲作地を抱える大崎選挙区(定数4、大崎市)では、これまで自民候補を支援した旧鹿島台町長や元市議会議長らが新人の支持に回り、初議席を得た。」「大崎市の農協役員は『TPPは米どころの大崎から反対の声を上げなければいけないと思った』と歓迎。仙台市青葉区の無職男性(66)は『(共産党は)安保法反対で主張が一貫している』と話し、同党が提唱する野党連合にも期待する。」「自民候補に1票を投じた太白区の2児の母(32)は『投票率が低く、共産党が当選しやすくなっていると感じる。安保法が結果に影響したのでは』と話した。」
今、選挙で問われるべきテーマは数ある。まずは、何よりも戦争法に対する国民的な批判である。立憲主義・民主主義・平和主義の総体が問われている。これに次ぐ大きなテーマが原発。補償問題というだけでも再稼働問題というだけでもない。われわれの文明の危うさを象徴する大事件への対応が問題なのだ。さらに、産業や経済のあり方をめぐってのTPP交渉問題がある。安倍内閣の経済政策の行き詰まりと閣僚人事の身体検査問題もある。本来は、これらの諸問題が臨時国会で議論の対象となっていなければならない。ところが臨時国会は開かれない。国民には、やり場のない憤りが鬱積せざるを得ない。宮城県議選には、これが噴出したとみて間違いがない。マグマ溜まりの小爆発といったところ。
ところで、「民主、維新、共産、社民、生活の野党5党は21日、憲法規定に基づいて臨時国会召集を要求する手続きを衆参両院で行った。…『逃げていると言わざるを得ない。1カ月以内に召集しないなら、憲法無視の違憲内閣だ」。民主党の枝野幸男幹事長は21日、仙台市内で記者団にこう語り、政府・与党の姿勢を非難した。」
「憲法53条は、衆参いずれかの4分の1以上の議員から要求があれば、内閣は召集を決定しなければならないと規定しており、野党の要求はこの要件を満たしている。ただ、53条は召集の期限を定めておらず、事実上拘束力がない。昨年秋の臨時国会では、内閣改造で就任したばかりの小渕優子経済産業相、松島みどり法相(いずれも当時)が辞任に追い込まれており、同じ轍(てつ)は踏みたくないのが政権の本音だ。」(時事通信)と報道されている。
メデイアの言う、「53条は召集の期限を定めておらず、事実上拘束力がない。」との言い方には、誰しも納得しがたいだろう。憲法は、政権は憲法を遵守するとの当然の大前提でできている。期限の定めがあろうとなかろうと、誠実に憲法の定めには従わねばならない。もっとも、今回の安倍内閣のごとく、日本国憲法大嫌い(大日本帝国憲法大好き)で憲法無視のビリケン(非立憲)内閣が、憲法に従わないという態度を露わにした場合、憲法に従うよう強制が可能かはなかなかに難しい問題となる。
法は、その規範内容を実現する強制力を持つことによって、道徳や倫理あるいは政治的宣言等と区別される。しばしば、そのように説かれる。法の強制力として分かり易いのは、刑事法における刑罰権の執行や、民事法における強制執行など、公権力の実力作用による直接・間接の強制措置である。しかし、すべての法的規範に強制措置が伴っているわけではない。憲法に関しても、その規範を実現するためにいくつかの方策が予定されているが、そのすべてに実効性を担保する強制措置が用意されているわけではない。
憲法とは公権力を名宛て人として主権者が発した文書、その内容は公権力を規律する規範である。公権力の行使の規制に関し、その実効性確保に関する中心的な制度が、裁判所による違憲審査制である。憲法81条が、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定めるとおりである。
しかし、三権分立のバランスのとりかたの理解には微妙なものがあり、公権力のすべての違憲行為に訴訟が可能というわけではない。違憲を根拠に提訴可能なのは、公権力の違憲な行使によって国民の人権が侵害された場合に限るという制度運用が定着している。歯がゆいかも知れないが、裁判所にすべてをお任せというわけにはいかない。主権者たる国民が公権力を監視し、批判し、安倍政権のごとき憲法違反の政権には、国民自身が退場命令を出さねばならないのだ。
野党の要請に対して安倍内閣が臨時国会を召集しないことは、明白な憲法53条違反である。しかし、この違憲行為が国民の権利侵害をもたらすとはなかなかに難しく、従って訴訟でこの政府の違憲行為を是正することはきわめて困難というほかはない。
むしろ、このような憲法を守ろうとしない安倍政権への国民こぞっての批判の方が重要なのだ。私は、宮城県議選の結果は、安倍内閣の憲法軽視の姿勢に対する国民の側からの批判の意思表示とみるべきだと思う。なにせ、安倍政権への批判のバロメータは、何よりも共産党票と共産党議席の伸び如何にあるのだから。
宮城県民に続いて、安倍ビリケン(非立憲)内閣を、徹底して批判しよう。次は来年7月の参院選だ。安倍のビリケン度を、参院選の票と議席に反映させようではないか。
なお、戦争法案審議の最終盤、参院安保特別委員会での採決不存在の議事録改ざん問題に抗議し、経緯の検証と撤回を求める申し入れへの賛同署名は明日が締め切りです。改めて、下記のメール署名をお願いいたします。
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「公表された特別委員会議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い
そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。
ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2
賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
https://bit.ly/1X82GIB
第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fb1b.html
https://article9.jp/wordpress/?p=5768
(2015年10月26日・連続939回)
本日(10月22日)、プロ野球ドラフト会議。私の関心外のイベントだが、たまたま本日各紙の朝刊が、大きく「巨人選手の野球賭博問題」を報じている。賭博に関与していたと報告された3選手も、何年か前にはドラフトの対象だった。その一人松本竜也は、2011年の巨人1位指名選手。その長身と剛速球から「甲子園のランディ・ジョンソン」と異名をとった有望選手だったという。賭博問題の根を残しておいたのでは、今日のドラフト対象選手も、数年後には賭博に引き込まれかねない。あるいは、もっと積極的に人を犯罪に巻き込みかねない。
組織的に賭博を運営している暴力団の存在が疑われ、これとプロ野球選手との交際の疑惑がある。原辰徳巨人軍監督の1億円恐喝被害問題が記憶に生々しい。巨人だけとは言わない。いや、プロ野球だけでもなく、興行一般と暴力団とのしがらみの根は深く根絶し難い。この社会の健全さの保持のために徹底して膿を出し切ってもらいたい。
この問題で私が意を強くしているのは、案に相違して世間の目は賭博に厳しいということ。大相撲でもプロ野球でも、これを賭博の種にすることに世の批判は厳しいのだ。社会は、なかなかに健全である。
「案に相違して」と言ったのは、世に賭博が溢れているからだ。競馬・競輪・競艇・パチンコ・スロット…。もちろん、宝くじも、先物取引もFXも、立派な賭博である。この賭博が堂々とコマーシャルを打つ時代である。世人の賭博を見る目が甘くなっていると思わざるを得ないのだ。
賭博とは何か。私の定義では、「複数の者が財貨を拠出しあい、お互いに何らかのルールでこの拠出された財貨を取り合うこと」である。賭場に金を積んで、積まれた金を、サイコロの目でも巨人阪神戦の勝敗でも日経平均の上下でも、何かを基準に勝ち負けを決めて取り合うのだ。何のために賭博に参加するのか。当然のことながら、人の金を我が物としたいから。他人の懐に手を突っ込んで取ってくれば、窃盗か強盗になる。お互いの了解で、ルールを決めて、他人の懐の金の取り合いをするのが賭博である。賭博は、財貨の所在を変えるが、何の経済価値も産みださない。
賭博は窃盗や強盗にはならないが、やはり犯罪である。国家が刑罰権を発動して制裁を科する必要があるとされている違法性の高い行為なのだ。その本質において、互いに相手の財産を奪い合う醜い行為であり、社会の健全さを失わしめ、やがては賭博参加者自らをも滅ぼす看過し得ない違法な行為でもある。単純賭博罪(刑法185条)、常習賭博罪(同186条1貢)、賭博場開張図利罪(同186条2項)。博徒結合図利罪(同)と類型化され、富くじの発売も、発売の取次も、授受も犯罪(同187条)とされている。
ダンテの「神曲」では、賭博を行う者が堕ちて行くべき地獄はことのほか深い。「他人の不幸を自己の幸福とする」その心根の卑しさの罪が深いのだ。最高裁判例は、「国民の射幸心を煽り、勤労の美風を損い、国民経済に悪影響を及ぼす」ことを処罰の根拠と説明している。
ところが、「賭博はお互い負ければ取られることを了解での大人のゲームだ。許された娯楽と考えるべきで、刑罰をもって禁圧するほどのことはあるまい」という意見は昔からあった。最近この声は大きい。安倍政権になってからはことさらのこと。経済政策の目玉のひとつになろうとしているからだ。賭博を開帳してテラ銭を稼ごうという、有力企業は政治と結託してこの論調を高めている。プロ野球と暴力団の醜い関係などとは比較にならない、政治家と胴元企業の大規模の醜悪な関係があるのだ。
この醜悪な連中は、博打とか、賭博という言葉を敢えて避ける。推進議員の集まりは「カジノ議連」で、賭博場は「IR」(インテグレイテド・リゾート)という。しかし、なんと言葉を言い換えても本質が醜悪な賭博であることに変わりはない。
以下は、本年1月3日の産経新聞記事「カジノ解禁はいつか…巨大プロジェクト『IR』始動、経済効果は計り知れず」の抜粋である。小見出しとして、『これは成長戦略の目玉になる』とタイトルが付されている。醜悪な政治と醜悪な企業の醜悪な連携についての、醜悪なメディアの報道である。
「平成26年5月、シンガポールを訪れた安倍晋三首相は、カジノを中心とした統合型リゾート(IR)『マリーナ・ベイ・サンズ』などを視察して、こう期待感をにじませた。
カジノのフロアには1500台のスロットマシンや600台のゲームテーブルが並び、地上200メートルの屋上プールや会議場、水族館、遊園地も併設されている。実際にIRがシンガポールにもたらした経済効果はすさまじく、2013年の観光客数は09年から6割増の1560万人に達した。IR設置に伴う雇用も約2万3000人に上るという。
シンガポールに追随しようとしているのが日本だ。政府は観光立国を掲げ、訪日外国人旅行者を20年までに2000万人、30年に3000万人超に増やす計画だが、この起爆剤としてIRを位置づけている。
IR誘致の最大のメリットは、その経済効果。みずほ総合研究所がまとめたリポートでは、東京地区にカジノを含むIRを開設した場合、約3兆7000億円の経済効果が期待できるとしている。同様に香港の投資銀行CLSAは経済効果を年間400億ドル(約4兆7000億円)、大阪商業大の佐和良作教授は最大約7兆7000億円と見積もる。」
産経は、「巨大な経済効果を取り込もうと、自治体の誘致合戦も激しくなっている。すでに全国で20カ所以上の自治体がIR誘致に名乗りを上げている。」「とりわけ熱心なのが大阪…」「IR整備推進法案の通過が、日本におけるIRの第一歩となる。」と報じている。幸い、まだIR整備推進法案の成立には至っていない。
賭博の繁栄がもたらす経済効果を当てにしてのアベノミクス。「おかしいだろ、これ。」としか言いようがないではないか。
ところで、野球賭博。本日の読売が、社説を書いている。「巨人野球賭博 ファンを裏切った罪は重い」というのだ。
「伝統ある球団で、あってはならない不祥事が起きたことは、極めて残念である。」なんだかよく分からない。巨人が特別なんてことはあるまい。「プロ野球界は、選手が賭博に関わらないよう厳しく指導してきた。暴力団排除の取り組みも強化した。3選手の愚行は、球界の努力を無にしかねない。」これもおかしい。3選手だけが悪者か。「プロ野球選手は、子供たちにとって、あこがれの的だ。発言や行動は常に注目される。ユニホームを着ていない時も、身を律することが求められる。」。なんだ、結局は選手個人の自覚の問題にされているのか。
野球賭博も罪深い。しかし、カジノ議連や「IR整備推進法」の罪は、格段に大きく深いのだ。一国の首相が、他国のカジノを見学して目を輝かせているこの時代状況がおかしいのではないか。安倍晋三自身は共産党の追求でカジノ議連最高顧問の座を退いたが、その側近たちが虎視眈々とIR整備推進法案の成立を狙っている。「社会の健全化よりも経済振興の方が大切だ」「アベノミクスの3本目の矢の中に賭博もはいっているのだ」「カジノなんてしゃれた大人のムード」「客寄せには賭博が一番」「これこそ経済復興の目玉」…。
何のための経済振興か。経済とは何なのか。哲学が問われている。野球賭博追放の心意気で、カジノ・IRをも追放しなければならない。アベノミクスもカジノ議連も一掃してはじめて健全な社会を取り戻すことができるのだ。
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「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い
そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。
ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2
賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
https://bit.ly/1X82GIB
第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fb1b.html
https://article9.jp/wordpress/?p=5768
(2015年10月22日・連続935回)
昨日(10月13日)、翁長雄志沖縄県知事が、米軍辺野古新基地建設のための公有水面埋め立承認を取り消し文書をもって沖縄防衛局に通知した。圧倒的な県民世論を背景にしての英断だが、翁長知事のぶれない硬骨の姿勢にあらためて敬意を表したい。
政治的には、この知事の動きで勝負あったというべきだろう。安倍政権は、辺野古新基地建設断念をオバマに報告すべきなのだ。次のように言ってみてはどうだろう。
「大統領閣下、ワタクシ安倍はご要望に応えるべく精一杯の努力はいたしましたが、結局辺野古新基地建設は断念せざるを得ません。地元沖縄県民の世論がこれを許さないからです。」「ワタクシも、かなり汚い手を使って、金の力で地元民の分断と切り崩しを謀ったのですが、ますます評判が悪くなるばかり。もうあきらめざるを得ない事態なのです。」「ご認識なかったかも知れませんが、日本は民主主義を標榜する国なのです。地元沖縄の基地反対世論が、ここまで盛り上がり明確になった以上は、もはやこれを押し潰そうとすることは逆効果。」「おそらくは、ホンネとタテマエの両面において価値観を同じくするお国のこと。民主主義のタテマエで処理をせざるを得ない事態に立ち至った事情を、ご了承いただけるものと拝察いたします。」
ところが、安倍政権はこういう賢明な態度を採らなかった。昨日(13日)国(安倍内閣)は海域埋立の法的根拠を失ったが、埋め立てを強行する構えを崩さず、本日(14日)行政不服審査法に基づく審査請求と執行停止の申立を行った。悪あがきというほかはない。
国が、審査請求を申し立てた先は、公有水面埋立法を管轄する国土交通大臣。その任にあるのは、今月7日付で就任したばかりの新米大臣・石井啓一(公明党)である。その石井啓一の姿勢が、いま厳しく問われている。
翁長知事の埋め立て承認取り消しによって、安倍政権対オール沖縄の対立構造が鮮明になった。また、この問題こそが、戦争法反対闘争後の「安倍対反安倍」の全国的対決を再現するテーマである。戦争法反対運動で構図が明らかとなった、「安倍・自・公」対「野党連合・市民・学生・若者・女性・学者」の対立のテーマでもある。この対立が形づくるせめぎ合いのど真ん中に、公明党の石井が出てきたのだ。
下駄の雪同然に自民にくっついてその存在感を喪失し、支持率も大きく下げた公明党の大臣である。安倍内閣の一員として、「やっぱり下駄の雪」で終わるのか、それとも沖縄県民に向き合って「さすが平和の党」と評判を取り戻すのか。さあ、ここがロドースだ。飛んで見ろ。
とりわけ注目されるのは、国からの審査請求と同時になされた執行停止申立の取り扱いである。県知事の埋め立て承認が取消された現在、国は埋立工事を続行できる立場にはない。行政不服審査法第34条1項が「審査請求は、処分の効力、処分の執行又は手続きの続行を妨げない」(国が知事の承認取消を不服として審査請求をしても、取消処分の効力は続行する)と、執行不停止を原則としているからである。
但し、同条2項「処分庁の上級行政庁である審査庁は、必要があると認めるときは、審査請求人の申立てにより又は職権で、執行停止をすることができる」に基づいて、国交相の執行停止決定があれば、国は審査請求が裁決に至るまでの審議期間の埋立工事続行が可能となる。
石井啓一よ、公明党よ。安倍自民の下駄の雪との批判を覚悟で執行停止申立を認容するか、それともオール沖縄の世論に配慮して執行停止の申立を却下するか。沖縄県民だけでなく、心ある国民が固唾を飲んで見守っているぞ。憲法の民主主義と恒久平和主義も見守っている。おそらくは「平和の党」に期待する創価学会員もだ。公明党の姿勢が厳しく鋭く問われているのだ。
メディアの代表的な見方は下記のようなもの。
「承認が取り消されたものの、政府は行政不服審査法に基づいて公有水面埋立法を所管する国土交通相に不服審査請求し、取り消しの一時停止も求めるため、政府の移設作業が大幅に中断する可能性は低い。」(毎日)
国土交通相とて所詮は安倍内閣という同じ穴のムジナだからという見方だ。しかし、果たしてそうだろうか。
普段は馴染みのない、カタカナ書きの公有水面埋立法を繙いてみる。
第4条1項の本文が興味を惹く。「都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ」という。つまり、原則不許可で、限定列挙した要件に適合する場合以外には許可をしてはならないという建て付けなのだ。
問題は、同条1号「国土利用上適正且合理的ナルコト」、及び2号「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」の免許要件である。「左の各号の一に適合」ではなく、「左の各号に適合」しなければならないのだから、その全部に適合しなければ「免許(国が許可を求める場合は、「免許」が「承認」になる。法42条1項)をしてはならない」ということなのだ。
取消処分の理由は、「前知事の承認には瑕疵が認められた」ということにある。要するに、「法4条1項1号と2号の要件を満たしていないことが明らかになった」としてその詳細が縷々述べられている。
その中で圧倒的に紙幅が割かれているのが「環境保全措置(の欠如)」についての叙述。項目だけを列挙すれば以下のとおりである。
1 辺野古周辺の生態系
2 ウミガメ類
3 サンゴ類
4 海草藻類
5 ジュゴン
6 埋立土砂による外来種の侵入
7 航空機騒音・低周波音
そして、総論として強調されているのは、「いったん埋立が実施されると現況の自然への回帰がほぼ不可能」という悲鳴なのだ。
石井啓一よ、公明党よ。「安全保障こそが公共の利益、ウミガメやサンゴやジュゴンどころではない」などとのたもうてはならない。ウミガメもジュゴンも、人類を包み込んでいる生態系の貴重な一部なのだ。失われた自然環境や生態系は回復不可能ではないか。審査請求にたいする裁決が出るまでの間、広大な海を破壊し尽くす、あの工事をストップせよ。執行停止の名による環境破壊の続行を認めてはならない。
いま、環境保全・生態系維持は錦の御旗だ。この理念に反感を持つものはいない。逆らえる者はない。これを尊重せよ。ピンチをチャンスに変えよ。安倍晋三には、「法の原則と環境保全の重要性からこうなりました。長い目で見ればこの方が内閣支持率の向上につながりますよ」と報告すれば済むことではないか。さすれば、石井の名が上がる。公明党の支持率も上向くことになるだろう。
でなければ、公明党がどこまでも自民党の下駄の雪であり、公明党出身閣僚も同じ穴のムジナであることを天下にさらけ出すことになる。石井の名を下げ、公明党の支持率をさらに急降下させることになるだろう。
(2015年10月14日・連続927回)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、「本郷・湯島九条の会」からの訴えです。少しの時間、耳をお貸しください。
95日もの会期延長をした、異例ずくめの通常国会が幕を閉じました。この国会で、安倍政権と自公両党は、私たち国民が大切にしてきた、かけがえのない三つの宝を深く傷つけました。
その一つは、立憲主義。
もう一つは、民主主義。
そして、恒久平和主義。
安倍政権は、立憲主義を蹂躙し、民主主義を踏みにじり、恒久平和主義を侵害したのです。あらためて、安倍晋三とその取り巻きに、そして自民・公明の与党に対し、満腔の怒りをもって抗議します。
いうまでもなく、我が国は憲法に基づく政治を標榜しています。憲法の手続によって政治権力が形作られ、憲法が権力の暴走なきよう制約しています。立法・行政・司法のすべての分野における国家の権力作用は、憲法に基づかねばなりません。
ところが、安倍晋三とその一味は、憲法9条が邪魔でしょうがない。日本を戦争のできる国に作りかえようとたくらんできました。本来、そのためには憲法自身が定める憲法改正手続を経るしか方法はありません。しかし、それは国民世論が許さぬことで、およそ現実性がないと悟らざるを得ませんでした。
そこで安倍は、抜け道を考えました。まず、憲法改正の手続条項を変更して、改憲のハードルを下げようとしたのです。ところが、このたくらみが世論の反撃に遭って大失敗。「プレーヤーがルールを変えようとは僭越至極」「やり方が汚い。姑息」「裏口入学的やり方ではないか」。悪評散々で引っ込めなければならなくなりました。これが一昨年の春から夏にかけてのこと。
それでも彼はあきらめず、別の手を考えました。「たまたま今、議会内の議席数は与党で圧倒的多数を占めている。それなら、法律で憲法9条を実質的に変えてしまおう」。昨年の7月1日、閣議決定で集団的自衛権行使容認を宣言し、これに基づく法案をこしらえました。憲法を壊す、下克上の法律。戦争法を無理矢理成立させることで、立憲主義を蹂躙したのです。
そして皆さん。先月17日夕刻のことを思い出してください。あの特別委員会の採決の模様を。いや、正確には採決などはなかった。採決と称する怒号と混乱の模様を。
私は、「人間かまくら」という言葉をこのとき始めて耳にしました。委員長を取り巻いて、野党の抗議を遮断したあの人間かまくらを作った人たちは、特別委員会の与党委員ではなく、自民党議員の秘書連中だったというではありませんか。ルール無視。力づくでの採決もどきの混乱を、採決あったとしたのです。
もちろん、速記録には、「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」とだけ書かれていました。採決不存在というほかはないのです。ところが、10月11日になって、速記録に加筆が行われた。11の法案について、「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した」「なお、両案について附帯決議を行った」というのです。あの混乱のなか、それはあり得ない。明らかな捏造です。これは、民主主義を踏みにじる暴挙と指摘せざるを得ません。
このようなやり方で成立したとされた戦争法は、憲法の恒久平和主義を侵害する内容です。この11本の法律を束にして、政府与党は「平和安全法制」と呼んでいます。また、マスコミの多くは「安全保障法制」、略して「安保法制」という言葉を使っています。しかし、この法律に反対する私たちは、ズバリ「戦争法」と名付けました。一定の要件が整えば、日本も戦争をすることができると定める法律だから戦争法。文字どおり、日本を戦争のできる国とする法律だから、戦争法なのです。
平和憲法は一切の戦争と武力行使を禁じたはずではありませんか。最大限譲歩しても、現に侵略を受けた場合の自衛のための武力行使容認に限られる。それ以外の戦争も武力の行使もできるはずがない。そのような常識で、戦後70年を過ごしてきた日本ですが、トンデモナイ安倍内閣は、自衛のための武力行使に限らず、集団的自衛権行使を容認する法を成立させたのです。他国の戦争を買ってまで、戦争に参加しようというのです。
私たちは70年前、戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って、平和国家日本を再生しました。そのとき、なぜあのような悲惨で無謀な戦争をしてしまったのか、十分な反省をしたはずです。その答の一つが、民主主義の不存在でした。戦前、国民は主権者ではなく、統治の対象たる臣民でしかありませんでした。自分たちの運命を自分たち自身で決めることのできる立場になかったのです。情報に接する権利も、意見を発して政治に反映させる権利も、まことに不十分でしかありませんでした。民主主義がなかったから、戦争に突き進んでしまったのです。
今まだ私たちは民主主義を失ってはいません。今からでも遅くはありません。主権者として、戦争を可能とする戦争法廃止を強く求め、平和を壊す安倍政権にノーを突きつけましょう。私たちは、選挙の日一日だけの主権者ではない。いま、安倍政権は、選挙によって多数の支持を受けたとする傲慢をひけらかしていますが、戦争法成立には多くの国民の怒りが沸騰しています。
この怒りを忘れず持続しようではありませんか。来年7月に行われる参議院選挙まで、怒りを持ち続け、この選挙にぶつけようではありませんか。
水島朝穂さんが、ヒトラーの「わが闘争」に、「大衆の理解力は小さいが、その代わり忘却力は大きい」「宣伝はこれに依拠せよ」というくだりがあると指摘しています。いま、安倍晋三もヒトラーを真似して、国民の忘却に期待し、依拠しようとしています。しかし、安倍に言いたい。「主権者を『忘却力が大きい』と舐めてはならない」と。
私たちは反安倍勢力を総結集して、自公両党との選挙戦を勝ち抜こうという試みに賛意を表します。立憲主義・民主主義・平和主義の破壊に加担した、自民・公明そして、次世代、改革・元気各党の議員の落選運動を始めようではありませんか。国民自身のこの手で、立憲主義・民主主義・平和主義を再構築しようではありませんか。
(2015年10月13日・連続926回)