あと10日で消費税8%の時代に突入することになりそうだ。
消費生活は萎縮せざるを得ない。そのため確実に経済は打撃を受ける。短期的には駆け込み需要の前倒し反動も無視しえない。歓迎すべきことではないが、アベノミクスの終焉が始まる。そして、アベノミクスの終焉は、歓迎すべき安倍政権の終焉をもたらす。
ところで、消費税こそ逆進性を本質とする弱者いじめの典型的悪税。「薄く広く」というのが、悪税の本質なのだ。すべての消費者と、転嫁できる力をもたない弱小業者の窮乏化を推し進める。貧しい者ほど、力の弱い者ほど、その影響は大きい。これは、違憲ではないか。少なくとも、福祉国家時代の日本国憲法の理念に反する立法ではないか。
租税は、累進的に富める者からの負担によるべきとするのが応能負担主義。一定の水準以下の貧困者には税の負担をさせるべきではないとするのが生存権思想の論理必然的な帰結。応能負担主義と生存権思想に基づいて、所得の再分配をなすべきことが、福祉国家時代の税制の在り方ではないか。
朝日新聞社発行の現代用語事典「知恵蔵」の「応能負担原則」欄を、浦野広明さんが執筆している。その全文を引用する。
「租税は各人の能力に応じて平等に負担されるべき、という租税立法上の原則。この考えは憲法13条、14条、25条、29条から導かれる負担公平原則である。例えば、所得課税では、高所得者には高い負担、低所得者には低い負担を課す。また、同じ所得でも、給与所得などの勤労所得と利子・配当・不動産などの資産所得とでは、質的に税負担能力が違うので、前者には低負担を、後者には高負担を課す。さらに、憲法が意図する最低生活水準維持額を侵す課税も許さない。しかし、近年の税制は法人税率の引き下げ、所得税・住民税、相続税・贈与税の最高税率の引き下げ、消費税率アップなど、負担公平原則とは逆方向に進んでいる。(浦野広明 立正大学教授・税理士)」
普通の憲法教科書には、租税法律主義(憲法84条)の内容として、課税要件法定主義や課税要件明確主義には触れていても、応能負担を「憲法から導かれる租税立法上の原則」と明記はしていない。このような立ち場を明確にするものは、北野弘久さんの「北野税法学」である。北野さんは、「学者は実務を知らない。実務家は理念を語らない」と嘆いておられた。大蔵官僚から出発して研究者となった北野さん。「我こそは」という自負の下に、「現代立憲主義」を縦横に駆使して、「北野税法学体系」を作りあげた。私の手許にも、「税法学原論(第5版)」がある。浦野さんは、北野税法学の衣鉢を継ぐ人である。
北野税法学を紐解くと、特別なことは何も書いていない。ただ、福祉・平和のための租税という視点が徹底されている。その視点から、13条(個人の尊厳)、14条(平等)、あるいは29条(財産権)が理解されている。社会権思想活用の徹底と言ってよい。
平等は形式的平等ではなく、生存権が明記された時代には生存権全うの観点からの実質的平等でなくてはならない。財産権のうち、生存に必要な最低限度の財産保障は社会権としての基本的人権である。個人の尊厳も現実的に生存を全うする条件を整えることによって保持される。
北野さんは、租税徴収の側面に着目して、以上の観点から納税者基本権を提唱している。消費税の創設は、納税者基本権と抵触することになる。消費増税は、さらに、納税者基本権を侵害することなる。資本主義経済は構造的に貧困層の存在を必然化する。福祉国家思想とは、憲法に基づく国家の制度において、経済の矛盾を緩和しようとするものである。社会権的基本権とは、そのための用具だ。
にもかかわらず、直接税の課税においては累進性を緩和し、消費増税で弱者を痛めつける。これは、現代憲法としての日本国憲法の理念に反するものである。北野さん世にあらば、大喝するとこだろう。
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イザベラ・バードの「中国奥地紀行」
「町はずれの美しい峡谷と壮大な二王廟が霧の中に消え、そこからはクチナシの強い香りが漂ってきた。適度の温度と湿度のおかげで、あらゆる植物が見事に育っており、道の両側は一面のシュウメイギクの花で縁取られていた。満開のツルバラは、露を含み、その重みで我々の頭の辺りで首を垂れんばかりだった。岩はコケシノブに羊の毛のように厚く覆われ、シノブ属のシダとよく見かけるオオエゾデンタが見え始めた。」
この美しい植生の記述はイギリスの女性探検家イザベラ・バードの「中国奥地紀行」(平凡社・金坂清則訳)からのもの。四川省成都を100キロほど西行した灌県郊外の120年前の光景である。
イザベラは19世紀後半、日本、朝鮮、中国の辺境を探検し、旅行記を出版し、欧米で絶賛された。「中国奥地紀行」は1895年?96年にかけて上海から揚子江を舟でさかのぼり、四川省の万県から4000メートルの山を越えてチベットのスウオモまでの徒歩旅行の記録である。中国側からチベットに入った最初のヨーロッパ人でもあった。彼女は日本旅行で蝦夷を訪ねたように、中国旅行でもチベットをめざした。まさに、辺境、奥地の探検家。このとき、イザベラ65歳。しかも身長150?ほどの小柄で、病弱でもあったというから驚く。
好奇心から押し寄せる友好的な日本人と違って、中国・清国人の敵意は激しく、旅はまさに命がけであった。19世紀の清国はアヘン戦争、アロー戦争を経て不平等条約を押しつけられ、ヨーロッパ諸国の餌食になる瀬戸際にあった。新しく列強入りを狙った日本にも日清戦争をしかけられ、三国干渉に翻弄されている最中の激動の「清国」をイザベラは旅したのだ。
冒頭の美しい夢のような自然の中の旅の2週間ぐらい前に、彼女は彭県の近くで「卑怯な襲撃」に遭っている。「私たちには石が次々と飛んできた。飛び道具は手近にいくらでもあった。石の一部は轎(かご)や轎かきに当たったし、私の笠にも当たって笠が飛ばされてしまった。『外国の悪魔』とか『外国の犬』という叫び声のすさまじさといったらなかった。石が轎めがけて雨霰のように投げつけられた。そして一つの大きな石が私の耳の後ろに命中した。このひどい一撃によって、私は前に倒れ込み、気を失ってしまった。」「『暴徒と化した』群衆は、私の乗った轎を棒でたたいたり、『外国の悪魔』『外国の犬』『子供食い』と言って野次ったり、もっとひどい言葉を耳に突き刺すように浴びせたり、轎を蹴ったり、つばを吐きかけたりした。このため、先へ進むのは困難を極めた。だが、やっとのことで我々の轎は、非常に立派な宿に運び込まれた。」地方役人が来るが、一応の謝罪を述べるだけでらちが明かない。イザベラはこの傷の後遺症で、旅の間はもちろん、その後一年間にわたって悩むことになる。
不平等条約に守られて、清末期にはキリスト教の布教宣伝活動が活発になっている。地方役人や官僚の遠慮に我慢がならない民衆の不満や反抗がこのような形で爆発するのである。だから、イザベラはひと言も、清国人の悪口を言っていない。当時の民衆のおかれた状況をよく分かっていたからだろう。
イザベルも各地で、英国国教会の宣教師を訪問し、「ヘンリエッタ・バード(イザベルの亡き妹の名前)病院」を寄贈したりしている。これらの宣教活動に対して、中国住民は迷信や風説の流布で応えた。孤児院を建てれば、「子供を食う」とか、カギをかけたがる宣教師は家の下に英国まで穴を掘って、英国兵士を導いて中国を征服するなどといったうわさが飛び交っていたのである。
こんな侮辱と危害を乗り越え、それでもめげない勇敢な彼女は四川省を抜けて、4000メートルの「しゃこ山」山脈に至り、ここでは凍えて遭難寸前の目にあいながら、チベットへと旅を続ける。中国とは異なり、蛮族の地といわれるチベットでは穏やかな人々に囲まれ、平穏である。
「蕃子の生活の注目すべき特徴の一つに女性の地位がある。女性は男性と対等であるにとどまらず、男性からかなり丁重に扱われるし、男性の興味の対象や楽しみをどこであれ共有する。女性はラバ追いから『土司』まで何にでもなれるのである。また男性と女性の間の交際には何の足かせもない。恋愛結婚が原則である。」「彼らの視野は狭く考えは保守的である。中国やチベットという地名は知っているし、ロシアという地名は聞いたことがあるが、英国という地名は聞いたことがない。日清戦争や倭人についてもまったく何も知らない。私の知ることのできた彼らは、客を温かく迎えてくれ、友好的で礼儀正しく、好奇心をあらわにせず、道徳に寛大で、一緒になって目一杯陽気に浮かれ騒ぎ、並外れて愛情の細やかな人々である。現世を気楽に受け入れて楽しみ、来世はラマ僧を信じて託す人々である。」
こうしたイザベラの記述を読むとき、現代の中国で焼身自殺を繰り返すチベットの人々の痛ましさが胸に迫ってくる。他に例のない当時の6カ月にわたる中国奥地の旅行記は今読んでこそ貴重である。
「水は目も覚めるように透き通った緑色をしていた。エメラルド色というとちょっと違うといった緑色だった。シダやランや蔓植物で覆われ、折れ曲がり、枝分かれする木の幹や大枝からは、赤と白の花をつけたツルバラの長い小枝が川面に垂れていた。そして、冷たいしぶきのかかる所には薄葉のシダや美しいハイホラゴケが生い茂り、木漏れ日をうけて透き通らんばかりだった。川は折れ曲がった木々や、クレマチスやバラのつるの下を滝のようになったり急流をなして、また、泡だったりきらきらひかりながら流れ下っていた。またところどころで一息つくように深緑色の淵をなし、その水面にはバラやクレマチスそして雪をかぶった峰が映っていた。」
こんな光景に会えることを夢見て、イザベラは困難な旅を思い立ったのだろう。そして、こんな素晴らしい光景に出会えたからこそ困難な旅を続けられたのだろう。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。
3月25日の経営委員会に署名を提出予定で、3月23日が第2次集約日となります。
下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月21日)
人間はひとつの物差しでは測れない。政治家であればなおさらのこと。とりわけ保守陣営の政治家に、思想や行動の一貫性を求めることは野暮というものなのだろう。
私には、古賀誠という人物は、遺族会の会長であり、靖国神社総代であり、みんなで靖国に参拝する国会議員の会の会長としか印象がない。A級戦犯分祀論者ではあるが、天皇の英霊参拝実現を目的としてのもの。しかし、先の戦争への反省については良識を示し、性急な首相の靖国参拝推進論には近隣諸国への配慮が必要と語ってもいた。こういう姿勢を無原則というのだろうか。バランス感覚に優れているというのだろうか。そして、今は「赤旗」に登場して96条改正反対を明言している。このような人物を幹事長にしたのだから、自民党もバランス感覚優れた政党(であった)というべきだろうか。
父を戦争で失い苦労の人生を歩んできたことが、古賀の政治家としての原点だという。戦争を繰り返してはならないという気持ちをもっていること、そしてお坊ちゃんとしての人生を歩んできていないことは確かだ。
その古賀が、安倍晋三を「愚かな坊ちゃん的な考え方」「わがままな坊ちゃん総理」とこき下ろした。戦争は憎みても余りある「父の仇」であったろう。戦争を指導した岸信介の孫である安倍の、戦争への警戒心を欠いた「坊ちゃんぶり」に、憤懣がほとばしったとの感。
3月18日の東京新聞が比較的詳しく報じている。17日神奈川県生協連主催の講演会での発言。その見出しは、「『閣議決定で解釈改憲』くぎ」「ひとつ間違えば戦争」というもの。
「『閣議決定で解釈改憲をするような姑息なルール違反は絶対にやってはいけない。ひとつ間違えば戦争に取り込まれてしまう』と、安倍政権を厳しく批判した。
古賀氏は福岡県瀬高町(現みやま市)出身。物心がつく前に、父はフィリピン・レイテ島で戦死した。講演では、『詰め込めるだけの干物を荷台に詰めて売り歩いた母のおかげで不幸とは思わずに育ったが、政治が軍部の暴走を早く止められたら、父は死なずにすんだ。原爆も落とされなかった』との思いを吐露した。
『一部の政治家は、ナショナリズムの高揚に意図的に乗じている』と指摘し、『集団的自衛権を行使するなら、まず憲法を改正するのが筋だ。自衛隊の活動の限界、自衛権行使の範囲をあらかじめ決めないと、国民は議論できない』と述べた。」
「安倍晋三首相に関し、『個人の哲学として右傾化した考えを持つのは良いが、国民の生命と財産を守る最高責任者としては、自分の信念を押し通すのは良くない。わがままな坊ちゃん総理が、ずっと賭けに勝ってきているから怖い』とくぎを刺した。」
また、他の複数の報道では、「安倍首相が先月の国会審議で、『(憲法解釈の)最高責任者は私だ』と答弁したことについて、『自分が首相で権力者だから、自分で決めるというのは愚かな坊ちゃん的な考え方だ。隠す中でいつの間にか権力を行使していた、そういう首相になってもらわなければいけない』と批判した。」「集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しについて、『そういう姑息なことは絶対やってはいけない。憲法改正で集団的自衛権をどうするかという筋道が正しい』と語った」とされている。
以上の古賀の言のすべてを肯定し得るわ家ではないが、バランス感覚に富む保守政治家からみて、安倍政権の独善性はまことに危うい。しかも、その安倍の危うさは「ひとつ間違えば戦争に取り込まれてしまう」という性質のもの。かつての自民党幹事長の目から見ても、「集団的自衛権行使容認を閣議決定で」というのは、ルール違反の禁じ手なのだ。父を戦争で失ない、戦争による苦労を背負ってきた一人の日本人として、戦争の苦労を知らない「戦争指導者のお坊ちゃん」には我慢がならないのだ。その古賀の言に、心して耳を傾けたい。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
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http://chn.ge/1eySG24
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
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☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月20日)
「神は人の上に人を造り給わず」とは、ミルトン「失楽園」の一節だそうだが、この上ない至言である。神を持ち出すことについての幾分かの違和感には目をつぶろう。すべての人に上下なく、本来的に平等であることが、私たちが社会を見る目の原点であり公理である。家門だの、家柄だの、先祖だの、尊い血筋だの、やんごとなきお生まれだの、世が世であれば…など、鼻先で嗤おう。
人には上下の差別はない。しかし、法には厳然たるヒエラルヒーがある。憲法が、一番エライのだ。憲法が定める手続により、憲法に反しない範囲で、憲法の理念を具体化するものとして下位の法形式が制定される。下位法が憲法に逆らうことは許されない。そのようにして、法の体系性が維持される。
法のヒエラルヒーに相応して、各法形式の制定改廃の権限が決められている。憲法を作るのは主権者である国民が直接に行う。その改正手続も同じこと。法律の制定・改廃は国会が行う。法律よりも下位の行政法規の制定は、内閣や各省あるいは自治体が行う。各制定権者は定められた権限以上のことはなしえない。内閣が法律を作ることはできないし、国会が憲法の改正はできない。これは憲法が定めた厳格な掟であって、公務員たる者にはこの掟を遵守すべき義務がある。
この理を弁えない掟破りの公務員が出てくるとまことに面倒なことが起こる。整然たる法の体系性が壊される。保守も革新もなく、このような法体系破壊の厄介者には、苦言を呈さざるをえない。できれば退場してもらわねばならない。
そのようなことが現実に起きている。安倍晋三の「集団的自衛権行使容認を閣議決定で」という暴挙は、事実上の憲法改正を内閣の手でやってのけようということなのだ。この、立憲主義を解さない法体系破壊の厄介者に対して、批判の声が自民党内からも上がっている。
本日(3月19日)付の琉球新報の社説は、「集団的自衛権 解釈変更は権力の暴走だ」というもの。この標題のとおり、とても歯切れがよい。
「安倍晋三首相が目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、自民党の意思決定を担う総務会メンバーらによる総務懇談会で異論や慎重論が相次いだ。
村上誠一郎元行政改革担当相は「解釈変更は憲政に汚点を残す。憲法改正で堂々と議論するのが筋だ」と反対する考えを明言した。憲法9条の解釈変更という“禁じ手”にまい進する安倍政権に対し、お膝元からブレーキがかかった格好だ。
共同通信の今年2月の世論調査でも、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認は、「反対」51%、「賛成」38・9%だった。党内の異論や慎重論は国民の反発を警戒していることの表れだ。
首相は、総裁直属機関を新設して党内論議を続ける方針を示しており、異論や慎重論を押し切る構えも見え隠れする。しかしながら、国民の声を聞かず、党内からの忠言も無視するとなれば、権力の暴走と言われても仕方あるまい。首相は、異論や苦言を真摯に受け止めるべきだ。
憲法は国の最高規範である。時の政権の一存だけで憲法解釈を変更することは、憲法が国家権力に制約をかける「立憲主義」を否定することにほかならない。それは法治国家や議会制民主主義の否定にもつながる。歴代政権が解釈変更による集団的自衛権の行使容認を、禁じ手としてきた重みをかみしめるべきだ。」
また、本日の東京新聞の社説も「集団的自衛権 与党内の慎重論は重い」との同旨の指摘。
「自民党総務会は党の意思決定を担う重要機関だ。そのメンバーから「集団的自衛権の行使」容認に向けた憲法解釈変更に慎重論が相次いだ意味は重い。安倍晋三首相は真摯に受け止めるべきである。
戦争や武力による威嚇、武力の行使を放棄した平和主義は、戦後日本の国是である。集団的自衛権を行使しなければ国民の生命、財産や国益が著しく毀損されるという切迫した事情も見当たらない。にもかかわらず、政府の憲法解釈を変えてまで行使を認めようというのは、いかにも乱暴だ。
国家権力の暴走を防ぎ、国民の自由と権利を保障するため、政治権力が最高法規の憲法を順守する「立憲主義」は、明治憲法制定以来、日本政治の根本原理である。
長年の議論の積み重ねで定着した憲法解釈を、時の政権の思惑で変える「解釈改憲」という手法は立憲主義と議会制民主主義に対する重大な挑戦にほかならない。」
さらに、目を引くのは次のパラグラフ。
「政府の憲法解釈を実質的に担うのは内閣法制局だが、安倍内閣に行使容認派として起用された小松一郎長官が適格かは疑問だ。委員長の制止を振り切って答弁を続けたり、質問にないことを答えたり、国会議員と口論を繰り返したりと、その言動は尋常でなく、まともな国会審議が続けられる状況でない。
首相はまず自らの任命責任を率直に認めた上で、小松氏を交代させたらどうか。それが立憲主義を「取り戻す」第一歩である。」
よくぞ言ってくれた。まったく同感。
もうひとつ、同旨の「沖縄タイムス」16日社説を引用する。こちらは、小松一郎法制局長官だけでなく、籾井勝人NHK会長の不適格にも言及している。
「安倍晋三首相の肝いりで要職に抜擢された人たちの物議を醸す言動が止まらない。NHK会長らの問題発言がくすぶる中、今度は小松一郎内閣法制局長官である。
内閣法制局は政府の憲法解釈を事実上担い、「憲法の番人」と呼ばれる。小松氏は外務省出身で、これまで歴代内閣が認めてこなかった集団的自衛権の行使容認に道を開くため、安倍首相が「禁じ手」の手法で法制局以外から異例の形で長官に起用した。その小松氏の議場内外での言動に、内閣法制局長官としての適格性に疑問が出ている。国会答弁をめぐって「場外乱闘」をしたり、職責ののりを超えたりしているからだ。
例えばこんな振る舞いである。今月4日の参院予算委員会で、共産党議員から「憲法の番人なのに、政権の番犬みたいなことをしないで」と注文をつけられた。
これに対し5日、関係のない社民党議員へ答弁する中で「公務員にも人権がある」などと反論した。7日の予算委終了後には国会の廊下で別の共産党議員に「番犬の表現は不適切だった」「共産党に直接抗議してほしかった」と言われ、衆人環視の場で口論となった。問題はこれで終わらない。
共産党議員の事務所に謝罪に行きながら、「法制局長官を辞任し、病気療養に専念すべきだ」と諭されたことに対し、「そういうことはいうべきではない」と「逆ギレ」。再び口論となり、謝罪どころではなくなった。野党は罷免を要求し、自民党からも厳しい見方が出ている。
籾井勝人NHK会長は就任会見で「従軍慰安婦」は「どこの国にもあった」と発言、百田尚樹経営委員は東京都知事選の応援演説で他候補を「人間のくず」と中傷し、「南京大虐殺はなかった」などと発言した。安倍首相の「お友達人事」の当事者らがなぜ問題となる言動をするのか。
首相の信条に近いことを代弁しているか、首相の信条に近い人を登用した結果と考えるしかない。安倍首相は擁護するばかりだ。だが、首相の任命責任は免れない。」
これまで、高支持率をキープして順調に見えた安倍政権。明らかに潮目が変わりつつある。与党議員も、安倍べったりでは国民からの批判が恐いと思い始めた。安倍内閣と自民党執行部にものを言う姿勢を見せなければ、地元の支持者も納得しない。そんな空気が感じられる。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
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☆抗議先は以下のとおり
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〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
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☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月19日)
本日、山梨市が主催した上野千鶴子さんの講演会が同市で開かれた。会場は聴衆約400人で満員の盛況だったとのこと。中止騒動が話題性を盛り上げた形だ。上野さんは「ひとりでも最期まで在宅で」と題して1時間半にわたり熱弁を振るい、最後に「今回の講演料は市に寄付します」と表明して喝采を浴びた、と報じられている。さすがに、役者ですねえ。
講演会の冒頭、お騒がせの張本人である望月清賢市長が、「上野先生に無礼を働いた」と陳謝し、上野さんは「過ちを改めるに、はばかることなかれ」と応じて「和解」をアピールして見せたという。
なお、望月清賢氏は先月の選挙で初当選したばかりの新米市長。自民党県連総務会長の経歴を持ち、自民党県連から推薦を受けた元県議。前市長で、選挙戦に敗れたのが、現職の竹越久高氏。元県議で、元民主党県連代表代行の経歴。選挙は接戦で389票差であった。
同講演は市が上野さんに昨秋に依頼したもの。今年2月に広報し、164人の参加希望があった一方、上野さんのツイッターやコラムでの発言を例に「公費で催す講演会の講師としてふさわしくない」という意見が約10件メールなどで寄せられたという。ふさわしくない理由は、上野さんの演題とは無関係のテーマでの発言内容。これを今年2月に初当選した望月清賢市長が問題視し、市は3月に中止を決めた。旧民主党市長時代に企画した講演会を、新自民党市長が中止という構図となったのだ。
市から上野さんに対する、講演会中止の通知書は以下の素っ気ないものだったという。(上野さんのブログから)
「市民講演会中止について
山梨市長 望月清賢
春寒の候、先生におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。また、日頃から高齢者保健福祉行政にご理解・ご協力をいただき感謝申し上げます。
さて、来る3月18日に実施を予定しておりました市民講演会についてですが、市民の皆様から様々なご意見をいただく中で、講演会当日の運営に支障を来す恐れがあることから、やむを得ず中止とさせていただくこととなりました。
誠に申し訳ありませんがご了承いただきますようお願い申し上げます。」
中止理由として述べられているのは、「講演会当日の運営に支障を来す恐れがあること」の一点であって、その余の理由はまったく述べられていない。
これに対する上野さんご自身の長文のブログ記事の掲載がある。以下はその抜粋。
「もちろんお願いされたからといって「ご了承」できるわけがありません。
いちいち反論するのもうざったいですが、言うべきことを言っておくと、以下のとおりです。
?すでに市が決定し、告知と募集までした講演会を、講師の考えに賛同できないという少数の「市民」のメール等のクレームで中止するとはあってはならないことです。
?「講演会当日の運営に支障を来す恐れ」とありますが、具体的に脅迫や警告を受けたのか、と聞くと、それはまったくない、とのこと。何もないのに先取りして中止とは過剰な自主規制です。まんがいち脅迫や警告があったとしても、一部の脅しに行政が屈してはならないことは当然でしょう。警備をして実施すればよいだけの話です。
?上野の「過去の発言」はすべて講演依頼を受けたときにはわかっていたこと。新しい情報は何もありません。最初から問題なら上野に講師の依頼をしなければよいだけの話です。となれば、講師依頼の時と中止の時とでは、上野の側に変化はなく、講師の適切さについての判断が行政側で変化したことになります。前市長が了承した企画を、政権が変わったからと言って現市長が覆してもよいものでしょうか。
?「過去の発言」のやり玉にあげられているのが「悩みのるつぼ」の回答。「熟女にお願いしなさい」という回答のどこが問題なのでしょうか。「依頼」であって「強制」ではありませんし、「相手のいやがることはぜったいにしないこと」それに「避妊の準備も忘れずに」と書いてあります。淫行条例に違反するという指摘もありましたが、中学生に性交を禁じる法律はありません。成人が児童(18歳未満だそうです)に「みだらな行為」をすることは禁止されていますが、中学生が大人に「お願い」するのを禁じることはできないでしょう。15歳といえば昔なら元服の年齢。妻を娶ることもできました。この回答を問題視するひとたちはまさか「結婚まで童貞を守りなさい」とは言わないでしょうね?
?『セクシィギャルの大研究』『スカートの下の劇場』をきちんと読んでみてください。いずれも実証研究にもとづいた、そうは見えないけれど学術書です。『セクシィギャルの大研究』はCM写真の記号論的研究、『スカートの下の劇場』は下着の歴史研究です。いずれのタイトルにも「セックス」も「パンティ」も入っていません。仮に入っていたからといって何が問題なのでしょう?まさか性を論じることがタブーだというのではないでしょうね?性を論じる人物は、それだけで講師として不適任だと?
?というわけで上野は「過去の発言」について、天にも地にも恥じるところはありません。しかも以上の「過去の発言」のいずれも今回のテーマである「介護」には無関係です。それを理由に「中止」を決定するのは言いがかりとしか思えません。」
「これからは周辺情報からの憶測です。
?上野の発言のうち、安倍政権批判が気に入らない人々が市長の周辺にいたようです。
?前市長(民主党)から現市長(自民党)に政権交代して、前市長のやったことをことごとく否定したい、と思ったようすも。
?安倍政権が誕生して地方の保守派がいきおいづき、このくらいのこと、と安直に考えて講演会つぶしをやってしまったと。
もし以上の「憶測」が正しいとすれば、こういうことがまかりとおってはなりません。山梨市のみならず他の自治体においても同様のことが起きる可能性を未然に防がなければなりません。
こういうことはあってもらっては困ることですから、山梨市長には根拠のない憶測にすぎない、ときっぱり否定していただき、わたしや一部の市民の方の疑念を晴らしていただくことを期待します。」
市の講演会中止が報じられたのが3月14日、上記ブログが3月15日付のもの。その後16日に一転開催することととなり、当初の予定のとおり本日(18日)開催となった。
市によると、中止が報じられた14日以降、市民から開催を求める意見が相次いだことから、市の担当者が望月清賢市長に翻意を促し、一転、開催が決まった。担当者が16日夜、上野さんに電話で伝えた。その際、「介護以外の話をしない」ことを上野さんに確認し、同意を得たという。
講演会の中止については、「介護は今の社会が避けて通れない切実な問題で、多くの人が示唆を得たいと望んでいた。学ぶ機会を奪われた」などとして、市民が抗議する動きも出ていた(朝日)、と報じられている。
決然たる上野さんご自身の怒りがあり、市民とメディアの支持があったことが、「中止撤回」の成果となった。
不当には、まず当事者が断固として怒ろう。そして、当事者を孤立させぬように支援をしよう。見て見ぬふりをするのではなく、声を挙げなければならない。今回はみごとなその成果である。上野千鶴子さんと、それを支えた山梨市民に惜しみない拍手を送りたい。
(2014年3月18日)
本日(3月17日)、14名の原告が東京「君が代」裁判第4次訴訟を東京地裁に提訴し、東京地裁民事11部に係属した。懲戒処分取消と国家賠償を求める訴えである。具体的には、2010?13年の戒告、減給、停職の処分19件について取り消しを求めている。また、国家賠償の請求額は各処分1件ごとに各55万円。
10・23通達発出以来10年を経ての新たな提訴である。1次訴訟・2次訴訟の確定判決では、減給以上の処分については裁量権逸脱濫用にあたるとして勝訴したが、違憲の主張は否定された。なんとか、この判決を覆そうとの意気込みに満ちた130ページの訴状を提出した。
また、本日東京地裁民事19部の、東京「再雇用拒否」第3次訴訟第1回口頭弁論が527号法廷で開かれた。原告3名の感動的な意見陳述が行われた。その内容をご紹介する。但し、個人の特定を避けての掲載なので、陳述そのままではない。
いずれも、「君が代」不起立を理由に、再雇用を拒否された事件。
Nさんはクリスチャンとして、Wさんは肢体不自由児教育の実践者として、そしてKさんは「君が代」が戦争に果たした歴史的役割から、それぞれの理由で「君が代」を歌うことができないとしている。
法廷での凛とした陳述の雰囲気を味わっていただきたい。
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Nさんの陳述
1 経歴 略
2 職務命令に従えなかった理由と経過
私は、旧教育基本法の前文「教育の力」という言葉に希望をもって教員になりました。
2003年、「10・23通達」発出後は、誇りと自信をもって教育を行っていた教員が、職務命令で脅かされる事態になったのです。公立の学校現場には、様々な生徒が存在します。
中国・韓国の在日外国人ばかりでなく、パキスタンなどからの外国籍の生徒もいて、さまざまな考えのある人もいるのです。いまだかつてなかった形の職務命令で、「君が代」で起立させようという都教委の意図に戦慄を覚えました。
私は、カトリック信者でもあります。神道の象徴と思われる「日の丸」の前で「君が代」とともに起立することはできません。その結果、2007年3月30日に戒告処分を受けました。
教員は、自分の教える教科を通して生き方を教えているのです。国語の教科の中で朝の会や昼休みの余暇活動の場で、これでもかと突きつけられる生徒たちの思いを受けて、自分の人生で得た知識や信念を教えているのです。
現在の特別支援学校の生徒たちの6割の生徒は、施設で生活しています。障害が重いからとか保護者の養育能力がないからという様々な理由から家庭を離れて寮で集団生活を送っています。虐待や性的暴力を受けた生徒もいます。共通しているのは、家族から見捨てられたという気持ちがあり、自分の存在を否定されたという思いがあるのです。自己肯定感が得られず、自分の存在そのものに自信がもてずに自暴自棄になり暴力をふるう生徒も多くいます。この生徒たちに正面から立ち向かえるのは、自分の生き様であり教育に対する信念しかありません。
3 1回目の不起立に至る経過
2007年3月の卒業式で初めての「君が代」不起立をしてから、校長・副校長の注視を受けてきました。「不起立」以後、私の業績評価は総合評価がCとなりました。定年退職2年前の2008年11月10日、校長室へ呼ばれると「3年を過ぎている。来年の人事構想にない」という通告でした。定年まであと2年を残していましたが、特別支援学校への異動を余儀なくされました。
雪の降る2010年3月、新しい特別支援学校の異動面接のときには、自分の思いをはっきりさせておいたほうがよい考え「カトリック信者である。そのため卒・入学式では『君が代』で起立できない」ことと「定年まで2年しかないので、高等部の2年生を希望する」ことを要望しました。高等部2年生の担任になった私は、学年の教員に「カトリックの信者であるので、『君が代』で起立できない」旨を話し、理解を求めました。その年の入学式も卒業式も2時間年休をとりました。ところが定年最後の学年は持ち上がりを希望していたにも関わらず、また2年生でした。
入学式は、2時間年休をとりましたが、卒業式の前には何度も「卒業式をどうするのか」という聞き取りがありました。2011年3月の卒業式は、昨年担任した生徒の卒業式です。そのとき既に非常勤教員採用を拒否されていました。私にとって、教員としての最後の卒業式となるので是非とも参加したいと考えて、卒業式に出席しました。しかし、前に述べた理由で「君が代」で起立しませんでした。
久しぶりに出席する卒業式の生徒の門出を祝う感動で、涙が止まりませんでした。
たった2年間しかいなかった特別支援学校ですが、同窓会等の催し物案内が届きます。卒業生の顔を見ることは元教員にとって楽しみです。夏には同窓会、今年1月12日には、「成人を祝う会」に出席し、お祝いを述べてきました。
4 不起立処分後の不利益
2度目の不起立を理由として、2011年3月30日に減給10分の1、1月の減給処分を受けました。でも、私にとって一番大きな不利益は、非常勤教員の選考を受けて採用を拒否されたことです。
また退職した年の4月、担任した生徒たちが沖縄修学旅行に行くことになっていて、ボランティアとして引率に加わることになっていました。「しおり」も完成して、楽しみにしていました。ところが、不起立を理由に、ボランティアすら取り消しになってしまいました。
5 裁判所に期待すること
非常勤教員等の募集要項には、処分2年以内の者の欠格条項があります。私は、処分を受けてから約4年近く経っています。また処分歴があっても採用されている人も多いですが、「君が代不起立」処分の者は100%採用を拒否され、5年を超えないと採用されていません。これは憲法で保障された平等・公平の原則に違反すると思います。
また自分の不採用にいたる経過を開示請求しましたが、審査会を経たあとでも墨塗りのままです。「任命権者が不合格であることを証明しなければならない」という判例が多くある中、あまりにも不公平・不平等です。
貴裁判所には、都教委に対して墨塗りの部分を明らかにさせてほしいと切望いたします。
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Wさんの陳述
1 障がい児学校での日々
私は、…入都以来肢体不自由校に勤務してきました。そしてほとんど、超重度重複障がい児と言われる子ども達を担当しました。彼らとノンバーバル・コミュニケーション(言葉によらないコミュニケーション)を築いていく面白さ、「もう一つの世界」が見える面白さ、私は価値転換を迫られ、人間というもののコアをいつも考えさせられました。相手に自分のすべてをさらして初めて自分の限界や相手への尊敬を体感できる世界でした。そうして私は、子ども達から沢山教えられ、「主体性」と「関係性」が大変重要であると考え実践してきました。
2 10・2 3通達
そんな中、2003年10・23通達が都教委から出されました。この通達は私たちが大事にしてきた卒業式そのものを壊してしまいました。
通達前の2003年3月の卒業式はフロア形式、口の宇型対面方式で、私のクラスの生徒は、習いたての電動車椅子を、自ら操作してフロア中央に証書をもらいにいき、参列者全員の大きな拍手と歓声をうけました。校長も素晴らしい式だと感激していました。
ところが、通達後は、壇上使用だけで、フロアでの電動車椅子走行は許されなくなりました。ある生徒は、自分の意志とは関わりなく手や足が暴発的に動き、自分で舌や唇を噛み切ったり、関節に入った力を緩められず泣き叫ぶなどそれはそれは大変な生活をしていました。担任は、自信と生きる希望につなげようと、電動車椅子の練習を提案、親をいれて3人4脚で頑張ってきました。その熱意で生徒は電動車椅子の操作が奇蹟的に上達しました。そして巣立ちの日、みんなに、証書を受け取るときの自分の精一杯頑張っている姿を見てもらいたいと願ったのでした。同じ病気の弟がなくなっていたので生きている日の自分をみんなの中に残したい、と切実な思いだったと思います。
しかし、この誇らしい小さな希望は、フロアで証書を受け取ることは「都教委が許可しないからだめだ。」と昨年と同じ校長にはねつけられました。担任は悔し涙で不起立しました。
大事な卒業生を、最も輝かして送り出すことができない。絶対この通達は間違っている、この命令には従えない、担任の気持ちは痛いほど良くわかりました。私自身は、君が代起立時にトイレ介助で会場から出ないようにさせるため、受け持ち児におむっを付けろ、といわれ、屈辱と怒りに身がふるえ、絶対に従いたくないと思いました。
「通達」は人間の尊厳を卑しめ、教育を破壊しています。このことを私は身をもって告発します。
間違った通達と命令には従えません。
3 停職処分の過酷さ
自分の良心、教育信念を曲げられない私は、否応なく不起立を繰り返すこととなり、停職処分を受けるに至りました。子どもに真摯に向き合おうとすると、子どもから引き離されてしまう。大変な苦しみでした。
誰にとっても今日という日は大事です。が、夭折していく彼らにとって、今日のこの日の、家族、友達、先生だちと過ごす時間の大切さ、短い生命だが、精一杯生ききる日のこの貴重さは格別なものがあります。
4 採用拒否されて
しかし、都教委が私の静かな40秒の不起立に対して加えた制裁は、停職処分だけではありませんでした。2010年11月、翌年3月の定年退職を迎え、非常勤教員採用を申し込み、面接にいきました。
面接者は、私に2点質問しました。培ってきた実力のうち何を最も生かしたいか、ペテランとして若い教員をどう育てていくか。私は丁寧に答えています。しかし、1月、校長から申し渡されたのは、採用拒否でした。
ところが、情報開示資料によると、戒告処分はおろか停職処分を受けた人も採用されていました。他方、「日の丸・君が代」で処分された者だけが100%拒否されていたのです。
とどのつまり、都教委が「日の丸・君が代」で処分を受けた者だけを、思想的な理由で排除している、これが非常勤教員不合格の正体ではないでしょうか。いったい、裁量権をもつ者は、その権力をそのように恣意的、差別的に行使して良いものでしょうか。
私は子ども達との関わりを熱望していました。生徒達への音楽療法を通じた関わりも、差別され苦しむ生徒達への権利学習も、板橋駅へのエレペーター設置要求も、多民族多文化の共生社会の一員として朝鮮学校やアイヌの人だちとの文化交流も、定着には道半ばであり、私はさらに努力したいと考えていました。
それらを断ち切った都教委に対して、謝罪と損害賠償を求めます。
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Kさんの陳述
私は、…退職までに6校の高校に勤務し、定年退職しました。
これまで多くの生徒と接してきましたが、そこで私が学んだことは生徒は一人一人個性を持っており、それを尊重することが大切であるということです。
何か問題行動を起こすにしても、そこに至るまでには様々な原因があります。それを見ないで、問題行動を起こしたら機械的に処分をするということだけでは生徒を本当に立ち直らせることは出来ません。
これは生徒指導だけでなく、学習指導やクラスで生徒に対するときにも必要な考えであると思います。一人一人の個性を大切にする教育が生徒の力を伸ばすことにつながると考えています。
生徒指導が大変な学校や学習意欲が充分とは言えない生徒が多い学校も経験しました。このような学校では生徒との信頼関係を作るよう努めましたが、中学時代から教員に対する不信感を持つ生徒もいて、話が出来るようになるまでは長い時間がかかることもありました。担任をしても大変なことが多くありましたが、3年間接している内に生徒が成長し自立していき、卒業式を迎えることが出来たときは教員をやっていてよかったと思いました。
都立高校で私が教員生活を始めた頃は学校運営に関すること、生徒指導に関することなどは職員会議で話し合い決定していました。意見がいろいろあり、議論に時間がかかることもありましたが、充分に議論を尽くした決定を校長も教職員も尊重していました。このような中で信頼関係も出来、私も教員として成長することが出来ました。
しかし1990年代頃から、職員会議の決定を管理職が尊重しないことが度々起こるようになりました。特に入学式、卒業式のあり方について職員会議の決定が守られないことが多くなりました。
そして2003年10月23日に東京都教育委員会より通達が出されてからは学校の決定権は完全になくなりました。卒業式の椅子の配置まで事細かに教育委員会が言ってきました。それまでは卒業式の「君が代」斉唱時に起立斉唱をしない教職員がいても処分されることはありませんでした。「君が代」については様々な思いをいだく人がいて、斉唱を強制することは思想、信条の自由にも関係することと考えてのことであったと思います。しかしこの通達以降は、学校行事で「君が代」斉唱時に起立斉唱しない教職員は一律に懲戒処分を受けるようになりました。
私も「君が代」を歌うことは出来ませんでした。「君が代」が第二次世界大戦では戦意高揚のために使われたこと、侵略の象徴としてあったことなどを考えると歌うことは出来ません。また歌を歌うことを一律に強制することもおかしいと思いました。
この通達後の最初の卒業式で私は「君が代」斉唱時に不起立であったとして戒告処分を受けました。その後の入学式や卒業式では「君が代」斉唱のことを考えると体調不調になり休暇を取ったり、式場外での仕事を担当したりで斉唱時に式場にいないときは処分されることはありませんでした。
その後、卒業式での不起立などを理由に、2005年4月に淵江高校に異動になり、異動後すぐに1学年担任になりました。1学年担任のため入学式式場にいない訳にはいきません。「君が代」斉唱時どうするか迷いました。しかし異動してすぐのことで、職場で相談できる人もいませんでした。処分のことを考えると異動後すぐの不起立は出来ませんでした。私にとって最大の屈辱でした。今でも思い出すと苦痛です。
その3年後に担任学年の卒業式を迎えました。再び処分されることを考えると迷いはありましたが、3年前のことを考えると、自分の信条に反して「君が代」斉唱時に起立することはどうしても出来ないと思いました。この卒業式で不起立であったため再度の処分を受けました。
2011年3月の定年退職を前に退職後の再雇用制度である「非常勤教員」を希望しましたが、採用を拒否されました。このため退職後も教員生活を続けるという生きがいを奪われ、生活保障も奪われました。不合格の理由は上記の処分以外に考えられません。元の処分自体不当なことですが、更に追い打ちをかけられた気がします。
このまま黙っていては、この不当なことを認めることになり、自分の信条が否定されると思いこの度の提訴に至りました。
貴裁判所におかれては是非とも公正な判断をして下さるようお願い致します。
(2014年3月17日)
2014年はビキニ被ばく事件から60年。本日の公益財団法人第五福竜丸平和協会の理事会では、当然のことながら被ばく60年の記念事業が話題となった。
第五福竜丸被ばく60年目の3月1日(土)、「3.1ビキニ・福竜丸60記念のつどい」と題して、記念コンサートと記念講演会が盛大に行われた。はやばやとチケットは完売の盛況だった。期せずしてビキニ被災60周年は、東電福島第1原発事故後の放射線汚染問題と重なり、大きな反響を呼んでいる。各メディアがそれぞれに、ビキニデー関連の個性ある特集記事を組んでいる。
第五福竜丸展示館の展示内容は、いつも同じなのではない。船体は変わらないが、パネルや展示品は半年ごとに展示替えが行われている。今年度の展示内容は、いずれも60年記念企画展示で、前半が「水爆の時代をたどるー所蔵資料から見える第五福竜丸の被ばく」。後半が「特別展『第五福竜丸とアート』」、岡本太郎や池田龍雄をはじめとする著名作家の第五福竜丸に関連したテーマの展覧会を行う。
また、連続市民講座が4回にわたって行われる。その第1回が、4月20日(日)午後1時?5時。場所は、明治学院大学白金校舎。報告者は、池田長生、岡野眞治、水口憲哉、青山道夫らの各氏。60年前の「事件」に若い科学者として立ち会った方々の報告を聞く貴重な機会である。出席予約は、第五福竜丸平和協会まで。
なお、夢の島にある第五福竜丸展示館は、2016年に開館40周年を迎える。美濃部都政時代に開館した展示館もはや40年。船体だけでなく、館全体が老朽化している。抜本的なメンテナンスが必要な時期となっている。これまで、館の訪問者は500万人を超えている。原水爆禁止運動のモニュメントとしても、原発事故被曝問題を考える場としても、館の存在には大きな意義がある。世論を背景に東京都に然るべく要請を続けなければならない。
さて、もうひとつの記念事業が、記念出版である。「第五福竜丸は航海中ービキニ水爆被災事件と被ばく漁船60年の記録」が、3月1日に発刊された。その帯に、次のように記されている。
「60年前の3月、日本社会は放射能の恐怖に揺れていた。
1854年3月1日、太平洋ビキニ環礁における米軍水爆実験で、日本のマグロ漁船・第五福竜丸が被ばくした。戦後日本の転換点となった事件の全容とその後の第五福竜丸がたどった運命、日本から世界にひろがっていった反核運動、マーシャル諸島をはじめとする世界の核実験被害、第五福竜丸と核をめぐる芸術家の表現など、『第五福竜丸展示館』が収集・研究を進める最新の資料とともに明らかにする」
この惹句に偽りはない。事件の経過における被ばく者の急性放射能症の恐怖は今改めて、原発事故の恐怖を呼び起こす。事件の衝撃と、それを機に巻き起こった原水爆禁止運動の経過もくわしい。補償をめぐる日米交渉の経過も良く分かる。そして、ビキニだけではない世界の核実験被害の状況もよく取材されている。第五福竜丸関連の、文献資料の一覧や、小説、絵本、映画、絵画、彫刻などのアートも紹介されている。
30周年にも、50周年にも、祈念の記録集が出版されているが、さすがに今回のものが質量ともに重厚なものとなっている。発売は「現代企画室」。定価は、2000円+税(送料は200円)。写真満載のB5版215ページ。多くの人の善意で、廉価にできている。協会がいただいた「焼津平和賞」の賞金を作成費に充てていることも廉価にできた理由。
「第五福竜丸は、今も航海中」なのだ。原水爆のない未来を目指し、核なき世界を目指しての第五福竜丸の旅は、まだ終わりが見えていない。第五福竜丸とともに、核兵器の恐怖も放射線被曝の心配もない、平和で安全な世界を目指す旅を共にしていただくように、多くの人々に呼び掛けたい。その旅のチャート(海図)として、この記念記録集はこの上ない優れものである。是非とも、この出版物の普及にお力添えをいただきたい。
なお、東京都立第五福竜丸展示館への連絡方法は
東京都江東区夢の島2丁目1-1 夢の島公園内
TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900
E-Mail:fukuryumaru@msa.biglobe.ne.jp
URLは http://d5f.org/top.htm
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月16日)
昔訪ねた竹富島は、思い描いたとおりののどかな南国の風景だった。赤瓦の屋根の上のシーサー、石積みの垣根、そして水牛。珊瑚礁の海、浜で掬った星砂…。小高い丘の名が「んぶふる」だったことをよく覚えている。その竹富町が、中学校公民教科書の採択問題で文科省と対立しながら筋を通している。小さな島が、政権や文科省と互角に渡り合っているのだ。その毅然たる姿勢に惜しみない拍手を送りたい。
昨日(3月14日)、下村博文文部科学相は竹富町教育委員会に対して、八重山教科書採択地区(石垣市、竹富町、与那国町)で一括採択された育鵬社版教科書を竹富町内の中学校で使用するよう、地方自治法に基づく「是正の要求」を発出した。国が市町村に直接「是正要求」するのは前例のないことだという。
なんと言っても安倍政権である。しかも名うての下村文科相である。さらに育鵬社版の公民教科書。舞台の右端に役者が揃った。政権も文科省も、天皇、「日の丸・君が代」、領土、自衛隊、公の秩序という記述満載のこの公民教科書のシェアを拡大したくてしょうがないのだ。とうとう、我慢がならずにしゃしゃり出て前代未聞の国から町への是正の要求となった。
竹富町側の対応は落ちついている。これまでどおりに、国の費用ではなく寄付を募って東京書籍版を使ってなんの混乱もないとしている。こちらは、沖縄の基地問題にページが割かれている。
「領土に手厚い育鵬社版と米軍基地に詳しい東京書籍版。文科省が育鵬社版に肩入れしているとすれば、教育行政の政治的中立性を脅かす非常事態と言うほかない。」(東京新聞社説)というのが、常識的な見方。
ところで、「是正の要求」とはなじみがない。地方自治法上の、「文部科学大臣の地方公共団体に対する関与」の一形態だという。本来は、各市町村の自治に任せるべきことに例外的に国が口出しできるとする定めだ。しかも、都道府県を飛び越しての各市町村への直接の口出し。今回は、文科相から沖縄県に「竹富町への是正の指示」を求めたが、同県がこれに従わないからとしての、県を飛び越えての町への直接の要求。例外中の例外なのだ。当然に、要件は厳格である。
地自法245条の5の第4項は、「各大臣は、…その担任する事務に関し、市町村の事務の処理が法令の規定に違反していると認める場合、又は著しく適正を欠き、かつ、明らかに公益を害していると認める場合において、緊急を要するときその他特に必要があると認めるときは、自ら当該市町村に対し、当該事務の処理について違反の是正又は改善のため必要な措置を講ずべきことを求めることができる。」と定める。これが、下村文科相の竹富町教委に対する「是正の要求」の根拠規定。
整理してみると、
要件は、
?事務の処理が法令の規定に違反、
?著しく適正を欠きかつ明らかに公益を害している場合
a緊急を要するとき
bその他特に必要があると認めるとき
権限は、
大臣自らが当該市町村に対し、当該事務の処理について違反の是正又は改善のため必要な措置を講ずべきことを求めることができる
効果は、
当該市町村は必要な措置を講じなければならない義務を負う。
是正の要求を受けた当該市町村がその義務を果たさず、かつ国地方係争処理委員会等への審査の申出もしない場合には、国は「国等による違法確認訴訟(地方自治法第251 条の7)」を提起することができる。
竹富町側に、是正を要する法令の違反があったとは考えがたい。ましてや、著しく適正を欠きかつ明らかに公益を害しているわけはない。緊急性はさらにない。政権や文科省の姿勢を明瞭にして、意に沿わない教科書を採用しない町を恫喝しているというべきであろう。
頑張れ竹富町。「んぶふる」の島。
(2014年3月15日)
NHK経営委員会の定例会合は月2回開催される。3月11日(火)には、通算第1209回の定例会が開催され、経営委員12名のうち病気欠席の百田尚樹委員を除く11名が出席した。この席において、出席者全員の総意として籾井勝人会長の姿勢に関する異例の申し合わせが行われた。
議事録は本日(3月14日)現在未公開。ホームページに掲載されている「経営委員会後の委員長記者ブリーフィング発言要旨」によれば、その内容の主要部分は以下のとおりである。
「本日、経営委員会の委員のみにより、現在のNHKをとりまく状況の確認と今後のあり方等について、意見交換を行った。その結果として、出席した経営委員全員で、以下の申し合わせに合意した。
籾井会長に対して、経営委員長から二度にわたり注意を行わざるを得なかったことについては、誠に遺憾である。
経営委員会は、一刻も早い事態の収拾に向けて、自らの責任を自覚した上で、真摯な議論に基づく自律的な運営を引き続き行い、監視、監督機能を十分に果たしていく。」
ホームページでの浜田健一郎委員長自身の記者に対する解説は以下のとおり。
「第1段落は、これまで会長の発言に対する注意は経営委員長として私から行ってきたが、今回は経営委員会の総意としてあらためて確認したという意味である。
第2段落は、我々経営委員会も、自らの責任を自覚して、執行の監視、監督機能を果たしていくという意思の表明である。」
経営委員会は会長任免の権限をもつ。その権限の適切な行使は責務でもある。この上なく危なっかしい会長に対する厳正な監視・監督を行うことを委員会の総意として確認したということなのだ。
もっとも、この申し合わせは、会長への罷免権を行使せず、籾井体制を存続することの確認でもある。それでよいのか。
籾井会長は、就任記者会見で、「従軍慰安婦は戦争地域にはどこにでもあった」、国際放送について「政府が右ということを左とは言えない」、特定秘密保護法は「とりあえず受けて様子をみるしかない」などと発言して、およそ憲法感覚欠如の醜態をさらした人物である。放送法の精神については無知。権力から独立した公共放送の在り方を理解しているとも到底考えがたい。「政権寄りの姿勢」という評価は甘きに過ぎる。安倍晋三の分身であり、時の政権への忠誠を誓った傀儡というべきであろう。罷免さるべきが当然で、罷免の権限は経営委員会にある。
その経営委員12名のうち既に5名が安倍晋三の「お友だち人事」である。そのうちの2人、百田尚樹と長谷川三千子の両委員はその不適格性が目に余る。本来、経営委員は「公共の福祉に関し公正な判断をすることができる者」から選ぶものとされている。この両名が経営委員失格であることは明らかで、会長とともに罷免に値する。
内閣総理大臣がNHK経営委員を任免し、経営委員会が会長を任免する。大筋の構造はそうなっている。放送法はNHKの経営を行政の監督下におきつつも、時の政権が直接に会長の任免を行うことによる放送への過剰な介入を防御しているのだ。司法の独立や、教育の行政からの独立と似た構造をもって、NHK人事の独立も配慮されている。
そのような放送法の構造に沿った形で、罷免要求を掲げているのが、視聴者・市民7団体が共同して行っている署名運動である。籾井会長と、経営委員の百田尚樹・長谷川三千子両名の罷免を求めるものだが、会長と経営委員とで罷免要求の要請先が異なる。
まず、「放送法の規定に従い、両氏(百田・長谷川の経営委員)を罷免するよう、総理大臣に強く要求します。」と、首相に対して、両経営委員を罷免するよう求めている。経営委員の罷免に関する放送法の規定の関連規定は以下のとおりで、内閣総理大臣に罷免の権限がある。
「第36条1項 内閣総理大臣は、委員が心身の故障のため職務の執行ができないと認めるとき、又は委員に職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認めるときは、両議院の同意を得て、これを罷免することができる。この場合において、各議院は、その院の定めるところにより、当該委員に弁明の機会を与えなければならない。」
百田・長谷川の両委員に、「職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行がある」と認めるに十分ではないか。放送法の理念に悖る非行を放置していてはならない。権限不行使の不適切が明白で甚だしければ、違法にもなる。首相は、両委員を罷免しなければならない。
一方、会長の罷免権は、経営委員会にあって首相にはない。根拠規定は、以下のとおり。
「第55条1項 経営委員会は、会長、監査委員若しくは会計監査人が職務の執行の任に堪えないと認めるとき、又は会長、監査委員若しくは会計監査人に職務上の義務違反その他会長、監査委員若しくは会計監査人たるに適しない非行があると認めるときは、これを罷免することができる。」
今回まさしく、「会長が職務の執行の任に堪えない」「会長に職務上の義務違反その他会長たるに適しない非行がある」と認められる事態である。経営委員会は適切に罷免の権限を行使しなければならない。だから、署名文の文言は、「NHK経営委員会に、籾井会長を放送法第55条に従って罷免するよう強く求めます。」となっている。
国民の籾井会長批判の声は高い。報道によれば、「NHKの籾井勝人会長は13日の衆院総務委員会に出席し、会長就任の1月25日から今月12日までの間に、籾井氏に関連した視聴者からの意見や問い合わせが約3万1900件寄せられ、このうち苦情などの批判的意見が約2万600件に上ったことを明らかにした。肯定的意見は5900件だった」(時事)という。批判的意見の中には、相当数の受信料支払い留保の通告もあるという。
署名運動は、2月28日に始まり、「署名は、ネットを含めて5日時点で6000筆を超え、急速に広がっています」(3月10日赤旗)。第1次集計分が10日に経営委員会に届けられている。
「籾井氏に関連した視聴者からの意見や問い合わせが約3万1900件」に比較すれば、まだまだ署名の筆数が少ない。制度の理念を維持するためには、なによりも国民の声、視聴者の声をNHKや政権に直接届けることが肝要である。
署名運動は3月23日で区切りを付ける予定だという。それまでに大きな筆数としたい。まずは、下記のアドレスをクリックして、電子署名をお願いしたい。そして、このアドレスの拡散にご協力いただきたい。メディアの民主主義を擁護するために。危険な安倍政権を掣肘するために。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月14 日)
神戸新聞や毎日、そして赤旗が報じている。神戸市が「中立性損なう」という理由で今年5月3日に予定されている「神戸憲法集会」の「後援」要請を拒絶したという。これは、見過ごせない。
後援を求められた「神戸憲法集会」は、50年も継続しているイベントで、神戸市内の労働団体や護憲グループがつくった実行委員会が主催する。地域に根づいた典型的な草の根憲法運動だ。今年は、同市中央区の神戸芸術センターを会場として、メインの企画は内田樹神戸女学院大名誉教授の講演だという。
これまでも、要請して後援を得た実績がある。最近では、1998年と2003年には、同じ集会が神戸市の後援を得ている。ところが今回、実行委員会は昨年12月、市と市教委に後援を申請したが、今年2月に「後援しない」との通知を受けた。申請して拒否されたのははじめてのことのようだ。
市が申請された後援を拒絶した理由が問題だ。「昨今の社会情勢を鑑み、『改憲』『護憲』の政治的主張があり、憲法集会そのものが政治的中立性を損なう可能性がある」というもの。
問題は3点。「昨今の社会情勢」とはいったい何のことか。「『改憲』『護憲』の二つの政治的主張」を同じに扱ってよいのか。そして、「憲法集会そのものが政治的中立性を損なう可能性がある」とは、まことにもって聞き捨てならない。
「昨今の社会情勢」とは、安倍政権下の改憲動向を意味するものであろう。明文改憲の動きが急で、解釈改憲の流れも明確だ。神戸市は、安倍政権の動きだけを見て、天下の形勢が改憲に傾いているとでも思っているのかも知れない。しかし、改憲阻止の動きも活発だ。けっして、昨今の民意の動向が改憲に向かっているわけでも、社会情勢が全体として右傾化してるわけでもない。
現在の神戸市長は元総務省自治行政局長の肩書をもつ人。昨年(2013年)10月に副市長から初当選している。自・公・民の3党に推薦され、選挙戦では麻生太郎や石破茂、菅義偉ら政府・自民党の大物からの応援を得ての「辛勝」と報じられている。今は律儀に、そのご恩返しのときと考えているのかも知れない。
神戸市は、「『改憲』『護憲』の政治的主張があり」と、あたかも「改憲」も「護憲」も同等の政治的主張であるかのごとき扱いをしている。これは許されない。
憲法とは、社会の公的なルールとして最も高次の存在であって、政治権力にはこれを尊重し擁護すべき義務がある。このことを、憲法99条はすべての公務員に対して、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と定める。神戸市長も市教育委員長も、私人として憲法改正の思想を持つことは自由であるにせよ、公務員として職務を行うに際しては、「日本国憲法を尊重し擁護する義務」を負う。
その場合の「憲法を尊重し擁護する義務」の意味の解釈として、消極的に違憲の行為をしてはならないというだけではなく、憲法の理念の実現に努力すべき積極的義務までを含むものと説かれる。憲法の理念の実現や普及のための「護憲」集会への後援や支援をすることは「憲法を尊重し擁護する義務」に合致するが、現行憲法の理念に反する「改憲」集会への支援は背馳することにならざるを得ない。両者を同等に扱うなど許されようはずはない。
「憲法集会そのものが政治的中立性を損なう可能性がある」との含意は、「護憲集会も政治的中立性を損なうものでありうる。だから、自治体が後援しがたい」というもの。聞き捨てならない。
日本国憲法が制定されたとき、憲法公布の式典が貴族院本会議場で行われ、また、宮城前広場で、天皇まで出てきて新憲法公布記念祝賀都民大会も行われている。政府も、最初は憲法記念日を祝賀したのだ。長期保守政権が、憲法を邪魔者扱いするようになると、政府や自治体の祝賀行事は消えた。祝賀行事を主催しないことが、十分に政治的な意思表示なのだ。
そして神戸市は、草の根憲法運動が主催する市民集会の後援も拒絶するという。形式的な「政治的中立」をカムフラージュとした、憲法への憎悪の表明である。
かつて、青年法律家協会に所属した裁判官が数多く輩出した時代があった。最高裁の司法行政当局は、全力を上げて彼らを青法協から脱退させることに成功した。これを当時、レッドパージをもじって「ブルーパージ」と称した。そのときに持ち出された「理屈」が、裁判官としての公正性や政治的中立性であり、それへの国民の信頼であった。
青法協裁判官が、党派的な政治性をもっていた事実はない。むしろ、保守的な政治勢力や反憲法的司法行政の圧力から裁判官の独立を守ろうとし、支え合って憲法に忠実な裁判を志向しただけのことである。まさしく、その姿勢自体が当時の司法行政当局にとって思わしいものではなかった。当時の司法行政当局を使嗾していた保守勢力にとってはなおさらのことであった。
「裁判官としての公正性や政治的中立性」の強調は、実は保守政権や行政の意向を尊重せよ、というメッセージだった。神戸市の「政治的中立性の尊重」はまったく同様に、改憲勢力への政治的迎合のメッセージなのだ。「政治的中立」を称した、その実極めて党派性に偏した意思表明にほかならない。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月13日)
3月4日に共産党の小池晃さんから「安倍政権の番犬みたいなことはしないで」と言われた小松一郎内閣法制局長官。どういうわけか、翌5日に吉田忠智社民党党首の質問にうっぷんをぶちまけ、7日に国会の廊下で共産党の大門実紀史参院議員に噛みついて口論となった。この口論について、11日午前の参院予算委員会理事会で謝罪し、大門さんに詫びに行くことの約束をした。
そのような経緯があって、今日(12日)、小松長官が参院議員会館にある大門さんの事務所を訪問し、「不適切だった」と謝罪した。しかし、気持ちの伴わない謝罪は難しい。もともと性格的に人に頭を下げることは好きではないようだ。しかも相手は共産党の議員。もともとは、犬呼ばわりをされたことが原因、どうして謝らねばならないのか、という気持ちが強かったのだろう。案の定、その場で再びの口論となって、「(謝罪は)受け入れられない。帰ってください」となったようだ。
報道では、『大門氏によると、会談で同氏が「法制局長官を辞任し、病気療養に専念すべきだ」と指摘したのに対し、小松氏は「そういうことは言うべきではない」と拒否。大門氏は「では謝罪は受け入れられない」と伝えた。』(共同)という顛末とされている。
もっとも、大門さんは、自分のツィッターでは何も語っていない。『小松長官と「口論」とか「再び口論」とかマスコミに書かれるのも、わたしの不徳の致すところです。関係投稿も削除することにしました。いいね!と応援のコメント頂いた皆さん、本当に申し訳ありません。有り難うございました。』との記載があるだけ。小松長官との応酬は恥とするところ、という姿勢。
小松長官のギグシャグはこれにとどまらない。各紙が、『小松一郎内閣法制局長官は11日の参院予算委員会で、自民党が集団的自衛権の行使を可能にするためとして、過去の国政選で公約していた国家安全保障基本法案について「首相は国会に提出する考えはない」と答弁した。党の公約を官僚の立場で否定した小松氏の発言に、党内から問題視する声が出ている。」と報道している。
安倍政権が国家安全保障基本法案を国会提出するか否か、これは重要な大問題。本当に安倍政権に提案の意思がないのならそれに越したことはないが、軽々に官僚が答弁できることではなかろう。知られたとおり、国家安全保障基本法の提案は自民党の公約でもあり、安倍首相の国会答弁も公約撤回はないと言っている。
このような小松長官の姿勢には、参院自民党筋からは悪評さくさくで、「官僚の分を超えている」といった声が強い。「法制局長官を辞任し、病気療養に専念すべきだ」との意見は大門さんだけではなく、自民党内にも確実にある。
小松長官批判は、安倍批判でもある。自民党からも連立の公明党からも、安倍批判、とりわけ集団的自衛権行使容認の解釈改憲に批判の声が出始めたことと軌を一にしている。慎重論の主唱者として、高村正彦副総裁、野田聖子総務会長、脇雅史参院幹事長、漆原良夫公明党国対委員長などの名が挙げられる。古賀誠、野中広務などの現役を去った長老クラスも「見ちゃおられない」と声を挙げている。
改憲派の大御所中曽根康弘元首相や、保守派メデイアの総元締め渡辺恒雄読売新聞会長さえも、解釈改憲による集団的自衛権行使容認には批判的なのだ。安倍?小松ラインの集団的自衛権行使容認構想は、けっして保守の総意ではない。むしろ、孤立しているのが現実の姿ではないか。小松長官が、身体に悪い「口論」などすることなく、病気療養に専念する環境は整いつつあるように思われる。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
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※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
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☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月12日)