「広島・長崎の火」から、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」に。
(2021年3月12日)
気が滅入ってばかりの3・11報道の中で、たった一つの明るいニュース。東京・上野で30年間灯され続けた「広島・長崎の火」が、昨日(3月11日)原発事故の被災地フクシマ楢葉町に「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」として継承され、再点火された。新たな核廃絶の希望の火がともった。
「広島・長崎の火」から、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」へというコンセプトは、「原子爆弾投下による核爆発被害」だけでなく、「ビキニ被曝や原発事故の放射線被害」をも人類に対する核の脅威と捉える姿勢を示している。この火は、核の脅威を警告するとともに、『非核』を目指す運動の希望の火となって輝き続ける。まことにフクシマの地にあることがふさわしい。
「上野東照宮の『広島・長崎の火』が今はない」という記事を本年2月21日の当ブログに掲載した。上野東照宮の『広島・長崎の火』の由来については、下記のURLをご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=16358
嵯峨敞全という名物宮司の厚志で実現した上野東照宮敷地の「広島・長崎の火」だったが、時代が遷って今度は、早川篤雄という住職の賛同を得て、楢葉町「宝鏡寺」境内に新たな火が灯されたのだ。
2月21日ブログで紹介したとおり、「上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会」は、昨日2021年3月11日をもって解散した。しかし、上野東照宮境内の『広島・長崎の火』が消えたわけではない。ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』として、福島県楢葉町の宝鏡寺の境内に建設されるモニュメントに再点火された。「非核」の思いも受け継がれた。
前回ブログは、「火」が上野からなくなることを惜しむニュアンスの記事になったが、フクシマでの再点火を積極的に評価したい。宝鏡寺の早川篤雄住職は、反原発運動のリーダーとして知られた方。原発避難者訴訟の原告団長でもある。
昨日(3月11日)「宝鏡寺」での「非核の火」をともす式典には130人以上が参加した。新たに立ち上げられた「『非核の火』を灯す会」共同代表の伊東達也氏は「核兵器も原発も人間がつくったもので、人間の力でなくせる。『これ以上ヒバクシャをつくるな』『二度と原発事故を起こすな』の声を日本と世界に伝える決意だ」とあいさつした。
早川篤雄住職は、原発事故で「豊かな自然、平和な暮らし、地域が奪われた」と述べ、「人類の幸福と進歩は平和なくして不可能」と強調した。
東京新聞は、この件を取材して、《福島にともる「非核の火」 原爆、ビキニの資料館も―東日本大震災10年》という記事を掲載している。
移設を機に「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」と名を変えるのは、「環境や命、ふるさとを奪う核被害は許さない」という早川篤雄さんの思いからだという。新たな「火」のモニュメントの近くには、「原発悔恨・伝言の碑」が建てられ、「平和な未来は歴史を知ることから始まる」と、資料館も併設される。原発事故の教訓を中心に、原爆被害や第五福竜丸などが被ばくしたビキニ環礁での水爆実験の資料などを展示する予定と報道されている。
フクシマにこそふさわしい「非核の火」。原子炉という地獄で燃える核の劫火ではなく、人類の希望として輝く「非核の火」。2021年3月11日を第1日として、この先ずっと輝き続けていただきたい。