澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

鵜飼哲「五輪ファシズム」論に賛同の拍手を送る

(2021年2月14日)
コロナ蔓延の終熄はまだ遠い。原発事故処理もできぬ間に新たな地震も重なった。財政は逼迫している。国民生活は弱者ほど疲弊が厳しい。とうていオリンピックどころではない。アベ晋三の大ウソとワイロとで誘致した東京五輪が、いま主催組織幹部の女性差別と旧態依然たる体質暴露で世界に恥を晒している。いったい、どこに開催の意義があるというのだ。もともとが、為政者の統治の具に堕した国威発揚の舞台。しかも、意図的に小さな予算から出発して、途方もない金食い虫に変異したこのイベント。行政とつるんだ企業に食い物にされた、カネまみれの商業主義の化け物。こんなものは、さっさとやめてしまえ。その予算を、コロナ対策と震災からの復興にまわすべきが当然ではないか。

これが、これまで私が語ってきたこと。私は、この程度にしか東京オリンピックを批判してこなかった。今、その不徹底な姿勢を反省しなければならない。「五輪ファシズム」論に接してのことだ。

2月11日、毎日新聞デジタルが、「女性蔑視発言の根底に潜む『五輪ファシズム』の危険性」という記事を掲載した。かなり長文の鵜飼哲(一橋大名誉教)インタビューである。まことに時宜を得た適切な論説。
https://mainichi.jp/articles/20210210/k00/00m/040/185000c

鵜飼によれば、「オリンピックには、その根底に市民の生活を脅かす危険な『五輪ファシズム』がある」という。私はこれまで、「オリンピックは素晴らしい」という言説を懸命に否定してきた。しかし、鵜飼はオリンピックの積極的な害悪を主張する。「五輪ファシズム」という切り口で。

クーベルタンは、女性蔑視で優生思想の持ち主だった。ブランテージも、サラマンチもファシズムに親和性を持っていた。IOCは今も王族や貴族のサロンで、そこに元オリンピアンが「新貴族」として入るという愚にもつかない忌むべき構造がある。JOCの評議員63人中女性はたった2人…。さて、「五輪ファシズム」とは何か。

オリンピックは最初から全体主義的なイベントになりがちな傾向を強く持っていました。1936年にナチス・ドイツが挙行したベルリン大会を、IOCは今も最も成功した大会と評価しています。
 68年のメキシコ大会では開催に反対した学生が開会式直前に何百人も殺されました。2016年のリオデジャネイロ大会の開催中も、警官による民間人の射殺が激増するなど人権侵害が多発したことを、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが報告しています。しかし、IOCは全て主催国の問題にして責任を引き受けることはありません。21世紀に入ってテロ対策が強化され、ロンドン大会(12年)、リオ大会では地対空ミサイルが配備されました。当然、日本も開催されれば同じことになります。憲法が改正された後の状態を先取するような形で五輪期間中の警備が構想されているのです。顔認証システムも初めて導入予定で、日本在住者にはマイナンバーカードの提示が求められる。監視テクノロジーのこのような浸透が五輪を通じてグローバルに展開するところに現代のファシズムの特徴があります。

 クーベルタンが考えていた「平和」とは、弱体化したフランスにイギリスやドイツのような体育教育を導入し、民衆にもスポーツを教えて軍隊を再建し、欧州にバランスを回復することでした。日本国憲法が理想としている第二次大戦後の世界平和とはまったく意味が違います。

 安倍さんはあわよくば五輪を使って改憲まで持っていくつもりだったと思います。福島のことを忘れさせ、開催予算を自民党の支持基盤に流し、祝祭の勢いで改憲まで持っていく。このシナリオはコロナによって崩れましたが、五輪の歴史の中でも最悪の政治利用計画の一つでしょう。

最後は、次のように締めくくられている。まったく同感である。

 黙っていたら「わきまえている国民」にされてしまいます。さまざまな表現方法を工夫して異論を発し続けることが大事です。

なお、以下の重要な指摘もある。

 次の五輪開催地は来年冬季大会が予定される北京ですが、北京は欧米諸国のボイコットの可能性もありIOCは大変警戒しています。東京、北京とも開催できないのは避けたいでしょうから、IOCは東京開催に固執するでしょう。私の見通しでは、ぎりぎりまで開催強行を狙うでしょう。
 しかし、森発言以来、ボランティアの辞退が増えています。今後は選手たちから抗議の声が上がることが、主催者側には最も手痛いはずです。

明確に「東京五輪を中止せよ」と声をあげたい。さらに、中国の人権政策に変化ない限りは、「北京冬季五輪も中止を」とも。

中国「核心的利益」論の理不尽。

(2021年2月13日)
「森喜朗・川淵三郎」迷走劇の根は深く、あぶり出されたものは女性差別問題だけではない。我々の社会が抱える構造的な病理を照らし出した貴重な経過から学ぶべきことは多い。わけても、「沈黙は理不尽への同意であり加担ともなる」ことを胸に刻みつつ、「声を上げれば状況を変えられる」ことに希望をつなぎたい。

沈黙してはならない理不尽は世に満ちているが、今や強大国となった中国の「核心的利益」論を批判しなければならない。自国が「核心的利益」と名付けた数々を絶対に譲れないとするその姿勢の頑迷と傲慢の危険についての批判である。

自国の主張を絶対に譲らないという中国の頑なさは、戦前の天皇制日本を彷彿とさせる。天皇の神聖性や、天皇の神聖性の上に成り立つ「國體」は、指一本触れてはならない不可侵の「核心的利益」とされた。のみならず、「満蒙は日本の生命線」も「絶対的国防線」も「核心的利益を譲らない」とする同様の批判拒否体質の姿勢の表れである。

印象に新しいのは、昨年(2020年)「断固として、国家安全法を立法し香港に適用する」と言い出した当時、併せて中国が香港の民主化運動を支援する国際勢力に対して、「香港は中国の核心的利益、必ず守らなくてはならない重要な原則だ」「外部からの干渉は許さない」と牽制したことである。孤立した香港の民主化運動に、中国と対峙する実力はなく、いま野蛮な中国の実力が香港の民主主義を蹂躙している。

香港の民衆にとっての自由と民主主義は、それこそ彼らの「核心的利益」ではないか。香港にとどまらない。台湾の自立も、新疆ウイグル人の人権も、チベットの独立も、それぞれの民衆の「核心的利益」である。なにゆえ、中国がこれを毀損する名分を主張できるというのだろうか。ここにあるのは、強大国の野蛮な実力の誇示に過ぎない。

「領土と主権に関わる核心的利益」という呪文を絶対とし万能とする主張の愚かさが省みられねばならない。「利益」は、常に具体的な誰かのものである。国家の利益とは、実は「国家を僭称する誰か」の利益であると考えざるを得ない。国家の中の被支配階級、被征服民族、被抑圧階層の利益は僭称されている。のみならず、「中国の核心的利益」は、香港の利益ではありえない。核心的利益の主体から、台湾も除かねばならない。チベットも、新疆ウイグル自治区も、東トルキスタンも除いた「中国」とは、「国家」という名に値するものだろうか。

中国は、「核心的利益」の外延を拡大してきている。「国家主権と領土保全(国家主権和領土完整)」だけでなく、「国家の基本制度と安全の維持(維護基本制度和国家安全)」「経済社会の持続的で安定した発展(経済社会的持続穏定発展)」などという曖昧な概念も持ちだしている。結局は、中国全土の人民の利益ではなく、中国共産党とその支持勢力の利益をいうものと理解するほかはない。

また、「核心的利益」が国家のものであったとしても、それゆえに人権に優越する価値たりうるものではない。中国の「核心的利益」論は、人権の価値を顧みることのない、超国家主義以外の何者でもない。文明が到達した普遍的価値を蹂躙して恥じない、野蛮の主張と評するしかない。

この問題に関して、「声を上げれば状況を変えられる」望みは乏しい。それでも、「沈黙は理不尽への同意であり加担ともなる」ことを胸に刻みつつ、決して沈黙はしないことを決意したいと思う。中国に対してだけでなく、超大国アメリカにも、そして当然のことながら、日本の権力にも。

「救援新聞・みんなのひろば欄」に見る、《裁判のIT化反対》の声。

(2021年2月12日)
「日本国民救援会」の機関紙『救援新聞』は旬刊である。毎月、5日・15日・25日付の各号が発行され郵送されてくる。最新の2月15日号が届いた。通算で1975号になる。その持続性に脱帽するしかない。

もちろん記事の中心は、救援会本来の活動分野である冤罪被害者救援や、冤罪を生む土壌となっている権力の横暴を抑止する運動についてのもの。だが、原発訴訟や労働訴訟などにも目配りを怠らない。改憲や悪法制定への警戒を呼び掛ける記事も充実している。

2月15日号の一面は、「『もの言う』自由守ろう」「警察庁の尋問実現を(岐阜地裁)」と見出しを打った、大垣警察市民監視違憲訴訟の報告記事。

 岐阜県で風力発電建設をめぐり勉強会を開いた住民2人と、勉強会と無関係の市民2人の個人情報を警察が収集し、企業に提供していた事件。4人は監視等は違憲として警察(国と県)を相手に国家賠償請求と情報の抹消請求を求めています。
 1月27日におこなわれた進行協議で原告側が求めている警備公安警察官らの証人尋問がおおよそ決まりました。次回の口頭弁論で正式決定されます。

 本文では、大垣警察署の警備課長ら2名に岐阜県警警備部の1名を加えた計3名の警察官の証人採用と日程がほぼ決まった。しかし、原告側は真相を究明するためには、さらに警察庁警備局長の尋問が必要としてその採用を求めているという。予てから注目されていた国家賠償訴訟だが、いよいよ山場なのだ。

特にお伝えしたいのは、毎号読者の投稿を掲載している「みんなのひろば」欄。今号には10名の「お便り」があるが、《裁判のIT化》に触れているのが冒頭の3通。

愛知・古谷延男

 裁判のIT化がおこなわれようとしているそうですが、容認できません。法廷での口頭弁論を開かずに。「ウェブ会議」で代替するとなると、裁判は形骸化し事務的となると思います。真実は人間と人間との直接の対話と傍聴者がいてこそ明らかにされます。その関係を阻害する法律には賛成できません。

   *   *

北海道・宮越栄

 民事裁判手続のIT化が法制審議会で見直し議論が進められているとのこと。それは、過去国民救援会などが中心にたたかってきた様々な裁判闘争を嫌う権力が法廷外での国民の支援闘争を押さえるためのもの以外考えられません。一般人には全く知らされておらず、救援新聞の果たす役割は大きいです。

   *   *

東京・佐々木治代

 「民事裁判手続きのIT化」の記事を続んで。口頭弁論をウェブ会議で代替して実施できるよう検討しているということですが、裁判の中身を見えなく化していくことに通じると思います。デジタル庁はその実施のための布石なのでしょうか。

まったく同感である。訴訟とは、単に紛争処理の手続ではない。政治的・経済的・社会的強者の理不尽を糺して、弱者を泣き寝入りから救済する場なのだ。その本来役割を果たすためには、裁判官は当事者の悩みの深刻さに共感できなくてはならない。法廷で間近な距離で、全身全霊をもって必死に訴える者の肉声に耳を傾けなくてはならない。デジタルやOn-lineではなく、生身の声をきけ。記号となった陳述書の文字で足りると考えてはならない。民事裁判手続のIT化反対の的確さは、国民救援会ならではのものであろう。

「国を愛する心を養うべき日」に、「国を愛する心」の危険を訴える。

(2021年2月11日)
光の春のううらかな日和。ときおり吹く風にも冷たさはない。空は青く、梅が開き、寒桜も目にこころよい。ところが、えっ交番に「日の丸」? 警察署にも消防署にも「日の丸」である。あの、右翼や暴力団とお似合いの、白地に赤い丸の旗。都バスにも「日の丸」の小旗が何とも不粋。さすがに民家に「日の丸」は一本も見なかったが、上野の料亭「伊豆栄・本店」には、この不快なデザインの旗が掲げられていた。

本日は、「建国記念の日」とされている日。祝日法では、「建国をしのび、国を愛する心を養う」べき日という位置づけ。しかし、私には「建国をしのぶ」気持も、「国を愛する心」も持ち合わせていない。愛国心の押し売りはまっぴらご免だし、愛国心を安売りする人物は軽蔑に値すると信じて疑わない。だから、本日を祝うべき日とする気分はさらさらにない。

時折、「浅薄な愛国心」を排撃して、「真の愛国者の言動ではない」などと批判する言説にお目にかかる。が、私は、「真」でも「偽」でも、愛国や愛国心を価値あるものとは認めない。実は、「真の愛国心」「本当の愛国者」ほど厄介なものはないのだ。

もちろん必要悪としての「国家」の存在は容認せざるを得ない。しかし、その国家は愛すべき対象ではなく、厳格に管理すべき警戒の対象と考えなければならない。

組織としての国家ではなく、国家を形成する「国民」もまた、個人にとって愛すべき対象ではない。個人は、常に「国家を形成する集団としての国民」の圧力との対峙を余儀なくされ、ときにはその強大な同調圧力と闘わねばならない。「愛国心とは日本の国民を愛すること」なら、愛国心は、個人の主体性を奪う邪悪なものにほかならない。

愛国心とは我が国の風土や歴史や伝統を愛すること、とも説かれる。そのような心情をもっている人、もちたい人がいることは当然だろう。そのパーセンテージがどうであっても、さしたる問題ではない。問題は、価値的に「愛国」「愛国心」が説かれることだ。

「愛国心」を美徳とするイデオロギーが諸悪の根源である。美徳であるからとして「愛国心強制」を当然とする圧力が、個人の人格の尊厳を侵し、思想・良心の自由を侵害する。このような、愛国心をダシにした強権の発動は、実は他の奸悪な意図をもってのことである。

ところで、周知のとおり、本日2月11日は旧紀元節。天皇制イデオロギーによって、何の根拠もなく初代天皇の就位があったとされた日。日本書紀における〈辛酉年春正月庚辰朔,天皇即帝位於橿原宮〉という記述だけに基づいて、2700年以前もの太古に、天皇の治世が始まり、これが万世一系連綿と続いているという神話の小道具の一つとされた。

強行された事実上の紀元節復活のこの日、つまりは天皇制始まりの日との象徴的な意味をもつこの日が、「建国をしのび」だけでなく、「国を愛する心を養う」とされていることに注目せざるを得ない。つまり、愛国心が、天皇制国家と連動しているのだ。

明治の初めに小川為治『開化問答』という書物が刊行されている。その中に、旧平という名で庶民の立場から、紀元節や「日の丸」についての率直な見解が示されていて、興味深い。

「改暦以来は五節句・盆などという大切なる物日を廃し、天長節・紀元節などというわけもわからぬ日を祝う事でござる。4月8日はお釈迦さまの誕生日、盆の16日は地獄のふたの開く日というは、犬打つ童も知りております。紀元節や天長節の由来は、この旧平のごとき牛鍋を食う老爺というも知りません。かかる世間の人の心にもなき日を祝せんとて、政府より強いて赤丸を売る看板のごとき幟や提灯を出さするは、なおなお聞こえぬ理屈でござる。元来、祝日は世間の人の祝う料簡が寄り合いて祝う日なれば、世間の人の祝う料簡もなき日を強いて祝わしむるは最も無理なる事と心得ます。」(梅田正己・「明治維新の歴史」より)

ここに、「赤丸を売る看板のごとき幟」とあるは、「日の丸」のことである。こんなものの強制は「なおなお聞こえぬ理屈」と、理不尽を述べている。

それだけでなく。「紀元節や天長節」について、「元来、祝日は世間の人の祝う料簡が寄り合いて祝う日なれば、世間の人の祝う料簡もなき日を強いて祝わしむるは最も無理なる事と心得ます」とは、まことに至言である。

「天皇制と関連付けられた愛国心」ほど、恐ろしいものはない。今日「建国記念の日」は、そのことをじっくりと考えるべき日である。

情けなや。【不適】マーク刻印の森下俊三を経営委員再任 ー これが我が国の「民主主義」。

(2021年2月10日)
公共放送NHKは日本最大のメディアであって、そのありかたは国民の「知る権利」に計り知れない影響力をもつ。ということは、健全なNHKは日本の民主主義を支え、堕落したNHKは民主主義を貶める。そのNHKの最高意思決定機関はNHK会長でも理事でもなく、経営委員会である。経営委員12人の職責は、重大である。

経営委員会自身が、「NHKには、経営に関する基本方針、内部統制に関する体制の整備をはじめ、毎年度の予算・事業計画、番組編集の基本計画などを決定し、役員の職務の執行を監督する機関として、経営委員会が設置されています。」と述べている。

各経営委員は、衆参両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命する。NHK会長は、経営委員会によって任命される。経営委員会は、会長に対する監督権限も罷免の権限も握っているのだ。その経営委員会委員長の任にあるのが、森下俊三である。総務省や官邸におもねってNHKの良心的な番組制作潰しに狂奔し、現場をかばおうとしたNHK会長を脅したとんでもない人物。

誰が見ても、ジャーナリズムの何たるかも、公共放送のありかたも分からない、経営委員不適格者。このとんでもない人物が罷免されないばかりか、首相も国会も続投させるという。まさしく、日本の民主主義の愚かさを物語っている。

昨日(2月9日)の衆院本会議は、NHK経営委員会人事を議事に上程し、この明らかな不適格者である森下俊三の経営委員再任を賛成多数で可決した。立憲民主・共産・国民民主の野党3党は反対したが、多勢に無勢で再任を阻止することはできなかった。

そして本日、まことに情けなくも、参院本会議においても、数の暴力が正論を押しのけた。額にくっきりと【不適】のマークが刻印されている森下俊三が、経営委員として再任された。経営委員長職は互選だが、事情通の語るところでは、この委員不適格者が経営委員長になるという。

ことは、公共放送の人事である。政争の具とせずに、全会一致が望ましいところである。同時にはかられた森下以外の他の3名の候補者は全会一致だった。この菅内閣と与党の、NHK支配に固執する強引さは恐ろしさを感じさせる。

あの安倍政権時代には、NHK経営委員として百田尚樹や長谷川三千子などの真正右翼が送り込まれた。これに対する、市民運動やNHK内部からの激しい抵抗がつづいた。その安倍が退陣した今もなお、菅義偉政権によるNHK支配が継続していることを嘆かざるを得ない。

なお、毎日新聞は、森下俊三を次のように、紹介している。また、「森下俊三氏をNHK経営委員に再任しないよう求める各界有志」の通知と、森下再任に明確に反対した朝日・毎日新聞の社説を引用しておく。

 森下氏は委員長代行時代の2018年、かんぽ生命保険の不正販売を報じたNHK番組を巡り、日本郵政グループの抗議に同調して番組を批判し、当時の会長への厳重注意を主導。放送法が禁じる委員の番組介入の疑いが強い行為をした。注意の際の経営委議事録についても、NHKの情報公開の審議委による全面開示の答申などを実質的に尊重せず、概要しか公開していない。こうした問題を理由に、立憲民主、共産、国民民主党は、森下氏の再任に反対した

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2021年2月8日
NHK経営委員 各位

森下俊三氏をNHK経営委員に再任しないよう求める
アピール文ほかをお送りします

森下俊三氏をNHK経営委員に再任しないよう求める各界有志
(名簿は同封別紙)

皆様におかれましては、NHK経営委員会委員として重責を担われ、ご多用のことと存じます。
森下俊三氏の経営委員としての任期が今月末で満了するのを受けて、私たちは同封のようなアピール文、「日本郵政がNHKに圧力を加えるのに加担し、放送法に違反した森下俊三氏が、NHK経営委員に再任されることに断固反対します!」をまとめ、アピールへの賛同者名簿と賛同者から寄せられたメッセージを添えて、1月29日に各党党首ならびに衆参総務委員会委員全員宛てに郵送しました。

つきましては、これら3点の文書を経営委員各位にもお送りいたします。

今朝(2月8日)の『朝日新聞』1面記事によれば、「NHK個人情報保護・情報公開審議委員会」は、かんぽ問題を巡る経営委員会議事録の要約のみの開示は認められない、全面開示すべきという答申を出しました。これを受けて貴委員会は明日2月9日に開催される経営委員会で、この問題に関する対応を協議されるものと思われます。
その際には、私たち有志の意見を、前もってぜひ一読いただくようお願いします。そのうえで、かんぽ問題をめぐって失墜した貴委員会の信頼回復のための最後の機会というべき明日の会合において、
(1)貴委員会が犯した数々の放送法違反を真摯に反省されること、
(2)放送法に違反する経営委員会の個別番組への干渉と続編放送の妨害、議事録の公開拒否を主導した森下経営委員長の責任を明確にされること、
(3)上田良一氏を厳重注意した議論の経緯が分かる経営委員会議事録の全面開示を決定すること、
を強く求めます。

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(朝日社説・2月7日)

「NHK経営委 委員長再任に反対する」

 ガバナンスが機能せず正論を平然と握りつぶす体制を、この先も続けるつもりなのか。公共放送への不信を深める人事を、認めるわけにはいかない。
政府は先月、NHKの森下俊三経営委員長(元NTT西日本社長)を委員に再任する案を国会に提示した。衆参両院で同意が得られれば、委員12人の互選によって再び委員長職に就く可能性が大きい。
だが森下氏がNHKの事業運営をチェックする経営委員、ましてやそのトップにふさわしくないのは、この間の言動から明らかだ。国会は与野党の立場を超え、国民が納得できる結論を導き出さなければならない。

経営委では近年、看過できない出来事が相次いでいる。
かんぽ生命保険の不正販売に切り込んだNHKの番組をめぐり、日本郵政が18年に苦情を申し立てた際、経営委はこれを受け入れ、当時の上田良一会長を厳重注意とした。郵政幹部と面会した後、制作手法を批判し、処分に至る流れをリードしたのは、委員長代行だった森下氏とされる。放送法が禁じる個別番組の編集への干渉が、公然と行われたと見るべきだ。
それだけではない。19年に委員長に昇格した森下氏の下、経営委はこの時の議事録の公開を拒んだ。NHK自身が設ける第三者機関が昨年5月、事案の重要性に鑑み全面開示すべきだと答申したが、それでも応じないため、第三者機関は4日付で改めて同旨の答申を出した。
放送法違反が疑われる行いで現場に圧力をかけ、さらには視聴者の知る権利も踏みにじる。その中心にいるのが森下氏だ。放送法が経営委員の資格として定める「公共の福祉に関し公正な判断をすることができる者」にあたるとは、到底思えない。

政府の対応もおかしい。
新年度のNHK予算案に付けて国会に提出した意見で、武田良太総務相は経営委の議事録にも触れ、「情報公開を一層推進することにより、運営の透明性の向上を図り、自ら説明責任を適切に果たしていくこと」をNHKに求めた。森下氏の再任案はこの要請と矛盾する。

経営委をめぐっては、委員の選出過程の不透明さに加え、運営や判断に過ちがあってもそれを正す方法が限られることが、かねて問題になってきた。外部からの不当な介入を防ぎ、NHKの独立性と自律性を守るために設けた仕組みやルールが、本来の趣旨に反して今回のような暴走の素地になっている。
今回の問題を、経営委の組織や人事はどうあるべきか、社会全体で再考する機会とする必要がある。NHKの存立の根幹に関わる重要なテーマだ。

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(毎日社説・2月9日)

「NHK経営委員長人事 再任では公共性守れない」

 これでは公共放送への不信感は増すばかりだ。
今月末に任期切れを迎えるNHKの森下俊三経営委員長を、委員に再任する人事案を政府が国会に提示した。
衆参両院で同意が得られれば、委員の互選の結果、再び委員長に就任する可能性が高い。しかし、その資質には大いに問題がある。

かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組を巡り、NHK経営委員会は当時の上田良一会長を厳重注意した。日本郵政グループからの抗議に、当時委員長代行だった森下氏らが同調した。
ガバナンス不足が理由とされたが、森下氏は「本当は、郵政側が納得していないのは取材内容だ」と上田氏を前に発言していた。
放送法はNHKの最高意思決定機関である経営委が個別の番組に介入することを禁じている。制作手法などを批判する発言は番組への事実上の介入にあたり、放送法に抵触する恐れがある。
続編の放送は一旦、延期され、番組による不正販売被害の告発が妨げられた。ジャーナリズムの責務を理解しているか疑わしい。
森下氏はさらに、厳重注意に関係する議事録の公開に応じていない。NHKが設置している第三者機関である情報公開・個人情報保護審議委員会が全面開示すべきだと答申したにもかかわらず、切り貼りした公表済み文書を出しただけで済ませた。
業務の透明性の確保、視聴者への説明責任をないがしろにする行為は目にあまる。
武田良太総務相はNHK予算案に付けて国会に出した意見で、情報公開を推進し、運営の透明性の向上を図ることを求めている。
それに照らし合わせても、適任の人事案と言えるのだろうか。

NHKは来年度からの次期経営計画で、業務のスリム化を打ち出した。ラジオや衛星波のチャンネル統合の方針は、サービス低下が懸念される。視聴者の方を向いた改革になるか、公共放送のあり方が問われる正念場だ。
放送法は経営委員の資質として、「公共の福祉に関し公正な判断」ができることを挙げている。公正さが疑われる森下氏の再任は信頼回復の取り組みに逆行する。

沈黙による共犯者となってはいけない。ー 本郷三丁目交差点で

(2021年2月9日)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、ご近所のみなさま。私が最後のスピーチを担当いたします。コロナ風吹く中のお騒がせですが、もう5分と少々の時間、耳をお貸しいただくようお願いします。

森喜朗という、昔首相だった化石のような人の東京五輪の組織委員会会長としての女性蔑視発言が話題となっています。この人の発言の不適切なことは、誰にも分かり易いところですが、今大きな問題とされているのは、この人がJOCの評議員会で発言していたとき、誰もこの発言を問題視せず、むしろ男性会員からの笑い声さえ漏れていたと報じられていることです。

森喜朗のあからさまな女性蔑視発言を批判する人が一人もいなかったということは、評議員会参加者が、その沈黙によって差別を肯定し賛同し加担したということにほかなりません。外部からそのように見られるというだけではなく、そのような方針で組織が動いていくことになるのです。評議員会出席者一人ひとりの責任は、まことに重大と言わねばなりません。

このことは、私たち一人ひとりに問題を投げかけています。時として沈黙は、権力者や社会的強者の大きな声に賛同したことになるということです。女性差別、民族差別、宗教差別、思想差別、家柄による差別、職業や収入による差別…、あらゆる差別を許してはなりません。許してはならないということは、差別を傍観してはならず、明確に反対だということを表明しなければならないということです。

かつて、日本は暴走して侵略戦争の過ちを犯し、外には2000万人、内には310万人もの犠牲者を出しました。その重大な責任はどこにあるのか。もちろん、誰よりも天皇がその責任を負うべきで、次いで天皇を操り人形として戦争遂行に利用した軍部や政治家やメディアの責任を曖昧にしてはなりません。しかし、多くの国民の加担なしには戦争はできません。自分は決して戦争に賛成ではなかったというのが、大多数の国民のホンネであったと思います。しかし、戦争に反対と声をあげたのは一握りの人々に過ぎませんでした。大多数の人々は、沈黙することで、戦争に賛成し、侵略に加担したのです。

東京オリパラや、原発政策は、聖戦完遂に似ているように思えてなりません。きちんと反対の意思表示をせず、沈黙していることは、結局のところ、政府の政策に賛成とみなされてしまうのです。いま、「森喜朗発言を許さない」「あらゆる差別に反対する」と、一人ひとりが声をあげることが大切だと思うのです。

さらに別の角度からも問題が指摘されています。森喜朗の女性蔑視発言を批判する世論に抗して、政権や与党から、森擁護の声が上がっていることです。

圧倒的な世論が「こんな発言をする人物は、組織委員会会長として不適任」「森さんは辞任すべきだ」「東京オリンピックもやめた方がよい」となっています。この世論に抵抗するように、多くの政治家や保守の言論人が、こう言っています。

「森発言は不適切ではあったが、既に本人は反省し謝罪し発言を撤回しているではないか」「いまは、批判しているときではない。オリンピックをどうしたら成功に導くことができるのか、皆で知恵を出すべきだ」

その代表が、菅義首相、萩生田文科大臣、二階自民党幹事長、などの面々。そして肝心のIOC自身が、これに同調するようないいかげんな姿勢なのです。果たして、これでよいのでしょうか。

JOCだけではなくIOCも、このようにいいかげんで、清潔さを欠いた組織であることが明らかになってきました。私たちは、黙っていることはできません。いま沈黙をすることは、森発言を許す、菅・萩生田・二階・JOC・IOC発言に賛同したことになってしまいます。何らかのかたちで、声をあげようではありませんか。

「私は、女性蔑視を許さない」「性差別だけでなく、あらゆる差別に反対する」「差別発言の責任を明確にして、森喜朗は組織委員会会長の職を辞任せよ」「森喜朗が辞職しないのであれば、組織委員会は解任せよ」「政府や与党は、森を擁護するな」「差別者が推進する東京オリパラを返上せよ」

天皇と神の国の「東京五倫」であることを、よく弁えていただきたい。

(2021年2月8日)
私が、モリ・ヨシロウ。東京五倫の組織委員会会長だ。えっ? 「五倫」とはなんだって? 大切な五倫を知らんのか? それは、少し無知。

教育勅語は知ってるだろう。それさえ知っておればよい。神の国の天皇である明治大帝が、日本の臣民に賜った永遠不滅にして普遍的な、有難くも貴い教訓だ。どうして有難いかって? つまらぬ質問をするんじゃない。天皇の教えだから、有難くて貴いに決まっている。

勅語自身が、「この道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のともに遵守すべきところ。これを古今に通じて誤らず、これを内外に施して悖らず」と、こう語っている。つまり、勅語に書いてあることは絶対に間違いがない。時代を超え、国を超えて、普遍的な真理ということだ。

その真理を文字にした勅語の中に、こういう有難い一節がある。
「なんじ臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、…一旦緩急あれば義勇公に奉…ずべし」。これが、五倫だ。

元号もそうだが、悔しいけれどもこの辺りは全て漢籍からの借り物だ。もともとの五倫は『孟子』に由来する。
「君臣の義,父子の親,夫婦の別,長幼の序,朋友の信」この五つが、儒教で説かれる、それぞれの立場での処世の徳目。

問題は、「夫婦の別」だ。「別」とは、「夫には外における夫のつとめ、妻には内における妻のつとめがあって、それぞれその本分を乱さないこと。」(『新釈漢文大系』)と説かれる。勅語では「夫婦別あり」を、少しやんわりと「夫婦相和し」としているが、同じことだ。当時もそう教えられている。

さらに、「礼記」には、人の踏み行なうべき道として、五倫を敷衍した十箇条の「十義」というものがある。「父の慈、子の孝、兄の良、弟の悌、夫の義、婦の聴、長の恵、幼の順、君の仁、臣の忠」だ。婦人の徳としての「聴」とは、「夫の言うことをよく聴いてしたがう」こととされる。

「婦」とは、妻でもあり女性でもある。夫に、あるいは男性に従順であることこそが、永遠不滅にして普遍的な女性の美徳なのだ。それを男尊女卑というなら、我が国の歴史や習俗はまさしく、男尊女卑だ。それで何の不都合があろうか。

だから、もうよくお分かりだろう。会議では女性は、もっぱら「聴」に徹しておくべきなのだ。発言や質問を控えて、決まったことには素直に従う。これが、万古不易の婦徳ではないか。

えっ、キミたち、なんとなく不満そうな表情じゃないか。これが封建道徳の押しつけであるとでも思っているのかね。だとすれば、戦後教育嘆かわしや、というほかはない。

もしかして、キミたち。「『教育勅語』は全てが間違っている」なんて、思っているんじゃないだろうね。そうだとしたら、それこそがたいへんな間違いだ。神の国の陛下の言に間違いがあろうはずはないじゃないか。

だから私は、首相在任中に教育改革を説いて、教育勅語の一部復活を提案したんだ。この国が天皇の国であり神の国なんだから、教育勅語の復活は当然だろう。これに反対する偏向した一部の国民やマスコミの気が知れない。

オリンピックは世界の祭典だが、開催地は我が国の東京だ。わが国固有の歴史や伝統や風習を主張することを遠慮してはならない。何よりも神と天皇が宣らせたもうた男女の別については、人倫の大本として世界に発信しなければならない。キミたちも、天皇と神の国の「東京五倫」であることを、よく弁えていただきたい。

竹田恒泰のスラップ完敗判決から学ぶべきこと

(2021年2月7日)
一昨日(2月5日)、東京地裁民事1部(前沢達朗裁判長)が、典型的なスラップ訴訟に請求棄却の判決を言い渡した。スラップ提起の原告を断罪した判決と言って過言でない。

このスラップを仕掛けた原告が竹田恒泰という「人権侵害常習犯の差別主義者」。訴えられたのは山崎雅弘(戦史・紛争研究家)。状況から見て、竹田は山崎のツィートによる言論を嫌忌し本気で抑え込もうとした。弁護士を通じて、提訴を脅しにツイートの削除を要求したが山崎は毅然としてこの要求を撥ねつけた。勢いの赴くところ竹田は提訴を余儀なくされ、法廷では負けるべくして負けたのだ。

竹田恒泰は提訴時にこの訴訟を勝てる見込みのないことを知っていたはずである。それでも敢えて提訴したのは、仮に敗訴したとしても、山崎に応訴の負担を掛けさせることによって、今後の竹田批判の言論を牽制することが可能になると考えたのだろう。また、山崎以外の他の言論人に対して、「同種の竹田批判の言論には損害賠償請求の提訴をするぞ」という恫喝を意図したものでもある。

竹田恒泰による山崎雅弘に対するスラップ提訴の真の被害者は、表現の自由そのものなのである。だからこそ、内田樹を筆頭とする多くの人々が、彼らもスラップ予告の恫喝を受けながらも、(あるいは恫喝を受けたが故に)山崎雅弘支援に立ち上がっている。

竹田恒泰が嫌った山崎のツィートとは、「朝日町教育委員会か竹田恒泰を講演に招聘したことを批判」するものである。私(澤藤)は今回初めて知ったが、竹田恒泰のごときヘイトにまみれた言論人の講演を子どもたちに聴かせようという教育委員会が、この世に現実に存在するのだ。「差別や偏見、いじめはいけません」と子どもたちに教える責任を負う教育委員会が、差別やいじめの常習者を、税金で謝礼を払う行事に登壇させているのだ。山崎雅弘のツィートは、「許される」というレベルではない。適切な批判として、称賛に値すると言わねばならない。

名誉毀損の根拠となったツィートは、18年11月富山県朝日町で地元中高生らに講演する予定だった竹田恒泰について、山崎が「教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯」などと批判した5件。思いがけなくも主催者の同町教育委員会に妨害予告の電話があり、講演会は中止となった。その後、竹田の代理人弁護士から、山崎に下記のツィートの抹消と500万円の慰謝料請求がなされた。請求拒否には、民事訴訟だけでなく、刑事告訴まで予告されていた。
そのツィートをまずお読みいただきたい。

「竹田恒泰という人物が普段どんなことを書いているか、ツイッターを見ればすぐ確認できる。それでもこの人物を招いて、町内の中・高校生に自国優越思想の妄想を植え付ける講演をさせる富山県朝日町の教育委員会に、教育に携わる資格はないだろう。社会の壊れ方がとにかく酷い。(2019年11月8日)」

「竹田恒泰という人物が過去に書いたツイートを4つほど紹介するだけでも、この人物が教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者だとすぐわかる。富山県朝日町の教育委員会が、何も知らずに彼をわざわざ東京から招聘するわけがない。つまり今は教育委員会にも差別主義者がいる可能性が高い。(同日)」

「(教育行政が音を立てて崩れている。
twitter.com/20191001start/…)
これも問題ですね。大阪市教育委員会の後援ということは、竹田恒泰氏の日頃の発言内容を「問題だ」と思わない、民族差別や国籍差別、男女差別に鈍感/無感覚な人間が、大阪市教育委員会という公的組織の内部の要職にいることを意味します。(2019年11月9日)」

「今回の件が問題なのは、本来なら「差別や偏見、いじめはいけません」と子どもに教える責任を負う教育委員会という公的機関が、特定国やその出身者に対する差別やいじめの常習者である竹田恒泰氏を、税金で謝礼を払う行事に登壇させることです。差別やいじめを是認することになります。(同日)」

これを一読しての感想で、憲法感覚や言語感覚、あるいは民主主義的感性の成熟度が試される。この山崎の言論に、「いったいどこに問題があるというのか」「これを違法というなら、表現の自由はなくなる」「山崎が表現の自由市場に投じた一言論ではないか。竹田に異議があれば反論すればよいだけのこと」「これを違法として抹消せよというのは表現の自由への挑戦ではないか」と反応あれば健全なものだ。

「もしかしたらこれ違法?」「言いすぎじゃない?」と、少しでも懸念を感じる人は、民主主義社会の主権者としてあまりに臆病な自らの姿勢を反省していただかねばならない。言論の自由市場における率直で活発な意見の交換によって、われわれの社会は、大きな誤りから免れ、遅々としてでも進歩できるのだ。

訴訟では、竹田側は山崎ツィートを、「誹謗中傷し、人格攻撃を繰り返し、侮辱する行為だ」と主張したそうだが、まったくの無理筋。これは「独自の主張」として一蹴されるしかない。

今回の判決は、「竹田氏の思想を『自国優越思想』と論評することは、公正な論評で論評の域を逸脱するものとはいえない」として、竹田氏の請求を棄却した。

また判決は「竹田氏が元従軍慰安婦に攻撃的・侮辱的な発言を繰り返し、在日韓国人・朝鮮人を排除する発言を繰り返していることに照らせば、発言を人権侵害の点で捉える相応の根拠がある」と指摘。投稿が社会的評価を低下させるものであっても「一定の批判は甘受すべきた」として、名誉侵害には当たらないと判断したとも報じられている。

幾つかの感想がある。何よりも、このスラップの提訴と判決は、地方教育行政と右翼言論人との親密な結びつきを露わにした。竹田にしてみれば、影響力の源泉としても収入源としても、重要なものであったろう。これは完全に断ち切らなければならない。「差別言論を常套とする者は公教育から切り離さなくてはならない」「違法なヘイト講演による差別意識を生徒に注入してはならない」という良識をもって、右翼言論人の跳梁を許さない世論の形成が重要である。この点、山崎ツィートに学びたい。

報じられていることを前提としての判断だが、竹田恒泰のスラップは提訴自体が明らかに違法である。スラップを違法とする要件は、DHCスラップ「反撃」訴訟における東京地裁民事1部の前沢達朗判決(2019年10月4日)が、次のように定式化している。

「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについての提訴も、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が違法行為になる」
これを、控訴審の東京高裁第5民事部判決も踏襲し、「通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる」根拠を詳細に判示している。
表現の自由擁護のためには、竹田恒泰のスラップ提訴を違法とする損害賠償請求の「反撃」訴訟の提起(控訴があれば控訴審での反訴、控訴なく確定すれば別訴で)があってしかるべきではないか。

「山崎雅弘さんの裁判を支援する会」が結成され、表現の自由を大切に思う多くの人々が結集してこの訴訟を支えている。その代表が内田樹氏である。敬意を表するとともに、反スラップの運動の広がりを心強く思う。
https://yamazakisanwosien.wixsite.com/mysite

森喜朗よ、男として頑張れ。ラガー根性を見せろ。会長の地位にしがみつけ。あなたこそ、東京オリンピックの顔にふさわしい。

(2021年2月6日)
森喜朗よ、あなたは早稲田のラグビー部推薦入学者だというではないか。ラグビーこそは男のスポーツだ。あなたこそ、男の中の男。あなたの男としての精神は、ラグビーで培い、ラグビーで磨き上げたもの。あなたの女性蔑視発言は、スポーツで鍛えたあなたの精神を多くの人々が誤解しているだけだ。自信をもって、今の地位にしがみつけ。

森喜朗よ、今をまさにラグビーの試合中と思え。つかんだボールをしっかりと持って走るのだ。多くのタックルをものともせずにトライを目指す。このことに、一筋の迷いもあってはならない。

森喜朗よ、あなたは男だ。東京五輪組織委員会会長職をいったん引き受けた上は、弱音を吐いて逃げ出したりはしない。途中で職を投げ出して、敵に後ろを見せるのは男の恥だ。毛ほども女々しさを見せてはならない。

森喜朗よ、ものには釣り合いというものがある。富士には月見草がよく似合う。鳩にはオリーブの葉。靖国には軍服姿の進軍ラッパ。そして東京五輪には、誰よりもあなたがよく似合うのだ。かつては、ウソとゴマカシと政治の私物化を象徴していた安倍晋三が東京五輪に最も似合う男だった。その安倍が跡を濁しながら退陣した今、森喜朗よ、あなたこそが東京五輪とピッタリのイメージだ。とうてい余人をもって換えがたい。

本日の毎日新聞朝刊社会面のトップには、無責任な「都内100人調査」という次の記事が掲載されている。

 「東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)による女性蔑視発言を人々はどう見ているのか――。毎日新聞が5日、東京都内4カ所で100人に聞いたところ、「森会長は辞任すべきだ」と答えた人は全体の約8割に上った。国際オリンピック委員会(IOC)と政府は森会長の謝罪と発言の撤回をもって「幕引き」としたい考えだが、国民感情との「ズレ」が浮かび上がった。」

正確には、「辞任すべきだ」と「辞任の必要はない」の回答者は、78人対18人だ。森喜朗よ、100人中の18人もあなたの味方がいる。心強い限りではないか。2割に満たない少数派ではあるが、少数者の意見を尊重することこそ、民主主義の本領ではないか。

もっとも、「森会長の言っていることに異論はない」と発言を擁護する人は、100人中のたった一人だけだったそうだが、それがどうした。百万人といえども我行かんの精神を発揮せよ。

 「街頭取材からは、辞任を求める人の多くが、森会長が国際的な祭典における「顔」にふさわしくない、と考えている様子が浮かんだ。」

毎日の記事は、そう締めくくられているが、これは明らかに誤解に基づくものだ。そうではないか、森喜朗よ。「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国であるということを国民のみなさんにしっかりと承知していただく。」というのが、あなたが首相の時代に宣言した真理ではないか。

誰もが知っているとおり、日本の国とは男系男子の天皇の国。女子は男子を立てるところに婦徳を示す。このことをしっかりと承知していただかねばならない。日本で行われるオリンピックでは、日本の歴史や風俗や日本の国柄を尊重していただき、日本の国情にしたがって行われるべきが当然ではないか。天皇の国では、男が中心、日本民族が中心、天皇を戴く神の国であることをしっかりと承知している人が中心で、そのためには森喜朗よ、あなた以外に東京五輪にふさわしい顔はない。

また、オリンピックを、神聖なもの、世界の良識を結集した立派なものと考えていることがおかしい。カネと権力の誇示の舞台でしかないと現実を認識すれば、森喜朗よ、あなたとオリンピックはお似合いなのだ。

森喜朗よ、あなたのこれまでの数々の「失言癖」を指摘し、会長職辞任を求める声が巷に渦巻いている。しかし、あなたは決して「失言」をしているのではない。このことに自信をもたねばならない。あれは全て、あなたの信念の発露なのだ。

森喜朗よ、あなたが辞任を否定したことで、批判の矛先は政府やIOCに向かっている。これは、素晴らしいことではないか。日本の政府も、IOCも、そしてあなたも、どっこいどっこい、カネと国威発揚に汚れた者どおしとして、お似合いなことがみんなの目にはっきりと見えるようになってくる。

森喜朗よ、そのあなたが、「元々、会長職に未練はなく、いったんは辞任する腹を決めた」という報道に落胆した。が、間もなく辞任を翻意したとの報道に安心した。

辞任翻意の理由は、「みんなから慰留されました」「武藤敏郎事務総長らの強い説得で思いとどまった」「いま会長が辞めれば、IOCが心配するし、日本の信用もなくなる。ここは耐えてください、と」

そのとおりだ。森喜朗よ。あなたは、男だ。もとはラグビーの選手じゃないか。国内外からの、女性蔑視発言バッシングに堪えるだけでなく、反撃せよ。記者会見では、とことん、やり合え。「もう、発言は撤回したから文句はないだろう」「もう、謝ったじゃないか」「いったい何度謝ったらいいんだ。」「不可逆的に解決済みのはずだ」「面白おかしく報道するための質問には答えない」とがんばれ。

また、ときには、こうも言うべきではないか。

 「私の発言に、反省すべきところはない」「キミたちは、人の口を封じて言論を弾圧しようとするのか」「この天皇の国では、男性と女性の在り方に区別あって当然なのだ」「男尊女卑、夫唱婦随、女は男を立てる、これが日本の麗しい伝統だ」「世界の人に、日本の国情を理解してもらわねばならない」

森喜朗よ、あなたが語ったとおり、「報道はされていませんが、たくさんの(保守系の)国会議員からも激励され」ているのだ。あきらめるな。今の地位にとどまれ。そして、東京五輪と日本精神の何たるかの両者を、あなたの発言と行動を通じて世に知らしめよ。

アベに昭恵(妻)ありて、スガに正剛(長男)あり。

(2021年2月5日)
菅内閣は、安倍後継を以て任じている。菅義偉は、ウソとゴマカシの安倍政治の大半に官房長官として関わっていたのだから、負の遺産の承継における「後継内閣」の資格はもとより十分である。だが、それにとどまらないようだ。

何よりも、真似をしがたい近親者の公私混同についても、菅は安倍に負けない。アベにおける昭恵(妻)に当たる存在が、スガでは正剛(長男)のごとくである。

菅の長男・菅正剛が、総務省幹部を違法接待していたことを昨日(2月4日)発売の「週刊文春」が記事にして話題となっている。これは、安倍晋三にとって、妻の安倍昭恵が籠池夫妻と関わって森友学園事件を引き起こしたごとく、菅義偉にとっての痛恨事となりかねない。が、本日のメディアの報道は、オリンピックに関連した森喜朗の「女性差別発言」一色となり、スガ長男の総務省高級官僚接待はやや霞んでしまったことが惜しい。

以下、文春On-lineからの抜粋引用である。

総務省の幹部らが、同省が許認可にかかわる衛星放送関連会社(東北新社)に勤める菅義偉首相の長男から、国家公務員倫理法に抵触する違法な接待を繰り返し受けていた疑いがあることが「週刊文春」の取材で分かった。

接待を受けたのは、今夏の総務事務次官就任が確実視されている谷脇康彦総務審議官、吉田眞人総務審議官(国際担当)、衛星放送等の許認可にかかわる情報流通行政局の秋本芳徳局長、その部下で同局官房審議官の湯本博信氏の計4名。昨年の10月から12月にかけてそれぞれが株式会社東北新社の呼びかけに応じ、都内の1人4万円を超す料亭や割烹、寿司屋で接待を受けていた。また、手土産やタクシーチケットを受け取っていた。

コロナ禍のさなかに総務省幹部らはなぜ接待に応じたのか。菅首相は、総務大臣を務め、総務省でアメと鞭の人事を行い、人事に強い影響力を持つとされる。また、東北新社の創業者父子は、過去、菅首相に合計500万円の政治献金を行っているが、その影響はなかったのか。東北新社に勤める長男が行った総務官僚への違法接待について、菅政権が今後どのような対応をするのか、注目される。

さっそく、昨日(2月4日)菅は衆院予算委員会で立憲民主党の黒岩宇洋議員の質問の矢面に立った。菅の釈明はこんなものだった。

「公的立場にない一民間人に関するもの(問題)だ。プライバシーに関わることであり、本来このような場でお答えすべきことではない」「(長男とは)普段ほとんど会っていない。完全に別人格だ。そこはご理解いただきたい」。

おいおい、それはないだろう。「ご理解いただきたい」という言葉は、そっくりお返ししなければならない。責任を追及されているのは一民間人に過ぎない菅正剛ではなく、内閣総理大臣たる菅義偉、あなたご自身なのだよ。内閣総理大臣たるあなたの影響力が、一民間人に過ぎない長男を通じて総務省の官僚に伝播し、公正な行政を曲げて東北新社という民間企業に不当な利益をもたらしているのではないかという疑惑が掛けられている。そのことをしっかりと自覚していただきたい。

行政の廉潔性や、廉潔性に対する国民の信頼に疑惑を生じさせたのは、直接にはあなたの長男だ。しかし、その疑惑はあなたという国政の最高権力者のバックがあればこそのことだ。つまりは、内閣総理大臣たるあなたと、一民間人たるあなたの長男との二人で疑惑を生じさせたのだ。責任の軽重は、もちろん内閣総理大臣たるあなたの方が限りなく重いが、一民間人の長男も、その疑惑に関わる限りは、プライバシー保護に逃げ込むことは許されない。

夫婦も親子も、別人格であることは当然だ。だが、別人格ながらも親密な関係にあることも、第三者から親密な関係と見られることも至極当然なのだ。総務省の官僚の側から見れば、菅義偉と菅正剛という別人格が、極めて親密な関係にあると忖度せざるを得ないのだ。うっかり正剛に不愉快な思いをさせると、義偉の機嫌を損ねて不利益を被ることになりはしまいか。そのように官僚を思わせているのが、スガさん、あなたの不徳の至り、自業自得なのではないか。そうは思わないかね。

黒岩宇洋は菅の答弁に対して「この疑念、疑惑は私人にかけられたものではなくて、菅政権そのものの疑念、疑惑だ」と批判。まったくそのとおりなのだ。

問題は、「実際に行政の廉潔性が傷つけられたか否か」というだけではない。首相の長男による高級官僚の接待があったというだけで、「行政の廉潔性に対する国民の信頼が傷つけられた」ということでもある。首相の不祥事である。徹底して追及しなければならない。

しかも、周知のとおり、昔も今も菅義偉は総務省とのつながりが深い。メディアの取材に、「同省関係者は『首相の息子に誘われたら、断れないだろう』と漏らす」というコメントがあった。さあ、菅義偉よ、この官僚の声をどのように聞く。

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