澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「授業してたのに処分・事件」結審の法廷で

本日「授業してたのに処分」事件が結審した。同事件は、元福生高校教諭の福嶋常光さんが、再発防止研修の日程変更を認められず、やむなく予定のとおりの授業を平穏に行っていたところ、減給6月という重い処分を受けたというもの。

理科の先生だった福嶋さんは、真面目を画に描いたようなお人柄。教師像の一典型と言えそう。その福嶋さんが、「君が代・不起立」で懲戒処分を受けた。ここまでは石原教育行政下での450件のエピソードの一つ。福嶋さんは、これに追い打ちをかけた信じがたい懲戒処分を受けて、憤懣やるかたなく、たったひとりの原告となった裁判を起こした。

懲戒処分を受けると、服務事故再発防止研修の受講を強制される。研修したところで、思想が改造できるわけはないのだから、石原教育行政の嫌がらせ以外の何ものでもない。それでも、受講拒否はさらなる懲戒事由とされるのだから、福嶋さんも受講せざるを得ないと覚悟はしていた。福嶋さんが再発防止研修を命じられたのは今回が初めてではなく、これまでは、受講命令に従っていた。

ところが、この嫌がらせ研修として指定された日には、福嶋さんは5時間の授業をしなければならない日程となった。しかも、他の教師に授業を代わってもらうことも、授業計画を建て直すことも不可能。当然に、研修の日程を変更してもらわねばならない。研修予定日の2か月前には校長に、1か月前には直接教育委員会にその旨を申し出た。研修日の変更は明らかに可能だった。

しかし、都教委の返答は「ノー」というもの。「教員に服務事故再発防止研修の日程変更を申し出る権利はない」ということなのだ。

福嶋さんは考えた。自分は、公務員として都教委の指示に従って研修を受けるべきだろうか、それとも教師として生徒のために授業を行うべきだろうか。答えは自ずから明らかだった。「自分は教師である。教師の本分は生徒に授業を行うこと。生徒に寄り添う立場を貫くならば、授業を放棄するわけにはいかない。授業を行うことこそが正しい選択だ」。そう考えての実行が、「減給10分の1・6か月」というとんでもない処分となった。信じられるだろうか。都教委が福嶋さんの都合を聞いて、次の研修の日を設定しさえすれば済むことなのに、減給6か月。

以下は、本日の弁論終結に際しての、私の意見陳述の内容。

弁論終結に際して、原告代理人の澤藤から一言申し上げます。
裁判官の皆様には、是非とも教育という営みの重さについて、十分なご理解をいただきたい。そのうえでの本件にふさわしい判決をいただきたいのです。

教育とは、尊厳ある個人の人格を形成する営みです。明日の主権者を育て、社会の未来をつくる営みでもあります。憲法の理念の実現はひとえに、教育にかかっている、と言って過言でありません。その教育の在り方が、本件では極めて具体的に問われています。

原告は、形の上では原告自身の権利侵害についての救済を求めています。しかし本件訴訟の実質においては、侵害されている教育本来の姿の回復が求められています。教育という営みがないがしろにされ歪められていることを黙過し得ず、たった一人で提訴を決意した原告の心情を酌んでいただくとともに、憲法や教育基本法が想定している本来の教育とはいかなるものであるか、教育行政はこれにどうかかわるべきか、そのことに思いを致しての判決起案でなくてはなりません。

本件事案は、教育をこよなく大切に思う現場教員と、教育を重要なものとは思わない教育委員会の争いであることが一見明白です。いや、正確には、「争い」とはいえません。不真面目な教育委員会が、真面目な教員を、一方的に貶めているという図式と言うべきでありましょう。貶められ、侵害されているのは、原告の権利だけではなく、教育そのものでもあります。

原告は、生徒の教育を受ける権利を全うしようという姿勢を崩すことなく、一貫して真摯に授業に専念しました。

これに対して、被告都教委の姿勢はどうだったでしょうか。教育にも、授業の進行にも、生徒の履修の障害にも、まったく関心を寄せるところはありませんでした。都教委が関心をもったのは、ひとえに、教員に対する強権的統制の貫徹。もっと具体的に言えば、学校現場に「日の丸・君が代」強制が徹底される体制の整備、それが生徒の授業を受ける権利よりも重要なこととして強行されたのです。

都教委は、偏頗で強固なイデオロギーをもっています。職務命令や懲戒処分を濫発してまで、全教職員が一律に「日の丸・君が代」強制に服することが教育現場に望ましいとする、秩序偏重の国家主義的イデオロギーです。

このイデオロギーは、私たちが「転向強要システム」と呼んだ、累積加重の懲戒基準に顕著に顕れています。「日の丸・君が代」、あるいは「国旗・国歌」強制に服することができないとする教員は、どのような理由からであれ、やむなくこれを受容するに至るまで処分は限りなく繰り返され、しかも加重されます。屈辱的な再発防止研修の受講強制も繰り返されるのです。

既に、最高裁はこの懲戒量定の基準を違法と断じました。その意味では、本件の判決主文の帰趨は明らかなのですが、本件はこれまでの判例にあらわれた「日の丸・君が代」強制事案と同じものではありません。本件では、もっと具体的に、教育行政がどのように教育と接すべきかという問題を提起してます。そして、転向強要システムは、教育現場であればこその際立った違法といわなければなりません。

裁判官の皆様には、安易に最高裁判決をなぞるだけの判決に終始されることなく、教育の重みと教育条理とを踏まえ、教育行政の教育への関与の限界を十分に認識された、本件にふさわしい判決を言い渡されるよう期待いたします。

判決期日は本年12月19日13時10分と指定された。
(2013年9月26日)

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Published in 木曜日, 9月 26th, 2013, at 15:24, and filed under 未分類.

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