澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「私は捏造記者ではありません」 ー 植村(札幌)訴訟結審

植村隆元朝日新聞記者が、櫻井よしこらを訴えた名誉毀損損害賠償請求訴訟(札幌地裁)が先週の金曜日(7月6日)に結審した。判決言渡は11月9日の予定。原告・弁護団そして支援者は意気軒昂である。

櫻井よしこや西岡力らは、産経や週刊文春、WiLLなどを舞台に、植村隆を「捏造記者」として攻撃した。櫻井や西岡に煽動されたネット右翼が、植村本人だけでなく、その家族や勤務先の北星学園までを標的に攻撃して、大きな社会問題となった。問題とされた植村隆の朝日の記事は、1991年8月のもの。常軌を逸したバッシングというほかはない。

ことは表現の自由やジャーナリズムのありかたにとどまらない。従軍慰安婦をめぐる歴史修正主義の跋扈を許すのか、安倍政権を押し上げた右翼勢力の民族差別やリベラル派勢力への攻撃を默過するのか、という背景をもっている。

私も、同期の友人たちと語らって、植村・北星バッシングへの反撃の声をあげた。そのときの率直な気持は、この社会の動向に、薄気味悪さだけでなく恐ろしさを感じていた。伝えられている、あのマッカーシズムの雰囲気を嗅ぎ取らざるを得なかったのだ。この訴訟、この判決は、この社会の健全さを占うものとしての重みをもっている。

リベラルバネが多少は働いて、いま櫻井よしこや西岡力の影響力は明らかに落ちてきている。判決が、植村ではなく櫻井よしここそが「捏造ジャーナリスト」であることを明らかにするものとなるよう期待したい。

「植村裁判を支える市民の会」が立派なホームページを作っている。
http://sasaerukai.blogspot.com/

そのサイトから、結審(2018年7月6日)の法廷と、2年前3か月前の第1回法廷(2016年4月22日)での、原告植村隆渾身の意見陳述を引用しておきたい。

植村の「私は捏造記者ではありません」との痛切な訴えは、歴史を捏造し修正しようとする者の鋭い指弾ともなっている。

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結審(2018年7月6日)法廷での意見陳述

今年3月、支援メンバーらの前で、直前に迫った本人尋問の準備をしていました。「なぜ、当該記事を書いたのか」、背景説明をしていました。こんな内容でした。

私は高知の田舎町で、母一人子一人の家で育ちました。豊かな暮らしではありませんでした。小さな町でも、在日朝鮮人や被差別部落の人びとへの理不尽な差別がありました。そんな中で、「自分は立場の弱い人々の側に立とう。決して差別する側に立たない」と決意しました。そして、その延長線上に、慰安婦問題の取材があったと説明していました。

その時です。突然、涙があふれ、止まらなくなり、嗚咽してしまいました。

新聞記者となり、差別のない社会、人権が守られる社会をつくりたいと思って、記事を書いてきました。それがなぜ、こんな理不尽なバッシングにあい、日本での大学教員の道を奪われたのでしょうか。なぜ、娘を殺すという脅迫状まで、送られて来なければならなかったのでしょうか。なぜ、私へのバッシングに北星学園大学の教職員や学生が巻き込まれ、爆破や殺害の予告まで受けなければならなかったのでしょうか。「捏造記者」と言われ、それによって引き起こされた様々な苦難を一気に思い出し、涙がとめどなく流れたのでした。強いストレス体験の後のフラッシュバックだったのかもしれません。

本人尋問が迫るにつれ、悔しさと共に緊張と恐怖感が増してきました。反対尋問では再び、あのバッシングの時のような「悪意」「憎悪」にさらされるだろうと思ったからです。

「そうだ、金学順(キム・ハクスン)さんと一緒に法廷に行こう」と考えました。そして、金学順さんの言葉を書いた紙を背広の内ポケットに入れることにしたのです。

この紙は、私に最初に金学順さんのことを語ってくれた尹貞玉(ユン・ジョンオク)先生の著書の表紙にあった写真付の著者紹介の部分を切り取ったものです。その裏の、白い部分に金学順さんが自分の裁判の際に提出した陳述書の中の言葉を黒いマジックで、「私は日本軍により連行され、『慰安婦』にされ人生そのものを奪われたのです」と書きいれました。

私の受けたバッシング被害など、金さんの苦しみから比べたら、取るに足らないものです。いろんな夢のあった数えで17歳の少女が意に反して戦場に連行され、数多くの日本軍兵士にレイプされ続けたのです。絶望的な状況、悪夢のような日々だったと思います。

そして、私は、こう自分に言い聞かせました。「お前は、『慰安婦にされ人生を奪われた』とその無念を訴えた人の記事を書いただけではないか。それの何が問題なのか。負けるな植村」

金さんの言葉を、胸ポケットに入れて、法廷に臨むと、心が落ち着き、肝が据わりました。

きょうも、金さんの言葉を胸に、意見陳述の席に立っています。

私は、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけなのです。

そして「日本の加害の歴史を、日本人として、忘れないようにしよう」と訴えただけなのです。韓国で慰安婦を意味し、日本の新聞報道でも普通に使われていた「挺身隊」という言葉を使って、記事を書いただけです。それなのに、私が記事を捏造したと櫻井よしこさんに繰り返し断定されました。

北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、ほぼ同じような内容の記事を書きました。記事を書いた当時、私との面識はなく、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったのです。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」でない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、2月に証人として、この法廷で、櫻井よしこさんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示されました。

そして、こうも述べられました。「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」この言葉に、私は大いに勇気づけられました。

1990年代初期に、産経新聞は、金学順さんに取材し、金学順さんが慰安婦になった経緯について、少なくとも二度にわたって、日本軍の強制連行と書きました。読売新聞は、「『女性挺身隊』として強制連行され」と書きました。

いま産経新聞や読売新聞は、慰安婦の強制連行はなかったと主張する立場にありますが、1990年代の初めに金学順さんのことを書いたこの両新聞の記者たちは、金さんの被害体験をきちんと伝えようと、ジャーナリストとして当たり前のことをしたのだと思います。私は金さんが、慰安婦にさせられた経緯について、「だまされた」と書きました。「だまされ」ようが「強制連行され」ようが、17歳の少女だった金学順さんが意に反して慰安婦にさせられ、日本軍人たちに繰り返しレイプされたことには変わりないのです。彼女が慰安婦にさせられた経緯が重要なのではなく、慰安婦として毎日のように凌辱された行為自体が重大な人権侵害にあたるということです。

しかし、私だけがバッシングを受けました。娘は、「『国賊』植村隆の娘」として名指しされ、「地の果てまで追い詰めて殺す」とまで脅されました。

あのひどいバッシングに巻き込まれた時、娘は17歳でした。それから4年。『殺す』とまで脅迫を受けたのに、娘は、心折れなかった。そのおかげで、私も心折れず、闘い続けられました。私は娘に「ありがとう」と言いたい。娘を誇りに思っています。

被告・櫻井よしこさんは、明らかに朝日新聞記者だった私だけをターゲットに攻撃しています。私への憎悪を掻き立てるような文章を書き続け、それに煽られた無数の人びとがいます。櫻井さんは「慰安婦の強制連行はなかった」という強い「思い込み」があります。その「思い込み」ゆえなのでしょうか。事実を以て、私を批判するのではなく、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、この裁判を通じて明らかになりました。そして誤った事実に基づいた、櫻井さんの言説が広がり、ネット世界で私への憎悪が増幅されたことも判明しました。

「WiLL」の2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした「月刊宝石」やハンギョレ新聞の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。

しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、2年以上経っていましたが、「WiLL」と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。実は、訂正文には新たな間違いが付け加えられていました。金さんが強制連行の被害者でないというのです。日本軍による強制連行という結論をもつ記事に依拠しながらも、その結論の部分を再び無視していました。極めて問題の大きい訂正でしたが、櫻井さんの取材のいい加減さが、白日のもとに晒されたという点では大きな前進だったと思います。支援団体の調べでは、この種の間違いが、産経、「WiLL」を含めて、少なくとも6件確認されています。

提訴以来3年5か月が経ちました。弁護団、支援の方々、様々な方々の支援を受け、勇気をもらって、歩んでまいりました。絶望的な状況から反撃が始まりましたが、「希望の光」が見えてきたことを、実感しています。

そして櫻井よしこさんをはじめとする被告の皆さん、被告の代理人の皆さん。長い審理でしたが、皆様方はいまだに、ご理解されていないことがあると思われます。大事なことなので、ここで、皆様方に、もう一度、大きな声で、訴えたいと思います。

「私は捏造記者ではありません」

裁判所におかれては、私の意見を十分に聞いてくださったことに、感謝しております。公正な判決が下されることを期待しております。

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第1回法廷(2016年4月22日)での原告意見陳述

■「殺人予告」の恐怖
裁判長、裁判官のみなさま、法廷にいらっしゃる、すべての皆様。知っていただきたいことがあります。17歳の娘を持つ親の元に、「娘を殺す、絶対に殺す」という脅迫状が届いたら、毎日、毎日、どんな思いで暮らさなければならないかということです。そのことを考えるたびに、千枚通しで胸を刺されるような痛みを感じ、くやし涙がこぼれてきます。

私は、2015年2月2日、北星学園大学の事務局から、「学長宛に脅迫状が送られてきた」という連絡を受けました。脅迫状はこういう書き出しでした。

「貴殿らは、我々の度重なる警告にも関わらず、国賊である植村隆の雇用継続を決定した。この決定は、国賊である植村隆による悪辣な捏造行為を肯定するだけでなく、南朝鮮をはじめとする反日勢力の走狗と成り果てたことを意味するものである」

5枚に及ぶ脅迫状は、次の言葉で終わっています。

「『国賊』植村隆の娘である●●●を必ず殺す。期限は設けない。何年かかっても殺す。何処へ逃げても殺す。地の果てまで追い詰めて殺す。絶対にコロス」

私は、足が震えました。

大学に脅迫状が送られてきたのは2014年5月末以来、これで5回目でした。最初の脅迫状は、私を「捏造記者」と断定し、「なぶり殺しにしてやる」と脅していました。さらに「すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる」と書いていました。

娘を殺害する、というのは、5回目の脅迫状が初めてでした。もう娘には隠せませんでした。「お前を殺す、という脅迫状が来ている。警察が警戒を強めている」と伝えました。娘は黙って聞いていました。

娘への攻撃は脅迫だけではありません。2014年8月には、インターネットに顔写真と名前が晒されました。そして、「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。自殺するまで追い込むしかない」と書かれました。こうした書き込みを削除するため、札幌の弁護士たちが、娘の話を聞いてくれました。私には愚痴をこぼさず、明るく振舞っていた娘が、弁護士の前でぽろぽろ涙をこぼすのを見て、私は胸が張り裂ける思いでした。

なぜ、娘がこんな目にあわなければならないのでしょうか。1991年8月11日に私が書いた慰安婦問題の記事への攻撃は、当時生まれてもいなかった高校生の娘まで、標的にしているのです。悔しくてなりません。脅迫事件の犯人は捕まっていません。いつになったら、私たちは、この恐怖から逃れられるのでしょうか。

■私への憎悪をあおる櫻井さん
櫻井よしこさんは、2014年3月3日の産経新聞朝刊第一面の自身のコラムに、「真実ゆがめる朝日報道」との見出しの記事を書いています。このコラムで、櫻井さんは私が91年8月に書いた元従軍慰安婦の記事について、こう記述しています。

「この女性、金学順氏は後に東京地裁に 訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」。その上で、櫻井さんは「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じ」ていない、と批判しています。しかし、訴状には「40円」の話もありませんし、「再び継父に売られた」とも書かれていません。

櫻井さんは、訴状にないことを付け加え、慰安婦になった経緯を継父が売った人身売買であると決めつけて、読者への印象をあえて操作したのです。これはジャーナリストとして、許されない行為だと思います。

さらに、櫻井さんは、私の記事について、「慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである」と断定しています。

櫻井さんは「慰安婦と『女子挺身隊』が無関係」と言い、それを「捏造」の根拠にしていますが、間違っています。当時、韓国では慰安婦のことを「女子挺身隊」と呼んでいたのです。他の日本メディアも同様の表現をしていました。

例えば、櫻井さんがニュースキャスターだった日本テレビでも、「女子挺身隊」という言葉を使っていました。1982年3月1日の新聞各紙のテレビ欄に、日本テレビが「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」というドキュメンタリーを放映すると出ています。

私は、神戸松蔭女子学院大学に教授として一度は採用されました。その大学気付で、私宛に手紙が来ました。「産経ニュース」電子版に掲載された櫻井さんの、そのコラムがプリントされたうえ、手書きで、こう書き込んでいました。

「良心に従って説明して下さい。日本人を貶めた大罪をゆるせません」

手紙は匿名でしたので、誰が送ってきたかわかりません。しかし、内容から見て、櫻井さんのコラムにあおられたものだと思われます。

この神戸の大学には、私の就任取り消しなどを要求するメールが1週間ほどの間に250本も送られてきました。結局、私の教授就任は実現しませんでした。

櫻井さんは、雑誌「WiLL」2014年4月号の「朝日は日本の進路を誤らせる」という論文でも、40円の話が訴状にあるとするなど、産経のコラムと似たような間違いを犯しています。

このように、櫻井さんは、調べれば、すぐに分かることをきちんと調べずに、私の記事を標的にして、「捏造」と決めつけ、私や朝日新聞に対する憎悪をあおっているのです。

その「WiLL」の論文では、私の教員適格性まで問題にしています。「改めて疑問に思う。こんな人物に、果たして学生を教える資格があるのか、と。植村氏は人に教えるより前に、まず自らの捏造について説明する責任があるだろう」

「捏造」とは、事実でないことを事実のようにこしらえること、デッチあげることです。記事が「捏造」と言われることは、新聞記者にとって「死刑判決」に等しいものです。

朝日新聞は、2014年8月の検証記事で、私の記事について「事実のねじ曲げない」と発表しました。しかし、私に対するバッシングや脅迫はなくなるどころか、一層激しさを増しました。北星学園大学に対しても、抗議メールや電話、脅迫状が押し寄せ、対応に追われた教職員は疲弊し、警備費は膨らみました。

北星学園大学がバッシングにあえぎ、苦しんでいた最中、櫻井さんは、私と朝日新聞だけでなく、北星学園大学への批判まで展開しました。

2014年10月23日号の「週刊新潮」の連載コラムで、「朝日は脅迫も自己防衛に使うのか」という見出しを立て、北星学園大学をこう批判しました。「23年間、捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿なのか」

同じ2014年10月23日号の「週刊文春」には、「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい “OB記者脅迫”を錦の御旗にする姑息」との見出しで、櫻井よしこさんと西岡力さんの対談記事が掲載されました。私はこの対談の中の、櫻井さんの言葉に、大きなショックを受けました。

「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」

櫻井さんの発言には極めて大きい影響力があります。この対談記事に反応したインターネットのブログがありました。

「週刊文春の新聞広告に、ようやく納得。もし、私がこの大学の学生の親や祖父母だとしたなら、捏造で大問題になった元記者の事で北星大に電話で問い合わせるとかしそう。実際、心配の電話や、辞めさせてといった電話が多数寄せられている筈で、たまたまその中に脅迫の手紙が入っていたからといって、こんな大騒ぎを起こす方がおかしい。櫻井よしこ氏の言うように、「錦の御旗」にして「捏造問題」を誤魔化すのは止めた方が良い」

私はこのブログを読んで、一層恐怖を感じました。ブログはいまでもネットに残っています。

櫻井さんは、朝日新聞の慰安婦報道を批判し、「朝日新聞を廃刊にすべきだ」とまで訴えています。言論の自由を尊ぶべきジャーナリストにもかかわらず、言葉による暴力をふるっているようです。「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起している」のは、むしろ、櫻井さん自身の姿勢ではないか、と思っています。

■「判決で、救済を」
「言論には言論で闘え」という批判があります。私は「朝日新聞」の検証記事が出た後、複数のメディアの取材を受け、きちんと説明してきました。また、複数の月刊誌に手記を掲載し、自分の記事が「捏造」ではないことを、根拠を上げて論証しています。にもかかわらず、私の記事が「捏造」であると断定し続ける人がいます。大学や家族への脅迫もやむことがありませんでした。こうした事態を変えるには、「司法の力」が必要です。

脅迫や嫌がらせを受けている現場はすべて札幌です。櫻井さんの「捏造」発言が事実ではない、と札幌で判断されなければ、こうした脅迫や嫌がらせも、根絶できないと思います。

私の記事を「捏造」と決めつけ、繰り返し世間に触れ回っている櫻井さんと、その言説を広く伝えた「週刊新潮」、「週刊ダイヤモンド」、「WiLL」の発行元の責任を、司法の場で問いたいと思います。私の記事が「捏造」でないことを証明したいと思います。

裁判長、裁判官のみなさま。どうか、正しい司法判断によって、「捏造」記者の汚名を晴らしてください。家族や大学を脅迫から守ってください。そのことは、憲法で保障された個人の表現の自由、学問の自由を守ることにもつながると確信しています。

(2018年7月13日)

亡き歌丸が語る ― 「こんなとき政治家に酒なんぞ飲んでいられたんじゃ困るんだよ」

7月5日夜、大雨予報が出ているさなかの「赤坂自民亭」宴会。記録的豪雨の被害確認が進むに連れて、批判の声が高まってきた。東京新聞「こちら特報部」の影響力でもある。

矢面に立たされているのが、西村康稔官房副長官。なにせ、政権の防災担当なのだ。それが、大雨予報が出ているさなかの飲み会のツィッター写真を垂れ流したのだ。この写真は、自民党議員らの無能・無神経の「証拠写真」だ。

この西村を矢面に、安倍政権批判というのが真っ当な報道。たとえば、産経の見出しが、『西村康稔官房副長官「誤解与えた」 安倍晋三首相参加の飲み会写真』となっている。

もっとも、朝日が『豪雨前の「赤坂自民亭」写真投稿を陳謝 西村官房副長官』、毎日が『赤坂自民亭:西村副長官が謝罪 大雨予報中の飲み会写真で』と、政権批判を押し出していない。

時事は、こう配信している。
『西村官房副長官、「自民亭」投稿を陳謝=ツイッターは炎上』
「西村康稔官房副長官は11日、「赤坂自民亭」と称した懇親会の写真を自身がツイッターに投稿したことについて「大雨の被害が出ている最中に、まるで会合をやっているかのような誤解を与えてしまい、多くの方に不快な思いをさせてしまった。おわびを申し上げたいし、反省もしている」と述べた。BS11の番組収録で語った。
 自民亭会合が開かれたのは5日夜。東・西日本で激しい雨が降り、気象庁は厳重警戒を呼び掛けていた。西村氏は10日に、「誤解を与えた」と番組と同じ趣旨の釈明をツイッターに投稿したのに対し、「誤解?」「酒盛りしていた事実がなくなるわけではない」などの批判が殺到している。」

「大雨の被害が出ている最中に、まるで会合をやっているかのような誤解を与えてしまい、多くの方に不快な思いをさせてしまった。おわびを申し上げたいし、反省もしている」とはいったい何だ。

「誤解を与えてしまい」は、釈明(言い訳)の常套句だがまことに不適切で見苦しい。誤解とは、真実とは異なる認識(印象)を与えてしまったということだが、いったい何が真実で、どのように誤解されたのか、まったく明らかにされていない。

「まるで会合をやっているかのような誤解」という表現は、「まるで会合をやっていなかったような誤解」を誘発しようという底意が見え見えで不愉快。宴会ないしは飲み会を「会合」と言っているのも姑息千万。

「会合をやったのが、まるで大雨の被害が出ている最中のことであるかのような誤解」と言いたいのなら、この政治家は相当にタチが悪い。何の反省もしていない。誰も、「大雨の被害が出ている最中」の宴会とは言っていない。大雨予報が出ているさなか、豪雨の警戒を要する時期での宴会を問題としているのに、意識的な論点すり替えが悪質なのだ。印象操作だけが問題で、何を反省すべきかを真剣に考えてはいないのだ。これが、自民党の政治家らしくもあり、安倍政権の一員らしくもある。

ところで、政治家が聖人君子であるわけはない。聖人君子然とした人物が政治家にふさわしいわけでもない。酒を飲んでいけないはずもない。酒を飲むなじゃない。酒の飲み方が問題なのだ。先日鬼籍に入った歌丸の「厩火事」の一節が教えてくれる。仲人が、髪結いのおサキに対して、おサキの亭主の酒の飲み方に苦言を呈する場面。歌丸は権力者には辛口の芸人だったという。

ちょいとおもしろくないことがある。4、5日前だった。近所に用があって、出掛けたんだよ。帰りがけにおまえの家の前を通ると、格子がこのくらい開いていた。物騒じゃないか。いるのかいって声をかけると、「旦那ですか。どうぞおあがりください」座布団を出してくれた、お茶を淹れてくれた。これはいいよ。どうぞお上がりくださいといいながら、前にあった御膳を脇へすっとどかした。このお膳の上をひょっとみて、あたしはおもしろくない。刺身が一人前とってあった、これはまあいいよ。徳利が1本乗ってたね。いいかい、飲むなじゃないよ、飲むなじゃないけれども。おまえの家業が髪結いだ。おまえさんが1日中油だらけになって、真っ黒になって、働いている。その留守に亭主が昼間から酒なんぞ飲んでいられたら、困るじゃないか。飲むなじゃない。おまえだって少しは行ける口なんだろ?仕事から帰ってきて、2人で1人前の刺身を半分ずつ、1合の酒を半分ずつ、差し向かいで飲んでてごらん。近所のものがこれをみたら、仲のいい夫婦なんてもんじゃない。それをおまえが一生懸命働いて、その留守に亭主がうちん中で酒なんぞ飲んでいられたんじゃ、困るんだよ。別れたほうがいい、お別れ、お別れ。

ちょいとおもしろくないことがある。7月5日のことだ。雨模様のぐずついた天気だった。テレビもラジオも、西日本には大雨の予報だった。去年もおととしも、いまごろの季節に豪雨があって、川が氾濫してたいへんなことになった。今年も同じことにならなきゃいいなと心配しながら、用があって赤坂の議員宿舎に寄ってみた。するってえと、いつもとは様子が違う。「自民亭」とか看板を掲げて飲めや歌えのどんちゃん騒ぎだ。この騒ぎをひょっとみて、あたしはおもしろくない。いいかい、飲むなじゃないよ、飲むなじゃないけれども。こんなときじゃないか。会期は延長して、強引にカジノ法案を通そうというときだ。財界の意向を汲んだ働かせ方改革も強行した。モリカケ問題では国政の私物化批判の声が高い。ウソと隠蔽の政治には国民の多くが安倍政権に呆れている。自民党議員が飲んで騒いで、浮かれているときではなかろう。それだけじゃない。大雨や洪水を心配しなければならない予報のさなかだ。ひるまは真っ黒になって働いている人々が、大雨と洪水を心配しているんだ。それを尻目に、政治家が安閑として、酒なんぞ飲んでいられたら、困るじゃないか。飲むなじゃない。本当に国民がよろこぶようなことをしてごらん。そうすりゃだれも文句のつけようはない。それをこれから大雨が降ろうというときだ。避難をしなけりゃならない人も出てくる。そんなときに、「自民亭」で政治家が酒なんぞ飲んでいられたんじゃ、困るんだよ。そんな奴ら選挙で落とした方がいい。さっさと落とせ。落としておしまい。

(2018年7月12日)

人としての資質と、政治家としての能力に欠けた我が国のリーダー

政治家とは因果な商売だ。商品は自分自身。これを高く売り付けたいから、セールストークが過剰となる。悪徳商法まがいの自己宣伝が横行する。「粉骨砕身、国民のために働かせていただきます」なんちゃって。所詮はセールストークなのだから馬脚を表すことになって、「嘘つき」と呼ばれる。その代表格が、「嘘つき総理」の安倍晋三。

政治家稼業は楽でない。行住坐臥、常に国民の目が光る。安閑と酒を飲んでもおられない。ときに、「こんなときに酒など飲んでいる場合か」と叱責される。とりわけ、危機管理が必要なときには国民の見方が厳しくなる。いま安倍晋三の「宴会優先」姿勢が指弾を受けている。

7月5日の夕刻、安倍晋三は東京・赤坂の議員宿舎で開かれた自民党議員との宴会に出席した。参加議員たちの楽しげに盛り上がっている様子を、何人もの参加議員自らがツイッターに投稿していた。

最初、この宴会は「安倍首相と法相が オウム死刑執行前夜の“乾杯”に批判噴出」(日刊ゲンダイ・7月7日)という形で批判の対象になった。

「正気なのか――。オウム真理教の教祖・麻原彰晃死刑囚ら7人の死刑が執行される前日の5日夜、安倍首相が、執行を命令した上川陽子法相らと共に赤ら顔で乾杯していたことが発覚した。ネット上で批判が噴出している。
 安倍首相は同日夜、東京・赤坂の議員宿舎で開かれた自民党議員との懇親会に出席。上川法相や岸田文雄政調会長ら40人超と親睦を深めた。
 この時の様子を、同席した片山さつき参院議員が写真付きでツイッターに投稿。〈総理とのお写真撮ったり忙しく楽しい!〉と呟いている。写真では、上川法相の隣で破顔一笑の安倍首相。とても、死刑執行前夜とは思えない。
 さすがに、片山議員のツイッターには、〈どういう神経でどんちゃん騒ぎができるのか〉〈普通は気が沈んで口が重くなる〉〈ゾッとする〉と批判の声が寄せられている。
 安倍首相と上川法相は一体、どんな気分だったのか。翌日、7人を処刑するのに酒を片手に笑顔、笑顔とは……この2人、人としておかしい。」

これは辛辣。政治家としての資質や能力の以前に、「人としておかしい」という根底的な批判。生命に対する畏敬の念を欠いた、「こんな人たち」が権力を司っていることに寒気を覚える。〈ゾッとする〉の表現に深く同感だ。

グリコは「一粒で2度おいしい」。一つの宴会が2度目の批判をうけることとなった。今度は、「自民議員ら『宴会ツイッター』の波紋 豪雨『想定外』で済むのか」(東京新聞・7月11日)という角度から。

さすが、「こちら特報部」。「安倍政権対応ちぐはぐ」「危機管理強調なのに緊張感なし」「緊急事態条項は不要」と大きな見出しが続いている。

「懸命な救助対策が続く西日本豪雨では、自民党幹部らが「初動」の釈明に追われている。関西などで避難指示などが相次いでいた五日夜、自民党議員が宴会を開き、安倍晋三首相らも出席。参加議員たちが楽しげな模様をツイッターに投稿していたためだ。42人の死者・行方不明者が出た九州北部豪雨はちょうど一年前だ。「想定外」で済む災害なのか。」というリード。

?「5日と言えば、近畿地方を中心に大雨が降り続け、気象庁が『記録的な大雨となる』と警告していたさなかだ。同日夜までに計16万人に避難勧告が出ており、あまりに場違いなツイッターには批判が殺到。」「そんな宴会を危機管理担当の西村官房副長官が喜々としてツイッターで報告するあたり、安倍政権の緊張感のなさを露呈している(政治ジャーナリスト鈴木哲夫)」…。

中にこんな一節が。これは書き留めておかねばならない。
「2016年の熊本地震の際には、前震の段階で、避難所の体育館から出て避難者が外にいるのを見た安倍首相が、『青空避難をやめさせて体育館に入れろ』と指示したが、館内の状況を判断した現場責任者が拒否。この体育館は本震の際、天井が落下した首相のリーダーシップで危うく数百人が義性になるところだった」

政治家一般が因果な商売だが、総理ともなればなおさらのことだ。その一挙手一投足が国民の監視の的となり、批判にさらされる。が、その失敗が明瞭になることは必ずしも多くはない。この熊本地震の際の愚かなリーダーシップ発揮の失敗は極めて分かり易い。そして、7人死刑前夜の宴会、大災害徴候ある中での大はしゃぎ。

結局は、安倍晋三の人間性に問題があり無能で嘘つきという資質が露わになっているのだ。しかも、こんな首相のやることの失敗が、実は国民の目につかぬ形で積み重なっているのではないか。あらためて、〈ゾッとする〉。
(2018年7月11日)

再び、近隣諸国に対する敵意の煽りに乗せられてはならない。

ご近所の皆さま、三丁目交差点をご通行中の皆さま。お暑うございます。
こちらは地元「本郷・湯島」の「九条の会」です。憲法を守ろう、憲法の眼目である9条を守ろう。平和を守りぬき、絶対に戦争を繰り返してはいけない。アベ自民党政権の危険な暴走を食い止めなければならない。そういう志を持つ仲間が集まってつくっている小さな団体です。平和のために、少し耳をお貸しください。

それにしても、いやはや何とも暑い。敗戦の年、1945年も暑い夏だったそうです。73年前のあの年の今ころ、このあたりは焼け野原でした。3月10日未明の東京大空襲で、23万戸が全焼し、東京市民10万人が焼け死にました。首都が焼かれて一夜にして10万の死者です。こうまでされても、日本に反撃の能力のないことが明らかになりました。

それでも、日本は絶望的な闘いを続けました。4月1日には、沖縄の地上戦が始まります。6月末までの2か月間で20万人の死者が出ました。沖縄戦は、本土決戦の態勢を整えるための時間稼ぎ。7月のいまころは、まだ、一億国民が火の玉となって鬼畜米英との本土決戦を闘い抜くのだ、そんなふうに思い込まされていました。

戦争の最高指導者はヒロヒトという人でした。今の天皇アキヒトという人の父親です。信じられますか。この人は神様とされていました。日本は神の国で、この国を治めるヒロヒトは、アラヒトガミとか、アキツミカミと崇められ持ち上げられていたのです。神様のすることだから、けっして間違うはずはない。本土決戦では、最後はカミカゼが吹いて日本は勝つのだ。多くの人がそう思い込まされていました。神様のすることだから批判などトンデモナイことだったのです。日本国中がオウム真理教の洗脳状態だったのです。何とバカバカしい愚かな世の中だったことでしょうか。

このアラヒトガミは、國体の護持つまりは天皇制の維持にこだわって、日本人が何万、何十万と殺されようが、戦争をやめようとはしませんでした。「もう一度、戦果をあげてから」と言い続けて、結局は無条件降伏まで多くの同胞を見殺しにし続けたのです。

8月6日には広島に史上初めての原爆が投下されます。そして、8月9日には長崎の悲劇が続きます。天皇は、ソ連に、戦争終結のための仲介を依頼して望みを繋げますが、そのソ連が対日参戦するに至って、ようやくポツダム宣言受諾を覚悟します。

こうして、敗戦を迎えて、日本国民は深刻な反省を迫られました。再び戦争は起こさない。起こさせない。再びだまされない。だまされて戦争に駆り出されるようなことはけっして繰り返さない。この国に民主主義のなかったことが、戦争の悲劇をもたらした。天皇を神とするような愚かな社会とは訣別しなければならない。その反省が結実したものが日本国憲法でした。

ところが今、その大切な日本国憲法が危機にあります。安倍晋三という人物によってです。彼は今、9条の改憲に手を付けようとしています。70年余の以前、日本の国民は近隣諸国への敵愾心を意図的に植えつけられました。台湾・朝鮮そして中国、ソ連です。不逞鮮人とか、暴支膺懲とか、さらには鬼畜米英とまで言った。

今また、安倍政権は同じようなことをしつつあるのではないでしょうか。思い出してください。去年10月の総選挙。あのモリ・カケ・南スーダン問題の雰囲気の中では、安倍自民党は大敗するだろうと大方が思いました。しかし、そうはならなかった。明らかに、北朝鮮のお陰です。

安倍自民は、この総選挙を「国難選挙」とネーミングしました。北朝鮮が危険だ。明日にもミサイルが飛んでくる。この国難を救うために強力な政府を。国防の態勢を。こう訴えて、アベ政治は生き残りました。

昔の出来事が繰り返されようとしているのではないでしょうか。安倍政権にとっては、いつまでも危険な存在としての北朝鮮が必要なのです。半島の軍事緊張が必要なのです。北の核がなくなり、南北の宥和が実現すれば、タカ派のアベ政権は無用の長物になり下がることにならざるを得ません。

再びだまされまい。近隣諸国に対する敵意の煽りに乗せられてはならない。暑いさなかですが、米朝・南北、そして日朝・日韓の関係に目を凝らしたいと思います。

米朝首脳会談の成果にケチをつけるのではなく、朝鮮半島の全体を非核化しようと動き出したシンガポール宣言を守らせる国際世論を作っていく努力を積み重ねようではありませんか。
(2018年7月10日)

「自分益」「国内益」だけのアベ外交

南北と米朝の首脳会談で朝鮮半島情勢が大きく転換し、この地域に緊張緩和の萌し濃厚となって以来、田中均(元・外務審議官)発言に注目が集まっている。いま、誰しも、2002年「小泉訪朝」を実現させた立役者としての経験や教訓を聞きたいのだ。

この人の言うこと、まことに真っ当である。今この人がしかるべき対外折衝の要職にあれば、日本外交は違った色彩を帯びたものになり、地域の平和に貢献のできる日本外交となるのではないかと思わせる。いや、安倍外交には、もともとそのよう理念も指向もないのだから、残念ながらこの人の活躍の場もないことになるのだろう。

本日の毎日夕刊、特集ワイドは、「松田喬和の ずばり聞きます」。インタビュー相手が田中均。タイトルが、「朝鮮半島問題に戦略を」というもの。もちろん、安倍外交には朝鮮半島問題に戦略がない、ことの批判が滲み出ている内容。

しかし、明らかに批判のための批判ではない。

― 朝鮮と交渉して拉致を認めさせた経験にかんがみて、外交の眼目とは何でしょう?

田中氏 『信頼』です。北朝鮮だって、より重要な目的があれば信頼関係を築く努力をします。例えば日経新聞の元記者が北朝鮮に拘束されていましたが「解放することで信頼を示してほしい」と言ったら解放した。こういったことを積み重ねる。要は、価値観や政治体制か異なっても、うそをつかない、相手に配慮するといったことを続ければ信頼関係は構築できる。そうなれば物事が前に進む可能性か開けます。日本国内で勇ましいことを言って反北・反中・反韓の感情をあおれば、支持率は上がるかもしれませんが、相手にも国民がいます。実際にこれらの国と向きあった時、相手は日本を信用するでしょうか。信頼関係がなければ結果を出せません。

なるほど、そのとおりだ。相互に相手を信頼する関係を築いていくことこそが大切なのだ。「外交の眼目」は、「平和構築の要諦」でもある。これこそ、アベ外交とは真逆の9条理念の神髄と言うべきであろう。

この人、7月3日に、日本記者クラブで対北朝鮮外交について講演している。その概要を報じる朝日の記事は、安倍外交に相当の辛辣さ。

 安倍(晋三)首相という人は北朝鮮に対する強い姿勢を前面にかざして首相への階段を上っていった。北朝鮮が脅威であるということを前面にかざして選挙に勝った。これは国内政治としては分かる。でも国内に威勢のいいことを言うのが外交じゃない。国益にかなう結果を作ることだ。
 今の日本は外交をやっていない。こういう結果を作るぞという見出しを作ることには類いまれなる政権だが、結果ができているか。「拉致問題を自分の内閣で解決する」と言って、なぜ解決できていないのか説明しているか。

 日本がいま置かれている状況は非常な危機であると同時に最大のチャンスだ。フェーズ(局面)を変えることができる。俺(安倍晋三)の言ってた北朝鮮への圧力が効果を上げたんだ、といまだに各国を回って圧力の網を作るのはあまりに芸がない。
 世界が注目している朝鮮半島の問題について、日本は戦略を持って見識を示さないと米中にばかにされる。目先を「国内益」から国益に変えてほしい。

この田中均の指摘は示唆に富んでいる。確かに、安倍晋三とは、北朝鮮への国民の憎悪を煽り、煽られた国民の憎悪を糧にして、総理にまで上り詰めた政治家である。対北憎悪に依存して政治生命を育ててきたのだから、国民の対北憎悪がなくなれば、その政治生命も終わることになる。安倍にとっては、半島の緊張は必要不可欠なのだ。トランプが一時米朝会談をやめると言い出したとき、たった一人だけ会談中止を支持したのが安倍だった。何とも恥ずかしいほどのあからさまな態度。

だから、安倍は「拉致問題を自分の内閣で解決する」と言ってはきたが、拉致問題が解決するときは安倍の政治生命も終わるときなのだ。長期政権のためには、拉致問題は北に対する攻撃材料としてだけ重要なので、その解決はなくてもよい。改憲問題も、軍事費の肥大も同様である。北朝鮮は、常に危険で好戦的な存在でなければならない。それこそが安倍政権維持と軍事大国化指向のアベ政治に必要なものなのだ。

半島の情勢変化は、国内政治にも大きな変動をもたらす要因となりそうではないか。
(2018年7月9日)

改憲阻止の半鐘を鳴らせ! 鐘の音を響き合わせよう。

「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」から、ミニコミ誌・「厭戦庶民」第31号が届いた。B6よりやや小さな版だが54頁の堂々たるパンフレット。盛り沢山のイラストも楽しい。

このパンフの全編が、「特集:改憲阻止の半鐘を鳴らせ!」の趣旨に貫かれている。最終ページ。後書きに相当するところに、次の文章がある。

どこかで半鐘が・・・

 郊外の、古い家々が残るようなひなびた街角に、小高い塔を見かけることがある。これは「火の見櫓」といい、その名の通り火事を見張るための塔。で、その天辺にぶら下がっているものが「半鐘」。火事などを知らせるために鳴らすものだ。
 それを見ていると、子供の頃を思い出す。夜、半鐘が鳴る。(これは60歳くらいから上の世代にしか通じないが)「カンカンカン」と、3回セットで鳴るのはどこかで火事が起きているということ。それが連打となると、火事が近い証拠で、急いで家を飛び出すと、裏山のあたりがぼうっとオレンジ色に照らされていた、などということもあった。
 しかし、それも今は昔で、半鐘はサイレンや防災無線にとって代わられ、今はもう鳴ることはない。と、いうより火の見櫓そのものが近代化・宅地化の波で古い町並みとともに消え、見かけることすら今やほとんど無くなった。
だが、空耳だろうか、最近半鐘が鳴っているのが聞こえる。激しく連打されている。憲法が火にくべられ、国全体が戦争という大火に向かっているのか。今日も幻の半鐘は鳴り続ける。(斎藤(好))

この幻の半鐘の音は、私にも聞こえる。特集のタイトルが、「改憲阻止の半鐘を鳴らせ!」となっているのは、幻の半鐘の音を聞いた者は、みんな「改憲阻止の半鐘を鳴らせ!」と言っているのだ。泉下の信太さんの声が聞こえる。

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幾つかの集会報告が掲載されている。中に、今年(18年)1月28日の「詩人・石川逸子さんを囲んで」がある。「戦争で虐げられた人々への鎮魂歌」との副題が付いている。そして、石川逸子の詩が2編。さすがに、訴える力がある。

風がきいた

知ってますか 風がきいた 夜の木々に
1895年10月8日
日本軍と壮士らが 隣国の王城に押し入り
王妃を むごたらしく殺害したことを
天皇が『やるときはやるな』首謀者をホメだことを

知ってますか 風がきいた 昼の月に
1919年3月1日
国旗をもって「独立万歳」 叫んだ朝鮮人少女が
右手 左手 次々 切り落とされ
なお万歳を連呼して 日本兵に殺されたことを

知っていますか 風がきいた ながれる川に
1923年9月2日
一人の朝鮮人女性が自警団に手足をしばられ
トラックで轢かれ 「まだ生きてるぞ」
もう一度轢き殺されたことを

知っていますか 風がきいた 野の花に
1944年末
与那国島に船で輸送されてきた
朝鮮人「慰安婦」たちが 米軍機に銃撃され
アイゴー 叫びながら 溺れ死んでいったのを

木々が 月が 川が 野の花が
きかれなかった 海 泥土 までが
一斉に答える
知ってます 知ってますよう
風が 日本列島を たゆたいながら吹いていった

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もう一つ、これも面白い。

よくある手口

●成功談から…
アベノミクス うまくいているよね?
株価も上がっているだろ?
 「うん うん」
だから議席も支持率も絶好調!
国民の大多数が
わが自民党を支持してくれてる!

●危機感を煽り…
北朝鮮はヤバイよね?
核ミサイル恐いよね?
 「アラやだ! 恐い」
中国も危険な国だよね?
尖閣も奪われるかも
韓国もむかつく国だし

●焦らせる
今にも 核ミサイルが
飛んでくるかもよ!
 「ひいっ」
そのうち 中国艦隊が
攻めてくるぞ!
さあ! どうする?

●そして本題!
危険な奴らに
対抗するのに
あの「変な憲法」が邪魔してる
 「コクン コクン」
今こそ国民の
絶大な信を得た
わが党のもと…
改憲だよね!

*こんな詐欺に引っかかりますか

この、パンフレットは立派な「半鐘」だ。鋭い音を鳴らしている。今、無数の鐘の音が必要だ。ジャンジャンジャンジャンジャンジャンと。
(2018年7月8日)

オウム信者の権威主義と、臣民の精神構造

人の生命はこの上なく重い。犯罪者の生命も例外ではありえない。
だから、死刑の判決には気が滅入る。被害者や肉親の被害感情を考慮しても、国家による殺人を正当化することは文明の許すところではない。死刑執行の報道にはさらに辛い思いがする。少なくとも、死刑を言い渡した裁判官も、求刑した検察官も、執行を命じた法務大臣も、死刑執行にはその全員が立ち会うべきだと思う。それが、人の死の厳粛さに向き合う国家の誠実さであろう。

昨日(7月6日)、麻原彰晃以下7名のオウム真理教幹部の死刑が執行された。
偶然の暗合だろうか。1948年12月23日、東条英機以下のA級戦犯処刑も7名であった。この日は、当時の皇太子(明仁・現天皇)の誕生日を特に選んでのこととされている。

A級戦犯7人の遺体は、横浜の斎場で火葬され遺骨は米軍により東京湾に捨てられている。遺骨を軍国主義者の崇拝の対象としないための配慮からである。死刑の執行や遺体・遺骨の処理をめぐっても、政治的な思惑はつきまとうのだ。今回のオウムの場合の政治的な意図の有無や内容はまだよく分からない。しかし、現代においては、他の刑死者と異なる取り扱いが許されるはずはなく、遺体ないし遺骨は、しかるべき親族に引き渡されることにならざるをえない。

私的な感情においては、この事件を坂本堤弁護士一家被害の立場から見ざるを得ないのだが、全体としてのオウム事件は社会史的・文明史的な事件として多様な角度から検証が必要である。

最大の問題として、信者の教祖に対する権威主義的な盲目的信仰のありかたが問われなければならない。あまりにも旧天皇制の臣民に対する精神支配構造に似ているのだ。この点についての精緻な分析の必要を痛感する。

オウムの信者とは、はたして「凡庸な教祖」と「浅薄な教義」に惑わされた、特別に愚かな被洗脳者集団であったろうか。あるいは、特殊な洗脳技術の犠牲者というべきだろうか。そうではあるまい。70余年前まで、この国の全体が「教祖とされた凡庸な一人の人物」と「浅薄な国家神道教義」に惑わされた被洗脳臣民集団が形づくる宗教国家であったのだから。

当時、支配者が意識的に煽ったナショナリズムが信仰の域に達して、天皇を神とする天皇教が国民の精神を支配した。天皇はその教義に則って現人神を演じ、国民は支配者が作り出した浅薄きわまりない天皇を神と崇める教義を刷り込まれ、信じ込まされた。あるいは、信じたふりを強要された。

当時の平均的日本人は、「万世一系の天皇を戴く神の国日本に生まれ、天皇の慈しみを受ける臣民であることの幸せ」を受け入れていた。この国全体が、オウムと同様に「凡庸な教祖」と「浅薄な教義」に惑わされた狂信的信者に満ち満ちていたのだ。

天皇や、天皇の宗教的・道徳的権威に対する、国民の批判精神の極端なまでの脆弱さ。その権威主義的精神構造が、「天皇と臣民」の関係をかたちづくった。換言すれば、臣民根性の肥大こそが、神なる天皇と、神聖な天皇に拝跪する臣民の両者を作ったのだ。

敗戦によって、日本国民は天皇制の呪縛や迷妄から解き放されて、自立した主権者になった…はずだった。が、本当に国民は自立した精神を獲得したのだろうか。為政者や権威に対する批判的精神は育っているだろうか。時代は社会的同調圧力に屈しない人格に寛容だろうか。自他の尊厳を尊重する人権意識が共有されているだろうか。自分の精神の核にあるものにしたがって、理不尽な外的強制を拒否する精神の強靱を、一人ひとりがもっているだろうか。

明治150年論争が盛んである。その前半の旧天皇制の支配を許した精神構造を、後半の時代が克服し得ているか。これが最大のテーマのはず。残念ながら、オウムの事件は、これに否定的な答を出しているようではないか。天皇制を許した権威主義的国民精神の構造が、そのまま尊師の権威を尊崇する精神になっているように見えるからだ。

「たとえ人を殺しても、尊師の命令に従うことが正しいことだ」という精神構造は、「天皇のために勇敢に闘え。天皇の命じるところなのだから、中国人や鬼畜米英を殺せ。」という、あの時代の精神が伏流水のごとくに吹き出してきたものに見える。地下水脈は枯れてはいなかった。一億総洗脳の時代のカケラが、部分的洗脳となったに過ぎないのではないか。

オウムの事件は、国民の権力や権威に対する批判精神が、いまだ不十分であることを示している。天皇制を支えた国民の権威主義が払拭されずそのままであるとすれば、象徴天皇制が、いまなお国民を支配するための道具としてすこぶる有用ということでもある。オウムの事件を通じて教訓とすべき最大のものは、権威主義の克服ということであろうかと思う。
(2018年7月7日)

トランプと「カジノ王」肝いりのカジノ法案

「盗人にも三分の理」という。この「盗人」の読みは、貧者から盗む奴には怒りと侮蔑の念を込めて「盗人(ぬすっと)」と読まねばならず、金持ちからの窃盗犯には穏やかに「盗人(ぬすびと)」と読むべきだろう。「盗人(ぬすっと)」と「盗人(ぬすびと)」、それぞれの「三分の理」の内容には自ずから異なるものがある。大金持ち専門の盗賊は「義賊」ともなる。この世に格差がある限り、「盗人の理」も永遠不滅と言わざるを得ない。落語「花色木綿」に出てくる「貧の末の出来心」というあの言い訳。

「盗人に三分の理」とは、「三分しか言い訳できない」ことでもある。この点は、博打も同様。確率から言えば、必ず損をするのが博打。その点憐れではあるが、相手の懐にある金を我がものにしようという点では、盗人と変わるところはない。博打を賭博と言っても賭け事と言っても、あるいはカタカナ語でカジノと言い換えてもまったく本質は同じこと。

賭場では、お互いに他人のカネをむしり合う。このむしり合いを煽り高みで眺めながら、テラ銭を稼ぐのが胴元。リスクなく利益だけをむさぼるという点で、割のよい商売だが、それだけにタチが悪い。刑法では、賭博場開張罪として重く罰せられる。歴とした犯罪者である。
「賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する。」(刑法186条2項)

賭場開帳者と言っても、カジノ経営者と言っても同じこと。人の不幸を作り出してテラ銭を掠めとる蔑むべき犯罪者。やっていることは本来的悪行である。こんな輩に、「一分の理」も語らせてはならない。

本日(7月6日)、参院でカジノ法案が審議入りした。そして、その前提としてのギャンブル依存症対策法が成立した。何ともヘンな話しだ。「食中毒にならないように腐った物の客への提供を禁止する」のではなく、「客の方に、腐った物への耐性をつけさせよう」という法案なのだ。自民・公明・維新が提案者。これを記憶に留めておこう。罪の深いことといわなければならない。

「盗人猛々しい」という言葉さながらに、アベがバクチ解禁の「一分の理」を趣旨説明した。「経済振興」というのだ。バクチで経済振興。博打で観光客誘致。これがまともな政府の言うことか。さすが、戦後民主主義を否定して戦前日本へ回帰のアベ政治。植民地や占領地にアヘンを売りさばいて戦時財政の原資を捻出した没義道国家の再生ではないか。

本日(7月6日)の東京新聞一面トップに、「カジノ法案にトランプ氏の影 きょう参院審議入り」の大見出し。「カジノ解禁を安倍政権が急ぐ背景には、米カジノ業界から支援を受けるトランプ米大統領の影が見え隠れする。ギャンブル依存症の増加など多くの懸念が指摘される法案は結果的に、日本参入を目指す米側の要求が反映された。」という内容。

トランプの有力支持者として、「カジノ王」シェルドン・アデルソンの名が出て来る。「カジノの経営者」だから、わが国の刑法から見れば歴とした犯罪者。「カジノ王」というぐらいだから、多くの博打打ちから莫大なテラ銭を掠めとって来た人物。人の不幸で大儲けをし、さらに儲けようと虎視眈々。

こんな輩が、「大統領選で40億円近い資金援助をし、今秋の中間選挙でも共和党に資金提供を約束していると報じられる。政権の政策にも大きな影響力を持つ。イスラエルのネタニヤフ首相の支援者でもあるユダヤ系で、米大使館のエルサレム移転を歓迎し、費用の寄付も申し出ている。」という。トランプ陣営の何たる醜悪。

17年2月訪米したアベは、「朝食会でアデルソン氏らを前に、前年12月に公明党幹部の反対を押し切って強硬に成立させたカジノを含むIR整備推進法が施行されたことを『手土産』にアピールした。」という。トランプに輪をかけたさらなるアベの醜悪さ。

アデルソンは日本でのカジノ運営に関して、「客への金融サービス実施や面積規制の緩和も求めた。」と口を出した。その後、「政府案に当初盛り込まれていた面積の上限の数値は消え、カジノ事業者が顧客に賭け金を貸し出すことも認めた。米側の要求と一致したと国会でも指摘されたが、政府は日本の政策判断だと強調する。」

カジノで大儲けできるように、掛け金の貸し付けまでやらせようというのだ。こんな法案が国会通るのなら世も末ではないか。

東京新聞の記事は、最後をこう結んでいる。
「立憲民主党の枝野幸男代表は『米国カジノ業者が子会社をつくり運営し、日本人がギャンブルで損した金を米国に貢ぐ。国を売る話だ』と厳しく批判している。」

はて? アベシンゾーとは、真正の売国奴であったか?
(2018年7月6日)

速報が出る度もしや「アベ逮捕」

昨日(7月4日)の毎日新聞仲畑万能川柳欄に、刺激的な一句。
速報が出る度もしや「安倍辞任」 (秦野・たっちゃん)

明けての今日(7月5日)なら、こうでなくてはならない。
速報が出るたびもしや「アベ逮捕」 (よみびと知らず)

昨日現職の文科省局長が、受託収賄の容疑で逮捕されたというのだ。この容疑、どこかで聞いたことがあるような…。日本中で、「もしやアベ逮捕」の期待が高まったとして少しもおかしくない。近畿財務局や佐川理財局長の訴追には鳴りを潜めていた特捜が、今回ばかりはえらく張り切っている。裏があるやらないのやら。難波の仇を江戸で討つのおつもりか。

局長逮捕の被疑事実は「請託をうけて、『(A)東京医科大を文部科学省の私立大学支援事業の対象に選定するという便宜を図る』見返りに、『(B)被疑者の子どもを医科大学に不正入学させてもらった』」ということのようだ。『(A)公務員の職務権限行使』の見返りに、『(B)賄賂の収受』が行われたという、(A)と(B)と、「(C)両者の関連性(見返りに)」の存在が、単純収賄罪成立の骨格である。「請託をうけて」という加重要件が加われば、受託収賄罪として法定刑が重くなる。

誰もが連想する。「もしやアベ逮捕」はあり得ないのか。首相とて公務員である。ロッキード事件では田中角栄が受託収賄で起訴され、1・2審とも有罪判決となった。もっとも、上告中に田中は死亡し、公訴棄却で終わっているが、首相の収賄罪も成立するのだ。検察にやる気さえあれば。

アベの犯罪成立のためには、「『(A)腹心の友が経営する学校法人加計学園の獣医学部設立の要望実現に最大限の便宜を図る』見返りに、『(B)加計学園側から被疑者(アベ)本人に対して賄賂(「人の欲望を満たすに足りる何らかの有形無形の利益」)が提供されてこれを収受した』」ということが必要になる。

誰の目にも(A)は明らかと言ってよかろう。では、(B)の賄賂の収受はどうか。これはことの性質上、表だって人目に付くことではない。必ず裏で行われることだが、その端緒が見えないわけではない。たとえば、アベとの付き合いについて、加計孝太郎はしばしばこんな話を周囲に漏らしているという。
「安倍総理とゴルフに行くのは楽しいけどお金がかかるんだよな。年間いくら使って面倒見てると思う?」(週刊新潮17年7月20日号)

「年間いくら使って面倒見てると思う」かって? そりゃ知りたい。教えていただきたい。是非とも、国会の証人尋問でしゃべっていただきたい。あるいは、特捜の捜査に資料を提供していただきたい。ゴルフ接待、会食接待を調べるところから、賄賂収受が見えてくるだろう。

「魚は頭から腐る」。このごろ、よく聞く。ロシアの諺だというが、なるほど霞が関の腐り方を言い得て妙である。首相が腐り、大臣が腐り、次官が腐り、局長が腐ってきたのだ。上からの腐りが局長まで及んだのに、局長だけが逮捕されて、大臣や首相が安閑としておられるのがおかしいし面白くない。

速報が出る度に、もしや「アベ逮捕」と期待してもよいはずではないか。アベ責任追求の世論がさらに沸騰し、検察にやる気があれば、の話だが。
(2018年7月5日)

広島県教委の政権への忖度は、前川喜平人気を押し上げる結果となる。

独断的な思い入れではあろうが、今、好感度の高い国内の人気者を3人挙げろと言われたら、まずはシャンシャン。次が藤井聡太。そしてもうひとりが前川喜平ではなかろうか。「人寄せパンダ」という言葉があるが、前川喜平講演会もパンダに負けない集客力がある。真面目な人柄の真っ当な物言いだけでなく、爽やかさとしたたかさのキャラクターがうけている。

反対に好感度マイナスのアンチヒーローを3人挙げろと言われたら、まずはアベ晋三。次が麻生太郎だが、もうひとりが難しい。安倍昭恵、加計孝太郎のどちらかとするか、あるいは佐川宣壽・福田淳一か。いずれも丙丁つけがたい。

アベ・麻生・加計・佐川らと対極に位置することが前川人気の源泉である。その落差が際立つほど、前川人気が大きくなる。この灰色の時代を形づくるダーティーな人物群への批判を象徴する立場となっているからだ。

学生諸君よ、官僚になるのも悪くない。が、最後まで面従腹背の人生で終わってはつまらない。権力者ベッタリというみっともない生き方にはどこかでサヨナラしよう。自分流に爽やかにしたたかに生きよう。佐川にならずに、前川を目指そうではないか。

昨年(2017年)11月、前川は寺脇研との共著で、ちくま新書「これからの日本、これからの教育」を出している。その惹句が以下のとおり。
「一人ひとりの生きる力をサポートするのが教育の使命。その思いのもと、どんな人でも、いつでもどこでも学べるよう改革を進めてきた二人の文部官僚。復古的なナショナリズムと、弱肉強食を放置する市場主義が勢いを増すなかで、加計学園の問題は起きた。この問題を再検証し、生涯学習やゆとり教育、高校無償化、夜間中学など一連の改革をめぐって、とことん語り合う。これからの日本、これからの教育を展望する希望の書である。」 真っ当で立派なものだ。

そして、ごく最近単著を出した。タイトルが、そのものズバリ「面従腹背」(毎日新聞出版)だから読んでみたくもなる。「あったことをなかったことにはできない」との決めゼリフが副題となっており、「文部科学省という組織の中で、『面従腹背』しながら行政の進むべき方向を探し続けた38年間の軌跡を振り返る」内容とのこと。

ネットで検索すると、動画での講演やインタビューがふんだんにアップされている。文字情報では、「文春オンライン」で、「前文部科学事務次官・前川喜平 2万字インタビュー」を読むことができる。これが滅法面白い。
http://bunshun.jp/articles/-/7862?page=2

なかで、「思想的には相容れない、加戸守行さんのこと」という章が楽しい。前愛媛県知事加戸守行は、前川の直接の上司だったという。これは奇縁。

以下は、インタビューの抜粋

――実際に入省されての文部省の印象はいかがでしたか?
前川 いや、入る前からひどく保守的なところだろうとは思ってました。扱う分野は教育、科学、文化と大事なものばかりですが、役所自体が後ろ向きの姿勢だと感じていました。私は教育はもっと自由でなければいけないという信条でしたが、文部省は教育に対する国家の支配を強めようとしていましたから。これは自分の思想と、組織の論理は食い違うだろうなと覚悟してました

――リクルート事件の話に戻りますが、このときに官房長だった加戸守行さんも連座してお辞めになっています。加戸さんはその後、愛媛県知事となり加計学園獣医学部の今治市への誘致を進めていたとして、国会の参考人招致で前川さんと再び顔を合わせることになりますね。
前川 実は加戸さんは私が文部省に入って間もない頃の上司なんです。私は官房総務課に配属されたんですが、その後総務課長に来られたのが加戸さん。私の結婚式で歌を2曲歌ってくれました。

――あっ、そうなんですね。ちなみに何を歌われたんですか?
前川 全然覚えてないんだけど、同じく元文部官僚の寺脇研さんの結婚式では「芸のためなら 女房も泣かす?」っていうあの歌、『浪花恋しぐれ』を歌ったそうです。なんでこれを歌ったんですかね(笑)。

?――加戸さんはどんな上司でしたか?
前川 加戸さんから建国記念の奉祝式典に潜入してこいと「密命」を帯びたことがあるんです。式典に文部省が後援名義を出すので、様子を見て報告しろと。それで行ってみると、のっけから紀元節の歌をみんな起立して歌っているわけです。「雲に聳ゆる高千穂の 高根おろしに草も木も」って。講演も右翼チックなものばかり。まさに紀元節復活みたいな強い雰囲気があって、これは参ったなと加戸さんに報告したら「そうかそうか、よかったよかった」って言うんです。加戸さん、右翼なんですよね。総務課長室に建国記念の日のポスター、ダーンと貼っていたのもそういうことかと。だから、思想的には私とは相容れないところがあるんです。

前川が、「私は教育はもっと自由でなければいけないという信条でした」「加戸さん、右翼なんですよね。」と言う、面従腹背ぶりが鮮やかである。

その前川の講演と自治体との関わりが、話題となっている。本日(7月4日)の毎日夕刊の記事。

 広島市で9月30日に開催予定の前川喜平・前文部科学事務次官による教育をテーマにした講演会について、広島県教委と広島市教委が後援申請を断っていたことが4日、分かった。県教委は「政府に対する批判的発言が目立ち、講演で触れる可能性が高い」、市教委は「教育行政の推進に支障をきたしかねない」としている。一方で、同県廿日市市教委は後援を受諾した。
講演会はNPO法人フリースクール木のねっこ(廿日市市)などが企画し、5月下旬に3教委に後援申請した。同NPOのホームページによると、講演会では不登校問題や憲法・道徳教育について前川氏とNPO法人フリースクール全国ネットワーク(東京)の代表理事らが対談する。

 県教委によると、幹部による協議を踏まえ、「特定の宗教や政党を支持しないとする内部基準に適さない」として6月15日に申請を断った。広島市教委は「前川氏の講演会は複数の自治体で後援の判断が分かれており、積極的に後援できない」として今月3日に拒否した。一方、廿日市市教委は「目的が生涯学習の推進という事業に当てはまる」として後援を認めた。

 前川氏の講演を巡っては、4月の講演会について山口県下関市教委が後援を断り、同じ日に予定された別の講演会で、北九州市教委が後援を認めるなど判断が割れている。

これはおかしい。前文科事務次官の講演を「特定の宗教や政党を支持しないとする内部基準に適さない」はあり得ないだろう。前川は講演依頼の趣旨によって、話題を選んでいる。「不登校問題や憲法・道徳教育について」というテーマで、「特定の宗教や政党の支持」が語られるはずがない。結局は、時の政権の意向を忖度し、ご威光にひれ伏しての、いやがらせに過ぎない。行政は公平でなくてはならない。この見識の無い教育委員会の措置は厳しく批判されねばならないが、これで前川人気に翳りが及ぶことはない。却ってこの話題が前川人気を煽ることになるだろう。

もしかしたら、広島県教委と市教委の智恵者が、前川人気を煽る目的での後援拒否だったのかも知れない。これこそ、みごとな「面従腹背」ぶりではないか。
(2018年7月4日)

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