2014年7月の国連自由権規約委員会は、その「勧告22」において、日本に対して「(自由権規約の厳格な要件を満たさない限り)思想・良心及び宗教の自由あるいは表現の自由に対する権利へのいかなる制限を課すことも差し控えることを促す」と勧告した。
同委員会から日本に対して、「思想・良心の自由」に触れた勧告は初めてのことである。当然に「日の丸・君が代」強制問題を念頭においたものである。日本は、この勧告に誠実に対応すべき条約上の義務を負う。
本日は「勧告22」をめぐって、議員会館内で「国連自由権勧告フォローアップ 8・21 三省(文科・外務・法務)交渉」が行われた。必ずしも、各省の態度が誠意あるものであったとはいえないが、それなりの手応えは感じられる内容だった。
とりわけ、文科省の担当者から、卒業式・入学式における「内心の自由の告知」について、「各学校において、内心の自由を告知することが適切な指導方法だと判断される場合には、そのような指導方法も創意工夫のひとつとして許容される」という趣旨の答弁があったことが印象的な大きな収穫だった。
「内心の自由の告知」とは、典型的には式の直前に司会から説明される次のようなアナウンスである。
「式次第の中に君が代斉唱がございます。できるだけ、ご起立の上斉唱されるようご協力をお願いいたしますが、憲法上お一人お一人に内心の自由が保障されております。けっして起立・斉唱を強制する趣旨ではないことをご承知おきください」
「内心の自由の告知」は、10・23通達発出以前には過半の都立校で行われ、同通達以後は一律禁止されてもう12年になる。考えてみれば、学校の判断と責任とで、これくらいのことができるのは当たり前のことだが、今のご時世では、この程度の答弁を引き出すことが大きな収穫なのだ。
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引き続いての記者会見。その席で、私に求められたのは、「日の丸・君が代」強制の何が問題か、という説明。
「日の丸・君が代」強制とは、公権力が個人に対して、国家の象徴である歌や旗に対して敬意の表明を強制する行為です。その問題点は、次の3点にまとめられると思います。
第1点は、そもそも公権力がなし得ることには限界がある。国民に対して「日の丸・君が代」に敬意を表明することの強制は、その限界を超えた行為としてなしえないということ。
第2点は、憲法が保障する思想良心の自由の侵害に当たるということ。
そして第3点が、公権力が教育に介入しナショナリズムを煽る方向での教育の統制にあたることです。
まず第1点です。
立憲主義のもとでは、主権者国民がその意思で国家を作り、国家がなし得る権限を与えたと考えます。公権力はその授権の範囲のことしかなしえません。「日の丸・君が代」は、国家の象徴です。この旗や歌に対する敬意表明を強制する行為は、国家が主権者である国民に対して、自分に敬意を表明せよと命令していることになります。つまりは、被造者が創造主に対して、自己への敬意の表明を強制しているのです。こんなことは背理であり、倒錯としか言いようがありません。
また、一般論としては、公権力は公務員に職務命令を発する権限があります。公務員は上級に従う義務があります。そうでなくては、公務員秩序を保つことができません。しかし、上級は下級に、なんでも命令することができるわけではありません。自ずから合理的な限度があります。公権力が、「我を敬え」と強制するような職務命令はこのような限度を超えるもので、立憲主義の原則からは有効に発することができない、と考えざるをえません。
次いで第2点です。
「日の丸・君が代」は、戦前の天皇崇拝や軍国主義・侵略戦争・植民地支配の負の歴史と、あまりにも深く結びついています。このような旗や歌は、自分の思想や良心において受け容れがたく、それへの敬意表明の強制は、自分の思想、あるいは教員としての良心を深く傷つけるものである場合、強制はできません。これこそ、憲法19条が保障するところです。
第3点は、教育は公権力の統制や支配から自由でなければなりません。この近代市民国家での常識からの逸脱です。主権者国民が国家を作るのであって、国家が国家に都合のよい国民の育成をはかろうとすることは筋違いも甚だしいのです。
国家は教育行政において教育条件整備の義務は負うが、教育の内容や方法に立ち入ってはならない。それは、公権力による教育への不当な支配として違憲違法になります。
教育の場での「日の丸・君が代」強制は、国家が国家主義イデオロギーを子どもたちに注入していることにほかなりません。この強制は直接には教員に向けられていますが、実は教員の背後にいる子どもが被害者です。国家が思想を統制し、教育を支配したときにどのような事態となるか、私たちは、敗戦までその実例をイヤと言うほど、見せつけられたではありませんか。
立憲主義、思想・良心の自由、国家に束縛されない自由な教育を受ける権利。いずれも、戦後に日本国憲法とともに日本の制度となったもので、「戦後レジーム」そのものです。安倍政権のいう「戦後レジームからの脱却」は、まさしく「日の丸・君が代」強制路線であり、教育を国家主義に染め上げようというものにほかなりません。
いま、「日の丸・君が代」強制を許さないたたかいは、憲法を守り民主的な教育を守る運動の一環であって、安倍政権の改憲路線や戦争法案成立強行の動向と対峙する意味を持っているものと考えています。
(2015年8月21日)
商品には、消費者が期待する品質の保証が必要だ。品質の不良にも、商品の欠陥にも業者は消費者に責任を負わねばならない。
議員にも、選挙民が期待する品質の保証が必要だ。議員の資質不良にも欠陥にも、政党が責任を負わねばならない。
武藤貴也という、安倍自民党が粗製濫造した議員の欠陥が明らかとなった。安倍自民党はこれに責任を負わねばならない。邪魔な尻尾として切って捨てて、「それは仕方がない」というだけの安倍晋三の姿勢は無責任の極みだ。
商品に欠陥があって消費者被害が生じたときには、欠陥商品を製造・輸入・販売した事業者に無過失の賠償責任が生じる。消費者保護の思想から導かれる製造物責任(product liability)の観念である。何を欠陥とし、どの範囲の業者に、どの範囲の賠償をさせるか、具体的な立法政策には幅があるものの、資本主義的財産法の大原則とされた「過失なければ責任なし」を大転換するものである。
我が国でも、1995年に製造物責任法(PL法)が施行されて20年となった。消費者保護の思想が実定法化されて既に定着している。経済社会でのこの常識が、政治の世界でも通用しなければならない。自民党は、自らが公認して当選したこの議員の欠陥を洗い出し、謝罪した上、しかるべき責任のとりかたを考えなければならない。それが最低限の常識的な政党のありかたであろう。
武藤貴也という、このいかがわしい人物は、滋賀4区で当選し「安倍チルドレン」の一人として衆議院議員となった。当選すれば議会での貴重な一票をもつ。もちろん、戦争法案の強行採決に加わっている。安倍応援団の一人として、「マスコミ弾圧勉強会」参加者の一員でもあった。
未熟で実績のないこの人物が当選できたのは、偏に自民党公認であったからである。安倍自民党が製造した議員といってよい。あるいは、安倍自民党が保証マークをつけて売り出した議員だ。その欠陥が明らかになった途端に、離党届を受理して「ハイ、おしまい」。それはないよ。
武藤貴也が何者であるか、選挙民はよくは知らない。それでも投票したのは、自民党公認だったからだ。自民党の保証マークを信用したからだ。その安倍自民党印議員の欠陥が明らかになったのだから、自民党が責任をとらねばならないのは当然ではないか。
私は、議員の品質のレベルを、「選良」というにふさわしいものと考えているわけではない。自民党議員に、市民の意見に耳を傾け、これを政策化して実現する誠実さと能力など求めていない。そんな品質を望むことは、木に縁って魚を求むるの類であろう。武藤のお粗末さは、常識的通常人には遙かに遠い恐るべきレベルなのだ。
武藤なる人物をいかがわしいと言い、議員としての資質に明らかな欠陥というのは、週刊文春が報じる彼の友人Aへの「LINE(ライン)」の記録による。
「来月新規公開株の取引の話しがあり、最低でも2倍になると言われています。内々で俺(武藤)に取引を持ちかけているのだけど元手がありません」「株の枠を抑(ママ)えてもらっていることは本当なので」「この件はクローズだからね。正直証券会社からも、『うちが国会議員のために枠を抑えてるのが一般に知れたら大変だ』と言っています。その辺呉々も注意してください」というもの。
8月19日発売の週刊文春によれば、武藤は昨年「国会議員枠で買える」と未公開株購入を知人らに勧め、その結果23人が計4104万円を武藤の政策秘書名義口座に振り込んだ。しかし、株は実際には購入されず、出資金の一部は戻っていないという。また、Aは、「新宿の喫茶店で武藤本人から直接説明を受けた」と述べている。
武藤は、その後弁明はしているものの、週刊文春の記事を否定していない。ラインの記録もAへの説明の内容も事実上その正確性を認めている。武藤とAとのトラブルについては、武藤側の言い分があるようだが、23人に4104万円を振り込ませて一部を流用し今なお700万円を未返還であることは争いないと見てよいようだ。
ラインに残る武藤の「勧誘文言」は、詐欺罪の構成要件に該当する欺罔行為となる公算が高い。未公開株詐欺と同様の手口なのだ。議員自身が「国会議員枠」の存在を強調している点は明らかに欺罔であり、ばれないように秘密を守れといっている点などは、タチが悪く常習性すら感じさせる。
自民党は、武藤の離党届を受理してはならない。党公認の議員としての適格性を検証し吟味しなければならない。事実関係を洗い出し、とりわけ詐欺の故意の有無を徹底して検証の上、除名を含む厳正な処分をしなければならない。そして、当該選挙区の選挙民を含む主権者国民に経過を報告するとともに、責任の所在を明らかにして謝罪しなければならない。さらには、粗製濫造の安倍チルドレンの中に、他にも欠陥議員がないかを十分に点検しなければならない。
以上が常識的なところだが、私はこれでは済まないと思う。自民党は、自分が当選させた欠陥候補者の選挙をやり直す責任があると思う。商品に欠陥ある場合、消費者は完全な他の商品の引渡を求める権利がある。いわゆる代物請求権である。
滋賀4区の有権者は、いや国民は詐欺犯もどきの欠陥議員をつかまされっぱなしで、衆議院議員としての居直りを許していることになる。いまや滋賀4区の恥となった欠陥議員についての代物請求権の行使が認められなければならない。こんな人物と知っていればよもや有権者が投票したはずはない。この議席はだまし取られたものなのだ。自民党が選挙民の代物請求に誠実に向き合う方法は、武藤を説得して議員辞職をさせることだ。それができれば、選挙民は欠陥議員に代えた新たな議員を選任する機会をもつことになる。再びの欠陥議員選任のリスクは…、まあ少なかろう。
(2015年8月20日)
政治資金規正法の運用は厳正になされなければならない。なぜなら、それこそが政治の透明性を確保し、政治を市民の監視下におくことを通じて政治の腐敗を防止する主たる手段とされているからだ。政治資金収支報告書の作成に、厳格な正確性が求められることは当然である。
法の支配を政治の原理とする国家においては、行政府の長に厳格な法の遵守が求められる。日本にあっては、内閣総理大臣に厳正な法令遵守が求められる。とりわけ政治資金規正法にもとづく政治資金収支報告書の記載には、首相なるが故の厳格な記載の正確性が求められてとうぜんである。
首相の政治資金規正法の記載に16個所の虚偽記載が見つかった。明らかに、構成要件に該当する犯罪行為である。政治の透明性確保が、民主政治に死活的に重要であることと考える市民4人がこれを告発したが、東京地検は不起訴処分とした。
不起訴には納得しがたいとして、本日その4人が検察審査会に、起訴相当の議決を求めて審査申立をして受理された。
以下は、その申立書の全文である。
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2015年8月19日
審 査 申 立 書
東京 検察審査会 御 中
被 疑 者 下記の両名
◇ ◇ ◇ 美
住 所 不詳
職 業 不詳(団体事務職員と思われる)
安 倍 晋 三
住 所 不詳(国会議員としての事務所所在地は、
〒100-8981東京都千代田区永田町2-2-1
衆議院第一議員会館1212号室)
職 業 国会議員(内閣総理大臣)
申 立 人 被疑者両名の告発人であった下記4名
醍 醐 聰
田 島 泰 彦
湯 山 哲 守
斎 藤 貴 男
申立人ら代理人
弁護士 澤 藤 統一郎
同 阪 口 徳 雄
同 神 原 元
同 藤 森 克 美
同 野 上 恭 道
同 山 本 政 明
同 茨 木 茂
同 中 川 素 充
添 付 資 料
疎明資料(すべて写) 下記各1通
1 処分通知書各申立人宛のもの各1通
2 晋和会2011(平成23)年分政治資金収支報告書 訂正以前のもの
3 同上訂正後のもの
4 晋和会2012(平成24)年分政治資金収支報告書 訂正以前のもの
5 同上訂正後のもの
6 「サンデー毎日」2014年7月27日号関連記事抜粋
委任状 4通
申 立 の 趣 旨
被疑者◇◇◇美及び同安倍晋三に下記各政治資金規正法違反の犯罪行為があって告発がなされたにもかかわらず、いずれの被疑者についても不起訴処分となったので、被疑者◇◇◇美については政治資金規正法第12条第1項・第25条第1項にもとづき、被疑者安倍晋三については政治資金規正法第25条第2項にもとづき、いずれも「起訴相当」もしくは「不起訴不当」の議決を求める。
申 立 の 理 由
第1 告発と不起訴処分の経過
1 申立人らは、2014年8月18日東京地方検察庁検察官に対し後記の各被疑事実について被疑者◇◇◇美及び同安倍晋三をいずれも政治資金規正法違反の罪名で告発したところ、同告発については2015年7月27日付で不起訴処分(平成27年検第23108号・23109号)とする旨の通知に接した。
同不起訴処分をした検察官は、東京地方検察庁廣田能英検事である。
2 前項の処分の当日午後2時過ぎに、廣田検事から申立人ら代理人の澤藤に処分内容を通知する電話があり、口頭で「不起訴の理由は、被疑者◇◇◇美については嫌疑不十分、被疑者安倍晋三については嫌疑なし」との説示があった。
なお、翌7月28日付朝日新聞朝刊(第37面)には、同じ内容の記事が掲載されている。
第2 被疑事実ならびに罪責
1 被疑者◇◇◇美は、2011(平成23)年当時から現在に至るまで政治資金規正法上の政治団体(資金管理団体)である「晋和会」(代表者 安倍晋三、主たる事務所の所在地 東京都千代田区永田町2?2?1 衆議院第一議員会館1212号室)の会計責任者として、同法第12条第1項に基づき同会の各年の政治資金収支報告書を作成して東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣に提出すべき義務を負う者であるところ、2012年5月31日に「同会の2011(平成23)年分収支報告書」について、また2013年5月31日に「同会の2012(平成24)年分収支報告書」について、いずれも「寄附をした者の氏名、住所及び職業」欄の記載に後記「虚偽記載事項一覧」のとおりの各虚偽の記載をして、同虚偽記載のある報告書を東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣宛に提出した。
被疑者◇◇◇美の以上の各行為は同法第25条第1項3号に該当し、同条1項によって5年以下の禁錮または100万円以下の罰金を法定刑とする罪に当たる。
2 被疑者安倍晋三は、資金管理団体「晋和会」の代表者として、同会の会計責任者の適正な選任と監督をなすべき注意義務を負う者であるところ、同会の会計責任者である被疑者◇◇◇美の前項の罪の成立に関して、同被疑者の選任及び監督について相当の注意を怠った。
被疑者安倍晋三の以上の行為は、政治資金規正法25条第2項に基づき、50万円以下の罰金を法定刑とする罪に当たる。
3 虚偽記載事項一覧
2011(平成23)年分 (2012年5月31日作成提出)
・寄付者小山好晴について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「NHK職員」あるいは「団体職員」
・寄付者小山麻耶について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「会社員」
・寄付者周士甫について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「会社員」
・寄付者すぎやまこういちについて職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「作曲家」
・寄付者神浩人について職業欄の「医師」という表示が虚偽
→正しくは「法人役員」
・寄付者中川稔一について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「団体役員」
・寄付者井上時男について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「無職」
・寄付者吉永英男についての職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは弁護士
2012(平成24)年分 (2013年5月31日提出)
・寄付者小山好晴について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「NHK職員」あるいは「団体職員」
・寄付者小山麻耶について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「会社員」
・寄付者周士甫について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「会社員」
・寄付者すぎやまこういちについて職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「作曲家」
・寄付者中川稔一 について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「団体役員」
・寄付者宇田川亮子について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「会社員」
・寄付者神浩人について職業欄の「医師」という表示が虚偽
→正しくは「法人役員」
・寄付者井上時男について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「無職」
4 本件虚偽記載発覚の経緯
本件の発覚は、NHKの職員(チーフプロデューサー)である小山好晴が有力政治家安倍晋三(現首相)の主宰する政治団体(資金管理団体)に政治献金をしていることを問題としたマスメディアの取材に端を発する。
「サンデー毎日」本年7月27日号が、「NHKプロデューサーが安倍首相に違法献金疑惑」との見出しを掲げて報道した。同報道における「NHKプロデューサー」とは小山好晴を指し、「NHK職員による安倍首相への献金の当否」を問題とするものであった。また、同報道は小山好晴の親族(金美齢)の被疑者安倍晋三への献金額が政治資金規正法上の量的制限の限度額を超えるため、事実と認定された場合は脱法行為となる「分散献金」を隠ぺいするために小山好晴からの名義借りがあったのではないかという疑惑を提示し、さらに、政治資金収支報告書上の寄付者小山好晴の「職業」欄の「会社役員」という表示について、これを虚偽記載と疑う立場から検証して問題とするものであった。
小山好晴が「NHK職員」であることは晋和会関係者の知悉するところである。政治資金規正法(12条第1項1号ロ)によって記載を義務付けられている「職業」欄の記載は、当然に「NHK職員」あるいは「団体職員」とすべきところを「会社役員」と記載したことは、被疑者安倍晋三に対するNHK関係者の献金があることをことさらに隠蔽する意図があったものと推察される。
「サンデー毎日」が上記記事の取材に際して小山好晴らに対して「会社役員」との表示は誤謬ではないかと問い質したことがあって、その直後の7月11日晋和会(届出者は被疑者◇◇)は小山好晴の「職業」欄の記載を、「会社役員」から「会社員」に訂正した。しかし、小山は「会社員」ではなく、訂正後の記載もなお虚偽記載にあたる。
晋和会(届出者は被疑者◇◇)は、7月11日に寄付者小山麻耶(小山好晴の妻・金美齢の子)についても、「会社役員」から「会社員」に訂正している。この両者について、原記載が虚偽であったことを自認したことになる。
さらに7月18日に至って、晋和会(届出者は被疑者◇◇)は、自ら、後記「虚偽記載一覧」に記載したその余の虚偽記載についても訂正届出をした。合計16か所に及ぶ虚偽記載があったことになる。
申立人(告発人)らにおいて虚偽記載を認識できるのは寄付者小山好晴についてのみで、その余の虚偽記載はすべて政治資金収支報告書の訂正によって知り得たものである。当然に、訂正に至らない虚偽記載も、訂正自体が虚偽である可能性も否定し得ないが、申立人らは確認の術を持たない。
5 本件各記載を「虚偽記載」と判断する理由
政治資金規正法第12条第1項・第25条第1項の虚偽記載罪の構成要件は、刑法総則の原則(刑法第38条第1項)に従って本来は故意犯と考えられるところ、政治資金規正法第27条第2項は「重大な過失により第25条第1項の罪を犯した者も、これを処罰するものとする」と規定して、重過失の場合をも含むものとしている。
その結果、「虚偽記載」とは行為者が「記載内容が真実ではないことを認識した場合の記載」だけでなく、「重大な過失により誤記であることを認識していなかった場合の記載」をも含むものである。
申立人らは、被疑者◇◇に、寄付者小山好晴の職業欄記載については、故意があったものと思料するが、構成要件該当性の判断において本件の他の虚偽記載と区別する実益に乏しい。
刑法上の重過失とは、注意義務違反の程度の著しいことを指し、「わずかな注意を払いさえすれば容易に結果回避が可能であった」ことを意味する。本件の場合には、「わずかな注意を払いさえすれば容易に誤記であることの認識が可能であった」ことである。
本件の「虚偽記載」16か所は、すべて被疑者◇◇において訂正を経た原記載である。小山好晴の職業についての虚偽記載を指摘されて直ちに再調査の結果、極めて容易に誤記であることの認識が可能であったことを意味している。すべてが、「わずかな注意を払いさえすれば容易に誤記であることの認識が可能であった」という意味で、注意義務違反の程度が著しいことが明らかである。
以上のとおり、被疑者◇◇の行為は、指摘の16か所の記載すべてについて、政治資金規正法上の虚偽記載罪の構成要件に該当するものと思料される。
なお、被疑者◇◇の犯罪成立は、虚偽記載と提出で完成し、その後の訂正が犯罪の成否に関わるものでないことは論ずるまでもない。
6 被疑者安倍晋三の罪責
政治資金規正法第25条第2項の政治団体の責任者の罪は、過失犯(重過失を要せず、軽過失で犯罪が成立する)であるところ、会計責任者の虚偽記載罪が成立した場合には、当然に過失の存在が推定されなければならない。資金管理団体を主宰する政治家が自らの政治資金の正確な収支報告書に責任をもつべきは当然だからである。
被疑者安倍において、当該会計責任者の虚偽記載を防止できなかったことを首肯せしめる特別の事情がない限り、会計責任者の犯罪成立があれば直ちにその選任監督の刑事責任も生じるものと考えるべきである。
とりわけ、被疑者安倍晋三は、被疑者◇◇が晋和会の2012(平成24)年分の政治資金収支報告書を提出した約半年前から内閣総理大臣として行政府のトップにあって、行政全般の法令遵守に責任をもつべき立場にある。自らが代表を務める資金管理団体の法令遵守についても厳格な態度を貫くべき責任を負わねばならない。
なお、被疑者安倍晋三が本審査申立に対する決議の結果、起訴に至って有罪となり刑が確定した場合には、政治資金規正法第28条第1項によって、その裁判確定の日から5年間公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権を失う。その結果、被疑者安倍晋三は公職選挙法99条の規定に基づき、衆議院議員としての地位を失う。
また、憲法第67条1項が「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」としているところから、衆議院議員としての地位の喪失は、仮にその時点まで被疑者が安倍晋三が内閣総理大臣の地位にあった場合には、その地位を失うことを意味している。
そのような結果は、法が当然に想定するところである。いかなる立場の政治家であろうとも、厳正な法の執行を甘受せざるを得ない。本件審査申立における議決に、特別の政治的な配慮が絡むようなことがあってはならない。臆するところなく、厳正な議決を求める次第である。
第3 不起訴処分を不当とする理由
1 以上の次第で、被疑者◇◇についても、被疑者安倍についても、被疑事実の証明は添付の資料をもって十分である。
しかるに、東京地検検事はこの両者を不起訴処分とした。しかも、口頭(電話)での説示によれば、被疑者安倍晋三については、「嫌疑なし」とのことである。到底納得し得ず、検察審査会の市民感覚に期待して、「起訴相当」あるいは「不起訴不当」の決議を求めるものである。
2 なお、被疑者安倍の罪責とされているものは、被疑者◇◇の選任監督における過失である。これを嫌疑なしとして免責するためには、◇◇の虚偽記載について嫌疑なしと結論づけることが、論理の必然として要求される。
被疑者◇◇の嫌疑について、「なし」ではなく「不十分」であることは、嫌疑を払拭しえなかったということであり、その◇◇の選任監督の責任についても「なし」とすることは論理の破綻と指摘せざるを得ない。
3 本件は決して軽微な罪ではない
政治資金規正法は、政治資金の流れについて透明性を徹底することにより、政治資金の面からの国民の監視と批判を可能として、民主主義的政治過程の健全性を保持しようとするものである。
法の趣旨・目的や理念から見て、政治資金収支報告書の記載は、国民が政治の動向を資金面から把握し監視や批判を行う上において、この上なく貴重な基礎資料である。したがって、その作成が正確になさるべきは、民主政治に死活的な重要事項といわざるを得ない。それ故に、法は刑罰の制裁をもって、虚偽記載を禁止しているのである。
本件16か所の「虚偽記載」(故意または重過失による不実記載)は、法の理念や趣旨から到底看過し得ない。特に、現首相の政治団体の収支報告は、法に準拠して厳正になされねばならない。
被疑者らの本件行為については、主権者の立場から「政治資金規正法上の手続を軽んじること甚だしい」と叱責せざるを得ない。
4 申立人らは、我が国の民主政治の充実とさらなる発展を望む理性ある主権者の声を代表して本件告発に及んだ。しかし、行政機関としての検察庁(検察官)は、この主権者の声を適正に受け止め得ず、不起訴処分とした。
申立人らは、主権者を直接に代表する立場にある貴検察審査会の民主主義的良識に期待して、本申立に及ぶ。
以上
(2015年8月19日)
しんぶん赤旗のスポーツ欄に、「戦争とスポーツ」という連載コラムが掲載されている。本日は、小倉中学(旧制)を中心に、「中等野球」が敵性文化として攻撃され、戦時色に染め上げられた歴史を語っている。
1937年に内閣情報局が国民歌「愛国行進曲」を発表すると、翌38年の第24回全国中等学校野球大会では、選手と観客がこの曲を大合唱したという。
「見よ東海の空明けて」で始まるこの曲の1番はよく知られているが、あまり馴染みのない2番の歌詞が全文紹介されている。
起て
一系の大君を 光と永久に頂きて
臣民我等皆共に 御稜威に副はむ大使命
往け
八紘を宇となし 四海の人を導きて
正しき平和打ち立てむ
理想は花と咲き薫る
今、この歌詞の中で目に突き刺さってくるのが「平和」の2文字である。
戦争は、平和を冠して準備された。戦争は、平和を名分として国民を動員した。侵略戦争も「平和のための戦争」とカムフラージュされたのだ。まさしく、これこそが安倍流「積極的平和主義」ではないか。
八紘一宇の精神で大東亜共栄圏を築き、大君を戴く日本が四海の人を導こうという思い上がり。これを、「正しき平和」と言い、「理想は花と咲き薫る」とまで言った。顔から火が出るほど恥ずかしいこんな歌を、「臣民我等皆共に」球場で大合唱したというのだ。この年、国家総動員法が制定されている。ときあたかも日中戦争のさなかで太平洋戦争突入3年前のこと。そして、その太平洋戦争開戦の41年には、夏の甲子園大会も中止となっている。
戦争は、いろんな名目で準備され正当化される。必ず、何らかの美しい大義のスローガンをもつ。
「神の嘉したもう聖戦」、「平和を実現するための戦争」「自存自衛の戦争」「文明のための戦争」「天皇の御稜威を四海に及ぼす戦争」「満蒙という我が国の生命線を防衛するための戦争」「石油資源流入封鎖を打破して国民生活を安定させるための開戦」「暴支膺懲」「鬼畜米英撃滅」…。いずれも、その時代ではもっともらしい戦争正当化の理由になり得たのだろう。
1937年の「正しき平和打ち立てむ 理想は花と咲き薫る」の歌詞が、安倍晋三が今口にする「積極的平和主義」と重なる。「軍事力による平和」、「抑止力に基づく平和」との欺瞞に溢れた「思想」を徹底して批判することが、歴史の教訓を活かすことでなければならない。
(2015年8月18日)
憲法は、主権者国民の代表が国会を構成し、国会の議決をもって国会議員の中から内閣総理大臣を指名することを定めている。民意が首相を人選するのだから、内閣総理大臣の言動は、民意と良識を体現するものとの想定が可能である。一方、血統だけで決まる天皇については、人物の保証はない。民主的に構成された内閣が、天皇をコントロールすることが制度として定められている。
ところが、民意から離れて憲法をないがしろにする、歴史修正主義者として名高い人物が首相となっている。そこに、先の戦争を反省して平和主主義を大切にしようという天皇の発言が飛び出した。憲法の想定とは真逆の対比構図が現れている。これをどう見るべきか。
安倍晋三の戦後70年談話は、安倍が地金を隠し通したことによって、一定の成果を挙げたようだ。安倍の本心とは異なる虚言の部分が、共犯者NHK政治部によってあたかも誠意ある反省と謝罪であるかのごとき粉飾に成功して、落ち続けてきた内閣支持率多少のアップにつながった。しかし、これは一時的なものに過ぎないだろう。安倍談話のメッキは既にはがれ始めている。官邸とNHK共謀のまやかしの効果は、早晩払拭されることになるだろう。
このまやかしの払拭に一役買っているのが、天皇の発言である。問題は単純ではない。
本日(17日)毎日新聞夕刊に「<首相70年談話>『反省』天皇陛下と対照的 米メディア」という記事が掲載されている。短いので全文を引用する。
「【ワシントン和田浩明】天皇陛下が70回目の終戦記念日である15日、政府主催の全国戦没者追悼式で『さきの大戦に対する深い反省』に初めて言及されたことについて、米主要メディアは安倍晋三首相の戦後70年談話とは『対照的』などと報じた。
米通信社ブルームバーグは『天皇、戦争に反省表明、安倍首相と対照的』との見出しで記事を配信。また、米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は『安倍首相の政策に対する静かな反対』との見方が強まると紹介した。
全米公共ラジオ(電子版)も第二次大戦に関する『前例がない謝罪』であり、安倍首相の談話より踏み込んだもの、と評価した。米メディアは安倍談話について自らの言葉で謝罪がなかったとして『日本の指導者、第二次大戦で謝罪に至らず』(ワシントン・ポスト紙)などと批判的に伝えていた。」
毎日は「米主要メディアの見方」として紹介したが、このような「安倍=歴史修正主義・謝罪拒否派」、「天皇=歴史直視・反省謝罪派」という対比の構造での見方が国の内外でパターン化して強まっていくことになるだろう。各国政府の思惑よりも重要な、メディアと民衆の声としては、既にこのようになりつつある。
こうなるのも無理からぬところ。安倍晋三がひどすぎるからだ。安倍に比較すれば、天皇の発言が良識に満ちたまともなモノに見えることになる。
15日の全国戦没者追悼式では、天皇だけが発言したのではない。安倍も式辞を述べている。その式辞は下記の官邸URLで読むことができるが、馬鹿馬鹿しいほどの無内容なのだ。結果として、天皇発言だけを目立たせ、対比の構造をつくってしまった。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0815budoukan_sikiji.html
14日には安倍談話を持ち上げたNHKは、15日には今度は天皇の発言を持ち上げた。「ヨイショ、ヨイショのNHK」である。歯の浮くような報道ぶり。
「天皇陛下は、15日、皇后さまと全国戦没者追悼式に出席し、参列者とともに黙とうをささげたあと、おことばを述べられました。
天皇陛下は例年と同様、冒頭で『さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします』と述べられました。続いて戦後の日本の歩みを振り返る際、例年のおことばに多くのことばを足して、『国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません』と話されました。
そのうえで、戦没者を追悼し平和を願う結びの一文に、新たに『さきの大戦に対する深い反省と共に』ということばを加え、それに続けて『今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります』と述べられました。
戦没者追悼式での天皇陛下のおことばは、基本的な内容は毎年、踏襲されてきましたが、戦後50年を迎えた平成7年には『歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い』ということばが加えられました。内容が大きく変わるのはこの時以来で、戦没者追悼式でのおことばに『反省』ということばが盛り込まれたのは初めてです。」
「平成13年以降は毎年同じおことばが続いてきました。そして、戦後70年を迎えたことし、天皇陛下は14年ぶりにおことばをかえ、戦後の日本の歩みを振り返る部分に、多くのことばを足されました。
まず、今日の平和と繁栄を支えたものとして『国民のたゆみない努力』に加え、新たに『平和の存続を切望する国民の意識』という表現を用いられました。そのうえで、例年、『苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません』としていた部分を『戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません』と言いかえられました。
さらに、戦没者を追悼し平和を願う結びの一文に、『さきの大戦に対する深い反省と共に』ということばを加えられました。戦没者追悼式での天皇陛下のおことばがこれだけ変わるのも、『反省』ということばが盛り込まれたのも、今回が初めてのことです。」
天皇の言葉は、とりようによっては、『平和の存続を切望する国民の意識』として憲法9条擁護の広範な国民意識を評価し、戦争法案反対運動にエールを送っているやに聞こえなくもない。また、『さきの大戦に対する深い反省』は明らかに自分の意見として述べている。ここには、安倍談話とは異なるメッセージの直接性がある。
当然にこれを評価する見解は出て来るだろう。天皇制に対する警戒心の薄い保守層からはとりわけ歓迎されることになるだろう。
16日の東京新聞は、次のように、半藤一利、保阪正康のコメントを掲載している。
「天皇陛下が全国戦没者追悼式で述べられたお言葉について、昭和史を題材にした作品を多数執筆している作家の半藤一利さん(85)は『平和の存続を切望する国民の意識に支えられ』という部分に着目する。
『戦後七十年間平和を守るため、必死に努力してきたすべての日本人へ向けた言葉と読むべきだろう。今なら、安全保障法案に反対して声を上げるなど、草の根の人たちも含むと考えられる』と指摘。『政治的発言が許されない象徴天皇という立場で、ぎりぎりの内容に踏み込んだメッセージ』とみる。」
「ノンフィクション作家の保阪正康さん(75)は『陛下が許される範囲内で示した、昨今の政治情勢への危惧とも読みとれる。結果的に、十四日に閣議決定された安倍晋三首相の七十年談話と対比関係になる』と分析する。」「首相談話は傍観者的な印象だが、陛下のお言葉は『さきの大戦に対する深い反省』などと自らの言葉で言及しており、主観的に負の歴史に向き合っている、と指摘」
この東京新聞の記事の見出しは、「『大戦 深い反省』 天皇陛下 踏み込んだ『お言葉』」となっている。天皇が「踏み込んだ『お言葉』」を述べて問題がないのか。「象徴天皇という立場で、ぎりぎりの内容に踏み込んだメッセージ」「陛下が許される範囲内で示した」といって許容してよいのか。
「ぎりぎりセーフ」というのが、半藤や保阪の意見だが、私はアウトだと思う。天皇の発言の内容は常識的なものだが、内閣の助言と承認を離れての天皇の言動を許容することができない。
東京新聞の記事の中に、次の一節がある。
「陛下はこうしたお言葉や記者会見の回答は、基本的には自ら書いているという。行事の主催者から原案が届いても、側近を通じて資料を調べたりして、直前まで推敲を重ねる。今回の『深い反省』も、検討を尽くした上に加えられたとみられる。」
また、朝日もこう伝えている。
「今年は『さきの大戦に対する深い反省』を始め、新しい表現が盛り込まれた。いずれも同式典では初めての言及で、宮内庁関係者によると、ご自身によって直前まで練り上げられた。
戦後70年にあたり、天皇陛下は皇后さまと戦没者慰霊を続けてきた。昨年は沖縄、長崎、広島を訪れ、今年4月には太平洋戦争の激戦地・パラオに渡った。『戦争が次第に忘れられていくという、陛下には焦りにも近い気持ちがあるのでは』。そんな思いが今回のおことばに表れたのだろう、と側近はみる。」
これらの記事が正確なものだとすれば、天皇は内閣の助言と承認から離れたところで、微妙な政治的発言に踏み込んだことになる。「さきの大戦に対する深い反省」と「平和の存続を切望する国民の意識」とは、「村山内閣以下の歴代内閣の立場」とは整合するものではあっても、安倍談話とは整合しない。むしろ、内外のメディアから、対立するものとして受け止められていることが重要だ。安倍晋三が、村山談話反対の急先鋒だったことは公知の事実ではないか。天皇発言が安倍内閣と親和性を欠くものであることは明らかだ。
それだけに、「天皇よくぞ発言してくれた」「違憲の安倍内閣を、憲法理念に忠実な立場から批判するのだから許容されてよい」という多くの人の思いはあろう。しかし、天皇が内閣の掣肘から離れて独走することの危険は計り知れない。日本国憲法は、国民主権を大原則としながら、象徴天皇制を残した。天皇は徹底して内閣のコントロール下にあることで存在を許されているのだ。
「今回、初めて使われた『深い反省』は、追悼式以外の場面では使われた例がある。1992年、歴代天皇として初めて訪問した中国での晩さん会で『わが国民は、戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省に立ち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました』とスピーチ。94年、韓国大統領を迎えた宮中晩さん会では『過去の歴史に対する深い反省の上に立って、貴国国民との間にゆるがぬ信頼と友情を造り上げるべく努めてまいりました』と語った。いずれも政治課題になっていた『過去の清算』に、象徴天皇の立場で踏み込んだ。」(東京新聞)
おそらくは、そのときには内閣の助言と承認があったのだろう。今回、安倍内閣は、事後的にでも「天皇の発言」に、閣議決定をもって承認すべきだろう。もっとも、そのことによっても「天皇の公的行為に付随する政治的発言」の違憲違法性が完全に払拭されるかことになるかは疑問なしとしない。
(2015年8月17日)
東京弁護士会は会員約7400人を擁する、最大の単位弁護士会である。その会内機関誌(月刊)を「LIBRA(リブラ)」という。「LIBERAL(リベラル)」と紛らわしいが、12星座の中の「天秤座」からの命名。
正義の女神テーミスは目隠しをして天秤を携えているという。つまりは、「正義とは公平のことで、これぞ弁護士業務の理念である」との寓意が込められている。弁護士と天秤。私には、大いに違和感があるが、何しろ全員加入制の弁護士会のこと、この題名は無難な選択なのだろう。
その「リブラ」8月号の表紙裏に、ズラリと並んだ歴代会長による共同記者会見の写真が大きく掲げられている。背後に、「私たちは,安全保障関連法案の撤回・廃案を強く求めます!」という横断幕。次のキャプションがつけられている。
「東京弁護士会歴代会長による違憲の安全保障法制に反対する共同声明を発表」
「2015年7月15日正午過ぎ,衆議院平和安全法制特別委員会で,安全保障法案が強行採決されたことを受け,同日午後2時より弁護士会館で記者会見を行い,標記共同声明を発表しました。当会歴代会長のうち存命の24名全員による声明であり,会見には24名中12名の歴代会長が出席しました。また,会見には報道機関14社が参加し,関心の高さがうかがわれました。当会は,安全保障関連法案の違憲性とその危険性を強く訴え,同法案の撤回あるいは廃案を求める活動を継続していきます。」
http://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2015_08/h2.pdf
歴代会長が連名で声明を発表するのは初めてのことなのだそうだ。会見に参加した歴代会長の中で最高齢が安原正之弁護士(93歳)。1950年に弁護士となり、1982年に会長職を務めている。記者会見では、自らの学徒動員による戦争体験を語り、平和の大切さを訴えた。その上で、今回の安保法案を「法律家であれば、とうてい誰も納得できるものではない」「日本は70年間戦争することなくここまできた。若い世代が、この平和を継続することを望む」と述べている。
現会長の伊藤茂昭弁護士は同会見での発言で、「戦後70年に及ぶ平和な日本の礎を破壊する暴挙だ。法律家として絶対に譲れない一線を越えている」と与党の強行採決を強く批判した。
存命の歴代会長24人全員が名を連ねたことのインパクトは大きい。「圧倒的多数」ではなく、保守的な会派(派閥)からの推薦会長を含めての「全員」。これが、戦争法案に対する法律家の常識的な見方だと言うべきだろう。
明日から、また熾烈な戦争法成立阻止闘争が始まる。今、政権は明らかな論理破綻に陥っているのだが、なりふり構わず法案成立を押し通そうとしている。こと憲法の問題となれば、弁護士会は黙過できない。政権との対決を覚悟しても、運動に立たざるを得ない。政権と対決する陣営の中で。弁護士は法論理の争いにおいて貴重な存在である。我が、東京弁護士会なかなかよくやっているではないか。
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歴代東京弁護士会会長全員による「共同声明」の全文は以下の通り。
http://www.toben.or.jp/message/seimei/post-408.html
2015年07月15日
「二度と戦争をしない」と誓った日本国憲法の恒久平和主義が、今最大の危機を迎えている。
現在、国会は政府の提出した「安全保障関連法案」を審議中であるが、会期を異例の95日という長期間延長し、本日、衆議院の特別委員会での採決を強行した。政府与党は、引き続き、本国会での成立を辞さないとの構えを見せ、日々緊迫の度を増している。
安全保障関連法案は、昨年7月1日の集団的自衛権行使の容認等憲法解釈変更の閣議決定を立法化し、世界中のどの地域でも自衛隊の武力行使(後方支援)を可能とするものである。「厳格な要件を課した」と称する存立危機事態・重要影響事態等の発動の基準は極めて不明確で、時の政府の恣意的な判断で集団的自衛権が行使され、自衛隊の海外軍事行動が行われる危険性が高く、憲法9条の戦争放棄・恒久平和主義に明らかに反するものである。
また憲法改正手続に則って国民の承認を得ることなく、憲法を解釈変更し、これに基づく法律制定をもってなし崩し的に憲法を改変しようとすることは、立憲主義および国民主権を真っ向から否定するものである。
衆議院憲法審査会に与野党から参考人として招じられた3名の憲法学者がそろって「安全保障関連法案は憲法違反」と断じ、大多数の憲法学者も違憲と指摘している。これまでの歴代政府も一貫して、集団的自衛権行使や自衛隊の海外軍事活動は憲法9条に違反するとの見解を踏襲してきたのである。
然るに、政府は「日本をめぐる安全保障環境が大きく変わり、国民の安全を守るためには集団的自衛権が必要」と主張し、武力による抑止力をことさらに喧伝しているが、そのような立法事実が実証できるのかは甚だ疑問である。また、政府は唐突にも、1959年(昭和34年)12月の砂川事件最高裁判決を本法案の合憲性の根拠として持ち出しているが、同判決は、個別的自衛権のあり方や米軍の国内駐留について述べたものであって、集団的自衛権を認めたものではないことは定説である。
われわれ国民は、日本国憲法の恒久平和主義という究極の価値観のもと、様々な考えや国際情勢の中で平和と武力の矛盾に揺れながらも、戦後70年間軍事行動をしなかったという、世界に誇れる平和国家を創り上げてきたのである。政府は「国民の安全を守るのは政治家である」として、かかる歴史と矜持を、強引に踏みにじろうとしている。
私たちは、憲法とともに歩みこれを支えてきた在野法曹の一員として、憲法の基本理念である恒久平和主義が、時の一政府の発案によって壊されようとしている現状を深く憂い、ここに安全保障関連法案の違憲性とその危険性を強く国民の皆さんに訴えるとともに、同法案の撤回あるいは廃案を求める。
昭和57年度会長 安原 正之 昭和58年度会長 藤井 光春
昭和63年度会長 海谷 利宏 平成元年度会長 菅沼 隆志
平成5年度会長 深澤 武久 平成7年度会長 本林 徹
平成9年度会長 堀野 紀 平成11年度会長 飯塚 孝
平成12年度会長 平山 正剛 平成13年度会長 山内 堅史
平成14年度会長 伊礼 勇吉 平成15年度会長 田中 敏夫
平成16年度会長 岩井 重一 平成17年度会長 柳瀬 康治
平成18年度会長 吉岡 桂輔 平成19年度会長 下河邉和彦
平成20年度会長 山本 剛嗣 平成21年度会長 山岸 憲司
平成22年度会長 若旅 一夫 平成23年度会長 竹之内 明
平成24年度会長 斎藤 義房 平成25年度会長 菊地裕太郎
平成26年度会長 ?中 正彦 平成27年度会長 伊藤 茂昭
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その翌日には、東弁会長声明が出ている。
http://www.toben.or.jp/message/seimei/post-410.html
2015年07月16日
東京弁護士会 会長 伊藤 茂昭
本日、衆議院本会議において、『安全保障関連法案』が与党のみによる賛成多数で強行採決され、参議院に送付された。
『安全保障関連法案』は、他国のためにも武力行使ができるようにする集団的自衛権の実現や、後方支援の名目で他国軍への弾薬・燃料の補給等を世界中で可能とするもので、憲法改正手続も経ずにこのような法律を制定することが憲法9条及び立憲主義・国民主権に反することは、これまでも当会会長声明で繰り返し述べたとおりである。
全国の憲法学者・研究者の9割以上が憲法違反と断じ、当会のみならず日弁連をはじめ全国の弁護士会も憲法違反を理由に法案の撤回・廃案を求めている。法律専門家のみならず、各マスコミの世論調査によれば、国民の約6割が反対を表明しているし、約8割が「説明不足」だとしている。
このように、法律専門家の大多数が憲法違反と主張し、国民の多くからも強い反対や懸念の表明があるにもかかわらず、『安全保障関連法案』を政府及び与党が衆議院本会議における強行採決で通したことは、国民主権を無視し立憲主義及び憲法9条をないがしろにする暴挙と言わざるを得ない。
安倍総理自身が、「十分な時間をかけて審議を行った」と言いながら「国民の理解が進んでいる状況ではない」と認めており、そうであるならば主権者たる国民の意思に従い本法案を撤回すべきである。国民の理解が進んでいないのではなく、国民の多くは、国会の審議を通じ、本法案の違憲性と危険性を十分に理解したからこそ反対しているのである。
参議院の審議においては、このような多くの国民の意思を尊重し、慎重かつ丁寧な審議がなされるべきであり、政府及び与党による強行採決や60日ルールによる衆議院における再議決など断じて許されない。
あらためて、憲法9条の恒久平和主義に違反し、立憲主義・国民主権をないがしろにする『安全保障関連法案』の撤回あるいは廃案を、強く求めるものである。
(2015年8月16日)
早朝、閑散とした上野公園を散歩する。DHCスラップ訴訟の支援の方からいただいた「article9」デザインのTシャツを着て、昨夜の雨のおかげで涼やかな風の中を歩き出す。
東大本郷キャンパスを鉄門から抜けて、無縁坂を下って不忍池に。今年もみごとに咲いた蓮の花を愛でつつ、弁天堂から清水堂へ。とき忘れじの塔から、上野大仏のご尊顔を拝して、噴水広場が終点。折り返しての帰り道に、五條神社を下って、また不忍池をめぐっての帰宅。ゆっくり歩いて汗ばむ1時間半ほどの道草散歩道。目に触れるものみな、のどかで平和な風景。
70年前の今日のこの公園は、どのようであっただろうかと考える。ここ上野は、維新期には「上野の戦争」の舞台となり、その後「恩賜公園」となった。関東大震災の避難場所となり、東京大空襲の夥しい犠牲者の埋葬地ともなった。その後の70年は、曲がりなりにも平和が続いている。動物園と博物館・美術館そして芸大に象徴される平和。
私のこれまでの人生は、「戦後70年」とほぼ重なる。物心ついたときは、既に「終戦後」だったから、戦前の空気は直接には知らない。一回り上の世代が語る、敗戦の「断絶」と「価値観の大転換」を聞かされて育った。自分でものを考える年齢になって、後天的に「敗戦による歴史の断絶」を学んで胸に刻んだ。
今日は、その歴史の断絶を意識し、再生した日本が国是とした「平和」を考え、噛みしめるべき日なのだ。
当たり前のことだが、ものごとに失敗があったと気付いたときには、失敗の原因を見極めなければならない。失敗の原因について自己に非があれば反省し、被害者には謝罪して、再び同じ失敗を繰り返すことのないように改善策を講じることになる。「原因究明⇒反省・謝罪」の揺るぎないプロセスがなければ、「再発防止の改善策」は出てこない。再発防止への努力の姿勢への信頼や共感を得ることもできない。
「歴史認識」とは、日本が犯した侵略戦争と植民地支配という「壮大な」失敗についての、「原因究明と反省・謝罪」のことである。戦前の何をどう反省して、戦前と対置された戦後の出発点としたのかという問いへのそれぞれの回答なのである。とりわけ、あの戦争をどのようなものと理解するかで、「再発防止」のあり方も異なってくる。
歴史修正主義の立場では、「やむなく仕掛けられた防衛戦争だったが」、「戦力不十分故に負けた」との理解もあり得る。この理解からは、「格段に強力な国防体制をつくりあげて、再び敗戦の憂き目を見ることのない軍国日本を建設しよう」ともなりかねない。
常識的な理解では、
(1) 戦前の天皇制国家が富国強兵を国策とした。
(2) 「富国」と「強兵」の追求が軍国主義と植民地支配政策を生みだした。
(3) 軍国主義は、侵略戦争を引き起こし過酷な植民地支配を支えた。
(4) 内外に未曾有の惨禍を遺して旧日本はいったん滅亡し、
廃墟の中から別の原理の新日本が再生した。
(5) 日本の再生の原理とは、再びの戦争と植民地支配をせぬこと(平和・国際協調)であり、軍国主義の支柱となった天皇制を廃棄しての民主主義(国民主権)である。
だから、安倍談話は端的に日本に非があったことを率直に認め、「侵略戦争と植民地支配によって近隣諸国の民衆にこの上ない被害をもたらしたことを反省するとともに近隣諸国の民衆に謝罪し、再び平和の脅威とならないことを誓約する」で必要にして十分なのだ。
ところが、昨日の「戦後70年・安倍談話」はこうなってはいない。本心において、侵略戦争をしたという自覚がなく、植民地支配で迷惑をかけたとも思ってはいない。だから、反省も謝罪もしたくはないのだ。ところが、諸般の情勢から、反省や謝罪をしたように見せなければならない羽目に陥って、この外部から強制された起案なのだ。真意とは異なる文章だから、的確にポイントを書けない。末節と装飾が過剰な、ごまかしの長文となってしまっている。だから、およそ人の心を打つところがない。悪文であり、駄文である。
よく読むと、自分の言葉では侵略戦争と植民地支配とについて反省していない。もとより謝罪もない。村山談話・小泉談話が認めた「侵略戦争と植民地支配についての反省と謝罪」は、「歴代内閣の立場」として紹介されているに過ぎない。「歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものであります」という表現はあるが、自分もそれに積極的に賛成するとは言っていない。
この文章は、書き手が、自分の意を正確に伝えたいとも、意のあるところを読み取って欲しいとも思っていない。論理が一貫しないので滑らかさに欠け、ボキボキ折れているようで、読みにくいことこの上ない。歴史的な記述のレベルの低さも覆うべくもなく、これが一国の首相の名で出される文章であるとは情けない。一見無能な筆者が論理的に混乱しているとも思わせるが、起案の官僚がこんな悪文を書く無能力とは考えにくい。やはり意図的に争点をぼかした起案と見るべきであろう。
70年目の8月15日。今日のこの日は、さわやかな散歩で始まったが、安倍談話を読み直して、あらためての怒りのうちに一日が終わろうとしている。反省のないこの危険な人物を、首相の座に就かせておいてはならない。「安倍政治を許さない」「戦争法案を廃案に」との覚悟の必要を再確認する日となった。
(2015年8月15日)
安倍談話が発表となった。村山富市の「何を言っているのか、分からん」というのが言い得てまことに妙だ。これが、多くの人の偽らざる気持ちを代弁する名言だろう。ことほどさように、いたずらに目眩ましの贅言が積み重ねられている。意図的に、わけの分からぬ代物に仕立てたのだ。
わけの分からぬ複雑なモノは、見る人それぞれが見たいように見ることができる。安倍の狙いないしは願望はその点にある。苦し紛れ安倍の忍法カメレオンだ。国内世論や、公明党・中・韓には、「侵略・植民地支配・反省・お詫びのキーワードがすべて揃っているでしょう」と言い訳ができるように組み立てた。彼が支持基盤としている国内右翼の面々には、「よく読んでみて。私は自分の見解として何にも言っていない。これまでの政府の立場を承継せざるを得ないというだけのこと」とすり抜けることができる。コウモリ路線を狙ったわけだ。
その評価は、両面から適切になされなければならない。
一面、安倍は言いたくもない「侵略・植民地支配・反省・お詫び」を言わざるを得なかったのだ。歴史修正主義者が、「謙虚に歴史に学ぶ」などと、屈辱的な言葉を口にした。これは、彼が追い詰められている証左だ。このことには自信を持つべきだろう。
他面、実のところ、談話は先の大戦を侵略戦争といわず、天皇制政府の植民地支配を反省していない。歴代政権の立場を踏襲するとはいったが、自分の言葉として反省もお詫びもしていない。中・韓のメディアも国民も、これで納得するはずはない。村山富市その人が、「村山談話が受け継がれたという印象はない」と言っていることに着目しなければならない。
コウモリ路線とはどちらにもよい顔をしようということだが、結局はどちらからも評価されることなく排斥されることになる。それが、安倍の命運なのだ。
安倍晋三とは何者か。歴史修正主義者というだけの人物ではない。「アンダーコントロール」だの「完全ブロック」だのと、平気で嘘を言える人物である。口から出任せを信用できるはずもなかろう。本当に「歴代政権の立場を踏襲する」のなら、まずはただちに戦争法案を撤回しなければならない。この法案は、日米の軍事的連携を深めて、主として中国を牽制しようという法整備である。安倍は、繰りかえし、「これまで以上に日本の安全性は高まる」と言っているが、あちらから見れば挑発行為だ。緊張が高まり、危険が増大することは目に見えている。
次いで、靖国神社参拝根絶を宣言しなければならない。自分だけでなく、閣僚の参拝もさせてはならない。侵略神社への閣僚の参拝が、どんなに中韓両国民の神経を逆撫でしているか、よく知っているはずではないか。
さらに、侵略や植民地支配の反省の立場を明記した歴史教科書を採択させ、つくる会系の歴史修正主義教科書を厳格に排斥することも必要だ。
そうすれば、安倍の評価は少しは上がるはず。どうだ、アベ君。頑張ってみないか。
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安倍談話ーあら面妖な その1
有識者懇の言い分には耳を傾けたとの安倍晋三。どうして、名だたる憲法学者の言には耳を傾けないの。不思議だな。
安倍談話ーあら面妖な その2
「特定の国を想定したものではないと言いながら、ウクライナや南シナ海・東シナ海などで力による現状変更は許すことができない」と言っちゃう。どうして? 不思議だな。
安倍談話ーあら面妖な その3
「最も重要なのは、不戦のメッセージ」などと言いつつ、どうして戦争法案を夏の終わりまでに成立させようというのだろう。どうして? 不思議だな。
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旗幟鮮明 は叩かれる、
隠忍自重 と身をすくめ、
捲土重来 期すべきが、
自業自得 の身の破滅。
美辞麗句 をちりばめて、
自画自賛 はしておれど、
奇々怪々 なる文面は、
四面楚歌 へと一直線。
(2015年8月14日)
私たちは、これまでにない危機意識の中で戦後70年目の8月15日を迎えようとしています。私たちにとっての8月15日とは、何よりもまず先の大戦で内外の人びとにもたらせた辛酸、苦痛、悲惨を心に刻む日であり、同時に、同じ過ちを繰り返さないために私たち自身の過去の歴史を真摯に省みるべき日でもあります。
先の大戦で日本は、アジア諸国を侵略し、植民地として、これらの国々とそこに住む人びとに、この上なく甚大な被害と苦痛を与えました。中国においては、人体実験をして生物兵器を開発し、また、毒ガスを使用するなど想像を絶する非人道的な方法で多くの死傷者をだしています。
日本軍が捕虜とした連合国兵士に対しても、捕虜に関する国際条約に反する扱いをし、多くの死傷者を生じさせました。
戦時中、朝鮮半島、中国、フィリピン、インドネシアなど多くのアジア諸国において、そこに住む女性を日本軍が関与して強制的に「慰安婦」と呼ぶ、性奴隷として、人間の尊厳と人権を深く傷つけました。慰安婦とされた女性の多くは、いまなおその時に受けた深い心の傷に苦しんでいます。
また、軍国化した政府が国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れました。軍関係者のみならず、おびただしい非戦闘員の戦争犠牲者を生み出し、この大戦での犠牲者だけで310万人にもおよぶ結果となりました。沖縄は、地上戦の戦場となり、住民の4人に1人が犠牲になりました。広島、長崎には原爆が投下され、人類で最初の被爆国となり、強制的に日本に連れて来られた在日外国人を含む多くの人命を失うとともに、今なお多くの被爆者が後遺障害で苦しんでいます。
私たちは、この深刻な歴史の事実を謙虚に受け止め、心に刻み、政府に対しては、被害を受けた国とそこに住む人々に対し、痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明することを強く求めます。また同時に私たち国民自身も、このような事態を防ぎ得なかったことに責任があったことを自覚し、戦後その自覚に基づく行動が必ずしも十分でなかったことを率直に認めて真摯に反省し、そのことを心からお詫びするとともに、近隣諸国の人びとと手を携えて揺るがぬ平和を構築すべき決意を再確認いたします。また、戦争と植民地支配の歴史がもたらした内外のすべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げ、この歴史の教訓を次の世代に語り伝えていくように努めるとともに、政府に対しては、近隣諸国と真の信頼関係をつくり出すことができる歴史教育を行うよう強く求めます。
日本は、非軍国主義化と民主化の徹底を求めるポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏をしましたが、1945年8月15日は、また、新生日本の再出発の日となりました。その後、女性も含む普通選挙で選ばれた議員で組織された第90帝国議会(制憲議会)で、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3大特色を有する日本国憲法の制定が審議されましたが、当時の内閣総理大臣吉田茂は、「戦争放棄」の規定をおくに至った動機について、日本が今後世界の平和を再び脅かすことがないように、平和主義と民主主義を徹底するためである旨述べております。
私たちは「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようすることを決意し、」(日本国憲法前文)「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」(同9条)、全世界のすべての人びとが、「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占め」ることを誓い(同前文)、「不断の努力によって、これを保持し」(同12条)ていくことを心に刻みました(同97条)。
戦後、まもなく始まった東西冷戦の中で、1951年に政府は、連合国との間で講和条約を締結するとともに、アメリカとの間で安全保障条約を締結し、1954年には、アメリカの意向を受けて自衛隊を創設しました。ただ、沖縄は、その後も、アメリカの占領が長く続き、アメリカ軍の基地が集中することになり、今日の問題の原因を作り出すことになりました。
私たちの国では、以後、平和主義と軍事化の問題が政治の争点として一貫して続くこととなりました。私たちは、原水爆禁止平和運動、安保改定反対運動、沖縄復帰の運動など平和で真に自立した国となるべく運動を続けるとともに、砂川、長沼訴訟、厚木、横田、嘉手納等基地公害訴訟、教科書裁判、戦後補償裁判、「君が代」訴訟など多くの訴訟を提起するなどして、日本国憲法を血肉化するため努めてきました。
歴代内閣は、国民の強い声に押されて、憲法9条の下では、集団的自衛権の行使は認められないとの考えを示し、アメリカの軍備拡張の要求に対しては、憲法9条を盾に非軍事の政策を重視する対応をしてきました。このことが日本の経済発展をもたらす一因となりました。
東西冷戦中、世界では、朝鮮戦争、ベトナム戦争アフガニスタン紛争など多くの紛争が生じましたが、日本は、常に国民の強い意思を背景に、参戦したり、他国の戦争に直接加担することを避ける選択をし、広く非軍事で世界の平和に貢献すべく努めてきたことに対して、評価を得てきました。
私たちは、唯一の被爆国として、核兵器が非人道の極みであるとの自覚に立って、政府に対し、核抑止力に依らない安全保障の検討を求め、人類を破滅させる危険性のある核兵器の廃絶に向けた運動を継続してきましたが、今の時代にあって、ますますこのことが重要になってきています。
この戦後70年の中で、2011年の東日本大地震後の福島原発事故による地球環境の汚染は、持続可能な社会を破壊し、人類の生存を危険にさらすことを明らかにしました。核管理の難しさと人類の歴史を遙かに超える核廃棄物の無害化の時間にかんがみても、原発を廃止した上で、人びとが安心して生活し、住み続けることのできる持続可能な社会を創っていかなければなりません。
私たちは、戦後70年、憲法の精神を生かし、戦争をせず、戦争に加担もせず、非軍事で世界の平和に貢献したことが、アジアの近隣諸国との信頼関係を維持し、平和な世界を創っていくことを学びました。私たちはこの70年の貴重な経験を心に刻み、未来を考える礎にしてまいります。
私たちがこの夏かつてない危機意識を持つに至ったのは、安倍首相率いる政権与党が、閣議決定のみで集団的自衛権行使についての解釈を変え、今国会で、安全保障関連法案を強引に成立させようとしているからです。
しかしながら、安倍首相が、先の大戦で、日本がアジア諸国を侵略し、そこに住む人びとに甚大な被害と苦痛を与えたことを痛切に反省され、日本が再び世界の平和を脅かすことがないようにするため、現行憲法が制定されたことに思いが至ったならば、安全保障関連法案の提出は本来あり得ないことです。安全保障関連法案は、戦後日本の平和の歩み大きく踏み外すものであり、立憲主義にも反し、違憲です。私たちは、安全保障関連法案の廃案を目ざし、粘り強く活動していくこととします。
私たちは、この機会に改めて、戦後70年の間、日本が一度も戦争をせず、平和であり続けるためにたゆまぬ努力を続けてきた先人と、非軍事で世界の平和に貢献することの重要性を評価した国際連合および近隣諸国をはじめ世界の国々とそこ住む全ての人びとに心から感謝致すとともに、日本国憲法の理念に従い、全世界のすべての人びとが平和のうちに生存する権利を有することを踏まえ、非軍事であらゆる方法を駆使することにより平和な世界を構築するため不断に努力を続けていくことを誓います。
国民(私たち市民)の70年談話実行委員会
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明日(8月14日)安倍政権の「戦後70年談話」が発表になる。内容は、蓋を開けてみるまでは分からない。
もとより天下に名だたる歴史修正主義のお家元・安倍晋三のこと。植民地支配は八紘一宇・五族協和と信じ込んでいるのだろうし、侵略も自存自衛の防衛戦争と言い張りたいのがホンネのところ。安倍談話を出すと言い出したころには、「村山(50年)談話・小泉(60年)談話を引き継ぐだけなら安倍(70年)談話を出す意味がない」と安倍カラーを出すことに意欲満々だった。
しかし、明らかに彼の思惑は外れた。今や、「国民世論環境の変化」による風圧は強い。到底彼の思い通りの談話が出せる情勢にない。彼の本心を披瀝する談話は、安倍内閣の存在そのものを吹き飛ばしかねない。彼は本心を口にすることはできない。いやいやながらも、植民地支配や侵略を表現せざるを得ないのだ。
とはいうものの、支持者の手前遠慮ばかりもしておられない。少しはホンネも語ってみたい。明日の安倍談話は、ジレンマの末に、自分を取り巻く状況をどの程度深刻にとらえているか、その認識の表明にほかならない。安倍が正確に事態を認識しているとすれば、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んででも、自身の本心から遙かに乖離した内容の発言をしなければならない。キーワードとを含んでの村山談話の承継やむなし、なのである。
本日(8月13日)安倍政権の談話に対峙する「国民の70年談話」が必要と考えた者が企画したシンポジウムが開催された。憲法が前提とした歴史認識を正確に踏まえるとともに、戦後日本再出発時の憲法に込められた理念を再確認して、諸分野での「戦後」をトータルに検証のうえ、「国民の70年談話」を採択しようというものである。
シンポジウムのタイトルは、「『国民の70年談話』─日本国憲法の視座から?過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして?」というもの。
3部構成で、途中に日フィルの弦楽四重奏の演奏がはいった。
◆第1部 「過去と向き合う」 有識者の講演
◇日フィルの演奏 「鳥の歌」など
◆第2部 「未来を語る」 会場発言リレートーク
◆第3部 「国民(私たち市民)の70年談話」の発表と採択
第1部の「過去と向き合うは」各パネラーからの以下のレクチャー。
■戦後改革における民主主義の理念と現状
堀 尾 輝 久(元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
暉 峻 淑 子(埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い─砂川・長沼訴訟の経験から
新 井 章 (弁護士)
■日本国憲法の立憲主義体制を否定する強権政治
杉 原 泰 雄 (一橋大学名誉教授)
第2部「未来を語る」は、シールズ、安保関連法案に反対するママの会、日本ジャーナリスト会議(JCJ)、杉並市民の会、「日の丸・君が代」訴訟原告団、婦人有権者同盟、日航乗員労働組合、沖縄からの報告、「女の平和」などの運動体から生き生きした報告がなされた。いろんな分野から、自発性の高い、創意と工夫に満ちた運動の報告は、実に新鮮で刺激的なものだった。戦後70年の今、安倍政権を樹立した反憲法勢力と、憲法を携えた国民運動がせめぎ合っていることを実感するとともに、戦争法案を廃案にして平和や憲法を擁護していく展望を与えてくれるものだった。
そして第3部で、前掲の「談話」が読み上げられ満場の拍手で採択された。
願わくは、明日の安倍談話が、最大限に彼の本心を押し殺し、「国民(私たち市民)の談話」にできるだけ近似したものとなって欲しいものである。
(2015年8月13日)
戦争法案審議は、7月16日衆院での強行採決後明らかに様相の変化を見せている。法案の内容がよく知られてきたことに加えて、強行採決の乱暴を見せつけられて、民意は安倍政権を見限りつつある。内閣支持率は急激に低下し、安倍内閣の焦りが誰の目にも明らかになっている。国立競技場問題や辺野古基地新設問題でも、政府は従来の強気の姿勢を維持できなっている。対決法案の一つであったカジノ法案は、一時は「長期の会期延長が成立のチャンス」と報道されたが、その強行が内閣の評判をさらに落とすことになるからと、今国会成立断念となった。
それだけではない。川内原発再稼働あり、TPP問題あり。70年談話問題もあり、オウンゴール発言もある。安倍政権の末期症状露呈ではないか。
このような状況下、衆院とはまるで違った雰囲気の中での参院の特別委員会審議である。衆院では詰め切れなかった新たな問題が次々に出てきている。まさしく、これこそが「二院制の妙味」ではないか。
昨日(8月11日)の委員会審議で新たな爆弾が炸裂した。小池晃質問である。正確には、爆弾は小池質問であるよりは、小池が示した自衛隊内部文書である。前回の小池質問でも、「後方支援」における米軍と自衛隊の一体化を具体的に想定した恐るべき内部資料が示された。今回のものは、ひと味違うものだが、より根底的な問題を突きつけるものと言ってよい。次々と自衛隊の内部資料が共産党の手に渡って天下に公開されている。それなりの理由あってのことだろうが、きわめて興味深い。
この爆弾炸裂の効果として委員会審議が止まった。質疑の途中で「散会」となって、お盆休みに突入である。先行きは、「大気不安定」。雲行きが怪しい。豪雨や突風、真夏の降雹さえ予想される。
この日(昨日・11日)の委員会審議予定は質疑時間合計4時間16分とされていた。質問者と持ち時間は、以下のとおりである。
大塚耕平(民主) 60分 13:00?14:00
小西洋之(民主) 40分 14:00?14:40
柴田巧(維新) 30分 14:40?15:10
小池晃(共産) 30分 15:10?15:40
井上義行(元気) 16分 15:40?15:56
和田政宗(次代) 16分 15:56?16:12
中西健治(無ク) 16分 16:12?16:28
福島みずほ(社民)16分 16:28?16:44
山本太郎(生活) 16分 16:44?17:00
荒井広幸(改革) 16分 17:00?17:16
なお、出席大臣は、中谷防衛大臣・岸田外務大臣で、安倍総理はいなかった。
3番手で質問に立った小池晃が資料を示して質問を始めると、中谷防衛相は答弁に窮した。このような文書の存在を承知しているか、イエスかノーかと聞かれて回答できない。「ノー」と答えればシビリアンコントロールの不手際から制服組の暴走を許したと攻撃される。さりとて、イエスと答えれば、法案成立を前提とした部隊運用の計画を容認していたとして、国会軽視も甚だしいと突っ込まれる。どちらの答えもできないのだ。
答弁不十分という小池のアピールに、3度の「速記中止」となり、さらに速記中止の程度では対処できなくなって「休憩」が2度はいった。最初の休憩が15時25分から同32分まで。2度目が15時48分から16時7分まで。そして2度目の休憩が終了して、議長が審議の再開を宣告した。そして驚いたことに、「本日はこれにて散会いたします」と続けて流会となった。
結局小池質問は終了せずに持ちこされ、井上・和田・中西・福島・山本・荒井らの各質問は、この日は実現せず、次回持ち越しとなった。
本日の東京新聞朝刊は、この間の事情をこう説明している。
「共産党の小池晃氏は、自衛隊が法案の成立を前提に武器使用基準の見直しや日米間の具体的な調整内容をまとめた資料を独自に入手したとして自衛隊の独走だと追及。中谷元・防衛相は同名の内部文書の存在を認め、『国会の審議中に内容を先取りするようなことは控えなければならない』と釈明した。
小池氏によると、資料は陸海空の各自衛隊を束ねる統合幕僚監部が作成し、四月に再改定した日米防衛協力のための指針(ガイドライン)と安保法案に沿って検討項目を列挙。南シナ海の警戒監視への『関与のあり方を検討していく』と明記し、南スーダンに派遣している国連平和維持活動(PKO)に関しても『駆け付け警護が業務に追加される可能性がある』と見通しを示している。五月に作成されたとみられ、法案の成立時期も『八月』と明記されていた。
小池氏は『戦前の軍部の独走(と同じ)だ。絶対に許されず、議論できない』と批判した。他の野党も同調し、委員会は紛糾。予定した審議時間を一時間半以上残して散会した。」
当然のことながら本日の赤旗は一面トップの扱い。
「“8月成立” 日程表まで作成 小池氏『軍部独走の再現』と追及」「参院安保特 審議中断、散会に」などの見出しが大きい。
本文の記事は、以下のようなもの。
「自衛隊内で『8月中の戦争法案成立・来年2月施行』を前提に、法案の実施計画が立てられていた―。11日の参院安保法制特別委員会で、日本共産党の小池晃議員が独自に入手して暴露した防衛省統合幕僚監部の内部文書『日米防衛協力のための指針(ガイドライン)及び平和安全法制関連法案について』(防衛省統合幕僚監部の内部文書PDF)で、国会・国民無視の計画が初めて明らかになりました。
小池氏は『法案の成立を前提に部隊の編成計画まで出ている。絶対に許されず、法案を撤回すべきだ』と追及しました。中谷元・防衛相は答弁不能となり、審議はたびたび中断。結局、途中散会となりました。
文書は、今国会に戦争法案が提出された5月末時点で作成されたとみられます。表題から分かるように、新ガイドラインと戦争法案の概要、双方の関係を示したものです。『今後の進め方』とする日程表では、法案成立を前提に、最も早いパターンで『8月法案成立』、それから『6カ月以内の施行』開始として来年2月に施行を明記しています。また、7日に部隊派遣延長が閣議決定されたばかりの南スーダンPKO(国連平和維持活動)について、来年3月から『駆けつけ警護』を認めるなど、戦争法案を反映させる日程が具体的に示されています。」
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この資料から読み取れる大きな問題点が二つある。
一つは、小池が指摘したとおりの「軍部独走」である。防衛大臣の知らないところで、統合幕僚監部は、当然に法案が成立することを前提とした作戦計画を立てているのだ。シビリアンコントロールができていないと批判されて当然な事態。
もう一つは、新ガイドラインの政府・自衛隊に対する絶対的権威性である。政府・防衛省・自衛隊にとって、ガイドラインは憲法に優位する規範となっているという実態があぶり出されている。
資料を引用した小池質問の中に次の文言がある。
「この説明文章の中にこうあります。ガイドラインの記載内容については、既存の現行法制で実施可能なものと平和安全法制関連法案の成立を待つ必要があるものがあり、ガイドラインの中ではこれらが区別されることなく記載されていると。これ、本当に率直に書かれているんですね。大臣、法案が成立しなければ実施できない内容を、国会で議論もしないうちに日米合意し、発表したことになる、そういうことですね。」
これは的確にガイドラインの性格を言い表している。まずはガイドラインありきなのである。現行法でガイドラインに盛り込まれた自衛隊の任務ができなければ、できるように法律を作るのだ。違憲だという批判をものともせずに、である。小池自身が言っているとおり、「独立と主権をないがしろにする異常な対米従属の姿勢」にほかならない。
衆議院での審議も緊張感あったと思う。野党はよく頑張った。参議院も劣らず、審議の緊迫度が高く充実している。つくづく思う。与党に議席の多数を持たせて碌なことはない。来年の参院選挙が楽しみになってきた。
(2015年8月12日)