おぞましい《TOKYO2020》の聖火を消せ!
(2021年7月21日)
東京五輪の開会予定日が明後日(7月23日)に迫っている。TOKYO2020の幕開けは、東京都の緊急事態宣言のさなかとなる。のみならず、なんというタイミングだろう。このオリンピック期間は、第5波のコロナ感染拡大時期にピタリと重なる。本日東京の新規コロナ感染者は1832人。1週間前の水曜日よりも680人増えている。16日間の五輪の初日は、おそらくは2000人の新規感染者を出し、最終日には3000人を越すと予想されている。
多くの人がこの感染拡大に心を痛めている。そして、確実に感染拡大のリスクファクターとなる東京オリンピックの中止を求めている。しかし、主催者側は、決してオリンピック中止の声に耳を傾けようとはしない。いったい何のために、そこまで無理をしての東京五輪なのか。五輪ってなんだ。その開催にどんな積極的意義があるというのか。
復興五輪のウソは明白となった。簡素な五輪の公約も破られた。コロナに打ち勝った証しは完全に裏目に出た。みんなして一緒にコロナと闘う? それでは何のために闘うのかという回答になっていない。分かり易いのは、金のため、利権のため、売名のため、政治的権勢のための東京五輪である。
菅義偉は、本日付けウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューで「やめることは、いちばん簡単なこと、楽なことだ」「挑戦するのが政府の役割だ」と強調したと報じられている。この人の言うことだ、本気で受けとめる読者もなかろう。
それはともかく。菅義偉よ、ならば聞きたい。政府は、何のために何を獲得しようと危険な五輪開催に固執して挑戦しているのか。楽ではないのに、国民の生命と健康を賭けてまで。
菅が明確に語るところはない。忖度しても、「安全安心」と「しっかり」と「感動」くらいしか思いつかない。
政権の第一の任務は国民の生命と健康そして暮らしを守ること。緊急事態宣言下に、国民の生命と健康を賭して五輪への挑戦をすることではない。
菅は、五輪開催強行の意図について、本音を語るところがない。代わって、これを積極的に語っているのが、安倍晋三である。彼は、「月刊Hanada」8月号での櫻井よしことの対談において、東京五輪の開催に反対する人たちのことを「反日」と攻撃しつつ、あけすけにこう語っている。
「国民が同じ想い出を作ることはとても大切なんです。同じ感動をしたり、同じ体験をしていることは、自分たちがアイデンティティに向き合ったり、日本人としての誇りを形成していくうえでも欠かすことのできない大変重要な要素です」
「日本人選手がメダルをとれば嬉しいですし、たとえメダルをとれなくてもその頑張りに感動し、勇気をもらえる。その感動を共有することは、日本人同士の絆を確かめ合うことになると思うのです」
「このコロナ禍のなかにあって、来年は北京冬季オリンピックが予定されていますが、自由と民主主義を奉じる日本がオリンピックを成功させることは歴史的な意味があり、また日本にはその責任がある」
「同じ想い出を作る」「感動の共有」「日本人としての誇り」「勇気をもらえる」「日本人同士」「絆」…。何と安っぽい手垢のついた言葉の数々。こういう言葉を使うことが恥ずかしくないのだろうか。
要するに、ナショナリズム高揚のためのオリンピックなのだ。これが、コロナ蔓延拡大のリスクを押しても強行しようという東京オリパラ開催の右翼の動機なのだ。金を目当てのおぞましさもさることながら、ナショナリズム高揚目的は、さらに禍々しい。
こんな連中の思惑で危険なオリンピックをやらせてはならない。おぞましいTOKYO2020の「聖火を消せ!」と声を上げ続けよう。