平和への破局としての「アベゲドン」
亡父の誕生日が1914(大正3)年1月1日。五黄の寅の元日の生まれは、易では運気が強いとされるようだ。が、父は特に名をなすこともなく、市井に生き市井に埋もれた。2度招集され、極寒のソ満国境で関東軍の下士官として越冬している。その間母は心細くも銃後を守った。父母ともに、まともに戦争と向かいあった「割を食った世代」だった。それでも、父が一度の戦闘に参加することもなく敗戦を内地で迎えることができたのは、もって生まれた運気のお蔭だったのかも知れない。加えて、戦後は3男1女を一人も欠けることなく育てる平穏に恵まれている。これ以上望むべきことがあろうか。人生の後半は平和の恩恵を噛みしめた世代でもあった。
その父が生きていれば、今年の正月で満100歳。その生年の100年前とは、はるかに遠い昔のような、案外にそれほどでもないような。その100年前の世界の国際情勢が、今話題となっている。波紋を呼んだ、安倍晋三のダボスでの記者会見によってである。
巧みに書かれているので、本日の「毎日」の福本容子論説委員の記事の一節を引用する。
「世界経済フォーラムのためスイスのダボスに集まった各国の有力な経済人や政治家やメディアは、安倍さんの発言に安心の材料を見つけたかったのだと思う。だから怖くなった。『あるわけないでしょ』が当然返ってくると思いイギリスの記者が聞いた『日中の武力衝突は考えられますか』に、即全面否定がなく、世界大戦に発展した100年前のイギリスとドイツの関係を自分で話題にしたのだから。いくら同じ失敗はしない、が真意だったとしても、米ウォールストリート・ジャーナル紙は、『世界経済を動かす人たちが、全面戦争を本物のリスクとして語りだしたこと自体、心配な動き』と書いた。」
亡父が極東の島国で生を受けた100年前。ヨーロッパでは、国際経済交流の活発化と相互依存の経済関係が意識されるようになり、もう戦争は起こらないのではとさえ囁かれていたのだという。にもかかわらず、偶発的な事件の連鎖がヨーロッパを二分する大戦争になり、やがてはアメリカをも巻き込んだ。日英同盟を締結していた日本も参戦して、「日独戦争」を戦っている。
ダボスで安倍晋三の口から語られたことは、その二の舞はあり得ないという否定としてではなく、第1次大戦と同様、日中の戦争はあり得るというメッセージと受けとめられた、というのだ。
おなじ福本容子論説委員の記事に次の一節がある。
「『ものの1時間で、経済と政治の方程式は、アベノミクスからアベゲドンのリスクに変わった』。安倍晋三首相の靖国神社参拝後、香港の英字紙、サウスチャイナ・モーニング・ポストに載った論評だ。」
「アベゲドン」(あるいはアベマゲドン)という造語は、アベノミクスの行きつく先に予想される経済の破局を意味するものだった。名付け親は、世界的な投資銀行として知られるUBS銀行の最高投資責任者アレックス・フリードマンという人物だと聞く。投資家ならずとも、アベノミクスの破局的終焉は多くの人が危惧するところ。ところが、同じ言葉が、経済のみならず、政治的な破局、あるいは平和の終焉をも意味する用語として使われ始めている。
福本が引用する香港紙に語られているのは、経済ではなく「政治の方程式」、あるいは「戦争と平和の方程式」である。安倍の靖国神社参拝は、政治的な破局としてのアベゲドンにつながるリスクをもった行動として論評されている。
第二次大戦後の国際秩序の基本構造は、ファシズムの枢軸側と反ファシズムの連合国との争いに、反ファシズム勢力の勝利をもって決着したところから出発している。ナチスはニュールンベルグで、天皇制日本は東京裁判で、その平和に対する罪を裁かれた。その結論を承認することが、敗戦国の国際社会への復帰の通過儀礼となった。そのようにして、日本は国際社会に復帰し国連にも加盟した。
靖国史観は、この戦後世界の国際秩序を認めない。アジア太平洋戦争が侵略戦争であったことを否定し、植民地支配への反省もない。東京裁判を勝者の裁きとして、その正当性を認めようとしない。安倍が参拝したのは、そのような軍国神社なのである。これまでの安倍の言動と相俟って、この靖国参拝は、戦後の国際秩序の基本構造への挑戦であり、新たな戦争準備であると各国に映っているのだ。それが、政治的意味でのアベゲドンのリスクと認識されている。
父の生きている間に、世界は2度の大戦と無数の小戦争を経験した。人類の進歩を信じたい。100年前に戻って、再びの戦争の歴史を繰り返したくはない。アベゲドンはまっぴらだ。安倍のような危険人物にこの国の運命を委ねていてはならない。人がこの世に生を受けて、その貴重な人生を戦争に蹂躙されることがないよう、揺るがぬ平和を築くために微力を積み重ねたい。
(2014年1月31日)