(2022年2月4日)
本日、北京オリンピック開会式。覇権主義中華人民共和国の、一党独裁中国共産党による、専制君主習近平のための、これ以上はない政治イベントである。1936年ベルリン大会でのドイツ・ナチス・ヒトラーを彷彿させる。
習近平の盟友になっているのが、政治的にはプーチンであり、商業的にはボッタクリ・バッハ。彼らの手駒に使われているのが、羊のごときアスリートたち。この構図を支えているのが、メディアとメディアに煽られた民衆である。
北京の光は、ウィグル・チベット・内モンゴル・香港そして台湾に暗い影を落としている。華麗な北京オリンピックのパフォーマンスは、多くの人々が流した涙の上に浮かんでいる。
コロナ禍のさなかの北京オリンピックは、ひたすらに国家と党と習近平の利益のための無理に無理を重ねた奇矯な演し物となってしまった。しかし、習近平の威信を賭けた五輪強行の目は、吉と出るか凶に終わるか。中国共産党はいまウィルスと闘っている。まさしくこのイベントは、「オミクリンピック」と呼ぶべきものなのだ。
不遜なことに、ウィルスは党中央の命令を聞かない。オミクロンは習近平に忖度しない。にもかかわらず、敢えて国家と党の威信を賭けてのゼロコロナ作戦。本日から17日間、果たしてバブルの中での平穏を保つことができるだろうか。
既に本日の報道では、「中国への入国時やその後の検査で、選手団9人を含む21人の陽性がきのう(2月3日)確認され、先月(1月)23日から集計した感染者の合計は308人となった。これまでに選手団の感染は、あわせて111人となっていて、影響が広がっている」という。こうまでして、オリンピック開催を強行する意味がどこにあるのだろうか。
本来、オリンピックは平和の祭典である。オリンピック憲章が想定するとおりに挙行されば、意味のないはずはない。各国のアスリートやアーチストや民衆の交流は貴重な平和に資するものとなる。しかし、国威発揚や為政者の野心のためのオリンピックでは、メリットを凌駕するデメリットを指摘せざるを得ない。無理に無理を重ねた「オミクリンピック」は、そのデメリットの象徴というべきであろう。
(2022年2月3日)
NHK・OBの皆川学さんから、下記のご意見を添付したメールをを頂戴した。皆川さんとは、NHKに対する要請や抗議の行動を重ねるなかで知り合った。お話しを聞けば現職の時代はNHKのエライさんだったのだが、そのような素振りは見せない。
いま、市民運動の一端をになって、「真っ当なNHKたれ」と古巣NHKに対する厳しい批判を絶やさない。真っ当でないことが多すぎるのだ。叱責が続くことはやむを得ない。そして最近もう一つ、叱責せざるを得ないことが重なった。あの河?直美が絡んだ、オリンピック反対デモに対する侮蔑字幕問題である。
これはいったいどんな問題なのだろうと思っていたところに、皆川さんが「正解」を提示してくれたというスッキリ感がある。なるほど、この「字幕捏造問題」と呼ぶべき事態には、こんな理由があったのだ。
「表現の自由を市民の手に 全国ネットワーク」ニュースレター第8号
NHKはなぜ字幕を捏造したのか
皆川学(表現ネット共同代表 NHK・OB)
「デモ参加者には、日当が出ている」といった情報は、古くは60年安保の頃から、近くは沖縄基地反対運動に対する「ニュース女子」番組まで繰り返し流布されている典型的なデマである。これをまともに取り上げるメディアなどあろうはずがない。ところが昨年12月26日に放送されたNHK「BSスペシャル 河?直美が見つめた東京五輪」では、顔にモザイクをかけられた匿名の男性が「実はお金をもらって動員されている」との字幕テロップ付きで紹介されていた。
不審に思った多くの視聴者からの問い合わせで、NHKが内部調査をしたところ、男性の証言は確認されたものではないことが判明し、NHKは謝罪放送を行った。 NHKは「担当者の取材不足が原因で、捏造の意図はない」と弁明しているが、本当にそうだろうか。担当ディレクターが経験不足であったとしても、局内で幾重にも繰り返される試写の段階で、チェックを担当する上部管理職がこの低劣な定番デマ情報をそのまま見逃したとは考え難い。事件は局内手続きにあったのではなく、もっと深いところから発したと思われる。
この番組には、そのほかに看過できない問題シーンがある。コロナ渦での児童の五輪観戦動員などに反対して、教育関係者で構成される「都教委包囲・首都圏ネット」が昨年5月にJOC前で反対行動を行った場面が紹介された。そこでは河?直美氏が柱の陰で恐る恐るのぞき見しているシーンがあり、その直後に河瀬氏の「五輪は私たちが招致したもの」「オリンピックに関わっている人がそこで一生懸命にやっている。その人に寄り添うことは人間として当たり前」というコメントが入っている。まるで「オリンピック反対は人間のすることではない」との印象を与えるような構成である(首都圏包囲ネットは、この件で1月18日にNHKへの抗議を行い、その模様は包囲ネットとレイバーネットのHPで視聴可能)。
当該番組はいわゆる「メイキング物」で、表現活動やイベントの完成される過程を追うスタイルをとるが、取材対象者から特段に許された条件で撮影するため、対象者との距離を取ることが難しく、往々にして「ヨイショ」番組に堕すことがある。コロナ禍での五輪開催には、国民の6~8割の人々が反対していた。そのなかで「関わっている人々に寄り添」っている河瀬氏の活動を称賛するためには、一方で反対している入る人々を否定的に描くシーンがあったほうが効果的だ。そのような構成上の必要から、上記の二つのシーンが番組に埋め込まれたものと推測する。取材対象者との距離が取られていない。
本ニュースレター前号で田島泰彦氏も指摘していたように、大手メディアがオフィシャルパートナーとして五輪開催に構造的に組み込まれて五輪翼賛報道に終始し、NHKも五輪開催の是非をめぐる「NHKスペシャル」の放送延期、長野県で行われたトーチリレー(「聖火リレー」とはいわない)での沿道からの五輪反対の音声の30秒カットなど、五輪反対の声が電波に載らないよう腐心していた。
謝罪放送後の記者会見でも、正籬副会長は「不確かな内容の字幕を出していたことは間違いない」が、「全くそうした事実がなかったのかということについてははっきりしない」と、金で動員されていた可能性はまだありうると、担当ディレクターをかばっている。現場ディレクターからNHKトップまで、「金をもらってのデモ神話」を信じているおぞましさ。組織を挙げた確信犯的番組だったのではないだろうか。少なくとも、オリ・パラを推進・翼賛する組織方針の延長上にこの事件は起きた。「五輪翼賛番組」の「五輪」が、「戦争」という言葉に置き換えられた時のことを思うと慄然とする。
私(澤藤)も、「都教委包囲・首都圏ネット」のデモには何度か参加したことがある。一見して、「実はお金をもらって動員されている」デモではあり得ない。「そこでは河?直美氏が柱の陰で恐る恐るのぞき見しているシーンがあり、その直後に河瀬氏の『五輪は私たちが招致したもの』『オリンピックに関わっている人がそこで一生懸命にやっている。その人に寄り添うことは人間として当たり前』というコメントは噴飯物である。これが、オリンピックという化け物の正体であり、この化け物に取り込まれたのが河瀬でありNHKなのだ。その最後をリフレインしておきたい。NHKよ、襟を正して聞け。
現場ディレクターからNHKトップまで、「金をもらってのデモ神話」を信じているおぞましさ。組織を挙げた確信犯的番組だったのではないだろうか。少なくとも、オリ・パラを推進・翼賛する組織方針の延長上にこの事件は起きた。「五輪翼賛番組」の「五輪」が、「戦争」という言葉に置き換えられた時のことを思うと慄然とする。
(2022年2月2日)
石原慎太郎が亡くなった。傲慢に目鼻を付けるとこの男の顔になる。憲法を悪罵し、偏狭なナショナリズムを鼓吹し、歴史修正主義の立場から軍事大国化を広言する…、迷惑至極な人物だった。人権や自由や平等や平和や民主主義に背を向けた旧人類。権力中枢の偏向ぶりを、まだマシと思わせるのが役どころ。
あらためて思う。どうしてこんな人物が政界に顔を出し、どうしてこんな人物に票を投じる有権者がいたのだろう。民主主義という容れ物は、こんな人物をも拒絶しない柔軟な構造なだけに、形だけの民主主義はとても危険なのだ。そのことを教えてくれた、それだけが「功績」という人物。
落語の「ラクダ」を聞き直そう。志ん生でも可楽でも、円生でも良い。本名が「馬」、あだ名が「ラクダ」という柄の大きな乱暴者。こいつが長屋の嫌われ者だが、フグに中ってフグ死んでしまう。すると、ラクダに輪を掛けた強面の兄貴分というのが、ラクダの通夜を出し、焼き場にもって行こうとする。
そのために、まずは屑屋を脅して手下として使い、死体を踊らせて長屋の連中や大家から、なにがしかを掠めとる。これは、示唆に富んだ噺だ。
気の良い屑屋はラクダのことを「ずいぶん乱暴な人でしたが、死んでしまえば罪も報いもない仏様」と最初に香典を包む。こういう日本人の心情につけ込もうというのが、ラクダの兄貴分であり、石原慎太郎の死を利用しようという連中。安倍晋三、平沼赳夫、古屋圭司、産経、維新、小池百合子も…。昨日から今日にかけてのメディアの基本姿勢は、これに対する警戒心がない。
東京の教育現場に「日の丸・君が代」の強制を持ち込んだのがこの男だ。そして、障がい者の人権を否定し、「三国人」呼ばわりをし、ヘイトスピーチを恥じなかった不届き者。そして、思い出していただきたい。石原慎太郎は、東日本大震災の被害を「天罰」と言ってのけたのだ。思慮に欠ける発言というレベルではない。この男、人の不幸に共感する能力がまったくない。ふたたび、このような人物を公職に就けてはならない。
当時の私のブログを再録する。
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石原慎太郎の「震災は天罰」発言に抗議する
敢えて一切の敬称を省略する。石原慎太郎は、東北太平洋沖大震災・津波の被災者に謝罪し、即刻すべての政治活動から身を退くべきである。
複数メディアの報ずるところによれば、石原は大震災の被害を「これはやっぱり天罰だと思う」と記者会見の場で広言した。「津波で我欲を洗い落とせ」とも言ったという。
その後記者から「『天罰』は不謹慎では」との質問に対しても、「被災者の方々はかわいそうですよとも述べている」として発言の撤回も謝罪もしていない。
かつてない大災害で万を数えようという犠牲者が出ている。多くの罹災者が家族を失い、家も職も地域社会をも失って塗炭の苦しみに嗚咽の声をあげている。そのときに、石原はこの苦しみを「天罰」と言ってのけたのだ。「津波で我欲を洗い落とせ」とも。何という心ない言葉であろうか。何という思いやりに欠けた、唾棄すべき人格。
石原にとっては、この大災害の罹災者一人一人の死や離別、恐怖は、「被災者の方々はかわいそうですよ」という程度のものでしかない。
明らかに、石原はこの発言で政治家たるの資質のないことを露わにした。少なくとも、民主主義社会において、これほど人権感覚を欠如し、これほどに国民を見下した政治家に、責任ある地位を与えておくことはできない。
発言を撤回し謝罪するだけではたりない。政治家失格者としてあらゆる政治活動から身を退くよう、要求する。
(2011年03月14日)
石原慎太郎君、君こそ「天罰」を甘受したまえ。
敢えて敬称を「君」としよう。
石原慎太郎君、知事を辞めたまえ。四選出馬を撤回したまえ。潔く、大震災・津波の被災者にたいする謝罪広告を掲出し、すべての政治活動から即刻に身を退きたまえ。
君は、大震災の被害を天罰だと記者会見の場で広言した。塗炭の苦しみを味わっている被災者を罪ある者とし、その苦しみを天罰と言ったのだ。被災者を我欲者として「津波で我欲を洗い落とせ」とも言った。その君の罪は限りなく重い。
君の「天罰発言」は、失言だとか、不用意に口が滑ったという次元の問題ではない。君の人格そのものの表出なのだ。権力者面をした君には、この大災害の被災者一人一人の死や離別の恐怖・苦悶・悲嘆に共感する能力が根本的に欠落している。このことは、民主主義社会での政治家として決定的な欠陥なのだ。
君は、いとも簡単に「言葉が足りなかった」として、「謝罪し、発言を撤回した」と報じられている。君は、自分の言葉の軽さを当然として、その撤回は可能と考えているようだが、それは心得違いも甚だしい。
君の「天罰発言」は、政治家としての君の資質の欠落を露呈させたものだ。だから、政治家失格の真実を消し去ることはできない。発言を撤回したところで、君の人権感覚の欠如、国民無視の姿勢の露呈を消し去ることはできない。
君が都知事を続けたら、不幸な都民に再度「天罰」と言うだろう。いや、既にこれまでも「天罰」として切り捨てられている都民を指摘することもできる。
このたびは、謂わば君自身が君の原罪を露わにしたのだ。天罰を甘受するよりないではないか。天罰発言を撤回して、謝罪するだけでなく、知事も辞めたまえ、四選出馬を撤回したまえ、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、民主主義と人権の進展のために、君がなし得る唯一のことなのだから。
(2011年03月15日)
石原慎太郎君、君は「謝って済む」立場にない。
石原慎太郎君。
君は、このたびの大震災の被害を天罰だと広言し、その翌日まことにぶざまに発言を撤回して謝罪した。しかし、君には、自らの発言の罪の深さが理解できていない。君の「天罰発言」への謝罪は、到底受け容れられるものではない。君は、今さら謝罪で許される立場にはないと知るべきだ。
加害行為は、その態様と程度によっては、加害者の真摯な反省と謝罪が被害感情を慰藉することがある。その場合には、謝罪は被害者に受容される。つまりは、「謝って済む」ことになる。しかし、君の場合、到底「謝って済む」問題ではない。
尊い命を失った方、あるいは掛け替えのない家族を失って悲嘆にくれ、またあるいは恐怖と絶望に震える大震災の被災者に対して、君は「その不幸は天罰」と言ったのだ。かつて君自身が田中均外務審議官に投げつけた言葉を借りるなら、君の発言こそが「万死に値する」行為なのだ。到底許されるものではない。
私は、岩手県の出身者として知人の被災に胸を痛めているが、もとより被災者に代わって発言する資格はない。しかし、君の発言は、私の心情も大きく傷つけた。私も君の発言の被害者の一人だが、私の怒りはおさまらない。「発言の撤回と謝罪」程度で、私はけっして君を許さない。多くの被災者はなおさらのことと思う。
あらためて要求する。石原君、即刻政治家を辞めたまえ。
「万死に値する」とは、君の言葉の使い方と同様レトリックでしかない。死をもって償えなどと野蛮な要求はしない。知事を辞め、四選出馬表明も撤回し、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、今君のなし得る真摯な謝罪の方法である。
その実行があれば、私は、君の人間性と真摯さを見直し、君の発言を宥恕するにやぶさかではない。もっとも、私に比較すべくもなく大きく深く君の発言に傷つけられた被災者が、君を許すかどうか‥。それは、私の忖度の限りではない。
(2011年03月16日)
石原慎太郎君、君は民衆の信頼を失った。
君には、「天・罰」の二文字が深く刻まれた。どのようにあがいても、もう、洗い落とすことはできない。君が人前にその姿を晒せば、人は君の額に「天・罰」の二文字を見る。君がものを書けば、人は紙背に「天・罰」の二文字を読み取る。君が、何をしゃべろうと、また書こうと、「天・罰」の二文字が君から離れることはけっしてない。
みんなが心得ている。君の「被災はやっぱり天罰」「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある」という言こそが君のホンネであることを。翌日の撤回と謝罪とが、選挙戦術としてのとりつくろいでしかないことを。
唾棄すべき言論にも表現の自由は保障されよう。君がその本性をむき出しに、無慈悲で無神経な心ない言論を行うことも、君の嫌忌する日本国憲法が保障するところ。君の一個人としての不愉快な言論は自由だ。しかし、政治家としての言論は自ずから別だ。限界もあり、特別の責任が伴う。
民主主義社会における政治は、選挙民である民衆の信頼を基礎に存立している。
選挙で選ばれた政治家は、選挙民の信頼に応える責任を負っている。その信頼の内容は、民衆の利益への奉仕にある。就中、最も弱い者、最も困窮している者、最も援助を必要とする者に真摯に寄り添うことにある。
震災被災者の困窮を天罰と言い、援助の手を必要とする津波の被災者に「我欲を洗え」と悪罵を投げつけた君は、弱者を切り捨てたつもりが、自分への信頼を切り捨てたのだ。民衆からの信頼を根底から洗い流した。その信頼喪失の象徴が「天・罰」の二文字である。君がいかなる美辞麗句を連ねても「天・罰」の二文字から君のホンネと本性が透けて見えるのだ。
民衆からの信頼を失った政治家は潔く身を処すしか道はない。知事の職を辞し、四選出馬を断念し、あらゆる政治活動から身を退いて、民衆を蔑視し民衆の信頼を失った政治家の身の処し方を見せてもらいたい。それがせめてもの、君ができる償いであろう。
(2011年03月17日)
石原「震災は天罰」
石原慎太郎知事は、このたびの大震災の被害を「天罰」と言った。
天罰にせよ刑罰にせよ、罰は罪を犯した者に科せられる。知事は「天罰」という発言で、被災した無辜の被害者に対して、罪ありと指弾したのだ。「被災は自業自得」と放言したに等しい。
知事は弁明するかも知れない。「自分は日本という国の罪を考え、日本に天罰が下ったと述べたのだ」と。これもまた恥と愚の上塗りである。なにゆえに、国策の決定や遂行に遠い位置にある東北の人々が、また最も弱い立場の幼児や老人までもが、日本の罪を引き受けなければならないのか。なにゆえに、知事自身を含め、権力の中枢にある人々が天の鉄槌を免れているのか。
知事の視野には、およそ空疎な「日本」や「国家」や「民族」だけがあって、災害に苦しむ生身の人間の姿が見えていない。このような思い上がった人物に、民主主義社会は権力も権限も与えてはならない。多くの人々の運命の帰趨にかかわる地位に置くことは、都民にとって危険極まりないからだ。
言うまでもなく震災・津波の被災者に罪はない。被災は罰ではあり得ない。むしろ、知事の側にこそ大きな罪があり、厳しく罰せらるべきである。
知事の「罪」(違法)を数え上げよう。
公然と被災者を侮辱したこと。被災者の名誉を大きく毀損したこと。虚偽の風説を流布して被災者の信用を毀損したこと。罪のない者を罪ありと誣告したこと。
知事にあるまじき愚かで心ない放言によって都民に肩身の狭い思いをさせたこと‥。
なによりも、苦悶する被災者に対する情誼を著しく欠いたこと。そして、災害を非科学的に「天罰」などと言ってのけ、災害の原因把握や再発予防、そして被害救済の施策と実行について根本的に無能であることを露呈したこと‥。
以上の「罪」に対する「罰」として、まずは自発的な贖罪が期待される。自ら、知事の職を辞し、四戦出馬を取りやめること。すべての政治活動から身を退くこと。
さもなくば、天に代わって選挙民が「罰」を与えねばならない。
(2011年03月18日)
災害を「天罰」とするオカルティズムの危険
未開の時代、人は災害を畏れ、これを天の啓示とした。個人の被災は個人への啓示、大災害は国家や民族が天命に反したゆえの天罰とされた。
董仲舒の災異説によれば、天は善政あれば瑞祥を下すが、非道あれば世に災異をもたらす。地震や洪水は天の罰としての災異であるという。洋の東西を問わず古くは存在したこのような考え方は、人間の合理的思考の発達とともに克服されてきた。
天罰思想とは、実は独善である。天命や神慮の何たるかを誰も論証することはできない。だから、歴史的には易姓革命思想において利用され、政権簒奪者のデマゴギーとして重用された。
このたびの石原発言の中に、「残念ながら無能な内閣ができるとこういうことが起きる。村山内閣もそうだった」との言葉があったのに驚いた。政権簒奪をねらうデマゴギーか、さもなくば合理的思考能力欠如の証明である。このように、自然災害の発生を「無能な内閣」の存在と結びつける、非合理的な人物が首都の知事である現実に、肌が泡立つ。
また、天罰思想は災害克服に無効である。天の罰との理解においては、最重要事は災害への具体的対応ではなく、天命や神慮の内容を忖度することに終始せざるをえない。また、災害は天命のなすところと甘受することにもならざるをえない。
本来、災害や事故に対しては、まず現状を把握して緊急に救命・救助の手を差し伸べ、復旧の方策を講じなければならない。さらに、事象の因果を正確に把握し、原因を分析し、再発防止の対策を構築しなければならない。このことは科学的思考などという大袈裟なものではなく、常識的な合理的な思考姿勢である。この常識的思考過程に、非合理的な天罰思想がはいりこむ余地はない。
アナクロのオカルト人物が、今、何を間違ってか首都の知事の座に居ることが明白となった。このままでは、都民の命が危ない。
都民は、愚かな知事をいだいていることの「天罰」甘受を拒絶する。都民の命と安全のために、知事には、即刻その座を退いていただきたい。
(2011年03月19日)
日本国憲法の嘆きと願い
私は「日本国憲法」である。
人類の叡智の正統な承継者として1947年日本にうまれた。以後、主権者国民に育てられて地に根を下ろし、枝をひろげた大樹となっている。
私の根幹を成すものは、「人権」と「民主主義」と「平和」である。その各々は相互に関連し、相補うものとしてある。とりわけ、至高の価値である国民個人の人権を擁護するために民主主義が円滑に機能することが、私の切なる願いである。
このことを、私は、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と高らかに宣言した。
「人権」とは、国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産であって、私の最も貴重とするものである。国民の代表者たる公務員・政治家は、その貴重な国民の人権を預かる者として、心して国民の福利のために献身しなければならない。
ときに、この理をわきまえない不心得な政治家が現れることが心配でならない。
石原慎太郎という首都の知事、何を勘違いしてか、公僕たる立場にありながら偉そうに国民に教訓を垂れたという。「津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」とは、私にとって聞くに堪えない悲しい暴言である。
本来石原は、被災した国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産をいかに擁護し、いかに回復するかに心を砕かねばならない立場にある。被災を「天罰」ということは、苦しむ国民の傷に塩を塗り込むことで、私の想像を絶する。石原は、私の目の黒いうちは、知事としても政治家としても失格というほかはない。
しかし、私は寛容にできている。私には直接に石原を失脚させる物理的な力はなく、胸を痛めるしかない。首都の主権者にお願いしたい。私に代わって石原を諭して知事の座を退くよう力を尽くしていただきたい。その実現を私は待ち望んでいる。
(2011年03月20日)
社会不安を奇貨とした妄言を許すな
大災害は社会不安をもたらす。多くの人々の不安の心理に付け込んで、妄言を吐く輩が跋扈する。牽強付会に災害の原因を解釈して見せ、都合の良いように人心を誘導しようとする。混乱のさなかには、時に大きな影響をもたらす危険ある言説として警戒を要する。石原慎太郎の「天罰発言」もその例に洩れない。
彼によれば、震災・津波の原因は、「我欲」と「ポピュリズム」にある。つまりは、国民が我欲にとらわれ、政治がポピュリズムに陥っているから、天が罰を下して、震災と津波の被害をもたらした。したがって、「津波をうまく利用して、我欲を一回洗い落とす必要がある。日本人の心のあかをね」ということになる。
彼の人心誘導の方向は、「我欲を洗い流す」ことにある。
彼のいう「我欲」の内実は必ずしも明確ではないが、「我」の「欲」とは、「全体の利益」「社会の調和」「国家の繁栄」などと対峙する個人の権利主張と理解するほかはない。「我欲を洗い落とす必要がある」とは、全体の利益ために個の抑制を求めるもの。何のことはない、滅私奉公・尽忠報国の焼き直しイデオロギーでしかない。ささやかな庶民の願いを「非国民の我欲」呼ばわりして圧殺した、ほんの少しの昔を思い起こさねばならない。
もっとも、「ささやかな」と限定することのない我欲を正当と認める立場が、経済制度としての資本主義であり、政治思想としての個人主義ないし自由主義である。国家は個人の我欲を抑圧する必要悪と位置づけられる。現行の制度は、我欲の衝突を調整する仕組みをそなえつつ、我欲を基本的に肯定している。
これに反して、個人の我欲を否定し、国家・社会・民族の利益を第一義とする立場が全体主義である。石原を「弱者に冷たい新自由主義者」とするのは、実は褒めすぎ。「全体のために個人を否定する全体主義者」と評し直さなければならない。
恐るべきは、石原の全体主義的言動に喝采を送る一定層が存在することである。
その支持のうえに、3期12年もの都政のあかがたまった。これを一気に押し流す必要がある。「天罰発言」を石原ポピュリズム清算の天恵としよう。
(2011年03月21日)
都民は被災地の声に耳を傾けよう
本日の毎日新聞「記者の目」の欄。釜石を故郷とする、社会部記者が地元に入って、災害の惨状を生々しく報告している。
その中に、次の1節がある。
「浜町の高台にある児童公園の物置小屋で、地元の消防団員らと夜を越す。ろうそくを囲み、気付けに回す日本酒に思いが噴き出す。『石原慎太郎(都知事)のばかたれが。何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)』。
傍らから声が続く。『こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ』」 激しく厳しい叱正と、冷静な人間評。いずれも何という痛烈な石原批判であろうか。石原は、「馬鹿たれ」「おだつな」と怒りをぶつけられているだけではない。人間性や生き方そのものを、根底から見すかされ否定され軽蔑されているのだ。
この声は、一児童公園の物置にたまたま集まった人の声ではない。三陸全体の、いや東北関東被災地全土の声である。今は声を出すこともかなわない2万余の犠牲者の声であり、30万避難者の声でもある。日本全国の心ある人々の真っ当な声でもあろう。
今、東京都民の民度が問われている。都民は、このような恥さらしの人物を、またまた首長に選出するのであろうか。
政治家は、聖人君子である必要はない。しかし、庶民の悩みや苦しみを理解する能力のない者は、政治家失格である。苦悩する被災者に、「天罰」と悪罵を投げつける石原を知事に選出するようなことがあれば、こんどは都民が日本中に恥を晒すことになる。
首都の首長選びには、全国の目がそそがれている。とりわけ、被災地から見つめられ姿勢を問われていることを忘れてはならない。投票行動によって都民の「人間性や生き方が問わている」のだ。
石原が「馬鹿たれ」「おだつな」と酷評を受けることは当然としても、都民が石原同様の批判を受けるようなことがあってはならない。
(2011年03月22日)
都民よ、ポピュリストを忌避しよう。
石原「天罰発言」が、ポピュリズムに触れている。「政治もポピュリズムでやっている」から天罰が下ったという文脈。「無能な内閣ができるとこういうことが起きる」という妄言と併せると、民主党政権誕生を支持した国民の動きをポピュリズムと言っているようだ。しかし、衆目の一致するところ、石原こそが典型的なポピュリストであろう。しかも、極めて質の悪いポピュリストと指摘せざるをえない。
民主主義とは、理性ある市民の意思が社会の方向を決める原則。成熟した市民の自由な意見交換によって形成された世論が、政治を動かし権力をコントロールする。しかし、石原の政治姿勢はこれに正反対である。数え上げれば限りのない差別発言と雑言を売り物とし、非理性的な衆愚の感性に訴えて集票している。イジメの先頭に立って、取り巻きから喝采を受けているいじめっ子の構図ではないか。これこそ民主主義に似て非なる衆愚の政治であり、ポピュリズム以外の何ものでもない。
被災者に「天罰」と悪罵を投げつけたのも、選挙間近で都民のウケをねらったイジメ発言なのかも知れない。しかし、今度ばかりはあまりにひどすぎて、あてがはずれたというところ。それでも懲りずに四選めざして立候補する予定と報じられている。
都民よ、衆愚となってポピュリストに権力を与えることはもうやめよう。冷静に都政の現状を見つめ直そう。
「貧困都政」(岩波書店)を著した永尾俊彦氏が鋭く指摘している。
「石原都政では、都民が切実に望んでいることはどうでもよくて、福祉や医療で削った金を知事が思いついたことに投資している。気運の盛りあがらないオリンピック招致、新銀行東京、三宅島のオートバイレース。しかも大失敗しても責任をとらない。それどころか、豪華外遊や高額接待をくり返し、築地市場を土壌汚染地に移そうとしている。『日の丸・君が代』の強制に見られるように、都の方針に従わない教師や職員は処分し、左遷し、だまらせようとしてきた」
まったく同感である。同胞の被災に涙する心をもつ都民に訴える。こんな人物を知事にしてはならない。
(2011年03月23日)
まことのなみだはここになく‥
敬愛する郷土の詩人宮沢賢治は、奇しくも明治三陸大津波の年(1896年)に生まれ、昭和三陸大津波の年(1933年)に没している。
詩人が生前に刊行した唯一の詩集が「春と修羅」。その第二集は、構想だけで生前の発刊が実現しなかった。賢治は、発刊予定の第二集にやや長い序を書いており、その最後によく知られた次の一節がある。
「北上川が一ぺん氾濫いたしますると
百万疋のねずみが死ぬのでございますが
その鼠らがみんな
やっぱりわたくしみたいな云ひ方を
生きているうちは
毎日いたして居りまするのでございます」
言うまでもなく、鼠は、災害に翻弄される東北の農民の暗喩である。そして疑いもなく、賢治は自らの身を百万疋の鼠のうちの一匹としている。賢治は、生き方そのものにおいて、農民に身を寄せ、農民の苦悩を自らのものとした。ヒデリのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩いたのだ。
岩手を郷土とする私には、鼠という賢治の比喩に、都会人や権力者の、あるいは富裕者の、要するに百万匹の鼠の外に身を置いて見下す立場にある者の、冷ややかな視線を読み取らざるをえない。
民主社会の代議政治における代表は、百万疋の鼠のうちの一匹こそがふさわしい。その外にいて見下す傲岸な人物に権力を与えてはならない。おそらく賢治もそのような思いであったに違いない。「春と修羅 第二集」を印刷する予定であった貴重な謄写版印刷機を第1回普通選挙に立候補した労農党・稗貫支部に寄付している。
津波の被害を天罰という政治家に賢治は怒るだろうか、はたまた嘆くだろうか。
「まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる」
(2011年03月24日)
グスコーブドリの生き方
「グスコーブドリの伝記」は、賢治の生き方の理想の一面を表している。
イーハトーブの森に生まれた木樵の子ブドリは、幼くして父母を失う。寒さの夏に続く飢饉ゆえの不幸。その自然の災害に加えて、妹ネリとともに人の世ゆえの辛酸にも遭う。
長じたブドリは火山局の技師となり、火山の噴火を抑えたり、窒素肥料の雨を降らせたりと働く。イーハトーブは豊かになったが、寒さの夏の再来が予報される。
その対策として、ブドリは一計を案じる。火山島を爆発させ、大気に二酸化炭素を噴出させ温暖化効果で冷夏を克服しようというのだ。その危険な仕事はどうしても犠牲を伴うのだが、ブドリは敢えて志願してなし遂げる。ブドリの犠牲で、多くの人を不幸にした寒さの夏はなくなり、「ちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。」と、お話しは締めくくられる。
ブドリは災害を天罰とするごとき非科学的な思想のカケラも持ち合わせない。科学的な思考なくして災害を克服することができないことを知っているから。また、ブドリは災害を他人事としない。災害の克服への献身を惜しまない。自らが、災害の不幸を背負って生きてきたのだから。
ブドリを通して賢治は語っている。ブドリの自己犠牲が、「たくさんのブドリやネリと、たくさんのおとうさんやおかあさん」に幸せをもたらしたように、自分も農民に幸せをもたらす生き方をしたいと。ブドリのようなかたちの自己犠牲を肯定できるか賛否はあろう。しかし、農民の立場に身を寄せて、災害の克服に全身全霊を捧げた賢治の生き方には、誰もが襟を正さざるをえない。
これに比較するも愚かだが、被災を他人事とし被災による苦悩を天罰と言ってのける、無神経で傲岸な生き方もある。賢治の対極に位置して、醜悪そのものと指摘せざるをえない。
(2011年03月25日)
啄木の怒り
郷土の歌人・石川啄木は、「主義者」として知られていた。
平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり。
赤紙の表紙手擦れし 国禁の 書を行李の底にさがす日。
「労働者」「革命」などといふ 言葉を聞きおぼえたる 五歳の子かな。
友も妻もかなしと思ふらし―病みても猶、革命のこと口に絶たねば。
など、その傾向の歌はいくつも挙げることができる。
没後十年(1922年)で建立された「柳青める」の歌碑に、寄進者の名などはなく、ただ「無名青年の徒之を建つ」と刻まれているのは、その故であろう。
彼が貧者の側にあって、社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってくる。高みから見下す目線ではないことが、啄木の歌の魅力である。
わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき
このような彼だから、故郷の災害を天罰という輩には、怒髪天を衝いて怒るに違いない。しかし、彼のことだ。怒りも悲しみの歌となるだろう。
頬につたふ なみだもみせず 天罰と言い放ちたる男を忘れじ
砂山の砂に腹這ひ 天罰と言われし痛みを おもひ出づる日
たはむれに天罰など口にして 軽きことばは 三日ともたず
一度でも天罰などとののしりし 人みな死ねと いのりてしこと
天罰と言いし男の 尊大な口元なども 忘れがたかり
あるいは、次の「一握の砂」所載歌などは、その輩を詠んだものではなかろうか。
くだらない小説を書きてよろこべる 男憐れなり 初秋の風
秋の風 今日よりは彼のふやけたる男に 口を利かじと思ふ
誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり
(2011年03月26日)
佐藤春夫・宇野浩二の石原慎太郎評
石原慎太郎は、1956年に第34回芥川賞を受賞している。受賞作品は、「太陽の季節」。選考委員は、石川達三、井上靖、宇野浩二、川端康成、佐藤春夫、瀧井孝作、中村光夫、丹羽文雄、舟橋聖一の9名。異例というべき酷評がなされている。
佐藤春夫はこう述べている。「僕は『太陽の季節』の反倫理的なのは必ずしも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸としてもっとも低級なものとみている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者の物ではないと思ったし、又この作品から作者の美的節度の欠如をみてもっとも嫌悪を禁じ得なかった。これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。僕にとってなんの取り柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して‥これに感心したとあっては恥ずかしいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わない」
石原を「文学者ではなく興行者」と言い当て、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思った」とは、その後の石原を見抜いている。その炯眼には敬服するよりほかはない。
また、宇野浩二は「読み続けていく内に、私の気持ちは、次第に、索漠としてきた、味気なくなってきた。それは、この小説は、仮に新奇な作品としても、しいて意地悪く云えば、一種の下らぬ通俗小説であり、又、作者が、あたかも時代に(あるいはジャナリズム)に迎合するように、‥ほしいままな『性』の遊戯を出来るだけ淫猥に露骨に、書きあらわしたりしているからである」
積極的に推したのは、舟橋聖一と石川達三。
「純粋な快楽と、素直にまっ正面から取組んでいる点」を評価したという舟橋の評は論外。石川は、受賞作を「倫理性について、美的節度について問題は残っている。‥危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」と述べている。『人間の壁』を著した石川達三は、石原のその後の「危険」をどう把握したであろう。差別発言を恥じずにくり返し、震災を天罰という「作家」を評価しえたろうか。
(2011年03月29日)
死者に寄り添う気持の尊さ
「方丈記」は災害文学である。取りあげられた「災害」は、大火・旋風・遷都・ひでり・大風・洪水・飢饉・疫病、そして大地震に及ぶ。
養和年間(1181?82)の飢饉による夥しい都の餓死者について次の一節がある。
「仁和寺に隆曉法印といふ人、かずもしらず死ぬることをかなしみて、その首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。その人數を知らむとて、四五兩月を数へたりければ、‥道のほとりにある頭、四萬二千三百余りなむありける」
行路に捨てられた遺体を哀れとし、その成仏を願って額に梵語の「阿」という字を書いてまわった僧のいたことが、鴨長明には書き留めて置くべきことであった。
よく似た話が、昨日の「毎日」夕刊に。「葬儀が出せない被災遺族のために、僧侶の兄弟が火葬の度に駆け付け、ボランティアで読経している」のだという。
山田町の龍泉寺は遺体の仮安置所になった。30代の住職は、幼児の遺体を見て涙が止まらず、弟と相談して「檀家であろうとなかろうと供養を」と思い立った。以来、「隣接する斎場での火入れにほぼ毎回交代で立ち会い、遺族を前に、袈裟姿で読経している」「喪服もなく、着の身着のまま参列した遺族が『手を合わせくれるだけでもありがたい』と涙を流して感謝する場面もある」と報じられている。
「(葬式など)何もできないと思っていたので、ありがたいお経だった」という遺族の感謝のことばが痛いほどよく分かる。常は無神論者をもって任じている私も、そのような僧侶の行為に尊敬の念を抱かずにはおられない。
宗教者が死者に寄り添う行為は、生者への真摯な慰めでもある。宗教とは本来竜泉寺の若い僧が体現したように、死者と生者をともにいつくしむ営みなのだと思う。
宗教者に限らず、生を至高のものとし、その故に死を厳粛なものとして、死者に敬虔な姿勢で寄り添うことが社会の良識である。
死者へも遺族にも何の配慮もなく、軽々に「災害は天罰」と無分別な放言をする輩には、人生や社会を語る資格はない。政治に携わることなどもってのほか。
(2011年03月30日)
失言・放言・暴言・妄言
「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」とは失言であろうか。
失言とは、「不注意に本音を漏らす」こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」という認識が決定的に欠けていた。日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」とも、「不注意に本音を漏らした」とも言わない。傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。「うっかり言ってしまった」のではなく、確信犯としての発言なのだから。
彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。記者から「被災者に配慮を欠いた発言では」と指摘を受けて、直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。
翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。
放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。今回の彼の「天罰発言」はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。
失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。
思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。
(2011年03月31日)
江戸っ子の心意気
べらんめい、江戸は町人の街よ。人口の半分は侍だというが、ありゃあ、どいつもこいつも国許からぽっと出の浅黄裏。権力はあっても、所詮は粋の分からぬヤボどもよ。リャンコが恐くて田楽が喰えるか。
「たが屋」という噺を知ってるだろう。「たがを締める」ことを商売としている職人と、むやみに威張った侍のあの話。両国の川開きのごった返しの橋の上、供を連れた騎乗の侍と、商売道具を背負ったたが屋とがぶつかる。侍は、「とも先を切った無礼者」と、たが屋を手討ちにしようとする。平謝りのたが屋が、どうにも助からないと知るや開き直って胸のすくような啖呵をきる。ここがハナシの聞き所。たが屋捨て身の大立ち回りを口先ばかりの江戸っ子が応援する。
さて、その結末。文化年間の寄席の記録では、花火が打ち上げられる中、切られたたが屋の首が飛ぶ。その首に「たがやーー」と哀惜の声がかかるのがサゲ。
ところがこれでは面白くねえやな。この話、幕末には逆転する。隅田川に落ちるのは、たが屋の首ではなく侍の首となったのよ。この侍の首に「たがやーー」という喝采がサゲとなる。今も演じられているとおりさ。
この首のすげ替え。天と地の差だろう。最初に侍の首を飛ばした噺家の名は残っちゃいない。町人の心意気が、たが屋を救って、侍の首を飛ばしたのさ。
たが屋が身分を超えて侍にこう言うんだ。「情け知らずの丸太ん棒め」「おまえなんぞは人間じゃない。このあんにゃもんにゃ」「血と涙があって、義理と人情をわきまえていてこそ人間ていうんだ」ここがこの噺の真骨頂だとおもうね。
江戸っ子だい。いつまでも、はいつくばってはいられない。威張り散らして、「災害は天罰」だの、「地方の原発推進は東京に必要」だのと言ってる御仁に、いつまでも江戸を任せるわけにはいかないね。それこそ、江戸っ子の恥じゃないか。
俺たちは一人一人が「たが屋」さ。血も涙もなく義理と人情をわきまえぬ権力者と、首をかけたやり取りを余儀なくされていることは、昔も今も変わらない。
(2011年04月01日)
野蛮な天皇制も「天罰」とは言わなかった
関東大震災の直後に2通の詔書が出されている。天皇制政府にとって首都の震災被害からの復興がいかに重大な課題であったかを物語っている。注目すべきは、両詔書とも「天譴論」に与していないことである。震災の原因を神慮や天罰と言ったり、国民に被災の責任を求めたりする姿勢とは無縁なのだ。
まず、震災11日後の「関東大震災直後ノ詔書」(1923年9月12日)。「惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ」と、天災は飽くまで天災、全力で復興に力を尽くすしかないとの基本姿勢を示している。そのうえで、「凡(およ)ソ非常ノ秋(とき)ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス」と、被災の救済と復興の施策は、非常時にふさわしく果断にやれと述べている。大仰な美辞麗句の修飾をはぎ取れば、中身は案外真っ当で合理的なのだ。
次いで、「国民精神作興ノ詔書」(同年11月10日)。こちらは、天皇制政府のイメージのとおり。震災後の混乱の中で人心収攬の必要もあったろうが、この事態を奇貨として、天皇制政府の国民精神誘導の意図を明確にしている。
「朕惟フニ国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ」で始まり、国民の軽佻浮薄の精神を質実剛健にあらためなければ、国が危ういという。そのうえで、まことにエラそうに上から目線の教訓を垂れる。「綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡励シ浮華放縦ヲ斥ケテ質実剛健ニ趨キ軽佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ」‥当時の人々はこんな文章をすらすら読めたのだろうか。
この詔書には、「今次ノ災禍甚大」の一文はあるが、その原因を天譴・天罰とはしていない。天皇制政府が、震災を利用して国民精神の統合へと誘導をはかったことを教訓と銘記しなければならないが、震災を天罰と言うことが有効だと考えなかったという意味では、天皇制も国民を舐めてはいなかったのだ。
90年後、「震災は天罰」と言う政治家が出た。天皇制政府より格段に非合理で、愚かで、しかも国民を愚昧なものと舐めきった姿勢を曝露したというべきだろう。
(2011年04月03日)
ばちあたり
「なんてかなしいこと」というと
「なに、てんばつさ」という。
「ほんとにてんばつ?」ときくと
「ほんとにてんばつさ」という。
「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
「てっかいしてしゃざいする」という。
そうして、あとでもういちど
「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。
こだまでしょうか、
いいえ、あのひと。
「天罰」はだれにも見えないけれど
「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
「天罰」は本当はないのだけれど
「天罰という人の罪」は深い
(2011年04月04日)
「天罰」は東北に、「福利」は首都に
「毎日」の読み始めは「万能川柳」欄から。本日の秀逸句が、「首都圏の電気 福島からと知る」(熊本・某)。東北出身者としては白けた気分とならざるを得ない。そんなこと、今ごろ知ったというのか。作句者には他人事なのだろう。
今さら言うまでもないが、東京電力の原発は、福島第一(6基)・福島第二(4基)・柏崎刈羽(7基)の3か所。いずれも、東京を遠く離れた「東電エリアの外」にある。首都の利便と安全のために、僻遠の「化外の民」が危険を引き受けているのだ。
「そもそも電力は、国民必須の需要によるものてあって、電力政策の権威は産学協同に由来し、その権力は政府がこれを行使し、その危険は東北北陸が引き受け、福利は専ら首都圏がこれを享受する。これは我が国固有の歴史的構造原理であって、東電の原発経営はかかる原理に基くものである」
だから、3月25日における、首都の知事と福島県知事の会見は、特別の意味をもつものであった。危険を東北に押しつけて利便を享受してきた首都と、リスクが顕在化した東北との、本来であれば火花を散らすべき対決である。そこで、首都の知事は「私は今でも原発推進論者」と言ってのけたのだ。私には、「今後とも首都の利便のために原発を推進する。電力供給は必要なのだから、被災は東北の天罰として甘受していただきたい」との、彼の本音と聞こえる。
ところが、3日のフジテレビ系公開討論会の席上、「小池(晃)氏が、石原(慎太郎)氏が福島県で『私は原発論者』と発言したことを批判すると、石原氏は『そんなことは言っていない』」と反論、「小池氏は『いやいやハッキリ報道されてます。ごまかさないでください』と言い返した」と報道されている。また、席上「慎太郎氏は都の防災服姿。『フランスは原子力発電をうまくやっている』『何も、原子力一辺倒と言ってるわけじゃない』などと主張し」たとも報じられている。何も分かっちゃいない。何も反省してはいないのだ。
首都圏の心ある人々よ。数多の蝦夷の末裔たちよ。こんな人物を知事にしておいてよいのか。恥ずかしくないのか。
(2011年04月05日)
東北の鬼
私の父方のルーツの地は黒沢尻である。今は、岩手県北上市。
この地方には、郷土芸能の鬼剣舞(おにけんばい)が伝わる。宮沢賢治の「原体剣舞連」に農民の誇りとして高らかに歌い上げられている、あの異形の舞である。
私の従兄がその面を作っていることもあって愛着は一入。そのリズムと動きの激しさに、普段はもの静かな東北の民衆の魂の叫びを聞く思いがする。まつろわぬ鬼は、私自身の精神のルーツでもある。
わらび座の十八番の一つ、歌舞劇「東北の鬼」では、幕末の三閉伊一揆を題材に鬼剣舞の群舞が観衆を圧倒する。鬼は、圧政に虐げられた農民そのものであり、剣舞は解き放たれた怒りの象徴である。
「百姓の腹ん中には、一匹ずつの鬼が住んでいるんだ」というのが主題。古来、東北の民は、「蝦夷」として「征伐」の対象とされた。鎌倉・室町・江戸期の最高権力者の官名は「征夷大将軍」である。坂上田村麻呂に抵抗したアテルイの時代から、前九年・後三年、藤原三代、九戸政実、戊辰戦争、明治の藩閥政治にいたるまで、勇猛にして高潔な東北は、奸悪な中央に敗れ虐げられ続けてきた。その名残と怨念はいまだに消えない。だから、東北の民は、時として鬼になる。地方権力にも中央政権にも、その矜持を賭けて徹底してたたかいを挑む。その心意気が弘化・嘉永の三閉伊一揆に遺憾なく表れているのだ。
そのような東北の民衆の矜持を、首都の知事が踏みにじった。
「なに。震災は天罰だと?」「津波で積年の垢を洗い落とせだと?」
さらに、追い打ちをかけたのが原発問題。危険な原発の立地を東北に追いやり、安全な場所で電力の恩恵に与るのが中央。東北の民には、そのような図式がありありと見える。「この期に及んでなお、『私は今も原発推進論者』だと?」
賢治のことばを借りよう。「いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を つばきし はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」
都民よ。東北の鬼を怒らせまいぞ。
(2011年04月06日)
再び、民主主義とは何なのだろう
私は、1971年4月に弁護士となった。実務法律家としてちょうど40年の職業生活を送ったことになる。この間の私の幸運は、日本国憲法とともに過ごしたことである。人権・平和・民主主義を謳った実定憲法を武器に職業生活を送ることができたことは、なんという僥倖。
しかし、私の不運は日本国憲法の理念に忠実ならざる司法とともに過ごしたことにある。憲法に輝く基本的人権も、恒久平和も、民主主義も、法廷や判決では急に色褪せてしまうのだ。何という不幸。
裁判所が、毅然と「日の丸・君が代」強制を許さずとする明確な判決を言い渡すのなら、石原教育行政の出番はない。裁判所に、「歌や旗よりも子どもが大切」、「国家ではなく人権こそが根源的価値」という教科書の第1ページの理解があれば、そもそも行政が憲法を蹂躙する暴挙を犯すことはないのだ。
もうひとつ、右翼の知事に出番を提供したのは都民である。震災は天罰と言ってのけ、思想差別を敢行するこの右翼的人物に知事の座を与えたのは都民である。恐るべきは石原個人ではなく、敢えて石原に権力を与えた都民の意思であり、日本の民主主義の成熟度と言わねばならない。
それにしても石原4選である。東京都の人権と教育は、あと4年もの間危殆に瀕し続けねばならない。「人権や憲法に刃を突きつける民主主義とは、いったい何なのだ」と問い続けなければならない。問い続けつつも、他にこれと替わり得る制度がない以上、絶望することも、あきらめることも許されない。心ある人々とともに、東京都の反憲法状態を糾弾し続け、都民に訴え続ける以外にはない。
そのような決意を自分に言い聞かせて、しばし擱筆する。
最後に。
自分の心情を託すには啄木が、気持を浄化し決意を確認するには賢治がぴったりだ。
新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど
地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
人がみな同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
(2011年04月11日)
(2022年2月1日)
少し遅くなったが、「法と民主主義」2022年1月号【565号】のご紹介である。
https://jdla.jp/houmin/index.html
ご注文は、下記のURLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html
特集●2021年総選挙を総括する
◆特集にあたって … 「法と民主主義」編集委員会
◆総選挙結果が投げかけるもの … 田中 隆
◆野党共闘の課題はなにか ── 市民連合から見えるもの … 福山真劫
◆曲がり角の選挙報道をどうしていくか
外れた予測とメディアの影響・効果 … 丸山重威
◆女性議員の現状と展望 … 角田由紀子
◆投票環境をめぐる法的問題点 … 飯島滋明
◆2021年衆議院議員選挙無効訴訟の意義 … 平井孝典
◆諸悪の根源、小選挙区制の廃止を展望する … 小松 浩
◆改憲発議の動きに対し法律家は何をなすべきか … 南 典男
◆特別寄稿 第25回最高裁裁判官国民審査をふりかえって … 西川伸一
◆連続企画・学術会議問題を考える〈4〉
学術会議問題とは何か? ─ 〈任命拒否問題〉と〈あり方問題〉と ─
… 小森田秋夫
◆司法をめぐる動き〈70〉
・「沖縄の怒りではない 私の怒り」
──「沖縄高江に派遣された愛知県機動隊への公金支出の違法性を問う住民訴訟」の名古屋高裁逆転勝訴判決をめぐって … 大脇雅子
・10/11/12月の動き … 司法制度委員会
◆追悼●安倍さんを追悼する … 北澤貞男
◆メディアウオッチ2022●《「編集の独立」の意味》
問われる「メディアの財源」 ジャーナリズムはいかにして可能か … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№9〉
「冤罪」の背骨を持つ … 秋山賢三先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№37〉
「憲法改正も、本年の大きなテーマです」と発言する岸田首相 … 飯島滋明
◆「針生誠吉基金」設立にあたって ── 「法民」の継続発行のために … 佐藤むつみ
◆時評●新型コロナ感染拡大に思う … 間部俊明
◆ひろば●司法改革のわすれもの ── 男女共同参画の現在地 … 小川恭子
今月号の記事の中から、北澤貞男さん(元裁判官)の「安倍晴彦さんを追悼する …」を、ご紹介(抜粋)したい。安倍晴彦さんは、その出自も学歴も出世コースを歩むに申し分のない人だった。が、権力や時流への迎合をよしとせず、司法行政当局から疎まれて「見せしめ」とされた人。それでも泰然として裁判官としての良心を貫いた生き方を示して尊敬を集めた文字どおりの先達である。その生き方は、自著『犬になれなかった裁判官』(NHK出版)に詳しい。
温厚な人柄で、この書のタイトルを気にしておられた。「自分が発案した書名ではないんですよ。立派な裁判官をたくさん知っていますが、他の裁判官を犬になってしまったと思っているんだろうと誤解されかねませんのでね…」とお話しされていた。
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安倍晴彦さんが亡くなりました。
それを知らされたのは奥方みどりさんからの葉書でした。その文面は、「夫晴彦は9月19日に88歳で旅立ちました。緊急事態宣言が出ておりましたし、遺言に従い、家族だけで見送りました。本人は常々『いろいろなことがあったが、どんな時でも、尊敬する先輩、友人、仲間の方々に支えられてここまでくることができた』と申しておりました。生前は本当にお世話になりました」というものでした。
この2、3年では、守屋克彦さん、竹田稔さん、花田政道さんに次ぐ訃報でした。
安倍さんは14期、守屋さんは13期、竹田さんは10期、花田さんは9期で、私は18期です、青法協会員裁判官に対するいわゆる赤攻撃が開始されたのは1967年で、私が判事補になって2年目の夏過ぎでした。この理不尽な攻撃にどう対抗するかを検討する過程で、先輩も後輩もなく真剣に議論をしました
私の初任地は岐阜地家裁でしたが安倍さんは1968年4月には和歌山地家裁から岐阜地家裁に転勤となり、1年間は同じ裁判所に勤務しました。安倍さんから自然に薫陶を受けることになりました。
そして1971年3月31日最高裁は宮本康昭さん(13期)の判事補再任を拒否して判事に任命しませんでした。これは憲法尊重擁護の義務を自覚する裁判官の良心を骨抜きにする思想攻撃・パージでした。
宮本さんの次は安倍さんが危ないと予想されました1972年3月当時安倍さんは福井地家裁におられ私は横浜地家裁におりました。内外から再任拒否に反対する行動が起こされ、安倍さんは再任拒否を免れました。任官(新任)拒否は定着してしまいましたが、裁判官の再任拒否は定着を回避することができました。
安倍さんの任地は福井地家裁の後は横浜地家裁、浦和地家裁川越支部、静岡地家裁浜松支部、東京家裁八王子支部で、1998年2月2定年退官しました。高裁勤務もなく、合議の裁判長を経験することもありませんでした。人事当局から完全に干されたと見ざるを得ません。しかし安倍さんは泰然とし島流しにされた敗軍の将のようでした。花田さんが、かつて「安倍君は大将の器だ。僕はせいぜい参謀だ」と語ったことを覚えています。
安倍さんは2001年5月にNHK出版から『犬になれなかった裁判官 ― 司法官僚統制に抗してして36年』を出版しました。自らの裁判官生活を基礎に裁判官論を展開し、「今後の司法改革の論議、運動の前進のために少しでも役立つことがあれば、というのが私の期待である」とあとがきの最後に書かれています。安倍さんは「権力の犬になってはならない」と時に口にしておられたので、犬になれなかった裁判官とタイトルをつけたのだと思います。安倍さんらしいタイトルの付け方だと思います。
安倍さんは日本国憲法下の裁判官として定年まで良心を貫いた人です。まさしく「見せしめ」ではなく、「篝火」(青法協裁判官会員誌の題名)でした。(北澤貞男)
(2022年1月31日)
悪名高き都教委の「10・23通達」。これに基づいて、都内公立校の全校長が、全校の教職員に「卒業式・入学式においては、国旗に正対して起立し国歌を斉唱せよ」という職務命令を出すことを強要されている。しかし、どうしてもこの職務命令に従えないという一群の教職員が、18年にわたって、逐次の法廷闘争を継続している。
「10・23通達」関連訴訟としては、「予防訴訟」が先行し、その後懲戒処分の取消を止める訴訟が相次いで、現在は昨年(2021年)3月31日提訴の「第5次処分取消訴訟」が東京地裁民事36部に係属している。原告は15名、取消を求める処分の件数は26件である。その次回期日が、2月7日(月)午前11時、東京地裁631号法廷で開かれる。
各原告が起立斉唱には応じがたいとする理由は様々だが、自らの信仰がこれを許さないとする人々の存在は容易に想像できるのではないか。戦前にも、宗教者による宮城遙拝や靖国参拝や教育勅語に対する敬礼拒否などのの事件はいくつもあった。権力が信仰者の信念を曲げることは頗る困難なのだ。
これまでの主要訴訟の中には、必ずクリスチャンがおり、今回も自分の信仰を明示して、それゆえに、起立斉唱の強制には応じられないという原告がいる。下記に、第5次処分取消訴訟の訴状における、当該請求原因の一部(要約抜粋)である。比較的分かり易いと思う。お読みいただけたら、ありがたい。
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国旗国歌への敬意表明強制は原告らの信教の自由を侵害する
(1) 原告の中には,自らの信仰ゆえに「日の丸・君が代」に対する敬意表明の強制に服しがたいとする複数の者がいる。
当該信仰をもつ原告らに対して,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱せよと強制する10・23通達,同通達に基づく職務命令,そして当該原告に対する本件各処分は,いずれも当該原告の信教の自由を直接に侵害するものとして,憲法20条に違反する。
また,その余の信仰をもたない原告らについても,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱せよと強制する10・23通達,同通達に基づく職務命令,そして当該原告らに対する本件各処分は,消極的な信教の自由(信仰をもたず,信仰を強制されず,一切の宗教的関わりからの自由)を侵害するものとして,同じく憲法20条に違反する。
(2) 信教の自由は,憲法史において,常に基本権カタログの先頭に位置する典型的な基本権であった。近代憲法における精神的自由はなによりも信教の自由を意味し,特定の宗教と緊密に結びついていた王権や為政者に対して被治者の信教の自由を認めさせるために近代憲法が成立したとさえ語られる歴史がある。
我が国においても,特異な宗教と緊密に結びついた神権天皇制下、20世紀の中葉(1945年8月ないしは、47年5月)まで、信教の自由はなかった。1889年制定の大日本帝国憲法28条は「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背サル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とし,天皇制を支える国家神道に抵触することのないよう、全ての宗教は管理され統制された。
よく知られているとおり、国家神道や国体思想に抵触する信仰は,「安寧秩序ヲ妨ケ」るものとして苛酷な宗教弾圧の対象となった。のみならず、天皇の神聖性に抵触するあらゆる思想活動が「国体ヲ変革」するものとして刑事罰の対象となった。また,すべての国民に対して,明らかな宗教行事である神社参拝や宮城遙拝が「臣民タルノ義務」の範疇の行為として強制された。
日本国憲法は,旧憲法体制が国民の信教の自由を蹂躙した深刻な反省から,憲法20条1項前段に,「信教の自由は,何人に対してもこれを保障する」と厳格な信教の自由保障の規定をおき,その2項で「何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」と明記した。
なお,憲法はさらに、人権としての信教の自由を擁護するための制度的保障として政教分離の規定を置いている(20条1項後段,同条3項,89条)が,本件では政教分離原則を援用する必要がない。原告らの主張は、人権論のレベルに尽きるものである。
各原告らに対する「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は,信仰をもつ原告らに対するものとしても,また信仰をもたない原告らについても,20条2項および同条1項前段とに違反する人権侵害となることを主張する。
(3) 「日の丸・君が代」は,大日本帝国の慣習法上の国旗国歌であった。大日本帝国が国家神道という特殊な宗教教義に基づく宗教国家であった以上,「日の丸・君が代」は,いずれも国家の象徴であるだけでなく国家神道という宗教上のシンボルでもあった。「日の丸・君が代」は,天皇の祖先神と現人神としての現天皇の弥栄を祈念する宗教儀式に必須の存在としての宗教的性格を持つ旗であり歌とされた。
日の丸は,太陽神を象形した宗教的デザインである。その象形が国家神道のシンボルとされたのは,天皇の祖先神(皇祖)であるアマテラスが太陽信仰に由来するところからとされる。また,君が代の歌詞は,神なる天皇の治世が代々継承して永久に続くように,という宗教的な祝讃歌である。
20世紀中葉まで,そのような意味付けをされていた「日の丸・君が代」は,象徴天皇制を採る日本国憲法下において現在なお,その宗教的性格を払拭し得ていない。とりわけ,自らの信仰を持つ者にとっては,「日の丸・君が代」が公的に宗教と結びついていた時代の、公権力による信仰の自由への圧迫の記憶はいまだに生々しい。のみならず,現在なお天皇の代替わりには、神秘的な宗教行事としての大嘗祭が挙行される。天皇とその祖先を神と祀る宮中祭祀が連綿と継承され,これに追随する全国の神社神道が社会に根を下ろしている今日,「日の丸・君が代」をアマテラス信仰やアラヒトガミ信仰と切り離して考えることのできない現実的な社会基盤が健在であると認識せざるを得ない。
(4) 信仰者である原告らにとっては,「日の丸」も「君が代」も,自らの信仰と厳しく背馳し抵触する宗教的シンボルとしての存在であって,信仰という精神の内面の深奥において,この両者を受容しがたく,ましてや強制に服することができない。
このような信仰を有する者に,「日の丸・君が代」を強制することによる精神の葛藤や苦痛を与えてはならない。そのことこそが,日本国憲法が旧憲法時代の苦い反省のうえに国民に厳格な信仰の自由を保障した積極的な意義にほかならない。また,人類史が信教の自由獲得のための闘いとしての一面をもち,各国の近代憲法の基本権カタログの筆頭に信教の自由が掲げられ続けてきた普遍的意味でもある。
なお,信仰者ではない原告らにとっても,宗教的性格を払拭し得ていない「日の丸・君が代」の受容を強制されることは,信仰を有する者とは違った形で,自己の消極的な信仰の自由(宗教行為の強制からの自由)の侵害にあたるものである。
(5) 「日の丸・君が代」の宗教的性格の有無や宗教的な意味付けの内容についての判断は,特定の宗教的行為を強制される人権の被侵害者の認識を基準とすべきである。百歩譲っても,被強制者の認識を最大限尊重しなければならない。人権侵害者の側である公権力においてする意味付けは,ことの性質上まったく意味をなさない。また,一般的客観的な基準によるときには,少数者の権利としての人権保障の意味は失われることにならざるを得ない。
とりわけ留意されるべきは,問題の次元が政教分離原則違反の有無ではなく,個人の基本的人権としての信教の自由そのものの侵害の有無であることである。公権力への禁止規定としての政教分離原則違反の有無の考察においては、宗教的色彩の存否は一般的客観的な判断になじむにせよ,基本的人権そのものである信教の自由侵害の有無を判断するに際しては,人権侵害の被害を被っている本人の認識を判断基準としなければならない。
信仰をもつ原告らにとっても,また信仰をもたない原告らにとっても,既述のとおり現在なお,「日の丸」も「君が代」も,神なる天皇と天皇の祖先神を讃える宗教的象徴である。その宗教的象徴に対して敬意表明を強制させられることは,信仰をもつ原告らにとっては自己の信仰と直接に背馳し抵触する受け容れがたいものであり,信仰をもたない原告らにとっても信仰をもたない自由に対する侵害にあたるものである。
(6) 公権力の行使によって,原告らに対して「日の丸・君が代」への敬意表明を強制することが憲法20条に保障された信教の自由の侵害に該当するか否かの判断の過程では,憲法19条についての判断の枠組みと同様,一応は,原告らに対する起立や斉唱という外部行為の強制が,原告らの宗教的精神性を侵害するものであるかという関係性が検討の対象となる。
ア 信仰をもつ原告らについては,その判断の帰趨は自明というべきである。当該原告らにとっては,「他宗の神への礼拝の強制」にほかならず,「日の丸・君が代」に敬意を表明するよう強制されることは,自らが信仰する教義と深く結びついた自己の人格そのものを否定されることであり,精神の深奥にあるものへの受け容れがたい破壊的攻撃以外のなにものでもない。
イ 16世紀、江戸時代初期に,当時の我が国の公権力が発明した信仰弾圧手法として「踏み絵」があった。この手法は,公権力がキリスト教の信仰者に対して聖像を踏むという身体的な外部行為を命じているだけで,直接に内心の信仰を否定したり攻撃しているわけではない,と言えなくもない。しかし,時の権力者は,信仰者の外部行為と内心の信仰そのものとが密接に結びついていることを知悉していた。だから,踏み絵という身体的行為の強制が信仰者にとって堪えがたい苦痛として信仰告白の強制になること,また,強制された結果心ならずも聖なる像を土足にかけた信仰者の屈辱感や自責の念に苛まれることの効果を冷酷に予測し期待することができたのである。
ウ 事情は今日においてもまったく変わらない。都教委は,江戸時代のキリシタン弾圧の幕府役人とまったく同様に,「日の丸・君が代」への敬意表明の強制が,教員らの信仰や思想良心そのものを侵害し,堪えがたい精神的苦痛を与えることを知悉しているのである。
エ また,信仰をもたない原告らについても,事情は本質において変わらない。信仰をもつ原告においては侵害されるものが自己の信仰であるのに対して,信仰をもたない原告らにおいて侵害されるものは,特定の信仰から自由な精神そのものである。踏み絵の強制は,信仰をもたない一般人に対しても宗教的精神性に対する被害を及ぼしうる。特定の信仰をもたない自由とは,いかなる宗教にも,いかなる態様においても,一切関わりなく精神生活を送ることの自由をいう。「日の丸・君が代」の宗教性が払拭されていない以上は,これに対する敬意表明を強制される原告らについても,宗教から完全に自由であるべきとする精神への侵害となるものである。
(7) 以上の原告らの主張に対する被告の反論として、「日の丸・君が代」の強制が各原告の信仰(積極・消極の両者を含む)に抵触することまでは否定せずに,「『日の丸・君が代』への敬意表明の強制が信仰に抵触するとしても,間接的なものに過ぎない」とする反論が考えられる。
しかし,既述のとおり、信仰あるいは積極消極両面の宗教的精神性の侵害の有無は被害者の判断を尊重すべきが当然である。その場合,侵害は「ある」か「ない」かのどちらかでしかない。
「間接的侵害」とは,意味不明な概念に過ぎず,「直接」と「間接」の意味も範疇の区分・境界も判然としない。このような曖昧な概念を弄して,憲法が至高の価値としている精神的自由に関する基本的人権制約を合理化する論拠としてはならない。信仰をもつ者にとって,侵害が「直接」であろうと「間接」であろうと,信仰を侵害されることによる心の痛みに軽重はない。
(8) 憲法20条2項は,「何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」と定める。条文の文言において最も広い禁止範囲は,「何人も,宗教上の行為…を強制されない」であり,強制を禁止される「宗教上の行為」の典型として「祝典,儀式又は行事への参加強制」が例示されていると解すべきである。
原告らに対して,懲戒処分を伴う職務命令が発せられている以上は,公権力の行使としての強制があったことに疑問の余地がなく,検討を要する問題点は,当該原告らに強制された「日の丸に正対して起立し君が代を斉唱する行為が,憲法20条2項にいう宗教的行為にあたるか」であり,また「日の丸を掲揚し,君が代を斉唱するプログラムをもつ学校儀式が憲法20条2項にいう宗教的儀式または行事にあたるか」である。
念のために再度言及しておくが,憲法20条2項は政教分離原則を定めた条項ではない。精神的自由権についての人権保障規定そのものであって,いわゆる制度的保障の規定ではない。制度的保障は公権力に対する行為規範であるから,政教分離原則に関して当該公権力の行為の宗教性の有無を判断するに際しては,一般的客観的な判断になじみやすい。しかし,本件のごとき憲法20条2項の判断においては個別具体的に信仰の自由侵害の有無が判断されなければならない。
信仰をもつ原告らは,自己の信仰にしたがって「日の丸・君が代」を意味づけ,自己の信仰に背馳し抵触するものとして「日の丸・君が代」を受け容れがたいと主張しているのであって,それで20条2項の該当要件は充足されている。したがって,信仰をもつ原告に関する限りにおいて,被告が「日の丸・君が代」は一般的,客観的に宗教的意味合いがない,と反論することはまったく無意味である。問題は,「日の丸・君が代」が一般的客観的に宗教的意味合いを持つか否かではない。飽くまで,強制される信仰者にとって,自らの信仰ゆえに強制を受容しがたいと言えるか否かなのである。
本件においては,信仰を持つ当該原告らにとって,「日の丸・君が代」の宗教性は否定できず,それゆえ「日の丸・君が代」の強制が信仰に背馳する行為の強制としての認識がある。したがって,当該強制は明らかに20条2項違反である。
この理は,基本的に剣道実技受講拒否事件最高裁判決(1996(平成8)年3月8日最高裁第二小法廷判決民集50巻3号469頁)において最高裁がとるところと言ってよい。
「エホバの証人」を信仰する神戸高専の生徒が受講を強制された剣道の授業受講は,一般的客観的には,宗教的な意味合いをもった行為とは言えない。しかし,当該の生徒の信仰に抵触する行為として,その強制の違法を最高裁は認めた。本件でも同様の関係があり,しかも「日の丸・君が代」への敬意表明という強制される行為は,剣道の授業受講とは比較にならない宗教性濃厚な行為というべきである。
(2022年1月30日)
佐渡金山の世界遺産登録推薦の可否が問題となってきた。日中戦争開始後の朝鮮人労働者に対する強制労働や苛酷な扱いがあった以上は不適という見解と、無視せよという意見との角逐である。何度も繰り返されてきた、未解決の論争。一部では、「歴史戦」という物騒な言葉さえ飛びかっている。なるほど、安倍晋三や高田市早苗ら歴史修正主義者が口角泡を飛ばしている。
これまで、政府は登録推薦に消極的だと思われてきた。「歴史戦」に巻き込まれるのはごめんだ。韓国をはじめとする近隣諸国との軋轢をこれ以上大きくしたくはない。安倍はともかく、岸田ならそう考えるだろう。多くの人が、漠然とそう思っていた。
ところがそうではなかった。一昨日(1月28日)の夕刻、岸田首相は、「佐渡島の金山」を世界文化遺産の候補として推薦する方針を決めたと公表した。2月1日の閣議で正式決定の予定だという。毎日は、「『大逆転』と地元安堵」という見出しで報道している。問題は、岸田の聞く力だ。右の耳だけに聞く力があることが判明した。左側の耳は詰まっていて聞く力はないのだ。当然、韓国は怒るだろう。日本は、その植民地制政策をまだ何も反省していない、と。
さすがに、この記者会見では、「自民党議員の意見を聞いて方針転換をしたのか」という質問が飛んだ。これに岸田は、「全くあたらない。登録されるためには何が効果的なのか、ことし申請を出す案と来年以降に出す案を、そ上に乗せてずっと議論してきた。今回、申請を行うことをきょう決定し、変わったとか、転換したという指摘はあたらない」と述べている。
さらに韓国が、朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所だと反発していることへの対応については「これは文化遺産の評価の問題だ。しっかりと登録への歩みを進めていきたい」と述べたという。お得意の答弁回避戦術。不都合なことを聞かれた場合には、関係のないことをなんとなくしゃべっておこうというわけだ。
この首相の会見を受けて、韓国外務省は、28日夜、報道官の声明を発表した。「朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされていた場所だとして、「深い遺憾の意を表明し、こうした試みを中断するよう厳重に求める」というもの。ソウルに駐在する日本大使を呼んで抗議もしている。今後は、韓国の関係省庁や専門家などでつくるタスクフォースを発足させ、関連する資料の収集を行ったり、対外的な交渉や広報活動を展開したりしていくとも説明していいるという。韓国側は大問題として受け止めているのだ。
本日の赤旗一面トップに、「日本政府は、戦時の朝鮮人強制労働の事実を認めるべきである―佐渡金山の世界遺産推薦について」という、昨日(1月29日)付の党委員長談話が掲載されている。これが真っ当な立場だろう。
「わが党は、佐渡金山は世界文化遺産として推薦に値するものだと考えるが、日本政府が、登録推薦を行うならば、戦時中の朝鮮人強制労働の歴史を認める必要がある」という趣旨。
「佐渡金山についても、戦国時代末から江戸時代にかけてだけでなく、明治以降、戦時の朝鮮人強制労働などを含む歴史全体が示されることが必要である。戦時中の歴史を「時代が違う。まったく別物」とする政府・自民党の中にある主張は、世界遺産の趣旨に反する。ユネスコやICOMOSが掲げる原則をふまえるならば、世界文化遺産の登録推薦にあたっては、負の歴史を含めて、歴史全体が示されなければならない」
「アジア・太平洋戦争の末期に、佐渡金山で当時日本の植民地支配の下にあった朝鮮人の強制労働が行われたことは、否定することのできない歴史的事実である。新潟県が編さんした『新潟県史 通史編8 近代3』は「朝鮮人を強制的に連行した事実」を指摘し、佐渡の旧相川町が編さんした『相川の歴史 通史編 近・現代』は、金山での朝鮮人労働者らの状況を詳述したうえで、『佐渡鉱山の異常な朝鮮人連行は、戦時産金国策にはじまって、敗戦でようやく終るのである』と書いている。この歴史を否定することも、無視することも許されない。」
問題は、事実(ファクト)である。実態はどうだったのか。ネットで、下記の論文を読むことができる。全て、日本が作成した公開資料にもとづく論述。少なくとも、この資料を共通認識にした上での論争が必要である。
新潟国際情報大学情報文化学部紀要
佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939?1945)
著者・広瀬貞三(新潟国際情報大学 情報文化学部 教授)
https://cc.nuis.ac.jp/library/files/kiyou/vol03/3_hirose.pdf
文中にこんな一節がある。なお、朝鮮人労働者の圧倒的多数は抗内の鑿岩あるいは運搬作業に従事していた。
事故による死傷以外に、朝鮮人労働者を苦しめたと推定されるのが珪肺である。佐渡鉱山は母岩の多くが石英鉱であり、珪酸分が高いことで有名である。そのため、鑿岩作業の際に粉塵(珪酸)が肺に沈着し、繊維増殖が起こって咳や痰がでる。その後、呼吸は苦しくなり、胸部に圧迫感を覚え、それが深化していく。大正期に作られた「称明寺過去帳」には「安田部屋」所属労働者137名の死亡記録が掲載されている。これによると、平均死亡年齢は32.8歳である。死因は「変死」10名、「窒息」2名、「溺死」2名、「寝入死」1名と、15名の死因が明らかだが、それ以外は不明である。しかし、その多くは珪肺の可能性が高いといわれる。1944年に佐渡鉱業所の珪肺を斎藤謙医師が調査した『珪肺病の研究的試験・補遺』によれば、粉塵の平均概数は鑿岩夫810?、運搬夫360?、支柱夫350?、坑夫240?である。この時期、これらの職種の比率が高かったのは前述したように朝鮮人であり、この記録も朝鮮人を対象にした調査ではないかと思われる。
(2022年1月29日)
日本弁護士連合会の会長選挙は2年に一度。現在その選挙の真っ最中で2月4日(金)が投開票日、1月31日から「不在者投票」が始まる。コロナ禍・第6波のさなかの選挙に「郵便投票」の制度はあるが、「遠隔、長期疾病等」に要件が限られ使い勝手は頗る悪い。もう、郵便投票は締め切られた。投票率に影響するかも知れない。
立候補者は、受付順に下記の3名。どの候補者も、憲法問題や人権・民主主義、そして弁護士自治、司法権の独立などの基本課題について、それなりの見識を示している。「ともかく、弁護士会費を値下げしろ」「人権課題への取り組みをやめよ」「一切の政治課題とは手を切れ」「政財界と歩調を合わせろ」などという、乱暴な主張はない。
? 及川智志弁護士(51期・千葉県弁護士会)
? 小林元治弁護士(33期・東京弁護士会)
? ?中正彦弁護士(31期・東京弁護士会)
選挙公報における各候補者の公約は、下記の日弁連サイトで見ることができる。
https://www.nichibenren.or.jp/news/year/2022/220114.html
詳細な公約は、各候補者の公式ホームページをご覧いただきたい。
https://2022kobayashimotoji.com/
https://2022takanakamasahiko.jp/
https://oikawasatoshi2022.com/
そして、いつもながら大阪の山中理司弁護士のブログが、周辺情報を満載している。
https://yamanaka-bengoshi.jp/2022/01/10/2022kaityousenkyo-rikkouhosha/
もちろん、各候補者には、以下のようなそれぞれの独自色がある。
(1) 弁護士人口はその需要に比して既に過飽和の事態にある。まずは、弁護士の増加に歯止めを掛けなければ、弁護士の経済的な逼迫の進行が人権課題への取り組みを不可能にする。その対策が喫緊の課題と強調する候補者。
(2) 若手弁護士の業務支援への理解と実績を誇り、非弁対策問題、隣接士業との業際問題で、弁護士の利益を擁護してきたことを強調する候補者。
(3) そして、立憲主義・平和主義と基本的人権の擁護を政策の第一に掲げる候補者。
弁護士の使命は人権の擁護にあり、弁護士がその使命を果たすための制度的な保障として弁護士自治がある。弁護士が権力から独立し、民衆の側に立って、権力の暴走による民衆の自由や人権を擁護する活動のためには、弁護士自治が保障されなければならない。
弁護士の自治は、けっして永遠不滅のものではない。保守政権にとっては、目の上のコブであるこの制度は、潰せるものなら潰してしまいたいに違いない。ちょうど、学問の自由が政権運営への桎梏であるように。
日本学術会議を潰しにかかっている現政権である。折りあらば弁護士自治にも牙を剥くであろうことは、不思議ではない。だから、弁護士は国民からの信頼を勝ち得なければならない。その意味で、弁護士会の選挙は国民的な関心事でなければならない。
全員加盟制の弁護士会である。だからこそ合意形成は難しいが、だからこその発言は法律専門家集団としての重みをもつことになる。
私が所属する東京弁護士会の会長選・副会長選も始まっており、候補者からの選挙葉書が届いている。概ね、その言や良し、である。主要なキャッチフレーズとして、「憲法とともにある弁護士会に」「足もとの弁護士自治にかがやきを」「弁護士自治を堅持し、多様性を増進する」「人権と社会正義を実現する東弁」「憲法価値の尊重・人権問題への取り組み・弁護士自治の堅持」等々の言葉が並んでいる。
このような理念の訴えが、まだ選挙公約として有効なのだ。この弁護士会全体の雰囲気を大切にしたいものと思う。弁護士会が理念を失って職能の利益団体と化すれば、たちまちにして国民の信頼を失うことになろう。それは、民主主義や人権にとっての由々しき事態。心したいものと思う。
(2022年1月28日)
あいちトリエンナーレ展の展示を「不敬」として、その責任を問おうというのが愛知県大村秀章知事に対するリコール(解職請求)運動。先頭に立って旗を振ったのが高須克也、その後ろにくっついたのが河村たかし。そして実務を担当したのが維新の田中孝博である。いま田中は起訴されて有罪判決を待つ身であるが、高須と河村は全ての責任を田中にかぶせて「オレは知らん」「オレは被害者」というスタンス。維新も、無関係を決めこんで知らん顔。麗しき友情の哀れな末路。
先頭に立って旗を振った者人を煽動した者には相応の責任があるはずだが、彼らの逃げ方は、彼らが神聖視する裕仁を手本にしたもの。「開戦の詔勅は出したが、あれは自分の意思ではなかった」「皇軍が何をしたかオレは知らん」、だから「オレに責任はない」というわけだ。
高須らが振った旗に共鳴し煽動されて、リコール運動に加わり『不正署名の請求代表者』の一人となった活動家が、リーダーたちの姿勢に業を煮やして、民事訴訟を提起した。1月25日、名古屋地裁(斎藤毅裁判長)その判決があり、《「“不正署名の請求代表者”で精神的苦痛」知事リコール運動の参加男性が損害賠償求めた裁判 男性の訴え棄却》と報道されている。
訴えを起こしていたのは、大村知事へのリコール運動で請求代表者を務めた男性(73)。この男性は、署名偽造事件のために、社会から「不正署名をした請求代表者」というレッテルを貼られて精神的苦痛を受けたなどと主張。リコール団体と代表の高須克弥、事務局長の田中孝博被告(60)らに対し、500万円の損害賠償を求めていた。
この請求を棄却した名古屋地裁判決は、「男性が不快感などを覚えた事実は認められるものの、法律上保護される利益が侵害されたとはいえない」「地方自治法の規定は解職請求制度の公正さの確保を目的としており『個々の住民の権利保護を目的としていない』と指摘。署名偽造という不法行為をしたとしても、男性の権利が侵害されたとは認められないと判断した」と報じられている。
報道だけでは、判決の論理がどうにも分かりにくい。「被告らが署名偽造という不法行為(おそらくは違法行為のまちがいだろう)をしたとしても、原告となった男性の権利が侵害されたとは認められない」のは、余りに当然のこと。原告がそんな主張をしていたはずはない。
これまで報道されてきた請求の原因は、「誘われたリコール運動に参加したところ、世間から『不正署名をした』と責められ精神的苦痛を受けた}ということ。少し整理をしてみれば、「被告らが、大宣伝をして原告をはじめとする多数活動家をリコール活動への参加を誘い、誘われた原告が真面目にリコール活動に従事したにもかかわらず、被告らが犯罪行為に及んだために、原告までが犯罪者集団の一味と社会的指弾を受けるに至って、精神的苦痛に苛まれた」というものであろう。違法行為の本筋は、被告らが原告を犯罪行為に巻き込んだことにある。
敗訴の原告は控訴する方針とのこと。あらためて、高須・河村・田中らの責任を厳しく追及していただきたい。
トンチンカンなのは、判決についての高須のコメントである。「高須氏は代理人を通じ『主張を全面的に認めていただきありがたく思っている』とのコメントを出した」という。へ?え。あなたの主張は、「地方自治法の規定は解職請求制度の公正さの確保を目的としており『個々の住民の権利保護を目的としていない』から、署名偽造という不法行為があっても、原告の権利が侵害されたとは認められない」ということだったのか。
こんないい加減なリーダーが振った旗に惑わされ踊らされた人々が哀れである。ちょうど、裕仁を神と教えられ裕仁に盲従して不幸を背負い込んだ、かつての臣民たちと同様に。
(2022年1月27日)
内外のニュースに接していると、人類は急速に退化しているのでないかと疑問を持たざるを得ない。日本だけでなく、あの国もこの国もなんと情けないことか。どこかに未来への希望はないものか。コスタリカや北欧・バルト3国などを思い描いていたところ、突如として新生チリが希望の星として現れた。しばらく、チリから目を離せない。
先月の19日、チリ大統領選の決選投票で、左派のガブリエル・ボリッチが極右の対立候補ホセ・アントニオ・カストを破って当選した。本年3月11日に、35歳の新大統領が誕生し、その政権が発足する。ボリッチは元チリ大学の学生運動のリーダーだった人物。その基本政策は、新自由主義との決別、格差是正、地方分権、福祉、ジェンダー平等、先住民の権利擁護など。年金や健康保険改革を進め、労働時間を週45時間から40時間に減らし、環境への投資を増やすなどと具体的な公約を掲げているという。
今月21日、ボリッチ新政権の閣僚24人が発表された。30代が7人、40代が4人と若く、女性が14人、過半数を占める。「フェミニズムの政府」を作るという公約の実行だという。
24人の閣僚の内訳は、左派連合から12人、中道左派連合から5人、無所属が7人と色分けされている。ボリッチ自身の所属する政党は左派連合に属する社会収束党。この政党から5人が入閣する。左派連合にはチリ共産党も加わっており、3人が入閣。その中の一人、カミラ・バジェホが内閣官房長官に就任する。33歳の女性で、閣僚名簿の発表式には、幼い一人娘の手を引いて登壇している。権威主義やら、エリート臭やらスノビズムとは無縁。学園祭のノリと雰囲気ではないか。日本では天皇の認証が必要と言えば、そのバカバカしさに嗤われそう。新しいものが生まれる予感がする。
もう半世紀も前のことだが、チリのサルバドル・アジェンデ政権が、世界の「民主主義革命」の旗手だった。自由な選挙を通じて、真に貧困や格差を克服する社会を実現できるのではないか。その希望は、突如野蛮な軍事クーデターで覆された。クーデターの首謀者は憎むべきピノチェット、その背後にアメリカがいた。アジェンデは、クーデター軍からの銃撃を受けつつも、最後まで国民に向けたラジオ演説を続けて命を落とした。1973年9月11日のことである。
中道左派連合からボリッチ政権に入閣し、国防相に就任するのがマヤ・フェルナンデス。この人が、かのサルバドル・アジェンデ大統領の孫に当たる人で、下院議員議長を務めた経験もあるという。
ボリッチ次期大統領は「今日、民主主義の新たな道が始まる、私たち政府の使命は非常に明確で、国民の正義と尊厳が守られるように変化と変革を促進することだ」とコメントした。選挙戦では、富裕層や鉱山会社への増税で社会保障の充実を図る考えを示している。
アジェンデを殺害したピノチェットは、自ら政権を握ると、シカゴ学派のエコノミストにしたがって、新自由主義経済政策を採用した。その結果としてのチリ社会の貧困格差である。新政権は、これとの決別を明言している。新自由主義から福祉国家へ転換の壮大な実験が始まる。その成果に期待したい。
ひるがえって、我が国の野党間の連携の課題に思いをいたざるを得ない。チリでは、共産党を含む左派連合12人、中道左派連合5人、無所属7人から成る「連合政権」の樹立が可能なのだ。対右派統一戦線的大統領選挙の協力が可能で、その大統領選を通じての信頼関係の形成が、連立内閣を作った。芳野友子のごとき、反共主義者の妨害はなかったようだ。
チリの新政権に学ぶべきは多々あると思う。敬意をもって見つめ続けようと思う。
(2022年1月26日)
昨日(1月25日)、習近平とトーマス・バッハが北京(釣魚台国賓館)で会談したという。かたや権力欲の巨魁、こなた商業主義の権化。それぞれが腹に一物の醜悪な相寄る魂。その両者が五輪利用の思惑では一致しての、持ちつ持たれつ。
習近平にとっては「中華人民共和国の、中国共産党による、習近平自身のための北京五輪」であり、ボッタクリ・バッハにとっては「カネの、カネによる、さらなる儲けのための北京五輪」なのだ。民衆は、脇役としてさえ出る幕がない。
会談で、習は「コロナ対応の徹底ぶりをアピール。選手や関係者の健康を守ることに自信を示した」と報じられている。コロナ対応現場の担当者はさぞや気の重いことだろう。バッハは、習におもねって、「北京五輪は幅広い支持を十分に得ている。国際社会もスポーツの政治化には反対している」と述べたそうだ。
そりゃ間違いだ。正しくは「北京五輪にたいする国際世論の風当たりが厳しいが、我々の権力とカネの力とを共同すれば恐くない。お互い、がんばって世論の批判をはねのけよう」と言うべきだった。そして、「この際、国際世論には『スポーツの政治化反対』と悪罵を投げつけ、実のところは徹底したスポーツの政治化で、北京オリンピックを権力浮揚と金儲けのイベントとして成功させよう」が正しい言葉づかいだ。
その北京五輪開幕まで、あと9日。大会関係者は、コロナ対策に懸命のご様子。なにせ、ゼロコロナの成功に党と習との威信がかかっているのだ。失敗すると、秋の党大会での習の3期目が吹き飛ぶ。
昨日(1月25日)APが現地から伝えるところでは、
「北京市内で新型コロナウイルスの新規感染者が確認されたため、該当する行政区に住む約200万人全員にPCR検査が命じられた。豊台区で25例、その他の区で14例の新規感染者が確認されたことを受けて、北京市当局は、感染リスクが高いと思われる行政区の全住民に対して、首都を離れないよう命じた。
2月4日に迫った北京五輪の開幕を前に、中国共産党は感染者全員の隔離を目指して、「感染者ゼロ」対策の実施をさらに強化。そのため、冬季五輪はアスリート、スタッフ、報道関係者など全員を住民から隔離する厳格な管理下で開催され、選手全員は入国時にワクチン接種を受けるか、隔離されることになる。」
そんなにまでしての五輪、どこにやる意味があるというのか。すっぱりと、やめた方が良かろう。選手役員をバブルに詰め込み、習近平もお一人用のバブルに閉じ込めての、長丁場のオリパラ。いつ、どこで、どんなことが起きるやら。
共産党政権によるゼロコロナ政策の強権的な押し付けに、中国の民衆は唯々諾々と従っているかのようだ。傍目には痛々しく映るばかり。これに対して、欧米ではワクチン強制反対運動が活発化している。
ワクチン強制反対派の主張の根拠は、自己決定権にある。いかなる医療を受けるか、あるいは拒否するか、その可否を決定する主体は自己以外にはなく、権力的強制を受ける筋合いはない、というシンプルなもの。
これに対して、自己決定権も公共の利益に譲らなければならないとするのが、ワクチン強制許容派の言い分となる。説得による同意が得られない場合、強制ができるか。微妙な問題となる。
最初に目立った動きが出たのは、オーストリアだった。先月(12月)9日、オーストリア政府はワクチン接種の義務化に関する法案を発表した。妊婦などの例外を除く14歳以上の全国民に、ワクチン接種を義務付け、違反者には罰金を科すというもの。
この法案に対して、同月11日には、首都ウィーンの道路を埋め尽くすほどの人々が抗議デモを行ったという。その数、およそ4万4000人。プラカードに書かれたスローガンは、「強制接種はファシズム」だった。
今年にはいってからは、米連邦最高裁の「企業へワクチン接種義務化措置差し止め命令」が話題となった。バイデン政権が、企業に新型コロナウイルスワクチンの接種を義務化した措置について、各州政府からの違憲を根拠とする差し止めの訴えが提起され、今月13日連邦最高裁判所は、連邦政府の機関の権限を逸脱しているとして、差し止めを命じている。これは、バイデン政権にとって、大きな痛手と報じられている。
そして、欧州連合(EU)が本部を置くベルギー・ブリュッセルで23日、新型コロナウイルスのワクチン接種の強制やこれに伴う規制に抗議する約5万人(警察推定)のデモが行われた。
さらにフランスである。1月24日の月曜日から、フランスでは「ワクチンパス」が施行されることとなった。これが、実質的なワクチン接種強制であるとして、5万を超える人々が抗議と反対の意思を示すデモに参加した。
問われているのは、徹底した個人主義の当否である。自分の主人公は自分自身であって、自分が納得できることには従うが、他から強制されて納得できない薬物を自身の体内に注入させるようなことは絶対にあり得ない、という強烈な個人主義。
個人主義の対義語は、いうまでもなく「全体主義」である。だからこそ、ワクチン強制反対派のスローガンが「強制接種はファシズム」となる。私は、このワクチン強制反対派の心情や主張に首肯するところ大きいが、断乎北京五輪成功に突っ走っている中国共産党には聞く耳はないだろう。今なお、習近平共産党を支持している人々にも。