(2020年8月25日)
一昨日(8月23日)、私のブログに醍醐聰さんから、「苦言」をいただいた。私のブログに目を通していただき、わざわざコメントをいただいたことをありがたいと思う。が、一言釈明をしておかねばならないし、敷衍して述べておきたいこともある。
当ブログは8月22日付で伊藤詩織さんの民事訴訟提起を肯定的に取りあげ、「『リツィート』も『いいね』も法的責任追及の対象となる。ネトウヨ諸君、中傷誹謗は慎まれよ。」と表題する記事を掲載した。私は、その末尾にこう書いた。
匿名に隠れて誹謗中傷をこととするネトウヨ界の住人諸君。他人の人格の侵害には、責任が問われることを知らねばならない。たとえ、「リツィート」であっても、「いいね」でさえも。
もっとも、天皇などの社会的権威や、安倍晋三などの政治的権力者に対する批判の言論については自由度が高い。しかし、弱い立場にある者への寄ってたかっての攻撃は許される余地がない。心していただきたい。
醍醐さんのツィッターでの「苦言」は、以下のとおりである。
私も澤藤統一郎さんと同様、泣き寝入りを拒否して2次、3次被害の加害者の責任も追及するために提訴した伊藤詩織さんに敬意を表する。
ただし、「天皇などの社会的権威に対する批判の言論については自由度が高い」という澤藤さんの意見には賛同しない。自由度は極めて低い。
醍醐さんがこういうのだから、私の表現が意を尽くしていない。意とするところが正確に伝わるように、文章を練らなければならないと思う。私は、最近この種の「苦言」を受けることが多い。心しなければならないと思う。
確かに、天皇批判の言論に対しては、この社会は非寛容である。自由にのびのびと、気軽に気楽に、天皇批判を展開できる状況にはない。むしろ、天皇を語る際には敬称と敬語が必要との思い込みは社会に浸透している。そのようにすることが無難という一般常識がある。なかには、舌を噛みそうな慣れない敬語を使う滑稽な人々もいる。そんな社会においては、天皇批判はまことに口にしにくい。顕名で天皇批判の文章を残すなど、敢えて面倒のタネを播いて育てることに等しい。確かに、社会的な圧力が人々に天皇についての批判を控えさせている。醍醐さんの言われるとおり、現実には「天皇批判の自由度は極めて低い」。まったく同感である。
しかし、私は天皇批判言論の難易に関する社会の現実を「自由度が高い」と言ったのではない。当該のブログ記事は、言論に対する法的責任追及の可否を論じるものである。「他人の人格を侵害する表現は、法的責任が問われる」「もっとも、天皇などの社会的権威や、安倍晋三などの政治的権力者に対する批判の言論については、自由度が高い。」という文脈は、表現の法的責任の有無・程度について述べたもの。
一般人を対象にその人格を否定し侵害する言論は、刑事民事の法的責任が問われる。これにくらべて、天皇や安倍晋三など、権威や権力者を対象とする批判の言論については、格段に「批判の言論の自由度が高い」。即ち法的に免責される可能性が高い。端的に言えば、天皇批判の言論には、手厚い法の保護が与えられるのだ。
言論の自由は、高い憲法価値をもつ。ということは、他の憲法価値と衝突する局面で優越する地位を獲得しうることを意味する。典型的には、言論が他人の名誉や信用を傷つけることが許容されるということなのだ。
天皇賛美や政権忖度の提灯言論は、他人の人権と衝突しない。この種の言論について言論の「自由」や「権利」を論じる意味はない。「陛下おいたわしや」「総理ご立派」などの言論が自由にできることをもって、言論の自由が保障されている社会とは言わない。
言論が特定の人格と衝突して、その人の名誉や信用や名誉感情を傷つけるときに、言論の自由という憲法価値と、人格権あるいは名誉・信用という憲法価値を衡量して、言論の自由に軍配があがる場合にはじめて言論の自由は意味をもつ。とりわけ、批判しにくい天皇や首相の名誉を侵害する批判の言論を許容することにおいて言論の自由はいみをもつ。
しかし、言論の自由も無敵ではなく、当然に限界をもっている。他の人権との衝突の場面で、しかるべき調整原理に従わなければならず、場合によっては優越的地位を譲らなければならないこともある。
そのような調整原理として、日本の判例に定着しているとされるものが、「公正な論評の法理」といわれるもの。公正な論評の法理においては、言論を、「論評」と「事実の摘示」とに分類し、「論評」には「人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱」しない限り大幅な自由が認められる。また、「事実の摘示」については、その言論の公共性・公然性・真実性(または真実と信じたことについての相当性)があれば、他人の名誉を毀損しても違法性はないとされる。
さらに、アメリカ合衆国連邦最高裁判所の判例は、「現実的な悪意の法理」を採用している。まずは、「公人」概念を確立し、公人に対する名誉毀損表現を最大限許容する。その表現がたとえ真実性を欠く場合であっても、公人側が、表現者の『現実的な悪意』を立証できない限り敗訴となる。『現実的な悪意』とは分かりにくい訳語だが、「表現にかかる事実が真実に反し虚偽であることを知りながらその行為に及んだこと、又は、虚偽であるか否かを無謀にも無視して表現行為に踏み切ったこと」という。『自分の言論が虚偽であることを知っていたか、知らないことに重過失があった場合』と要約してよいだろう。これを批判された公人の側が証明しなければならない。アメリカの法廷では、公人が提起した名誉毀損訴訟は、ほぼ勝ち目がないと言われている。
日本の判例はそこまでは踏み切っていないが、言論の重要性が、権威や権力に対する批判を保障するところにあることには異論がない。アメリカの判例における公人とは、権威者あるいは権力者のことである。日本の判例でも、公共性や公益性の概念を通じて、権威や権力をもつ者に対する批判の言論は、違法性を阻却して法的に許容される結論に通じることになる。わが国における権威・権力のトップが、天皇と首相である。だから、「天皇に対する批判の言論については自由度が高い」のだ。
天皇も一人の人間である以上、種々の制約はありつつも人権を有している。その人権の一部である名誉や信用も、天皇や天皇制批判の言論による侵害を甘受せざるを得ないということなのだ。
なお、天皇が人権を享有していることを強調することは、ほとんど意味をもたない。むしろ、天皇の人権は一般国民以上のものではないことが強調されねばならない。ちょうど、「BLM(ブラック・ライブズ・マター)」が、黒人の人権が白人以下のものではないことを強調しているごとくに。
(2020年8月24日)
8月の終わらぬうちに、戦争にまつわる記憶を書き留めておきたい。1943年生まれの私は、むろん直接には戦争を知らない。知っているのは、「戦後」の社会と大人たちから聞かされる戦争の辛さである。どの家族にも召集令状が届き、縁者に戦死者のない人はいなかった。
私が子どもの頃、大人とは戦争体験者であった。学校の先生も八百屋のオジさんも豆腐屋の兄さんも、男たちは皆鉄砲担いだ兵隊の経験をもっていた。なかには「敵」に実弾を発射した人もいただろうし、南方のジャングルからの帰還兵もいただろう。女性は銃後を護っていた人たち。そういう目で大人を見ていた。
私の父は招集されて関東軍の兵となり、ソ満国境の守備隊に駐屯した。愛琿の近くという以外に、その場所がどこかは正確には知らない。ノモンハン事件の前に曹長として召集解除となって帰郷し、その後2度内地で応召して、終戦は弘前で迎えている。
父は兵役にあって、好運にも「敵」との遭遇の機会はなく、まったく実戦を経験せぬまま除隊となったと言っていた。たった一度、「明日にも、敵がソ満国境を越えて来襲するという情報がある。戦闘態勢につけ」という通知をもらったことがあるという。中隊本部でその通知を受け、自分の兵舎に着くまでさほど遠くない帰途で、緊張の余り3度の排尿をしたという。結局、その情報は誤りで敵との遭遇はなく安堵したと繰り返し語った。
その父が、戦地から新婚の妻(私の母)の許に、こまめに絵入りのハガキを書き続けていた。父は器用な人で、絵も書もよくした。墨の濃淡を描き分けて、現地の風景や人物、兵隊の暮らしぶりを描いていた。その絵には「?運壮」という落款があった。軍曹をもじってのことだが、好運を身につけたいという願望の表れであったろう。「軍事郵便」として届いたそのハガキを母は大切に保存していた。
よく記憶しているのは、隊内の演芸会で演じた自身の「ガマの油」の口上の図。袴に襷掛けの自画像を巧みに描いていた。草原で寝転ぶとその音が聞こえるという、草にとまって鳴く小さな蝉。ノロという現地の小型の鹿。荷を牽くロバ、防具を着けた銃剣術稽古の兵…。
中で忘れられないのは、自分の手と指の写生。それに、いろいろと説明を書き加えている。妻に、自分をよく知って欲しいという気持の表れだったろう。あの絵入りの便りは、いかにも古代中国風の砦を表紙にあしらった一冊のアルバムに入っていた。そのアルバムは、いま九州の次弟の許にある、はず。
父は、運良く召集解除となって満州から帰宅し、戦後を永らえた。しかし、ノモンハン事件(1939年)のあと、関東軍の主力は南進に転じ、戦友の多くは南方に送られて戦死したという。
一昨日(8月22日)の毎日新聞朝刊に、軍事郵便の記事があった。「戦後75年 家族の手元に祖父の愛400通 沖縄で戦死」「孫、足跡追う」の記事。リードは、以下のとおり。
「太平洋戦争末期、32歳の若さで沖縄で戦死した伊藤半次さんが、福岡市で暮らす家族に送った絵手紙など約400通が残っている。ほとんどは長く出征していた旧満州(現中国東北部)からで、転戦した沖縄からも3通が届いた。『祖父の最期を知りたい』。同市早良区の会社役員で孫の博文さん(51)はこの数年、家族への愛がにじむ手紙を頼りに、祖父の足跡をたどり続けてきた。」
伊藤さんが、旧満州から家族に宛てた絵手紙2点が掲載されている。職人として日本画を学んだ人の立派なもの。この絵手紙を描いた伊藤さんは、ノモンハン事件後の41年にソ満国境の警備に配属され、その後44年10月に沖縄に転戦、45年6月に糸満で戦死されたという。
その記事の最後が孫の言葉として、こう結ばれている。
「家族を残して戦地に行ったのは祖父だけではない。『会いたい』『帰りたい』と素直につづれなかった時代があったことを、祖父の手紙を通じて多くの人に伝えたい」
私の父は、好運と倶に旧満州から内地に帰還した。しかし、父の多くの戦友は南方に送られて命を失った。伊藤さんは沖縄で散った。さぞかし無念であったろう。8月、それぞれの戦争との関わりを思い起こし、戦争の悲惨と愚かを確認しよう。
(2020年8月23日・連続更新1701日)
通俗道徳を説く『実語教』の冒頭に、
山高きが故に貴からず 樹有るを以て貴しと為す
人肥えたるが故に貴からず 智有るを以て貴しと為す
とある。これに、以下のように続けよう。
政権長きが故に貴からず 実績有るを以て貴しと為す
総理その座の故に貴からず 国民奉仕を以て貴しと為す
総理看板の枚数故に貴からず 実行有るを以て貴しと為す
総理原稿読む故に貴からず 意欲と能力を以て貴しと為す
トランプとの誼故に貴からず 己に如かざる者を友とするなかれ
何の実績もなく忖度とオトモダチ優遇に明け暮れた安倍第2次政権が、2012年12月26日発足以来本日(8月23日)で2798日となるという。馬齢を重ねると言えば、馬に失礼になろう。これで佐藤栄作の連続在任日数に並び、明日には歴代最長となるそうだ。
佐藤政権も、ろくでもない印象しか残していないが、安倍政権ほどひどくはなかった。嘘つき、ゴマカシ、権力の私物化と、こうも国民から胡散臭いとおもわれる政権は希だろう。それが、歴代最長の政権になるというのだから情けない。
ところで、当ブログの連載開始は、安倍政権の改憲策動に危機感をもったことに始まり、昨日のブログが連続更新2700日となっている。日本の右翼・改憲派が、穏健保守を押しのけて作りあげたアベ政権である。アベで改憲ができなければ、近い将来に改憲の望みはない。靖国参拝も、拉致問題も、北方領土も、保守勢力の懸案解決の切り札としての政権。しかも、民主党の政権運営失敗からの揺り戻しの国民意識を背景に、なんでもできるのではないか。そんな時代の雰囲気の危うさに抗して、アベ政権を批判し、改憲を阻止する力の一端を担おうと書き始めたのだ。
「憲法日記」との標題でのブログの初回は政権発足直後の2013年1月1日である。しかし、今の形で、今のURLでの書き始めは、同年の4月1日。毎日更新を宣言して、2700回を超えた。当時、こんなにアベ政権が続くとは夢にも思わなかった。
安倍内閣は確かに長く続いたが、国民の批判は予想以上に強く、右派勢力が思うような政権運営はできなかった。ときに、突出した強行姿勢を見せても、常に揺り戻しが大きく、決して右翼勢力の期待は実を結ぶに至っていない。
アベは、レガシーを意識しているという。しかし、悲願であった憲法「改正」はもう無理だ。近い将来、改憲は不可能という情勢を作り出したという点において、アベはレガシーを残したと言えるかも知れない。拉致被害問題も、北方領土問題も、1ミリの進展もない。イラン問題での仲介もできなかった。経済の再生もできないまま、確実に格差貧困だけは拡大している。花道と考えられた東京五輪・パラリンピックもアベの在職中にはもう無理だろう。
世界の首脳の中でたったひとりトランプとは良好な関係を結んでいるようだが、それはアメリカとの関係良好を意味しない。大胆な無法者と臆病な無法者との誼に過ぎないが、果たしてそれが我が国民の利益となるのかどうか。
負のレガシーはいくらでもある。見えるものとして国民の記憶に新しいのは、466億円を投じてのアベノマスク配布である。これこそ政権の無能と無為無策の象徴、アベの愚策として永遠に歴史と国民の記憶に残るだろう。
直接には見えないが、最大のものは公務員の忖度文化の育成であろうか。安倍政権時代の7年で、公務員は、国民のためにではなく、上を眺めて上にへつらうことで出世競争をするようになった。そして、適正な公文書管理の忌避。検察の独立性への不信。総理の国会発言の言葉の軽さ。上の責任を下に下ろして、末端職員を自殺にまで追い込む行政組織のありかた。
さらに、絶えず何かに取り組んでいる振りの「やってる感」演出文化。思い出してみれば、「デフレ脱却」「三本の矢」「女性活躍」「地方創生」「一億総活躍」「働き方改革」「人生100年構想」「人づくり革命」等々。掛け替えた看板の数だけは、比類のないもの。
アベとアベ政権が引き起こした数々の醜聞も忘れまい。モリ・カケ・桜、カジノに河井。情報隠して、格差を広げ、政治も行政もウソをつく。
いま、既にアベ政権はレームダック状態である。改憲の旗振りなんぞ今ごろできるわけがない。首相の体調の異変も報じられている。首相がいなくても行政は動くのだ。「悪さ」や「おいた」をすることなく、アベが黙っているだなら、もうしばらくアベ政権が続いてもよい。
アベは原稿読むだけの総理でよい。改憲発議せぬだけを以て貴しと為す。
当ブログは、安倍晋三の在任が続く限り、改憲問題・改憲阻止をメインテーマに書き続ける。ご愛読をお願いしたい。
(2020年8月22日)
伊藤詩織さんの大逆襲が始まった。私は、その勇気を称え、その行動を強く支持する。
弱い立場の者が被害に遭ったとき、泣き寝入りをしてはならない。泣き寝入りは破廉恥な加害者を図に乗らせることになる。社会に同種の被害を繰り返させることにもなる。被害者は泣くよりも怒りもて立ち上がらねばならない。
とは言うものの、実はそれはたいへんに困難なことなのだ。被害を受けた者に冷酷なのがこの社会の現実である。被害者の「落ち度」を意識的にあげつらう心ない言葉が、2次被害、3次被害を生み出す。ネット社会では、その被害がたちまちにして巨大なものにふくれあがる。被害者は、直接の加害者に対する責任追及だけでなく、2次被害、3次被害の加害者の責任をも追及しなければならない。その困難を覚悟で、泣き寝入りを拒否して、立ち上がる人に敬意を表せざるを得ない。
伊藤詩織さんは、明らかに刑事事件の被害者である。しかし、官邸に近いとされる加害者は、逮捕もされず起訴も免れた。その不自然な経緯は、官邸の守護神たちが加害者を擁護したとの説を大いに頷けるところとしている。そこで、やむを得ず民事的な手続による反撃を選択せざるを得なくなった。
2017年9月、加害者山口敬之を被告として1100万円の損害賠償を求める民事訴訟を提起したのに対して、山口は2019年2月慰謝料1億3000万円を求める反訴を提起した。
東京地裁〈鈴木昭洋裁判長〉は2019年12月18日、伊藤側主張のとおりの事実認定にもとづき、本訴請求を330万円の限度で認容。山口の反訴請求を全部棄却した。認容額には不満はあっても、紛れもなく伊藤側の勝訴である。山口側からの控訴があって、現在その控訴審が東京高裁に係属中である。
続いて、伊藤詩織さんは2次被害の克服にも着手した。実名で被害を名乗り出て以来、ネットの書き込みによる中傷は目に余る事態となっている。伊藤弁護団からの依頼で、荻上チキをリーダーとするチームが調査したところ、この件に関わる書き込み総件数は70万件に上っていたという。そのうち、名誉毀損相当のものだけでも3万件と報告されている。
最初に手を付けたのが、今年(2020年)6月8日に、漫画家はすみとしこに対する東京地裁への提訴である。虚偽の内容のイラストと文言で違法に名誉を毀損したという請求原因。損害賠償請求額は330万円である。
注目すべきは、同時に、はすみの名誉毀損表現を「リツイート」(転載)したとして男性2人を被告とする訴訟を併せて提起していることである。うち、1人は医師であるという。はすみとしこの名誉毀損行為を2次被害とすれば、この2人のリツィートは3次被害を生じたこととなる。こちらの請求額は、各110万円である。
そして一昨日(8月20日)、自民党の杉田水脈衆院議員に対する220万円の損害賠償請求訴訟の東京地裁への提訴となった。今度は、中傷ツイートに「いいね」ボタンを押すことの法的責任を問うている。弁護団は「何とか誹謗中傷の連鎖を止めたいと思って起こしたアクション」と説明しているという。
杉田が相次いで「いいね」を押したという第三者による中傷ツイートは下記のようなものである。
「枕営業の失敗ですよね。」
「娘いますが、顔を出して告発する時点で胡散臭いです。」
「自称#伊藤詩織は、そもそもレイプの事実関係が怪しすぎる。」
「お前は本当のキチガイか?」
「こいつ詩織が被害者だってマジで思ってんのかな?馬鹿じゃねえの?」
「なんだこいつ 品性ねえのはあんただ」
「確信犯…彼女がハニートラップを仕掛けて、結果が伴わなかったから被害者として考え変えて、そこにマスコミがつけこんだ!」
「ニコニコ顔で自分のレイプ体験を語るヤツが被害者って変だと思わないのかなぁ!?」
ほかにも、伊藤擁護のツイッターアカウントに対する「キチガイ」「見苦しい」「品性ねーよ」などのリプライ(返信)にも「いいね」を押していたという。
表現の自由の限界をめぐっては、常に論争が生じる。「いいね」といえども表現の一態様であって言論の自由の保護を受けてしかるべきだという立論は当然にあり得よう。しかし、そんな一般論ではなく、具体的な場と文言を見なければならない。杉田が「いいね」を押した表現の内容が、明らかに犯罪被害者の心情を傷つけるものであり、国会議員としての影響力をもっ杉田が「いいね」ボタンを押して中傷に同意することで、傷口を広げ深くして痛みを大きくしているのだ。「リツィート」のみならず、「いいね」もまた、2次被害、3次被害を生じさせていることが明らかではないか。
なお、前同日、伊藤詩織さんは、元東大特任准教授の大沢昇平に対しても、ツイートで名誉を傷つけられたとして110万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴している。
大沢は、「刑事裁判でレイプが認められなかったにもかかわらず、その後の民事裁判の結果をレイプを関連付けている」などと投稿。また、破産事件に関する官報の一部と思われる写真とともに「伊藤詩織って偽名じゃねーか!」とツイートした。
匿名に隠れて誹謗中傷をこととするネトウヨ界の住人諸君。他人の人格の侵害には、責任が問われることを知らねばならない。たとえ、「リツィート」であっても、「いいね」でさえも。
もっとも、天皇などの社会的権威や、安倍晋三などの政治的権力者に対する批判の言論については自由度が高い。しかし、弱い立場にある者への寄ってたかっての攻撃は許される余地がない。心していただきたい。
(2020年8月21日)
本日(8月21日)の産経社説が、「【主張】国民民主の解散 政策や理念は置き去りか」という表題。「政党とはかくも軽い存在だったのか。」「『選挙とカネ』目当てで離合集散を繰り返す野党の動きは目に余る。一体誰のために議員バッジを着けているのか。」というのが書き出しで、ポイントは次の一節。
「共産党との協力を拒否してきたのはどこの政党か。それが、共産党との協力も厭わない立民に合流する。有権者からは、合流後の立民が左派色を強めて先祖返りするとみられるのではないか。」
https://www.sankei.com/column/news/200821/clm2008210003-n1.html
要するに、「『反共』というこの上ない重要な理念を置き去りにしてはならない」という余計なお世話である。産経が代表する右派勢力の、野党勢力結集への嫌悪感や恐れが滲み出ていて、大いに参考になる。その筆法を借りて、現政権を批判してみたい。
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【主張】臨時国会召集要求の無視 かくも露骨に憲法を無視するのか
総理とは政権とは、そして与党とは、かくも身勝手な存在だったのか。
コロナ禍のさなかダンマリを決めこむ安倍首相とこれを支える内閣。そしてこんな政権に一言の批判も発しようとしない自・公の与党。陣営にとっての利益と不利益の計算しか眼中にない、この政権の動きは目に余る。一体誰のために議員バッジを着けて、録を食んでいるのか。
7月31日、立憲民主、国民民主、共産、社民の4野党は、憲法53条の規定に基づく臨時国会召集の要求書を提出した。憲法53条後段が「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、(臨時国会の)召集を決定しなければならない」と定めている以上、内閣が臨時国会召集の義務を負うことが明らかである。にもかかわらず臨時国会召集に向けて、いっこうに動こうとしない政府与党。
自・公の与党も内閣も安倍首相も、憲法を大切にしようという考えを持ち合わせてはいないのだろうか。野党からの臨時国会召集の要求から開会まで、事務手続上の一定の時間を要することは、頭から否定しない。
だが、常識的な必要時間を超えての怠慢はとうてい評価しえない。これは、主権者たる国民に対する背信行為にほかならない。主権者国民は憲法を確定して、全ての公務員にその遵守を命じている。与党の国会議員も、内閣も、内閣総理大臣も、憲法遵守義務を負う。
内閣は、憲法53条に明示された憲法上の義務である「国会の臨時会の召集」を決定しなければならない。多くの人々からこのことを指摘されながら、ネグレクトし続けているのだ。その内閣を率いる首相の責任は重大である。この内閣の母体となっている与党の責任も免れない。主権者国民からは、総理大臣も内閣も与党議員も、そののすべてが憲法を遵守する姿勢をまったく欠いているとみられて当然ではないか。
国民からの信頼を回復し、健全な立憲主義政治を取り戻すためには、まずは、臨時国会召集を決定して、憲法をないがしろにする姿勢を清算することが先決だろう。
安倍首相のダンマリは異様である。このところの安倍政権の内政・外交政策の破綻ぶりは、目を覆わんばかりである。この臨時国会召集懈怠は、失政隠しとみられないか。
見過ごせないのは、ささやかれる解散総選挙の行方だ。自民党の敗北確実と予想されているが、野党の要求に応じて臨時国会を開けば、安倍政権の失政が追及されて次々とボロが出て来ることとなり、総選挙の大敗をきたすことを恐れているのであろうか。だとすれば、憲法遵守の大原則よりも、「選挙とカネ」を目当てで、国会を開かないとしているのだ。この利己的な姿勢は目に余る。一体誰のために議員バッジを着けているのか。
今回の首相のダンマリと政権の無為無策無能と臨時国会召集拒否が連動していることを、主権者国民はすでに見透かしている。内閣は、責任を取って、総辞職してはどうか。
(2020年8月20日)
カジノの建設が、アベ政権経済政策の目玉のひとつとなっている。情けない経済政策ではないか。カジノとは賭博以外の何ものでもない。賭博とは、互いに相手の金をむしり合うゲームである。ゲームに加わるのは人の不幸をもって我が利益にしようというさもしい連中。賭博は金のやり取りをするだけで何の利益も生み出さない。よい齢をした大人が目の色を変えて金のやり取りにうつつを抜かす。これこそ「生産性に欠け」、怠惰と頽廃を生み出す。そのゲームに投じられる莫大な金額が人の目を眩まし、社会を歪める。そして結局は胴元が金を吸い上げるだけの装置なのだ。歪んだ政権の歪んだ政策と言うほかはない。
もちろん賭博は刑法上の犯罪である。アベ政権は、実質的に社会に犯罪を煽り犯罪の蔓延によって経済を振興しようとしたが、カジノの建設が実現する以前に身内から収賄犯罪者を出した。秋元司である。彼は、アベ政権の「国土交通副大臣兼内閣府副大臣兼復興副大臣」だった。カジノ建設担当副大臣と言ってよい。その彼が、中国企業「500ドットコム」側から、賄賂を受け取っていたとして逮捕され起訴された。公訴事実は、衆院議員会館で300万円の現金を受け取ったほか、シンポジウムでの講演料や旅費など計約760万円相当を賄賂として受け取ったということ。
収賄の金額は760万円程度だが、これが全部かどうかは疑わしい。彼は、昨年(2019年)12月25日早朝、毎日記者の携帯電話に電話をかけ「はした金はもらわねえよ。あり得ねえよ。ほんとばかたれ」「1億、2億なら別だが俺は正面から堂々ともらうんだから」「地検ははしゃぎすぎだ。こんなことで身柄拘束しやがって。徹底して戦ってくるわ」と宣って、その日のうちに逮捕となった。760万円程度のはした金にご不満だったようなのだ。
その彼が起訴となり、2月12日に保釈となった。保釈保証金は3000万円と報道されている。相当な金額と言ってよい。証拠隠滅行為を疑われれば、保釈は取消され、保釈保証金は没取(業界では、ボットリと読む)される。通常、3000万円は惜しい。よもやそんなことはあるまい、と思う。ゴーンの件もそうだったが、この世界には「よもやそんなこと」が結構頻繁に起こるのだ。
本日(8月20日)、保釈されていた秋元が再逮捕されたとの報道である。被疑罪名は、組織犯罪処罰法違反(証人等買収)。当然に保釈は取り消され、3000万円は没取となるだろう。これは、落ち目のアベ政権に小さくない衝撃となる。あらためて国民は、アベ政権というものの薄汚さを再確認しなければならないからだ。
組織犯罪処罰法7条の2の「証人等買収」罪は、結構面倒な規定だが、「自己又は他人の刑事事件に関し、証言をしないこと、若しくは虚偽の証言をする…ことの報酬として、金銭その他の利益を供与し、又はその申込み若しくは約束をした者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。」というもの。
秋元逮捕の被疑事実は、「自分の刑事事件で、贈賄側に虚偽の証言をすることの報酬として計3千万円を渡そうとした」ものと報道されている。また、贈賄側にうその証言をするよう働きかけたとして同容疑で逮捕された淡路明人が「秋元議員から証人買収を依頼され、指示を受けた」との趣旨の供述をしているという。
多くの人名が出てきて分かりにくいが整理してみよう。
(1) 主事件は贈収賄である。主役は収賄側の秋元司。脇役が、贈賄側・中国企業「500ドットコム」の紺野昌彦と仲里勝憲の二人。なお、贈賄側2被告の公判は、収賄側とは分離して8月26日に第1回が予定されている。
(2) 派生事件が証人買収で、買収を持ちかけた側が、秋元司、淡路明人、佐藤文彦、宮武和寛の4人である。いずれも逮捕されたが、実行行為は佐藤が紺野に、宮武が仲里に働き掛けたという。紺野・中里は供与された現金を受け取っておらず逮捕されていない。
秋元は、衆院解散当日の2017年9月28日、議員会館の事務所で、IR参入を目指していた中国企業「500ドットコム」元顧問の紺野と中里の2人から現金300万円を受け取ったとされる。秋元は授受を否定し、贈賄側の両被告は公判でも起訴内容を認める方針とみられている。そこで、「9月28日は秋元議員に会っていなかった」と証言の依頼をしたということなのだ。買収資金は、最初は1000万円、次いで用意した現金2000万円を見せての話となり、最終的に3000万円の約束が持ちかけられたという。
立憲民主の安住国対委員長がこう述べている。
秋元議員に対しては、「司法手続きをゆがめるようなことをやったとなると、国会議員としては絶対にあってはならないことなので、即刻、議員辞職に値する。本人がみずから辞めないのであれば、議員辞職勧告決議案を出そうと思っている」
また、「自民党は秋元氏の処分をしないまま離党を認め、安倍総理大臣は、内閣府の副大臣に任命した経緯があり、総裁と総理としての2つの責任がある」。まったく、そのとおりである。
さらに、こんな問題も派生している。証人買収を持ちかけた側の中心に位置するのが、淡路明人である。秋元議員の支援者で会社役員とされるが、マルチ企業「48(よつば)ホールディングス」の元社長。同社は2017年10月に消費者庁から特定商取引法違反で取引停止命令を受けている。以前から、赤旗の報じるところだが、安倍晋三首相や妻の昭恵と接点があり、首相と近いことをマルチの宣伝に使っていた。「安倍さんや菅さんとツーショットを撮れるような立派な人がクローバーをやっている」とのイメージは、強力な“荒稼ぎ”の武器とされた。同社は16年9月17年6月までの10カ月間で192億円以上を“荒稼ぎ”しているという。
この機会に思い起こそう。安倍政権というものの実態を。その数々の腐敗と汚れた歴史を。
(2020年8月19日)
日本遺族会は、本年8月6日内閣総理大臣安倍晋三宛に、下記「靖国神社への参拝のお願い」なる要請書を提出した。その要請は実現しなかったが、靖国神社問題についての右派の言い分が良く表れている。これにコメントを付す形で、彼我の主張の対峙を確認しておきたい。
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安倍晋三内閣総理大臣の靖国神社への参拝のお願い
安倍晋三内閣総理大臣におかれましては、戦没者遺族に係わる諸問題につきまして、平素より格別のご高配を陽り、衷心より感謝申しあげます。
新型コロナウイルスの世界的蔓延により、未曽有の危機的状況の中、我が国においても感染拡大防止に懸命の努力が続けられております。
さて、本年は終戦から七十五年の節目の年であります。
安倍内閣総理大臣は平成二十五年十二月、靖国神社に参拝され、英霊に感謝の誠を捧げられました。正に信念を貫かれ、毅然とした態度で参拝されたことに対し、戦没者遺族は等しく感謝をいたしました。
(澤藤コメント 仰るとおり、2013年12月26日安倍晋三首相は靖国神社を参拝しました。公用車で乗りつけ、「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書を記帳してその名義で献花し、昇殿参拝したものです。この日、首相は「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、み霊安らかなれとご冥福をお祈りした」との談話を発表し、「在任中参拝を続けるか」との記者の質問には「今後のことについて話をするのは差し控えたい」と答えてもいます。予想されたとおり、この首相参拝に対する内外からの批判は凄まじく、安倍首相の靖国神社参拝は後にも先にも、これ1回だけでした。安倍晋三という右派の人物にして、靖国神社参拝は一回こっきり。繰り返すことは無理なのです。敢えて繰り返せば、政権がもたないのです。)
靖国神社には、かつての大戦で国の安泰と平和、そして家族の幸せを願って尊い生命を国家のために捧げられた二百四十六万余の御霊が祀られております。
(さあ、本当にそうでしょうか。納得し得ない2点を指摘せざるを得ません。
第1点は、靖国に祀られているとされる戦没者は、本当に「国の安泰と平和、そして家族の幸せを願って尊い生命を国家のために捧げられた」のでしょうか。そのような方もいらっしゃったことは否定しません。しかし、多くの方々は、国家によって心ならずも徴兵され、その意に反して武器を持たされ、死地に赴くことを強いられたのではないでしょうか。自ら、国家のために命を捧げた、などと簡単に言ってはならないと思います。
第2点は、招魂の儀式を経て246万余柱の戦没者の霊魂がこの神社に祀られているというのは信仰の次元のお話しです。正確には「私たちは、靖国神社には246万余柱の戦没者の御霊が祀られていると信じています」と仰るべきではないでしょうか。そのような信仰をもたない他者が口を差し挟む余地はありません。しかし、信仰の次元を超えて、世俗の世界に対して「祀られております」と断定されることには、強い違和感を禁じえません。
戦没者遺族の大多数は肉親の死を看取ることなく、遺骨すら受領していません。戦没者はたとえ肉体はくちても己の御霊は靖国神社に還ることを固く信じて散華されました。
(「戦没者遺族の大多数は肉親の死を看取ることなく、遺骨すら受領していません。」と仰ることには強く共感いたします。戦没者は国家に理不尽な死を強制されただけでなく、死後にも不当な仕打ちを受け続けているのです。この点については、必ずや国民の大多数が戦没者遺族とともに国に対する怒りを共有することになるのだと思います。
しかし、「戦没者はたとえ肉体はくちても己の御霊は靖国神社に還ることを固く信じて散華されました」は、とうてい信じがたいことと言わざるを得ません。遠い異国で没した犠牲者は故国と故郷を偲び、暖かいご家族のもとに帰りたいと願ったに違いありません。どうして、靖国神社に還りたいなどと思うことがありましょうか。もし、本当にそんな思いを抱いた戦没者がいたとすれば、哀れな洗脳教育の被害者というほかはありません。戦後75年、いまだに戦没者を欺し続けてはならないと思います。)
また、遺族も御霊は靖国神社に必ず還っておられると信じて今日まで慰霊追悼を行ってまいりました。故に、我々戦没者遺族は靖国神社こそが我が国唯一の戦没者と遺族を繋ぐ追悼施設であると確信しております。
(宗教は多様です。死者の霊魂が存在するという宗教もあり、否定する宗教もあります。優れた死者の霊魂が神になるという信仰も、非業な最期を遂げた死者の霊の祟りを恐れる宗教もあります。しかし、国家が戦争による死者を護国の神として祀るという、靖国の教義は特異な国家宗教と考えるべきでしょう。ご遺族が、今日なおこのような国家宗教を信仰し、「御霊は靖国神社に必ず還っておられると信じて」おられるということは常識的には信じがたいところです。)
英霊が眠る靖国神社に、国の代表である内閣総理大臣が、靖国の御霊に敬意を表し、感謝することは極めて当然であり、自然なことであります。現に世界のいずれの国においても国家のために犠牲となられた戦没者は、その国の責任において手厚く祀られております。
(靖国神社に「英霊」が眠るということが、既に信仰の世界のお話し。これを世俗の世界に持ち出してはなりません。同じ信仰を持つお仲間で慰霊追悼をお願いいたします。「国の代表である内閣総理大臣が、靖国の御霊に敬意を表し、感謝すること」は決して、当然でも自然なことでもありません。むしろ、真っ当な条理からも憲法からも、内閣総理大臣に厳重に禁止されていることで、とうてい許されることではありません。世界のいずれの国においても国家のために犠牲となられた戦没者を特定の宗教団体が神として祀るという例は、少なくも近代国家ではあり得ないことです。)
しかしながら我が国では、内閣総理大臣の靖国神社参拝はひとえに時の総理の決断に左右されているのが現状であります。そうした中、安倍内閣総理大臣は、堂々と靖国神社に参拝されました。また、靖国神社の春秋の例大祭には大真榊を、さらには、八月十五日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」には玉串料を泰納されておられます。我々戦没者遺族にとっても大変有難く、重ねて深謝申しあげます。
(内閣総理大臣の靖国神社参拝も、もちろん天皇の参拝も、日本国憲法の政教分離原則に反する、憲法違反の違法行為なのです。どうして日本国憲法が厳格な政教分離原則をつくったか、それはまさしく靖国の思想を否定するためと言ってよいと思います。天皇の神社靖国は、軍国神社でありました。国民を戦争に駆りたて、天皇のために戦って死ねば靖国に神として祀られる最高の栄誉を得ることができる。小学校から、そう教え込んだのです。戦死者は、侵略戦争に邁進して国民を危険に巻き込んだ国家の犠牲者ではありませんか。国民を戦争に駆りたてて犠牲を強いた「天皇の国家」は亡び、新しい「国民の国家」に生まれ変わったのです。その新しい国家の基本原則として、靖国という軍国の宗教を、完全に国家から切り離した宗教法人とし、一切の国との関わりを禁じたのです。それが、戦前の軍国主義の復活を許さず、再び日本を戦争させない国とする重要なブレーキとなっているのです。)
国の代表である内閣総理大臣の靖国神社参拝の定着こそが、国の安寧と繁栄を願って犠牲となられた戦没者に対して応える唯一の道であり、戦没者遺族はその実現を心より願っております。
(それは、真逆なお考えです。国の代表が特定の宗教と結びつくようなことがあってはならないのです。とりわけ、国民の戦意昂揚のための軍国神社と関わるようなことは許されないのです。戦没者は、靖国に煽られて尊い命を失った、誤った国策の犠牲者ではありませんか。再びの靖国と国家との結びつきを喜ぶはずはありません)
故に日本遺族会は、総理並びに閣僚の皆様には靖国神社に、また、知事及び遺府県議会議長には護国神社に参拝いただくよう、引き続き運動を推進してまいる所存でございます。
(それは、違憲・違法な運動を推進するということです。決して、心ある国民の賛意を得ることにはなり得ません。むしろ、過ぐる大戦で日本軍の侵略の被害を受けた近隣諸国の民衆や、民間戦争被害者と連帯して、国家の行為によって再び戦争を起こしてはならないという運動に方向を転換すべきではないでしょうか。それこそ、平和を実現する礎となり、戦没者の真に願うところではないでしょうか)
今日の我が国の平和と繁栄のために、二百四十六万余の尊い生命が礎となられたことを決して忘れてはなりません。安倍内閣総理大臣におかれましては、外国の干渉などに屈することなく、この節目の年に、我が国を代表して、堂々と靖国神社へ参拝していただき、英霊に尊崇と感謝の誠を捧げていただきますよう心からお願い申しあげます。
(日清戦争以来、日本軍は外征して戦争を繰り返しました。外国を「日本の生命線」として、侵略戦争に明け暮れたのです。その侵略戦争が続く間、日本の軍国主義の精神的支柱となった靖国神社に、内閣総理大臣が堂々と参拝するようになったら、近隣諸国が日本を再び危険視することになるでしよう。遺族会は、かつては靖国神社国営化にこだわりましたが、今そんなことは忘れられています。公式参拝要請も止めませんか。一部の政治家の煽動に乗るだけのこと。戦没者にも遺族にも益のないことではありませんか。再びの戦争や軍国の復活を許さず、揺るがぬ平和を打ち立てることこそ、真に戦没者の犠牲を活かすことであり、確かな戦没者への追悼の在り方ではないでしょうか。)
令和二年八月六日
一般財団法人 日 本 遺 族 会
会 長 水落敏栄
内閣総理大臣安倍晋三殿
(2020年8月18日)
例年8月15日は、人々がそれぞれに過去の戦争と向き合う日である。戦争の悲惨さや愚劣さを思い起こし、語り継ぎ、語り合うべき日。そして、再びの戦争を繰り返してはならないとの真摯な誓いを新たにすべき日。が、なかにはまったく別の思惑をあからさまにする人々もいる。
今年の8月15日、靖国神社境内で恒例の「戦没者追悼中央国民集会」が開催された。「英霊にこたえる会」と「日本会議」との共催である。産経の伝えるところでは、この集会において「天皇の靖国参拝実現に向け、首相や閣僚の参拝の定着を求めたい」「ところが、安倍首相は2013年以来今日まで参拝をしていない」「首相はすみやかに靖国を参拝して天皇親拝への道を開くべきである」と声が上がったという。
そのアベ晋三、内心は靖国に参拝したいのだ。なぜ? もちろん、票になるとの思惑からである。今日の自分の地位を築いてくれた右翼勢力の願望だからでもある。右翼への義理を欠いては、明日の自分はないとの思いが強い。
しかし、右翼のいうことばかりに耳を貸していたのでは、真っ当な世論に叩かれる。国際世論も国内世論も靖国にはアレルギーが強いのだ。なぜ? 靖国こそは軍国神社であり戦争神社だからである。平和を希求する場としてふさわしい場ではない。いうまでもなく、アベの本性は親靖国にある。しかし、それでは日本国憲法下の首相は務まらない。両者にゴマを摺る手管が必要となる。
そこでアベは、またまた近年定着している姑息な手を使った。自分では参拝しないのだ。内外の世論には「参拝見送り」と妥協した姿勢をアピールする。一方、代理人に参拝させて玉串料を奉納し、右翼勢力には「現状これで精一杯」とアピールする。その姑息なやり方が、今両者からの不満を呼んでいる。
内閣総理大臣の「代理参拝・玉串料奉納」が、政教分離原則(憲法20条1項後段、同条3項)違反である疑いは限りなく濃厚である。しかし、これを法廷で裁く有効な手続き法上の手段に欠けるのだ。ことは、政治的に解決を求められている。
既述のとおり、右翼勢力の願望は「首相や閣僚の参拝定着を露払いとして、天皇の靖国親拝を実現に道を開く」ことにある。ところが、首相の参拝もままならないのが現状。そこに、閣僚の中から4人が、「8・15靖国参拝」を買って出た。高市早苗(総務相)、萩生田光一(文科相)、衛藤晟一(沖縄北方担当相)、小泉進次郎(環境相)である。これこそ、右派の鑑、右翼の希望である。名うての右派と並んだ小泉進次郎が話題となり、またまた、真っ当な世論からは叩かれてブランドイメージを失墜することとなっている。
そこで考えたい。靖国とは、いったいなんなのだ。
靖国とは、まずは何よりも「天皇の神社」である。近代天皇制を創出した明治政府が、天皇制の付属物として発明した新興の宗教施設なのだ。幕末の騒乱や戊辰戦役で戦死した官軍側将兵の「魂」を祭神とする急拵えの「創建神社」として出発し、やがて対外戦争で天皇のために戦死した皇軍将兵に対する特別の慰霊の場となった。戦死者を生み出した戦役の都度、新祭神の合祀のための臨時大祭が行われ、勅使ではなく天皇自身の親拝が例とされた。九段の母たちは、亡くなった我が子に拝礼する天皇の姿に感涙したのだ。
そして、靖国とは「軍国神社」である。軍国とは、戦争の完遂を最重要の目的とする国家のことだから、軍国神社は「戦争神社」でもある。軍国神社としての靖国は、宗教的軍事施設でもあり、軍事的な宗教施設でもあった。靖国の宮司は陸海軍大将が務め、その境内の警備は警察ではなく憲兵が行った。皇軍の将兵ばかりでなく、学生も生徒も靖国参拝を強いられた。無名の国民も、軍人となり戦死することで神にもなれるのだ。こうして靖国は、国民を軍国主義の昂揚に駆りたてる精神的支柱となった。
さらに靖国は侵略神社でもあった。大日本帝国は、武力をもって、台湾・朝鮮・満州と侵略を進め、やがて中国本土をも戦場にする。その戦争拡大にいささかなりとも疑義を呈することは、「護国の英霊」を侮辱するものとして許されなかった。侵略戦争を正当化しこれに反対する者を黙らせる装置として作動した。戦後の今もなお、靖国のその姿勢に変化はない。
また、戦前の靖国は、国民に対する戦意高揚の道具でもあった。修身(小4)では、「靖国神社には、君のため国のためにつくしてなくなった、たくさんの忠義な人びとが、おまつりしてあります」「私たちは、天皇陛下の御恵みのほどをありがたく思うふともに、ここにまつられてゐる人々の忠義にならって君のため国のためにつくさなければなりません」と教えられた。戦後、宗教法人となった靖国神社は、「信仰における教義」としてこの考え方を維持している。天皇が命じた戦争は聖戦であり、聖戦に殉じることは国民の最高道徳である。これが、今にしてなお払拭できていない「靖国の思想」の根幹である。
最も厄介なことは、靖国神社は一定の民衆の支持を得ているという点にあり、その民衆の支持のあり方が不正常なのだ。本来、戦没者は国家の誤った政策の犠牲者である。天皇の戦争に駆りだされ、天皇の命令で死地に赴いた戦没者は、天皇を怨んで当然である。ところがそうなつていない。
遺族にとっては、どのような形でも戦死者を忘れられた存在にしたくない。無意味な戦争での犬死であったとされることはなおさらに辛い。靖国が、戦死を「聖戦の犠牲」「祖国の大義に殉じた名誉の戦死」と意味づけ、死者を賞讃して厚く祀ってくれることは、この上なく有難いことなのだ。靖国は「英霊」を尊崇する場である。皇軍の将兵の死にだけ奉られた「英霊」という美称が心地よい。そのような遺族の耳には、侵略戦争論、天皇の戦争責任、皇軍の加害責任、日本の不正義の論調は入りにくい。しかも、靖国に祀られることと、軍人恩給を受給することとは重なるように制度の運用がなされてもいる。靖国こそは、最強のマインドコントロール装置というべきである。
戦没者遺族の心情に配慮して靖国批判は慎むべきだという意見がある。しかし、批判を慎んでいるだけでは、靖国に取り込まれた遺族の意識の変化を期待することはできない。マインドコントロール解除の努力を積み上げていくしかない。とりわけ、首相や閣僚の靖国参拝には批判が必要である。
政教分離の眼目のひとつは天皇を神とする儀式の禁止にあるが、もう一つが、政府と靖国との接近・癒着の禁止にある。首相や閣僚の靖国参拝や玉串料奉納は、中国や韓国との外交上の配慮から政策的に禁止されているというものではない。わが国民が過ぐる大戦の惨禍を繰り返すまいとして確定した日本国憲法が命じているところなのだ。
韓国外務省報道官は、4閣僚の靖国参拝に対し「深い失望と憂慮を表明する」「日本の責任ある指導者らが歴史に対する心からの反省を行動で示してこそ、未来志向的な韓日関係を構築し周辺国や国際社会の信頼を得られる」との声明を発表した。
このコメントでは、「歴史に対する心からの反省を示す行動」の真逆の行動として閣僚の靖国参拝が語られている。被侵略国からの指摘として、重く受けとめなければならない。
公 開 質 問 状
2020年8月17日
関東弁護士会連合会
理事長 伊藤茂昭殿
質問者 別紙に記載の弁護士 計65名
私たちは、関東弁護士会連合会傘下の単位会に所属する弁護士の有志です。
連合会執行部におかれては、弁護士・弁護士会の使命に則り会務に精励しておられることに謝意を表します。
とりわけ、昨年9月の第66回定期大会(新潟市)における、「日本国憲法の恒久平和主義と立憲主義を尊重する立場からの決議」や、本年5月11日の「東京高検黒川弘務検事長の勤務延長閣議決定の撤回を求め、検察庁法改正案に反対する緊急理事長声明」など時宜を得た機敏な見解の表明には深甚の敬意を惜しまないところです。
しかし、連合会が本年6月30日付で発行された「関弁連だより」(№272、2020年6月・7月合併号)の冒頭記事「関弁連がゆく」の内容が、極端な反憲法的姿勢や行動で知られる企業体を取りあげていることにおいて違和感を禁じえません。弁護士や弁護士会の在り方はけっして私事ではなく、優れて公的なものとして公益に適うものでなければならないと考えますが、問題の記事は、この点において連合会会報記事として決してふさわしいものではなく、弁護士会に対する社会的な信頼を傷つける恐れがあると疑義を呈せざるを得ません。
よって本状をもって、以下の質問を申し上げます。本書到達後2週間以内に、下記質問者代表の弁護士澤藤統一郎までご回答いただくようお願いいたします。
なお、本質問は、公開質問状として、質問とご回答を公表させていただきたいと存じますので、この旨ご了承ください。
記
第1 問題の記事の特定
本年6月30日発行の「関弁連だより」(№272、2020年6月・7月合併号)の冒頭に、「関弁連がゆく」と表題されたシリーズの第33回として、第1面及び第2面の全面を占める、「アパホテル株式会社 代表取締役専務 元谷拓さん」のインタビュー記事。以下、これを「アパホテル記事」といいます。
第2 質問事項
1 「関弁連だより」に「アパホテル記事」を掲載されたのは、どのような趣旨によるものでしょうか。その趣旨は、アパホテル記事のどこにどのように表現されているでしょうか。また、その趣旨が連合会の会報にふさわしいとお考えになった理由をお伺いいたします。
2 アパホテルの全室には「真の近現代史観」という表題の書籍が備え付けられていることで知られています。その書籍の内容は、「南京虐殺」も「従軍慰安婦強制連行」も事実無根であり、日本は謂れなき非難を受けて貶められているというものにほかなりません。
また、2008年以来、アパホテルグループは、「真の近現代史観」懸賞論文を募集しています。その第1回大賞受賞が当時現役の航空幕僚長・田母神俊雄氏の「日本は侵略国家であったのか」でした。以来、竹田恒泰氏、杉田水脈氏、ケント・ギルバート氏など日本国憲法の理念を否定する傾向をもつ諸氏が続き、アパホテルの強固な反憲法的姿勢のイメージを形作ってきました。
「関弁連だより」の編集者は、同「たより」に「アパホテル記事」を掲載するに際して、以上の事実をどう認識し、どう評価しておられたのでしょうか。
3 また、アパホテルグループの創業者で代表でもある元谷外志雄氏は、「我が国が自虐史観から脱却し、誇れる国「日本」を再興するため」として勝兵塾という政治塾を主宰しており、同塾の講師には多くの改憲派政治家が名を連ねています。さらに同氏は、憲法改正、非核三原則撤廃、核武装論者としても知られ、事業活動と言論(政治)活動とは相乗効果を発揮しており、今後も『二兎(事業活動と言論活動)を追う』と広言しています。
反憲法的な思想や行動と緊密に結びついたこのような企業を、弁護士会連合会の会報に無批判にとりあげることが適切とお考えでしょうか。
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(2020年8月17日)
本日、上記の公開質問状を、関弁連に郵便で発送した。
関弁連とは何か、アパホテル記事とは何か、については当ブログの本年7月5日付下記の記事をご覧いただきたい。
「不見識きわまれり、弁護士会広報紙にアパホテルの提灯記事」
https://article9.jp/wordpress/?p=15193
もちろん、全ての人には思想の自由も表現の自由もある。関弁連にも編集の権限がある。そのことは当然として、弁護士会の広報紙でアパホテルを取りあげることには大きな問題がある。
弁護士会は現行憲法の理念を遵守して人権と平和と民主主義擁護を宣言している。一方、アパホテルグループといえば、歴史修正主義の立場を公然化し、改憲の必要を説いて、非核三原則を否定し核武装総論者としても知られている。両者は、言わば水と油の関係にある。
その弁護士会が、あたかもなんの問題もないごとくに、アパホテルを取りあげては、世間に誤解を生む。アパホテルが変わったのか、あるいは弁護士会が変質したのか、と。
まさか、「関弁連だより」の編集者が、アパホテルについてなんの問題もない企業と考えていたわけではあるまい。どんな事情があって、あれだけのスペースを割いて改憲勢力の一角をなす企業の提灯記事を書いたのだろうか。まずは、礼を失することにないように、質問をしてみようということなのだ。
この公開質問状は、是非、転送・拡散をお願いしたい。関弁連からの回答あり次第、またお伝えする。
(2020年8月16日)
本日(8月16日)の毎日新聞朝刊を見て仰天した。毎日は、私の永年の愛読紙である。その毎日が一面トップで昨日の戦没者追悼式の模様を伝えている。大きな横見出しで「75年、平和かみしめ」。ここまでは、まあよい。驚いたというのは縦見出しで、「陛下、コロナ『新たな苦難』」である。なんだ、これは。
この記事のリードは、こうなっている。
天皇陛下は、式典でのおことばで新型コロナウイルスの感染拡大を「新たな苦難」と表現したうえで、「皆が手を共に携えて困難な状況を乗り越え、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願う」と述べられた。
天皇が新型コロナウイルスの感染拡大に言及した?。それがどうした。そんなことが、いったいどんな意味のあることだというのか。大新聞がとりあげるに値するニュースバリューのあることか。毎日新聞たるものが、「75年目の終戦記念日」の模様を伝える記事のトップの見出しに据えるとは、いかなる思惑あってのことだろうか。
毎日の見出しと記事は、あたかも天皇のこの短い発言を「畏れ多くもかたじけなくも、国民の苦難にまでお心づくしいただき、国民の先頭に立って国難を克服する決意をお示しになられた」と言わんばかりのおべんちゃら。毎日に、その思惑なければ、まんまと天皇の思惑に乗せられたことになる。いずれにしても、まともなジャーナリズムの姿勢ではない。
この記事を読んだあと、あらためて大見出しの「75年、平和かみしめ」を読み直してみる。はじめは、「75年続いた平和をかみしめ」ているのは、当然に国民だろうと思ったのだが、それは間違いだったか。もしや、「噛みしめ」の主語は3代の天皇なのではないのか。
こういう、メディアの天皇に対する阿諛追従は、民主主義や国民主権原理にとって、極めて危険である。産経ならともかく、毎日がこのような記事を書き、見出しを掲げる意味は小さくない。
政権批判には果敢な記事を書く毎日が、何故かくも天皇には無批判であり迎合的であるのか、まことに理解に苦しむところ。天皇の危険性に無自覚であってはならない。天皇の政治的影響力を最小限化するよう配慮すべきがメディア本来の在り方である。
毎日は、「天皇の言動は国民の関心事だから大きく扱わざるを得ない」「多くの国民が天皇に親近感ないしは尊崇の念を持っているのだから、天皇や皇室を粗略には扱えない」というのであろう。しかしそれは通じない。むしろ、天皇について「国民の関心」を煽っているのがメディアであろうし、天皇に親近感ないしは尊崇の念を吹き込んでいるのも、メディアではないか。
リベラル陣営の中にも、あからさまな天皇批判は控えるべきとする論調がある。「天皇の言動は、その平和を求める真摯さにおいて、あるいは歴史の見方や憲法擁護の姿勢において安倍政権よりずっとマシではないか。安倍批判の立場からは天皇批判を避けるべきが得策」というだけでなく、「天皇は国民の多くの層に支持を受けている。敢えて真正面からの天皇批判は多くの国民を敵にまわす愚策」というのだ。私は、どちらの論にも与しない。いま、真正面からの天皇批判が必要だと考えている。それなくして、個人の自律はあり得ない。
1973年の8月15日に、天皇(制)批判をテーマに、豊島公会堂で「8・15集会」が開かれたという。この集会の問題提起者の一人である「いいだもも」が次のように述べている。
「わたしは元来、天皇の悪口を言うのが三度の飯よりも好きで、それで喜び勇んで壇上に参加させていただいた次第です。」「差別の頂点としての天皇を「全国民的統合の象徴」としていただいたままの戦後の大衆民主主義体制は、差別・抑圧構造にほかならないのであって、そのようなものとしての民主ファシズム体制なのです。皇室民主化とか、天皇人間宣言とかによって、民主主義が進むとか全うされるとかいうことは、その出発点からして欺瞞であるにすぎない。天皇は天皇であるかぎり、現人神であるか、非人間であるほかないのであって、けっして人間の仲間入りをすることはできない。仲間入りさせてはならない。だからわたしは、天皇の人間宣言を受け容れることなく、天皇が天皇であるかぎり差別することこそが、真の人民の民主主義である、といつも言うわけです。」「象徴天皇(制)はこのようなものとして戦後民主主義支配体制の構成部分であり、戦後体制の動揺が深まるにつれて、今日、「元首化」の危険な動向をもつとめる形になってきている。」(わだつみ会編「天皇制を問い続ける」1978年2月刊・筑摩書房)
このとおりだと思う。メディアによる天皇・天皇制への阿諛追従を軽視して看過していると、次第に批判不可能な社会的圧力が形成されることになりかねない。権力に対しても、権威に対しても、常に必要な批判を躊躇してはならない。