(2022年8月4日)
本日、第一衆議院議員会館の会議室で、「日の丸・君が代」強制問題についての、対文科省交渉が行われた。テーマは、セアート第14会期最終報告における勧告の取り扱い。予め提出していた質問事項に対する回答を求め、これを糺すという交渉内容。
このブログに以前にも書いたが、国連はいくつもの専門機関を擁して、多様な人権課題に精力的に取り組んでいる。労働分野では、ILO(国際労働機関)が世界標準の労働者の権利を確認し、その実現に大きな実績を上げてきた。また、おなじみのユネスコ(国際教育科学文化機関)が、教育分野で旺盛な活動を展開している。
その両機関の活動領域の重なるところ、労働問題でもあり教育問題でもある分野、あるいは教育労働者(教職員)に固有の問題については、ILOとユネスコの合同委員会が作られて、その権利擁護を担当している。この合同委員会が「セアート(CEART)」である。日本語に置き換えると「ILO・ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会」という。名前が長ったらしく面倒なので、以下は「セアート」と呼ぶ。
2019年3月セアートは、その第13回会期で日本の教職員に対する「日の丸・君が代強制」問題を取りあげた。その最終報告書の結論として次の内容がある。
110.合同委員会(セアート)は、ILO理事会とユネスコ執行委員会が日本政府に対して次のことを促すよう勧告する。
(a) 愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設けること。このような対話は、そのような式典に関する教員の義務について合意することを目的とし、また国旗掲揚および国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるようなものとする。
(b) 消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒手続について教員団体と対話する機会を設けること。
この勧告は、形式的には文科省に対して、実質的には都教委に対して発出されたものだが、文科省も都教委もほぼこれを無視した。この国は、国連から人権後進国であることを指摘され是正の勧告を受けながら、これに誠実な対応をしようとしない。居直りと言おうか、開き直りというべきか。不誠実極まりない。
教職員側は、この日本政府の怠慢をセアートに報告。2021年10月第13期セアートは、あらためての再勧告案を採択。2022年6月ILOとユネスコはこれを正式に承認した。そのセアート再勧告の結論となる重要部分を抜粋する。
173. 合同委員会は、ILO理事会とユネスコ執行委員会に対し、日本政府が以下のことを行うよう促すことを勧告する。
(a) 本申立に関して、意見の相違と1966年勧告の理解の相違を乗り越える目的で、必要に応じ政府および地方レベルで、教員団体との労使対話に資する環境を作る。
(b) 教員団体と協力し、本申立に関連する合同委員会の見解や勧告の日本語版を作成する。
(c) 本申立に関して1966年勧告の原則がどうしたら最大限に適用され促進されるか、この日本語版と併せ、適切な指導を地方当局と共有する。
(d) 懲戒のしくみや方針、および愛国的式典に関する規則に関する勧告を含め、本申立に関して合同委員会が行ったこれまでの勧告に十分に配慮する。
(e) 上に挙げたこれまでの勧告に関する努力を合同委員会に逐次知らせる。
13期と14期の2期にわたる勧告。日本国には誠実に対応する責務がある。さあ、文科省どうする? この件に関して、末松信介文部科学大臣に宛てた教職員組合と市民運動体の質問書の内容は以下のとおりである。
問1 日本語訳に関して
(1) 我々は第14会期最終報告パラグラフ169、パラグラフ173(b)を尊重し、文部科学省とともに第13会期、第14会期最終報告の日本語訳を作成したいと考えている。日本語訳を我々と共同で行うことに関して、貴省の考えを伺う。
(2) 2022年6月29日の「東京新聞」朝刊(こちら特報部)によれば、取材を受けた文部科学省初等中等教育企画課の小林寛和氏は「日本語訳を作るかどうかも含め、対応を検討している」と回答している。検討した結果を明らかにされたい。
(3) 最終報告の日本語訳をどのような手順で進めていくか、貴省の考えを伺う。
我々は当方が訳した日本語版を提示する用意があるので、それを土台にして、貴省から訳に同意できない部分を示していただき、両者で意見交換しながら共通の日本語訳を完成させるという形で進めたいと考えているが、貴省の考えを伺う。
問2 地方教育委員会への送付に関して
(1) 第14会期最終報告は東京都・大阪府・大阪市に送付済みか。他の地方公共団体へは送付済か。いずれかの地方公共団体に送付していた場合、それは英語版、日本語版のどちらか。又は両方か。
また、最終報告とともに送付した文書などがあれば、明らかにされたい。
(2) 文部科学省は第14会期最終報告パラグラフ172及び173(c)を尊重して、最終報告を適切に理解できるような注釈を作成して地方公共団体と共有するか。
(3) セアートは東京都や大阪府・市に限らず、地方公共団体と共有するように勧告している。
貴省は今後、地方公共団体の担当部署との間で、なんらかの形で最終報告を共有することを考えているのか。その計画を明らかにされたい。
(4) 「世界人権宣言」「市民的及び政治的権利に関する国際規約」を踏まえたセアートの判断を尊重して、「教員の地位に関する勧告」パラグラフ80に反する起立斉唱の強制を是正するように、地方公共団体に対して指導・助言を行うか。
文部科学省からの担当官の回答を逐一叙述する必要はない。全て「検討中」だという。質問は、『問1 日本語訳に関して』と、『問2 地方教育委員会への送付』だけに限った簡明なものである。これに対しての回答が全て「検討中」だというのだ。「いったい、いつまで検討しようというのか」「いつになったら回答が得られるのか」という更問には、「答えられない」を繰り返す。「日本語訳作成という単純な作業を行うのに、いったい何をどう検討しているのか」という問には、「日本語訳の作成が各省庁や自治体にどのような影響を及ぼすことになるのか、十分に検討が必要だと考えている」という。場合によっては、ネグレクトもあり得るという開き直り。
なるほど、確かに私たちは人権後進国に住んでいるのだ。一人ひとりの思想・良心の自由よりは、愛国が大切だという、国家優先主義でもあるこの国。文科省よ、せめて、開き直らずに、誠実に国連機関が言う「国際基準」に耳を傾けていただきたい。
(2022年8月3日)
7年ぶりとなったNPT(核兵器不拡散条約)運用再検討会議。8月1日の岸田首相一般討論演説(日本語)が、官邸ホームペーに全文掲載されている。
https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0801enzetsu.html
この演説、被爆者や原水禁活動家の間ではすこぶる評判が悪い。新聞の見出しに「NPT会議 首相演説、核禁条約を無視」「『核廃絶へもっと強いメッセージを』 首相NPT演説に被爆地の声」「被爆者ら冷ややか 『核禁条約無視した』『廃絶の思い本心か』 NPT会議首相演説」という具合。赤旗は「首相演説 憤る被爆者」と見出しを打った。何よりも、この時期最も重要な核禁条約に一言も触れていないことが致命傷。「核廃絶の思い本気か」「言ってることは本心なのか」と疑問視されて、当然といえば当然。
被爆者や原水禁活動家の核廃絶を願う思いの深さ、真剣さからみれば、岸田の言葉の軽さに不満が募るのは当然なのだ。東京生まれで東京で育ちながら、「広島出身」をウリにしている岸田である。「一番大切な核兵器禁止条約について、一言も触れなかった」「そのことの重要性を知らないはずはないのにことさらに無視した」という不満は大きい。
だが、この演説にとるべきところがないわけではない。少なくとも、「核共有」などと口走っていた安倍晋三などと比較すれば、ずっと真面目だとは言える。安倍晋三なんぞと比較してどうするという叱責を覚悟で、まだましというべきであろう。何しろ、日本の首相として初めてこの会議に出席したのだから。
以下、重要部分を抜粋して意見を述べておきたい。なお、小見出しは、原文にはなく、私が付けたもの。
《現状認識(現実)》
国際社会の分断は更に深まっています。特に、ロシアによるウクライナ侵略の中で核による威嚇が行われ、核兵器の惨禍が再び繰り返されるのではないかと世界が深刻に懸念しています。
「核兵器のない世界」への道のりは一層厳しくなっていると言わざるを得ません。
《目標(理想)》
しかし、諦めるわけにはいきません。被爆地広島出身の総理大臣として、いかに道のりが厳しいものであったとしても、「核兵器のない世界」に向け、現実的な歩みを一歩ずつ進めていかなくてはならないと考えます。
《NPTの位置付け》
そして、その原点こそがNPTなのです。NPTは、軍縮・不拡散体制の礎石として、国際社会の平和と安全の維持をもたらしてきました。NPT体制を維持・強化することは、国際社会全体にとっての利益です。この会議が意義ある成果を収めるため、協力しようではありませんか。我が国は、ここにいる皆様と共に、NPTの守護者として、NPTをしっかりと守り抜いてまいります。
以上の《現状認識(現実)》《目標(理想)》はともかく、《NPTの位置づけ》はまことに物足りない。NPTは、5大国には核保有を認めて、それ以外の諸国への核拡散を防止することを主内容とする。もちろん核保有国には核軍縮の義務を定めるが、不公平甚だしい。
これに反して、核兵器禁止条約は、核兵器の開発、保有、使用の全てを違法とし、これを禁じる内容である。被爆国である日本がNPTを持ち上げ、「NPTをしっかりと守り抜いてまいります」というのは、積極的に核兵器禁止条約に背を向け、核の温存をはかろうというに等しい。
それでも、岸田演説を全面否定し得ないというのは、以下の具体的な提案があるからだ。
《理想と現実を結ぶロードマップ》
「核兵器のない世界」という「理想」と「厳しい安全保障環境」という「現実」を結びつけるための現実的なロードマップの第一歩として、核リスク低減に取り組みつつ、次の5つの行動を基礎とする「ヒロシマ・アクション・プラン」にまずは取り組んでいきます。
(1) まず、核兵器不使用の継続の重要性を共有すべきであることを訴えます。ロシアの行ったような核兵器による威嚇、ましてや使用はあってはなりません。長崎を最後の被爆地にしなければなりません。
(2) 次に、核戦力の透明性の向上を呼びかけます。とりわけ、核兵器用核分裂性物質の生産状況に関する情報開示を求めます。これはFMCT(核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の交渉開始に向けたモメンタムを得る上で重要な一歩であると考えます。
(3) 第三に、核兵器数の減少傾向を維持することです。「核兵器のない世界」に歩みを進める上で、この減少傾向を継続することは極めて重要です。全核兵器国の責任ある関与を求めます。
この観点から、CTBT(包括的核実験禁止条約)やFMCTの議論を、今一度呼び戻します。CTBTの発効を促進する機運を醸成すべく、9月の国連総会に合わせて、私は、CTBTフレンズ会合を首脳級で主催します。また、FMCTの交渉の早期開始を改めて呼びかけます。
(4) 第四に、核兵器の不拡散を確かなものとし、その上で、原子力の平和的利用を促進していくことです。
原子力の平和的利用は、原子力安全と共に進めるべきものです。この度のロシアによる原子力関連施設への攻撃は決して許されるものではありません。日本は、2011年の事故の教訓を基に、被災地復興や廃炉に関連する様々な課題に取り組みます。国際原子力機関始め国際社会と協力し、内外の安全性基準に従った透明な取組を進めます。
(5) 第五に、各国の指導者等による被爆地訪問の促進を通じ、被爆の実相に対する正確な認識を世界に広げていきます。この観点から、グテーレス国連事務総長が8月6日に広島を訪問することを歓迎します。
また、国連に1千万ドルを拠出して「ユース非核リーダー基金」を設け、未来のリーダーを日本に招き、被爆の実相に触れてもらい、核廃絶に向けた若い世代のグローバルなネットワークを作っていきます。
「核兵器のない世界」に向けた国際的な機運を高めるため、各国の現・元政治リーダーの関与も得ながら、「国際賢人会議」の第一回会合を11月23日に広島で開催します。
また、2023年には被爆地である広島でG7サミットを開催します。広島の地から、核兵器の惨禍を二度と起こさないとの力強いコミットメントを世界に示したいと思います。
以上の(1)と(2)は具体性に欠けるお題目に過ぎず、(4)は原発再稼働のたくらみとして用心しなければならないが、(3)と(5)には具体的な実行課題の設定が見える。これだけでも、安倍晋三なんぞよりはずっとマシだ。「広島を選挙区とする政治家」として、せめてこれくらいは実行していただきたい。さすれば、落ち込んだ支持率のいささかの回復も見込めよう。
(2022年8月2日)
ある人のメルマガに下記の記事。私の知る限りの書籍「DHCスラップ訴訟」の書評第1号である。この方、DHC製品は決して買わない人だが、本書は購入したという。「購入し一読して損はない」と言ってくれた。何ともありがたい。
『DHCスラップ訴訟・スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利』(澤藤統一郎・日本評論社・220730)
化粧品、サプリメント(健康食品)、語学教材などの製造販売メーカーである?ディーエイチシー(DHC)に、いやがらせ名誉毀損の6000万円スラップ訴訟を起こされて被告になった著者の勝利記録。
スラップとは、個人・市民団体・ジャーナリストによる批判や反対運動を封じ込めるため、企業・政府・自治体が起こす、恫喝訴訟・威圧的訴訟。
第一章 ある日私は被告になった。第二章 そして私は原告になった。第三章 DHCスラップ訴訟から見えてきたもの。各章に解説が付され、判りやすい。
資料編には、「主なスラップ訴訟」などが記載されています。DHCはHP上で、代表取締役会長吉田嘉明によるヘイトスピーチを拡散するなど、最低最悪の厚化粧企業。最後に著者は、「私は決して屈しない」「私は決して黙らにない」と宣言されています。
DHCは不買ですが、本は購入して一読しました。損はありません。
[参考]DHCスラップ訴訟に至る詳細は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記・分類・DHCスラップ訴訟」に入ってみてください。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12
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DHCスラップ訴訟 スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利
著者名:澤藤統一郎
出版社名:日本評論社
発行年月:2022年07月30日
≪内容情報≫
批判封じと威圧のためにDHCから名誉毀損で訴えられた弁護士が表現の自由のために闘い、完全勝訴するまでの経緯を克明に語る。
【目次】
はじめに
第一章 ある日私は被告になった
1 えっ? 私が被告?
2 裁判の準備はひと仕事
3 スラップ批判のブログを開始
4 第一回の法廷で
5 えっ? 六〇〇〇万円を支払えだと?
6 「DHCスラップ訴訟」審理の争点
7 関連スラップでみごとな負けっぷりのDHC
8 DHCスラップ訴訟での勝訴判決
9 消化試合となった控訴審
10 勝算なきDHCの上告受理申立て
【第1章解説】
DHCスラップ訴訟の争点と獲得した判決の評価 光前幸一
第2章 そして私は原告になった
1 今度は「反撃」訴訟……なのだが
2 えっ? また私が被告に?
3 「反撃」訴訟が始まった
4 今度も早かった控訴審の審理
5 感動的な控訴審「秋吉判決」のスラップ違法論
【第2章解説】
DHCスラップ「反撃」訴訟の争点と獲得判決の意義 光前幸一
第3章 DHCスラップ訴訟から見えてきたもの
1 スラップの害悪
2 スラップと「政治とカネ」
3 スラップと消費者問題
4 DHCスラップ関連訴訟一〇件の顛末
5 積み残した課題
6 スラップをなくすために
【第3章解説】
スラップ訴訟の現状と今後 光前幸一
あとがき
資料(主なスラップ事例・参考資料等)
(2022年8月1日)
猛暑とコロナ禍のさなかの8月である。異様な暑さの中で身近なコロナ感染者が少なくない。感染を自覚しても為す術もないとの声もここかしこに。こんな環境での感染は恐い。不要の外出を控えるしかない。不穏な2020年の夏の盛り。
一抹の希望は、岸田内閣の支持率急落との報。「支持率が急落した理由は、国葬、旧統一教会、コロナの3つだ」というのが、元気のよい「日刊ゲンダイ」の見立て。その通りだろう。国葬と統一教会問題は、安倍批判と密接に結びつく。コロナも安倍以来の無策の象徴。結局、国民世論に急速に浸透してきた安倍批判が、安倍後継の岸田不支持となってきているのだ。この3点セット、もうしばらくは解決の兆しが見えない。この夏の暑さが身に応えているのは、実は、岸田と自民党なのかも知れない。
こんな中、産経新聞のメールマガジンが、国葬賛成で鬱陶しい。
「安倍氏は憲政史上で最長の8年余りの間、首相として公務についた人でした。選び続けたのはほかならぬ、われわれ有権者です。また、民主主義の根本になる選挙のさなかの暴挙に対し、民主主義の国として抗議の意思を示し、多くの人と主体的に確認し合う機会を持つことは、許容できることではないでしょうか」「今回の事件は、宗教団体に対する容疑者の私怨から端を発した凶行であり、民主主義とは切り分けるべきだという意見には首肯しがたいものを感じています。多分に衝撃や情緒に流されているかもしれないと顧みつつも、しかしながら民主主義への挑戦が、国家改造や政権転覆を狙うクーデターに限るものとは言い切れないのではないかと思うからです」
自信なく歯切れ悪く言い訳がましい産経の国葬賛成論。その怨み節が現在の情勢をよく表している。驚いたのは、これに続く次の記事。
「安倍氏の歴史認識や憲法改正への意欲をかつて懐疑的にとらえていた米紙の社説、これが産経の紙面に「米紙 異例の『改憲支持』」という主見出しで掲載されています。」
安倍も産経も、「アメリカに押し付けられた憲法」だから見直せ、と言っていたはずではないか。手のひら返して、アメリカの『日本国憲法改憲支持』を手放しで喜んでいるのだ。恥ずかしげもないあまりのご都合主義に、頭がクラクラする。あらためて暑さが身に沁みる。
猛暑の中、配達された毎日新聞の夕刊に、「安倍政治の見直し、今こそ」の大見出し。おお、かくも機敏に自民党に代わる政権を求める声が、と思ったのは早とちり。「今こそ安倍政治を見直せ」と吠えているのは、自民党の村上誠一郎である。ウーン、安倍やその腰巾着や産経ばかりではない。村上のような硬骨漢も抱えているのが、自民党の強みなのか。
彼の語るところはなかなかのものである。国葬の是非は、安倍政権の功罪に関わっている。彼の語るところを抜粋してみよう。
「先日、ある首相経験者が私に言ってこられました。『どうして国葬なんですか』と。いったん流れができてしまうと、異論を言いにくくなる。これが人間社会の同調圧力かなと思う」
「今回は非常にお気の毒な亡くなり方をされたから、非業の死を遂げた方を弔うのは自分としても感情的には理解できる。ただ、判断の明確な基準が必要です。例えば佐藤栄作さんや中曽根さん、おじいさまの岸信介さんも国葬ではなかった。なぜ安倍さんだけ国葬なのかというと、なかなか説明が難しい」「時の政権の恣意的なやり方だとの批判を免れない。もう少し腰を据えて幅広く考えるべきだったのではないか」
「森友・加計・桜を見る会は国民の不信を完全には払拭できていないのではないか。森友問題では近畿財務局の職員が自死に追い込まれた。これらの政治的、道義的責任は安倍氏の功績とは別次元の話です」
「解釈改憲で集団的自衛権の行使を容認して立憲主義を否定し、そんたくするイエスマンばかりを登用する縁故人事がはびこり、財政・金融・外交が非常に厳しい状況になった。自由闊達な議論ができる本来の自民党に戻すべきです」
「ロシアの民主主義が見せかけだと言うけど、日本も同じようになりつつあるのではないかと心配しています。堂々と議論し、適正な人事や正しい政策が実行されるべきですが、残念ながらそうなっていない。まっとうな批判勢力がないために選挙だけは勝つ。それは本当の信任ではないのです」
「アベノミクスは成功したとは言えないと思います。財政出動と金融緩和というカンフル剤を打つだけで結局、成長戦略は十分な成果が上がってきていない。金融緩和をダラダラ続けているうちに円安・ドル高が進んだ。食料もエネルギーも輸入頼みだから、日本の富がどんどん流出しているわけです」
「岸田さんに、アベノミクスを総括した上で新しいステージに移る気持ちがあるかどうか。世界最悪の借金財政なのに防衛費を2倍にするというのは非常に難しい」
「野中広務元幹事長も言っていましたが『自民党は常にベストな政策をめざす』ということで党内の議論が活発化していました。亡くなった方のご冥福を祈り、事件の再発を防ぐことと、政策論争は全く別の次元の問題です。合理的な政治が行われなくなって被害を受けるのは国民ですから」
これって、自民党? これもホントに自民党なの? 自民党って、いったい何なの?
(2022年7月31日)
安倍晋三の銃撃事件以来、旧統一教会の反社会性がクローズアップされ、自民党とりわけ安倍派の政治家とこの反社会的組織との癒着が大きく問題視されている。
私も、統一教会を徹底して批判しなければならないと思ってはいる。しかし、これを権力によって弾圧してしまえ、法人格を取り消せということにはいささかの躊躇を感じる。戦前の天皇制政府による宗教弾圧を連想し、権力の暴走を懸念するからだ。そう、私は何ごとによらず優柔不断なのだ。
一方で、果断極まりないのが中国当局である。昨日(7月30日)配信の共同通信記事によれば、中国は「旧統一教会は『違法な邪教』」とし、「安倍氏銃撃で一掃の正当性強調」なのだそうだ。これだけの見出しでは少々分かりにくいが、「中国共産党はとっくの昔に、統一教会を邪教として一掃済みである。今回の安倍銃撃事件で、党の正しさが証明された」ということ。
中国当局が統一教会を、非合法の「邪教」(カルト)と認定したのは1997年のことだという。そのことによって、日米と違って、中国は統一教会の自国への浸透を防ぎ得た。この当局の対応は正しかったと宣伝しているわけだ。ゼロコロナ政策を思い起こさせるこのやり方に、強権的な宗教政策がより強まると懸念する声も出ているという。
中国には、「中国反邪教ネット」というサイトがある。もちろん、事実上公安当局が運営している。安倍銃撃事件以来、そのサイトでは、代表的な邪教として扱われる気功集団「法輪功」と並んで、旧統一教会を批判する記事が多くなっているという。
共産党系の環球時報(英語版)は14日付紙面で「安倍氏暗殺は中国のカルト一掃の正しさを示した」と強調。「(山上徹也容疑者が)もし中国で暮らしていれば、政府は彼が正義を追求するのを助け、この宗教団体を撲滅しただろう」とし、日米などは「中国の(カルト排除の)努力を『宗教上の自由への迫害』だとゆがめている」と反発した。
これは注目に値する記事ではないか。中国政府(共産党)は、宗教団体に悪徳商法や高額献金授受の事実あれば、躊躇なく『この宗教団体を撲滅した」というのだ。中国政府(共産党)は、そうすることが「正義」と信じて疑わない。「中国の(カルト排除の)努力を『宗教上の自由への迫害』だとゆがめて」はならない、という立場なのだ。
だから、共同配信記事は、示して示してこう締めくくっている。
「中国では一党支配の下、憲法が記す信教の自由は『ゼロに近いのが実態』(中国人カトリック専門家)との指摘もある。非合法化された法輪功や新興宗教だけでなく、プロテスタント系家庭教会なども抑圧されてきた。弾圧を受けた法輪功メンバーを支援してきた弁護士は『日本の旧統一教会の問題は、非公認の宗教活動を一層弾圧する良い口実を政府に与えた』と分析した。」(共同)
以上のとおり、中国(共産党)は統一教会を「邪教」として、弾圧も撲滅も躊躇しない。一方、統一教会の側は、反共(反共産主義)を教義としており、その教義によると、中国共産党は「サタン」とされている。
自民党と癒着し信者からは財産と真っ当な人生を奪った「邪教」と、人権と民主主義の弾圧をこととしてきた「サタン」と。どちらも唾棄すべき存在だが、暴力装置を駆使しうる「サタン」の方がより怖いというべきだろう。たまたま、本日の毎日新聞朝刊のトップ記事は、「数千枚の顔写真が語る、ウイグル族抑圧 新疆公安ファイルを追う」「当局、宗教色を問題視」である。その内容は、中国当局のイスラム教徒に対する弾圧。とても、近代国家のやることではない。
(2022年7月30日)
大阪は私が少年時代の8年間を過ごした懐かしい土地。その大阪が壊れそうだ。大阪はどうなってしまうのだろう。心配でならない。大阪を壊そうとしている張本人は維新。公明がその尻馬に乗っている。
「都構想」の実現はようやく避け得たが、今度はカジノだ。大阪にカジノ誘致とは、賭博場をつくって人を呼び込むことで、大阪の経済を立て直そうというアホな試み。バクチに負けた人の不幸の積み重ねで、胴元の自治体は潤うという算段だ。
「コロナにはイソジンがよく効く」と大真面目に記者会見したあの知事が、おなじノリで「地域経済活性化にはカジノが特効薬」と言って反対論に耳を貸さない。大真面目に「カジノには非常に大きな経済波及効果が見込まれる」として大規模カジノ誘致を強行し、賭博場の運営で大阪の経済再生をはかろうというのだ。
これに反対する大阪府民が、カジノ誘致の可否を問う住民投票実施のための条例を制定すべく運動を展開した。住民運動体「カジノの是非は住民が決める 住民投票をもとめる会」は、7月21日法定数(14万6千)を超える署名を府に提出して条例制定を請求し、これを受けて昨日(29日)に臨時府議会が開かれた。知事は、露骨に住民投票の実施に敵意を見せ、「計画案が府・大阪市の両議会で議決・同意され、国に認定申請している」「したがって、住民投票には意義がない」とする意見を付して条例案を提出した。
昨日の大阪府議会は、署名に表れた20万府民の民意を文字どおり「封殺」して、カジノ住民投票条例案を否決した。委員会審議への付託もなく、即日の否決。民主主義というものがうまく機能していないのだ。維新や公明に、民主主義の理解はない。維新と公明の罪は重い。
同日の本会議では、条例制定請求代表者6氏が意見を陳述。「21万人を超える署名(有効数19万2773人)の重み」「ギャンブル依存症の恐ろしさ」などを語り、熟議と条例制定への賛同を訴えた。山川義保事務局長は住民投票実施に否定的な維新などに対し「『選挙で選ばれた議員が決めた、それだからいいんだ』と、私たち住民の意見を封殺している」と批判した。これは、民主主義の根幹に関わる批判である。それたけに、カジノ実施に凝り固まった維新議員の耳には入らなかった。
維新や知事は、なぜかくも頑なに、住民投票の実施を拒否するのか。これだけ叩かれ、評判の悪い「夢洲カジノ」である。住民投票で過半の賛成を得られる自信があれば、住民投票でのお墨付きで批判を封じることが可能ではないか。しかし、投票すれば必ず負けるから住民投票はしない、住民投票条例は作らない。仮に負けた場合には、知事の座も市長の座も吹き飛ぶ。維新勢力の消滅ともなりかねないのだから。
トップはともかく、大阪府・市の官僚組織はアホではなかろう。府民・市民の賛否の分布を調査して、把握しているに違いない。おそらくは、知事も市長も、住民の過半数がカジノ誘致に反対という調査結果を耳打ちされている。だから、カジノ誘致の賛否を問う住民投票など絶対にやらせるわけにはいかないのだ。
2020年10月16?18日、日本経済新聞社とテレビ大阪が、大阪市内の有権者を対象に実施した電話世論調査がある。大阪府・市が誘致を目指すカジノを含む統合型リゾート(IR)について「賛成」が37%で「反対」が52%だった。これは信頼できる数値である。しかも、同年6月下旬の前回調査と比べて反対が3ポイント増え、賛成が3ポイント減っている。おそらくは、今はもっと反対派のリードが大きいと思われる。
同年1月25・26日の朝日新聞社による全国世論調査(電話)もある。カジノを含む統合型リゾート(IR)について、政府が整備の手続きを「凍結する方がよい」は64%に上り、「このまま進める方がよい」は20%だった。もっとも、この調査でも大阪府内では「このまま進める」が3割と、全国平均(20%)より高めだった。とは言っても、3割に過ぎない。
「求める会」は府議会の直接請求否決を受けて抗議声明を発表した。
「民意を問うことさえ否定し、みずから固執する政策を押し通そうとする府知事とカジノIR推進派議員の態度は、さらに厳しい府民の批判を招くことは必至だ」
まことにそのとおりであると私も思う。今は、維新を支持している大阪府民だが、けっしていつまでもではない。大阪府民を舐めてはならない。
(2022年7月29日)
憂鬱な夏の盛りである。コロナの蔓延に歯止めがかからない。行政の無為無策を嘆くばかり。ウクライナの戦況は膠着して停戦の展望は見えない。ミャンマーで民主派4人の死刑が執行された。アメリカでは、あのトランプが再びのさばりそうな雲行き。そして、参院選の結果にはとうてい納得しがたい…。さらに、あのウソつき晋三の国葬だという。
臨時国会は8月3日召集の模様である。参院の正副議長選出のほか、参院選の遊説中に殺害された安倍晋三への追悼演説が行われる見通しと報じられている。政府・与党は会期を8月5日までの3日間とする方針だが、野党側はより長い会期を求めて、安倍晋三の国葬問題や物価高を巡る緊急課題の議論も行う必要があるなどとしている。コロナへの対応も必要ではないか。
この臨時国会での安倍晋三追悼演説は、はからずも《プレ国葬》ないしは《プチ国葬》の性格を帯びるものにならざるを得ない。その意味で、注目されるところとなったが、昨日までは、甘利明(前自民党幹事長・麻生派)が行うことに決まったと思い込んでいた。
安倍晋三と甘利明、お互い脛に傷持つ間柄でよくお似合いである。私は、どちらも刑事告発し検察審査会への審査申立もした経験がある。起訴に至らなかったのがいまだに不本意であり、残念でならない。
ところが、今朝の新聞で、このせっかくのお似合いの間柄に水を差す不粋な向きがあって、甘利追悼演説は先送り、ないしは頓挫という雲行きだという。
毎日新聞は、「『残した派閥をばかに』 安倍派の猛反発で甘利氏の追悼演説頓挫」という見出しで報じている。この見出しを敷衍すれば、「『甘利明が安倍の残した派閥(安倍派=清和会)を馬鹿にした』という安倍派議員の猛反発で、甘利の追悼演説は頓挫した」ということなのだ。銃撃事件で会長を失った安倍派(清和会、97人)の批判が「頓挫させた」というのだから、その「猛反発」は相当なものなのだろう。
安倍派の反発は甘利明の20日のメールマガジンがきっかけだという。国会リポート 第439号というもの。その全文が下記で読める。
https://amari-akira.com/01_parliament/index_text.html
安倍派の逆鱗に触れたのは、下記の一文だという。
「最大派閥の安倍派は「当面」というより「当分」集団指導制をとらざるを得ません。塩谷、下村両会長代行に加え、西村事務総長と世耕参議院幹事長、閣内には要の官房長官たる松野さんと萩生田経産大臣が主要メンバーと言われますが、誰一人現状では全体を仕切るだけの力もカリスマ性もなく、今後どう「化けて行く」のかが注視されます。」
以下、毎日の記事による。
「これに安倍派最高顧問の衛藤征士郎・元衆院副議長は21日の同派会合で『こんなに侮辱されたことはない』と激しく反発。派内では他にも『甘利氏こそカリスマ性がない』などと批判する声が相次いだ」「党は甘利氏の演説を検討したのは『安倍氏の遺族の意向を踏まえた』ためだとしているが、同派から『なぜ安倍氏が残した派閥をばかにする甘利氏に演説させるのか』『国民の気持ちは甘利氏ではない』などの声が漏れた。反発は安倍派のみならず党内の他派閥にも広がり、党執行部には『いつ甘利氏に決めたのか』など、再考を求める意見が寄せられているという。」
《プレ国葬》を舞台に、これはまた安倍側近政治家たちのまことに麗しい振る舞いではないか。自民党の、安倍派や安倍に近い政治家たちでさえ、けっして安倍晋三の死を悼んでなどいない。安倍の死をきっかけに起こっている勢力争いに懸命なのだ。ましてや、安倍と距離を保ってきた自民党議員や野党に安倍の死を悼む気持などあろうはずもない。
にもかかわらず、国葬とは、政府が国民の名を僭称して安倍晋三の死に対する弔意を表明する儀式である。安倍晋三の死を利用して、国民の政治意識を安倍や現政権の望む方向に誘導しようという思惑が透けて見える。ばかばかしい。国葬なんぞで、国民の弔意をもてあそぶのはやめていただきたい。
そして、私も納税者だ。私の納税分をウソつき晋三の葬儀に一円たりとも、支出してもらいたくない。誰の国葬もやってはならないが、ましてや、ウソつき晋三の国葬など、もってのほかではないか。
(2022年7月28日)
本日の毎日新聞国際欄に、「韓国・尹大統領、支持率急落 30%割れ目前 『お友達人事』響き」とある。朝日は既に、「『お友達人事』迷走、支持率急落 韓国大統領が不快感『前政権の閣僚、それほど立派か』」と報道している。キーワードは、『お友達人事』だ。
韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の支持率が、就任からわずか3カ月足らずで求心力維持の「危険水域」とされる30%割れに近づいており、その最大の理由が「お友達人事」の悪評だという。
世論調査会社「韓国ギャラップ」が22日発表した尹大統領の支持率は32%。就任当時の52%から20ポイント急落した。深刻なのは、不支持率が23ポイント増の60%にのぼったこと。韓国メディアは政権末期の「レームダック(死に体)」ではなく、「就任ダック」と報じている。
大統領を支持しないと答えた人のうち、最も多い24%の人が理由として挙げたのは「人事」だという。この人、検察出身者や幼なじみら「お友達」を要職に起用。知人の息子らを大統領府に採用したことも批判された。さらに、「閣僚人事が失敗だったのでは」との記者の質問に対し、「前政権で指名された閣僚の中に、それほど立派な人たちがいたのか」などと言い放ったことが報じられ、高圧的で独善的なイメージを国民に与える結果となった、と報じられている。
これが原因で政権の支持率急落・不支持率急増なのだから、韓国の民主主義はまことに健全である、韓国の民衆の政治意識は学ぶべき立派なもの。安倍晋三という日本の首相の人事もひどかった。むしろ、「お友達人事」はこちらが本家本元。ところが、日本の有権者は8年余も安倍晋三で我慢した。日本の民主主義は機能不全である。日本の民衆は愚かな政治指導者に過度に寛容と評するしかない。
安倍政権の「お友達人事」に仰天した最初は、NHK経営委員の新任者の任命。経営委員会はNHKの最高意思決定機関であり、NHK会長の任命権も罷免権ももっている。その経営委員12人は、国会の同意を得て内閣総理大臣が任命する。
それまでは、公共放送に求められる「不偏不党」や中立性重視の立場から、政治色の濃い人事は控えられてきたとされる経営委員人事。初めて、安倍晋三は鉄面皮な人事を通してのNHK支配を試みた。戦後民主主義に挑戦した安倍晋三の面目躍如である。
2013年10月に任命された新経営委員の顔ぶれは以下の4人である。
百田尚樹(右翼のお友達)
長谷川三千子(右翼のお友達)
本田勝彦(JT顧問)
中島尚正(海陽学園学校長)
百田と長谷川は、自民党総裁選に際して発表された「安倍首相を求める民間人有志の緊急声明」の発起人。志と感性を同じくする安倍の「お友達」。本田は安倍が小学生だったの1960年代に家庭教師を務めていたという関係の「お友達」。首相を囲む会「四季の会」のメンバーで、ガチガチの『安倍派』と言われた人物。中島が勤務する海陽学園では、安倍晋三首相の盟友である葛西敬之(JR東海)が副理事長を務めるという、謂わば安倍とは「お友達のお友達」という間柄。
当時、この人事は衝撃をもって受けとめられた。とりわけ、NHKの幹部はメディアに「官邸が、原発や沖縄の問題を取り上げたNHKのドキュメンタリー番組に不満があるとは漏れ聞いていたが…」と啞然とした表情を見せて語ったという。
この時期に経営委員会に4人が送り込まれた最大の理由は、差し迫っていた次期NHK会長の後任選びのためだとされた。新会長は、9人の賛成がなければ就任できない。つまり、4人に「NO」といわれた人物は会長になれない。4人は会長選びのキャスチングボートを握っている、と報道された。
この経営委員会人事の直後、同年12月20日のNHK経営委員会で第21代会長に選出されたのが、あの籾井勝人。「(慰安婦は)戦争地域にはどこでもあった」「政府が右ということを左というわけにはいかない」などという、迷言で一躍知られた人物。「安倍のお友達」が選んだ、「お友達」である。この頃から、NHKは顕著におかしくなって現在に至っている。
残念ながら、このとき日本の有権者は「アベ友人事」に徹底して怒らず結果としてこの人事を受容した。その結果、到る所に「安倍のお友達」がはびこって、この日本を食い物にしたのだ。さて、安倍がいなくなった今、食い物にされた日本は元へ戻ることができるだろうか。日本を元に戻してはならないという安倍後継勢力が、安倍の国葬に固執している。安倍国葬反対の声を上げることは、実は大きな意義のあることなのだ。
(2022年7月27日)
できたての、まっさらな新刊本が送られてきた。書名は『DHCスラップ訴訟』、「スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」という長い副題。著者は私、この訴訟の弁護団長・光前幸一さんの丁寧な解説が付いている。日本評論社からの出版。
さっそく通読して、よくまとまっていて面白く読めるという感想。自分が代理人の事件ではこう面白く書けない。自分が当事者となった事件であればこそ、怨みも怒りも迷いも率直に書くことができた。自画への自賛だが、なかなかの出来栄えではないか。
この書の奥付は「2022年7月30日第1版第1刷発行」となっており、アマゾンでは8月1日発売とされている。弁護団の弁護士各位やカンパを寄せていただいた方など200名弱には献本の予定。今月末にはお届けできるはず。お楽しみに。
『DHCスラップ訴訟』という書名はDHC製品の宣伝のようでもあって、やや抵抗感もあった。が、結局これ以外にはなかろうと落ちついた。副題の「スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」は長すぎるようにも思えるが、内容をよく表している。これも結局これ以外にないとなった。「スラップする」「スラップされる」という言葉の使い方は耳新しいが、この書で、人口に膾炙することになるのではないか。
最初の原稿は、随分と長いものを書いた。が、長すぎると評判悪く思い切って縮めた。そのため、書き足りないところ、書き残したものを数えると切りがないが、ほどのよいまとまった読み物になった。そして、私とは視角も文体も違う光前さんの解説が、奥行きを深めている。日評にお願いして、定価は押さえてもらった。私としては、多くの人に読んでいただきたいと思っている。「表現の自由」のために、カネで政治を動かしてはならぬという警告のために、そして、消費者の利益を擁護するために。
あらためて8年前の5月のある日のことを思い出す。突然に理不尽なスラップ訴状の送達を受けて、当初に思ったことは、ともかくこの訴訟を勝ちきらねばならないということ。しかし、多くの方からの支援を得て余裕ができてくると、これは私一人の問題ではないと実感するようになり思いは変わってきた。
単にスラップを斥けて良しとするのでは足りない。せっかく弁護士がスラップされたのだ。スラップ反撃の見本と、その成功の実例を作らねばならない。けっして《スラップに成功体験》をさせてはいけない。むしろ、典型的な《スラップ失敗体験》をさせなければならない。そしてそのことを世に伝えなければならない。そう思うようになった。DHCと吉田嘉明に、「うかつにスラップなんかやってたいへんなことになってしまった。もう2度とスラップなんかやるもんじゃない」と反省させなければならない。そしてその経過を世に伝えなければならない。そう思うようになった。
そのために、まずは自分の言論を萎縮してはならないという思いから「澤藤統一郎の憲法日記」に、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始め、これは既に第200彈を超えた。そして、私が被告にされた6000万円請求訴訟が東京地裁から最高裁まで3ラウンドで私が勝訴し、さらに攻守ところを変えた「反撃」訴訟が、これも東京地裁から最高裁まで3ラウンド。合計6ラウンドの闘いで、全て私の勝訴となった。この訴訟は、昨年(21年)1月に確定して全て終了したが、残る課題が、その顛末を一冊の書にまとめて出版することだった。今回のの出版で私の思いはほぼ達成できたとの満足感がある。スラップを仕掛けたDHC・吉田嘉明の側に、典型的な失敗体験をさせることができたのだから。
多くの人に支えられ、多くの人を頼っての勝利であって、私はこの間誰よりも幸せな被告であり原告であり続けた。この書を、スラップ批判の世論を形成するために広めていただき、さらには実践的なスラップ対応テキストとしてご活用いただけたらありがたいと思う。
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8842.html
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「DHCスラップ訴訟 ー スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」
著者:澤藤統一郎 (解説・光前幸一)
価格:税込 1,870円(本体価格 1,700円)
発刊年月 2022.07 判型 四六判 256ページ
内容紹介
批判封じと威圧のためにDHCから名誉毀損で訴えられた弁護士が表現の自由のために闘い、完全勝訴するまでの経緯を克明に語る。
目次
はじめに
第1章 ある日私は被告になった
1 えっ? 私が被告?
2 裁判の準備はひと仕事
3 スラップ批判のブログを開始
4 第一回の法廷で
5 えっ? 六〇〇〇万円を支払えだと?
6 「DHCスラップ訴訟」審理の争点
7 関連スラップでみごとな負けっぷりのDHC
8 DHCスラップ訴訟での勝訴判決
9 消化試合となった控訴審
10 勝算なきDHCの上告受理申立て
【第1章解説】DHCスラップ訴訟の争点と獲得した判決の評価……光前幸一
第2章 そして私は原告になった
1 今度は「反撃」訴訟……なのだが
2 えっ? また私が被告に?
3 「反撃」訴訟が始まった
4 今度も早かった控訴審の審理
5 感動的な控訴審「秋吉判決」のスラップ違法論
【第2章解説】DHCスラップ「反撃」訴訟の争点と獲得判決の意義……光前幸一
第3章 DHCスラップ訴訟から見えてきたもの
1 スラップの害悪
2 スラップと「政治とカネ」
3 スラップと消費者問題
4 DHCスラップ関連訴訟10件の顛末
5 積み残した課題
6 スラップをなくすために
【第3章解説】スラップ訴訟の現状と今後……光前幸一
あとがき
資料
(2022年7月26日)
本日の産経朝刊『主張』(社説)が、「安倍元首相の国葬 野党の反対は理解できぬ」というもの。もちろん、安倍晋三を持ち上げ、今後も安倍的政治の継続を願う立場の提灯社説。が、国葬反対論への反駁に説得力はなく、国葬推進派の根拠や理由はの薄弱さを露呈している点で注目に値する。
まずタイトルが不出来である。なぜ「野党の反対」だけを問題にしようというのか。国葬反対は野党だけではない。けっして反対勢力の中核に野党が位置しているわけでもない。言論界も研究者も宗教者も教育界も、法曹も市民運動も、こぞって反対しているではないか。ことさらに、野党の反対論だけを取りあげる合理性はない。
そして、野党の国葬反対論を「理解できぬ」というのも理解しがたい。反対論に対する反論ではなく、積極的に堂々と国葬賛成の理由を論述したらよかろう。せめて、「理解できぬ」ではなく「私はこう思う」というべきではないか。でないと、「理解できぬ」は「理解の能力がない」と読まれてしまいそう。以下、逐語的に反論しておきたい。
「本紙は14日付主張で、『国際社会が示してくれた追悼にふさわしい礼遇を示すことが大切だ』と指摘し、国葬の実現を求めていた。決定を歓迎する。」
結論からいえば、産経主張はこれが全て。要するに、後進国コンプレックスに凝り固まって、「外国ではこうするもののようだ」「外国に見習わなくてはならない」「外国に恥をさらしてはならない」と言うだけのもの。もっと自立し自信をもつべきだろう、産経さん。
しかも、国際社会は安倍晋三の何たるかその正体を知らない。知っていたところで、面と向かって「政治を私物化しウソとごまかしを糾弾された最低の首相」とは言えない。外交儀礼のおべんちゃら追悼を真に受けて、「国際社会が示した追悼にふさわしい礼遇」とはチャンチャラおかしい。以下、社説の各文に反論する。
「各種世論調査で、国葬に賛意を示す国民は多数を占めているが、慎重派も少なくない。野党も共産、立憲民主、社民などが国葬実施に反対している。」
「各種世論調査で、国葬に賛意を示す国民は多数を占めている」は、安倍晋三並みのごまかしと言ってよい。正確には、「これまでの世論調査の中には、安倍晋三の国葬に賛意を示す国民が過半を占めるものもあったが、国葬を行うにふさわしい圧倒的な国民の賛意は示されていない」「むしろ、圧倒的多数が国葬反対を示す調査結果さえ散見される」「しかも、国民が銃撃事件の衝撃から醒めて平静を取り戻し、銃撃犯容疑者の犯行の動機や背景が知れ渡るにつれて国葬に賛意を示す国民は減少しつつある」と言うべきであろう。
産経が挙げる、共産党志位和夫委員長の国葬反対理由は、
?国民の評価が分かれている元首相の業績を国家として賛美することになる
?元首相への弔意を強制する―の2点であるそうだ。
産経がこれを「理解できぬ」として、いかなる「反論」を行うのかと思えば、肩透かしである。
?に対しては、以下の論述が「反論」のようである。
「白昼の銃撃で倒れた安倍氏の葬儀を国葬として執り行うことは、国民の支持を得て長く政権を預かった元首相を国として追悼するばかりでなく、日本が「暴力に屈せず、民主主義を守り抜く」(岸田文雄首相)姿勢を内外に示す意義がある」「アベノミクスなど評価が分かれている元首相の業績を無条件で賛美するわけではない」
要するに、国葬の積極理由は《安倍晋三が長く政権を維持したこと》《暴力に屈せず、民主主義を守り抜く》ためだけであって岸田説明の域をまったく出ていない。その上で《その業績を賛美するわけではない》と言い訳をするのだ。これでは、噛み合った反論として成立していない。
共産党・志位は、「どんな理由を付けようとも、安倍晋三を国葬にすれば、国が公的に安倍の所業を国家として賛美する効果を生じることになるではないか。そのような、問題首相の死の政治利用は許されない」と言っているのだ。産経はこの問いかけ答えていない。
?「元首相への弔意を強制する」という反対理由に対する産経の「反論」は以下の記述のようである。
「弔意の強制についても政府はすでに9月27日を休日とせず、黙禱(もくとう)なども強制しない方針を明確にしている」
信じがたいことだが、産経は「葬儀当日を休日とせず、全国民に黙禱を強制することはしない」とすれば弔意の強制をすることにはならないと本気で考えているのだろうか。
主権者の一人であり人権主体でもある国民一人ひとりにとって、政権が国葬を強行することそれ自体、また国葬に国費を投じることそれ自体が、国民に対する弔意の強制である。国家から拘束されることのない精神の自由を害することなのだ。産経には、このことの理解を求めたい。
なお、この産経社説によれば、立憲民主党の泉健太代表は「天皇陛下や上皇陛下の国葬については国民の理解があるが、それ以外はないと思う」と述べ、安倍晋三の国葬はふさわしくないとしたそうだ。産経は「この批判は的外れである」としている。私も、同様にまったくの的外れだと思う。天皇であろうと皇族であろうと、人の死に対しての弔意の強制が許されてよかろうはずはないのだから。
「国葬は弔問外交の場ともなる」「エリザベス女王が国家元首を務める英国でも1965年、チャーチル元首相の国葬が行われ、各国の国王や元首、首相ら111カ国の代表が参列、日本からは岸信介元首相が列席した」
何とも情けない。外交の必要があれば、その都度に必要な人物と接触し交流したらよいだけのこと。弔問外交のための国葬など、本末転倒甚だしく理由にもならない。
「『地球儀を俯瞰する外交』を掲げ、「自由で開かれたインド太平洋」構想の実現に尽力した安倍氏を国葬で各国の首脳とともにしのぶのは、国益にかなっている。」
この辺りに、ホンネが出ている。思惑あって安倍晋三の功績を称えたいのだ。プーチンやトランプに手玉に取られ、中国や韓国・北朝鮮ともうまくいかず、なんの成果も挙げられなかった無為無策無能の安倍外交。さらには、政治の私物化だけには余念のなかった安倍政治。国葬でのごまかしを許してはならない。
「政府は、国葬の意義をさらに詳しく国民に説明するとともに、元首相の国葬後に、国葬に関する法令の整備を進めてもらいたい。」
これは、右派からみての政府の説明不足の歯がゆさを語る一文として貴重なもの。実は、説明不足ではなく、説明不能な事態が続いているというべきなのだ。
そして、社説は最後をこう締め括っている。
「国家に功績のあった人物を国葬で送るのは、諸外国では当たり前である。日本もそうあるべきだ。」
おやおや、日本の右翼は日本固有の歴史や伝統を重んじる立場ではなかったのか。何というご都合主義。諸外国では当たり前だから、日本も真似をせよとは情けなや。