澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

憲法公布記念の日に、あらためての憲法擁護の決意を。

(2021年11月3日)
秋日和の「文化の日」である。いうまでもなく憲法公布記念の日。この憲法、総選挙における改憲派の大勝をさぞかし嘆いていることだろう。

祝日法(国民の祝日に関する法律)では、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とされている。憲法の理念を、「自由」「平和」「文化」としたのであろう。「自由の日」「平和の日」でもよかったはずだが、どういうわけか「文化の日」。

「自由」と「平和」に並ぶ第3の理念としては、「国民主権」「民主主義」がふさわしい。四字では釣り合わないというのなら、「民権」「民主」。「国民主権の日」も「民主の日」も、すてきなネーミングではないか。「国民が主権者であることを確認して、民主主義の発展をことほぐ日」である。この度の総選挙の結果は、「自由」と「平和」と「民主主義」に影を落とすものとなった。

「文化をすすめる」「文化の日」は、その主体も内容もよく分からないが、戦後のこの時代には、「軍国日本」「大国化願望」を否定する文脈で「文化立国」が語られていた。文化とは、「自由」「平和」「民主主義」のいずれをもイメージする言葉であったのだろう。

周知のとおり11月3日は、明治天皇・睦仁の誕生日である。この人、幼くして幕府と西南雄藩連合との政争の具となり、薩長閥に担がれて維新政府の傀儡となった。そして、大日本帝国憲法が制定されるや、神権天皇となり統治権の総覧者となった。おそらくは不本意な人生であったろうが、生涯その矩を超えることはなかったようだ。

日本国憲法は大日本帝国憲法の拠って立つ基本原理を否定するところから出発している。この社会にある旧憲法の残滓と対峙し、これを一掃すべきが、主権者である日本国民の責務と言うべきである。その日本国民は、かつては臣民として主権者たる睦仁や裕仁に臣従を余儀なくされていた。その隷従の時代を懐かしんだり、奴隷主に等しい睦仁の誕生日を祝したりする時代の空気の復活を許してはならない。

にもかかわらず、総選挙での保守側の大勝という衝撃の結果は、私たちのこの社会の民主主義の未熟さを示して余りある。改憲派の議席も3分の2を超えているのだ。流れを上ろうとする水鳥の如く、絶えず全力での水掻きを続けないと、たちまちにして時代は後戻りする。逆コースが現実なものとなりかねない。

秋日和の「文化の日」、あらためてそれぞれが日本国憲法の理念を大切にしようと決意をすべき日でなければならない。

なんと、【「反共」4党で憲法改正に突き進め】だと?

(2021年11月2日)
 私のメールボックスに、メルマガ「週刊正論」が定期的に送られてくる。私が積極的に申し込んだはずはないのだが、わざわざ断るのも面倒で手続の時間も惜しい。だからいつまでも送られてくる。もっとも、日付が元号なことだけで不愉快で、滅多に目を通すことはない。

 ところが、昨夕の配信記事には、ギョッとさせられた。《メルマガ「週刊正論」令和3年11月1日号》のタイトルが、【「反共」4党で憲法改正に突き進め】というもの。「国家基本問題研究所」の「今週の直言」に掲載された月刊「正論」発行人有元隆志の論考だという。

 「反共・4党」とは、自民・公明・維新・国民のこと。「反共4党よ、今こそ好機到来ではないか。憲法改正に突き進め」、これが「反共右翼」の現状認識であり、共通目標なのだ。少々不愉快ではあるが、抜粋してご紹介する。

◇衆院選で自民党は国会を安定的に運営できる絶対安定多数を単独で確保した。さらに自民、公明の両与党と、公約に憲法改正の方向性を明記した日本維新の会、国民民主党を加えると、改憲勢力は憲法改正発議に必要な310議席を優に超えた。政権発足から間もない岸田文雄首相は、選挙戦で公約したように「憲法改正を実現すべく最善の努力」をしてほしい。

◇今回の選挙戦では、日本共産党が立憲民主党と「限定的な閣外からの協力」で合意し、多くの選挙区で候補者を一本化した。ところが、岸田首相は選挙戦終盤になるまで、遊説などでこの問題に言及しなかった。憲政史上、初めて共産党の政権参画が実現するかもしれない重大な問題を先頭に立って訴えるべきだった。岸田首相には猛省を促したい。

◇衆院選の結果を「反共」という視点でみると、自民、公明、維新、国民民主という枠組みができる。4党の議席数を合わせると憲法改正発議が可能な345議席に達した。参院では4党を合わせると169議席で、発議に必要な164議席を上回る。

◇憲法改正に強い意欲を示した安倍晋三政権下では、自公両党だけで衆参両院で3分の2以上の議席を確保していても改正は実現しなかった。維新と国民民主党の協力を得られれば、実のところは改憲に積極的ではなかった公明党も重い腰を上げる可能性もある。

◇「聞く力」があると自負する岸田首相は、維新や国民民主の意見に耳を傾けながら憲法改正への協力を得て、改正実現に動くべきだ。それが岸田首相に課せられた使命である。

 右翼の見るところ、「反共」即ち「改憲」である。「親共」即ち「護憲」なのでもあろう。憎き敵こそ共産党であり、共産党を核として護憲勢力があり、反共勢力はそのまま改憲勢力なのだ。この図式からは、今こそ改憲のチャンスと映るであろう。しかし、さてどうだろうか。

 自民・公明・維新・国民、その議員と支持者がはたしてすべて改憲派であろうか。改憲に突っ走って、各政党をまとめられるだろうか。反共4党が一致できるだろうか。そして、反共各党が明確な改憲方針を打ち出したとき、今回投票した支持者をつなぎ止められるだろうか。

 岸田や山口、玉木などの反共野党の領袖が、所属議員の数合わせだけで軽々に改憲発議に踏み切れるとは思えない。発議して国民投票で勝てる見通しがもてるだろうか。仮に発議したうえでの国民審査で敗北したとすれば、その政治的ダメージははかりしれない。そのとき、再度の改憲発議ははるかな未来に遠のくことにならざるを得ない。

 それでもこの選挙結果である。今しばらくは、右翼が跳梁して【「反共」4党で憲法改正に突き進め】という雰囲気が残るのだろう。その今でこそ、それを許さぬ護憲陣営の運動が求められているというべきなのだ。 

さあ、やせ我慢でも元気を出そう。

(2021年11月1日)
あ?あ、なんという選挙結果だ。なんという有権者だ。なんという民主主義だ。なんという日本の将来だ。元気が出ない。憂鬱だ。

市民と野党の共闘成立に大きな期待をしたのだ。安倍・菅政権の酷さに、みんなが憤ったたはずじぁないか。みんな、不正は許さない、透明性の高い社会ををつくろうと考えたはずじゃなかったのか。しかし、自民党の看板かけ替えの術は大成功だった。そんなに簡単に許してよいというのか。嗚呼、結果は惨敗というほかはない。安倍菅政権への批判は、届かなかった。

多少は利いた自公への批判も、その受け皿となったのは維新だった。なんたることだ。自民を叩いて、維新を太らせたのだ。もしかしたら、自民よりもはるかに危険な維新の連中を。

とはいうものの、あらためて思う。選挙で負けたからといって、首を取られるわけではない。身柄を持って行かれるわけでもない。テロが大手を振る社会になったわけでもない。これが文明社会だ。まだまだ、この社会の文明は失われていない。

次の選挙を待てばよいのだ。次の選挙で勝てばよいのだ。そのための策を練り、民意を結集する努力をすればよいのだ。それしか方法はない。

来年夏の参院選、その次に来たるべき統一地方選挙、そしてまたくる解散・総選挙。社会を変えるには、少しずつの毎日の努力を積み重ね、その成果を議会に反映させるしかない。

それが、議会制民主主義というものだ。多数者の住みやすい世の中をつくろうという営みが最終的には、選挙で多数派になれないはずはない。そう思いつつ、自分を励まそう。

「野宿者に居宅保護を!弁護団」に、最大限の敬意を!

(2021年10月31日)
 日弁連の機関誌「自由と正義」の冒頭に、「ひと筆」というコラムがある。毎回、一人の会員(弁護士)のエッセイが掲載される。面白いこともあれば面白くもないこともあるが、その最近号(2021年10月号)の大阪弁護士会・小久保哲郎さんの「一筆」をご紹介したい。

 小久保さんは、労働弁護士としても生存権弁護士としても知られる人。その「ひと筆」のタイトルは「裁判所は生きていた」、生活保護基準引き下げを違法と断じた大阪地裁判決についてのエッセイである。ここには、自分を叱咤激励した先輩弁護士として、木村達也さんと尾藤廣喜さんの名が出てくるが割愛せぜるを得ない。全3節の内の第1節「1997年10月?申請書は”落とし物”?」だけを引用させていただく。

 弁護士になって3年目の1997年10月のことだった。先輩弁護士から振られて、日本最大の日雇い労働者の街であった釜ケ崎の支援団体の相談を受けた。当時、大阪の街では、駅舎、公園、道路と至るところにホームレスの人がいて、裁判所と弁護士会前の河川敷にもブルーシートのテント小屋がぎっしりと立ち並んでいた。
 「家がないんだから生活保護が受けられて当然」と思うのだが、当時は役所に行っても「家を借りてから来い」と理不尽なことを言われて追い返されていた。路上で行き倒れれば救急搬送されて入院中だけ生活保護が適用されるが、退院すればまた路上に放逐。後で知ったことだが、大阪だけで路上で死ぬ人が年間400人いると言われていた。
 「昔のようにアパートで暮らしたい」。退院を控えたホームレスのおばあさんの願いを聴いた支援団体の人が、生活保護法の条文を読み込み、手書きの「居宅保護変更申請書」をつくって一緒に役所に持っていった。すると、職員が受け取りを拒否し、押し問答のすえ、「どうしても置いて行くなら、落とし物として扱いますっ!」と宣言したという。ウソでしょ?と思ったか、録音を聞いたら本当にそう言っていた。
 当時の私は、生活保護法の「せ」の字も知らなかったので、社会保障に詳しい同期(47期)の友人に相談し、連名で代理人として抗議の内容証明を出した。慌ててとりなす電話か来ると思ったが来ない。こちらからかけてみたら、「先生は知らんと思うけど、生活保護は本人との話し合い。代理人とか言われても話すつもりはない」と言われた。弁護士にこの対応なら、「ホームレスのおっちゃんが一人で役所に行くと虫ケラのように扱われる」と支援者の人が言っていたのは本当だと思った。
 とんでもない「無法地帯」を発見してしまった。おっちゃんたちが声をあげられないのをいいことに、ヤクザや悪質業者ではない、公務員による権利侵害がまかり通っている。“戦闘モード”のスイッチが入った私は、毎日のように担当者や上司に電話をかけまくった。そのうち、大阪市本庁にプロジェクトチームかできて、そのおばあさんは病院からアパートへの転宅(敷金支給)が認められる弟1号になった。
 支援団体から次々と相談が持ちかけられるようになり、同期の友人ら5人で「野宿者に居宅保護を!弁護団」をたち上げた。皆で手分けをして、生活保護の申請に同行したり、代理人として審査請求を申し立てたり、野宿者から直接の居宅保護(敷金支給)を求める佐藤訴訟に取り組んだりした。そして、2000年12月の近畿弁護士会連合会人権擁護大会シンポジウム「ホームレス問題と人権」を皮切りに、弁護士会もホームレス問題や生活保護の問題に取り組むようになった。   
 

 この不合理な世の中の底辺で苦しんでいる人々に手を差し伸べる仕事が本来の弁護士の業務である。だが、ホームレスや生活保護受給申請者の権利を求める訴訟の法廷には、原告側だけでなく、被告の側にも弁護士が付いているのだ。労働問題でも消費者問題でも同様だ。もちろん、人権擁護派弁護士の報酬は薄く、人権切り捨て派の弁護士には厚い。これは、経済社会の合理性がしからしむるところ。

 その献身性、その意欲、その行動力に脱帽するしかない。とうてい私には真似ができない。ここに出て来る《同期の友人でたち上げた「野宿者に居宅保護を!弁護団」》の5人こそが、弁護士の鑑である。こういう人々が、社会の弁護士に対する信頼をつなぎ止めている。私もその恩恵に与っている者の一人だ。

 この小久保さんの「ひと筆」には、人権切り捨て派弁護士には味わいがたい、人権派弁護士ならではの生き甲斐や「弁護士冥利」が語られていて実に清々しい。ニューヨークのローファームでビジネス法務に携わりたいなどという俗物根性とはひと味もふた味も違うのだ。 

総選挙あす投票 あなたの1票で政権は代わる ー 「比例は共産党」に

(2021年10月30日)
 いよいよ明日(1月31日)が、総選挙の投票日。主権者国民が自ら政権を選択する機会。投票箱の閉まるまでが、国民が主権者なのかも知れない。

 下記のスローガンをご紹介したい。すべて、赤旗に掲載されたものである。

 総選挙あす投票 あなたの1票で政権は代えられる
 他党派から市民から「比例は共産党」
 政権交代、政治を変える 比例の1票、必ず共産党へ
 続々 拡散10倍化作戦 「#比例は日本共産党」

 ジェンダー平等・気候危機打開/若者の熱い反応
 福祉優先社会を
 地球の未来守れ
 声届く政治つくろう
 苦しむ人支える国に
 賃上げで経済再建を
 気候対策 世界水準へ
 1票で未来が変わる
 政治の力で格差正す
 最賃一律1500円実現へ
 命・地球・未来を守る
 自公に厳しい審判を
 誰一人 取り残さない
 希望の日本へ政権交代必ず 
 市民も「比例は共産党」
 政権交代実現しよう
 ゆがんだ社会変える
 「比例は共産党」広げよう
 党躍進 共闘の推進力
 沖縄1区 市民の力で必ず国政に/デニー知事、あかみね候補応援
 京都1区 「自公政権は腐ってる」/前川氏、こくた候補応援
 4つのチェンジで希望ある日本を

 ジェンダー平等の日本/働くルール整えます
 語ろう日本共産党 総選挙
 1区あかみね候補 横一線の大接戦
 沖縄の心 託して/「オール沖縄」全員勝利 何としても
 アベノマスク 3割お蔵/118億円分 保管費毎月7500万円
 政治変えよう 響く女性の声/市民と野党が街宣
 コメ危機 農民動く/自公農政 転換のとき
 共産党の躍進で科学的コロナ対策へ
 比例ブロックすべて大激戦/「投票先決めてない」3割超
 あなたの1票で変わる 
 維新「自民と一緒」告白
 東京12区 池内さおり候補/カラフル共同 熱い期待
 京都1区 こくた恵二候補/広がる支援 自民を猛追
 小沢・安住両氏/「野党共闘の要」「盟友中の盟友」 こくた氏勝利へ
 1票の力で政権交代を 
 横一線の大激戦 あかみねさんの「宝の議席」必ず押し上げを
 新基地阻止へ勝利必ず/沖縄1区 あかみね候補と応援弁士訴え
 政権交代へ本気/「比例は共産党」
 気候危機打開へ提案
 野党共闘つらぬく
 共闘の心張り棒を

 ブレない党を

 自公を終わりに

 「あなたの1票で政権は代えられる」は真実だ。その劇的で典型的な実例が、2009年の第45回総選挙。このとき、民主党が政権を奪取した。選挙前議席115を、193増加させて308議席を獲得したのだ。ということは、自民の惨敗を意味する。300議席を181減らして119議席となり、政権を明け渡した。

 この結果をもたらしたのは、69.28%という高い投票率だった。普段よりもほぼ10%高い投票率があれば、自民を惨敗させることができるのだ。

 だが、その3年後の2012年末の第46回総選挙では、69.28%の投票率が59.32%と10ポイントも下落し、その結果形勢は逆転して自民が政権の座に返り咲いた。ここから、「腐敗した悪夢の」安倍政権が始まる。悪夢の安倍政権を誕生させたのは、自民党への国民の支持の回復ではなく、民主党への国民の支持離れであった。

 44・45・46回の自・民の比例代表の得票推移は以下のとおりである。
  自民  2600万→1900万→1660万
  民主  2100万→3000万→ 930万

2009年選挙で民主党を政権党とした3000万票は、2012年選挙では自民党にまわったのではなく、1000万の棄権票になった。安倍政権を誕生させ長期政権とさせたのは、実は大量の棄権票であり、低投票率であった。あなたが、投票所に足を運べば、政権は確実に劇的に代わるのだ。

第45回総選挙(2009年)
        民主   自民
前回選挙    113    296
選挙前議席   115    300
獲得議     308    119
増減     増 193   減 181
得票数 33,475,334(小)  27,301,982(小)
    29,844,799(比)  18,810,217(比)
得票率   47.43%(小)    38.68%(小)
     42.41%(比)    26.73%(比)
得票率増減 増10.99%(小)  減9.09%(小)
      増11.39%(比)  減11.45%(比)

第46回総選挙(2012年)
       自民     民主
獲得議席   294      57
増減    増 176     減 173
得票数  25,643,309(小) 13,598,773(小)
    16,624,457(比) 9,268,653(比)
得票率   43.02%(小)  27.79%(比)
      22.81%(小)  15.49%(比)

投票率推移 44回  67.51%(増加7.65%) 2005年
      45回  69.28%(増加1.77%) 2009年
      46回  59.32%(減少9.96%) 2012年

「最高裁裁判官の国民審査、投票棄権の権利について」補論

(2021年10月29日・その2)
 昨日(10月28日)の当ブログ「最高裁裁判官の国民審査、投票棄権の権利について」の記事に、Blog「みずき」の東本さんからのコメントをいただいた。

 最高裁裁判官国民審査についての投票棄権の選択に関して…「投票所まで出向いて投票棄権の意志を告知するとどうやら『信任』にはカウントされないらしい(この点について澤藤さんははっきりと書いていないので『らしい』としか言えない)」というもの。

 「この点について澤藤さんははっきりと書いていない」とのご指摘に責任を感じて、投票日が迫っているので、急遽追加の記事を掲載する。

 選挙における棄権は投票所に足を運ばないだけのことで、「棄権の権利」とか、「投票棄権の選択」などを意識する必要もない。ところが、最高裁裁判官国民審査(以下、「国民審査」)の投票用紙は衆議院議員選挙の投票用紙と一緒に交付される。多くの人にとって、衆議院議員の選挙投票の目的で出向いた投票所で、国民審査の投票用紙の交付を受けることになる。従って、国民審査の投票棄権は、意識的にしなければならないことになる。

 目の前には国民審査の投票箱のみがあって棄権票入れの箱はない。投票用紙を受領した有権者(法律では「審査人」という)が、この状況をしつらえた選管の思惑のとおりに、そのまま何も書きこむことなく投票用紙を投票箱に投入すれば、「全裁判官信任」という取り扱いになる。この点、生活感覚と整合しないこととして違和感を禁じえない。

 「それは本意ではない。自分はすべての最高裁裁判官について、信任も不信任もしたくないのだ」という人が、少なからずいるはずである。この人たちについて、その意のとおり正確に取り扱いされるよう、国民審査投票「棄権の権利」を語る意味がある。

 国民審査投票の棄権は次の方法で可能である。
 (1) 投票所に足を運ぶことなく、総選挙投票とともに棄権する。
 (2) 総選挙の投票はするが、投票所での国民審査投票用紙交付の際に受領を拒否する。
 (3) いったん受領した国民審査投票用紙を投票箱に投入せず、選挙管理の職員に返還する。

 だから、「投票所まで出向かず総選挙の投票とともに国民審査投票を棄権すれば『信任』とも『不信任』ともならない」「しかし、投票所まで出向いて総選挙の投票をすれば、その機会に押し付け同然に国民審査投票棄用紙を交付される。このとき国民審査だけを棄権しようと思えば、国民審査の投票用紙を突っ返すしかない」「突っ返さずに漫然とそのまま投票用紙を国民審査の投票箱に入れてしまうと、『全裁判官信任』となってしまうからご注意」ということになる。なお、投票用紙を破棄したり持ち帰ることは、お勧めしない。

少し、法の定めを整理しておきたい。
最高裁裁判官国民審査は憲法上の制度である。

憲法第79条第2項 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
同条第3項 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
同条第4項 審査に関する事項は、法律でこれを定める。

79条3項の「投票者」に棄権者は含まれない。
同条4項によって「最高裁判所裁判官国民審査法」が制定されている。必要な条文を摘記する。

第6条 審査は、投票によりこれを行う。
? 投票は、一人一票に限る。

第15条(投票の方式)審査人は、投票所において、罷免を可とする裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に自ら×の記号を記載し、罷免を可としない裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に何等の記載をしないで、これを投票箱に入れなければならない。

第22条(投票の効力)審査の投票で次の各号のいずれかに該当するものは、無効とする。
一 所定の用紙を用いないもの
二 ×の記号以外の事項を記載したもの
三 ×の記号を自ら記載したものでないもの

棄権は、そもそも票数に数えられない。○やら△を書き込んだ投票は法22条2号によって無効。「×だけを付けた(罷免を可とする)投票」と、「何も付けない(罷免を可としない)投票」だけが有効で、前者が後者を上回れば、当該裁判官は罷免されることになる。

 国民が裁判官の適格性を判断するとすれば、A適格・B不適格・Cどちらとも言えない(あるいは判断しがたい)の3選択肢が必要になろう。しかし、法は2択しか認めていない。×を付けない「AとC」とは区別されることなく結果として裁判官信任の意思表示として扱われることになる。通常人の生活感覚とは明らかに齟齬がある。

 従って、「適格・不適格のどちらとも言えない(あるいは判断しがたい)」という場合には積極的に棄権を選択するしかないし、棄権票の数が、×の投票に準ずる最高裁への批判として意味のあるものにもなる。

 但し、棄権は(今回は11人の)審査対象裁判官全員一括でしかできない。そのうちの何人かを積極的に信任し、あるいは不信任にして、その余についてだけ棄権するという方法は用意されていない。これは明らかに欠陥法の欠陥と言えよう。技術的には簡単なことで、各裁判官ごとに信任・不信任・棄権(○・×・△)の3択とすればよいだけのことなのだから、いずれ法改正を考えなければならない。

念のためだが、私は棄権をお勧めしているのではない。どうすればよいのかよく分からないとおっしゃる方には、全裁判官に「×」を付けるようにお勧めしたい。比較的マシな裁判官には、「×」をつけたくない、とおっしゃる方は、宇賀克也裁判官にだけは「×」を付けずに、他の10裁判官に「×」を付けて投票していただきたい。
 
各裁判官の具体的な評価については、下記のURLを参照願いたい。

国民審査リーフレット
https://www.jdla.jp/shinsa/images/kokuminshinsa21_6.pdf

第25回最高裁国民審査に当たっての声明
https://www.jdla.jp/shiryou/seimei/211020.html

自民党の選挙公約は、安倍菅政権への反省にもとづくものになっていない。

(2021年10月29日)
 第49回総選挙の投票日が明後日に迫っている。今回の選挙は、何よりも7年8か月に及んだ安倍・菅政権への審判である。これからも漫然とその腐敗と失政の継続を容認するのか、それとも転換するのか。その判断は、主権者国民、つまりは私たち自身の投票にかかっている。

 安倍・菅政権の腐敗について多くを語る必要はない。「モリ・カケ・桜・クロカワイ、カジノに卵に息子の会食」と並べるだけで、十分だろう。かくも、国政を私物化した政権はミゾユウであろう。しかも、国政私物化には、行政文書の隠匿・廃棄・改竄がつきまとい、今なおその全容が解明されていない。これ以上の自民党政権の継続は、アベノフハイを闇に葬ることにつながりかねない。

 安倍・菅政権の失政の第1がアベノミクス、無能の象徴がアベノマスク、そしてその壊憲政治の最大のものが戦争法制定の強行であろう。政権運営のスタイルは、決定的な説明不足。異なる意見には耳を貸さず、国会では「数の力」で押し通す独善性。これで国民からの信頼を得られるはずはない。

 掛け替えられた看板となった岸田自民党は、率直に安倍・菅政権の失敗を認め、そのどこをどう立て直すかを語らなければならない。それなくして、国民からの信頼を取り戻すことなどできようはずもない。が、岸田にはそれができない。アベ・アソウ・アマリの援助での現在の地位なのだから。

 そのような岸田自民党の選挙公約。自民党の選挙パンフレットは、内容希薄な美辞麗句の羅列だが、私には、その合間合間に次のように聞こえる。太宰治の「トカトントン」のごとくに。

【前文】
 新しい経済のかたちを生み出す「成長」と「分配」を柱とした政策を。少子化問題解消のために、子育てへの不安に応える抜本的な政策を。国民の生命と財産を守り抜くために、毅然と対応する外交を。信頼と共感。それこそが政治を前に進める原動力だ。国民の声をしっかりと受け止め、寄り添い、全力で挑む。新しい時代を皆さんとともに。
 ⇒とはいうものの、「国民」も「皆さん」も、あなたのことではない。

【新型コロナ対策】
・人流抑制や医療提供体制確保のための方策について、行政がより強い権限を持てるための法改正を行う。
 ⇒その権限は強けりゃ強いほどよい。常に、強すぎるほどの権限が欲しいんだ。

【新しい資本主義】
・究極のクリーン・エネルギーである核融合開発を国を挙げて推進し、次世代の安定供給電源の柱として実用化を目指す
 ⇒とはいうものの、これがたいへんな金食い虫。そして完成できれば、自前の核抑止力。

【農林水産業】
・2030年5兆円の輸出額目標の達成に向け、輸出産地・事業者の育成、品目団体の組織化、戦略的サプライチェーンの構築、加工食品輸出に取り組む中小事業者への支援を行う
 ⇒そりゃ、現行の家族農業・家族漁業を潰そうということじゃないか。

【経済対策】
・マイナンバーカード機能のスマートフォン搭載、健康保険証としての利用や運転免許証・在留カードとの一体化、社会保障・税・災害の3分野以外への情報連携を拡大し、マイナンバー利活用を推進する
 ⇒デジタル技術で徹底した管理化社会の実現。これこそ長年の権力の夢の現実化だ。

【復興】
・福島については国が前面に立ち、2020年代をかけて、帰還希望者が全員帰還できるよう取り組む
 ⇒いつまでも補償の継続は負担だから、打ち切るってだけのこと。

【経済安全保障】
・戦略技術・物資の特定と技術流出の防止に資する「経済安全保障推進法」を策定する
 ⇒それって、戦争準備の常套手段だよね。

【外交】
・北朝鮮に対しては、首脳会談の実現など、あらゆる手段を尽くし全ての拉致被害者の即時一括帰国を求める。
 ⇒安倍流の好戦外交では、1ミリも問題が動かなかった。このことの反省は?

【安全保障】
・弾道ミサイルへの対処能力を進化させ、相手領域内で弾道ミサイルなどを阻止する能力の保有を含めて、抑止力を向上させる新たな取り組みを進める
 ⇒そいつはアブナイ。相手国にも日本領域内で弾道ミサイルなどを阻止する能力保有の口実となる。

【教育】
・道徳教育、高校新教科「公共」、体験活動の充実により、公徳心を持ち、日本の伝統文化を引き継ぎ発展させる人材を育成する
 ⇒そりゃ見当違い。まるでどこかの権威主義国家みたい。権力が、自分の思惑に合うよう、主権者の人格を型にはめてはいけない。

【憲法改正】
・衆参両院の憲法審査会で憲法論議を深め、憲法改正原案の国会提案・発議を行い、国民投票を実施し、早期の憲法改正を実現することを目指す
 ⇒おやおや、岸田自民はアベのしたこと、何も反省していないんだ。これじゃダメだ。

最高裁裁判官の国民審査、投票棄権の権利について。

(2021年10月28日)
 本日、総選挙の期日前投票を済ませた。小選挙区選挙では普段は支持しない政党の候補者に投票し、比例代表選挙では支持する政党の名を明記して投票した。

 さて、最高裁裁判官の国民審査をどうするか。審査対象11人の裁判官の誰に、どのような理由で「×」をつけるべきか。

 日本民主法律家協会のプロジェクトチームと23期弁護士ネットワーク合同での議論の結論は、下記のとおりである。

★選択的夫婦別姓に反対した裁判官(林道晴、深山卓也、三浦守、岡村和美、長嶺安政各裁判官)に「×」を!
★正規・非正規の格差是正に反対した裁判官(林道晴裁判官)に「×」を!
★冤罪の救済に背を向けた裁判官(深山卓也裁判官)に「×」を!
★一票の格差を放置した裁判官(林道晴、深山卓也、三浦守、草野耕一、岡村和美各裁判官)に「×」を!
★裁判と裁判官を統制してきた司法官僚(林道晴、安浪亮介各裁判官)に、「×」を!

 以上が真っ当な判断なのだが、これをまとめて微修正を加味して個人的には以下の3案を考えた。

(1) 国民審査を、司法のあり方に対する国民の批判結集の機会として生かすために、全11裁判官に「×」を付けよう!
 そもそも、安倍・菅政権が任命した裁判官である。その人選・任命の経過もまことに不透明。安倍菅政権への批判と裏腹の問題として全11裁判官を不信任とすべきではないか。

(2) この間の判決内容を見れば、宇賀克也裁判官だけが憲法に忠実な真っ当な姿勢を貫いているではないか。宇賀克也裁判官までを他と一緒に「×」をつけてはならない。宇賀克也裁判官を除いて、他の10裁判官に「×」を付けよう!

(3) 制度の趣旨から見て、容認できない少数の裁判官に的を絞って「×」を集中すべきだ。それがインパクト強く、国民が三権の一角である最高裁を監視していると印象付けることができる。その意味で、林道晴裁判官に「×」を集中しよう!

(2)案には、原爆症認定訴訟弁護団から無視し得ない反論がある。

「原爆症認定集団訴訟で、昨年(2020年)2月、第三小法廷(裁判長宇賀克也、戸倉三郎、宮崎裕子、林道晴、林景一)から最低・最悪の判決を受けました。原爆症認定は、被爆者の疾病が放射線に起因すること(放射線起因性)、当該疾病が現に医療を要する状態にあること(要医療性)という2つの要件があります。主な争点は放射線起因性で、この間行政訴訟としては異例の9割の勝訴率で勝ち抜いてきました。そこで厚労省は、従来柔軟に対応してきた要医療性を厳格に審査するという戦術で対抗してきました。それも下級審では突破してきたのですが、最高裁で丸っきり厚労省の言いなりの判決を受けてしまったのです。
 具体的には、経過観察をしているだけでは要医療性を満たさない、として、手術後の経過観察を受けている被爆者の原爆症認定を否定してしまったのです。これによって原爆症認定集団訴訟の全面解決は極めて困難な状況に追い込まれました。この判決を主導したのは宇賀克也に間違いありません。宇賀は裁判長であり教科書にそれを示唆する記述もあるからです。以上の次第で私は宇賀克也に×を付けたい気持ちで一杯です(以下略)」

 この反論で私は大いに迷わざるを得なかったが、結局は(2) 案で投票した。やはり、裁判官を差別化した評価があってしかるべきだと考えてのことである。

 なお、先輩弁護士から以下の意見のメールをいただいた。

「殆どの人は、分からないまま、投票用紙を受け取って、そのまま投票箱に入れています。投票用紙を受け取らないという選択肢があることを知りません。私個人では、投票依頼の電話をするときに、必ずそのことを話しています。『分からない人は、投票用紙を受け取らないで良いです』ということを、選管に徹底するように申し入れした方が良いのではないでしょうか。私は、いつも投票所に行ったとき、そこにいる職員に、そうして下さいと申し入れているのですが、まるで意味が分かっていないのか、無視されます。」

 本日、同じ経験をした。確かに、「殆どの人は、分からないまま投票用紙を受け取ってそのまま投票箱に入れて」いる。これは看過しがたい。

 現場の職員に、「これでは棄権の権利が無視されるのではないか」と語りかけたら、上司と思しき人が出てきた。あらためて、「どの裁判官に×を付けるべきか分からない人は、どうすれば良いの?」と聞くと、「『投票したくない』と申し出ていただけたら、投票用紙を預からせていただきます」という答だった。

「そういう投票棄権の選択肢があると言うことは、予めお知らせしないんですか。以前は、そういう掲示もあったはずですが。」と聞くと、「そういうお知らせをするように指示は受けていません。過去のことは存じません」とのこと。

「とすると、現実には投票棄権の選択は難しいのじゃありませんか?」
「私たちは棄権の選択あることを想定していません」
「それがおかしい。あなただって、11人の裁判官の一人ひとりについて、信任すべきかすべきでないか、自信をもって判断できますか。判断に自信のない人に、結局裁判官信任の結果となる投票をさせるのはまちがっていませんか」
「結局あなたは、棄権したいと言うことですか」
「いや、私は棄権しません。でもこのような投票者の意思がゆがめられる国民審査のあり方がおかしいと思う」
「では、そういうご意見があったということは、選管に報告しておきます」

これで、私の「抗議」は打ち切り。しょうがないから、その場の人に呼びかけた。

「皆さん、最高裁裁判官の国民審査で誰に×を付けてよいか分からない方は、棄権ができます。投票用紙の受け取りを拒否するか、投票用紙を職員に返還してください。なんにも書かない投票用紙を投票箱に入れると、全部の裁判官を信任したことになってしまいますから気を付けてください。むしろ、よく分からなければ、最高裁を監視しているという意味を込めて全部×を付けてください」

かつて「司法の独立を守る国民会議」の一員として、鷲野忠雄さんにくっついて中央選管に申し入れに行ったことがある。「国民審査の投票については、せめて棄権の方法を表示していただきたい」という趣旨。どれだけ実行できたかはともかく、中央選管はノーとは言わなかった。その後のフォローを疎かにしていたことを反省しなければならない。

「法と民主主義」10月号 ー 「アジアの各地で闘う民衆」

(2021年10月27日)
「法と民主主義」の今月号(21年10月号【通算562号】)が、本日発行となった。
特集の表題は、「アジアの各地で闘う民衆ーそれぞれの課題と法律家の役割」というもの。本号の編集専任者は私である。

下記のURLをご覧いただきたい。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html

そして、お申し込みは下記URLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html

 香港・中国・ミャンマー・タイ・フィリピン・アフガンなどの緊迫した情勢を、それぞれの国に深く関わっている方にご報告いただいた。総選挙を間近にしての今この各国の深刻な報告に目を通すと、不満だらけの日本ではあるが、それでも不十分ながらもこの日本に根付いている民主主義を貴重なものと思わざるを得ない。

 各国の闘いが問うている課題はこの上なく重い。人権や自由を獲得するための権力との苦闘の歴史は、アジアの各地で今まさに進行中なのだ。そして、各国の状況の報告のあとに、各国個別の枠を越えた民衆の闘いの連帯や法律家の課題についての論稿を寄稿いただいた。特集全体で、「法と民主主義」らしい構成になったと思う。


「法と民主主義」・10月号の特集企画 リード

 いま、アジアの各地で、多様な「民衆の闘い」が展開されている。闘いの背景も要因もその態様も一様ではないが、それぞれの人権課題・民主主義課題が、どの国にあっても凶暴な権力との深刻な対立によって、熾烈な民衆の闘いを余儀なくされている。そして、一国での闘いはいずれも困難な局面にあって、国際的な連帯と支援を求めている。
 また、それぞれの闘いに法律家が関わり、一定の役割を果たしながらも、法律家自身も苦境の現状にある。現実は苛酷であり、人権や民主主義を獲得するための歴史の苦悩は、今なお進行中であることを実感せざるを得ない。
 本特集は、この各国の実状をご紹介するとともに、国際法の課題や、国境を越えた法律家の連帯や支援の可能性についての問題提起とし、われわれが何をなしうるかを考える契機としたい。

 今号の特集は、各論からの順序となる。まず、読者に関心の深い香港の民主主義の苦境と、その背後にある中国の立憲主義についての2論稿。併せて読むことで、顕在化した現実の厳しさと、さらにその奥にある厳しさの源泉を理解することになろう。
◆死にゆく「一国二制度」──香港で何が起きているか………鈴木 賢
◆「憲法あって憲政なし」の国で………石塚 迅

 以下は、さらに苛酷で深刻な各国の民衆の闘いの現状の報告である。ミャンマー、タイ、フィリピン、アフガニスタン、それぞれの歴史的な背景事情の中での闘いの厳しさと、解決の難しさにたじろがざるを得ない。が、その困難な状況下で闘っている人々の崇高さに打たれる。
◆ミャンマー軍事政権との闘いの現状と日本における連帯・支援の課題………渡 辺彰悟
◆岐路に立つ「タイ式民主主義」………今泉慎也
◆フィリピンの超法規的殺人EJK(Extrajudicial Killing)………井上 啓
◆アフガン女性の闘う〈勇気〉を生み出したもの──長期的視野で築いてきた闘争 の歴史………清末愛砂

 そして、以下の論稿が、各国の具体的な現状を考察するための総論となる。稲論文はアジアにおける人権課題を網羅的に俯瞰し、申論稿は国際法の枠組みを提供するもの、新倉論文は闘う民衆の国際連帯の可能性について論じ、笹本論文は、朝鮮半島の平和を素材に法律家の国際連帯の実践を報告する。それぞれ、有益なものとなっている。
◆アジア各地における「民衆の闘い」の現状と課題………稲 正樹
◆人権と民主主義を求める民衆の危機と国際社会─大国のエゴを超えて………申惠丰
◆アジア各地での民衆の闘いと国際連帯………新倉 修
◆朝鮮半島の平和プロセス実現のための、法律家の国際連帯………笹本 潤

 ミャンマーの軍事政権との闘いについての、渡辺彰悟弁護士の報告の最後に、こうある。「ミャンマーの詩人KT氏は「彼ら(権力)は頭を打つが、革命は心にあることを分かっていない」と詠んだ(彼は拘束され尋問され死亡した)。この詩に込められた思いに連帯し、私達は日本がなすべきことを積み重ねたい。」
 この一文を重く受けとめたい。
       (編集委員・澤藤統一郎)


法と民主主義2021年10月号【562号】(目次と記事)

特集●アジアの各地で闘う民衆 ―― それぞれの課題と法律家の役割

◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆死にゆく「一国二制度」 ── 香港で何が起きているか … 鈴木 賢
◆「憲法あって憲政なし」の国で … 石塚 迅
◆ミャンマー軍事政権との闘いの現状と
 日本における連帯・支援の課題 … 渡邉彰悟
◆岐路に立つ「タイ式民主主義」 … 今泉慎也
◆フィリピンの超法規的殺人EJK(Extrajudicial Killing) … 井上 啓
◆アフガン女性の闘う〈勇気〉を生み出したもの
── 長期的視野で築いてきた闘争の歴史 … 清末愛砂
◆アジア各地における「民衆の闘い」の現状と課題 … 稲 正樹
◆人権と民主主義を求める民衆の危機と国際社会
── 大国のエゴを超えて … 申 惠丰
◆アジア各地での民衆の闘いと国際連帯 … 新倉 修
◆朝鮮半島の平和プロセス実現のための、法律家の国際連帯 … 笹本 潤

◆特別寄稿 フランスにおける衛生パス … 植野妙実子
◆連続企画・学術会議問題を考える〈3〉
 学術会議任命拒否情報不開示決定に対する審査請求のゆくえ … 三宅 弘
◆司法をめぐる動き〈69〉
 ・岡口判事に対する弾劾裁判について … 野間 啓
 ・9月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2021●《政権選択選挙》
 選挙で問われる変節と政治姿勢 問われる「メディアの主体性」
 ウソで情報操作する会社、政党? … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№8〉
 人が裁かれる時 … 村井敏邦先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№35〉
 本質は何も変わらない岸田自公政権 … 飯島滋明
◆インフォメーション
 自公政権に終止符をうち、命と平和を守る憲法に基づく政治への転換を!
 立憲野党は共同し、市民連合との合意を踏まえ、
 政権交代に向けて全力を尽くすことを求める法律家団体のアピール
◆時評●大企業、軽すぎる税負担 ── 巨額増益の一方で優遇税制拡大 … 菅 隆徳
◆ひろば●今日の危機の内容と、打開する力としての民主主義 … 豊川義明

象徴天皇制とは、誰をも幸福にしない制度である。

(2021年10月26日)
 秋篠宮の長女が本日婚姻届を提出した。本来結婚は私事でしかない。当事者の周囲だけが祝意を表すれば良いだけのこと。にもかかわらずの、なんという大騒ぎ。そして、目出度い様子はない。

 婚姻当日の新婦が、記者の質問に対して、「一番大きな不安を挙げるのであれば、私や私の家族、圭さん(夫)や圭さんのご家族に対する誹謗中傷がこれからも続くのではないかということ」とコメントをせざるを得ない事態。これは穏やかではない。意地の悪い大衆の非情さの所為か、あるいは愚かな天皇制のしからしむるところなのか。

 いずれにせよ、竹の園生に生まれた出自が、決して幸福にはつながらないのだ。なんの苦労もなく「特権を享受する立場にある人物」にも、宿命的にデメリットがつきまとう。楽あれば苦あり。良いとこ取りは許されない。

 身分差別の残滓としての象徴天皇制である。天皇や皇族は、生まれながらにしてその地位に縛られ、『その立場からの脱出の自由』はない。天皇制とは誰をも幸せにしないシステムである。一刻も早くなくするに越したことはない。

 旧憲法は天皇の正統性の根拠を神の末裔であることに求めた。いい大人たちが、本気でそう考えていたとしたら噴飯物で滑稽至極というほかはない。日本国憲法が国民主権原理を宣明したとき、天皇制を廃棄すべきが至当であったが、いくつもの思惑が重なって、天皇制は生き延び戦犯裕仁も天皇位を保持した。

 日本国憲法は、天皇の地位を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」とし、その根拠を「主権の存する日本国民の総意に基づく」とした。が、天皇の人権に関する規程はない。

 天皇の具体的な人権の保障とその制約のあり方は、可能な限り国民と同一のものとすべきであろう。「象徴」とは特別の権限も権能もないことを表現するための用語で、「象徴」から演繹される特権も不利益もない。

 なにせ、神であることを否定した「生身の人間」を無理やりに象徴としたのだ。天皇の私的生活の領域を認めざるを得ない。その私的領域においては、天皇も私人として当然に権利義務の主体となり得る。

 裁判所も、できるだけ天皇の私人としての権利を認めてやればよいのにと思うが、現実には、その逆の立場をとっている。その典型が、前回の天皇交代の際に、天皇を被告として起こされた「不当利得返還代位請求訴訟」(住民訴訟)の判決。天皇は民事訴訟の被告たり得ないと判断された。論理の必然として、天皇は原告として民事訴訟を提起する資格もないとされたことになる。事件は、次のようなもの。

 昭和天皇(裕仁)は1988年9月に吐血して重体に陥った。このとき千葉県知事沼田武は1988年9月23日から1989年1月6日までの間、昭和天皇の病気快癒のために県民記帳所を設けた。当然そのための公費の支出を要し、その支出の合法性が争われた。天皇(裕仁)は1989年1月7日に死亡し、その地位は長男である明仁が継承した。

 千葉県民である原告は当該公費支出は違法であり、明仁(第125代天皇)は記帳所設置費用相当額を不当に利得したとして、地方自治法第242条の2第1項第4号に基づいて、千葉県に代位して裕仁の相続人である明仁に対して損害賠償請求の住民訴訟を提起した(現在は少し制度が変わっている)。曲折はあったが、結局天皇の裁判を受ける権利が否定された。

 1989年7月19日に東京高裁は「仮に天皇に対しても民事裁判権が及ぶとするなら、民事及び行政の訴訟において天皇と言えども被告適格を有し、また証人となる義務を負担することになるが、このようなことは日本国の象徴であるという天皇の憲法上の地位とは全くそぐわないものである。そして、このように解されることが天皇は刑事訴訟において訴追されるようなことはないし、また公職選挙法上選挙権及び被選挙権を有しないと一般に理解されていることと整合する」として控訴を棄却した。説得力のない相当に無理な説示である。

 1989年11月20日に最高裁判所はこれを基本的に是認して、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることに鑑み、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法とした第一審判決を維持した原判決はこれを違法として破棄するまでもない」として上告を棄却した。

 「象徴」という言葉からこのような結論を引き出したことにおいて、この判決は学説から頗る評判が悪い。評判は悪いが、この「記帳所事件」判決は、天皇に民事裁判権がないとした判例として語られている。

 天皇予備軍としての皇族の立場は天皇とは違ったものではある。が、その私的な領域を狭められ否定されることによって、非人間的な境遇を強いられることにおいては同様である。国民の人権意識の成熟までは、同じような皇族バッシングが続くことにならざるを得ない。

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