オリンピックの非人間性と、自分をもたないアスリートの悲劇
(2021年7月25日)
私は小学2年生から4年生までを、清水市立駒越小学校に通った。戦後間もなくの1951年4月から54年3月までのこと。この地は富士がよく見え、三保の松原にほど近い風光明媚なところ。当時は田舎で、周囲は農村と漁村の入りまじった土地柄だった。その小学校の秋の運動会が一大行事として印象に残っている。校内行事の規模を超えて、地域行事となっていた。
運動会プログラムの最後が、地区対抗のリレーだった。確か、それぞれの地区が、1年生から6年生まで各学年の男女1名ずつを選手とする計12名のチームを作る。そのリレー競走が異様に盛り上がる。
何チームができたのかは覚えていない。増村(ぞうむら)、蛇塚(へびづか)、折戸(おりど)、駒越(こまごえ)等々の村落ナショナリズムが実に強固なのだ。運動会が近づくと、どこの地区はもう選手を決めた。特訓をやっているそうだ、という噂が伝わってくる。
この学校に通う、地元民でない2グループがあった。一つは、近所にあった東海大学の教職員宿舎の子どもたちで、「官舎の子」と呼ばれていた。もう一つが、私のような宗教団体の寄宿舎から通う、1学年15人ほどの子どもたち。宗教団体の名から「PLの子」と呼ばれていた。「官舎の子」も「PLの子」も、勉強はできて行儀がよく標準語を話す子どもたちだったが、地元の子どもたちには腕力で敵わず、運動能力も遙かに劣っていた。だから、もちろん尊敬される存在ではありえない。このグループもリレーのチームを作ったが、常に最下位を争っていた。通例、文武は両立しがたいのだ。
この最下位2チームを除いてのことだが、各チームのリレー選手に選ばれるとたいへんなプレッシャーが掛かることになる。各村落の期待を背負って、勝てば褒めそやされるが、負ければ針のムシロなのだ。リレーの勝敗には、各地区の名誉がかかっている。子どもたちが、地区の名誉のために、懸命に走るのだ。和気藹々なんてものではない、村落間の対抗意識のトゲトゲしさが印象に残る。その対抗意識のなかでの子どもたちの痛々しい姿。
もしかしたら、あの小学校のリレーが、私のスポーツ観の原点なのかも知れない。アスリートとは痛々しいもの。対抗意識で分断された部分社会を代表して、その名誉を賭けての代理戦争の選手となる者なのだ。勝てば褒めそやされるが、負ければ惨めな針のムシロの哀れな存在。
子どもたちはクラス対抗では盛り上がらない。クラスは、便宜的に区分されたに過ぎず、来年にはクラス編成は変わる。クラスに対する帰属意識は育たない。クラス・ナショナリズムは成立しないのだ。しかし、クラスを横断した村落ナショナリズムは確実に存在した。それぞれが、そこで生まれ育ち将来も生き続けなければならない村落へのアイデンティティを強固にもっていた。
地区対抗リレーでは、子どもたちが自分のためでなく、村落ナショナリズムを背負って、村落共同体の代表として走った。だから、各村落共同体がこぞって声援を送り、子どもたちは懸命に痛々しく走ったのだ。おそらくこのリレーは、普段は意識しない各村落間の対抗意識を顕在化させ煽るものであったろう。
スポーツは競技と切り離しては成立しない。競技は競争の相手方を必要とするだけでなく、自分の属する集団の名誉や経済的利益を賭して行われる。学校の名誉のために、職場対抗の選手として、地域を代表して、さらには国家のために競技をすることになる。これは、単位社会間の代理戦争である。そのゆえに、大いに盛り上がることにはなるが、選手本人には限りない重圧が掛かることになる。当然に押し潰される人も出て来る。
前回1964年東京オリンピック開催時には、私は大学2年生だった。アルバイトに明け暮れていた私には競技に関心をもつほどの暇はなく、テレビも持っていなかったから、騒々しさ以外には感動も印象も残っていない。ただ、陸上競技でのたった一人の日本人メダリスト円谷幸吉が、その後に傷ましい自殺を遂げたことから、この人についての記憶だけが鮮明に再構成されている。
次のオリンピックには金メダルを。そのような国民の期待に応えようとした律儀な自衛官は、68年メキシコオリンピックの年の1月、頸動脈を切って凄惨な自殺を遂げた。当時27歳、「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」との遺書を残してのこと。
この事件は衝撃だった。国家の名誉と期待を背負わされた青年がその重みに耐えかねて、その重圧から逃れるための自殺。国家とは国民とは、そしてナショナリズムとは何と残酷なものだとあらためて知った。加えて、アスリートを押し潰すオリンピックというイベントの非人間性も印象に残った。
円谷の精神の中では、国家や国民という存在が限りなく大きく重いものであったのだろう。卑小な自分は、国家や国民の期待に応えなければならないとする生真面目な倫理観があったに違いない。それが達成できなくなったときには、自分の生存自体を否定せざるを得なかったのだ。自我も主体の確立もない、ただ国家のために走らされる哀れなアスリートの悲劇である。
駒越小学校では、あの村落対抗リレーはまだ存続しているのだろうか。一昨日から始まったTOKYO2020では、まだ無数の円谷が競技をしているのではないだろうか。