澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない

安倍政権は、奇妙な言葉の使い方をする。眉に唾をしないと真意が分からない。消費者の目を眩ます悪徳商法家としての天賦の才能に恵まれているのだろう。国民は「賢い消費者」となって、悪徳セールスを見破らねばならない。でないと、被害は甚大、財産だけではなく生命まで根こそぎ奪われかねない。

「事故後の原発は完全にコントロール」「0.3平方キロでブロック」「水俣病を克服した」の類はまだ罪が軽い。戦争と平和の問題での誤導についての罪が深い。

「積極的平和主義」とは、「徹底した反戦の立ち場を貫いて、戦争のない平和な社会をつよく求める姿勢」かと一瞬誤解しかねない。実は、まったく逆で「戦力を増強し戦費を増やして、専守防衛に限定することなく、世界のどこででも戦争が出来るような国防軍をもつこと」なのだ。

核廃絶についても同様、口先と腹の中はまったく異なっているのだ。
今年の8月6日、安倍晋三は、「広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」において、口先では何と言ったか。

「私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。‥核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。」

ところが、この言葉はホンネではない。口先だけのタテマエに過ぎない。8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の「平和宣言」において、田上富久長崎市長は、参列した安倍晋三の面前で、政権のホンネを次のとおり批判した。

「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。」

鋭く突きつけられた問題は、「人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない」という命題を受け容れるのか拒否するのか。曖昧な回答は許されない。中間の答はない。

共同声明署名の80か国は、「人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない」を肯定した。しかし、安倍政権は否定した。「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」との表現を問題視したというのだ。「核兵器の使用を完全排除した場合は米国の核抑止力に頼る政策と合わないと判断し、署名を見送った」と報じられた。これが、「唯一の被爆国」の政府の態度であり、「二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。」と言った人物の、2枚目の舌によるホンネである。

このことが、現在問題として再燃している。国連の有志国が準備している「核の不使用」共同声明に、日本も署名することについて、菅義偉官房長官と岸田外務大臣は、昨日(11日)相次いで記者会見に応じている。実はまだ、事態はよく分からない。「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」との原案にあった表現が日本の意見を容れて削除されたのかどうか。削除の有無に関わらず、日本がこれに賛成を決めたのか、削除なければ前回同様賛成しないのか。

ハッキリしていることは、日本が提案有志国に対して、「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」との原案を削除するよう求めていること、声明の内容が「日本の立場を縛ることはないことを確認した上でなら署名ができる」と明言していることである。

このことは、片言隻句の問題ではない。原則の問題であり、思想の問題だ。核の悲劇をもっともよく知る立ち場の日本国民とその政府に突きつけられた問題として、余りに大きい。

日本国民は、日本政府に問い質さなくてはならない。安倍政権は、「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」という命題に、いかなる意味で賛同できないというのか。曖昧さを残さずに明確に回答を求めねばならない。

「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」は、広島・長崎において被爆の惨禍に遭遇し、ビキニで水爆による放射線被曝の体験をした日本国民の一致した見解である。このことが核保有国を含む全世界人民の常識となるよう、働きかけることが日本国政府の務めではないか。

日本政府こそ、他国に率先して核廃絶を訴えなければならない。「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」という文言のレベルは核廃絶より数段低い。その程度の文書について、他国から呼び掛けられて、「その文言を消してくれたらすんなり署名できるんだけど‥」と言っているのは、余りに情けない。

日本国民は、どうしてこんな人物や政党に政権を与えたのか。こんな政権の支持率がどうして限りなく低下しないのだ。国民は、いつの間にか、そんなに核兵器が好きになってしまったのだろうか。
(2013年10月12日)

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Published in 土曜日, 10月 12th, 2013, at 23:51, and filed under 未分類.

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