「毎日」・「憲法9条解釈と集団的自衛権」解説に異議あり
昨日、「毎日」が第9面を全面使って、「憲法9条解釈と集団的自衛権」という解説記事を書いている。「論点整理」とされているが、かなりのボリュームで、詳細な内容となっている。しかし、この記事の姿勢には「異議あり」と言わざるを得ない。戦後史の中で9条の果たした積極的役割に理解がない。集団的自衛権の行使容認が何を狙い、その実現が近隣諸国にどうインパクトを与えるかに言及がない。これまでの政府解釈への理解が浅薄である。なによりも安倍の解釈改憲の姑息な「手口」や、安保法制懇のあり方自体に批判の言が皆無である。けっして「公正」でも「中立」でもない。
もっとも、同じレベルの記事を「産経」や「読売」が書いたところで、目くじら立てるほどのことではない。読み手の、「どうせひどいバイアスがかかっている」という正常な感覚が、記事の内容を較正して、正しく読むことができるからだ。
誰もが右偏向を矯正する眼鏡を掛けてから産経・読売の記事を読む。もちろん、その眼鏡の度の強さは、産経と読売とで異なっていることは当然として…。ところが、「毎日」や「東京」を読むときには、そのような眼鏡はかけない。偏向を矯正する必要がないと思っているのだから。だからこそ、「毎日」や「東京」の記事は丁寧に読みこんで、異議のあるときには声を上げなければならない。
この特集記事。見出しだけを拾ってみよう。
◇憲法9条と戦後日本「国際貢献 自衛隊に限界」「転機は1991年の湾岸戦争」
◇現行解釈何が問題?「『日米同盟に支障』指摘も」
◇安保法制懇と今後の焦点「離島防衛 サイバー対応 課題」
◇曲折重ねた集団的自衛権めぐる政府解釈
記事全体が、以上の見出をつなげた展開と言って大きくは間違っていない。
「戦後日本の歴史において、憲法9条は積極的に国際貢献を果たすべき自衛隊に限界を画すものである。そのような認識は1991年の湾岸戦争を転機として拡がった。さらに、現行の憲法9条解釈が集団的自衛権の行使を認めないために、日米同盟の維持に支障があると指摘もされている。そこで、安保法制懇が憲法9条解釈の見直しを既定方針として発足し、包括的に集団的自衛権の行使を認め、さらに離島防衛やサイバー対応をも課題としている。そもそも、集団的自衛権めぐる政府解釈は一貫したものではなく、これまで紆余曲折を重ねてきたものだ」
品よくまとめれば、以上のようなもの。もう少し明確に分かりやすく、「毎日」記事の言わんとするところを述べれば、次のとおりである。
「戦後日本の歴史において、憲法9条は出しゃばりすぎてきた。自衛隊は、もっと国際貢献を果たすべきなのに、9条がその足を引っ張ってきた。
1991年の湾岸戦争を転機として、9条が国際貢献に支障となることが国民共通の認識になった。その後も、せっかく、テロ対策特別措置法や、イラク特措法ができて、自衛隊活躍の国際舞台をつくったのに、9条の所為で一人前の軍隊として働くことができず、日本は国際的な責任を果たすことができていない。
加えて、憲法9条についての政府解釈が集団的自衛権の行使を認めないことで、日米間の軍事同盟の良好な関係維持に支障があると指摘もされている。中国が先島諸島を占領したことを想定して、その奪還のための軍事行動を日米合同で行うことも大っぴらにはできない。多国間訓練において、複数国共同の軍事行動訓練に参加もできない。
そこで、安倍首相の私的な懇談会である「安保法制懇」が憲法9条解釈の見直しを既定方針として発足した。第1次安保法制懇時代の「4類型」という個別問題にこだわらず、包括的に集団的自衛権の行使を認める方針が既に固まっている。さらに離島防衛やサイバー対応をも課題として検討している。
自民党の石破幹事長が言っているとおり、そもそも、集団的自衛権をめぐる政府解釈は一貫したものではなく、戦後5回も解釈を変更している。政府が現在の解釈を主張し始めるのは、1981年5月の政府答弁からでしかない」
要するに、「憲法9条が、日本の国際貢献と日米軍事同盟維持の足を引っ張っている。だから、9条の解釈を変更する動きが生じている」というもので、「解釈改憲容認」に紙一重だ。安倍政権の性急な解釈改憲策動に「国民の支持も広がっていない」としてはいるが、自らの批判の姿勢は感じられない。
全体の姿勢とは別に、気になるところをいくつか指摘しておきたい。
※まずは、「芦田修正」について、「毎日解説」は、当然のごとく芦田修正を意味あるものとする立ち場をとる。
「憲法9条は第1項で戦争と武力の行使について『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と宣言。続く第2項で『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』とうたった。だが、憲法草案の審議段階で政府の憲法改正小委員会の芦田均委員長が、2項の冒頭に『前項の目的を達するため』という文言を挿入する修正を行い(芦田修正)、『自衛のための実力部隊』の創設に道を開くこととなる」
これは、二つの意味において不正確である。憲法改正小委員会の芦田均委員長が自衛のための実力部隊創設のために、「前項の目的を達するため」という文言を挿入する修正を行ったのではない。これは、ずっと後になって公表された委員会議事録で明らかとなっている。むしろ、彼は1946年8月24日の衆院本会議で、「改正憲法最大の特色は、大胆率直に戦争放棄を宣言した」と語っている。「自衛のための戦争を放棄したと」は言っていない。また、自衛戦争の放棄を「大胆率直な戦争放棄の宣言」と言うはずもない。芦田自身が言う「芦田修正」は、「後智恵」に過ぎず、立法者意思ではない。(杉原泰雄編「新版体系憲法事典」328頁・352頁など)
また、戦後の政府見解は、一度として芦田修正の立場に立ったことはない。文理解釈としては芦田修正の論理が可能だとしても、有権解釈としては芦田修正の立場はまったく無力である。これを麗々しく掲げる「毎日記事」には到底納得しがたい。
※「毎日記事」は、不見識にも、自民党幹事長の言を紹介する形で「政府が現在の『集団的自衛権を有しているが、必要最小限度の範囲を超えるので行使できない』との解釈を主張し出すのは81年5月の政府答弁書ごろからだ」としている。趣旨は、「それまでは紆余曲折を重ねた。今後も変更はあり得る」ということに読める。
自衛権をめぐる政府解釈の「変遷」や「紆余曲折」の内容を見なくてはならない。政府見解は最初の自衛権否認論から出発して、自衛権肯定論に「変節」はしている。しかし、自衛戦力合憲論(憲法9条は、自衛のための「戦力」保持を認める」)はとらずに踏みとどまっている。「自衛のための最小限度の実力は『戦力』ではない」という立場では一貫しているのだ。当然に、現在定式化されている集団的自衛権の行使が認められないことでも一貫している。
今のように、「集団的自衛権を有しているが、必要最小限度の範囲を超えるので行使できない」との政府解釈は「81年5月」ではなく、1972年10月14日の政府見解で確認できる。ここでは、「政府は従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界を超えるものであるとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである」として、格調高く、平和的生存権や憲法13条を引用している(先日、山内敏弘氏を講師にお招きしての学習会で詳細に資料を示していただいた)。
以後40年余、82年からでも30年余り。この点に関しては、政府と内閣法制局の見解がぶれるところはまったく無い。これを政府解釈に一貫性なく、紆余曲折があったが如くに描き出そうとする与党の意図に無批判であってはならない。
問題は微妙であり、極めて重大である。「毎日」の姿勢には影響するところが大きい。是非とも、権力に対する批判の姿勢を堅持して、ジャーリズムの本領を発揮していただきたい。
(2013年9月20日)