澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

天皇と神の国の「東京五倫」であることを、よく弁えていただきたい。

(2021年2月8日)
私が、モリ・ヨシロウ。東京五倫の組織委員会会長だ。えっ? 「五倫」とはなんだって? 大切な五倫を知らんのか? それは、少し無知。

教育勅語は知ってるだろう。それさえ知っておればよい。神の国の天皇である明治大帝が、日本の臣民に賜った永遠不滅にして普遍的な、有難くも貴い教訓だ。どうして有難いかって? つまらぬ質問をするんじゃない。天皇の教えだから、有難くて貴いに決まっている。

勅語自身が、「この道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のともに遵守すべきところ。これを古今に通じて誤らず、これを内外に施して悖らず」と、こう語っている。つまり、勅語に書いてあることは絶対に間違いがない。時代を超え、国を超えて、普遍的な真理ということだ。

その真理を文字にした勅語の中に、こういう有難い一節がある。
「なんじ臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、…一旦緩急あれば義勇公に奉…ずべし」。これが、五倫だ。

元号もそうだが、悔しいけれどもこの辺りは全て漢籍からの借り物だ。もともとの五倫は『孟子』に由来する。
「君臣の義,父子の親,夫婦の別,長幼の序,朋友の信」この五つが、儒教で説かれる、それぞれの立場での処世の徳目。

問題は、「夫婦の別」だ。「別」とは、「夫には外における夫のつとめ、妻には内における妻のつとめがあって、それぞれその本分を乱さないこと。」(『新釈漢文大系』)と説かれる。勅語では「夫婦別あり」を、少しやんわりと「夫婦相和し」としているが、同じことだ。当時もそう教えられている。

さらに、「礼記」には、人の踏み行なうべき道として、五倫を敷衍した十箇条の「十義」というものがある。「父の慈、子の孝、兄の良、弟の悌、夫の義、婦の聴、長の恵、幼の順、君の仁、臣の忠」だ。婦人の徳としての「聴」とは、「夫の言うことをよく聴いてしたがう」こととされる。

「婦」とは、妻でもあり女性でもある。夫に、あるいは男性に従順であることこそが、永遠不滅にして普遍的な女性の美徳なのだ。それを男尊女卑というなら、我が国の歴史や習俗はまさしく、男尊女卑だ。それで何の不都合があろうか。

だから、もうよくお分かりだろう。会議では女性は、もっぱら「聴」に徹しておくべきなのだ。発言や質問を控えて、決まったことには素直に従う。これが、万古不易の婦徳ではないか。

えっ、キミたち、なんとなく不満そうな表情じゃないか。これが封建道徳の押しつけであるとでも思っているのかね。だとすれば、戦後教育嘆かわしや、というほかはない。

もしかして、キミたち。「『教育勅語』は全てが間違っている」なんて、思っているんじゃないだろうね。そうだとしたら、それこそがたいへんな間違いだ。神の国の陛下の言に間違いがあろうはずはないじゃないか。

だから私は、首相在任中に教育改革を説いて、教育勅語の一部復活を提案したんだ。この国が天皇の国であり神の国なんだから、教育勅語の復活は当然だろう。これに反対する偏向した一部の国民やマスコミの気が知れない。

オリンピックは世界の祭典だが、開催地は我が国の東京だ。わが国固有の歴史や伝統や風習を主張することを遠慮してはならない。何よりも神と天皇が宣らせたもうた男女の別については、人倫の大本として世界に発信しなければならない。キミたちも、天皇と神の国の「東京五倫」であることを、よく弁えていただきたい。

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