(2022年8月27日)
本日午後、「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」の総会。
石原慎太郎都政下の悪名高い「10・23通達」発出以来、もうすぐ19年になる。石原慎太郎も今は鬼籍にある。思えば、なんと長い闘いを続けてきたものか。
この間いくつもの裁判を重ねて、今は処分取消の第5次訴訟を東京地裁で闘っている。今日の総会には、この間の闘いの中心にいた人々が集まった。憲法を大切に思い、教育の理念を曲げてはならないと自覚した人々である。
日の丸・君が代の捉え方は多様であり、運動参加者でもけっして一色ではない。だが、この旗と歌とが、かつての侵略戦争と残虐な加害責任の象徴であったことの認識は、共通のものだとは言えよう。朝鮮で、中国で、シンガポールで、ビルマで、仏領インドシナで、フィリピンで…。この旗と歌に鼓舞された天皇の軍隊が、暴虐の限りを尽くした。
週刊金曜日の最新(8月26日)号の巻頭に崔善愛さんが、「日の丸の加害責任」について書いている。全国平和教育シンポジウムでの栗原貞子の講演を引用してのもの。ちょうど50年前1972年の9月、日中国交回復のために田中角栄が北京を訪れた際の、「日の丸」に関するエピソードの紹介である。
「田中角栄訪中の北京空港で大日章旗が引きおろされる事件が起きた。一人の高齢女性が捕まった。彼女は涙もふかず訴えたと言う。
『国交回復は結構だが、あの日の丸だけは我慢できない。あの時、日本軍は夫を息子を娘を殺し、私は一人ぼっちとなった。それからの苦しみと悲しみは筆舌に尽くせない。どうか日の丸だけは……』と。
この憎しみはアジア諸国民の日の丸館の一つの典型ではないでしょうか
続けて栗原さんはこのように話した
〈マスコミ始め国民が侵略戦争のシンボルだった日の丸君が代の犯罪性に沈黙し、大勢に順応しているとき、平和教育の中でこのことを教えるのは困難であります。国民の精神的支柱として再び日の丸・君が代・教育勅語を復活させる一方で、被爆国をとなえ、原爆の悲惨を訴えても、「ああ広島」と世界の人々は共感してくれません〉
栗原貞子の思想を私は深く噛み締める」
富国強兵・尽忠報国をスローガンに侵略戦争に明け暮れた天皇制国家。その野蛮な国家と分かちがたく結びついた「日の丸・君が代」である。戦後、日本国憲法制定後もなお、加害者としての戦争責任の自覚なく、自らの手で戦争犯罪者を処罰することもなかった我が国であり、国民である。
本当に侵略戦争を反省し、我が国は生まれ変わったのだという主張をするなら、旧体制とあまりに深く結びついた「日の丸・君が代」を廃棄すべきであった。だが、これを捨てなかったことは、ことさらに「無反省」を誇示するものと受けとめられたであったろう。
その思いが、北京での戦争被害女性をして、『「日の丸」だけは許せない。あの戦争のとき、「日の丸」を掲げた日本の侵略軍は、戦闘員でもない夫を殺し、息子を殺し、娘を殺し、私は一人ぼっちとなった。それからの苦しみと悲しみは筆舌に尽くせない。私の人生の不幸は「日の丸」によってもたらされた。どうか「日の丸」だけは、私の見えるところに持ちこまないで……』と言わせたのだ。
「日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱せよ」という職務命令には服しがたいという教員は、この国に再び侵略戦争を起こさせてはならない。そのような兵士を育てる教育であってはならないと自覚した教員である。
そのような教員の良心が、鞭打たれていることを知っていただきたい。
(2022年8月26日)
安倍晋三氏の国葬に反対します。ぜひ、あなたも反対の声を。
私たちは、1969年に最高裁の司法修習生となった同期の仲間です。1971年に弁護士や裁判官となって以来今日までの50年余、一貫して日本国憲法の理念を大切なものとする立場で職業生活を送ってきました。
これまで、司法研修所卒業時の理不尽な同期生罷免と法曹資格回復の取り組みを振り返った「司法はこれでいいのか」の書籍出版を行ったり、気の合う仲間として忌憚なく話し合ってきましたが、初めての経験として、この仲間で意見をまとめて声明を出そうということになりました。
その内容は、現内閣が閣議決定によって9月27日に執り行うとしている安倍晋三氏の国葬に反対するというものです。
併せて多くの皆様に、それぞれの立場から、個人でもグループでも、「国葬反対」の声を上げていただくようお願いいたします。それぞれのご意見を、お手紙やビラやポスターにするか、メールやSNSやプログに掲載して、お知り合いにお伝えいただきたいのです。「安倍氏の国葬に反対する」という声が、全国到る所から湧き上がり響き合って大きな圧倒的世論となることが、戦争ではなく平和、独裁ではなく民主主義という声を力強いものとすることになると思うのです。それは安倍氏が進めてきた憲法破壊の政治と憲法改正の動きへの抵抗の力ともなります。
私たちが、「安倍氏の国葬に反対する」理由は、以下のとおりです。
記
1 安倍氏の国葬は、国民に弔意を強制するものとして許されない
国葬とは、全国民こぞって弔意を捧げるという意味づけの行事です。安倍氏国葬とは全国民にかわって国が同氏への弔意を表明することになります。国民一人ひとりが、国に束ねられて安倍氏への弔意を表明することにされてしまいます。全国民から徴収した税金を財源に費用を支出する点においても、全国民にこの儀式への参加を強制することにもなります。
安倍氏の国葬については現に、弔意の押し付けはごめんだという多くの人たちがいます。そして、そのような人々の意見や心情は、憲法上の権利(「思想・良心の自由の保障」憲法19条)として、尊重されなければなりません。私たちもまた、各々の思想・良心に基づいて、このような形での安倍氏への弔意の表明を拒否します。こうした意見を無視する安倍氏国葬の強行は、到底容認することができません。
2 安倍氏の国葬は、岸田内閣による政治利用として許されない
葬儀とは、死者を悼む人々が集う営みですから、本来私的なものであるべきです。同時に国葬そのものにも重大な問題があります。
安倍氏が衝撃的な亡くなり方をしたことによって、いま同氏への批判を口にしにくい雰囲気があります。岸田内閣が、これを奇貨として、安倍氏への批判を封じるために国葬を画策したとしか考えることができません。そのことは、ひとりの政治家の死を、現政権が政治的に利用しようとするもので、道義的政治的に許されないものです。
生前の安倍氏は首相として何を行ったでしょうか。教育基本法の「改正」、特定秘密保護法、共謀罪法、集団的自衛権行使を容認した「安保法制」諸法の強行採決は特に記憶に残るところです。権力に物言わせて、政治の私物化、ウソとごまかしの政治手法、行政情報の改竄隠蔽でも世を騒がし、モリ・カケ・サクラ・クロカワ・カワイ等々の不祥事を、不誠実な対応で未解決のままに放置した人物でもありました。戦後レジームの解消をとなえ、国家主義的・軍国主義的な政治姿勢が顕著であり、一面復古的な歴史修正主義者でもあり、他面新自由主義的な経済政策で格差貧困の社会を作った重い責任もあります。このような政治家について国葬を強行実施することに反対の声が広がりつつあることはごく自然なことと言わざるを得ません。
3 国葬は、法律の根拠を欠き財政民主主義に反するものとして許されない
国のあらゆる財政支出には国会の議決に基づく法的根拠が必要です。この点を憲法は、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない」(憲法83条)と財政民主主義の原則を宣言し、「国費を支出…するには、国会の議決に基くことを必要とする」(憲法85条)と具体化しています。国葬に国費を投じてよいとする法的根拠はどこにもありません。
戦前には、国葬令(勅令・1926年制定)が民間人の国葬の根拠となって、当然に国費の支出も可能とされていました。しかし、この勅令は日本国憲法に不適合なものとして「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力に関する法律」1条に基づき失効しています。その後、これを復活すべきとする議論はありません。
岸田首相は、内閣府設置法上の内閣の所掌事務として「国の儀式」にあたるとして、閣議決定があれば実施可能としています。しかし、国葬令が失効しているにも拘らず、そんな解釈を認めてしまえば、国会の議決を無視した閣議決定でなんでもできることになってしまいます。行政府に対する議会の統制を強化してきた歴史の流れを無視し、憲法の財政民主主義をないがしろにする「岸田流解釈」はとうてい通用するものではありません。
4 安倍氏の国葬は、旧統一教会による被害の拡大に手を貸すものとして許されない。
安倍氏銃撃事件はなぜ発生したのか。今、安倍氏本人と旧統一教会との深い関係が明らかにされつつあります。まだすべてが解明されたわけではありませんが、いま急ピッチでその全容が明らかになりつつあります。
少なくとも、祖父岸信介氏以来三代にわたる安倍氏と統一教会との緊密な関係が国民の目に印象深く刻まれました。また、巨額の悪徳商法被害を出し、信者家族の生活を破壊した旧統一教会に対して、安倍氏や他の少なからぬ自民党議員が支援者・庇護者として振る舞っていたことも強い印象を刻んでいます。安倍氏が国葬にふさわしい人物なのかどうかについてはこの点からも強い疑問を抱かざるを得ません。
安倍氏の国葬を強行すれば、今後の同氏と統一教会との関係、さらには自民党政治と統一教会とのつながりについての徹底解明を阻害することが危惧されます。
そして、名称をかえて現在もなお活動を続けている旧統一教会への追及そのものが放置され、そのことによって、さらなる国民への被害拡大につながることが強く懸念されます。
23期弁護士ネットワーク
本日記者会見をしてこの声明を発表した。当初は23期だけの声明のつもりだったが、「それだけではややさびしい。賛同者も加えて」との発案があって、少しにぎやかになった。合計賛同者は118名である。
※ この声明を出した趣旨は、「この声明に賛同してください」「この指止まれ」ではありません。私たちは、雑談仲間の雑談の中から、安倍国葬反対の声明を出すことにしました。今やだれもが発信のツールをもつ時代。そのツールを活用して、いろんなグループで、あるいは個人で、それぞれに「安倍国葬に反対」の意志表明をお願いしたいのです。反対理由は、けっしてみんな同じということはなく、それぞれのはずでしょう。それぞれの立場から、それぞれの切り口で、至るところから、多様な「安倍国葬反対」の声を上げていただくよう是非お願いします。
※ 国葬反対の理由には、国葬そのものに反対と安倍国葬だから反対の二派があります。もちろんその折衷派もあります。ちょうど、国旗国歌そのものの強制に反対という原理派と、日の丸・君が代という特定の歴史と結びついた旗や歌だから反対との二派があるのによく似ています。どちらも、原理的に、あるいは具体的に国家と個人との関係を浮き彫りにしています。
ご注意いただきたいのは、国葬に伴う黙祷や歌舞音曲停止という具体的な行為の強制を問題としているのではなく、国葬を行うということそれ自体が、国民に対する弔意の強制だということです。
※ もう一つ。「国葬は当たり前だ。やらなかったらばかだ」という政治家の発言がありました。私は、この種の発言を恐ろしいと思います。この国は、無謀な国策を止めることができません。理性的な民意を顧みて、立ち止まり振り返ることができないのです。戦争も、原発も、辺野古も、そして今始まった国防国家化も、「征きてし止まん」なのです。せめて、安倍国葬くらいは本当にやめてもらいたい。
(2022年8月25日)
日弁連は、「消費者法講義」(日本評論社刊)を発刊している。2004年10月に第1版を出し、現在は第5版(2018年10月)となっている。消費者委員会の然るべき執筆者が担当するもので、ロースクールの教科書にもなっていると聞く。
その第4版までには「宗教トラブルと消費者問題」の章が設けられていた。山口広弁護士が執筆し、これに私のコラムが付けられていた。コラムのタイトルは、「消費者事件の間口と奥行き」というもの。霊視商法弁護団を代表しての執筆であるが、今、あらためて統一教会の霊感商法に世の注目が集まっている。引用して紹介させていただく。
1989年10月31日、オウム真理教の幹部が横浜法律事務所を訪れた。「われわれには信教の自由がある」との言に対して、坂本堤弁護士は「人を不幸にする自由はあり得ない」と切り返している。その3日後、坂本弁護士は家族とともに非業の最期を遂げ、この言葉が彼の遺言となった。人を不幸にする「宗教」はオウムだけではない。「宗教」を金儲けの手段として、善男善女から金品を巻き上げ利をむさぼる輩はあとを絶たない。犯罪性を指摘されると、彼らが呪文のごとく唱えるのが「信教の自由」である。
その典型が霊視商法。真言宗の一派を名乗る宗教法人が大量にチラシを撒き、「3000円で特別の能力を持った霊能師が霊視鑑定をする」と集客する。霊視鑑定の結果、例外なく「水子の霊が憑いている」「種々の霊の崇りがある」ことになり、「この霊を供養しない限り不幸は去らない。さらに大きな不幸が来る」と除霊供養料250万円からの被害が始まる。東京都の消費生活センターが調査に乗り出したが、「信教の自由」の壁に阻まれた。「行政が宗教に介入するのか」「宗教弾圧だ」とまで言われたという。
「信仰の自由」「宗教活動の自由」は憲法上の崇高な理念である。しかし、宗教団体が国家権力と対峙する局面と、宗教団体が私人(消費者)と向かい合う局面とを明確に区別して論じないと、同種悪徳商法を野放しにすることとなる。
信教の自由はいささかも悪徳商法を許容するものではない。宗教の名による悪徳商法を糾弾し、消費者被害を救済するに際していささかの妥協も怯みもあってはならない。「人を不幸にする自由はない」は、信教の自由の限界を端的に表現した名言として記憶されねばならない。
組織的な加害に対しては、個別的な被害救済だけではとうてい対応し得ない。とりわけ、この種の大規模事件においては、被害の拡大阻止ないし根絶も受任弁護士の責務となる。弁護団を結成し、集団で多面的な対応が必要である。世論へのアピールも欠かせない。1992年に結成された霊視商法対策弁護団は、憲法問題にも踏み込みつつ、刑事告訴、損害賠償訴訟、破産申立て、宗教法人法上の解散命令申立てなど考えられる限りの法的手続きを行い、被害救済と被害拡大阻止の両面で成功を収めた。「消費者事件」の間口の広さと奥行きの深さを象徴する事件であった。
[澤藤統一郎(弁護士)]
(2022年8月24日)
2022年8月24日
〒106?0041 東京都港区麻布台2丁目1?1
駐日ロシア連邦大使館気付
ウラジーミル・プーチン大統領 殿
東京都文京区本郷
澤 藤 統一郎
本年2月24日、貴国の地上軍が国境を越えてウクライナに侵攻を開始してから、本日で6か月になりました。両国間の戦争に終結の兆しは見えていません。今、世界が抱える最大の憂慮が未解決のままと言わざるを得ません。
この半年の間に、ロシア・ウクライナ両国の人々のおびただしい血が流され、尊い命が失われました。人々の住む街が破壊され、故郷を追われた無数の人々が難民となって逃げまどうています。悲惨この上ない現状に、人々の心の中には、恐怖と絶望、憎悪と復讐の気持ちが渦巻いています。
私は、思います。この事態の責任は貴国にあります。なかんずく、貴殿にあります。人を殺し、建物を壊し、街を焼き、略奪をし、子どもたちの未来を奪い、婦女を辱め、多くの人を故郷から追い立て、飢餓に陥れた、野蛮な行為の責任です。文明に対する罪なのです。
それだけではなく、大量の核兵器を保有していることを誇示し、その使用を示唆して世界を脅していることについても、貴殿の責任はこの上なく大きいと指摘せざるを得ません。
戦争とは、殺人と強盗と詐欺と業務妨害と建造物破壊の集積です。侵攻した貴国が戦況優勢であるとすれば、貴国の兵士がウクライナの人々に数々の犯罪を積み重ねていることにほかなりません。また、ウクライナが戦況を押し戻すとは、貴国の若者が大量に死ぬということを意味します。人の血が流れれば、その家族の涙が溢れます。戦争が長引けば、人々の不幸も積み重なります。どちらかの勝利で決着すれば、敗戦国の被害が甚大となります。
私は思います。戦いを始めた貴殿には、この悲劇の連鎖をすみやかに終わらせる責任があります。そして、戦いを始めた貴殿であればこそ、戦いを終わらせることもできるのではありませんか。
このまま戦争が膠着して長引けば、悲劇はさらに積み重なります。貴国への国際的な非難はさらに高まり、貴国の権威は地に落ちることにもなります。貴殿の罪と、貴殿に対する怨嗟はさらに深いものとなり、後世の歴史はあなたに「悪人」の烙印を押すことにもなりかねません。
今、世界が望んでいることは、すみやかな停戦に向けての貴殿の決断です。停戦の実施に伴う具体的な手順は、国連の事務総長と安全保障理事会にお任せすればよいことと存じます。
一刻も早く、ウクライナに侵攻した貴国の軍を撤収していただき、両国間の平和を回復されるよう、心から要請いたします。それが、両国民と貴殿自身を救う唯一の方法であると確信いたします。
プーチン大統領に抗議・要請のハガキを出そう
ウクライナヘの侵略はやめよ。直ちに侵略軍の撤退を。
たとえば、次の一言でも。
☆国連憲章に違反するウクライナヘの侵略に抗議します。
☆どんな理由があっても、軍事侵略は許されません。
☆人を殺さないでください。人を殺させないでください。
☆戦争に反対する人を逮捕しないでください。
逮捕した人は釈放してください。
☆けっして核兵器を使わないでください。実戦にも脅しにも。
☆話し合いで解決する努力をしてください。
☆もうこれ以上、血を流さないでください。
☆直ちに、戦闘を停止してください。
☆直ちに、軍隊をロシアに返してください。
☆終戦処理を国連の安保理事会で話し合ってください。
☆このままでは、あなたがヒトラー。
☆絶対に核兵器を使ってはなりません。
☆あなたが始めた戦争です。あなたの責任で終わらせなさい。
☆侵略者ロシアはウクライナから撤退せよ
☆無法者プーチンよ恥を知れ
(2022年8月23日)
これまで、統一教会や勝共連合のホームページに何の関心ももたなかった。が、今は若干の関心がある。生前の安倍晋三や自民党とのつながりがどうだったのか、安倍国葬にどんな見解をもっているのか、そして、世を挙げての統一教会バッシングをどう考えているのかを知りたいからである。
統一教会のホームページでは、次の記事(2022年8月21日付)が目にとまった。
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報道機関各位
世界平和統一家庭連合広報部
【異常な過熱報道に対する注意喚起】
現在、民放のワイドショーや報道番組、新聞・週刊誌記事を中心として、世界平和統一家庭連合(以下、当法人)および友好団体等に対する異常ともいえる過熱報道が続いております。
(中略)
今後は、事実に反する報道や不当に当法人等を貶める報道に対しては、法的手段を講じて厳重に対処させていただく所存です。
以上
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そして、勝共連合のホームページには、2022.07.28付「思想新聞」(機関紙)の主張が掲載されている。「我々は『勝共』の使命を貫徹する」という、悲壮感漂う記事。勝共連合自らが安倍晋三との親密さを表白するものとして紹介に値する。以下はその抜粋、但し括弧内は私の註である。
安倍晋三元首相が銃弾に倒れた。令和4年7月8日、そのニュースが飛び込んでくると、ひたすら無事を祈ったが、安倍元首相は還らぬ人となった。遺憾にも凶悪犯は本連合の友好団体に恨みを持つ者で、その矛先を安倍元首相に向けたと報じられている。痛恨の極みである。安倍元首相は日本のみならず世界の「羅針盤」であった。その安倍元首相を失うことは世界史的損失である(勝共的な歴史観からは、安倍晋三とはかくも偉大で、その死を惜しむに値する人物なのだ)。心から哀悼の意を捧げたい。
今事件で本連合についてもメディアでさまざまな情報が飛び交っている。中には共産主義勢力による悪意に満ちた偽情報が少なからずある。改めて本連合の設立目的を明記しておきたい
本連合は政治資金規制法に基づく政治団体である(法の名称が間違い。「政治資金規正法」が正しい。こういう明らかな間違いは、少々恥ずかしい)。主義・主張は「勝共」すなわち「共産主義から人類を解放する」である。共産主義の解放に向けた思想啓蒙を主な使命としている。1968年に世界的宗教指導者の文鮮明師の提唱で笹川良一氏を名誉総裁、久保木修己氏を会長に創立された。
共産主義と戦う全ての人と連帯
共産主義は大学界、マスコミ界、労働界など各界に浸透し「70年安保決戦」を呼号していた。本連合は学生・青年会員を中心に、「共産主義は間違っている」と、大学内、街頭において果敢に思想戦を展開し、共産主義の正体を暴いた。爾来、共産党は「狂信とデマの勝共連合」と中傷し続けている。今日に至るまで我々は一貫して彼らの誤謬を知らしめており、それゆえに共産主義勢力から攻撃を受けるのは宿命と考える。(自らの積極的な理想や理念は語らない。ただひたすらに、「共産主義は間違っている」というだけの「主義・主張」。虚しくないのだろうか。)
自民党は立党宣言において「議会政治の大道を歩み、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力または思想を排撃し、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本条件となす」と唱っている。野党では民社党(当時)が「左右の全体主義と戦う」とし、主に労働界で共産主義と戦ってきた。愛国団体・有志もまた然りである。(自分の仲間は、自民党・野党右派・右翼だという。今なら、自民・維新・国民というあたりか)
こうした人士と連帯・連携して戦うのは当然のことである。本連合と関わる国会議員や有識者に対して非難中傷する向きがあるが、それこそ共産主義の分断工作と言わねばならない。(産経も読売も日本テレビまでもが、「共産主義の分断工作」に加担しているというわけだ)
本連合は創設以来、運動方針に「憲法改正を実現しよう」を掲げている。70年代に岸信介元首相は自民党立党の原点である自主憲法制定へ全国的な啓蒙運動を展開されていた。共産主義勢力は中国共産党やソ連の意図を汲み日本弱体化を狙って護憲を唱えた。改憲は戦後日本の悲願であり、それなくして真の独立国たり得ない。本連合は同運動に参画し今日に至る。(改憲願望こそが、自民党と統一教会・勝共連合とを結ぶ、切るに切れない赤い糸なのだ)
未曽有の危機に備える国民運動
89年11月に「ベルリンの壁」が崩壊し、東欧は共産主義の呪縛から脱し、91年にはソ連邦が解体し東西冷戦が終焉した。それに代わって今日、共産中国が台頭し台湾のみならずわが国への軍事侵攻を虎視眈々と狙っている。北朝鮮の核・ミサイル脅威も迫る。ウクライナ軍事侵攻のロシアも日本列島への野望を高める。未曽有の危機である。(自民党の現状認識と瓜二つ)
これに対して本連合は「防衛力強化、スパイ防止法制定などを通して我が国の安全保障体制を確立する」を運動方針に掲げ、国民運動に取り組んでいる。国内では文化共産主義勢力が国家の基盤たる家庭や伝統、文化を破壊しようと策動している。同性婚合法化や行き過ぎた「LGBT」人権運動はその一端である。本連合はそれらに歯止めを掛け、「正しい結婚観・家族観」を求めている。(反共とは、「文化共産主義」への反対も含む。要するに、「なんでも共産主義のせい」「あれもこれも共産党が悪い」という珍説。)
こうした勝共国民運動が安倍元首相の希求した「日本を取り戻す」の一助になれば幸甚である。我々は勝共の使命を貫徹する決意を安倍元首相の御霊前に捧げる。
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記事に説得力は乏しいが、安倍晋三に対する敬意や、親近感や、弔意は伝わってくる。もしかしたら、勝共の諸君は、安倍晋三に対する宗教的な尊崇や畏敬の念を抱いていたのではないだろうか。そんなことを感じさせるほど、安倍晋三と勝共とは親密であったのだ。
(2022年8月22日)
統一教会の正式名称は、「世界基督教統一神霊協会(Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity)」であった。現在は改称して、「世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)」となっている。
旧名称には、「基督教」「神霊」という宗教団体らしい単語があったが、新名称にそれらしいものは一切なく、「宗」「教」「神」「霊」の一字すらない。新旧名称の共通単語は、「世界」と「統一」だけで、新名称には「平和」と「家庭」が入った。新名称での略称は「家庭連合」とされている。
新旧の名称上の変化は、何よりも「家庭」の強調である。英文では、トップに「Family」。統一教会はこれが布教に有益で、かつ、彼らの政治主張にも適合的と考えたのだ。その思想は、自民党主流ないし右派と通底するものである。
2012年4月に公表された「自民党改憲草案」では、日本国憲法24条に、次の1項を書き加えるものとなっている。自民党は、24条をいじりたい。憲法に「家族」のあり方を盛り込みたくてしょうがないのだ。
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」
「個人」と「国家」との間には、いくつもの中間組織が重層的に存在する。そのうち個人に最も近いものが「家族」であって、強権国家・全体主義国家は、常に家族・家庭を通じての個人支配に虎視眈々なのだ。
家族ないし家庭を国家統制の手段として利用することに熱心だったのは、戦前の天皇制国家だった。これは、儒教的伝統の「家」の活用でもあった。復古主義的自民党右派が、最も郷愁を覚えるのが、「民族の文化・伝統としての家族秩序」なのだ。端的に言えば、家父長制的「家」の復活への願望である。
私の手許に、早川 タダノリ(編著)の「まぼろしの『日本的家族』」(青弓社ライブラリー・2018年)がある。これが、なかなかの優れもの。
「右派やバックラッシュ勢力は、なぜ家族モデルを「捏造・創造」して幻想的な家族を追い求めるのか。家族像の歴史的な変遷、官製婚活、結婚と国籍、税制や教育に通底する家族像、憲法24条改悪など、伝統的家族を追い求める事例を検証する」と問題意識が語られている。一口に言えば、「改憲潮流が想定する『伝統的家族像』は、男女の役割を固定化して国家の基礎単位として家族を位置づけるものである」ということ。私流に翻訳すれば「全体主義国家は、家族を通じて個人を抑圧する」のだ。その典型が近代天皇制における「家」のあり方にほかならない。
この書は、7人の著者による7章からなり、それぞれに面白い。
第1章 「日本的家族」のまぼろし 早川タダノリ
第2章 右派の「二十四条」「家族」言説を読む 能川元一
第3章 バックラッシュと官製婚活の連続性― 斉藤正美
第4章 税制と教育をつなぐもの 堀内京子
第5章 家庭教育への国家介入の近代史をたどる 奥村典子
第6章 在日コリアンと日本人の見えにくい「国際」結婚の半世紀 りむ よんみ
第7章 憲法二十四条改悪と「家族」のゆくえ 角田由紀子
私は、とりわけ第5章を興味深く読み、知らないことを教えられた。
全国民のマインドコントロールに熱心だった文部省教学局が、1937年に「國體の本義」を、1941年に「臣民の道」を発刊したことは良く知られている。実は、これに続いて44年4月刊行予定の「家の本義」の編集に手を染めていたが、戦局悪化のためにこの計画は潰えたという。
常識的に、天皇制国家は「家族国家観」を基礎として成立した。家庭内の秩序を国家大に拡大したイデオロギーである。道徳の基礎としてまず家庭内の秩序の形成と受容を求める。教育勅語の徳目羅列は、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」から始まっている。臣民に対する教化の根幹は、「家を思い親に対する孝心を養え。その孝心を忠君愛国の精神に昇華せよ」というものである。
ところが、未刊に終わった「家の本義」のイデオロギーはこれとは違うのだという。「真に家を思ふのであれば、家を忘れなければならない」「生まれた子どもは『我が子』ではなく、『陛下の赤子』である」「親の務めは『陛下の赤子』を天皇の盾へと育てあげること」と説くものなのだそうだ。「家」あっての「御国」という悠長なことを言っておられなくなり、天皇と国家への戦闘要員の供給源としての「家」を露骨に説くものとなったのだ。
全体主義国家の家族観として、行き着くところを示したものと言うべきであろう。自民党の復古主義家族観の恐さを示して余りある。これと呼応するがごとき、《私たち統一教会は、家庭を中心として国家救援、世界救援を主張しているのです》という、統一教会の家庭の捉え方も恐ろしい。「反人権・親国家」のイデオロギーとしての「家族」「家庭」「家」、いずれもとうてい受容し得ない。
(2022年8月21日)
統一教会とは、宗教団体でもあり、政治団体でもあり、反社会的な財産収奪組織でもある。この各側面が三位一体化した存在なのだが、その中心は飽くまで宗教団体性にあると言ってよい。
この宗教団体が宗教法人として認証を受けるに際して作成した「規則」(会社の定款に相当)には、その目的がこう書かれている。
規則第3条(目的)「この法人は、天宙の創造神を主神として、聖書原理解説の教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を強化育成する為の財務及び業務並びに事業を行う事を目的とする。」
「天宙」も、「創造神」「主神」「聖書原理」も外部の者にはさっぱり理解不能であるが、「何らかの宗教教義」を広める目的を有していることは分かる。そして、その説くところが「宗教」であることに間違いはなかろう。
マニュアル化されたシステムを活用して信者を獲得するところがこの組織の活動における始動点である。だから、この信者獲得のための勧誘活動を違法であるとする民事訴訟と判決が決定的に重要なのだ。けっして宗教活動の自由は万能ではない。
教団は、入信させた信者の人格を支配して、多額の献金をさせ布教活動に参加させるだけでない。霊感商法や献金勧誘活動に稼働させて他者から教団への財産収奪の手駒とする。こうして、莫大な経済的利益を上げて財政基盤を築く。この人的・財政的基盤あればこそ、政治的な活動が可能となり、政党活動に影響を及ぼす力量をもつのだ。
この宗教が特異なのは、「反共」という政治理念・政治行動と密接に結びついていることである。この教会の教祖が、岸信介や笹川良一などの右翼と語らって勝共連合を結成した。今でも、教会の幹部が勝共連合の幹部を兼ねている。そして、注目すべきは、「反共」とならぶもう一つの政治スローガンが、「家庭」であることだ。これは、反ジェンダー、反フェミニズム、反個人主義を意味する。自民党保守派ないしは右翼政治家と相性が良すぎて、切っても切れない関係にあるわけだ。
勝共連合のホームページを覗いてみると、「反共」「改憲」「家族」というスローガンが躍っている。たとえば、次のように。
《国際勝共連合の50年の歩みは、内外の共産主義との熾烈な思想戦そのものです。国際勝共連合の提唱者・文鮮明総裁は、常々「共産主義は間違っている」「世界から共産主義者が1人もいなくなるまで勝共の旗を降ろさない」と語ってこられました。国際共産主義(ソ連中心)に勝利宣言をした当連合ですが、なお残存する共産国(中国や北朝鮮など)の解放に向けた言論活動、そして国内おける日本共産党等の共産主義勢力、及び、文化共産主義(家族など伝統基盤破壊)との更なる闘いを継続しています。》
《日本共産党は資本主義を根底から否定します
彼らの綱領には、「社会主義・共産主義の社会」を目指すと書かれています。これは資本主義を根底から否定するもので、憲法29条に反しています。彼らの目的は憲法を改正しなければ絶対に果たせません。「憲法守れ」というのは偽りです。》
《そして何より、彼らは「国家権力そのものが不必要になる社会」を目指しています。つまり、日本という「国家」の存在そのものを否定しているのです。日本共産党は、日本を倒すことを究極的な目的とする政党なのです。》
《憲法改正をあきらめてはいけない!
『勝共UNITEと憲法改正?若者たちによる改憲運動?》
とりわけ、留意すべきは、統一教会ホームページの次の姿勢。
《今までの宗教は、個人圏を目標としたのであって、家庭圏を目標とした宗教はありませんでした。いかなる宗教も個人救援を唱えていたのであって、そこには家庭救援や氏族救援、また国家救援という言葉はありませんでした。私たち統一教会は、家庭を中心として国家救援、世界救援を主張しているのです。》
《さあ、『世界平和統一家庭連合』と、一度言ってみてください。その中心は何かというと、家庭です》
安倍晋三の目から統一教会の政治的側面を眺めれば、「カルト的情熱に支えられた反共・改憲」集団以外のなにものでもない。支援団体としてこの上なくありがたい存在。そして、個人ではなく家族の強調は、安倍と安倍を取り巻く復古主義的右翼の主張そのものである。これが、ジェンダー平等を妨げ、選択的夫婦別姓の実現を阻止し、LGBTに非寛容の潮流を形作っている。正確な規模は分からぬまでも、この反社会的勢力が安倍ないし安倍的なものへの力強い支援勢力なのだ。
(2022年8月20日)
キシダだよ。「聞くだけ」が得意技の日本国首相さ。私の耳は、生まれつき指向性が強いんだ。党内派閥から漏れ来るささやき声はよく聞こえるが、庶民の叫びは聞くフリしてるだけ。聞こえてはいるんだが、得意の「聞くだけ」。それでも、安倍晋三よりはずっとマシだろう。
それにしても問題山積だ。溜息が出るね。世は安倍国葬反対一色じゃないか。それに、統一教会と自民党との癒着糾弾だ。本音を言えば、これ魔女狩りじゃないのか。それを自民党政治本質の表れとされていて反論できないから、困るんだ。加えて、物価高。おさまらないコロナ禍。東京五輪汚職。原水禁問題も、戦没者追悼の式辞も悪評この上ない。全てが裏目だ。
選挙で勝ったことと、夏季休暇のゴルフは楽しかったな。いつまでも気楽に過ごせたらいいのに、どうしてこんなことになっちゃったんだ。国葬決めたときはうまくやったと思ったが、あれがケチの付き始めだった。統一教会問題が出てきたから、先手を打って「疑惑一掃内閣」への改造人事をやった。ところが、これが却って失敗、火に油を注ぐ結果となってしまった。あ?あ、もっと野党や庶民の声も聞いておけばよかったんだ。
こういうときは何もかもうまく行かない。野党は、「安倍国葬反対」集会で勢いづき、「臨時国会を開いて審議をすべきだ」なんて鼻息が荒い。山添議員は調子に乗って「(岸田首相の)聞く力はどこにいったのでしょうか。みんなで声を上げて国会を開かせましょう」なんて言ったそうだが、いま国会開いていいことないだろう。ここは慎重に構えなければならない。
野党議員が、憲法53条に基づいての臨時国会の召集要求があったのは、一昨日(8月18日)だ。立憲・共産・国民・れいわ・有志の会・社民の6党・会派によるもの。衆院議員では126人の連名。参議院では77名。「臨時国会召集は、憲法53条に基づくもので非常に重い」「山積する諸問題に、総理の説明が必要だ」と言われると、その通りなのだから頭が痛い。
ともかく問題を先送りして、なんとか国葬を終えてしまえば、世の中の空気も変わるだろうと思うのだが、これがうまく行かない。国葬実施の責任者・首相補佐官の森昌文にスキャンダル発覚だ。彼は、各省庁の担当官僚を束ねる「葬儀実行幹事会の主席幹事」というトップの立場。昨日(8月19日)の『NEWSポストセブン』は、この国葬責任者である森が、過去に乱交パーティへ参加していたと報じた。
かつて、「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件が世を騒がせた。大蔵省の監督下にある金融機関が大蔵官僚の接待に、歌舞伎町のいかがわしい店を使っていたのだ。これが1998年のこと。森昌文(当時国交省官僚)の事件は2007年6月のことだという。15年前のこの事件が、今になって大きく報じられることとなった。当時も報道はあったようだが、彼の名前は出なかったという。それが、地中に埋まった地雷のように、今爆発というわけだ。安倍国葬呪われているとしか言いようがない。
この記事のとおりなら確かにひどい。「森氏は、当時参院議員だった大仁田厚氏主催の乱倫パーティに参加していた。会には複数のAV女優とキャバクラ嬢、コンパニオンなどの女性7人と、森氏、大仁田氏を含む男性3人が参加。大仁田氏がAV女優の一人に『2人を遊ばせてやって』と伝えると、森氏は女性と個室に消えていったと報じられている。その後も、女性陣の服を脱がせようと男性陣で『脱げ! 脱げ! 脱げ!』と煽り立てるなど、乱痴気騒ぎを繰り広げていたという」「森氏は、同誌の直撃に対し、『参加はしましたけど、乱痴気な会合ではない』『なぜ女性が脱いだのか、私が解釈することじゃない』などと話しているとも伝えられた。」
こんな反響も報じられているのか。
《こういう人物が日本の総理大臣を補佐してるんだな…。そして国葬の責任者としてふさわしいと、考えられているんだな…》《国の恥でしょ》
《あ?あ今度は破廉恥か 官邸や大臣やまともなのがいない》
《安倍国葬と破廉恥国葬担当者、お似合いの取り合わせでは》
山積した問題の第一が、安倍晋三の国葬問題に逆風が吹いていることだ。この風、しばらく吹きやみそうにない。もっと強くなれば、私の政権を吹き飛ばしかねない。これは、安倍晋三の不徳の至すところなのか、それとも国葬を決めた私の不徳なのだろうか。
愚痴を言ってもおられない。頼みは、世論の風向きを変えることだ。だれか、その役を引き受けてくれないだろうか。こんなときに役立つだろうと普段引き立てている御用学者諸君よ、なんとかならないか。常々、寿司を食わせ、会食を共にしてニュースのネタをくれてやっている御用ジャーナリストの諸君、今こそ恩返しのときではないかね。そして、いつも反共と親権力をウリにしている御用評論家の諸兄姉よ、よろしくよろしくお願いしたい。
(2022年8月19日)
「『DHCスラップ訴訟』ースラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」の発刊以来半月余。私は、この書を多くの人に読んでいただきたいと思っている。
この本の中にも書いたが、スラップを仕掛けて「黙れ」と言った人物を、私はけっして許さない。この決意は、一面私怨であり、一面公憤でもある。私怨は語るまでもない。「おまえの言論は違法だ」「だから6000万円支払え」と提訴されたのだ。とんでもない手間暇を掛けさせられた。しかも、恫喝すれば黙るだろうと見くびられたことの不愉快さ。怨みが消えるはずもない。この私怨の深さがエネルギーの源泉だ。
もう一つは公憤だ。私の怒りは憲法の怒りでもある。「表現の自由」という美しい、大切な旗を汚されたことへの憤り。カネを持て余している輩が、カネに擦り寄る連中を手駒にして仕掛けてきた、「DHCスラップ訴訟」。この憲法的価値への挑戦には徹底して反撃しないわけにはいかない。幸い、この公憤の側面に多くの仲間が共感してくれた。
弁護士が被告にされたスラップである。スラップに対する闘いの典型を作らねばならない。最初は、《スラップに成功体験をさせてはならない》と思った。そして今は、《DHC・吉田嘉明には典型的な失敗体験をさせなければならない》と思うようになっている。
私は、スラップを仕掛けられて跳ね返した。DHC・吉田嘉明の私に対する6000万円請求訴訟は一審判決で全部棄却され、控訴審で控訴棄却となり、最高裁はDHC・吉田嘉明の上告受理申立を不受理とした。しかし、それでは足りない。
その後、攻守ところを変えて、今度は私が原告となって、DHC・吉田嘉明を被告とする損害賠償請求訴訟を提起した。これも最高裁までの争いとなったが、165万円の認容判決が確定した。少なくとも、DHC・吉田嘉明のスラップを違法とする判決を獲得し、カネを払わせた。しかし、それでもなお、十分ではない。
DHC・吉田嘉明に《徹底した失敗体験》をさせるとは、骨身に沁みて、「こんなスラップ訴訟をやるんじゃなかった」「もうこりごりだ。今後2度とスラップはするもんじゃない」と思わせなければならない。そのためには、裁判の経過を多くの人に知ってもらわなければならない。DHC・吉田嘉明とその代理人弁護士がどんなみっともない訴訟をしたのか、裁判所がどう判断したのか。そして、そのことの法的な意味はどんなものなのか。それをこの本に盛り込んだ。この本を普及することが、《わが闘争》の現段階である。
献本差し上げた方からの暑中見舞い・残暑見舞いの中のこの本の感想が面白い。私と妻のことを知っている人は、口を揃えて「東京高裁松の廊下事件」のくだりが一番面白い、とおっしゃる。それは、そうかも知れない。が、私が最もお読みいただきたいのは別のところである。以下は、その一節の抜き書き。
?それでも逃げた吉田嘉明の卑怯
2019年4月19日の東京地裁415号法廷。この日は、DHCスラップ「反撃」訴訟の証人尋問の日であった。本来なら、この日が訴訟の山場。緊張感みなぎる法廷になったはず、であった。が、いかんせん盛り上がりに欠けた。傍聴席は満席ではあったが、ピリッとしないままに開廷し尋問が進行し閉廷した。
何しろ、法廷にいなければならないこの日の主役が不在だった。主役で敵役でもある吉田嘉明には、この日の本人尋問採用決定があり、裁判所から正式の呼出状が送達されている。にもかかわらず吉田は出廷を拒否した。逃げたのだ、敵に後ろを見せて。
古来、ひとかどの武者が戦場で敵に背中を見せるのは武門末代の恥とされた。矜持をもつ者の美学に反するのだ。一ノ谷の戦場では、劣勢の平家方の若武者平敦盛が、坂東武者熊谷直実から「よき大将軍。卑怯にも敵に背を向けるか! 戻れ、戻れ!」と声をかけられて引き返し、一騎打ちとなる。逃げないから絵になる。物語にもなる。そして、逃げなかったからこそ、敦盛が後世にその名を残すことにもなった。「卑怯者、敵に後ろを見せるのか」と言われながら、吉田嘉明の如くに黙ってとっとと逃げてしまうのでは、白けるばかりである。
私は、吉田嘉明との法廷での対決を期待もし、闘志を燃やしてもきた。自分から仕掛けた訴訟を、「勝訴の見込みのないスラップだ」と言われて、反論を放棄するとは思わなかった。何度も、卑怯者、逃げるのか、と挑発もした。それでも敵前逃亡した吉田嘉明には、拍子抜けでがっかりし、この日の法廷は面白くなかった。しかし、これで勝訴は間違いないとも思った。
吉田の尋問を申請したのは、反訴原告(澤藤)側である。吉田でなければ、スラップ提訴の動機は語れない。なぜ、ほかならぬ私を選んで提訴したのか。私の批判が耳に痛いから、これ以上ブログを書くなと脅したのではないか。どうして、言論で闘おうとしなかったのか。どうして短絡的にスラップに飛びついたのか。本当に勝訴の見込みあると考えていたのか。勝訴の見込みの有無について、誰から何を聞かされて、どう判断したのか。もしや、顧問弁護士から、勝訴の見込みがあるとでも吹き込まれたというのか。その経緯を法廷で語れ。スラップにいったい幾ら金をかけたのか。なぜ2000万円の提訴をし、なぜ6000万円に増額したのか、なぜそれ以上の増額はしなかったのか。本人でなくては語りようがないではないか。
裁判所もそう思ったから、本人尋問採用の決定をし、呼び出した。それでも彼は来なかった。これは、「証明妨害」に当たる。出廷拒否というやり方で、自分に不都合な証拠が裁判所に提出されることを妨害したのだ。
裁判所がはっきりと「証明妨害」の認定をするかどうかはともかく、これなら吉田が裁判に勝つことは絶対にない。だいたい、この吉田の姿勢は真面目に訴訟をし、勝訴のために努力しようというものではない。考えて見れば、スラップの提訴以来、DHC・吉田嘉明の姿勢は一貫していた。提訴や請求の拡張で、被告を恫喝はするのだが、そのあとに勝訴のための地道な努力をすることはなかった。
DHCスラップ訴訟 スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利
著者名:澤藤統一郎
出版社名:日本評論社
発行年月:2022年07月30日
≪内容情報≫
批判封じと威圧のためにDHCから名誉毀損で訴えられた弁護士が表現の自由のために闘い、完全勝訴するまでの経緯を克明に語る。
【目次】
はじめに
第1章 ある日私は被告になった
1 えっ? 私が被告?
2 裁判の準備はひと仕事
3 スラップ批判のブログを開始
4 第一回の法廷で
5 えっ? 六〇〇〇万円を支払えだと?
6 「DHCスラップ訴訟」審理の争点
7 関連スラップでみごとな負けっぷりのDHC
8 DHCスラップ訴訟での勝訴判決
9 消化試合となった控訴審
10 勝算なきDHCの上告受理申立て
【第1章解説】
DHCスラップ訴訟の争点と獲得した判決の評価 光前幸一
第2章 そして私は原告になった
1 今度は「反撃」訴訟……なのだが
2 えっ? また私が被告に?
3 「反撃」訴訟が始まった
4 今度も早かった控訴審の審理
5 感動的な控訴審「秋吉判決」のスラップ違法論
【第2章解説】
DHCスラップ「反撃」訴訟の争点と獲得判決の意義 光前幸一
第3章 DHCスラップ訴訟から見えてきたもの
1 スラップの害悪
2 スラップと「政治とカネ」
3 スラップと消費者問題
4 DHCスラップ関連訴訟一〇件の顛末
5 積み残した課題
6 スラップをなくすために
【第3章解説】
スラップ訴訟の現状と今後 光前幸一
あとがき
資料(主なスラップ事例・参考資料等)
https://nippyo.co.jp/shop/book/8842.html
(2022年8月18日)
「『DHCスラップ訴訟』ースラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」の発刊以来2週間余。評判も売れ行きも、まだよく分からない。
この訴訟遂行にご支援いただいた方々へ献本したところ、その読後の反響がそろそろ届く時期になった。「読み易くて面白い」という評判に気を良くしている。お世辞半分としても、まずまずの手応え。10部まとめての追加注文をいただいた方も、何人かある。まことにありがたいこと。
メールで届いた感想のいくつかをご紹介させていただく。
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躍動感のある語り、法廷闘争の位置づけ、光前先生の解説など、実に工夫され充実した闘いを記した著作物で一気に読み終えました。
酷暑の中にさわやかな風が吹き通っていった感じです。
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素晴らしい本の贈呈有り難うございます。
被告として、そして原告として、果敢に闘われたこと、心から敬意を表します。訴訟の代理人ではなく訴訟の当事者として闘われたことに、大変なご苦労をされたことと推察します。
先生は、そうしたご苦労を微塵もみせず、人権と民主主義の前進をめざして明るくたたかわれたことに、感動すら覚えます。スラップ訴訟、私も先生の心意気に触発され勉強したいと思います。
ご健康にご留意されながら今後のご活躍を祈念します。
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一気に読んでしまいました。スラップ訴訟の、被告に与える苦痛、世の中にもたらす害悪、それによって守ろうとする業者の不法な利益が、とてもよく伝わってきました。
スラップ訴訟に対しては、単に棄却を求めるだけでなく、何らかの反撃がなければスラップはなくならないであろうこともよく分かりました。不買運動、激しく同意します。
今後の課題として、スラップ訴訟に対する応訴負担についての賠償責任を十分なものとすることもおっしゃるとおりと思います。その意味で、応訴の弁護士費用50万円を認めたことは、とても重要で意味のある判決と思います。
ネット社会の中で、この本の存在意義はますます増していくものと思います。この本を頂いたことへのささやかなお礼として、広く宣伝したいと思います。
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訴訟の詳細を十分に理解してはおりませんでしたので、一読者として読み物として楽しませていただきました。
初めて原告・被告という当事者の立場になられた澤藤先生のお立場で、訴状が届いてから反撃訴訟での勝訴が確定するまでの経過が、とても迫真的に記録されていて、あっという間に読み進みました。
澤藤先生の文章は、いつも読むのが楽しみでしたが、今回も澤藤先生の表現豊かな文章を楽しませていただいました。
裁判を、経済力のある者が、表現行為を封じ込める恫喝として利用するというスラップ訴訟に対し、反撃訴訟で、要件の厳しい濫訴の違法性が確実に認められたことは、とても貴重な成果だと認識を新たにしました。
この書籍の発刊も、今後のこのようなスラップ訴訟の抑止に寄与するものと思っており、書籍作成に尽力された澤藤先生、弁護団の先生に敬意を表します。
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拝見して,スラップ恫喝訴訟との闘いの意義,その方法は何か,それについての実例を通して,光前先生の的確な解説を含めて,教科書とも言うべき著作だと思いました。そして,「自由・民主主義・平和,そして反権力・反権威」を「身体の組成」とする先生の信念にもとづく熱い本で,その訴える力も大きなものでした。権利のための闘争がすべての市民にとって倫理的義務であり,ひいては民主国家の法秩序を守る正義の戦いであるという「権利のための闘争」ということを思い出します。
この本が広く読まれて,スラップとの闘い,表現の自由,権力者に対する批判が萎縮することのないことを期待するところ大です。
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不当な圧力に屈せず戦い抜く、というのは言うのは簡単です。
でも実行するのは大変。
特に攻撃の対象その人は、自分が負けるわけにいかないから本当に大変。
私が被告になったら、闘い切れるかしらと思います。
6年8カ月の長いあいだ、本当にご苦労さまでした。
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帯に書かれた「ある日突然に民事訴訟の被告になった」という一言に、“被告になるのはたいてい「突然」なのでは?”と最初は思いました。しかし読み進めると、ほんとうに異常な突然の脅しがあったとことに驚きました。
私がスラップという用語に接するようになったのは、TPP反対運動を通してだったと思います。
旧モンサントなどの多国籍企業が、自らのすすめる戦略に従わない農家に対してスラップを乱発するというような話でした。
海外での話だという印象が強かったのですが、いただいた著作を読み、これほど身近に迫っているものかと驚きました。
「表現の自由」についての考え方は、相手を傷つけることに慎重な若い世代ほど判断に迷うことが多いようにこの間に感じています。この点、「フランス人権宣言第四条の古典的な定義は、この局面では不正確」という指摘は腑に落ちるものがありました。
さまざまな事件がおこる中で、私は「吉田・渡辺ワイロ事件」のその後については気にも留めずにすごしていました。結果として、これほど巨額のワイロを当事者が公言しスラップまで乱発したにもかかわらず吉田・渡辺が娑婆で過ごしていることに改めて驚きと怒りを感じました。
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DHCという企業の体質については、私の周辺では、この何年かは、ワイロ事件よりもヘイトクライムの点が話題になっていたように思います。
私自身、食の安全や農業・健康という分野に携わる運動にかかわっていますが、DHCや旧モンサント、武富士などが共通してスラップという形をとることに背筋凍る思いがします。
いずれも消費者運動にかかわる分野にスラップが向けられるというのは、構造的な問題があるのでしょうか。
社会運動全体としては「対『政治』」が多く、そこに様々な弾圧が加えられるのでしょうが、こと消費者運動は「対『企業』」であることからスラップの標的になりやすいということになるのかという印象を持ちました。
そういう意味で、本書で示された中身が、非常に身近に感じられました。
貴重な著作をいただきありがとうございました。
また折に触れて読み返すことになることかと思います。
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DHCスラップ訴訟 スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利
著者名:澤藤統一郎
出版社名:日本評論社
発行年月:2022年07月30日
≪内容情報≫
批判封じと威圧のためにDHCから名誉毀損で訴えられた弁護士が表現の自由のために闘い、完全勝訴するまでの経緯を克明に語る。
【目次】
はじめに
第1章 ある日私は被告になった
1 えっ? 私が被告?
2 裁判の準備はひと仕事
3 スラップ批判のブログを開始
4 第一回の法廷で
5 えっ? 六〇〇〇万円を支払えだと?
6 「DHCスラップ訴訟」審理の争点
7 関連スラップでみごとな負けっぷりのDHC
8 DHCスラップ訴訟での勝訴判決
9 消化試合となった控訴審
10 勝算なきDHCの上告受理申立て
【第1章解説】
DHCスラップ訴訟の争点と獲得した判決の評価 光前幸一
第2章 そして私は原告になった
1 今度は「反撃」訴訟……なのだが
2 えっ? また私が被告に?
3 「反撃」訴訟が始まった
4 今度も早かった控訴審の審理
5 感動的な控訴審「秋吉判決」のスラップ違法論
【第2章解説】
DHCスラップ「反撃」訴訟の争点と獲得判決の意義 光前幸一
第3章 DHCスラップ訴訟から見えてきたもの
1 スラップの害悪
2 スラップと「政治とカネ」
3 スラップと消費者問題
4 DHCスラップ関連訴訟一〇件の顛末
5 積み残した課題
6 スラップをなくすために
【第3章解説】
スラップ訴訟の現状と今後 光前幸一
あとがき
資料(主なスラップ事例・参考資料等)
DHCスラップ訴訟|日本評論社 (nippyo.co.jp)