澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「NHK・ワンセグ裁判」さいたま地裁判決を評価する

高市早苗総務相は昨日(9月2日)の記者会見で、さいたま地裁が、「ワンセグ放送を受信できる携帯電話を持っているだけではNHKの受信料を支払う義務はない」と判断したことについて、「携帯受信機も受信契約締結義務の対象と考えている」と述べた、と報じられている。この人は、はたして判決書きを読んで、ものを言っているのだろうか。

 裁判では、ワンセグ機能つき携帯電話の所有者が、放送法64条1項で受信契約の義務があると定められている「放送を受信できる受信設備を設置した者」にあたるかが争われた。高市氏は「NHKは『受信設備を設置する』ということの意味を『使用できる状況に置くこと』と規定しており、総務省もそれを認可している」と説明した。(朝日)

総務相の説明は、さいたま地裁でNHKが主張して、裁判所に排斥された考え方の要約。判決理由の批判になっていないのだ。所管の大臣が、蒸し返して同じ理屈しか言えないようでは、控訴しても覆すことは難しかろう。

8月28日さいたま地裁で言い渡された、「NHK・ワンセグ裁判」判決。ようやく判決書に目を通すことができた。報道の印象とは異なって、堂々の判決理由となっている。これなら、控訴審でも十分に持ちこたえそうだ。

この裁判の原告は、大橋昌信という朝霞市の市会議員。「NHKから国民を守る党」として選挙に臨んで当選している。この裁判の提起は、彼の政党活動でもあったわけだ。

ところで、「NHKから国民を守る党」に格別の理念は見あたらない。「NHKの政権への擦り寄り体質がもたらす害悪から国民を守る」とか、「NHKの報道萎縮の弊害から国民を守る」という党是はない。純粋に「NHKの受信料取り立てによる経済被害から国民を守る党」であるらしい。それでも果敢にNHKと闘っていることを評価すべきなのだろうが、この政党との距離感のとりかたは悩ましいところ。

裁判は、NHKから起こされたものではない。大橋市議が原告となって被告NHKを訴えたもの。請求の趣旨は、「原告(大橋)が、被告(NHK)との間に受信契約を締結する義務が存在しないことを確認する。」という義務不存在確認請求訴訟。請求のとおりの判決となった。

原告は訴訟代理人(弁護士)を選任することなく、本人訴訟を貫いた。判決を読む限りだが、原告と被告の論戦があって裁判所が原告の側に軍配を上げたという経過ではない。法律論は、もっぱら被告NHK側が詳細に主張し、裁判所はNHK側の法的主張を説得力ある論拠を挙げて排斥した。被告NHKは一人相撲をとって、原告にではなく行司役の裁判所に寄り切られたという印象。それでも、視聴者側の勝ちは勝ち。NHKの負けは負け。貴重な判決であり、影響は大きい。

争点は簡明である。放送法第64条1項本文は、「協会(NHK)の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会(NHK)とその放送の受信についての契約をしなければならない」と定める。原告は、ワンセグ機能付き携帯電話をもっているが、「携帯」して持ち歩いており「設置」していない。だから、64条1項本文の「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者」に該当しない。それゆえに、受信契約締結義務はない、と主張した。

原告の主張は、徹底した文理解釈である。国語の意味において「設置」と「携帯」とは明らかに異なる。「設置」とは据え置かれて固定されていることをいい、機器を持ち歩いての「携帯」が「設置」となるはずはない、という単純にして明快な理解。

これに対する被告NHK側は、目的論的な解釈論を展開した。
「放送法64条1項の趣旨は,被告(NHK)の公共放送機関としての役割の重要性に照らし,被告が適正かつ公平に受信料を受領できるようにすることにあり,上記趣旨を全うするには,受信設備が一定の場所に設け置かれているか否かで区別すべきでないから,「設置」とは受信設備を使用できる状態に置くことを意味する。」という。つまりは、国語の意味に拘泥することなく、条文の趣旨・目的を見据えた「正しい解釈」をしなければならない。受信機を固定しようと持ち歩こうと区別の必要はなく、要は受信が可能かどうかだけが問題なのだから、64条の「設置」とは結局のところ「携帯」を含む概念である、という。

やや我田引水気味ではあるが、もちろん荒唐無稽な主張ではない。NHK側は、この理屈で裁判所は勝たせてくれる、と思っていたにちがいない。「なんたって、NHKも司法も準国家機関。裁判官は仲間だもの」。

ところが、判決はNHKと司法との仲間意識を吹き飛ばすものとなった。
判決理由は、憲法83条(財政民主主義)、84条(租税法律主義)及び財政法3条から説き起こす。財政法3条とは、馴染みが薄いが、「租税だけでなく、国が国権に基いて徴収する課徴金や専売代金価格や事業料金などは、すべて法律又は国会の議決に基いて定めなければならない」と憲法の租税法律主義を補充した規定。NHK受信料もこれに含まれるという趣旨だ。

これは原告が主張したことではない。裁判所は、事実主張に対する判断においては、当事者(原被告)の主張に拘束される(弁論主義)が、法的な判断に関しては当事者の主張に縛られないのだ。

問題は、以前から論じられている受信料の法的性格。
判決は、「放送を受信することのできる受信設備を設置した者は,実際に放送を受信し,視聴するか否かにかかわらず,被告(NHK)と受信契約を締結する義務を負うから,受信料は必ずしも放送の視聴に対する対価とはいえず,被告(NHK)の維持運営のために特殊法人である被告(NHK)に徴収権が認められた特殊な負担金と解するのが相当である。」と双務契約上の対価説を否定する。これは、他の受信料訴訟での視聴者側には歓迎すべき判断ではない。

しかし、本件ではそのことが、NHKの受信料請求を認めるためには、厳格な法解釈を必要とするとの根拠にされている。この部分の判断は以下のとおり。やや長いが、該当個所の全文を引用しておきたい。

被告(NHK)は,放送法16条により設立された特殊法人であって,「公共の福祉のために,あまねく日本全国において受信できるように豊かで,かつ,良い放送番組による国内基幹放送」を行うことを目的とし(放送法15条),内閣総理大臣が任命した委員により構成される経営委員会が,受信料について定める受信契約の条項(受信規約)について議決権を有しており(同法29条1項1号ヌ),受信規約は総務大臣の認可を受ける必要があること(同法64条3項)からすれば,受信料の徴収権を有する被告は,国家機関に準じた性格を有するといえるから,放送法64条1項により課される放送受信契約締結義務及び受信料の負担については,憲法84条(租税法律主義)及び財政法3条の趣旨が及ぶ国権に基づく課徴金等ないしこれに準ずるものと解するのが相当であり,その要件が明確に定められていることを要すると解するのが相当である。

以上が、ユルユルの目的論的解釈を排して、厳格な文理解釈を採用すべきとする基本原理の説示である。これを判決は「課税要件明確主義」といっている。

その上で、判決は「同一の法律において,同一の文言が使用されている場合には,同一の意味に解するのが原則であることはいうまでもない」「課税要件明確主義の立場からは,一層,同一文言の解釈について一貫性が要求されるというべきである。」として、放送法2条14号は「設置」と「携帯」を区別している、と指摘する。

放送法第2条は、「この法律及びこの法律に基づく命令の規定の解釈に関しては、次の定義に従うものとする」という定義規定で、その14号は「移動受信用地上基幹放送」を定義して、「自動車その他の陸上を移動するものに『設置』して使用し、又は『携帯』して使用するための受信設備により受信されることを目的とする基幹放送であつて、衛星基幹放送以外のものをいう。」と明確に、『設置』と『携帯』を別の概念として使い分けている。

また、判決は放送法64条の改正経緯を検討して、当初の「設置」の概念が「携帯」を含まないものであったことが明らかであるところ、後に「携帯」という文言が放送法に取り入れられてもなお、64条については何らの変更もなく、変更の議論や説明もされていない。「設置」の概念に変更があったと解することはできない、ともいう。

判決は、さらに放送法だけでなく、電気通信事業法などの他の法律の『設置』概念の検討を経て、「放送法64条1項の『設置』は,同法2条14号の『設置』と同様,『携帯』の意味を含まないと解するのが相当である。」と結論づける。その結論に至る論理は明快で、分かり易い。

高市コメントは、以上の説得力ある判決理由に対する的確なコメントとなっていない。要するに、地裁判決の判断に不服だから控訴する、というだけのもの。行政が、下級審で不本意な判決に接したとき、もっと謙虚なコメントがあってしかるべきではないだろうか。行政の論理を正当と維持して上訴する権利はもちろんある。しかし、下級審とはいえ、憲法上の行政のチェック機関である裁判所から、行政の間違いを指摘されたのだ。しかも、詳細に説得力をもって。そのことの重みを十分に認識した上での謙虚な対応であって欲しいと思う。
(2016年9月3日)

「改憲か、護憲か」ではなく、いま敢えて「壊憲か、活憲か」を問う。

明日(9月3日)、下記のとおり「壊憲か、活憲か」(ブックレットロゴス)の出版記念討論集会がある。
 と き  2016年9月3日(土)午後1時30分
 ところ  明治大学リバティタワー6F(1064教室)
 司 会  平岡 厚
 参加費  700円
小さな集会だが、お越しいただけたらありがたい。
なお、同書は次の4編から成る。
 「〈友愛〉を基軸に活憲を」      
    村岡  到(季刊『フラタニティ』編集長)
 「訴訟を手段として『憲法を活かす』─岩手靖国訴訟を振り返って」
    澤藤統一郎(弁護士)
 「自民党は改憲政党だったのか」─「不都合な真実」を明らかにする
    西川伸一(明治大学教授)
 「日本国憲法の源流・五日市憲法草案」 
    鈴木富雄(五日市憲法草案の会事務局長)
集会では、各執筆者が30分ずつの持ち時間で各テーマにしたがって報告し、「壊憲か、活憲か」について意見交換する。
同書は、四六判128頁、価格は1100円+税。
詳細は、下記URLをご覧いただきたい。
  http://logos-ui.org/booklet/booklet-12.html
お申し込みは、下記まで。
ロゴス〒113-0033東京都文京区本郷2-6-11-301
  tel  03-5840-8525
  fax 03-5840-8544
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さて、「改憲」とは憲法の改正手続に則って憲法典を改正することである。天皇制を廃止したり、生存権規定を具体化したり、形式的な平等ではなく実質的な平等原理を導入するなど、主要な憲法理念を深化させる真の意味での「改正」もあり得るが、今の力関係ではその実現はなかなかに困難と言わざるをえない。

日本国憲法誕生以来、政治日程に上った「憲法改正」の試みのすべては実質的に「改悪」の提案であった。大日本帝国憲法への復古であったり、9条2項を改変して軍事力を保持する提案であったり、統治機構における権力分立から統合への試み。あるいは、民族の歴史・伝統・文化を憲法に盛り込もうというもの。国民の側からの発想ではなく、権力を握るグループの側からの仕掛け。

だから、「改憲」の対語が「護憲」となる現実がある。「護憲」とは、「憲法改悪阻止」とほぼ同義となり、国民意識を一歩抜きん出た水準にある憲法を改悪させることなく精一杯守ろう、という守勢のイメージを払拭しえない。

ところで、憲法はあくまで手段である。社会が目指すべき理念を確認しこれを実現するための手段。だから、大切なものは憲法典それ自体ではなく、その理念が政治や社会にどう生きるかということである。

「改憲か、護憲か」の対抗軸だと、憲法典の改正手続の有無にばかり目が行って、肝心の社会に憲法理念がどう根付き、どう生かされるかが見えなくなるおそれがある。典型的には、改憲が実現せず憲法典の字句は護りえたが、憲法の解釈はすっかり変えられ、本来の憲法の理念は逼塞してしまうという事態。アベ政権の戦争法成立とその運用が典型事例といってよい。

だから今、立憲主義をないがしろにし、憲法の解釈をねじ曲げて、憲法の理念をことごとくぶちこわす「壊憲」と対置した、「活憲」の理念を打ち立てたい。「護憲」の守勢のイメージよりは、随分と積極性が感じられるではないか。

「活憲」は、解釈改憲を許さない、というだけでなく、日々の暮らしの中に、あるいは政治に、社会に、地方自治に、司法に、教育の場に職場に家庭に、憲法の理念を活かそう、という呼びかけでもある。そうすることによって、憲法は人びとに身近で大切な存在となり、活憲の試みの積み重ねが、護憲=憲法改悪阻止にも結実するものと思う。

明日(9月3日)の討論集会は、そのような問題意識の集いになる…はずである。
ブックレットの執筆者4人が、それぞれに報告する。持ち時間は各30分。

なお、同社は、「友愛を基軸に活憲を!」をテーマに、季刊『Fraternity フラタニティ』(友愛)を発刊している。最新号は、No.3 2016年8月1日。
ここにも、「私が携わった裁判闘争」を連載している。
下記のURLを開いていただいて、出来れば定期購読していただけたらありがたい。
   http://logos-ui.org/fraternity.html
(2016年9月2日)

9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典にて

9月1日は、単に大震災の日と記憶すべき日ではない。続発した、日本人の在日朝鮮人に対する集団虐殺が行われた日として、忘れてはならない日である。いったい何が起こったか、「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼実行委員会」の案内ビラは、簡明に次のとおり訴えている。

「93年前の関東大震災のとき、全く罪のない朝鮮人が6000人以上、中国人が700人以上も当時の天皇の軍隊・警察や自警団によって虐殺されました。日本の社会主義、労働運動の指導者たち10数人も国家権力によって殺されました。
 しかし、政府は今もなおこの事実を明らかにせず、加害責任を自覚さえしていません。アジアの平和と安定に寄与することを願い、震災における犠牲者の追悼とこのような歴史を繰り返さない決意を込めて追悼式を開きます。
 これを機会に歴史をしっかり学び、その教訓を現在に生かしたいと思います。」

起こったのは、日本人による朝鮮人(中国人を含む)虐殺である。実行委員会の式次第から、引用する。

「関東大震災に乗じた虐殺
1923年9月1日の関東大震災では、その直後から『朝鮮人が井戸に毒を流した』、『朝鮮人が攻めてくる』などの流言が人々の恐怖心をあおりました。朝鮮人への差別や、三・一運動以後の民族運動の高揚に対する恐怖が流言発生の背景であったといわれています。政府は直ちに軍隊を出動させ朝鮮人を検束し、『不逞』な朝鮮人に対し『取締』や『方策』を講ずるように指令を出し、流言を広げました。軍隊や民衆などによって多くの朝鮮人や中国人等、社会主義者をはじめとした日本人が虐殺されました。」

「真相究明と謝罪求め
自警団など民間人による虐殺については型どおりの裁判が行なわれたのみで、軍隊など国家が関わった虐殺は不問に付されています。戦後に調査研究と追悼の運動が進められ、2003年には日弁連が真相究明と謝罪を国家に勧告しましたが無視されています。国家が調査と謝罪を行ない、虐殺事件への真の責任を取ることが、いま求められているのです。」

東京都墨田区の横網町公園内に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」がある。
そこには、次の碑文が刻されている。
 「この歴史
  永遠に忘れず
  在日朝鮮人と固く
  手を握り
  日朝親善
  アジア平和を
  打ちたてん
        藤森成吉」

この追悼碑は建立実行委員会の東京都への強い働きかけで墨田区横網の都立公園に建てられたもの。追悼碑建立の経過が次のとおり、書かれている。
「1923年9月に発生した関東大震災の混乱のなかであやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぽる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想・信条の相違を越えてこの碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
1973年9月 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立実行委員会」

本日、その追悼碑の前で、「関東大震災93周年朝鮮人犠牲者追悼式典」がしめやかに行われ、私も参列した。式典の実行委員長として吉田博徳・日朝協会都連会長が開式の言葉を述べたほか、僧侶の読経があり、鎮魂の舞があり、そして各界からの追悼の辞が述べられた。追悼の辞は、東京都知事や墨田区長、「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」、「亀戸事件追悼会」、朝鮮総聯、日本共産党、日本平和委員会、日中友好協会など。

挨拶は概ね次のような趣旨であった。
「93年前のこの事件は、過去のものとなっていない。日本政府は、これまで事件の解明にも責任の追及にも熱意を示さず、遺族への謝罪もしてこなかった。そして、民族的差別感情の醸成は、植民地支配と侵略戦争の準備行為でもあった。いま、憲法改正をたくらむ危険な政権下で、戦後経験したことのないヘイトスピーチやヘイトクライムが続発していることに警戒の目を向けなければならない。過去の歴史を正しく見つめるところから、民族間の信頼と平和が生まれる。この事件の教訓をしっかりと承継しなければならない」

この事件の最暗部は関東各地に無数に結成された「自警団」にある。自警団とは、町内会であり商店会であって、要するに一般民衆である。これが、虐殺集団となった。つまり、日本人の誰も彼もが、積極消極の虐殺事件加害者となったのだ。このことを歴史からも記憶からも抹消してはならない。

「随所で続発した朝鮮人虐殺事件は、各町々で結成された一般民衆による組織によって行われた。かれらは、日本刀、銃、竹槍、棍棒等を所持し、朝鮮人を探し出すことに狂奔し、朝鮮人と認めると容赦なくこれを殺害し、傷つけた。この虐殺事件は、大震火災で無法化した地に公然と行われた」(文春文庫『関東大震災』吉村昭)

姜徳相著『関東大震災』(中公新書)には、「自警団の活動」という章があり、そのなかに「自警団の殺し方」という項がある。「自警団の殺人は、人殺しをしたというだけの簡単なものではない」として、恐るべく残虐な集団虐殺の目撃談が連ねられている。以上の二書は、日本人必読の文献である。

異常な事態において人間一般の習性がかくも残虐なのか、あるいは日本人が特別に残虐なのかは、定かでない。しかし、日本人の一般民衆が、マイノリティとしての朝鮮人(ならびに中国人にも)に対して、集団で残虐な蛮行に及んだことを忘れてはならない。

なぜこんなことが行われたのか、どうしたら同様なことを防げるのか。誰にどのような責任があるのか、日本人として今どのように事件と向き合うべきなのか。戦争責任と同様に、考えることをやめてはならない。
(2016年9月1日)

靖國の二面性ー「上からのA面」と「下からのB面」

8月も今日でおわる。戦争と平和を語るべき月の最後には、やはり靖國を語りたい。

靖國神社には、月毎の「社頭掲示」というものがある。「多くの方々に、祖国のために斃れられた英霊のみこころに触れていただきたいと、英霊の遺書や書簡を毎月、社頭に掲示しています。社頭にこれまで掲示した遺書や書簡は、『英霊の言乃葉』に纏めて刊行、頒布していますので、是非ご覧下さい」とのこと。

今月(2016年8月)の社頭掲示は、以下のとおりの「英霊の遺言状」。
遺言状 陸軍大尉 岡研磨命
(戦死による2階級特進での「大尉」。生前は少尉であったことになる。「命」は、祭神であることの敬称で「(の)みこと」と読む。なお、霊爾簿には、祭神の氏名の外、戦没年月日・出身地・軍における階級・勲等・金鵄勲章の等級が記される)
昭和十九年九月二十一日 西部ニューギニア方面にて戦死
福井県福井市手寄上町出身 四十七歳

 人生草露の如し。
 今栄ゆる御代に会ひ、醜の御楯となる本懐これに過ぐる事なし。
 母上に対し孝養足らず。遺族の幸福を願ひつつもその及ばざりしは余の不徳なり。深くこれを謝す。
 人生の行路平坦ならず。
 一同力を合はせ御国の為勇往邁進せよ。
 吾、御身等の身辺にありて必ず守護せん
。(原文のまま)

見方によっては、紋切り型の典型というべきだが、死後に、遺族だけでなく軍にも郷里の人びとにも読まれることを意識しての遺言である。到底率直な心情をつづることはできない。末尾3行は、既に護国の神としての言葉となっている。これ以外には、書きようがなかったのだろう。

「栄ゆる御代」「醜の御楯」「本懐」「御国の為」「勇往邁進」などの常套語句の羅列の中に、「人生草露の如し」「母上に対し孝養足らず」「遺族の幸福を願ひつつ」と無念さを読み取ることもできよう。

これとは対極のものをご紹介したい。2008(平成20)年8月の靖國神社社頭掲示である。

  遺 書
 陸軍歩兵中尉 立山英夫命
 昭和十二年八月二十二日
 歩兵第四七聯隊
 支那河北省辛荘附近にて戦死
 熊本県菊池郡隈府町出身

  若し子の遠く行くあらば 帰りてその面見る迄は
  出でても入りても子を憶ひ 寝ても覚めても子を念ず
  己生あるその中は 子の身に代わらんこと思い
  己死に行くその後は 子の身を守らんこと願ふ
  あゝ有難き母の恩 子は如何にして酬ゆべき
  あはれ地上に数知らぬ 衆生の中に唯一人
  母とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝む
  母死に給うそのきはに 泣きて念ずる声あらば
  生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
  母息絶ゆるそのきはに 泣きて念ずる声あらば
  生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
  母息絶ゆるそのきはに 泣きておろがむ手のあらば
  生きませるとき肩にあて 誠心こめてもみまつれ

 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん

これは、「覚悟の遺書」ではない。母にも他人にも読まれることを想定して書いたものではない。斥候として偵察に出た初陣で戦死した若い見習い士官のポケットから出てきた母の写真の裏に書き付けられたメモである。

メモ前半の長歌は、当時よく知られていた「感恩の歌」の一部をとって、独自の創作を付け加えたもの。そして、24回繰り返された「お母さん、お母さん、お母さん……」。母を思う子の心情が溢れて胸を打つ。ここには、「大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ」というタテマエや虚飾が一切ない。

私は、このメモを読むたびに、不覚の涙を禁じ得ない。我が子の死の報せを聞かされた母の嘆きはいかばかりのものであったろう。

靖國神社には二面性がある。その一面は、上から見た、国家が拵え上げ国民に押しつけた側面。戦没将兵を顕彰することで、戦争を美化し国民を鼓舞して、君のため国のための戦争に国民精神を総動員する装置としての側面。飽くまでこちらがA面である。

だがそれだけではない。国家によって拵え上げられた擬似的「宗教」装置ではあっても、夥しい戦没者の遺族にとっては、故人の死を意味づけ、これを偲ぶ場となっている。確実に民衆が下から支える側面がある。こちらがB面。B面あればこそのA面という関係ができあがっている。

「醜の御楯となる本懐これに過ぐる事なし」とは、A面を代表する遺言状。「お母さん、お母さん…」のメモは、B面に徹した遺品。A面だけではなく、B面も靖國にとっては、なくてはならない存在なのだ。

私は、B面に涙する。同時に、この涙する心情をA面に利用させてはならないとの痛切の思いを新たにする。A面は宗教的に構成されているのだから、政教分離とはA面の国家利用を絶対に許さないとする法原則と理解してよい。

戦争の犠牲者は自国民だけではない、軍人軍属だけでもない。戦没者の追悼のあり方は、祭神として靖國の社頭に祀ることだけではない。「お母さん…」と書き付けて亡くなった子と母の痛切な心情を、国家や靖國に囲い込ませてはならない。

戦死者を顕彰したり戦争を美化するのではなく、再びの戦争犠牲者を絶対につくらないと決意すること。いかなる理由による、いかなる戦争も拒否すること。国際協調と平和主義を貫徹する誓約をすること。これこそが本当に戦死者を悼み、戦死者と遺族の心情を慰めることになるのだ。
(2016年8月31日)

新宗連のいう「絶対非戦」と憲法9条

戦争と平和を語るべき8月が、もうすぐ終わろうとしている。

新日本宗教団体連合会(新宗連)の機関紙である「新宗教新聞」(月刊紙・8月26日号)が届いた。さすがに8月号。紙面は「平和」「非戦」で埋め尽くされている。トップの見出しが、「世界平和、絶対非戦の誓い新た」というもの。新宗連青年部が主催する「第51回戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典(8・14式典)」を通じて、「世界平和と絶対非戦への誓いを新たにした」と報じられている。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われた同式典では、「平和へのメッセージ」が発表され、参列者全員で「平和の祈り」を捧げ、戦争犠牲者への慰霊と世界平和の実現への誓いを新たにした、という。

「絶対非戦」を標榜する8・14式典の戦没者慰霊は、靖國での英霊顕彰とは異質のものである。

靖國神社は、「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社」(靖國神社の由緒)と自らを規定する。ここに祀られるものは、戦争の犠牲者ではない。戦没者ですらない。「国家のために尊い命を捧げられた」とされる軍人軍属に限られる。もちろん、交戦相手国の戦死者・戦争被害者は、「国家のために尊い命を捧げられた人々」ではありえない。ここにいう「国家」とは、大日本帝国ないしは天皇の国のことなのだ。

靖國神社は、皇軍軍人の御霊を「慰める」だけではない。「国家に命をささげた、事績を永く後世に伝える」つまり、英霊として顕彰するのだ。靖國には、戦争を悪として忌避する思想はない。君のため国のために闘うこと、闘って命を落とすというのは、崇高な称えるべき事蹟なのだ。

靖國には、客観的に戦争を見つめる視点は欠落している。創建の由来からも、軍国神社としての歩みからも当然のことなのだ。ひたすらに「忠死」を顕彰する盲目的な評価があるだけである。だから、日清日露は皇国の御稜威を輝かせた褒むべき戦争であり、植民地支配や日支戦争は五族協和のための戦争で、大東亜戦争は自存自衛のやむを得ざる正義の戦争であった、ことになる。靖國史観が歴史修正主義の代名詞となっているわけだ。皇軍がなくなり、旧陸海軍の管轄から脱して一宗教法人となって久しい現在においてなお旧態依然なのだ。

これに対して、新宗連の「すべての命を尊ぶ」「絶対非戦」論には、戦争肯定の思想がはいりこむ余地がない。主催者挨拶の中では、40年余にわたる「アジア青年平和使節団」の活動が紹介されている。現地での、日本軍によるアジアの人びと、連合軍捕虜の犠牲者への慰霊供養が語られている。すべての戦没者を悼み、霊を慰め供養をするが、けっして闘ったことを褒め称えることはない。戦争は「すべての命を尊ぶ」という教えに反する悲しいことで、いかなる理由をつけようとも、絶対に繰り返してはならないという姿勢が貫かれている。

靖國とは現実に戦争の精神的側面を支えてきた軍事的宗教施設であって、平和を祈るにふさわしい場ではない。新宗連が「すべての命を尊ぶ」「絶対非戦」という立場から、意識的に靖國とは異なる戦没者慰霊の行事を行っていることに敬意を表したい。

新宗教新聞の同号には、新宗連が8月8日付で内閣総理大臣安倍晋三宛に、「靖國神社『公式参拝』に関する意見書」を提出したとの記事があり、その意見書全文が掲載されている。

やや長いものだが、靖國神社への「公式参拝」自重を求める部分よりは、伊勢志摩サミットの際の、伊勢神宮参拝を問題にしている点が目を惹く。当該部分を抜粋して紹介する。
「総理は、本年5月26日、伊勢志摩サミットに出席した先進七ヵ国首脳を伊勢神宮にご案内されました。政府は、これを伊勢神宮への「訪問」であり、「参拝」ではない、と説明されました。しかし、伊勢神宮が正式参拝としている「御垣内参拝」を主要国首脳とともになされた総理の行動は、純然たる宗教行為であります。これを「訪問」とすることは、伊勢神宮の宗教性を踏みにじるものと、深く憂慮いたします。同時にそれは、「政府がどのような行為が宗教活動に該当するのかを価値判断する」ことを意味し、わが国の「政教分離」原則は、重大な危機を迎えるものといわざるを得ません。
 戦前から戦中にかけて、わが国では、多くの宗教団体が過酷な宗教弾圧を被りました。そのきっかけは、近代国家において「政教分離」原則がないがしろにされたことに始まったことを、私たち宗教者は忘れてはおりません。」
まったくそのとおりで、全面的に賛意を表したい。

また、同紙は、同じ8月8日、新宗連が自民党総裁安倍晋三宛に、憲法改正草案についての意見書(二)を提出したことを伝えている。 

この点についての新宗連の意見書は、先に2015年6月26日付で、自民党宛に提出されている。本格的で体系的な内容となっており、下記5点の問題を指摘して、「強く要望いたします」「削除を求めます」「強く反対いたします」などとされている。
一、憲法に国民の義務を記さないこと
二、「個人」を「人」と書き変えないこと
三、「信教の自由」を保障し、「政教分離原則」を堅持すること
四、「公益及び公の秩序」を憲法に盛り込まないこと
五、平和主義を守ること

意見書(二)は、その後の議論を踏まえて、改憲案の中の「緊急事態条項」についての意見となっている。内容は、「緊急事態条項」に関する一般的意見にとどまらない。独自性のポイントは次のとおりだ。
「私たちは、貴党・憲法改正推進本部が公表した九十九条『緊急事態の宣言の意味』三項において、緊急事態の宣言が発せられた場合においても最大限尊重されなければならない基本的人権に関して、十四条、十八条、十九条、二十一条が記されていながら、何故に二十条の「信教の自由」が明記されていないのか、未だに理解に至っておりません。」

緊急事態宣言下での信教の自由(憲法20条)の取り扱いに関わることで、細かいといえばかなり細かい。宗教者であればこその問題提起である。それぞれの分野で、自民党改憲草案を徹底して叩く見本というべきだろう。

また、同紙は、多くの宗教団体の「戦争犠牲者慰霊・平和祈願」の式典を紹介している。「大平和社会実現のための献身誓う」というPL教団の「教祖祭」が大きく扱われている。立証校正会の「平和祈願の日」式典は扱いが小さいが、その中で、庭野日敬開祖の次の言葉の紹介に注目せざるを得ない。

「危険をおかしてまで武装するよりも、むしろ平和のために危険をおかすべきである」

これこそ、憲法9条の精神ではないか。武装することによるリスクもあり、当然に武装しないリスクもある。憲法9条は、武装することによる相互不信頼のスパイラルから戦争に至るリスクを避けて、ありったけの知恵を働かせて平和のために非武装を貫くリスクをとったのだ。

宗教者のいう「絶対非戦」。これは、憲法9条の理念そのものではないか。「近代戦遂行に足りるものとならない限りは実力を持てる」「国家に固有の自衛権行使の範囲であれば戦力とは言わない」などという「解釈」を弄することなく、「自衛隊は違憲」でよいのだ。

私自身は神を信じるものではないが、真面目な宗教家の言には耳を傾けたいと思う。新宗連は政治的に革新の立場でもなければ、思想的に進歩の立場でもない。しかし、真面目に宗教者として生きようとすれば、アベ政権との確執は避けられないのだ。このような人たちとは、しっかりと手を結び合うことができるはずと思う。
(2016年8月30日)

転向を強要してはならない。良心に鞭打ってはならない。ー「服務事故再発防止研修」強行に抗議する。

本日、服務事故再発防止研修受講を強いられているT教諭を代理して、代理人弁護士の澤藤から抗議と要請を申しあげる。直接には、東京都教職員研修センター総務課長に申しあげるが、抗議と要請の相手は、東京都教育委員会と都知事だ。これから申しあげる抗議と要請の趣旨をよろしくお伝えいただきたい。

T教諭は、今年(2016年)3月、勤務先の特別支援学校卒業式において「君が代」斉唱時の不起立を理由として懲戒処分(減給10分の1・1月)を受けた。これは、憲法に保障された「思想・良心の自由」と「教育の自由」を蹂躙する暴挙と言わざるをえない。少なくとも、懲戒権濫用として取り消しを要する違法な処分だ。

あらためて申しあげるまでもなく、すべての人は、それぞれ固有の精神生活をもっている。この精神生活の核心にあるものを憲法は、「思想」あるいは、「良心」と表現している。人が人であるために、自分が自分であるために、けっして譲ることのできない、思想と良心とが誰にもある。もとより、その思想および良心は自由でなくてはならない。国家に思想や良心の持ち方に関して、干渉される筋合いはないのだ。

憲法19条が、「思想および良心の自由はこれを保障する」とわざわざ定めたのは、戦前のウルトラ国家主義時代の反省に基づくものである。この時代、天皇を中心とする國体思想が国家公認のイデオロギーとされ、国民にはこの国家公認のイデオロギー受容が強制された。一方、これに反する多様な思想や良心が強権的に排斥された。

とりわけ、国策である富国強兵と植民地拡大に反対する思想や良心は権力に不都合として、徹底した弾圧を受けた。平和を唱え、民族の独立を支援する思想や良心には、非国民・国賊という悪罵が投げかけられた。記憶すべきは、この忌まわしい時代にも、思想や良心の自由をかけがえのないものとして、飽くまでこれを守り抜こうと、権力に抗って弾圧の犠牲となった少からぬ人びとがいたことである。

この、思想・良心や信仰が乱暴に蹂躙された苦い経験の反省の上に、戦後ようやく日本国民は憲法19条を手にしたのだ。けっして、これを絵に描いた餅にしてはならない。思想や良心をむち打つようなことをしてはならない。誰のものであれ、思想や良心を傷つけてはならない。公権力が、特定の思想を価値あるものとしてこれを国民に押しつけ、他方、特定の思想を嫌って、その思想からの転向を迫るような、野蛮なことをしてはならない。

とりわけ、学校で再び国家主義を鼓吹する教育を強行してはならない。教員に対して、ナショナリズムや愛国心を強制するような形で、教員の思想良心を蹂躙するようなことがあってはならない。

T教諭が「日の丸」の前で起立して「君が代」を歌うことができなかったのは、「日の丸・君が代」をかつての侵略戦争や植民地支配のシンボルとして捉えているからだ。あまりに深く、忌まわしい戦争と民族差別に結びついたこの旗とこの歌。これに敬意を表することは、結局のところ侵略戦争や他民族支配に、無自覚・無反省であることを意味することにほかならない。そのことは、国内外の多くの人びとの平和に生きる権利を否定することであり、民族差別を肯定することでもあって、到底、起立斉唱などなしうるものではない。

また、教師である自分が生徒の前で「日の丸・君が代」に起立斉唱することは、生徒に対する「日の丸・君が代」への敬意表明強制に加担することとして、教師としての良心が許すところではない。

T教諭は、自分の思想と、教員としての良心に恥じない姿勢を貫こうとしたのだ。日本国憲法は、このような国民の思想・良心の自由を尊重せよ、侵害してはならないと、公権力に命じている。だから、東京都教育委員会は、T教諭を、その思想・良心に基づく行為に対する偏狭な政治的・社会的圧力から擁護しなければならない。

ところが、都教委はまったく正反対のことをしている。思想・良心にしたがった真面目な教員を擁護するどころかこれを処分し、あまつさえ、これに追い打ちをかけてT教諭に「服務事故再発防止研修」という名目で、思想・良心の転向を強要しているではないか。

都教委と研修センターとは、自己の思想・良心を貫いたT教諭に、いったい何を研修せよ、何を反省せよ、というのか。

日本の行った侵略戦争と植民地支配が、実は正しいものであったと歴史観を変更せよ、というのか。侵略戦争を唱導した天皇制国家に誤りはなかったと認めよ、というのか。戦争や植民地支配を正当化した、日本の優越意識や民族差別を肯定せよというのか。あるいは、教育公務員である以上は、唯々諾々といかなる職務命令にも無批判に従えというのか。教室においては、自らの思想や良心の一切を捨てよ、というのか。思想や良心は捨てなくてもよいから、面従腹背の生き方を教師として子どもたちに模範を示せというのか。あらためて、「再発防止研修」の強行に満身の怒りを込めて抗議する。

服務事故再発防止研修には、2004年7月の司法判断がある。「研修執行停止申立に対する東京地裁決定」で、担当裁判官の名を冠して、「須藤決定」と呼ばれているものだ。

須藤決定はこう言っている。「繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容される範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生じる可能性があるといわなければならない」

違法の要素とされているものは、「繰り返し同一内容の研修を受けさせ」ること、「自己の非を認めさせようとする」ことである。T教諭は、確固たる自己の思想と良心に基づいて起立斉唱を拒否している。「繰りかえし同一内容の研修を受けさせる」とは、研修実施者において、服務事故とされている被研修者の行為が、実は被研修者の思想・良心にもとづく行動だと分かったあとも、研修を継続するということを意味する。思想や良心に基づく行為に対して、「自己の非を認めさせようとする」ことは許されないのだ。

T教諭に対する、同じ研修の繰りかえしは今日が4度目だ。もはや研修の名による追加処分以外のなにものでもない。既に、研修の名による、転向強制となっているではないか。

古来より、「我が心 石にあらざれば 転ずべからず」「我が心 蓆にあらざれば 巻くべからず」と言われるとおり、思想や信条、良心や信仰というものは、容易にうごかすことはできない。取り去ったり、形を変えることもできない。人が人であり、自分が自分であるための精神の核心に位置するものなのだから、公権力がこれを動かそうなどとしてはならないものなのだ。

本日、あなた方は、T教諭をここ研修センターに呼び出して、いったい何をしようというのか。けっして、教諭の思想を弾劾してはならない。良心をむち打ってはならない。憲法に反する行為に加担することのないよう、厳重に抗議と要請を申しあげる。
(2016年8月29日)

ブルキニ禁止条例の効力を停止した、フランス立憲主義事情

フランスの憲法事情や司法制度には馴染みが薄い。戦前はドイツ法、戦後はアメリカ法を受継したとされる我が国の法制度には、フランス法の影が薄いということなのだろう。しかし、リベラルの本場であり、元祖市民革命の祖国フランスである。1789年人権宣言だけが教科書に引用ではすこし淋しい。ニュースに「ライシテ」(政教分離)やコンセイユ・デタ(国務院)が出てくると、呑み込むまでに一苦労することになるが、できるだけ理解の努力をしてみたい。

昨日(8月27日)の時事配信記事がこう伝えている。
【マルセイユAFP=時事】イスラム教徒女性向けの全身を覆う水着「ブルキニ」(全身を覆う女性イスラム教徒の衣装「ブルカ」と水着の「ビキニ」を掛け合わせた造語)をめぐり、フランスの行政裁判で最高裁に当たる国務院は26日、南部の町ビルヌーブルベが出したビーチでの着用禁止令を無効とする判決を下した。

 これを受け、保養地のニースやカンヌなど約30の自治体による同様の禁止令も、無効となる見通し。

 国務院は判決で、当局が個人の自由を制約するのは公共の秩序への危険が証明された場合に限られるが、ブルキニ着用にそのような危険は認められないと指摘。禁止令について「基本的自由に対する深刻かつ明白な侵害だ」と断じた。」

先月には、「『イスラム水着』リゾート地禁止 人権団体反発」との見出しで、「地中海に面するカンヌのリナール市長は7月28日、『衛生上、好ましくない』として、ブルキニ着用の禁止を発表した。また、『公共の秩序を危険にさらす可能性がある』ことも理由に挙げた。」と報道されていた。

私の理解の限りだが、イスラム世界には女性は他人に肌を露出してはならないとする戒律がある。この戒律に従う女性が海水浴をしようとすれば、ブルキニを着用せざるを得ない。ところが、フランスの30もの自治体が、条例でブルキニ着用を禁止した。違反者には、カンヌの場合38ユーロ(4300円)の罰金だという。罰金だけでなく、警察官が脱衣をするよう現場で強制までしている。常軌を逸しているとしか思えない。

ブルキニ禁止の理由として、「衛生上、好ましくない」「公共の秩序を危険にさらす可能性がある」があげられているが、いずれも根拠は薄弱。実は、イスラム過激派による相次ぐテロを受けて蔓延した反イスラム感情のなせる業だろう。驚くべきは、下級審の判断ではこの条例が有効とされたことだ。このほどようやく最高裁に相当するコンセイユ・デタ(国務院)で効力凍結となったというのだ。

フランスでは、2004年の「スカーフ禁止法」があり、2011年には「ブルカ禁止法」が成立している。公共の場でブルカを着用することは禁じられているのだ。違反すれば、着用者本人には罰金150ユーロ(約1万7千円)か、フランス市民教育の受講を義務づけられる。更に、女性が着用を夫や父親に強制されていたとすれば、強制した夫などには最高で禁固1年か罰金3万ユーロが科せられるという。こちらは、条例ではない。サルコジ政権下で成立した歴とした法律である。

一見、フランスは女性の服装にまで非寛容な、人権後進国かと見えるが、実は事態はそれほど単純ではない。ことは、フランス流の政教分離原則「ライシテ」の理解にかかわる。

ライシテとは、「私的な場」と「公共の場」とを峻別し、私的な場での信仰の自由を厚く保障するとともに、公共の場では徹底して宗教性を排除して世俗化しようとする原則、と言ってよいだろう。

このライシテは、共和政治から、フランスに根強くあったカソリックの影響を排除する憲法原理として、厳格に適用された。カソリックという強大な多数派との闘いの武器が、少数派イスラム教徒にも同じように向けられたとき、当然に疑問が生じることとなった。

その最初の軋轢が、1989年パリ郊外の公立学校で起こった「スカーフ事件」である。イスラム系女生徒がスカーフを被ったまま公立学校に登校することの是非をめぐって、「ライシテ原理強硬派」と「多文化主義寛容派」が激しく争ったのだ。

樋口陽一著「憲法と国家」に、この間の事情と法的解説が手際よくまとめられている。
事件の経過
「パリ近郊のある公立中学校で、イスラム系住民の3人の女生徒が、ヴェール(チャドル)をまとったままで授業に出席した。女性はヴェールで顔を蔽わなければならぬ、というイスラム教の戒律のシンボルを公教育の場にもちこむことの是非が、こうして問題となった。校長はその行為をやめさせようとし、女生徒と親は強く反撥した。
 これまでの、政教分離という共和主義理念からすれば、校長の措置は当然であった。フランス社会で圧倒的な多数を占めるカトリック教の影響力をも、執拗に公的空間から排除しようとしてきたからである。しかし、当時の社会党政権の内部では、異文化への寛容のほうを重んずべきだという主張が出てきた。国際人権擁護の運動家であるダニエル・ミッテラン夫人の立場は、そうだった。それに対しては、やはり同じ運動のなかから、「SOSラシスム」(人種差別SOS)のように、ヴェール着用の戒律こそ、一夫多妻制や女性の社会進出を許さない、差別のシンボルではないか、という再反論が返ってくる。」

コンセイユ・デタの「意見」
「当時文相をつとめていたジョスパン(後に首相)は、コンセイユ・デタ(国務院)の法的見解を求め、諮問に答えた同院の意見(1989年11月27日)は、ライシテ(政教分離)の原則と、各人の信条の尊重および良心の自由とがともに憲法価値を持つものであることを、条文上の根拠をあげてのべたうえで、こう言う。―「学校施設の内部で、ある宗教への帰属を示そうとするための標識を生徒が着用することは、宗数的信条の表明の自由の行使をなす限度において、そのこと自体でライシテ原則と両立しないものではない」。
この「意見」は、それにつづけて、「この自由」の限界を画す一般論をのべ、「具体的事件での標識着用がそのような限界をこえているかどうかは、裁量権を持つ校長の認定により、その認定は事後に行政裁判所のコントロールに服する」、とつけくわえている。

コンセイユ・デタの「判決」
 「意見」が一般論をのべたうえで想定していた問題処理の手順は、そのとおり現実のものとなる。3年あと、行政最高裁判所として判決を書くことが、コンセイユ・デタに求められたからである。同院は、1989年に「意見」のかたちで示した原則的見解を確認したうえで、同種の具体的事案について、女生徒を退校させた処分を取り消した(1992年)。
 校長の処分の根拠となった校則は、「衣服またはその他の形での、宗教的、政治的または哲学的性質を持つ目立つ標識の着用は、厳格に禁止される」、と定めていた。判決は、この規定を、「その一般性のゆえに、中立性と政教分離の限界内で生徒に承認される表現の自由…を侵害する一般的かつ絶対的な禁止を定めている」から無効だとし、「ヴェール着用の状況が…圧力、挑発、入信勧誘、宣伝…の行為という性格を持つこと」を処分者側は立証していないと指摘して、処分を取り消したのである。

樋口解説
 ここではまず、一方で政教分離、他方で信条・良心の自由という、ともに憲法価値をもつ二つの要素が対抗関係に立つという論理が、前提にされている。日本でのこれまでの圧倒的に多くの事例は、「信教の自由をまもるための政教分離」という図式で説明できるようなものだった。しかし、もともとライシテは、カトリック教会、およびそれと一体化した親たちが自分たちの信仰に従って子どもを教育しようとする「自由」の主張に対抗して、公教育の非宗教性を国家が強行する、というかたちで確立してきたのである。
 政教分離の貫徹よりも「寛容」と「相違への権利」を、という方向は、時代の流れではある。アメリカ合衆国では、「生徒と教師のいずれもが、校門に入るや憲法上の表現の自由を放棄したと論ずるのは不当」という判断を、生徒のヴェトナム反戦の言動に関して、最高裁がのべていた(1969)。

フランス共和制の大原則であるライシテは、強大なカトリックの支配から、あらゆる少数派信仰(無宗教者を含む)の自由を防衛する役割を果たした。ところが今、そのライシテが、多数派国民による民族的少数派への偏見を正当化する道具とされている。これに対抗する「寛容」「多様性」の価値を重んじるべきが当然と思うのだが、衡量論を超えた原理的な考察については整理しかねる。

とはいえ、ブルキニ禁止条例に関する、今回のコンセイユ・デタの「意見」は至極真っ当なものと言えよう。「ヴェール着用禁止が正当化されるためには、その状況が…圧力、挑発、入信勧誘、宣伝…の行為という性格を持つこと」という1992年判決踏襲の当然の結論でもある。反イスラム感情に駆られた多数派が民族差別的な人権規制をするとき、これに歯止めをかけたのだから、彼の国では立憲主義が正常に機能しているのだ。

振り返って日本ではどうだろう。違憲の戦争法が成立し施行となり、今や運用に至ろうとしている。これは立憲主義が正常に機能していないことを表している。嗚呼。
(2016年8月28日)

「『平成天皇制』ーこれはむき出しの権力だ。」

8月も終わりに近い。8月は戦争を語り継ぐときだが、同時に天皇制を論ずべきときでもある。71年前の敗戦は、軍国主義と戦争の時代の終焉であったが、同時に野蛮な神権天皇制の終焉でもあった。しかし、軍国主義と臣民支配の道具であった天皇制が廃絶されたわけではない。日本国憲法下、象徴として残された天皇制は、はたして平和や人権や国民の主権者意識に有害ではないのだろうか。

今年(2016年)の7月から8月にかけて、天皇の「生前退位発言」が象徴天皇制の問題性をあぶり出した。歯の浮くような、あるいは腰の引けた俗論が続く中、8月も終わりに近くなって、ようやく本格的な論評に接するようになった。

本日(8月26日)の毎日新聞朝刊文化欄の「原武史・北田暁大対談」は、そのような本格的論評の代表格というべきだろう。
ネットでは、下記URLで読める。これは、必見と言ってよい。
  http://mainichi.jp/articles/20160827/ddm/014/040/015000c(上)
  http://mainichi.jp/articles/20160827/ddm/014/040/018000c(下)

この時期、この二人に対談させた毎日の企画に敬意を表するが、見出しはいただけない。「中核は宮中祭祀と行幸 象徴を完成させた陛下」「踏み込んだ『お気持ち』 天皇制を再考する時期」。この見出しでは読者を惹きつけられない。しかも、対談の真意を外すものだ。もとより、原も北田も「陛下」などと言うはずもないのだ。見出しは、対談の毒を抜いて砂糖をまぶして、読者へのメニューとした。しかし、対談の中身はそんな甘いものではない。歯ごたえ十分だ。

全文を読んでいただくとして、私なりに要約して抜粋を紹介したい。

対談者の関心は、まずは今回の天皇発言の政治性にある。このような政治的発言を許してしまう、象徴天皇制というものの危うさと、これに的確な批判をしない時代の危うさに、警鐘を鳴らすものとなっている。

冒頭の北田発言がその要約となっている。
北田「天皇の『お言葉』で皇室典範改正につながるかもしれません。実質的に天皇が法を動かすということは日本国憲法の規定に反する明確な政治的行為でしょう。しかし右も左もマスコミも、心情をくみ取らないわけにはいかないという論調。立憲主義の根幹にかかわることなので、もっと慎重に議論が進むと思っていたのですが……。」

さらに、中心的なテーマは、象徴天皇制がもはや憲法をはみ出すものになっているという批判である。

原は、今回の天皇発言を「玉音放送」に擬してこう言う。
原「今回のお言葉の放送は、いろんな意味で1945年8月15日の『玉音放送』と似ています。玉音放送は臣民という言葉が7回出てくる。今回も国民という言葉が11回出てきた。…昭和天皇が強調したのは、ポツダム宣言を受諾しても、天皇と臣民が常に共にある『君民一体』の国体は護持されるということ。今回も『常に国民と共にある自覚』という言葉が出てきます。
 玉音放送の終わり方は「爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク朕(ちん)カ意ヲ体(たい)セヨ」、つまり臣民に向かって自分の気持ちを理解してもらいたい、と。今回も「(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています」で終わっています。」

これに、北田が共鳴し、さらに原が敷衍する。
北田「政治・立法過程を吹っ飛ばして国民との一体性を表明する。今、天皇が憲法の規定する国事行為を超えた行動ができることについて、世の中が何も言わないというのは、象徴天皇制の完成を見た思いがします。」

原「今回衝撃的だったのは、憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀と行幸こそが『象徴』の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語ったことです。

北田「憲法に書かれていないことが私の使命なんだ、と。相当に踏み込んだな、よく宮内庁は止めなかったなと驚きました。止められなかったのか。天皇の記号としての機能は今、より純化され、強固になっています。多くの国民が政治的な存在と思っていないことが最も政治的なわけで……。」

北田「天皇の政治的な力を見せつけられました。『空虚な中心』どころではない。」
原「より能動的な主体として立ち上がってきた。」

対談者の批判は、左派・リベラルにもおよぶ。
北田「左派リベラル系の人の中にも、天皇制への視点が抜け落ち『この人なら大丈夫』と属人化されている。それほど見事に自らを記号化してきた成果が今回の肯定的な世論に表れているのでは。」

原「実は国体が継承されているんじゃないか。昭和との連続性を感じます。イデオロギッシュだった国体の姿が、より一人一人の身体感覚として染み渡っていくというか、強化されているのではないか。こうした行幸啓を続けることで、いつの間にかそれが皇室の本来の姿のように映るようになった。

北田「すごい発明ですよね。平成天皇制。自戒を込めていえば、私も天皇について断片的に本を読むくらいで、強い関心を持っていませんでした。しかし今回のお言葉で目が覚めました。『これはむき出しの権力だ』と。天皇家、天皇制とは何なのかを徹底的に再考する時期だと思います。」

若い北田の「すごい発明。平成天皇制」「これはむき出しの権力だ」という感性を私も共有したい。そして、原にも北田にも、世論を覚醒せしめる本格的な論稿を期待する。
(2016年8月27日)

会長への立候補は認めないー岩手県海区漁業調整委員会の暴挙

私は、今猛烈に怒っている。怒りの直接の相手は、岩手県の水産行政だ。そして、この県の姑息なやり方に加担しあるいは傍観する諸勢力にもである。このやり口は、おそらくは岩手県政だけではない。この遅れた国日本、形だけの民主主義国日本の行政の水準。私はそれに腹を立てているのだ。

以前お伝えしたとおり、浜の一揆に立ち上がった100人の原告の中から、二人が岩手県海区漁業調整委員に立候補して見事に当選した。漁業調整委員会とは、漁業の民主化を標榜する漁業法の中心に位置する目玉の制度だ。漁民代表の合議によって「漁業調整」を司る機関である。漁業調整とは錯綜する漁民相互の利害を、あるべき公平な秩序に導こうという漁業法の中心概念である。法は、漁業調整の具体的基準を定めず、漁業調整の手続を定めた。それが、漁民を有権者とする選挙で選出された漁業調整委員会である。この合議機関によって、漁民自身による民主的漁業秩序の確立が法の期待するところ。

岩手県海区漁業調整委員会は、岩手県の沿岸全域についての漁業調整を任務とする組織。「漁業者が選挙で選ぶ漁民委員」が9人、「知事が選任する学識経験委員、公益代表委員」が6人、計15人をもって組織されている。任期は4年間。

戦後民主々義は、お任せ民主々義を排して、中央集権ではない、地域の合議制による身近な民主々義を理想とした。公選制だった教育委員会がその典型だが、残念ながらその理想は長く続かなかった。農業委員も農民自身農政を進める上で貴重な存在だったが、その公選制は最近途絶えた。漁民の選挙による海区漁業調整委員会は、制度としては生き残っているが、形骸化著しい。結局は県政の提案を全部鵜呑みにするだけの委員会になり下がっている。民主的味付けのアリバイ装置といって大きな間違いではない。

その形骸化された海区漁業調整委員会に、ホンモノの民主々義の理念を吹き込もうという二人が委員に加わったのだ。あらためて、第21期となる委員会メンバー15人を見てみよう。

 漁民委員 大井 誠治(宮古漁業協同組合代表理事組合長)
 〃    大船渡市漁業協同組合(代表理事組合長:岩脇洋一)
 〃    菅野 修一
 〃    久慈市漁業協同組合(代表理事組合長:皀健一郎)
 〃    藏  ?平
 〃    小川原 泉(釜石東部漁業協同組合代表理事組合長)
 〃    原子内辰巳(種市南漁業協同組合代表理事組合長)
 〃    前川 健吾(普代村漁業協同組合代表理事組合長)
 〃    吉浜漁業協同組合(代表理事組合長:庄司尚男)
 学識経験委員 菅野 信弘 北里大学海洋生命科学部教授
 〃      熊谷 正樹 岩手県立宮古水産高等学校校長
 〃      斎藤千加子 岩手県立大学総合政策学部教授
 〃      宮本ともみ 岩手大学人文社会科学部教授
 公益代表委員 小田 祐士 野田村村長
 〃      平野 公三 大槌町町長

漁民委員のうち肩書のない漁民は、藏?平・菅野修一の二人だけ。あと7人は、漁協か漁協組合長が委員なのだ。

21期新委員での第1回委員会(通算396回)が一昨日(8月24日)午後1時30分盛岡で開かれた。選挙後の新委員会。国会なら、院の構成が第一の任務となる。その第1号議案は、当然に「会長・会長代理の選任」とされた。

浜の一揆の二人は、次のように決めていた。
「藏?平さんが会長,菅野修一さんが会長代理に立候補する」「立候補にあたっては決意表明をする。『これまでは、県の水産行政を追認するためだけの海区漁業調整委員会だった。それは、漁連や漁協、有力者の利益を代理する海区漁業調整委員会だったということ」「これからは、零細漁民一人ひとりの意見に耳を傾け、その利益を擁護する海区漁業調整委員会にしたい』といった旨を述べる」

仮に、2対13で敗れたとしても、意思表明することに意義がある。ところが、現実にはこうならなかった。立候補の機会が奪われたのだ。奪ったのは、紺野由夫岩手県水産部長だ。

第1号議案上程前に、農林水産部長が仮議長となった。
仮議長が、「1号議案 会長・会長代理の選任」を上程し、選出方法がはかられた。
これに対して、小川原泉委員(釜石東部漁協組合長)から「推薦による選出」という声があがった。

ここまでは慣例のとおり。「推薦による選出で異議なし」とされて、「では推薦による選出といたします」となり、予め県が用意した人事案がシャンシャンと通るばず…。

今回はシャンシャンとはならなかった。菅野修一委員から、異議が出た。「立候補による選出」が提案されたのだ。民主的な合議制組織において、民主的手続で代表を選ぼうという局面である。「立候補による選出」の提案があった以上は、選挙をすべきがあまりに当然ではないか。小学校の学級委員会でも、議長は「では、学級委員に立候補する方は申し出てください」というはずだ。

ところが、そうはならなかった。何を考えてのことか真意はよく分からないが、菅野信弘・学識経験委員から「自薦他薦どちらでも」という発言が続いた。おそらくは、自薦の立候補者だけでなく、他薦の候補者も投票対象とすべきだという意味だったのであろう。

ここで、仮議長(農林水産部長)は奇想天外の議事運営をする。
「推薦と立候補のどちらで選出するか、挙手で採決します」というのだ。「立候補による選挙で会長と代理をきめよう」という藏?平・菅野修一グループは、少数派として挙手採決に敗れることになった。そして、「推薦」で、県漁連会長でもある大井誠治委員(宮古漁協組合長)が、前期に引き続いて会長職におさまった。

信じがたい議事運営ではないか。「推薦」は「会長に立候補者がない場合のやむを得ない措置」に決まっている。立候補による選任との意見が出された以上は、立候補を受け付け、選挙を行わねばならない。大切なのは、立候補者が述べる立候補の抱負の弁である。あるいは他薦の理由である。民主主義とは、熟議に基づく組織運営の原則ではないか。農林水産部長は、この大切な民主々義の熟議の機会を潰したのだ。

民主的な組織においては、誰もが平等に選挙権も被選挙権ももっている。複数立候補者についての自薦他薦の弁に耳を傾けて、しかる後に各々の投票行動があるのが正常なのだ。岩手県の農林水産部長は多数決をもってしても奪うことのできない、藏・菅野両委員の立候補の権利を奪ったことになる。猛省を求めたい。

ことは、極めて象徴的である。県の水産行政と県漁連体制との蜜月ぶりをよく表している。一般漁民には、立候補の機会も与えたくないのだ。海区漁業調整委員会が形だけの民主々義で、内実の空っぽなことをよく示している。

民主々義の感覚が狂っている。挙手による多数決で少数派の発言権を封じることを恥ずべきことと思わない感覚がおかしい。農林水産部長の異様な議事運営に、藏・菅野両委員以外の誰からも異議が出なかったことも情けない。学識経験委員や公益委員というのは、何のために、その席にいるのか。県や漁連と一緒に、漁民の発言抑圧に加担するのが役割だと心得ているのか。

国政も地方行政も地域も業界も、強い者ががっちりと弱者を押さえ込む体制ができあがっている。弱者がこれと闘う武器が民主々義という手続なのだが、今回はその武器すら奪われたということなのだ。このような事態は、日本の社会のどこにもあることだし、歴史的にもいつの時代にもあったことだろう。弱者が理不尽な強者の支配を脱するには、粘り強い持続的な闘いが必要なのだ。

繰り返すが、私は今猛烈に怒っている。この怒りの感情を大切にしたい。そして、これを一歩一歩、たゆみのない闘いを持続するエネルギーに転化して持ち続けたい。
(2016年8月26日)

訴訟を手段として憲法を活かすー憲法訴訟(政教分離訴訟)の経験から

憲法訴訟の実践は、私の職業生活における究極のテーマ。
このほど、「壊憲か、活憲か」(ブックレットロゴス№12)に「訴訟を手段として『憲法を活かす」─岩手靖国訴訟を振り返って」の小論を収めた。

同書は、次の4編から成る。
「〈友愛〉を基軸に活憲を」
村岡  到    (季刊『フラタニティ』編集長)
「訴訟を手段として『憲法を活かす』─岩手靖国訴訟を振り返って」
澤藤統一郎(弁護士)
「自民党は改憲政党だったのか」─「不都合な真実」を明らかにする
西川伸一(明治大学教授)
「日本国憲法の源流・五日市憲法草案」
鈴木富雄(五日市憲法草案の会事務局長)
四六判128頁、価格は1100円+税。
案内は下記URLをご覧いただきたい。
http://logos-ui.org/booklet/booklet-12.html

お申し込みは、下記まで。
ロゴス〒113-0033東京都文京区本郷2-6-11-301
tel  03-5840-8525
fax 03-5840-8544

そして、小著には過分の出版記念討論会が予定されている。
と き  2016年9月3日(土)午後1時30分
ところ  明治大学リバティタワー6F(1064教室)
報 告  村岡 到 澤藤統一郎 西川伸一 鈴木富雄
司 会  平岡 厚
参加費  700円

執筆者が4人が、それぞれに報告する。持ち時間は各30分。下記に、私の報告のレジメを掲載する。論旨の要約だけでは芸がない。「憲法訴訟を手段とした活憲」にテーマを絞った報告をしたい。お越しいただけたらありがたい。

なお、同社は、「友愛を基軸に活憲を!」をテーマに、季刊『Fraternity フラタニティ』(友愛)を発刊している。最新号は、No.3 2016年8月1日。
ここにも、「私が携わった裁判闘争」を連載している。
下記のURLを開いていただいて、出来れば定期購読していただけたらありがたい。
http://logos-ui.org/fraternity.html

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2016・9・3
訴訟を手段として憲法を活かす
ー憲法訴訟としての政教分離訴訟
弁護士  澤藤統一郎
※「憲法を活かす」とは
☆憲法典それ自体は紙に書いた文字の羅列に過ぎない。
その理念を社会に活きたものとして活用しなければならない⇒(活憲)。
☆憲法の構造は、「人権宣言+統治機構」となっている。
・憲法とは何よりも人権の体系である。これが憲法の目的的価値。
・統治機構は、人権保障を全うするための国家の秩序を定めている。
平和・民主主義などは重要ではあるが、飽くまで「手段的価値」。
☆「憲法の理念を活かす」とは、
・究極的には人権という「目的的価値」を実現すること。
同時に、統治機構規定における「手段的価値」を実現すること。
・人権という「目的的価値」と、統治の理念としての「手段的価値」とは
緊密に結びついている。
☆緊密な両者の関係
・平和(⇔平和的生存権)
・国民主権(⇔参政権・選挙権)
・政教分離(⇔信教の自由)
・検閲の禁止(⇔表現の自由)
・大学の自治(⇔学問の自由)
・福祉政策(⇔生存権)
・教育の独立(⇔教育を受ける権利)
・象徴天皇制(⇔個人の尊厳)
☆「憲法を活かす」場
・立法 ・行政 ・地方自治 ・企業 ・地域 ・家庭
・教育 ・メディア
・司法権は、違憲審査権(憲法76条)をもって憲法保障機能を司る。
☆司法権の限界
・三権分立のバランス 非民主的な司法が強すぎてはならない
・日本国憲法では、付随的違憲審査制(憲法裁判所とは異なる)
・人権を侵害されたもののみが、その回復の限りで訴権を認められる。
・主観訴訟だけが可能。客観訴訟は不適法・却下となる。

※政教分離訴訟における「憲法を活かす」試み
☆政教分離とは、象徴天皇を現人神に戻さないための歯止め。
国家に対して「国家神道(=天皇教)の国民マインドコントロール機能」
利用を許さないとする命令規定である。
・従って、憲法20条の眼目は、「政」(国家・自治体)と「教」(国家神道)
との「厳格分離」を定めたもの
・「天皇・閣僚」の「伊勢・靖國」との一切の関わりを禁止している。
・判例は、政教分離を制度的保障規定とし、人権条項とはみない。
このことから、政教分離違反の違憲訴訟の提起は制約されている。
・住民訴訟、あるいは宗教的人格権侵害国家賠償請求訴訟の形をとる。
☆運動としての岩手靖国訴訟
(求めたものは、公式参拝決議の違憲、県費の玉串料支出の違憲確認)
靖国公式参拝促進決議は 県議会37 市町村1548
これを訴訟で争おうというアイデアは岩手だけだった
県費からの玉串料支出は7県 提訴は3件(岩手・愛媛・栃木)同日提訴
☆訴訟を支えた力と訴訟が作りだした力
戦後民主主義の力量と訴訟支援がつくり出した力量
神を信ずるものも信じない者も 社・共・市民 教育関係者
☆政教分離訴訟の系譜
津地鎮祭違憲訴訟(合憲10対5)
箕面忠魂碑違憲訴訟・自衛隊員合祀拒否訴訟
愛媛玉串料玉串訴訟(違憲13対2)
中曽根靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
滋賀献穀祭訴訟・大嘗祭即位の儀違憲訴訟
小泉靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
安倍首相靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟(東京・大阪で現在進行中)
☆岩手靖国控訴審判決の意義と影響
・天皇と内閣総理大臣の靖国神社公式参拝を明確に違憲と断じたもの
・県費からの玉串料支出の明確な違憲判断は愛媛とならぶもの
・目的効果基準の厳格分離説的適用
目的「世俗的目的の存在は、宗教的目的・意義を排除しない」
効果「現実的効果だけでなく、将来の潜在的波及的効果も考慮すべき」
「特定の宗教団体への関心を呼び起こし、宗教的活動を援助するもの」
☆政教分離国家賠償訴訟の経験は、戦争法違憲訴訟等に受け継がれている。(2016年8月25日)

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