昨日(3月12日)は、維新と一体の中原徹大阪府教育長の失態を取り上げた。続いて今日(3月13日)は、安倍政権と一体の下村博文文科相の醜態を取り上げたい。
人格未熟なる者が企業の幹部になったり市長になったりすると、自分がえらくなったと勘違いする。権力行使に伴う快感は麻薬だ。その魔力がパワーハラスメント事件をひき起こす。ナッツ姫によるナッツ・リターン事件に類することは日常的にありふれている。なかなか表面化しないだけ。中原は、なまじ校長や教育長になったのが不幸のもと。大いに傍迷惑ではあるが、こちらは個人的な人格の未熟をさらけ出しただけの事件。
これに較べて文科相の問題は根が深い。構造的な「業界と政界の癒着」「政治とカネ」の問題につながっているからだ。民主党がこの問題をよく追求している。やればできるじゃないか、民主党よガンバレ。
本日配達の赤旗日曜版(3月15日号)トップに、「教育行政利権」「徹底追求」「下村文科相 塾業界と癒着」の大見出し。
「閣僚の「政治とカネ」疑惑が続出する安倍政権。なかでも首相の”盟友”、下村博文文部科学相の疑惑は底無しです。教育行政を動かす力を背景に、塾業界に自分の名前をかぶせた後援組織「博友会」を広げ、票や「会費」などと称する政治資金を集める?。まさに教育分野の”利権あさり”の構図です」とのリード。
法務省や文科省は利権との関わりが小さいような印象だが、どこにだって癒着の対象となる関連業界はある。下村自身が学習塾経営者出身であって、「塾業界」なるものからカネも票ももらっている。世の中、道義を忘れてはならない。とりわけ道徳教育を教科にしようという文科相だ。もらったカネに報いること、「浄財を寄進してくれた篤志の方に真心込めて恩返し」をし、末永く仲良くお付き合いすべきが人としての道、その心得がよく身についているようだ。さすがに立派な教育族。
カネの見返りとしての業界への恩返しの具体的内容が「教育の規制緩和で、ビジネスチャンスを」というもの。カネを媒介にした政治と業界との、持ちつ持たれつのみにくい癒着。折も折、アベノミクスの「第3の矢」である規制緩和策に「学校の公設民営」が盛り込まれている。
指摘されて初めて気が付いた。下村にとっては、また安倍政権にとっても、教育とは何よりもビジネスチャンスなのだ。だから、下村が文科相なのだ。
どの分野でも同じことだが、規制緩和とは業界の要求である。事業者にとってのビジネスチャンス拡大と同義なのだ。だから、下村のような政治家は「教育のビジネスチャンスを」と業者に呼びかけてカネにありつこうとし、また、業者の側は、自分たちに利益をもたらす規制緩和策を実現するために、目星をつけた政治家にカネを提供する。こうして、結局は金ある者のための政治が横行する。
ところで刑法は、第25章を「汚職の罪」とする。その中心に、贈収賄罪が位置している。
「第197条(収賄) 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の懲役に処する。
第198条(贈賄) 第197条‥に規定する賄賂を供与し、又はその申込み若しくは約束をした者は、3年以下の懲役又は250万円以下の罰金に処する。」
いうまでもなく「公務員」は議員を含む。賄賂とは、金品に限らず「人の欲望を満たす一切」を意味する。そして、贈収賄罪の保護法益は、「公務員の職務の公正とこれに対する社会一般の信頼」とするのが、大審院以来の判例の立場である。
つまりは、職務の公正を守るためだけに贈収賄が犯罪となっているのではない。職務の公正に対する社会の疑惑を払拭して、職務の公正に対する社会の信頼を確保しようというのだ。政治資金規正法も同様の趣旨でできている。
もちろん、犯罪の構成要件は厳格にできているから、職務関連性認定のハードルは高く、政治家が事業者からカネを受けとれば、すべてが贈収賄となるわけではない。しかし、政治や職務の公平性に対する社会の信頼を保護しようとする立法の趣旨には反することにはなる。
赤旗の記事の表現を借りよう。
「もともと、下村氏自身が塾を経営。東京都議を経て国会議員になり、塾業界に『ビジネスチャンス』をもたらす、と叫んできました。『ビジネスチャンス』とは?。公教育のさまざまな規制を緩和して、営利企業である株式会社の学校経営参入を広げ、利益をあげられるような仕組みにすること。下村氏は、今国会で、公立学校の運営を民間にゆだねる『公設民営』の法案提出も目ざしています。その裏で、表とカネが動くのです」
資本主義経済における野放しの企業行動の自由は、社会に害悪をもたらす。その経験から、企業活動には種々の規制が設けられている。教育においても然りである。儲けのためにはこの規制を邪魔とする勢力が規制を緩和しようとする。その手段が、政治家にカネと票とを提供することである。これによって、政治を儲けの手段の方向に誘導しようというのだ。仮に、そのような目的がなくても、あるいはその誘導に成功しなくても、カネで政治が歪められているのではないかという社会の疑惑はいっそう深まることになる。
だから、政治の公正や公務員の職務の公正に対する社会の信頼を擁護するために、上限規制を厳格にした個人献金以外の、企業・団体献金は一切禁止すべきなのだ。
(2015年3月13日)
3・11の昨日は憂鬱な気持の一日だった。その夕刻に、秀逸なブログを開いて少し心が和んだ。紹介しておきたい。
タイトルが、「祝『君が代斉唱口元チェック』の中原徹大阪府教育長(橋下市長のご学友)がパワハラで辞任」ーよりによって口元チェック校長を教育長にしたりするからこうなる。http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake
多くの人の思いを代弁する、胸がすくような筆の冴え。まったくそのとおりと思わずうなずき、思わず笑みがこぼれる。私も、中原徹大阪府教育長辞任には、大いなる祝意を表したい。人権と民主主義とあるべき教育のために乾杯。しかも、この重要なタイミングでの維新の党への政治的打撃は貴重だ。
ブログ筆者の宮武嶺さん(ハンドルネーム)とは旧知の間柄。私の方が年嵩だが、ブロガーとしては彼の方が大先輩。器用に写真やデータをあしらった親しみやすいレイアウトを工夫して多数の読者に愛されているご様子。しばらくブログが途絶えていて心配したが、昨年の暮れに復活し、毎日更新を続けている。恐るべきパワー。
同ブログは、「今回弁護士による第三者委員会が2015年2月20日に公表した報告書で、中原教育長の府教委職員らに対する言動が『パワハラに該当する』と認定されていました」と、経過を丁寧に解説したうえで、こう述べている。
「2月23日から始まった府議会で、公明、自民、民主の野党3会派が、パワハラ問題を相次いで追及し、3月2日に中原氏の辞職勧告決議案を議長に提出。10日には、大阪市と堺市を除く府内41市町村教委が『毅然とした対応』を求める要望書を府教委に提出するなど、中原氏の責任を追及する声が高まり、往生際の悪かった中原氏もとうとう観念したものです。
先ほど行われた辞任会見でも、計5人もの人に対するパワハラで辞任するのに、その方々へ謝罪する前に第三者委員会の報告書にケチをつけるなど、最後まで人格劣等ぶりを見せつけました。
言っていること、やっていることがご学友の橋下市長とそっくりで、笑っちゃいけないけど笑ってしまいます。
辞任会見では「『教育改革が道半ばのまま辞任するのは残念』と言っていたそうなんですが、道半ばで良かったよ、ほんと。」
「この中原氏は橋下市長の大学時代の友人で、橋下氏の府知事時代に公募された府立和泉高校の校長を経て、2013年春に教育長に就任した人です。この人も橋下さんと同じく弁護士です。本当にすみません。
ちなみに、この中原氏は校長時代、2012年3月の卒業式では、大阪府君が代条例で起立斉唱を義務付けられた君が代を教職員が実際に歌っているか、和泉高校の教頭らに教員の口元を監視するよう指示して、まるで北朝鮮のようだと大きな批判を受けました。」
「そもそも、橋下・松井維新の会が君が代条例を作って君が代斉唱を徹底しろと教委や教育現場に言ったのがすべての始まりなのに、いざとなると教委に責任をなすりつける姿勢は、橋下氏に関してはいつもどおりなのですが、中原氏も双子のようで印象的でした。こんな調子の人ですから、中原氏が教育委員会入りして教育長になって、全校長に君が代斉唱口元チェックを指示したら、どんなに殺伐とした全体主義的な入学式・卒業式になるのだろうと暗澹たる気持ちになっていたので、中原教育長辞任万歳です。」
「およそ教育現場や教育行政にこれほど不適切な人格の人物もいないわけで、こういう人を学校長にしたり、ましてや教育長にしてきた橋下・松井両首長の任命責任は重大です。」
以上の宮武ブログの紹介だけでよいようなもの。このあとは私の蛇足。
中原徹教育長辞任を求める署名活動は、東京の教育関係集会でも活発に取り組まれていた。東京の教委がひどいことは既に天下に周知だが、下には下があるもの、と妙に感心した次第。大阪のひどさは、また東京とはひと味違っている。橋下徹を中心にした驕慢なお友だち人事の弊害の露呈ではないか。類は友を呼ぶの例えの通りである。
ところで、教育長という職には、教育委員の一人が任じられる。
教育委員会制度は、戦後教育改革の要の一つだった。戦前の極端な中央集権的教育の反省から、戦後改革は、まず教育と教育行政とを切り離した。更に教育行政の主体を国家ではなく自治体単位の教育とし、更に具体的な行政担当を首長から独立した地方教育委員会とした。しかも、教育委員は公選として出発した。
国家からも自治体の首長からも独立した公選制の教育委員会は、重責を負うことになった。しかし、残念なことに住民の公選による教育委員会制度は1956年に頓挫する。教育委員会法は廃止され、その後身として「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)が制定されて現在に至っている。
現行法の第4条に「委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」と規定されている。
教育委員たる者、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもの」とされているのだ。教育をサポートする任務なのだから、当然といえば当然。人格高潔ならざる中原に務まるはずもない。
地教行法第16条は、「教育委員会に、教育長を置く」とし、「教育長は、当該教育委員会の委員である者のうちから、教育委員会が任命する」とある。その任務は、「教育長は、教育委員会の指揮監督の下に、教育委員会の権限に属するすべての事務をつかさどる」「教育長は、教育委員会のすべての会議に出席し議事について助言する」という強力な権限を与えられている。
維新府政は、よくもまあパワハラ人格を教育長に据えたものだ。責任は重大である。
なお、地教行法はこの4月1日から改正法に移行する。教育行政の責任の明確化という名目で、教育委員長と教育長を一本化した新たな責任者(新教育長)をおいて、教育長の権限は更に強くなる。法改正の失敗が施行前に表れた。
中原は、教育長と教育委員の両方の職を辞任した。これは、維新の党にとって政治的打撃が大きい。しかも、統一地方選挙直前のこの時期、さらには5月に予定されている大阪都構想の住民投票への影響も否定できない。
「中原氏は橋下徹大阪市長の大学時代からの友人で弁護士。橋下氏が知事時代に民間人校長として府立高校に着任し、卒業式での「君が代」斉唱口元チェックで批判を浴びました。2013年4月、松井知事が教育長に任用しました」(赤旗)のだから、通常の任命責任という程度のものではない。言わば、維新ぐるみ共同正犯的な関係にある。中原教育長は、維新教育政策のシンボルであり、このうえないみっともない形でのその破綻が、維新の失政でないはずはない。府政も、市政も、実態はこの程度と誰もが考えざるをえないではないか。だから、橋下も不満たらたらだ。次には自分が同じ目に遭いかねないのだから。
松井知事も府議会の維新も辞職の事態は避けようとずいぶん頑張ったようだ。しかし、報じられているところでは、自・公・民3党の追及は厳しかった。とりわけ、公明が重い処分を求める立場で一貫したことが注目される。公明の維新に対する遠慮の有無は、大阪都構想是非の住民投票に大きく影響するからだ。
朝日に、「パワハラ問題に詳しい脇田滋・龍谷大教授(労働法)」が、第三者委員会の報告を受けた段階でのコメントを寄せている。
「‥パワハラでも相当ひどい部類だろう。『どこのブラック企業か』と感じるような内容だ。反省を深めてほしい。再び起きないよう、教育委員会も組織や意思決定のあり方を見直すべきだ」というもの。松井も維新も、結局はかばいきれなかった。自業自得なのだ。
もう一点指摘しておきたい。この事態は、以下の記事のとおり、内部告発をきっかけに展開したものである。この勇気ある内部告発がなければ、中原教育長は今日も安泰で、4月には「新教育長」となり、もっと大きな権限を持つことになっただろう。中原とともに、維新も安泰であったことになる。
「◆涙の内部告発(朝日)
問題が発覚したのは10月29日。府民に公開される教育委員会議で、立川さおり教育委員(41)が中原氏から同21日に受けたとされる発言内容を公表した。府議会の教育常任委員会の打ち合わせで、府が府議会に提出した幼稚園と保育園の機能を併せ持つ『認定こども園』の定員上限を引き上げる条例改正案をめぐり、立川氏が案の内容に反対する意向を明かしたところ、中原氏が強い口調で次のように叱責したという。
『目立ちたいだけでしょ。単なる自己満足』『誰のおかげで教育委員でいられるのか。ほかでもない知事でしょ。その知事をいきなり刺すんですか』『罷免要求を出しますよ』?。
立川氏は会話内容をメモに書き起こし、出席者に配布して公表。メモを読む声は次第に震え始めて涙声となり、「自由に発言できない状況だった」と訴えた。
立川さんにも五分の魂があった。この魂を傷つけられるとき、人は決意してルビコンを渡る。立川さん、よくやった。
(2015年3月12日)
あの「2011年3月11日」から本日で4年になる。岩手を故郷とする私にとって、あのときの衝撃は生涯忘れることができない。「3・1・1」という数字の連なりに特別の感情が湧いて、胸が痛い。本日のブログでも、震災・津波・原発に関して何かを書かねばならないと思いつつ、筆が重い。
4年前の災害直後を思い出す。石原慎太郎の「震災は天罰」という発言に接して、私は怒り心頭に発した。石原に怒り、この社会の石原的なものの総体に対して怒り、石原ごときを都知事としている都民にも怒った。
筆を抑えつつも、その怒りのほとばしりを、石原慎太郎・天罰発言糾弾の記事として書き連ねた。当時間借りしていた日民協ホームページのブログに、である。3・11に関連した記事として、これ以上のものも、これ以外のものも書けない。当時の記事を抜粋して再録することにした。多くの方に、ぜひもう一度お読みいただきたいからだ。
再録だから、抜粋ではあっても長さに切りがない。徒然の折に、一つでも二つでも、目を通していただけたら、とてもありがたいと思う。
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石原慎太郎の「震災は天罰」発言に抗議する
敢えて一切の敬称を省略する。石原慎太郎は、東北太平洋沖大震災・津波の被災者に謝罪し、即刻すべての政治活動から身を退くべきである。
複数メディアの報ずるところによれば、石原は大震災の被害を「これはやっぱり天罰だと思う」と記者会見の場で広言した。「津波で我欲を洗い落とせ」とも言ったという。
その後記者から「『天罰』は不謹慎では」との質問に対しても、「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べているとして、発言の撤回も謝罪もしていない。
かつてない大災害で万を数えようという犠牲者が出ている。多くの罹災者が家族を失い、家も職も地域社会をも失って塗炭の苦しみに嗚咽の声をあげている。そのときに、石原はこの苦しみを「天罰」と言ってのけたのだ。「津波で我欲を洗い落とせ」とも。何という心ない言葉であろうか。何という思いやりに欠けた、唾棄すべき人格。
石原にとっては、この大災害の罹災者一人一人の死や離別、恐怖は、「被災者の方々はかわいそうですよ」という程度のものでしかない。
明らかに、石原はこの発言で政治家たるの資質のないことを露わにした。少なくとも、民主主義社会において、これほど人権感覚を欠如し、これほどに国民を見下した政治家に、責任ある地位を与えておくことはできない。
発言を撤回し謝罪するだけではたりない。政治家失格者としてあらゆる政治活動から身を退くよう、要求する。
(2011年03月14日)
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石原慎太郎君、君こそ「天罰」を甘受したまえ。
敢えて敬称を「君」としよう。
石原慎太郎君、知事を辞めたまえ。四選出馬を撤回したまえ。潔く、大震災・津波の被災者にたいする謝罪広告を掲出し、すべての政治活動から即刻に身を退きたまえ。
君は、大震災の被害を天罰だと記者会見の場で広言した。塗炭の苦しみを味わっている被災者を罪ある者とし、その苦しみを天罰と言ったのだ。被災者を我欲者として「津波で我欲を洗い落とせ」とも言った。その君の罪は限りなく重い。
君の「天罰発言」は、失言だとか、不用意に口が滑ったという次元の問題ではない。君の人格そのものの表出なのだ。権力者面をした君には、この大災害の被災者一人一人の死や離別の恐怖・苦悶・悲嘆に共感する能力が根本的に欠落している。このことは、民主主義社会での政治家として決定的な欠陥なのだ。
君は、いとも簡単に「言葉が足りなかった」として、「謝罪し、発言を撤回した」と報じられている。君は、自分の言葉の軽さを当然として、その撤回は可能と考えているようだが、それは心得違いも甚だしい。
君の「天罰発言」は、政治家としての君の資質の欠落を露呈させたものだ。だから、政治家失格の真実を消し去ることはできない。発言を撤回したところで、君の人権感覚の欠如、国民無視の姿勢の露呈を消し去ることはできない。
君が都知事を続けたら、不幸な都民に再度「天罰」と言うだろう。いや、既にこれまでも「天罰」として切り捨てられている都民を指摘することもできる。
このたびは、謂わば君自身が君の原罪を露わにしたのだ。天罰を甘受するよりないではないか。天罰発言を撤回して、謝罪するだけでなく、知事も辞めたまえ、四選出馬を撤回したまえ、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、民主主義と人権の進展のために、君がなし得る唯一のことなのだから。
(2011年03月15日)
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石原慎太郎君、君は「謝って済む」立場にない。
石原慎太郎君。
君は、このたびの大震災の被害を天罰だと広言し、その翌日まことにぶざまに発言を撤回して謝罪した。しかし、君には、自らの発言の罪の深さが理解できていない。君の「天罰発言」への謝罪は、到底受け容れられるものではない。君は、今さら謝罪で許される立場にはないと知るべきだ。
加害行為は、その態様と程度によっては、加害者の真摯な反省と謝罪が被害感情を慰藉することがある。その場合には、謝罪は被害者に受容される。つまりは、「謝って済む」ことになる。しかし、君の場合、到底「謝って済む」問題ではない。
尊い命を失った方、あるいは掛け替えのない家族を失って悲嘆にくれ、またあるいは恐怖と絶望に震える大震災の被災者に対して、君は「その不幸は天罰」と言ったのだ。かつて君自身が田中均外務審議官に投げつけた言葉を借りるなら、君の発言こそが「万死に値する」行為なのだ。到底許されるものではない。
私は、岩手県の出身者として知人の被災に胸を痛めているが、もとより被災者に代わって発言する資格はない。しかし、君の発言は、私の心情も大きく傷つけた。私も君の発言の被害者の一人だが、私の怒りはおさまらない。「発言の撤回と謝罪」程度で、私はけっして君を許さない。多くの被災者はなおさらのことと思う。
あらためて要求する。石原君、即刻政治家を辞めたまえ。
「万死に値する」とは、君の言葉の使い方と同様レトリックでしかない。死をもって償えなどと野蛮な要求はしない。知事を辞め、四選出馬表明も撤回し、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、今君のなし得る真摯な謝罪の方法である。
その実行があれば、私は、君の人間性と真摯さを見直し、君の発言を宥恕するにやぶさかではない。もっとも、私に比較すべくもなく大きく深く君の発言に傷つけられた被災者が、君を許すかどうか‥。それは、私の忖度の限りではない。
(2011年03月16日)
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石原慎太郎君、君は民衆の信頼を失った。
君には、「天・罰」の二文字が深く刻まれた。どのようにあがいても、もう、洗い落とすことはできない。君が人前にその姿を晒せば、人は君の額に「天・罰」の二文字を見る。君がものを書けば、人は紙背に「天・罰」の二文字を読み取る。君が、何をしゃべろうと、また書こうと、「天・罰」の二文字が君から離れることはけっしてない。
みんなが心得ている。君の「被災はやっぱり天罰」「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある」という言こそが君のホンネであることを。翌日の撤回と謝罪とが、選挙戦術としてのとりつくろいでしかないことを。
唾棄すべき言論にも表現の自由は保障されよう。君がその本性をむき出しに、無慈悲で無神経な心ない言論を行うことも、君の嫌忌する日本国憲法が保障するところ。君の一個人としての不愉快な言論は自由だ。しかし、政治家としての言論は自ずから別だ。限界もあり、特別の責任が伴う。
民主主義社会における政治は、選挙民である民衆の信頼を基礎に存立している。
選挙で選ばれた政治家は、選挙民の信頼に応える責任を負っている。その信頼の内容は、民衆の利益への奉仕にある。就中、最も弱い者、最も困窮している者、最も援助を必要とする者に真摯に寄り添うことにある。
震災被災者の困窮を天罰と言い、援助の手を必要とする津波の被災者に「我欲を洗え」と悪罵を投げつけた君は、弱者を切り捨てたつもりが、自分への信頼を切り捨てたのだ。民衆からの信頼を根底から洗い流した。その信頼喪失の象徴が「天・罰」の二文字である。君がいかなる美辞麗句を連ねても「天・罰」の二文字から君のホンネと本性が透けて見えるのだ。
民衆からの信頼を失った政治家は潔く身を処すしか道はない。知事の職を辞し、四選出馬を断念し、あらゆる政治活動から身を退いて、民衆を蔑視し民衆の信頼を失った政治家の身の処し方を見せてもらいたい。それがせめてもの、君ができる償いであろう。
(2011年03月17日)
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石原「震災は天罰」
石原慎太郎知事は、このたびの大震災の被害を「天罰」と言った。
天罰にせよ刑罰にせよ、罰は罪を犯した者に科せられる。知事は「天罰」という発言で、被災した無辜の被害者に対して、罪ありと指弾したのだ。「被災は自業自得」と放言したに等しい。
知事は弁明するかも知れない。「自分は日本という国の罪を考え、日本に天罰が下ったと述べたのだ」と。これもまた恥と愚の上塗りである。なにゆえに、国策の決定や遂行に遠い位置にある東北の人々が、また最も弱い立場の幼児や老人までもが、日本の罪を引き受けなければならないのか。なにゆえに、知事自身を含め、権力の中枢にある人々が天の鉄槌を免れているのか。
知事の視野には、およそ空疎な「日本」や「国家」や「民族」だけがあって、災害に苦しむ生身の人間の姿が見えていない。このような思い上がった人物に、民主主義社会は権力も権限も与えてはならない。多くの人々の運命の帰趨にかかわる地位に置くことは、都民にとって危険極まりないからだ。
言うまでもなく震災・津波の被災者に罪はない。被災は罰ではあり得ない。むしろ、知事の側にこそ大きな罪があり、厳しく罰せらるべきである。
知事の「罪」(違法)を数え上げよう。
公然と被災者を侮辱したこと。被災者の名誉を大きく毀損したこと。虚偽の風説を流布して被災者の信用を毀損したこと。罪のない者を罪ありと誣告したこと。
知事にあるまじき愚かで心ない放言によって都民に肩身の狭い思いをさせたこと‥。
なによりも、苦悶する被災者に対する情誼を著しく欠いたこと。そして、災害を非科学的に「天罰」などと言ってのけ、災害の原因把握や再発予防、そして被害救済の施策と実行について根本的に無能であることを露呈したこと‥。
以上の「罪」に対する「罰」として、まずは自発的な贖罪が期待される。自ら、知事の職を辞し、四戦出馬を取りやめること。すべての政治活動から身を退くこと。
さもなくば、天に代わって選挙民が「罰」を与えねばならない。
(2011年03月18日)
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災害を「天罰」とするオカルティズムの危険
未開の時代、人は災害を畏れ、これを天の啓示とした。個人の被災は個人への啓示、大災害は国家や民族が天命に反したゆえの天罰とされた。
董仲舒の災異説によれば、天は善政あれば瑞祥を下すが、非道あれば世に災異をもたらす。地震や洪水は天の罰としての災異であるという。洋の東西を問わず古くは存在したこのような考え方は、人間の合理的思考の発達とともに克服されてきた。
天罰思想とは、実は独善である。天命や神慮の何たるかを誰も論証することはできない。だから、歴史的には易姓革命思想において利用され、政権簒奪者のデマゴギーとして重用された。
このたびの石原発言の中に、「残念ながら無能な内閣ができるとこういうことが起きる。村山内閣もそうだった」との言葉があったのに驚いた。政権簒奪をねらうデマゴギーか、さもなくば合理的思考能力欠如の証明である。このように、自然災害の発生を「無能な内閣」の存在と結びつける、非合理的な人物が首都の知事である現実に、肌が泡立つ。
また、天罰思想は災害克服に無効である。天の罰との理解においては、最重要事は災害への具体的対応ではなく、天命や神慮の内容を忖度することに終始せざるをえない。また、災害は天命のなすところと甘受することにもならざるをえない。
本来、災害や事故に対しては、まず現状を把握して緊急に救命・救助の手を差し伸べ、復旧の方策を講じなければならない。さらに、事象の因果を正確に把握し、原因を分析し、再発防止の対策を構築しなければならない。このことは科学的思考などという大袈裟なものではなく、常識的な合理的な思考姿勢である。この常識的思考過程に、非合理的な天罰思想がはいりこむ余地はない。
アナクロのオカルト人物が、今、何を間違ってか首都の知事の座に居ることが明白となった。このままでは、都民の命が危ない。
都民は、愚かな知事をいだいていることの「天罰」甘受を拒絶する。都民の命と安全のために、知事には、即刻その座を退いていただきたい。
(2011年03月19日)
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日本国憲法の嘆きと願い
私は「日本国憲法」である。
人類の叡智の正統な承継者として1947年日本にうまれた。以後、主権者国民に育てられて地に根を下ろし、枝をひろげた大樹となっている。
私の根幹を成すものは、「人権」と「民主主義」と「平和」である。その各々は相互に関連し、相補うものとしてある。とりわけ、至高の価値である国民個人の人権を擁護するために民主主義が円滑に機能することが、私の切なる願いである。
このことを、私は、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と高らかに宣言した。
「人権」とは、国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産であって、私の最も貴重とするものである。国民の代表者たる公務員・政治家は、その貴重な国民の人権を預かる者として、心して国民の福利のために献身しなければならない。
ときに、この理をわきまえない不心得な政治家が現れることが心配でならない。
石原慎太郎という首都の知事、何を勘違いしてか、公僕たる立場にありながら偉そうに国民に教訓を垂れたという。「津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」とは、私にとって聞くに堪えない悲しい暴言である。
本来石原は、被災した国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産をいかに擁護し、いかに回復するかに心を砕かねばならない立場にある。被災を「天罰」ということは、苦しむ国民の傷に塩を塗り込むことで、私の想像を絶する。石原は、私の目の黒いうちは、知事としても政治家としても失格というほかはない。
しかし、私は寛容にできている。私には直接に石原を失脚させる物理的な力はなく、胸を痛めるしかない。首都の主権者にお願いしたい。私に代わって石原を諭して知事の座を退くよう力を尽くしていただきたい。その実現を私は待ち望んでいる。
(2011年03月20日)
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社会不安を奇貨とした妄言を許すな
大災害は社会不安をもたらす。多くの人々の不安の心理に付け込んで、妄言を吐く輩が跋扈する。牽強付会に災害の原因を解釈して見せ、都合の良いように人心を誘導しようとする。混乱のさなかには、時に大きな影響をもたらす危険ある言説として警戒を要する。石原慎太郎の「天罰発言」もその例に洩れない。
彼によれば、震災・津波の原因は、「我欲」と「ポピュリズム」にある。つまりは、国民が我欲にとらわれ、政治がポピュリズムに陥っているから、天が罰を下して、震災と津波の被害をもたらした。したがって、「津波をうまく利用して、我欲を一回洗い落とす必要がある。日本人の心のあかをね」ということになる。
彼の人心誘導の方向は、「我欲を洗い流す」ことにある。
彼のいう「我欲」の内実は必ずしも明確ではないが、「我」の「欲」とは、「全体の利益」「社会の調和」「国家の繁栄」などと対峙する個人の権利主張と理解するほかはない。「我欲を洗い落とす必要がある」とは、全体の利益ために個の抑制を求めるもの。何のことはない、滅私奉公・尽忠報国の焼き直しイデオロギーでしかない。ささやかな庶民の願いを「非国民の我欲」呼ばわりして圧殺した、ほんの少しの昔を思い起こさねばならない。
もっとも、「ささやかな」と限定することのない我欲を正当と認める立場が、経済制度としての資本主義であり、政治思想としての個人主義ないし自由主義である。国家は個人の我欲を抑圧する必要悪と位置づけられる。現行の制度は、我欲の衝突を調整する仕組みをそなえつつ、我欲を基本的に肯定している。
これに反して、個人の我欲を否定し、国家・社会・民族の利益を第一義とする立場が全体主義である。石原を「弱者に冷たい新自由主義者」とするのは、実は褒めすぎ。「全体のために個人を否定する全体主義者」と評し直さなければならない。
恐るべきは、石原の全体主義的言動に喝采を送る一定層が存在することである。
その支持のうえに、3期12年もの都政のあかがたまった。これを一気に押し流す必要がある。「天罰発言」を石原ポピュリズム清算の天恵としよう。
(2011年03月21日)
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都民は被災地の声に耳を傾けよう
本日の毎日新聞「記者の目」の欄。釜石を故郷とする、社会部記者が地元に入って、災害の惨状を生々しく報告している。
その中に、次の1節がある。
「浜町の高台にある児童公園の物置小屋で、地元の消防団員らと夜を越す。ろうそくを囲み、気付けに回す日本酒に思いが噴き出す。『石原慎太郎(都知事)のばかたれが。何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)』。
傍らから声が続く。『こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ』」 激しく厳しい叱正と、冷静な人間評。いずれも何という痛烈な石原批判であろうか。石原は、「馬鹿たれ」「おだつな」と怒りをぶつけられているだけではない。人間性や生き方そのものを、根底から見すかされ否定され軽蔑されているのだ。
この声は、一児童公園の物置にたまたま集まった人の声ではない。三陸全体の、いや東北関東被災地全土の声である。今は声を出すこともかなわない2万余の犠牲者の声であり、30万避難者の声でもある。日本全国の心ある人々の真っ当な声でもあろう。
今、東京都民の民度が問われている。都民は、このような恥さらしの人物を、またまた首長に選出するのであろうか。
政治家は、聖人君子である必要はない。しかし、庶民の悩みや苦しみを理解する能力のない者は、政治家失格である。苦悩する被災者に、「天罰」と悪罵を投げつける石原を知事に選出するようなことがあれば、こんどは都民が日本中に恥を晒すことになる。
首都の首長選びには、全国の目がそそがれている。とりわけ、被災地から見つめられ姿勢を問われていることを忘れてはならない。投票行動によって都民の「人間性や生き方が問わている」のだ。
石原が「馬鹿たれ」「おだつな」と酷評を受けることは当然としても、都民が石原同様の批判を受けるようなことがあってはならない。
(2011年03月22日)
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都民よ、ポピュリストを忌避しよう。
石原「天罰発言」が、ポピュリズムに触れている。「政治もポピュリズムでやっている」から天罰が下ったという文脈。「無能な内閣ができるとこういうことが起きる」という妄言と併せると、民主党政権誕生を支持した国民の動きをポピュリズムと言っているようだ。しかし、衆目の一致するところ、石原こそが典型的なポピュリストであろう。しかも、極めて質の悪いポピュリストと指摘せざるをえない。
民主主義とは、理性ある市民の意思が社会の方向を決める原則。成熟した市民の自由な意見交換によって形成された世論が、政治を動かし権力をコントロールする。しかし、石原の政治姿勢はこれに正反対である。数え上げれば限りのない差別発言と雑言を売り物とし、非理性的な衆愚の感性に訴えて集票している。イジメの先頭に立って、取り巻きから喝采を受けているいじめっ子の構図ではないか。これこそ民主主義に似て非なる衆愚の政治であり、ポピュリズム以外の何ものでもない。
被災者に「天罰」と悪罵を投げつけたのも、選挙間近で都民のウケをねらったイジメ発言なのかも知れない。しかし、今度ばかりはあまりにひどすぎて、あてがはずれたというところ。それでも懲りずに四選めざして立候補する予定と報じられている。
都民よ、衆愚となってポピュリストに権力を与えることはもうやめよう。冷静に都政の現状を見つめ直そう。
「貧困都政」(岩波書店)を著した永尾俊彦氏が鋭く指摘している。
「石原都政では、都民が切実に望んでいることはどうでもよくて、福祉や医療で削った金を知事が思いついたことに投資している。気運の盛りあがらないオリンピック招致、新銀行東京、三宅島のオートバイレース。しかも大失敗しても責任をとらない。それどころか、豪華外遊や高額接待をくり返し、築地市場を土壌汚染地に移そうとしている。『日の丸・君が代』の強制に見られるように、都の方針に従わない教師や職員は処分し、左遷し、だまらせようとしてきた」
まったく同感である。同胞の被災に涙する心をもつ都民に訴える。こんな人物を知事にしてはならない。
(2011年03月23日)
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まことのなみだはここになく‥
敬愛する郷土の詩人宮沢賢治は、奇しくも明治三陸大津波の年(1896年)に生まれ、昭和三陸大津波の年(1933年)に没している。
詩人が生前に刊行した唯一の詩集が「春と修羅」。その第二集は、構想だけで生前の発刊が実現しなかった。賢治は、発刊予定の第二集にやや長い序を書いており、その最後によく知られた次の一節がある。
「北上川が一ぺん氾濫いたしますると
百万疋のねずみが死ぬのでございますが
その鼠らがみんな
やっぱりわたくしみたいな云ひ方を
生きているうちは
毎日いたして居りまするのでございます」
言うまでもなく、鼠は、災害に翻弄される東北の農民の暗喩である。そして疑いもなく、賢治は自らの身を百万疋の鼠のうちの一匹としている。賢治は、生き方そのものにおいて、農民に身を寄せ、農民の苦悩を自らのものとした。ヒデリのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩いたのだ。
岩手を郷土とする私には、鼠という賢治の比喩に、都会人や権力者の、あるいは富裕者の、要するに百万匹の鼠の外に身を置いて見下す立場にある者の、冷ややかな視線を読み取らざるをえない。
民主社会の代議政治における代表は、百万疋の鼠のうちの一匹こそがふさわしい。その外にいて見下す傲岸な人物に権力を与えてはならない。おそらく賢治もそのような思いであったに違いない。「春と修羅 第二集」を印刷する予定であった貴重な謄写版印刷機を第1回普通選挙に立候補した労農党・稗貫支部に寄付している。
津波の被害を天罰という政治家に賢治は怒るだろうか、はたまた嘆くだろうか。
「まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる」
(2011年03月24日)
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グスコーブドリの生き方
「グスコーブドリの伝記」は、賢治の生き方の理想の一面を表している。
イーハトーブの森に生まれた木樵の子ブドリは、幼くして父母を失う。寒さの夏に続く飢饉ゆえの不幸。その自然の災害に加えて、妹ネリとともに人の世ゆえの辛酸にも遭う。
長じたブドリは火山局の技師となり、火山の噴火を抑えたり、窒素肥料の雨を降らせたりと働く。イーハトーブは豊かになったが、寒さの夏の再来が予報される。
その対策として、ブドリは一計を案じる。火山島を爆発させ、大気に二酸化炭素を噴出させ温暖化効果で冷夏を克服しようというのだ。その危険な仕事はどうしても犠牲を伴うのだが、ブドリは敢えて志願してなし遂げる。ブドリの犠牲で、多くの人を不幸にした寒さの夏はなくなり、「ちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。」と、お話しは締めくくられる。
ブドリは災害を天罰とするごとき非科学的な思想のカケラも持ち合わせない。科学的な思考なくして災害を克服することができないことを知っているから。また、ブドリは災害を他人事としない。災害の克服への献身を惜しまない。自らが、災害の不幸を背負って生きてきたのだから。
ブドリを通して賢治は語っている。ブドリの自己犠牲が、「たくさんのブドリやネリと、たくさんのおとうさんやおかあさん」に幸せをもたらしたように、自分も農民に幸せをもたらす生き方をしたいと。ブドリのようなかたちの自己犠牲を肯定できるか賛否はあろう。しかし、農民の立場に身を寄せて、災害の克服に全身全霊を捧げた賢治の生き方には、誰もが襟を正さざるをえない。
これに比較するも愚かだが、被災を他人事とし被災による苦悩を天罰と言ってのける、無神経で傲岸な生き方もある。賢治の対極に位置して、醜悪そのものと指摘せざるをえない。
(2011年03月25日)
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啄木の怒り
郷土の歌人・石川啄木は、「主義者」として知られていた。
平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり。
赤紙の表紙手擦れし 国禁の 書を行李の底にさがす日。
「労働者」「革命」などといふ 言葉を聞きおぼえたる 五歳の子かな。
友も妻もかなしと思ふらし―病みても猶、革命のこと口に絶たねば。
など、その傾向の歌はいくつも挙げることができる。
没後十年(1922年)で建立された「柳青める」の歌碑に、寄進者の名などはなく、ただ「無名青年の徒之を建つ」と刻まれているのは、その故であろう。
彼が貧者の側にあって、社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってくる。高みから見下す目線ではないことが、啄木の歌の魅力である。
わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき
このような彼だから、故郷の災害を天罰という輩には、怒髪天を衝いて怒るに違いない。しかし、彼のことだ。怒りも悲しみの歌となるだろう。
頬につたふ なみだもみせず 天罰と言い放ちたる男を忘れじ
砂山の砂に腹這ひ 天罰と言われし痛みを おもひ出づる日
たはむれに天罰など口にして 軽きことばは 三日ともたず
一度でも天罰などとののしりし 人みな死ねと いのりてしこと
天罰と言いし男の 尊大な口元なども 忘れがたかり
あるいは、次の「一握の砂」所載歌などは、その輩を詠んだものではなかろうか。
くだらない小説を書きてよろこべる 男憐れなり 初秋の風
秋の風 今日よりは彼のふやけたる男に 口を利かじと思ふ
誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり
(2011年03月26日)
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佐藤春夫・宇野浩二の石原慎太郎評
石原慎太郎は、1956年に第34回芥川賞を受賞している。受賞作品は、「太陽の季節」。選考委員は、石川達三、井上靖、宇野浩二、川端康成、佐藤春夫、瀧井孝作、中村光夫、丹羽文雄、舟橋聖一の9名。異例というべき酷評がなされている。
佐藤春夫はこう述べている。「僕は『太陽の季節』の反倫理的なのは必ずしも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸としてもっとも低級なものとみている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者の物ではないと思ったし、又この作品から作者の美的節度の欠如をみてもっとも嫌悪を禁じ得なかった。これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。僕にとってなんの取り柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して‥これに感心したとあっては恥ずかしいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わない」
石原を「文学者ではなく興行者」と言い当て、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思った」とは、その後の石原を見抜いている。その炯眼には敬服するよりほかはない。
また、宇野浩二は「読み続けていく内に、私の気持ちは、次第に、索漠としてきた、味気なくなってきた。それは、この小説は、仮に新奇な作品としても、しいて意地悪く云えば、一種の下らぬ通俗小説であり、又、作者が、あたかも時代に(あるいはジャナリズム)に迎合するように、‥ほしいままな『性』の遊戯を出来るだけ淫猥に露骨に、書きあらわしたりしているからである」
積極的に推したのは、舟橋聖一と石川達三。
「純粋な快楽と、素直にまっ正面から取組んでいる点」を評価したという舟橋の評は論外。石川は、受賞作を「倫理性について、美的節度について問題は残っている。‥危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」と述べている。『人間の壁』を著した石川達三は、石原のその後の「危険」をどう把握したであろう。差別発言を恥じずにくり返し、震災を天罰という「作家」を評価しえたろうか。
(2011年03月29日)
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死者に寄り添う気持の尊さ
「方丈記」は災害文学である。取りあげられた「災害」は、大火・旋風・遷都・ひでり・大風・洪水・飢饉・疫病、そして大地震に及ぶ。
養和年間(1181?82)の飢饉による夥しい都の餓死者について次の一節がある。
「仁和寺に隆曉法印といふ人、かずもしらず死ぬることをかなしみて、その首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。その人數を知らむとて、四五兩月を数へたりければ、‥道のほとりにある頭、四萬二千三百余りなむありける」
行路に捨てられた遺体を哀れとし、その成仏を願って額に梵語の「阿」という字を書いてまわった僧のいたことが、鴨長明には書き留めて置くべきことであった。
よく似た話が、昨日の「毎日」夕刊に。「葬儀が出せない被災遺族のために、僧侶の兄弟が火葬の度に駆け付け、ボランティアで読経している」のだという。
山田町の龍泉寺は遺体の仮安置所になった。30代の住職は、幼児の遺体を見て涙が止まらず、弟と相談して「檀家であろうとなかろうと供養を」と思い立った。以来、「隣接する斎場での火入れにほぼ毎回交代で立ち会い、遺族を前に、袈裟姿で読経している」「喪服もなく、着の身着のまま参列した遺族が『手を合わせくれるだけでもありがたい』と涙を流して感謝する場面もある」と報じられている。
「(葬式など)何もできないと思っていたので、ありがたいお経だった」という遺族の感謝のことばが痛いほどよく分かる。常は無神論者をもって任じている私も、そのような僧侶の行為に尊敬の念を抱かずにはおられない。
宗教者が死者に寄り添う行為は、生者への真摯な慰めでもある。宗教とは本来竜泉寺の若い僧が体現したように、死者と生者をともにいつくしむ営みなのだと思う。
宗教者に限らず、生を至高のものとし、その故に死を厳粛なものとして、死者に敬虔な姿勢で寄り添うことが社会の良識である。
死者へも遺族にも何の配慮もなく、軽々に「災害は天罰」と無分別な放言をする輩には、人生や社会を語る資格はない。政治に携わることなどもってのほか。
(2011年03月30日)
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失言・放言・暴言・妄言
「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」とは失言であろうか。
失言とは、「不注意に本音を漏らす」こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」という認識が決定的に欠けていた。日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」とも、「不注意に本音を漏らした」とも言わない。傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。「うっかり言ってしまった」のではなく、確信犯としての発言なのだから。
彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。記者から「被災者に配慮を欠いた発言では」と指摘を受けて、直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。
翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。
放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。今回の彼の「天罰発言」はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。
失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。
思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。
(2011年03月31日)
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江戸っ子の心意気
べらんめい、江戸は町人の街よ。人口の半分は侍だというが、ありゃあ、どいつもこいつも国許からぽっと出の浅黄裏。権力はあっても、所詮は粋の分からぬヤボどもよ。リャンコが恐くて田楽が喰えるか。
「たが屋」という噺を知ってるだろう。「たがを締める」ことを商売としている職人と、むやみに威張った侍のあの話。両国の川開きのごった返しの橋の上、供を連れた騎乗の侍と、商売道具を背負ったたが屋とがぶつかる。侍は、「とも先を切った無礼者」と、たが屋を手討ちにしようとする。平謝りのたが屋が、どうにも助からないと知るや開き直って胸のすくような啖呵をきる。ここがハナシの聞き所。たが屋捨て身の大立ち回りを口先ばかりの江戸っ子が応援する。
さて、その結末。文化年間の寄席の記録では、花火が打ち上げられる中、切られたたが屋の首が飛ぶ。その首に「たがやーー」と哀惜の声がかかるのがサゲ。
ところがこれでは面白くねえやな。この話、幕末には逆転する。隅田川に落ちるのは、たが屋の首ではなく侍の首となったのよ。この侍の首に「たがやーー」という喝采がサゲとなる。今も演じられているとおりさ。
この首のすげ替え。天と地の差だろう。最初に侍の首を飛ばした噺家の名は残っちゃいない。町人の心意気が、たが屋を救って、侍の首を飛ばしたのさ。
たが屋が身分を超えて侍にこう言うんだ。「情け知らずの丸太ん棒め」「おまえなんぞは人間じゃない。このあんにゃもんにゃ」「血と涙があって、義理と人情をわきまえていてこそ人間ていうんだ」ここがこの噺の真骨頂だとおもうね。
江戸っ子だい。いつまでも、はいつくばってはいられない。威張り散らして、「災害は天罰」だの、「地方の原発推進は東京に必要」だのと言ってる御仁に、いつまでも江戸を任せるわけにはいかないね。それこそ、江戸っ子の恥じゃないか。
俺たちは一人一人が「たが屋」さ。血も涙もなく義理と人情をわきまえぬ権力者と、首をかけたやり取りを余儀なくされていることは、昔も今も変わらない。
(2011年04月01日)
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野蛮な天皇制も「天罰」とは言わなかった
関東大震災の直後に2通の詔書が出されている。天皇制政府にとって首都の震災被害からの復興がいかに重大な課題であったかを物語っている。注目すべきは、両詔書とも「天譴論」に与していないことである。震災の原因を神慮や天罰と言ったり、国民に被災の責任を求めたりする姿勢とは無縁なのだ。
まず、震災11日後の「関東大震災直後ノ詔書」(1923年9月12日)。「惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ」と、天災は飽くまで天災、全力で復興に力を尽くすしかないとの基本姿勢を示している。そのうえで、「凡(およ)ソ非常ノ秋(とき)ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス」と、被災の救済と復興の施策は、非常時にふさわしく果断にやれと述べている。大仰な美辞麗句の修飾をはぎ取れば、中身は案外真っ当で合理的なのだ。
次いで、「国民精神作興ノ詔書」(同年11月10日)。こちらは、天皇制政府のイメージのとおり。震災後の混乱の中で人心収攬の必要もあったろうが、この事態を奇貨として、天皇制政府の国民精神誘導の意図を明確にしている。
「朕惟フニ国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ」で始まり、国民の軽佻浮薄の精神を質実剛健にあらためなければ、国が危ういという。そのうえで、まことにエラそうに上から目線の教訓を垂れる。「綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡励シ浮華放縦ヲ斥ケテ質実剛健ニ趨キ軽佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ」‥当時の人々はこんな文章をすらすら読めたのだろうか。
この詔書には、「今次ノ災禍甚大」の一文はあるが、その原因を天譴・天罰とはしていない。天皇制政府が、震災を利用して国民精神の統合へと誘導をはかったことを教訓と銘記しなければならないが、震災を天罰と言うことが有効だと考えなかったという意味では、天皇制も国民を舐めてはいなかったのだ。
90年後、「震災は天罰」と言う政治家が出た。天皇制政府より格段に非合理で、愚かで、しかも国民を愚昧なものと舐めきった姿勢を曝露したというべきだろう。
(2011年04月03日)
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ばちあたり
「なんてかなしいこと」というと
「なに、てんばつさ」という。
「ほんとにてんばつ?」ときくと
「ほんとにてんばつさ」という。
「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
「てっかいしてしゃざいする」という。
そうして、あとでもういちど
「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。
こだまでしょうか、
いいえ、あのひと。
「天罰」はだれにも見えないけれど
「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
「天罰」は本当はないのだけれど
「天罰という人の罪」は深い
(2011年04月04日)
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「天罰」は東北に、「福利」は首都に
「毎日」の読み始めは「万能川柳」欄から。本日の秀逸句が、「首都圏の電気 福島からと知る」(熊本・某)。東北出身者としては白けた気分とならざるを得ない。そんなこと、今ごろ知ったというのか。作句者には他人事なのだろう。
今さら言うまでもないが、東京電力の原発は、福島第一(6基)・福島第二(4基)・柏崎刈羽(7基)の3か所。いずれも、東京を遠く離れた「東電エリアの外」にある。首都の利便と安全のために、僻遠の「化外の民」が危険を引き受けているのだ。
「そもそも電力は、国民必須の需要によるものてあって、電力政策の権威は産学協同に由来し、その権力は政府がこれを行使し、その危険は東北北陸が引き受け、福利は専ら首都圏がこれを享受する。これは我が国固有の歴史的構造原理であって、東電の原発経営はかかる原理に基くものである」
だから、3月25日における、首都の知事と福島県知事の会見は、特別の意味をもつものであった。危険を東北に押しつけて利便を享受してきた首都と、リスクが顕在化した東北との、本来であれば火花を散らすべき対決である。そこで、首都の知事は「私は今でも原発推進論者」と言ってのけたのだ。私には、「今後とも首都の利便のために原発を推進する。電力供給は必要なのだから、被災は東北の天罰として甘受していただきたい」との、彼の本音と聞こえる。
ところが、3日のフジテレビ系公開討論会の席上、「小池(晃)氏が、石原(慎太郎)氏が福島県で『私は原発論者』と発言したことを批判すると、石原氏は『そんなことは言っていない』」と反論、「小池氏は『いやいやハッキリ報道されてます。ごまかさないでください』と言い返した」と報道されている。また、席上「慎太郎氏は都の防災服姿。『フランスは原子力発電をうまくやっている』『何も、原子力一辺倒と言ってるわけじゃない』などと主張し」たとも報じられている。何も分かっちゃいない。何も反省してはいないのだ。
首都圏の心ある人々よ。数多の蝦夷の末裔たちよ。こんな人物を知事にしておいてよいのか。恥ずかしくないのか。
(2011年04月05日)
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東北の鬼
私の父方のルーツの地は黒沢尻である。今は、岩手県北上市。
この地方には、郷土芸能の鬼剣舞(おにけんばい)が伝わる。宮沢賢治の「原体剣舞連」に農民の誇りとして高らかに歌い上げられている、あの異形の舞である。
私の従兄がその面を作っていることもあって愛着は一入。そのリズムと動きの激しさに、普段はもの静かな東北の民衆の魂の叫びを聞く思いがする。まつろわぬ鬼は、私自身の精神のルーツでもある。
わらび座の十八番の一つ、歌舞劇「東北の鬼」では、幕末の三閉伊一揆を題材に鬼剣舞の群舞が観衆を圧倒する。鬼は、圧政に虐げられた農民そのものであり、剣舞は解き放たれた怒りの象徴である。
「百姓の腹ん中には、一匹ずつの鬼が住んでいるんだ」というのが主題。古来、東北の民は、「蝦夷」として「征伐」の対象とされた。鎌倉・室町・江戸期の最高権力者の官名は「征夷大将軍」である。坂上田村麻呂に抵抗したアテルイの時代から、前九年・後三年、藤原三代、九戸政実、戊辰戦争、明治の藩閥政治にいたるまで、勇猛にして高潔な東北は、奸悪な中央に敗れ虐げられ続けてきた。その名残と怨念はいまだに消えない。だから、東北の民は、時として鬼になる。地方権力にも中央政権にも、その矜持を賭けて徹底してたたかいを挑む。その心意気が弘化・嘉永の三閉伊一揆に遺憾なく表れているのだ。
そのような東北の民衆の矜持を、首都の知事が踏みにじった。
「なに。震災は天罰だと?」「津波で積年の垢を洗い落とせだと?」
さらに、追い打ちをかけたのが原発問題。危険な原発の立地を東北に追いやり、安全な場所で電力の恩恵に与るのが中央。東北の民には、そのような図式がありありと見える。「この期に及んでなお、『私は今も原発推進論者』だと?」
賢治のことばを借りよう。「いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を つばきし はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」
都民よ。東北の鬼を怒らせまいぞ。
(2011年04月06日)
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再び、民主主義とは何なのだろう
私は、1971年4月に弁護士となった。実務法律家としてちょうど40年の職業生活を送ったことになる。この間の私の幸運は、日本国憲法とともに過ごしたことである。人権・平和・民主主義を謳った実定憲法を武器に職業生活を送ることができたことは、なんという僥倖。
しかし、私の不運は日本国憲法の理念に忠実ならざる司法とともに過ごしたことにある。憲法に輝く基本的人権も、恒久平和も、民主主義も、法廷や判決では急に色褪せてしまうのだ。何という不幸。
裁判所が、毅然と「日の丸・君が代」強制を許さずとする明確な判決を言い渡すのなら、石原教育行政の出番はない。裁判所に、「歌や旗よりも子どもが大切」、「国家ではなく人権こそが根源的価値」という教科書の第1ページの理解があれば、そもそも行政が憲法を蹂躙する暴挙を犯すことはないのだ。
もうひとつ、右翼の知事に出番を提供したのは都民である。震災は天罰と言ってのけ、思想差別を敢行するこの右翼的人物に知事の座を与えたのは都民である。恐るべきは石原個人ではなく、敢えて石原に権力を与えた都民の意思であり、日本の民主主義の成熟度と言わねばならない。
それにしても石原4選である。東京都の人権と教育は、あと4年もの間危殆に瀕し続けねばならない。「人権や憲法に刃を突きつける民主主義とは、いったい何なのだ」と問い続けなければならない。問い続けつつも、他にこれと替わり得る制度がない以上、絶望することも、あきらめることも許されない。心ある人々とともに、東京都の反憲法状態を糾弾し続け、都民に訴え続ける以外にはない。
そのような決意を自分に言い聞かせて、しばし擱筆する。
最後に。
自分の心情を託すには啄木が、気持を浄化し決意を確認するには賢治がぴったりだ。
新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど
地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
人がみな同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
(2011年04月11日)
本日の東京新聞「平和の俳句」を心して読む。
三月十日南無十万の火の柱
70年前の今日、東京が地獄と化した惨状をつぶさに目にした古谷治さん(91歳)の鎮魂の一句。
東京新聞は、古谷さんを取材して、「黒焦げの骸 鎮魂の一句」「戦争を知る世代の使命」という記事を掲載している。その記事の中に、「古谷さんは戦後、中央官庁の役人として働き、政治家を間近で見てきた。今、戦争を知らない世代の政治家たちが国を動かすことに『坂道を転げ落ちていくような』不安を覚える。」とある。そして、古谷さん自身の次の言葉で結んでいる。
「戦争を知っているわれわれが、暴走しがちな『歯車』を歯を食いしばって止めないとどうなるのか。その使命の重大さ、平和のありがたさをかみしめて、鎮魂の一句をささげた」
日露戦争後、3月10日は陸軍記念日であった。1945年の陸軍記念日の早暁、テニアン・サイパンから飛来した325機のB29爆撃機が東京を襲った。超低高度で人家密集地に1600トンの焼夷弾の雨を降らせた。折からの春の強風が火を煽って、人と町とを焼きつくした。死者10万、消失家屋27万、被災者100万に上ったと推計されている。これが、3時間足らずのできごとである。防空法と隣組制度で逃げれば助かった多くの人命が奪われた。
東京大空襲訴訟の証言で、早乙女勝元さんが甚大な被害の理由をこう解説している。
「1番目は退路のない独特の地形です。東京の下町は荒川放水路と、隅田川に挟まれて無数の運河で刻まれた所。2番目はその夜の気象状況にあったと思います。春先の猛突風が9日の夜から吹き荒れていて、火が風を呼び、風が火を呼ぶという乱気流状態になったことが挙げられましょう。そして3番目は防空当局のミスであります。ミスといいますのは、空襲警報が鳴らないうちに空襲が始まっております。4番目は‥、昭和18年に内務省が改訂版で『時局防空必携』というのを各家庭に配りました。それを守るべしということですが、1ページ目を開きますとこう書いてあります。『私たちは御国を守る戦士です。命を投げ出して持ち場を守ります』と。国は東京都民を戦士に仕立てあげたんではないのでしょうか。そういうことが大きな人的被害を生む理由になったのではないかと考えます。」
多くの都民が、命令され洗脳されて、文字どおり「持ち場を守って命を投げ出した」のだ。
同じ証言で、早乙女さんはこうも述べている。
「3月10日の正午になりますと、焼け残りの家のラジオは大本営発表を告げました。公式の東京大空襲の記録といっていいのですが、翌日の新聞にももちろん出ております。その中でたいそう気になりますのは、次の1節であります。『都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮(しゅめりょう)は2時35分其の他は8時頃までに鎮火せり』。100万人を超える罹災者とおよそ10万人の東京都民の命は、『其の他』の三文字でしかありませんでした。戦中の民間人は民草と呼ばれて、雑草並みでしかなかったと言えるかと思います。残念ながら、大本営発表の、『其の他』は戦後に引き継がれまして、今、被災者遺族の皆さんは私を含めて高齢ですけれども、旧軍人、軍属と違って、国からの補償は何もなく、今日のこの日を迎えています。国民主権の憲法下にあるまじき不条理であります。法の下に平等の実現を願っております。」
大日本帝国の公式発表は、10万の都民の命よりも皇室の馬小屋の方に関心を示したのだ。こうして、1945年の陸軍記念日は、「我が陸軍の誉れ」の終焉の日となった。それでも、この日軍楽隊のパレードは実行されたという。
無惨に生を断ち切られた10万の死者の無念、遺族の無念に、黙祷し合掌するしかない。空襲の犠牲者は、英霊と呼ばれることもなく、顕彰をされることもない。その被害が賠償されることも補償されることもない。それどころか、戦後の保守政権はこの大量殺戮の張本人であるカーチス・ルメイに勲一等を与えて、国民の神経を逆撫でにした。広島・長崎の原爆、沖縄の地上戦、そして東京大空襲‥。このような戦争の惨禍を繰り返してはならないという、国民の悲しみと祈りと怒りと理性が、平和国家日本を再生する原点となった。もちろん、近隣諸国への加害の責任の自覚もである。2度と戦争の被害者にも加害者にもなるまい。その思いが憲法9条と平和的生存権の思想に結実して今日に至っている。安倍政権がこれに背を向けた発言を繰り返していることを許してはならない。今日は10万の死者に代わってその決意を新たにすべき日にしなければならない。
たまたまドイツのメルケル首相が来日中である。共同記者会見でメルケルと安倍がならんだ。同じ敗戦国でありながら、罪を自覚し徹底した謝罪によって近隣諸国からの信頼を勝ち得た国と、しからざる国の両首相。それぞれが国旗を背負っている。
1940年、日独伊三国同盟が成立したとき、並んだ旗はハーケンクロイツと日の丸であった。戦後、ドイツは、ハーケンクロイツから黒・赤・金の三色旗に変えた。日本は、時が止まったごとくに70年前の「日の丸」のままである。変えた旗と変えない旗。この旗の差が、日独両国の歴史への対峙の姿勢の差を物語っている。
さて、東京大空襲70年後のこの事態である。火の柱となった十万の魂は鎮まっておられるのだろうか。
(2015年3月10日)
昨年(2014年)2月の選挙で舛添要一都政が発足して1年が経過し、今初めての舛添予算案が都議会に上程されて審議を受けている。メディアからの評判はなかなかのものとなっている。産経の記事が「共産党も高評価」と見出しを打った。酷すぎた石原慎太郎・猪瀬直樹都政に較べれば多少はマシになった、というレベルを超えた積極評価がなされている。
自・公の推薦を受けた候補者ではあったが、都議会内各派とはそれぞれに折れ合いは良いようだ。何よりも、不必要に居丈高で威圧的だった石原・猪瀬に較べて、人と接する姿勢のソフトさに好感が持てる。
着任早々の定例記者会見で、記者に対して次のように呼びかけたことが話題となった。
「みなさん(記者)も、都民、国民の代表として、外からごらんになっていただいているんで、いつも申し上げるように、どんな質問でも全く構わないんで、自由に、この会見の場で意見をいただくということが、都民の声を反映することになると思いますので、ぜひ、そのことをお願いしたいと思います」
知事本人による、「私は、石原・猪瀬とは違う」という意識的アピールとみるべきだろう。
また、次のような発言も各紙が話題にした。
「初登庁して一日仕事をしただけで、この役所は大丈夫か、とんでもないことになっているのではないかと、心配が先立ってきた。
都庁では、職員が恐る恐る知事に説明に伺ってもよいかと、私に不安げに尋ねてきた。これは驚きで、知事に対する説明などは当然行うべきである。‥これまでの知事たちが、どういう職務姿勢であったのかが、よく分かる。週に2?3回しか職場に来ないのなら、職員からレクを受ける機会も少なくなるであろうし、重要な来客とのアポも入れられないであろう。まともな仕事もせずに、権威主義的に怒鳴り散らしていたのではないかと想像してしまう。これでは、部下の士気も減退するであろう。」
(「現代ビジネス 舛添レポート」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38397?page=2)
言うまでもなく、「まともな仕事もせずに権威主義的に怒鳴り散らして、この役所をトンデモナイものにしてしまった」のは、石原・猪瀬の前任者である。舛添はこれをまともな役所にする、と宣言したわけだ。
その後も、「ぬるま湯につかった過去3代の知事の20年間は忘れていただきたい。トップがサボっていると職員に感染しますね」(昨年5月9日)や、「終わった人のことをいろいろ言う暇があったら都民のために一歩でも都政を前に進める、そういう思いでいる」(12月16日、引退を表明した石原元知事について)などの記者会見発言が続いた。
こうして舛添都政1年。公平な目で、功罪の「功」が優るというべきだろう。
2020年オリンピック準備では、「招致段階から施設整備費が大幅に膨らむことが分かり、舛添知事は『都民の理解が得られない』と競技会場計画の見直しに着手。三施設の新設を中止して既存施設の活用などを決めた。一時は4584億円に上った試算から「2千億円を削減した」と話す。」(東京)と報じられている。これは都民に好意的に迎えられている。
産経の記事を紹介しておきたい。
「舛添知事が熱心に取り組み、独自色が鮮明になったものの一つとして『都市外交』が挙げられる。これまで6回の海外出張をこなし、計5カ国に訪問。五輪への協力要請などに取り組んだ。
ただ、就任直後から続いた外遊の連続に、昨年9月の都議会本会議で、自民党の村上英子幹事長は『知事の海外出張が、それほど優先順位が高いとは思えない』と苦言を呈した。北京、ソウルの訪問では歴史認識に関する発言への対応をめぐり、『なぜ地方自治体が外交をやるのか』と都に2万件を超える意見が寄せられ、その大半が批判的となるなど、独自色がむしろ“裏目”に出る事態を招いた。
舛添知事が初めて編成を手がけた来年度の当初予算案についても、共産党が重視する非正規雇用の正社員転換や保育・介護分野の拡充に向けた予算付けがされたことから、共産は大型開発などを一部批判しつつも、『都民の要求を反映した施策の拡充が図られている』とするコメントを出した。『共産からこれほど前向きなコメントが出るのは異例だ』と、議会事務局のベテラン職員も驚くほどの内容という。」
右派メディアが右からの批判をおこなっている。最も気になるのは、知事の北京・ソウルへの訪問を、安倍政権の外交失策を補う自治体外交としての輝かしい成果と評価せず、「裏目に出た事態」としていることだ。「2万件を超える意見」の殆どは、嫌韓・嫌中を掲げる排外主義右派の組織的な運動によるものであったろうが、これを口実に自らの見解としては言いにくいことを記事にしているのだ。この点、リベラル側からの都知事応援のメッセージがもっとあってしかるべきだったと思う。わたしも都政に関心を持つ者の一人として反省しなければならない。
このところ、護憲勢力は、野中広務(国旗国歌法制定の立役者)、古賀誠(元・みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長、天皇の靖国参拝推進論者)、山崎拓(元自民党副総裁)、小林節(「憲法守って国亡ぶ」の著者)など保守派との共闘に熱心である。自民党改憲草案を明確に批判している舛添だって十分に改憲反対の共闘者として考慮の余地がありそうではないか。賛否いずれにせよ、誰か真剣に論じてみてはいかがか。
さて、私が最も関心を持つのは、東京都の教育行政である。とりわけ、都立校の教科書採択問題と「日の丸・君が代」強制について。明らかに、石原慎太郎という極右の政治家が知事になって東京都の教育を変えてしまった。舛添知事に交替して、正常な事態に戻る兆しがあるか。残念ながら、今のところ良くも悪くもこの点についての知事の積極的発言はなく、教育現場に目に見える変化はない。
2月24日都議会本会議の共産党代表質問で、松村友昭都議が「日の丸・君が代」強制問題を取り上げた。10・23通達に基づく教職員の大量処分についての最高裁判決が、「起立・斉唱を強制する職務命令が間接的にではあれ思想良心の制約となっていることを認め、減給と停職処分を取り消す判決を言い渡している。また、異例のこととして多くの裁判官の補足意見が都教委に対して、自由で闊達な教育現場を取り戻すよう要望を述べている」と指摘したうえ、「この最高裁判決と補足意見をどう受け止めるか」と舛添知事に見解をただした。
これに対して、知事は答弁しなかった。逃げたと言ってよい。比留間英人教育長が知事に代わって答弁し、「最高裁判決で職務命令は違憲とは言えないとされた。国旗・国歌の指導は教職員の責務だ」と強弁した。いかにも噛み合わない無理な答弁。都教委は少しも変わっていないことを印象づけた。松村都議はこの答弁に納得せず、再質問で再び知事の答弁を求めたが、またもや比留間教育長が同じ答弁を繰り返すだけで終わった。
傍聴者の報告によると、居眠りしていた保守派の都議が、教育長答弁の時だけ、にわかに活気づいて大きな拍手を送っていたという。この点について継続的に都政をウォッチしている元教員らの意見だと、舛添知事自身には「日の丸・君が代」強制の意図はなさそうだが、敢えて自民党都議団との衝突を覚悟しての「10・23通達」体制見直しの意図はなさそうだという。知事の最関心事はオリンピックの成功にあって、そのためには自民党都議団との摩擦を招く政策はとり得ないのだという解説。なるほど、そんなものか。
結局は都民の責任なのだ。石原に308万票を投じて驕らせたことが「10・23通達」を発出させた。今は、保守派の自民党都議に票を投じて、教育現場の自由闊達はなくてもよいとしているようだ。地道に世論を変えていく試みを継続する以外に、王道も抜け道もなさそうである。そうすれば、次の教育委員人事や教育長人事では、少しはマシな人物に交替できるかも知れない。あるいは、その次の次にでも‥。
石原教育行政が「10・23通達」を発したのは、初当選から4年半経ってのことだった。舛添都政における教育行政の変化ももう少し長い目で見るべきだろう。それを見極めて、私の舛添都政に対する最終評価をしたい。
(2015年3月9日)
「子どもと教科書全国ネット21」の機関誌(「全国ネット21NEWS」)が先月15日付で100号となった。会の活動が充実していること、その活発な活動が求められている事態であることがよくわかる。
記事は、教科書採択問題にかかわる情報や運動を中心としながらも、これにとどまらない。教科書の内容を歪める要因となっている関連問題について、要領よくまとまった読み応え十分な記事が掲載されている。前田朗さんの「ヘイト・スピーチと闘うためにー二者択一的思考を止めて、総合的対策を」がその筆頭だろうが、心揺さぶられるものがあって、崔善愛(ちぇそんえ・ピアニスト)さんの寄稿を紹介したい。標題は、「市民にとっての『テロ』と、政府にとっての『テロ』」というもの。
冒頭の一文が、次のような問いかけとなっている。
「安倍政権が『テロとたたかう覚悟』としきりにいうとき、常に『外国人』によるテロ行為から『邦人』を守ることを想定している。しかし国内で、市民団体の平和を求めるデモが、右翼の街宣車に取り囲まれ、『殺すぞ』と大音響でののしられていることや、朝日新聞がたびたび襲撃されてきたテロにたいして『だたかう覚悟』をみせたことがあるだろうか。」
この視点は、少数者として差別される側に立たされ、果敢に差別と闘ってきた崔さんならではのものではないだろうか。
「路上で市民と警官が口論していたら、まずは市民の側に立て」とは、今は亡きマルセ太郎の遺訓である。「市民」に対する「警官」とは強者の象徴。「警官」は、政権・行政・企業・使用者・多数派・組織の上級・情報と権限の独占者・権威・世の常識などと置き換えてもよい。「市民」とは、労働者であり、消費者であり、店子であり、貧窮者であり、公害被害者であり、情報弱者であり、組織の末端であり、マイノリティーとして差別されている者のことである。要するに「弱い立場にある者」と「強い立場にある者」との衝突があれば、それぞれの主張の正邪や当不当を吟味する前に、とりあえずは「弱い立場にある者」の側に立て、という教訓である。
言うには易いが、その実践がたいへんに困難なことを幾度も経験した。「強い立場にある者」にも、それなりの世間に通りやすい言い分があるからだ。「大所高所に立って」「全体の秩序の維持のために」とのまことしやかな理由で、弱い立場にある者が切り捨てられる。弱者の側にこそ身を置こうと、常に意識し続けることは実は至難というべきなのだが、そのような姿勢を持ち続ける者にだけ不当な差別が明瞭に見えてくるのだと思う。
崔さんは続ける。
「わたしも34年前、指紋押捺拒否が報道されるや、脅迫の手紙や電話が実家に多数届いた。いつか後ろから刺されるかもしれない、と思うようになった。わたしのデビューコンサートで父は最前列に座り、右翼の襲撃があるかもしれないから、と言った。楽観的な私は、『彼ら』は遠くの人たちだ、と思うことにした。けれど最近、『彼ら』は決して亡霊でもなく、右翼だけでもなく、同じ共同体で生活する普通の隣人だった、と実感する。政治家、学者、学校、自治会、公共放送にも‥・戦争責任や君が代を問題にしようとすれば呼吸できない空間がせまる。『茶色の朝』は、このことだったのか。そして『彼ら』とは、誰なのか、その人脈が明らかになることをねがってやまない。」
崔さんは、このような視点から、植村隆さん(北星学園大学)とその家族への卑劣な「テロ」に怒り、植村隆さん支援を決意する。
さらに、耳を傾けるべきは、崔さんの実践から語られる、市民の側からの朝日への対応の在り方だ。
「これからも次々おそろしい統制が進むだろう。新聞と市民がもっと近づき応答しあわなければ、道はないのではないか。」というのがその基本姿勢。
崔さんは、最後をこう締めくくっている。
「『朝日新聞には、失望した』『大手新聞はもうだめだ』という声を、市民運動のなかでもよく耳にする。けれどもここで朝日新聞やメディアに失望したまま離れ、見離せば、結果的に朝日バッシングに加担することにもなり、わたしたちの言論の場が失われる。それこそが、『彼ら』の積年のねらい、朝日新聞を『廃刊』に追いこみ、戦争責任も『慰安婦』問題も強制連行もすべてなかったことにするための戦略なのだ。『慰安婦』問題を語るのに、君が代問題を語るのに、いちいち相当な覚悟をしなければ、公の場で語れない。昭和天皇が亡くなったときのような空気が、暗雲のようにこの国を覆いつづける。いつになれば、おもうことを存分に誰にでも話し、心おきなく議論することができるのだろう。その日をねがってやまない。」
私も、まずは崔さんの側に立って、崔さんの言葉に耳を傾けたいと思う。そうすると、指摘されて始めて気付くことが見えてくる。
(2015年3月8日)
昨日(3月6日)、防衛庁設置法改正案が閣議決定され、同日国会上程された。その内容は、防衛省内の「文官統制」を廃止するというもの。ややわかりにくい。私も、先日の日民協の学習会で、小澤隆一さんや内藤功さんからこの問題を指摘されるまでよく飲み込めていなかった。
「文官統制」とは憲法原則でもなければ、世界共通の理念ではない。我が国独特の、防衛庁時代からの省(庁)内自衛隊コントロール・ルールだ。防衛省は、文官(背広組)と、幕僚監部(制服組)とから成っている。この関係は、従来文官が圧倒的に優位で、自衛隊側から見ると「背広にあごで使われていた」(毎日)ということのようだ。この文官優位のシステムが「文官統制」。文官優位には、制服組の不満がくすぶってきた。今回の法改正はこの不満を解消するためのものという。
文官統制の位置づけは、朝日が紹介している1970年4月の佐藤栄作発言が分かり易い。
「自衛隊のシビリアンコントロールは、国会の統制、内閣の統制、防衛庁内部の文官統制、国防会議の統制による四つの面から構成される制度として確立されている」
また、政府が2008年にまとめた報告書でも、日本独特のあり方として、「防衛庁内部部局が自衛隊組織の細部に至るまで介入することが、文民統制の中心的要素とされてきた」と認めていた(朝日)。
自衛隊に対するシビリアンコントロール(=文民統制)を防衛庁(省)のレベルで担保するものとしてきたのが「文官統制」で、これは自衛隊発足(1954年)後一環した保守政権の方針だった。この度の改正案は、これを撤廃しようというもの。防衛省内の文官優位は崩れ、背広組と制服組とは対等になる。具体的には、制服組は文官の監督や指示から離脱して、自衛隊の部隊運営については文官の承認なしに、直接防衛大臣を補佐することになる。機動的な隊の運用は文官を通さずにおこなわれることが通例になるのかも知れない。
言うまでもなく、軍とは取扱いのやっかいな危険物である。とりわけ戦前の皇軍は、文民統制を嫌ってしばしば暴発して、政党政治や議会制度を破壊し、さらには国家の存立を崩壊せしめた。その弊を除くためのシビリアンコントロール(文民統制)である。
もっとも日本国憲法は軍隊の存在を想定していない。だから、憲法に文民統制の在り方が具体的に書き込まれてはいない。「自衛隊は違憲でない」「自衛隊は危険ではない」と力説しなければならない立場にあった自衛隊成立直後の政権は、自衛隊を厳重にシビリアンコントロールされているもので危険性のないものと説明しなければならなかった。その説明材料の一つが「防衛庁内における文官統制」であった。今、厳重なシビリアンコントロールを説明する必要はなくなったとして、文官統制をなくそうとしているのだ。
オリンピック誘致の時は、「放射能は、完全にコントロールされ、ブロックされています」と言わなければならないが、決まってしまえば知らん顔。あのやり口とよく似ている。
このような政策転換の際に政府の意図を読み取るには、産経社説を読むのが手っ取り早い。政府広報紙であり、政府の意図忖度広報紙でもあるのだから。
本日(3月7日)の産経社説は、「制服組と背広組 自衛隊の力生かす運用を」というもの。
「内局官僚が自衛官に指示・監督する「文官統制」の弊害を是正する措置が、ようやく取られることになった。」
これまでの文官優位のシビリアンコントロールを「弊害」と言うのが産経の立場。産経が「弊害」と言っているのだから、大切にしなければならない制度であることは当然である。
「政府は防衛相を補佐する上で防衛省の内局(背広組)と自衛隊の各幕僚監部(制服組)を対等に位置づける同省設置法改正案を閣議決定した。自衛隊の実際の部隊運用について、制服組のトップである統合幕僚長が防衛相を直接補佐する仕組みが整う。これまでは、部隊を動かす専門家ではない文官が、陸海空の自衛隊の運用などに指示・承認を行うことが認められていた。」
そもそもシビリアンコントロールとは、軍事専門家でない文官が軍を監督し統制することなのだ。軍を運営する効率よりも、その暴発を幾重にもチェックすることの方が重要だという考え方にもとづく。自衛隊トップの統合幕僚長といえども、内局に呼び出されて説明を要求されることが必要なのだ。
「法改正で、自衛隊が日本の平和と国民の安全をより実効的に守れるようになる意義は大きい。防衛出動はもとより、尖閣諸島や原発が襲われるなど、猶予なしに訪れるグレーゾーン事態にも対応できる。実現を急いでほしい。」
シビリアンコントロールを弱体化することを「自衛隊が日本の平和と国民の安全をより実効的に守れる」というのだから恐れ入る。防衛出動にも、慎重を要するグレーゾーン事態への対応にも、シビリアンコントロールを嫌う自衛隊の立場を代弁しているのだ。
「これまでの「文官統制」を評価する立場から、今回の見直しは文民統制を弱めるとの指摘もあるが、それはおかしい。有権者が選んだ政治家が、実力組織である自衛隊をコントロールし、政治が軍事に対する優位を保つ。文民しか就けない首相や防衛相が自衛隊を指揮監督し、国会は予算や法制面からチェックする。こうした原則は、法改正後もまったく変わらない。」
産経のいうことこそ、明らかにおかしい。「今回の見直しが文民統制を弱めるとの指摘」は否定しようもない。産経が言えるのは、「今回の防衛省設置法改正が実現した場合の『文官統制撤廃』は、文民統制を弱めるものではある。しかし、文官統制だけが文民統制のすべてではないのだから、文民統制がなくなったとは言えない」との範囲のこと。そうは言えても、「文民統制の中心的要素」とまで言われた、シビリアンコントロールの重要な制度を失うことの危険ははかり知れない。
産経のいうとおり、「防衛出動はもとより、尖閣諸島や原発が襲われるなど、猶予なしに訪れるグレーゾーン事態への対応」を急ぎたいことからの法改正案の提出である。産経が「実現を急いでほしい」と言っているのだから、集団的自衛権行使容認の動きと一体となった危険な改正案であることには疑いの余地がない。
しかも、強く警戒すべきは、「緊急を要する防衛出動やグレーゾーン事態への対応」のすべてに特定秘密保護法の、情報秘匿の網がかけられることである。
違憲なはずの自衛隊が、次第に大手を振って一人前の軍隊としての体裁を整えようとしている。今回の改正案上程も、その重要なステップの一つとして強く反対せざるを得ない。そして、自衛隊への運用に対するコントロールは何よりも国民の目でおこなわねばならない。
それにつけても、特定秘密保護法の罪の深さを嘆かざるを得ない。
(2015年3月7日)
曾野綾子という作家。普段は読んで不愉快にならぬよう避けて遠ざけている存在。しかし、今回は産経への彼女の寄稿が人種差別だとして批判が高まっている。無視してすますわけには行かないようだ。しかも、批判の先鞭をつけたのが南アの大使だというから、関心を持たざるを得ない。
曾野は、批判に反論している様子だが、その反論の仕方にも興味津々である。この代表的右派をもってしても、「差別して何が悪い」とは開き直れない。「私が人種差別主義者とは誤解だ」と弁明に努めざるを得ないのだ。
遅ればせながら、2月11日産経の話題のコラムを読んでみた。「曾野綾子の透明な歳月の光」と題する連載のコラムのようだ。この回の標題は「労働力不足と移民」。「『適度な距離』保ち受け入れを」という副題が付けられている。
一読して、「えっ? こりゃなんじゃ?」「これはひどい」という感想。およそ作家の文章としての香りも品格もエスプリもない。ただただ、内に秘めた差別意識を丸出しに表にしただけの代物。さすがに、産経の紙面に相応しいというべきか。
コラム前半の内容をこうまとめて、大きくは間違ってない。
「今、日本は若い世代の人口が減少し、若年労働力補充のために労働移民を受け入れざるをえない」「特に高齢者の介護のために、近隣国の若い女性たちに来てもらう必要がある」「その移民には、法的規制を守ってもらわなければならない」
この人の文章は、ひねりのない平板な内容なのに文意をつかみにくい。「移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らなければならない」という一文がある。うっかり、「日本人の雇い主に対して移民労働者の権利を守らせるよう制度を作れ」というのだと誤解してははならない。「条件を納得の上で出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである」と文章が続くのだ。「厳重に守るべき移民としての法的身分」とは、移民者の権利ではなく義務を指している。「法的身分を弁えてこれを守れ」と主張するのは、移民を受け入れる日本人の側なのだ。出稼ぎ労働者の虐待が問題になっているこの時代にナショナリストの面目躍如である。
さて、ここまでを前提として「外国人を理解するために、居住をともにするということは至難の業だ」と、話はいったんまとめられる。意味上は、これが結論。要するに、日本の老人の介護のために、近隣諸国の若い女性労働力を移民として受け入れざるを得ないが、「職は与えても、居住をともにして交流することはごめんだ」というのだ。これを差別という。
コラムの記事はこれで終わらない。唐突に、話題は南アに移る。「職は与えても、居住をともにして交流することはごめんだ」という結論の根拠を補充するためにである。
彼女は、ヨハネスブルグの一軒のマンションについて語る。アパルトヘイト政策の時代には白人だけが住んでいたマンションに黒人が住むようになった。彼らは買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。マンションの水の使用量が増えて水栓から水が出なくなり、白人は逃げ出して住み続けているのは黒人だけになった、
これをもって、曾野は結論を繰り返す。
「爾来、私は言っている。『人間は事業も仕事も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がよい』」
曾野の、嘘か真か検証のしようもないこの話に頷いた人があれば恥じるがよい。あなたも立派な差別主義者なのだから。
曾野が語っているのは、移民受け入れに伴う制度についてである。「労働力としての移民は受け入れざるをえないが居住は分離する」という制度についてなのだ。その制度の合理性の例証に、アパルトヘイト後の南アの「実例」を語って、居住を分離する必要を説いているのだ。
曾野のこの文章を読んで、なお曾野を差別主義者と言わないのは差別を容認する共犯者と言わねばならない。
曾野の主張はアパルトヘイトそのものである。本来、アパルトヘイトとは、差別という意味ではなく、「分離」という意味に過ぎない。「それぞれが多様な伝統や文化、言語を持っている。それぞれのグループが独自に寄り集まって発展するべきだ」「アパルトヘイトは差別ではなく、分離発展である」とされた。公民権運動が主敵とした「セパレート・バット・イコール」の思想と通底している。「けっして差別はしませんよ。あなた方にも同等の権利を与える。ただ、一緒には暮らさない。コミュニティは別にするだけ」という。この「分離」自体が「差別」なのだ。これでは永遠に宥和は訪れない。紛争と不安の火種が永続するだけ。
アパルトヘイトでは居住区を分離したうえで出稼ぎを認めた。曾野の発想とまったく同じである。曾野は明らかに出稼ぎ移民者の宗主国意識でものを語っている。近隣諸国が怒って当然。ダシににされた南アが怒って当然。日本人である私も、不愉快で腹が立つ。
(2015年3月6日)
上村達男さん(早稲田大学教授、会社法・金融商品取引法)は、NHK経営委員会の「良心」であり希望でもあった。委員長代行として重きをなし、存在感を示していた。すべてを過去形でしか語れないのは、同氏が2月末で退任したためである。
籾井勝人会長は、上村さんとは対照の存在。NHKの「反良心」である。心あるNHK関係者の目には、「NHKの面汚し」「NHKの恥さらし」とも見えよう。一人の人物が、一つの組織の評判をかくも貶めている実例は他にないのではなかろうか。
この度、NHKから「良心」が去り、「反良心」が居残った。上村さんに退任を望む声はなく、籾井会長には「辞任せよ」との声が国に満ちているにもかかわらず、である。これも時代の空気のなせるわざか。暗澹たる思いを禁じ得ない。
その上村さんが、朝日のインタビューに応じた。まさしく、良心の発露としての発言をしている。政府の姿勢におもねる籾井会長の姿勢を忌憚なく批判している。これは、多くの人に知ってもらいたく、要点を抜粋しておきたい。
「放送法はNHKの独立や政治的中立を定めています。しかし、就任会見時の『政府が右と言うことに対して左とは言えない』とか、従軍慰安婦問題について『正式に政府のスタンスがまだ見えない』といった最近の籾井会長の発言は、政府の姿勢におもねるもので、放送法に反します。放送法に反する見解を持った人物が会長を務めているということです」
「会長は『それは個人的見解だ』と言って、まだ訂正もしていませんが、放送法に反する意見が個人的見解というのは、会長の資格要件に反していると思います」
「(籾井会長を満場一致で選んだことは)確かに経営委に責任があります。ただ、籾井氏の経歴を見ると、一流商社である三井物産で副社長まで務め、海外経験も豊富な人物。数人の候補者がおり、籾井氏には異論が出なかった。20?30分の面接では、信条の問題まではわからない。『放送法を守ります』と繰り返していましたし」
「経営委の過半数が賛成すれば会長を罷免できます。少なくとも籾井会長を立派な会長だと思っている委員はほぼいないのではないか。ただ、就任会見直後ならともかく、今は罷免までしなくても事態を切り抜けられると考えている委員の方が多いとみています」
「私はずっと罷免すべきだと思っていた。ただ、罷免の動議をかけて、否決されると、籾井会長は『信任された』と思うでしょう。それでは逆効果になると考えました」
「経営委は専門性に乏しい12人の集まり。審議機関の理事会と情報に格差がある。しかも、会長は理事会の審議結果に拘束されないと理解されてきました。籾井会長には、びっくりするぐらい権力があることになっているんです」
「籾井会長が起こした最も大きな問題の一つは、NHKの予算案に、国会で与党だけが賛成するという状況を生み出したことです。視聴者には与党支持者も野党支持者もいるのだから、原則的に全会一致で承認されることに意味があった。NHKは時の政治状況に左右されてはならないのです。」
「NHKは多様な見方を提供して、日本の民主主義が成熟していくように貢献しなければならない。NHKの独立というのは強いものに対して発揮されるべきもの。弱いものに対しては『独立』とは言わないわけですから」
至極ごもっとも。まったく同感だ。このとおりなのだから、視聴者には受信料支払いの意欲がなくなって当然。少なくも、籾井会長在任中は受信料を停止したくなる。その空気を察してか、また本日(3月5日)籾井問題発言が重ねられた。
「NHKの籾井勝人会長は5日午前、衆院総務委員会に参考人として招かれ、『(受信料の支払いを)義務化できればすばらしい。法律で定めて頂ければありがたい』と発言した」(朝日)という。
これは悪い冗談だ。現行の受信料制度では、NHKは受信料確保のためには国民の批判を気にしなくてはならない。ところが本日の籾井発言は「NHKの評判が悪いから、姿勢をただそう」というのではない。正反対に、「国民の評判など気にすることなく、政府の姿勢におもねり続けることができるようにして欲しい」「いちいち国民の批判を気にかけずに、びっくりするような権力を持ち続けたい」という居直りの発言なのだ。
放送法64条(改正前は32条)は、テレビ受像器を設置した世帯に対して、NHKとの受信契約の締結を民事的に義務づけている。しかし、受信契約締結なければ支払いの義務はないし、もちろん不払いに刑事的な制裁は一切ない。NHKは、公共放送としての姿勢をただし視聴者である国民の信頼を勝ちうる努力をすることによって、国民が「われわれの公共放送を支えよう」として受信料を支払うことを期待されているのだ。
このことについては、市民運動の中心にある「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」のサイトをご覧いただきたい。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/
また、個人的には、友人である多菊和郎さんのサイトをお薦めする。彼は、NHKに奉職して、今はNHKの外から、NHKのていたらくを嘆いている。多菊さんも、生粋のNHKマンとしてNHKOB群の良心の一人。彼には、NHK受信料制度成り立ちの歴史とその性格についての本格的な論文がありホームページに掲載されている。かなりのボリュームのあるものだが、時間をかけても読むに値する。
多菊和郎のホームページ
http://home.a01.itscom.net/tagiku/
「受信料制度の始まり」
この論文で、彼は「NHKが十分に『視聴者に顔を向けた』放送局でなくなった」場合に視聴者が受信料支払いを拒否することを、「視聴者の『権利』のうちの『最後の手段』の行使」として肯定的に評価している。その場合、「受信料制度は破綻したのではなく,設計どおりに機能したと言えよう」という見解。まさしく今がそのときではないか。
(2015年3月5日)
「天網恢々疎にして漏らさず」という。天の網は一見疎のようであって誰の悪事をも見逃すことはない、というのだ。しかし、人の作った法の網は疎にしてダダ漏れのザルになっていることが少なくない。政治資金規正法はどうやらその典型らしい。
「脱法行為」とは、本来は民事法の分野の法律用語だが、外形や形式においては違法と言えないものの明らかに法の趣旨を僣脱する行為をいう一般語彙として定着している。政治家諸君、そしてその政治家に群がる企業の幹部諸君。大いにザルの目の粗さと、ザルに開いた穴を利用しておられる。
現内閣はザル政権の様相。安倍晋三を筆頭に、西川公也、望月義夫、上川陽子、林芳正、甘利明と続いた。これを、「法に抵触しない」「違法性はない」「知らなかったのだから問題がない」と言い逃れしようとするからタチが悪い。このような言い逃れに耳を貸したのでは主権者の名が廃る。脱法や言い逃れができないようにするにはどうすればよいか。ここが智恵の働かせどころ。
まずは、法の趣旨を正確に把握することが第一歩である。その、法のコンセプトの抜け穴を塞がなくてはならない。結論から言えば、法の趣旨は企業・団体の政治家個人への献金の一切禁止である。政治献金には、当然に見返り期待がつきまとう。魚心あれば水心と心得ての、献金する側される側。阿吽の呼吸で成りたっている。
営利を目的とする企業が、政権与党や規制緩和推進を掲げる政党に献金するのは、自らの利潤追求に裨益するからにほかならない。それが社会の常識というものだ。少なくとも、企業献金は政治が一部の企業の金で動かされているのではないかという、政治の中立公正性に対する社会の信頼を損なうことになる。そのような世論に押されて、法は形作りをしたのだ。
ところが、法はザルに大穴を開けた。安倍晋三以下、多くの政治家がこの穴を大いに活用している。企業から政治家に献金することは一切禁止となっているが、企業と政治家の間に「政党」を入れれば話はまったく変わってくる。企業から、「政党」への献金は最高額年間1億円までは可能で、「政党」から政治家個人への資金提供は青天井の無制限なのだ。
さすがに、これでは穴が大きすぎると、ほんの少しだけ穴の一部を塞ごうとしたのが、「寄附の質的制限」である。「国から補助金を受けた会社その他の法人は、政治活動に関する寄附をしてはならない(法23条の3)」というもの。補助金とは、税金が出所。税金をもらっている企業からの政治献金とは、税金の一部が迂回し還流して政治家の懐に入るということ。当たり前だが、そのようなことを許しては、世間の政治の廉潔性に対する信頼は地に落ちる、と考えてのこと。
もっとも、この規制にもいくつもの小穴が開けられている。「試験研究、調査又は災害復旧に係るものその他性質上利益を伴わないもの」をもらっている企業は。献金禁止からは除かれる。企業献金禁止期間は1年だけだし、政治家の側は「知らなかった」といえば処罰は免れる。「天網恢々」とは大違いの、ザルであり穴だらけの法網なのだ。
安倍はしきりに、「補助金を受けた企業だとは知らなかった」ことを強調し「だから問題ない」を繰り返している。お粗末な話だ。
法は政治家が作った。献金を受けた政治家の側は献金元企業が補助金を受領していたことを知らなければ処罰されないとしたのは、「政治家の側は調査が困難だから」とでも言いたいのだろう。しかし、それはおかしい。政治家たるもの、自分に献金する企業の動向くらいは把握していなければならない。
本日の朝日川柳欄に、次の句。
補助金の多さにむしろ眩暈(めまい)がし(朝広三猫子)
同感である。政治家の側は、献金企業は補助金をもらっている可能性が高いとして注意しなければならないのだ。
ばれなければもらい得、ばれたら知らなかったで済ませられる。これこそ究極のザル法というべきではないか。
報道によれば、安倍晋三は、
2012年には
宇部興産から50万円
協和発酵キリンから6万円
富士フイルムから100万円(パーティ券購入)
2013年には
宇部興産から50万円
電通から10万円
東西化学産業から12万円
などの違法献金を受領している。
宴席で、安倍と宇部との、こんなやり取りが想像される。
「お代官様、今年も山吹色のをお納めしておきました。あの一件よしなに願います」
「ういやつよのう。しかし、越後屋そちも悪よのう」
「いえいえ、お代官様ほどでは」
「ふふふふふ」
このような会話が現実にあるわけではなかろうが、補助金交付の可否について首相や閣僚が、陰に陽に影響を及ぼし得る以上、世間の疑惑は避けがたく、公正な政治への信頼は大きく損なわれることになる。
もっとも、政治の廉潔性にたいする信頼毀損は、何にも補助金受療企業の政治献金に限ったことではない。およそ、企業による政治家への献金がそのような性格を帯びたものにならざるを得ない。だから、政治資金規正法の大穴を全部塞ぐにしくはない。
今朝の各紙の社説が明確にその方向である。
東京新聞は「企業団体献金 全廃含め抜本見直しを」と標題して、
「そろそろ与野党は、企業・団体献金の全面禁止に向けて重い腰を上げるべきだ。企業・団体献金を残したまま、いくら規制を強化しても、抜け道が出てくるだけだ。直ちに全面禁止が難しいなら、当面は政党支部への献金を禁止して党本部に一本化し、段階的に全面禁止したらどうか。まずは決断することが重要だ。」
と明解である。
また、朝日も、「政治とカネ―企業献金のもとを断て」との見出しで、「そもそも企業・団体献金には、見返りを求めれば賄賂性を帯び、求めなければその目的を株主らから問われるという矛盾がある。こうした性格から生じる様々な問題を解消する根本的な対策は、やはり企業・団体献金を禁じることだ」と同旨。
毎日も、「補助金と献金 国会は規制強化に動け」と題して、「首相をはじめ、献金を受けた側が説明を尽くすのは当然だ。企業・団体献金そのものの是非の議論とともに、補助金交付企業の献金に早急に規制強化を講じる必要がある」と言っている。
これを機に、政治資金規正法は企業・団体献金の全面禁止を明確にする改正に踏み切るべきだ。そして、その際には、政治献金だけではなく、政治資金の融資についても、届出義務と上限規制を明確にすべきである。
言うまでもなく、昨春明らかになった、DHC吉田嘉明から渡辺喜美に対する巨額政治資金拠出の事実が問題を語っている。渡された金が全額「貸金」「融資」であったとしても、これを野放しにしてはならない。
政治資金規正法では、個人が政治家個人に金銭による寄付をすることは禁じられている。献金するなら政党に出せという趣旨なのだ。但し、金銭・有価証券以外の物品等による寄付であれば、年間150万円を限度として可能となっている。DHC吉田嘉明から渡辺喜美へ渡ったカネは明らかに政治資金である。しかも、ケタが違う8億円である。「これは融資だから禁止されてない。だから問題ない」というのは、明らかな脱法である。世間は、カネで政治が左右されると思うからである。政治の廉潔性に対する世人の信頼を損なうことにおいて献金と選ぶところがないからである。
この脱法を封じる法改正も不可欠である。
法網の目を密にし、脱法を許さず、政治がカネで歪められることのないようにするだけでなく、疑惑を断って政治の清潔さに対する信頼を確保すべき徹底した法改正の実現を期待したい。
(2015年3月4日)