良心は無実の人間のいのちを守る唯一の声である。
暗く苦しい夜が長ければ長いほど、ひときわ声高く響く良心の声よ。
暗澹と悲痛と憤怒の錯綜した獄中14年有余、私を支えたのはその声だ。
鶏よ、鳴け、私の闇夜は明るくなった。
鶏よ、早く鳴け、夜がゆっくり明け始めている。
(袴田巖 1981年5月6日 書簡集より)
本日(8月18日)の朝日・毎日の両紙に掲載された、「袴田事件の一刻も早い再審開始を求める」意見広告。一面全部を使ったインパクトの大きいこの広告の冒頭に、この胸を打つ一文がある。これは詩だ。美しく心情を描いている。
袴田さんは、「世界最長収監の死刑囚」として知られている。1966年6月30日清水で起こった一家4人の殺人事件。その犯人として同年8月18日に逮捕された。本日の意見広告掲載は、51年前の同じ日付を意識してのことかも知れない。当時30歳であった。以来拘束が続けられ、死刑確定囚の身のまま釈放されたのが2014年3月27日のこと。この間の身柄拘束は47年7月余、日数にして17,389日だという。人生の大半を死刑の恐怖と絶望のうちに過ごしたことになる。
彼に対する取り調べは過酷で凄まじいものだった。いったんは「自白」を余儀なくされたが、公判段階からは一貫して否認し続けた。しかし、彼の無実の声は届かなかった。判決は有罪。しかも死刑である。後の裁判所が「証拠の捏造の疑いを否定できない」とされた審理での有罪である。
最高裁が上告を棄却して死刑が確定したのが、1980年12月。「私の闇夜は明るくなった。」と、彼が綴った81年5月は、第1次再審請求直後のこと。この時期、日弁連も支援を決めている。
彼は、「良心は無実の人間のいのちを守る唯一の声である。」という。良心とは、彼の無実を信じて救援活動に没頭した家族や支援者の良心であり、ジャーナリストの良心であり、弁護団の良心でもあったろう。多くの良心が、無辜の人の心の支えとなったのだ。
しかし、現実の経過は厳しいものだった。「夜がゆっくり明け始めている。」と彼が呟いたときから、釈放まで33年を要している。しかも、その釈放から3年を経た今もなお、静岡地裁の再審開始決定には、検察官の即時抗告があって現在東京高裁で審理半ばである。だから、「もう待てない。一刻も早い再審開始を」という意見広告なのだ。
意見広告の下段には、袴田さん自身の次のつぶやきが、掲載されている。
私はすべての権力者に向かってこの質問を投げかけるのだ。
いつまで無実の明らかな私の自由をふみにじるのかと。
私の心身は反則によってKOされたまま踏みにじられている。
そのKOの底に身を横たえてしまうしかないのか。
そして日一日と正義を殺されていくのか。
これが私の生である。私の無念とするところである。…
私は無実だ。…
(袴田巖 1981年11月29日 書簡集より)
冒頭の文章の明るさとはちがって、厳しさを感じさせる一文。これが、わずか半年後のこと。
「私は無実だ。…」と言いつつも、「日一日と正義を殺されていくのか。」という、呪詛の言葉が重い。私たちが作り運営する刑事司法の仕組みが、人の運命をもてあそび、無実の人の人生を奪ったのだ。
治安を維持するための刑事司法の必要性は自明である。しかし、刑事司法作用は生の権力発動として一歩間違うと、重大な人権侵害をもたらす。
そこで、「推定無罪」「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則が掲げられねことになる。そして、この理は再審制度においても適用されるというのが、「白鳥決定」において最高裁が明言したところである。しかし、それでも冤罪はなくならない。
刑事司法とは、刑罰権・捜査権を行使する国家権力と、裸の私人とが対峙する場である。警察も検察もそして裁判所も、被告人の弱い人権に配慮しなければならない。刑事訴訟法とは、被告人の人権擁護のための体系にほかならない。
有罪判決は、「合理的な疑いを容れない程度」の心証があることを必要とする。証拠に照らして、「合理的な疑いを容れる余地なく有罪」と考えられる場合にのみ有罪判決となるのだ。白鳥決定は、再審の場合も同様だという。
この制度は、人類が正義の実現と人権擁護とを追求してたどり着いた、文明の到達点である。これに反して、「権力は間違いを犯さない」「警察がつかまえた者、起訴された者が無罪では権力が間違ったことになる」「だから、被告人が無罪となってはならない」という権力無謬の考えが権力機構の側に残存している。
袴田さんには、ぜひとも正義と人権を回復してもらいたい。
今こそ叫ぶときだ。
「私はすべての権力者に向かってこの質問を投げかけるのだ。
いつまで無実の明らかな私の自由をふみにじるのかと。」
ようやくにして、「多くの良心に支えられて夜はゆっくり明け始めている」のだから。
(2017年8月18日・毎日連続更新第1601回)
毎日の更新を続けている当ブログは、本日で連続第1600回となった。
休眠していていた「憲法日記」を再開したのは、2013年1月1日。その前年12年12月総選挙での第2次安倍政権発足が暮れの26日、これに危機感を抱いてのことだ。
安倍晋三という右翼の歴史修正主義者が、「戦後レジームからの脱却」、「日本を取り戻す」などというスローガンを掲げて政権に返り咲いた。支持勢力は、保守ではない。明らかに右翼ではないか。
あの第1次政権投げ出しの経過が印象に強かった。この上なくぶざまでみっともない本性をさらけ出したひ弱な政治家。誰も、彼がすぐれた政治理念をもつカリスマ的な指導者だとは思ってはいない。むしろ、愚かで浅薄な人物というのが定評。その愚かで浅薄な安倍晋三が、右翼勢力の支持で再びの政権に就いた。時代の風が、右から吹いていることをいやでも意識せざるを得ない。
彼は、右翼を糾合してこれをコアな地盤とし、保守派と「下駄の雪・公明」を巻き込んだ勢力で、戦後営々と築き上げられてきた民主主義の破壊を目論んだ。戦後的なるものを総否定した戦前回帰の復古主義である。そのことは、日本国憲法の否定と、限りなく大日本帝国憲法に近似する自民党改憲草案に象徴的に表れていた。
こうして、平和や民主主義や人権を大切に思う側の国民による、総力をあげての安倍政権との闘いが始まったのだ。私もできることをしなければならない。それが、2013年1月1日からの当「憲法日記」である。書き始めた当時は、日民協の軒先を借りてのことだった。自前のサイトに移って、思うがままに書けるようになったのが、2013年4月1日。この日のブログを第1回と数えて、本日が1日の途切れもなく第1600回となった。
ところが、まだ、安倍政権が続いている。気息奄々の安倍晋三が、いまだに憲法を変えたいと執念を見せている。だから、私も、この日記を書き続けなくてはならない。憲法の安泰を見届けるまでは。
これまでの1600日。ブログのテーマに困ったことはほとんどない。私には手に余る大きなテーマで書き始めてとてもまとまらず、さて困ったとなって代わりに何を書こうか。と思案することは少なくない。そういうときは、産経の社説に目を通すのだ。困ったときの産経頼み。産経こそがこコアな安倍支持勢力の代弁者。もちろん読売も安倍的右翼勢力だが、産経の方がものの言い方がはるかにストレートで分かり易い。だから、産経社説はありがたい。本日も、批判の対象としてご登場いただく。
昨日(8月16日)の産経社説は、「戦後72年の靖国、いったい誰に『申し訳ない』のか 首相も閣僚も直接参拝せず」というタイトルだった。言い古された、陳腐きわまる靖国擁護論である。その全文を太字で記して、批判を試みたい。もっとも、批判も陳腐なものとならざるを得ないのだが。
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戦後72年の終戦の日、靖国の杜には雨にもかかわらず、多くの参拝者が訪れた。国に命をささげた人々の御霊に改めて哀悼の意を表したい。
・宗教観念や信仰の内容を他者が批判する筋合いは毫もない。亡くなった人の霊がこの世に残るという信仰を持ち、特定の宗教施設に亡き人の霊が宿っているとして、霊が祀られている施設への参拝者が訪れることを非難する者はなかろう。憲法20条で保障される信教の自由を尊重すべきが、常識的な姿勢。戦没者遺族の心情は自ずと尊重されるべきである。
・但し、「国に命をささげた」人々の意味は定かではない。まさか、戦没者のすべてが、喜んで「国に命をささげた」と言っているわけではなかろうが、戦没者を一括りにして、意味づけをすることは慎まなければならない。
・なお、今年(2017年)の8月15日靖国参拝者数は、雨がたたってかいつになく少数で静謐であったというのが、各紙の報道である。産経社説だけが、「靖国の杜には雨にもかかわらず、多くの参拝者が訪れた。」と書いている。現実ではなく、願望を優先せざるを得ないのだろう。
東京・九段の靖国神社は、わが国の戦没者追悼の中心施設である。幕末以降、国に殉じた246万余柱の御霊がまつられている。うち213万余柱は先の大戦の戦没者だ。終戦の日に参拝する意義は大きい。
・靖国神社が、わが国の戦没者追悼の中心施設であったことは歴史的事実ではある。しかし、今は、「一宗教法人であって、それ以上のものではない」ことを明確にしなければならない。
・「国に殉じた246万余柱の御霊」の表現はいけない。膨大な戦没者とその遺族のなかには、「国に殉じた」気持をもち、靖国の顕彰や奉祀を感謝の念をもって受け容れている人もいるだろう。しかし、遺族が合祀されていることを徹底して嫌忌している人もいる。「国に殉じた」のではなく、「国に命を奪われた」と考えている人たちも少なくないのだ。
・「終戦の日に参拝する意義は大きい。」とは、なんとも無内容な一文。もし、「終戦の日に参拝する意義」が、今次の大戦において「国に殉じた」人々を顕彰することにある、というのなら、それは余りに偏った独善的イデオロギーの表白である。
靖国は静かな追悼の場である。その国の伝統文化に従い戦没者の霊をまつり、祈りをささげることはどの国も行っていることだ。
・「靖国は静かな追悼の場である」。それだけのことなら、なんの問題もない。この宗教施設が戦没者を偲ぶ場としてふさわしいと考えている個人が、それぞれの思いで追悼の場とすればそれでよい。ところが、それではもの足りぬという人々がいる。国の関わりが必要という思惑をもつ人々が、靖国を静かな追悼の場でなくしているのだ。
・「その国の伝統文化に従い戦没者の霊をまつり、祈りをささげることはどの国も行っていることだ。」
これは、ずるい文章だ。文脈からすると、「どの国も行っていること」が述語なのだから、これが主要な命題との印象を受ける。本当に、戦没者に対する靖国的祭祀が国際的な普遍性を持っているのかを吟味しようとすると、「その国の伝統文化に従い」という特殊性に逃げられる。いったいどっちなんだ、と言いたくなる文章。
・実は、どっちでもないのだ。靖国とは、国際的な普遍性を持っていないことは当然として、日本固有の伝統文化に従った戦没者の霊のまつり方でもない。近代天皇制政府が拵え上げた似非伝統なのだ。
とりわけ国の指導者が、国民を代表して哀悼の意を表することは、当然の行いだ。それが堂々と行われないのはなぜなのか。
・国が全戦没者を追悼する式典は、「全国戦没者追悼式」として毎年8月15日に挙行されている。その問題性なきにしもあらずだが、産経が、「国の指導者が、国民を代表して堂々と戦没者に哀悼の意を表することを行わないのはなぜか」というのは間違っている。
・宗教法人靖国神社が、国家行事を行うにふさわしからざる場であることは、自明であって、ここで「国の指導者が、国民を代表して哀悼の意を表する」などは絶対にあってはならない。もちろん、明確に違憲な行為でもある。
安倍晋三首相は自民党総裁として玉串料を納めたが、直接参拝しないのはやはり残念である。
この日の閣僚の参拝は一人もいなかった。寂しい限りである。
・はたして、安倍晋三首相の玉串料奉納は私人としての行為であったか。極めて疑問であるが、参拝はできなかった。内閣総理大臣としての玉串料奉納もしないポーズはとらざるを得ない。乱暴な安倍晋三も、憲法を守らざるを得ないと、ようやくにして理解してきた。その限りでけっこうなことだった。
・一般論だが、産経が「残念」「寂しい」と表白する事態は、憲法に笑顔をもたらすものである。
かつて首相が閣僚を率いて参拝するのは、普通の姿だった。中国が干渉するようになったのは、中曽根康弘首相が公式参拝した昭和60年8月以降である。
長期政権を築いた小泉純一郎首相は平成13年から18年まで年1回の靖国参拝を続けたものの、多くの首相が参拝を見送っている。いわれなき非難を行う中国や韓国への過度の配慮からだ。それがさらなる干渉を招いてきた。
安倍首相も25年12月に参拝した後、参拝を控えている。
・首相や天皇の公式参拝(公的資格による参拝)は、憲法20条3項の政教分離原則が禁じるところである。わが国は、主権者の意思として、国家がすべての宗教との関わりを持つことを禁じた。その宗教とは憲法に明示されていないが、なによりも天皇を神の子孫であり現人神とする国家神道(=天皇教)であった。なかでも、国家神道の中の軍国主義側面を司る靖国神社である。
・また、日本国憲法はアジア諸国に対する侵略戦争を反省する不戦の誓いとしての性格を有している。だから、日本国憲法の理念は、日本一国だけのものではなく、アジア諸国全体のものとも言える。わが国は、憲法の運用において独善に陥ることなく、近隣諸国の声に耳を傾けなければならない。
首相はこの日、名代の柴山昌彦総裁特別補佐に「参拝に行けずに申し訳ない」と託したという。だれに対して申し訳ないのか。英霊の前で平和と国の守りをしっかりと誓うべきである。
・安倍晋三は、「参拝に行けずに申し訳ない」という必要はない。「国家を代表する立場でありながら、特定宗教団体に玉串料など奉納し特別の関わりを作ってしまい、申し訳ない」と日本国憲法と憲法制定権力者である国民に詫びなければならない。
・靖国は、平和を誓うにふさわしい場所ではない。神も神社もいろいろだ。学問の神に商売繁盛を願うのも、地獄の神にこの世の栄達を願うのも筋違い。宗教的軍事施設である靖国は、平和を祈る場ではない。もともとが戦死者に向かって、「あなたの死を無駄にしない。次の戦いでは必ず勝って見せる」と誓う儀式の場なのだから。
春秋の例大祭など機会を捉え、参拝してもらいたい。
靖国の社頭では、戦没者の遺書や書簡が月替わりに紹介、配布され手に取る人も多かった。8月のこの日の文は、24歳の若さで西太平洋のトラック諸島で戦死した陸軍中尉が「父上様」と記し、「墓標は、つとめて小たるべし」と自身のことをわずかに、国を守る思いがつづられていた。
海外の激戦地には、いまなお多くの遺骨が眠っていることも忘れてはならない。
戦没者の孫、ひ孫世代の子を連れた人も目立った。国や故郷、家族を思って逝った尊い犠牲のうえに国が築かれてきた歴史を改めて知る日としたい。
・戦争を忘れてはならない。とりわけ、戦争で悲惨な死を遂げた若者たちの苦悩と悲惨を忘れてはならない。そのことに、異存のあろうはずはない。
・引っかかるのは、産経が繰り返す「国のため」「国を守る」「国を思い」「その犠牲の上の国」である。
産経社説には右翼言論の常として、「わが国」だけがあって、戦った相手国がない。相手国の国民がないのだ。あたかも、戦争で悲惨な死を遂げた若者たちの苦悩と悲惨は、わが国特有のものだったごとくではないか。中国をはじめとするアジア諸国民の若者たちにも、英・米・蘭・ソの連合国の兵士たちも、まったく同様であった。過酷な植民地支配をうけた朝鮮もである。
・にもかかわらず、靖国神社は、けっして1931年以来の戦争が侵略戦争であったことを語らない。また、けっして皇軍の蛮行を語らない。ひたすらに戦争を正当化し、戦死を美化するのみである。
この立場に与するのが産経新聞であり、産経が支持するのが、安倍政権である。その安倍政権が、いまだに生き延びている。嗚呼、しばらくブログは続けざるを得ない。
(2017年8月17日・毎日連続更新第1600回)
あゝ河野太郎よ 君を泣く
ひとたびならず 二度までも
アベの膝下に甘んずる
その心根の哀れなる
君、矜持を捨てることなかれ
気骨を失うことなかれ
筆を抑えることなかれ
膝を屈することなかれ
アベに尻尾を振るなかれ
折節正しき言行の
末頼もしき君なれば、
君への期待はまさりしも
よもや政府にへつらって
アベの幕下に名を連ね
魂売るとは思いきや
親の情けはまさりしを
アベに屈して生きよとて、
五十四までを育てしや
かつては党のあるじにて
保守正統の良心と
令名高き親の名を
嗣いで来たりし君なれば
君 籠絡さるることなかれ
自分を廉く売るなかれ
アベの政府は
風前の塵と吹き飛ぶときならん
世論の支持の急落は
民意と天意のなせるわざ
君の出番にあらざるぞ
閣僚ポストと引き換えに
牙を抜かれてなるまいぞ
にもかかわらずなんとした
あゝ河野太郎よ 君を泣く
8月3日に入閣し
8月6日に異例も異例の昇進人事
それも あろうことか秘密裡に
これを 適材適所といわれるか
経産省のノンキャリア
アベ友疑惑のキーパーソンを
イタリア大使館一等書記官に
省をまたいだ ご褒美栄転
アベに追随結託人事
先には疑惑を隠した佐川宣寿の栄転
こたびはアベ昭恵と右翼を取り持つ
谷査恵子の口止め隔離
汚いアベの姑息な人事
民の怒りに油をそそぐ
あゝ 河野太郎よ 君を泣く
君はアベと同罪だ
君は知らじな民の怒りを
民が持つちょう虎の尾を
アベと一緒に踏むなかれ
あゝ河野太郎よ君を泣く
節を屈することなかれ
脱原発を述べし君
「核のゴミには目をつぶり、
やみくもに再稼働しようというのは無責任」
アベを批判の舌の根の
乾かぬうちの入閣で
はや その気骨は挫けたか
沈没間近の船のごと
アベのお粗末内閣の
閣僚名簿の君の名は
あらまほしきとおぼえしか
まことの保守はすでになく
右翼の輩がのさばりぬ
アベを批判の頼もしき
君の人望潰えなば
あゝまた誰をたのむべき
君 膝を屈することなかれ
アベに尻尾を振るなかれ
あゝ河野太郎よ 君を泣く
(2017年8月16日・連続第1599回)
8月15日。国民の感覚では、72年前の本日に15年続いた戦争が終わった。戦争に「負けた」ことの不安や悔しさもあったろうが、戦争が「終わった」ことへの安堵感が強かったのではないか。これ以上の戦争被害はひとまずなくなった。空襲の恐怖も、灯火管制もこの日で終わった。非常時に区切りがついて、ようやくにして日常が戻ってきた日。
法的には、8月14日がポツダム宣言受諾による降伏の日だ。そして、降伏文書の調印は9月2日。しかし、多くの国民が戦争の終結を意識したのは8月15日だった。
この日の正午、NHKが天皇の「終戦の詔書」を放送している。1941年12月8日早朝の「大本営発表」からこの終戦の日まで、終始NHKは太平洋戦争遂行の道具であり続けた。天皇や軍部に利用されたというだけではない。国民に対する煽動と誤導への積極的共犯となった。
ところで、この「玉音放送」の文章は、官製悪文の典型という以外にない。こんなものを聞かされて、「爾臣民」諸君の初見の耳に理解できたはずはない。持って回った、空虚な尊大さと仰々しさだけが印象に残るすこぶる付きの迷文であり駄文というべきだろう。ビジネス文書としてこんな文章を起案したら、上司にどやされる。
あのとき、天皇はまずこう言わねばならなかった。
「国民の皆様に、厳粛にお伝えいたします。昨日、日本政府はアメリカ・イギリス・中国・ソ連連名の無条件降伏勧告書(ポツダム宣言)に対する受諾を通告して、無条件降伏いたしました。戦争は日本の敗北で終わったのです。」
そして、こうも付け加えなければならなかったろう。
「戦争を始めたのは、天皇である私と、政府と軍部です。戦争で大儲けした財閥はともかく、一般国民の皆様が戦争責任の追及を受けるおそれはありません」
「天皇である私と政府は、何千万人もの外国人と、何百人もの日本国民の戦没者に対して、戦争をひき起こした者としての責任を痛感しております。誠実に戦後処理を行ったあとは、命をもってもその責任をとる所存であります」
「私の名による戦争を引き起こして、取り返しのつかない事態を招いたことを、幾重にもお詫びもうしあげます。そして、国民の皆様に日本の復興に力を尽くしていただくよう、よろしくお願いいたします。」
72年後の本日。戦争責任を引き受けることのないまま亡くなった当時の天皇の長男が、現天皇として全国戦没者追悼式で式辞を述べた。そのなかに次の一節がある。
「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対して、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります。」
「深い反省」の言葉があることに注目せざるを得ない。同じ場での安倍晋三の式辞には、反省も責任もないのだから、十分に評価に値する。また、憲法前文のフレーズを引用して、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い」と言っていることにも、同様である。
なお、天皇の式辞のなかに宗教的な臭みのある用語のないことに留意すべきだろう。この点は、よく考えられていると思う。これに比して、安倍の式辞には、御霊(みたま)が3度繰り返されている。「御霊(みたま)の御前(みまえ)にあって、御霊(みたま)安かれと、心より、お祈り申し上げます。」という調子。靖国神社参拝と間違っているのではないか。非常に耳障りであるし、意識的な批判が必要だと思う。
さて、天皇の「深い反省」について考えてみなければならない。誰が、誰に、何を反省しているのか、である。
まず、反省の主体は誰なのだろうか。天皇個人なのだろうか。天皇が象徴する日本国民なのだろうか。あるいは、戦争当時の天皇(裕仁)を代理しているのだろうか。それとも、抽象的な日本国の漠然たる反省だということなのだろうか。
また、「深い反省」を語りかけている相手は、軍人軍属の戦没者だけなのだろうか。「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」という表現は、原爆や空襲被害者も含まれているのだろうか。また、日本人戦没者だけなのだろうか。被侵略国の犠牲者ははいっているのだろうか。戦没者以外の傷病者はどうなのだろうか。
さらに、いったい何をどう反省しているのだろうか。まさか、負けるような戦争をしたことではあるまい。戦争をしたこと自体であろうし、戦争するような国を作ったことなのだろう。「反省」には責任がともなうことは自覚されているだろうか。どのように責任をとるべき考えているのだろうか。
巨大な惨禍をもたらした戦争の反省のあり方が、一億総懺悔であってはならない。
まず、統治権の総覧者であり宗教的権威をもって戦争を唱導した天皇に最大の戦争責任があることは論を待たない。そして、天皇を御輿に担いで軍国主義国家を作って侵略戦争と植民地支配に狂奔した政治支配層の責任は明確であろう。これに加担したNHKや各紙の責任も大きい。そして、少なからぬ国民が、八紘一宇や大東亜建設、五族協和などのスローガンに浮かれて戦争に協力し、戦争加害国を作りあげたことの責任と反省も忘れてはならない。
国民それぞれが、それぞれことなる質と量との責任を負っていることを確認すべきなのだ。一般国民は、天皇や軍閥との関係では被害者であり、近隣諸国との関係では加害国の一員としての立場にある。
そして思う。今、私たちは、再びの戦前の過ちを繰り返してはならないことを。言論の自由を錆びつかせてはならない。好戦的な政府の姿勢や、歴史修正主義の批判に躊躇があってはならない。附和雷同して、国益追求などのスローガンに踊らされてはならない。近隣諸国への差別的言動を許してはならない。平和憲法「改正」必要の煽動に乗じられてはならない。
かつての臣民に戻ることを拒否しよう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者にも、権威あるとされる者にも、操られることを拒否しよう。平和を擁護するために。
8月15日、あらためての決意である。
(2017年8月15日・連続第1598回)
人と人とが争いなく共存することはこんなにも難しいことなのだろうか。
有史以来、人と人とは、あるいは集団と集団とは、生命と種を維持すべく、本能の命じるままのあらゆる欲望の衝突の場面で過酷に争ってきた。が、また一面、人と人とは、生命と種を維持すべく共同体を形成して支えあってもきた。
文明の進歩とは、人と人との争いの契機を小さくし、やがてはなくすこと。これに代わって共同の契機に基づく社会を形成していくこと。そうには違いないのだが、問題は、このあるべき進歩がけっして必然とは言い難いことなのだ。
人は、食料を求め、土地を求め、生産手段を求めて争い、富と財貨を奪い合い、互いに権力的支配を争奪し、信じる神の正統性でも、正義の解釈でも争ってきた。その争いの究極の形が戦争である。戦争の規模とその残酷さは、歴史を経るにしたがって大きくなり、今や人類を滅ぼそうとさえしている。
近代の人間の理性と叡智は戦争を違法化する試みを営々と続け、大戦間の国際連盟や不戦条約、そして第二次大戦後の国際連合を生み出した。さらに、わが国は、15年にもおよんだアジア太平洋戦争の惨禍に対する真摯な反省と不戦の決意の中から日本国憲法を生み出した。日本国民は、戦争による廃墟のなかから、人類の叡智の正統なる承継者として、今後いかなる局面になろうとも、再びの戦争を避け、武力の行使や威嚇を紛争解決の手段とはしない旨を宣言したのだ。
いつ、いかなるときも、この恒久平和の理念を揺るがせにしてはならない。とりわけ好戦的な政府が戦争や軍備への誘惑を語るとき、国民は断固として平和の声を上げなければならない。
国防の必要は、常に邪悪な敵を想定して煽られてきた。かつては、暴支膺懲であり鬼畜米英がスローガンであった。手前勝手に、他国の領土を日本の生命線などと称して、これを守るための自存自衛の戦争の必要が語られた。
戦後は、長く暗黒のソ連や共産中国が仮想敵国であった。そして今、その地位は北朝鮮が担っている。北への不安や恐怖の煽動に乗せられて、恒久平和主義を揺るがせにしてはならない。このようなときにこそ、軍備もその行使も、紛争解決の手段とはなり得ないことを冷静に再確認すべきではないか。
日本国憲法前文は、こう宣言した。「日本国民は、…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。決意した、とは中途半端な言葉ではない。あらゆる知恵を使い、勇気をもって、武力によらない平和の追求に徹するとの国家方針を決断したのだ。今ごろになって、オタオタしたり、びくびくすることはない。
子どものケンカも、暴力団の抗争も、国家間の諍いも、基本の構図においてさしたる変わりはない。口ゲンカの応酬が殴り合いになることも、小競り合いが不測の本格的な衝突に発展することもある。見栄を張っての強がりが引っ込みつかなくなって乱闘になることもありがちだ。金正恩とトランプの舌戦も、危険なことに間違いはない。
現実的な選択肢として、わが国のなし得ることとして武力の威嚇も行使もあり得ない。なによりも、米朝両国の危険なチキンゲームをやめさせなければならない。紛争当事者同士が話し合うのが解決の手段だが、なかなか当事者だけではできない。こういうときに、時の氏神としての仲裁者の登場が期待される。
仲介者たりうるのは、国際機関であるか、当事者双方に信頼と敬意をもたれる第三国である。仮に、日本が憲法を忠実に守って自衛隊も安保もない戦後を経験していたとすれば、そのような権威があったろう。しかし、まことに残念ながら日本にはそのような資格がない。国連か、ヨーロッパのどこかか、あるいはロシヤか中国か。対話の仲介に名乗りを上げたらどうだ。
報道によれば、ドイツのメルケル首相が、ドイツの役割について「軍事的な分野ではないところで、ドイツも問題の解決に向けて積極的に関わっていく」と述べている。アメリカ国内でも、米朝2国間の直接対話を望む多くの声があがっている。
日本国内でも、「軍事的対決を避けて対話を」「2国間の直接対話を」「対話の仲介者よ、出でよ」という世論を喚起すべきだ。わが国の政府は、アメリカの傘の下にあって、トランプの威を借りることしか能がない。いたずらに、「北朝鮮=挑発者」の構図から一歩も出ることが出来ない。だから、政府ではなく、憲法九条を持つ国の国民こそが、武力に拠らない紛争の解決に声を上げようではないか。
(2017年8月14日・連続第1597回)
「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」が、『佐川国税庁長官(前理財局長)の罷免を求める1万人署名運動』に取り組んでいる。
ネット署名の締め切りは8月20日(日)24時まで。あと一週間。署名のフォームは、下記のURL。是非ご協力いただきたい。拡散もお願いしたい。現在の署名者数は、約5000くらいと思われる。
http://bit.ly/2uCtQkK
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佐川宣寿国税庁長官昇進問題の持つ意味について、私なりに考えてみたい。
森友学園問題・加計学園問題とも、安倍晋三というお粗末な政治家が過剰な権力を持ったことから生じた政治と行政の歪みである。政治と行政の歪みの手段は、恣意的な情報操作である。消極的には権力に不都合な情報の隠蔽であり、積極的には意図的に人心を誘導するための情報の捏造である。
8月15日が近い。「政府の行為によって再び戦争の惨禍を繰り返してはならない」という反省と決意は、「大本営発表」によって国民意識が操作され誘導された苦い体験にもとづく、情報民主主義の徹底でもあったはずではないか。
民主主義の政治過程を実効あるものとするためには、国民の知る権利の保障が不可欠である。情報を遮断された状態での国民は真の主権者ではあり得ない。情報操作の対象とされた主権者は裸の王様に過ぎない。主権の行使に必要な正確な情報を得ることのできない状態では、民主主義は成立し得ない。操作され誘導された国民の政治意識も政策的選択も無意味である。選挙での与党勝利も、世論調査での内閣支持率も、所詮は茶番であり民主主義の形骸に過ぎない。こうして維持された政権は、再びの大本営発表を繰り返すことになるだろう。
佐川宣寿理財局長とはいったい何をしたのか。安倍政権が政治と行政を歪めたのではないかという国民大多数が抱いた疑惑の解明を頑なに阻止したのだ。情報を徹底して隠蔽することによって政権を守り抜いたのだ。安倍政権は、露骨な論功行賞で、この功に報いた。理財局長から、国税庁長官への栄転である。
安倍晋三は、「政権に忠実な犬には昇進のご褒美がある」と、実例をもって示した。言い換えれば、「公務員は国民に忠実であってはならない。政権にこそ忠誠を尽くせ」と、誰の目にも分かるようにデモンストレーションしたのだ。
佐川理財局長のみっともなさは、官僚としての良心を捨てて、国民の疑惑解明要望の声に背を向けたところにある。自らの良心と格闘しながら、情報を開示する努力を放棄して、疑惑を糊塗するための記録の隠蔽、記憶の偽証をやってのけたのだ。その苦しい努力は無駄にはならず、昇進に実を結んだ。これこそ、政権が望むところであることが雄弁に語られた。謙虚に丁寧に説明するという安倍政権のホンネがよく分かろうというもの。
この事態を看過してはならない。民主主義を形骸にさせてはならない。主権者としての不断の努力を怠ってはならない。せめては、佐川宣寿国税庁長官の罷免を求める1万人緊急署名運動を成功させようではないか。
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*紙による署名も、8月20日(日)までの到着なら可。
郵便局局留め宛分は → 8月18日(金)到着分までとなる。
下記のURLを参照のこと。
http://bit.ly/2ub1F8W
なお、下記のURLで、リアルタイムのネット署名数と、添えられた意見を読むことができる。(署名者の氏名は秘匿されている)
http://bit.ly/2h5AR94
これがとても興味深いコメントになっている。中心になっている醍醐聡さんから、下記のメールがあったので転載する。
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ネット署名に添えられたメッセージを読んでいきますと、手前みそのようですが、佐川国税庁長官の罷免を求める署名運動に共感が広がっていることを実感します。私にとって、運動の糧にもなっています。
まだでしたら、皆さまも、ぜひ、訪ねていただいて読んでいただけたらと思います。
ネット署名に添えられたメッセージ → http://bit.ly/2h5AR94
私の拙い呼びかけよりも、いろいろな体験をされた方の貴重なメッセージを読んでいただくのが一番と思い、その後、届いた中から、いくつかを紹介させていただきます。
署名簿を添えた罷免の申しれは8月21日(月)となりました。
それに伴い、署名の締め切りを8月20まで延長しました。
詳しくは以下をご覧ください。拡散もお願いします。
・「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」HP
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/1-2e8c.html
・ツイッター
https://twitter.com/toketusa98/status/895867223776022529
————–以下、ネット署名に添えられたメッセージより —————–
「この要求が通らなければ、今後確定申告時に『領収書は廃棄した』『自動的に消去された』という申告者が殺到すると思うが当然受け入れてもらえますよね?」(8月10日、埼玉県)
「安倍政権、官僚の不誠実さに憤り、もどかしい思いをして居ました。この思いを共有できる人達がいるのが何とも嬉しく、諸兄らの活動に加えて頂けたら…署名しました。此の輪が日本全国に広がるのを期待します。」(8月10日、愛知県)
「私は、財務省外局のOBです。と言っても、佐川氏のようなエリートではなく、いわゆる木端役人でした。しかし、就職時には憲法・国公法遵守の宣誓をし、在職中も出来る限り公正な行政にすべく努力してきたつもりです。少なくとも知っていることを『知らない』とシラをきったり、会〔ママ〕ったことを『記憶にない』ととぼけたり、などと言うふざけた回答をしたことはありません。又、関係者(内外とわず)との会議や交渉事があれば、全て記録に残しておくのは当たり前でした。”すぐ廃棄”などしたら、それこそ『処分物』でした。しかし、残念ながら財務省では、いけしゃあしゃあと嘘をつける人間の方が出世すると言うのは、私の在職中から全く変わっていないと言うのも実感です。この際、こういう財務省の体質にメスを入れ、少しでも国民目線の役所に転換してほしいと切望します。このままでは、『財務省OBです』なんて、とても知人に名乗れません。」(8月11日)
「JALは2007年に最大労組と一体となって、約1万人の客室乗務員の個人情報をファイルしていたことが発覚しました。1回目の裁判で会社が認諾し裁判から逃げましたが、5名の管理職が関与していたことが明らかになりました。その関与していた管理職らが、何とその後昇格をしたのです。違法なことをしても昇格をできるというという世界はJALだけではありませんでした。この度の佐川氏の国税庁の長官への就任でふと思い出しました。佐川氏は1企業の役員ではありません。国民の税金を預かる大事な立場です。就任にあたり公正な税のあり方云々を述べて言いますが、森友問題で8億円もの税金を明快な説明もなくうやむやにしようとした方が、公正な税の扱いを述べる資格はありません。よりにもよってなぜそのような立場につけるのか理解できません。就任の記者会見もできないような後ろめたいことがある方に、国民の税金を任せるわけにはいきません。マスコミももっと追究すべきです。」(8月12日、神奈川県、JALで解雇された者)
「総理大臣はじめ、政府要人、官僚が臆面もなく虚偽発言を押し通す。証拠を隠滅する。公文書を可能な限り公開しようとしない。それが日本の現政権下では常態化してしまっています。国政・地方(必ず同時)選挙で、投票率85%前後、しかも、死票を4%前後に止める完全比例代表制の選挙制度を採用する政治的民度の高いスウェーデンからは、日本は民主主義の後進国と見做されます。こういう政治状況を変えるのは,市民の異議申し立て、抵抗運動以外にありません。憲法16条の請願権を最大限に活かすことが肝要です。これは市民の権利であり、これを活かすことによって民度を高め、ジャーナリズムにも本来の使命へと軌道修正させることにもなります。」(8月10日、スウェーデン)
「嘘つきは泥棒の始まり。泥棒が税金を集める国なんて聞いたことがありません。国税不払い運動が起こる前に罷免を。」(8月10日、岐阜県、ジャーナリスト)
「食もままならない子どもたちが増え続ける中、為政者の意を受け、巨額の国家資産を一部の人たちに還流する。国家公務員の任に非ずです。今直ぐ職を辞し、真実を述べるべきです。」(8月10日、アムネスティ京都四条の会)
「このような運動をしてくれている人がいることを知って大変嬉しく思いますぜひ目的を達成したいです」(8月10日、東京都)
(2017年8月13日・連続第1596回)
定番のコースとして上野の杜を散策したあと、久しぶりに湯島の旧岩崎邸に足を運んでみた。ちょうど、ボランティアのガイドさんが1時間の予定で説明してくれるという。熱心なガイドさんから4人のグループで懇切な説明を受けた。多くの知らないことを教えてもらった。
ここは、敷地の一角に司法修習の場である司法研修所があったところ。
「司法修習は1947年にはじまる。同年採用者が修習1期になる。それ以前の敗戦後2年間は新旧制度の端境期にあたり、それぞれ、高輪1期、高輪2期とよぶ。これは当時の司法研修所の仮庁舎が高輪にあったことによる。1948年6月に紀尾井町の新庁舎に移転した。現在は埼玉県和光市にある。」(西川伸一)
司法研修所は、1948年6月から71年4月まで千代田区紀尾井町3番地にあった。私は23期で71年4月修習を終了しており、紀尾井町庁舎最後の修習生だったことになる。湯島の旧岩崎久弥邸内に研修所があったのは、71年4月から94年4月まで。その後は、埼玉県和光市の現庁舎に移転して20年余になる。今の修習生は70期。新憲法制定以来の年数とちょうど重なることになる。
だから、私にとって紀尾井町のオンボロ木造研修所の修習時代が懐かしいが、湯島の庁舎に足を踏み入れた経験はない。2?3度門前でビラを撒いたことがある程度。もっぱら、旧岩崎邸はキャノン機関のアジトとしての印象。作家、鹿地亘(かじ・わたる)拉致監禁事件の舞台としてのみ、なじみが深い。
今日、知ったこと。
旧岩崎邸のこの敷地は、元は越後高田藩榊原家の中屋敷であった。1878年に、当時の所有者牧野弼成(旧舞鶴藩主)から、三菱財閥初代の岩崎弥太郎が買い受けたもの。当時の敷地は約1万5000坪と、現在の3倍あったそうだ。岩崎は、戦後の財閥解体と高率の相続税で手放したという。
中心に位置する洋館は、ジョサイア・コンドルの設計で建てられたもの。コンドルは、お雇い教授としての任期が終わると、三菱の専属同様に稼ぎまくったようだ。金に糸目をつけない注文は、建築家にとってこの上なくおもしろかっただろう。
その岩崎邸の贅を尽くした数々である。120年前に、自家発電から上下水道まで、自前でインフラ整備をしていたという。各部屋の凝ったマントルピースは皆デザインがちがう。床のタイルも、壁紙(金唐革紙)も、ステンドグラスも、電球や水洗トイレに至るまで、これ以上はない贅沢品なのだそうだ。パーティーのたびに、食器はフランスからオールドバカラのワイングラスを客の数だけ取り寄せて揃えたという。
各部屋に大きな鏡があった。これも、フランスから取り寄せた高級品で、この鏡一枚の値段で家が1軒建ったとか。きっと当主の岩崎は、毎日この鏡に向かってこう呟いていたのだろう。
「鏡よ鏡、世界で1番の金持ちは誰だ?」
鏡は利口だからこう答える。
「もちろん、ご主人様でございます」
岩崎は上機嫌で鏡を大事にしたから、今日まで残ったのだ。
もし、正直なAIが組み込まれた鏡であったらこうはいかない。
「鏡よ鏡、世界で1番の金持ちは誰だ?」
愚かな鏡は真実を答える。
「世界で1番の金持ちとは、世界で1番の搾取と収奪を極めた人のことですが、それでも知りたいでしょうか」
「世界で1番搾取と収奪を極めた人でどうして悪いのだ?」
「そりゃあ、世界で1番人に憎まれている悪い奴ということですよ」
岩崎は躊躇なく鏡を割ったであろうから、今日まで残ったはずがない。
ガイドさんは、終始楽しそうに、やや自慢げに岩崎邸の「贅沢の限り」を説明した。特に、和館の方の作りは「すべての板材が、無節・長尺・柾目」、今はもはや再現不可能という。
王侯貴族の贅沢とは、民からの収奪によるものなのだから腹が立つ。王侯貴族ならざる成り上がりの政治家と政商の富の集積には、なおさら不愉快である。無隣庵や椿山荘・古希庵などの贅沢で知られる山県有朋や、「三井の番頭」と揶揄された井上馨が蓄財の藩閥政治家として名高いが、これだけではあるまい。いい加減な政治と結託して成り上がった、岩崎や古河、安田など政商たちの醜悪なあり方は、今日の加計と安倍との関係の比ではない。だから岩崎の贅沢ぶりは不愉快極まりない。
ガイドの説明が終わってお礼を言って、鹿地亘監禁やこの岩崎邸の地下にあったという水牢などについて聞いたが、まったくご存じないという。キャノン機関は知っていたが、鹿地亘の名前も知らない様子だった。ことあるごとに、話題とすることが必要だと思い、昔、ブログ(事務局長日記)に書いたことを再掲しておきたい。
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2003年06月07日(土)
鹿地事件の思い出
午後2時集合で、池之端の岩崎邸見学。
文化財への興味ではない。この建物は、反戦作家・鹿地亘さんの監禁場所だった。国民救援会の企画で、山田善二郎さんの案内による謀略の爪痕の現地学習会である。
実は、私は学生時代に鹿地亘さんの電波法違反被告事件支援の会の事務局長役を務めたことがある。これが、私が作った最初の名刺の肩書きだった。
鹿地さんは、1951年11月にキャノン機関によって、療養中の鵠沼海岸で拉致される。キャノン中佐率いるこの機関は、米占領軍の軍令部・G2直轄の諜報機関であるらしい。そのキャノンが住んでいたのが、三菱財閥の総帥岩崎家のこの豪壮な邸宅だった。鹿地さんも、不忍の池が見えるこの屋敷の2階の部屋に一時期監禁されていた。
ここの地下室には水牢もあり、当時多くの中国人、日本人がここに連れ込まれて、スパイになることを強要されていた。秘密裏に殺された人も多かったという。
自殺を図った鹿地さんを救出したのが、当時ハウスボーイ兼コックであった山田善二郎さん。現・国民救援会長である。
山田さんの命がけの通報と、猪俣浩三社会党議員の世論への訴えで、52年12月鹿地さんは闇に葬られる寸前で監禁を解かれる。拉致から1年余、日本が独立して半年余のことである。
問題はここで終わらない。横暴極まる米に対して沸騰した世論を沈静化するために、謀略が仕組まれる。「鹿地はソ連のスパイだった」とでっち上げられたのだ。手の込んだことに、「自分は鹿地の指示によってソ連のスパイとして働いていた」と「自白」する人物までが現れた。帝国電波(現クラリオン、保安隊・自衛隊との関係が深かった)の社員だったこの三橋という男は、さっさと有罪となり服役をすませた。その後は、社内で出世したというから妙な話。
三橋有罪を受けて、被害者だった鹿地さんが電波法違反で起訴されたというわけだ。鹿地さんは一審有罪判決を受け、私が関与したのはその後の高裁段階だった。その後東京高裁は明快な無罪判決を言い渡し確定する。しかし、遅れた無罪判決は謀略の効果を消すことはできない。
今はなき鹿地さんを思い出す。この事件を通じて、権力というものの酷薄さ醜悪さを知った。そして、権力に屈せずにたたかう人々の誇りも教えられた。
私が弁護士になったきっかけのひとつである。
(2017年8月12日・連続第1595回)
李京柱 (リキョンジュ)さんが、「アジアの中の日本国憲法: 日韓関係と改憲論」(勁草書房)を上梓された。発行日が、2017年7月20日となっている。320頁を超える浩瀚な書。「韓国と日本の平和な未来への祈りとして受けとっていただきたいと思う」とのメッセージが、目に飛び込んでくる。
李さんは、「1965年韓国光州生まれ。高麗大学法学部卒業、一橋大学大学院法学研究科で博士後期課程修了、博士(法学)。ドイツDAAD・アメリカUC Berkeley,Visiting Scholar、韓国慶北大学法学部助教授を経て、現在韓国・仁荷(INHA)大学法科大学院教授。専攻は憲法学」と紹介されている。
私は、2011年4月に、日本民主法律家協会の韓国憲法裁判所調査の際にソウルで初めてお目にかかり、韓国の憲法事情や司法制度について教えを受けた。その後、靖国神社を一緒に訪問したり、日の丸・君が代強制拒否訴訟の法廷を傍聴していただいたり、大統領弾劾デモに関して講演をお願いするなどしてきた。
常に温和な李さんなのだが、この本のあとがきには、李さんの心穏やかではいられない心情が綴られている。
「2016年、3度目の在外研究生活の…下半期は留学生活をしていた懐かしい東京(一橋大学)で過ごした。ほぼ20年ぶりの長期滞在は多くのことを感じさせた。
一番印象的だったのは本屋であった。ある本屋はコーヒーさえ飲めば何時間でも新しい本を読んでよいということであった。発想の転換が面白かった。ところが、その本屋には私のような社会科学関係の研究者が読めそうな本はほとんどなかった。入口の方に、良く売れている広い意味での社会科学関係の本が並んでいたが、それは嫌韓、嫌中のような本だったり、そのようなことを煽っている著名人の本だったりであった。
二番目に印象に残ったのは日本会議であった。20年前の日本にもそのような動きがなかったわけではないが、ほとんど注目されず、取るに足りない存在に過ぎなかった覚えがある。靖国神社などの周辺で街頭演説をする人が韓国の新聞などで取り上げられるときも、一握りの存在に過ぎず、身の回りの普通の生活を送っている人は健全で安心して交流してもよいと勧めたりしていた。ところが、2016年の日本は国会議員の多くが日本会議の会員であり、特に安倍内閣の大多数はそこのメンバーであった。
在日韓国・朝鮮人ほどではないが、自分自身、韓国と日本にまたがる人間であって、韓国と日本の平和と友好が実現してほしいと心から願っている者になっていることに気が付く。日本に留学したことで、韓国にいるといつも日本のことについて訊かれる。日本にいると韓国のことについていろいろと訊かれる。しかし、20年ぶりの日本はこのような私に非常に大きな戸惑いを感じさせた。この国はいったいどこに行ってしまうんだろう。」
あとがきの最後は、次のように締めくくられている。
「この(日本の平和主義の)危機の根源には、『アジアの中のものとしての日本国憲法』という認識の著しい風化もあると思われる。風化は主に、日本国憲法は日本一国のものではなく、アジアへの不戦の誓いであることを忘れることからきていると思う。『日本の安全』のみならず、『日本に対する安全』に関する平和的感受性が必要な時期である。」
日本人は、『日本の安全』のみを論じているが、アジアの諸国は『日本に対する安全』を危惧していることを忘れてはならないという指摘。「平和的感受性」という言葉が痛い。平和を考える際に必要な感受性とは、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、あるいは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという心情であろう。これが、いま日本で退化し、韓国で進化しているのだ。
また、李さんの問題意識は、次の一文によく表れている。
「「平和憲法の核心は他国を侵略しないことである」という議論もあるようだ。確かに日本国民の多くが「第九条も自衛隊も」という相矛盾する憲法意識を持っていることを考えると、専守防衛というカードが侵略戦争という絶対悪を防ぐ切り札になるかもしれない。ところが自衛隊を認めることは、果たして侵略戦争阻止の止め石になるのか、それとも侵略戦争への渡り橋になってしまうのか、油断できない。第九条があってやっとここまで防げたとは考えられないだろうか。そういう議論は古すぎるのであろうか。
いずれにせよ、自衛隊が軍隊として認められてしまうことは、アジアの諸国にとっては衝撃的な出来事になるであろう。日本はアメリカとは戦後処理をしたかもしれないが、アジアとはまともにしていない。日本がアジアに対するまともな戦後処理なしにアジア社会に復帰できたのは、第九条という約束があったからに違いない。この約束が破られることをアメリカは了解するかもしれないが、アジア諸国は大きなショックを受けるだろう。」
日本は、もっと「アジアの中の日本国憲法」を意識せよ。とりわけ、アジアに対する不戦の誓いとして第九条があることを忘れるな。という指摘なのだ。
なお、この本の帯のフレーズと、目次とを紹介しておきたい。
「日本国憲法は日本のものでもあるが、9条の先駆性からすれば世界のもの、不戦の誓いという歴史性を考えればアジアのものとも言える。アジア、とくに韓国では9条をめぐる時事的なことについてどう考えられているのか。韓国憲法との比較も交え、アジアの中での日本国憲法の意義について論じる。」
目次
はしがき
第?部 アジアと日本国憲法の制定
第一章 アジアにとっての日本国憲法
1 「日本の安全」と「日本に対する安全」
2 安保関連法と東アジア
3 東アジアと「日本に対する安全」
4 日本国憲法第九条とアジアの平和的未来
第二章 武力による憲法と武力によらない憲法の間
1 近くて遠い国、そして憲法調査会
2 武力による平和主義と韓国
3 武力によらない日本国憲法
4 「論憲」の今日的意味とアジアの平和
第三章 仲間入りの憲法――韓国からみた日本国憲法
1 招魂式と改憲
2 仲間入りの憲法と仲間外れの改憲
3 憲法改正の限界と自民党の憲法改正案
4 姿を消した平和的生存権
5 平和の仲間に
第?部 日本国憲法とアジア
第一章 韓国と日本の平和を語り合う――平和主義の現在と将来
1 平和を論じる
2 日本の平和主義が韓国の平和主義に語りかける平和的生存権
3 韓国の平和主義が日本の平和主義に語りかける「平和外交」
4 日本の外交に平和を望む
5 東アジアの平和を担うべき韓国と日本
第二章 第九条、アジアのものになりえるか
1 二〇〇五年、自民党「新憲法草案」の波長
2 後ろ向きの日本の平和主義
3 前向きの韓国の平和主義
4 改憲、アジアのためになるのか
5 信頼の岐路
第三章 東北アジアから見た憲法第九条の役割――韓国の平和運動を中心に
1 「平和からの脱走」と「平和の熱望」
2 平和主義の自立
3 市民社会と平和
4 韓国憲法の平和主義発見とその限界
5 日本国憲法第九条と東北アジアの平和
第?部 韓半島の平和とアジア
第一章 韓国憲法の平和主義、可能性と限界
1 はじめに
2 韓国憲法史と平和主義
3 平和主義の構造と内容
4 平和的生存権
5 限界
6 小括
第二章 韓半島緊張の原因と平和への道
1 停戦六〇周年の韓半島
2 北の外交国防政策
3 南の外交と国防政策
4 韓半島の平和体制のための実践策
5 韓半島の平和のための憲法論
6 むすびに代えて
第三章 韓半島の平和体制と日本
1 はじめに
2 平和協定の争点
3 「南北基本合意書」と平和体制
4 韓半島の平和体制の課題と日本
第四章 韓国における国家緊急権と有事法
1 災害を名乗る日本の国家緊急権
2 戒厳令
3 緊急命令
4 動員法としての諸有事法制
5 むすび
あとがき
資料
年表
索引
(2017年8月11日・連続第1594回)
「最後の特攻隊員ー2度目の遺書」(高文研)の著者として知られ、「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」を主宰しておられた信太正道さんが、亡くなられたのが2015年11月10日。この秋で2年となるが、まだ「厭戦庶民の会」からの郵便物は途絶えない。その活動は信太さん亡き後も続いているのだ。
国際的にも国内でも、「戦争屋」と思しき人物が戦争を煽っているこの世の中である。「こんな人物の虚言にだまされてはならない」という、信太さんの声が聞こえてくる。ひとりの人の熱意は、その人の死後にも他の人を動かすのだ。
「厭戦庶民の会」というネーミングに、最初は違和感もあった。しかし、正面からの「反戦」「不戦」や「平和」ではなく、「厭戦」というところに、信太さん独特の庶民感覚が見える。「国民の2割が面従腹背の厭戦主義なら戦争屋は戦争ができません」と言っておられたという。
「厭戦庶民の会」から送られた郵便物のなかに、「『厭戦庶民』超緊急増刊号」がはいっていた。太い文字で、「憲法Q&A(2016年版)」「憲法Q&A(2017年版)」「共謀罪Q&A」とタイトルがつけられたもの。全部で17の「Q&A」と、「緊急事態条項って何」が収められている22頁の手作りパンフレット。
冒頭に以下の一文がある。
このQ&A集は、2016年と2017年の「平和のための戦争展inよこはま」での厭戦庶民の会の展示を、冊子のかたちに編集したものです。展示をつくるにあたっては、事務局以外の方々にも参加していただき、議論をつみ重ね文章にまとめました。このささやかな冊子には、多くの方々の経験と知恵がぎっしりとつまっているのです。
共謀罪と憲法について悩んだとき、まわりの人との対話のなかで壁につきあたったとき、ぜひこのQ&A集を活用して下さい。共謀罪の制定と改憲を阻止する力をつくるために!
私も、多くの方々の経験と知恵を学ぼうと思う。
先日、「本郷・湯島9条の会」が本郷三丁目交差点で街頭宣伝行動をしていた折、平和を訴えていた私たちの側まで来て、「北朝鮮に攻め込まれたとき、非武装でどうする」と言った男性がいた。毎回の行動で、一人か二人、こういう人に遭遇する。さて、どのようにお話ししたらよいだろうか。このパンフレットの次のQ&Aを参考に組み立ててみたい。
Q:中国や北朝鮮の脅威に、いまの憲法で対応できるのか不安です。(2016年版)
A:ミサイル発射や核実験、軍事施設建設などに不安をもつのはわかります。けれども、アメリカや日本も、原子力空母やイージス艦、偵察機などをわざわざ近くまで送り込んで、実戦的な軍事演習をやっています。相手側からすれば、これこそ挑発であり脅威ではないでしょうか? 両者が軍事的に対抗しあって、脅威をつくっているのです。脅威をとりのぞく道は、憲法を変えて軍事行動をやりやすくすることではなく、中国や北朝鮮、アメリカ・日本の軍事的対抗そのものをやめさせることではないでしょうか? そのためには、戦力と交戦権を否定した日本の憲法は、無力どころか大きな支えになるはずです。
ところで、脅威をあおっているのは誰でしょうか? 北朝鮮にミサイル発射の兆候があると、防衛省はすぐにPAC3配備の様子などをテレビで大々的に宣伝します。まるでミサイル発射を、自衛隊の軍事訓練に利用しているような印象さえうけます。政府・防衛省は、いますぐにでも日本にミサイルがうちこまれると本気で思っているのでしょうか? もしそうなら、日本海側に何十基もの原発をそのままにしておくことは、恐ろしくてできないはずです。だまされてはいけませんね。
Q:北朝鮮のミサイル発射や核実験‥。今の憲法で対応できるか不安です。(2017年版)
A:「北朝鮮が日本を狙っているのだから、やはり軍事的に対抗することは必要。今の平和憲法では無力では」ということでしょうか?たしかに今、北朝鮮の政府は、日本や韓国の人々の方にミサイルを向けて、じっさいに発射実験もおこなっています。とても許せないことです。しかし、これに対して、軍事力で対抗することは解決になるのでしょうか?危機を高めることにしかならないのではないでしょうか?
最近では「ミサイル発射される前に先制的に北朝鮮の基地をたたいてしまえ、核をおとして壊滅してしまえ」という声もきかれます。けれども、北朝鮮には私たちと同じような庶民がいます。彼らは政府がミサイル、核実験を幾度となくおこなうことによって、食べる物に困るほどの犠牲を強いられているといいます。先制的に攻撃することは北朝鮮政府に苦しめられてきた人たちのさらに命を奪うことにしかなりません。
「だったら金正恩だけを一気にやっつければいい」と言う人もいます。しかしそれまでアメリカが「○○の首をとる」とか「ピンポイントでやる」と言って、それですんだことがあるでしょうか。その過程で多くの人々の頭上に爆弾をふらせ、その後も泥沼化する戦闘の中で多くの犠牲者をだしてきたのではなかったでしょうか?
そもそも、最近戦争になりそうなほど危機が進んだのは、アメリカがシリアやアフガニスタンを攻撃し「次は北朝鮮だ」といわんぱかりに日本海に空母や原子力潜水艦を送りこみ、いつでも戦争できる態勢をとったからではないでしょうか。それに付き従ったのが日本です。歴史をふり返ってみても北朝鮮をここまでおいつめたのはアメリカです。
ミサイルに対して、より大きな軍事力でたたいていく、このようなことは悲劇しかうみません。私たちは権力者同士の軍事的な対抗や軍事力をバックにしたかけひきによる解決ではなく、むしろ憲法9条をつらぬいて、北朝鮮、日本、アメリカなどの庶民が国際的に力をあわせ戦争と軍事的な挑発をやめさせるべきではないでしょうか?
(2017年8月10日・連続1593回)
本日(8月9日)、長崎原爆忌。
長崎原爆平和祈念俳句大会という催しが続いていて今年が第64回だという。
以下が、その第64回大会の、大賞以下、知事賞、県議会議長賞などの受賞作品。
雑巾のねぢれて乾く原爆忌(小田恵子)
空蝉をちちよははよと拾ひけり(山本奈良夫)
八月の色紙は鶴になりたがる(牛飼瑞栄)
焦げ臭い地球儀を拭く八月(山田紅蓮)
浦上のまほらへ母の日傘行く(中川城子)
八月の影の重さを曳いて老い(谷川彰啓)
家中に昭和が歩いている八月(坂田正晴)
できるコトは祈りだけです原爆忌(相川文子)
長崎の傷痕のごと曼珠沙華(山本奈良夫)
オバマ氏の鶴の飛び翔つ朱夏の天(草野悠紀子)
戦争の卵ぷかぷか春の海(福島露子)
72年前の今日午前11時2分。市民の頭上で2発目の原子爆弾が炸裂した。その惨劇から72年。怒りのヒロシマ、祈りのナガサキと言われるが、もちろん長崎にも怒りは渦巻いている。
本日長崎市の平和公園で開かれた平和祈念式典での、田上富久市長の平和宣言は、今年7月国連総会本会議が採択した核兵器禁止条約への言及に多くの時間を割いた。被爆地の市長として、「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」と歓迎するとともに、日本政府に対し、「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と痛烈に批判した。
その部分は、以下のとおりである。
「ノーモア ヒバクシャ」 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにもかかわらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
なんとよく練られた、条理にあふれた宣言文ではないか。この訴えに対して、日本政府の首相は、何も答えない。6日広島で、そして今日長崎で批判されたにもかかわらず、である。言い訳はこうだ。
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ(官邸ホームページから)
真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。
共同通信が伝えるところでは、「安倍晋三首相は長崎市で開かれた『原爆犠牲者慰霊平和祈念式典』後に記者会見をし、国連で7月に採択された核兵器禁止条約に加わらない理由として『核兵器国の参加が不可欠だ。我が国のアプローチと異なることから署名、批准することはない』などと話した。」という。
被爆者ならずとも、怒らずにはおられない。被爆者の怒りの激しさ深さは、はかり知れない。
朝日(電子版)は、「長崎の被爆者、首相に『どこの国の総理か』 核禁条約で」と伝えている。以下の記事。
?「あなたはどこの国の総理ですか。私たちをあなたは見捨てるのですか」
9日午後、長崎市で被爆者代表の要望を首相らが聞く会合があった。冒頭、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(77)は首相に要望書を渡す前に強い口調で言った。
米国の「核の傘」に依存し、条約に冷淡な首相には面と向かってただしたかった。要望書は長崎の被爆者5団体がまとめたが、『(条約採択の場に)唯一の戦争被爆国である我が国の代表の姿が見えなかったことは極めて残念です。私たち長崎の被爆者は満腔の怒りを込め、政府に対し強く抗議します』と記した。
被爆者だけではない。国民こぞって、満腔の怒りを込め、政府に対し、安倍晋三首相に対して強く抗議しよう。「いったい、あなたはどこの国の総理なのか」「被爆者とともに満腔の怒りを込め、政府に強く抗議します」と。
(2017年8月9日)