澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

最高裁と都教委の応援団・産経社説を批判する

7月19日最高裁「再雇用拒否」判決に、朝日が素早く反応した。翌20日の社説「君が代判決 強制の追認でいいのか」。次いで毎日が22日付で続いた。「君が代『再雇用拒否』判決 行政の裁量広げすぎでは」という的確な判決批判の内容。

そして本日(7月23日)、案の定判決肯定の社説が出た。案の定産経である。しかも案の定、ネトウヨ諸君と兄たりがたく弟たりがたい紋切りの論調。ご紹介の上、批判的な解説を試みたい。以下、赤字が産経社説。青字が私の解説文である。

タイトル 「不起立教員」敗訴 国旗国歌の尊重は当然だ
最高裁は、朝日・毎日に批判され、産経には「当然」と褒められる判決を言い渡したのだ。ことはナショナリズムないしは国家主義イデオロギーに関する問題。深刻に自らの立ち位置をよく考えねばならない。やがて、何を言っても「どうせ産経のお仲間だろう」と耳を貸してもらえなくなる。それは、民主主義の危機であり、国民の不幸の事態である。

 国歌斉唱で起立しなかった教職員に対し、定年後の再雇用を拒否した東京都の判断について、最高裁が合法と認めた。当然の判決である。
 「合法と認めた」は正確ではない。「著しく合理性を欠くものであったということはできない」「違法であるとは言えない」が正しい。判決内容を正確に把握していないのだから、「当然の判決」は意味をなさない。

 国旗、国歌に敬意を払わない者が教師としてふさわしいか、考えるまでもない。その地位を与え続けるべきでもない。
 これは暴論。「考えるまでもない」とは、「問答無用」ということ。原告側教師の言い分を聞く耳はもたないということでもある。これでは困るのだ。意見の違う相手の言い分にも、耳を傾けてもらわねばならない。とりわけ「ネトウヨならぬ大新聞」の立場であればこそ。産経が、「国旗、国歌に敬意を払わない者に教師としての地位を与え続けるべきではない。」ということには戦慄を覚える。これは、天皇にまつろわぬ者を非国民とした戦前の苦い記憶、あるいは共産主義者を非米活動として糺弾したマッカーシズムを想起させる。非寛容の社会、一元的な国家主義で染め上げられた窮屈な社会の到来を危惧せざるを得ない。

 訴えていたのは都立高校の元教職員22人だ。東京都教委は卒業式や入学式の国歌斉唱時、国旗に向かい、起立して斉唱するよう、校長を通じ教職員に職務命令を出している。
 事実経過はそのとおり。「職務命令」とは、公権力による公務員に対する強制のこと。職務命令の効果として、何をどこまで強制できるか、公務員側から見ていかなる義務があるかはけっして自明ではない。教科とされているもの授業を行うべき義務があることは当然のことだ。それは、教育が自然科学や人文・社会科学において確認された真実の体系を次世代に継授する営みである以上、教員の本質的責務である。しかし、価値感や信仰についての教育、あるいはイデオロギーについての教育が強制されてはならないし、教員にはそのような強制に応ずべき義務もない。
 国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明を正しいとする価値感は、信仰と同じでこれを受容できる者もあり、受容し得ない者もある。公立校の生徒は、多様な価値観を尊ぶべき教育を受ける。そのような教育を実践する教員に、「国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明を正しいと思え」「思えなければ、教職から去れ」と言ってはならない。それは、既に価値感や思想を統制する社会なのだから。

 元教職員らは在職中、これに従わずに減給や戒告処分を受け、定年後の再雇用選考に申し込んだが、不合格などとされた。1審は都教委の対応が「裁量権の範囲の逸脱・乱用にあたる」などとして賠償を命じ、2審も支持した。背景には、国旗を引きずり下ろすといった妨害行為をしたわけではなく、1?2回の処分などで再雇用を拒否するのは酷だという考えがある。
 1・2審判決の考え方は、形式的には「再雇用を拒否するのは酷」だというものだが、実質的には、価値感や思想の統制に対する強い警戒感がある。日本国憲法の19条(思想・良心の自由)、20条(信教の自由)、21条(表現の自由)、13条(個人の尊厳)などが、裁判官に「日の丸・君が代」強制を肯定しがたいとしているのだ。

 しかし、最高裁は不起立について「式典の秩序や雰囲気を一定程度損なうもので、生徒への影響も否定できない」と指摘し、1、2審の判断を覆した。門出などを祝う重要な節目の行事で、一部教職員が座ったままの光景がどう映るか。生徒らを顧みず、教職員個人の政治的主張や感情を押しつけるもので、教育に値しない行為だ。
 そもそも、卒業式に国旗・国歌(日の丸・君が代)斉唱がどうして必要なのか。かつての文部省の調査では、外国での類似例としては中国・北朝鮮・韓国の3か国しか挙げられなかった。
 歴史的に、日の丸・君が代がはたした役割に否定的な意見を抹殺してはならない。国旗国歌の強制がもつ国家主義イデオロギーは克服されなければならない。

 起立・斉唱の職務命令を「強制」などと言い、相変わらず反対する声がある。しかし、国旗と国歌を尊重するのは国際常識であり、強制とは言わない。
 これは、明らかに論理としておかしい。職務命令は「強制」以外のなにものでもない。国旗国歌を尊重するか否かと、国旗国歌に敬意表明の行為(起立・斉唱)を強制することとは、まったく次元を異にする問題。たとえ、国旗国歌を尊重すべきだとの意見をもっていても、強制はすべきでないとするのが、保守の良識というものだろう。

 自らの思想・良心・信仰のゆえに、国旗・国歌(日の丸・君が代)への強制に服することができないという教員が存在するのが健全な社会。誰も彼もが、国旗・国歌(日の丸・君が代)大好きの社会を国家主義の蔓延した統制社会という。そんな社会、そんな産経好みの国家はおそらくは中・朝の2か国くらいではないか。
 なお、付言しておきたい。国旗と国歌の強制は国際常識に反すること、国家体制が変われば国旗国歌も変わるのが常識であることも。かつての三国同盟の盟友だったナチス・ドイツと、ファシスト・イタリア。敗戦によって体制を変え、それに伴って国旗も国歌も変えた。これが常識。現代日本が、いまだに当時の軍国日本の国旗国歌をそのまま使用しているのは、国際常識からはドイツがハーケンクロイツを掲げているようにも見えるのだ。

 最高裁は別の訴訟でも、都教委の職務命令は「思想、良心を直ちに制約するものではない」などとして合憲の判断を示している。
 さすがの最高裁も、都教委の職務命令をまったく問題がないと言っているのではない。「思想、良心を直ちに制約するものではない」とは、「直ちに」とまでは言えないということなので、間接的な思想・良心に対する制約になることは認めているのだ。最高裁判決の当該部分をそのまま引用する。
「個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」
このまだるっこしい判決の解説は、当ブログの下記を参照されたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=10649

 国旗掲揚や国歌斉唱に反対する一部教職員らに対し、校長らは大変な苦労を重ねてきた。
 産経は、どうして一部校長の立場にしか立てないのだろうか。多くの教職員から見れば、「執拗に国旗掲揚や国歌斉唱の強制を企図する、文部省や独立性を放擲した各都府県の教委、そしてこれに迎合する一部校長らによって大変な苦労を重ねざるを得なかった」のである。

 平成11年には広島県で校長が自殺する痛ましい事件が起き、これを契機に「国旗国歌法」が制定された。
 校長の自殺が痛ましい事件であることはそのとおりだ。たかが、国旗・国歌(日の丸・君が代)で人の命が奪われるようなことがあってはならない。問題の根源は、大日本帝国憲法時代の旧天皇制とあまりに深く結びついた旗と歌を、いまだに国旗・国歌(日の丸・君が代)としていること、これを教育の場で強制していることにある。国旗国歌法をつくり、職務命令で強制するのは、面従腹背の教員を増やすだけで、ますます問題を深刻化ることになる。

 職務命令を出すのは、指導に反対して式を混乱させる教職員がいまだにいるからだ。
 都立校に国旗国歌強制のなかった時代。式の混乱はなく、それぞれに工夫を凝らした感動的な式典が行われていた。10・23通達と職務命令によって、生徒を主人公とする卒業式は失われた。それが実態なのである。

それほど国歌が嫌いなら公教育を担う教職につかないのも選択肢だ。
そら出た。これが、挙国一致、尽忠報国派のホンネだ。公立学校の教員には、多様な人材がいてしかるべきなのだ。日の丸・君が代の歴史は、国家主義・戦争・軍国主義・思想統制とともにあったのだから、敬意表明はできないという教員がいてこそ、真っ当な教育の場ではないか。

 都の中井敬三教育長は「今後も職務命令違反には厳正に対処する」とした。それを貫いてもらいたい。
 私は、最高裁が間違った判断をしていると思う。私だけでなく、真っ当に法律を学んだ者の多くが同じ意見だと思っている。しかし、その最高裁も都教委の国旗国歌強制を結構なことだといってるのではない。行政の裁量の範囲の問題としてギリギリのところでセーフとしているに過ぎない。都教委は国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制をあらためるべきである。

東京五輪を控え、先生に国旗や国歌の大切さを教えなければならないのでは、情けない。
 国旗・国歌(日の丸・君が代)問題と向かい合っている教員は、真摯にものを考えている。処遇上のさまざまな不利益を覚悟して、自分の思想や教員としての良心を貫こうとしている人たちがいることに、感動もし、教育に希望をもつこともできる。
 その反対に、何もものを考えず、権力や多数派の圧力に迎合する輩を、心底「情けない」と思わずにはおられない。
(2018年7月23日)

代替わりの宗教行事は天皇家の私事だ。けっして、国家行事としてはならない。

遠い神代の昔のことだ。高天原という神々の世界があった。その高天原には八百万の神々がおったが、ここも階級社会じゃった。エライ神もあり、えらくないも神もあって、いろいろでな。その神々のトップが、アマテラスという太陽の神で、この神は女性であったという。

この女神様、やや情緒不安定なところがあってな。弟のスサノオの乱暴に取り乱して、引きこもってしまわれた。その引きこもり先が天岩戸というところじゃった。アマテラスが天岩戸に引きこもると、世に陽の光が失われて真っ暗になってしまったという。神の住む高天原だけでなく、人の住む葦原中国までもだ。日照がなくなれば農業は壊滅だ。当然、みんな困った。

あわてた多くの神々が天安河原で臨時の集会を開いて善後策を協議した。アマテラスといえば高天原のリーダーだ。そのリーダーに使命感のないことが露呈したのだから、「アマテラス糺弾」「リーダー失格」の意見も出たはずだが、議事録は隠蔽され、後世には廃棄されて残っていない。伝えられているのは、堅固な天岩戸の岩盤をこじ開けて引きこもりのアマテラスを実力で外に連れ出した作戦の成功だけだ。

と言って、ドリルが用意されたのではない。この作戦のために、鏡と勾玉が作られた。賢木を根ごと掘り起こし、枝に勾玉と鏡とを懸けて真榊として飾った。岩戸の前に舞台装置ができあがると、アメノウズメが、いかがわしいダンスを披露して、座を盛り上げる。その周りで神々がヤンヤの大騒ぎ。天岩戸の中のアマテラスはいぶかしんだ。「外は真っ暗でみんな困ってると思ってたら、楽しそうにはしゃいでいるみたい。何で?」と、岩戸の扉を少しだけ開けて外を見た。

これに外から語りかける。「あなたより貴い神が現れましたので、みんな喜んでいるのです」。「えー。うっそー。そんなことありえないじゃん」「いいえ、ウソではありません。これをご覧ください」。差し出された鏡に映った自分の姿を見たアマテラス。「これが新たに現れたというライバルか。なんだ、大したものではなさそうじゃん。だけどもっとよく見せて」と、岩戸を開けて身を乗り出そうとしたところを、隠れていた力自慢のタヂカラオがその手をむんずとつかんで岩戸の外へ引きずり出した。で、世は再び、明るくなったそうな。

ところで、乱暴者のスサノオは高天原を追放されてな、出雲の国に降った。そして、その地を荒らしていた怪物八岐大蛇を退治する。前科のあるムチャクチャな乱暴者が、一躍ヒーローになった。退治した大蛇の尻尾から一振りの剣が出てきたとされておる。

天岩戸神話に出てくる鏡と勾玉、スサノオ神話に出てくる剣。この三つが、今度は天孫降臨神話に顔を出す。アマテラスは、記念にとっておいた鏡と勾玉の埃を払い、弟から取り上げた剣の錆を落として三品を揃え、「天壌無窮の神勅」とともにこれを孫のニニギの門出に贈ったのだ。これが、皇位のシンボルとされる、三種の神器の謂われだ。こうして、三種の神器は万世一系の皇位を支える「天壌無窮の神勅」とセットになり、国体イデオロギーを可視化するシンボルとなった。

周知のとおり、高天原から降臨したニニギの末裔が、初代天皇の神武。高千穂山麓から「悪者たち」を切り従えつつ東征して、大和橿原の地で皇位に就いたとされる。以来、万世一系の皇位が当代まで125代継承されていることになっている。三種の神器も常に皇位とともにあったと語り伝えられている。

何しろ、「王家」の物語である。これを記述する文書課の公務員は、王に忖度を重ねなければならない。王の権威を盛るために、やたらにカッコウをつけて難しく、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)、「八咫鏡」(やたのかがみ)、「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)などと名付けた。ネーミングにさしたる意味はないが、剣は武力の、鏡は宗教的権威の、勾玉は経済力の象徴として分かり易い。この3者が王権成立の3要素だったのだろうから。

「昔話しはこれでお終い」とはならないところがチト面倒なのだ。来年(2019年)の天皇の代替わり行事に、以上の神話が大きく関わってくる。

代替わり行事として、まずは「剣璽等承継の儀」なるものが予定されている。「剣・璽」とは、神器のうちの剣と勾玉のこと。「等」とは、国璽と御璽を指す。

古来、「剣」と[璽]は常時天皇の側に置かれていたという。オバマやトランプの来日時、核のボタンの入ったトランクを持参していることが話題になった。核大国の核戦力を掌握している人物であることの象徴である。世界を威嚇しつつ、移動しているのだ。「剣」と[璽]の持参も同じ発想。こちらはもう少し年期が入って、イデオロギー誘導装置として精巧なものとなっている。

天皇の「代替わり」にあたって、この「剣」と「璽」とを、前天皇から新天皇へ移す儀式が、戦前の「登極令」における「剣璽渡御の儀」。これに「国璽」(国印)と「御璽」(天皇印)を加えて「剣璽等承継の儀」。

結局のところ、「剣」と「璽」との承継は一面神話の再確認にほかならない。これは、信仰の世界の物語り。世界は神が7日で作りたもうた。イブはアダムのあばらぼねから生まれた。当然に信仰は自由である。しかし、信仰は飽くまでも私事の世界。天皇も、純粋に私事として行うべきであって、天皇の国事行為や国家行事として行ってはならない。のみならず、三種の神器の神話が天壌無窮神勅とセットになっていることが最大の問題である。天皇制を基礎づけるすべての神話・信仰は、公権力と関わりを持ってはならない。これが、日本国憲法が定める政教分離の神髄である。

天皇は敗戦後いち早く、自ら「人間宣言」をした。自らは神ではなく、自らを神とする法や政治や制度と一切の関わりをもたないことで、その地位を保持したのだ。目本国憲法は天皇の政治的権能のすべてを剥奪し、再び神に戻さない歯止めとして政教分離の規定をおいたのだ。時代を旧に復してはならない。代替わり儀式における天皇再神格化のたくらみを許してはならない。

おとぎ話だから目くじら立てるほどでもない、なんて暢気なことを言っているうちに、天皇制が国政にも社会意識にも食い込んでくる。天皇の権威を利用した施策が当たり前になってくる。日の丸も、君が代も、元号も逆らえないようになってくる。これに徹底して抗わねばならないと思う。主権者国民が天皇制の呪縛から自らを解き放ち、自律性・主体性を自覚的に獲得するチャンスではないか。
(2018年7月22日)

今国会を締めくくる言葉 ― 「憲政史上最悪の国会」「国民を愚弄するにも程がある」

第196通常国会が、昨日(7月20日(金))事実上閉会した。思い起こせば、アベ政治の醜態極まれりという、「憲政史上最悪の国会」。これでいよいよアベ政権も終わりかと思わせる事態は何度もあった。が、膿にまみれ満身創痍となりながらも、アベ政権は持ちこたえた。内閣支持率は下げ止まり、やや上昇の傾向さえ見せている。アベ政治を許し、アベを政権の座にから追い落とせない、これが日本の民主主義の水準なのだ。

本日の朝日は、「通常国会、事実上閉会」「森友・加計など疑惑解明置き去り」「政権の強引さ、際だった」「野党『憲政史上、最悪の国会』」の見出しで、こう報じている。

 公文書が改ざん、廃棄され、「ない」とされた文書が見つかる。答弁のうそが明らかになる。国会審議の前提は根底から覆された。過労死を招きかねないと指摘された制度やギャンブル依存症が増えかねないカジノ新設を認める法律も野党の反対を押し切って成立。安倍政権の国会軽視が際立つ通常国会だった。

 巨大与党に少数野党。野党が提出した内閣不信任決議案が否決されるのは目に見えている。それでも憲法に基づいた手続きであることには変わりない。
 立憲民主党の枝野幸男代表が不信任案の趣旨説明をしている最中、安倍晋三首相は隣の閣僚と談笑した。「何笑ってんだよ」。野党席からヤジが飛んだ。「憲政史上、最悪の国会になってしまった」。枝野氏は2時間43分にわたった趣旨説明をこう締めくくった。

毎日新聞は、「政府強引、国会に禍根」「森友・加計、疑惑解明至らず」「働き方・参院6増・カジノ… 重要法熟議なく」とよく似た見出しで、今国会をこう総括している。

 通常国会は20日に事実上閉会した。学校法人「森友学園」「加計学園」を巡る問題で、政府・与党は疑惑解明に後ろ向きな姿勢を取り続け、真相究明には至らなかった。約半年にわたった国会論議が深まることはなく、与党は働き方改革関連法や参院定数を「6増」する改正公職選挙法など、問題を数多く抱える法を熟議なく強引に成立させた。政府が提出する法案や行政機関に対する立法府としてのチェック機能に課題を残した。

 立憲民主党の枝野幸男代表は20日の衆院本会議で、安倍内閣不信任決議案の趣旨説明を2時間43分にわたって行った。枝野氏は、不信任の理由は「数え切れないほどある」としたうえで、森友・加計学園問題など7点を挙げて「この国会は民主主義と立憲主義の見地から憲政史上最悪の国会になってしまった」と批判した。

そして、東京新聞。本日(7月21日)の社説が、厳しく力のはいったものとなっている。

国会あす閉会 政権の横暴が極まった

通常国会があす閉会する。与党は延長会期中、国民への影響が懸念される「悪法」の成立を強行する一方、森友、加計問題の解明にはふたをしてしまった。安倍政権の横暴が極まったのではないか。

 あす会期末を迎える通常国会はきのう事実上閉会した。実質的な最終日、与党が成立を図ったのがカジノを中核とする統合型リゾート施設(IR)整備法案だった。
 そもそも刑法が禁じる賭博を一部合法化する危険性や、ギャンブル依存症患者を増やす恐れがある法案だ。地域振興や外国人の集客に本当に役立つのか、審議を通じても疑問は解消されない。法案成立後に政令などで決める事項が約三百三十項目にも上る。そんな法案を成立させていいのか。
 延長国会の期間中、西日本を豪雨が襲い、二百人以上が亡くなった。猛暑の中、多くの被災者が生活再建を急ぐ。避難生活を余儀なくされている方は依然多い。
 生活再建や復旧、復興に向けた策を練り、法の不備を補い、予算を確保することこそが、国会が優先すべき課題ではなかったか。
 しかし、会期末の限られた時間は安倍政権が優先した「カジノ法案」の審議に費やされ、寸断された道路や鉄道、堤防が決壊した河川を所管する石井啓一国土交通相が答弁に追われた。災害対策より賭博か、との批判が出て当然だ。
 西日本豪雨では、気象庁が厳重警戒を呼び掛けた五日夜、自民党議員が「赤坂自民亭」と題する宴会を開き、安倍晋三首相や小野寺五典防衛相らが参加していた。
 豪雨発生時から緊張感を持って災害対応に当たっていたのか、疑問を抱かせる振る舞いだ。
 与党は延長国会で参院議員定数を六増やし、比例代表の一部に優先的に当選できる「特定枠」を導入する改正公職選挙法も成立させた。法律が求める抜本改革に程遠く、「合区」対象選挙区で公認漏れした自民党現職議員の救済策にほかならない。こんな制度をつくり、恥じることはないのか。
 森友学園をめぐる問題では財務省の公文書改ざんが明らかになり、佐川宣寿前国税庁長官による国会での偽証も指摘されている。加計学園は愛媛県に嘘(うそ)をついたと主張する。国民の多くが疑念を抱くのに、与党はなぜ事実を解明しないのか。政治権力を集める首相や官邸への配慮なのか。
 国会で多数を占めれば、何をやっても許される。政権がそんな考えで国会を運営したとしたら、国民を愚弄するにも程がある。

確かに、数を恃んだアベの横暴の国会。しかし、当初はこの国会に「憲法改正原案の発議」がなされる恐れが報じられていたのだ。1か月余の会期を延長してなお、今国会に憲法改正原案の発議はできなかった。衆参両院の憲法審査会も実質審議の場となっていない。そもそも、自民党案さえ確定に至っていない。

 昨夕、安倍晋三は、通常国会の実質閉会を受けて、官邸で記者会見し、改憲について「九月の自民党総裁選で大きな争点になる」と強調した。自民党がまとめた自衛隊明記など改憲四項目の条文案に関しては「(各党間で)取りまとめを加速すべきだ」と述べ、与野党に発議に向けた議論を呼び掛けた。と報道されている。

何度でも繰り返したい。改憲派にとっては、「アベが総理総裁でいるうち、改憲派の議席が両院ともに3分の2を超えているうち」が千載一遇のチャンスなのだ。
「アベが失脚する」か、「改憲派の議席が衆参のどちらかで3分の2を割る」ことになれば、改憲の危機は遠のくことになる。

アベ政権は、今国会で悪法成立の強行と引き換えに、「憲政史上最悪の国会」「国民を愚弄するにも程がある」との酷評にも晒されているのだ。アベ改憲の阻止は、十分に可能と考えられる。
(2018年7月21日)

最高裁は、憲法を正しく理解していない。

昨日(7月19日)、「日の丸・君が代強制」問題での新たな最高裁判決があった。後世に、最高裁の汚点として記憶されるべき判決。

運動体が「再雇用拒否撤回第二次訴訟」と名付けている元都立校教員(当初原告数24人)が、都教委を被告として、定年後の再雇用拒否の撤回を求めた訴訟。1・2審判決は、いずれも再雇用拒否を違法として、都教委に総額5370万円余の損害賠償の支払いを命じていた。最高裁はこれを逆転して、原判決を取消し教員の請求を棄却した。5370万円余の損害賠償認容を、ゼロにしたのだ。

1審東京地裁の担当裁判官が3名、2審東京高裁の裁判官が3名、合計6名関与の結論を最高裁第1小法廷5人の裁判官が覆した。少数意見なく、補足意見すらないことが不気味と言わざるを得ない。

虚心に1・2審の判決を読んでいただけば、誰にでも納得しうる無理のない論理。なにしろ、日の丸・君が代関連以外は、どんな懲戒処分を受けた教員も殆どすべてが再雇用合格となっていたのだ。日の丸・君が代に関連して処分歴のある教員だけが、明らかに狙い撃ちにされて不合格となった。いくらなんでも、これは露骨でひどすぎる。「再雇用の要件として多種多様の勤務態様の要素をまったく考慮せず、日の丸・君が代処分歴だけで全員不合格としているのは、再雇用制度の趣旨にも反し、客観的合理性と社会的相当性を欠くもので裁量権の逸脱・濫用に当たる」というのが結論。

最高裁がこれを覆した「論理」は薄弱というほかない。再雇用の採否も、再雇用合格に必要な勤務成績評価の仕方も、行政裁量の範囲にあるというだけで、1・2審の判決理由と具体的に切り結ぶところはない。

最高裁判決の不気味は、人権や教育の本質から説き起こす姿勢が皆無なところにある。人権や自由、教育者の思想・信条・良心・信仰、あるいは教育行政の教育への不当な支配禁止等の原則は語られず、これに代わって語られているのは、「学校の儀式的行事としての式典の秩序や雰囲気」への過剰な尊重である。

人権より公序、自由よりも秩序、個人よりも国家、個よりも全体を優先する姿勢が露骨である。多様な価値観の共存を認めようとしない最高裁の憲法判断は明らかに偏っている。最高裁は憲法を正しく理解していないというほかはない。

この5人の最高裁裁判官の中に2人の「弁護士出身裁判官」がいる。裁判長を務めた山口篤と木澤克之。山口は「弁護士枠」での採用でありながら日弁連推薦を受けた者ではない。また、木澤は周知のとおり加計孝太郎の立教時代の同級生で加計学園の元監事。その経歴を隠していた人物。最高裁裁判官の人選から納得がいかない。

救いは、朝日が本日(7月20日)付で気合いの入った立派な社説を書いてくれたこと。その社説と、昨日付の「原告団・弁護団声明」を引用しておきたい。

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君が代判決 強制の追認でいいのか

 憲法が定める思想・良心の自由の重みをわきまえぬ、不当な判決と言わざるを得ない。
 入学式や卒業式で君が代が流れる際、起立せずに戒告などの処分を受けた都立高校の元教職員22人が、それを理由に定年後の再雇用を拒まれたのは違法だと訴えた裁判で、最高裁はきのう原告側の敗訴を言い渡した。

 理由はこうだ。
 再雇用はいったん退職した人を改めて採用するもので、その決定にあたって何を重視するかは、雇う側の裁量に任される。原告らが不合格となった06?08年度当時は、希望者を全員再雇用する運用もなかった――。

 物事の本質に踏みこまない、しゃくし定規な判断に驚く。
 戦前の軍国主義と密接な関係がある日の丸・君が代にどう向きあうかは、個人の歴史観や世界観と結びつく微妙な問題だ。
 二審の東京高裁はその点を踏まえ、「起立斉唱しなかっただけで、不合格とするような重大な非違行為にあたると評価することはできない」と述べ、都教委側に損害賠償を命じていた。この方が憲法の理念に忠実で、かつ常識にもかなう。

 原告たちが長年働いてきた教育現場から追われたのと同じ時期に、都教委は、別の理由で減給や停職などの重い処分を受けた教職員を再雇用した。さらに年金制度の変更に伴い、希望者を原則として受け入れるようになった13年度からは、君が代のときに起立斉唱せず処分された人も採用している。
 都教委が一時期、教職員を服従させる手段として、再雇用制度を使っていたことを示す話ではないか。そんな都教委のやり方を、きのうの判決は結果として追認したことになる。
 最高裁は11年から12年にかけて、日の丸・君が代訴訟で相次いで判決を言い渡している。起立斉唱の職務命令自体は憲法に反しないとしつつ、「思想・良心の自由の間接的な制約となる面がある」と述べ、戒告を超えて減給や停職などの処分を科すことには慎重な姿勢を示した。再雇用をめぐる訴訟でも、教委側の行きすぎをチェックする立場を貫いて欲しかった。

 個人の尊厳を重んじ、多様な価値観を持つことを認めあう。そういう人間を育て、民主的な社会を築くのが教育の使命だ。そして、行政や立法にそれを脅かす動きがあれば、権限を発動してストップをかけることが、司法には期待されている。

 その両者が役割を果たさなければ、社会から自由や多様性は失われる。この判決を受け入れることができない理由である。

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声 明

1 本日、最高裁第一小法廷(山口厚裁判長)は、都立高校の教職員ら24名が、卒業式等において「日の丸」に向かって起立して「君が代」を斉唱しなかつたことのみを理由に、東京都により定年退職後の再雇用職員ないし非常勤教員としての採用を拒否された事件(平成28年(受)第563号損害賠償請求事件)について、教職員らの請求を一部認容した控訴審東京高裁判決(2015年12月10日)を破棄して、教職員らの請求を全面的に退ける不当判決を言い渡した。
2 本件は、東京都教育委員会(都教委)が2003年10月23日付けで全都立学校の校長らに通達を発し(10.23通達)、卒業式等において国歌斉唱時に教職員らが国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することを徹底するよう命じ、これに従わないものを処分するとして、「日の丸・君が代」の強制を進める中で起きた事件である。
 本件の教職員らは、それぞれが個人としての歴史観・人生観や、長年の教師としての教育観に基づいて、過去に軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきた歴史を背負う「日の丸・君が代」自体が受け入れがたいという思い、あるいは、学校行事における「日の丸・君が代」の強制は許されないという思いを強く持っており、そうした自らの思想・良心から、校長の職務命令には従うことができなかった。
 ところが、都教委は、定年等退職後に再雇用職員あるいは非常勤教員として引き続き教壇に立つことを希望した教職員らに対し、卒業式等で校長の職務命令に従わず、国歌斉唱時に起立しなかったことのみを理由に、「勤務成績不良」であるとして、再雇用を拒否したのである。
3 本件において、2015年5月25日の東京地裁判決は、本件再雇用拒否が、国歌斉唱時に起立斉唱しないという行為を極端に過大視しており、都教委の裁量権を逸脱・濫用した違法なものであるとして、東京都に対し、採用された場合の1年間の賃金に相当する金額、合計で約5370万円の損害賠償を命じ、さらに、同年12月10日の東京高裁判決においても、その内容は全面的に維持された。
4 ところが、今回の最高裁判決は、その控訴審判決を破棄し、教職員らの請求を全面的に棄却したものである。
今回の最高裁判決は、東京都の再雇用・再任用手続きにおける裁量につき、あくまで「新たに採用するものであって」などと言いなして極めて広範な裁量を認め、不起立があれば「他の個別事情のいかんにかかわらず」不合格の判断をすることも許されるとした。
最高裁判決は、事件当時において9割を超える高い率で再雇用・再任用がなされていたこと、雇用と年金の連携の観点から原則として採用すべきとされていたことなど、本件における具体的な事実関係を踏まえて検討することをせず、一般的・抽象的な行政の裁量権を是認して第1審及び控訴審における教職員勝訴の判断を覆した。行政の主張に無批判に追随する判決内容であり、司法権の使命を放棄した判決と言わざるを得ない。
5 わたしたちは、このような最高裁の不当な判決に対し、失望と憤りを禁じ得ない。
 教師が教育行政からの命令で強制的に国旗に向かって立たされ、国歌を歌わされ、自らの思想良心も守れないとき、生徒たちにも国旗や国歌が強制される危険がある。
 都立学校の教育現場で続いている異常事態に、皆様の関心を引き続きお寄せいただき、教育に自由の風を取り戻すための努力に、皆様のご支援をぜひともいただきたい。
 
2018年7月19日

「日の丸・君が代」強制反対再雇用拒否撤回を求める第二次原告団・弁護団

(2018年7月20日)

《健全なカジノ事業》とはいったい何のことだ?

自民党としてお願いしたい。名は体を表すと思われているではないか。「カジノ実施法案」とか「カジノ推進法案」では人聞きが悪い。聞こえのよいように「IR法案」と言ってもらいたい。あるいは「統合型リゾート整備法案」とね。

えっ? IRでは何のことだか分からない? 正確な法案名は、「特定複合観光施設区域整備法案」さ。もっと正確に言えば、既に成立した「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」にもとづいて、これを実施するための具体化法案。余計に分からなくなった? そこが付け目なんだが、分かり易く本質を衝いたネーミングだと、「民間賭博経営解禁法案」というべきなんだろうな。あるいは、「ギャンブル依存症蔓延法案」かな。本当のことを言っちゃあ、身も蓋もないけどね。

今日(7月19日)参院の内閣委員会を強行突破したから、この悪評さくさくの法案も何とか成立に持ち込めそうだ。

反対派の皆さん、この法案に目を通したことがおありかな。第1条に立派な目的が書いてある。立派すぎて少し恥ずかしいが、よく読んでいただきたい。だが、いかにも長い。読んでるうちに分からなくなる。実はそれが狙いなのだが、少しでも読み易いように、体裁を整えて改行してみよう。

第1条(目的)
この法律は、
 我が国における人口の減少、国際的な交流の増大その他の我が国を取り巻く経済社会情勢の変化に対応して我が国の経済社会の活力の向上及び持続的発展を図るためには、国内外からの観光旅客の来訪及び滞在を促進することが一層重要となっていることに鑑み、
 特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律(平成二十八年法律第百十五号。以下「推進法」という。)第五条の規定に基づく法制上の措置として、
 適切な国の監視及び管理の下で運営される《健全なカジノ事業》の収益を活用して、《地域の創意工夫》及び《民間の活力》を生かした特定複合観光施設区域の整備を推進することにより、
 我が国において国際競争力の高い魅力ある滞在型観光を実現するため、
 特定複合観光施設区域に関し、国土交通大臣による基本方針の作成、都道府県等による区域整備計画の作成、国土交通大臣による当該区域整備計画の認定等の制度を定めるほか、カジノ事業の免許その他のカジノ事業者の業務に関する規制措置、カジノ施設への入場等の制限及び入場料等に関する事項、カジノ事業者が納付すべき国庫納付金等に関する事項、カジノ事業等を監督するカジノ管理委員会の設置、その任務及び所掌事務等に関する事項その他必要な事項を定め、
 もって『観光及び地域経済の振興に寄与』するとともに、『財政の改善に資する』ことを目的とする。

 お分かりかな。キーワードはいくつもあるが、メインとなるのは《健全なカジノ事業》だ。《倫理観にあふれた自民党議員》とか、《忖度しない官僚》と同様の、矛盾・撞着ゆえにあり得ない概念。カジノとは、賭博のことだ。〈健全な賭博〉とは、そりゃいったい何だ、という疑問はもっともだ。

しかし、この法案の目的にあるとおり、「我が国を取り巻く経済社会情勢の変化」は待ったなしなのだ。これまでの常識では生き抜いていけない。賭博が不健全だという常識の間違いに気付かなければならない。《倫理観にあふれた自民党議員》がいるはずもないという常識も疑っていただきたい。

資本主義の今の時代、自分のカネをどう使おうと自由ではないか。何を買おうと、どこに投資をしようと、誰に寄付をしようと、ドブに捨てようと、文句を言われる筋合いはない。ならば、賭博に金を投じるのも非難されることではないだろう。そりゃ、自己責任の世界のこと。

賭博が何も生み出さないのは明らかだ。全財産を失う奴も出てくるだろう。借金漬けの問題もある。暴力団の資金源にもなり得るし、社会の風俗は乱れ、勤労意欲は確実に低下する。もしかしたら、一日パソコンに張り付いているデイトレーダーとカジノに入り浸りで一攫千金を夢みる若者が社会にあふれるかも知れない。でも、それでどうだというんだ。資本主義的自由とはそんなものだろう。個人も社会も、堕落する自由がある。自由民主党の「自由」とは、搾取の自由だけではなく、堕落の自由も意味しているのさ。

強調したいのは、この評判の悪い「民間賭博経営解禁法案」を推進しているのは、自民党だけではないこと。まずは仲間の公明党だ。「平和の党・福祉の党」と言っていたこともあったようだが、今は昔の看板だけ。公明党の国交大臣が先頭に立ってやっていることは、戦争のための辺野古新基地の建設と、このギャンブル依存症製造の賭博解禁法案の推進だ。どちらもまことに公明党に担ってもらうのにお似合いの任務ではないか。そして大阪に賭博場誘致を目論む維新も強固な推進派だ。

もっとも、こんなに評判の悪い法案にアベ自民党がどうしてこだわっているのか。いくつも理由はあるのだが、アメリカからの指示が大きい。もともとアメリカは、自民党筋のご主人様だし、日本外交の失敗から、アベ総理はトランプに大きな借りを作ってしまっている。そのトランプのスポンサーがアメリカのカジノ業界。そのご意向には逆らえない。だから、「今回のカジノ実施法案によって、歴史上初めて民営賭博を合法化しようとしている」のだ。売国奴と言われたり、民意に耳を傾けないとさんざんだが、またまた、「丁寧にご説明申しあげる」と言うあの手で、きっと切り抜けられるさ。なにしろ、有権者の怒りは持続しないんだものね。

(2018年7月19日)

いかなる団体も、そのメンバーの思想・信条・良心を蹂躙することは許されない。

本日(7月18日)の毎日新聞夕刊社会面に、「『政治連盟自動加入は違憲』栃木の税理士会員 宇都宮地裁」の記事。

「税理士会に入っているだけで政治団体「栃木県税理士政治連盟(栃税政)」に加入させられ、憲法で保障された思想・信条の自由を侵害されたとして、宇都宮市の税理士が栃税政を相手取り、会員でないことの確認などを求める訴訟を宇都宮地裁に起こした。」「(7月)18日に第1回口頭弁論が開かれた。」

がリードに当たる。かなり長文で、しっかりした内容の記事。さすが毎日、記者のレベルは立派なもの。

末尾に「政治資金に詳しい税理士の浦野広明・立正大客員教授の話」が掲載されている。

「納税者の権利擁護は、税理士本来の努めなのだから、税制改革についてはそもそも税理士会として主張すべきだし、それ以外の政治活動は任意だと明確に区別すべきだ」というコメントは、まさに正論。

問題はこんなところだ。私は弁護士。弁護士として業務を行うには自治組織である弁護士会に所属してその指導監督に服さなければならない。この点、医師会とは大きくちがって、全員加盟制なのだから、弁護士会の方針が気に入らないからと言って、事実上脱退の自由はない。その弁護士会が、弁護士の地位や福利を増進するための立法運動が必要だとして、あるいは弁護士会の会務をスムースに進行させるためには、普段から政治家たちとの付き合いが必要だとして、政治献金をするための特別会費を徴収する決議を上げたとする。なんと言っても、力のあるのは与党だ。私の大嫌いな安倍晋三の自民党には応分の献金が必要になるだろう。

すると、私の懐から強制的に徴収された私のカネが、弁護士会の会計を経由して、私の大嫌いな自民党の財布にまでもっていかれることになる。とんでもないことだと腹を立てても、弁護士会をやめるわけにはいかない。

さてこの政治献金のための特別会費は、支払いを拒否できるのだろうか。それとも、多数決の決定には従わざるを得ないのだろうか。

税理士会の政治献金問題については、南九州税理士会事件(牛島税理士事件とも)最高裁判決がある。至極真っ当なものだ。

南九州税理士会政治献金事件・第3小法廷判決(1996年3月19日)

南九州税理士会に所属していた牛島税理士が、政治献金に充てられる「特別会費」を納入しなかったことを理由として、会員としての権利を停止された。これを不服として、会の処置を違法と提訴した事件で、最高裁判所は、税理士会が参加を強制される組織であることを重視し、税理士会による政治献金を会の目的の範囲外と認定した。つまり、政治献金の強制徴収はできないのだ。

以下の理由の説示が注目される。

「特に、政党など(政治資金)規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。なぜなら、政党など規正法上の政治団体は、政治上の主義若しくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり、これらの団体に寄付することは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題だからである」

この点、立派な判決と言ってよい。

私の問題整理の視点は、「団体の意思形成が可能か」「形成された団体意思が構成員を拘束できるか」と意識的に局面を2層に分けて考える。前者が団体意思形成における手続上の「民主主義」の問題で、後者が不可侵の「人権」の問題。「民主的な手続を経た決議だから全構成員を拘束する」とは必ずしも言えないのだ。いかに民主的に決議が行われたとしても、そのような団体意思が構成員個人の思想・信条・良心・信仰などを制約することは許されない。そういうことなのだ。

最高裁は、結論としてこう述べている。

「前記のような公的な性格を有する税理士会が、このような事柄(政治団体に対して金員の寄付をするかどうか)を多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできないというべきであり、税理士会がそのような活動をすることは、法の全く予定していないところである。税理士会が政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をすることは、たとい税理士に係る法令の制定改廃に関する要求を実現するためであっても、税理士会の目的の範囲外の行為といわざるを得ない。」

どんな団体も、その団体が結成された目的(厳密に定款や規約に書いてあることに限られない)の範囲では広く決議や行為をなしうる。が、構成員の思想・信条・良心・信仰を制約することはできない。最高裁は、「政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をすること」は、構成員の思想・信条を制約することから、税理士会の目的の範囲外の行為といわざるを得ない。」と判断したのだ。

既にこういう判決があるのだから税理士会は、「政党支部や政治家の選挙事務所に寄付」をするための原資を税理士会で徴収することはできないと悟り、別組織として政治団体「栃木県税理士政治連盟(栃税政)」を作ってこれに肩代わりさせたのだ。その肩代わり組織が、実は全税理士に対する強制加入だったとすれば、形だけの繕いで脱法を試みたというに過ぎない。

栃税政の年会費は1万円。その支払い義務をめぐる攻防とだけ見れば、手間暇と費用を投じて訴訟を提起することは到底採算のとれることではない。

思想・信条・良心の問題としてとらえ、社会的同調圧力の跋扈を嫌い、政治的風土をつくり変えていこうという志あれはこその提訴である。原告と、受任弁護士に拍手を送りたい。
(2018年7月18日)

野村修也懲戒。橋下徹の責任をこそ思い起こそう

野村修也という弁護士がいる。もともと商法の研究者で中央大学法科大学院教授とのこと。特例弁護士(「司法試験に合格し司法修習を終えた者」以外の弁護士)として、2004年に第二東京弁護士会に登録されている。その野村弁護士が、本日(7月17日)二弁から懲戒処分を受けた。業務停止1か月である。

私は、この人と面識はなく、恩も怨みもない。だから、個人的な感情を交えずに、感想を率直に述べることができる立場にある。そのような立場の一弁護士としてこの懲戒処分に一言申し述べておきたい。

この懲戒請求事案が、「懲戒」の結論となったことをまずは喜びたい。これが、「懲戒しない」の結論となっていたら、弁護士会の明らかな失態であったろう。弁護士に対する世人の信頼は大きく揺らぎ、弁護士とは所詮その程度のものかと見られることになったに違いない。
もっとも、処分の量定は軽きに失した感がある。また、懲戒請求から処分まで約6年を要したことは、いかにも遅いとの印象。もっと迅速に懲戒すべきであったろう。

経過の概要の理解のために、簡にして要を得た日経記事を引用する。

「大阪市が職員に回答を義務付けた組合活動に関する記名式のアンケート調査を巡り、第二東京弁護士会は17日、市特別顧問として調査を担当した野村修也弁護士を業務停止1カ月の懲戒処分にしたと発表した。
 同会によると、野村弁護士は2012年1月に市特別顧問に任命され、市職員の違法行為を調べる第三者調査チームの責任者としてアンケートを実施。組合活動の有無や政治家の応援への参加歴などを尋ねたことが、団結権やプライバシー権、政治活動の自由などの基本的人権を侵害していると認定し、弁護士の「品位を失うべき非行」に該当すると判断した。野村弁護士は同会に対し、「当時は必要かつ有益な調査だった」と弁明したという。
 調査は当時の橋下徹市長が職務命令で回答を義務付け、正確に答えない場合は処分対象になりうるとした。大阪府労働委員会が「(組合活動への)支配介入に該当する恐れがある」と調査の一時停止を勧告し、市も調査を凍結。アンケートは未開封のまま廃棄された。
 調査を巡っては、市職員や労働組合が提訴し、プライバシー権や団結権の侵害を認めて市に賠償を命じる判決が確定している。」

「市職員や労働組合が提訴し」た大阪市に対する国家賠償請求事件は大阪高裁判決で確定している。その判決を報じる毎日新聞の記事を引用しておく。野村は、1審では、責任を認められていたが、控訴審では責任を免れたのだ。

毎日新聞(2015年12月17日)

「職員アンケート5問違法、大阪市に2審も賠償命令

 橋下徹・大阪市長の指示で市が職員約3万人を対象に実施した、労働組合や政治活動への関与など22問に記入するよう義務付けたアンケートをめぐる訴訟の控訴審判決が16日、大阪高裁であった。中村哲裁判長は1審・大阪地裁に続き、設問のうち5問を違法と判断。国家賠償法に基づき、市に対し、原告の職員29人と5労組に1審のほぼ倍額の約80万円を支払うよう命じた。
 判決によると、1審と同様、22問のうち5問について、憲法が保障する団結権やプライバシー権を侵害したと認定。プライバシー権侵害を認定されていた「特定の政治家を応援する活動に参加したか」「特定の選挙候補者の陣営に知人を紹介するカードを配られたか」の2問については新たに「橋下市長が労組の政治的関与を非難する発言を繰り返す中、地方公務員法に抵触しない範囲でできる政治的行為を萎縮させる」と判断。「政治活動の自由と団結権も侵害した」と認定した。
 一方、橋下市長から依頼されて設問を作成した市特別顧問(当時)の野村修也弁護士については、「アンケートの作成と実施に関与した『公務員』というべきだ」と指摘。「個人として民事上の賠償責任は負わない」とし、賠償責任を認めた1審判決を覆した。

弁護士は、人権擁護を職責とする。クライアントの依頼内容が人権侵害を伴うときには、依頼者を説得し指導しなければならない。人権感覚を欠いた大阪市長からの依頼を受ける以上は、市長を説得し指導する覚悟がなければならない。野村に、十分なその覚悟があったか。

そして、改めて橋下徹の責任を思い起こさざるをえない。当然、維新は同罪である。野村よりは、橋下の責任が大きい。野村の不運は、何の覚悟もないままに、橋下徹というクライアントに迎合したことにある。アンケートという名の思想調査は3万人の職員に強制されていた。その強制は橋下徹によって行われたのだ。

野村弁護士懲戒に際して、あらためて橋下徹が6年前に何をしたのかを思い起こしたい。下記が、橋下が市長として市職員3万人にアンケート調査に応ずべきことを指示した通知である。

2012年2月9日

職員各位

アンケート調査について

 市の職員による違法ないし不適切と思われる政治活動、組合活動などについて、次々に問題が露呈しています。
 この際、野村修也特別顧問のもとで、徹底した調査・実態解明を行っていただき、膿を出し切りたいと考えています。
 その一環で、野村特別顧問のもとで、添付のアンケート調査を実施いただきます。
 以下を確認の上、対応よろしくお願いします。
1)このアンケート調査は、任意の調査ではありません。市長の業務命令として、全職員に、真実を正確に回答していただくことを求めます。
 正確な回答がなされない場合には処分の対象となりえます。
2)皆さんが記載した内容は、野村特別顧問が個別に指名した特別チーム(市役所外から起用したメンバーのみ)だけが見ます。
 上司、人事当局その他の市役所職員の目触れることは決してありません。
 調査票の回収は、庁内ポータルまたは所属部員を通じて行いますが、その過程でも決して情報漏えい起きないよう、万全を期してあります。
 したがって、真実を記載することで、職場内でトラブルが生じたり。人事上の不利益を受けたりすることはありませんので、この点は安心してください。
 また、仮に、このアンケートへの回答で、自らの違法行為について、真実を報告した場合、懲戒処分の標準的な量定を軽減し、特に悪質な事案を除いて免職とすることはありません。
 以上を踏まえ、真実を正確に回答してください。
以上

??? 大阪市長 橋下徹

このアンケート調査強行のあと、2012年中に4回にわたり計656人から、野村弁護士に対する懲戒請求があったという。二弁は、回答を強制されたアンケート調査が、職員の団結権、プライバシー権、政治活動の自由の侵害等、憲法や労働組合法に違反する内容が含まれていたと認定し、野村について「弁護士の品位を失うべき非行」に当たると判断したが、これは橋下徹の責任をも認めたに等しい。

公権力を用いて職員の思想調査を強制する人物が、大阪府知事にもなり、この事件後も大阪市長として再選され、いまだに社会的発言を続けている。本来は、大阪市民、大阪府民が橋下や維新を選挙で裁くべきだったのだ。それができないままの民主主義の現状を嘆かざるを得ない。
(2018年7月17日)

最低賃金のアップは、韓国社会を揺るがす大事件なのだ

昨日(7月15日)から今日の各紙が、韓国の最低賃金アップを報道している。来年(2019年)度の最低賃金額が、時給8350ウオン(約835円)になる模様とのこと。19年1月から全国一律に施行される。その引き上げ率は10.9%。今年に続く二桁台となったことに瞠目せざるを得ない。同国の全国民こぞって歓迎であるはずはないが、なるほど政権が代わるということはこういうことなのだ。

この最賃引き上げは、文在寅の大統領選出馬に当たっての主要公約の一つだった。2020年には、最低賃金を時給10000ウオンにするというのだ。当時(17年)の最賃が6470ウォン。これを3年で55%引き上げるという公約。

その後の推移は以下のとおり。
  2017年 6470ウォン
  2018年 7530ウォン(16.4%増)
  2019年 8350ウォン(10.9%増) 予定
  2020年 未定

もちろん、賃金は労使の交渉で決まるのが本筋である。しかし、労使の交渉に任せておくだけでは、交渉力極めて脆弱な最底辺労働者の困窮が避けがたい。そこに労働条件の最低規準を保障する社会政策的な保護の施策が必要となる。それが、労働基準法であり、最低賃金制度である。労働条件の最低規準をどう定めるか。それは、その社会における労働者階層の政治意識の成熟度と政治的力量如何による。

「ひろばユニオン」(18年5月号)「韓国最賃事情と労組の活動(上)」(金美珍)によると、最賃のアップは、韓国労組全体の取り組みとなっているとのことで、けっして文政権が独走しているのではないという。「18年1月からの最賃(時給7530ウォン)引き上げによって全賃金労働者の18%、約277万人が直接影響を受けると推定される。主に若年層、60歳以上の高齢層、女性、非正規労働者がこれに含まれる。」という。大統領の支持が揺るがないはずだ。

東京都の現在の最低賃金は、時給958円。17年10月1日に引き上げられているが、引き上げ幅は26円。率にして2.79%である。韓国の最賃引き上げ率は、東京の5倍となるわけだ。かなり無理な引き上げではないか、との思いが先に来る。社会に歪みをもたらしている面も多々あるのでは。もちろん、雇用の機会を狭めているとの批判も免れないだろう。それにしても、底辺の労働者にはこの上ない朗報。

金美珍記事はこう解説している。

? 18年の最賃額はなぜ大幅に引き上げられたのか?
? その背景としてまず、17年に誕生した文在寅(ムン・ジエイン)政権による新たな経済政策パラダイムヘの転換があげられる。当選直後から、文政権は経済不平等の克服を重要な政策課題と提示し、「人が中心となる国民成長の時代を開く」ため「所得主導の成長」を主要経済政策の方向として打ち出した。
? 「所得主導の成長」とは、質の良い仕事を提供することで家計の所得と消費を増やし、これが企業の生産と投資の増大、ひいては国家経済の健全な成長につながるという好循環経済のビジョンである。

文大統領は、選挙期から「2020年最低賃金1万ウォン(約1千円)」を公約として掲げ、政権交代後にも「所得主導の成長」の核心政策として最賃引き上げを強調し、家計所得の増大を試みている

なるほど、アベノミクスとは正反対の発想。大企業と富者が儲かるように経済をまわせば、いずれは底辺の労働者にも、おこぼれがまわってくるというトリクルダウン論はとらない。真っ先に、最底辺の労働者の賃金を押し上げることで経済全体の活性化をはかろうというのだ。日韓、まったく逆の実験が進行していることになる。これなら、韓国の民衆は、自分たちの政府、自分たちの政権と考えることができるだろう。日本の大企業が、安倍政権を、自分たちの政府、自分たちの政権と考えている如くに。

韓国の最大紙「朝鮮日報」日本語版(7月15日23時11分)を引用しておこう。

「韓国の最低賃金10.9%引き上げへ、事実上1000円超」

2019年度の韓国の最低賃金が今年より10.9%(820ウォン)高い時給8350ウォン(約829円)に決定された。大多数の勤労者に支給が義務付けられている週休手当も含めると、最低賃金は1万30ウォンとなり、1万ウォンの大台を超える。

 最低賃金委員会は14日未明、雇用者側の委員9人全員が欠席したまま、世宗市で第15回会合を開いた。月給換算では174万5150ウォン(月174時間労働、週休手当含む)で、現在よりも17万1380ウォン上昇する。

 会合には公益委員9人、韓国労働組合総連盟(韓国労総)所属の労働者側委員5人の計14人のみが出席し、公益委員が示した案(8530ウォン)と労働者側が示した案(8680ウォン、15.2%引き上げ)をそれぞれ採決した結果、公益委員案を採択した。公益委員案は8票、勤労者委員案は6票を獲得した。最低賃金委で雇用者側の委員全員が欠席したまま、最低賃金が決定されたのは1991年以来27年ぶりだ。

 最低賃金委によると、今回の引き上げで、来年には韓国の勤労者の4人に1人(25%)に相当する500万5000人の賃金が上昇する。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権が発足した昨年時点で6470ウォンだった最低賃金は2年間で29.1%上昇する計算になる。最低賃金委の統計を見ると、最低賃金が6470ウォンだった昨年にも勤労者全体の13.3%は法定最低賃金を受け取れていない。こうした中、最低賃金が2年で29.1%も引き上げられたことで、最低賃金を支払えない企業、結果的に違法状態に追い込まれる事業者が続出しかねないとの指摘もある。

この最低賃金増額が、韓国の経済社会を揺るがす大問題であることがよく分かる。経済が、政治的強制だけでまわるものではなかろうが、トリクルダウンではなく、ボトムアップをスターターとする実験。この成り行きを見守り、そして学びたいものと思う。
(2018年7月16日)

沖縄に突きつけられている理不尽と「オール沖縄」

沖縄県が防衛局申請のサンゴ移植を許可したことが、私の参加する複数のメーリングリストに紹介され、賛否の意見が飛び交っている。

昨日(7月14日)の琉球新報記事は以下のとおり。
「県、サンゴ採捕許可 防衛局申請 食害対策条件付き 反対市民が5時間抗議」
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-761509.html

「米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、県水産課は13日、埋め立て予定海域にある絶滅危惧種のオキナワハマサンゴ9群体を別の場所に移植するため沖縄防衛局が申請していた特別採捕を許可した。防衛局は食害対策のかごを設置してから14日以内にサンゴを移植することになる。ただ、かごの設置には、さらに県の同意が必要としている。移植されれば工事が進み、知事の承認撤回の方針に「逆行する」との批判の声も上がっている。
 今回許可した希少サンゴは2月に特別採捕が許可された後、食害の跡が見つかって不許可になり、防衛局は3月20日と4月5日に再申請した。県が許可の判断を防衛局に伝えた13日、工事に反対する市民が県庁を訪れ、約5時間にわたって県水産課に抗議した。
 県は防衛局の食害対策を妥当と判断した。県水産課の粟屋龍一郎副参事は「ずっと審査して説明要求もした。内容を精査した結果、許可に至った」と述べた。
 防衛局は辺野古海域で約7万4千群体のサンゴを移植対象とし、準絶滅危惧種のヒメサンゴ1群体や小型サンゴ約3万8760群体や大型サンゴ22群体なども、移植のための特別採捕を申請している。

沖縄タイムス記事は、以下のとおりだ。
「埋め立て海域の「オキナワハマサンゴ」採捕、沖縄県が許可 辺野古新基地」
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/283504

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡って、翁長雄志知事は13日、埋め立て海域で見つかった「オキナワハマサンゴ」9群体を別の場所に移植するため、沖縄防衛局が申請していた特別採捕を許可した。翁長知事はこれまで、採捕許可を新基地建設を阻止する権限の一つとして掲げてきており、工事に反対する市民らが「埋め立ての進展につながる」と県に強く抗議した。移植されれば来月中旬以降にも始まる埋め立てが加速する可能性が高い。
 許可したのは環境省の絶滅危惧種リストに掲載されているハマサンゴで、防衛局は3月20日に1群体、4月5日に8群体の採捕許可を申請していた。
 移植期間は、防衛局が移植先にサンゴを保護するための籠を設置してから2週間。週に2回モニタリングし、県に報告することなどを条件とした。
 県の担当者は、許可の可否を判断する標準処理期間の45日を大幅に経過した理由について、「希少なサンゴで知見もなかった。申請内容にも疑問があり、防衛局に説明を求め、その回答内容の精査に時間を要した」と答えた。
 日本自然保護協会の安部真理子主任は「移植に適さないと専門家からの提言があったにもかかわらず、なぜそれを無視する形でサンゴの産卵期にあたる今、許可を出したのか」と疑問を呈した。

琉球新報と沖縄タイムスの両記事。ずいぶんと印象が異なる。
見出しだけだと、「反対市民が5時間抗議」とした琉球新報記事が、辺野古新基地反対派の立場から県の許可に批判的な印象となっている。しかし、琉球新報記事の内容は、「県は十分な技術的検討を行った結果、サンゴ保護策に格別の支障がないとの結論に至ったから、移植許可やむなしとなった」と思わせるものとなっている。

これに対して、沖縄タイムス記事は、見出しこそ穏当だが自然保護団体の「移植に適さないと専門家からの提言を無視する形でサンゴの産卵期にあたる今許可を出した」との意見の紹介が、鋭い県政への批判となっている。

県の真意ははかりがたい。確かに、行政処分である以上は、他事考慮は許されず、環境保護の施策として万全であるなら、許可はやむを得ない。しかし、「当該サンゴは移植に適さないと専門家からの提言があった」ということとなると、話しはちがってくる。少なくとも、その「専門家からの疑念」が払拭されるまで許可を留保すべきではなかったか。

たまたま本日(7月15日)糸数慶子参院議員にお話を聞く機会があって、率直に質問してみた。当然に、「この時期に許可を出すべきではなかったのではないか」とのニュアンスが滲む質問となった。そして、「オール沖縄としては、どうお考えか」が聞きたいところ。

回答は、必ずしも歯切れのよいものではなかった。翁長知事の健康問題が生じて以来、知事と沖縄選出国会議員団との意見交換の機会が十分に持てていないということでもあった。そうか、質問先がまちがっているのだ。県の判断なのだから、糸数さんにではなく、県の担当者に聞いてみなければならない。「オール沖縄」は一体という思い込みがそもそもの間違い。

「オール沖縄」は、保革の溝を超えて作られた微妙な政治的連合体だ。今、米・日政府の理不尽に対して、「辺野古新基地を造らせない」との一致点での統一戦線。安保についても、自衛隊についても、あるいは運動スタイルについても、意見さまざまな幅の広い党派やグループが参加している。「オール沖縄」が翁長県政を支えているとはいえ、「オール沖縄」が県の方針を決めているわけでも指導しているわけでもない。

それでも、思い出す。今年6月23日沖縄慰霊の日の「沖縄全戦没者追悼式」における翁長知事の「辺野古新基地はつくらせない」という決意を。来賓の安倍を睨みつけるごとき眼差しを。

糸数さんの講演も、11月知事選挙への翁長知事再出馬への期待に収斂するものだった。そして、本土の人々への我が事として捕らえなおしていただきたいという訴え。耳が痛い。何ができるだろうか。何をなすべきだろうか。

いま、私たちがなすべきことは、沖縄にこの理不尽を押しつけている安倍政権を掘り崩すことなのだろう。北朝鮮危機を煽り、「国難選挙」で掠めとった自民党の議席が、沖縄を苦しめ、憲法の危機を招いている。沖縄県政や「オール沖縄」との連帯とは、「アベ政治を許さない」との声を上げ続けること以外にはないように思う。
(2018年7月15日)

いよいよ沖縄県が辺野古の埋立承認撤回へ

昨日(7月13日)の沖縄タイムスが次のとおり報道している。

辺野古の承認撤回は土砂投入前に 沖縄県、8月初旬を軸に調整
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/282950

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄防衛局が8月17日に予定する埋立土砂の投入より前に、県が埋め立て承認を撤回する調整に入ったことが12日、分かった。土砂投入の重要局面を前に、翁長雄志知事の最大の権限となる撤回に踏み切り工事を停止させる考えで、8月初旬の撤回表明を軸に検討が進んでいる。複数の関係者が明らかにした。
 知事が撤回を表明した後は沖縄防衛局の意見を聞き取る「聴聞」の期間が設けられ、その後に撤回の手続きが取られる。翁長知事が2015年に埋め立て承認を取り消した際には表明から聴聞を経て29日後に正式に取り消され、撤回の場合も表明から数週間の手続き期間が必要となる。
 辺野古に反対する市民や労働組合、政党などでつくる「オール沖縄会議」は土砂投入に抗議する県民大会を8月11日に那覇市内で開催を予定。市民団体からは県民大会までに撤回のアクションを起こすよう求める声が強まっている。
 県はこれまで承認撤回の理由として「環境保全の不備」「設計変更の必要性」「承認の際の留意事項への違反」の3分野での国の対応の不備を指摘してきた。
 11日には県環境部が絶滅の恐れがある動植物のリスト「レッドデータおきなわ」を12年ぶりに改訂し、辺野古の建設予定地に生息する複数の海草藻類を追加。海草藻類を移植しないまま工事を進めることが撤回の理由となる可能性もある。
 一方で、県は撤回前に工事中止命令を検討した経緯もあり、撤回は翁長知事の高度な政治判断で行われるため表明の時期は流動的な側面もある。

辺野古の新基地建設反対運動に注目して報道を追っている者以外には、『辺野古の承認撤回』が分かりにくい。再度になるが、行政行為における《『撤回》の意味を確認しておきたい。

問題になっている《撤回》とは、仲井眞弘多・前沖縄県知事が、国に与えた「海面の埋め立て申請に対する『承認』」の《撤回》である。仲井眞前知事がした「承認」を、後任の翁長知事が《撤回》しようということなのだ。

辺野古新基地建設のためには、大浦湾を埋め立てねばならない。しかし、公有水面の勝手な埋立てが軽々に認められてよいはずはない。公有水面埋立法は、公有水面の「免許」を知事の権限とし、「国土利用上適正且合理的ナルコト」「埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」その他の諸要件を満たさない限り、「免許してはならない」と定める。

国が埋立工事をする場合については、特に「国ニ於テ埋立ヲ為サムトスルトキハ当該官庁都道府県知事ノ承認ヲ受クヘシ」(同法42条1項)と定める。つまり、国が海面の埋立をしようとする場合でも、県知事の「承認」が必要なのだ。

仲井眞弘多・前沖縄県知事は2013年12月27日付で、辺野古移設に向けての国の埋め立て申請に「承認」を与えた。先に、翁長知事は、この「承認」に瑕疵があったとして、「承認」を「取り消し」た。すなわち、「もともとしてはならない違法な承認だったから取り消す」としたのだ。取り消されれば、承認は遡及して効力が消滅し、はじめから承認はなかったこととされる。

紆余曲折は省略するが、国は「翁長知事の承認取消こそ違法」として、県に対して「承認取消を取り消せ」という是正を指示し、これに従わない県に対して行政訴訟(国の是正指示に従わない不作為の違法確認訴訟)を起こした。残念ながら翁長知事の「承認取消」は最高裁まで争って違法とされ、法的には決着が着けられた。

「承認取消」が通らなければ、これに代わる「承認撤回」で行こう、というのが運動体の中から提案されている。これが《撤回》の意味。

もともとすべきでなかった間違った承認について遡って効力をなくするのが「承認取消」であるのに比して、承認のときの違法はともかく現時点では承認すべきではなくなっているのだから今の時点から承認の効力をなくするというのが「承認の撤回」。

翁長知事自身も、何度か「承認撤回を必ずやる」と発言しているが、その実行はまだない。法的手段としては、言わば奥の手である。これを繰り出して、敗れればあとがないことにもなりかねない。やるからには、絶対に勝てる自信のもてる準備が必要で、慎重を要する。
常識的には、「承認時以後の事情変更」「承認時には知り得なかった違法事由」を特定して立証しなければならない。運動論としてはともかく、「承認取消」で敗訴している以上、法的には明確な根拠が必要なのだ。とはいえ、8月17日辺野古に土砂搬入と期限が切られた以上は、奥の手の使用を躊躇してはおられまい。

迂闊な《撤回》は、国側からの「承認撤回の取消を求める」訴訟提起に持ちこたえられない。これに関して、最近明らかになった知見として、埋立予定海域の活断層の存在とマヨネーズ状の地盤軟弱性の疑いが、撤回の根拠となり得るのではないかと、話題になっている。新基地周辺の建物高さ制限違反にならぬよう設計変更の問題もある。

本日(7月14日)たまたま、事情に詳しい白藤博行専修大教授(行政法)から、短時間ながらこの件について、私の理解で大要次のようなお話しを伺う機会があった。

授益処分(申請者から見れば「受益処分」)の撤回は、軽々になしえないというのが行政法上の常識的理解。しかし、それは飽くまで一般国民の利益の剥奪はできないという権力行使抑制の原則からの結論で、国が当事者となっている場合にまで、同じように考える必要はない。国が、一私人と同じ立場で権利主張をしていることがそもそも妥当ではない。行政法は、権力主体である国と国民とを峻別しているのだから。

有効な撤回の理由としては、取消処分後の後発的事情が必要。いくつも考えられるが、裁判所が認めやすいものとして、「承認の際の留意事項への違反」「国が県の指導に従っていないこと」が有力ではないか。

現地の沖縄タイムスは、「辺野古問題、再び法廷へ 8月にも承認撤回 留意事項への違反理由か」という解説記事を掲載している。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/283044

名護市辺野古の新基地建設を止める最大の手段となる翁長雄志知事の埋め立て承認撤回の時期が、8月17日予定の土砂投入前に絞られてきた。環境保全や前知事の埋め立て承認の条件とされた留意事項への違反などを理由に撤回される見通しだ。一方で、国は撤回の効力を停止する手続きなど対抗措置を執ることが予想され、辺野古問題は再び法廷闘争へと発展することになる。

ようやくできた民意を反映する県政が、国の強引な権力発動に蹂躙されようとしている。これが民主主義だろうか。裁判所には、司法本来の役割を期待したい。

(2018年7月14日)

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