澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

耳を傾けていただきたい。法廷での魂の叫びにー。

(2022年2月8日)
 昨日の午前11時東京地裁631号法廷で、東京「君が代」裁判・第5次訴訟・第3回ロ頭弁論期日が開かれた。

 原告は、この日3通の準備書面を提出した。「10・23通達」に関連の最高裁判決における合違憲判断の枠組みが原告の主張を正確にとらえていないこと(準備書面(3))、教育の本質と戦後教育改革の理念とを踏まえた旭川学テ最高裁大法廷判決を論じて(準備書面(4))、その理念に逆行している東京都の教育現場の実態、とりわけ特別支援学校において分かり易く可視化されている「日の丸・君が代」強制の反教育的性格(準備書面(5))を裁判官に訴えた。

 この日の法廷では、原告2名と代理人弁護士1名が口頭で意見を陳述した。原告はその心情を吐露し、弁護士は合計200ページ余の3通の準備書面の要約を語った。当然のことながら、弁護士陳述は感動的なものたり得ないが、原告の意見陳述はこのうえなく感動的なものであった。3名の裁判官とも、いずれも真摯な態度でよく耳を傾けてくれた。

 強制されてなお、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明をしがたいという教員の姿勢は、けっしてわがままでも、独りよがりでもない。教員としての職責のあり方を突き詰めて考え、自分自身の教員としての生き方を裏切ることができないという重い決意で、不起立に至っている。そのことの重さが裁判官にも伝わったのではないかと思う。

 情報や論理については「書面を読めば分かる」ものでもあろうが、肉声でなくては伝わらないものもある。人の精神の奥底にある懊悩や、それを克服しての決意の重さは、文字では伝わりにくい。原告お二人の陳述は、聞く人の胸に訴え、人の心を動かす真摯さに溢れたものであった。法廷にいる皆が、人の精神の崇高さに触れたと思ったのではないだろうか。以下は、その抜粋の要約である。

(1) 原告Y教員 意見陳述要旨

 私は十代後半から二十代にかけて、「死」という絶対的な無に帰す人生に意味も、目的も見いだせずただ恐怖ばかりが募り苦しみました。その恐怖の中で、命は有限という点で平等なのだと気づきました。それまで、人間はみな平等と言われても、能力も、資産も、容貌も生まれつき大きな差があり、全く不平等だと思っていましたが、「無限・永遠」を対比させれば、寿命の長短は意味を失い、死ぬべき命を今生きているという共通点があるばかりです。そして、私は一人ではない、同じ運命の他者が与えられている。他者と共に生きる時、人生の意味や価値を見いだすことができる、と考えるようになりました。このような思いに至るにはキリスト教との出会いがあり、信仰を与えられたことが大きな転機となりました。大学2年の時に洗礼を受け、教師という職業も信仰によって選びました。「神と人とに仕える」生き方ができる仕事だと思ったからです。

 教員になって二年目、初めて担任したクラスの生徒が夏休み中に自死してしまいました。遺書はありませんでした。わかったのはただひとつ、私の目には彼の悩みや苦しみが何一つ見えていなかったという事実だけです。担任の仕事とは「今」「気づかなければならない一人」に気づけるかどうかなのだ、と激しい後悔の中で肝に銘じました。「ひとりの命、ひとりの存在をできる限り大切にする。あとで後悔しても遅いのだから」これが私の教師としての良心です。

 「君が代」の「君」は象徴天皇制における天皇を指す、と政府は説明しました。「君が代」はこの「君」という特別な存在を認める歌です。神の前に特別な一人、はあり得ない。すべての人は、「神から与えられた限りある一つの命」を今生きている。この絶対的な平等ゆえに互いの命を尊重しあうことが可能になると私は考えます。
 クリスチャンは神から与えられている他者に区別を設けず隣り人として尊び、愛せよと教えられています。私は天皇賛歌であった「君が代」を国歌として歌うことはできません。特別な一人のために、国民がたった一つの自分の命を捧げて、たった一つの相手の命を奪うべく戦ったのは、ごく近い過去の出来事です。命に軽重はあり得ないのに、そこに特別な存在を設けるとき、ひとりひとりの命の絶対的なかけがえのなさが、見失われていきます。同時に、「他者と共に生きる」ための接点をも失ってしまうのです。クリスチャンとして教師として、「目の前の一人の生徒がすべて」と念じてかかわろうとしてきた私の良心に照らして、「君が代」は相容れないのです。

 私は教師として自分の無力さを痛感しています。ひとりの生徒を理解し、関係を築くために必要な、優しさも、想像力も、共感する力も、忍耐力も、なにもかも足りない私に、あるのは信仰だけなのです。その私に、職務命令は、上司という人の命令に従うのか、信仰を持ち続け神に従うのか、と迫るのです。

 私はこれまでも、都教委は個々人の思想、良心、信仰などの心の自由を「命令」で支配、強制してはならないと訴えてきました。しかしこれまでの判決では「10・23通達に基づく職務命令が信仰を持つ者にとって間接的な制約になるとしても、職務上の理由があるのだから、内心の自由の侵害には当たらない」とされてきました。クリスチャンにとってこの命令がある種の踏み絵だとしても、信仰を捨てて踏み絵を踏めとは言っていない、[心の中で何を信じてもけっこうだが、職務命令に従って踏み絵を踏んでください。『教育公務員として上司の命令に従わねばならない』という立派な言い訳が立つのだから、外形的な行為として踏み絵を踏んでもあなたの内面の信仰には何の問題もないはずだ」というのです。遠藤周作の小説『沈黙』でキリシタンに[形だけ踏めばよいのじや]と勧める役人と同じです。しかし信仰を持つ者は心と行動を切り離して言い訳をするとき、自ら信仰を捨てたと自覚するのです。だから踏み絵は切支丹弾圧に有効だったのです。

 この問題に関してお互いに祈り合うクリスチャン教員の会もあります。採用試験に合格し、赴任校も決まっていたのに、任用前の打ち合わせで国歌斉唱を命じられ、採用辞退したクリスチャン青年にも会いました。そして、この職務命令はまた、自分の考えで立たない、歌わないという生徒をも追い詰めるのです。少数者に踏み桧を強いる職務命令は教育現場をゆがめ、社会を変質させていきます。「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」という警句を思わずにはいられません。この訴訟では、「内心の自由とは、信仰者が信仰に従って生きぬく自由である」ことを認めていただき、戒告再処分の取り消しをお願いいたします。

(2) 原告I教員意見陳述要旨

 私は、10・23通達後、国歌斉唱時に自分はどうするかということを何度も考えました。ここで通達とそれに基づく職務命令に従ったらずっと自分を責め続けることになる、一生後悔し続けることになる。そう思って、自分の信念に従うことを選択しました。

 「日の丸・君が代」を称えることは、侵略戦争による加害の過去と向き合わないことを意味し、ささやかでもこれに抵抗することが、日本をまた同じ過ちへと進ませない一肋となるだろうと思います。また、私は象徴としての旗や歌に敬意を払うことは一種の宗教的行為だと思うので抵抗があります。そもそも卒業式入学式で国旗・国歌への敬意を表明する必要はないはずだと思っています。

 私は国語の教員として、どんな作品を読んだり書いたりするときにも精神が解放されていることが大切だと思い、教員が権力者とならないように心がけてきました。抑圧は学習の妨げになると考えています。学校は違う意見、様々な考え方があってもお互いに尊重し、許容し合える場であってほしい。私が「君が代」強制の圧力に屈しないことが、生徒たちの生きる将来の社会が自由と権利の守られる社会になることにつながると思っています。

 私は2005年の卒業式・入学式における不起立でそれぞれ戒告処分、減給処分を受け、2013年7月に勝訴判決の確定で減給処分が取り消されました。ところが、同年12月、減給処分が取り消された件について、再度戒告処分されました。減給処分取り消しの喜びもつかの間、新たに戒告処分されたことは衝撃でした。処分取り消しが確定した、13年9月の最高裁判決文には「謙抑的な対応が教育現揚における状況の改善に資するものというべきである」という裁判長の補足意見が付けられていました。判決が出てわずか3ヶ月後に再び処分を行うことは「謙抑的な対応」の対極にあるものです。

 戒告というと軽い処分のように聞こえるかもしれませんが、経済的不利益も伴います。しかも、東京都の処分規定が変わったため、経済的不利益は取り消されたかつての減給処分より重くなっています。減給処分の取り消しによって減給された給料は戻りましたが、処分に伴う不利益がすべて解消されたわけではありません。担任を外されたり、異動で不利な扱いをされたりしたことなどはもとに戻せません。そこに更に、新たな処分によって不利益をこうむりました。再度の処分の時期がちょうど勤続25年の休暇取得の時期と重なり「懲戒処分を受けた日から2年を経過しない者」は取れないと、延期になり、前の処分から8年も後の再度の処分の理不尽さを感じました。

 10・23通達後、卒入学式で「君が代」斉唱を全員にやらせることが生徒の利益より優先していて、学校教育の中で優先すべき順位が狂っていると思うことが続きました。卒業式への出席が危ぶまれるくらい心身の具合が悪い生徒の側に、担任か養護教諭がついていたほうがいいのではないかという意見が、「指定された席からの移動は国歌斉唱が終わってからにしてください」と認められませんでした。また、処分発令後に受講を強制された服務事故再発防止研修の個別研修を「授業のない日にしてほしい」という要望は、「授業は変更の理由にならない」とされ、検討すらされませんでした。生徒の状況や課題よりも国歌斉唱時に起立できるかどうかのほうが優先されるようになってしまったのです。

 2017年3月の卒業式は私が卒業生担任として臨む最後の卒業式でした。夜間定時制高校の生徒は心身の健康や家庭のことなどで厳しい問題を抱えている生徒が多く、卒業までの4年間を通い続ける大変さは並大抵のことではありません。
 私はそんな生徒たちの卒業までの頑張りを称え、祝福したいと思いました。

 3学期に入ってからは、管理職から何度も「卒業式では起立してください」と言われました。悩みましたが、やはり起立することはできないと思い、そのことを卒業式間近の学年会で話しました。起立することはできないと思っていた気持ちに迷いが出てきたこともあり、何とか打開策はないものかと考え続けましたが、良い策があるわけがありません。結果的に卒業式当日は式に出ることができませんでした。生徒には申し訳なかったと思います。
 
 「君が代」を強制する理不尽をご理解いただき、処分取り消しの判決をお願いします。

弁護団は、虎の尾を踏んだのか、はたまた窮鼠に噛まれたか。

(2022年2月7日)
 弁護士は、民事訴訟では当事者の訴訟代理人となり刑事事件では弁護人となって、相手方弁護士や検察官と対峙する。本来闘う相手は、相手方弁護士であり検察官であって、裁判官ではない。

 裁判官は、言わば行司役である。力士は行司と闘わない。あるいは採点競技の審判員。フィギュアのスケーターは審判員とは争わない。法廷における弁護士ないし弁護団にとっても、裁判官は節度をもって接すべき説得の対象であって闘う相手ではない。これが平常時のセオリーである。

 しかし、非常時となれば話は別だ。ときには口角泡を飛ばしても裁判所と対決しなければならないこともある。最近、あまり弁護団と裁判所の法廷内の厳しい衝突を聞かないが、1月28日(金)午後、東京地裁102号法廷において「非常時」出来の報に接した。

 2月5日赤旗の報道を引用する。「裁判官が突然退廷」「東京地裁 『弁論権侵害』原告ら会見」という見出し。この見出しどおりの、奇妙なことが起こった。奇妙なだけではなく、看過できない問題をはらんでいる。

 戦争法(安保法制)違憲訴訟は、現在全国の22地域に25件の事件が係属しており、その原告総数は7699名になるという。東京では3件の訴訟が提起され、その一つが、「安保法制違憲訴訟・女の会」の提訴事件。原告121人と弁護団の全員が女性だけの国家賠償請求訴訟。係属裁判所は、東京地裁民事6部(武藤貴明裁判長)。この訴訟で事件が起こった。当日の法廷は東京地裁102号。通常は刑事専用の「大法廷」である。

 原告と弁護団は4日、司法記者クラブで記者会見を開いた。会見での説明は、「口頭弁論の最中に裁判官たちが突然退廷したことで弁論権を侵害された」ということ。

 1月28日午後の口頭弁論期日では開廷後30分間、弁護士3人が更新弁論の陳述を行った。4人目の弁護士が発言しようと起立し、「今後の立証について…」と意見を述べ始めたところ、それを遮るように裁判長が右手を差し出し、陪席裁判官に目配せした上で後ろの扉から退廷した、という。

 このときに裁判長は何らかの発言をしたようだが、小声で聞き取れなかった。代理人弁護士が『裁判長に戻ってきていただきたい』と書記官に求めたところ、1時間以上も待たされて『裁判長は来ない。閉廷した』と告げられた。これが、閉廷までに生じた顛末の全てのようなのだ。ここまでは、裁判長の訴訟指揮の問題。しかし、より大きな問題が法廷外に生じていた。

 およそ2時間後、原告・弁護団・傍聴人が法廷を出ようとすると、廊下に警察官を含む数十人の警備要員と柵がバリケードのように配置されていた、という。その人数は、60人にも及んでいた。これは、懐かしいピケである。弁護団は民事6部に出向こうとしたが、このピケに阻まれた。弁護団は、原告らが移動できない状態で「威圧された」とし、この過剰警備の法的根拠を明らかにするよう求めている。 
 この事態は、裁判所の側から、非常事態のスイッチを入れたことを意味している。一見和やかに見える民事訴訟の審理だがそれは平常時でのこと。非常時には強権が顔を出す。

 法廷内では、裁判長は強い訴訟指揮権をもっている。場合によっては法廷警察権の行使も可能である。訴訟指揮の権限は民事訴訟法上のもの(同法148条)だが、法廷の威信を保ち法廷の秩序を維持するために、裁判所法(71条1項など)は法廷警察権を明記している。法廷において裁判所の職務の執行を妨げたり,不当な行状をする者に対して退廷を命じることなどができる。その権限行使にあたっては,廷吏のほか警察官の派出を要求することもできる。

 さらに、「法廷等の秩序維持に関する法律」(略称「法秩法」)というものがある。
 裁判官の面前で,裁判所がとった措置に従わなかったり,暴言,暴行,喧騒そのほか不穏当な言動で裁判所の職務執行を妨害したりした場合、直ちに20日以下の期間での「監置」を命じることができる。これは恐い。

 法廷の外で裁判所の敷地内では、司法行政当局の庁舎管理権が幅を利かせることになる。裁判所構内への横断幕やプラカード持ち込み禁止、シュプレヒコール禁止、撮影禁止、禁止、禁止…は、この当局による庁舎管理権の行使によるものである。しかし当日、警察を呼ばざるを得ないような警備の必要がどこにあったというのか。

 いうまでもなく司法とは権力の一部であり、司法作用も権力作用の一部ではある。だから、非常時には強力な実力行使が可能という制度は調えられている。とはいえ、文明が想定する民主主義国家の司法とは、国民の納得の上に成立するものでなければならない。軽々に非常時のスイッチを入れてはならない。裁判所も、司法行政も、そして在野法曹も。

 普段は猫のように見えても、非常時のスイッチが入れば司法は虎となり得る。うっかり虎の尾を踏むと監置にもなりかねない。警察と対峙せざるを得なくもなる。しかし、今回の事件、とうてい弁護団が不用意に虎の尾を踏んだようには見えない。

 むしろ、係属裁判所も東京地裁当局も、「安保法制違憲訴訟・女の会」とその弁護団を過剰に恐れた故の事件だったのはないだろうか。どうも、裁判所は虎でなく、猫ですらなく、鼠だったごとくである。過剰に弁護団に対する恐怖に駆られて窮鼠となり、猫を噛んだとの印象が強い。裁判長にお願いしたい。法廷では、もっとフランクに、代理人席にも傍聴席にもよく聞こえるように発語願いたい。そして、けっして強権が支配する裁判所にはしないように配慮していただきたい。今回のごとき無用の強権発動は、結局のところ、国民の司法に対する信頼を失わしめるものなのだから。 

日弁連会長選挙 ー 弁護士人口増員反対派健闘の意味。

(2022年2月6日)
 2年に1度の日本弁護士連合会(会員数約4万3000人)の会長選挙の結果が出た。
詳しくは、下記URLを参照されたい。
https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/news/2022/20220204_sokuhou.pdf

一昨日(2月4日)の投開票の各候補の獲得投票数は以下のとおり。
 
・小林元治(33期、東京弁護士会)  8944票
・?中正彦(31期、東京弁護士会)  5974票
・及川智志(51期、千葉県弁護士会) 3504票

 当選(内定)者は、小林元治(70歳)である。予想よりも票差が開いたという印象。2月14日の選挙管理委員会で正式に確定することになる。任期は、4月1日から2年間。

 なお、当選には、全国52弁護士会のうち3分の1超(18会以上)でトップになる必要があるが、仮集計によると、小林候補は39会でトップを獲得している。投票率は43.24%だった。

 時事通信は、「小林氏は立憲主義の堅持を掲げ、高中氏は裁判IT化への対応、及川氏は弁護士の激増反対を主張」と3候補の姿勢の特徴をまとめた。単純化の不正確は否めないとしても、「理念派」「実務派」「福利派」と色分けしてもよいかも知れない。「理念派」とは、弁護士自治や立憲主義の堅持を掲げて人権擁護の姿勢を貫こうという伝統的な分かり易い立場。「実務派」は、弁護士業務のあり方について実情に合った合理的な改革を目指す立場。そして、「福利派」は、弁護士の経済的な地位の向上を強く訴える立場。

 小林候補が、立憲主義の堅持を掲げる候補として認識されて、会員の信任を得たことを心強く思う。高中候補は、「実務派」としての姿勢を評価されて第一東京弁護士でトップをとっている。一方で、「弁護士の激増反対主張」を掲げた「福利派」及川候補の善戦に注目せざるを得ない。彼は地元千葉だけではなく、埼玉・長野・富山・宮崎でもトップをとっている。大健闘と言ってよい。

 同候補の主張は「弁護士増員反対」である。弁護士増員反対は、弁護士会の総意と言って過言ではない。そして、それはけっしてギルドのエゴではなく、弁護士の使命に鑑みてのことでもある。

 私が、弁護士になった1971年ころ、司法試験の合格者は長く毎年500人だった。2年間の司法修習を終えて、同期のうちの150人近くが判事・検事に任官し、毎年350人前後が弁護士となった。当時、弁護士人口は8000人台で、これで弁護士が過少とは思わなかった。50年を経て、司法試験の合格者は1500?2000人となり、弁護士総数は4万人を超えた。この環境の変化が、弁護士の質に影響を及ぼさないはずはない。

 私は恵まれた時代に弁護士として働いてきた。ありがたいことに経済的な逼迫を感じたことはない。不定期ではあるがそこそこの水準の収入を得て、金のために嫌な仕事をする必要はなかった。自らの良心に照らして恥じるべき仕事は遠慮なく断ったし、良心を枉げての事件処理をすることもなかった。

 しかし、今弁護士激増の時代をもたらした者の罪は深いと思う。弁護士は明らかに、経済的な地位の低下を余儀なくされている。弁護士は、望まぬ仕事を、望まぬやり方でも、引き受けなければならない。経済的余裕がないから、金にならない人権課題に取り組む余力はない、という声が聞こえる。同時に、弁護士が人権の守り手ではなく、コマーシャルで集客をしてのビジネスマンになろうとしている。弁護士の不祥事は明らかに増えている。

 弁護士が魅力のない仕事に見えれば、弁護士志望者は減っていく。ますます、その質が落ちていくことにもなりかねない。弁護士増員は、主としては安く弁護士を使いたいという財界の要請によるもの。これを「司法改革」として推し進めたのは、新自由主義政策を推し進める政権の思惑に適ったからであった。

 小林次期会長は、当選記者会見で「弁護士の業務基盤、経済基盤をしっかりつくっていく」「女性と若手弁護士の活躍機会を増やし、日弁連を変えていきたい」「法テラスの民事法律扶助や国選弁護について、弁護士の報酬が不合理に低い事例がある」「国民の権利・人権擁護に努めるとともに、持続可能性の観点から、弁護士が労力に見合った報酬を得られるよう議論していきたい」などと抱負を語ったが、これは弁護士業務の需要開拓による弁護士の経済的地位確立が喫緊の課題であることの認識によるものである。

 人権擁護の任務遂行のためには弁護士の経済的基礎の確立が必要なことのご理解をいただきたい。

本日の赤旗を読む。政党助成法廃止法案・北京五輪と人権・NHK虚偽字幕・改憲阻止法律家集会…

(2022年2月5日)
 久しぶりに「赤旗」の紙面全16ページに目を通した。本日の赤旗、内容充実している。

 一面トップは、「政党助成法廃止法案を提出/共産党議員団が参院に」「『民主主義壊す制度続けていいのか』 田村政策委員長が会見」との記事。

 1995?2021年の27年間で政党助成金の総額は8460億円に上り、政党助成金を受け取っている多くの政党が運営資金の大半を税金に依存している。そのことの問題点はいくつもある。なかでも、税金を政党に配分するというその仕組みによって、国民の全てが「自ら支持しない政党に対しても強制的に寄付させられることになる」ことの弊害は分かり易い。「日本共産党は『思想・信条の自由』『政党支持の自由』を侵す憲法違反の制度だと批判し、この制度創設に反対するとともに、一貫して受け取りを拒否してきた」のは万人の知るところ。
 また、「政治資金は、本来国民が拠出する浄財によってまかなわれるべき」であり、「政治資金の拠出は、国民の政治参加の権利そのものだ」という主張には同意せざるを得ない。政党助成金が、国民の政治参加の権利を歪め、政党間の公正な競争を阻害もしている。「民主主義壊す制度続けていいのか」という、問いかけは重い。
 その政党助成法廃止は、唯一政党助成金を申請していない共産党ならではの法案提出。全政党・会派への検討が呼びかけられているが、とりわけ「身を切る改革」を看板にしている維新の諸君には、ぜひとも見習って「助成金受領を拒否」していただきたい。それができなければ、共産党の爪の垢でも煎じて飲むべきだろう。

 一面左肩に、「北京五輪開幕 人権こそ中心課題」というスポーツ部長・和泉民郎のコラム。これはなかなかの見識。

 「人権侵害と五輪は両立できません。中国がこれに向き合わない姿は、開催国の資格すら問われます」「人としての根源的な権利が侵された場所が“人間賛歌”の舞台としてふさわしいのか。開催地を選べない選手にも不幸な事態です」
 2020年3月、国連の人権部門にいた専門家がまとめた「IOCの人権戦略のための勧告」が公表されている。北京大会について、「北京冬季五輪の大会に関する人権上の影響は深刻であり、対処は依然として難しい努力を要する」と言及されているが、IOCにその努力の形跡はない、という。この姿勢を堅持した赤旗の北京オリンピック報道に期待したい。その記事の下段に、「(中国の)人権弾圧に抗議 各国デモ」の記事と写真がある。

 そして一面下段に、「特効薬は消費税減税 全国中小業者・国会大行動 倉林氏訴え」という記事。

 「コロナ危機打開!消費税減税、インボイス制度実施中止を!社会保障の充実と地域循環型経済の確立を!」をスローガンに全国中小業者・国会大行動が4日、東京都内で行われた。国会大行動には約200人が参加。消費税率を5%に引き下げ、複数税率・インボイス(適格請求書)制度の即時中止を求める11万人の署名を持ち寄ったという。

第2面の右肩に、社説に当たる「主張」。「NHK虚偽字幕 すべての経過を明らかにせよ」との表題。

 「複数の視聴者団体は経過を明らかにすることをNHKに申し入れました。五輪反対デモの主催団体は、金銭でデモ参加者を集めたかのような悪質な印象操作が行われたと抗議、謝罪を求めています。」は、赤旗が市民運動に密着した取材を行っていることを示している。
 また、「この事態を引き起こしたのは、NHKが『(五輪)開催の機運を高める編成』を掲げ、五輪開催の旗を振ってきたことと無縁ではありません。NHKは、コロナ感染拡大で緊急事態宣言が出ているもとで、五輪中継一辺倒の放送を実施しました」と強調している。

2面の記事に「貧困の底が抜けた」「衆院予算委 コロナで参考人質疑」宮本徹・宮本岳志両議員が質問という詳報。

3面には、「佐渡金山めぐる安倍氏・岸田政権の動きとNHK報道」という、大型企画の記事が3本。「事実認め話し合ってこそ有効に」という、強制動員真相究明ネットワーク共同代表の飛田雄一さん、「歴史認識を『戦い』ととらえる愚」という永田浩三さんからの聞き書き。そして、「安倍氏の《号令》垂れ流したNHK『シブ5時』」という報道記事。「政権寄りどころか、歴史を偽造する立場に立って解説を垂れ流すことは、公共放送のあり方として厳しく批判されなければなりません」というまとめに集約されている。

第5面に、「核禁条約参加の日本に/日本原水協が運動方針提起/全国理事会」という記事と並んで「改憲阻止 運動広く/法律家らがキックオフ集会」の記事。

主催者が、「国民が求めているのは改憲ではなく、コロナから命と暮らし、子どもを守る政策だ」「火事場泥棒的に狙われている9条改憲を、主権者の声で断ち切ろう」と強調。

 早稲田大学の愛敬浩二教授が、「改憲派が現実政治では必要性がないのに、改憲を主張している」と指摘。「憲法を変えている時間はありません。いまやるべきことは、憲法を政治に生かすことです」と講演。

 続いて名古屋学院大学の飯島慈明教授は、各政党の改憲項目を批判。「環境権や教育無償化、データ基本権などは法律で対応可能なもの。自衛隊の明記や緊急事態条項は危険で無謀なもの」と語り、「850億円とも言われる税金を使う改憲発議は無駄遣いです」と述べた。

14面に「裁判官が突然退廷/東京地裁」「弁論権侵害」の記事。これについては、後日ブログで取りあげたい。

15面に、「団交拒否は「不当」/労組事務所撤去 大阪市の控訴棄却/大阪高裁」の記事。大阪市は団交を拒否して労働委員会で負け、これを不服とした行政訴訟の一審で負け、さらに昨日控訴審でも敗訴となったという報道。これは、維新に大きな打撃。

 大阪市が橋下徹市長時代に市庁舎内にあった大阪市役所労働組合(市労組)の事務所を強制撤去させた問題で、組合事務所供与について大阪市が市労組との団体交渉を拒否しているのは不当労働行為と認定した大阪府労働委員会の命令を不服として大阪市が命令の取り消しを求めていた裁判の控訴審判決が4日、大阪高裁(大島眞一裁判長)でありました。一審に続き、団交拒否は「正当な理由がない」として大阪市の主張を全面的に退け、控訴を棄却しました。

 管理運営事項を理由に市が団交に応じないことに対し、管理運営事項に当たらない事項を含み得る交渉事項の申し入れがされているとし、「団体交渉に応ずべき事項につき具体的に確認すべき立場にもかかわらず、十分に確認することのないまま団体交渉に応じないもの」であり、「正当な理由のない団体交渉の拒否にあたる」と認めました。
 さらに「市の対応は誠実な交渉態度といえないのみならず、労働組合を軽視し、弱体化させる行為」であり、労組法7条3号の「支配介入に該当する」と断じました。

以上の各記事は、下記URLで読むことができる。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2022-02-05/index.html

 赤旗には広告欄がない。株価や競馬の欄も、皇室記事も芸能ゴシップもない。過剰なスポーツ記べーすべーすもない。その分市民運動や労働運動に関する情報が豊富である。文化面も充実している。あらためて思う。人権や民主主義に関心をもつ者にとって、またそのような運動に関与する者にとって、赤旗は貴重な情報源である。

北京「オミクリンピック」始まる。

(2022年2月4日)
 本日、北京オリンピック開会式。覇権主義中華人民共和国の、一党独裁中国共産党による、専制君主習近平のための、これ以上はない政治イベントである。1936年ベルリン大会でのドイツ・ナチス・ヒトラーを彷彿させる。

 習近平の盟友になっているのが、政治的にはプーチンであり、商業的にはボッタクリ・バッハ。彼らの手駒に使われているのが、羊のごときアスリートたち。この構図を支えているのが、メディアとメディアに煽られた民衆である。

 北京の光は、ウィグル・チベット・内モンゴル・香港そして台湾に暗い影を落としている。華麗な北京オリンピックのパフォーマンスは、多くの人々が流した涙の上に浮かんでいる。

 コロナ禍のさなかの北京オリンピックは、ひたすらに国家と党と習近平の利益のための無理に無理を重ねた奇矯な演し物となってしまった。しかし、習近平の威信を賭けた五輪強行の目は、吉と出るか凶に終わるか。中国共産党はいまウィルスと闘っている。まさしくこのイベントは、「オミクリンピック」と呼ぶべきものなのだ。

 不遜なことに、ウィルスは党中央の命令を聞かない。オミクロンは習近平に忖度しない。にもかかわらず、敢えて国家と党の威信を賭けてのゼロコロナ作戦。本日から17日間、果たしてバブルの中での平穏を保つことができるだろうか。

 既に本日の報道では、「中国への入国時やその後の検査で、選手団9人を含む21人の陽性がきのう(2月3日)確認され、先月(1月)23日から集計した感染者の合計は308人となった。これまでに選手団の感染は、あわせて111人となっていて、影響が広がっている」という。こうまでして、オリンピック開催を強行する意味がどこにあるのだろうか。

 本来、オリンピックは平和の祭典である。オリンピック憲章が想定するとおりに挙行されば、意味のないはずはない。各国のアスリートやアーチストや民衆の交流は貴重な平和に資するものとなる。しかし、国威発揚や為政者の野心のためのオリンピックでは、メリットを凌駕するデメリットを指摘せざるを得ない。無理に無理を重ねた「オミクリンピック」は、そのデメリットの象徴というべきであろう。

NHKの「字幕捏造」は、「五輪翼賛番組」作成姿勢の故なのだ。

(2022年2月3日)
 NHK・OBの皆川学さんから、下記のご意見を添付したメールをを頂戴した。皆川さんとは、NHKに対する要請や抗議の行動を重ねるなかで知り合った。お話しを聞けば現職の時代はNHKのエライさんだったのだが、そのような素振りは見せない。

 いま、市民運動の一端をになって、「真っ当なNHKたれ」と古巣NHKに対する厳しい批判を絶やさない。真っ当でないことが多すぎるのだ。叱責が続くことはやむを得ない。そして最近もう一つ、叱責せざるを得ないことが重なった。あの河?直美が絡んだ、オリンピック反対デモに対する侮蔑字幕問題である。

 これはいったいどんな問題なのだろうと思っていたところに、皆川さんが「正解」を提示してくれたというスッキリ感がある。なるほど、この「字幕捏造問題」と呼ぶべき事態には、こんな理由があったのだ。

「表現の自由を市民の手に 全国ネットワーク」ニュースレター第8号

NHKはなぜ字幕を捏造したのか 

                 皆川学(表現ネット共同代表 NHK・OB)

 「デモ参加者には、日当が出ている」といった情報は、古くは60年安保の頃から、近くは沖縄基地反対運動に対する「ニュース女子」番組まで繰り返し流布されている典型的なデマである。これをまともに取り上げるメディアなどあろうはずがない。ところが昨年12月26日に放送されたNHK「BSスペシャル 河?直美が見つめた東京五輪」では、顔にモザイクをかけられた匿名の男性が「実はお金をもらって動員されている」との字幕テロップ付きで紹介されていた。
 不審に思った多くの視聴者からの問い合わせで、NHKが内部調査をしたところ、男性の証言は確認されたものではないことが判明し、NHKは謝罪放送を行った。 NHKは「担当者の取材不足が原因で、捏造の意図はない」と弁明しているが、本当にそうだろうか。担当ディレクターが経験不足であったとしても、局内で幾重にも繰り返される試写の段階で、チェックを担当する上部管理職がこの低劣な定番デマ情報をそのまま見逃したとは考え難い。事件は局内手続きにあったのではなく、もっと深いところから発したと思われる。
 この番組には、そのほかに看過できない問題シーンがある。コロナ渦での児童の五輪観戦動員などに反対して、教育関係者で構成される「都教委包囲・首都圏ネット」が昨年5月にJOC前で反対行動を行った場面が紹介された。そこでは河?直美氏が柱の陰で恐る恐るのぞき見しているシーンがあり、その直後に河瀬氏の「五輪は私たちが招致したもの」「オリンピックに関わっている人がそこで一生懸命にやっている。その人に寄り添うことは人間として当たり前」というコメントが入っている。まるで「オリンピック反対は人間のすることではない」との印象を与えるような構成である(首都圏包囲ネットは、この件で1月18日にNHKへの抗議を行い、その模様は包囲ネットとレイバーネットのHPで視聴可能)。
 当該番組はいわゆる「メイキング物」で、表現活動やイベントの完成される過程を追うスタイルをとるが、取材対象者から特段に許された条件で撮影するため、対象者との距離を取ることが難しく、往々にして「ヨイショ」番組に堕すことがある。コロナ禍での五輪開催には、国民の6~8割の人々が反対していた。そのなかで「関わっている人々に寄り添」っている河瀬氏の活動を称賛するためには、一方で反対している入る人々を否定的に描くシーンがあったほうが効果的だ。そのような構成上の必要から、上記の二つのシーンが番組に埋め込まれたものと推測する。取材対象者との距離が取られていない。
 本ニュースレター前号で田島泰彦氏も指摘していたように、大手メディアがオフィシャルパートナーとして五輪開催に構造的に組み込まれて五輪翼賛報道に終始し、NHKも五輪開催の是非をめぐる「NHKスペシャル」の放送延期、長野県で行われたトーチリレー(「聖火リレー」とはいわない)での沿道からの五輪反対の音声の30秒カットなど、五輪反対の声が電波に載らないよう腐心していた。
 謝罪放送後の記者会見でも、正籬副会長は「不確かな内容の字幕を出していたことは間違いない」が、「全くそうした事実がなかったのかということについてははっきりしない」と、金で動員されていた可能性はまだありうると、担当ディレクターをかばっている。現場ディレクターからNHKトップまで、「金をもらってのデモ神話」を信じているおぞましさ。組織を挙げた確信犯的番組だったのではないだろうか。少なくとも、オリ・パラを推進・翼賛する組織方針の延長上にこの事件は起きた。「五輪翼賛番組」の「五輪」が、「戦争」という言葉に置き換えられた時のことを思うと慄然とする。

 私(澤藤)も、「都教委包囲・首都圏ネット」のデモには何度か参加したことがある。一見して、「実はお金をもらって動員されている」デモではあり得ない。「そこでは河?直美氏が柱の陰で恐る恐るのぞき見しているシーンがあり、その直後に河瀬氏の『五輪は私たちが招致したもの』『オリンピックに関わっている人がそこで一生懸命にやっている。その人に寄り添うことは人間として当たり前』というコメントは噴飯物である。これが、オリンピックという化け物の正体であり、この化け物に取り込まれたのが河瀬でありNHKなのだ。その最後をリフレインしておきたい。NHKよ、襟を正して聞け。

 現場ディレクターからNHKトップまで、「金をもらってのデモ神話」を信じているおぞましさ。組織を挙げた確信犯的番組だったのではないだろうか。少なくとも、オリ・パラを推進・翼賛する組織方針の延長上にこの事件は起きた。「五輪翼賛番組」の「五輪」が、「戦争」という言葉に置き換えられた時のことを思うと慄然とする。

東日本大震災の被害を「天罰」と言ってのけた石原慎太郎

(2022年2月2日)
 石原慎太郎が亡くなった。傲慢に目鼻を付けるとこの男の顔になる。憲法を悪罵し、偏狭なナショナリズムを鼓吹し、歴史修正主義の立場から軍事大国化を広言する…、迷惑至極な人物だった。人権や自由や平等や平和や民主主義に背を向けた旧人類。権力中枢の偏向ぶりを、まだマシと思わせるのが役どころ。

 あらためて思う。どうしてこんな人物が政界に顔を出し、どうしてこんな人物に票を投じる有権者がいたのだろう。民主主義という容れ物は、こんな人物をも拒絶しない柔軟な構造なだけに、形だけの民主主義はとても危険なのだ。そのことを教えてくれた、それだけが「功績」という人物。

 落語の「ラクダ」を聞き直そう。志ん生でも可楽でも、円生でも良い。本名が「馬」、あだ名が「ラクダ」という柄の大きな乱暴者。こいつが長屋の嫌われ者だが、フグに中ってフグ死んでしまう。すると、ラクダに輪を掛けた強面の兄貴分というのが、ラクダの通夜を出し、焼き場にもって行こうとする。

 そのために、まずは屑屋を脅して手下として使い、死体を踊らせて長屋の連中や大家から、なにがしかを掠めとる。これは、示唆に富んだ噺だ。

 気の良い屑屋はラクダのことを「ずいぶん乱暴な人でしたが、死んでしまえば罪も報いもない仏様」と最初に香典を包む。こういう日本人の心情につけ込もうというのが、ラクダの兄貴分であり、石原慎太郎の死を利用しようという連中。安倍晋三、平沼赳夫、古屋圭司、産経、維新、小池百合子も…。昨日から今日にかけてのメディアの基本姿勢は、これに対する警戒心がない。

 東京の教育現場に「日の丸・君が代」の強制を持ち込んだのがこの男だ。そして、障がい者の人権を否定し、「三国人」呼ばわりをし、ヘイトスピーチを恥じなかった不届き者。そして、思い出していただきたい。石原慎太郎は、東日本大震災の被害を「天罰」と言ってのけたのだ。思慮に欠ける発言というレベルではない。この男、人の不幸に共感する能力がまったくない。ふたたび、このような人物を公職に就けてはならない。
 当時の私のブログを再録する。

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石原慎太郎の「震災は天罰」発言に抗議する

 敢えて一切の敬称を省略する。石原慎太郎は、東北太平洋沖大震災・津波の被災者に謝罪し、即刻すべての政治活動から身を退くべきである。
 複数メディアの報ずるところによれば、石原は大震災の被害を「これはやっぱり天罰だと思う」と記者会見の場で広言した。「津波で我欲を洗い落とせ」とも言ったという。
 その後記者から「『天罰』は不謹慎では」との質問に対しても、「被災者の方々はかわいそうですよとも述べている」として発言の撤回も謝罪もしていない。
 かつてない大災害で万を数えようという犠牲者が出ている。多くの罹災者が家族を失い、家も職も地域社会をも失って塗炭の苦しみに嗚咽の声をあげている。そのときに、石原はこの苦しみを「天罰」と言ってのけたのだ。「津波で我欲を洗い落とせ」とも。何という心ない言葉であろうか。何という思いやりに欠けた、唾棄すべき人格。
 石原にとっては、この大災害の罹災者一人一人の死や離別、恐怖は、「被災者の方々はかわいそうですよ」という程度のものでしかない。
 明らかに、石原はこの発言で政治家たるの資質のないことを露わにした。少なくとも、民主主義社会において、これほど人権感覚を欠如し、これほどに国民を見下した政治家に、責任ある地位を与えておくことはできない。
 発言を撤回し謝罪するだけではたりない。政治家失格者としてあらゆる政治活動から身を退くよう、要求する。
(2011年03月14日)


石原慎太郎君、君こそ「天罰」を甘受したまえ。

 敢えて敬称を「君」としよう。
 石原慎太郎君、知事を辞めたまえ。四選出馬を撤回したまえ。潔く、大震災・津波の被災者にたいする謝罪広告を掲出し、すべての政治活動から即刻に身を退きたまえ。
 君は、大震災の被害を天罰だと記者会見の場で広言した。塗炭の苦しみを味わっている被災者を罪ある者とし、その苦しみを天罰と言ったのだ。被災者を我欲者として「津波で我欲を洗い落とせ」とも言った。その君の罪は限りなく重い。
 君の「天罰発言」は、失言だとか、不用意に口が滑ったという次元の問題ではない。君の人格そのものの表出なのだ。権力者面をした君には、この大災害の被災者一人一人の死や離別の恐怖・苦悶・悲嘆に共感する能力が根本的に欠落している。このことは、民主主義社会での政治家として決定的な欠陥なのだ。

 君は、いとも簡単に「言葉が足りなかった」として、「謝罪し、発言を撤回した」と報じられている。君は、自分の言葉の軽さを当然として、その撤回は可能と考えているようだが、それは心得違いも甚だしい。
 君の「天罰発言」は、政治家としての君の資質の欠落を露呈させたものだ。だから、政治家失格の真実を消し去ることはできない。発言を撤回したところで、君の人権感覚の欠如、国民無視の姿勢の露呈を消し去ることはできない。
 君が都知事を続けたら、不幸な都民に再度「天罰」と言うだろう。いや、既にこれまでも「天罰」として切り捨てられている都民を指摘することもできる。
 このたびは、謂わば君自身が君の原罪を露わにしたのだ。天罰を甘受するよりないではないか。天罰発言を撤回して、謝罪するだけでなく、知事も辞めたまえ、四選出馬を撤回したまえ、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、民主主義と人権の進展のために、君がなし得る唯一のことなのだから。
(2011年03月15日)


石原慎太郎君、君は「謝って済む」立場にない。

 石原慎太郎君。
 君は、このたびの大震災の被害を天罰だと広言し、その翌日まことにぶざまに発言を撤回して謝罪した。しかし、君には、自らの発言の罪の深さが理解できていない。君の「天罰発言」への謝罪は、到底受け容れられるものではない。君は、今さら謝罪で許される立場にはないと知るべきだ。
 加害行為は、その態様と程度によっては、加害者の真摯な反省と謝罪が被害感情を慰藉することがある。その場合には、謝罪は被害者に受容される。つまりは、「謝って済む」ことになる。しかし、君の場合、到底「謝って済む」問題ではない。
 尊い命を失った方、あるいは掛け替えのない家族を失って悲嘆にくれ、またあるいは恐怖と絶望に震える大震災の被災者に対して、君は「その不幸は天罰」と言ったのだ。かつて君自身が田中均外務審議官に投げつけた言葉を借りるなら、君の発言こそが「万死に値する」行為なのだ。到底許されるものではない。
 私は、岩手県の出身者として知人の被災に胸を痛めているが、もとより被災者に代わって発言する資格はない。しかし、君の発言は、私の心情も大きく傷つけた。私も君の発言の被害者の一人だが、私の怒りはおさまらない。「発言の撤回と謝罪」程度で、私はけっして君を許さない。多くの被災者はなおさらのことと思う。
 あらためて要求する。石原君、即刻政治家を辞めたまえ。
 「万死に値する」とは、君の言葉の使い方と同様レトリックでしかない。死をもって償えなどと野蛮な要求はしない。知事を辞め、四選出馬表明も撤回し、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、今君のなし得る真摯な謝罪の方法である。
 その実行があれば、私は、君の人間性と真摯さを見直し、君の発言を宥恕するにやぶさかではない。もっとも、私に比較すべくもなく大きく深く君の発言に傷つけられた被災者が、君を許すかどうか‥。それは、私の忖度の限りではない。
(2011年03月16日)


石原慎太郎君、君は民衆の信頼を失った。

 君には、「天・罰」の二文字が深く刻まれた。どのようにあがいても、もう、洗い落とすことはできない。君が人前にその姿を晒せば、人は君の額に「天・罰」の二文字を見る。君がものを書けば、人は紙背に「天・罰」の二文字を読み取る。君が、何をしゃべろうと、また書こうと、「天・罰」の二文字が君から離れることはけっしてない。
 みんなが心得ている。君の「被災はやっぱり天罰」「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある」という言こそが君のホンネであることを。翌日の撤回と謝罪とが、選挙戦術としてのとりつくろいでしかないことを。
 唾棄すべき言論にも表現の自由は保障されよう。君がその本性をむき出しに、無慈悲で無神経な心ない言論を行うことも、君の嫌忌する日本国憲法が保障するところ。君の一個人としての不愉快な言論は自由だ。しかし、政治家としての言論は自ずから別だ。限界もあり、特別の責任が伴う。
 民主主義社会における政治は、選挙民である民衆の信頼を基礎に存立している。
選挙で選ばれた政治家は、選挙民の信頼に応える責任を負っている。その信頼の内容は、民衆の利益への奉仕にある。就中、最も弱い者、最も困窮している者、最も援助を必要とする者に真摯に寄り添うことにある。
 震災被災者の困窮を天罰と言い、援助の手を必要とする津波の被災者に「我欲を洗え」と悪罵を投げつけた君は、弱者を切り捨てたつもりが、自分への信頼を切り捨てたのだ。民衆からの信頼を根底から洗い流した。その信頼喪失の象徴が「天・罰」の二文字である。君がいかなる美辞麗句を連ねても「天・罰」の二文字から君のホンネと本性が透けて見えるのだ。
 民衆からの信頼を失った政治家は潔く身を処すしか道はない。知事の職を辞し、四選出馬を断念し、あらゆる政治活動から身を退いて、民衆を蔑視し民衆の信頼を失った政治家の身の処し方を見せてもらいたい。それがせめてもの、君ができる償いであろう。
(2011年03月17日)


石原「震災は天罰」

 石原慎太郎知事は、このたびの大震災の被害を「天罰」と言った。
 天罰にせよ刑罰にせよ、罰は罪を犯した者に科せられる。知事は「天罰」という発言で、被災した無辜の被害者に対して、罪ありと指弾したのだ。「被災は自業自得」と放言したに等しい。
 知事は弁明するかも知れない。「自分は日本という国の罪を考え、日本に天罰が下ったと述べたのだ」と。これもまた恥と愚の上塗りである。なにゆえに、国策の決定や遂行に遠い位置にある東北の人々が、また最も弱い立場の幼児や老人までもが、日本の罪を引き受けなければならないのか。なにゆえに、知事自身を含め、権力の中枢にある人々が天の鉄槌を免れているのか。
 知事の視野には、およそ空疎な「日本」や「国家」や「民族」だけがあって、災害に苦しむ生身の人間の姿が見えていない。このような思い上がった人物に、民主主義社会は権力も権限も与えてはならない。多くの人々の運命の帰趨にかかわる地位に置くことは、都民にとって危険極まりないからだ。
 言うまでもなく震災・津波の被災者に罪はない。被災は罰ではあり得ない。むしろ、知事の側にこそ大きな罪があり、厳しく罰せらるべきである。
知事の「罪」(違法)を数え上げよう。
 公然と被災者を侮辱したこと。被災者の名誉を大きく毀損したこと。虚偽の風説を流布して被災者の信用を毀損したこと。罪のない者を罪ありと誣告したこと。
知事にあるまじき愚かで心ない放言によって都民に肩身の狭い思いをさせたこと‥。
 なによりも、苦悶する被災者に対する情誼を著しく欠いたこと。そして、災害を非科学的に「天罰」などと言ってのけ、災害の原因把握や再発予防、そして被害救済の施策と実行について根本的に無能であることを露呈したこと‥。
 以上の「罪」に対する「罰」として、まずは自発的な贖罪が期待される。自ら、知事の職を辞し、四戦出馬を取りやめること。すべての政治活動から身を退くこと。
 さもなくば、天に代わって選挙民が「罰」を与えねばならない。
(2011年03月18日)


災害を「天罰」とするオカルティズムの危険

 未開の時代、人は災害を畏れ、これを天の啓示とした。個人の被災は個人への啓示、大災害は国家や民族が天命に反したゆえの天罰とされた。
 董仲舒の災異説によれば、天は善政あれば瑞祥を下すが、非道あれば世に災異をもたらす。地震や洪水は天の罰としての災異であるという。洋の東西を問わず古くは存在したこのような考え方は、人間の合理的思考の発達とともに克服されてきた。
 天罰思想とは、実は独善である。天命や神慮の何たるかを誰も論証することはできない。だから、歴史的には易姓革命思想において利用され、政権簒奪者のデマゴギーとして重用された。
 このたびの石原発言の中に、「残念ながら無能な内閣ができるとこういうことが起きる。村山内閣もそうだった」との言葉があったのに驚いた。政権簒奪をねらうデマゴギーか、さもなくば合理的思考能力欠如の証明である。このように、自然災害の発生を「無能な内閣」の存在と結びつける、非合理的な人物が首都の知事である現実に、肌が泡立つ。
 また、天罰思想は災害克服に無効である。天の罰との理解においては、最重要事は災害への具体的対応ではなく、天命や神慮の内容を忖度することに終始せざるをえない。また、災害は天命のなすところと甘受することにもならざるをえない。
 本来、災害や事故に対しては、まず現状を把握して緊急に救命・救助の手を差し伸べ、復旧の方策を講じなければならない。さらに、事象の因果を正確に把握し、原因を分析し、再発防止の対策を構築しなければならない。このことは科学的思考などという大袈裟なものではなく、常識的な合理的な思考姿勢である。この常識的思考過程に、非合理的な天罰思想がはいりこむ余地はない。
 アナクロのオカルト人物が、今、何を間違ってか首都の知事の座に居ることが明白となった。このままでは、都民の命が危ない。
 都民は、愚かな知事をいだいていることの「天罰」甘受を拒絶する。都民の命と安全のために、知事には、即刻その座を退いていただきたい。
(2011年03月19日)


日本国憲法の嘆きと願い

 私は「日本国憲法」である。
 人類の叡智の正統な承継者として1947年日本にうまれた。以後、主権者国民に育てられて地に根を下ろし、枝をひろげた大樹となっている。
 私の根幹を成すものは、「人権」と「民主主義」と「平和」である。その各々は相互に関連し、相補うものとしてある。とりわけ、至高の価値である国民個人の人権を擁護するために民主主義が円滑に機能することが、私の切なる願いである。
 このことを、私は、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と高らかに宣言した。
 「人権」とは、国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産であって、私の最も貴重とするものである。国民の代表者たる公務員・政治家は、その貴重な国民の人権を預かる者として、心して国民の福利のために献身しなければならない。
 ときに、この理をわきまえない不心得な政治家が現れることが心配でならない。
 石原慎太郎という首都の知事、何を勘違いしてか、公僕たる立場にありながら偉そうに国民に教訓を垂れたという。「津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」とは、私にとって聞くに堪えない悲しい暴言である。
 本来石原は、被災した国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産をいかに擁護し、いかに回復するかに心を砕かねばならない立場にある。被災を「天罰」ということは、苦しむ国民の傷に塩を塗り込むことで、私の想像を絶する。石原は、私の目の黒いうちは、知事としても政治家としても失格というほかはない。
 しかし、私は寛容にできている。私には直接に石原を失脚させる物理的な力はなく、胸を痛めるしかない。首都の主権者にお願いしたい。私に代わって石原を諭して知事の座を退くよう力を尽くしていただきたい。その実現を私は待ち望んでいる。
(2011年03月20日)


社会不安を奇貨とした妄言を許すな

 大災害は社会不安をもたらす。多くの人々の不安の心理に付け込んで、妄言を吐く輩が跋扈する。牽強付会に災害の原因を解釈して見せ、都合の良いように人心を誘導しようとする。混乱のさなかには、時に大きな影響をもたらす危険ある言説として警戒を要する。石原慎太郎の「天罰発言」もその例に洩れない。
 彼によれば、震災・津波の原因は、「我欲」と「ポピュリズム」にある。つまりは、国民が我欲にとらわれ、政治がポピュリズムに陥っているから、天が罰を下して、震災と津波の被害をもたらした。したがって、「津波をうまく利用して、我欲を一回洗い落とす必要がある。日本人の心のあかをね」ということになる。
彼の人心誘導の方向は、「我欲を洗い流す」ことにある。
 彼のいう「我欲」の内実は必ずしも明確ではないが、「我」の「欲」とは、「全体の利益」「社会の調和」「国家の繁栄」などと対峙する個人の権利主張と理解するほかはない。「我欲を洗い落とす必要がある」とは、全体の利益ために個の抑制を求めるもの。何のことはない、滅私奉公・尽忠報国の焼き直しイデオロギーでしかない。ささやかな庶民の願いを「非国民の我欲」呼ばわりして圧殺した、ほんの少しの昔を思い起こさねばならない。
 もっとも、「ささやかな」と限定することのない我欲を正当と認める立場が、経済制度としての資本主義であり、政治思想としての個人主義ないし自由主義である。国家は個人の我欲を抑圧する必要悪と位置づけられる。現行の制度は、我欲の衝突を調整する仕組みをそなえつつ、我欲を基本的に肯定している。
 これに反して、個人の我欲を否定し、国家・社会・民族の利益を第一義とする立場が全体主義である。石原を「弱者に冷たい新自由主義者」とするのは、実は褒めすぎ。「全体のために個人を否定する全体主義者」と評し直さなければならない。
 恐るべきは、石原の全体主義的言動に喝采を送る一定層が存在することである。
その支持のうえに、3期12年もの都政のあかがたまった。これを一気に押し流す必要がある。「天罰発言」を石原ポピュリズム清算の天恵としよう。
(2011年03月21日)


都民は被災地の声に耳を傾けよう

 本日の毎日新聞「記者の目」の欄。釜石を故郷とする、社会部記者が地元に入って、災害の惨状を生々しく報告している。
 その中に、次の1節がある。
 「浜町の高台にある児童公園の物置小屋で、地元の消防団員らと夜を越す。ろうそくを囲み、気付けに回す日本酒に思いが噴き出す。『石原慎太郎(都知事)のばかたれが。何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)』。
 傍らから声が続く。『こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ』」 激しく厳しい叱正と、冷静な人間評。いずれも何という痛烈な石原批判であろうか。石原は、「馬鹿たれ」「おだつな」と怒りをぶつけられているだけではない。人間性や生き方そのものを、根底から見すかされ否定され軽蔑されているのだ。
 この声は、一児童公園の物置にたまたま集まった人の声ではない。三陸全体の、いや東北関東被災地全土の声である。今は声を出すこともかなわない2万余の犠牲者の声であり、30万避難者の声でもある。日本全国の心ある人々の真っ当な声でもあろう。
 今、東京都民の民度が問われている。都民は、このような恥さらしの人物を、またまた首長に選出するのであろうか。
 政治家は、聖人君子である必要はない。しかし、庶民の悩みや苦しみを理解する能力のない者は、政治家失格である。苦悩する被災者に、「天罰」と悪罵を投げつける石原を知事に選出するようなことがあれば、こんどは都民が日本中に恥を晒すことになる。
 首都の首長選びには、全国の目がそそがれている。とりわけ、被災地から見つめられ姿勢を問われていることを忘れてはならない。投票行動によって都民の「人間性や生き方が問わている」のだ。
 石原が「馬鹿たれ」「おだつな」と酷評を受けることは当然としても、都民が石原同様の批判を受けるようなことがあってはならない。
(2011年03月22日)


都民よ、ポピュリストを忌避しよう。

 石原「天罰発言」が、ポピュリズムに触れている。「政治もポピュリズムでやっている」から天罰が下ったという文脈。「無能な内閣ができるとこういうことが起きる」という妄言と併せると、民主党政権誕生を支持した国民の動きをポピュリズムと言っているようだ。しかし、衆目の一致するところ、石原こそが典型的なポピュリストであろう。しかも、極めて質の悪いポピュリストと指摘せざるをえない。
 民主主義とは、理性ある市民の意思が社会の方向を決める原則。成熟した市民の自由な意見交換によって形成された世論が、政治を動かし権力をコントロールする。しかし、石原の政治姿勢はこれに正反対である。数え上げれば限りのない差別発言と雑言を売り物とし、非理性的な衆愚の感性に訴えて集票している。イジメの先頭に立って、取り巻きから喝采を受けているいじめっ子の構図ではないか。これこそ民主主義に似て非なる衆愚の政治であり、ポピュリズム以外の何ものでもない。
 被災者に「天罰」と悪罵を投げつけたのも、選挙間近で都民のウケをねらったイジメ発言なのかも知れない。しかし、今度ばかりはあまりにひどすぎて、あてがはずれたというところ。それでも懲りずに四選めざして立候補する予定と報じられている。
 都民よ、衆愚となってポピュリストに権力を与えることはもうやめよう。冷静に都政の現状を見つめ直そう。
 「貧困都政」(岩波書店)を著した永尾俊彦氏が鋭く指摘している。
「石原都政では、都民が切実に望んでいることはどうでもよくて、福祉や医療で削った金を知事が思いついたことに投資している。気運の盛りあがらないオリンピック招致、新銀行東京、三宅島のオートバイレース。しかも大失敗しても責任をとらない。それどころか、豪華外遊や高額接待をくり返し、築地市場を土壌汚染地に移そうとしている。『日の丸・君が代』の強制に見られるように、都の方針に従わない教師や職員は処分し、左遷し、だまらせようとしてきた」
 まったく同感である。同胞の被災に涙する心をもつ都民に訴える。こんな人物を知事にしてはならない。
(2011年03月23日)


まことのなみだはここになく‥

 敬愛する郷土の詩人宮沢賢治は、奇しくも明治三陸大津波の年(1896年)に生まれ、昭和三陸大津波の年(1933年)に没している。
  詩人が生前に刊行した唯一の詩集が「春と修羅」。その第二集は、構想だけで生前の発刊が実現しなかった。賢治は、発刊予定の第二集にやや長い序を書いており、その最後によく知られた次の一節がある。
「北上川が一ぺん氾濫いたしますると
 百万疋のねずみが死ぬのでございますが
 その鼠らがみんな
 やっぱりわたくしみたいな云ひ方を
 生きているうちは
 毎日いたして居りまするのでございます」
 言うまでもなく、鼠は、災害に翻弄される東北の農民の暗喩である。そして疑いもなく、賢治は自らの身を百万疋の鼠のうちの一匹としている。賢治は、生き方そのものにおいて、農民に身を寄せ、農民の苦悩を自らのものとした。ヒデリのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩いたのだ。
 岩手を郷土とする私には、鼠という賢治の比喩に、都会人や権力者の、あるいは富裕者の、要するに百万匹の鼠の外に身を置いて見下す立場にある者の、冷ややかな視線を読み取らざるをえない。
 民主社会の代議政治における代表は、百万疋の鼠のうちの一匹こそがふさわしい。その外にいて見下す傲岸な人物に権力を与えてはならない。おそらく賢治もそのような思いであったに違いない。「春と修羅 第二集」を印刷する予定であった貴重な謄写版印刷機を第1回普通選挙に立候補した労農党・稗貫支部に寄付している。
 津波の被害を天罰という政治家に賢治は怒るだろうか、はたまた嘆くだろうか。
 「まことのことばはここになく
  修羅のなみだはつちにふる」
(2011年03月24日)


グスコーブドリの生き方

「グスコーブドリの伝記」は、賢治の生き方の理想の一面を表している。
 イーハトーブの森に生まれた木樵の子ブドリは、幼くして父母を失う。寒さの夏に続く飢饉ゆえの不幸。その自然の災害に加えて、妹ネリとともに人の世ゆえの辛酸にも遭う。
 長じたブドリは火山局の技師となり、火山の噴火を抑えたり、窒素肥料の雨を降らせたりと働く。イーハトーブは豊かになったが、寒さの夏の再来が予報される。
 その対策として、ブドリは一計を案じる。火山島を爆発させ、大気に二酸化炭素を噴出させ温暖化効果で冷夏を克服しようというのだ。その危険な仕事はどうしても犠牲を伴うのだが、ブドリは敢えて志願してなし遂げる。ブドリの犠牲で、多くの人を不幸にした寒さの夏はなくなり、「ちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。」と、お話しは締めくくられる。
ブドリは災害を天罰とするごとき非科学的な思想のカケラも持ち合わせない。科学的な思考なくして災害を克服することができないことを知っているから。また、ブドリは災害を他人事としない。災害の克服への献身を惜しまない。自らが、災害の不幸を背負って生きてきたのだから。
 ブドリを通して賢治は語っている。ブドリの自己犠牲が、「たくさんのブドリやネリと、たくさんのおとうさんやおかあさん」に幸せをもたらしたように、自分も農民に幸せをもたらす生き方をしたいと。ブドリのようなかたちの自己犠牲を肯定できるか賛否はあろう。しかし、農民の立場に身を寄せて、災害の克服に全身全霊を捧げた賢治の生き方には、誰もが襟を正さざるをえない。
 これに比較するも愚かだが、被災を他人事とし被災による苦悩を天罰と言ってのける、無神経で傲岸な生き方もある。賢治の対極に位置して、醜悪そのものと指摘せざるをえない。
(2011年03月25日)


啄木の怒り

 郷土の歌人・石川啄木は、「主義者」として知られていた。
  平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり。
  赤紙の表紙手擦れし 国禁の 書を行李の底にさがす日。
  「労働者」「革命」などといふ 言葉を聞きおぼえたる 五歳の子かな。
  友も妻もかなしと思ふらし―病みても猶、革命のこと口に絶たねば。
など、その傾向の歌はいくつも挙げることができる。
 没後十年(1922年)で建立された「柳青める」の歌碑に、寄進者の名などはなく、ただ「無名青年の徒之を建つ」と刻まれているのは、その故であろう。
 彼が貧者の側にあって、社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってくる。高みから見下す目線ではないことが、啄木の歌の魅力である。
  わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
  はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
  友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき

 このような彼だから、故郷の災害を天罰という輩には、怒髪天を衝いて怒るに違いない。しかし、彼のことだ。怒りも悲しみの歌となるだろう。
  頬につたふ なみだもみせず 天罰と言い放ちたる男を忘れじ
  砂山の砂に腹這ひ 天罰と言われし痛みを おもひ出づる日
  たはむれに天罰など口にして 軽きことばは 三日ともたず
  一度でも天罰などとののしりし 人みな死ねと いのりてしこと
  天罰と言いし男の 尊大な口元なども 忘れがたかり
 あるいは、次の「一握の砂」所載歌などは、その輩を詠んだものではなかろうか。
  くだらない小説を書きてよろこべる 男憐れなり 初秋の風
  秋の風 今日よりは彼のふやけたる男に 口を利かじと思ふ
  誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
  かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり
(2011年03月26日)


佐藤春夫・宇野浩二の石原慎太郎評

 石原慎太郎は、1956年に第34回芥川賞を受賞している。受賞作品は、「太陽の季節」。選考委員は、石川達三、井上靖、宇野浩二、川端康成、佐藤春夫、瀧井孝作、中村光夫、丹羽文雄、舟橋聖一の9名。異例というべき酷評がなされている。
 佐藤春夫はこう述べている。「僕は『太陽の季節』の反倫理的なのは必ずしも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸としてもっとも低級なものとみている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者の物ではないと思ったし、又この作品から作者の美的節度の欠如をみてもっとも嫌悪を禁じ得なかった。これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。僕にとってなんの取り柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して‥これに感心したとあっては恥ずかしいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わない」
 石原を「文学者ではなく興行者」と言い当て、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思った」とは、その後の石原を見抜いている。その炯眼には敬服するよりほかはない。
 また、宇野浩二は「読み続けていく内に、私の気持ちは、次第に、索漠としてきた、味気なくなってきた。それは、この小説は、仮に新奇な作品としても、しいて意地悪く云えば、一種の下らぬ通俗小説であり、又、作者が、あたかも時代に(あるいはジャナリズム)に迎合するように、‥ほしいままな『性』の遊戯を出来るだけ淫猥に露骨に、書きあらわしたりしているからである」
 積極的に推したのは、舟橋聖一と石川達三。
 「純粋な快楽と、素直にまっ正面から取組んでいる点」を評価したという舟橋の評は論外。石川は、受賞作を「倫理性について、美的節度について問題は残っている。‥危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」と述べている。『人間の壁』を著した石川達三は、石原のその後の「危険」をどう把握したであろう。差別発言を恥じずにくり返し、震災を天罰という「作家」を評価しえたろうか。
(2011年03月29日)


死者に寄り添う気持の尊さ
 「方丈記」は災害文学である。取りあげられた「災害」は、大火・旋風・遷都・ひでり・大風・洪水・飢饉・疫病、そして大地震に及ぶ。
 養和年間(1181?82)の飢饉による夥しい都の餓死者について次の一節がある。
 「仁和寺に隆曉法印といふ人、かずもしらず死ぬることをかなしみて、その首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。その人數を知らむとて、四五兩月を数へたりければ、‥道のほとりにある頭、四萬二千三百余りなむありける」
 行路に捨てられた遺体を哀れとし、その成仏を願って額に梵語の「阿」という字を書いてまわった僧のいたことが、鴨長明には書き留めて置くべきことであった。

 よく似た話が、昨日の「毎日」夕刊に。「葬儀が出せない被災遺族のために、僧侶の兄弟が火葬の度に駆け付け、ボランティアで読経している」のだという。
 山田町の龍泉寺は遺体の仮安置所になった。30代の住職は、幼児の遺体を見て涙が止まらず、弟と相談して「檀家であろうとなかろうと供養を」と思い立った。以来、「隣接する斎場での火入れにほぼ毎回交代で立ち会い、遺族を前に、袈裟姿で読経している」「喪服もなく、着の身着のまま参列した遺族が『手を合わせくれるだけでもありがたい』と涙を流して感謝する場面もある」と報じられている。
「(葬式など)何もできないと思っていたので、ありがたいお経だった」という遺族の感謝のことばが痛いほどよく分かる。常は無神論者をもって任じている私も、そのような僧侶の行為に尊敬の念を抱かずにはおられない。
 宗教者が死者に寄り添う行為は、生者への真摯な慰めでもある。宗教とは本来竜泉寺の若い僧が体現したように、死者と生者をともにいつくしむ営みなのだと思う。

 宗教者に限らず、生を至高のものとし、その故に死を厳粛なものとして、死者に敬虔な姿勢で寄り添うことが社会の良識である。
 死者へも遺族にも何の配慮もなく、軽々に「災害は天罰」と無分別な放言をする輩には、人生や社会を語る資格はない。政治に携わることなどもってのほか。
(2011年03月30日)


失言・放言・暴言・妄言
 「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」とは失言であろうか。
 失言とは、「不注意に本音を漏らす」こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
 しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」という認識が決定的に欠けていた。日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」とも、「不注意に本音を漏らした」とも言わない。傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。「うっかり言ってしまった」のではなく、確信犯としての発言なのだから。
 彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。記者から「被災者に配慮を欠いた発言では」と指摘を受けて、直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。
 翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。
 放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。今回の彼の「天罰発言」はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。
 失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。
 思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。
(2011年03月31日)


江戸っ子の心意気

 べらんめい、江戸は町人の街よ。人口の半分は侍だというが、ありゃあ、どいつもこいつも国許からぽっと出の浅黄裏。権力はあっても、所詮は粋の分からぬヤボどもよ。リャンコが恐くて田楽が喰えるか。
 「たが屋」という噺を知ってるだろう。「たがを締める」ことを商売としている職人と、むやみに威張った侍のあの話。両国の川開きのごった返しの橋の上、供を連れた騎乗の侍と、商売道具を背負ったたが屋とがぶつかる。侍は、「とも先を切った無礼者」と、たが屋を手討ちにしようとする。平謝りのたが屋が、どうにも助からないと知るや開き直って胸のすくような啖呵をきる。ここがハナシの聞き所。たが屋捨て身の大立ち回りを口先ばかりの江戸っ子が応援する。
 さて、その結末。文化年間の寄席の記録では、花火が打ち上げられる中、切られたたが屋の首が飛ぶ。その首に「たがやーー」と哀惜の声がかかるのがサゲ。
ところがこれでは面白くねえやな。この話、幕末には逆転する。隅田川に落ちるのは、たが屋の首ではなく侍の首となったのよ。この侍の首に「たがやーー」という喝采がサゲとなる。今も演じられているとおりさ。
 この首のすげ替え。天と地の差だろう。最初に侍の首を飛ばした噺家の名は残っちゃいない。町人の心意気が、たが屋を救って、侍の首を飛ばしたのさ。
 たが屋が身分を超えて侍にこう言うんだ。「情け知らずの丸太ん棒め」「おまえなんぞは人間じゃない。このあんにゃもんにゃ」「血と涙があって、義理と人情をわきまえていてこそ人間ていうんだ」ここがこの噺の真骨頂だとおもうね。
 江戸っ子だい。いつまでも、はいつくばってはいられない。威張り散らして、「災害は天罰」だの、「地方の原発推進は東京に必要」だのと言ってる御仁に、いつまでも江戸を任せるわけにはいかないね。それこそ、江戸っ子の恥じゃないか。
 俺たちは一人一人が「たが屋」さ。血も涙もなく義理と人情をわきまえぬ権力者と、首をかけたやり取りを余儀なくされていることは、昔も今も変わらない。
(2011年04月01日)


野蛮な天皇制も「天罰」とは言わなかった

 関東大震災の直後に2通の詔書が出されている。天皇制政府にとって首都の震災被害からの復興がいかに重大な課題であったかを物語っている。注目すべきは、両詔書とも「天譴論」に与していないことである。震災の原因を神慮や天罰と言ったり、国民に被災の責任を求めたりする姿勢とは無縁なのだ。
 まず、震災11日後の「関東大震災直後ノ詔書」(1923年9月12日)。「惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ」と、天災は飽くまで天災、全力で復興に力を尽くすしかないとの基本姿勢を示している。そのうえで、「凡(およ)ソ非常ノ秋(とき)ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス」と、被災の救済と復興の施策は、非常時にふさわしく果断にやれと述べている。大仰な美辞麗句の修飾をはぎ取れば、中身は案外真っ当で合理的なのだ。
 次いで、「国民精神作興ノ詔書」(同年11月10日)。こちらは、天皇制政府のイメージのとおり。震災後の混乱の中で人心収攬の必要もあったろうが、この事態を奇貨として、天皇制政府の国民精神誘導の意図を明確にしている。
 「朕惟フニ国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ」で始まり、国民の軽佻浮薄の精神を質実剛健にあらためなければ、国が危ういという。そのうえで、まことにエラそうに上から目線の教訓を垂れる。「綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡励シ浮華放縦ヲ斥ケテ質実剛健ニ趨キ軽佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ」‥当時の人々はこんな文章をすらすら読めたのだろうか。
 この詔書には、「今次ノ災禍甚大」の一文はあるが、その原因を天譴・天罰とはしていない。天皇制政府が、震災を利用して国民精神の統合へと誘導をはかったことを教訓と銘記しなければならないが、震災を天罰と言うことが有効だと考えなかったという意味では、天皇制も国民を舐めてはいなかったのだ。
 90年後、「震災は天罰」と言う政治家が出た。天皇制政府より格段に非合理で、愚かで、しかも国民を愚昧なものと舐めきった姿勢を曝露したというべきだろう。
(2011年04月03日)


ばちあたり

 「なんてかなしいこと」というと
 「なに、てんばつさ」という。

 「ほんとにてんばつ?」ときくと
 「ほんとにてんばつさ」という。

 「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
 「てっかいしてしゃざいする」という。

 そうして、あとでもういちど
 「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
 「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。

 こだまでしょうか、
 いいえ、あのひと。

 「天罰」はだれにも見えないけれど
 「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
 「天罰」は本当はないのだけれど
 「天罰という人の罪」は深い
(2011年04月04日)


「天罰」は東北に、「福利」は首都に
 「毎日」の読み始めは「万能川柳」欄から。本日の秀逸句が、「首都圏の電気 福島からと知る」(熊本・某)。東北出身者としては白けた気分とならざるを得ない。そんなこと、今ごろ知ったというのか。作句者には他人事なのだろう。
 今さら言うまでもないが、東京電力の原発は、福島第一(6基)・福島第二(4基)・柏崎刈羽(7基)の3か所。いずれも、東京を遠く離れた「東電エリアの外」にある。首都の利便と安全のために、僻遠の「化外の民」が危険を引き受けているのだ。
 「そもそも電力は、国民必須の需要によるものてあって、電力政策の権威は産学協同に由来し、その権力は政府がこれを行使し、その危険は東北北陸が引き受け、福利は専ら首都圏がこれを享受する。これは我が国固有の歴史的構造原理であって、東電の原発経営はかかる原理に基くものである」
 だから、3月25日における、首都の知事と福島県知事の会見は、特別の意味をもつものであった。危険を東北に押しつけて利便を享受してきた首都と、リスクが顕在化した東北との、本来であれば火花を散らすべき対決である。そこで、首都の知事は「私は今でも原発推進論者」と言ってのけたのだ。私には、「今後とも首都の利便のために原発を推進する。電力供給は必要なのだから、被災は東北の天罰として甘受していただきたい」との、彼の本音と聞こえる。
 ところが、3日のフジテレビ系公開討論会の席上、「小池(晃)氏が、石原(慎太郎)氏が福島県で『私は原発論者』と発言したことを批判すると、石原氏は『そんなことは言っていない』」と反論、「小池氏は『いやいやハッキリ報道されてます。ごまかさないでください』と言い返した」と報道されている。また、席上「慎太郎氏は都の防災服姿。『フランスは原子力発電をうまくやっている』『何も、原子力一辺倒と言ってるわけじゃない』などと主張し」たとも報じられている。何も分かっちゃいない。何も反省してはいないのだ。
 首都圏の心ある人々よ。数多の蝦夷の末裔たちよ。こんな人物を知事にしておいてよいのか。恥ずかしくないのか。
(2011年04月05日)


東北の鬼

 私の父方のルーツの地は黒沢尻である。今は、岩手県北上市。
 この地方には、郷土芸能の鬼剣舞(おにけんばい)が伝わる。宮沢賢治の「原体剣舞連」に農民の誇りとして高らかに歌い上げられている、あの異形の舞である。
私の従兄がその面を作っていることもあって愛着は一入。そのリズムと動きの激しさに、普段はもの静かな東北の民衆の魂の叫びを聞く思いがする。まつろわぬ鬼は、私自身の精神のルーツでもある。
 わらび座の十八番の一つ、歌舞劇「東北の鬼」では、幕末の三閉伊一揆を題材に鬼剣舞の群舞が観衆を圧倒する。鬼は、圧政に虐げられた農民そのものであり、剣舞は解き放たれた怒りの象徴である。
 「百姓の腹ん中には、一匹ずつの鬼が住んでいるんだ」というのが主題。古来、東北の民は、「蝦夷」として「征伐」の対象とされた。鎌倉・室町・江戸期の最高権力者の官名は「征夷大将軍」である。坂上田村麻呂に抵抗したアテルイの時代から、前九年・後三年、藤原三代、九戸政実、戊辰戦争、明治の藩閥政治にいたるまで、勇猛にして高潔な東北は、奸悪な中央に敗れ虐げられ続けてきた。その名残と怨念はいまだに消えない。だから、東北の民は、時として鬼になる。地方権力にも中央政権にも、その矜持を賭けて徹底してたたかいを挑む。その心意気が弘化・嘉永の三閉伊一揆に遺憾なく表れているのだ。
 そのような東北の民衆の矜持を、首都の知事が踏みにじった。
 「なに。震災は天罰だと?」「津波で積年の垢を洗い落とせだと?」
 さらに、追い打ちをかけたのが原発問題。危険な原発の立地を東北に追いやり、安全な場所で電力の恩恵に与るのが中央。東北の民には、そのような図式がありありと見える。「この期に及んでなお、『私は今も原発推進論者』だと?」
 賢治のことばを借りよう。「いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を つばきし はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」
 都民よ。東北の鬼を怒らせまいぞ。
(2011年04月06日)


再び、民主主義とは何なのだろう
 私は、1971年4月に弁護士となった。実務法律家としてちょうど40年の職業生活を送ったことになる。この間の私の幸運は、日本国憲法とともに過ごしたことである。人権・平和・民主主義を謳った実定憲法を武器に職業生活を送ることができたことは、なんという僥倖。
 しかし、私の不運は日本国憲法の理念に忠実ならざる司法とともに過ごしたことにある。憲法に輝く基本的人権も、恒久平和も、民主主義も、法廷や判決では急に色褪せてしまうのだ。何という不幸。
 裁判所が、毅然と「日の丸・君が代」強制を許さずとする明確な判決を言い渡すのなら、石原教育行政の出番はない。裁判所に、「歌や旗よりも子どもが大切」、「国家ではなく人権こそが根源的価値」という教科書の第1ページの理解があれば、そもそも行政が憲法を蹂躙する暴挙を犯すことはないのだ。
 もうひとつ、右翼の知事に出番を提供したのは都民である。震災は天罰と言ってのけ、思想差別を敢行するこの右翼的人物に知事の座を与えたのは都民である。恐るべきは石原個人ではなく、敢えて石原に権力を与えた都民の意思であり、日本の民主主義の成熟度と言わねばならない。
 それにしても石原4選である。東京都の人権と教育は、あと4年もの間危殆に瀕し続けねばならない。「人権や憲法に刃を突きつける民主主義とは、いったい何なのだ」と問い続けなければならない。問い続けつつも、他にこれと替わり得る制度がない以上、絶望することも、あきらめることも許されない。心ある人々とともに、東京都の反憲法状態を糾弾し続け、都民に訴え続ける以外にはない。
 そのような決意を自分に言い聞かせて、しばし擱筆する。

 最後に。
 自分の心情を託すには啄木が、気持を浄化し決意を確認するには賢治がぴったりだ。

  新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど
  地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
  人がみな同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。

  雨ニモマケズ
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
  慾ハナク
  決シテ瞋ラズ
  イツモシヅカニワラツテイル
  一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ
  ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
  ソシテワスレズ
  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
  東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
  ヒドリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ
  ホメラレモセズ
  クニモサレズ
  サウイフモノニワタシハナリタイ
(2011年04月11日)

追悼・安倍晴彦さん ー 良心を貫き「犬にならなかった」裁判官。

(2022年2月1日)
少し遅くなったが、「法と民主主義」2022年1月号【565号】のご紹介である。
https://jdla.jp/houmin/index.html
ご注文は、下記のURLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html

特集●2021年総選挙を総括する
◆特集にあたって … 「法と民主主義」編集委員会
◆総選挙結果が投げかけるもの … 田中 隆
◆野党共闘の課題はなにか ── 市民連合から見えるもの … 福山真劫
◆曲がり角の選挙報道をどうしていくか
 外れた予測とメディアの影響・効果 … 丸山重威
◆女性議員の現状と展望 … 角田由紀子
◆投票環境をめぐる法的問題点 … 飯島滋明
◆2021年衆議院議員選挙無効訴訟の意義 … 平井孝典
◆諸悪の根源、小選挙区制の廃止を展望する … 小松 浩
◆改憲発議の動きに対し法律家は何をなすべきか … 南 典男
◆特別寄稿 第25回最高裁裁判官国民審査をふりかえって … 西川伸一
◆連続企画・学術会議問題を考える〈4〉
 学術会議問題とは何か? ─ 〈任命拒否問題〉と〈あり方問題〉と ─
                     … 小森田秋夫
◆司法をめぐる動き〈70〉
 ・「沖縄の怒りではない 私の怒り」
  ──「沖縄高江に派遣された愛知県機動隊への公金支出の違法性を問う住民訴訟」の名古屋高裁逆転勝訴判決をめぐって … 大脇雅子
 ・10/11/12月の動き … 司法制度委員会
◆追悼●安倍さんを追悼する … 北澤貞男
◆メディアウオッチ2022●《「編集の独立」の意味》
 問われる「メディアの財源」 ジャーナリズムはいかにして可能か … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№9〉
 「冤罪」の背骨を持つ … 秋山賢三先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№37〉
 「憲法改正も、本年の大きなテーマです」と発言する岸田首相 … 飯島滋明
◆「針生誠吉基金」設立にあたって ── 「法民」の継続発行のために … 佐藤むつみ
◆時評●新型コロナ感染拡大に思う … 間部俊明
◆ひろば●司法改革のわすれもの ── 男女共同参画の現在地 … 小川恭子

 今月号の記事の中から、北澤貞男さん(元裁判官)の「安倍晴彦さんを追悼する …」を、ご紹介(抜粋)したい。安倍晴彦さんは、その出自も学歴も出世コースを歩むに申し分のない人だった。が、権力や時流への迎合をよしとせず、司法行政当局から疎まれて「見せしめ」とされた人。それでも泰然として裁判官としての良心を貫いた生き方を示して尊敬を集めた文字どおりの先達である。その生き方は、自著『犬になれなかった裁判官』(NHK出版)に詳しい。
 温厚な人柄で、この書のタイトルを気にしておられた。「自分が発案した書名ではないんですよ。立派な裁判官をたくさん知っていますが、他の裁判官を犬になってしまったと思っているんだろうと誤解されかねませんのでね…」とお話しされていた。

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 安倍晴彦さんが亡くなりました。
 それを知らされたのは奥方みどりさんからの葉書でした。その文面は、「夫晴彦は9月19日に88歳で旅立ちました。緊急事態宣言が出ておりましたし、遺言に従い、家族だけで見送りました。本人は常々『いろいろなことがあったが、どんな時でも、尊敬する先輩、友人、仲間の方々に支えられてここまでくることができた』と申しておりました。生前は本当にお世話になりました」というものでした。
 この2、3年では、守屋克彦さん、竹田稔さん、花田政道さんに次ぐ訃報でした。

 安倍さんは14期、守屋さんは13期、竹田さんは10期、花田さんは9期で、私は18期です、青法協会員裁判官に対するいわゆる赤攻撃が開始されたのは1967年で、私が判事補になって2年目の夏過ぎでした。この理不尽な攻撃にどう対抗するかを検討する過程で、先輩も後輩もなく真剣に議論をしました

 私の初任地は岐阜地家裁でしたが安倍さんは1968年4月には和歌山地家裁から岐阜地家裁に転勤となり、1年間は同じ裁判所に勤務しました。安倍さんから自然に薫陶を受けることになりました。
 
 そして1971年3月31日最高裁は宮本康昭さん(13期)の判事補再任を拒否して判事に任命しませんでした。これは憲法尊重擁護の義務を自覚する裁判官の良心を骨抜きにする思想攻撃・パージでした。

 宮本さんの次は安倍さんが危ないと予想されました1972年3月当時安倍さんは福井地家裁におられ私は横浜地家裁におりました。内外から再任拒否に反対する行動が起こされ、安倍さんは再任拒否を免れました。任官(新任)拒否は定着してしまいましたが、裁判官の再任拒否は定着を回避することができました。

 安倍さんの任地は福井地家裁の後は横浜地家裁、浦和地家裁川越支部、静岡地家裁浜松支部、東京家裁八王子支部で、1998年2月2定年退官しました。高裁勤務もなく、合議の裁判長を経験することもありませんでした。人事当局から完全に干されたと見ざるを得ません。しかし安倍さんは泰然とし島流しにされた敗軍の将のようでした。花田さんが、かつて「安倍君は大将の器だ。僕はせいぜい参謀だ」と語ったことを覚えています。

 安倍さんは2001年5月にNHK出版から『犬になれなかった裁判官 ― 司法官僚統制に抗してして36年』を出版しました。自らの裁判官生活を基礎に裁判官論を展開し、「今後の司法改革の論議、運動の前進のために少しでも役立つことがあれば、というのが私の期待である」とあとがきの最後に書かれています。安倍さんは「権力の犬になってはならない」と時に口にしておられたので、犬になれなかった裁判官とタイトルをつけたのだと思います。安倍さんらしいタイトルの付け方だと思います。

 安倍さんは日本国憲法下の裁判官として定年まで良心を貫いた人です。まさしく「見せしめ」ではなく、「篝火」(青法協裁判官会員誌の題名)でした。(北澤貞男)

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