澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「有識者」ではなく、「曲学阿世の徒」だ

昨日(13日)の毎日・万能川柳に次の句が。

  安倍総理(おやぶん)に好かれた人が有識者 (別府・タッポンZ)

まことに言い得て妙ではないか。

安保法制懇の正式名称は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」。名称には「有識者懇談会」と銘打ってはいないのだが、「懇談会は、別紙に掲げる有識者により構成し、内閣総理大臣が開催する」とされているからには、このメンバー14人はいずれも「有識者」なのだ。もちろん、すべて安倍総理(おやぶん)に好かれた人だけ。安倍総理(おやぶん)の、安倍総理(おやぶん)による、安倍総理(おやぶん)のための私的懇談会。初めから、結論が見えすいている。こんな懇談会のメンバーに指名されて、露骨に安倍総理(おやぶん)にゴマをする人たちを、「有識者」といえるだろうか。

有識者という言葉は、いつころから定着しているのか興味はあるが分からない。かつて、売春防止法制定の際の審議会において、恒例では「学識経験者」を委員に充てるところを、さすがに「経験者」は不都合として、この法律についてだけは「学識者」としたと聞いたことがある。この頃から、学識者を有識者に置き換えたのだろうか。

有識の「識」とは、ものごとの是非善悪を見分ける能力のことといって良いだろう。知識、弁識、識別の識であり、学識、見識、良識、博識、鑑識、識者の識である。おやぶんに取り入って、右顧左眄する人物は到底有識者に値しない。

その「有識者」14人が、明日(15日)安倍総理(おやぶん)に報告書を奉る。当然に、安倍総理(おやぶん)の意に沿った形の集団的自衛権行使容認への解釈変更を可能とするもの。朝日は、その全文を入手済みとして概要を既に報道している。また、この報告を受けて、安倍は記者会見の用意を調えている。出来レースの形づくり。

本日(14日)朝日夕刊の「素粒子欄」。寸鉄人をさす切れ味。
「縛りから解き放たれて、思うがままに武力を使いたい。首相腹心が作った報告書。想像の大国への情念があふれ。」「まず『限定した事例』からスタートし、間口を広げ。ある日気づいたら、憲法は葬られ。そう『ナチスの手口』。」

予想のとおりではあるが、「小さく産んで大きく育てよう」との意図がありあり。どんなに厳格に限定された集団的自衛権の行使といえども、原則を破って容認に踏み出すことが途方もなく重大なことなのだ。「この程度なら」と許容するようなことがあってはならない。

「我が国の外交・安全保障・防衛を巡る状況は大きく変化しており、…我が国の平和と安全を維持し、地域及び国際社会の平和と安定を実現していく上では、従来の憲法解釈では十分に対応できない状況に立ち至っている」「我が国が本当に必要最小限度の範囲として個別的自衛権だけで国民の生存を守り国家の存立を全うすることができるのか」このあたりがポイントのようだ。

ここに露わにされているのは、事情が変われば憲法の解釈は当然に変えてしかるべきだという考え方。それも、時の政権の手によってである。憲法が定める改正手続など経ることなく、政府が必要と考えれば、遠慮なく憲法解釈を変えなさいという、傲慢安倍総理(おやぶん)に奉る、憲法軽視、主権者無視の報告内容と言わねばならない。

おやぶんに知恵を付けているところがあるとすれば、これまでは常識的に理解されていた「自衛のための最小限度の実力」の範囲を拡大することによって、集団的自衛権の一部を取り込むことができる。そうすれば、「違憲論を突破できる(かも知れない)」としたことくらいか。

自国が現実に攻撃を受けた場合に、他に方法がなければ、相当の範囲で反撃をすることが「自衛」の名の下に許されうる、という個別的自衛権の論理は理解不可能ではない。そのような意味での自衛権を行使するための最小限の実力をもつことは憲法上許されるとしてきたのが、これまでの政府解釈である。「最小限度」は当然に自国が攻撃を受けた場合に限られ、他国が攻撃を受けたときにまで及ぶとは考えの及ぶところではなかった。

普通の神経ではできないことを、「遠慮することはない」「やればできる」と安倍総理(おやぶん)を焚きつける14人。これは有識者ではなく、正確に曲学阿世の徒というべきだろう。
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(2014年5月14日)

教育委員会の「事実上の解体」を許してはならない

本日は、地方教育行政法改悪に反対する声明についての文科省記者クラブでの会見。やや長いタイトルだが、「首長や国の権限を強め、教育への政治的支配を強化する地方教育行政法『改正』への反対声明」。タイトルから声明の内容を察してもらえるだろう。

同期の児玉勇二弁護士の奮闘で、昨日までに162名の「賛同呼びかけ人」が集まった。著名な教育学者や教育法学者、子どもの権利やいじめ問題に携わってきた弁護士や、活動家が名を連ねている。今、衆院で審議の地教行法改正案を、百害あって一利なしとして、廃案を求めるもの。

声明は第1?4のパラグラフからなる。

第1パラグラフでは、安倍政権のいう「戦後レジーム」とは、日本国憲法と準憲法としての教育基本法が形づくる基本理念にほかならず、「戦後レジームから脱却しての教育再生」とは、日本国憲法と教育基本法を頂点とする戦後教育法体系への全面攻撃であることを指摘している。

第2パラグラフは、今国会に上程されている地教行法「改正」案が、事実上教育委員会制度の解体を目論むものとして容認し得ないとするもの。教育委員会制度は、戦後教育法体系の中にあって、政治や権力の直接介入から教育の自主性を擁護するための中心をなす制度のひとつである。安倍政権の教育委員会解体は、教育に対する権力支配・政治支配を貫徹することを目的とするもの。

第3パラグラフが、いじめ問題を論じて長文になっている。教育委員会不要論は、大津市のいじめ自殺事件を発端にしている。いじめに関する調査事実の隠蔽を画策する教育委員会と、事実の開示を求める市長という対立構造が描き出され、教育委員会を不要とする世論の素地をつくった。これを意識して、いじめを撲滅するためにも、教育委員会解体をしてはならないとする主張である。
声明は、大津市の第三者調査委員会の報告書の次の部分を引用している。
 「それでは(『教育委員会』の)存在意義がないのかという問いには否と答えなければならない。本来委員には生徒の権利を保障するために当該地域の教育について積極的に意見を述べ役割を果たすという職責があるはずであるが、これまでの長い経過の中でそうした職責を十分に果たすことができない状況に置かれるようになった。」「今重要なことは、教育長以下の事務局の独走をチェックすることであり、その一翼を担う存在としての教育委員の存在は決して小さいものではない。」「ここで重要な問題は、こうした本来の教育委員会の活動を復活するためにどのような委員各自の行動や施策が必要かということである。」
この考え方は、本声明の基調に通じるもの。
 
また声明は、次のとおり指摘している。
「過去の多くのいじめ事件において、いじめが無いものと隠蔽され、その陰で多くの子どもたちが犠牲となってきた事実を真摯に見つめなければならない。隠蔽の多くは、教育委員会事務局と首長とが一体となってのものであって、教育委員が主導してのものではない。首長に権限を集中し、教育長の権限を強化すれば、歯止めが失われて隠ぺいの可能性はむしろ増大する。この隠ぺい体質を無くすことこそが真の改革の課題と言わなければならないが、そのためには、見識と能力を有する教育委員の選任制度を確立し、教育委員会の独立性を高めて、教育長への指揮監督を強める権限の強化こそがあるべき方向でなければなない。法案は改革の方向を完全に誤っていると言わざるを得ない。」
この部分が、本声明の白眉である。

そして、第4パラグラフでは、現行の制度下において、公権力や地方政治の支配・介入に抗して教育委員会本来の役割を果たしている典型例を挙げている。今、行うべきはこのような教育委員会本来の趣旨や理念を再生させる工夫であって、教育委員会解体ではないことを述べて、政府提出案の廃案を求めている。

全体として、いじめ事件の調査資料の公開に教育委員会が消極的だとして、いじめ事件の防止が教育委員会制度「改正」の口実にされていることへの怒りが基調となっている。まず、隠蔽は必ずしも「委員」の責任ではなく、教育委員会事務局の責任であることの指摘が重要である。そして、事態の改善のためには、教育委員会の権限を強化することと、教育委員の人選宜しきを得ることが必要である。いじめ事件への対応を口実に、教育委員会を解体して政治や権力の教育への介入を許してはならない。それは、安倍政権にとっての「教育の再生」ではあっても、実は戦前教育復活の悪夢なのだから。
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(2014年5月13日)

憲法会議との「和解」成立のご報告

本日、私と憲法会議との間に「和解」が成立した。私と憲法会議との間に紛争が継続していることを心配してくださる方もいらっしゃるので、経過をご報告しておきたい。

午後4時半、憲法会議の平井正事務局長と対席した。同氏から「一連の対応でご迷惑をお掛けしました。申し訳ありませんでした」との発言があり、私はこれを受けて陳謝の意の表明を評価して「了解しました」と応答した。

同じ席で、平井さんから私に、憲法会議の機関誌である「月刊憲法運動」7月号への靖国問題についての寄稿の依頼があり、私がこれを受諾した。これで、私と憲法会議との間のトラブルに関して「和解」の運びとなった。

なお、「和解」を斡旋した仲介役の弁護士が立ち会い、場の雰囲気がとげとげしくならぬよう巧みに配慮していただいた。

私にとっては、「宇都宮君おやめなさい」問題から派生した異なる次元での看過し得ない問題。看過し得ないとはいえ、「憲法改悪阻止・憲法理念を社会に生かす」ことにおいては、共通する立ち場。できることなら、関係を修復したいのは当然のこと。今日、それが実現したことを素直に喜びたい。そして、お骨折りいただいた方、心配しながらも励ましていただいた方に感謝申し上げたい。

「和解」を必要とした紛争の経過についての詳細は繰り返さないが、私から憲法会議への最後の通知となった下記の部分だけを再掲しておきたい。

「貴信には、貴会が憲法の理念を擁護することを使命とする運動体でありながら、自らが憲法理念を蹂躙したことへの心の痛みや反省を感じ取ることができません。
 また、私の憲法上の権利を侵害したことへの謝罪の言葉もありません。むしろ、『8000円の送付で問題解決』と言いたげな文面を残念に思います。私は、国家権力だけではなく、私的な企業や団体における憲法理念の遵守が大切だと思ってまいりました。本件は、その問題の象徴的な事例だと捉えています。
 繰り返しますが、貴誌への掲載論稿は岩手靖国訴訟に関わるものであって、宇都宮君批判の論稿ではなかったのです。貴会は周囲を説得して、私の表現の自由を擁護すべきだったのです。私は、貴会に反省していただきたいという気持を持ち続けます。この問題はけっして終わっていないことをご確認ください。」

私の問題意識が一貫して以上のとおりなのだから、今回の陳謝の内容についての私の理解は「憲法の理念を擁護することを使命とする運動体自らが、個人の憲法上の権利を侵害したことに対する陳謝」というものである。

もっとも、和解に際しての陳謝文言は予め合意ができていた。「一連の対応でご迷惑をお掛けしました」という内容を、具体的にギリギリ詰めたりはしていない。それでも、陳謝することの痛みは察することができた。痛みを伴うことではあっても、陳謝のうえ和解に至ったのは、憲法会議が自浄能力を備えた真っ当な組織であったからだ。「過ちては即ち改むるにはばかることなかれ」とは誰もが知る言葉だが、陳謝を伴うともなれば、「行うは難い」こと。それをしたことは評価に値する。

3月上旬に開催された憲法会議総会の席で、「澤藤問題」が話題になり、その議論にかなりの時間を費やしたという。そのとき、「憲法会議の発展を願う立ち場から」「憲法会議は問題解決のために誠意をもって澤藤と話し合うべきだ」「それこそが、憲法の理念を守ろうという憲法会議のあるべき姿ではないか」という、強い意見が述べられたという。発言は一人だけでなく、何人もの意見になったとも聞いている。その結果、事務局長が「事態の収拾をはかる」と誓約したとのことだ。

この組織では、メンバーに自由な発言の権利が保障されている。民主的な討論の結果が組織の意思となって実行に移されている。執行部批判の発言が無視されることなく、執行部に陳謝までしての行動の是正をさせている。さすがというべきではないか。事務局長は、そのような会員の声を受けて、憲法会議に参加している弁護士を仲介役に私と接触して、今日の和解に漕ぎつけたのだ。

総会での発言をリードされたのは、私とはまったく面識のない方。「澤藤を擁護する」のではなく、憲法運動団体としての在り方に鑑みて筋を通さねばならないとの思いからの発言であったのだろう。世の中には、稀にこのような方がいる。私だけではなく、憲法会議も、そのような方がいたことを幸運とした。お骨折りいただいた仲介役の弁護士の人柄にも恵まれた。

組織の中にきちんと「筋を通す」人たちがいることの大切さを思う。そして、組織の執行部に、会員の声に耳を傾ける姿勢があることも。私もこのような人の姿勢に学んで、どこにいてもきちんと筋を通す人にならねばと思う。そして、人の意見には謙虚に耳を傾けようとも思う。とりわけ、何らかの権限をもつ立ち場になった場合には。

なお、紛争の経過や内容を知りたい方は、下記3件のブログをご覧ください。
http://article9.jp/wordpress/?p=1926
宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその26(2014年1月15日)
http://article9.jp/wordpress/?p=1936
宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその28(2014年1月17日)
http://article9.jp/wordpress/?p=1987
「憲法を暮らしに生かす」ことの意味(2014年1月24日)
(2014年5月12日)

半藤一利・保阪正康両氏の危機感を真剣に受けとめよう

本日、知人から5月5日付「岩手日報」の切り抜きをいただいた。「現論」というコラムに、半藤一利の気合いの入った論稿が掲載されている。タイトルは、「集団的自衛権と総動員法」、副題が「危うい『国防』の野心」である。

国家総動員法は第1次近衛内閣によって、1938年2月第73帝国議会に法案として提出され、3月16日に無修正で可決。5月5日に施行されている。その国会審議の過程で、有名な「黙れ」事件が起きている。

衆議院・国家総動員法委員会において「黙れ!」と叫んだのは、陸軍省の説明員として出席していた佐藤賢了。当時陸軍中佐で軍務課員だった。法案の精神や個人的な信念を滔々と演説した佐藤に「やめさせろ」「やめろ」と野次が飛んだ。そのとき、政府の説明員に過ぎない佐藤が、国会議員に対して「黙れ!」と怒鳴りつけたのだ。軍人の傲慢極まれりという象徴的事件として語られる。

戦後、半藤は、その佐藤賢了をインタビューしたことがあるという。佐藤は、次のようにまくし立てたそうだ。
「いいか、国防に任ずる者は、たえず 強靱な備えのない平和というものはない と考えておる。そんな備えなき平和なんてもんは幻想にすぎん。いいか、その備えを固めるためにはあの総動員法が必要であったのだ」

半藤は述懐する。
「この元軍人には反省という言葉はないと、そのとき思った。そして勝海舟の言葉『忠義の士というものがあって、国をつぶすのだ』とつぶやいたことであった。」

そして、半藤は、今をこう見ているという。
「いま、政治の場での、憲法解釈変更の集団的自衛権行使論議をみていると、奇妙なほど佐藤賢了氏の壮語が想起されてくる」「『国防に任ずる』人たちは、いつの時代でも『いまそこにある危機』型の議論をひたすら強調し、とにかく戦争のできる『正常な大国』にしたがっているようである」「国家総動員法の成立が国家滅亡の一里塚となったような危険を、集団的自衛権はこの国にもたらす。そんな予感が消せないでいる。」

この記事に目を通して、5月10日付毎日の「保阪正康の昭和史のかたち」を思い出した。こちらのタイトルは、[閣議決定による集団的自衛権容認]「統帥権干犯論法復活を憂う」というもの。大意は、以下のとおりである。

「『統帥権の独立』は、明治憲法には明記されていないが、この語が昭和前期を軍事主導体制一色に染めたことは否定できない」「統帥権を手にした軍部は、やりたい放題、国民の生命と財産の保全なんか二の次であった」「太平洋戦争に至る道筋は、この語によって政治家も官僚も政策の進展をなにひとつ具体的に知らされていなかった」「憲法が、昭和のある時期から、こうした不明朗な語を用いることで権力構造を歪めてしまったのはなぜだったのか。私たちは今この事実と向き合う必要がある」

なぜ今、統帥権干犯論争と向き合う必要があるのか。保坂は、今を昭和前期の過去になぞらえる。
「安倍内閣は、この轍を踏もうとしている」「安倍内閣の閣議決定が憲法よりも上位に位置し、それを主権者の国民には知らせない『特定秘密』にするという時代を私は恐れるのである」

半藤も保坂も、保守陣営の人という印象が強い。その両人がそろって、戦前の歴史と比較した安倍政権の危うさを、ここまで深刻に語っている。「今そこにある危機」についての警告。

半藤は、集団的自衛権行使論議が行われる時代の状況を、国家総動員法の時代を想起させるものという。総動員法成立の後3年で、日本は太平洋戦争に突入している。
保坂は、「解釈改憲+特定秘密保護法≒統帥権干犯論」という定式を掲げている。なるほど、憲法がないがしろにされるときは、戦争が近づいているときなのだ。
昭和史研究者の貴重な警告を、真剣に受けとめねばならないと思う。
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(2014年5月11日)

高村正彦さん、卑怯な振る舞いはおやめなさい

本日の東京新聞は、集団的自衛権問題に関する記事が満載。論旨明快で読み応え十分。この新聞にこそ講読部数の伸びを期待したい。

一面トップが、「安保法制懇 空白3ヵ月」「報告時期 政権の意のまま」という大見出し。来週火曜日(5月13日)に提出とされている同懇談会の集団的自衛権容認提言について、「政治情勢に配慮し、安倍政権の都合に合わせて提出時期をずらしてきた」「諮問会議がもつべき客観性や第三者の視点は見えない」「議論は初めから容認ありきだった」「政権の意向を実現するための『舞台装置』としての役割が大きい」と、遠慮なく真実をついて手厳しい。

関連記事として、3面「核心」欄に、国民投票法改正案の衆院通過について「改憲手続きのみ先行」の記事。「『18歳成人・選挙権』棚上げ」だけでなく、他の課題についても先送りされている事情が手際よく解説されている。

24・25面が看板の「こちら特報部」、今日は集団的自衛権についての「『密接国』の見方」。米・韓は、日本の集団的自衛権行使容認論をどう見ているか、に迫っている。米での歓迎勢力は武器商人だけだ、オバマ政権はリップサービスで「歓迎」とまでは言ったが決して「必要」とは言っていないことに注意せよ、という論調。また、韓国は、朝鮮半島有事で日本とともに集団的自衛権行使を望むどころか、自衛隊の軍事活動の拡大には拒否感・警戒感が強い、という当然の指摘。

特報部の「デスクメモ」が、次のように呟いている。本質を衝く鋭さをもっている。
「憲法9条により、集団的自衛権は行使できない。どんなに解釈を変更してもできないものはできない、というのが歴代政権の姿勢だ。安倍政権は『変更』というが、『逸脱』にほかならない。改憲できないからといってあまりにひどいごまかし。本当に必要なら堂々と改憲を議論したらいい」

さらに、27面(社会面)に、砂川事件の元弁護団員が、「砂川判決 政府援用に抗議」「集団的自衛権と無関係」と、声明発表の報道記事。

この件は、他紙も報道している。
赤旗は、次の記事。
「旧米軍立川基地(東京都)の拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして起訴された砂川事件(1957年)にかかわった弁護士らが9日、都内で記者会見し、自民党の高村正彦副総裁らが唱える砂川事件最高裁判決を援用した集団的自衛権の行使容認論について「牽強付会の強弁に過ぎない」と厳しく批判した声明を発表しました。
 会見したのは砂川事件弁護団の内藤功氏、新井章氏、山本博氏、神谷咸吉郎氏ら。声明は首相の諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が、集団的自衛権の行使を容認する報告書を提出する前に取りまとめたものです。
 このなかでは、裁判の「主要な争点」は日米安保条約に基づく米軍駐留の憲法9条適否であって、わが国固有の自衛権問題ではなかったことなど、砂川事件最高裁判決のとらえ方を説き、集団的自衛権行使の可否について判断も示唆も示していないと指摘しています。
 会見で弁護士らは「国民世論を惑わそうとしているとしか評価できない言説」(新井氏)などと厳しく批判しました。弁護士らは声明を各政党に届け、自民党の高村副総裁にも面会を求めたいとしています。」

朝日は、
「安倍政権が集団的自衛権の行使を容認する根拠として、1959年の砂川事件の最高裁判決を引用していることについて、当時の弁護団が9日、都内で記者会見し、『砂川判決は集団的自衛権について判断を示しておらず、断固として抗議する』との声明を出した。
 砂川判決は「自衛権」について、「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置」と定義。この部分について、自民党の高村正彦副総裁は「判決は必要最小限の集団的自衛権を排除していない」として、行使容認の根拠になるとの見方を示している。
 この日の声明には、当時の弁護団276人のうち21人が賛同。裁判の争点について「日米安全保障条約に基づく米軍駐留の合憲性であり、わが国固有の自衛権の問題ではなかった」と指摘した。判決が定義した「自衛権」についても、「わが国をめぐる『個別的自衛権』の問題であり、集団的自衛権の問題では全くない」と訴えている。
 声明文を起案した新井章弁護士(83)は「事件の当事者として、裁判で何が判断されたのか多くの人に知ってほしい」と訴えた。弁護団は今後、各政党に声明文を送り、高村副総裁に面会を求めるという。」

東京も同内容だが、自民・高村副総裁の「反論不必要という『反論』」が記事になっている。タイトルは「否定された主張 反論の必要ない」。記事の核心は、高村氏の「弁護団の主張は全面的に砂川判決で否定された。そういう人たちがなんと言っているかあまり興味がない」という発言。

そりゃおかしいよ。高村さん。
自分に都合のよいようにつまみ食いの発言をしておいて、批判されたら論戦は避けて、「あまり興味がない」ですか。元弁護団の皆さんの抗議の声明は、当時の法廷での弁護団主張を展開しているわけじゃない。この刑事裁判において、何が問題となって、最高裁がどんな文脈で何を語ったのかだけを問題にしていることが明らかではありませんか。弁護団が最高裁判決に異論あることは当然として、今問題になっているのは、「判決で否定された弁護団の主張の当否」ではない。砂川事件最高裁判決が、何を言ったのかを正確に読み解こうと言っているのではありませんか。

高村さん、論戦を仕掛けたのはあなただ。反論されて、尻尾を巻いて逃げてはいけない。面会を求められたら、あなたには、これに応じる義務がある。堂々と公開の場で論争しなければならない。「興味ない」なんて、言い訳は卑怯千万。あなたが言い出したことが、本当で正しいのか、それともごまかしのインチキに過ぎないのか、ことは憲法の解釈に関わる重大問題。たとえ、あなたに興味が無くとも、既に国民は大きな興味を抱いているのですよ。
(2014年5月10日)

道徳教育の教科化に反対する

小中学校における道徳教育の教科化がはかられようとしている。「文部科学省は、近く中央教育審議会に諮問し、2018年度にも実施の見通し」などと報道され、「道徳科」検定教科書の導入も既定の方針のごとく語られている。安倍政権の教育政策の柱のひとつとして危険極まりなく、看過しえない。

「道徳」には、上から目線の胡散臭さがつきまとう。そのような役割を果たしてきたからだ。人類が社会を形成して以来、支配被支配の関係が途絶えることはなかった。支配者は暴力で支配を確立し、宗教的権威で支配を確実化しようと試みた。時代が下ってからは、経済力による支配の比重が大きくなっている。そして、安定した支配の手段として、被支配層にその時代の支配の秩序を積極的に承認するよう「道徳」が求められてきた。

社会的支配の手段としての道徳とは、被支配者層の精神に植えつけられた、その時代の支配の仕組みを承認し受容する積極姿勢のことだ。内面化された支配の秩序への積極的服従の姿勢といってもよい。支配への抵抗や、権力への猜疑、個の権利主張など、秩序の攪乱要因が道徳となることはない。道徳とは、ひたすらに、奴隷として安住せよ、臣下として忠誠を尽くせ、臣民として陛下の思し召しに感謝せよ、お国のために立派に死ね、文句をいわずに会社のために働け、という支配の秩序維持の容認を内容とするのだ。

本家の中国に「王土王臣」思想というものがあった。詩経に「溥天の下王土に非ざるは莫く、率土の濱王臣に非ざるは莫し」とあるそうだ。要するに、「広大無辺のこの地のすべてが帝王のものであり、その地の人々のすべてが帝王の臣なのだ」という、王と王の支配に加担する者たちが勝手に作りあげたご都合主義の「思想」。この強者の押しつけが、被支配者に積極的に受容されれば、「道徳」となる。儒家とは、そのような道徳の主たる宣伝者であった。「君君足らずとも、臣臣たれ」と、自虐的にバカ殿にも忠義を尽くせとまで説いたのだ。

中国を真似て、古代日本にも「ミニ王土王臣思想」が取り入れられた。割拠勢力の勝者となった天皇家を神聖化し正当化する神話がつくられ、その支配の受容が皇民の道徳となった。支配者である大君への服従だけでなく、歯の浮くような賛美が要求され、内面化された。

武士の政権の時代には、「忠」が道徳の中心に据えられた。幕政、藩政、藩士家政のいずれのレベルでも、お家大事と無限定の忠義に励むべきことが内面化された武士の道徳であった。武士階級以外の階層でもこれを真似た忠義が道徳化された。強者に好都合なイデオロギーが、社会に普遍性を獲得したのだ。

明治期には、大規模にかつ組織的・系統的に「忠君愛国」が、臣民の精神に注入された。学校の教室においてのことである。荒唐無稽な「神国思想」「現人神思想」が、大真面目に説かれ、大がかりな演出が企てられた。天皇制の支配の仕組みを受容し服従するだけではなく、積極的にその仕組みの強化に加担するよう精神形成が要求された。個人の自立の覚醒は否定され、ひたすらに滅私奉公が求められた。

恐るべきは、その教育の効果である。数次にわたって改定された修身や国史の国定教科書、そして教育勅語、さらには「国体の本義」や「臣民の道」によって、臣民の精神構造に組み込まれた天皇崇拝、滅私奉公の臣民道徳は、多くの国民に内面化された。学制発布以来およそ70年をかけて、天皇制は臣民を徹底的に教化し臣民道徳を蔓延させて崩壊した。この経過は、馬鹿げた教説も大規模に多くの人々を欺し得ることの不幸な実験的証明の過程であったといえよう。

戦後も、「個人よりも国家や社会全体を優先して」「象徴天皇を中心とした安定した社会を」などという道徳が捨て去られたわけではない。しかし、圧倒的に重要になったのは、現行の資本主義経済秩序を受容し内面化する道徳である。搾取の仕組みの受容と、その仕組みへの積極的貢献という道徳といってもよい。

為政者から、宗教的権威から、そして経済的強者や社会の多数派からの道徳の押しつけを拒否しよう。そもそも、国家はいかなるイデオロギーももってはならないのだ。小中学校での教科化などとんでもない。

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          受信料支払い凍結運動にご参加を
具体的な受信料支払い凍結の手続については、下記のURLに詳細である。是非とも参照の上、民主主義擁護のための運動にご参加ください。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/nhk-933f.html

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支払い凍結と並んで、NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動も継続中です。こちらにもご協力をお願いします。
運動の趣旨と具体的な手続に付いては、下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
こちらもよろしくお願いします。
(2014年5月9日)

5月18日(日)午後1時30分? 私が喋ります

親しくなった村岡到さんは、「NPO日本針路研究会」という団体を主宰して、ほぼ毎月「討論集会」を企画している。今月18日には、「法律・弁護士・市民運動」というタイトルでの集会。レポーターは私。村岡さんから、「貴ブログでも告知してください」との要請があった。以下に、まず集会の概要を告知した上で、何をレポートしたらよいか、レジメを綴ってみよう。

ちなみに、6月15日(日)が、「討論会:都知事選挙の教訓を探る」。場所は同じ。報告・発言は、西川伸一さん、河合弘之さんら。こちらの方が面白そう。
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日時 2014年5月18日(日) 午後1時30分? 
場所 文京区民センター3C(地下鉄「後楽園」「春日」下車直ぐ)
集会名 「討論会:法律・弁護士・市民運動」
    報告 澤藤統一郎(弁護士)
資料代 700円 
主催  「NPO日本針路研究会」(電 話 03?5840?8525)
              集会の趣旨
この法治主義の社会では、どんな課題にせよ要求を実現するためには、法律問題に関わらざるをえません。市民運動の展開においてもさまざまな法律と直面します。法律と直面するときに、出会うのが弁護士。その弁護士、実はこの社会が真っ当であるために、さまざまな役割を果たしています。現役のベテラン弁護士に、弁護士の役割についての話しを聞いたうえで、この社会の在り方や、市民運動における法や弁護士との関わり方を考えて見ませんか。
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                 レ ジ メ
※法とはなんだろう。なんのために法はあるのか。
 *法の二面性  A面「弱者の権利擁護」と、
            B面「体制的秩序の維持」と。
   この世の弱者(労働者・市民)は、法のA面を最大限に使おうとする。
   この世の強者である権力と企業とは、法のB面をもって応戦する。
 *法は、弱者と強者のせめぎ合いにおける暫定的休戦協定
   進歩の勢力が法の改革を望み、
   保守の勢力が改革に抵抗する。
 *法体系の頂点に日本国憲法が存在する戦後日本の特殊事情
   今の時代、「憲法の理想」が「現実」をリードする意義は大きい。
   憲法は、単なる「理想」ではない。実定法として裁判規範でもある。
※弁護士(=実務法律家)とはなんだろう。なんのために弁護士はいるのか。
 *法は、法の担い手としての弁護士をつくった。
 *弁護士法1条の使命(社会正義と人権の擁護)をどう読むか
 *弁護士の在野性の必然性 人権擁護は反権力に徹してこそ
 *弁護士の自由業としての特性 社会的支配からの自由
※弁護士の活動領域
 *法廷(民事・刑事・家事)
 *企業や団体個人のコンプライアンス
 *弁護団活動(弁護士個人の業務の枠を超えて)
*弁護士会 会はどう運営され、何をしているか。
*共同法律事務所
 *弁護士の任意団体 人権派弁護士の再生産組織
 *弁護士の収入 人権派弁護士の収入に関するテーゼ
※市民運動と法・弁護士
 *法に支えられた運動
 *訴訟を利用する運動
 *立法運動
 *市民運動の中で弁護士の役割

ここまで書いて読み直して、「これではダメだ」と思う。四角四面、ちっとも面白みがない。話しを聞いてもらおうという姿勢に乏しい。そのためのサービス精神に欠ける。全面的に書き直そう。

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                 レ ジ メ(第2案)
※法とはケンカの武器である。
 *実力で劣る弱者が、強者と対等に渡り合うための武器が法である。
 *法体系の頂点に「日本国憲法」がある心強さ。
 *法は新しく生まれ改廃される。解釈も一義的には決まらない。
 *既存の法を使いこなすことだけでなく、鋭利な法をつくることも視野に。
※弁護士とは、ケンカの助っ人である。
 *弁護士は、法という武器の使い手であるが、
 *金で雇われる者もあり、心意気で働く者もある。
※弁護士の自由は社会から与えられたもの
 *弁護士の自由は権力や金力に縛られずにケンカができるためにある。
 *弁護士の自由は「反権力」「反資本」の立場で弱者のために行使すべき。
※弁護士の諸相
 *アンビュランスチェイサー、悪しき隣人としての弁護士たち
 *目立ちたがり屋の弁護士たち
 *資本の側にあっても、弁護士は弁護士
※弁護士と市民運動(私の体験から)
 *労働運動と弁護士 ジャンボを止めた争議の現場での弁護士
 *政教分離運動と弁護士 岩手靖国訴訟10年を闘って
 *平和運動と弁護士 平和的生存権を武器とした市民平和訴訟
 *消費者運動と弁護士 冷凍庫が火を吹いたーPL訴訟と立法運動
            先物取引被害・証券被害・悪徳商法と弁護士
 *漁協民主化と弁護士 「浜の一揆」訴訟の成果
 *医療・薬害と弁護士 スモン・未熟児網膜症、専門家責任
 *「日の丸・君が代」強制反対運動の中の弁護士
※弁護士会の権力からの独立・この貴重なるもの

「レジメ第2案」でやってみよう。できるだけ具体的に、リアリティあふれる報告をしてみたい。乞うご期待。
(2014年5月8日)

商品先物取引の規制緩和に反対します(パブコメ)

 商品先物取引法の施行規則(農林水産省・経済産業省令)改正案についてのパブコメ募集に関して、その第102条の2第1号・2号案に反対します。この部分の改正案を撤回されるよう求めます。

 同規則同条各号の改正案は、個人顧客を相手方とする商品先物取引について、現在原則禁止となっている不招請勧誘(顧客の要請をうけない訪問・電話勧誘)を実質において解禁するものです。その結果として、今沈静化している商品先物取引被害が再び蔓延することは灯を見るより明らかで、多くの人に不幸をもたらすことになります。その立場から、強く反対の意見を申し述べます。

 私は消費者サイドの弁護士として、約40年にわたって消費者被害と向き合ってまいりました。痛感することは、電話という簡便なツールから始まる消費者被害があまりに多いということです。利殖勧誘だけでなく、商品勧誘や役務勧誘タイプの消費者被害も、悪徳詐欺商法も、その多くが電話から始まっています。
 まさしく、「被害は一本の電話から始まる」のです。
 あるいは、「不幸は電話線を伝わってやって来る」のです。
 この不幸の源をしっかりと断ち切らなければなりません。いったん断ち切ったはずの不幸の源を、なんとまた復活させようなどとはもってのほかと言わねばなりません。

 商品先物取引への参加者は2種類に分かれます。そのひとつは、「当業者」として最終的に商品の売り手買い手となる者。主として大規模な生産者や商社などの事業者がこれに当たります。もうひとつは、スペキュレーター(「投機家」)として、売買差益を求めて取引に参加する者。この人々の中には、取引を知り尽くした「投機家」の名にふさわしいプロもあり、仕組みやリスクに理解のない素人も含まれています。実は、これまで多くの素人が先物業者の勧誘によって取引に参加し、短期間で大きく損をして取引から去っていく。常に新しい素人の補給を繰り返すことで成り立っていたのが、この業界の実態でした。

 先物取引における「投機」は、いわゆる「投資」とは違って、新たな価値や利潤を生むことはありません。「投機家」間の賭博の掛け金の拠出に過ぎないのです。「賭博をしているに等しい」と比喩的に表現しているのではありません、文字どおり「賭博そのもの」、丁半博打とまったく同じなのです。サイコロの目の替わりに変動する売買価格となっているだけのこと。賭博の勝ちは、必ず同額の(正確には寺銭をプラスした)負けを伴います。先物取引もまったく同じ。取引差益は、必ず同額の(正確には手数料をプラスした)差損から生じます。手数料を捨象すれば、差益と差損は常にゼロサムとなる世界。ウィンウィンは絶対にあり得ないのです。

 プロとアマとが混じって賭博をしているのですから、勝負は目に見えています。一時的なフロックは別として、アマに勝ち目はありません。絶えずリクルートされ続けている多数の素人が、一握りのプロと手数料稼ぎの先物取引業者のカモになっている構図が浮かびあがってきます。こうして深刻な先物取引被害が蔓延しました。その、被害者集団を常に補給し続ける手段の主たるものが電話勧誘だったのです。

 電話による甘い勧誘文言に乗じられての先物取引被害は、消費者被害の典型でした。勧誘する方はプロですから、「利益が生ずることの断定」は避けつつ、巧みに利益を得られそうな幻想をふりまいて、新規顧客を誘うのです。ちょうど、食虫植物がその甘い香りで虫を誘うように、です。

 ですから、先物取引被害の防止の決め手は、不招請勧誘の禁止と認識され続けてきました。2009年7月の法改正で、ようやくその実現があり、2011年1月からの施行によって、確実に被害の減少に実効をあげてきたのです。なんと、それをこのほど実質解禁しようというのです。到底容認し得ません。

 なぜ、今、こんな時代に逆行する「改正」なのか。ひとえに「規制改革」「規制緩和」なのです。今回の省令改正は、規制緩和策の一環として行われるものです。それだけ事態は深刻と言わねばなりません。
 改正の趣旨について、主務省は、「規制改革実施計画(平成25年6月14日閣議決定)を踏まえた不招請勧誘禁止等に関する見直しを行うため、『商品先物取引法施行規則』及び『商品先物取引業者等の監督の基本的な指針』について所要の改正を行うものです」と明記しています。

 商品先物取引における規制緩和とは、「業者の商行為の自由を拡大して、委託者保護のための規制を緩和する」とということであり、消費者の保護よりは業者の利益を優先する姿勢の表れにほかなりません。「消費者被害は自己責任、それよりは萎縮せずにのびのびと企業の経済活動をさせるべき」という、新自由主義的な発想がこのような政策の転換をもたらしているものではありませんか。

 商品先物取引の制度そのものをなくせとまでは主張しません。しかし、過去幾多の委託者トラブルが明らかにしているとおり、仕組みが複雑でリスクが高い商品先物取引は、本来、投資知識が豊富で余裕資金のあるプロの投機家の世界で素人が手を出せる世界ではありません。少なくとも、電話・訪問による不招請勧誘は禁止が大原則でなくてはなりません。

 もし、仮にこのまま改正案が省令となるようなことがあるとすれば、アベノミクスの3本目の矢の正体は、消費者を狙った毒矢であると指摘せざるを得ません。多くの人を不幸にする不招請勧誘禁止の実質解禁には強く反対いたします。
(2014年5月7日)

毎日新聞「記者の目」をお勧めする

物心ついたころから、毎日新聞を読みつづけてきたような気がする。その昔、毎日小学生新聞も読んでいた。その毎日が最近元気がよい。ライバル紙に勢いがなくなったことからの印象であれば、少しさびしいが。
本日(5月6日付)の紙面も、気骨にあふれた記事が多い。

社説は、「憲法と秘密保護法」。「国民主権なお置き去り」とのタイトルで、特定秘密保護法を「いったん廃止すべき」と結論している。国民主権原理から説き起こし、「国の持つ重要情報が幅広い行政の裁量で『秘密』とされ、国民の目に届かない仕組みができれば国民主権の基盤は大きく崩れる」と原則論を述べた上、政権にはこの法律の運用において行政の恣意をチェックする手立てを講じようとする熱意が見えないことを具体的に指摘している。そういえば、今日でこの悪法が成立してちょうど5か月。あきらめずに、異議申し立てを続けようというジャーナリストの心意気に共感する。

毎月第1火曜日の「社説を読み解く」が、「竹富町VS文科省」として、教科書採択問題を取りあげている。「毎日新聞はこの間、4度にわたってこの問題を社説に取りあげてきた。論説委員たちの議論で共通したのは、この問題を教科書選びの在り方を見直す機会にすべきだという提案と、是正要求にまで及んだ文科省の姿勢を厳しく批判する視点である」という。私も当ブログで何度か取りあげたが、毎日の立ち場は、確かに「竹富町の自主性を尊重すべき」ものと一貫している。

この解説記事のとおり、我田引水でなく毎日社説が各紙をリードしていたと思う。東京の社説がこれに続き、朝日はまことにヌルかった。読売・産経の2紙は、政権の機関紙かと見まごうばかり。本日の「読み解く」は、中央5紙と琉球新報・沖縄タイムスの地元2紙の各社説の内容を客観的に紹介して、その意見の違いの拠って来たるところを解説している。姿勢がしっかりしているから、読み応え十分。

毎日に勢いがあるのは、おそらくは第一線の記者に、とりわけ若い記者に、制約なく書かせているからなのだろう。その象徴が「記者の目」。本日は、静岡支局の平塚雄太記者が「第五福竜丸・ビキニ事件60年」という記事を書いている。これも読み応えがある。

第五福竜丸やビキニ水爆実験は、核兵器の恐怖の象徴として語られた。その目指すところは原水爆の廃絶となる。しかし、3・11以後は放射線被曝に焦点が当てられることが多くなっている。本日の「記者の目」も、専ら福島原発事故に重ねての被曝問題を論じている。焼津というローカルな地域を見つめる確かな「目」が、歴史的にも地理的にも、大きく拡がった世界の大きな問題を捉えることができるということを教えている。

平塚記者の記事の大意は、以下のとおり。
「60年前のビキニ事件での放射線被害は、第五福竜丸だけではなかった。日本の貨物船や漁船1000隻近く(厚生省調査では漁船856隻)が被ばくした可能性がありながら、日米両国は当時、被害を第五福竜丸だけに矮小化した」「米国は、ビキニ事件をきっかけに日本で反米、反核感情に火が付くのを恐れ、日本はこれに追随して、被ばく者を切り捨てた」「本来なら国の責任で、被ばくが疑われる関係者をきちんと調べるべきで、今からでもビキニ事件の被ばく実態を調査し、放射線被害の教訓とすべきだ」

記者は、「事件翌年の55年日米原子力協定が結ばれ、原子力基本法が成立。日本の原発開発はビキニ事件にふたをする格好で国策として走り出した」ことを指摘して、「都合の悪いものを消し去ろうとした核大国・米国の身勝手さ」と「それに追従した日本政府の情けない姿勢」に憤っている。まったく、そのとおりだ。

しかも、ことは過去の問題ではない。「東京電力福島第1原発事故に見舞われても住民被ばくを過小評価し、原発再稼働を急ぐ日本政府の姿勢を見ると、『国策優先』という歴史が繰り返されているように見える」と、福島原発事故に重なる国の姿勢を批判している。

その視点から、記者は広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師の次の言を紹介している。
「日本政府は安全保障や経済的な理由で米国の原子力政策に追随し、自国民の被ばくから目を背けた。福島の原発事故でも住民の被ばく線量などを積極的に公表しておらず、その姿勢はビキニ事件から変わっていない」

記事は、「久保山さんは『原水爆の被害者は私を最後にしてほしい』と言い残して絶命した。その遺志をかなえるためにも、ビキニ事件の真相を解明しなければならない」と結ばれている。その言や良し。

不幸にも、第五福竜丸の存在が福島原発事故によって脚光を浴びている。平塚記者には、核を操る人間の傲慢さと、核の被害に蓋をしようという国策とに、憤りを持ち続けて、第五福竜丸にまつわる記事を地元から発信していただきたい。その記者の正義感からする憤りの記事を制約なしに掲載する毎日であって欲しい。一人の毎日ファンからの要望である。

なお、以上の3本の記事は、以下のURLで読める(と思う)。
http://mainichi.jp/opinion/news/20140506k0000m070086000c.html
http://mainichi.jp/shimen/news/20140506ddm004070017000c.html
http://mainichi.jp/shimen/news/20140506ddm005070014000c.html
(2014年5月6日)

松元ヒロ・「憲法くん」の語りに脱帽

憲法フェスティバル、略称「憲フェス」に足を運んだ。40回目の憲法記念日となった1987年に、青年法律家協会が企画して第1回を開催。以来連綿と続いて、今年は28回目となっている。実行委員会は、年に1度のイベントを開催するだけでなく、通年の憲法運動の担い手となっている。これが立派なところ。

今年のテーマは、子どもの日にちなんで「この子らに託すもの」。大林宣彦監督作品「この空の花ー長岡花火物語」の上映と、同監督のトークがメインの企画だが、私のお目当ては、松元ヒロさん。「今年の憲フェスに、あの『憲法くん』が帰ってくる!」という惹句に惹かれて、「憲法くん」に会いに行った。

素晴らしいステージだった。45分間の熱演を堪能した。…という程度では言葉が足りない。脱帽した。ショックさえ感じた。そして、その姿勢に学びたいと思った。こんな風に、楽しく、分かりやすく、大切なことを上手に語れるようになりたいものと思う。

私は、ヒロさんの「憲法くん」の初演を観ている。あのときもすごいと思ったが、あれから遙かに芸が磨かれ、洗練されている。同じ古典落語をくり返し聞いていると、簡潔だが実に的確な言葉の組み立てになっていることに気づかされる。言葉の贅肉を殺ぎ落として成り立つ芸。そういう芸を聞かせてもらった。

ヒロさんは、「テレビには出演することのない」芸人として定着している。政権への批判や皇室への物言いにも遠慮がない。そこが、観客にウケる所以だが、決して言葉にどぎつさを感じさせない。政権の要人や天皇を揶揄して笑い飛ばしても、その人格を貶めてはいない。だから、会場全体で安心して笑える。

いくつかのセリフに感心した。憲法の本質を語り、自民党改憲草案の危険性の本質をよく語っている。以下は、私の記憶の限りでのトークの一部の再現。

「私たち国民が国の主人公なんですよ。戦前とはそこが違う。だから本当は私たち国民自身が、どのように国を動かしていくか話し合って決めなければならない。だけど、私たち、みんな忙しいですよね。仕事もしなければならない。だから、私たちの代わりに話し合いをする人を選んで、その人たちにきちんと国を動かすように頼むんです。その頼む相手が代議士・国会議員。その中から、国を動かす責任者も出てくる。別にエラクもなければ、先生と呼ぶ必要もない。」

「私たちはこういう人たちに、しっかりと国を動かしてくれよ、と頼むんです。だけど丸投げで頼むわけじゃない。頼まれたから何でもできると思って戦争なんか始めちゃダメだよ。そのために、憲法にしっかりと9条を書いてこれをわたす。この憲法に書いてあることをしっかり守って、頼まれごとをやってくれ、と」

「この世の中の歪みの犠牲者として、貧しい人が出てきますよね。不幸な境遇の方もいる。そういう人を、社会全体で支えてあげたいと思いますよね。お互いさまですから。私たちは、国の主人公として、そういう風に国民のお金を使いたい。だけど、私たち一人一人はみんな忙しいですよね。仕事をしなくちゃならない。だから、みんなからお金を集めて、困っている人に配分する仕事を頼むんです。そのときに、『ハイ、これが25条。これに基づいてみんなのお金を使ってくれ』と渡す。これが憲法というものなんです」

私も、ヒロさんに学んで分かりやすく語ることの修行を積み重ねよう。分かりにくいのは、語る側がよく分かっていないからだ。あるいは、分かってもらおうという情熱に欠けるから。聞き手に、あるいは読み手に分かってもらうため工夫を重ねよう。そして、話しも文章も、長すぎないように心掛けよう。原則として…、だけど。
(2014年5月5日)

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