露骨に企業のホンネを見せつけた、「アキタフーズ」と「DHC・吉田嘉明」。
(2020年12月27日)
久しぶりに安倍晋三の「記者会見」や「委員会答弁」に接して、あらためて腹立たしい思い。この男、日本の政治を腐敗させた元兇。あわよくば憲法を壊そうとまでしたのだ。そしてこの男、国会での数々のウソを「心から反省」「政治責任を痛感」などと言いながら、議員に居座ると開き直っている。いま、「安倍晋三の議員辞職を求める」「議員をやめろ、アベヤメロ」というスローガンが実践的に重要だと思う。
そのアベ政治の負の遺産が、あちこちに吹き出している。その中の一つとして、吉川貴盛元農水相の受託収賄疑惑がある。賄賂としての現金授受は3度にわたり、合計500万円。授受の趣旨や職務との関連性が明確である。そして、この賄賂の収受の後に政策が動いている。
吉川貴盛が安倍内閣の農水大臣だったのは2018年10月2日?2019年9月11日、ごく最近のこと。果たして腐敗は農水大臣限りのものなのか、またアキタフーズだけのことなのか疑心暗鬼とならざるをえない。
批判の目は、吉川とその背後のアベ政治に向けられているが、吉川に汚いカネを渡した鶏卵生産大手「アキタフーズ」(広島県福山市)に注目したい。3回にわたって直接に現金を渡した贈賄実行者が、グループの「元代表(87才)」だというが、氏名を特定しての報道はなされていない。便宜、この人物をAとしておこう。
報道によれば、Aは、家畜にとってストレスの少ない飼育環境を目指す「アニマルウェルフェア」(AW)をめぐり、農水族を中心とした政治家らに陳情を重ねていたという。
「アニマルウェルフェア」(AW)とは、部外者にはなじみがないが、農水省はこう説明している。
我が国も加盟しており、世界の動物衛生の向上を目的とする政府間機関である国際獣疫事務局(OIE)の勧告において、「アニマルウェルフェアとは、動物の生活とその死に関わる環境と関連する動物の身体的・心的状態」と定義されています。
アニマルウェルフェアについては、家畜を快適な環境下で飼養することにより、家畜のストレスや疾病を減らすことが重要であり、結果として、生産性の向上や安全な畜産物の生産にもつながることから、農林水産省としては、アニマルウェルフェアの考え方を踏まえた家畜の飼養管理の普及に努めています。
《生産性の向上》と《安全な畜産物の生産》が、政策目的として挙げられているが、コスト高になることから業者は反対したのだ。明らかに、「アニマルウェルフェア」(AW)とは、消費者利益のための業者規制の政策である。この政策を嫌った業界から主務大臣への賄賂の提供は、営利追求を本質とする企業の恒常的な衝動の表れにほかならない。このような犯罪の誘発は、安倍政権の業者に甘い体質の表れとみるべきであろう。安倍自身の責任も小さくはない。
消費者の声を背にした行政による業者規制と、それに対する業界からの反発は、この社会の政治と経済の基本構造に根差している。消費者や労働者や生活者は行政を通じて業者に対する厳格な規制を求め、業界は常にこの規制を緩和せよ撤廃せよと蠢動する。
常識的に、Aは自社の利益のために行政を動かそうと画策した。しかし、賄賂の提供が明るみに出た今、「(鶏卵)業界のため」の現金提供だったと「弁明」しているという。個別企業でも業界でも、薄汚い事業者は、政治や行政に携わる者に、カネを渡し利益を供与して、自社の儲けの障害となる行政規制を取り除こうとあがくのだ。
6年前の「週刊新潮記事」を思い出す。ある経営者の「独占手記」の次の一節である。
私の経営する会社は主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく何やかやと縛りをかけてきます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には特別厳しいのかと勘ぐったりするぐらいです。
いずれにせよ50年近くのリアルな経営に従事してきた私から見れば、厚労省に限らず官僚たちが手を出せば出すほど日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり霞が関官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが私の求める政治家でした。ですから声高に《脱官僚》を主張していた渡辺喜美さんに興味を持つのは自然のこと。少なくとも5年前はそうでした。
よくもまあ、こうまで露骨に消費者利益のための社会的規制に悪罵を投げつけられるものと驚嘆せざるをえない。記者から追い詰められて、こうしゃべったのではなく、無邪気に自分から「手記」を書いたのだ。およそ、企業の社会的責任(CSR)や、企業倫理、コンプライアンスなどの世のトレンドとは無縁の、「非良心派経営」の典型。これが、DHCの吉田嘉明の「独占手記」である。タイトルは、「さらば器量なき政治家 渡辺喜美」。これに「借金8億円を裏金にして隠したみんなの党代表」と副題が付いている。
私は、吉田嘉明の渡辺喜美(当時、みんなの党代表)に対する、8億円の政治資金支援に関して、「矜持のない政治家を金で買った」「金で政治を買おうというこの行動は…徹底して批判されなくてはならない」、「DHC吉田が8億出しても惜しくないのは…『規制緩和という政治』を買い取りたいからなのだ」、「金を持つ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。DHCの吉田嘉明はその許すべからざることをやったのだ」「自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。…渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか」と批判の記事をブログに掲載した。
このブログを怪しからんとして、DHC・吉田嘉明は私に、6000万円請求のスラップ訴訟を提起した。こういう恥ずかしい訴訟を受任する弁護士も現実に存在するのだ。
明らかに「吉田嘉明はカネで政治を買おうとした」のだ。「カネで政治を買おうとした」とは、言論の応酬によってのみ成り立つべき民主主義の政治過程において、カネの力で政治への影響力を獲得しようと企図したとの意である。渡辺喜美は小なりとはいえ公党の党首である。ワンマンとしても知られていた。渡辺に巨額のカネを注ぎこむことによって、一政党を事実上支配し、国政に自らの意図する方向での影響力を及ぼすことができると考えたものと合理的に推察される。これは、常識的な思考のしからしめるところである。
もとより、政治が個人や企業の経済力によって左右されるようなことがあってはならない。「民主的な政治過程がカネの力で歪められてはならない」「カネで政治を買ってはならない」という規範は、憲法上の理念や教科書上の倫理にとどまるものではなく、政治資金規正法が刑罰の制裁をもって具体的に規正しているところである。同法は、政治資金の動きの透明性を徹底することだけでなく、個人や企業(政治資金出捐者)と政治家・政治団体(政治資金受領者)間の政治資金の授受の限度額を法定して、「カネの力で民主的な政治過程が歪められることのないよう」規正し、国民による政治に「不断の監視と批判」を実効あらしめるべきことを法定している。
「アキタフーズ」のAが主務大臣に500万円を提供したという報道に照らして、DHC・吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円提供の事実の重大性を再認識せざるをえない。私のDHC・吉田嘉明に対する批判は、「許される言論」の範疇ではない。私は、民主主義に望まれる主権者の行動として、「カネの力で民主的な政治過程が歪められることのないよう」「不断の監視と批判」を実行したのだ。
最近は、DHC批判は、デマとヘイトとスラップに集中しているが、カネで政治を買おうという、その体質の根本をも批判の対象としなければならない。