澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

2月16日 納税者一揆の爆発だ!! ― 「モリ・カケ追及! 緊急デモ」のお知らせ

国民は、モリ・カケ問題に怒っているぞ。
安倍晋三の政治と行政の私物化に怒り心頭だ。
その解明と追及の不徹底にイライラしているぞ。
安倍やその手下は、国民の共有財産をいったい誰のものと思っているんだ。
こんな政府に税金なんか納めたくないぞ。
だから、確定申告の初日に、納税者一揆だ。

一揆の揆は難しい字だ。手許の漢和辞典(大漢和語林)では、漢音でキ、呉音でギと読み、「はかる」と訓じている。意味に「はかり考えること」「はかりごと」とある。一揆は、多数人がひとつになって「はかり考える」「はかりごと」を企て実行することなのであろう。我が国で古くから、一致協力する意味の言葉として定着し、権力者に対抗しての連帯や団結、そしてその行動として使われた。同じ辞書に、「農民や信徒などが団結して権力者に立ち向かうこと」とある。民衆の権力者の横暴への怒りの発露が一揆なのだ。

私は一揆が大好きだ。民衆の団結と知恵の力が権力者の心胆を震えあがらせる。こんな痛快なことはない。

しかし、今や農民一揆だの打ち壊しの実力行使の世ではない。一揆の精神でデモをかけよう。安倍や麻生、佐川らに。森友・加計問題対する国民の怒りを行動で表わそう。

詳細は、「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」のホームページで。
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/216-c9bf.html
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今国会でのモリ・カケ問題に対する政府答弁は国民を愚弄する、うそとごまかし満載の極めて異常なものです。
(参考 モラルも血も涙もない異様な国 納税者はどう見たか 麻生ニタニタ答弁(日刊ゲンダイ) http://www.asyura2.com/18/senkyo239/msg/270.html)
私たちの会は今年度の確定申告が始まる2月16日(金)午後、次のような「モリ・カケ追及! 緊急デモ」を行うことになりました。

モリ・カケ追及! 緊急デモ
悪代官 安倍・麻生・佐川を追放しよう!
 検察は財務省を強制捜査せよ!
安倍昭恵さんは証人喚問に応じなさい
 納税者一揆の爆発だ!

主催 森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会
<行動スケジュール  2月16日(金)
13時30分 日比谷公園 西幸門 集合
13時40分 ?財務省・国税庁 包囲行動
宣伝カーを使ったアピール行動
14時15分 デモ出発(西幸門)
→ 銀座・有楽町の繁華街を行進
15時(予定) 鍛治橋(丸の内)で解散

背任、証拠隠滅の悪行を犯しながら、責任逃れの答弁で逃げ切りを図ろうとする悪代官たちを許さない主権者の怒りを総結集して、納税者一揆を爆発させましょう!
皆さまのご参加、お知り合いへの呼びかけをぜひともお願いします。

PDFダウンロード
https://app.box.com/s/ktgpzbj9uw92kh9hx5ye7ui1h46b57jn
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当日のコール(案):みんなで提案しようではありませんか
・今日から確定申告だ
・税金いったい誰のもの
・全国民の財産だ
・財産管理がおかしいぞ
・ただ同然で売り払い
・記録も記憶もないという
・そいつは誰の責任だ
・アイアムソーリー 安倍ソーリー
・安倍の取り巻き怪しいぞ
・検察は財務省を強制捜査せよ!
・森友疑惑に 加計疑惑
・森友・加計は火を噴いた
・龍池留置に出世の佐川
・加計孝太郎氏は逃亡中
・孝太郎さん どこにいる
・「モリ・カケ」食い逃げ 許さんぞ
・音声・録音 嘘はない
・佐川は辞めろ
・任命責任 麻生だろ
・嘘つき大将 安倍晋三
・昭恵夫人は 喚問だ
・加計の孝太郎氏も喚問だ
・おれたち国民怒ってる
・納税者一揆の爆発だ!

(2018年2月3日)

自衛官違憲訴訟―これから改正自衛隊法の本格的な違憲論議が始まることになる。

一昨日(1月31日)、東京高等裁判所が「超弩級の」「たいへんな」判決を言い渡した。第12民事部(杉原則彦裁判長)の自衛官「命令服従義務不存在確認請求」控訴事件。原判決(原告敗訴)を取り消して、東京地裁に差し戻すこれは体制を揺るがしかねない歴史的な判決。

「超弩級」「たいへんな」と大袈裟な形容は、差し戻しを受けた地裁の係属裁判所では、「訴えの利益なし」とか、「抗告訴訟の訴訟要件の具備がない」などとしての門前払い却下判決の道が塞がれてしまったからだ。ガチンコで、自衛隊法の合違憲判断に取り組まざるを得ないからだ。

自衛官に対する「存立危機事態」における出動命令の根拠条文が、「改正後の自衛隊法76条1項2号」。条文は以下のとおり。

第76条1項 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
1号 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
2号 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態

上記第1号が個別的自衛権の行使に関わる「武力攻撃事態」であり、第2号が集団的自衛権行使に関わる「存立危機事態」である。現職自衛官である原告は、「存立危機事態」に限っての出動命令に服従する義務がないことの確認を求めているわけだ。

2015年9月に安保法制整備の一環として成立したこの改正自衛隊法の条項が憲法に違反して無効である、というのが原告自衛官の主張。だから、「自衛隊法76条1項2号同条同項に基づく出動命令には服従する義務はないことの確認を求める」というのが請求の趣旨。差し戻し審では、この請求に理由があるか否かについて本格的な攻防が行われることになり、裁判所(東京地裁)は合違憲判断から逃れられない。だから、「超弩級」「たいへんな」事態なのだ。

先日、「憲法を武器として 恵庭事件 知られざる50年目の真実」という、ドキュメント映画を観た。恵庭事件は、検察側が、野崎兄弟の通信線切断という器物毀棄行為を敢えて「自衛隊法違反」で起訴することによって、自衛隊の合憲判断を得ようとしたものだ。これに対して、今回の自衛官の違憲訴訟は、違憲判断を得ようという側の提訴。これは、関ヶ原だ。大事件とならざるを得ない。

原告自衛官側は、この訴訟を「命令服従義務不存在確認請求事件」と名付けている。我々が2004年に提訴した、日の丸・君が代強制予防訴訟は、「国歌斉唱義務不存在確認等請求事件」である。おそらくは、自衛官訴訟の担当弁護士が予防訴訟を参考に命名してくれたのだと思う。どちらの事件も「懲戒処分の予防を目的とする無名抗告訴訟」である。杉原判決は、この無名抗告訴訟の訴訟要件の具備を認めた。だから、差し戻し審では、自衛隊法の合違憲の判断をしなければならなくなる。

裁判所とは、公権力に違憲・違法な行為があったとき、誰でも駆け込んでその是正を求めることができるところではない。権利の侵害を受けた者が、その回復を求めることができるに止まるのだ。その意味では、裁判所は人権の砦ではあっても、必ずしも憲法の砦ではない。たとえ政府に明白な違憲行為があろうとも、そのことによって権利の侵害を受ける者が訴え出なければ、裁判手続を通じての是正はできない。他人の権利侵害での裁判も受け付けてはもらえない。健全なメディアによる健全な世論形成によって、次の選挙で政府をあるいは政策を変えさせることが期待されているのみなのだ。

ことは三権分立の理解にある。「司法の優越」は、司法がオールマイテイであることを意味しない。立法や行政が、国民の権利を侵害するときに限り、その権利侵害を回復する限度で、司法は機能する。杉原判決は、「存立危機事態」における自衛官に対する出動命令について、予めその命令に応ずべき義務のないことの確認を求める訴訟は適法であると宣言したのだ。これは素晴らしいことだ。

この訴訟の原告は茨城県の陸上自衛隊員とのこと。弁護団事件ではなく、弁護士なしの本人訴訟だったが高裁段階では、群馬県太田市の弁護士が一人ついている。ここまで立派なものだと思うが、是非とも、弁護団を組むべきだろう。憲法学者・行政訴訟法学者・政治学者・ジャーナリストなどのの支援を得て、歴史的な大違憲訴訟とすべきだろう。

頃もよし、アベ9条改憲と切り結ぶべき時ではないか。
(2018年2月2日)

DHC・吉田嘉明のスラップ提訴は、「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く」ものである ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第119弾

もとより提訴は、国民に等しく認められた権利だ。これを、憲法32条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と人権カタログのひとつとして挙示している。

法や裁判所がなければ、この世は実力だけがものを言う野蛮な社会となる。権力や社会的な強者の横暴に泣き寝入りすることなく、弱者が自分の権利救済の盾とも槍ともするものが法であり、その権利救済を実現する場として駆け込むところが裁判所である。

この本来の目的から逸脱した提訴は、訴権の濫用として違法となり、提訴自体が不法行為として損害賠償請求の責任を生じることになる。スラップとは、そのような問題なのだ。裁判制度の利用まで、カネの力次第として濫用を許してはならない。

今のところ、訴訟提起自体を違法とすることについての基準としては、1988(昭和63)年1月26日最高裁判決がリーディングケースとされている。同判決は、「訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる場合に限られるものと解するのが相当である。」と判示している。そりゃそうだ。通常、提訴は権利だ。提訴して敗訴したというだけでは、違法な提訴をしたことにはならない。しかし、それは通常、あるいは普通の場合。本件は、極めて特別であり特殊な場合なのだ。

この点について、前記最高裁判決はこうも言っている。訴訟提起が違法になる場合として、「…当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的に根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起した場合…」。DHC・吉田嘉明の、私に対するスラップ提訴は、「事実的、法律的に根拠を欠くもの」という客観要件を明らかに具備している。しかも、吉田嘉明は、「訴えが事実的、法律的に根拠を欠き敗訴必至なことを知っていた」。少なくも、「通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起した」のだ。なんのために、自分への批判の言論を封殺するためにだ。だから、とんでもない高額訴訟となっているのだ。

従って、DHC・吉田嘉明の私(澤藤)に対する提訴は、「訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる」ものとして、その提訴自体が違法といわねばならない。

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本日の法廷での手続は、DHC・吉田嘉明側が反訴答弁書を陳述し、これに対する反論に必要として、澤藤側から、準備書面(1)の求釈明書(後記)を陳述した。

結局はこの求釈明に対するDHC・吉田側の意見を待って、澤藤側から本格的反論をすることになり、
次回口頭弁論期日は、
2月16日(金)午後1時00分(415号法廷)となった。

なお、裁判長から原告に対して、再度の本訴取り下げ勧告があり、原告訴訟代理人から「次回までに手続をする」との発言があった。

その後、小規模ながら、報告集会兼弁護団会議が行われた。弁護団長から、関連別訴の判決内容について分かっている限りで詳細な報告があり、あらためて、DHC・吉田嘉明の提訴の不当性について、思いを新たにした。

意見交換では、本件スラップ訴訟の違法性について、客観面と主観面の両方から、明らかにしていくべきことが確認された。求釈明に対しては、誠実な回答はなされないだろうことを前提に、対策を講じようということになり、次回弁護団会議を設定した。

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平成29年(ワ)第30018号 債務不存在確認請求事件
平成29年(ワ)第38149号 同損害賠償請求反訴事件
反訴原告(本訴被告) 澤藤 統一郎
反訴被告(本訴原告) 吉田嘉明、株式会社ディーエイチシー

????????? 準備書面(1)

??????????????????????????????????????????     ? 2018年(平成30年)2月1日
東京地方裁判所民事第1部合議係 御中

反訴原告(本訴被告)訴訟代理人
弁護士 55名

 反訴被告らの答弁書に反論するにあたり、反訴被告らに対し、以下の点を明らかにするよう求める。

1 反訴原告は、反訴被告らの前件訴訟提起が違法であることを、最高裁昭和63年1月26日判決に基づき主張しているが(反訴状7頁)、同判決は、訴訟提起が違法になる場合として、「・・当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的に根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる場合に限られるものと解するのが相当である。」と判示している。
同判決は、その事案に即し、訴訟提起が違法(著しく相当性を欠く)となる場合の一例として、「提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的に根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえた場合」を挙げているが、もとより、違法提訴がこれに限定されるわけではなく、違法性の判断指標は、「訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる」か否かにあり、この指標に基づき、当該訴訟提起の違法性を、主観、客観の両面から検討し、時代に即した判例法の発展(言論、評論の自由と個人の名誉という対向する権利の困難な調整)が期待されている。
この点において、反訴被告らが、反訴答弁書において、ことさら同判決の例示部分のみを引用する論述は(反訴答弁書5頁)、軽挙な前件訴訟提起の一因を示している。

2 本件において反訴原告は、前件訴訟提起の違法性について、敗訴の客観的予見可能性とともに、反訴被告らの訴訟提起の意図、目的が、裁判による権利回復よりも、意に沿わない公共事項に関する公益目的の言論を封殺することにあったと考え、これを裏付ける事実の一つとして、反訴原告が知りえたものだけでも、反訴被告らが10件の類似の高額名誉毀損訴訟を一括提起し、多数の敗訴を受けているという事実を主張している。

3 これに対し、反訴被告らは、10件の訴訟提起の事実を認め、その一部につき和解調書(甲A17?18)と判決書(甲A19)を提出し、また、反訴被告吉田は、反訴被告会社のブログ(乙9の2)で、多数の訴訟提起に至った経緯について、「渡辺騒動の後、澤藤被告始め数十名の反日の徒より、小生および会社に対する事実無根の誹謗中傷をインターネットに書き散らかされました。当社の顧問弁護士等とともに、どのケースなら確実に勝訴の見込みがあるかを慎重に検討した上で、特に悪辣な10件ほどを選んで提訴したものです。やみくもに誰も彼もと提訴したわけではありません。」と述べている。

4 そこで、反訴被告らに対し、以下の各点を明らかにするよう求める。
(1)反訴被告吉田が週刊新潮に告白した事実に関し、反訴被告らを批判(事実無根の誹謗、中傷)する記事やブログは合計何件あったのか。
(2)批判する記事やブログはすべて「反日の徒」なる当事者からのものであったのか。「反日の徒」とはいかなる概念か。
(3)反訴被告吉田が反日と評する当事者以外の者からも、反訴被告らを批判する記事やブログは存在したか否か、存在した場合はその合計件数。
(4)提訴基準とした「特に悪辣なもの」とは、具体的にどのようなものか。「悪辣」の要素に、「反日」なるものが含まれているのか。
(5)「確実に勝訴の見込みがある」ことの慎重な判断には、どの程度の時間と労力を費やし、どのような判断基準を採用したのか。その際、相手方との事前交渉を考慮したことはなかったのか。事前交渉をしたものがあるとすれば、その件数と内容。
(6)必ず勝てるとの判断は、検討に加わった顧問弁護士を含めた全員一致の結論か、それとも、顧問弁護士らの意見を踏まえた上での反訴被告吉田の判断か。
(7)提訴件数は、反訴原告が知り得た10件のみか。提訴した事件の内容とその結末(提訴した全事件の訴状と、結末が分かる判決書もしくは和解調書を提出されたい)。
(8)提訴事件の各損害賠償額と全事件の請求合計額、金額算定の根拠。
以上

日弁連会長選挙 保守派も革新派も「弁護士自治を堅持」

今、弁護士会は春の恒例行事、役員選挙の真っ盛りである。梅の花が咲く初春の風物詩であり、子どもたちの受験シーズンとも重なる。東京弁護士会では、この時期、全館の会議室が選挙用に押さえられ、他の集会予定がとばっちりを受けることとなる。

今年(2018年)の弁護士会役員選挙は、日弁連・各単位会とも2月9日(金)が投開票。今年の選挙は、まずまず穏やかで波乱はなさそう。私が当ブログで繰りかえし指摘してきた「理念なき弁護士」たちの跳梁は見られない。

以下の記事をご覧いただきたい。
「『弁護士の役割や使命への自覚はなく、もっぱら経営の安定だけが関心事と見える』 平成27、28年度の東京弁護士会副会長選挙で「弁護士自治」の“廃止”を打ち出したロースクール世代の赤瀬康明(39)やその支持者に対し、同じ東弁所属の澤藤統一郎(74)が当時、ブログでこう強く批判した背景には、弁護士自治に対するベテラン世代の強い思い入れがある。

 弁護士自治は、弁護士が悲願の末に勝ち取った生命線だ。戦後の昭和24年に施行された弁護士法で、弁護士会は登録事務と監督・懲戒権を独占した。世界でもまれに見る、監督官庁を持たない自治体制は、戦前の教訓から生まれた。

戦前の旧弁護士法では、登録を法務府が管轄。監督・懲戒権は司法省が持ち、弁護士会は任意加入団体にすぎなかった。こうした状況下で、共産党員が検挙された昭和3年の「3・15事件」などで弁護人を務めた「日本労農弁護士団」が8年、治安維持法違反で一斉に逮捕され、弁護士資格を剥奪(はくだつ)されるなど、弁護士が言論統制の対象となるケースが相次いだ。

 弁護士は、使命とする「人権擁護と社会正義」を実現するためには、いかなる権力にも屈することなく、自由独立でなければならない。そのためには監督・懲戒に国家が介入できない仕組みが必要 ?。その積年の願いを実現したのが現在の弁護士自治だ。強制加入制も、弁護士自治を担保するために必要不可欠な仕組みとして導入された。

それだけに、弁護士会の懲戒や会務活動は裁判所や行政の関与で代替可能?という赤瀬の「任意加入制導入」の主張は波紋を広げた。澤藤も『弁護士会自体が人材をきちんと育てていない。非常に危機感を持っている。今は(赤瀬は)泡沫(候補)だが、これから先は分からない』と若手の「弁護士会離れ」の予兆を感じたのだ。」

実はこれ、本年1月23日産経新聞の記事。【弁護士会 地殻変動(2)】というシリーズに、「『政治的な活動にうつつを抜かしている暇ない』ロースクール世代、ベテランと溝」というタイトルでの記事の冒頭部分。産経の記者に取材を受けて語ったことが、要領よくまとめられている。この部分に関しては、いつも私が非難してやまない産経とは思えぬ書きっぷり。これなら、「日の丸・君が代」にせよ、靖国にせよ、改憲問題にせよ、産経の取材を断る理由はなさそうだ。

「ロースクール世代」対「ベテラン世代」の意識の対立という構図が正確かどうかはともかく、弁護士自治を不要と広言する「理念なき弁護士」群の出現は、人権派にとっては恐るべき脅威であり、右派勢力にとっては輝く希望の灯だろう。

在野に徹することを使命とし、権力の介入を許してはならないと明確に自覚すべき分野として、《メディア》と《大学》と《在野法曹》とがある。それぞれに、理念の揺らぎが感じられるものの、まだまだ在野派健在なのだ。

今年(2018年)の会長選挙ではまともな議論が行われている。
日弁連会長選挙候補者は、いわゆる「主流派」から菊地裕太郎、「反主流派」からは武内更一。両候補の選挙公報の対比は興味深い。菊地の略歴はすべて元号表示、武内は西暦で統一されている。常識的には、保守対革新の対立と言ってよかろう。

菊地の訴えの項目は下記のとおり至極穏当なもの。
1.憲法の根本規範を護る
2.公正・公平な人権尊重の社会を目指して
3.弁護士業務基盤を確かなものにする
4.貸与制世代への対応
5.災害対策・被災者支援
6.刑事・民事の司法改革の推進
7.法曹養成制度について
8.弁護士自治を堅持し、司法の力を信じて一体感のある日弁連を

これに対する武内陣営のスローガンの大綱は以下のとおり。こちらは、穏やかならざる雰囲気を感じさせる。
【?】9条改憲反対・とめよう戦争 共謀罪廃止
【?】弁護士自治は権力・社会的強者と闘うための民衆の盾
【?】弁護士貧困化攻撃をはね返そう

両陣営の主張のトーンはずいぶんちがうが、こと弁護士自治に関しては両陣営とも、「堅持」を積極的に訴えている。保守派の菊地もこう言っている。
「弁護士自治は、先達の熱い想いを込めて勝ち得た我われ弁護士にとってのアイデンティティを象徴する理念です。権力に怯まず恐れず対峙する弁護士・弁護士会の活動を支える制度的保障であります。故に、政治リスクの高まりは、弁護士自治リスクと表裏の関係にあり、日弁連は今、重大な局面にあります。弁護士自治を安定的・持続的な制度保障として確たるものにしていくには、不断の努力が欠かせません。」

もちろん、武内陣営も負けずにこう言う。
「弁護士自治は、民衆が権力や社会的強者から自らを守る盾の役割を弁護士に求めて弁護士法に規定させたものです。権力との対決を避けることは人びとの離反を招き、自治の基盤を失わせます。」

弁護士自治という制度の堅持とともに、この理念を承継する具体策が競われている。
これなら、今年の春はうららに過ごせそう。
(2018年1月31日)

橋下徹の対岩上安身(IWJ代表)提訴はスラップである。

東本高志さんが主宰するBlog「みずき」は、私の目につく範囲では、ブログ文化のひとつの到達点を示すものといえよう。掲載される写真は美しい。引用される記事の浩瀚さには驚くばかり。論説の姿勢の一貫性も立派なものだ。気付かなかった視点の指摘に膝を打つことも多々ある。よくぞ一人で、ここまでできるものと感心せざるを得ない。

しかし、ものごとの断定に過ぎるところがあって、それが一面では歯切れ良さの魅力にもなり、他方危うさを禁じえない。共産党や沖縄県政への批判には、耳を傾けるべきところがあろうとは思うが、過ぎたる辟易感を否めない。

もとより、バランスに気を使った発言などは面白くない。味方の批判は控えろと言論を封じ込めてはならない。そのとおりだとは思うのだが、ときに一言したくなることがある。

同ブログには、「憲法日記」の記事を取り上げていただいたことが何度かある。多くは肯定的に引用していただきありがたく思っている。そしてもちろん、幾たびかは厳しい批判もいただいている。それが必ずしも的はずれではないから、反論など考えもしなかった。

しかし、一昨日(1月28日)付の記事【山中人間話】欄に、「岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです――澤藤統一郎の憲法日記『スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける』」が掲載されている。これは見過ごせない。

Blog「みずき」の断定に過ぎた側面が出てしまったと思うのだが、岩上さんと私の言論の信頼性(名誉というほど大袈裟なものではないが)にも関わることであり、橋下徹免責の内容でもあるので、一言せざるを得ない。

最初に関係する記事のURLを上げておく。
Blog「みずき」:2018.01.28 今日の言葉
http://mizukith.blog91.fc2.com/page-0.html

東本高志フェイスブック1月26日 4:15
https://www.facebook.com/takashi.higashimoto.1/posts/1247612708702487

橋下徹氏に訴えられた岩上安身氏が会見?弁護士ドットコム 2018年01月22日
https://www.bengo4.com/internet/n_7312/

スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第117弾「憲法日記」
https://article9.jp/wordpress/?p=9812

「みずき」の当該ブログ記事は、1月26日付フェイスブックの引用である。その主要な点は下記のとおり。

岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです。自身に対するデマを名誉毀損として訴えるのは橋下であろうと誰であろうと当然のことです。それとも橋下のような右翼集団のボスにはデマを名誉毀損として訴える権利などないとでも言いたいのでしょうか? 澤藤統一郎弁護士の今回の岩上安身擁護の弁論は筋違いも甚だしいと私は思います。

『デマゴーグやヘイトスピーチに言論という同じ土俵でやり取りすべきではないので、今回橋下は正しい』(常岡浩介Twitter 2018年1月22日)

『自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も「ノーコメント」。そりゃ、デマだからだよ。RTがそれだけで名誉毀損に当たる可能性があることは判例で明言。弁護士ドットコムがこんなに突き放した記事書いてるのは初めてみた』(同上)

私は常岡さんの見解に同意し、澤藤さんの見解には反対するものです。」

キモは以下の2行だ。
「自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も『ノーコメント』。そりゃ、デマだからだよ。」
ジャーナリスト常岡浩介は、このように岩上RTの内容をデマと断定し、ブロガー東本もこれに賛同した。「デマへの訴訟。これをスラップとは言わない」との結論となった。

岩上側の1月22日記者会見が、RT内容をデマとする世人の思い込みを誘発し、その名誉毀損性肯定見解蔓延となったことが残念でならない。その直後に、原告橋下自身が提訴の対象としたRTの内容を、「僕が府の幹部を自殺に追い込んだという虚偽事実」と明らかにしている。実は、「僕が府の幹部を自殺に追い込んだ」という表現が果たしてデマといえるのか、ここが真の問題なのだ。

被告岩上側には大阪中心に弁護団ができると聞いている。いずれ、その弁護団の方針が明らかにされるだろうが、「知事である橋下が、大阪府の幹部職員を自殺に追い込んだ」というRTが表現の自由の保障を受けるべきものであることに関して、攻勢的に徹底して争われることになるに違いない。

すべての情報伝達命題は、「事実摘示」部分と、その事実を基礎とした「意見・論評」の部分とから構成されている。「橋下が府の幹部を自殺に追い込んだ」という命題においては、
(1) 「橋下の府幹部に対するハラスメント行為があった」
(2) 「その幹部が自殺した」
(3) 「自殺は橋下のハラスメントよって、追い込まれたものである」
という3構成要素から成り立っており、(1)と(2)とは、直接間接の証拠によって挙証の対象となる「事実の摘示」である。これに対して、(3)は、(1)と(2)を結ぶ因果関係の存在という推論的判断で、それ自体が直接の立証対象となるものではない。

この因果関係推論は、「意見・論評」の範疇として表現の自由が高度に保障されなければならない。とりわけ、府知事という権力者における部下に対する加害という批判の言論においては、最高度の尊重が要求される。

「自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も『ノーコメント』。そりゃ、デマだからだよ。」は、前記(1)と(2)を否定して初めて口にすることができることになる。

この訴訟では、あらためて橋下の在職中のパワハラについての事実や、職員の受難の事実が総点検され挙証されることになるだろう。せっかく橋下自身が作った舞台だ。和解したり、取り下げに同意したりせず、徹底して有効に活用しない手はない。そのうえで、「公的立場にある(あった)人物の、自己への批判の言論に対する不寛容」という問題として裁判所だけでなく、世論にも強く訴えるべきだろう。

そのような構造を持つこの訴訟は、自分への批判嫌忌を動機とするスラップなのだ。この訴訟が原告橋下の敗訴で終わるとき、そのことが証明されることになるだろう。
(2018年1月30日)

2月1日(木)10時30分「DHCスラップ2次訴訟」第2回法廷 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第118弾

私(澤藤)自身が被告とされた「DHCスラップ訴訟」。今、「DHCスラップ第2次訴訟」となり、これに反訴(リベンジ訴訟)で反撃している。

その第2回口頭弁論期日(形式的には3回目)の法廷が近づいている。
 2018年2月1日(木)午前10時30分
 東京地裁415号法廷・東京地裁4階(民事第1部)

今回の法廷では、反撃訴訟訴状(反訴状)に対する反訴被告(DHC・吉田)側の答弁書の陳述が行われる。

どなたでも、なんの手続も必要なく傍聴できます。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。なお、現在東京地裁庁舎では一部のエレベータが稼働していません。エレベータに行列ができています。少し早めに、お越しください。

なお、いつものとおり、傍聴された方には、これまでの進行の解説文と今回口頭弁論期日に陳述となるDHC・吉田側の答弁書のコピーを配布いたします。

また、閉廷後の報告集会は今回に限って行いません。閉廷後に控え室で多少の時間をとってご挨拶と、意見交換をいたしたいと思います。実は、2月1日は東京弁護士会役員選挙の真っ最中。東京弁護士会の会議室はすべて選挙事務所に割り当てられて借りることができません。しかも、アスベスト問題で裁判所のエレベータが満足には動かない事態。加えて、法廷でなすべきことは反訴被告側の陳述のみ。そんなわけで、これまでは毎回行ってきた報告集会を今回は行わず、法廷終了後に裁判所控え室で小さな報告会を行うことにします。
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この反撃訴訟において、何が問題とされているのか。是非とも、ご理解をいただきたい。ご理解だけではなく、ご支援もお願いしたい。言論の自由の保障のために、ひいては民主主義のために。

DHCと吉田嘉明は、私を被告としてスラップ訴訟を提起した。実は私だけでなく、同じ時期に少なくとも10件の同種の提訴をしている。提訴はせずに同種の言論妨害も行っているが、その件数は分からない。

吉田嘉明の私への提訴は、侵害された権利の回復を求めてのものではない。自分(DHCと吉田嘉明)への批判の言論を封じるための提訴だから違法なのだ。言論の自由をこよなく大切なものとするこの民主主義社会において、訴訟を言論封殺の手段としてはならない。これが、「スラップ訴訟を許さない」という意味である。

私は、当時吉田嘉明という人物については何も知らなかった。興味もなかった。だから、格別に先入意識はなく、吉田嘉明に対する侮蔑感も反感も持ってはいなかった。吉田の思想や差別的言動について知ることになったのは、スラップ訴訟の応訴の過程においてのことである。

私は、純粋に、彼が書いた週刊新潮手記を論評する限度で3本のブログ記事を書いた。典型的な政治的言論と言ってよい。中心は政治とカネの問題である。そして、カネの力での規制緩和に警鐘を鳴らし、消費者問題にも言及した。それが、経営者として規制緩和を目指す吉田嘉明にとっては不愉快な内容となった。しかし、だからといって私を訴えるのは筋違いも甚だしい。

当然のことながら、彼にも言論の自由はある。私の批判に異論や反論があれば、堂々と反批判の言論を行えばよい。富豪の彼には、私のブログとは較べものにならない、強力な反批判の言論のツールを持ち合わせている。

ところが、言論に対して批判の言論のツールを駆使することなく、いきなりの提訴。しかも6000万円という明らかに過大な請求。言論をもっての反論ではないこの提訴は、自分を批判するとこのような面倒なことになるぞ、という恫喝以外のなにものでもない。これがスラップというものだ。批判の言論の萎縮を狙っての提訴というところに、その本質がある。

私が事実無根の記事を書いたか。私が彼の人格を攻撃したか。いささかもそのようなことはない。だから、DHC・吉田の私に対するスラップ訴訟は請求棄却となった。一審も控訴審もそして最高裁もだ。しかし、吉田嘉明は負けることが明らかな提訴を敢えてして負けた、それだけのこと。なんの制裁も受けていない。むしろ、「私(吉田嘉明)を批判してみろ。高額損害賠償請求の提訴をするぞ」という威嚇の実績をつくったのだ。提訴した得は確保している。一方、私は故ない提訴を受けてこれを斥けて勝訴はしたが、私に生じた金銭的、時間的、精神的な損失は回復されていない。

だから、DHCと吉田嘉明にはしかるべき制裁措置が必要だし、私の損害は回復されなければならない。こうしてこそ、世にスラップが横行することを防止できる。典型としてのDHCスラップ訴訟にはきちんとしたケジメが必要だ。DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)とは、そのような意味を持つ訴訟なのだ。

次回法廷で陳述予定の反訴答弁書の中に、いくつかDHC・吉田嘉明側の興味深い言い分が記載されている。以下は、その一節。
「反訴被告吉田は,日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註?渡辺喜美)を応援するために,大金(註?8億円)を貸し付けたのであって,政治を金で買うなどという気持ちなど微塵もなかった。当該貸付について,いろいろな意見を言うのはよいとしても,このような反訴被告吉田の純粋な思いを踏みにじるような事実無根の過激な罵倒に対して,名誉毀損だと主張して損賠賠償請求訴訟を提起することが違法になる余地など全くない。」

吉田嘉明には、「純粋な思い」があったのに、これを澤藤のブログの記載によって「踏みにじられた」という。澤藤は、「事実無根の過激な罵倒」をしたのだという。まるで私(澤藤)が、年端の行かぬ子どもをいじめているかのごとき言い分。これを、針小棒大とは言わない。誇大妄想と言うほかはない。

「反訴被告ら(註?DHC・吉田嘉明)は,8億円という貸付動機について事実と異なる言動をした者のうち,反訴原告(註?澤藤)のようにあまりにも酷い表現をした者に限定して訴訟提起しているのである。」

吉田嘉明が最も力んで主張しているのは、8億円の「貸付」動機である。吉田嘉明によれば、「日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註?渡辺喜美)を応援するために,大金(註?8億円)を貸し付けた」というのである。

今さら言うまでもないが、吉田嘉明は化粧品とサプリメントを製造販売する会社の経営者として厚労省の規制に服する。ところが、新潮手記の冒頭には、「厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と無邪気に書き連ねているのだ。

並みの文章読解能力を持つ人がこの手記の記載を読めば、吉田嘉明が「国をより良くする」とは「脱官僚」と同義であり、「日本をダメにしている監督官庁の規制をなくすることを意味している」と理解することになる。彼が「国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家を応援するために、8億円もの大金を政治家に渡した」のは、「他の省庁と比べても特別煩わしい厚労省の規制チェックを緩和する」期待を込めてのことと考えざるをえない。彼の手記は、そのように理解を誘導する文章の筋立てとなっているのだ。

「政治家を金で買う」は、もちろん比喩である。8億という政治資金規正法上の手続に隠れた巨額の金を「脱官僚を掲げる政治家」に渡して、官僚による規制の緩和を期待することを、「政治家を金で買う」と比喩したのだ。この比喩を捉えて「事実無根」などということは意味をなさず、およそ反論になっていない。こんなことでの提訴は言いがかりも甚だしく、違法と認定してもらわねばならない。
(2018年1月29日)

切られちまった尻尾の愚痴ー名護市長選告示の日に

私が切られた尻尾だ。尻尾だって身体の一部じゃないか。よく言うだろう、「小指の痛みも全身の痛み」って。小指だけじゃない、尻尾だっておんなじだ。尻尾だって生きている。尻尾にだって意気地もあれば、いかほどかの魂もある。切られて、へっちゃらではないんだよ。でも、切られた尻尾と切られぬ小指。どうしてこんなにちがうんだろう。やっぱり、無念だ。しばらくは、切られた姿でのたうちまわっている以外にない。

切られた尻尾にも、名前はちゃんとある。俄然時の人になった、話題の松本文明。それが私の名だ。

3日前の1月25日のことだ。日本共産党の志位和夫が衆院本会議で代表質問をした。キョーサントーだぜ。アベシンゾーは、ヤジで「ニッキョーソはどうした。ニッキョーソ」って騒いでいたが、キョーサントーの方が敵としてはるかに手強いだろう。だから私は、アベシンゾーを手本に、隙あらばなんか言ってやろうと待ち構えていた。志位は、演説で沖縄の問題に触れた。沖縄は私が副大臣として関わるテーマだから、聞き耳を立てた。

演説のなかで志位は、沖縄で起きた米軍普天間飛行場所属ヘリの事故を巡る問題に触れた。保育園や小学校の保護者の不安の声を紹介して、普天間基地の存在と辺野古新基地建設を攻撃し、沖縄からの海兵隊撤退を求めた。

そこで、私は議場からヤジを飛ばした。「それで何人死んだんだ」と。一人も死んではいないだろう。機体が不時着したり、ヘリのドアが落ちたくらい、たいしたことではないじゃないか。たとえ事故が、保育園や小学校で起きたとしても、だ。キョーサントーは何を大袈裟なことを言っているんだ。私は一人の死者も出ていないという真実を語っただけのこと。このヤジのどこが問題なんだ。国会は言論の府だったはずじゃないか。この国の国会には言論の自由はないのか。

なんてったって、国土の防衛こそが最重要事だろう。安全保障は何にも勝る重大政策だ。中国に攻められてみろ。北朝鮮からのミサイルが飛んできたことを思え。ヘリの不時着やドアが校庭に落ちたくらいで騒いでいることが、なんと平和惚けの議論なのかよく分かるだろう。

私は、自分のヤジが取り立てて問題のあることではないと思っていたのだが、本会議終了後赤旗の記者から取材を受けた。やましいところはないから、ヤジを飛ばしたのが自分であることは認めた。もっとも、「死者が出なければ良いという考えか」という質問には、私もバカではないから「そんなことは全然ない」と返答しておいた。

ところが、この記事が翌26日の赤旗に出た。産経でも読売でもない。キョーサントーの機関紙だ。赤旗がなんと言おうと官邸も党も動じることはなかろうと思っていた。なんたって、官邸も党も、ホンネのところでは、私の発言とまったく同じ考えなんだから。上の方では言いにくいことをよく言ってくれたと褒められても良さそうなところ。だから、記者たちには、おわびも発言撤回も辞任もないと、強気に出て否定しておいた。官邸も党も私を守ってくれるはず、そう思っていた。

ところが、当てが外れた。私の読みが浅かった。官邸も党も、私に、即刻沖縄担当の内閣府副大臣を辞任しろというのだ。そりゃなかろうとは思ったが、どうにもしょうがない。ふてくされながらも辞表を提出し、メデイアからは「事実上の更迭」と書かれた。

タイミングが悪いと説得された。名護市長選挙の告示日が目前だ。2月4日に投開票を迎えるこの選挙戦への影響を懸念せざるを得ないというのだ。で、1月26日のうちに、アベシンゾーより事実上副大臣の更迭だ。要するに、トカゲの尻尾として切られたのだ。しょうがないけど、やっぱり釈然としない。

記者会見では神妙なところを見せた。「ただいま、総理にお会いをいたしまして、『大変誤解を招く発言でご迷惑をかけています』『ついては、辞表を持って参りましたので、よろしくお取りはからいをお願いします』ということです。辞表を提出をして参りました」

(首相からは)「いや、『特に今、この国が大変な時期なので、緊張感を持って対応してもらわないと、困ります』という注意を受けました」

「いずれにしても誤解を招いて、重要な予算審議、国会審議が始まる中で、沖縄県民並びに国民の皆さんに迷惑をかけたと思って直ちに今辞表を出してきたということであります」

「いろんなメディアの方から、大きく問い合わせ、もろもろありまして。なるほど、これほど大きな誤解を受けているんだったら、もうその、なんというんでしょう。私がいろいろ今しゃべっていることはすべて釈明にしか聞こえない。弁解にしか聞こえない。これじゃやっぱりだめだ、と。ここはおわびをする方がいい、こういう思いを持ちました

自分でも何を言ってるんだかよくは分からない。「誤解」ってなんだ、誰にお詫びしているんだって、聞かれてまともに答えられるわけがない。面白くないのは、尻尾を切った頭の方が涼しい顔をして、イケシャシャアとしていることだ。同じ考えのはずなのに、すべてを尻尾のせいにして切り捨てたんだ。アベシンゾーというトカゲは、一体何本の尻尾を持っているんだろう。切る尻尾と残す尻尾。どう区別しているのか、どうにも腑に落ちない。

アベが口にした、「緊張感を持って対応」って、ホンネを漏らさぬよう緊張しろっていうことなんだ。うっかりホンネを言ってしまうと、せっかく欺して手にしていた票が逃げる、腹ふくるるを我慢して本当に思っていることをしゃべっちゃダメ、ということなんだな。

しかしだ、私よりずっと罪の重かろう閣僚連が、切られぬ尻尾として数多くいるのに、どうして私だけが切られるのか。腑に落ちない。安倍昭恵は切られぬ尻尾として残され、籠池夫妻が何ゆえ切られた尻尾になったんだ。加計孝太郎も相当に腐敗した危ない尻尾だ。それでも、どうして切られていないのだ。

だいたい、私は運が悪いのだ。2003年の第43回総選挙では、私の選挙運動員が大学生に現金12万円を渡したとして逮捕された。たったの12万円で逮捕だ。いつかの都知事選でのどこかの陣営でもあったことだが、あっちは見逃されているではないか。

いよいよ本日、名護市長戦が始まった。何が争われているのか。本当は、こうだ。自・公・維の側は、保育園や学校の安全などより、国防が第一なのだ。米日の軍事基地の効率的な運用のためには、騒音問題も、安全や治安問題も小さな問題だろう。「一人の死者も出してはいないんだから、取るに足りないのだ」がホンネだ。だけど、それを言っちゃあ勝てないから、衣の下の鎧を隠しながらの選挙戦。

その点、オール沖縄派は、辺野古新基地反対のホンネを語っての選挙だから、やりやすかろう。私は、結局、オール沖縄派に塩を送ったことになるだろうだから、私は、官邸と党に、お詫びをしたんだ。決して沖縄県民にお詫びをしたわけではない。むしろ、切られた尻尾として、何が正しい選択かを県民にお伝えしたのだから、御礼を言われてもいいんじゃないかな。
(2018年1月28日)

「日の丸・君が代」強制拒否訴訟から見える憲法状況

なんともお寒い晩ですが、こんな日に雪の残る悪路を踏み分けて「『日の丸・君が代』強制に反対!板橋のつどい・18」に足を運んでいただき、まことにありがとうございます。本日は、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟から見える憲法状況というタイトルで、1時間余のお話しをさせていただきます。

はじめに、「日本国憲法が危ない」ということについて認識を共有していただき、次いで「日の丸・君が代」強制拒否訴訟の到達点と現在の課題を確認し、そこから見えてくる自民党改憲案(「日本国憲法改正草案」)の問題点や、天皇退位と「明治150年」問題、そして最後に「アベ9条改憲問題」との関わりについて触れたいと思います。

まず申しあげなければならないのは、いま憲法は危機にあると言うことです。とりわけ、9条が、つまりは平和主義が危ないということです。

これまでも、度々憲法は危機にあると言われてまいりました。自民党は、立党以来自主憲法制定を党是とする改憲指向政党です。政権与党が改憲指向政党なのですから、これまでも憲法は、恒常的に危機にあったとはいえるでしょう。しかし、今日のように具体的な改憲スケジュールが提示されたことは、かつてなかったことです。

今、国民投票法があり、それに伴う国会法も整備され、憲法改正案を作成し国民投票を発議する手続は調っています。しかも、衆参両院とも、改憲勢力が議席数の3分の2を超えています。改憲勢力は今がチャンスと意気込んでいるのです。

いま、アベ晋三は9条改憲案を提示しています。憲法の遵守に、最も忠実でなくてはならない人物が、憲法の攻撃に最も前のめりになっています。2017年5月3日、アベは右翼の改憲集会にビデオ・メッセージを送り、9条改憲を提案しました。9条の1項と2項はそのままとして、第3項を加えることで「憲法に自衛隊を明記する」という、「加憲的9条改憲案」です。

12月22日には、自民党は正式に改憲案の整理を行いました。そのとりまとめでは4項目についての改憲案が提示され、そのうち9条改正については2案が併記されています。2案の違いは、9条2項を残すか削除するかの点。2項を残すアベ9条改憲案は、対案と比較してマイルドに見える仕掛けとなっています。

この提案には、種本があります。右翼のシンクタンク日本政策研究センターの機関誌「明日への選択」16年9月号の伊藤哲夫論文。この日本会議常任理事という肩書を持つ人物が、加憲的9条改憲案の発案者です。

彼は、「加憲」を「あくまでも現在の国民世論の現実を踏まえた苦肉の提案でもある」「まずはかかる道で『普通の国家』になることをめざし、その上でいつの日か、真の『日本』にもなっていくということだ」と、現実主義の見地からの妥協案であるとしていますが、実はそれだけではない。彼は、その狙いが「護憲派の分断」にあると明言しています。

自衛隊違憲論者と、専守防衛に徹する限り自衛隊は合憲であると考える勢力の間に楔を打って分断するのだというのです。アベは、これに乗ったわけです。この点の警戒が重要だと思います。

本年1月4日、アベは伊勢神宮での記者会見の年頭所感で改憲に意欲を見せ、1月22日の施政方針演説でも、改憲の論議を活発にと言っています。3月25日の自民党大会には両案併記だった9条改憲案を党内で一本化し、改憲諸政党(公・維・希)と摺り合わせて、今国会中に改正原案を作成し、国会に改正原案発議をすることになります。

衆院には100人の賛成を付すことで、『改正原案』が発議されます。本会議で趣旨説明のあと、衆院の憲法審査会の審議に付され、過半数の賛成で本会議に報告となり、本会議で3分の2以上の賛成で衆院を通過し、参院に送られます。同じ手続を経て参院も3分の2以上の賛成で通過すると、改正原案は国会の『憲法改正案』となって発議されて、国民投票にかけられることになります。国民投票運動期間として、60日?180日が設定されて、国民投票での過半数の賛成で憲法改正が成立することになります。

しかし、実はこのスケジュールは極めてタイトだと言わざるを得ません。2019年の後半には、重要な政治日程が立て込んでいます。元号・退位・即位の礼・大嘗祭・参院選・消費税値上げなど。とすれば、勝負は今年ということになります。改憲勢力としては、来年4月頃までに国民投票の実施に漕ぎつけたいところ。

今、超党派で提起されている「9条改憲阻止の3000万署名」の成否が鍵となります。改憲にこだわっていたのでは、参院選には勝てないという空気を作り出さねばなりません。

そして、来年の参院選では、改憲反対を掲げる野党の共闘によって改憲勢力を3分の2以下に落とすことは、前回参院選の結果から見て十分に可能だと思われます。

そのような憲法情勢を念頭に、「日の丸・君が代」強制問題から見えてくるものをお話ししたいと思います。

第1は、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟の到達点と課題です。
私は、次のように、訴訟の時期の区分ができると思っています。
1 高揚期(予防訴訟の提訴?難波判決)
※再発防止研修執行停止申立⇒須藤決定(04年7月)研修内容に歯止め
※予防訴訟一審判決(難波判決)の全面勝訴(06年9月)
2 受難期(最高裁ピアノ判決?)
※ピアノ伴奏強制事件の最高裁合憲判決(07年2月)
⇒これに続く下級裁判所のヒラメ判決・コピペ判決
難波判決 高裁逆転敗訴(11年1月)まで。
3 回復・安定期(大橋判決?)
※取り消し訴訟(第1次訴訟)に東京高裁大橋判決(11年3月)
全原告(162名)について裁量権濫用として違法・処分取消
※君が代裁判1次訴訟最高裁判決(12年1月)
君が代裁判2次訴訟最高裁判決(13年9月)
君が代裁判3次訴訟最高裁判決(16年7月)
間接制約論(その積極面と消極面)
*「間接」にもせよ、思想・良心に対する制約と認めたこと
*2名の裁判官の反対意見(違憲判断) とりわけ宮川意見の存在
*多数裁判官の補足意見における都教委批判

残念ながら、「10・23通達」や懲戒処分の違憲判断は回避され、戒告処分の違法性は否定されました。他方、 減給・停職は裁量権濫用として違法とされ、裁判による取消が定着しています。これによって、当初石原教育行政がたくらんだ累積加重システムは破綻し、教員の抵抗は続いています。

訴訟が抱えている現在の課題について一言します。
第4次訴訟では、17年9月に一審判決があり、間もなく18年2月に控訴審第1回期日を迎えようとしています。
そこで、違憲判決を勝ち取る努力を続けています。
間接強制論は、国旗国歌への起立斉唱を、「儀式的行事における儀礼的所作」に過ぎないから、「思想良心への直接制約に該らない」といいます。しかし、果たしてそうでしょうか。今、権威ある宗教学者の助力を得て、「儀式的行事における儀礼的所作」が思想・良心の自由をいかに傷つけることになるかの意見書をまとめていただきました。近々、裁判所に提出し、これを基軸に判例を批判し違憲論を展開したいと考えています。

違憲論以外にも課題は山積しています。最高裁判例の枠の中で可能な限り憲法に忠実な判断を求めなければなりませんし、国際人権論からのアプローチも必要です。

そして、石原や小池のような右翼に都政を任せるのではなく、都政を都民の手に取り戻して、憲法の生きる都政を実現する運動が不可欠だと痛感しています。

第2 自民党改憲案(「日本国憲法改正草案」)との関わり

2012年4月の自民党改憲案は、かなりの程度にまで、自民党のホンネを語るものとなっています。その自民党改憲案第3条は、「(国旗及び国歌)とされ、
第1項 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
第2項 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。と明記されています。

自民党の公式解説(Q&A)では、さらに次のようになっています。
「我が国の国旗及び国歌については、既に「国旗及び国歌に関する法律」によって規定されていますが、国旗・国歌は一般に国家を表象的に示すいわば「シンボル」であり、また、国旗・国歌をめぐって教育現場で混乱が起きていることを踏まえ、3条に明文の規定を置くこととしました。
当初案は、国旗及び国歌を「日本国の表象」とし、具体的には法律の規定に委ねることとしていました。しかし、我々がいつも「日の丸」と呼んでいる「日章旗」と「君が代」は不変のものであり、具体的に固有名詞で規定しても良いとの意見が大勢を占めました
また、3条2項に、国民は国旗及び国歌を尊重しなければならないとの規定を置きましたが、国旗及び国歌を国民が尊重すべきであることは当然のことであり、これによって国民に新たな義務が生ずるものとは考えていません。

国旗国歌法には盛りこむことができなかった国旗国歌(日の丸君が代)尊重の義務を憲法に書き込もうというのが、自民党のホンネなのです。
ここに見えるものは、「国権」と「人権」の相克における、国権至上主義にほかなりません。

そもそも、日本国憲法否定の「自主憲法の制定」が自民党本来の党是であり使命とされています。これを正直に述べた改憲草案こそがアベ自民のホンネ。石原・小池ら右翼のホンネでもあります。自民党の人権なし崩し策動に、一歩の譲歩も許してはならないと思っています。「日の丸・君が代」強制に対するたたかいは、そのような改憲勢力のホンネとの切り結ぶ局面だと思っています。

 

第3 天皇退位と明治150年
「日の丸」も「君が代」も、天皇制とあまりに深く結びついた歴史をもっています。否定されたはずの、天皇の権力や権威が再び利用されようとしている今、「日の丸・君が代」強制への闘いは新たな意味を持つに至っています。
※天皇の生前退位表明は、明らかに越権。
※明治150年のイデオロギー攻勢
※自民党改憲草案前文冒頭
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
※草案第1条 「天皇は、日本国の元首であり…」
※草案第4条(元号について)
「元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。
解説(Q&A) 4条に元号の規定を設けました。この規定については、自民党内でも特に異論がありませんでしたが、現在の「元号法」の規定をほぼそのまま採用したものであり、一世一元の制を明定したものです。」

第4 アベ9条改憲問題との関わり
教育における国旗・国歌の強制とは、国家と国民の対峙の場において、国家の存在が国民の人権に優越するという全体主義思想の表れです。また、「日の丸・君が代」の強制とは、歴史的に國體思想(天皇崇敬)に無反省な公権力の行使として許されることではありません。

戦前の「日の丸・君が代」強制は、とりわけ戦時色が強くなって以来、学校と軍隊とで忠君愛国が強調され、「日の丸・君が代」は愛国のシンボルとなりました。

愛国心教育や民族差別教育とは、戦争をしようという国の常套手段です。「戦争は教場から始まる」という名言を今再度噛みしめなければなりません。戦争の歴史とあまりに深く結びついたこの旗と歌、その押しつけを許さないという抵抗は、アベ9条改憲への反対と通底するものがあるはずだと思います。

(2018年1月27日)

もはや『詰み』だ! 森友問題 責任の徹底追及を求める院内集会

森友・加計問題の責任を追及している市民グループは9団体あるという。その内7団体が本日正午の院内集会に結集した。森友問題がメインだったが、「今治加計学園獣医学部問題を考える会」からの発言もあった。むんむんたる熱気渦巻く2時間。その熱気で、衆参両院の野党議員が駆けつけてくれた。あいさつした議員の数は20名。立憲・民進・希望・無所属の会・共産・社民・自由の各党。自・公・維3党以外が勢揃い。集会の熱気が議員の熱気を誘う。市民のイニシャチブが野党に共闘を促している。そんな雰囲気を実感させる集会だった。

120名で満杯の会場に200人の参加者。イスが足りずに、多くの人が立っていた。国民は決して、森友・加計問題を忘れてはいない。むしろ、これだけ事案の真相が明らかになってきたのに、どうして誰も責任を取ろうとしないのだ。どうして、アベ政権が続いているのだ。その無責任ぶりに、イライラが募っている。

もり・かけ問題の幕引きを許してはならない。アベは、国会で明言したではないか。「私か妻の関与が明らかになれば、総理だけでなく議員を辞職します」と。とっとと辞職してもらおうではないか。それが、市民の気持なのだ。

森友・加計問題とは何か。その本質は、アベ内閣による「政治と行政の私物化」である。アベと思想を同じくする「極右教育者」への国有地大安売りが森友問題。加計学園問題とは、特区における岩盤規制の破砕名目によるオトモダチへの獣医学部設置認可の特例。いずれも国民の共有財産の掠め取りをもたらしている。

多くの参加者から声が上がった。安倍昭恵と加計孝太郎を国会に呼び出して証人として尋問しよう。アベに責任を取らせよう。アベ内閣を退陣に追い込もう。そして、次の選挙では政権を交代させよう。

宮本岳議員が、飄々と語った。「事実の解明で、もはや詰みですよ。将棋ならとっくに潔く『負けました』というべきところ。しかし、アベ内閣は負けを認めようとしない。王さま取られたって、それでも負けたと言わない」「背任は明らかではないか。証拠隠滅も明らかではないか」「だから今、特捜もその存在意義を問われている。忖度なしに捜査に踏み切るのかどうか」。そのとおりだ。

もはや「責任をはっきりさせよう」という段階ではない。具体的に「どう責任を取らせるか」が問題なのだ。『しかるべき人にしかるべき責任を!』が本日の集会のメインテーマ。しかるべき人とは、本日の「森友問題論点整理」(醍醐聰さん)によれば、下から順に、まず近畿財務局幹部であり、佐川宣寿理国税庁長官であり、麻生太郎財務大臣であり、安倍昭恵夫人であり、安倍首相自身である。

その報告のまとめが次のとおりである。
※大阪地検はただちに財務省、近畿財務局の強制捜査に踏み切れ!
※麻生財務大臣は、確定申告が始まる2月16日までに、佐川国税庁長官を罷免(虚偽答弁、公文書管理法違反、証拠隠滅の罪)したうえで、自らも財務省トップとして引責辞任せよ!
※安倍首相は担当大臣の監督責任を果たさず、財務省職員の背任・虚偽答弁を放置し、1年間にわたって国政を混乱させた責任を取って辞職せよ!

もう一度繰り返そう。
■逃避し続けている安倍昭恵氏、佐川宣寿氏の責任追及を■
確定申告の時期を迎え、国会での虚偽答弁が露わになったにもかかわらず、公の場から逃亡し続けている佐川国税庁長官、自らが名誉校長を務めた学園が捜査を受け理事長夫妻が逮捕されているにもかかわらず、疑惑には一切、答えず、しゃあしゃあと内外を出歩き、はしゃいでさえいる安倍昭恵ーーーこの2人の責任を追及する正念場なのだ。そして、その次に、安倍本人に対する責任追及がある。
(2018年1月26日)

スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第117弾

松井一郎の米山知事に対するスラップ提訴(12月6日)に続いて、今度は橋下徹がジャーナリスト岩上安身にスラップを仕掛けた(12月15日)。岩上の記者会見は1月22日。これについて、リテラが昨日(1月24日)付で詳しく報じている。
http://lite-ra.com/2018/01/post-3754.html

「橋下徹がリツイートしただけの岩上安身を名誉毀損で見せしめ提訴! 松井府知事の新潟県知事“誤読”提訴に続きスラップ攻撃」というタイトル。

なるほど、松井一郎のスラップは「誤読提訴」で、橋下徹のは「見せしめ提訴」なのだ。両訴訟の代理人弁護士は同一人。弁護士法人橋下総合法律事務所所属の弁護士。

松井スラップは、客観的には「誤読提訴」だ。1月19日の当ブログ、「これはこれは―知事が知事を被告にスラップ訴訟」を参照されたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=9780
頭を冷やしてツイートを読み直してみれば、誤読は明らかだろう。それでも、あえて提訴までした意図は、社会に「松井を批判すると面倒なことになるぞ」という警告を発して威嚇することで、自分を批判する言論の抑止効果を狙ってのものと考えざるをえない。決して、毀損された名誉を回復する手段としての提訴ではない。

橋下スラップは、文字通りの「見せしめ提訴」だ。しかも、極めて安直な「お手軽提訴」でもある。リツイートのクリックひとつに対して110万円の請求。東京在住の被告に対し、大阪簡裁への提訴にもいやがらせ効果。まずは、東京への移送問題が前哨戦となる。

この訴状、請求の趣旨と請求原因の記載が、合わせてわずか3頁だという。この種の訴状は、極めて安直に書けるのだ。「被告の表現行為を特定し、この表現が原告の名誉を毀損したので、慰謝料と弁護士費用の損害賠償を求める」と言えば足りることになっている。

「当該の表現によって毀損される名誉よりも表現の自由の価値が優越する」という被告の立場は、公共性・公益性・真実(相当)性の違法性阻却3要件を立証してはじめて認めるられることになる。これが、我が国の名誉毀損訴訟の実務の実態なのだ。

だから、訴状は実に安直に書ける。しかし、答弁書は安直には書けない。違法性阻却3要件の主張挙証責任は、あげて被告に背負わされることになるからだ。提訴されたら、面倒極まりないという現実がある。そこが、スラップ横行の土壌となっている。

私は、DHC・吉田嘉明から、典型的なスラップ訴訟をかけられた。吉田は、提訴時には2000万円の請求で私を黙らせようとした。私が黙らず、当ブログでDHCスラップ訴訟を糾弾する記事を掲載し続けるや、2000万円の請求金額は6000万円に跳ね上がった。明らかに、黙らせることが目的の提訴なのだ。

DHCスラップ訴訟は私が完全勝訴して確定し、今反撃訴訟が始まったところである。なお、DHCスラップ訴訟に関連する記事は120件ほどになる。是非、下記のURLでお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12

私に対するDHC・吉田嘉明の6000万円請求訴訟が古典的な大型スラップで、橋下の100万円訴訟が、お手軽・お気軽の新種小型スラップといえよう。吉田は請求金額で恫喝し、橋下はその手軽さで「見せしめの数」を恃もうということだろう。

私はかつて、万国のブロガー団結せよと訴えた。
万国のブロガー団結せよ?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾
https://article9.jp/wordpress/?p=3061

「万国のブロガー団結せよ」再論
https://article9.jp/wordpress/?p=6127

あらためて、この事態にスラップ被害者の連帯を呼びかけたい。勇ましくはなく、「同病相憐れむ」「同憂相救う」の互助精神から。

『呉越春秋・闔閭内伝』に、“復讐に生きた”伍子胥の言葉として、「同病相憐れみ、同憂相救う」が語られているという。父と兄とを殺した仇敵である楚の平王に燃える復讐心を抱いていた、あの伍子胥である。呉の力を借りて復讐を遂げ、亡き平王の墓をあばいて屍にむち打った人物が「同憂相救う」といっている。

私には水に落ちた犬を打つ趣味はないが、理由なく吠えられたら、吠えた犬には仕置きが必要だと考える。同じく吠えられた同士、「同憂」を抱える者として、「相救う」連帯を申し出たい。

情報を交換し、事蹟を集積し、対抗理論を検討し、そしてともに世論に訴えようではないか。表現の自由こそは民主主義社会を支える基礎である。これを失墜させようという輩への対抗においての連帯を。

この件についてのリテラのまとめに、賛成する。
「批判勢力を吊るし上げ、言論人やメディアを名指しながら罵倒して大衆を煽動する手法は、いまや、アメリカのトランプ大統領の戦術として知られるが、もともと橋下氏が政治家時代から繰り返してきたことだ。」「彼らにどんな思惑があるにせよ、こんなやり方を許してしまったら、日本の言論の自由が脅かされることになる。政治的スタンスとは関係なく、メディアは徹底的に批判していくべきではないか。」
(2018年1月25日)

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