澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

霊視商法は潰され、霊感商法は生き残った。なぜだ?

(2022年7月25日)
 安倍晋三は、統一教会の庇護者ないしはシンパと目されて銃撃の標的とされた。そこで、「統一教会とはなんぞや」「その統一教会と安倍晋三との関係はいかなるものであったか」という2点に、国民の注目が集まっている。

 日本の民主主義を大切に思う立場からも、この2点は徹底して追及されなければならない。政権が安倍晋三の死を国葬という形で政治利用しようという今、その解明は急務となっている。

 実はこの2課題、緊密に関連している。関連性のキーワードの一つが「反社会性」である。統一教会が行った悪徳商法の根の深さが、統一教会の側には政権に擦り寄って庇護を求める必要を生じ、政権の側には教会に庇護を与えてその対価としての政治運動への動員や集票という利益を享受するという持ちつ持たれつの関係を深めた。

 もう一つのキーワードは、「反共」である。統一教会が本質的にもつ反共思想と体質は、自民党政権、なかんずく岸・安倍には親和性が高かった。他の宗教とは異なり、ほかならぬ統一教会が自民党とりわけ安倍政権に取り入ることができた理由というべきである。

 統一教会の「反社会性」と「反共」を徹底して究明することが、同教会と安倍晋三や安倍政権との結びつきの必然性と構造を解明することになるだろう。

 大活躍の有田芳生が、7月18日のテレビ朝日「モーニングショー」に出演して、こう述べている。
 「1995年の地下鉄サリン事件の後、警察は『オウム真理教の次は旧統一教会の摘発を視野に入れている』と話して準備もしていた。しかし、その後動きがなかったので、10年後に改めて聞いてみると『政治の力』と言われた」
 この有田証言は具体的で説得力がある。統一教会を庇護する『政治の力』は確実にあったものと考えられる。ぜひとも、各メディアは取材を徹底していただきたい。

 また、霊感商法問題に長く携わってきた友人弁護士は、こう語っている。
 「統一協会が政界工作を行うのは、そのことよって政治権力の庇護を受ける、お目こぼしを受けるということを目標としており、現実にその成果が獲得されていると考えてよい。安倍内閣は国家公安委員長として、統一教会に近いことで知られる山谷えり子を据えている。これが政権の意思として当然に教会に対する監視は緩くなる。霊感商法や伝道端緒の印鑑商法の摘発などは抑えられる。国税庁が税務調査の対象にしないとか、国外送金の問題を追及しないとか、そういう現実的な効果を獲得している」

 私は、有田芳生の発言も、友人弁護士の話も、真実性の高いものと実感できる。霊視商法被害救済に関わった経験からだ。

 私は、東京弁護士会消費者問題対策委員長だった時代に、「本覚寺」の霊視商法被害の救済に関わった。当時既に統一教会の霊感商法は猖獗を極めていた。これと区別する「霊視商法」のネーミングは私がした。

 霊感商法は、少なくとも形の上では、壺や印鑑や仏具や書籍の売買である。消費者問題としてのアプローチになじみ易く、民事法的な商品売買についての規制法理の適用も利用しやすい。しかし、霊視商法では商品授受の介在なしに、霊視・祈祷・除霊などに対する謝礼として数百万円から数千万円の金銭が動く。祈祷や除霊というサービスに対する対価ではなく、飽くまで喜捨や布施という意味付けで。

 これは、常識的には宗教まがい被害だが、本覚寺側は大真面目に信者の宗教心から出た任意の喜捨であるという。「被害者」の家族から東京都消費者センターへの相談が急増したが、寺側は頑としてセンターからの事情聴取に応じることはなく、「行政が宗教に干渉するのか」と居直った。こうして、霊視商法弁護団が結成されて、東京地裁に提訴した。第1次から10次までの訴訟が続いた。原告となった被害者は359名であった。

 訴訟の結果は和解で被害金を回収した。当時の資料を見直すと平均回収率96%である。差押え対象財産が十分に見えず、判決を取ることにはリスクがあった。被害回復を優先すればこうならざるを得ない。ところが、「本覚寺」の霊視商法は、訴訟が係属している間にも、拡大した。関東一円の被害は、愛知に飛び、やがて高野山(和歌山県)に本拠地を移した。新たに「明覚寺」という宗教法人を取得して活動を始めた。当然に、各地で同様の民事訴訟が多数提起された。

 弁護団は結成当初から、刑事告訴も、破産申立ても、宗教法人法81条に基づく解散命令の申立ても躊躇しないと表明していたが、実際には躊躇した。権力が信教の自由に実力で介入する前例を作りたくはなかったからである。

 しかし、霊視商法に対する社会の糾弾の声が高まると、むしろ警察や行政が機敏に動いた。まず、愛知県警により明覚寺系列の満願寺(名古屋市)の僧侶らが摘発された。さらに、宗教行政を管轄する文化庁が、和歌山地方裁判所に宗教法人明覚寺に対する解散命令を請求、和歌山地裁は2002年1月24日に解散命令を出した。明覚寺は最高裁まで争ったがこの命令が覆ることはなかった。世に注目される宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目の事例であった。

 あらためて思う。オウムに対しても、明覚寺に対しても、行政は容赦しなかった。社会的に指弾された宗教団体に対して、刑事的な介入も、解散命令にも、躊躇することはなかった。が、統一教会は別なのだ。オウムも明覚寺も、自民党や政権との結びつきをもたなかった。統一教会だけが明らかに、権力の一部に食い込み、権力の中枢とつるんでいた。この違いが大きいのではないか。

 世を震撼させたオウムと統一教会とを比較することに抵抗感を覚える人もあるかも知れない。しかし、統一教会の霊感商法被害の規模は、はるかに霊視商法をしのぎ、その時期もはるかに長い。にもかかわらず、いまだに統一教会は生き残って霊感商法を続けている。その差は、権力との距離如何にあるというほかはない。

「ILO/ユネスコ再勧告実現! 7.24 集会」閉会の辞

(2022年7月24日)
 「『日の丸・君が代』ILO/ユネスコ勧告実施市民会議」主催「再勧告実現! 7.24 集会」の閉会のご挨拶を申しあげます。

 本日は、まことに盛り沢山で、中身の濃い、充実した集会でした。たくさんの知らないことを教わりました。いくつもの考え方のヒントもいただきました。とても意義の深い有益な集会だったと思います。しかし、有益だったということは、「こうすればよい」「こうすればこのような成果を得ることができる」という安直なノウハウや結論を得たということではありません。むしろ、問題は、この国の権力構造や、民主主義の成熟度や人権意識、そして司法の体質などにも関わる極めて重い課題であることの再確認を要するとの思い強くしました。

 もちろん、私たちは、日本の政治を変えなければ何も勝ち取ることはできないという立場はとりません。今目の前にある権利侵害や不合理の解決のために全力を尽くしますが、教育現場での国旗国歌強制問題の根の深さを再認識せざるを得ません。

 「10・23通達」発出以来、もうすぐ19年です。もう18年も裁判を継続して「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」という職務命令と闘い続けてきました。最初にこの問題を法的に考えたときに、こう思いました。

 あの旗と歌を、国旗・国歌とみれば、日本という国家の象徴であり、権力機構の象徴でもあります。主権在民の原則を掲げる今の時代に、主権者である国民に対して、国家の象徴である国旗国歌への敬意表明を強制できるはずはありません。
 また、あの旗と歌を、「日の丸・君が代」とみれば、日本国憲法が意識的に排斥した大日本帝国憲法体制の象徴というほかはありません。天皇主権・国家主義・軍国主義・侵略主義・排外主義の歴史にまみれた旗と歌。これを受け入れがたいとすべきが真っ当な精神というべきで、日の丸・君が代への敬意表明を強制できるはずはありません。明らかに、憲法19条の思想・良心を蹂躙する暴挙だ。

 これに対して、都教委やそれにつながる国家主義陣営はどう反論したか。「国民一般に対する国旗国歌(日の丸君が代)の強制と、公務員に対する強制とは別だ。教育公務員はさらに別だ」というのです。

 この論争、緒戦では勝利しました。いわゆる予防訴訟における、2006年9月21日東京地裁「難波判決」です。しかしその直後に最高裁ピアノ判決が出て、以来私たちは憲法論のレベルでは敗訴が続いています。かろうじて、裁量権の逸脱濫用論で勝つにとどまっています。戒告を超える減給・停職は、重きに失する処分として違法で取り消されています。教員側も都教委側も勝ちきれていない状況が続いているのです。
 
 こういうときに、国連という世界の良識が、「教員の国旗国歌強制の拒否も、市民的不服従として許されるべきだ」「現場に混乱をもたらさない態様での思想・良心の自由は保護されなければならない」という勧告は、大いに私たちの闘いを励ますものとなっています。

 日本の政府や都教委は、できることならこの勧告・再勧告を、「勧告に過ぎない。拘束力がない」として、無視しようとしてます。明らかに、自分たちの立場を弾劾する不都合な内容だからです。しかし、これが、世界標準なのです。誠実に対応しないことは、日本の恥を嵩めることになります。私たちは、世論を喚起して都教委や政府に、常識的で真っ当な対応を求めたいと思います。

 本日の集会の成果を生かして、これから多様な努力を積み重ねなければなりませんが、まず目前に文科省交渉があります。
 8月4日、来週の木曜日15時から、
 衆院第1議員会館 地下第4会議室
にご参集ください。
  
 貴重な発言をしていただいたご基調講演の勝野正章(東京大学)さん、阿部浩己(明治学院大学)さん、鼎談の阿部浩己さん、寺中誠(東京経済大学)さん、前田 朗(東京造形大学名誉教授)さん、特別講演の岡田正則(早稲田大学)さん。そして、現場からのご報告の皆様方に、感謝申しあげます。

 コロナ禍を押してご参集いただいた皆様ありがとうございました。そして、この集会準備に携わられた多くの皆様方に、厚く御礼を申しあげて、閉会の挨拶といたします。


 あなたも運動サポーターに? 運動への協力金を

 個人 1 口 500 円 / 団体 1 口 1,000 円  (何口でも結構です)
郵便振替口座 番号 00170?0?768037 
「安達洋子」又は「アダチヨウコ」(市民会議メンバーの口座です)

安倍晋三の反共意識は、祖父岸信介譲りで最後まで揺るがなかった。

(2022年7月23日)
 安倍晋三の死は衝撃だった。誰の生も等しく尊重さるべきであり、誰の死も等しく痛ましい。安倍晋三の死を他の人以上に特別に悼まねばならない理由はない。ただ、権勢を誇った者の突然の銃撃死に衝撃を受けた。

 安国寺恵瓊が織田信長について予言したという「高転びに、あおのけに転ばれ候ずると見え申し候」というとおりの死に方。「おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」と思わせる死に方でもある。衝撃を受けて当然であろう。

 この衝撃に続くものとして心配されたことが2点。ひとつは、模倣犯の連鎖が生じはしないかということ。そしてもう一つが、この右翼政治家の死の政治利用である。前者については、まだ結論を言える段階ではないが、犯行の動機が明らかになるにつれてその可能性は低くなっているように思われる。報復的なテロなどは考えられないからだ。

 しかし後者「安倍晋三の死の政治利用」は国葬の強行という形で現実化しつつある。人の死とは厳粛なものであり誰の死についても、死者を鞭打つことははばかられる。ましてや、衝撃的な死を遂げた人物への批判は口にしにくい。その社会心理が、安倍晋三の死の政治利用を許すことになる。今必要なのは、安倍晋三の生前の悪行批判に口を閉ざしてはならないということ。言いにくい雰囲気に抗して、敢えて意識的に安倍晋三の政治姿勢を批判しなければならない。

 安倍晋三の数々の所業のうちに、まずは銃撃犯が語った犯行動機の文脈に沿って、統一教会との関係から、徹底してあぶり出さねばならない。統一教会とはなにかということと、その統一教会と安倍はなにゆえにどう関わったのかということ。それによって、安倍晋三とは何者であったかを明確にすることができるだろう。私はだれの国葬もあってはならないと考えるが、安倍晋三ほど、国葬にふさわしからぬ人物はない。

 統一教会とは宗教団体ではあるが、反共政治団体でもある。安倍晋三はこの反共政治思想と共鳴していたのだ。周知のとおり、この教会が反共政治団体としての側面で活動するときは、「世界勝共連合」を名乗った。この勝共連合は、文鮮明と岸信介・笹川良一・児玉誉士夫らの日本の右翼が連携して結成した。冷戦下での反共の防波堤という構想によるもの。岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三の3代が、統一教会と反共という熱い太い糸で結ばれていたのだ。

 岸信介と文鮮明の結びつきの深さを語るエピソードがある。
 ジャーナリスト徳本栄一郎氏が現地で発掘した貴重な資料によれば、岸信介は、脱税で実刑の有罪判決を受けて収監された文鮮明について、アメリカ大統領・レーガンに釈放要請の嘆願書を書いている。84年11月のこと。日本の元総理がアメリカの現職大統領に宛てて、韓国人「脱税犯」の逮捕が不当だとして釈放を要請するという、極めて異例の内容。その概要が以下のとおりである。

 「文尊師は、現在、不当にも拘禁されています。貴殿のご協力を得て、私は是が非でも、できる限り早く彼が不当な拘禁から解放されるよう、お願いしたいと思います」
 「文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております
 「彼の存在は、現在、そして将来にわたって、希少かつ貴重なものであり、自由と民主主義の維持にとって不可欠なものであります

 安倍晋三は、この岸を師と尊敬して政治家となった。反共の思想をそのまま引き継ぎ、統一教会との関係も維持し続けた。彼が、その関係を公然と見せつけた最後の機会が、昨年(2021年)9月12日の『天宙平和連合(UPF)』主催大規模集会でのリモート基調講演。トランプとの共演で話題となった。

 以下、信頼できる「やや日刊カルト新聞」の報道から引用させていただく。

 「統一教会」(天の父母様聖会世界・世界平和統一家庭連合)フロント組織『天宙平和連合(UPF)』の大規模集会に安倍晋三前内閣総理大臣がリモート登壇し、教団最高権力者・韓鶴子におもねる基調演説を行った。

 安倍晋三が基調演説を行ったのは韓国の教団聖地・清平の清心ワールドセンターで9月12日午前9時半から開かれた『神統一韓国のためのTHINK TANK 2022 希望前進大会』なる大規模集会。教団のオンラインプラットフォームであるPeacelinkから全世界に配信された。

 安倍晋三とともに特筆すべき人物としてドナルド・トランプ前米大統領がリモート基調演説を行い韓鶴子に賛美の言葉を贈った。

 教団と深い関係にあった岸信介元首相や安倍晋太郎元外相についても言及した司会から「韓鶴子総裁とTHINK TANK2022の主旨に積極的に支持してくださり本日の基調演説を担当してくださいました安倍晋三総理を大きな拍手でお迎えください」と紹介を受けた安倍晋三がリモート登壇。以下その概要。

 「ご出席の皆さま、日本国、前内閣総理大臣の安倍晋三です。UPFの主催の下、より良い世界実現のための対話と諸問題の平和的解決のためにおよそ150か国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で世界平和を共に牽引してきた盟友のトランプ大統領とともに演説の機会をいただいたことを光栄に思います。ここにこの度出帆したシンクタンク2022の果たす役割は大きなものがあると期待しております。今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁を始め皆様に敬意を表します」

UPFの平和ビジョンにおいて家庭の価値を強調する点を高く評価します。世界人権宣言にあるように家庭は世界の自然且つ基礎的集団単位としての普遍的価値を持っています。偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう

「とてつもない情熱を持った人たちによるリーダーシップが必要です。この希望前進大会が大きな力を与えてくれると確信いたします」

 これまで、拉致問題や慰安婦・徴用工問題で、安倍晋三の対朝鮮韓国差別意識を感じてきたものとしては、この韓国の宗教団体へのおもねりぶりは理解しがたい。反共での連帯意識がナショナリズムの壁を凌駕しているということだろうか。いずれにせよ、安倍晋三は岸信介の反共思想を受け継ぎ、反社会性の高い悪徳商法主催者と反共で結ばれていたのだ。

安倍晋三は、反共組織としての統一教会(勝共連合)と癒着していた。

(2022年7月22日)
 本日、政府は安倍晋三の国葬を閣議決定した。閣議決定は魔法の杖。一振りでなんでもできる。稀代のウソつきを「国民の敬愛に包まれ、外国要人からの尊敬も勝ち得た、偉大な政治家」に変身させるなんぞは、造作もないこと。あとは、内外からのおべんちゃらを待てばよい。そのおべんちゃらを、いかにももっもらしく尾ひれを付けて語ってくれるのが御用メディアだ。そうすりゃ、天皇の利用も、NHKの利用も、教育行政の利用も、まあ、楽なもの。

 国葬は9月27日に日本武道館でとのことだが、この葬儀、大規模な抗議の対象とならざるを得ない。国論分裂の秋、風雲穏やかならざる武道館界隈。もちろんその元兇は、強引に無理を通そうとしている岸田政権である。

 政府・自民党の思惑は、安倍晋三の死を最大限利用して安定政権を築き、あわよくば「安倍さんの悲願だった憲法改正」へと世論を誘導したいところ。そのためには、安倍晋三を悲劇のヒーローとしてだけではなく、偉大な政治家にまつりあげねばならない。しかし、なかなかそううまくはいかない。正反対に、国葬への反発から政治家安倍晋三とはいったい何者であったかが、今徹底的に抉り出されようとしている。もちろん、その中心は、旧統一教会との関係である。しかも、岸信介以来世襲政治家3代との醜悪な関係。

 統一教会とは、宗教でもあり、政治団体でもあり、悪徳商法組織でもある。この3者の側面が一体となった存在である。マニュアル化されたシステムで入信させてその精神を支配する「宗教団体」であるだけでなく、反共の政治思想・政治行動と緊密に結びつき、しかも霊感商法で莫大な利益を上げてきた悪徳商法組織として財政基盤を築いてきた。

 安倍晋三・自民党と統一教会との関係を見極めるには、何よりもその反共団体としての側面(勝共連合)との持ちつ持たれつのもたれ合いにメスを入れなければならない。これから、大いに汚いウミが曝け出されることになるだろう。

 そのような立場から、共産党は、昨日(7月21日)旧統一教会と政治との関わりなどを調べる問題追及チームを立ち上げた。小池晃書記局長が責任者、宮本徹衆院議員が事務局長を務める。同日国会内で開かれた第1回会合で、小池書記局長は「安倍晋三元首相に対する銃撃事件を機に、旧統一協会に対し大きな社会的注目が集まってきている」「旧統一協会と一体の右翼団体である国際勝共連合が繰り返し日本共産党に対する攻撃を行ってきた」「われわれは真正面からたたかっていかなければならない相手だ」と述べている。

 立憲民主党の西村幹事長は、同日党内に宗教法人「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」をめぐる被害対策本部を設置すると発表した。霊感商法などの消費者被害が「国会としては看過できない問題」(西村氏)として、事情に詳しい弁護士らに聞き取りをして対策を検討するという。

 そして、何と、維新も動かざるを得ないと考えた。同日松井一郎代表は、党所属の国会議員と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側との関わりの有無について全国会議員に対し、聞き取り調査を行う意向を明らかにし、調査結果は公表するという。これは楽しみだ。

 ところで、肝腎の自民党はどうなのだ。統一教会との関わりを認めるのか認めないのか、調査もしないのか。せめて、銃撃犯が語った安倍晋三と統一教会との関係くらいは、その認識を公表すべきだろう。さもなくば、自浄能力のない組織との批判を甘受せざるを得ないことになる。

 本日の赤旗の報道によれば、2019年10月5日、旧統一協会系の天宙平和連合(UPF)が韓鶴子総裁を迎えて名古屋市で開いた国際会議に、細田博之衆院議長がゲストとして出席しスピーチもしていたという。そのスピーチの中で細田は「今日の盛会、そして会議の内容を安倍総理にさっそく報告したい」と述べていたという。

 驚くべきは、この会議に、「政界からは現職国会議員を含む約160人、そのほか宗教界、学会、言論界などから合わせて約800人」(世界平和統一家庭連合ニュースオンライン)が参加しているという。細田の他にも多くの自民党関係者が出席。

主催者側で、出席者を紹介したのが、梶栗正義・国際勝共連合の会長。安倍と近かった北村経夫参院議員は「日頃よりみなさまには大変お世話になっております」と参加者に頭を下げ、山口県選出の江島潔参院議員は、壇上で韓鶴子UPF総裁に感謝の花束を贈呈したという。そのほか、奥野信亮、工藤彰三、島村大、原田義昭、伊達忠一らの出席ないし発言が確認されているという。

 自民党よ、統一教会・勝共連合との関わりをまずは自ら明らかにせよ。それが、銃撃犯の動機や背景事情として重要であるだけでなく、この日本の政治状況の実態を物語るのだから。我々は、主権者として正確な説明を要求する。

反論 ー「弔意」を強制して「生前の罪業批判」に蓋をする論調に。

(2022年7月21日)
 「たかまつなな」さん。朝日デジタルで、あなたの投稿を拝見しました。「【提案】政治的な評価と暗殺(ご冥福をお祈りする)をわけて考えませんか」という表題のもの。7月16日の「西木空人選・朝日川柳」欄に掲載された7句についてのご意見。〈2022年7月18日23時52分 投稿〉というタイムスタンプが付されています。

 実は、このタイトルだけを目にして、うかつにもこの川柳作者の立場を励ますものと早とちりしてしまいました。冷静に「政治的な評価」と「弔意(ご冥福をお祈りする)」とを分けて考えようというご提案であれば、「元首相に対するいかに深い弔意」あろうとも、元首相の生前における「目に余る政治的な罪業の評価」に遠慮があってはならない、という論旨になるはずと誤解したのです。

 同時に、てっきり元首相についての国葬反対のご意見かとも思いました。なにせ今巷に溢れているのは、元首相に対する「弔意(ご冥福をお祈りする)」と「政治的な評価」とをごっちゃにする意見。国民全体に「安倍さんお気の毒」という「弔意(ご冥福をお祈りする)」を強調して「政治的な評価」を口にしにくくするものが圧倒的。その風潮に悪乗りしての総仕上げが「国葬」なのですから。

 「たかまつなな」さん。あらためて、あなたのご意見の全部を拝読して、まったく逆の文意であることに気が付き、強烈な違和感をもちました。けっしてネトウヨ風の文体ではなく、政治的なバランス感覚ももっていますとアピールしながらの偏った結論。その手法に危険なものを感じて、あなたと同様に「言っておかなくてはいけないと思いあえて」批判の一文をしたためました。

 以下に、あなた(たかまつ)のご意見を引用し、逐語的に私(澤藤)の意見を申し述べます。

「安倍元総理の功罪はどちらもとても大きいと思います。」
 ⇒安倍元総理の「罪」がとても大きいということには同感ですが、私には、彼の「おおきな功」の方は思い浮かべることができません。しかし、このことは今さしたる問題ではありませんので、あなたのご意見として承っておきます。

「私は森友・加計・桜、官僚の忖度体質などたくさんの「罪」があったと思います。ですが、安倍さんは暗殺されてしまった。暗殺されていい人などこの世にいません。暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのかと少しこの川柳を拝読して、悲しくなりました。」

 ⇒あなたは「暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのか」と嘆いて見せていますが、難しいはずはありません。現に、実に多くの人々が、犯行の現場で献花し、葬儀に出向き、沿道に詰めかけて葬列を見送るなどして「ご冥福をお祈り」しているではありませんか。あなたが嘆いているのは、「みんなして深くご冥福をお祈りすべきなのに、ご冥福の祈り方の足りない人がいることが嘆かわしい」ということではありませんか。それこそが、弔意の強制以外のなにものでもないのです。おそらく、このことが、あなたの文章の決定的な問題点なのです。
 
「無念の死に対して、あの世までというのは、さまざまな考えがあると思いますが、私は違和感を覚えました。」
 ⇒あなたの違和感は、「政治的な評価」と「弔意」を分けて考えないところからのものではないでしょうか。あなたが、あなたご自身の思想や感性に基づいて「弔意」の表明を大事なものと考え、元首相の死を「暗殺されてお気の毒」「ご冥福をお祈りしたい」とすることの自由は保障されています。しかし、だからと言って、「弔意よりは、政治的な評価」を大切に思う立場の人たちに、あなたのご意見を強制することはできません。
 「忖度はどこまで続く あの世まで」が、死者を冒涜するとか、死者を鞭打つ表現とはとうてい考えられないところです。この程度のことを言って攻撃を受けるとすれば、それこそ政治家の死を利用した言論弾圧というべきであり、「たかまつなな」さん、あなたもそれに加担していると言わねばなりません。

「こちらの川柳は、twitter上でも、さまざまな意見があり、投稿された方にも誹謗中傷などが及んでいないかと心配で、このようなコメントをすることもさらに追い討ちをかけてしまうのではないかと悩んだのですが、コメントプラスをしているメンバーとして、いっておかなくてはいけないと思いあえて投稿します。」
 ⇒失礼ですが、何をおっしゃっているのか、なにをおっしゃりたいのか、理解できません。あなたは、この川柳作者たちに「誹謗中傷などが及んでいないかと心配」しながら、さらに敢えてムチを加えたというのでしょうか。ぜひとも、自分の発言への責任をご自覚ください。

「暗殺されたことを受け、ご冥福をお祈りした上で、政治的な功罪を議論するということをしませんか。」
⇒これは、まことに露骨な弔意の強制。「暗殺された人にはご冥福をお祈りしなさい」などとは、さすがに権力の座にある者としては恥ずかしくて言えることではありません。まさしく、政権の意を忖度して代弁している発言というほかはありません。亡くなった元首相の政治的な功罪の議論に今は蓋して、まずは「国民みんなでご冥福をお祈りしましょうよ」という、弔意強制のご意見。はからずも国葬実施のホンネを語っています。たかまつさん、あなたがそのことに何の疑問もお持ちでないことが恐ろしい。あなたが、元首相の死を悼むことは結構だが、本来人の死を悼むも悼まないも、純粋に私的な領域に属すること。他からの強制になじむものではありません。とりわけ政治家の死は、利用されやすく強制されやすいもの。「ご冥福をお祈りしましょう」という弔意の強制には最大限の警戒を要します。

「投稿者の方というよりも、これを選び掲載された朝日新聞側に問題提起をと思い投稿します。」
 ⇒これはひどい。「これを選び掲載された朝日新聞側への問題提起」とはいったい何ですか。こんな川柳の選句は以後あってはならない、朝日は今後こんな川柳を掲載するな、とでもいうのでしょうか。「私は違和感を覚えました」から数段飛躍しての恐るべきコメント。
 「たかまつなな」さん。あなたには、ご自分が表現の自由抑圧の尖兵になっていることの自覚がありますか。表現の自由とは、権力をもつ者、社会的に強い者、多数者を批判する自由のことです。あなたがあげつらう川柳作者の皆さんは、まさしく、弔意の強制に抵抗して権力を批判する表現を実践しています。あなたは、権力の手先になって、これを圧殺する側の立場なのです。

 あなたが批判する川柳の第7句がこう言っています。「ああ怖いこうして歴史は作られる」。この川柳作者にとって、権力も怖いが、その権力を支えているあなたこそが怖いのです。私も、あなたが怖いと言わざるを得ません。

朝日川柳 西木空人選7句我流解説

(2022年7月20日)
 川柳の解説なんぞは、野暮の骨頂としてこれに過ぐるものはない。解説が作意の的を射抜くことはまずないし、解説が句の意味を限定すると句が縮こまる。句のもっている雰囲気が失われる。ときには句の神髄をぶち壊すことにもなる。本来、句は読む人の数だけの解釈に任せればよい。

 それでも敢えて、7月16日「西木空人選・朝日川柳」の掲載7句の解説をしてみたい。もちろん、作者と作品に敬意を表し、この優れた川柳を野蛮な攻撃から擁護したいとの思いからである。

  疑惑あった人が国葬そんな国(福岡県 吉原鐵志)

 「疑惑あった人」とは、とある国の元首相のようでもあり、もしかしたらそうではないのかもしれない。ともかく、その国で権勢を振るった人ではあるようだ。その人の「疑惑」とは、議会で118回もウソをついたということのようでもあり、国政を私物化したということのようでもあり、公文書を改竄・隠匿したことのようでもある。そんな疑惑にまみれた人物なのに、亡くなったら国民こぞってその死を悼むという「国葬」の栄誉を贈るというのだ。そんな国が、この世界のどこかにあるのだという驚きを率直に吐露した句である。本当にそんな国があるのかしら、あってよいものだろうかと、考えさせられる。

  利用され迷惑してる「民主主義」(三重県 毎熊伊佐男)

 ワタクシは民主主義です。これまで、数々の政府の横暴に泣かされてきました。典型的には、強引に憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制や、「共謀罪」を創設した改正組織犯罪処罰法。少なからぬ国民に根強くある反対論を、理性と道理による説得ではなく、数の力で強引に押し切っての成立でした。さらに、ウソとごまかしの政治手法の数々。そのたびに、私は涙を流してきたのです。
 ところが今度は、『国葬儀を執り行うことで、我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示す』と言うのです。ワタクシ民主主義としては、この政府のご都合主義に呆れ、不本意に利用されることに大迷惑と言わねばなりません。

  死してなお税金使う野辺送り(埼玉県 田中完児)

 この人の生前の税金無駄遣いは数々あるが、一番分かり易いのが「誰も使わなかったアベノマスク」。これこそは、無能政治の象徴として後の世に語り継がれることになる「怪挙」である。その費用は、当初の政府発表で466億円。その後、会計検査院の検査で115億円相当が未配布と判明。のみならず8200万枚が倉庫に保管されていたことが明らかにされた。その保管費用6億円以上。いったい、政権とつるんだどの業者がいくらの金額を食いものにしたものだろうか。それで足りずに、「野辺の送りにまで、無駄に税金を使おうということか」という、庶民の感慨と怒りが読み込まれた一句。

  忖度(そんたく)はどこまで続く あの世まで(東京都 佐藤弘泰)

 これは、いかにも川柳らしい、よく風刺の利いた立派な句である。この句に詠まれている人物は、生前「忖度される人」として知られた。
 相手を叩き伏せる剣術は未熟なのだそうだ。達人ともなると、剣を振るわずして相手を制圧することができるという。この人も、政治家として達人の域にあって、部下に無理無体を表だって直接に命じることは記録上みえない。常にこの人の部下がこの人の意を先回りして忖度し、自らが健気に責任を被る形でこの人の意を実行してきた。その年月は長く長く続いて、とうとう「あの世に行ってまで」の忖度が国葬という形になったという慨嘆。なるほどなるほど。

  国葬って国がお仕舞(しま)いっていうことか(三重県 石川進)

 これも、秀句である。もちろん、「国葬」とは国家が主催する葬儀のことだ。しかし、国政を私物化し、憲法改正に専念してきた政治家を「国葬」にすると聞かされたときに、「国葬」とは「国のお葬式」かとひらめいたのだ。こんなことでは「国もおしまい」ではないかという感想。少なくとも、「日本国憲法が想定した国」「民主主義が根付いた国」「平和を国是とする国」「道理がとおり希望に満ちた国」はおしまいという含意である。このような川柳までが、右翼勢力からの攻撃を受ける現実をみると、ますます「この国がお仕舞いっていうことか」と嘆かざるを得ない。

  動機聞きゃテロじゃ無かったらしいです(神奈川県 朝広三猫子)

 本句は、本件犯行を反射的に政治テロとして反応した人たちへの批判である。銃撃犯の犯行の動機は、まだよく分からない。我々には密室での取調べの内容は知る由もなく、捜査機関が被疑者の供述とするリークの一部に接触できるだけなのだから。今のところ言えるのは、「銃声で浮かぶ蜜月政と宗(神奈川県 石井彰)」(15日朝日川柳)ということ。この政(自民党とりわけ安倍3代)と宗(旧統一教会)との癒着に徹底したメスを入れなければならない。けっして、「銃弾が全て闇へと葬るか(千葉県 鈴木貞次)」(前同)とさせてはならない。

  ああ怖いこうして歴史は作られる(福岡県 伊佐孝夫)

 以上の川柳7句への右翼の批判が凄まじいと聞く。朝日は、毅然としてこの批判から川柳子や選者を守ろうというのではなく、川柳への批判を「重く、真摯に受け止める」とコメントした。これには驚いた。いや、「ああ怖い、本当に怖い」と言わざるを得ない。こうして表現の自由弾圧の歴史が作られる。そして、その先に待っているであろう歴史は、もっと怖いものになる。
 朝日よ、せめて右翼からの攻撃を「重く、真摯に受け止める」ではなく、「軽く、しなやかに受け流して」いただきたい。

国葬は民主主義に反する制度である。やっぱりごめんだ、安倍晋三の国葬。

(2022年7月19日)
 かつて、「国葬令」というものがあった。特定の個人の死を国家として悼む制度を法制化したものである。帝国議会の協賛を経ない勅令という法形式。1947年の日本国憲法施行にともなって失効した。
 その全文(本文5か条)が以下のとおり。半角を使って、少し読みやすくしてみた。

勅令第三百二十四号
朕 樞密顧問ノ諮詢ヲ経テ国葬令ヲ裁可シ 茲ニ之ヲ公布セシム
嘉仁 裕仁 御璽
(当時、裕仁は摂政だった)

大正十五年十月二十一日 (1926年)

 内閣総理大臣  若槻礼次郎(以下自署)
 陸軍大臣  宇垣一成
 海軍大臣  財部彪
 外務大臣 男爵 幣原喜重郎
 文部大臣  岡田良平
 内務大臣  濱口雄幸
 遞信大臣  安達謙蔵
 司法大臣  江木翼
 大蔵大臣  片岡直温
 鉄道大臣  子爵 井上匡四郎
 農林大臣  町田忠治
 商工大臣  藤澤幾之輔

第一条 大喪儀ハ 国葬トス
第二条 皇太子皇太子妃 皇太孫皇太孫妃 及 攝政タル親王 内親王 王 女王ノ喪儀ハ 国葬トス
 但シ 皇太子 皇太孫 七歳未満ノ殤ナルトキハ 此ノ限ニ在ラス
第三条 国家ニ偉勳アル者 薨去又ハ死亡シタルトキハ 特旨ニ依リ 国葬ヲ賜フコトアルヘシ
    前項ノ特旨ハ 勅書ヲ以テシ 内閣總理大臣之ヲ公告ス
第四条 皇族ニ非サル者国葬ノ場合ニ於テハ 喪儀ヲ行フ当日廃朝シ 国民喪ヲ服ス
第五条 皇族ニ非サル者 国葬ノ場合ニ於テハ 喪儀ノ式ハ 内閣總理大臣勅裁を経テ之ヲ定ム

 これを分かり易く意訳してみればこんなところだろうか。

第1条 天皇や皇后・皇太后の葬儀は国葬として行う。
第2条 皇太子や一定の皇族の葬儀も同様とする。
第3条 国家に特別の貢献あった者が死んだときには、天皇の特別のはからいで国葬にすることがある。
第4条 皇族でない者の国葬の日には、天皇は執務を控え国民は喪に服する。
第5条 皇族でない者の国葬の儀式のあり方は、天皇の決裁を得て内閣總理大臣が決める。

 この勅令(法律と同様の効力を持つ)の眼目は、第4条の「国民喪ヲ服ス」である。「いやしくも国葬である、国民一同国家に貢献あった被葬者を悼み服喪せよ」という、上から目線の弔意の強制なのだ。「皇族ニ非サル者国葬ノ場合ニ於テハ」と限定されているようだが、実は、天皇や皇族の葬儀については、「皇室服喪令」(1909年)が先行してあり、「臣民も喪に服する」とされている。つまり、国葬は国を挙げての一大行事であって、天皇も臣民も、その死者の生前における国家への貢献に敬意を表し哀悼の意を示さなければならない。国葬の日には服喪が要求される。歌舞音曲なんぞとんでもない、のだ。

 以下は宮間純一教授(近代史・中央大学)の教えるところ(要約・抜粋)である。とても分かりやすく、肯ける。

 「戦前の国葬は岩倉具視にはじまり、以降、1945年まで21名の国葬が、天皇の「特旨」によって執り行われた。

 国葬は、回数を重ねる中で形式を整えてゆく。「功臣」の死を悼むために天皇は政務に就かない(これを「廃朝」という)、国民は歌舞音曲を停止して静粛にする、死刑執行は停止するといったことも定型化する。

 葬儀の現場東京から離れた町村・神社・学校などでも追悼のための儀式が実施された。また、メディアが発達したことを背景に、新聞などを通じてその人の死が「功臣」たるにふさわしい業績・美談とともに広められてゆく。全国各地の人びとは、追悼行事に参加することで、「功臣」が支えたとされる天皇や国家を鮮明に意識することになる。

 天皇は国家統合の象徴として演出され、万世一系の元首として振る舞った。天皇から「功臣」に賜る国葬は、そうした国民国家の建設のさなかに、国家統合のための文化装置として機能することが期待されて成立した。

 国葬という制度が本来的にもっている性質を理解していれば、国葬を実施することにより、「民主主義を断固として守り抜く」という発想が出てくるはずがない。国葬は、むしろ民主主義の精神と相反する制度である。国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見を抑圧しうる制度など、民主主義のもとで成立しようはずがない」

 さて、「民主主義のもとで成立しようはずがない」という国葬が安倍晋三について強行されようとしている。国民に対しては、歌舞音曲を停止して静粛にし、安倍晋三に対する哀悼の意を表明することが事実上強制されることになる。東京から離れた町村・神社・学校などでも追悼のための儀式が実施されるに違いない。また、メディアが発達したことを背景に、新聞やテレビ、ネットなどを通じて、安倍晋三の死が「国葬」にふさわしい業績・美談とともに広められてゆく。全国各地の人びとは、追悼行事に参加することで、安倍晋三が支えたとされる、国家や自民党や右翼勢力を鮮明に意識することになる。そして、安倍の負の遺産を批判することが封じられる雰囲気がつくられていく。

 やっぱりごめんだ。安倍晋三の国葬。

さあ、安倍晋三の国葬どうやろう。どうやって最大限の利用価値を引き出そうか。ー 岸田の胸中を忖度する。

(2022年7月18日)
 政府は、今秋安倍晋三の「国葬」を行うという。いかなる思惑あってのことであろうか。私は、岸田の胸中をこう忖度している。

 今、安倍は「非業の死」を遂げた悲劇の政治家だ。国民の同情が集まっている。これまで政治に無関心だった層に、ドラマみたいな刺激を与えただけではない。アベノマスク問題で無駄金を使い、「中抜き業者ばかりを儲けさせた、無為・無能・無策のアベ」と批判していた層からも、「アベさんが何をやったかの議論はひとまず措いて」、「あんな殺され方は、たいへんにお気の毒」という同情を集めている。これはチャンスだ。このチャンスを逃しちゃならない。鉄は熱いうちに打て、国葬は興奮冷めやらぬうちに決めろ。

 政治利用と指摘されようと、手法が強引と批判されようと、安倍に対する国民の同情を煽り、同情の心情に方向付けをしなければならない。まずは、安倍受難の悲劇を強調することで、生前の所業に対する批判を封じることだ。安倍政治は自民党総裁として行われたもの。基本的には、今も継承されているし今後も続くことになる。ウソつきだのごまかしだの、あるいは公文書の改竄隠蔽、政治の私物化などの数々の疑惑で轟々たる安倍批判が続くことは、自民党政治の継続が危うくするということだ。これを封じなくてはならない。既に、安倍に対する儀礼的な弔意が連鎖的に重なることで、安倍批判は言い出しにくい空気が醸し出されている。これは好都合だ。

 安倍批判を封じるだけでは足りない。安倍を「偉大な政治家」と天まで持ち上げることが肝要だ。真っ当なジャーナリストには、こんな恥ずかしいことは期待できない。こういうときのために暖めていた「アベ友」言論人グループの活躍のときだ。なにせ自民党と保守言論、持ちつ持たれつのズブズブの関係なんだから。

 こうなれば、外国メディアも、外交筋も無視はできなくなる。どうせみんな、お世辞の付き合いなのだ。その上での、国葬だ。安倍の死を最大限利用しての国葬の実現だが、国葬が実現すればその効果は大きい。あらためて国民各層に「アベの偉大さ」を再認識させることができる。こうして、ますますアベ批判はしにくくなる。自民党政治は安泰化する。万々歳だ。

 うまくいけばの話だが、安倍の死の政治利用を改憲の実現につなげることだってできない話しではない。安倍の悲願は改憲にあった。国民の同情を、「改憲の志半ばで非業の最期を遂げた政治家」に感情移入させればよいのだ。あるいは、「改憲実現の願いを凶弾に砕かれた悲劇の政治家」などというイメージの刷り込み。このことによって、「偉大な政治家安倍晋三の遺志を継いで改憲の実現を」という世論誘導もできよう。そのためのイベントとして、国葬は決定的な役割を果たすことになる。

 国葬の日は「国民の休日」にしたいものだ。学校は休みにせずに、子どもたちを集めて「偉大な政治家安倍晋三」追悼の行事に参加させよう。「安倍恩赦」もしなきゃならん。もちろんこの日は歌舞音曲の類いは禁止だ。テレビのお笑い番組なんてとんでもない。どの局も、「偉大な政治家安倍晋三追悼」の特番を流さなくてはいけない。葬儀はこの上なく盛大にやろう。その様子はリアルタイムで放映し、関係者の追悼インタビューを延々とやらせよう。それから、芸能人の起用だ。関連イベントを到るところで盛大に盛り上げなければならない。外国要人に、アベシンゾーの偉大さを語らせよう。安倍追悼のパンフレットもうんとばらまこう。安倍追悼広告でまたまた電通を儲けさせることもできる。これくらいやれば、国民に自民党政治路線の正しさを刷り込むことができるだろう。そうすりゃ、岸田長期政権の実現も夢ではない。

 もともと「国葬」は、天皇制政府による「死の政治利用」であったそうだ(宮間純一中央大学教授)。1878年に不平士族たちによって暗殺された大久保利通の葬儀に始まるという。国家を挙げて大久保という人物に哀悼の意を示すことで、反対派の動きを封じ込めるという明確な政治的目的をもって執り行われたとのことだ。

 今回もよく似ているじゃないか。安倍国葬は明らかに「死の政治利用」だよ。政治家が、政治家の死を政治利用する、やましいところはない。とはいえ、相当無理して国葬やろうと踏み切ったのだから、このチャンスの最大限の利用価値を引き出さなくてはならない。さて、どうやろうか。

国際スタンダードでは、「日の丸・君が代」の強制はあってはならない。 ー ILO/ユネスコ勧告実現のための市民集会にご参加を。

(2022年7月17日)

「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議主催
再勧告実現! 7.24 集会案内

日本政府、君が代の強制で、国連機関に『また』叱られる!
?それでもまだ歌わせますか??

日時 2022 年 7 月 24 日(日曜日)
   13 時 40 分?16 時 40 分(開場 13 時 20 分)
会場 日比谷図書文化館 (B1F)
   日比谷コンベンションホール  東京都千代田区日比谷公園 1-4
    03-3502-3340
資料代 500 円
主催 「日の丸・君が代」LO/ユネスコ勧告実施市民会議

 いま学校は、上位下達の徹底、教科書への政治介入など、国家による教育支配が進み、格差、いじめ自死、教職員の過重労働など疲弊しきっています。 
 東京では、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ、ピアノ伴奏をせよ」との職務命令に従わなかったとして、484名の教職員が処分され、その強制は子どもにまで及んでいます。
 2019年春、ILOとユネスコは日本政府に、「日の丸・君が代」の強制を是正するよう勧告しました。画期的な初の国際勧告です。
 しかし、文科省も都教委も、勧告を無視し続けており、私たちはセアート(ILO・ユネスコ合同委員会)へ訴え続けてきました。
 その結果、昨秋、日本政府への再勧告が盛り込まれた第 14 回セアート最終報告書が採択されました。今後ILO総会で議題にされます。
 子どもの未来、明日の教育のために、勧告実現に向けて、ぜひご一緒に取り組みましょう。

プログラム

■基調講演
 勝野 正章(東京大学)
  「現代社会における教師の自由と権利?教員の地位勧告から見る世界と日本」
 阿部 浩己(明治学院大学)
  「再勧告の意義と教育の中の市民的自由」
■特別講演
 岡田 正則(早稲田大学)「学問と教育と政治」
■座談
  「勧告を得るってどんな価値があるの?実現の困難は克服できるの?」
 阿部 浩己、寺中誠(東京経済大学)、前田 朗(東京造形大学名誉教授) 
■教育現場の声

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 個人 1 口 500 円 / 団体 1 口 1,000 円  (何口でも結構です)
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政治家の「非業の死」を政治利用するな ー 安倍晋三の国葬に反対する

(2022年7月16日)
 事件の衝撃から8日経った。メディアも政治家も落ち着きを取り戻しつつある。問題の整理もできつつあるのではないか。本日の毎日新聞夕刊に、まだやや腰が引けた感はあるものの、金平茂紀がこう述べている。

 「作家の高村薫氏が毎日新聞朝刊(10日)で「(宗教団体への恨みという一部報道を受けとめれば、今回の事件は)非常に特殊な事例と言えるのではないか。安倍氏が銃撃されたことを受け、この事件を『民主主義への挑戦』や『民主主義の崩壊』ととらえる人もいるが、私は違うと思う」と述べていた鋭さに驚嘆した。
 死者の追悼と、真実の報道は峻別しなければならない。まして、政治家の「非業の死」を政治利用する行為は、死者を本当の意味で悼むこととは隔たりがある。このことをテレビは今、しかと肝に銘じるべき時である。」

 当然といえば当然のことだが、「死者の追悼と、真実の報道は峻別しなければならない」。「銃撃に倒れた安倍晋三の追悼と、安倍晋三が統一教会とズブズブの関係にあって多くの不幸を作り出したという真実の報道とは峻別しなければならない」のだ。 さらに、政治家安倍晋三が生前何をしたか、その評価にいささかの緩みもあってはならない。ましてや、「政治家の『非業の死』を政治利用する行為」をけっして許してはならない。これが、問題の整理である。

 日本共産党の志位委員長談話が本日の赤旗トップを飾っている。
 「安倍元首相礼賛の『国葬』の実施に反対する」という表題。内容は、かっちりとした立派なものだ。要旨は以下のとおり。

 「昨日、岸田文雄首相は、参院選遊説中に銃撃を受け亡くなった安倍晋三元首相について、今秋に「国葬」を行うと発表した。

 日本共産党は、安倍元首相が無法な銃撃で殺害されたことに対して、深い哀悼の気持ちをのべ、暴挙への厳しい糾弾を表明してきた。政治的立場を異にしていても、ともに国政に携わってきたものとして、亡くなった方に対しては礼儀をつくすのがわが党の立場である。

 それは安倍元首相に対する政治的評価、政治的批判とは全く別の問題である。日本共産党は、安倍元首相の在任時に、その内政・外交政策の全般、その政治姿勢に対して、厳しい批判的立場を貫いてきたし、その立場は今でも変わらない。

 国民のなかでも、安倍元首相の政治的立場や政治姿勢に対する評価は、大きく分かれていることは明らかだと考える。

 しかも、安倍元首相の内政・外交政策の問題点は、過去の問題ではなく、岸田政権がその基本点を継承することを言明しているもとで、今日の日本政治の問題点そのものでもある。

 岸田首相が言明したように、安倍元首相を、内政でも外交でも全面的に礼賛する立場での「国葬」を行うことは、国民のなかで評価が大きく分かれている安倍氏の政治的立場や政治姿勢を、国家として全面的に公認し、国家として安倍氏の政治を賛美・礼賛することになる。

 またこうした形で「国葬」を行うことが、安倍元首相に対する弔意を、個々の国民に対して、事実上強制することにつながることが、強く懸念される。弔意というのは、誰に対するものであっても、弔意を示すかどうかも含めて、すべて内心の自由にかかわる問題であり、国家が弔意を求めたり、弔意を事実上強制したりすることは、あってはならないことである。」

 れいわ新選組代表の山本太郎も、「これまでの政策的失敗を口に出すことも憚れる空気を作り出し、神格化されるような国葬を行うこと自体がおかしい」と、「安倍氏国葬に反対」を表明した。参院議員辻元清美も。

 公明が「(賛否について)コメントせず」と報道されていることに注目せざるをを得ない。記者団に「この件について、党としてコメントしない」と答えたという。けっして、積極賛成ではないのだ。

 また、安倍とは親交が深かったという維新の松井一郎。記者団に「反対ではないが、賛成する人ばかりではない」と述べた。「『反安倍』はたくさんいる。批判が遺族に向かないことを祈っている」とも強調したという。なかなかに意味深ではないか。

 こういう問題が起きたときに、何を言うかで、その人物が計られる。

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