本日の「東京・君が代訴訟」弁護団会議で
A「東京都教育委員会の『10・23通達』関連訴訟は合計23件を数える。そのうち、昨年1月16日処分取消1次訴訟判決、同年2月9日予防訴訟判決、そして先月6日の2次訴訟判決で、大規模事件の最高裁判決がある程度出揃って、最高裁の基本姿勢が見えてきた。3次訴訟が地裁段階に係属しており、いずれ4次訴訟も続くことになる。この時期に、今後の展望を切り開くための各自のご意見を聞きたい。」
B「『10・23通達』以来10年になろうとしている。10年闘って、獲得したもの、獲得し得ていないものを整理し、獲得したものをどう活用し維持発展させるか、獲得できていないものについてどう切り込むのか、明確にしなければならない。とりわけ、学校現場はどうなっているか。そのことが訴訟の各論にどう反映されているか。」
C「現場がどうなっているかを、もっと意識的に訴訟に反映させる努力が必要だ。これまでの判決が、都教委の暴走に十分な歯止めとなっているとは思えない。職員会議形骸化の実態は凄まじく、実教出版「日本史」教科書採択妨害という異常もあり、服務事故再発防止研修による嫌がらせ強化もある。大阪に飛び火して、口元チェックという信じられないような事態まで起きている。このような事態を的確に反映した訴訟活動でなくてはならない」
D「基本的に賛成だ。2次訴訟判決は、これまでの憲法19条論と処分権濫用論を確認する内容にとどまっている。19条論を捨てることはあり得ないが、同じ主張を繰り返しても裁判所の説得には限界がある。むしろ、26条の『教育を受ける権利』や23条の『教育の自由』をメインに、学校現場の荒廃状況から説き起こすことを考えなければならないのではないか」
E「これまで、思想・良心の自由(19条)と、教育の自由(26条・23条)を車の両輪と位置づけてきた。しかし、一度この『両輪論』の呪縛から脱して、混沌とした問題状況を全体的に見つめ直して、徹底的に事実を把握するところから、論理の再構成をしてみるべきではないだろうか。いろんな角度から、もっと自由な発想で事実を見つめなおし、新たな理論を語らねばならない」
F「これまでも、19条論だけを主張してきたわけではない。『日の丸・君が代』強制問題は、公権力による教育統制の象徴という位置づけで主張してきたつもりだ。しかし、裁判所にはこの位置づけを伝え切れていない。判決は、裁判所が関心をもつ限りでの19条論を投影した形に切りとった事実認定をして、その余の問題点は捨象してしまっている。これを是正して、どうしたら裁判所に丸ごとの事実をとらえ直させるか。」
G「その点では、少数意見の中に、都教委の「日の丸・君が代」強制の意図を的確に把握して認定したものがある。抽象的に意図を語るのではなく、具体的な事実の積み上げの中から、都教委の教育介入の意図や教員の思想をあぶり出して排除しようという意図を浮き出させる努力が必要ではないか。この点は、違憲論だけでなく、懲戒権濫用論にも直結する」
H「本件では、これまで国際人権論については相当に手厚く主張してきたつもりだが判決に結実していない。先日の京都地裁のヘイトスピーチ判決が、自動執行力をもった国際条約活用のよき先例となっている。あきらめずに、この点についてもさらに主張を積み上げよう」
I「都教委暴走の真の被害者が教育そのものであることを再確認しよう。子どもや保護者のどのような利益が、具体的にどのように損なわれているのか。これを明確化することは、訴訟においてだけでなく、教育運動や保護者による支援運動の高揚にも有益だ。」
J「現場では、日々新たな問題が発生しているはず。10年前と同じ抽象的な主張を繰り返していたのでは著しく迫力に欠ける。とりわけ、1・16最高裁判決のあとも、都教委は何も反省せず、学校現場はさらに不正常になっていることを、具体的に突きつけることが最重要の課題だ。」
K「場合によっては、個別の異常事態に焦点を絞った新たな提訴も考慮する必要があるのではないか。『授業をしていたのに処分・訴訟』はそのような個別提訴の先例として有効だったと思う。『10・23通達による一連の日の丸・君が代強制の違法』が問題の根源だけでは裁判所を説得しきれない場合には具体的に考慮する必要があると思う」
A「議論は生煮えの段階だが、ご意見を今後に生かしたい。現場の実態把握の段取りと、関連領域の専門家を招いての研究会と、これからの主張の構想について、弁護団事務局で一度整理をしてみたい。そのうえで、再討議をお願いすることになる。」
(2013年10月9日)