澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案」の採決に反対し、改憲手続法抜本改正の慎重審議を求める声明

(2021年4月20日)
 いま、国家・国民の総力を上げて新型コロナの蔓延を防止すべきときである。いたずらに不要不急の課題に注力すべきではない。ましてやこの時期に、火事場泥棒さながらに、疑問点だらけの「改憲手続き法」の審議を急いではならない。
 これだけの問題点があることを知っていただきたい。

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改憲問題対策法律家6団体連絡会       
社会文化法律センター 共同代表理事 宮里邦雄 
自由法曹団 団長 吉田健一          
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 上野格
日本国際法律家協会 会長 大熊政一      
日本反核法律家協会 会長 大久保賢一     
日本民主法律家協会 理事長 新倉修      

はじめに
 4月15日、衆議院憲法審査会において、「日本国憲法の改正手続きに関する法律の一部を改正する法律案」(いわゆる公選法並びの7項目改正案)(以下「7項目改正案」という。)の審議が行われた。7項目改正案は、2016年に累次にわたり改正された公職選挙法(名簿の閲覧、在外名簿の登録、共通投票所、期日前投票、洋上投票、繰延投票、投票所への同伴)の7項目にそろえて改憲手続法を改正するという法案である。

 与党議員らは、審議は尽くされたなどとして、速やかな採決を求めている。これに対し、立憲民主党、共産党の委員からは、7項目改正案は、期日前投票時間の短縮や、繰延投票期日の告示期限が5日前から2日前までに短縮されているなど投票環境を後退させるものが含まれていること、憲法改正国民投票は、国民が国の根本規範を決める憲法制定権力の行使であり、本当に公選法並びでいいのかという基本的な問題があること、7項目改正案は、たとえば、洋上投票、在外投票、共通投票所、郵便投票の問題など、国民に投票の機会を十分に保障するという点で問題があり、また、CM規制、資金の上限規制、最低投票率の問題など、憲法改正国民投票の公正を保障する議論がなされていないのであるから、審議は不十分であり、採決には程遠いという意見が相次いだ。

改憲問題対策法律家6団体連絡会は、以下の理由により、7項目改正案の採決には強く反対する。

1. 憲法改正国民投票(憲法96条)は、国民の憲法改正権の具体的行使であり、最高法規としての憲法の正当性を確保する重要な手段である。参政権(憲法15条1項)の行使である選挙の投票と同列に扱えば済む、公選法「並び」でよいとするような乱暴な議論は憲法上許されない。

2016年の公職選挙法の改正は、選挙を専門とする委員会で審議され、「憲法改正国民投票の投票環境はどうあるべきか」との観点での議論は全くなされていない。
そもそも、憲法96条の憲法改正国民投票は、国民の憲法改正権の具体的行使であり、最高法規としての憲法の正当性を確保する重要な手段である。狭義の参政権である選挙の投票(憲法15条1項)とすべて同列に扱えば足りるとする議論は性質上許されない。ことは国の根本規範である憲法改正にかかわる問題であり、「公選法並び」などという本質を見誤った議論で法案採決を急ぐことは、国民から付託された憲法審査会の任務を懈怠し、その権威を自ら汚すものというべきである。

2. 7項目改正案には、国民投票環境の後退を招き、また、そのままでは国民投票ができない国民が出るなどの欠陥がある
 法案提出者によれば、7項目改正案の目的は、2016年の公選法の改正法と並べることで「投票環境向上のための法整備」を行うこととされる。しかし、7項目改正案の審議は始まったばかりであり、7項目の内容には以下に例をあげるとおり、投票環境の後退を招き、あるいは国民投票の機会が保障されない国民が出てくるなどの重大な問題がある。
 憲法改正国民投票は、上記の性質上、できる限り多くの国民に投票の機会が保障されなければならないし、投票環境の後退を招くことは許されない。
(1) 法案自体が、投票環境を後退させる
 繰延投票の告示期日の短縮や、期日前投票の弾力的運用は、それ自体、投票環境を後退させるものである。「投票環境向上のための法整備」という立法目的にも明確に違反する。
(2) 投票できない国民が出てくる
 洋上投票制度や在外投票制度は、並びの改正によって投票機会の一部については向上 が図られるものの、結局、このままでは国民投票ができない国民が出てくるため、国民 投票は実施できない。一定の国民について国民投票の機会を保障しないままの法案は、 憲法違反の疑いすらある。この不備を修正しないままで 7 項目改正案を急ぎ成立させる 必要性も合理性もないことは明らかである。
(3) 公選法の改正時には、予期できなかった事情や、公選法改選時の附則や附帯決議で必要な措置の検討などが課されている事項で投票環境の後退のおそれがある。例えば「共通投票所」の設置は、「投票所の集約合理化」=削減をもたらしているという実態がある。「共通投票所」を設けたことによって本当に「投票環境が向上」したのか、「利便性が向上」したのか、総括が必要である。また、在外投票についても、在 外投票人名簿の登録率は減少している(2009年は9.54%に対して2019年は7.14%)ことを踏まえれば、その原因を解明した上で、その対策を施した改正が必要である。

 また、2016年改正後、「投票環境研究会」は郵便投票の対象者を現行の要介護5から要介護3の者に拡大することを提起している。「利便性の向上」というのであれば、主権者である国民の意思が広く適切に国民投票に反映されることが必要であり、とりわけ新型コロナの感染が拡大する中「郵便投票制度」の拡充は投票機会を保障するうえで喫緊の課題の一つである。
 以上の事項については、事情変更により新たな改正や見直しの検討が必要であり、2016年の公選法改正並びの改正を行うだけでは、「投票環境の向上」にはならないか、むしろ後退させる危険性がある。これらの問題を無視して7項目改正案を成立させることは、国会議員としての怠慢以外の何ものでもない。

3. 憲法改正国民投票の結果の公正を担保する議論がなされていない
日本弁護士連合会は、2009年11月18日付け「憲法改正手続法の見直しを求める意見書」において、?投票方式及び発議方式、?公務員・教育者に対する運動規制、?組織的多数人買収・利害誘導罪の設置、?国民に対する情報提供(広報協議会・公費によるテレビ、ラジオ、新聞の利用・有料意見広告放送のあり方)、?発議後国民投票までの期間、?最低投票率と「過半数」、?国民投票無効訴訟、?国会法の改正部分という8項目の見直しを求めている。とりわけ、(?)ラジオ・テレビと並びインターネットの有料広告の問題は、国民投票の公正を担保するうえで議論を避けては通れない本質的な問題である。また、(?)運動の主体についても、企業(外国企業を含む)や外国政府などが、費用の規制もなく完全に自由に国民投票運動ができるとする法制に問題がないか、金で改憲を買う問題がないかについての議論が必須である。

 7項目改正案は、以上のような国民投票の公正を担保し、投票結果に正しく国民の意思が反映されるための措置については全く考慮されていない欠陥改正法案である。結果の公正が保障されない国民投票法のもとで、国民投票は実施できない以上、7項目改正案を急いで成立させる必要性も合理性も全くないことは明らかである。

4. 憲法審査会における審査の在り方
 憲法審査会(前身の調査会も含めて)の審議は、政局を離れ、与野党の立場を越えて合意(コンセンサス)に基づき進めるというのがこれまでの慣例である。憲法審査会では、多数派による強行採決は許されない。また、国民の意思とかけ離れて議論することも、もとより許されないはずである。

 2017年5月に、当時の安倍首相が2020年までに改憲を成し遂げると宣言し、2018年3月に、自民党4項目の改憲案(素案)を取りまとめ、その後2018年6月に、公選法並びの7項目改正案与党らが提出している。同法案が、安倍改憲のために急ぎ間に合わせで作られたものであることは、経過から明らかである。7項目改正案を成立させることは、自民党改憲案が憲法審査会に提示される道を開く環境を整えるだけである。

 今、国民は憲法改正議論を必要と考えていない。7項目改正案を急ぎ成立させることは、国民の意思ではない。

以上

東京と大阪のコロナ猖獗の事態は、無能な人物を首長に選んだ民主主義の劣化が招いたものだ。

(2021年4月19日)
 「苛政は虎よりも猛し」という。無能無策な政治も「苛政」と言わざるを得ない。アベ・スガ政権の無為無策ぶりもさることながら、今や東京都と大阪府、東西両都の為政者の無策の責任が誰の目にも明らかになってきた。両知事の無能ぶり、兄たり難く弟たり難いのだ。無能な政治家を首長に選んだ民主主義の劣化が、「虎よりも猛々しい」コロナ猖獗の事態を招いている。

 まずは、東京都知事小池百合子である。この人の『東京に来ないでください』発言には驚いた。驚きながらも、いかにもこの人らしいとも思った。「排除します」というあの発言を思い出したからだ。

 この人、相変わらずの上から目線。その姿勢が言葉に表れる。『東京に来ないでください』は、コロナは東京の外から持ち込まれるもので、東京から外へコロナが伝播しているという発想はない。これまでの都民に対する「都県境を越える外出自粛」要請も、『来ないで』と同様に、聖なる内側と邪悪な外側の二元論。「排除します」と思わず口に出た思想と通底する。「今はお互いに我慢して、往き来を控えましょう」という言葉にはならないのだ。

 「無信不立(信なくば立たず)」である。為政者に対する民衆の信頼がなければ、政治は成り立たない。同じ言葉も、発する人が信頼に足りなければ効果はない。「排除します」とのたもうた小池百合子の『東京に来ないでください』である。これで、コロナの終熄に向かうとはとうてい思えない。もっと真剣で切実な説明と訴えが必要なのだが、この人にはもう無理だろう。

 次いで、大阪府知事の吉村洋文。昨日(4月18日(日))発表された、大阪府の新型コロナウイルスの新たな感染者は1220人。全国に例を見ない突出した深刻な事態。感染者数だけでなく、医療体制はもはや逼迫の段階ではなく崩壊に至っているとの報道もある。公式発表でも、府内の重症患者専用の病床248床に対して、4月18日現在の重症患者数が286人と、100%を大きく上回っている。

 以下は、維新府政と厳しく切り結んでいる徳岡宏一朗弁護士の4月16日付ブログからの抜粋引用である。私も、まったくこのとおりだと思う。

 イソジンいや維新の会の吉村大阪府知事は2021年4月16日、大阪府内で新たに1209人が新型コロナウイルスに感染したことが確認されたと発表しました。
 これは1日の感染者数としては、昨日15日の1208人を上回ってこれまでで最も多く、4日連続で1000人を超えました。これで、大阪府内の感染者はあわせて6万5591人になりました。
 大阪ではすでに重症者用ベッドがあふれて完全に医療崩壊にまたなっているのですが、感染者増の2週間後に増加する死者数もとうとう増え始め、今日は二けた、16人の死亡が確認され、これで大阪府内で亡くなった人は1254人になりました。
 日本で一番遅く緊急事態宣言を要請し、一番早くに解除した維新の吉村大阪府知事。また日本で一番感染者が多くなって(600人)、日本一早く「まん防」要請という日本一の無能政治家。
 という記事を書いたのですが、それから半月経過して、感染者の数が倍になり事態は悪化する一方です。
 政治は結果がすべてで、それは吉村氏自身が何度も明言してきたところでもあるのですが、この知事はこれだけひどい結果を出し続けているのに、いったいいつ辞めてくれるんでしょうか。

 どれだけ危ない目に遭ったら、大阪市民とマスメディアは吉村維新批判を始めるのでしょうか。それにしても、全く、大阪ワクチンとかイソジンでうがいとか、この人が記者会見して何度もアピールしてきた話はどこに行ったんだか。

 さらに、小池・吉村の両者に対する批判の事実を摘示する毎日新聞記事を引用しておきたい。

11都府県で1月から再発令された新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言に合わせ、営業時間の短縮要請に応じた飲食店への協力金の支給が一部で大幅に遅れている。毎日新聞が対象自治体にアンケートしたところ、3月末までの支給率は京都府、大阪府、東京都が2割台で、飲食店からは悲鳴が上がっている。

 アンケートは11都府県を対象に実施。最初の約1カ月分について各都府県が集計した時短協力金の申請件数と支給状況を聞いたところ、3月末までの支給率は京都府が20%、大阪府が26%、東京都が29%。一方、福岡県は100%、埼玉県は8割台、神奈川県と千葉県は6割台で、首都圏でも支給状況に格差がみられた。

 大阪府26%、東京都29%が、堂々のワーストスリー入りである。やる気がないのか、能力に欠けるのか、住民の気持ちが分からないのか。いずれにしても、虎を野に放置してはおけない。さらに猛々しいという苛政はなおさらのことである。早急に何とかしないと、都民も府民もコロナ禍の猖獗に呑み込まれかねない。

「アンダーコントロール」という言葉によってコントロールされてきた福島の現状

(2021年4月18日)
「白い土地」を読んだ。集英社からの出版だが、朝日新聞(南相馬支局)の現役記者・三浦英之の著書である。「ルポ 福島『帰還困難区域』とその周辺」という副題がついている。

タイトルの『白い土地』とは、「白地」(「東京電力福島第一原発が立地する福島県大熊町などで使われている隠語」)に由来し、「放射線量が極めて高く住民の立ち入りが厳しく制限されている帰還困難区域の中でも将来的に居住の見通しが立たないエリア」を指すという。その言葉どおり、原発事故10年後の『帰還困難区域』のあまりにも厳しい現実の報告である。

朝日にも、この著者のような、行動的で、権力や権威に屈しない、そして体制が作った行儀を弁えない記者のいることがまことに頼もしい。

とりわけ、浪江町長だった馬場有への3度のインタビューを内容とする「ある町長の死」の章は出色で、ここから読み始めることをお薦めする。

事実上の最終章が、「聖火ランナー」である。
聖火リレーのルートが発表されたのは、2019年12月17日だったという。まだ、コロナの感染者のなかったころのことだ。「復興五輪」の聖火リレーは福島から始まる。著者は、その翌日、原発事故で避難区域が設定された11市町村のルートを自分の足で歩いてみたという。

歩くたびに違和感が募るった。そこからは何も「見えない」。事故を起こした福島第一原発も、仮置き場に積み上げられている汚染土を詰め込んだフレコンバッグの山々も、人の手が入らずに朽ち果てそうな帰還困難区域の古い民家も、原発や東電に抗議する立て看板も、原発被災地で暮らしていれば当然目にする日常的な「風景」がそこからは一切視界に入らないようになっているのだ。

著者はこれを「復興の光」だけを発信して、「復興の影」を隠蔽したい為政者や大会主催者の意思を雄弁に物語るものという。

そして、この著書の最終版で、記者は現地を訪れた安倍晋三に質問をする。本来、ぶら下がりの記者会見に参加できるのは、東京から随行してくる官邸記者クラブの総理番記者だけで、地元の記者は質問はおろか、参加すらできないという。それでも、彼は敢えて、「ルール違反」の一問を発する。その場面だけは、引用しておきたい。

 私は咄嗟に自分が一番聞きたい質問を脳内に探し、最高責任者へとぶつけた。
「ここ福島でオリンピックが開かれます。安倍総理はオリンピックを招致する際、第1原発は『アンダーコントロールだ』と言いました。今でも『アンダーコントロール』だとお考えでしょうか

 それは私だけでなく、福島県沿岸部で暮らす人であればきっと誰もが疑問に感じている質問だった。安倍は2013年9月、アルゼンチン・ブェノスアイレスで聞かれたIOC総会で、東京電力福島第一原発を「アンダーコントロール」と表現し、東京オリンピックを誘致していた。
 その会場で彼はこう言い放った。
 「福島については私から保証いたします。状況は『アンダーコントロール』です。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」
 それが明確な「嘘」であることを福島の沿岸部に暮らす人々は完全に見抜いていた。原発事故からどれだけ年月が過ぎ去っても、人々の心配事は常に廃炉作業が続けられている福島第一原発の安全性であり続けてきたからである。頻繁にニュースで取り上げられる汚染水の問題だけではない。原発建屋はすでに津波で大きな被害を受けている。その「壊れた原発」が次なる地震や津波に耐えられるのか…

 私はいつからかこの「アンダーコントロール」という言葉こそが今の福島を苦しめ続けている元凶ではないか ー もっと踏み込んで言えば、今の福島の現状は「アンダーコントロール」という言葉によってコントロールされているのではないか ー と考えるようになった。先の戦争でも「全滅」を「玉砕」、「敗戦」を「終戦」と言い換え、為政者たちの責任を曖昧にしてやり過ごしてきたように、今まさに壊れた原発を「アンダーコントロール」と呼び、東京オリンピックを「復興五輪」と言い換えることによって、政府は被災地の不平を相互批判の目で封じ、福島を国民の団結の象徴として東京オリンピックの開催に利用しようとしている。聖火リレーのスタート直前に内閣総理大臣がこの原発近接地を訪問することは、その象徴と呼べる出来事ではなかったか ー。

 「まさにそうした発信をさせていただきました」
 事前通告のない記者からの質問は随分と久しぶりだったのだろう、安倍は私の質問に一瞬怪訝そうな顔を見せたが、すぐさま表情を元に戻し、「台本」にはないたどたどしい口調でテレビカメラに向かって「アンダーコントロール発言」についての持論を訥々と話し始めた。
 「いろいろな報道がございました。間違った報道(傍点は著者)もあった。その中で正確な発信を致しました。そしてその上においてオリンピックの誘致が決まったものと思います」
 間違った報道……? 私は一瞬、自分の耳を疑った。
 彼の発言はつまりはこういうことらしかった。福島第一原発の現状を伝える一部の報道は「間違い」である。その中で自らが発信した「アンダーコントロール」という表現が正しいのであり、それによって東京オリンピックを誘致できたー彼は本当にそう信じているらしいのだ。

 その事実に私は驚き、混乱と困惑ですぐには正しい思考ができなくなった。それはあまりも稚拙で、独善的で、同時に危険な認識であるように私には思えた。
 彼自身が第一原発をアンダーコントロールだと思い込んでしまえば、この地に暮らす人々の日常や不安はその思い込みに覆い隠されて見えなくなる。本来為政者が真っ先に取り組むべき廃炉や帰還などの政策が大幅に遅滞する悪夢へとつながっていく…

 情報の不足と浅薄な思慮がもたらす、最高権力者の思い込みは恐ろしい。原発問題だけではない。新型コロナ対策についても、歴史認識についても、安全保障政策についても、国際関係についても、経済政策についても、そして憲法改正問題についても。

参勤交代菅のバイデンに対する一層の忠誠

(2021年4月17日)
 菅義偉がバイデンに呼びつけられて、いそいそとワシントンに出向いている。歴代こういう行事が繰り返され、日本の政権と国民は、その都度あらためて主従関係の存在を再認識させられる。さながら、これは参勤交代である。

 幕藩体制においては、諸藩の大名も将軍には忠誠を見せなくてはならない。そのための制度として、参勤交代があった。正確には「参覲交代」と表記するのだという。「参」は「まいる」、「覲」は「まみえる」と訓で読む。どちらも身分上位者への謙譲の語である。菅のバイデン詣では、まさしく「参覲」である。でなければ、「朝貢」。あるいは、上司へのご挨拶。

 呼びつけたバイデンと、呼びつけられた菅は、ワシントンで16日午後(日本時間17日朝)会談し、共同声明を発表した。共同声明の項目は実に多岐にわたっている。基本は、アメリカ側の要請に日本が従ったというものだが、日本側の要望をアメリカが容れたものもあるようだ。

概要は、次のように報道されている。

両首脳は中国の軍事的行動により緊張が高まる台湾情勢について意見交換し、会談後、「台湾海峡の平和と安定の重要性」を明記した共同声明を発表した。中国の東シナ海や南シナ海での海洋進出について「力による現状変更の試み、他者に対する威圧に反対する」との認識で一致。声明で香港と新疆ウイグル自治区の人権問題への「深刻な懸念」も盛り込んだ。

 会談では気候変動問題で日米の協力強化を図る「日米気候パートナーシップ」を立ち上げることで一致。脱炭素化に向け、日米で世界をリードしていく方針を確認した。

 首相は今夏の東京オリンピック・パラリンピックを「世界の団結の象徴」として開催する意向を示し、バイデン氏は支持を表明。

 首相は会見で、共同声明を「今後の日米同盟の羅針盤になる」と述べた。声明では両首脳が「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに両岸問題の平和的解決を促す」と明記した。(毎日)

 米中両大国の狭間に位置する日本が、より強力にアメリカ側に組み込まれた印象である。集団的自衛権の行使が現実味を帯びる事態となりかねない。これまでも、日本国憲法体系は、安保法体系の膝下に封じ込められていると評されてきた。今後はさらに事態の深刻化が予想される。

「新たな時代における日米グローバル・パートナーシップ」と名付けられた、長文の日米首脳共同声明の中の気になる個所を抜粋してみる。

日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。

米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支持を改めて表明した。

米国はまた、日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されることを再確認した。

日米両国は共に、尖閣諸島に対する日本の施政を損おうとするいかなる一方的な行動にも反対する。

日米両国は、困難を増す安全保障環境に即して、抑止力及び対処力を強化すること、サイバー及び宇宙を含む全ての領域を横断する防衛協力を深化させること、そして、拡大抑止を強化することにコミットした。

日米両国は、普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策である、辺野古における普天間飛行場代替施設の建設、馬毛島における空母艦載機着陸訓練施設、米海兵隊部隊の沖縄からグアムへの移転を含む、在日米軍再編に関する現行の取決めを実施することに引き続きコミットしている。

日米両国は、在日米軍の安定的及び持続可能な駐留を確保するため、時宜を得た形で、在日米軍駐留経費負担に関する有意義な多年度の合意を妥結することを決意した。

菅総理とバイデン大統領は、インド太平洋地域及び世界の平和と繁栄に対する中国の行動の影響について意見交換するとともに、経済的なもの及び他の方法による威圧の行使を含む、ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した。

日米両国は、東シナ海におけるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対する。
日米両国は、南シナ海における、中国の不法な海洋権益に関する主張及び活動への反対を改めて表明するとともに、国際法により律せられ、国連海洋法条約に合致した形で航行及び上空飛行の自由が保証される、自由で開かれた南シナ海における強固な共通の利益を再確認した。

日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。

日米両国は、香港及び新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念を共有する。

予想のとおり、中国はこの共同声明に直ちに反発した。
 【北京・共同】在米中国大使館の報道官は17日、日米首脳会談後に発表した共同声明で台湾や香港、新疆ウイグル自治区に関する問題などを盛り込んだことについて「強烈な不満と断固反対を表明する」との談話を出した。

また、これも当然のことながら台湾は歓迎している。
 台湾、日米共同声明を歓迎 中国に情勢安定への貢献期待
 【ワシントン・ロイター】台湾は、日米首脳が共同声明で「台湾海峡の平和と安 定の重要性」明記したことを歓迎し、中国に責任ある行動を呼び掛けた。台湾総統府の報道官は声明で「われわれは、台湾海峡および地域の一員として中国当局が自らの責任を果たし、安定と幸福に共に前向きな貢献をすることを期待する」と述べた。

 日本の周囲の国際関係は、さらに緊張度を高めることになろう。今以上に、憲法9条のリアリティが問われることになる。

アンダーコントロールの正体みたり、汚染水の海洋排出。

(2021年4月16日)
 漁民のみならず福島県民の反対を押し切って、東京電力福島第1原発の敷地内に貯蔵されている「汚染水」が海洋放出されることになった。海洋の汚染は、国際問題でもある。けっして、どこの国の原発もやっていると安易な問題にしてはならない。

 全漁連の会長が、「絶対に反対」「この立場にいささかの揺るぎもない」と言っている。一昔前は、農村も漁村も保守の地盤だった。今や、農民も漁民もバカバカしくって自民党の支持などやってはおられない。こういう事件を通して、政権与党が誰の味方なのか、あぶり出されてくるのだ。

 東京電力は2015年に福島県漁業協同組合連合会(県漁連)に対し、「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」と「約束」していた。が、この約束は、あっさりと破られ水に流された。流され失われたものは、汚染水と約束だけではなく、国家への信頼であり、自民党への支持でもある。

 国もメディアも、問題は「風評被害」だと言う。漁民や沿岸地域の被害は、実態のない「風評」に過ぎないと決めてかかっているのだ。

 つまり、排出される汚染水とは、トリチウム以外の核種を含まない。そのトリチウムの毒性は弱い。しかも、安全基準の40分の1の濃度に希釈して、30年?40年かけて徐々に排出するのだから騒ぐ方がおかしい、と言わんばかり。麻生などは「飲んでもなんてことはないそうだ」と調子に乗っているが、放射性物質に汚染された水を海洋に捨てて本当に大丈夫なはずはない。

 実は、排出される汚染水には、トリチウム以外の核種も含まれている。そして、どうしても除去しきれないトリチウムの人体への影響は未知というべきなのだ。

現在、貯留されている汚染水量は約120万?。この中に、約860兆ベクレルのトリチウムだけでなく、セシウム137、セシウム134、ストロンチウム90、ヨウ素129などの放射性物質が残留し、7割以上のタンクの水が安全基準を超えている(原子力市民委員会)。

 政府・東電はこれを認めた上で、ALPSで再処理をしてトリチゥム以外の核種を除去して海洋放出を実行するという。えっ? なんですと。一度ALPSを通して除去できず、汚染水に残った核種が、再処理すればなくなるというのか。本当だろうか。

「東京電力が2020年12月24日に公表した資料によると、処理水を2次処理してもトリチウム以外に12の核種を除去できないことがわかっています。2次処理後も残る核種には、半減期が長いものも多く、ヨウ素129は約1570万年、セシウム135は約230万年、炭素14は約5700年です」
「ALPS処理水と、通常の原発排水は、まったく違うものです。ALPSでも処理できない核種のうち、11核種は通常の原発排水には含まれない核種です。通常の原発は、燃料棒は被膜に覆われ、冷却水が直接、燃料棒に触れることはありません。でも、福島第1原発は、むき出しの燃料棒に直接触れた水が発生している。処理水に含まれるのは、“事故由来の核種”です」(自民党処理水等政策勉強会・山本拓議員)

 第1原発敷地内のタンクに貯蔵されている汚染水の7割には、ALPSで除去できないトリチウム以外にも、規制基準以上の放射性物質が残っている。この事実が18年に発覚するまで、政府と東電は「トリチウム以外は除去できている」と言って、国民を欺いてきた。透明性は希薄である。信頼性は著しく低い。

ここで頼みの綱となるALPS(汚染水を浄化処理する多核種除去設備=ALPS)だが、実は2013年に東電が導入後、現在まで8年間も「試験運転」のままなのだという。いったいどういうことだ。

 4月14日の参院資源エネルギー調査会で、共産党の山添拓議員が問題を取り上げた。「トリチウム以外は除去できているのか」と追及。新川達也経産省審議官は「タンクにためた水の約7割には、トリチウム以外にも規制基準値以上の汚染物質が残っている」と認めた。

 また山添は、アルプス処理施設が2013年の稼働開始後、法律で求められる検査がされていないのではと質問。原子力規制委員会の更田豊志委員長は「使用前検査の手続きを飛ばしているところがある」と答えている。政府は海洋放出を「安全」と喧伝するが、それはALPSが願望のとおりの除去作用あってのこと。その“頼みの綱”の性能はまだ「確認中」。ハッキリしてはいない。これが、アンダーコントロールの正体なのだ。

民族の伝統だ。大和魂だ。コロナに打ち勝って東京五輪をやり抜くぞ!

(2021年4月15日)
 東京五輪は国策だ。しこたま金もかけている。これからがいよいよ儲けの本番だ。何が何でも東京五輪は断行だ。断じて行えば鬼神もこれを避く。必ずカミカゼが吹く。

 政権浮揚と無能都政挽回に千載一遇のチャンスだ。だからオリパラ中止はあり得ない。聖火リレーも始めたんだ。感動の大安売りだ。さあ、一億火の玉となってオリンピックに邁進だ。

 汚染水も新型コロナも、全てはアンダーコントロールだ。閣議決定でなんでも決められるんだから、心配することはない。アベの遺産を継承して突っ走るだけなのだ。

 日本民族の歴史と文化と伝統だ。いったん走り始めたら方向転換はもう無理だ。精神力が全てだぞ。撃ちてし止まんの精神だ。大和魂でコロナを退散させるのだ。人類がコロナに打ち勝った証しとしての東京五輪を実現するぞ。掛け声だけでも勇ましく。

 東京五輪開幕まで100日を切った。コロナの蔓延は拡大の一途である。新規感染者の伸びは想定を超える厳しさ。五輪開催に「赤信号」がともりかねない深刻な事態。だが、政権も都政も、新型コロナウイルス対策に万全を期すとして、「安全・安心な大会」を実現させる目標を堅持する。「五輪中止」は念頭にないようだ。少なくとも表向きは。

 そんなスガ・コイケの醸しだす空気とは、まったく次元を異にする本日の二階俊博発言である。東京五輪開催についての、「無理ならすぱっとやめないといけない」という、この言葉が日本中を駆け巡った。

 どんなに、留保や条件を付けたと言ってみても、政権や都政がこれまで言ってきたこととは、まったく異なるのだ。「すぱっとやめないと」は、大きな衝撃である。世人は、「やっぱり、政権与党も本心ではオリンピック中止やむなしと考えているんだ」と受けとめた。

 二階発言の正確な内容は、TBS(CS)の番組に出演して「五輪開催でコロナの感染拡大を懸念する声がある」と記者から問われて、「これ以上とても無理だということだったら、スパッとやめないといけない。五輪で感染をまん延させると、何のための五輪か分からない」と述べ、さらに中止の選択肢があるかを問われると「当然だ」と述べたというもの。

 もちろん、二階は同じ番組内で「五輪を盛り上げることが日本にとって大事だ。大きなチャンスだ。成功させたい」とも述べている。だから、「すぱっとやめないと」部分の独り歩きは本意ではないと言いたいようだ。番組終了の直後に、「ぜひ成功させたいという思い。何が何でもオリンピック、パラリンピックを開催するかと問われれば、それは違うという意味で述べた」と釈明したが、意味のある釈明にはなっていない。

 自民党や政権に「ぜひ東京五輪を成功させたいという思い」があることは周知の事実で、今さら語るにも聞くにも値しない。国民の多くが、菅政権や小池都政は、「何が何でもオリンピック、パラリンピックを開催する」意気込みなのだと考えざるを得ない印象を与えるなかで、「それは違う」という二階の発言が新鮮で衝撃だったのだ。延期された東京五輪の中止も現実的な選択肢なのだ。

 既に深刻なコロナ蔓延の事態が現実化している。この事態において、「無理ならすぱっとやめないといけない」「何が何でもオリ・パラを開催するかと問われれば、それは違う」と述べられれば、中止を含意する発言と受けとめられて当然なのだ。

 加藤勝信官房長官は、二階発言の火消しに躍起となった。が、火の勢いは止められない。何しろ「政府としては東京五輪の開催に向け、必要な対策を具体的に進めている」と言うだけなのだ。国民誰もが、「政府のコロナ対策はまったく有効になっていない」と思っている。加藤弁明はまったく迫力に欠ける。

 また、加藤は「国民が東京大会を受け入れられると思っていただけることが重要で、最大の課題は新型コロナウイルス対策である」としたうえ、組織委や東京都などに政府も加わって作成されたコロナ対策調整会議で作成された中間取りまとめをもとに、さらに検討が進められていると強調。「必要な対策をさらに具体的に進めているところだ」とも語ったとほうじられている。なんという具体性に乏しい、なんという説得力のない発言。このくらいのことしか語り得ないのだ。

 コロナ対策への専念か、それとも五輪の強行か。それを決めるものは民意である。理性に基づく民意は、東京五輪の実現を既に非現実的なものとしている。東京オリパラは、もはや中止しかない。 

アパホテルもDHCも、今の体質のままでは消費者からの制裁を免れない。

(2021年4月14日)
 あの日はカンザンが盛りだったから、ごく先日のこと。桜を見ての帰りの散歩道で小さな郵便局に立ち寄って定額小為替を購入した。いつもは、本郷郵便局に通い慣れて、窓口で不愉快な思いをしたことはない。

 この日も、対応の局員がテキパキとして好印象。天気はよし、桜はきれいで、気分は上々だった。ところが、手続が終わってハッと気が付いた。窓口のカウンターに、アパホテルのカレーの箱が置いてある。値段がついているから売り物なのだ。えっ? なんだ。いったい、これは。

 突然に気分が悪くなった。何か非日常の不気味で邪悪なものに遭遇した感じ。この郵便局の印象がガラッと変わった。思わず、大きな声になった。「このアパホテルのカレーは、おたくの局だけで売っているもの? それとも日本郵便の全局で扱っているの?」。気の毒に、かの局員は戸惑ったご様子。「さあ。よく分かりませんが、うちだけではないんじゃないかと思いますよ」

 「アパホテルと言えば、《日本軍の南京大虐殺はウソだ》と言っている有名な右翼でしょう。憲法改正も核武装も言っている。郵便局がそんなところの商品を扱って問題にされたことはないんですか」
 「さあ。そう、言われましても…」(そりゃ、そのとおりだよね…)
 「これを見て不愉快になった。もう、この局には2度と来ない」
 
 DHCだの、フジ住宅だの、アパホテルだの。デマやヘイトや、歴史修正主義の右翼企業が大手を振って経営できている現状を嘆かざるを得ない。本来、こういう企業には、消費者がお灸を据えて、淘汰しなければならないのだ。

 資本主義の経済社会における商品は、最終的には市場で消費者に選択されなければならない。消費者には商品の選択権があるのだ。消費者が、商品選択を通じて企業の生殺与奪の権を握っている。性能と価格だけに着目して、商品の選択をしてはならない。

 商品を提供している企業にも着目しよう。デマやヘイトやスラップや歴史修正主義企業の製品はボイコットしよう。労働者に対するブラック企業をのさばらせてはならない。ステルスマーケティングをやっている消費者欺しの企業も容認してはならない。環境問題に無頓着な企業にはマーケットから退場してもらおう。

 日々の消費行動を通じて、人権や民主主義や平和に貢献できるのだ。DHCの製品は買わない。アパホテルには泊まらない。フジ住宅には発注しない。それだけでも、おおきな社会貢献なのだ。

 来歴は不明だが、下記のURLをいただいた。私はテレビを見ないので、「4月9日 NHKおはよう日本」の番組を見ていない。
 
 4月9日 NHKおはよう日本 問われる企業の人権意識
 https://www.youtube.com/watch?v=yDxSF1-cogE

 この動画サイトをみて、改めてこれはインパクトが大きいと思った。社会の趨勢は、デマやヘイトを許さないとしている。NHKも、その陣営に入ってきている。DHCよ、吉田嘉明よ。いつまで悪あがきを続けるのだ。資本主義的経営の合理性は、DHCのデマやヘイトやスラップの体質改善を求めているではないか。アパホテルもフジ住宅も同様である。

30年前の東京地裁103号法廷に、ラムゼー・クラーク(元米司法長官)が立っていた。

(2021年4月13日)
 今朝の朝刊各紙に、ラムゼー・クラーク(元米司法長官)の死亡が報じられている。

 米メディアによると、9日、ニューヨーク市の自宅で死去、93歳。めいのシャロン・ウェルチ氏が明らかにした。死因は不明。
 ジョンソン政権時の1967?69年に司法長官を務め、学校での人種差別廃止の徹底に取り組むなど、公民権運動に重要な役割を果たした。退任後は人権派弁護士として活動。独裁政権時の人道犯罪を問われたイラクのフセイン元大統領、旧ユーゴスラビア紛争で戦争犯罪などに問われたミロシェビッチ元ユーゴ大統領に対する裁判に弁護団として加わり、議論を呼んだ。(共同) 

 ラムゼー・クラークには、思い出がある。日本政府の湾岸戦争加担を違憲だと訴えた、「ピース・ナウ! 市民平和訴訟」の第1回法廷に、この人は、事実上出廷し意見陳述をしているのだ。1991年9月10日のことである。

 ラムゼー・クラーク、訴訟の原告ではない。代理人でもない。証人として採用されているわけでもない。だから、第1回の法廷で意見を陳述する資格はない。それでも、弁護団事務局長だった私は考えた。せっかくの機会だ。元アメリカ合衆国の司法長官が、この不正義の湾岸戦争に反対しているということを裁判官に何とかアピールできないだろうか。

 彼には、103号大法廷傍聴席の最前列の真ん中に着席してもらった。そして、私が代理人席から彼を裁判長に紹介した。彼の隣で梓澤和幸君が通訳を引き受けてくれた。そして、原告の大川原百合子さんが、冒頭の原告意見陳述の形式で、ラムゼー・クラークのスピーチを日本語訳して代読した。この間、彼クラークは、傍聴席に着席することなく、起立したままだった。

 そして、陳述を終えた大川原さんが、証人席から振り向いて、クラークに握手を求めたところ、なんと彼は大川原さんを堂々と抱き寄せて、柵越しにではあるがハグしたのだ。前代未聞の法廷風景であった。

 その日の法廷の、原告と原告訴訟代理人の意見陳述はたっぷり1時間半。その熱気は、以下の「ピース・ナウ! 戦争に税金を払わない! 市民平和訴訟 ニュース」(1991.9.28 NO7)のとおり(抜粋)である。

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熱意と論理で圧倒した口頭弁論

傍聴者150名を超える

拍手が沸き起こった法廷

 午前9時半から、東京弁護士会館に原告たちは集まった。長野や静岡など遠方からの原告もいたし、同様の訴訟を起こしている鹿児島・大阪・名古屋の原告の人たちもいた。ともあれ、傍聴席100人以上の法廷をいっぱいにしなければ、という運営委員会の心配は消え、途中、39名の傍聴者の入れ替えをするほどだった。

 第1回口頭弁論に臨むにあたって、弁護団事務局長の潭藤統一郎弁護士が、「裁判官を含めたすべての出席者にとって、法廷を学習する場にしていきたい」とアピール。
 10時半から開かれた法廷では、以下の順で原告側の口頭陳述が行われた。
1 本件訴訟の意義と基本構成/徳岡宏一郎弁護士
2 提訴の動機/原告・剣持一巳氏、加藤量子氏
3 平和的生存権を裁判で回復する意義と可能性/(原告)金子勝氏
4 殺さない権利/原告・三宅和子氏、斉藤美智子氏
5 納税者基本権 加藤朔朗弁護士
6 九〇億ドル支出への思い/原告・元山俊美氏、
  
クラーク氏の見解/原告・大川原百合子氏
7 司法権の使命/後藤昌次郎弁護士
8 裁判所へ期待する/原告・大橋聡美氏
9 まとめと今後の主張・立証計画/池田眞規弁護士
10 終わりに/尾崎陞弁護士

 原告たちの体験に基づいた真摯で思いのあふれた陳述や、学者や弁護士の立場からの力強い陳述が続き、聴く人たちに感動と共鳴を与えた。陳述が終わるごとに抑えた拍手が沸き起こったが、裁判長から一切静止されるようなことはなかった。

 ラムゼー・クラーク氏の陳述は原告の大川原さんが氏の意見を陳述することになったのだが、その陳述中、氏は傍聴席の最前列で起立したままであった。

(閉廷後に)傍聴の感想を求められたクラーク氏は、「市民平和訴訟のことは広く世界に知らせていかなければならない。裁判所が違憲違法であると判断したならば、国際司法裁判所で、米政府に(援助金)返還を求める必要がある。もしも150億ドルが皆さま方の手に戻りましたら、どういうふうに使うべきかアドバイスしたい。世界は戦争ではなく、愛を必要としている・・・」などと語った。

 1991年9月10日は、午前中の第1回口頭弁論、夜の「湾岸戦を告発する東京公聴会」と、私たち市民平和訴訟の会にとって、実にドラマチックで感動的な一日となった。

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法廷…こぼればなし

◇ 当日司会役の澤藤弁護士がネクタイをしめて登場。他の弁護士の方々「あれ、ネクタイ持ってたの?」「買ったんです」澤藤弁護士のこの法廷にかける意気込みが感じられました。

◇ 陳述中に何度か拍手が沸き起こりました。禁止事項なので最初は遠慮がちでしたが、何も言われないのでしまいには大拍手に。

◇ 大川原さんの陳述中、傍聴席のクラーク氏はずっと起立されたままでした。普通傍聴人は立つことは認められません。

◇ そして大川原さんは陳述後クラーク氏に歩み寄り握手を求めたのですが、なんとクラーク氏は大川原さんを抱きよせキスをしたのです。この日本の法廷始まって以来のハプニングに一同唖然。フライデーが来ていたという話もあり、写真撮影不可とは残念。

 ほぼ、30年ほど前のことである。そのラムゼー・クラークが亡くなったという報せに、時の遷りについての感慨がある。あの法廷の裁判長は、涌井紀夫さん。その後、最高裁裁判官となったが、在任中に病没している。弁護団・長老格の尾崎陞さん、三井明さんも間もなく亡くなった。当時弁護士として盛りの活躍を見せていた池田眞規さん、後藤昌次郎さんも今はない。私の同期で、この事件を最後まで引き受けた加藤朔朗君も病を得て亡くなった。原告団の中心にいた、剣持一巳さん、 元山俊美さん、大橋聡美さんらも今は鬼籍にある。

 往時茫々ではあるが、あの頃と較べて、9条の平和主義は輝きを増しているだろうか。それとも衰微しているだろうか。裁判所は、当事者の声に耳を傾ける場として、よりマシになっているだろうか。あるいは後退しているだろうか。

「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」 出版記念集会へのお誘い

(2021年4月12日)
4月24日(土)の「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年―」出版記念集会が間近である。この集会にお誘いしたい。

 時節柄、集会は事前予約制で、会場参加80人、オンライン100人の募集。いずれも無料だが、まだ参加申込みは埋まらない。

下記URLから申込ができる。
https://bit.ly/30nB5fr
オンライン参加者には集会前日までにリンクを送付します。

「司法はこれでいいのか ― 裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」出版記念集会
日時 2020年4月24日(土) 13時30分?17時 
会場 アルカディア市ヶ谷(私学会館)・6階「霧島」
主催:司法はこれでいいのか23期弁護士ネットワーク
共催:青年法律家協会 弁護士学者合同部会
協賛:日本民主法律家協会

詳細は、下記URLを参照ください。
https://jdla.jp/event/pdf/210424.pdf

進行予定と担当
(会場参加者にはプリントアウトした詳細レジメを配布します。
 オンライン参加者には、メールで配信いたします。)

☆全体司会      ・澤藤統一郎
☆出版と集会の趣旨説明・村山 晃
☆挨拶   ・阪口徳雄
☆メッセージ(代読)  ・宮本康昭氏(13期再任拒否当事者)

第1部 パネルディスカッション(司法の現状把握と希望への道筋)
    パネラー  西川伸一・岡田正則・伊藤真の各氏
☆パネラー冒頭発言
 ・西川伸一氏 司法の現状:制度と運用の実態をどう把握するか
 ・岡田正則氏 司法の現状:司法はあるべき職責を果たしているか
 ・伊藤 真氏 司法の希望への道筋をどう見い出すか。
☆各パネラーへの質疑と意見交換  司会 梓澤和幸

第2部 具体的事件を通じて司法の希望を語る
1 東海第二原発運転差止訴訟弁護団 丸山幸司弁護士
2 生活保護基準引下げ違憲大阪訴訟 小久保哲郎弁護士
3 同性婚人権救済弁護団・札幌訴訟 皆川洋美弁護士
4 建設アスベスト京都1陣訴訟弁護団 谷文彰弁護士
5 東京大空襲訴訟弁護団 杉浦ひとみ弁護士
☆フリーディスカッション      司会・豊川義明
 ※冒頭発言 森野俊彦弁護士(23期・元裁判官)
 ※個別事件での獲得課題と司法を変えていく課題とはどう結びつくか。
 ※司法の独立・民主化に向けて今何が課題なのか など。

☆議論のまとめ 「司法の希望を切り開くために」豊川義明
☆青法協弁学合同部会議長 上野格  挨拶
☆閉会あいさつ           梓澤和幸

 50年以前の1971年4月5日、その日は司法修習23期生の修習修了式だった。この日修習を終えた500人は全国に散って、すぐにも弁護士・裁判官・検察官としてそれぞれの職業生活を始めるはずだった。ところが、この日に、一人の修習生が罷免された。彼、阪口徳雄君は、この修習修了式の冒頭、式辞を始めようとした所長に対して、マイクを取って発言した。それが罷免理由とされた。

 彼は同期の総意に基づいて発言したのだ。何を求めての発言か。それを語らねばならない。この日の前に同期の裁判官任官希望者のうちの7名が最高裁から任官を拒否されていた。最高裁当局は頑として理由を説明しなかった。同期の誰もが、これは最高裁による思想差別であり、裁判官全体に対する統制が狙いだと考えた。憲法の砦たるべき最高裁が、自ら思想差別を行っている。しかも、裁判官の独立をないがしろにしている。

 これから、法曹になろうとする我々が、身近に起こっている違憲の事態を看過してよいはずはない。せめて、終了式の場で任官を拒否された者に発言の機会を与えてもらいたい。これが、同期の総意であり、この総意を受けた阪口君の発言であった。

 阪口君は、けっして無作法な態度をとっていない、所長は明らかに黙認しており、けっして制止をしていない。この点は、「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」の第1章に手際よくまとめられている。また、巻末の資料「阪口司法修習生罷免処分実態調査報告書」(東京弁護士会)にも詳細である。是非お読みいただきたい。

 所長からの同意を得たと思った阪口君が、「任官不採用者の話を聞いていただきたい」と話し始めた途端に、「終了式は終了いたしまーす」と宣告された。開会から終了まで、わずか1分15秒である。

 式場が混乱したわけではない、阪口君が制止を振り切って発言したわけでもない。何よりも、この事態を招いたのは、最高裁に大きな責任があるのだ。しかし、最高裁はその日の内に阪口君を罷免処分とした。

 彼は2年後に法曹資格を回復する。そのためには、最高裁を批判する市民運動の高揚が必要だった。23期の法曹は1971年4月5日の原体験を出発点として、その後の職業生活を送ってきた。「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」(現代書館)は、その思いの記録である。
 
【主要目次】
第1章 任官拒否、修習生罷免、そして法曹資格回復
第2章 群像――1971年春
    本田雅和(ジャーナリスト)
第3章 生涯と生きがいを語る
    23期各弁護士の執筆
第4章 司法官僚――石田和外裁判官の戦後
    西川伸一(明治大学政治経済学部教授)

定価 2200円(税込み) 頁数 368ページ

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日本政府は、ミャンマーの民衆の側に立って、実効性のある国軍批判の措置をとれ。

(2021年4月11日)
 戦慄すべきミャンマーの事態である。連日の犠牲者の報道に胸が痛む。軍事クーデターだけでも衝撃だが、クーデターを批判する民衆に対する理不尽な弾圧には言葉もない。これは、軍事組織による人民の大量虐殺である。世界中からの批判の集中が求められている。

 このような局面では、もっとも尊敬すべき勇敢な人物が、最前線の最も危険な場に踏みとどまって犠牲になる。多くの犠牲者に哀悼の意を表するとともに、この深刻な事態に抵抗を継続するミャンマーの人々に最大限の敬意を禁じえない。

 他方、一片の大義もない軍事「政権」を、殺人者集団として強く非難する。同時に、実質的にこの殺戮を擁護し利用しようとしている、軍政の背後にある中国やロシアも批判しなければならない。「内政不干渉」という言葉に怯んではならない。

 街中で、暴漢が誰かを殴っていたら、知らぬ顔を決めこんではならない。理不尽な暴力を見て見ぬふりをしてはいけない。暴力を批判し、暴力を受けている市民を救う手立てを講じなければならない。国際関係においても同様である。

 理不尽な国家の暴力行使に対しては、国際社会がこれを許さないとする、断乎たる意思を表明しなければならない。「内政不干渉」が、理不尽な国家の暴力に対する他国の批判を許さないとする理屈として使われる事態を容認してはならない。

 人権の尊重は普遍的な理念である。人権蹂躙の極致としての集団虐殺は、国際世論において最大限の厳しさで非難されなければならない。「内政不干渉」を防壁として国軍批判を封じ込もうというのは、倒錯も甚だしい。

 国連安保理はミャンマー情勢に関して、デモ参加者にたいする国軍の暴力を非難する声明は発した。しかし、実効性のある制裁措置は執ることができないし、軍の実権掌握をクーデターとして非難する声明さえ、発することができていない。中国、ロシア、インド、ベトナムの反対があるからだという。

 ミャンマーの抵抗運動はこれに失望し、軍事政権の背後にチラつく中国・ロシアを批判し始めた。デモ隊は、国連安全保障理事会での中国の姿勢に抗議するとして、デモ参加者が中国の国旗に火をつけている。中国はこの事態を重く受けとめるであろうか。あるいは、軍政支援の口実を得たとするだろうか。

 国際世論の批判不十分な状況で、軍事政権は弾圧をエスカレートしている。民主的に構成された政府を武力で転覆させた軍事政権は「違法」な存在である。これに対する人民の批判・抵抗は、本質的な正当性をもっている。ところが、軍政は戒厳令を敷き、人民の抵抗を「犯罪行為」として制圧しようとしているのだ。

 ミャンマー国営テレビは一昨日(4月9日)の夜、ヤンゴンで国軍関係者2人を死傷させたとして、19人が軍法会議で死刑判決を言い渡されたと伝えた。事件は3月27日の国軍記念日のデモの中で起きたという。この日、国軍はデモ隊に発砲して100人を越す人々を殺戮している。殺人者集団が、被害者側を起訴して、死刑判決を下したのだ。

 戒厳とは、一定の地域を定めて、その地域内での立法・行政・司法の権限を軍に集中することである。憲法の停止であり、民主主義の凍結と言ってもよい。19人に死刑判決を言い渡したのは、軍法会議である。うち、17人は在廷しないままの判決で、以後、死刑判決の受刑者として当局から追われる身になる。当然のことながら、この軍法会議は信用されていない。予てから、恣意的な判決が出るのではないかと懸念されていた。市民のSNSには、デモ活動を封じ込めるために虚偽の犯罪をでっち上げたとの批判が噴出しているという。

 人権団体「政治犯支援協会」によると、4月9日時点で、2931人が国軍側に拘束されており、520人に逮捕状が出ている。デモ弾圧などによる死者は618人に上っているという。

 問題は日本政府の姿勢である。実は、「日本はミャンマーに対する最大の援助国で、2019年度はヤンゴンとマンダレーを結ぶ鉄道やヤンゴンの下水道などの大型インフラ事業を含め1893億円の供与が決まった。累計でいえば、有償、無償、技術協力合わせて2兆円近い支出をしている。」(柴田直治・近畿大学教授)という。その日本に、ミャンマーに対する影響力がないはずはない。
 https://toyokeizai.net/articles/-/420565

同教授の以下の提言に賛成する。

「非道な国軍につくのか、それともミャンマー国民の側に立つのか、日本政府の選択肢は2つに1つしかない。しかも、速やかに旗幟を鮮明にする必要がある。
とすれば日本政府は一刻も早くミャンマー国民、中でも危険を冒して抗議する若者らに伝わる明確な意思表示をするべきだ。現況、「日本はミャンマー国民の側に立っている」とは受け止められていないと感じるからだ。」
 ではどうするか。やれることはある。
 それは、継続案件も含めたODAの全面停止のほか、日本企業に国軍関連企業との取引停止を要請すること、さらに踏み込めば、国民民主連盟(NLD)の当選議員らでつくる連邦議会代表委員会(CRPH)の正統性を認めることだ。口先だけではない姿勢をミャンマー国民にも国軍にも直接的に示すことが肝心だ。
 こうした意思表示は同時に日本国民に対するメッセージにもなる。2011年の民政移管後に5000億円にのぼる過去の延滞債権も放棄した。債権放棄は民主化の進展が前提条件だったはずだが、国軍の暴挙で日本国民の善意が完膚なきまでに蔑ろにされているいま、日本政府は納税者に対しても毅然とした姿勢をみせる必要がある。」

 まったく、そのとおりではないか。日本政府は、ミャンマーの民衆の立場に立つことを鮮明にしたうえ、実効性ある国軍批判の諸措置を採らねばならない。そして、もはや一刻の猶予も許されない。

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