(2022年5月11日)
なんということだ。本当の戦争が始まっている。自分の国の戦争ではないが、砲弾が飛び交い、街が焼かれている。人が人を殺し、建物を壊し、略奪もしている。多くの人が難民となって逃げている。この時代に、信じられないなんという野蛮な出来事。
戦争、こんなに罪なものはない。侵攻したロシアが優勢となれば、ウクライナの人々が殺される。ウクライナが押し戻せば、ロシアの若者が死ぬ。人の血が流れれば、その家族の涙が溢れる。戦争が長引けば、人々の不幸も積み重なる。どちらかの勝利で決着すれば、敗戦国の被害が甚大となる。
どうしたら、この戦争をこれ以上の被害なく止めさせることができるだろうか。なにか、自分のできることはないか。そう考えていたところに、「救援新聞」(5月15日号)に、「プーチン大統領に 抗議ハガキを出そう」という呼びかけ。なるほど、戦いを始めたのがプーチンなのだから、戦いを終わらせることだってできないはずはない。宛先は、「在日本・ロシア大使館」である。これなら、私にもできる。
ウクライナヘの侵略は中止を
プーチン大統領に抗議ハガキを出そう
**************************************************************************
ウラジーミル・プーチン大統領 殿
国連憲章に違反するウクライナヘの侵略に抗議します。
人を殺さないでください。
戦争に反対する人を逮捕しないでください。
逮捕した人は釈放してください。
核兵器は使わないでください。
話し合いで解決する努力をしてください。
もうこれ以上、血を流さないでください。
住所
氏名
私のひとこと
*上記のハガキ案も活用して、抗議の声をとどけましょう。
【要請先】
〒106?0041 東京都港区麻布台2丁目1?1
駐日ロシア連邦大使館
ウラジーミル・プーチン大統領 殿
**************************************************************************
この案文はよくできている。それに、救援会らしさもよく出ている。「人を殺さないでください」が最重要の一文だろうが、私も幾つかの「案文」を考えて見た。
☆人を殺さないでください。人を殺させないでください。
☆どんな理由があっても、軍事侵略は許されません。
☆直ちに、戦闘を停止してください。
☆直ちに、軍隊をロシアに返してください。
☆終戦処理を国連の安保理事会で話し合ってください。
☆このままでは、あなたがヒトラー。
☆絶対に核兵器を使ってはなりません。
☆あなたが始めた戦争です。あなたの責任で終わらせなさい。
(2022年5月10日)
ご近所にお住まいの皆様、ご通行中の皆様。しばらく、お耳を拝借いたします。こちらは「本郷・湯島九条の会」です。私たちは、日本国憲法の徹底した平和主義をこよなく大切なものと考え、長く「九条守れ」の活動を続けてまいりました。
そして今、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始したという深刻な事態の中で、常にも増して、今こそ「九条を守れ」「九条による平和を」と、声を挙げなければならないと決意を固めています。
皆さん、戦争とはいったいなんでしょうか。それは、大量の殺人行為です。大規模な強盗です。放火でもあり、建造物損壊でもあります。これ以上なく多くの人に不幸をもたらす野蛮な犯罪と言わねばなりません。歴史上、権力を手にした多くの為政者が、罪のない多くの人の不幸を無視して、より大きな権力と富を求めて戦争を繰り返してきました。しかし同時に、文明は何とかして戦争を止めさせたいと願い続け考えつづけてもきました。
そして、19世紀から20世紀にかけて、人類は戦争を違法なものと確認する営みを継続してきました。最初は捕虜に対する非人道的な行為や残虐な武器の使用を禁じ、やがて侵略戦争を違法とし、第二次大戦のあとには国連憲章が、例外を残しながらも戦争一般を違法なものとして禁止しました。
その流れをさらに一歩進めて、日本国憲法九条は、例外のない全ての戦争を放棄し、その保障として戦力の不保持を宣言しました。人類の叡智の貴重な到達点と言わねばなりません。
ウクライナに侵略した現在のロシアは、軍国主義・侵略主義をひた走った戦前の日本の姿です。日本は、侵略戦争を繰り返す中で、台湾・朝鮮を自国の領土とし、さらには満州を占領し、国際連盟で孤立しました。それでも中国にまで侵略の手を伸ばして泥沼に陥いり、世界から経済制裁を受けて行き詰まるや、米・英・蘭にも戦争を仕掛け…、そして壊滅的な敗戦を迎えました。
それが内外にどんな悲惨な災禍をもたらしたか、ご存じのとおりです。これを身に沁みた日本国民は、平和憲法を制定し、二度と戦争はしない、いかなる名目でも戦争は絶対にしないこと、そしてその保障として戦力を持たないことを憲法に明記したのです。これは、日本が世界に向かってした誓約にほかなりません。
しかし、今、ことさらに「九条は無力だ」「敵基地攻撃能力が大切だ」「非核三原則を見直そう」と、声高に語る人がいます。予てから、戦争の準備が必要だと発言していた人たちです。火事場泥棒同然にこの機会に乗じた、「防衛力を増強しよう」「軍事予算を増やそう」などという煽動に乗せられてはなりません。ましてや、「九条改憲」「核共有」などもってのほか、危険極まりないといわねばなりません。
憲法9条本来の理念は、他国を武力によって威嚇する防衛思想を放棄し、国際的な信頼関係を醸成することによって、平和を築き戦争を予防しようということです。単に戦争を予防するだけでなく、信頼と協調で結ばれた平和な世界を創ろうということにほかなりません。本来、日本はそのような外交努力に邁進すべきなのです。
そのとき、なによりも大切なものは、信頼の獲得です。強大な武力を持つ国ではなく、戦争を放棄し戦力を持たない平和主義に徹した国であればこそ、世界のどの国からも、誰からも信頼してもらえます。その信頼に基づいた平和外交が可能となるのです。
戦争の原因となる相互不信の原因や、国際的な格差や飢餓や、搾取や不平等を解きほぐし信頼関係を構築するには、九条というソフトパワーは、強力なツールであり権威の源泉というべきです。
残念ながら今、日本は世界有数の軍事力を持ち、アメリカとの軍事同盟に縛られている現状で、九条はその力を十分に発揮してはいません。それでも、九条は、少なくとも専守防衛に徹することの歯止めとしての役割を果たしています。この歯止めがはずれた場合の恐るべき事態を防止しなければなりません。
これ以上、自衛隊を強化し、防衛予算を増やし、米軍の基地を増強し、さらには核共有までの議論を始めるとなれば、日本は、平和を望む諸国と人々に対する、国際的な信頼と権威をさらに失墜し、却って危険を招くことになるでしょう。
そうならないように、火事場泥棒に警戒を怠らず、ともに「今こそ九条を守れ」と声を挙げていただくよう、お願いいたします。日本と世界の平和のために。
(2022年5月9日)
本日の毎日新聞夕刊に、「『共食い』はごめんだ」という永山悦子論説委員の、IRに関する解説記事。『共食い』=「カリバニズム」は、まことに嫌な語感。指摘されてみると、賭博・博打・カジノは、まさしく『共食い』=「カリバニズム」そのものではないか。イヤーな語感も共通だ。さらに、IRは別の意味の深刻な「共食い」の舞台にもなるという。
「カリバニズム」と言わずに、「カニバリゼーション」というと、語感が変わるようだ。マーケッティング業界のテクニカルタームとして定着しているらしい。同じ企業の似たような製品同士が、購買層を「喰い合う」現象などをさすのだという。
永山の解説では、「米国では、カジノの経済的影響の一つに『カニバリゼーション』が挙げられる。日本語で共食いの意味だ。カジノへの支出が増えると、その分、同じ地域内の経済活動や消費への支出が減る。『カジノの繁栄はその周辺の経済活動を犠牲にしたもの』(鳥畑与一「カジノ幻想」)」という。カジノが、参加者同士の「共食い」であるだけでなく、地域経済における「共食い」でもあるという指摘なのだ。
大阪府・市が手を挙げた、人工島「夢洲」に計画されているカジノを含む統合型リゾート(IR)。このIRの経済的効果については、これまでは「こんな根拠薄弱な収支計画は絵に描いた餅、うまく行くはずがない」「破綻して、府民・市民に大きな負担をかけることになる」という悲観論の批判が強かった。
ところが、「仮に、こんな杜撰な収支計画が絵に描いた餅とならず、破綻なく順調に経営されてしまった場合」には、もっと大きな問題が出てくると言うのだ。それが、囲い込まれた夢洲IRが近隣の大阪商圏を喰ってしまうという「カニバリゼーション」。そのカラクリがこう説明されている。
「IRは、カジノだけでなく、エンタメ施設、ホテル、レストラン、国際会議場などを複合する巨大施設を指す。そこを訪れれば、だれもが仕事も娯楽も満足できるというコンセプトだ」「IRでは、カジノが利益の約8割を担う。カジノへ落とされるカネが経営を支えるから、IR側はカジノで長い時間を過ごさせたい。海外のカジノには『コンプ』という仕組みがある。コンプは、カジノのもうけを利用し、カジノを使う人にホテルや飲食などを格安で提供するサービスだ」「ただでさえIR内で用事が済むところ、コンプのようなサービスがあると、訪問者はIRに囲い込まれてしまう。施設外のホテルなどよりも安かったり、便利なサービスがあったりすれば、IRを選ぶ人も増える。地域産業は、とても太刀打ちできまい」
なるほど。これは、説得力がある。IRというビジネスモデルが成立するのは、収益の核としての大規模な「カジノ=賭場」があるからなのだ。健全な経済社会には存在し得ない「カジノ=賭場」とセットになっていればこそ、併設されているホテルも食堂も格安にできる。経営者はそのカジノの付属設備の魅力で客を吸収し、囲い込もうとする。真っ当な経済社会にある地域産業はとても太刀打ちできない。つまりは、客層はIRに吸い寄せられ囲い込まれて、喰われてしまうことになる。
現実に、「米国では、あちこちでカジノ周辺の産業が衰退に追い込まれている。『カジノは地域を壊す』と言われるゆえんだ。それは、誘致自治体が思い描く『地域の経済振興』とは正反対の姿」だという。大阪市民よ、府民よ。本当にこのままでよいのか。
永山は、この現象を、「人間同士の『共食い』」と表現して、「国や自治体が、『共食い』を推進するのは、どう考えてもおかしい」「立ち止まるのは、今からでも遅くない」と締めくくっている。
毎日だけではない。大阪府と「包括連携協定」を結んだ読売新聞までが、5月4日の社説で、「カジノ誘致 収益に頼る地域振興は適切か」と疑問を投げかけている。もちろん、「適切ではない」と言いたいのだ。但し、理由は少し違う角度。
「大阪府と大阪市は開業後、カジノの売り上げや入場料から、それぞれ年500億円以上が入ると見込んでいる。しかし、訪日客が順調に回復するとは限らず、過大な期待だと言わざるを得ない。
そもそも、来場者がカジノで失った賭け金を地域振興に使う成長戦略は適切なのか。国や自治体はギャンブル依存症の対策を進めるとしながら、カジノの収益に期待する姿勢は矛盾している。
当初は認定を最大3か所と定め、地域間で競わせる想定だったが、その思惑はすでに外れている。国や自治体は、IR事業の実現ありきではなく、その必要性を再検討する時期ではないか。」
もっとはっきり言うべきだろう。読売は大阪に、「カジノはもう止めた方がよい」と言いたいのだ。
この点は、朝日も同様である。
4月28日付の社説が「カジノ計画 このまま走る気なのか」という表題。「まさか、このまま突っ走る気ではないだろうね」という含意。
「今後、巨額の建設費が住民負担となってはね返る恐れはないか、仮に事業者が撤退した場合、誰がどう責任をとるのかなど、納税者の視点からの慎重な吟味が必要だ。
既にパチンコや競輪、競馬などの公営賭博があり、カジノ解禁がギャンブル依存症の患者をさらに増やすとの懸念は強い。地域の活性化とは何か。そのためにどんな施策を講じるべきか。腰を据えて考えるよう、社説は繰り返し訴えてきた。」
そして最後は大阪府・市に、こううながしている。
「『求められるのは、立ち止まり、引き返す勇気だ』。和歌山県が3月に開いたIRに関する公聴会で、公述人の一人はそう述べた。政府がいま、耳を傾けるべき至言である」
そう。今なら、まだ浅い傷で引き返せる。松井も、吉村も、取り返しがつかなくなる前に、「引き返す勇気」を持て。
(2022年5月8日)
本日、香港の次期行政長官が決まった。就任は7月1日だという。
この人事、形式は選挙だが実質は中国共産党の任命である。任命された李家超(ジョン・リー)とは、「北京への忠誠」故に取り立てられ、共産党支配の手駒となった人物。これまでもこれからも、露骨に民意を抑圧しようという姿勢を隠そうともしない。
選挙とは、民意が権力を構成する作用をいう。民意のあるところを見定め、民意が選任する人物に権力を託す手続である。残念ながら、香港では、徹底して民意が押さえ込まれてしまっている。選挙の条件が破壊されているのだ。国外からの武力侵略を受けて傀儡政権が作られたのとまったく同じ構図である。
民意を反映する公正な選挙の実現のためには、公正な普通選挙制度のみならず、政治的言論の自由、政治活動の自由、政治的結社の自由、報道の自由、教育の自由、等々の諸条件の整備が必要である。その総体を民主主義と呼ぶ。香港にはこの諸条件が備わっていたが、残念ながら野蛮な暴力によってこれを奪い取られたのだ。
その民主主義諸条件強奪の尖兵となったのが李家超にほかならない。200万人のデモを鎮圧したと言われる。こんな人物を行政トップに据える手続を選挙というのは、ひどいブラックジョークというほかはない。こんな手続が選挙の名に値するものではありえない。
この人、本日の記者会見で、「内外の脅威から香港を守る」と語ったと報じられている。聞いてみたい。あなたのいう守られるべき香港とは、いったいその実体は何なのか。そして、いったい誰から守ろうというのだ。
伝えられるこれまでの彼の言動からすれば、「内外の脅威」とは、「これまで香港に根強く育ってきた民主主義と、それを支援する民主的な国際世論」である。強権的な為政者にとっては、香港に民主主義が育つことが脅威なのだ。だから、「守られるべき香港」とは、民主主義の対立物としての一党専制ないしは個人独裁以外にはない。
香港の民意を制圧しての安定的な中国共産党支配の確立、これこそが北京の意を受けた警察トップ・李家超の役割である。これまでも、そのために民主派弾圧の先頭に立ってきた。北京に抜擢されて行政トップの地位を得た以上は、今後その期待に応えて、なお一層、民主派と民主主義の弾圧に精を出すことにならざるを得ない。
新行政長官は何をしようとしているのか。まずは、「フェイクニュース法」の制定を目指しているという。これまでも、李家超は、民主主義を奉じジャーナリズムの矜持を貫いたメデイアに対する弾圧を敢行してきた。だから、李が「フェイク」を取り締まるといえば、当局に不都合なニュースは全て「フェイク」とされるだろうと考えるべきが当然なのだ。合わせて、記者の個人情報を登録させ、政府が管理することも検討されていると報じられている。目指すは、報道管制社会である。
のみならず、国安法を上回る弾圧を可能とする、「国家安全条例」の制定について「必ずやる、迅速に制定する」とも述べているという。そこには、「反逆罪」や「国家機密窃取罪」などの創設も含まれているとか。民主主義の香港は、弾圧の香港に様変わりしつつあるようだ。
ロシアといい、中国といい、革命を成し遂げた大国の末路に唖然とするしかない。
(2022年5月7日)
5月15日沖縄「返還」50周年を目前に、あらためて沖縄が注目されている。沖縄の歴史と歴史を引き摺っての現状に関して。何人かの著名人がその思いや見解を発信しているが、知花昌一さんもそのうちの一人。彼は、戦後1948年の生まれで、沖縄中部読谷の出身。読谷は、米軍の沖縄本島の上陸地である。
1945年4月1日、米軍は、北谷、読谷に上陸した。この頃、現地のチビチリガマで「集団自決」が発生している。この米軍の上陸地点から、首里城の軍司令部までの戦闘地域を「中部戦線」と呼ぶ。日米が死力を尽くして戦った沖縄戦の主戦場である。
米軍は上陸地点である北谷・読谷から首里城までの10キロの進軍に、ほぼ50日を要している。沖縄守備軍は この間の兵力10万を投入して、7万4千人(主戦力のほぼ7割)を失っている。1日あたり千人以上の死者を出していたことになる。太平洋戦争での唯一の本土地上戦であり、もっとも激しい戦いともいわれる。
その読谷で生まれ育った彼も、高校生だった64年、沖縄にやってきた東京五輪の聖火ランナーを日の丸を振って迎えた。その日の丸は今も大切にとってあるという。「平和憲法があって、基本的人権がある。沖縄にないものが日本には全部あると思った」(以下、朝日)
その彼が、87年、読谷村の国体会場での日の丸を引き下ろして燃やした。なにが、そうさせたのか。
生まれ育った集落のはずれにある「チビチリガマ」が83年、本格的に調査された。スーパーを経営し、顔が広かった知花さんも参加。住民たちは少しずつ重い口を開き、沖縄戦で住民約140人が避難し、うち83人が「集団自決」した事実が初めてわかった。
近所の遠縁の女性は6歳の長男を亡くしていた。いつも酔っ払っているオジイは、家族5人を手にかけた苦しみを紛らわすために酒を飲んでいた。「たくさんの人が、語れない過去を抱えて生きてきたことを知ったのです」
72年に復帰が実現しても、米軍基地はなくならなかった。有事の核兵器の持ち込みを認めるなど、日米間の「密約」も次々と判明する。79年には、昭和天皇が終戦直後、沖縄の長期占領を望むとのメッセージを米国に伝えていたことも明らかになった。日本側の狙いについてはいくつかの解釈があるが、「沖縄は戦後も天皇に切り捨てられた」と映った。
沖縄で国体が開かれた87年、知花さんは、掲げられた日の丸を引き降ろし、燃やした。「差別され、差別から逃れようと『天皇の国家』を信じ過ぎてしまったのが沖縄。その後悔と痛みを抱えて生きる人たちに対して、また天皇を象徴する旗が押しつけられたから、降ろすしかなかった」
周知のとおり、刑法には「国旗損壊罪」などはない。それに代わるものとして、建造物侵入・器物損壊・威力業務妨害の3罪での起訴がなされ、有罪となった。量刑は、懲役1年・執行猶予3年。
合衆国連邦最高裁の判例では、思想上の信念から国旗を焼却する行為は、「象徴的表現行為」の法理に基づいて、無罪となり得る。当然、弁護側はそのような弁論もしたが、判決(控訴審判決。最高裁への上告はなかった)は、「事案を異にする」として逃げた。けっして、「象徴的表現行為の法理」を否定してはいない。
今、知花さんはこう言う。
「沖縄戦24万人の犠牲の上に残された教訓はたった二つです。
一つは、軍隊は住民を守らなかった。守らない。
二つは、教育の恐ろしさ、大切さです。」
今、ロシアのウクライナ侵攻を機に、「国民の安全のためにもっと強い軍隊を」と望む声が一部にある。もう一度、沖縄戦を思い起こしたい。
なお、私的なことだが、私と知花さんとは袖擦り合っている。
1997年4月、地位協定に基づく《米軍用地特措法》という悪法の、その《再改悪》法が、国会通過の運びとなった。要するに住民の意思にかかわらず、軍用地の拡張を可能とする立法。これに沖縄が猛反対し、反戦地主会がその闘いの先頭に立った。知花さんを含む反戦地主21名が国会の本会議を傍聴して、悪法成立の瞬間に、一斉に抗議の声をあげた。これが議員運営委員会には不快と映り、21名全員警察署送りというたいへんな事態になった。
自由法曹団からの連絡で、20名を超す弁護士が国会に駆けつけた(あるいは麹町署だったかも知れない)が、釈放ないまま身柄は分散留置ということになった。その留置先の一つに本富士署があり、そこに留置される被疑者については、私が弁護を引き受けることとした。私の事務所から、徒歩5分もかからない。たまたま、その本富士署に留置されたのが知花さんだった。
もう一人の弁護士と、深夜、大声で、接見させろ、釈放しろと要求を重ね、弁護人選人届をとった。4月17日午後の逮捕で、翌18日朝検察官と交渉し、19日朝になって勾留請求ないまま釈放が決まった。釈放指揮のあった正午頃、私は知花さんの身柄を引き取って、タクシーに乗せ、江戸東京博物館ホールでの集会に送り届けた。
幸い不起訴で事件は終了した。当時、私は多忙を極めていた。知花さんとの会話は、本郷から両国までのタクシーの中だけでのこと。あれから、知花さんと会う機会はない。私が「日の丸・君が代」強制問題と取り組むようになったのは、それからしばらくしてのことである。
(2022年5月6日)
「法と民主主義」2022年5月号【568号】が、連休にはいる前の4月27日に発刊になっている。特集は、「ロシア―ウクライナ問題」だが、メインタイトルは、「ロシアのウクライナ侵略に抗議する」。そして、副題が「9条徹底の立場から」。拠って立つ立場を明確にしての、平和論であり、9条改憲反対論の特集である。いずれも、時宜にかなった力作。掛け値なく読み応えは十分。学習(会)資料としても使える。ぜひ、ご購読だけでなく、熟読いただきたい。
特集・ロシアのウクライナ侵略に抗議する ― 9条徹底の立場から
◆戦争はやめろ! 絶対に殺すな! ── 特集にあたって … 新倉 修
◆巻頭論文●ウクライナ危機における国際法と国連の役割 … 松井芳郎
◆インタビュー●軍事侵攻の根本原因と市民社会の役割を考える … 君島東彦
◆ウクライナ戦争と日本政府の責任、そしてわれわれは … 和田春樹
◆歴史の針を巻き戻すプーチンの戦争 … 木畑洋一
◆軍事侵攻を契機とする反9条論と改憲論 … 清水雅彦
◆台湾有事の発生を阻止するための外交力こそ … 猿田佐世
◆ウクライナ侵攻を考える ── イラク訴訟の経験から … 川口 創
◆そして、誰もいなくなる前に ── 核兵器による威嚇を許さない … 和田征子
◆ロシアにおける「言論抑圧」 … 竹森正孝
◆ロシアの軍事侵攻に抗議する各地の運動 … 大山勇一
◆【資料】
・ウクライナ侵略をめぐる動き
・ロシアのウクライナへの軍事侵攻に対する平和を求める声明等を発出した団体
◆連続企画・憲法9条実現のために(37)
「核共有論」の非現実性 … 前田哲男
◆司法をめぐる動き〈73〉
・旧優生保護法国賠訴訟 大阪高裁判決の意義 … 安枝伸雄
・3月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2022●《「核時代の戦争」と世論・情報・メディア その2》
君は「核戦争」を想定するのか? テレビ、新聞での議論を考える … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№12〉
明るいリアリスト … 松井繁明先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№40〉
敵基地攻撃能力について「〔基地だけでなく〕中枢を攻撃することも含むべき」と
主張する安倍晋三元首相 … 飯島滋明
◆インフォメーション
あらためて緊急事態条項創設改憲案に反対する法律家団体の緊急声明/
「改憲ありき」の拙速な憲法論議に異議あり(いま、憲法審査会は?4・7院内集会)
◆時評●プーチンによるウクライナ侵略 … 大久保賢一
◆ひろば●司法の限界? ── 一部に停止命令、一方で工事進行 … 丸山重威
https://www.jdla.jp/houmin/backnumber/pdf/202205_01.pdf
松井芳郎巻頭論文が必読であることは当然として、君島東彦インタビューが短いながらも印象的である。ウクライナ国内にも、ウクライナの軍事行動を批判する平和運動があることを紹介したあとに、次の言葉がある。
「日本国憲法の平和原理の核心は、安全を確保するために軍事力依存を極小化し(軍事主権の放棄)、他国との信頼関係を構築するというもの(共通の安全保障)です。安全保障のためにはなによりも武力紛争を「予防」するために積極的に行動することが大切です。21世紀に入って、『受け身の応答から積極的な予防へ』と言われるようになりました」
そして、「積極的な武力紛争予防」のキーワードが「信頼関係」の構築であるという。「市民に求められているのは、軍事力を使えない環境―信頼関係―を作る努力です」「国境を越えて連帯する市民、越境的市民の連帯が東アジアにおいて平和を構築する努力をしているのです」
また、清水雅彦論稿が、こういう比喩を述べている。耳を傾けたいと思う。
「人が強盗にあったとき、
? 強盗が刃物を持っていようが闘う
? その場から逃げる
? 強盗の要求通り財布を差し出す
という選択肢が考えられるが、?や?の選択を責めることはない。
しかし、これが国家による戦争だと、なぜ戦うことが当然かの議論になるのだろうか」
「今回の件でも、ウクライナ国民が
? ロシア軍と戦う
? 国内外に逃げる
? 降伏する
という選択肢から自身の判断で選択できるのが望ましく、兵役の拒否も保障されるべきである。特に?は屈辱的なことではあるが、犠牲者を最小限にする。時間がかかっても国際世論を背景にした非軍事・不服従等で抵抗するという選択肢もあるはずだ。単純に「非武装」「非戦」(無抵抗ではない)がダメとはならない」
https://www.jdla.jp/houmin/index.html
そして、お申し込みは下記URLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html
なお、「『維新』とは何か」を特集した「法と民主主義」4月号【567号】の売れ行きが好調で、在庫が枯渇しそうとの報告。ぜひ、こちらも、お早めの申し込みを。
https://www.jdla.jp/houmin/backnumber/202204.html
(2022年5月5日)
連休はありがたい。散歩ができる、本も読める。そして、DHCスラップ訴訟の顛末について出版予定本の校正作業の時間もとれる。
この本の原稿の第一稿、身内の評価はさんざんだった。「こんな漢字ばかりが詰まった文章、読む気にもならない」「せっかく出版するんだから、予備知識なしにすらすら読める本でなくちゃ」「分かり易く書く能力に欠けているんじゃないの」などという無遠慮な。これは罵倒か、はたまた励ましなのか。
めげずに書き直して、出版社側は「一応これでよいでしょう」となり、第二校のゲラができた段階。だが、校正の筆を入れ始めると実は際限がない。どこかで妥協するしかない。それでも、読んでいただけるだけの水準のものはできそうではある。完成したら、ぜひお読みいただくようお願いしたい。
《DHCスラップとの闘いの記》の中心テーマは、「表現の自由」である。実質的には「言論の自由」。教科書に書かれた「言論の自由」の解説ではなく、この現実の社会における「言論の自由」を実現するための闘いの記録。誰もが、「言論の自由こそは、民主主義の基盤をなす重要な基本権だ」という。が、実はその自由を獲得するのは容易なことではない。「言論の自由」に敵対しこれを潰そうとするものとの闘いの覚悟が求められる。
私は、「言論の自由」の主要な敵は以下の5者であると思っている。
(1) 公権力
(2) 社会的権威
(3) 経済的強者
(4) 右翼暴力
(5) 社会的同調圧力
「言論の自由」の敵とは、要するに社会の強者であり、多数派なのだ。この社会の強者・多数派に抗い、これを批判する言論が保障されなければならない。このような保障に値する言論は、宿命的に強力な対抗圧力との軋轢を伴う。論者にはこの軋轢に怯まない覚悟が必要なのだ。
DHC・吉田嘉明は、典型的な経済的強者としての「言論の自由の敵」となった。自らは差別的言論を恣にしながら、カネに糸目を付けずに、自分を批判する言論は許さないとするスラップ訴訟をかけまくった。これに加担する弁護士もいたのだ。出版予定の本は、この点をめぐっての記述となっている。
ところで、「言論の自由の保障」というときの「言論」は内容を捨象した言論一般を指しているが、現実の「言論」は常に具体的な内容を伴っている。DHC・吉田嘉明が攻撃した私の「言論」の内容の一つに、《消費者問題としての行政規制緩和》というテーマがあった。
みんなの党の渡辺喜美への8億円提供を自ら暴露した、「吉田嘉明手記」(週刊新潮・2014年3月27日発売号に掲載)を批判して私は同月31日に、ブログに下記のとおり記載した。これが、2000万円スラップの対象となった最初の記述。後に、損害賠償請求額は、合計5本のブロクに対して6000万円請求に拡張された。
「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。DHCの吉田は、その手記で『私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した』旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。」
私が批判の対象とした吉田嘉明の手記の中に、次の一節がある。
「私の経営する会社(DHC)は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には、特別厳しいのかと勘繰ったりするくらいです。いずれにせよ、50年近くもリアルな経営に従事してきた私から見れば、厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり霞が関・官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした。ですから、声高に“脱官僚”を主張していた渡辺喜美さんに興味を持つのは自然なこと。」
さて、この言。なにか思い当たることはないだろうか。次のようにも言えるのだ。
「私の経営する会社(「知床遊覧船」)は、主に知床観光の遊覧船の運航をしています。遊覧船で旅客運送を行う場合は、海上運送法における「旅客不定期航路事業」又は「人の運送をする内航不定期航路事業」の許可・届出が必要となり、その主務官庁は国交省・運輸局です。その規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には、特別厳しいのかと勘繰ったりするくらいです。いずれにせよ、リアルな経営に従事してきた私から見れば、国交省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり霞が関・官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした。ですから、声高に“脱官僚”を主張していた政治家を応援したくなるのは、自然なこと。少なくとも、本件重大事故を起こす前はそうでした」
こう並べれば、DHC・吉田嘉明の妄言の本質も本音もよく分かろうというもの。
(2022年5月4日)
昨日の有明憲法集会でもらったビラに掲載されていた一句。
アヒルから、番犬になる大労組 (一志)
戦後労働運動の興隆期、主流に位置していたのが「産別会議」だった。階級闘争をスローガンに掲げた運動スタイルで占領軍と日本の政権から弾圧を受けると、それに代わる労使協調派が「総評」を結成した。ところが、間もなく「総評」は変身する。労働者の利益実現のために闘う組織となり、日本社会党の護憲路線を支えることにもなる。当時これを、「ニワトリの卵からアヒルが孵った」と話題になった。
おとなしいニワトリと思って育てた総評が、反米・反権力のうるさいアヒルになったという喩えだが、その総評も今はない。大企業の大労組は連合に組織され、資本と権力の番犬になり下がっているという川柳子の一喝。さて、この番犬、いったい誰に吠えかかり、誰と闘っているのだろうか。
出版社「ロゴス」が発行している「フラタニティ」という季刊誌がある。最新号(№26、2022年5月号)の特集が「ウクライナ危機が提起するもの」として充実しているが、巻頭に「連合は果たして労働組合なのか? ― 『連合』序論」(掛川徹)という論文が掲載されている。現場からの具体的な情報の発信として、興味深く説得力がある。そのうちの貴重な一節を引用させていただく。
「筆者が経験した職場では『経営の必須事項だからオマエ労務のことも勉強しとけ』という会社の意向で組合役員に取り立てられるケースがほとんどだった。事前の内示もなく勝手に組合役員に立候補すれば会社から報復人事を含めて凄まじい攻撃を受ける、という生々しい話も直接耳にした。ある会社では給与を年収ベースで100万円切り下げる事態も経験したが、組合役員が何度も行う職場『オルグ』では組合員の疑問に対して組合役員が会社の立場を滔々とまくしたて、うんざりした組合員が『もういいです』と話を切り上げるのが常であった。いざ賃下げとなった暁には「あれだけ何回も意見を聞いたのにあんたはその時黙ってたじゃないか」と言われてしまうので全員が黙々と条件の切り下げを飲み込んでしまう。ある意味で実に民主主義的なやり方で労働条件切り下げを飲ませる手法に筆者も舌を巻いた記憶がある。
職場集会が終わればロッカールームで「あいつは会社側の人間だ」「どうせうちは御用組合ですから」「俺たちの高い組合費でうまいもんばっかり食いやがって」とボロクソの批評が飛び交うが、表だってこれを口にする人間はいない。
こうした職場で「労働組合」とは労務課の出先機関にすぎず、組合役員は労務担当係長相当としか思われていない。ユニオンショップの下では組合から除名されれば会社もクビになる。組合に逆らうことは会社の上司に逆らうのと同じことなのである。
…企業内労働組合は会社が命令できないことを労働者に飲ませる資本の別働隊というのが現場の実感である」
以上は、「労働組合の体をした労務管理機構」という小見出しの一節。また、「格差拡大に加担する連合」という節もある。そこには、次のような生々しい体験が語られている。
「以前勤めた会社で予定されていた私の正社員登用がコロナ禍で取り消しとなったため救済措置を求めて職場労働組合に援助をお願いしたことがある。私鉄総連傘下の組合書記長は私の申し出を言下に断った。
書記長「掛川さんはうちの組合員じゃないし、組合費も払っていないので組合としては動けません。個人と会社の雇用関係なので嫌なら辞めればいい」
掛川「動けないというのはどうでしょう。非正規雇用の同僚が切り捨てられるんだから、広い意味で職場環境の問題として組合が動くのは別に構わんじゃないですか」
書記長「職場環境を言うなら組合が要求して頑張ってきたからこんなに職場がきれいになったんです。組合費を払っていない掛川さんは組合の成果にタダ乗りしているんですよ」
掛川「…(絶句)会社も組合も話を聞いてくれないんだったら合同労組に加盟して団体交渉を申し入れるしかないですね」
書記長「それだけは絶対やめてください。うちはユニオンショップだから他の組合に加盟したらクビですよ」
掛川「私は正社員じゃないからそもそもオタクの組合に入っていません。労働者が労働組合に入ることは法律で認められた権利じゃないんですか」
書記長「経営危機を乗り切るため職場一丸で頑張っているときに掛川さんが外部勢力を引き込めばあなたの居場所はこの会社にはありませんからね」
こういうエピソードを添えられると、連合についての幾つかの常套句が、真実味を帯びてくる。「正社員クラブ」「労働貴族」「裏切り者集団」「経営者予備軍」…。これらの呼称は、いずれも連合が「資本の番犬」であって、「正社員クラブ」の会員権を持たない労働者に吠え、噛みついているという一面を表している。だが、実はそれにとどまらないのだ。
ところで、連合もメーデーには集会もする、デモもする。もっとも5月1日にではない。かつての天皇誕生日4月29日に、「労働者の祭典」を開催して恥じない。今年の連合メーデーを一瞥すれば、連合のなんたるかは一目瞭然である。何しろ、護憲も改憲阻止も、「9条守れ」も一切出てこない。政府や労働行政や小池百合子を来賓に呼んでの集会。これが労働組合の集会とはとても思えない。
芳野友子(連合会長)による冒頭の挨拶は、資本や政権への対決姿勢は毛ほどもない。来賓挨拶の内容を連合自身のホームページ記事から引用する。
政府を代表して松野博一内閣官房長官が「かつて労働政策は経済政策に従属的なものとされていたが、今日、雇用・労働政策は社会・経済政策を牽引するものとなっています。これには連合の活動も大きく貢献しているものと思っています。人への投資を起点とした成長と分配の好循環の実現に向け、これまで以上のご支援・ご協力をお願いします」と述べました。
次いで、労働行政を代表して後藤茂之厚生労働大臣は「成長と分配の好循環を実現するためには、持続的な賃金の引上げとそれを支える生産性や労働分配率の向上が必要になります。賃上げを可能とする条件を支えられる労働政策を実行していきます」と述べました。
続いて、メーデー中央大会を後援している東京都から、小池百合子知事が「組合員の皆様には、都民の生活を支える現場で尽力いただいている。私は現場を守る労働者の皆様をしっかりと支え、迅速に政策を実行していきます」と述べました。
この連合の政府や行政との蜜月ぶりはいったいどうしたことか。本日の「毎日」朝刊トップの大型記事の見出しが「労組分断(その1) 自民、改憲狙い連合接近 4年前、国民民主に布石」となっている。その冒頭の一文が、以下のとおり。
「政権交代を目指してきたはずの連合がおかしい。夏の参院選が迫る中、立憲民主、国民民主両党への支援に力が入らず、むしろ自民党への接近が目立つ。約700万人を擁する労働組合のナショナルセンターは、どこに向かうのか。」
毎日が、「連合がおかしい」というのだ。結論から言えば、これまでは資本の犬でしかなかった連合が、今や政権の犬にもなっているということなのだ。ことは、今夏の参院選に影響を与え、さらには「改憲問題」における保守派の手駒になりつつあるということなのだ。
連合は、野党共闘を積極的に妨害し、改憲阻止派の議席を減らして、憲法改悪に途を開こうとしている。権力の番犬となって、憲法や民主主義に吠えかかっていると言わざるを得ない。
毎日の記事の一部を紹介する。
「4月18日には芳野氏が自民党本部で講演。終了後、記者団の取材に応じる芳野氏の背後に、岸田首相のポスターに加え、『憲法改正の主役はあなたです』と記したポスターが張られていたのは偶然ではないだろう。」
実はこの記事、ネットの有料記事として読める。下記のとおりのネットで全8回の企画だが、現在7回までがアップされている。
第1回 加速する「自民シフト」
第2回 消去法で芳野氏に
第3回 「トヨタショック」直撃
第4回 「組合=野党」もはや過去
第5回 内部分裂の兆し
第6回 参院選 現場は混乱
第7回 声を上げる女性たち
第8回 どうなる連合 専門家に聞く
その第7回の最終行は以下のとおり。大新聞の論調としてはかなりの突っ込み方ではないか。
「芳野会長が誕生した時に膨らんだ女性たちの期待は急速にしぼんでいる。連合関係者の女性も「芳野さんが何をやりたいのか分からない。働く者と横につながるでもなく、説明もなく一人で進む。とてもじゃないが一緒にやれる人ではない」と困惑する。女性たちが怒りの声を上げ始めた。」
芳野体制は連合内部でも評判すこぶる悪く長くもちそうにはないようだ。しかし、ここまできた資本や権力に対する姿勢を軌道修正できるのだろうか、そこが問題なのだ。
(2022年5月3日)
空は青く澄みわたり、緑の風が心地よい。絶好の「平和憲法」日和である。
本日の東京新聞「筆洗」欄に、
憲法記念日天気あやしくなりにけり (大庭雄三)
という句が引用されているが、そのような懸念を吹き飛ばす上々の好天なのだ。
本日の「改憲発議許さない!守ろう平和といのちとくらし 2022 憲法大集会」、事前の主催者呼びかけでは、「新型コロナウィルスの感染を極力回避するため、当日はオンライン中継での視聴を積極的に活用して」という調子だったが、参加者の出足は好調だった。
なんとも多種多様いろんな団体の旗を立てて人々が集まってくる。家族連れも、個人参加の人々も、老いも若きも、猫も杓子もてん。そして、数知れないビラを渡される。署名を求められる。そしてカンパも…。「天気あやしい」を意識してか、3年ぶりの大集会だからか。参加者のボルテージが高い。 たくさんもらったビラの中に、「世直し川柳瓦版」(レイバーネット日本・川柳班)というものがあった。その中の一句が、「憲法記念日天気あやしくなりにけり」を吹き飛ばしている。
九条の螺旋(ネジ)締め直すデモに立つ (阿Q)
凛としたこの姿勢、おそらくは多くの参加者の気持ちを代弁する句。この集会は、「九条のネジを締め直している」のだ。いや、 不粋に解説すれば「九条を守ろうという自分自身の気持ちのネジを締め直そう」というのだ。 もう一つこの集会参加の心意気。
この星の憲法作れとデモに行く (今朝)
ほかにも感心した句をいくつか。
憲法を教え偏向だと言われ (奥徒)
この国に空気のようにある差別 (芒野)
国旗振るたびに命が軽くなり (一志)
星条旗星に紛れて丸一つ (J・ポンド)
川柳があれば、短歌もある。「平和万葉集(巻五)ー憲法とコロナの時代ー」(新日本歌人協会)の掲載作品募集についてのビラに、「巻一」?「巻四」からの幾つかの歌が掲載されている。そのうちの何首かに目が惹かれた。
海の水わけても夫の骨返せよと狂いし母が天皇を責む(中里奈津子)
たかが藁なれど人形その胸を竹槍に突きしこの手おぞまし(黒崎米子)
千羽鶴幾百万羽供ふるとも帰り来るなし失せたる一羽(斉藤史)
声あげて発語なすべき時至る国会前にわれは来たれり(来嶋靖生)
ああ子らにごめんなさいと言ふだけで許さるると思ふな戦をとめず(木村雅子)
改めて思う。一見「憲法をめぐる天気の模様はあやしく」なってはいる。しかし、平和を願う国民の願いは深く切実である。この国民の平和への願いや思いがある限り、憲法をめぐる天気が、一天にわかにかき曇るようなことはけっしてならない。この集会への参加者は、そう確信できたのではないか。
東京新聞(電子版)が「護憲派1万5000人声合わせ『今こそ憲法を守れ』 憲法記念日の大規模集会、3年ぶり開催」と報道した。
「日本国憲法施行から75年を迎えた憲法記念日の3日、護憲派の大規模集会が東京都江東区の有明防災公園で開かれ、1万5000人(主催者発表)が参加した。過去2年はコロナ禍で中止され、護憲派が「5・3」に結集するのは2019年以来3年ぶり。改憲派がロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、戦争放棄をうたう9条改正論を声高に叫ぶ中、「今こそ憲法を守れ」と声を合わせた。」
集会参加者の気持ち表した、よいリードだと思う。本文で大江京子弁護士の呼びかけが紹介されている。「残念ながら9条は戦後最大の危機を迎えている」。しかし、「市民の尊い犠牲の末、戦争の惨禍を起こさせないと誓い、日本国憲法を定めた。この決意を捨てさって良いわけがない」
まったくそのとおりである。これまでも、幾たびもの「憲法の危機」を乗り越えて、今日の日本国憲法がある。そのたびに、国民は憲法を選び直してきたのだ。この度の「危機」を乗り越えられないはずはない。
さあ、九条のネジを締め直そう。
(2022年5月2日)
プーチン・ロシアのウクライナ軍事侵攻という深刻な事態のさなかに、明日75回目の憲法記念日を迎える。好機到来とばかりに、改憲派が日本国憲法の平和主義を侵攻している。とりわけ、維新がその尖兵の役割を担っている。これこそ「火事場泥棒」以外のなにものでもない。この火事場における泥棒の被害には十分な警戒を要する。
歴史を顧みたい。我が国近代にも反戦・平和の思想は脈々と息づいている。日露戦争開戦時における反戦・平和の言論には、今学ぶべきところが多々あると思う。とりわけ、平民新聞に拠った幸徳秋水の言説に耳を傾けたい。
日露の開戦は、1904〔明治37〕年2月の上旬である。その直前の同年1月17日付「平民新聞」第10号に、幸徳秋水の「吾人は飽くまで戦争を非認す」という論説が掲載されている。その中に下記の有名な一節がある。
「吾人は飽くまで戦争を非認す、之を道徳に見て恐る可きの罪悪也、之を政治に見て恐る可きの害毒也、之を経済に見て恐る可きの損失也、社会の正義は之が為めに破壊され、万民の利福は之が為に蹂躙せらる。吾人は飽くまで戦争を非認し、之が防止を絶叫せざる可からず。」
日本中が憎むべきロシアに開戦を叫ぶときに、敢えて戦争違法の本質を語り、「吾人は飽くまで戦争を非認し、之が防止を絶叫せざる可からず」という姿勢を宣言したのだ。
開戦後には、さらに悲痛な論陣となっている。
「戦争は遂に来れり。平和の撹乱は来れり。罪悪の横行は来れり。日本の政府は日く、其責露国政府に在りと。露国の政府は日く、其責日本政府に在りと。是に由て之を観る。両国政府も亦戦争の忌むべき平和の重んずべきを知る者の如し。少なくとも平和撹乱の責任を免れんことを欲する者の如し。」
「吾人平民は飽くまで戦争を非認せざる可らず。速に平和の恢復を祈らざる可らず。之が為めには、言論に文章に、有ゆる平和適法の手段運動に出でざる可らず。故に吾人は戦争既に来るの今日以後と雖も、吾人の口有り、吾人の筆有り紙有る限りは、戦争反対を絶叫すべし。而して露国に於ける吾同胞平民も必ずや亦同一の態度方法に出ると信ず。否英米独仏の平民、殊に吾人の同志は益々競ふて吾人の事業を援助すべきを信ずる也」
ここでも、「言論に文章に、有ゆる平和適法の手段運動に出でざる可らず。吾人の口有り、吾人の筆有り紙有る限りは、戦争反対を絶叫すべし」と咆哮している。立派なものだ。その姿勢を学ばなければならない。いま、幸徳秋水ありせば、「戦争反対」に続けて、「改憲反対」「9条を守れ」と絶叫するであろう。
幸いなことに、憲法改悪反対の世論は、ウクライナ侵攻後もけっして脆弱化していない。昨日発表となった共同通信の世論調査が「改憲機運は『高まっていない』とする回答が70%」というもので、護憲派に勇気を与えるものとなっている。
下記は、その共同の世論調査を報じる産経の記事(全文)である。
「9条改正、賛否拮抗 施行75年の共同世論調査
共同通信社は1日、憲法施行75年となる3日を前に郵送方式で実施した世論調査結果をまとめた。9条改正の必要性は「ある」50%、「ない」48%と賛否が拮抗した。昨年の同時期の調査で9条改正は、必要51%、不要45%だった。
岸田文雄首相が自民党総裁任期中に目指す改憲の機運は、国民の間で「高まっていない」が「どちらかといえば」を含め計70%に上った。「高まっている」は「どちらかといえば」を含め計29%。大規模災害や感染症の爆発的蔓延時の緊急事態条項として国会議員任期を延長できるようにする改憲は賛成76%、反対23%だった。
調査では、改憲機運に関し国会で改憲論議を「急ぐ必要がある」は50%で、「必要はない」49%と二分した。改憲問題に「関心がある」「ある程度関心がある」は計69%だった。
調査はロシアのウクライナ侵攻後の3?4月、全国の18歳以上の男女3000人を対象に実施した。」
自信をもって、私も声を上げ続けよう。「戦争反対」「改憲反対」「9条守れ」と。そう、私に口があり、ペンがあり紙があり、そしてパソコンがある限りは。この声は、必ずや世界の理性ある人々に通じるに違いないのだから。