「日の丸・君が代」は、なんのために生まれ、どんな役割を担ってきたのか。その宗教性の有無はどのように判断すべきか。
(2021年9月14日)
東京「君が代」裁判・5次訴訟(原告15名)が進行している。もちろん目指すところは、教員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の違憲判断である。
悪名高い「10・23通達」、これに基づく「国旗起立・国歌斉唱」の職務命令、そして職務命令違反を理由とするすべての懲戒処分。そのすべてが違憲・違法であって、取り消されなければならない。その違憲主張の訴状を原告側が陳述し、被告(都教委)が答弁書を提出し、いま、原告が総括的な再反論の準備書面を作成中である。
その違憲論争の一部としての憲法20条論(信教の自由の保障違反)の部分をかいつまんで紹介したい。
原告は訴状請求原因で、その国家神道のシンボルとしての出自と来歴に鑑みて、「日の丸・君が代」を「国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明強制は原告らの信教の自由を侵害し、憲法20条に違反する」と主張した。被告(都教委)は、これに反論を試みているが、請求原因に噛みあったものとなっていない。そもそも内容極めて貧弱で説得力に欠け「反論」たり得ていない。被告が原告側の請求原因の主張を真面目に読み込んで、これに真摯に対応する姿勢の片鱗も見ることができない。これは、「10・23通達」発出以来の被告(都教委)の思慮を欠いた、独善的な国旗国歌強制の姿勢と重なるものである。
原告は、訴状請求原因において、大要以下の主張をした。
信仰者である原告らにとっては,「日の丸」も「君が代」も,自らの信仰と厳しく背馳し抵触する宗教的シンボルとしての存在であって,信仰という精神の内面の深奥において,この両者を受容しがたく,ましてや強制に服することができない。
このような信仰を有する者に,「日の丸・君が代」を強制することによる精神の葛藤や苦痛を与えてはならない。そのことこそが,日本国憲法が旧憲法時代の苦い反省のうえに国民に厳格な信仰の自由を保障した積極的な意義にほかならない。また,人類史が信教の自由獲得のための闘いとしての一面をもち,各国の近代憲法の基本権カタログの筆頭に信教の自由が掲げられ続けてきた普遍的意味でもある。信仰をもつ原告らにとっても,また信仰をもたない原告らにとっても,既述のとおり現在なお,「日の丸」も「君が代」も,神なる天皇と天皇の祖先神を讃える宗教的象徴である。その宗教的象徴に対して敬意表明を強制させられることは,信仰をもつ原告らにとっては自己の信仰と直接に背馳し抵触する受け容れがたいものであり,信仰をもたない原告らにとっても信仰をもたない自由に対する侵害にあたるものである。
17世紀、江戸時代初期に,当時の我が国の公権力が発明した信仰弾圧手法として「踏み絵」があった。この手法は,公権力がキリスト教の信仰者に対して聖像を踏むという身体的な外部行為を命じているだけで,直接に内心の信仰を否定したり攻撃しているわけではない,と言えなくもない。しかし,時の権力者は,信仰者の外部行為と内心の信仰そのものとが密接に結びついていることを知悉していた。だから,踏み絵という身体的行為の強制が信仰者にとって堪えがたい苦痛として信仰告白の強制になること,また,強制された結果心ならずも聖なる像を土足にかけた信仰者の屈辱感や自責の念に苛まれることの効果を冷酷に予測し期待することができたのである。
事情は今日においてもまったく変わらない。都教委は,江戸時代のキリシタン弾圧の幕府役人とまったく同様に,「日の丸・君が代」への敬意表明の強制が,教員らの信仰や思想良心そのものを侵害し,堪えがたい精神的苦痛を与えることを知悉しているのである。
また,信仰をもたない原告らについても,事情は本質において変わらない。信仰をもつ原告においては侵害されるものが自己の信仰であるのに対して,信仰をもたない原告らにおいて侵害されるものは,特定の信仰から自由な精神そのものである。
これに対する被告の反論は、以下のとおりである。
「日の丸・君が代は、国旗・国歌法によって日本の国旗・国歌と定められたものであって、それ自体宗教的な意味合いを持つものではない。原告らが主張するように、日の丸・君が代は、「国家神道と結びついた神的・宗数的存在として天皇崇拝のシンボル」ではない。」
これに対しては、多岐にわたる再反論が可能であるが、重要なものは、次の3点である。
ア 宗教性の有無は、個人の尊厳と緊密に結びついた、前法律的な、あるいは前憲法的な問題である。法によって「特定の事象に関して宗教性はないものとみなす」などと規定して、あるものをないことにはできない。
イ ましてや、国旗国歌法は、「日の丸・君が代」を国旗国歌とすることを定めただけの定義法に過ぎない。論理的にも、「日の丸・君が代」がもつ宗教性を捨象するものではない。
ウ 最重要の問題は、誰を基準として宗教性の有無を判断すべきかという点である。「日の丸・君が代」の宗教的性格の有無や宗教的な意味付けの内容についての判断は,特定の宗教的行為を強制される人権の被侵害者の認識を基準とすべきである。百歩譲っても,被強制者の認識を最大限尊重しなければならない。人権侵害者の側である公権力においてする意味付けは,ことの性質上まったく意味をなさない。また,一般的客観的な基準によるときには,少数者の権利としての人権保障の意味は失われることにならざるを得ない。
とりわけ留意されるべきは,問題の次元が政教分離原則違反の有無ではなく,個人の基本的人権としての信教の自由そのものの侵害の有無であることである。公権力への禁止規定としての政教分離原則違反の有無の考察においては、宗教的色彩の存否は一般的客観的な判断になじむにせよ,基本的人権そのものである信教の自由侵害の有無を判断するに際しては,人権侵害の被害を被っている本人の認識を判断基準としなければならない。
また、被告は下記のようにも反論する。
「それまで日の丸・君が代が我が国の国旗・国歌であることが慣習法として成立していたという事実的経過があって、議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化されたものである。」
しかし、歴史をひもとけば、日本民族の歴史とともに日の丸・君が代があったわけではない。近代に至って、維新権力が急拵えの中央集権国家を建設する中での小道具の一つとして、「日の丸・君が代」が慣習法的に国旗国歌として使用されるようになった。いうまでもなく、明治維新から敗戦に至るまでの日本は、神権天皇制が国民(臣民)の精神の深奥までも支配を試み、しかもそのことに半ば成功した、人権尊重や民主主義とはおよそ無縁の国家であった。
戦後、国家の根本が変わった。しかし、国家を象徴する国旗国歌は変わらなかった。ドイツやイタリアでは、当然のこととして新国家にふさわしい国旗国歌に変えられたが、日本だけは神権天皇制のシンボルであった、「日の丸・君が代」をそのまま受継した。これは奇異な現象であり、これに対する異論があって当然なのである。とりわけ、宗教的信念に基づく、「日の丸・君が代」の国旗国歌化反対の意見は尊重されなければならない。
被告のいう、「議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化されたもの」は、その通りである。しかし、国旗国歌法は、国民誰にも、どんな場面においても、国旗国歌に対する敬意の表明を強制することを許容するものではない。
また、被告は次のようにも言う。
「国旗国歌が国民統合の象徴の役割を持つことから、国旗・国歌を取り巻く政治状況や文化的環境などから、過去において、日の丸・君が代が皇国思想や軍国主義に利用されたことがあったとしても、また、日の丸・君が代が過去の一時期において、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として利用されたことなどを理由として、日の丸・君が代に対して嫌悪の感情を抱く者がいたとしても、日本国憲法においては、平和主義、国民主義の理念が掲げられ、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であることが明確に定められているのであるから、日の丸・君が代が国旗・国歌として定められたということは、日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されているということである。」
切れ目のない長い一文だが、論理の骨格は、「日の丸・君が代に対して嫌悪の感情を抱く者がいたとしても、…日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されている」というものである。率直に言って文意不明である。また、この一文が憲法20条の解釈とどう関わっているのかも、理解し難い。まさかとは思うが、万能な国会は国民の信仰の自由を奪うことができるとの暴論に聞こえる。
見逃すことができないことは、「日の丸・君が代が過去の一時期において、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として利用された」という一節。正確に歴史的事実を踏まえれば、「日の丸・君が代は、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として創られ、その創出の時期から国民にこの上ない惨禍を強いた敗戦に至るまで、徹頭徹尾国民の精神的支配の道具として活用され、さらに、今なお戦前回帰派の運動のシンボルとして利用されている」というべきである。
はからずも、被告都教委の「日の丸・君が代」に問題はあるにせよ、それは、過去の一時期のことに過ぎないという浅薄な認識が明瞭になった。この認識が、軽々に「10・23通達」を発し、本件各職務命令と懲戒処分とを濫発している基礎となっている。