澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

トランプ・安倍・小池の「国難」便乗支持率アップの行方

3月14日に、トランプが「国家非常事態宣言」を発出してからちょうど1か月。新型コロナ感染症の猛威はいまだおさまらない。これに取り組むニューヨーク州知事クオモの名声が高まって、国民の目がそちらに集まるのと反比例して、トランプの存在感が稀薄化し、支持が低迷していると伝えられている。

通例、「国難」は為政者の統治のための最強のアイテムである。とりわけ、国民からの信頼薄く、無能な為政者にとっては神風に等しい。

「国難」・「非常時」・「緊急事態」の勃発によって国民が共有する恐怖は、強く国民の一体感の醸成や統合に作用し、時の政権の求心力を強化する。「この難局を乗り切ることが喫緊の最優先課題」「そのためには、この為政者を中心に一致団結するしか選択肢はない」「その大事なときに、為政者を批判している暇はない」と吹聴されるのだ。為政者にとっての願ってもないチャンス。

だから、「国難」の克服を国民に訴えて支持を回復しようとすることが、評判の悪い政権の常套手段となる。思い出そう、前回総選挙が、安倍晋三によって「国難突破総選挙」と銘打たれていたことを。2017年9月の臨時国会冒頭で、安倍は北朝鮮からのミサイル飛翔の脅威を「国難」として、その「突破」のための解散・総選挙に踏み切った。そして、その思惑は一定の成功をおさめたのだ。その後今日に至るまで、「国難」の真否の検証はなされていない。

戦時の為政者には国民からの支持が集まるのが歴史の常識。無能を囁かれていた子ブッシュの支持率が、9・11事件直後には80%を超える高値を示している。政権運営には国難活用が有効なのだ。

今、パンデミックの危機下に、これを国難として利用しようとしている3名、トランプ・安倍晋三・小池百合子について、その国難活用事情を見ておきたい。

新型コロナ感染症は中国だけの問題で対岸の火事と軽視していたトランプだったが、3月なかばに一転して方針を変えた。コロナ対策を大統領選挙の材料にしようとの思惑からである。積極策を打ち出して、連日のブリーフィング(説明会)でTVに出まくることにして一時は成功したかに見えた。世論調査支持率は急上昇し、49%と就任以来最高の数字をたたき出したことが話題となった。

しかし、4月に入ってからは調子が変わった。いずれの世論調査も支持率は以前並みに低下し、今や不支持の世論が支持を上回っている。また、11月大統領選で、共和党トランプと民主党バイデンのどちらに投票するかという問に、主要な各世論調査のすべての結果が、バイデン有利を示しているという。

結局トランプは、ブッシュのようにこの「国難」を活かせていないのだ。その原因は、どうやらトランプ自身の無能にあるとみられているようなのだ。

斎藤彰(ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長)氏らが伝えるところでは、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は9日、「トランプの無駄なブリーフィングTrump’s Wasted Briefings」と題する異例の社説を掲載したという。

「今国民が大統領の口から聞きたがっていることは、身近かにいる人たちの生命をいかに救い、失職者たちをどう救済するかといった具体策だ。彼は連日自分でブリーフィングをすることで、バイデン候補に勝利できると思い込んでいるが、それは間違いだ。11月大統領選挙の唯一課題、それはすなわち、大統領としてこの危機をいかにうまく収拾し、経済を再生できるかということにほかならない」
要するに、トランプには、国民が求める具体策を語る能力がないと言うことなのだ。

また、ニューヨーク・タイムズ紙など有力紙の間でも、大統領によるブリーフィングでは虚言、事実の曲解、前言撤回などが多すぎることを理由に、「ジャーナリストがいつまでも政治利用され続けていいのか」といった自省の声も上がり始めたという。トランプと安倍、どこまでもよく似ているのだ。

つまりは、為政者の国難利用も、決していつも思惑の通りには行くものではない。国難打開の成果が期待できないまま、国民に無能をさらけ出せば、却って強い反感を招くことにもなるのだ。

いま、安倍と小池は、トランプと同じ運命をたどっているようではないか。何よりも、「東京オリパラ」優先を至上命題として、コロナの蔓延を隠蔽していた疑惑が濃厚なのだ。情報を隠し早期に感染を防ぐ手立てを怠った責任は極めて重い。

「オリパラ」の1年延期を発表したのは3月24日。手のひらを返したように、その翌日には小池百合子が緊急記者会見を開き、唐突に「東京はオーバーシュートの重大局面にある」と危機を説き始めた。不自然で、当然裏があると考えざるを得ない。

3月26日には、厚生労働省が「新型コロナウイルスが蔓延しているおそれが高い」とする報告書をまとめ、その記述のとおり以後PCR検査結果での感染確認者が急増している。この検査結果が感染蔓延の推移を正確に反映した信頼できるものか、あるいは意識的に操作されたものか、厳密な検証を待たねばよく分からない。検査対象数が極端に絞り込まれていたのだから操作は可能であろう。しかも、オリンピック延期決定を境にこの急変である。疑惑は濃厚と指摘されて当然であろう。

にもかかわらず、安倍も小池も開き直って、国難を背負った「戦時のリーダー」を演じている。とりわけ、小池のはしゃぎぶりは目に余る。露骨に、「オリンピックで目立つことができなくなったのだから、コロナ対策で目立たなくっちゃ」という、みっともないトランプ亜流である。

コロナ禍の被害が長引いて国民・都民の不満が高じ、さらにコロナの蔓延に責任を免れないとなれば、トランプ同様「国難」便乗支持率アップも急速にしぼんでゆくことにならざるを得ない。

安倍や小池の、「オリンピック開催のためのコロナ感染隠し疑惑」を暴こう。そして、「コロナ対策便乗支持率アップ」のたくらみを許してはならない。
(2020年4月13日)

新型コロナウィルス感染症蔓延対策覚え書き

新型コロナウイルス感染の拡大の報が重苦しい。その対策についての行政の説明に隔靴掻痒の感あるうちに、患者数と死者数の増加が伝えられて無力感が募る。
しかし、誰にも明らかな、幾つかの喫緊の課題が浮かび上がってきている。必要なことに声を上げなければならない。多くは、医療行政と財政に関わるもので、内閣の責任が大きい。非体系的だが、課題を備忘録的にまとめておきたい。

第1 医療を崩壊させるな
1 この事態、すべての国民にとって何よりも医療が頼りである。検査・診断・隔離・治療・救命に万全を期していただきたい。伝えられる医療従事者の献身に心からの敬意を表するが、その医療現場から脆弱な医療の実態と危機的状況について切迫した声が上げられている。中には、既に医療崩壊が始まっているという深刻な現場の声もある。
医療行政は現場の声に耳を傾けその実態を的確に把握し、現場の医療と医療従事者を支援しなければならない。絶対に医療現場を感染の場としてはならない。

2 全医療従事者の感染の有無を検査せよ
PCR検査対象を拡充することが必要である。問題は優先順位である。まずは、医療従事者を検査対象とせよ。再び、医師や看護師が感染源となってはならない。コロナ感染疑いの患者に接する頻度の高い医療従事者から、順次全員の検査を行い、必要に応じて医師らの判断で繰り返さなければならない。

3 医療従事者を感染から守れ。
医療従事者が自らへの感染を心配することなく患者に対応できるよう、必要な感染防護の態勢を整備せよ。これは、医療行政の喫緊の課題である。医療用マスク、防護服、減圧室等の物的整備が必要であり、そのための経済支援を惜しんではならない。

第2 検査態勢を充実せよ
1 クラスターを見つけて感染経路を追跡調査するという感染拡大防止戦略が崩壊して、感染源の不明の患者が増加している以上、PCR検査対象を拡大せざるを得ない。あるいは抗体の有無を確認する血清検査を拡大充実しなければならない。そのための、人的物的態勢整備が必要である。
2 現在、PCR検査の能力の活用すらできていない。検査能力を拡大して、医療従事者、老健介護施設職員、保育園職員などから順次検査し、陽性者は業務から除外しなければならない。
3 さらに、発熱・発咳・嘔吐などの症状で感染が疑われる者は、近医の判断で検査を受けることができるよう態勢を整えるべきである。ドイツ並みは無理としても、韓国並みの検査態勢ができないはずはない。

第3 治療薬とワクチンの開発に全力を
1 現在、新型コロナウィルス感染症に有効な治療薬も予防方法もない。感染患者を入院させるのは他への感染を予防するための隔離の意味が大きく、治療は対症療法で救命し、苦痛を緩和することで患者がもつ免疫機能がウィルスを克服するのを待つほかはない。
この感染症克服の最終ゴールはワクチンの開発である。開発されたワクチンが投与可能となるまでに必要な期間として1年説もあるが、2年を覚悟しなければならないようである。それまでに、既存の抗ウィルス薬で有効なものを特定しなければならない。
2 ワクチンと治療薬。その開発を全世界の共通イベントとしなければならない。個別の製薬企業、研究機関、国家の枠を越えて、共同作業として実現してはどうか。
少なくとも、予算措置を惜しむようなことがあってはならない。

第4 休業要請には損失補償の大原則を
1 人と人との接触機会を低減することが感染拡大に有効だとしても、人は生きていくために最低限の経済活動を休止することができない。接触機会低減のための経済活動の自粛要請には、当然に損失補償が伴わなければならない。感染症拡大阻止には接触機会低減が必須であれば、それを可能とするために、ワクチンや特効薬開発までは、あらん限りの財政を注ぎ込むしかない。国民の生命の維持のために、国富を傾ける覚悟が必要ではないか。
2 国富とは、結局のところ国民の財産である。最終的には、大企業や富裕層のもつ財産を国民全体の利益のために活用するという構図を描かなければならない。

第5 もっと情報の公開を。もっと丁寧な説明を。
1 なぜ、医師が必要と判断してもPCR検査が拒否されるのか。永寿総合病院の院内感染はどうして起きたのか、それが慶應病院にどう波及したのか。死亡した国民的コメディアンはどこでどうして感染したのか。なぜ、医療現場に医療用マスクが払底しているのか。人工呼吸器が不足なのか。まことに、情報が不足である。これでは、人は納得して行動できない。
2 そして、ことは予防医学・感染症学に関わる。決して自明の常識的知見だけでの理解が当然とは言い難い。行政が、国民に「行動変容」を求める以上は、もっと真摯にもっと丁寧に、国民に望まれる「行動変容」の根拠を噛み砕いて説明しなければならない。
3 これまで、情報開示と説明責任については、極端に否定的な実績を積み上げてきた安倍内閣である。国民の信頼を勝ち得ることは客観的には絶望的であるかも知れない。しかし、自分の播いた種である。安倍晋三には自分で刈り取って始末を付けるべき責任から逃れる術はない。

第6 今こそ行政に発言しなければならない。
1 「国難」は独裁の温床である。「国難」を口実に権力者はより強力な権限を求め、国民に積極的な服従を求める。しかし、国難を克服することは独裁ではできない。また、弱者を切り捨てての「国難」対処を許してはならない。とりわけ、火事場泥棒のごとくたくらまれる安倍改憲策動を警戒しなければならない。
2 惨事便乗型独裁煽動の言論が横行している。「今はリーダーの決断を批判する時ではない。危機管理の最中における非難や批判は有害無益であり、結果的に自分達の首を絞めるだけである。国民には、リーダーの決断に対し、積極的、自主的に協力するフォロアーシップが求められる。」という類のもの。なんとも権力者に好都合な馬鹿馬鹿しい「論理」。
実は、真反対である。今こそ、積極的に行政にものを言わなければならない。災害回避の国民的力量の源泉は、主体的な意思をもった国民一人ひとりにほかならない。もの言わぬ無批判な衆愚には何の力量もない。また、被支配者がリーダーの決断に唯々諾々と追随していれば、大量の弱者を切り捨てた強者の生き残り策が強行されることになってしまうのだ。

強く行政にものを言おう。提言を続けよう。この災厄を乗り越えて生命と生活を守るために。そして、民主主義を擁護するために。
(2020年4月12日)

児玉龍彦さんの緊急の問題提起に耳を傾けよう

おなじみになった、米ジョンズ・ホプキンズ大の集計。新型コロナウイルス感染症による死者数が本日(4月11日)、世界全体で10万人を超えたという。5万人を超えたのが今月2日。9日間で倍増したことになる。9日ごとに倍増というこの勢いがしばらく続くと仮定すれば、世界中が恐るべき事態となる。人の悲劇が数の大きさだけで表される深刻さに戦慄する。

身近には、東京都内本日の新たな陽性確認患者が197人だという。その推移は、
 8日に144人
 9日に178人
 10日に189人
 11日に197人
で、「4日連続過去最多更新」とされている。
しかし、この推移をどう評価すべきか私にはよく分からない。絶対数として無視し得ないことは明らかだが、指数関数的に爆発的な増加ではない。果たして、「オーバーシュート」寸前なのか、よく抑えている成果が現れているとみるべきなのか。危機的なのか危機的とは言えないのか、危機的であるとしてどの程度のものなのか。

専門家諸氏が、いったい何をどれだけ分かっているのか、実は分かってはいないのか。将来予測をするためにはどのようなデータが必要で、そのデータを得る努力はどのようにされているのか。あるいはそれどころではなく、何もされてはいないのか。中国、台湾、韓国、イタリア、スベイン、フランス、ドイツ、アメリカ各国の、積極消極の各教訓はどのように認識され、生かされているのか。ドイツや、韓国に比較して、日本の検査率が、かくも極端に低いのはなぜなのか。

政府は、「接触機会の低減に徹底的に取り組めば、事態を収束に向かわせることが可能であり、以下の対策を進めることにより、最低7割、極力8割程度の接触機会の低減を目指す。」という。「接触機会の低減」だけが有効対策なのか。「接触機会」とは何を言うのか。どう計測するのか。いつを規準に8割というのか。家族間の人的接触や施設での介護は、あるいは公共交通機関の利用はどうカウントするのか。生存に絶対必要な食料品調達や受診による医師との接触も分母に入るのか。それを除いての8割なのか。

この間、安倍・小池や、そのスジの専門家の言うことは、到底納得しがたい。とりわけ、日本のPCR検査のハードルがかくも高く実施率がかくも低度であることがどうしても理解できない。

この間、専門家として説得力のある解説をしているのは、児玉龍彦さん(専門は分子生物学、システム医学。東大アイソトープ総合センター長)である。彼は、分かっていることと分からないことをきちんと区分して語っている。下記の各動画は、政権の政策への問題提起として、必見といえよう。

新型コロナ重大局面 東京はニューヨークになるか (4月3日)
https://www.youtube.com/watch?v=r-3QyWfSsCQ

自分で考え いのちを守れ! 新型コロナと闘う その先の未来へ(4月8日)
https://www.youtube.com/watch?v=RUrC57UZjYk

ここで語られていることは、専門家委員会(個人ではなく)の胡散臭さである。安倍・小池が都合よく使っている「専門家」だが、これを至急に取り換えねばならないという彼の提言には、頷かざるを得ない。

あらためて思う。権力を握る者の責任の重さである。今の時期、日本国民も東京都民も、とんでもない人物を頼らざるを得ない窮地に陥ってしまっている。せめて、背後霊のようにくっついている「専門家」の適格性を至急検証しなければならない。

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なお、本年2月25日時点で、ネットにアップされた「サンデー毎日」の記事の一部を抜粋して引用したい。児玉さんの主張の骨格が見えると思う。

新興感染症にどう対応?
「予防ワクチンと、重症化抑止の抗ウイルス剤がまだできていない。従って、入り口の『ウイルス診断』と出口の『重症呼吸不全』への対応が致命的に重要だ」

今回はどんなウイルス?
「風邪のような症状と、嘔吐(おうと)と下痢をおこすタイプと2種類あるが、武漢からの報告では、今回のは両方起こす。そのため予防策が混乱する。飛沫(ひまつ)感染が中心だが、食事を介する感染が目立つ。武漢は食品市場で起こり、日本でも屋形船で感染した。SARSではクラスBの対応だったが、コレラ並みのクラスAを推奨する論文も出ており、感染予防に特別の注意が必要だ」

感染か否かの診断は?
「咽頭(いんとう)のぬぐい液などからウイルスの中にある遺伝子情報であるRNAを増幅して診断するリアルタイムPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)という方法が有効だ。これはゲノム診断でもよく用いられる簡易的な方法で、測定機械は一般の大学や研究機関、民間の検査企業にかなりの台数がある。さらにシークエンサーで見れば偽陽性か本当の感染か、比較的簡単に区別できる

クルーズ船対策。どこで間違った?
安倍首相が突然入国拒否と言い出したところだ。今までインバウンド、クルーズ船誘致と言ってきたのが、入国拒否という一種のヘイト的非人道措置を打ち出した。WHO(世界保健機関)がやるべきでないというところに飛びついてしまった。汚染船内に閉じ込めるということは、感染拡大につながる。少なくともいったん船から降ろして全部消毒すべきだったが、閉じ込めたままにした。専門家ではない厚労官僚が対応、PCRや重症化の対応も知らなかったことで、『監禁船での感染実験』と批判される羽目になった」

PCR検査も遅れた。
先述したように簡易な検査だ。もっと民間の検査機関を活用すべきだったが、厚労省が自分たちの組織内でやることにこだわった。厚労技官や国立感染症研究所が予算確保の好機と考えた節もある。政権は(2月)14日、153億円の緊急対策を決めたが、最大の問題であるウイルス診断と、重症呼吸不全の緊急対応問題がほとんど理解されていない」

(2月)17日発表の「相談・受診の目安」では、「37・5度以上の熱が4日以上」続けば受診しろというが。
普通の人が4日熱を出して重い症状になると病院に行けなくなる。武漢の例を見ると、呼吸不全が突然重症化する例が多い。まずやるべきはPCR検査のできる場所を大量に増やすことだ。研究機関レベルのスクリーニングでもいい。偽陽性になった人が専門的な外来でチェックする。つまり、スクリーニング自体のやり方を変える必要がある。今は検体をいったん国立感染研に集める形式を取っているが、官僚統制はすぐにやめ、迅速に動ける民間企業にやらせた方がいい」
「ただ、検査の問題は時間とともに解決する。最大の問題は、一定数で発生する重症者、特に高齢者、合併症保持者への対策だ。大量の排気をするし、一般の人工呼吸器でやると大量のウイルスを出す。重症者を受け入れる病棟を特設しないと院内感染は防げない」

ミスの重なりが痛い。
医療行政としては薬害エイズに匹敵する失態だ。80年代血友病患者に対し、加熱処理してウイルスを不活性化しなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用、多数のHIV感染者を生み出した。 「医療の問題というのは、分子レベルから社会レベルまでいろんな階層があるが、全体状況を統合できる専門家が必要だ。ある意味で正しい政策が別の面では失敗を招く。薬害エイズでは、血友病治療に熱心だった医師に血液製剤の知識がなく、今回は検疫をするにあたり、船内の人のことを考える人がいなかった。ただ、日本の医学界にも心ある人は大勢いるし、日本の科学技術の水準は今回のように低いものではない。医学界全体が大きく反省し目を覚ますべき時だと感じる。医療従事者を助けるためにも行政にPCR検査体制整備や重症施設特設を早急にやらせる必要があり、言論の役割も非常に大きい

(2020年4月11日)

DHCスラップ反撃訴訟控訴審判決理由の素晴らしき判断 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第176弾

3月18日(水)に言い渡された「DHCスラップ『反撃』訴訟」控訴審判決。一審判決も会心の内容だったが、控訴審判決はさらに素晴らしいものとなった。これを不服としたDHC・吉田嘉明は、上訴期限最終日の4月1日(水)に、最高裁宛の上告状兼上告受理申立書を原審裁判所(東京高裁)に提出した。

4月7日(火)、東京高裁第5民事部から私宛に、上告提起通知書・上告受理申立通知書の特別送達があった。5月28日が、上告理由書・上告受理申立理由書の提出期限となる。

DHC・吉田嘉明が不服とする控訴審判決の主文は、「(DHC・吉田嘉明両名は連帯して、澤藤に対して)165万円を支払え」とするだけの素っ気ないものであるが、その判決理由において、DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の違法を一審以上に明確に認めている点で、私にとって極めて満足度の高いものとなっている。

言うまでもないことだが、『スラップ訴訟の提起を受けて被告の立場で闘って請求棄却の勝訴判決を得ること』と、『スラップを違法と主張してスラップの張本人に損害賠償請求の『反撃』訴訟を提起して勝訴判決を得ること』とは、ハードルの高さが決定的に異なる。

スラップをかけられれば、売られたケンカ」として受けて立たざるを得ない。しかし、圧倒的にハードルの高い『反撃』訴訟を提起することには、誰しも躊躇を感じるところ。万が一にも高いハードルを乗り越えられないときのデメリットの影響を慮ってのことである。さらに、その背景には現在の裁判所への不信がある。判例の傾向が決して表現の自由という民主主義社会の根幹をなす大原則の擁護に親和的とは思えないのである。

私の場合も、『DHCスラップ訴訟』の判決が勝訴として確定したあと、直ちにDHC・吉田嘉明に対する『反撃訴訟』を提起したわけではない。いずれ時効完成までにはと思いつつも、煩わしい訴訟の提起には躊躇がなかったわけではない。ところが、DHC・吉田嘉明の方から、債務不存在確認訴訟の提起があって、2度目の「売られたケンカ」を買わざるを得ない立場となり、結果として満足すべき一審判決を得るに至った。

そして、『反撃』訴訟の一審判決に満足した私は、弁護団の意見もあって、敢えて控訴を見送った。DHC・吉田嘉明にとっては、わずか110万円の給付判決。これで確定するだろうという思いが強かった。ところが、DHC・吉田嘉明は控訴した。言わば、3度目の「売られたケンカ」である。私は、附帯控訴して一審以上に満足すべき控訴審判決を得た。

以上のとおり、この極めて満足すべき控訴審判決は、半ばはDHC・吉田嘉明の提訴・控訴のお蔭で獲得に至ったものなのだ。具体的には以下のとおりである。

DHC・吉田嘉明が、私のブログを名誉毀損と決めつける理由の主たるものは、以下のとおりである。

「控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が主張する(吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円貸付の)動機は,《脱官僚,規制緩和を掲げる政治家を応援するために8億円を貸し付けた》というものであるのに対して,被控訴人(澤藤)は、貸付動機を《金儲けのためだと断定している》ことが名誉毀損である。」

この8億円という巨額の裏金(政治資金収支報告書にも、選挙運動収支報告書にも未記載)の貸付動機についての私のブログでの記載が、DHC・吉田嘉明のいう「名誉毀損」言論であった。私はこう言ったのだ。6年前のブログの一部をそのまま抜粋する。

吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。

DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。

選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。
この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。

DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。(2014年3月31日)

この点を反撃訴訟の控訴審・秋吉判決は、こう判断している。

「控訴人吉田自身が,
平成20年3月27日付け日本流通産業新聞への特別寄稿において,控訴人会社の創業以来成長のー途をたどってきた健康食品市場の停滞につき指摘し,その主要な原因が厚労省による監視の強化にある旨を述べた上で,その解決のため,健康食品に関する議員立法を目指す国会議員の動きにつき「先生方には藁にもすがりたい思いである」として,立法による解決を期待する旨の意見を表明していたこと,

本件手記において,控訴人会社の主務官庁(厚労省)による規制が煩わしいものであったことを述べ,官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革であり,それを託せる人こそが私の求める政治家であると述べて,脱官僚を主張し,行政改革に取り組む渡辺議員と意気投合し,その選挙資金融資の依頼に応じて8億円を貸し付けたこと,

その後渡辺議員と決別したが,その志を援助するために行った貸付の意義についてもう一度彼自身に問うてみたいと記載していたことに照らせば,

本件貸付の動機,目的は,窮極的には規制緩和を通じて控訴人会社(DHC)の利益を図るものと推認できるのであって,仮に本件各記述が本件貸付の動機についての事実を摘示したものであったとしても,これが真実に反するということはできない。(中略)

前示のとおり,被控訴人(澤藤)の本件各記述が,いずれも公正な論評として名誉殼損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められること

それにも関わらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHCスラップ訴訟のこと)を提起し,その請求額が,当初合計2000万円,本件ブログ4掲載後は,請求額が拡張され,合計6000万円と,通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであったこと,

控訴人吉田が自ら本件手記を公表したのであれば,その内容からして,本件各記述のような意見,論評,批判が多数出るであろうことは,控訴人らとしても当然予想されたと推認されるところ(なお,前件訴訟の提訴前に,控訴人らの相談に当たった弁護士から,本件貸付が規制緩和目的のためなのか,私利私欲のためなのか分からない人たちから批判が出ることは当然あり得るとの意見が出ていたことが認められる(証人内海〔原審〕35頁)。),控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,それに対し,言論という方法で対抗せず,直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という’手段で臨んでいること,

ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し,判決に至ったものは,いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては,控訴人らの損害賠償請求が認応られずに確定していることからすれば,

前件訴訟(DHCスラップ訴訟)等の提起前に控訴人会社(DHC)の担当者と弁護士との間で訴訟提起等に関する相談がされたこと等を考慮しても,前件訴訟(スラップ訴訟)の提起等は,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり,不法行為と捉えたとしても,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。

したがって,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の前件訴訟の提起等は,請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易に知り得たといえるのに,あえて訴えを提起したものとして,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ,被控訴人(澤藤)に対する違法行為と認められる。

まことに胸のすく判決理由の説示である。これなら、スラップ訴訟を提起された言論人は、勇気をもってスラップ訴訟の提起者に対して、反撃訴訟を提起できるではないか。私は、素晴らしい判決であると思う。DHC・吉田嘉明は、あらためてこの判決をよく噛みしめて、自分のしたことの誤りを反省しなければならない。
(2020年4月10日)

薀蓄オジさん花の下での歴史の講義

言うまでもなく、花と花見は別物である。
https://article9.jp/wordpress/?p=10136

上野は飽くまで花見の名所であって、花の名所ではない。そのように思われがちだが、なかなかそうとも言いがたい。けっこう、多くの花があり珍しい花もある。上野の桜通りは封鎖されて今年の花見はできないが、今年も花は美しく咲いている。ソメイヨシノが主役の座を下りたいま、まばらな人影が、多様な花の美しさを堪能している。

上野の山には、56種の桜があるそうだ。ジュウガツザクラやオオカンザクラなど冬に咲くものもあるが、多くは今が盛り。不忍池の畔は、カンザン、イチヨウ、ウコン、シロタエ、コウカなど里桜の競演が見事である。ベニユタカの盛りは過ぎたが、ヤエベニトラノオ、エイゲンジ、バイゴジジュズカケザクラ、ギョイコウなど、珍しい品種もある。上野にこそふさわしいランランもあれば、かつてはソメイヨシノの片親と言われたコマツオトメ、あるいはアマノカワ、ソノサトキザクラ、フクロクジュなどという目を楽しませてくれる桜もある。イモセ、オモイカワ、マイヒメなどという小粋なネーミングのものも。

珍しい桜の多くは、この辺に出没する何人もの薀蓄オジさんに教わったもの。薀蓄を語るオジさんは桜に限らない。蓮の華の薀蓄を語る人、水鳥の生態について薀蓄をかたむける人、最近は立派なカメラを携えたカワセミの薀蓄おばさんにしばしば会う。教えを乞う姿勢さえあれば、この辺りは薀蓄に満ちている。

桜の下で究極の薀蓄オジさんに出会ったのはいつのことであったろう。真っ赤な夕日が本郷台のビルとビルの間に沈もうとしているころ。小柄で大きな帽子をかぶった、つよい東北なまりの雄弁おじさんに捕まった。薀蓄オジさんには、こちらから声を掛けての出会いが常で、向こうから声を掛けられたのは初めての経験。

客観的には明らかにアヤシいオジさん。それを意識してか、この方、「恥ずかしながら自分は文化庁の歴史審議官」と繰り返して名乗られた。そんな役職があるのかどうか、確かなことはいまだに分からない。最初はいいかげんに聞いていたが、いやいろんなことをよく知っている。ここ東叡山寛永寺の由緒から始まって、蕩々と江戸時代の各地の大名の内政外交、江戸の町の変遷、明治維新の経過、大東亜戦争の将官たちの評価、戦後の東京23区の成り立ち、NHK大河ドラマの裏話等々、語るところ面白く日はすっかり沈んで真っ暗になるまで桜の下での特別講義を拝聴した。

寒くなって来たのでお礼もそこそこに急いで帰ったが、翌日目覚めて以来、あれは本当にあったことなのか、桜に化かされたのではないだろうか。犬も歩けば棒に当たる。ときには、こんな薀蓄オジさんにぶつかることもあるのだ。もっとも、まだ、憲法を語る薀蓄オジさんにはお目にかかっていない。

(2020年4月9日)

良心的番組制作を妨害した森下俊三NHK経営委員長の辞任を求める署名(第1次分)提出

緊急事態宣言が発出された昨日(4月7日)のこと、醍醐聰さんと私と二人で代々木のNHK放送センターに署名簿を提出に出向いた。より正確に言えば、署名者を代表して醍醐さんがNHKに赴き、私が随行した。センターは、コロナ禍にロックダウンのたたずまいの不気味さ。当方も、応接する職員もマスク対マスクである。密着せずに、やや離れて位置をとる。後年、滑稽な場面だったと思い返すことになるのだろうか。

署名は、森下俊三NHK経営委員長の辞任を求める内容の第1次分。そもそも、彼の番組制作への妨害行為は経営委員としての資質に欠けることを物語っているとして、委員長のみならず経営委員の辞任を求めている。その署名内容については、下記URLを参考にされたい。

https://article9.jp/wordpress/?p=14502
https://article9.jp/wordpress/?p=14625

醍醐さんが、森下委員辞任を求める申し入れ書と、下記の賛同署名簿(第一次集約分)ならびに、ネット署名に添えられた賛同者メッセージを提出した。同時に森下経営委員長以下全経営委員12名の銘々に同旨の書類を手渡した。これを受領したのは、経営委員会事務局・松沢明次副部長。

本日持参の署名(4月6日集約第1次分)は、下記のとおりである。

  用紙署名  3,596筆
  ネット署名   435筆
   合 計  4,031筆

また、「クロ現+」のかんぽ番組制作担当者宛に、同旨の書類を用意し、これに署名運動の顛末説明書を添えたものを、同席した視聴者部の藤田、七尾両副部長にお渡しした。

醍醐さんから、あらためて署名内容についての若干の説明があり、その上で、次のような発言も。
「ネット署名に添えられたコメントには、かんぽ生命の不適切な商法の被害者家族からの切実な被害を訴えるものもあり、NHKOBからの現状を深く憂うるものもあります。きちんと意を酌んでいただきたい」「署名運動開始後に、経営委員会から厳重注意を受けた際に、当時の上田良一前会長が『NHKは存亡の危機に立たされることになりかねない』と強く抵抗していたことが判明しました。ところが、このことを国会で追及された森下氏は、事実は認めた上で、開き直って責任を認めようとしていません。経営委員としての不適格ぶりがますます明らかになっています。」

私も一言。
「経営委員会の番組妨害行為の悪質性はとても分かり易い。そのため、国民からのNHKに対する信頼は今地に落ちている。地に落ちた信頼を取り戻すために、今必要な手段は最も分かりやすいものでなくてはならない。そのためには、信頼喪失の責任者である森下さんの辞任以外には考えられない。公共放送への国民の信頼を回復するために、森下さんは辞任すべきだ」

この日の夕方。醍醐さんから連絡のメールが入った。某紙の記者からの問い合わせに報告を返したところ、その記者からこんな挨拶があったという。

「お世話になっております。ご連絡ありがとうございました。自粛の中、これだけの方が問題性を感じているというのは、取材する側としても重いものを感じます。」

民主主義と国民の知る権利を大切とお考えの皆さまに再度のお願いです。署名運動は、4月末まで継続します。
 下記URLを開いて、ネット署名をお願いいたします。
  http://bit.ly/2TM7pGj
 あるいは、http://bit.ly/33gfSETから、署名用紙をダウンロードしていただき、郵送での署名をお願いいたします。

(2020年4月8日)

《検事長の勤務延長に関する閣議決定の撤回を求め》《国家公務員法等の改正案に反対する》日弁連会長声明

 今夕(4月7日)緊急事態宣言という。これも重大事だが、コロナ禍での大騒ぎを奇貨としての安倍の諸疑惑逃れを許してはならない。桜疑惑森友文書改竄疑惑カジノ疑惑河井夫妻疑惑…。そして、そのすべてに関わるものが幹部検察官人事介入疑惑である。

ことの発端は、黒川弘務東京高検検事長についての違法な定年延長。露骨なえこひいき人事であった。これを指摘された安倍は反省するどころではない。いま開き直って検察庁法改正を含む国公法改正を強行しようとしている。今後は、「合法的に」内閣の裁量によって幹部検察官の人事に介入しようというのだ。

昨日(4月6日)、日弁連がようやくこの問題に会長声明を発した。「法の支配と権力分立を揺るがすと言わざるを得ない」と踏み込んで批判している。各地の単位弁護士会のうち、既に22会がこの問題について、実務法律家の立場から反対意見を表明している。日弁連としてはやや遅きに失したという声もあるが、荒中新会長の決断に敬意を表したい。

声明も言うとおり、刑事司法の根幹を揺るがし、三権分立の大原則をも崩壊させかねない大問題である。安倍政権への国民の信頼がなくなることは些事であるが、刑事司法への国民の信頼が失われることは、憂慮すべき由々しき事態である。

なお、本年3月5日、日本民主法律家協会を含む法律家9団体が、「東京高検検事長黒川弘務氏の違法な任期延長に抗議する法律家団体共同声明」を公表しており、4月2日付けで日本民主法律家協会が、下記の「検察官の独立を侵す検察庁法改正案に反対する声明」を出している。これをご紹介しておきたい。
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検事長の勤務延長に関する閣議決定の撤回を求め、国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対する会長声明

政府は、本年1月31日の閣議において、2月7日付けで定年退官する予定だった東京高等検察庁検事長について、国家公務員法(以下「国公法」という。)第81条の3第1項を根拠に、その勤務を6か月(8月7日まで)延長する決定を行った(以下「本件勤務延長」という。)。

しかし、検察官の定年退官は、検察庁法第22条に規定され、同法第32条の2において、国公法附則第13条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基づいて、同法の特例を定めたものとされており、これまで、国公法第81条の3第1項は、検察官には適用されていない。

これは、検察官が、強大な捜査権を有し、起訴権限を独占する立場にあって、準司法的作用を有しており、犯罪の嫌疑があれば政治家をも捜査の対象とするため、政治的に中立公正でなければならず、検察官の人事に政治の恣意的な介入を排除し、検察官の独立性を確保するためのものであって、憲法の基本原理である権力分立に基礎を置くものである。

したがって、国公法の解釈変更による本件勤務延長は、解釈の範囲を逸脱するものであって、検察庁法第22条及び第32条の2に違反し、法の支配と権力分立を揺るがすものと言わざるを得ない。

さらに政府は、本年3月13日、検察庁法改正法案を含む国公法等の一部を改正する法律案を通常国会に提出した。この改正案は、全ての検察官の定年を現行の63歳から65歳に段階的に引き上げた上で、63歳の段階でいわゆる役職定年制が適用されるとするものである。そして、内閣又は法務大臣が「職務の遂行上の特別の事情を勘案し」「公務の運営に著しい支障が生ずる」と認めるときは、役職定年を超えて、あるいは定年さえも超えて当該官職で勤務させることができるようにしている(改正法案第9条第3項ないし第5項、第10条第2項、第22条第1項、第2項、第4項ないし第7項)。

しかし、この改正案によれば、内閣及び法務大臣の裁量によって検察官の人事に介入をすることが可能となり、検察に対する国民の信頼を失い、さらには、準司法官として職務と責任の特殊性を有する検察官の政治的中立性や独立性が脅かされる危険があまりにも大きく、憲法の基本原理である権力分立に反する。

よって、当連合会は、違法な本件勤務延長の閣議決定の撤回を求めるとともに、国公法等の一部を改正する法律案中の検察官の定年ないし勤務延長に係る特例措置の部分に反対するものである。

2020年(令和2年)4月6日

日本弁護士連合会
会長 荒   中

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検察官の独立を侵す検察庁法改正案に反対する声明

2020年4月2日
日本民主法律家協会

第1 はじめに
2020年3月13日、政府は、検察官のいわゆる定年延長(以下、原則として勤務延 長と呼ぶ。)などを盛り込んだ検察庁法の改定を含む「国家公務員法等の一部を改正する法律案」(以下、法案という。)を閣議決定し、国会に提出した。
検察官について、法案は、
?検察官の定年を検事総長と同じ65歳に段階的に引き上げる、
?63歳に達した検事正、検事長、次長検事につきいわゆる役職定年制を導入する、
?役職定年を超える任用の特例を認める、
?定年年齢に達した検察官について「公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由」があると認める場合に勤務延長を認める、
というものである。
しかしながら、法案のうちとりわけ??については、時の政治権力による検察人事への不当な介入、それによる検察行政への不当な影響をもたらすという危険を多分に有する。これは、法の支配・法治国家という近代国家の基本原則をゆるがせにすることでもあり、到底容認することができない。

第2 正当な立法事実の不存在と法案による違法な事実の追認
1 法案には、そもそも、正当な立法事実が存在していない。一般の公務員の場合、職務の内容、その執行される場所が多岐・広範であることから、いわゆる余人をもって代えがたいなどの状況もありうる。従って、それに対処するために定年延長が必要な場合があることは事実である。しかし、検察官の場合、検察事務・検察行政ないし法務行政のいずれであれ、その職務内容や執行の場所は一般の行政に比して限局されている。また、検察官同一体の原則に基づく事務委任・事務引取移転により、検察官の行う事務作業を円滑に維持することが可能で、現にそのように実施されてきた。戦前の裁判所構成法の下で一時期存在していた判検事の定年延長制度を、戦後の裁判所法・検察庁法が引き継がなかったのも、裁判所構成法の立法当初指摘された勤務延長を認める必要性が現実には存在しなかったことに由来する。ある検察官の定年退職によりこれらの事務が阻害されたとの事実ないしそのおそれの存在は、まったく示されていない。正当な立法事実の存在自体が、極めて疑わしい。2019年10月末に内閣法制局が一度了承した検察庁法改正当初案においては、勤務延長などに関する規定はなく、法務省が2019年10月にまとめた説明資料でも、「(検察官は)柔軟な人事運用が可能」で、「公務の運営に著しい支障が生じるなどの問題が生じることは考え難く、…(特例)規定を設ける必要はない」と明記している。

2 法案は、2020年1月31日に閣議決定された黒川弘務東京高検検事長のいわゆる定年延長問題に端を発したものである。黒川氏は現行の検察庁法に基づき2月に定年退職する予定であったところ、安倍政権は、「検察官は国公法の定年延長を適用されない」という従前の法解釈を変更し、これに基づいて黒川氏の定年が半年間延長された。これは、「首相官邸に近い」とされる同氏を次期検事総長に就任可能とする措置だとも言われている。しかし、このような解釈変更とそれに基づく勤務延長措置がきわめて恣意的であり、違法・不当であることは、われわれを含む法律家9団体が先に発表した2020年3月5日付「東京高検検事長黒川弘務氏の違法な任期延長に抗議する法律家団体共同声明」、各報道機関の論調をはじめ、各方面からすでに多数指摘されているところである。すなわち、国家公務員法の規定する勤務延長制度は検察官には適用されないとしてきた従来の解釈を、官邸の独断により正規の手続もなく変更するという違法手段によって、たった1人のためにだけ勤務延長が強行され、これにより政治権力による検察への介入に対する防波堤が崩されることとなった。これを契機として準備されたと思われるこの法案は、立法事実を欠くのみならず、上記のような違法・不当な措置を、立法という形をとって「合法化」するものである。社会状況の変化などで法解釈が変更されることはありうるとしても、法案はそのような要請に基づくものでない。きわめて不公正かつ邪悪な意図に基づくものである。

第3 時の政府による検察支配のための法案
1 検察官は、内閣に属する行政権を担う行政官であるが、その職務は司法権の行使と密接に関係する。このため、検察官が行う事務を統括する検察庁も、通常の行政機関とは異なる「特別の機関」(国家行政組織法8条の3)とされている。また、検察官は、いわゆる独任官庁として自己の良心に従った事件処理を行うべきことも要求されている。かかる特殊性から、検察官には、一般公務員よりも手厚い、裁判官に近い身分保障が付与され、停職・免職事由は法定の事由に限られる(検察庁法25条)。これらは、政治権力が検察に対して不当に介入することを防止し、検察官が自己の良心に従って独立した判断を行うことを可能とするためであるが、法律に事由を明定することによって検察官人事の客観性・透明性を担保する機能をも有する。法務大臣のいわゆる具体的指揮権の対象を検事総長に限った(同14条)のも、検察に対する政治的影響を極力排する趣旨からである。このことは、日本に限らず世界的な要請である。
各国の検察官が参加する組織である「国際検察官協会」(INTERNATIONAL ASSOCIATION OF PROSECUTORS)の策定した「専門職責任と検察官の基本的な権利義務に関する宣言の基準」(STANDARDS OF PROFESSIONAL RESPONSIBILITY AND STATEMENT OF THE ESSENTIALDUTIES AND RIGHTS OF PROSECUTORS)なども、検察官の不羈独立・公平を強く求めている。定年制も、人事の新陳代謝を確保しつつ、年齢という客観的基準のみで検察官の身分を失わせる点で、きわめて公正な制度であり、政治権力の検察への恣意的な介入を防ぐ機能を有している。日本において特殊な定年制を導入してきた官職の多くは、独立性・専門性の高い職種で、検察官の定年制も、そのような職務の特殊性に由来するものであった。司法権の地位と機能を強化した日本国憲法の下では、判検事の独立性はきわめて重要であり、定年制も、判検事の人事に対する政治権力の介入を防止するという趣旨から理解されるべきである。政治権力の検察への介入、あるいは検察権限の政治的利用が市民社会や国家の在り方にきわめて悪い影響を与えることは、大逆事件、帝人事件、造船疑獄事件をはじめとする多くの事件が示すとおりである。現在の検察庁法も、そのような弊害を引き起こさないことを重要な柱としている。しかし、法案による勤務延長や役職定年の延長は、以上の原則に逆行する。

2 検事総長などの検察最高幹部は、内閣により任免され天皇により認証される(検察庁法15条1項)。この点で、政治権力が検察官人事に関与することは事実である。しかし、免職は法定事由に限られ、任用も、具体的な検察事務などとは関係なく当該検察官の人格識見に基づくものである点で、恣意的な介入の度合いは相対的に少ない。これに対し、法案によれば、検事正を含む検事・副検事については法務大臣の定める準則、検事長・次長検事・検事総長については内閣の定めるところにより、当該検察官にかかる「公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由」を考慮して、それぞれ勤務延長や役職定年延長の措置を執るというものである。この点で、政治権力が具体的な検察事務などに踏み込んで勤務延長などの要否・当否を判断することが、可能となる。このことはまた、政治権力の絡む事件の捜査・公判について、いわゆる「忖度」などによる検察官の萎縮効果をもたらしうることとなり、検察の不羈独立や公平は画餅に帰しかねない。特に、検事総長などの検察最高幹部は、政治権力と接触することが多い地位であるだけに、一層の不羈独立・公平が求められる。にもかかわらず、法案によれば、内閣の意向でその地位を左右することが可能となる。検察は、権力者の番犬に成り下がることとなる。

第4 結論―法案は廃案とすべきである
以上のように、法案は、その必要性を欠き、むしろ、百害あって一利のないものというべきである。そして、法案が提起された背景をも見るならば、そこには、法の支配・法治主義という近代国家の原則を理解せず、むしろそれに敵対的で、絶対王政的な人の支配に親和的で、現にそのような政権運営をあらゆる方面で行ってきた現政権の姿勢を如実に表わしたものというべきである。従って、法案は速やかに廃案とされるべきであり、われわれはそのために最大の努力を尽くすものである。
以上
(2020年4月7日)

緊急事態宣言の発出がもたらす「副作用」

明日(4月7日)にも、インフル特措法に基づく緊急事態宣言の発出がなされるとの報道に気が重い。とは言うものの、宣言の効果として可能となるべきことの多くが既に前倒しで実行されてきたのだから、今さらの宣言で変わるところは小さい。

もっとも、宣言の法的効果は小さくとも、宣言自体がもつ社会心理的効果には大きなものがあるだろう。損失補償のないままに、民間諸団体への営業や興行への自粛の要請や指示が横行することになるに違いない。そして、危惧されることは、政府の要請や指示に従わない者に対するバッシングや同調圧力の強化である。それこそが、緊急事態条項のもつ最大の副作用である。

本来行政のなすべきことは医療態勢の充実でなければならないが、ここで露呈したものは、日本の医療の脆弱さである。にもかかわらず、行政はコロナ禍の蔓延を国民の行動に転嫁しようとしているのだ。行政も自治体も、これまでの医療行政の怠慢を率直に認めた上で、たらざるところに国民の協力をお願いするという真摯な姿勢を貫かねばならない。国民・都民からの信頼薄い安倍・小池である。至難の業であることを肝に銘じなければならない。

なお、この間の厖大なコロナ関連報道の中で見えてきたものがある。感染症予防策とは、臨床医療とはまったくの別物だということである。両者は、相補う関係であるよりは、どうやら相反するものであるらしい。専門家には常識なのかも知れないが、門外漢にはこのことの自覚が重要ではないか。

感染症予防が保護対象として関心をもつのは個人ではなく社会である。未罹患者も患者も、個人は統計上のサンプルとして扱われる存在に過ぎない。常に、社会防衛のためには個人の犠牲は甘受せざるを得ないと割り切られる危険を背負っている。政策としてのコロナ対策も、感染症予防に力点を置きすぎると、患者を切り捨てる弊害を招きかねない。安倍や小池のやることである。常に、批判の視点が必要なのだ。

感染症予防には、社会全体としての利益の最大化が大切なので個人の犠牲は些事であるという匂いを感じる。社会の多数者の生き残りと対処こそが大切なので、そのための施策で患者個人に不利益があったとしてもやむを得ないとする。

臨床診療は、医療従事者の目の前にある患者個人の生命と健康の救済が課題のすべてである。この患者を見捨てることは許されない。

今回のような緊急時に、両者の矛盾が露わとなる。
陽性患者となったあるタレントが、自覚症状発現後PCR検査を受けるまでの経過が次のように報道され、身近な人がこう語っている。
https://lite-ra.com/2020/04/post-5352.html(リテラ)

 「3月21日に発熱があり医師の指導で2日間自宅待機、その後25日に仕事復帰。26日に味覚障害・嗅覚障害があったことから、以降仕事をキャンセルし自宅待機。その後4月1日にCTで肺炎の診断、ようやくPCR検査を受け、3日夜に陽性が確認された。」
〈先週、味がしない・匂いがしないの症状が出て、26日木曜日から仕事を休んでいます。〉〈そこから病院に診察に行っても、コロナ検査をしてもらえず。自分で保健所に電話しても、その症状だけだと検査してもらえなくて。でも、不安で、今週水曜日、いくつめかの病院で、頼み込んで頼み込んで頼み込んで、ようやく検査してもらえました。やっとです。発熱して、体温が高ければ検査してもらえたのかもですが、これが一番怖いです。検査してもらえない。〉

感染症対策は、大量患者の観察から検査規準を設定して、規準該当者だけを要PCR検査対象とし、この規準からはずれた者は敢えて検査対象としない。検査態勢が脆弱で数的限界があるからでもあり、あるいは、規準からはずれた厖大な者までを検査対象とすることは、コストパフォーマンスの視点から効率的ではないと割り切るのだ。

さらに、検査対象を拡大することによる陽性患者の大量輩出には診療態勢が追いつかないのだから、検査対象は絞り込まざるを得ないことになる。医療行政は得てしてこのような視点に立ちやすい。

ここには、近代社会が克服したはずの優生保護思想や社会ダーウィニズムと通底する反人権的な考え方がひそんでいる。社会として持続するに必要なだけの生命の確保は必須だが、その余の犠牲はやむを得ないとするものである。

医療従事者にも、感染症対策の専門家にも、そして医療行政にも政治家にも、決して国民の命の選別は許されない。今こそ、その当然の道理について、声をあげなければならない。
(2020年4月6日)

《惨事便乗型政治》に警戒を

「ショック・ドクトリン」《惨事便乗型資本主義》と訳される。「ショック=大惨事」が多くの人を震えあがらせる事態に付け込む経済政策を批判的にいう。権力が国民を震えあがらせてその意思を貫徹することでもあり、資本主義の歪みが大きな惨事の際に増幅されて顕在化することでもある。

多くの人の心理的な不安に付け込もうという輩は、この世に満ちている。惨事便乗型悪徳商法、惨事便乗型政治手法、火事場泥棒的な改憲提案や立法策動が絶えることはない。惨事が蔓延する非常事態には、常にも増して為政者に欺されぬよう警戒が必要である。市民の側に、「ショック・ドクトリン」への耐性が必要なのだ。

コロナウイルス禍は、今や陽性者が増加し、死者も増えている。多くの人に危機意識が募っている。これは、戦時を除けば、滅多にない惨事であり非常事態である。このようなときにこそ、身構えよう。この危機意識に付け込まれてはならない、非常事態宣言がなされたとして、すべてを行政に委ねてはならない。口を封じられてはならない。批判を続けなければならない。

一昨日(4月3日)の毎日新聞夕刊『特集ワイド』が、「この国はどこへーコロナ禍に思う」シリーズとして島田雅彦のインタビュー記事を掲載している。

彼の危機感は、こう整理されている。
<新型コロナウイルスの政治利用例
 1 検査をせず感染者数を抑え、対策は万全とアピール
 2 政府の無為無策隠し
 3 対策に乗じた関係企業への利権誘導
 4 経済政策失敗の隠蔽
 5 議員に感染即国会中止
 6 緊急事態宣言、大政翼賛復活 
服従は悪への加担。抗議するなら今のうち>

そして、島田はこうも言う。
「安倍政権は数の論理にあぐらをかいて、(自衛隊の中東派遣など)国の重要方針を閣議決定だけで決め、国家予算にしても私的な乱用が目立ちます。ナチス・ドイツや米ブッシュ政権もそうでしたが、政治が密室化し、限りなく独裁に近い状態です」。
《何をやってもヨイショしてくれるマスメディア、不正を常に不起訴にしてくれる検察、逮捕されそうな仲間を助けてくれる警察(中略)、これだけ揃えば……》

コロナ禍なくしてこのとおりなのだ。いま人びとの危機感高まりつつあるこの非常時には、「挙国一致」「国家総動員」などという国民統合への同調圧力が強まることになろう。その最悪の事態が、島田雅彦も言及する「緊急事態宣言⇒大政翼賛復活」である。

既に悪質な右派勢力から、「今、悠長に議論を重ねているときではない」「政党同士が角突き合わせている時期ではない」「政府が効率よく果敢なコロナ対策ができるよう環境を整えなくてはならない」という、大政翼賛型政治を望む論調が出始めている。

大政翼賛政治が政府の専横を許し、国の方針を誤らしめ、国民を塗炭の苦しみに陥れたことを忘れてはならない。

「ショック」たる事実を冷静に正確に受けとめて議論を重ねることで、政府の恣意的な専横を許容する「ドクトリン」を防ぐことが可能となる。「ショック・ドクトリン」の成果として、大政翼賛型政治を許してはならない。また、そのような議論と対決しなければならない。
(2020年4月5日)

再度のお願いです。森下俊三NHK経営委員長の辞任を求める署名にご協力を ー (転載・拡散のお願い)

放送法を踏みにじり、NHKの番組制作を妨害した
森下俊三氏のNHK経営委員辞任を求める署名運動
へご協力ください

民主主義と国民の知る権利を大切とお考えの皆さまに再度のお願いです。
下記URLを開いて、ネット署名をお願いいたします。
http://bit.ly/2TM7pGj

あるいは、http://bit.ly/33gfSETから、署名用紙をダウンロードしていただき、郵送での署名をお願いいたします。

 NHKこそは国内最大の影響力を誇るメディアです。かつては、天皇制国家の統制に服する存在として「大本営発表の伝声管」の役割を果たしましたが、戦後は国家や時の政権から独立し、資本の支配も受けないという、「公共放送」となりました。権力ではなく、主権者国民がこれを監視し育ててゆかなければなりません。

 しかし、問題だらけの安倍政権は、一貫して経営委員人事を通じてのNHKへの介入を画策してきました。ご存じのとおり、NHKの最高意思決定機関が経営委員会です。その12名の経営委員全員が安倍首相の任命によるもので、互選による経営委員長が森下俊三氏。NTT出身で阪神高速道路会長だった財界人。これがとんでもない人物。この人の経営委員辞任を求める署名活動を始めています。念のためですが、経営委員長辞任ではおさまらない。経営委員を辞めなさい、ということなのです。

辞任を求める直接の理由は、この人の露骨な番組制作の妨害行為。明らかな、放送法違反の違法行為です。この人の「クローズアップ現代+」の番組潰しが、到底経営委員としての資格を認めがたいのです。

「クローズアップ現代+」は2018年4月に、日本郵政の悪徳商法を番組に取りあげました。日本郵政は、職員に過酷なノルマを課し、詐欺同然のやり方でかんぽ保険等の不正販売を続けてきたのです。NHKの現場スタッフは、これ以上の消費者被害を出さぬよう、視聴者に警告を発する立派な番組を制作し放送しました。そして、その上で続編の制作に向けて取材を続けていました。

ところが、あろうことか、当時NHK経営委員会の委員長代行であった森下俊三氏は、さらなる不正の発覚を恐れた日本郵政の不当な要求を取り次いで、「クロ現+」の番組の取材と編集に露骨に干渉し、続編の制作を妨害する発言をしたのです。信じがたい経営委員としての任務違背の違法行為。彼の頭の中のNHKとは、上命下服の指揮系統だけの存在で、政治的権力や社会的強者、あるいは不正不当を批判するジャーナリズムの神髄への理解は皆無なのです。

そもそも「放送法」は、番組の制作と経営とを分離し、経営委員が個別の番組の編集に関与したり、干渉したりする行為を禁じています。にもかかわらず、森下氏は「クロ現+」が続編制作のための取材を続けていたことを知りながら、経営委員会の席上その取材方法を公然と非難する発言を行い、上田良一会長(当時)への厳重注意決議を成立させるまでして、番組制作を妨害しました。

その森下氏が現在のNHK経営委員長ですが、当時の行為についての反省はありません。事実関係の大筋は認めながら、「放送が終わった番組について感想を述べたまでで、干渉はしていない」と開き直っています。ことここに至っては、森下氏の経営委員としての不適格は明らかであるだけでなく、このような郵政への忖度志向人物が、政権から独立したNHKの姿勢を堅持できるとは、到底考えられません。

以上のとおり、森下氏はNHK経営委員長としてばかりか、NHK経営委員としても不適格であることは明らかですから、私たちは、NHKの自主自律、番組編集の自由を守るために、森下俊三氏に、経営委員の辞任を求めます。

署名運動の要領は、以下のとおりです。
*署名の第一次集約日:2020年月4月5日(日)
第一次集約分を4月7日11時半に経営委員会事務局と面会し提出の予定です。
第二次集約日:4月30日(木)必着
*署名は用紙かネットのいずれかでお送りください。
・用紙の郵送先:
〒285-0858 千葉県佐倉市ユーカリが丘2?1?8
佐倉ユーカリが丘郵便局留
「森下経営委員の辞任を求める署名運動の会 醍醐 聰」宛て
署名用紙のダウンロードは→ http://bit.ly/33gfSET から。
*ネット署名: http://bit.ly/2TM7pGj
<以下はネット署名です>のところに記入して「送信」をクリック。
メッセージもお願いします。
*この署名に関するお問い合わせは、
メール:kikime3025-dame18@yahoo.co.jp へ
**************************************************************************
NHK経営委員長
森下俊三 様

放送法を踏みにじり、NHKの番組制作を妨害した森下俊三氏の
NHK経営委員辞任を求めます

呼びかけ団体
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日本郵政は職員に過酷なノルマを課し、詐欺同然のやり方でかんぽ保険等の不正販売を続けてきました。2018年4月、NHKの「クローズアップ現代+」はこの件を取り上げて視聴者に警鐘を鳴らすとともに続編の制作に向けて取材を続けていました。
ところが、あろうことか、当時NHK経営委員会の委員長代行であった森下俊三氏は、さらなる不正の発覚を恐れた日本郵政の不当な要求を取り次いで、「クロ現+」の番組の取材と編集に露骨に干渉し、続編の制作を妨害する発言をしていた事実が明るみに出ました。
そもそも「放送法」は、番組の制作と経営とを分離し、経営委員が個別の番組の編集に関与したり、干渉したりする行為を禁じています。にもかかわらず、森下氏は「クロ現+」が続編制作のための取材を続けていたことを知りながら、経営委員会の席上その取材方法を公然と非難する発言を行い、上田良一会長(当時)への厳重注意決議を成立させるまでして、番組制作を妨害したのです。
現在、森下氏はNHK経営委員長に就任していますが、当時の行為についての反省はなく、「放送が終わった番組について感想を述べたまでで、干渉はしていない」と強弁し、居直っています。ことここに至っては、森下氏の経営委員としての不適格は明らかと指摘せざるを得ません。
そこで、私たちは森下俊三氏に以下のことを求めます。

森下俊三氏は直ちにNHK経営委員を辞任すること

私は上の求めに賛同し、以下のとおり署名します。
氏  名      住     所

(2020年4月4日)

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