「もしもし、憲法会議事務局長の平井正さんですね。澤藤です。
執筆のご依頼を受けた「月刊憲法運動」2月号の原稿の件ですが、本日が締切の1月17日です。ご依頼の「岩手靖国訴訟」をテーマにした原稿は執筆いたしました。これから送稿すれば、1月末発行の「2月号」に掲載していただけるでしょうか」
『そのことについては、一昨日にファクスで申し上げたとおりです』
「私が文書を要求して、一昨日のファクスをいただきました。経過は正確に記載されています。平井さんが、けっして嘘を言ったりごまかしたりされる方ではない。そのことはよく分かりました。そのファクスが『3月号以降への掲載変更の再度のお願い』となっています。『再度のお願い』に私は承諾いたしかねます。改めて申し上げますが、私はお約束のとおり、ご依頼の原稿を完成しました。あなたがお約束のとおり『2月号に掲載する』と言っていただけるなら、これから送稿いたします。いかがでしょうか」
『ファクスで申し上げたとおり、2月号の掲載はできません』
「確認しますが、約束を破ってまで2月号掲載ができないという理由は、私が宇都宮君批判のブログを書いているからということで、それ以外に理由はありませんね」
『そのとおりです。そのこともファクスに記載しています』
「他の理由だったら、私はもっと物わかりのよい態度をとることもできます。靖国問題の記事の掲載は早いに越したことはないと思うけれども、なにも、その原稿掲載が何か月か遅れることが、大問題と言うつもりはありません。しかし、私の表現の自由にかかわる問題となれば話は別です。憲法上の権利について、一歩も譲ることはできません。あくまでも、お約束いただいたとおり、2月号掲載をお願いしたい」「憲法会議は『民主的自由をまもり、憲法の平和的・民主的条項を完全に実施させ』ることを目的とする団体ではありませんか。憲法理念の擁護を看板にしている団体として、私の憲法上の権利に配慮をお願いしたい」「表現の自由は、けっして公権力からの権利侵害だけを問題とするべきものではない。私的団体とはいえ、憲法会議に私の表現の自由を尊重していただけないことは、まことに不本意です」
『ファクスで申し上げたとおりです。2月号掲載のご要望には沿いかねます』
「私は、あくまで2月号掲載要求にこだわります」
『では、ファクスに書きましたとおり、掲載自体を見送らざるを得ません』
「よし、分りました。確認しますが、約束を破ったのはあなたの方です。そして、約束を破った理由は、私がブログで宇都宮君批判の言論をしたこと。それで間違いないですね」
『残念な成り行きですが、おっしゃるとおりです』
「もう結構です。これ以上話すことはないので電話を切ります」
おそらくは、この電話の切れ目が縁の切れ目だ。宇都宮君、私はきみと縁を切ることになんの躊躇もなかったが、こうしてきみを支援している人たちと次々と縁を切っていくことになるのだろうか。
もっとも、このブログの「おやめなさいシリーズ」を始めて以来、日々新鮮な発見があり、新たな理解者との新たな縁のつながりがある。まさしく、捨てる神あれば、拾う神もある。それでも、切らずに済む縁なら、切ることもない道理。きみの立候補さえなければ余計な心配をせずともよいことになる。
やはり、宇都宮君、きみには速やかに立候補を断念し、そのことを明示してもらいたい。
(2014年1月17日)
本日、東京都選挙管理委員会(都庁第1庁舎N39階)で、前回都知事選宇都宮健児候補の選挙運動費用収支報告書を閲覧した。宇都宮選対は届出を「間違い」としているのだから、当然のこととして報告書の訂正がなされているはずと思ったのだが、本日(1月16日)午後の時点でなんの訂正の届出もなかった。
私が、当ブログで上原公子選対本部長(元国立市長)、服部泉出納責任者らが、違法に選挙運動に対する報酬を受領していることを指摘したのが昨年の12月21日。宇都宮君らは12月31日に、インターネット動画中継で、次のように言っている。
「問:上原さんの件について。無給(ボランティア)でやるのが選挙であるが、上原さんにお金が支払われていた事が確認できる。これが公選法違反にあたるのではないか。
答:この点は(上原さんは)実際に選対本部長をやられていて、その間の交通費などの実費の補填はしていたと聞いている。金額にして10万円。労務費になっていたが、収支報告書の訂正をする。
問:労務費は適正では無かったと。それは修正すると。
答:公選法違反については、公選法専門の弁護士団の公式見解をまとめて、来週の(1月)6日には発表出来る。そういう対応をしている。」
こうして、1月6日に、3弁護士連名の「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」(但し、1月5日付)が公表された。その内容は以下のとおりだ。
「澤藤氏は上原選対本部長らが交通費等のごく一部の実費弁償として金10万円を受領していたことをもって『公選法に違反』しているとの主張を繰り返している」
「だが、(上原さんへの)交通費や宿泊費など法的に認められる支出の一部にすぎない10万円の実費弁償に何の違法性もないことは明らかである」
「澤藤氏は私憤の感情からこれを故意に混同させ、あたかも公選法違反があるかのごとき主張をなしている」
「もっとも、上原さんらの上記10万円の実費弁償が選挙運動費用収支報告書に誤って『労務費』と記載されていることは事実であるが、この記載ミスを訂正すれば済む問題である」
これが「公選法専門の弁護士団の公式見解」である。
つまりは、「選挙運動報酬として受領した」旨の上原公子選対本部長の署名捺印のある領収書は虚偽の内容で、「労務者報酬」としての選挙運動収支報告書の届出は「記載ミス」というのだ。受領した10万円の真実の使途は、「交通費や宿泊費など法的に認められる支出の一部にすぎない」という。このリアリティを欠く主張自体が立証不可能を表白している。誰もが、宇都宮陣営の自信のなさを読み取らざるを得ない。
「3弁護士の法的見解」がいう「上原さんら」とは、誰と誰のことなのか、何人について言っているのか。一日1万円ちょうどという、交通費や宿泊費とはどのような内容なのか。公職選挙法上徴収と保管を義務づけられている領収書はどうなっているのか。選挙運動収支報告書の訂正届出に必要な領収証をどう調達するのか。私には、どのように「記載ミスの訂正」をするつもりなのか、想像も及ばない。仮に、形式的には訂正して届出が受理されたとしても、訂正内容が虚偽記載に当たる蓋然性を否定し得ない。
「法的見解」が、「記載ミスを訂正すれば済む問題である」と言ってから、今日が10日目である。「上原さんらの選挙運動費用収支報告書上の『労務費』とされた記載ミス」は速やかに訂正されるべきだが、いまだに訂正のないのはどうしたことだ。宇都宮陣営のコンプライアンス軽視の姿勢がここにも表れている。「訂正すれば済む問題」が、済んではいないのだ。もちろん、訂正があった場合には、訂正された新たな内容の真実性が改めて問題にされることになる。
選挙運動費用収支報告書の主要な問題の部分を抜き書きしておく。
支出の部 人件費
12月14日 金額10万円 区分・選挙運動 支出の目的・労務者報酬
支出を受けた者・上原公子 職業・無職
備考 10000円×10日間
12月14日 金額10万円 区分・選挙運動 支出の目的・労務者報酬
支出を受けた者・服部泉 職業・無職
備考 10000円×10日間
選対本部長や出納責任者が、機械的労務を提供するだけの労務者ではあり得ないのだから、少なくとも上記2名について訂正の必要があることは明白だが、それだけにはとどまらないはずである。まずは、訂正を見届けたい。
同じ知事選挙における猪瀬直樹候補の選挙運動資金収支報告書によれば、同候補の選挙運動資金「収入」は3050万円。支出合計は、2458万7890円である。これだけを見る限りでは、猪瀬陣営よりも宇都宮陣営の方が選挙運動資金は潤沢であった。もちろん、徳洲会からの5000万円は除いてのことである。
保守陣営に金権選挙をやらせてはならない。そのための選挙運動資金規制であり、報告義務の制度である。運用の厳格さを疎かにしてはならない。革新陣営のコンプライアンスは絶対に必要なのだ。上原公子選対本部長や服部泉出納責任者の違法は、けっして見逃すことができない。
前回選挙の収支報告書の記載ミスを認めながら、新たな選挙直前のいま、その訂正もできないようでは立候補の資格あるとは思えない。宇都宮君、立候補はおやめなさい。
(2014年1月16日)
「人にやさしい東京をつくる会」の運営会議の席で、私は、出席者から少なくとも2度、「今後運動の世界で生きていけなくなるからよく考えろ」という「忠告」を受けている。「だから、おとなしくしておいた方が身のためだ」という恫喝と私は理解した(「その10」)。
「いまどき馬鹿げたことを」と私は一顧だにしなかったが、ようやくにして思い当たる事件にぶつかった。私は、新たな怒りを燃やして報告する。直接の怒りの対象は、「憲法会議」(憲法改悪阻止各会連絡会議)だ。事件は、その機関誌である「月刊憲法運動」の執筆依頼の撤回である。些細なことではない。私は重要な問題と考える。「憲法会議」に、憲法を語る資格があるのかを問わねばならない。そして、そのような人々に支えられている宇都宮君に、改めて「立候補はおやめなさい」と言わねばならない。
話しの発端は、昨年の12月27日。憲法会議の平井正事務局長から電話をいただいた。機関誌「憲法運動」2014年2月号(1月末発行)への執筆依頼。テーマは、「岩手靖国訴訟」。2015年が憲法会議結成50周年となることを記念して、 憲法を軸にした戦後のたたかいの記録を残したい。テーマを決めて適任者に執筆を依頼し、順次「憲法運動」の各号に掲載して、50周年の記念行事には一冊の本にまとめたい。その第2号への執筆依頼だという。内容は任せるが、過去の記録とするだけでなく現時点での教訓とする視点が欲しいとの話しもあった。字数は6000字、締切は1月17日(金)とのことだった。
私は即座に承諾した。26日には、安倍晋三の靖国神社参拝が強行されていた。岩手靖国訴訟への取り組みや判決内容は、今こそ教訓として酌むべきだと思っていたところである。憲法会議が同様の意見であることに、我が意を得たりと思った。さすがは憲法会議と敬意を表する気持ちであった。この会話の際に、私はブログのことなど思い出すこともなかった。なお、この執筆依頼があった日は「おやめなさいシリーズ」を書き始めて7日目に当たる。書き始め当時の緊張感も薄れていたころだ。
同日、ファクスで執筆要領が送信された。電話で聞かされたことの確認であり、原稿料は8000円とされていた。こうして、憲法会議と私との間に、原稿執筆に関する請負契約が成立した。
私は、正月休みの間に、岩手靖国訴訟に関する資料をひっぱり出して読み込んだ。判決直後に新日本出版社から刊行した自著「岩手靖国訴訟」を読み返し、わずか6000字の字数で何をどう書くべきか想を練った。
ところが、まったく思いがけないことが起こった。1月8日午後、突然平井氏が、拙宅を訪ねてきた。そして、言いにくそうに、「執筆依頼した原稿は2月号に掲載するわけにはいかなくなった。3月号以降のいつになるかは分からないが、掲載号を延期したいので、ご了解いただきたい」というのだ。氏は、玄関の立ち話のつもりだったようだが、私は応接室に座ってもらってお話を聞いた。1時間余。私の妻も立ち会った。
2月号に私の執筆原稿を掲載できない理由は、私がブログで宇都宮君の批判をしていることだとはっきり伝えられた。
「私が依頼され承諾した原稿の内容は、都政の問題ではなく靖国問題ではないか。宇都宮君への批判が出てくるわけがない」と言ってみたが、「それは分かっています。それでも、先生が宇都宮さんを批判していることが問題なのです」という。「いったい誰が、どのように問題にしているのか」と聞くと、「いえ、誰かがそう言っているというわけではありません。私ども、憲法会議事務局の判断です」との答。
それからは、私と妻とで、平井氏を説得する努力をした。
「私は、どうしても承諾するわけにはいかない」
「私の宇都宮君批判が理由でなければ、掲載号が何号か遅れてもやむを得ないとするだろう」
「しかし、私は、宇都宮君を批判する言論の自由にこだわる。あなたがやろうとしていることは、私の言論への口封じだ。それを認めて引き下がるわけにはいかない」
「私は宇都宮後援会から原稿執筆依頼を受けたのではない」
「憲法会議は、憲法の理念を活かそうという立ち場にあるはずだ。積極的に言論の自由を擁護すべきではないのか」
「権力による言論の封殺に抗議するのであれば、自らも小さな権力となって言論の封殺をするなどのことがないよう心掛けるべきだろう」
「憲法を、公権力に対する規制とだけ理解していたのでは、企業の中での労働者の市民的自由を守ることができない。私的な強者にも憲法を守らせなければならないが、そのためには民主団体も自らを律しなければならない」
「ダブルスタンダードは自らの発言の迫力を弱めることにしかならない」
「憲法会議は、『私はあなたの意見には反対だが、あなたの意見を封じようとする者とは断固闘う』と言うべきではないか。それでこそ憲法会議が権威と尊敬を勝ち得ることになる」
平井氏には、反論らしい反論はなかった。私のブログも、ほとんどお読みではないようだった。たいへんなことを言いに来た割りには、覚悟も準備もできているようではなかった。
私は、最後に2度ほど繰り返して、確認した。
「私と憲法会議との間には昨年暮れの時点で、『月刊憲法運動』2月号の記事執筆について契約が成立している。今日、あなたは、成立している契約内容の修正を私に要請した。私は、明確にお断りした」「だから、契約にはなんの変更もない」「今日はそれだけのことだ。予定のとおり、私は原稿を書いて17日までに提出する」
これに対して、平井氏は、「持ち帰って再度内部で協議します」と言って帰った。
そして、連休明けの14日、また平井氏から電話があった。私は「ご依頼の原稿はほぼ完成しています。推敲して明日にも送れます」と言ったが、平井氏は受けとるとは言わなかった。「もう一度要請したいので、会ってもらいたい」とのことだった。前回とは別の提案があるのかと聞いたが、「前回の要請内容について、さらに詳しくご説明しお願いしたい」というだけ。「それなら、会っても無駄。お互い時間の浪費だから会うのはやめましょう。要請の趣旨と理由を文書にしてファクス送信していただきたい」と私は言った。そしてつけ加えた。「私はだまし討ちはしない。場合によっては、あなたのファクスを天下に公表する。そのつもりで、きちんとしたものを書いていただきたい。今日の今日では、たいへんだろうから、明日、15日に送信してください」。「承知しました」となった。
そして、今日(1月15日)、そのファクスが届いた。私は、その内容に怒っている。言ってきたのは、「3月号以降への掲載号変更の要請」だけではない。澤藤が掲載号変更に同意しない場合には、「掲載は見送らざるを得ません」、要するに「執筆お断り」というのだ。そして、その場合には「8000円を速やかに送金させていただきます」という。契約違反だから金は払う。言外に金を払えばそれ以上の文句はないだろう、というニュアンスを感じる。
2月号掲載拒否の理由が、末尾4行に綴られている。「年が変わった時点で、澤藤先生がブログで『宇都宮健児君、立候補はおやめなさい』と題する文書の発信を続けていることを知りました。2月9日投票の東京都知事選挙において、宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している憲法会議構成の諸団体の納得を得ることはできません。」というのがそのママの文章である。
この文書がどの範囲の人々が関わって作成されたのかは知る由もない。しかし、この偏狭さには、不気味なものがある。「宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している『憲法会議構成の諸団体』の納得を得ることはできません。」の、『憲法会議構成の諸団体』は、無数の類似団体に置き換えることができる。これは「村八分」の論理だ。「非国民」排斥の論理でもある。
憲法会議は、私の靖国論については評価し、岩手靖国の運動と判決を今に活かすべく原稿を依頼した。にもかからず、都知事選での私のブログを問題にして、執筆依頼を撤回した。ブログのどこにどんな問題があるという指摘はない。宇都宮批判を「民主陣営」批判とし、私に「民主陣営敵対者」のレッテルを貼り付けた。これから、このレッテルがひとり歩きすることになるのだろう。「運動の世界で生きていけなくなるからよく考えろ」とは、こういうことだったのだ。
私は、この件を些細なことと見過ごすことはできない。会の名称に「憲法」を冠する団体が「批判の自由の封殺」に手を貸してはならない。少なくとも、批判の言論に寛容でなくてはならない。憲法会議には、自らの行動を憲法の理念に照らして律しようとの思いはないのだろうか。省みて、恥ずかしくはないか。
憲法会議が、約束どおりの原稿掲載を拒否した理由は、依頼した原稿の内容を予想してのものではない。私が宇都宮君を批判している理由が間違っているからというものですらない。要するに、いつも仲間の仲良しグループに同調しない「共通の敵」だということにある。これを、「村八分」「非国民排斥」の論理という。
「宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している諸団体の納得を得ることはできません。」は、批判を許さぬ大政翼賛会の論理でもある。
理性を持った人間の集団において、すべての意見が一致することなどあり得ない。この「村八分」「翼賛会」の論理は、「民主陣営」を限りなくやせ細らせていくことになるだろう。「運動の世界で生きていけなくなるから、批判などせぬようよく考えろ」などと言っていけない。「運動の世界に真っ当な人物がいなくなるから、批判には寛容でなくてはならないことをよく考えろ」というべきではないか。
宇都宮君、君は憲法を守ると公約しているようだ。しかし君は、およそ憲法の理念など弁えぬ人々に担がれている。そのような人々に支えられた君が、憲法を守る公約を掲げること自体おこがましい。およそ君が選挙戦を闘う意味はない。潔く、立候補をおやめなさい。
(2014年1月15日)
私が当ブログで宇都宮君の批判を始めた動機について、その半分は「私憤」だと言ってきた。そして、動機が私憤であることを隠す必要もないと言い続けてきた。私憤とは、人間としての尊厳を踏みにじられた者の怒りだ。忿怒・悲憤・瞋恚など、怒りをあらわす語彙は多様だ。どう表現しようとも、卑劣な手口による矜持の侵害に対する心の底からの怒りは恥ずべきものでも隠すべきものでもない。ましてや揶揄さるべきものではありえない。この私憤は人権侵害に関わるものなのだ。
そして、もう半分の動機である「公憤」について語りたい。こちらは、民主々義に関わるものだ。このシリーズを書き始めてから今日が25日目、25回にわたってそれなりのことを書いてきた。そのことによって、私憤としての感情は治まりつつある。思いを綴って公表して、多くの人の共感を得ることの精神的な浄化作用は想像以上に大きい。しかし、公憤の部分、すなわち民主々義にかかわる問題意識に関しては、ブログに書くことで解決には至らない。
私が宇都宮陣営の非として許せないとしたのは、組織内批判者に対する報復としての任務外しと、うるさい批判者排除目的の「だまし討ち」だ。これは、民主々義の原則上、由々しき問題ではないか。そのようなことが、「民主陣営」内の、都知事選挙の場で起こっている以上は、問題を摘示して多くの人に知ってもらわねばならない。同種の場において、類似の出来事が繰り返されることのないために、である。
言うまでもないことだが、言論の自由は民主々義の基礎だ。特に留意すべきは、あらゆる集団・組織において具体的に問題になるのは、一般的抽象的「言論の自由」ではなく、「組織内の権威・権力・指導部に対する批判の自由」ということなのだ。民主々義を標榜するあらゆる集団の指導部は、自らに対する批判の言論に対して格別に寛容でなくてはならない。これを封殺しようなどとは、もってのほかだ。
民主々義とは、完成態のないプロセスだ。永久運動としての権力批判の連鎖だけが、民主々義の保障となる。そのことは国家権力のレベルにおいても、自治体においても、あるいは企業でも市民運動組織でも、さらには「選対組織」であろうとも同様だ。批判の自由のない組織に民主々義はない。
宇都宮選対は、市民に開かれた民主的な組織としての建前を持っている。そのことが、多くの人の参集を可能とする。単なる機械的労務の提供者としてでなく、主体的なボランティア選挙運動員として、経験や知恵や工夫や人脈の提供者としてである。
そのような建前を持つ組織では、情報が共有される。誰もが対等の立場で発言権をもち、誰もが対等に意見交換の機会を保障される。権限や責任をもつ地位にある者に対する批判の自由が保障されなければならない。
しかし、現実の宇都宮選対と宇都宮君には、決定的に批判の自由が欠けていた。批判や異論を許さぬ「小さな権力」が成立し、その権力に迎合する「ミニ翼賛体制」ができあがっていたのだ。なんという、風通しの悪さ。これを克服せずして、世に民主々義の前進はない。
さて今、宇都宮陣営は、前回選挙の失敗の教訓を学んで組織内民主々義を確立しているのだろうか。陣営内の言論の自由、批判の自由は保障されているのだろうか。事務局長情報独占の弊は克服されているのだろうか。陣営の意思決定過程の透明性は確保されているのだろうか。説明責任は尽くされているのだろうか。
かつての「人にやさしい東京をつくる会」のメンバーは公表されたことがない。これは不自然で奇妙なことではないのか。旧友が送ってきた手紙の中に、「共同責任・無責任」という言葉があった。会は、まさしく、この言葉のとおりの実態だった。
私を切ったあと、宇都宮陣営は、「希望のまち東京をつくる会」を立ち上げたようだ。この会は、「やさしい会」の名称だけを変更したものなのだろうか、それとも新しい組織なのだろうか。もし、「やさしい会」の名称を変更したものであれば、私も運営に参画していた時期における「会は、次回の都知事選挙の母体とはならない」という確認に反したことになる。また、もし、新しい組織だとすれば「やさしい会」はどうなったのだろう。前回選挙カンパの残余である「やさしい会」の520万7907円という現金はどうなったのだろうか。どうするつもりだろうか。
報道によると、脱原発をメインの公約に掲げた細川護煕氏の出馬確定で、陣営内にも支持者にも、宇都宮撤退論が出ていると聞く。プレスリリースされた宇都宮陣営の公式の見解のなかに、「脱原発で一致する宇都宮と細川氏が分立することは、原発推進政党が支援する候補者を結果的に利するのではないか、という声があります。私たちは、そうした声に謙虚に耳を傾けたいと考えます」という一節がある。断固として立候補辞退拒否という姿勢ではないことに驚く。
「宇都宮陣営の公約としての脱原発論は他陣営とこう違うのだ」というアピールがない。「細川氏を推す小泉純一郎こそ、新自由主義路線を突っ走って格差と貧困を蔓延させた張本人ではないか。靖国参拝を繰り返した、歴史修正主義者ではないか」という姿勢を見せるところがない。明らかに微妙な問題として腰が引けているのだ。意識的に撤退の含みを残しておこうという内容の「見解」。
しかし、宇都宮君の立候補撤退是非に関して、私は、その結論に興味があるわけではない。私の関心は、専ら結論に至る手続の民主性にある。陣営の中で、徹底の是非に関してどのように議論を積み重ねているのかである。引用した「見解」は、いったい、どのような範囲の議論を経て確定されたものなのだろうか。
誰に決定権限があるのか、議論への参加資格は誰にあるのか。その線引きはどうしているのか。現在のところ、すいせん政党は共産党、社民党、緑の党の3党だということだが、どのような政策協定、意思決定手続の約束ができているのだろう。これも、外部に出す必要はないというのだろうか。
情報を遮断された外野にいると、何もかにもが、見えざる世界での出来事である。厚い壁の向こうで行われていることは、「市民に開かれた」というキャッチフレーズとは無縁と言わざるを得ない。そのような体質が、結局は、パワハラやだまし討ちの土壌になったのではないか。
選挙とはそんなものだ。組織とはそんなものだ。というのなら、私が無い物ねだりをしただけのこととなる。しかし、美しい理想と公約を掲げての選挙をしているはずではないか。透明性の不足も、幹部批判の自由の封殺も、民主々義の未成熟として、批判の対象とすべきではないだろうか。
宇都宮君、だから、君への批判は甘受したまえ。反省して、立候補はおやめなさい。
(2014年1月14日)
昨年の暮れに孤立無縁でルビコンを渡った。そのときから、今日が24日目。ルビコンの向こう岸には、鬼と蛇しかいないだろうと覚悟していた。ところが、地獄にも仏がいた。まったく思いがけなくも、自分の主宰するブログで、私の立場にご理解を示していただく何人かの方に出会えた。私にとっては、賽の河原のお地蔵様だ。
その代表が下記のもの。
Blog「みずき」 http://mizukith.blog91.fc2.com/
醍醐聡のブログ http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
お二人とも、「私憤論」にとらわれることなく、ご自分の問題意識を触発する事件として把握し発言をされている。私も、お二人のご意見は、背筋を伸ばし襟を正して拝読している。
また、次のブログが「その23」の記事を紹介してくれている。記事の後についているコメントが、私の長い面倒な文章をよくご理解いただいてのもの。私にとってはまことに嬉しい。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/4c1be33cf6c62cea323f521f98e71714
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ところで、事件の発端である「随行員任務外し」事件について、もう少し補充して述べておきたい。
2012年12月12日夜。街宣行動が終わったあと、私は、宇都宮健児、中山武敏の両君と、大河・Tさんを引き合わせた。場所は、選対事務所の至近、四谷三丁目駅前の喫茶店ベローチェ1階。
そこで、大河とTさんから、宇都宮・中山の両君に詳細に経過が語られた。両名とも驚いて聞いていた。選挙は最終盤である。これまで、なんの滞りもなく、任務に献身してきた候補者随行員二人をこの時期に切ってしまうことは、誰がどう考えても乱暴極まる処置である。選挙選に支障を来すことすら考えられ、そうまでしなければならない理由は到底考えられない。私は、密かに期待していた。宇都宮君が、「あと3日だ。その3日間を、これまでどおり君たちに頑張ってもらうよう、私から選対本部長や事務局長に話しをしてみよう」と言ってくれることを。少なくとも、「選対本部や事務局に、どんな事情があって任務を外すことになったか、私から直接に聞いてみよう」くらいのことは言ってくれるのではないだろうか。それでこそ、推すにふさわしい、頼もしい候補者でありリーダーではないか。
私は密かに期待していただけだったが、Tさんははっきりと口にした。「あと3日、随行員として任務を全うさせてください」「正式の随行員としてでなくても、街宣チームの一員として活動できるよう取りはからってください」「選対本部の大河さんに対するパワハラは、あまりに理不尽。そして戦略的に非合理。随行員外しを撤回するよう尽力をお願いします」
Tさんの言葉遣いは、たいへん品のよい柔らかいものだったが、発言内容は明解で断固たるものだった。Tさんは、お二人の小さなお子さんを抱えたお母さんだが、この選挙の意義を重大なものと感じて宇都宮選挙に参じた熱心なボランティアだった。宇都宮選対に裏切られたとの思いの強さが、ひしひしと感じられた。
しかし、宇都宮君は押し黙っていて何も語らない。積極的に質問をするでもなく、気の毒そうな表情を見せるだけ。頼りないことこの上ない。ああ、そうなのか。このひとには、自分からリーダーシップをとって、責任をもった発言をする習慣がないのだ。私はこのときに、彼に対する大きな落胆を覚えた。
宇都宮君に代わって、中山武敏君が発言した。「二人とも、今はガマンしてくれないか。選挙戦は最終盤だ。ここで混乱を大きくしたくはない。選挙が終わったら、必ず問題をうやむやにはしないで解決する」。これに宇都宮君も同意した。
私は、少し心配だったので、このとき宇都宮君に質問している。
「大河やTさんに、何か随行員としての落ち度があったのではないだろうか」「君にとって、随行員として不満や不都合なことはなかったのか」と。
これに対する宇都宮君の回答は明快だった。
「いや、二人とも落ち度などないよ。たいへんよくやってもらってきた」
私はこの宇都宮君の回答で安心し、満足した。候補者随行員としての適格性に関して、候補者本人が合格と言っているのだ。上原公子選対本部長(元国立市長)や熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)がなんと言おうとも、任務外しが不当なことは明らかではないか。いずれ、大河とTさんの権利救済ないしは名誉回復ができるだろうと考えた。
なお、上原公子選対本部長(元国立市長)と熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)から大河に対する任務外しが命令された際には、理由らしい理由が告げられていない。口頭での指示の内容は、表向き「Tさんを随行員からはずす」ことと、「大河は12日に休暇を取ること」の2点だった。これが極めて不自然なのだ。
まず、「Tさんを随行員からはずす」ことを、大河に「命令」することが筋違い。常識的には、本部長か事務局長からTさんに直接言うべきだろう。街宣チームの責任者は「車長」だった。車長から言ってもらってもよい。大河に指示ないし命令する筋合いではない。しかも、Tさんがボランティア選挙運動員として登録する際には、連絡先をきちんと届け出ていた。選対本部はTさんの連絡先を把握していたのだ。
何の問題もなく任務を全うしていたTさんを、突然に随行員から外す理由はあり得ない。しかも、事前に、候補者にも車長にもTさん本人にも、意見や事情を聴取した経過はまったくない。文字通り問答無用なのだ。あとで、上原公子選対本部長(元国立市長)は、「女性は随行員としては採用しないと選対会議で決めていた」と信じがたいことを言い、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)は、「素性の分からぬ者を候補者の側に置いておく訳にはいかない」と、これも馬鹿げたことを言っている。
このことに関して述べられたTさんの言葉が印象に深い。「私が何者であるかの証明を要求する人について、その人がいったい何者であるかを私は知らない」。この非対称性を当然と言うべきだろうか。おかしいと考えるべきではないのか。
Tさんは、誰の紹介でもなく自らボランティア運動員として参加してきた一人である。その熱意と能力で、現場の信頼を得、車長以下の街宣チーム全員の判断で随行員になってもらった人。大河の知り合いだった人ではなく、大河が推薦した人でもない。選対本部は、そのような事情を知ろうともしなかった。
あとで気がついたことだが、選対本部は、Tさんが大河とは旧知の間柄だったと思い込んでいたようなのだ。その知り合いのTさんを大河が随行員として勝手に採用したと考えていたようなのだ。だから、Tさんの任務外しを大河に「命令」した。それが、大河に対する打撃ないしは嫌がらせになると考えてのこと。
大河は任務外しを、自分が遠慮なく熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)を批判したことへの報復と理解した。とすれば、Tさんは明らかにとばっちりの被害者だった。だから、大河としてはTさんのために釈明したかったのだが、上原公子選対本部長(元国立市長)は聞く耳を持たなかった。
大河への「休養命令」は一日だけのはずが、選挙期間全部となった。上原公子選対本部長(元国立市長)に命令を受けて反抗的な態度を示したからとされている。
かつて、「二人とも落ち度などないよ。たいへんよくやってもらってきた」と言っていた、宇都宮君は今は次のように言っている。
「要するに、(スタッフに対する)澤藤さんの息子さんの対応が非常に問題だった。しかし、途中から金権選挙だと言い出したので、皆怒ったのです。もちろん公選法違反には当たりません」(週刊新潮でのコメント)
しかし、これはまことにおかしい。任務外しの理由になっていない。詳しく論じるまでもないだろう。解任命令への「反抗的態度」も、選挙後の公選法違反の指摘も、遡っての随行員外しの理由とはなり得ない。しかも、選挙最終盤での随行員任務外しだ。実際に、新たな随行員は不慣れなために、大きな失敗をしている。
後に、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)主導で、大河に対する任務外し正当化の攻撃材料が集められる。任務外し時点では一切告げられていなかった、「事後的に作りあげられた」理由である。「スケジュールの作成が遅いと事務所で大声で怒鳴った」「街宣先で腕組みをしてふんぞり返っていた」「放送局員に突っ慳貪な応対をした」「協調性がない」「たくさんのクレームが寄せられている」「大河さんの名誉を考えたら騒がない方が良い」…。
企業が望ましからざる労働者を追放しようという場合には、トラブルメーカーに仕立て上げるのが常套手段である。情報を集積して、些細な出来事を積み上げる。針小棒大に言い立てて孤立させる。ブラック企業とまったく同じことを、宇都宮選対はやってのけた。
熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)は、情報の独占者であった。どんなクレームが寄せられているか。彼以外には誰も知らない。まことに、情報の独占こそが「小さな権力の源泉」である。みっともなくその手先になった面々が哀れである。
宇都宮君、君が熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)から、どのように吹き込まれたかは知らない。しかし、君は、大河とTさんに聞かねばならなかった。「任務外しの理由として、選対側ではこんなことを言っている。はたして事実だろうか。君たちの言い分を聞かせてほしい」。そのようなことは、大河もTさんも、まったく聞かされていない。君には、紛争当事者に納得できる手続を提供しようという、法律家としての最低の常識についての弁えがない。
結局、君は切り捨てられた弱者の側を理解しようとせず切り捨て、多数派の側についた。ベローチェでの約束を反故にしてのことだ。ことは、些細な問題ではない。忙しいから、時間がないからとの言い訳も許されない。君にとって、選挙期間中最も身近にいた二人が、不当な仕打ちを受けたと君に訴えているのだ。その問題について解決の意欲も能力もないとすれば、きみに何が解決できるというのだ。都知事など務まるわけがない。そんな君が、革新共闘の候補者たる資格はない。まだ考慮の期間は十分にある。よくお考えの上、立候補はおやめなさい。
(2014年1月13日)
事件の発端が、わたしの息子・大河に対する宇都宮選対本部の随行員任務外し。前回都知事選の最終盤2012年12月11日午後9時過ぎのこと。任務外しの「命令」をしたのは、選対本部長の上原公子さん(元国立市長)、お膳立てし実行したのは選対事務局長の熊谷伸一郎さん(岩波書店勤務)。そして、宇都宮君は、この任務外しをされた二人の随行員に問題の解決を約束しながら、結局放り投げた。忙しいからなどという言い訳は通用しない。およそ1年もの考慮期間があったのだから。
本日掲載する文書は、その随行員任務外し事件直後の時期に、大河がまとめた事件の経過とその総括に関する一文である。前回都知事選投票の当日まだ開票結果の出ていない時点で、選挙に携わった関係者にメール送信されたものだ。是非、入念にお読みいただきたい。
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2012年12月16日
「運動のポテンシャルを摘み取ったもの」
候補者随行員・澤藤大河
●はじめに
今回の都知事選は、宇都宮都知事の誕生を望む多くの市民が参加し、多くの政党がこれを支持する今までにない形態の選挙だった。私もまた、完全無償のボランティアとして、告示前の11月19日以来、連日候補者の随行員として運動に参加してきた。
投票日の本日、心から宇都宮都知事の誕生を望んでいるが、選挙結果にかかわらず、今回の私たちの運動は、さらに大きくなる可能性があったのに選対の体質・体制により自ら摘み取ってしまったことにおいて、失敗であったと私は考えている。私が運動に参加した当初、この運動には大きなポテンシャルがあることを肌で実感した。しかし、そのポテンシャルはついに顕在化することはなかった。これを「失敗」という。
人の尊厳を踏みにじる石原都政や、組織・企業の利益を最優先として人権を軽視する東京電力等の姿勢に絶望して宇都宮都知事の誕生を期待し、多くの市民がボランティアで参集してきた。しかし、皮肉なことに宇都宮選対の内部では、参集したボランティアを選対メンバーや事務局員より低く見る差別主義やいじめ・パワハラが横行していた。
選対本部長上原公子さんや選対事務局長熊谷伸一郎さんから、私になされた突然の理不尽な「任務はずし」は、これを象徴する事実といえるだろう。
私になされた仕打ちを多くの人に知っていただくとともに、今後の運動の本質的問題提起として考えていただきたい。
●事実経過
前記の通り、私は11月19日以降、11月24日と12月5日を除き、連日、候補者の随行員をつとめてきた。おそらく私が最も街頭宣伝の現場を知る立場にあった。また、最も長く候補者と時間を過ごし、取材・政見放送収録・公開討論会・集会の幕間演説・現地視察や街頭宣伝のほとんどすべてに参加した。候補者と陣営の利益のために、気概をもって交渉を行い、候補者の利便と安全を確保し、確実に予定を遂行できるよう全力を尽くしてきた。私の任務遂行能力と献身性は、候補者をはじめ現場にいる多くの人が認めるところであるし、選対本部長・事務局長も何ら否定していない。
ところが、突然、12月11日21時頃、事務局長熊谷さんから電話があり「本部長の上原さんが話がある」と選対事務所に呼び出された。選対事務所で上原公子さんからあるボランティアの女性(以下Tさんとする)について、「随行員からはずす」ことと、私については「12日に休暇を取ること」の2点について口頭で指示された。その際上原さんは、「これは命令です」と明言した。私は、上原さんには命令する権限がないこと、私は命令を受ける筋合いでないことを明言し、「命令」を拒絶した。
その「命令」を発するにあたり事前の事情聴取は全くなく、理由の説明を求めたが具体的な説明は一切なされなかった。2分間の事情聴取を求め、上原さんも合意したにもかかわらず、それさえも一方的に途中で打ち切られた。
翌12日、私もTさんも以前からの予定通り街頭宣伝に参加したが、既に現場責任者たる車長に対して、随行員から外すとの指示が行き届いており、乗員が満席になるように配置され、事実上随行から排除された。
私もTさんも、現場における混乱を避けなければならないと思い、その後無理に選挙カーに搭乗したり、現場で口論するなどの行為は一切行っていない。
以後投票日までの三日間、私もTさんも、随行員としても現場の運動員としても運行表に登録されることは一切なかった。
また、私は加入していた連絡用のすべてのメーリングリストから一方的に秘密裏に排除された。
私は、その後、連日最寄り駅での街頭宣伝、ポスティングなどを自発的に行い、支持の拡大に努めた。
Tさんも連日、自発的に街頭宣伝に参加していた。特に15日には、候補者の山手線一周宣伝を応援したいと考え、自発的に候補者のそばで街頭宣伝に協力していたが、17時頃に新宿にて事務局員の内田聖子さんに「あなた、なんでここにいるの。随行はさせないように本部からいわれているのだから、帰りなさい」と面罵された。Tさんは不本意であったが、候補者が一連のいきさつを現認しており、心配そうな顔をしていたため、候補者に心配をかけることは本末転倒であると考え、丁重にその場を辞した。
私は、四回にわたり、上原さんに対して「命令」の撤回と謝罪を求め、事実関係の確認を求める文書を電子メールおよびFAXで送ったが、一切無視されており、2012年12月16日17時現在回答はない。
なお、私が随行員となったのは、事務局長熊谷さんの当初の指示に基づくものであった。Tさんが同行していたのも、街頭宣伝の現場で人員が不足していたので、増強を強く選対本部に求めたのに対し、何の対応もなされなかったことから、宣伝現場の責任者たる杉原車長および副車長たる木村さん、随行員の私、そのほか熱心に街頭宣伝に参加していた5人のボランティアが参加した12月4日の会議で、協議の結果決めたことであった。
●上原さんの「命令」について
この上原さんの「命令」は、理由が説明がなされないという点で手続的に不当であるし、また、内容においても非合理的である。のみならず最も重要なのは、ボランティア参加者に「命令」ができると考えているその一点で、到底看過することのできない市民運動組織原則上の根源的な誤りが含まれていることである。
候補者の人柄・政策に共鳴したボランティア参加者で構成される市民選挙においては、対等な市民が結集して協力することで運動が行われるのが原則である。選対本部長・事務局長などの役職も、既存の権限を分配するものではなく、合理的な話合いと納得の結果、参加者の協力の中で成立する。指示の実効性は、内容の合理性と、十分な説得・納得にのみ支えられることになる。これが対価的契約関係も政治的権力関係もない市民選挙運動の特質であり、原則でもある。
上原さんは、私に「命令」する際に、熊谷さんと顔を見合わせて冷笑し、「このひと、私の命令に従えないんだって」と、侮辱的な言葉を述べている。この言葉に象徴される権威主義・差別主義が、私のみならず実際に多くの仲間の参加を阻んだ。初期の街頭宣伝に参加していたが顔を見せなくなった人、協力する気がなくなったことを明示して去って行った方が、多くいたことを知っている私には残念でならない。
●熊谷さんの差別主義について
自発的に参加したボランティアを選対メンバーや事務局員より低くみて、十分な情報を与えず、与えられた仕事をこなす労働力のように考える傾向は、上原さんだけでなく、事務局長熊谷さんにおいても顕著だった。
熊谷さんは、この選挙中激務の中で急病となり、一時的に事務局長としての執務が行えない状態となった。事務局長を欠くと事務が滞る体制だったため、宣伝についての予定が策定されない状態となった。私も候補者も予定を知ることができず、非常に困惑し、事務局に予定について問い合わせたが、いつ予定が立つのかすら全くわからないという混乱状態だった。今後の予定を立てることが客観的に明らかに必要であったため、一時的にでも熊谷さんの決定権を代行できる人が必要であると考え、その旨を数名の選対メンバーに伝えた。
これを聞いた熊谷さんは「あなたは選対メンバーでも、事務局員でもないのだから、越権行為であり、黙っていてもらいたい」と私に告げた。
病気で倒れたことはまことにお気の毒なことではあるが、それによる空白を放置することは無責任というほかない。十分な事務が行われない状態を改善すべきであると提言することは、立場の如何にかかわらず当然である。
しかし、それ以上に、選対メンバーを頂点として、そのもとに常勤事務局員がおり、それ以外のボランティアを下位に置くという熊谷さんの考え方に大きな問題がある。政策に共鳴し、参集した対等な当事者としてボランティア参加者を考えるのではなく、選対が決定した宣伝計画に協力する将棋の駒、あるいは兵士のようにとらえているのではないだろうか。
岩波書店の「世界」の編集者である熊谷さんの上司にあたる岩波書店の岡本厚さんも、選対メンバーの一人である。私の問題提起について、「事情はよくわかりませんが、選対本部長は責任があると同時に指揮の権限があると思います」と返事を寄せてくれた。私は、「事情」を説明したうえで一般論としては異論はないこと、しかし、具体的な本件においてボランティアとしての運動参集者に理不尽極まる一方的な「命令」をすることまでの権限があるとは到底考えられない旨お返事している。
この運動の頂点はキックオフ集会の時期であったという失望の意見が多くのボランティアの中にある。ボランティアが自主的な運動を行い、創意工夫が生かされ、一日一日よりおもしろくなっていく運動に多くの期待が寄せられていたためである。私もこの運動に参加したときに感じた高揚感を思い出す。革新的な「統一候補」を擁するこの運動の無限の可能性を感じた。ところが告示後、事務局が決定した街頭宣伝に、運動員として機械的労務を提供することだけがボランティアに期待される任務となり、初期に参加した多くの方が失望して去って行った。
その街頭宣伝の計画でさえ直前まで詳細を知らされず、当日の早朝のメールで指示をされることもたびたびであった。人員や物品の増強の要請への対応はじれったいほど鈍かった。候補者自身も、明日は何をするのだろうかと、不安そうにすることが珍しくなかった。事務局に問い合わせると、「都知事選のような巨大な選挙ではマスコミ対策の方が重要であり、街頭宣伝は後回しである」と明示的に告げられた。宣伝における地域的特性や選挙情勢に応じた宣伝内容の検討などは、一切行われず、候補者を含む街頭宣伝チームは放置されていたというほかない。
もう一つ、選対の差別的な体質の表れとして、「三鷹事件」への対応がある。集合住宅での会の確認ビラの配布中に、70歳の男性運動員が住居侵入罪で逮捕された弾圧事件である。
選対はこの事件の事実関係の確認が取れて以後も、即時に公開し、機敏な救援活動を行うことをしなかった。仮にも、「ひとにやさしい」都政を目指す運動を行っている自覚があるならば、即座に被逮捕者へのあらゆる救援活動を行うべきであるし、直ちに事件を公開することで十分な法的知識のない多くのボランティアに危険性を告知することが絶対に必要だった。
私は、選対の内部に、弾圧の危険性を告知することでビラ配布が伸びなくなることを恐れ、弾圧の事実を伏せるべきだとする動きがあったのではないかと推測している。
選挙勝利と組織防衛を最優先の目的とし、個別の運動員・ボランティアの身の安全に気を配ることのない姿勢は、私には東京電力の用いた企業の論理と同じように見える。
熊谷さんは事務局長を任ずるならば、仲間が逮捕されている以上速やかな解放を目指すことを最優先とすべきであった。にもかかわらず、候補者に同行して築地視察・葛西臨海公園視察へ赴き、関係者との名刺交換だけを行った。視察に熊谷さんが不可欠というわけではなく、自らの人脈を広げるためにこの選挙を利用したとまで思われる不自然な同行であった。
私のもとには、選対の体質に失望して、このままではこれ以上の協力はできないという多くの声が寄せられている。私も、以上に述べたような上原さんや熊谷さんの体質や考え方に根本的な反省がない限り、協力はできないと考えている。
●改善の提案
この度の「失敗」を招いた原因の一つとして、上原さんや熊谷さんの「ひとにやさしくない」官僚的で人を見下す個人的な資質と、能力の不足によるところが大きいことは明らかである。
しかし、より本質的には、新しい形態の市民選挙の経験が誰にもなく、どのような仕組みを作ればいいのか、試行錯誤の段階にあることが原因と考える。
かつての革新統一選挙は、政党や労働組合という強力な組織の結合であり、少なくとも各組織の内部では指揮命令が可能であった。
他方、今回のように多くの意見の異なる市民運動や個人としてボランティアが参加する市民選挙においては、「命令」では組織を運営することができない。十分な自主性を発揮してもらうことが必須であり、そのためにはどうしても十分な説得と納得が必要なのである。
その前提となるのが、徹底した情報の透明性である。誰もが情報に接することができ、あらゆる決断がどのようになされるのか仕組みを誰もが知っており、その決断の妥当性を事後的に誰もが検証できる体制である。
事務局長である熊谷さんが対外的な折衝役も担っており、しかもその情報が共有されていなかったため、不在時に大変な混乱が生じたことは前記の通りである。また、選対に寄せられた情報もすべて熊谷さんに集中し、どのような情報が寄せられているのかすら開示されなかったことから、大きな権力が事務局長に集中した。交渉の内容や、妥当性についても事前にも事後にも検証はできない。
今回の選対は、選対メンバーで決定機関を構成し、その決定を事務局が具体化するという体制をとっていたことになっている。しかし、実務が進展するにつれ、事務局あるいは事務局長がほとんどすべての決断を独自に行うようになっていった。
多くの政党に等距離で接しなければならないきわめて政治的に微妙な選挙応援についても、事務局が決定していた。ある衆議院小選挙区候補者の応援に複数回協力する一方で、その選挙区の他の支持政党の候補者の応援には行かないという公平性を疑われる事態も生じた。そのような事態の検証、誰の責任で決断されたのかなどは放置されたままである。
急ごしらえの組織であればこそ、そのようなルールだけでも作るべきであったと残念でならない。
最後に7項目の具体的な提案をしてこの寄稿を終えたい。
1.市民選挙においては、すべての参加者が対等で平等な立場にあることを確認すること
2.誰も他者に「命令」する権限はなく、合理的な指示が十分に説得され納得を得ることでしか協力は得られないことを確認すること
3.市民選対への政党・労働組合・勝手連からの要請は完全に公開し、誰もがそれを見られるようにすることで、等距離公平に対応したことを検証可能にすること
4.意思決定がどのようになされるのか、仕組みを事前に明らかにし、その過程や責任が明らかになるように透明性を確保すること
5.それぞれのレベルの意思決定を実行部隊に周知する仕組みと、実行部隊からの意見や報告を意思決定機関に戻す仕組みを確立すること
6.何よりもボランティア一人一人の尊厳と安全を最優先し、任務の内容・意義を十分に説明するとともに必要な法律知識と身を守るすべを確実に与えること
7.偶然によって限定された範囲での人事を行わず、運動参加団体の英知と人脈を結集して任務内容にふさわしい、有能で信頼に足りる責任者の人選を行うこと
以上
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選挙運動期間終了後の開票以前の時期に、選挙運動の全体状況をつぶさに見、貴重な体験をした者でなければ書けない総括となっている。問題提起も具体的な提案も盛り込まれている。今後に生かすべきだと思う。
それにしてもだ。今にして知り得た事実によれば、選挙運動費用収支報告書に「労務者報酬」と堂々と明記して10万円を受領していた上原公子さんである。選挙運動者の手足として機械的労務の提供しかなしえない立ち場の上原さんが、居丈高に、無償労働の原則を貫いた選挙運動員である大河に「命令」していたのだ。倒錯したカリカチュア以外の何ものでもない。
宇都宮君、これが君の選対の実態だ。この実態になんの反省もなく、なんの改善策も示していない君だ。同じことが繰り返される。だから、宇都宮君、立候補はおやめなさい。
(2014年1月12日)
私が宇都宮君を批判するきっかけになったのが、わたしの息子・大河に対する選対本部の随行員任務外し。12月11日午後9時過ぎのことだ。選挙運動期間は15日まで、あと4日だけを残した「最終盤」の時期のこと。
任務外しを言い渡したのは、選対本部長の上原公子さん(元国立市長)、お膳立てし実行したのは選対事務局長の熊谷伸一郎さん(岩波書店勤務)。そして、宇都宮君は、この任務外しをされた二人の随行員に問題の解決を約束しながら、結局放り投げた。
この日、12月11日は、三鷹のUR団地で「人にやさしい東京をつくる会」の法定ビラを配布中に逮捕されていたAさん(70歳)の釈放を勝ち得た日だった。Aさんは、8日に「住居侵入」罪で逮捕され、地元弁護団の奮闘で勾留請求却下となったが、寒中の留置所に3泊しての釈放だった。
私は、三鷹の集会所で開かれた「ねぎらいの会」でAさんの帰りを待ち受けていた。選対からは、私だけでなく、中山武敏君(「つくる会」代表・宇都宮陣営の弁明である「法的見解」作成3弁護士の一人)も、田中隆さん(法対事務局長・「法的見解」作成3弁護士の一人)も駆けつけていた。宇都宮君は街宣中で大河が随行していた。
その大河から私に携帯で提案があった。「釈放をねぎらう会の盛り上がりの席に、携帯電話で宇都宮さんの声を届けたい。Aさんと宇都宮さんとをうまく結ぶタイミングでお話しをしてもらおう」というもの。
Aさんの釈放は予定の時刻から大幅に遅れ、移動中の街宣車との通話のタイミングのとりかたが難しかったが、結果として成功した。宇都宮君は大河の携帯を、Aさんは私の携帯を使って、7?8分もお話した。宇都宮君からはねぎらいの言葉があって、Aさんには候補者本人からの直接の語りかけに感動している様子が窺われた。宇都宮君にとってもAさんにとっても、気持ちをかよわせ合う快い機会だったと思う。
私は、このアイデアをとっさに提案し、綿密に実行した大河が、随行員として大いに役に立っていることを知って満足した。ところが、その3時間ほどあとに、大河の随行員外しが強行されたのだ。
上原さんからの随行員外しの強行に対して、大河は、即座に「命令」はあり得ないこと、市民運動の中で「命令」の権限があると考えることの誤りを指摘している。私は、全面的に大河の意見に同意し、反射的に即座になされた大河の問題提起を貴重なものと思っている。そのことは、昨日の「その21」で紹介した「『命令』の撤回と謝罪を求める」通知に記載されているとおりである。その通知の内容で、大河の問題提起をお分かりいただけるだろう。宇都宮陣営は、これをしも「私憤」と切り捨てるのか。
これに対する上原さんからの一切の反応がなかったため、大河はさらに釈明を求める通知書を発信している。それが、本日紹介する12月15日付の「求釈明書」である。
私は、大河が作成したこの書面を読んで、心の叫びを聞いた思いがした。そうだ、「一寸の虫にも五分の魂」があるのだ。このとき、いかなることがあろうとも、徹底して大河の側に就くことを決意した。相手をおもんばかって大河をなだめようとか、「革新の共闘を大切にしてガマンしろ」とか、「大人の対応を覚えろ」などという、恥ずかしい言葉を絶対に口にするまいとの決意でもある。
私がこれまで、ブログを書き続けてきたのは、できるだけ多くの人に、下記の大河の通知書を読んでいただきたいためといってよい。是非、そのような思いのこめられたものとして、お読みいただきたい。
なお、この書面には18項目の質問事項が記載されているが、これに対する上原さんからの返答はまだない。無視されたままである。
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再々々度、「命令」の撤回と謝罪を求める
2012年12月15日
上原公子様
澤藤大河
12月12日から14日の各日、私はあなたに宛てて、私への「命令」の撤回と謝罪を求める旨の3通の通知をした。事情を知悉し、あなたの「命令」の執行として私を任務から排除することに加担した熊谷伸一郎さんにもその写しを通知している。
しかし、現在なお、あなたからの返答に接していない。前回通知での質問も、無視されたままである。
私は、かつて労働組合のない民間企業に勤務していて、職場の労働者代表として労働条件改善について会社と交渉した。その際、私は労働者の要求の実現に徹した立場を貫いて会社側から徹底的に敵視された経験をもつ。その際には3回の理不尽極まる懲戒処分を受けつつ、まったく一人でたたかった。
そのときの自分の怒りの原点は、労働者をプライドある人間として尊重することのない資本の論理に対するものであった。そのころ、福島第1原発の事故が起こって、姑息に情報を隠して人間の尊厳を蹂躙する東電の資本の論理に激怒した。
それと同質の怒りが市民選挙の運動に献身した末のものとして、今、私の内にある。同時に、市民選挙に大きく期待した自分の不明に対する失望感も大きい。
労働者として会社の理不尽と対決した際には、私にはそれなりの予想と覚悟があった。しかし、あなたの私に対する仕打ちは、まったく予想もできない突発の事態で、訳のわからなさに情けないとしか言いようがない。今冷静に考えると、あなたのやり方は、公権力や資本以上に陰湿で酷薄というしかない。
かつて会社とたたかった際には、さまざまな人間模様を見せつけられた。味方であったはずの人の引き方、保身のために会社側に加担した人、保身のために事態を見て見ぬ振りをした人も多かった。そして私に味方してとばっちりを受けた少数の人もいた。このたびの件では、その既視感を禁じ得ない。
何度でも繰り返すが、あなたはボランティア参加者を人格ある人間としてみることができない。あなたは市長ではなく、私は市の職員ではない。にもかかわらず、あなたは、私たちをあたかも将棋の駒か兵隊のようにしか見ることができない。問答無用で、人に命令ができると考えている「人にやさしくない」その体質こそが、問題なのだ。
あなたには心に銘記していただきたい。一寸の虫にも五分の魂がある、ということを。あなたから、任務を外された二人の候補者随行員とも、虫けらではない。五分よりは遙かに大きな魂をもっている。ボランティアとして運動に参加した人の一人一人がそのような魂をもっていることを理解していただきたい。
私に対する「命令」の撤回と謝罪なくして、あなたには人権も民主主義も語る資格はない。あらためて、速やかに「命令」を撤回し、「市民が市民に「命令」する権限などない」ことを確認する意味で自らの非を認めての誠実な謝罪を求める。
早急にあなたの誠実な対応が得られない場合には、今後の市民運動の健全な発展のために、選対組織が解散する前に事実経過の詳細と私の問題意識を全関係者にお知らせして、市民運動の原則に関わる深刻で重大な問題としてお考えいただくよう手立てを講じることとしたい。
前回も通知したとおり、私はあなたとは異なり、手続における正義にこだわる立場にたつ。あなたに再度の弁明の機会を与えたい。
あなたは、11日夜に、私が要求しあなたも合意した2分間の弁明聴取さえ、途中で打ち切り最後まで行わなかった。しかし、私はあなたに再度24時間を与え、あなたの誠実な回答があれば、相応の対応をするつもりである。もちろん、誠実な回答を得られない場合にも、それ相応の対応とならざるを得ない。
(1) あなたは、11日21時ころ、熊谷伸一郎さんに指示して携帯電話で私を選対事務所に呼び出し、「候補者の随行員としての任務を継続してきたボランティアの女性について、その活動からはずすよう」に「命令」した事実を認めますか。
(2) また、その際、私の翌日(12日)の行動について、「休暇を取ること」を「命令」した事実を認めますか。
(3) あなたは、11日のうちに、あるいは12日の早朝に、熊谷さんまたは街宣チームの責任者(車長)に対して、候補者の随行員である私と女性について、「今後は任務からはずすことになった。ついては今後街宣車に乗せないよう」指示をした事実を認めますか。
(4) 私が「あなた(上原さん)には命令の権限はなく、私(澤藤)は命令に従う立場にない」ことを明言した際、あなたは傍らにいた熊谷さんと顔を見合わせて冷笑し、「この人、私の命令を聞けないんだって」と侮辱的な言葉を口にしたことを、認めますか。
(5) 随行員二人に対するあなたの各「命令」は、それぞれどのような合理性・必要性に基づいて、なされたものでしょうか。
(6) その判断の根拠となった事実は、誰からどのようにして把握されましたか。
また、事前に当事者の意見を聞こうとしなかったのは、なぜでしょうか。
(7) あなたは、上記二名が随行員として何か不適格な点があったとお考えでしょうか。また、その女性と私が候補者の随行員としての任務に就くようになった経緯をどのように把握しておられますか。
(8) あなたは、私やボランティアの参加者に、命令をする権限をお持ちだとお考えでしょうか。根拠を示してお答えください。
(9) あなたは、候補者の当選のために献身してきた二人を突然任務からはずすことについて、はずされる側の心情をどのように理解していますか。また、その心情への何らかの配慮が必要だとは思わなかったのですか。
(10) あなたは、現在なお、私たち二人を任務からはずしたことを合理性のある適切な判断であったとお考えでしょうか。
(11) 私が、候補者の随行員として能力と献身性を備え、解任されるまで最善の成果をあげてきたことを認めますか。
(12) あなたから解任された女性随行員は、街宣チームのみんなの合意で任務に就くことになった事実をご存じでしょうか。
(13) 街宣チームが上記の合意をしたのは、選対に人員の不足を訴えても誠実に対応してもらえなかったからであることを理解していましたか。
(14) 街宣チームと候補者とが、選対からの人員についての補充を得られないことだけでなく、情報についての不足と遅滞とに大きな不満をもっていたことをご存じでしたか。
(15) 私とともに解任の対象なった女性が、適切に候補者の健康や体調に気遣い、身だしなみにも配慮をおこなっていただけでなく、気概をもって候補者の安全に気配りしていた事実をご存じですか。
(16) もしかして、あなたは、あなたの特定の友人からの私情に基づく偏った情報で、随行員の女性を不適格と判断したのではありませんか。
(17) もしかして、あなたは、私の随行員としての任務の遂行態度ではなく、私の思想や信条を忖度して、不適格と判断したのではありませんか。
(18) あなたが、頑なに、これまでの通知を無視し、命令の撤回を拒絶している理由をお答えください。
以 上
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宇都宮君、君もこの書面は読んだはずだ。18項目の求釈明事項にどう回答すべきか真剣に検討したのか。ここに疑問とされている事実をどう把握したのか。君の口から、聞かされたことはない。結局、君には、権利を侵害された人からの訴えに真剣に向かいあおうという気概がない。さらに、君には、紛争を適正な手続で解決しようという法律家としての良識がない。紛争の当事者に、できるだけの努力をしてもらったと思わせる誠実さがない。政治的な紛争解決の知恵も力量もない。現実にやったことは、「文句を言う面倒な人物の切り捨て」だ。
そんな君に、都知事候補者の資格はない。ましてや、革新共闘の候補者としては落第だ。だから、宇都宮君、立候補はおやめなさい。
(2014年1月11日)
当ブログにおける訴えを「私憤・私怨」と誹り、これで問題を片づけようという宇都宮陣営の姿勢を情けないものと思う。
とあるブログに、下記の発言が掲載されていることを教えられた。筆者がどなかは存じないが、引用をお許しいただきたい。
「宇都宮氏擁護のための『澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解』を一読して失笑してしまいました。
何の反論にもなっていないのみならず、澤藤氏の批判を『私憤、私怨』に依るものである、とこれが、弁護士の『論理』か、と疑うような記載があったからです。 凡そ、弁護士に依る論説とも思えません。
これを書かれた弁護士諸子は、冤罪を償うべく国家賠償を請求される無実の人に『私怨』を晴らすのは罪とでも云われるのでしょうか。或いは、公害病に苦しむ患者を代理して公害企業に被害を償うべく訴訟を提起することは、『私怨』を晴らすことになり出来ない、と云われるのでしょうか。
法学徒ならば、イェーリング(Rudolf von Jhering)の次の言葉を知っているのか、と問わねばなりません。
即ち、『人格そのものに挑戦する卑劣な不法、いいかえれば、その実行の着手の仕方のうちに権利の無視、人格的侮辱といった性質をもっているような権利侵害に対する抵抗は義務である。それは、権利者の自分自身に対する義務である』と。
澤藤統一郎氏は、この自己に課せられた義務を果たそうと『権利のための闘争』(Der Kampf ums Recht)に立ち上がられたのです。」
我が意を得たり、と快哉を叫びたい思い。
ところが、反対の論調もある。この正月に取材をお断りした「週刊新潮」が1月8日発売号で記事にした。私が取材を拒否したのは、右翼ジャーナリズムと結託して宇都宮陣営を批判しているなどとは思われたくなかったからだ。ところが、宇都宮君の方はそうではなかったようだ。宇都宮君への取材を経ての週刊新潮の記事は、「三弁護士の法的見解」の論調に符節を合わせた「私怨・私憤」論となった。
地の文章として、次のように述べられている。
「澤藤氏が、『動機の半分は私憤です』と書いているように、息子に対する冷遇がどうにもガマンがならなかったようなのである。感情のもつれからさらに亀裂が深まり、昨年12月、澤藤氏は後援会を追い出される。ブログで批判を始めたのはこの直後からだ」
そして、記事が紹介する宇都宮君のコメントは以下のとおり。
「要するに、(スタッフに対する)澤藤さんの息子さんの対応が非常に問題だった。しかし、途中から金権選挙だと言い出したので、皆怒ったのです。もちろん公選法違反には当たりません」
週刊新潮の記者は、私のブログを真面目に読もうともせずに、宇都宮君の言い分のとおりに「私憤」の筋書きで記事とした。「私怨・私憤」として立論することは、具眼の士には「一読して失笑してしまう」体のものであっても、週刊新潮の記者や読者には、問題の論点外しに有効なのだ。
見過ごせないのは、週刊新潮の記事の中に「運動員をしていた澤藤氏の息子がスタッフを怒鳴りつけるなどトラブルになったり、女性の随行員を勝手に採用した件などを理由に選対から外されてしまったことだ」とあること。これは、記者が宇都宮君から聞かされてのことと判断せざるを得ない。その他にニュースソースはあり得ない。
やはり、何があったかをはっきりさせておかねばならない。でないと、宇都宮君が言う「私憤論」、つまりは「息子の不祥事への制裁に、父親が切れてしまった」という筋書きを本気にする人が出て来るかも知れない。
もっとも、正確にお伝えするにはある程度の紙幅が必要となる。本日は、事件の発端の事情だけをご理解いただきたい。そのために、私の息子・大河が、随行員としての任務を外された日の翌日と翌々日に、上原公子選対本部長に宛てた文書を掲載する。「命令」の撤回と謝罪を求める内容だが、今日に至るまで、これに対する応答はまったくない。
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「命令」の撤回と謝罪を求める
2012年12月12日
上原公子様
澤藤大河
私は、12月11日午後9時ころ、上原公子さんから携帯電話で四谷の「会」事務所に呼び出されて、「あるボランティアの女性について、その活動からはずす」ことと、私の12日の行動について「休暇を取ること」の2点について口頭で指示された。その際上原さんは、「これは命令です」と明言した。これに対して、私は、「上原さんには「命令」する権限はなく、私には「命令」に従う義務もない」と返答した。
この上原さんの指示は結論のみを一方的に告げるもので、理由の説明の求めに応じることもない点で手続的に不当極まるもので、内容においてもまったく合理性を欠くものであった。
とりわけ問題とすべきこととして、ボランティア参加者に「命令」ができると考えているその一点で、市民運動の組織原則上到底看過できない根源的な誤りにもとづくものである。
私たち「会」の参加者は、理念を共通にして自発的に参集した仲間である。いうまでもないが、誰もが対等平等な関係にある。その仲間どうしが、効率的に行動するために組織を形づくり、任務を分担している。選対本部長だの事務局長だのという任務は、既存の権力を配分しているのではなく、あくまで、参加者の合意に基づくものである。いかなる場合にも、他の参加者への行動の要請には合意と納得が必要で、誰にも他の者に対する「命令」の権限などはない。要請の実効性は、手続と内容の合理性に担保された説得と納得にのみ支えられている。上命下服、上意下達は、私たちの敵の論理であって、私たちには無縁である。
権力者のごとく、使用者のごとく、ボランティア活動参加者に「命令」をする権限は誰にもない。市民団体内で「命令」権限があるとの考えはまったくの誤りであり、このような考え方は払拭しなければならない。なお、「命令」は用語の問題ではない。合意なく一方的に処分がなされた実態こそが問題なのである。
上原さんには、速やかに自らの非を認めたうえ、私に対する「命令」の撤回と謝罪を求める。
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再度、「命令」の撤回と謝罪を求める
2012年12月13日
上原公子様
澤藤大河
12月12日、私はあなたに宛てて後記の通知を電子メールで送信したが、その返答に接していない。のみならず、あなたは12日には、私と女性随行員を街宣チームから意識的に排除する態勢を作るよう指示した。本日午前2時34分には、あなたの指示によるものと思われる熊谷伸一郎さんからの電子メールが届いており、「指揮系統」に入らない者には役割を担わせることはできないという内容であった。
この件は、私の私憤だけで収まる問題ではなく、宇都宮選挙の総括に象徴的な意味をもつものとしても、また市民運動のあり方に関わる問題としても看過できないものと考える。あなたが選対本部長として、ボランティア参加者である私に、問答無用で「命令」できるとする、「人にやさしく」ないその体質が、多くの宇都宮選挙への参加希望者への障壁となり、失望を招いて現実に多くの離脱者を出し、本来もっと大きくなるはずの運動の輪を縮めたものと指摘せざるを得ない。
現代の息苦しい社会の片隅で、「いじめ」「パワハラ」の被害に遭っている人々が、宇都宮都知事誕生に大きな期待を寄せ、ボランティアとして参加してきたのに、あなたの行動は、その期待を裏切るもので、まさに石原都政や東電と同質の論理に基づくものに他ならない。
再度、速やかに「命令」の撤回を求めるとともに、「市民が市民に「命令」する権限などない」ことを確認する意味で自らの非を認めての謝罪を求める。
もし、早急にあなたの誠実な対応が得られない場合には、今後の市民運動の健全な発展のために、選対組織が解散する前に、事実経過と私の問題意識を全関係者にお知らせして、深刻な問題としてお考えいただく手立てを講じるつもりであることを申し添える。
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以上の通知の中に、「私憤」という言葉が出てくる。「この件は、私の私憤だけで収まる問題ではなく、宇都宮選挙の総括に象徴的な意味をもつものとしても、また市民運動のあり方に関わる問題としても看過できない」という文脈においてである。
なぜ、大河と女性随行員(Tさん)が、「街宣チームから意識的に排除」されることになったのか、次回、次々回で述べることとしたい。問題は、「宇都宮選挙の総括に象徴的な意味をもつ」ものでもあり、「市民運動のあり方に関わる問題」とも思われるのであるから。
宇都宮君は、最初はこの選挙最終盤における「任務外し」の事実に驚いていた。大河とTさんに、随行員としての不適格や落ち度はなく、「とてもよくやってくれている」ことを認めてもいた。ところが、後に「要するに、(スタッフに対する)澤藤さんの息子さんの対応が非常に問題だった」と態度を一変させる。
宇都宮君、それはおかしい。理不尽な扱いによって尊厳を傷つけられたという訴えが、君の一番身近にいた随行員二人から訴えがあったのだ。君は、二人の訴えに誠実に向かい合うべきだったのに、それをしなかった。それは、君の革新共闘候補としての不適格を象徴している。だから、宇都宮君、立候補はおやめなさい。
(2014年1月10日)
「立候補はおやめなさい」シリーズは、今日が「その20」になった。この間にかなりの数のご意見に接した。もちろん、私への強い共鳴と支持支援の声もあれば、批判非難の意見もある。胸を痛めているという訴えも少なくない。しかし、寄せられたご意見は、総じて落ちついたものばかりである。
古くからの友人は、「君がこれほど怒っているのだから、よほどのことがあったに違いない」「断固支持する」と言ってくれる。持つべきは友だ。付き合いの浅い人は、「大人げない」と眉をしかめる。持たざるべきはうわべの友だ。救われるのは、「この世界では生きていけないぞ」というタイプの言動には、まだ接していないこと。
見知らぬ人の意見の典型パターンは、次のようなもの。
「既に本人が出馬を決め社共が支持を表明した。選挙運動は事実上始動して後戻りのできない事態となっている。ベストの候補を得難いことは分かりきったこと。宇都宮候補は他と比較してベターなのだから、宇都宮候補を推すしか選択肢はない。いまだに批判を継続するのは利敵行為ではないか」
この意見は筋が通っている。良識にもとづく真っ当な見解と言ってもよい。もしかしたら、別の場所では、私もこんなことを言ったかも知れない。しかし、今私はこのような「良識的見解」と闘っているのだ。
この種の意見は正しいからこそ厄介だ。批判しがたい論理の正しさの中に、実は大きな副作用を内在させている。ベターなるが故に推すべしとされる候補者の諸々の欠点や問題点への批判を封殺してしまうという副作用。この副作用の重大さは、「良識的見解」本体の本質的欠陥と指摘せざるを得ない。
「ベターな候補を推すべきだ」という考えは、「小異を捨てて大同に就くべし」と、小異を唱える者に「異」の意見を捨て去るように要求する。ベターな候補の欠点に目をつぶることを強要して批判を許さない。要するに、宇都宮候補への批判を封じることになるのだ。
「利敵行為を許すな」は、実は恐ろしい言葉だ。「利敵」という言葉に怯まぬ者はない。敵は、大きな敵ひとつに絞られ、その余はすべて「味方」とされて批判を許されないものとされる。結局は、「味方」内部の異論を許さず、思想や行動の統制と統一とを強要する。
ベターな候補を推すための味方内部での統制を正当化する論理が、「味方全体の利益」あるいは、選挙に勝つことの利益が候補者批判に優先する、ということになろう。はたしてそれでよいのだろうか。
私の嫌いな言葉が、「小の虫を殺して大の虫を生かす」というものだ。私はいつも、「小の虫」の側にいる。大の虫のために殺されてたまるものか。
私は、四天王像を見るときまず邪鬼に目をやる。格好悪く、踏みつけられもがく邪鬼に、限りない連帯と共感の情をもつ。踏みつけている体制側の増長天や多聞天の立派さには共感し得ない。
ベターな候補者に踏まれた邪鬼は、痛みに声を上げ続ける。「小の虫」を無視しての「大の虫」の利益を優先する考え方への抗議の声を。
「大所高所から考えろ」「大局を見よ」「利敵行為をするな」という人は、例外なく、弱者の側、被害者の側にのみ譲歩を求める。「小の虫なんだからしかたがない」「邪鬼が踏みつけられるのは宿命」として、弱者・被害者に我慢を強いるのだ。積極的に、被害者に泣き寝入りを強要しているに等しい。
人権侵害は、国家権力ばかりがなしうるものではない。社会を多重多層に構成している部分社会のそれぞれに小さな権力があって、その小さな権力が弱者の権利を侵害する。弱者の立ち場にあるものは、何層もの小さな権力と闘わねばならない。それぞれの局面での大局論、利敵論は体制の論理であって、権利を侵害された弱者の側の論理ではない。
だから、「大局的見地に立て」と言われても、「利敵行為」と言われても、また「ベターな候補者を推すべきだ」と言われても、私はけっして黙らない。宇都宮君と宇都宮選対の薄汚さを私なりのやり方で、告発し続ける。彼/彼らは、人の尊厳を傷つけることが、どんなに高価に付くことになるかを思い知らねばならない。世の中には、そのような「物わかりの悪い」人間が必要なのだ。「倍返し」「3倍返し」は、宇都宮君が使うべき言葉ではない。宇都宮君に向かって投げかけられるべき言葉なのだ。
古い友人が言ってくれた。「澤藤は阿修羅になった」「もう、誰も止めようはない」と。そのとおりだ。その彼と友情を深めていたころに、若い自分の姿に重ねた賢治の詩の一節を思い出す。
いかりのにがさ また青さ
四月の気層のひかりの底を
つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
私はもう若くはないが、今はひとりの修羅となって、宇都宮君が立候補を断念するまで宇都宮君と宇都宮選対の批判を続ける。だから、宇都宮君、立候補はおやめなさい。
(2014年1月9日)
宇都宮側の「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」に対する反論の続きである。「見解」は、第1節から第5節までで成っているが、本日は、第4・第5節への反論。
「見解」の第4節「供託金300万円の借入れについて」に記載の金銭貸借は、まったく法的な問題ではない。私の妻が供託金300万円を用立て、かなり遅れて返済してもらった経緯を述べた。この間の経緯について、私は何の違法も指摘していない。宇都宮君の革新共闘候補者としての適格性の存否に関する判断材料のひとつとして、お伝えするに値する情報と考えて提供したまでのこと。宇都宮君を清貧な弁護士と積極評価されるもよし。何の判断材料にもならないと切り捨ててもよい。揶揄も侮蔑の表現もない。道義的に非難をしたつもりもない。もう一度、下記のブログをよくお読みいただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=1767
なお、このシリーズ「その6」に、宇都宮君の随行員であった私の息子・大河が下記の関連するエピソードを綴っている。これも併せてお読みいただくようお願いしたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=1776
概要は以下のとおりである。
「同窓会
宇都宮さんの同窓会にも同伴した。東大駒場の文?(法学部進学)のクラス会だった。…その場で誰かが、「立候補に当たっての供託金はどうしたんだ?借りたのか?」という軽口が飛んだ。宇都宮さんは、それに「自分で用意した」と答えていた。自ら用意すると一旦は言いながら、結局用意できずに、他人から借りた事情を知っている私の前で、なぜそのような嘘を述べるのか、理解に苦しんだ。
その上、その場で旧友に対し、供託金が高すぎて負担が大きいとの持論を繰り返し述べていた。供託金が高いことを問題視するならば、自分で用意できないほど高いのだと率直に語った方が、かわいげがあったのではないだろうか。」
「見解」の第5節「運動員買収との主張について」は、およそ具体性を欠くもので、私の指摘を否定するものとなっていない。私は、事実関係を詳らかにしうる立場にない。私が指摘できるのは、「疑惑」のレベルでしかない。疑惑を解明して黒白を明瞭にする資料は、すべて宇都宮君や岩波書店の側にある。疑惑を指摘されたのだから、手許の資料を駆使して、疑惑を晴らす努力があってしかるべきだ。しかし、「見解」は、指摘された疑惑について解明しようとの真摯さに欠ける。
私が主として問題にしているのは、宇都宮君を候補者として推薦する政党や団体・個人の側に生じるリスクである。清廉潔白を看板にしている政党や市民団体が、本当に宇都宮君を推すことができるのか。支持や推薦した側のクリーンなイメージを傷つけてしまうのではないか。そのことを心配しての「疑惑」の指摘なのだ。当然のことながら、「疑惑」は私が指摘したから生じたというものではない。外形事実としては誰の目にも明らかなことなのだ。
まずは、「熊谷伸一郎さんが、フルタイムで選対事務局長の任務に就きながら、その間岩波書店から、従前同様の給与の支払いを受けていたのではないかという疑惑」についてである。やや煩瑣ではあるが、私の指摘を再掲して、「見解」が反論をなしえているかを吟味いただきたい。
「岩波書店に、(徳洲会やUE社と)同様の疑惑がある。もちろん、調査の権限をもっていない私の指摘に過ぎないのだから、疑惑にとどまる。だが、けっして根拠のない疑惑ではない。熊谷さんは、上司の岡本厚さん(現岩波書店社長)とともに、宇都宮選対の運営委員のメンバーだった。熊谷さんが短期決戦フルタイムの選対事務局長の任務を引き受けるには、当然のことながら上司である岡本厚さんの、積極的な支持があってのこと。選対事務局長としての任務を遂行するために、岩波からの便宜の供与があったことの推認が可能な環境を前提にしてのこと。常識的に、岩波から熊谷事務局長に対して、積極的な選対事務遂行の指示があったものと考えられる。
昨年の2月、私の疑惑の指摘に対して、熊谷さんは、『私は有給休暇をとっていましたから。それに、ウチはフレックス(タイム)制ですから』と言っている。これだけの言では徳洲会やUE社の言い訳と変わるところがない。また、言外に、給与の支払いは受けていたことを認めたものと理解される。
真実、彼が事務局長として任務を負っていた全期間について有給休暇を取得していたのであれば、何の問題もない。しかし、それは到底信じがたい。では、フレックスタイム制の適用が弁明となるかといえば、それも無理だろう。コアタイムやフレキシブルタイムをどう設定しようと、岩波での所定時間の勤務は必要となる。フルタイムでの選挙運動事務局長職を務めながら、通常のとおりの給与の支払いを受けていれば、運動員買収(対向犯として、岩波と熊谷さんの両方に)の容疑濃厚といわねばならない。
根本的な問題は、熊谷さんが携わっていた雑誌の編集者としての職務も、選対事務局長の任務も、到底片手間ではできないということにある。両方を同時にこなすことなど、できるはずがない。彼が選対事務局長の任務について、選挙の準備期間から選挙の後始末までの間、岩波から給与を受領していたとするなら、それに対応する編集者としての労働の提供がなければならならない。それを全うしていて、選対事務局長が務まるはずはないのだ。それとも、勤務の片手間で選対事務局長の任務をこなしていたというのだろうか。それなら、事務局長人事はまことに不適切なものだったことになる。
どのような有給休暇取得状況であったか、また具体的にどのようなフレックスタイム制であったのか、さらに選挙期間中どのような岩波への出勤状況であったのか、どのように業務をこなしていたのか、知りたいと思う。労働協約、就業規則、労働契約書などを明示していただきたい。徳洲会やUE社には追及厳しく、岩波には甘くというダブルスタンダードはとるべきではないのだから」
(「その16」http://article9.jp/wordpress/?p=1832)
「見解」の主たる反論は、私の指摘には「何の根拠も示されていない」ということにある。その上で、「(熊谷)事務局長は休暇を取得しない日には勤務も行なっていた。そのような対応をしたという応答を得ている」という。宇都宮君が都知事になったとして、徳洲会や猪瀬の違法行為に対する追及はこの程度で終わることになるのだろう。こんなに露骨に身内に甘い体質では到底ダメだ。「そのような対応をしたという応答を得ている」などと言うふやけた調査で済ませる都知事候補を推薦することなどできようはずがない。
私は、宇都宮選対に違法行為があった場合のリスクを問題にしている。疑惑が立証された場合に、宇都宮君を推薦した政党や市民団体のクリーンなイメージに大きく傷がつくことになる。また、有権者に対する責任の問題も出て来る。「見解」は、説得的に疑惑はあり得ないとする論証をしなければならない。疑惑を指摘され、それを否定しようとする以上は、「疑惑のないこと」の立証責任を負担しているのだ。にもかかわらず、「見解」のこの投げやりな姿勢、自信のなさはどうしたことか。
「見解」は、「熊谷さんについて『入社3年目』と記載されているが誤りであり、実際には2007年に入社している」という。この点はおそらく私の誤りだと思うので、『入社5年目』と訂正する。ほかにも、細部で具体的な間違いがあれば、指摘に耳を傾けたい。
「見解」は、「そもそも公選法が規定する『選挙期間』とは告示日以降の17日間に限定されるため、事務局長が『選挙運動にボランティアとして参加』していたのは17日間を超えることはありえない」という。信じがたい稚拙な論理のすり替え。こんな小細工が却って疑惑を深める。その上、法解釈としても明らかに間違っている。
私は有給休暇の取得実態を問題にしている。いったい、熊谷さんには、当時何日分の有給休暇が残っていて、選対事務局長としてフルタイム稼働したほぼ1か月間に何日を消化したのだろうか。選対事務局長としてフルタイム稼働中の有給休暇の取得実態を問題にしているのに、敢えて選挙期間の17日間に限定して問題を考察しなければならない道理はない。そのように限定する予防的な姿勢が、「1か月全期間を問題にされては都合が悪い」という疑惑を生むことになる。
また、法的にも、運動員買収罪の成立は選挙期間中の17日間に限定されるという主張は明らかな間違いである。宇都宮陣営の弁護士がこんなことを言えば、徳洲会もUE社も大喜びだろう。
私は、公職選挙法221条1項1号違反を指摘している。買収の対象となる行為は、選挙運動の定義よりはるかに広い。また、買収・供応の犯罪は、選挙期間中に限定して成立するものではない。同条の文言からも、犯罪成立の時期について何の言及もなく選挙期間に限定されるものではない。立候補届出前の運動員の行為に対する対価の支払いにつき、本罪が成立するとした最高裁判例(1955年7月22日)もある。
「見解」は、「週末や休日を含めれば十分に有給休暇で対応できる範囲内であり、また事務局長は休暇を取得しない日には勤務も行なっていた」と言うが、これは明らかな誤謬の法解釈を前提とした不十分な調査の結論である。これで、疑惑が解消になるとは、起案者自身も考えているはずはない。
「見解」の起案者は、再度の調査をなすべきである。
そして、具体的にどのような有給休暇取得状況であったか、また岩波にはフレックスタイム制が存在するのか、存在するとしてどのようなフレックスタイム制であったのか、熊谷さんにはいつからどのようなフレックスタイム制が適用になっていたのか、さらに事務局就任以後の全期間についてどのような岩波への出勤状況であったのか、どのように岩波の業務をこなしていたのか。資料を添えて、明確にしなければならない。そうでなければ疑惑を解消したとは到底言えない。
さらに、「選対からの度重ねての要請により…任務を引き受けた」という「見解」の指摘が見逃せない。「法的見解」とされているから敢えて述べるが、岩波書店の熊谷さんへの運動員買収の疑惑は、「事務局長就任の動機が選対からの要請によるものであったか否か」とはまったく無関係である。選対が運動員買収を要請した事実のあろうはずのないことはさて措くとして、「見解」は何を論じているのかを見失っている。再三言っているとおり、私が指摘し問題にしているのは、公職選挙法上の犯罪成立の疑惑と、疑惑が立証された場合の種々のリスクなのである。「会社員などの政治参加という観点からも問題」などという立法論のレベルでの論争でも、市民感情における可非難性の有無の問題でもない。現行公選法に照らして、犯罪成立のおそれの有無を論じているのだ。「見解」の揺れる視座は、犯罪不成立と言い切ることに自信のないことを表白している。
「澤藤氏は事実と証拠に基づかない私憤に基づく憶測から事務局長らの名誉を毀損する主張を繰り返している」などと言うようでは、法的見解における弁明の放棄と解さざるを得ない。
最後が宇都宮君ご自身の運動員買収疑惑だ。私が疑惑の根拠とするところはずいぶん書いてきたが、疑惑のきっかけは次のとおりだ。
「宇都宮君が発言した。その発言内容を明確に記憶している。
『えー澤藤さん。岩波が問題なら、ボクだっておんなじだ。ボクも、事務所の事務員を選対に派遣して選挙運動をお願いしたんだから』
これには驚いた。本当は、続けて発問したかった。いったい何人を派遣した? 誰を? いつからいつまで? 選挙運動って具体的にどんな仕事だったの? 賃金はいくら払ったの? 勤怠管理はどうしたの?…。しかし、制されて私は黙った。これ以上、彼らを刺激したら、大河(わたしの息子)と、とばっちりを受けたTさんの権利救済(名誉回復)の道は途絶えてしまうと考えてしまったからだ。」(「その10」)
宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその10
「見解」が弁明として述べるところは、まことに乏しい。わずかに次のとおりである。
「法律事務所事務員は、熊谷事務局長と同様に、有給休暇によりボランティアとして参加したものであり、宇都宮氏に公職選挙法等の違反があるとの主張も全く理由がない」
これを読んで、疑惑の解明になっていると考える人がいるだろうか。宇都宮君の熱心な支持者であればなおのこと、これで納得できようはずはない。
もう一度繰り返さざるを得ない。
「宇都宮君は、選対要員としていったい何人の事務職員を派遣した? 誰を? いつからいつまで? 選対での選挙運動って具体的にどんな仕事だったの? 賃金は平常の通りに支払ったの? 勤怠管理はどうしたの? 各職員について派遣当時有給休暇は何日残っていた? 選対勤務のために何日有給休暇を取得したの?」
「見解」の起案者は、いったいどんな調査をしたのだろう。宇都宮君が私に喋った「ボクも、事務所の事務員を選対に派遣して選挙運動をお願いした」という発言の存否や真偽をどのように確認したのだろうか。それとも、一切の調査の必要はないと考えたのだろうか。
「宇都宮選挙が、公職選挙法の厳しい制限のもと、市民選挙としてきわめてクリーンに行なわれた事実を私憤に基づいて中傷誹謗するものとなっていることは、きわめて遺憾である」という文章が空しい。これは、政治文書であって、「法的見解」ではない。「私憤」「中傷誹謗」などという言葉を、「法的見解」に出している点において、反論不能を自白しているに等しい。
どう考えても弁明は無理だ。疑惑は晴れない。疑惑が晴れない限りは、クリーンイメージを大切にする政党や市民団体、個人が宇都宮君を推すことはできないはず。やはり、宇都宮君、立候補はおやめなさい。
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「授業してたのに処分事件」完全勝訴確定
被処分者の会・東京「君が代」裁判原告団から新年にふさわしい明るい報告があった。
「授業してたのに処分」事件について、昨年12月19日言い渡しの東京地裁判決に、都教委が控訴を断念して勝訴が確定した。
控訴期限は1月6日だったが、都教委は控訴をあきらめた。「控訴するな」と強く要請をした立ち場からは、まことに晴れやかな気持。
「都教委が控訴しても地裁判決を覆すことは、絶対できない」「もし、控訴したら1回結審で控訴棄却にしてみせる」「恥の上塗りはやめた方が良い」「税金の無駄遣いではないか」という気迫の勝利だ。
私たちは都教委に要求する。直ちに、控訴を断念したことを明らかにして違法な処分を行ったことを都民に告知せよ。都教委は違法な処分を行ったことを福嶋常光さんに謝罪せよ。早急に名誉回復・権利回復の措置をとれ。違法な処分を行った責任の所在を明らかにして、再発防止策を講じよ。
これまでの法廷闘争は無駄ではなかった。法廷闘争と運動の力との結合の成果として、いささか感慨深い。
(2014年1月8日)